2005年07月01日

ウランバートル

えーと、ウランバートルです。首都からまだ動いていません。とりあえず第1段階メモ。

●食事。
肉。肉。そして、肉。そんな感じです。朝から肉。餃子かと思ったら、中は肉の塊。
中華でも肉。スープでも、羊肉のスープというと、羊の肉をダシに取ったものかと思って頼んだら、肉そのまま出てきた。それはスープとは言わん。肉のスープかけというのだ。
で、野菜を食べない。ゆっくりと土と対話しながら、野菜を栽培する国民性ではない。ビタミンは乳製品から取る。そんな、蛋白質偏重型食生活なので、モンゴル人は、男も女も、どこかムチムチして、弾力がある。

●インフラ。
旧ソ連時代のをそのまま使っていて、どこもかしこもガタが来ている。水道管さび付いていて、水道水は鉄錆びでまっ茶色。沸かしても水をのむのは勇気が居る。(飲むなよ)。シャワーを浴びるとなんとなく自分の体が鉄臭い。そのシャワーは熱湯or冷水の究極の選択。いや、このホテルだけなのかもしれないが。そう思ってたら今日は市内の湯の供給が「国の都合で」止まっていた。「国」を出すと、とりあえず全てのいい訳になると思っているのが、社会主義的。(いや本当にそうだから仕方ないのだけど)

ウランバートルに給電している発電所は、全てコージェネの石炭火力で、電気と熱を両方供給している。日本の援助で作った第4火力発電所はランドマーク。この熱供給だがしょっちゅうストップする。今は夏だからいいが、冬、暖房用の温水供給がストップしたら、本気で死人がでるんじゃないか。
と思っていたら、やっぱり冬でもしばしば止まるらしい。地方部など、一旦システムが止まると、凍り付いて、春が来るまで動かなくなってしまう。なので故障すると、作業員が夜中でも起こされて-40℃の極寒の中、凍らないうちに、必死こいて寝ずに直すらしい。暖房は人間が生きるための最低限インフラ。

今日、下水管が破裂していて、道路が水浸しになっていた。
道路は広いが運転が皆荒いので、そこら中で事故って渋滞を引き起こしている。1日に3,4回事故現場に出くわす。

首都の中にもゲル(遊牧民の移動式天幕)があちこちにある。ちょっと広場があるとどこからともなくゲルが表れる。ゲルには電気も暖房も来ていないはずだが。どうやって冬をやりくりしているのかは、謎。

● 天気
西日本の渇水状態を見ていると、どうだ、ダムの有り難味がわかったか。誰だ、脱ダム宣言なんぞ耳に聞こえの良い薄っぺらい環境カブレなこと言っていたのは。…とかいうどこかハキ違えた尊大な気分になりますが。(そういう感覚もな…)
ここも雨が降っていない。草原が緑にならず、まだひ弱い黄色。草が育たないと、家畜が肥えない。乳が取れない。そうすると肉が育たず、家畜の価値が下がり、牧民の食料と収入に直結する。草原の青い空にぽっかり浮かぶ白い雲。これがどんよりと灰色に垂れ込めて、草原を潤す日を皆待ち望んでいる。

夜11時になっても明るい。朝は4時ごろからやっぱり明るい。それで睡眠時間が減る…ということもありませんが。冬は逆で、朝11時ごろにようやく明るくなって、それでもずっと夕方のような暗さで、午後3時4時にはまた暗くなる。1日中寒くて暗くて、どうにも滅入るらしい。遊牧民は、風の弱い谷間で、氷点下40度もの中、ひたすらじっと、春を待つ。

● 市場とか
(ロシア+中国)÷2、というと、モンゴルに怒られるだろうけど。なんとなくそんな感じ。文字はキリル文字で、ロシア語に良く似ている。町の区画の、社会主義的なのっぺりした雰囲気、革ジャンの人が目立つ、女性の化粧が濃くて原色好き、辺りも、中国よりロシアを彷彿とする。デール(蒙古服)はじーさんばーさんぐらいにしか見かけない。(地方だと別)モンゴルはモンゴル以外何者でもないのだけれども。
中国市場はどんどん入り込んでいて、ちょっとした製品やレストランには中国語が目立つ。
それ以上に入ってきているのが韓国。走っているバスはHundaiかDaewoo。セダンもHundaiが主流。政府機関のPCのディスプレイはSamsungが主。電化製品やインスタント食品、お菓子、洋服など韓には、国語がびっしり。

外資のスーパーに並ぶ製品は、ロシア製・韓国製・中国製がしのぎを削っている。
韓国はロシアや中央アジアなど、ロシア語圏で強いようだけれども、品質も日本製に劣らないぐらいになってきていて、価格は半額ぐらい。今は日本製を買うメリットは何も無い、と、韓国メーカーは豪語している。がんばってくれニッポン。サッカーもいいが、真に勝負すべきところは別にあるだろう。韓国アイドルにウツツを抜かしている場合ではない。

そんな感じで。明日から地方に入ります。買い込んだミネラルウォータは、韓国製でした…
ラベル:モンゴル
posted by 入潮 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月06日

草の海の酔っ払い 

モンゴルです。タリアートという地方まで来ています。ウランバートルから800 km弱。

ゲル(モンゴルの遊牧民の天幕)で、ロウソクの光でキーボードを照らし、薪のパチパチと爆ぜる音を聞きながら、バッテリーでこれを打っています。ポストは勿論後日ですが。なかなかオツなものです。
内陸部なので、朝晩はかなり気温が下がります。夏の盛りの今でも、10度切っているぐらい。風が相当出てきました。ゲルのフェルトが飛ばないか心配です。

