2005年06月12日

吹っ飛んだ

いやはや。まいりました。
オーバーボルテージで、PCのAC-DCアダプタがやられました。
いきなり、蛍光灯がぐわー、とちらついてきまして。あー、電圧下がってんなぁ、と思ってたら。いきなり電圧急上昇。テレビとPCのアダプタから、煙が出て、いやぁな臭いが。
幸い、ノートPC本体は無事だったので、何とかデータを、現地のPCに移し変えて、ついでに日本語システムも入れて、使っております。
バックアップでバッテリーがほとんどなくなった・・・。

そんな感じで、ブータンにきて、早1週間がすぎました。
出張前にいろいろとやりたいことがあったのですが。研修生の相手と提案書と報告書とワークショップ含む出張準備のクワドラプルアタックで、寝る暇どころか食う暇もなかったです。
ひとまずワークショップも終了して、一息入れられると思った瞬間に、これでした。
被害者は、団員中少なくとも3名。ほかにもまだ出てくるかもしれない。プリンタもやられました。この復旧だけで、しばらく仕事にならなさそうだ。
電力公社を責めようにも、彼らの能力強化が自分らの仕事目的なので、それもままなりません。うぅ。

機器だけではなく、団員にも、腸チフスとかアメーバ赤痢とかが出て、やばい感じです。ブータンからではなく、ネパールとカンボジア帰りの人たちが持ってきたのですが。
ひとまず感染力は低いので、隔離などの羽目には陥っていませんし、普通に仕事していただいています。それどころか、近寄るな、消毒薬もってこい、と苛めるとか、抗生物質のせいで酒が飲めない方々の目の前で地酒に興じたりとか。ヒドイ扱いです。
人間、死なないと思ったら、粗雑に扱ってしまうものです。最初は心配するけれども。慣れって怖いです。
アメーバ赤痢の感染源って、そういうのもあるのですか…。家庭の医学辞典で見ていて、もののあわれを感じました。現実って大変だ。よろしければ調べてみてください。
ちなみに、アメーバは腸壁にくっついてしまってなかなか流れていかないのか、一度かかるとしつこいようです。昔かかった上司によると、半年続いたとか。下痢が続くので、体力の維持が大変なようです。
抗生物質は体がしんどいので、途中で薬はやめて、ひたすらヨーグルトを食べて、善玉菌を増やして、体の中で競争させていたそうです。そうしたら、体のほうが共生状態に慣れてきて、アメーバを抱えつつも、元気に動けるようになったようで。
人間の順応力って、すごいものだと思います。

そんな感じで。たらたらとやっています。
今日は日曜日なので、仕事場のPCを弄くれていますが、平日はそうもいかず。ネタもたまっているのに、ままならない人生。
更新やメイルが滞りっぱなしで、大変申し訳ないです。いつも謝ってばかりです。帰国後、改めてご挨拶をさせていただきたく。タイミングを激しく外した文字列が届いても、どうか嫌がらないでやってください・・・
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2005年06月14日

分からないことだらけ

新しいアダプタを求めて、街中をさまよっていました。注文は出来るが、少なくとも45日はかかるとのこと。シンガポールからインド経由で陸路で運んでくるからなぁ。陸の孤島だ。

で、OAの修理屋のようなところがあったので、アダプタが直せないのか頼んでみました。さすが、職人です。中身を開くのに、ノコギリでガリガリ切ったのには、びびりました。精密機械への遠慮のかけらもありません。
それで、見事にキャパシター(コンデンサ)が焼き切れていることがわかりました。同じ容量のキャパシターに変えればいいのですが、容量が合うのはあっても、アダプタの中に納まらない。ここにあるのは全てインド製なのですが、「インドは色々作るが、小さいのは決して作らない」とのこと…。

そんな感じで、素直に諦めて、バンコクの同僚に頼み込み、同じアダプタを調達して送ってもらうことになりました。

で、その間の応急的な使用として。
自分のはHP-Compaqで、他の方々のPCとは機種が違うので、アダプタの差込口のコネクタ形状が違うし、電圧も電流も違う。
ただ、電流は、アダプタのアウトプット側の値を越えていなければOKだし、電圧は多少違っても大丈夫ということ。