ゲルは、木枠にフェルトをかぶせ、水避けの綿布をのせた簡単な作りです。上に暖炉の煙突用の穴が開いています。良くこれで、−40度の冬を過ごせるものだと感心しますが。ストーブに火を入れると暑いぐらいで、冬でも半袖で過ごすそうです。

● 草原
幸い、雨が降った。その後の草原の輝かしいこと。緑という色は、まぶしい色なんだと知った。魂が吸い込まれそうに美しくて、包容力がある。草原の中に入ると、奥行きのある色で、回りが緑の海のよう。その中に吸い込まれそうになる。司馬遼太郎は「草の海」と評しておられたが、まさしくそれだな、と思った。

そこを延々と走る。道は、町の周辺は舗装されていたり、砂利道になっていたりするが、地方に行くともう、緑の草に刻まれた茶色い轍が辛うじてそこを道だと示している程度。皆好き勝手に走るので、轍が幾重にも連なり、大地を蛇行する川のよう。車は、あまり轍からずれて草原に出ることはないが、これは、草を傷める為ではなく、単に、草原の中はどこに穴ぼこが空いているか分からないからとのこと。

標識も案内も、そこを道路だと示すものは何も無い。一月も車が来なかったら、轍も草に覆われて道が消えてしまいそうだな、と思っていたら、本当に時々消えている。彼方に残っている轍を探しながら走るわけだが、右に左に、轍が散らばっているので、どこへ行っていいのか分からず迷う。GPS必須。というか、今はGPSがあるからいいのだが、昔はどうしていたのだろう。牧民にひたすら道を聞きながら、遠くに見える山を目印にするしかない。

山というと、山の近くで山の名前を呼んではならないのだそうだ。山は神様の化身であるといわれ、神様の名を直接呼ぶのは、良くない事だといわれている。
山や川の名前は、突き抜けて行くような響きのものが多い。空気を切るような舌子音のモンゴル語で発音すると、なんとも、聖なるもののような感じがする。

バータール・ハイラニー、ホリドゥール・サリターグ、トゥール川、オルホン川、オノン川…

● 星

月もなく、満天。180度の空というのは初めて。疲れも時間もどこかに飛んでいく瞬間。ゲルの中の暗闇から外に出ると、そらが星の光でまぶしいほど。星明りというのは本当に明るいものなのだと思った。
流星が降る。暗い流星まで見えるので、ひっきりなしに流れるように感じる。かと思うと、南の空では時折雷が光って、目を射抜かれる。
すっかり体が冷えて、ゲルの中のストーブで温まる。これもまた快感。

● 遊牧民

ソム(村)センターという、役場、学校、病院、郵便局などの公共機関が集まった、遊牧民の拠点となっている行政単位が、全国に点在。ここは、自然発生的に生じたのではなく、ソ連時代に、計画経済によって、全ての地方に作られた人工地区。ディーゼル発電機と、冬場のボイラー温水による集中暖房の設備がある。冬にここに移り住む遊牧民も結構いる。ただ、補助金や資源が潤沢に流れ込んでいた計画経済時代と違い、ソ連崩壊後は、ソムが資金的には独立して自主的に運営しなければならなくなった。(県からの補助金は多少ある)。最近の原油価格高騰で、ディーゼル油が買えずに苦しんでいる。

一方、牧民は、結構、豊か、という印象。かなり地方まで入り込んでも、ゲルは綺麗だし、着ているものは韓国製でおしゃれだし、女性はばっちりめかしこんで化粧しているし、家畜の多い裕福なところは、太陽光パネルに風力発電で発電し、パラボナアンテナまで買いこんで、衛星テレビを愉しんでいる。

そんな彼らの収入源のメインは、家畜の肉、乳製品もあるが、なによりヤギの毛。すなわちカシミア。中国人の商人が入り込んで、牧民から原毛を買って、密輸で輸出。中国が自分ところで適当な毛と混ぜて、製品化し、これが昨今の安価なカシミアになって、日本のスーパーを席巻している模様。カシミアは、洗毛→着色→紡績→製品化、という過程を経るが、紡績が結構大変で大掛かりな機械が必要。モンゴル国内でも国営工場一社しか製品化まで行っていない。モンゴル産カシミアというと、結構なブランド印象がある。この場合、原産ではなく製品化をモンゴルで行わねばならないのがポイント。このため、日本のある会社は、原毛をモンゴルで買って洗って、日本に持ってきて紡績して、またモンゴルに持って帰って製品化し、再度日本に輸出する、という、二往復の過程を経ているそうだ。それでも、ペイできるのが凄い。

カシミアだけではなく、革製品も、なめしが大変で、原材料は豊富なのに、製品化できないでいる。
できるならカシミアや革製品は、モンゴル自身に技術を導入して、地方産業を活性化させる産業にしてほしいところ。

● 食べ物
肉のほかは乳製品、ハムなど。パンもハムも、非常食として車に5日ほど積みっぱなしにしていたが、乾燥しているせいか、炎天下を延々走り続けていても、痛んだ様子がない。
アルルという、発酵乳を干して固めたもの。歯が割れそうに硬い。文字通り歯が立たない。少しずつ歯で削りながら食べる。酸っぱくて臭い。
肉は、ヤクやヤギの干し肉もある。これも、ゴムを噛んでいるように、弾力があって硬い。いつまでも噛んでいる。
あと、食堂などで定番の食べ物として、ゴリヤシというのがある。ひき肉団子とキャベツに、バターご飯が盛られている。このご飯が、山二つにした天辺に、ケチャップをちんまりとかけているレイアウト。その形状から、日本人親父には、おっぱい定食と呼ばれている。妙な郷愁。