そういうわけで、電流値が同じ、電圧が少々低い、上司のIBMのアダプタを借りました。
勿論、コネクタの形状が違う。そこで、自分のアダプタの差込口を、切って、中のプラスとマイナスの配線をむき出しにして、別のアダプタの差込口に巻きつける。テスターで測ると一応電圧が来ました。無理やり自分のコネクタと別のアダプタをくっつけたものを、PCに指す。すると、ちゃんと電気がPCに来てくれました。

ただ、電圧が低いせいか、バッテリーの充電はしてくれない。これは、他の1〜2Vぐらいのアダプタを直列につないだら、直流だから単純に電圧が加算されて、うまく電圧が上がるだろう、とのこと。

そんな感じで、だましだまし、PCを宥めながら。トラブルに遭遇すると、何かと勉強になります。
というか、直流、電流・電圧の性質などは中高生のときに習っているはずなのに、いざ、機器を目の前にしてみると、何も分かっていないことが分かる。経験というか、普段から触れていないとなかなか、実用の知識とならない、というのはあるのでしょうけれども。

自分って、身の回りのこと、何も知らないんだなぁ、と実感してしまったことです。

PCが使えないと、考える、書く、話す、という人間として当たり前の表現手段を奪われたような気になってしまう、PCジャンキー人間ですのに、そのPCの動作の元になるパワーシステムのことも何も知らないわけで。
ただ、そういうのの基礎知識は、ちゃんと、中学生、高校生の教科書に書いてあるのですよね。後はそれを踏み台として、現実に使われているツールを知っているかどうか。日本の詰め込み教育というのは、偉いものです。

で、幸いというか、怪我の功名というかで、こういったトラブルへの対処法を知るがてら、ものの仕組みにちょっとだけ触れることができたわけですが。
始めてみると、楽しいんですよね。身の回りの、わけが分からないけれどもとりあえず動いているものが、どういう仕組み、どういう原理で動いているのか。

その辺り、蒸気機関やら大砲やら写真やら、西洋のいろんな、わけがわからないけれども便利そうなものを、一から紐解いて、理解していく楽しさを追い続けた人の気持ちに、ちょっと触れられたような気がしたりして。

というか、時代の軋みを実感として受け取っていた人たちに比べると、本当に些細なことではあるのですが。
取り組むことが大きすぎて、普通なら萎縮してしまうようなことに、こつこつと、一つ一つ向かい合った、ということに、畏敬の念を覚えずにいられません。

好奇心で目をきらきらさせて、わからなかったものが分かるようになって喜んでいる人って、いいよなー、と。
その辺りが、大鳥スキーのツボの一つです。いや、一杯ツボはありますけど。肉の後ろに入り込みすぎてよく分からなくなっているツボとかも多いですけど。これは比較的分かりやすいツボなんじゃないかと。

…えっと、何の話だっけ…。
と、とにかく、圭介って、自分が知らないということを、本当によく知っていた人なんじゃないかと思いました。
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2005年06月20日

山と雪と熱

印度です。デリーです。熱くて死にそうです。
暑い、なんて生易しいものではないです。熱いです。外に出ると、体の蛋白質が変性するのが分かります。目玉とか、ゴリゴリします。

熱波で、45度とか50度とか言われています。ホテルに一応クーラーがあるのですが、これが、音だけ凄くて、なかなか効きません。いや、十分冷房の役目を果たしてくれているとは思うのですが、MAXにしても、30度前半までしか下がりません。

空気が体温より高いと、風が吹き付けても、熱風が余計に体温を上昇させて、熱いだけなんですよな。バイクのあんちゃんたちは、長袖、手袋、スカーフの完全防備で、肌が空気に触れないようにしていました。自分の体温の熱のほうが、外の熱よりはマシだということで。

インド人が、自己主張が激しくて、みんなジャイアンで、デフォルトで生存競争やっているような国民性なのは(激しく偏見あり)、普段からこの熱さと戦って生きているからだと思いました。とりあえず熱や寒さに殺されることはない、モンスーンの穏やかな気候で、季節を愛でる余裕のある人間とは、そりゃ、生き様も違うわ。

てことで、ブータンからこちらにやってきました。
標高2500mの首都ティンプーは、朝は寒く、昼は暑くもカラッと清々しかったのですが。その反動もあって、ぶおぉぉ、と吹き付ける空気の熱さに、うめいてしまったことです。

ブータンからのフライトは凄かったです。カトマンズ経由の便になるのですが、エベレストはじめ、ヒマラヤの山々の間近を飛んでいくルートでした。世界第四位の標高のローツェ(8516m)、8463mの世界第5位のマカルー高さ8201mの世界第七の高峰のチョオーユーなどが、連続して拝めました。