● 酒
飲む。朝から飲む。ひたすら飲む。モンゴル人。血の代わりにエタノールが流れているんじゃないか、ってぐらいに飲む。酒の一滴、血の一滴。

○馬乳酒
その名のとおり、馬の乳を発酵させたもの。癖のあるヨーグルトにビールを混ぜたような感じ。微炭酸。アルコール度はビール程度。モンゴル人はこれを酒とはみなしていない。子供もドライバーも、ごきゅごきゅと飲む。ビタミンの塊。これを飲むから野菜を食べなくてもすんでいる。デフォルトの飲み物。お茶よりも水よりも、これ。食事時も休憩時もひたすら飲む。春夏は、家畜がまだ超えていない一方、乳が出るので、この季節にモンゴル人は肉ではなく乳製品で過ごす。ビタミンもこれから取る。他一切口にせず、馬乳酒のみで過ごす人間もいるそうだ。乾燥している上に直射日光浴びまくりで日焼けしている一方、洗顔やスキンケアとは無縁の非文化的人間も、この馬乳酒のお陰か、我が肌ながら、モチモチしていて気持ちが良い。四六時中飲んでいるものだから、体がなんとなく馬乳酒臭い。出すものからもその匂いがする。

草原を走っていると、どこからともなく遊牧民の子供が沸いて現れ、ペットボトルに詰めた場乳酒を売りに来る。牧民が歌いながらかき混ぜて作る手製ので、当然ながら、ボトルによって味が違う。臭いのだけ、というのもあれば、クリーミーですっぱくて炭酸が効いていて、本当に美味しいのもある。
車で揺られる間に発酵が進んで良い具合になるが、下手すると発酵が進みすぎて、ふたを開けるとロケット噴射状態になる。でもこの位になっているのが、うまい。

そいや、カルピスは、強制連行時に飲んだ馬乳酒を忘れられなくなった日本兵の発案なのだそうな。

○シミンアルヒ。
馬乳酒を蒸留させた酒。これが、また、んまい。馬乳酒にウォッカを混ぜたような感じになるのだが、ずっと洗練されて、それでいて乳臭い。大のお気に入りになった。残念ながら10日ぐらいしか持たないらしい。ワインのような感じで飲みやすいのだけれども、結構度数は高くて、つい行き過ぎる。

○アルヒ。
恐怖の酒。ウォッカのこと。お決まりのコースで、ここに来る。
親愛の証。出されると干さなければならない。ボトムアップ(ひっくり返して、全部飲んだぞーと示す)が、礼儀。どこからともなく誰かが持ってくる。常に瓶をガチャガチャと持ち歩いている人も居る。これがなくなるまで飲まされる。出会いに一杯、別れに一杯。瓶を干すまで繰り返される。大変危険。アルコール度数が98%を超えるスピリタスというのを持ってくる馬鹿者も居る。
これのせいで、いつも撃沈する。そのままインタビュー調査に入ったりすると、仕事にならない。でも仕事もせねばならない。つらい。
で、別れで散々飲まされたあとに、車で草原のガタガタ道を走る。良い具合に頭と胃の中がシェイクされて、結果、ご想像通り。おげげー。
…草原を汚してしまいました。御免なさい。まぁ、360度全てがトイレみたいなものだし。
なお、大自然の中で自然の要求を満たすというのは大変爽快で、癖になりそうです。


…そんな感じで、ウランバートルまで戻ってきました。結局地方では、ネットアクセスは全滅でした。衛星電話か、交換手がガチャガチャ回す有線しかないんだもん。いや、通信があるだけずっといいですが。

いつもながら大鳥の話がなくて、ごめんなさい。車の中で暇だったので、色々ネタは考えていました。帰国したらぼちぼちいきたいと思います。

…って、飛行機の帰国便、キャンセルされてました。
理由:客が少ないから。本州淡路連絡船のようなお手軽さ。さすが独占企業国営航空。お陰で帰国が2日延びます。ひゃっほーい。





 

ウランバートル 投稿者:入潮 投稿日:07/01(金) 00:45 PC No.899 [返信] [削除]
えーと、ウランバートルです。首都からまだ動いていません。とりあえず第1段階メモ。

●食事。
肉。肉。そして、肉。そんな感じです。朝から肉。餃子かと思ったら、中は肉の塊。
中華でも肉。スープでも、羊肉のスープというと、羊の肉をダシに取ったものかと思って頼んだら、肉そのまま出てきた。それはスープとは言わん。肉のスープかけというのだ。
で、野菜を食べない。ゆっくりと土と対話しながら、野菜を栽培する国民性ではない。ビタミンは乳製品から取る。そんな、蛋白質偏重型食生活なので、モンゴル人は、男も女も、どこかムチムチして、弾力がある。

●インフラ。
旧ソ連時代のをそのまま使っていて、どこもかしこもガタが来ている。水道管さび付いていて、水道水は鉄錆びでまっ茶色。沸かしても水をのむのは勇気が居る。(飲むなよ)。シャワーを浴びるとなんとなく自分の体が鉄臭い。そのシャワーは熱湯or冷水の究極の選択。いや、このホテルだけなのかもしれないが。そう思ってたら今日は市内の湯の供給が「国の都合で」止まっていた。「国」を出すと、とりあえず全てのいい訳になると思っているのが、社会主義的。(いや本当にそうだから仕方ないのだけど)