このルートは、カトマンズなどから発着しているマウンテンフライトよりも、ずっと近くを通るそうです。ネパール○年の団長が「世界一のマウンテンフライトだ」と仰ってました。

世界の高峰というネームバリューもさることながら、なんというか、「神々の座」と呼ばれるのにこれほどふさわしいものはない、という感じで。雲のたなびく上から、雪を反射させた岩肌がまぶしくて、人を寄せ付けない凛とした厳しさと、現世離れした美しさがあって、人間、こんなもの、簡単に見ちゃいかんよ…と思いました。

「ああ南壁」など、エベレストをはじめとした登頂を成し遂げる方々は、肉体の限界のほか、現実的にも資金繰り、社会や家族との軋轢野中で、人間の行き着くところまでいきついた方々が、その果てにようやく拝んで許せるものなのに。何もしてない、ただ飛行機に、のへらー、とのっかかっているだけの自分が、こんなに間近で見ていいのか、と思いました。

そういう神々か、神に近い人間しか拝めないようなものを、こんな何もない人間が、のんべんだらりと座って見れてしまうほどに、技術というのは進んでしまった。

そこで、強引ながらやっぱり圭介。
初めて、しかも自分ところの生徒伝で、自動車に乗せてもらって、喜びのあまり、
「今に君、エンジンのついた乗り物が空を飛ぶようになるよ」
といったというエピソード持ちな圭介。じじぃがそんなにかわいくてどうするんだ馬鹿者ーーッ、と拳を振りかざしたい彼。その彼に、人間ここまで来ているんだよと自慢してやりたいというか、自分何もやっていないのに、ここまで来てしまってごめんなさいとすまなくなってしまったというか。

どうにも、微妙な気分になってしまったことです。
あの雪と雲の、厳然とした聖なる白に覆われた山を、圭介に見て欲しかった、なんて考えている辺りが、相当病進行中だなぁと思いました。えぇ、いまさらですが。

で、デリーだとあるだろう、と、ノートのAC-DCアダプタを探して、町をさまよいました。イエローページ片っ端からあたりましたが、全滅でした。…日曜日だったということに気がついたのは、炎暑で頭が朦朧として、意識が無くなりかけてからのことでした。
貴重なバッテリーを使って、書くことが、これか。これなのか。
タグ:ブータン
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2005年06月23日

二院制議会謹言その2

滞っておりました、「甲子雑録」の元治元年、大鳥32歳のときの、建言。
結構、この時期にしてはユニークな圭介のものの見方が伺えてしまったりする文書でしたので、中身に触れさせていただきたいと思いつつ。そのままになってしまっておりました。若かりし圭介の意見。明治ではけっこう見られるのですが、戊辰戦争前の洋学者時代のものだけに、圭介の思想の根っこに近いものが汲み取れる気がして、貴重なものだと勝手に思っております。、

まず、「本朝古来鎖国にて外国の通信無」から始まり、例に漏れず、鎖国から、ペリーの来航依頼の幕府と世の混乱について触れています。ここで、攘夷、開国と論が分かれるところなのですが。圭介。

「世界中、万国の形勢、粗探索仕候に、何れの国義、昔は大体鎖国にて、追々その国の弘く相開き候に應じ、外国へ相交、国産の有無を交通し、互いに国事を助け合い候」

と、これは、「萬国総覧」などの仕事の結果でしょうか。圭介、いろんな国の情勢を、粗方、調べてみたけれども、大体は、みんな鎖国していた。それがだんだん国を開いていき、外国と、国内にない物、あるもの同士を貿易して、互いに助け合っている、と。なんか、まず自分の知っている外国の知識から、その発展の傾向を導き出しています。

「既に『トルコ国』の儀、往古は厳敷鎖国を唱え居り候得共、近年国王の見識を以て、隣国並英仏才へ交通致し、学校を建て、彼是厚く世話有之候を、国民中、開国不同意の者多く、頻りに攘夷を唱、その国都に於て、重■役人を殺し、或は国王へ迫り、乱妨致し、国中人心同様に至り候間、無拠仏蘭西国の兵力を借り、右の乱妨人を刑戮し、或は追放す。国中相治追々兵備改革、国風一変、日を逐て盛大に相成勢の由。又、天竺国の『シャムロ』杯も、右同様に振合に御座候」

既にトルコは、昔は厳しい鎖国を唱えていたが、国王の見識をもって、隣国や英仏などと貿易した。学校を建てて、社会配慮を厚く行ったが、国民には開国に反対していたものも多く、攘夷を唱え、高い地位の役人を殺し、国王にも迫って、乱暴なことを行った。人心は乱れた。しかたがなく、フランスの兵力を借りて、平和を乱した者を罰し、或いは追放した。それで国は治まり、兵備を改革し、国の雰囲気は一変して、盛大になったとの由。天竺のシャムロも同様である様子、とのこと。

なんか、蘭学学んだだけに西洋ヨイショしたくて、楽天的なことを言っているなぁ…と、一見、思えてしまうのですが。

トルコですが、この時期、オスマン帝国が衰退期に入り、ロシアに敗れてクリミア半島を奪われています。で、改革の名君と名高い28代スルタンのセリム3世が、国家体制の刷新事業に乗り出しました。西洋文明を取り入れることでの近代化を目指し、時代遅れになったイェニチェリ(常備歩兵軍)を廃止。これに抵抗したイェニチェリによりセリム3世は暗殺されますが、彼の意思をついだ従兄弟のマフムト2世が、漸進的な軍事改革を進めつつ西洋式軍団「ムハンマド常勝軍」を創設しています。その後、内戦勃発で、列強がしゃしゃりでてきて、不平等条約を結ばされたりしたのですが、同じイスラムであるペルシアと、東のムガル帝国は、西洋列強の植民地にされたのに対し、トルコはアナトリアとイスタンブールを守り、植民地化は免れることができました。それは、この、セリム3世とマムフト2世の近代化と兵制整備のお陰といえると評価されています。

もひとつ、「天竺国のシャムロ」ですが、シャムロ=暹羅=タイ。…あれ、タイってインドの領地だっけか…。この頃チャクリー王朝は独立を保っていたはず。あ、当時日本は、あの辺り南アジア〜インドシナ一体を、天竺と総称していたのかしら…。すんません、この辺り、よくわかってません…。

で、その頃、ラーマ4世ことチョームクラオ王は、タイの仏教のあり方に疑問を感じ、キリスト教宣教師の手を借りて、英語、ラテン語を学び、教義が合理化されたキリスト教にもふれて、俗信を排除した仏教を建てたとのこと。イギリスから家庭教師を雇い入れたのは「アンナと王様」という映画にもなっている(でもこの映画、タイでは放映禁止だそうな…)。この王様、西洋と自由貿易を開始して、主な輸出品目である米の輸送のために、道路建設も行った。国を開いて、貿易とインフラ整備を始めた。

圭介はこの辺りのことに触れたのではないかと思います。当時、誰もタイやトルコの情勢などは気が向いておらず、皆、西洋ばかりに目が行っていたでしょうのに。それどころか、世界に日本と同じ立場の国が多々ある、ということを指摘し、その国がどのように国を開いていったか、近代化を果たして国を守ったか、という例を示唆して、次の言に繋げるあたり。
理念だけを口にするわけではない、圭介の現実性の片鱗を見せているといえないかなーと思ったり。
このころから、圭介、イデオロギーは口にしない。主義主張は、一通り調べてみて考えてから導き出す、経験主義的なんですよね。

それで、それから、わが国日本はどうするべきか、という話になっていくのですが。

「本朝は亜細亜洲の東方に独立し、四面環海の地に候間…」と始まり、寒暖は穏やかで物産に富んでいると、日本の地理の特殊さをまず述べています。それで、外国船はあまり来なかったが、近年異国船が度々来て、盟約を結んだ。これを「全く天地自然の勢」と述べています。

蘭学者だから、外人へのアレルギー的反応はないのは確かに当たり前なのですが。まだ攘夷の風が残っている中で、全く自然、と言い切るのも度胸です。

「互に彼の長を取り、我短を補い候、一事にて如何許可国の大幸に御座候。一体、開国と申して何■格外、非常のことに相聞江候へ共、能々相考え候得ば、元我国中にても、米屋は米を売て茶を買い、茶屋は茶を売りて塩を買い、山間の人は薪柴を売りて米麥を求め、農民は穀を薪に易へ、武士は俸禄を払ふて衣服を製し、士農工商共、活計の元は、皆交易の道理、相違なく候」