ウランバートルに給電している発電所は、全てコージェネの石炭火力で、電気と熱を両方供給している。日本の援助で作った第4火力発電所はランドマーク。この熱供給だがしょっちゅうストップする。今は夏だからいいが、冬、暖房用の温水供給がストップしたら、本気で死人がでるんじゃないか。
と思っていたら、やっぱり冬でもしばしば止まるらしい。地方部など、一旦システムが止まると、凍り付いて、春が来るまで動かなくなってしまう。なので故障すると、作業員が夜中でも起こされて-40℃の極寒の中、凍らないうちに、必死こいて寝ずに直すらしい。暖房は人間が生きるための最低限インフラ。

今日、下水管が破裂していて、道路が水浸しになっていた。
道路は広いが運転が皆荒いので、そこら中で事故って渋滞を引き起こしている。1日に3,4回事故現場に出くわす。

首都の中にもゲル(遊牧民の移動式天幕)があちこちにある。ちょっと広場があるとどこからともなくゲルが表れる。ゲルには電気も暖房も来ていないはずだが。どうやって冬をやりくりしているのかは、謎。

● 天気
西日本の渇水状態を見ていると、どうだ、ダムの有り難味がわかったか。誰だ、脱ダム宣言なんぞ耳に聞こえの良い薄っぺらい環境カブレなこと言っていたのは。…とかいうどこかハキ違えた尊大な気分になりますが。(そういう感覚もな…)
ここも雨が降っていない。草原が緑にならず、まだひ弱い黄色。草が育たないと、家畜が肥えない。乳が取れない。そうすると肉が育たず、家畜の価値が下がり、牧民の食料と収入に直結する。草原の青い空にぽっかり浮かぶ白い雲。これがどんよりと灰色に垂れ込めて、草原を潤す日を皆待ち望んでいる。

夜11時になっても明るい。朝は4時ごろからやっぱり明るい。それで睡眠時間が減る…ということもありませんが。冬は逆で、朝11時ごろにようやく明るくなって、それでもずっと夕方のような暗さで、午後3時4時にはまた暗くなる。1日中寒くて暗くて、どうにも滅入るらしい。遊牧民は、風の弱い谷間で、氷点下40度もの中、ひたすらじっと、春を待つ。

● 市場とか
(ロシア+中国)÷2、というと、モンゴルに怒られるだろうけど。なんとなくそんな感じ。文字はキリル文字で、ロシア語に良く似ている。町の区画の、社会主義的なのっぺりした雰囲気、革ジャンの人が目立つ、女性の化粧が濃くて原色好き、辺りも、中国よりロシアを彷彿とする。デール(蒙古服)はじーさんばーさんぐらいにしか見かけない。(地方だと別)モンゴルはモンゴル以外何者でもないのだけれども。
中国市場はどんどん入り込んでいて、ちょっとした製品やレストランには中国語が目立つ。
それ以上に入ってきているのが韓国。走っているバスはHundaiかDaewoo。セダンもHundaiが主流。政府機関のPCのディスプレイはSamsungが主。電化製品やインスタント食品、お菓子、洋服など韓には、国語がびっしり。

外資のスーパーに並ぶ製品は、ロシア製・韓国製・中国製がしのぎを削っている。
韓国はロシアや中央アジアなど、ロシア語圏で強いようだけれども、品質も日本製に劣らないぐらいになってきていて、価格は半額ぐらい。今は日本製を買うメリットは何も無い、と、韓国メーカーは豪語している。がんばってくれニッポン。サッカーもいいが、真に勝負すべきところは別にあるだろう。韓国アイドルにウツツを抜かしている場合ではない。

そんな感じで。明日から地方に入ります。買い込んだミネラルウォータは、韓国製でした…




 

バックパック 投稿者:入潮 投稿日:06/28(火) 02:12 PC No.898 [返信] [削除]
ちかれた…

ウランバートルです。ようやく暗くなってきました。
よる11時過ぎても、明るいんだもんなぁ…。といっても、到着10:30pmでしたが。

荷物は久しぶりに、スーツケースではなく、バックパックです。昔使っていたものですが。今は持っていかねばならないものが増えてしまって、詰めるのに苦労しました。PC関係、資料、文房具など。
ずいぶんとパッキングに時間がかかってしまいました。
スーツケースは面で広げて入れられるので、サクサク入るのですが、バックパックは、容量も小さいし、縦に、線上に、しかも重いのが上に来るように入れないとならないので(背負った時のバランス上、上が重いほうが安定する)、入れては出して…と、考え込みます。

昔はこれで何の不便も違和感もなく詰め込みしてたのですが、
いつのまにかスーツケースの便利さに慣れてしまってたんですな…。

でも、やっぱり、自分の所属品を、転がすのではなく、腰で背負い込む、というのが、気持ちいいです。
スーツケースのキャスターというのは、屋内や、完全に舗装された、凸凹のない道しか、通用しないわけで。たしかに重さを地面に預けられるので、転がすのは楽ですが、砂利道やむき出しの地面の上では、用いられるものではないです。

で、キャスターが使えるようなところというのは、つまり、人間が人間の利便ために、作った所オンリー、というわけで。キャスターを転がしていると、自分は人間が、楽に歩けるようにアレンジしたところしか歩けないのか、とかいう、妙な気分になってしまって。
ほんと、凸凹のない地面というのはものすごくありがたいわけで。ところがそのありがたさを全く感じる事なく、それが当たり前だと思うようになった。そういうところに、違和感があったわけなんですよな。
自分の所持品の重さすら、自分で持たずに、そういった便利な地面に預けてしまっている。

そういう感じで、昔はスーツケースとか、車輪付きカバンとかに抵抗感があったりしてまして。バックパッカーだった頃は、バックパックを自分で背負って、どんな地面も歩いている、ということに、無意味な誇りを持っていたりしたものでした。で、そういうのを忘れて久しくなってしまっていることに、バックパックを背負いなおして、自分の所持物の重みを受けて、初めて気がついてたりします。

で、背中にバックパック、肩に資料の山とパソコン、という格好で、駅の階段を上がると。…息が上がって上れない。ご、ここまで体力が落ちてたのか…。愕然としました。

……いや、スーツケース、ほんと便利です。文明、万歳。
そんなワタクシも、月が替わったら、道路も電気も水もろくに期待できない場所に居る予定です。
あぁ、体力持つかしらん…。

ラベル:モンゴル
posted by 入潮 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月09日

問題の根っこ

5日間で、1700 km程、草原を走ってました。半分は、酒に酔いつぶれて寝てましたが。
戻ってきたら、ロンドンの事件。やはりマスコミ、政府の反応は、凄まじいものがありますね…
うちの会社の人間も、知人も、皆、無事なようで、ほっとしました。

…という一般的な感慨はさておいて。
911のときもそうでしたが、こういうことがあると、人の死、って何なんだろう、と思います。

日本では交通事故で1万人が死亡。1日約30人。負傷者数は年間100万人を超えています。が、日常化していて、大して人の口には上らない。警察と厚生労働省と、事故者本人とその家族ぐらいしか、それを意識していない。テロ非常警戒宣言地域にいるよりも、高速道路を車で走るほうがよほど危険だ、ということは、誰も言わない。

開発プロジェクトでは、大体、1億円あたり1人亡くなると言われています。事故などで。そういうのを既に計算に入れています。日本の援助額は8000億〜1兆の間で推移していて、うち半分が建設プロジェクトとすると、年間4000〜5000人、1日、10人〜15人、亡くなっていることになります。
プロジェクト関連の交通事故で亡くなった地元の方の保証金が、2万円だった、という例もあります。
一方、テロで亡くなった方の生命保険金は、1億円ぐらいは行くのでしょうか。(戦争免責などがあるかもしれませんが…)

Canadian Land Mine Foundationによると、地雷による死者は年間26000人。1日71人。アメリカがばら撒いたものも多い。

ユニセフによると、下痢・伝染病・マラリア等の疾病で、一日当たり35,000人の子供達が死亡。

これら皆、常態化しているから、人の口に余り上らない。
異常と日常で、死者の重さが変わるのだろうか。

…現実、違っています。すくなくとも、大衆メディアの世界では。

死者は死者です。家族友人なら嘆きますが、それ以外にとっては、最早、数字です。
けれども、死者の価値も重みも注目度合いも、皆異なる。
異常事態で、センセーショナルなほど、注目される。

自分も、やっぱり異常事態だから、日ごろに無い事を、考えたりする。
何でその、異常事態が起こるのだろうか、と。

テロ=悪として、テロの撲滅に全力で力が投入されてますが。
何故テロが起きるのか、という背景の、そもそもの根本は、何なのだろうかと。

「豊かさ」が違うから。そこにたどり着きます。


自分の行っていることは、地方電化です。電気の無い村や遊牧民に、どうやって電気をもたらそうか。どうすれば安上がりに効果をもたらせるか。それを考えることを、仕事にしています。電気は、水や衛生、安全と共に、豊かさを実現する不可欠なものです。

50年間、途上国開発を行ってきたうちの会社の社長は、豊かさは「禁断の果実」であると言ってました。
豊かさを知らなければそれなりに暮らしていける。けれど一度知ると、病みつきになってどこまでも追い求め、独占し、奪い、争う。

エチオピアのある村での話。
そこでは、マラリアによる乳幼児死亡率が80%を超えていた。これは問題だということで、WHOが医師団を派遣、マラリア撲滅に献身した。結果、マラリアは駆逐されて、乳幼児死亡率も10%にまで下がった。国連の活動の成果だとして称えられた。

その10年後。別の調査団がその村に派遣された。しかし、村は消滅していた。

マラリア撲滅の結果、村の人口が増えた。村の持っている限られた耕地では、増えた村人を養うことができなかった。結果、村人の多くは飢饉で死亡。生き残りは離散して都市へ移住していた。


…途上国の人口爆発が、貧困を招いているというのは事実でしょう。その人口爆発は、先進国の援助や自力による、医療や生活環境の改善による。援助や発展が、豊かさへの憧憬を招き、人口を増やし、結果、ますます人々を貧困に陥れている。それは、援助側や政府の人間たちが、常に抱え持つジレンマです。

人の命って何なのだろうかと、思わされます。
人と人が争い、殺しあうことが、人間が種として生存ラインを確保する最も効率的な手段なのだろうか、とすら思ったりします。…自分が殺されることはないだろうと踏んでいるからこその傲慢な思考ですが。


ブータンは、GNH(Gross National Happiness、国民総幸福量) という、物質経済に変わる、幸せ度という概念を打ち出しました。それは、GNP偏重の考えに立ち向かい、幸せとは、金、経済の尺度で測れるものだけではない、としたものです。

けれどそれには、ブータンに豊富な水力資源があり、電気を無尽蔵に使ってくれるインドに、良い値で売っており、国として既に安定した収益が確保されている、という背景があります。経済的な豊かさをもたらすものが確立されているから、幸せを追求できる余裕があります。資源も生産力も無い、あるのはポルポトの爪あとと援助だけ、という状況のカンボジアなどでは生まれようがない考え方でしょう。ブータンに幻想を抱いている人たちは、これに触れることは、ありません。