と、国ごとに、相手の長じているところを取り、自分のかけているところを補うというのは、国としての幸いである、と貿易のそもそもの理に触れています。
その後で、米屋は米を売って茶を買い、山の民は薪や柴を打って米や麦を求めて、武士は俸禄の米を売って衣服を作って…と、そもそもの世の中の理として、生活は交易によって成り立っている、これが国同士だとなんで出来ないことになるのか、と。至極、もっともで、身近な例を用いています。それで、「我が国内の交易を手広に致し候のみにて、強て珍敷義には有間敷」と、概念においては普段の生活と何もかわらん、珍しいことではなにもない、としてます。

ここまで。この情勢で楽観的な…と矢張り思えてしまうかもしれないのですが。

「先、わが国産の多少貴賎を吟味し、此品は必用ゆえ外国へ難出、又、彼品は■(外?)国用に無之故、何程迄は他国へ遣し候ても不苦と、巨細に測等し、又、外国の物産機械等不要なるを篤く探索し、国内に害無きよう制度を立、其上にて互市を始め、可許は我是を許し、不可許す」

これです。ここが圭介の真骨頂。
開国したら、自国の産物の量や価値を吟味して、必ず国内で必要となる物品に関しては国内で確保し、そうでないものは他国へ遣してもよい、それを巨細に測るのがまず最初。そして、外国の物産や機械などで、外国がもてあましているものをしっかり調査して、国内の産業に害のないような制度を立ち上げ、市場が受け入れられるときはこの輸入を許可し、不許可ののは市場で取り扱わないようにすること、と。

むしろ保護貿易に近い考えを立ち上げています。圭介の提案していることは、事前セーフガードですよな。それは、アメリカやイギリスの覇権があって、貿易的に強い立場に立つ国だからこそ可能だ、というのはあると思うのですが。それでも、こういう経済調査を実施して、互いの利益を求める考えを持って貿易交渉に乗り出されると、相手は、コイツは非文明国だと舐めているわけにはいかんと、背筋を正すと思うのです。

この辺り、一見、いけますよー、ということを示しておいて、その具体的方策の中で締めるところを締めていく、慎重になるべきところを明らかにする、というのは、圭介の意見書などで共通しているところであります。たとえば、加州の鉄道の報告書でも、元大名の華族が出資者になるという前提に対して、いざ資金集めの段階になると出し渋りが必ずでるから、資金拠出に関して条件を設けること、と意見を呈しています。あ、これ、まだ触れないままほったらかしだった…。

と、とにかく。
うちとこの国の産業リストはこれで、国内流通価格がこれぐらいで、需要と供給がこの位になっていて、将来予測がこうなっていて、これとこれとこれは足りているんだけど。この品目は足りないから、そっちから安く買えるなら欲しいな。特に武器。そっち、戦争終わって供給過剰になって困ってるでしょ? 買ってあげるからさぁ。値段は勉強で。あと、これとこれとこの品目に関しては、そっちの国の、価格と需要と成長率のデータが不足してるから、持ってきてくれない? でないと、具体的な交渉、できないからさー。

…とか言われたら、先延ばしもできそうなものですが。そういうわけにはいかず、力が正義な砲艦外交の世の中。ただ、お互いの利益、つまり、こうするとアナタの得ですよ、見せることのみが、力直行を思いとどまらせる。「アナタの利益になりますよー」というのは、何時の時代も、最新鋭の大砲よりも大きな武器なのです。そうすると、打ち払いよりもよほど効率的。圭介はそのあたり言っているのかなーと思います。

まず、開国にしても、その前提を分かりやすく述べてから、細部に現実的な提案をするのが圭介だなぁと思いました。決して楽天的なだけの男ではない。むしろ、欠点を見据えて対処を考えて、改善に持っていくことが可能だと結論付けてから、その結論からわかりやすく語る。ここまで具体的に考えて、行動示唆的な文書も、なかなか珍しいのではないかと思いました。圭介の性質は、現実性の裏付けのある故の楽天なのだと、思います。

…と、ここまででまだ5ページ分。まだ1/4です。なんでこう、簡潔に要点を分かりやすくまとめることができないのかなーと、今日も力尽きます…。

あ、アダプタ、ゲットしました。これでバッテリーを気にせず、思う存分打てる…。
といいつつ、ウェブメールが重くて繋がらない。も、もう少々お時間ください…。
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2005年06月24日