人間、ある程度豊かでないと、奇麗事もいえませんし、人を思いやる心も生じませんし、分け合うこともできません。

物質が、精神を支えるのです。逆ではないです。

だから自分は、豊かさをもたらすことは悪だとは思いません。禁断の果実が、1年365個あるなら、1日1個にすればいいだけのことです。適度なところで豊かさを限ればよい。…そしてそれが難しい。果実の個数をカウントするのも、いくら食べれば一番いいのかを知るのも、とても難しい。

物質を極限まで追求することは、破滅でしかない。それは誰でもわかっていること。お互い、生きていって分け合えるだけの、食べ物、住処、暖かさ、安全。それが「ある程度」があれば、それでいい。そういうことなのでしょうが、その「程度」がどこにあるのか、それは誰にも分かりません。どのラインが「持続的」なのかを見極めなければなりません。

だから、いかに、限られた豊かさの中で、持続的な様式を確立するか、そのための組織、制度、技術を考えるのが、自分の仕事だとは思っています。全くその次元に自分の力は及んでない、卑小さを自覚するのが嫌になるだけの毎日だ、というのが、現実なのですけれども。

で、その豊かさのレベルが、今は国ごとに全然違う。
たとえば、サウジアラビアの国民それぞれに、一番好きな国は?と聞くと、「アメリカ」がトップになります。それは、アメリカの持つ「豊かさ」への憧憬が、そこにあるからです。

それが逆に、憎しみも生んでいる。豊かさへの妬み、自分の苦境の責任転嫁が、そこに生じる。

家もなくマラリア・デング熱蚊と一緒にビニールシートで暮らし、コーラを栄養源として虫歯だらけになっている肋骨の浮いた乳幼児と。
独り1台自動車を走らせ、毎朝熱いシャワーを浴び、あまったハンバーガーをゴミ箱に投げ、留守中にもガンガン快適にクーラーを効かせている人たちを。

同時に自分の目で見ると、そりゃ、後者は爆破されても、文句言えんだろう、と思います。自分含めて。人間、妬む生き物ですから。勝手な傍観者の言い分ですけど。

一人一人なら、妬みで終わるかもしれませんが。
この妬みが、集団、組織というレベルまで大きくなると、「こんな社会は間違っている」という正義感、義侠心、確信になります。そして、「間違っている」ものを正そうとする動きになります。テロは数ある手段の一つです。
その動力に、宗教というものが使われます。宗教は団結を強め、確信を与えます。

この当たりも宗教というものへの認識で、誤解されているところだとは思うのですが。
あらゆる宗教は、普通なら、「他の教え、他の民族、他の宗教に寛容であれ」と説いています。
これが普通ではなくなるのは、自らの持っている資源で、自らを養えなくなるときです。
つまり、自らで自らを豊かにすることができず、自分が生き残るために、他から奪うしかなくなるとき。

宗教という言葉は便利です。「宗教だから」といわれると、そこで全てが納得できる気になれますから。

けれど、本来、宗教は、人が皆、強調し、平和に過ごすために、心を豊かにするためのものです。
争いを説明するのに、思考停止させるものではないのです。

そこで、思います。
宗教とかテロとかいう言葉で飾り立てられ、その事件の問題の本質が、覆いかぶされていないか。
自分たちの快適な生活を正当化するため、豊かな生活を送っている自分たちが責められないようにするため、その目隠しとして、宗教戦争、テロ、という、便利な言葉を使っていないか。

マスメディアの報道を見るたびに、そう感じます。

豊かなことは罪です。けれどそれは、食べることと同じ、生きている限り生じる、原罪です。豊かなことは悪いことではない。生きることは悪いことではないのと同じ。
ただ、あまりに偏りが激しいことと、我慢しないことが、問題。
セックスと同じでしょう。生きるために必要だけれども、見境ないと問題。

地雷も、疾病も、開発プロジェクトの死者も、元を正せば、豊かさの欠落から来る問題。交通事故は豊かであることから起こる問題ですが。…根本的には、テロと同じではないかと。常態か、非常事態かの違いであるだけで。分散されているか、集中して生じるかであるだけで。問題の本質は、同じではないかと。

それで、もちろん、豊かな国の人たちは、何もしていないわけではないです。「貧困対策」という言葉が市民権を得て久しい。日本の無償援助の重点項目は、まずそれです。案件を動かす為のお題目、金科玉条にまでなっています。そして、貧困削減のための案件が、年間、数千億円規模で実施されています。

けれども、この国の大部分の人間にとっては、貧困というのは、所詮、「別世界」の言葉です。豊かな国にいると、なかなか、貧困というものにリアリティがない。
豊かなところにいられるのは、自分の努力によるものではありません。単に、優れた先人たちのお陰です。ラッキーなだけです。

でも、恥じる必要は無いです。実際、日本は自分の豊かさを削って、貧困に投げ打ってます。税金から。余り効果的ではないし、問題も多いですが、勿論ゼロでもマイナスでもありません。ちゃんと役に立っているところは沢山あります。だから、胸を張って税金払ってください。ODA予算増やしてください。民間に過酷な競争と予算削減ばかりさせないで、もうちょっと楽に仕事下さい。…もとい。

だからといって、豊かさが、国ごとに同じラインになれば、幸せは達成できる、とも思わないのです。私は電気と通信インフラに支えられたインターネットがなければ生きていけない体ですが、そんなものがなくても十分幸せな方はごまんといるでしょう。草原の遊牧民の、悠久の大自然の中の生き方は、羨ましくてしょうがなかったですが、今自分がそこに身を投じたからといって、確実に幸せになれるとも思いません。今の生活は放棄したくないです。

ただ。
豊かな国にたまたま生まれることができた自分の、無知な傲慢さが、今の事態を招くことに加担してるのだ。

少なくともそのことには、自覚的になっていなければ、と思います。

感傷的になるのは悪いことではありませんが。泣いても世界は何も良くならない。
自分にできることを模索するのは、少なくとも悪いことではない。クーラーの温度を1度上げること。ゴミを分別して出すこと。それだって、巡り巡って、豊かさのセーブと、分配にだってなる。偽善と感じるのは、繋がりが見えないからなんです。自己満足でも、やらないよりは良いんです。技術的に、経済的に、確かなことなら。(確かでない、っつーと、鯨を殺しちゃいかんとか、ダムは全て撤去しよう、とか、そういうこと。余談。)

テロを起こしたいと思う、その根本の原因を、見つめていきたい、と思います。
ラベル:貧困 ブータン
posted by 入潮 at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月11日

番付

なんかネットをふらふらしていたら。

東花堂、明治19刊に、
「大日本儒文詩歌書画医俳茶花商法銘誉鏡番付」の中に、「儒文・副嶋種臣、文書・勝海舟、洋学・福沢諭吉、兵学・大鳥圭介」
とありました。

番付というと、長者番付とか、大相撲のとかの、順位付け表ですよな。
江戸末期の医学の番付も、緒方洪庵が横綱かなにかとして、適塾に展示されているのを見たことがあって、当時の人は、こういった世の順番付けが好きなんだなー、と思いましたが。

なぜ、明治19年で、兵学で、圭介の名前が。

圭介が兵学で名を馳せたのは、明治2年までなのに。
その後も、荻の乱や西南戦争など、内戦もあったのに。

将としてではなく学者として名前が挙がっているといる、というのもそうなのですが。

工作局や工部大学校、雑誌刊行や内国勧業博覧会で頑張ってたのに。

国に創りモノ創りではなく、戦争や芸能に人の目が行くもの、というのは、当時も昔も変わらないものなんだなー…と。

嬉しくもあり、ちょいと複雑でもありました。
まぁ、圭介の名前が見られるのは、どんな形ででも嬉しいです。

あ、勝さんは「文書」じゃなくて「舌」だろう、思いました…。
まぁ、表しようがないですよな、あの方…。
posted by 入潮 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月12日

大鳥圭介 風景画の末路

http://www10.ocn.ne.jp/~hoshinog/kouki/k_62/k_62.html

こ、これ、どこまで本当の話なんだろうか。
なんというか…。

えーと、ある古道具屋で、幅1m、厚さ5cmの、重いケヤキの扁額の上に、風景画が描かれていた。
画家の署名は、大鳥圭介。
これを買い求めようとした星野氏が目にした、この絵の末路とは…。

圭介が油絵、風景画まで親しんだというのは、聞いたことがなかったのだが。素人的に、工部美術学校長としてチャレンジしたというのは考えられるのだけれども。
いっちょ、自分の絵を、美術学校の玄関にでも飾ろうかとしたのだろうか。

にしても、いや、なんかもう。最高だ、道具屋親父。
その場にいなくても、横隔膜が千切れて憤死しそうだった。
ネタどころの話じゃない。

あまりに、オチが、圭介らしすぎて、ツライ…。ひぃ…。

posted by 入潮 at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

自由主義史観キャラクター

Webから。ネットソースネタばかりもあれなんですが。
ちょっと強烈で面白かった。

http://www.geocities.jp/salonianlib/history1/femmes_fatales_09.html

何がすごいって。世界史のサイト様なのですが、日清戦争の背景として、政治経済の明治の流れを、ここまで現代人少年少女に分かりやすく、かつ、なじみやすく(これポイント)説明したサイト様がありますとは。偉人がみんな、キャラになってます。この手法、いいですな。「ルクスお姉さんの居残り授業」とか。かなり好き。(検索してみてください…)

で、圭介ですが。

「明治政府最強の技術官僚として縦横無尽に活躍する大鳥圭介」

そ、その枕詞の由来は何処なのですか…
テクノクラートとしての圭介。知られていない割りに、時折思い出したように、激烈な形容詞に出会えるから、心臓に悪いです。石油開発史の論文では「日本の頭脳」とか呼ばれていましたし。

出番は内国勧業博覧会ってあたりも、石油、石炭についての活躍について触れてくださっているあたりも、相当マニアックです。
そして、特許法提言への流れ。…日本科学技術史大系ぐらいにでしかお目にかかれないネタを…。

まぁ、このサイト様のテーマが日清戦争なので、その伏線張りで出してくださったのだとは思います。

さて、突っ込むまいとは思ったのですが。

「くだらない発明品はボツにするからね〜♪ 役立つ品物を持ってきて〜」

と歌いながら登場する、巨大リボン美少女な圭介に、不覚にも萌えてしまいました。嗚呼。
だめだ、もう、頭にこべりついてしまった…

「何が出てくるか、楽しみね〜♪」な圭介。クセになりそう。
サブの工部省官僚ズもポイント高かったです。

あ、クロダ、かっこよかったです…。開拓使払い下げがちゃんと中立的な視点で語られているのが、うれしかった。


小説とか漫画のキャラクタリゼーションには、思うところあったりしましたが。
こういう、右翼傾向とは一線を隔した、リベラル史観というやつでしょうか。反政府は善、民主主義が善、戦争は悪、みたいな決め付けの特定のイデオロギーに偏らず、何が政治、経済、日本の現状にとってプラスに働いて、何が逆行要素だったかを、分かりやすく分析する視点が、業界にもネットにも、多く見かけるようになってきた気がします。