腹を下したら

下痢の対処法。
結構今回周囲に病人が多かったので、メモ代わりに。

1) お茶などををせっせと飲んで、水分補給につとめる
2) 体力を維持し、胃の負担のならないように、味気の薄いお粥などを取るようにつとめる
3) 脱水症状にならないように、下痢止めを活用する
4) ポカリスエットなどのイオン飲料を飲む

以上、全て、間違いだそうです。

まず、1)の水分補給ですが。通常、下痢によって、大量の水分とともに、電解質(ナトリウム・塩化物・炭酸イオンなど)が失われます。
水分だけを補給すると、さらに体内の電解質濃度が下がってしまいます。そうすると、体は、血中の電解質濃度を保とうとして、体のいろんな器官から、電解質を奪うようになります。すると、体が非常にだるくなって、起き上がれなくなってくる。

で、2)ですが、これも、味の薄いお粥などは、水分を増やしてしまうだけなので、望ましくない。また、下痢中は胃腸が弱ってるので、むしろあまり食べずに、胃腸を休めるほうがいいそうです。

3)ですが、これは、下痢は体内の有害な菌を排出しようとする自然な働きなので、下痢止めを飲んでしまうと、逆に有害な菌を体の中に留めてしまう。結果、闇雲に飲むと、かえって悪化させてしまう恐れがある。菌の種類を同定して、それに合った抗生物質があるならそれを飲むほうがよい。

4)のイオン飲料は、電解質の濃度が、下痢を改善するには低すぎて、結果的に水と同じく体内の電解質濃度を低下させて、かえって酷くなることがあるそうです。これは医者でも誤解されて、イオン飲料を勧める人が居るとの事。

で、どうするかですが。
一般的にどこの薬局でも売っている経口補液(ORS, Oral Rehydration soltion) を手に入れること。これは、ナトリウム・カリウム・塩化物イオン、ブドウ糖などを福見、下痢で失われた体内の電解質と水分を同時に補給してくれ、体液を正常に戻すのに大きな助けとなるそうです。

下痢といっても馬鹿にしたものではなく、コレラなどの死因は、下痢による脱水と栄養失調の衰弱によるところが大きいとも。幕末にもコロリと恐れられていましたが。こういう、別に特別な材料も用いず、一回数円程度のもので、救われるのでしたら、それを知らないことというのが、やるせない思いになってしまうことであります。

うちの上司も、とにかく水を飲んでいたらひどい目にあったとの由でした。
自分も何も知らなかったら、とにかく水を飲んで、消化のいいものを食べていたと思います。
常識として知っていることが、結構、思わぬところで、却って窮状に追いやっている、というのはあるようです…

あんま関係ない話で御免なさい。メモということで許してください。
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2005年06月26日

大岡昇平波長

一昨日、戻りました。いつもながらネットの快適さに咽びながら、目の前の片付けねばならない仕事に窒息しております。帰ったその日に朝4時までやって、次の日も夜明けに力尽きるまで残業で、会議室の床にダイブってどういうこと。
でも、月曜日からモンゴルです。嬉しい。それがあるからキツイんですが。短期間ながら、現場にも入れる。久しぶりの無電化村だ。

二院制、早く突っ込みきってしまいたいのですが、万葉仮名が多くて、流し読みするのはともかく、打ち込むために読むのが時間がかかるので、つい先送りに…。軟弱。

で、久しぶりに現代文(?)。大岡昇平 「保成峠」と「檜原」。
えぇ、そこです。そこ。会津です。会津なんですけれども。
母成の戦闘と、その後の圭介の会津流離いを、語ってくださっているんです。S子さまだいぶ前に昔ご教示いただいて、ゲットしたままに、そのまま突っ込みし損ねていました。だって、大岡さん。あまりに芳しすぎるツボをお持ちなんですもの。どこから突っ込んでいいのか…

いくつかの全集に収録されているようですが、1955年の「振分け髪」が初出でしょうか。今から50年前の文章かと思うと…やっぱり昔かしらん。燃えよ剣以前だ。

で、大岡氏。第2次世界大戦のご自身の参戦経験と、圭介の道程をオーバーラップさせながら語っておられます。
まず。「若松の落城悲話は、戦争中の玉砕主義、殉節礼賛と結びついて、あまり愉快な物語ではなかった。『東北』は私にとって、陰鬱、陰険、頑固等々、要するに付き合いにくいものの結晶」
という作者が、保成峠に登ってみようという気を起こしたのは、「専ら大鳥圭介に対する興味からである」とのこと。

お、大岡さんっ。そんなあからさまに! と、思わず慌ててしまったことです。

あ、自分仙台に居ましたが、東北、いい所だと思います。温泉の宝庫で、人も車も込んでいなくて、野菜も美味くて、人情あって…。えーと。

で、その興味ですが。圭介の孫、富士太郎の娘の綾子さんの夫が、文学者河上徹太郎で、大岡氏の先輩だったとのことで、なんとなく身近な感じがあった、との事。

それで、大岡氏。南柯紀行を手にとって下さったのですが。
「私が感服したのは、自己弁護のないこと、筆をまげて敗戦を糊塗する意が、いささかも見られない」と。敗戦を経た方ならではで強く感じられる見かたを、まず挙げてくださっています。「行文簡潔、よく意を尽くし、さらに所々漢詩なぞ挿んで、風流にもこと欠かない」と、圭介の文才を評価してくださってます。文学の一級者に、圭介、褒められてます。照れる。何でだ。

いや、自分、恥ずかしながら、まともな史料見たの、南柯紀行が初めてだったのですが。古文を見たのが圭介の文でなかったら、多分一生、そのまま史料見ずにすごしていただろうなぁ、と。古文ながら、圭介の文章は、読ませる文なんですよね。
「意を尽くし」でありながら「簡潔」という、一見矛盾しているところを成し遂げているのが、圭介ですよな。
それから、大岡氏、圭介の経歴を軽く紹介。中島万次郎とか、妻みさ、って誰だ?とかはいいとして。

よく出てくる「一命を以て幕府へ忠節を尽し候覚悟に御座候」の鉄次郎への手紙も引用しておられますが。
それから圭介の幕末テクノクラートぶりに触れ、「右の経歴は、温和な医師の子が、たまたま外国語の知識のため、時勢に従い軍人となったことを示している。そして、朝鮮公使の、井上馨との交代を挙げて、「実際は情勢に引きずられただけではなかったかと思われる」

大岡さん。圭介の「運命に受け」癖に、突っ込んでおられる!
てか、鉄次郎宛手紙を見れば、大体は、圭介が主戦論になったのも「忠義の人」というもっともらしい、当時の最大公約数的な結論に当てはめて終わるのに。そこからこの「たまたま」「ひきずられ」になるのが。
…大岡さん。グッジョブ。ワタクシ的に。

勿論、活字、写真、兵制、砲術にも触れ、「明治5年出獄以降は再び軍事に帰らず、工学頭、工部大学校長など技術的方面に新領野を求めたのは賢明であった」と、きっちりと技術方面を強調してくださっているのも嬉しい。

お、大岡さん。もしかして、僭越ながら、憚りながら、ワタクシとツボ、似てません…?

で、話は南柯紀行へ。脱走から、鴻の台(どうでもいいけど、この字を用いると「おおとりのだい」と読めるよな…)。「圭介は最初はただちに戦争するつもりはなく」といって、全軍の大将に推挙されるシーン「余辞して曰く…枉げて衆議に従へとの事にて」も引用してくださっています。
素敵なのが、それから宇都宮、日光の行軍について。

「孤軍が豊かな補給を持つ大群の先鋒に破られて行く平凡の経過であるから省く」

ぶちっと。切ってくれました。あの派手な宇都宮も。補給の無い孤軍は負けて当たり前、略。で終わらせた。其の目の付け所、いや、つけなさ所。カッコイイ、大岡さん。
一方で、しっかりと、「小銃弾薬の製造をなさしめたり…軍用に適しがたく愈困窮…弾薬輸送の大切なる事は曾て書物上にても心得居りたれども」の文はしっかり引用してくださってます。今市でも会津砲兵が五十里に引き上げたのを「会津兵が圭介等の惨状を見捨てて退いた」とか。会津が圭介に羽織、兵士に酒肴を贈ったのも「体のいい越境防止策」だとするとか。かなり圭介に同情的です。

そして、来ました、六方沢。はしょるわりに、なかなかこのエッセイのテーマの保成にはたどり着いていないのですが。大岡さん。

全文引用してくれましたよ。六方沢。

宇都宮も今市もザックリ飛ばしたこの方が。平凡の経過、と言い切ったこの方が。
勿論、「深山日暮宿無家」の漢詩は全文挙げてくださってます。
六方沢だけじゃないです。その後の餓鬼道行軍まで、余すところ無く、そのまま引用。よっぽど、お気に入りみたい。

「諸士官諸兵雑踏し…飯は基より何にても食するものなく、或は味噌を嘗め水を呑むものあり、或は沢庵を喫むものあり、或は梅干を貪る者あり、又労れて炉辺に重なりて困民せる者ありて実に餓鬼道の有様なり」

の、涕を誘ってやまない圭介名文ですが。「『予の着せし頃』まで既に目の前にはない光景を描写しているところ、兵の醜態に罹り籍りて自己の落胆を蔽う将校の常套心理が、無邪気に表現されていて妙である」

大岡さん。これを「無邪気」だと言い切るアナタが凄いよ。それに「妙」って。strangeじゃないですよね。違うほうの意味ですよね。
そ、そして次の文。

「さりとてもその餓鬼道の中に、鶏卵二個を貯えて大鳥に献ぜし『或る人』のありたる奇跡よ」

…ガシィィィッッ!! と思わず、大岡さんの両手を握って、「そうです、そうなんですッッ!」と、力いっぱい全面同意してしまいたくなりました。
奇跡、奇跡、って…!その言葉を選んで下さる大岡さんの感性が、奇跡です。

そして、勿論、流石大岡さん。しっかり、会津の国境入りを追い返されるシーンも、上げてくださってます。
この頃になると、もう大岡さんの感性価値観に、絶大な信頼感を、勝手に傍迷惑に、抱いてしまったことですよ…。

あかん、まだ、3/10ページ。全然保成までたどり着いていない…。今日もまた力尽きました。
でもまだまだ。大岡さんの本領は、これからの発揮なのですよぅ。
てことで、また、続きます。草の海にダイブする前に上げていけるか。ハハハ。
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2005年06月28日

バックパック

ちかれた…

ウランバートルです。ようやく暗くなってきました。
よる11時過ぎても、明るいんだもんなぁ…。といっても、到着10:30pmでしたが。

荷物は久しぶりに、スーツケースではなく、バックパックです。昔使っていたものですが。今は持っていかねばならないものが増えてしまって、詰めるのに苦労しました。PC関係、資料、文房具など。
ずいぶんとパッキングに時間がかかってしまいました。
スーツケースは面で広げて入れられるので、サクサク入るのですが、バックパックは、容量も小さいし、縦に、線上に、しかも重いのが上に来るように入れないとならないので(背負った時のバランス上、上が重いほうが安定する)、入れては出して…と、考え込みます。

昔はこれで何の不便も違和感もなく詰め込みしてたのですが、
いつのまにかスーツケースの便利さに慣れてしまってたんですな…。

でも、やっぱり、自分の所属品を、転がすのではなく、腰で背負い込む、というのが、気持ちいいです。
スーツケースのキャスターというのは、屋内や、完全に舗装された、凸凹のない道しか、通用しないわけで。たしかに重さを地面に預けられるので、転がすのは楽ですが、砂利道やむき出しの地面の上では、用いられるものではないです。

で、キャスターが使えるようなところというのは、つまり、人間が人間の利便ために、作った所オンリー、というわけで。キャスターを転がしていると、自分は人間が、楽に歩けるようにアレンジしたところしか歩けないのか、とかいう、妙な気分になってしまって。
ほんと、凸凹のない地面というのはものすごくありがたいわけで。ところがそのありがたさを全く感じる事なく、それが当たり前だと思うようになった。そういうところに、違和感があったわけなんですよな。
自分の所持品の重さすら、自分で持たずに、そういった便利な地面に預けてしまっている。

そういう感じで、昔はスーツケースとか、車輪付きカバンとかに抵抗感があったりしてまして。バックパッカーだった頃は、バックパックを自分で背負って、どんな地面も歩いている、ということに、無意味な誇りを持っていたりしたものでした。で、そういうのを忘れて久しくなってしまっていることに、バックパックを背負いなおして、自分の所持物の重みを受けて、初めて気がついてたりします。

で、背中にバックパック、肩に資料の山とパソコン、という格好で、駅の階段を上がると。…息が上がって上れない。ご、ここまで体力が落ちてたのか…。愕然としました。

……いや、スーツケース、ほんと便利です。文明、万歳。
そんなワタクシも、月が替わったら、道路も電気も水もろくに期待できない場所に居る予定です。
あぁ、体力持つかしらん…。
タグ:モンゴル
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