「教科書が教えない歴史」とか。いかにも反日が喜びそうな自虐史観的な題名だなと思って開いてみると、実は教科書に真っ向から立ち向かった、ポジティブな歴史評価を行っていたり。

特定人物・陣営に肩入れした、善・悪、カッコいい・悪いを作り出す演出のためのキャラ化やデフォルメは、個人的に、うーん、な感じを受けてしまうのですが。

背景や理屈の説明のための、中立的なキャラ化というのは、すんなりと楽しめてしまえます。えぇ。きらきら美少女な福沢とかも。たぶん。あと、陸奥がイメージぴったりでびびった…。
posted by 入潮 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月14日

大築尚志

大築保太郎(尚志)。
天保6年生で圭介より3つ下。圭介と同時に、幕臣に取り立てられた方で、なんとなく圭介と仲良さそうだったひと。…ぐらいの認識なのでしたが。詳しくみてみると、洋学者時代の圭介と、かなりきっちりパラレルに、同じ道を、手を携えて、進んでおられる方で、二人の人生を比較してみると、結構面白かったでした。

尚志は六代続いた、藩主堀田家の家臣で、祖父尚賢、父尚忠ともに、山方の代官。

高島流砲術を学んでいたとされていますが、江川坦庵に師事したとする文献もある模様。その後1858年に手塚律蔵にも師事しています。このとき、西周が同僚で、桂小五郎や、同藩の津田仙もこちらで学んでいます。

で、文久二年に蕃書調所で教授手伝として、出役。このころ、圭介も江川塾から調所へバイトして出てるので、面識があったと思われるのではないかと。あと、同じ藩の荒井鉄之助(宗道)も、同じく出仕しています。圭介が、みちさんと子供たちを、江戸から避難させるとき、大築が佐倉まで連れて行ってくれ、その後、みちさんたちがご厄介になったのは、この荒井宗道のお宅でした。
(獄中日記に出てきた「荒井宅に洗濯物遣わす」云々の荒井宅は、多分こちらの荒井宗道さんではないかと。荒井郁之助宅と解釈している本もありますけど)

このころから、佐倉のお二方と、脱走前に、家族を託すような交誼があったのだろうなぁと。

さらに、文久3年、1863年8月に、海陸軍兵書調所出役となりますが、これが圭介と同時。このとき、神田考平、鵜殿団次郎も、出仕しています。これが幕府が推進した大規模軍制改革に伴う人事で、圭介や大築は、兵書の翻訳や調査の面から近代陸軍創設を支えました。

で、このころに刊行されたのが、「築城典刑」や「山砲演式」、「野戦要務」、「歩兵程式」など、圭介が兵学者としての道を邁進する羽目になった圭介の訳書。大築も「歩兵心得」を訳しています。この流れを見ると、彼ら、学徒動員されてしまった学者たち、という感じもします。

で、元治元年12月、大築、圭介、鵜殿の3人で、幕臣として、陸軍士官に就任。雇われ学者から、正規の軍人になります。3名並んで、富士見御宝蔵番格に。大築29歳、圭介32歳。
鵜殿は数学・測量、圭介は数学・築城学、保太郎は地理学・築城学、と、任命に際して得意分野を列記されていました。

そして、慶応2年3月10日より、大築、大鳥の連名で、これまた一緒に、「仏蘭西国業前伝習」を仰せ付けられます。このとき、講武所取締役だった荒井郁之助も参加。しかし、ここで、大築が病気となり、慶応3年9月まで養生を強いられ、実際は横浜で伝習を受けることはでき。圭介は書簡で、大築に病気を心配する便りを送っています。

明けて慶応4年4月。大鳥、伝習隊を率い、江戸脱走。実戦指揮官として、戦中に身を投じます。

大築は歩兵頭並でしたが、慶喜に従い、恭順。大築が病を経ず、ともに陸軍伝習を受けていたら…と考えずにはいられません。主戦も恭順も唱えず、ひたすら傍観者に徹しただろう、という論もありますが。この病が、大築と大鳥の道を分けたようにも思うのです。

その後、大築は、大鳥の家族を佐倉に送り届けた後、妻、娘とともに、慶喜に従い、沼津へ移り住みます。そして、西周とともに沼津兵学校を設立。廃藩置県に伴い、静岡藩廃止となって、兵学校が新政府の兵部省に吸収されると、陸軍中佐として、東京へ。

明治14年には、大山巌の下で、陸軍砲兵局局長、明治20年には山県有朋の下で、砲兵監。陸軍砲兵の最高指導者までのぼり、陸軍砲兵工場を創設。陸軍造兵界のシンボルとまで称されるようになります。

日清戦争では、臨時東京湾守備隊司令官として、留守を守る。
最終的に、明治32年、陸軍中将まで昇進しました。旧幕臣としてはもっとも高い地位まで昇った方の一人。
明治33年、器官と頚動脈を切断し、自害。享年六十四。自殺の原因は謎とされています。

圭介は、脱走、敗戦。投獄、釈放後、二度と兵学者・軍人として、名を馳せることはありませんでした。(4ヶ月だけ陸軍に連れ込まれましたけど)

兵学者としての成長期に、指揮官としてのマイルストーンとも言うべき伝習を受けた大鳥や荒井が、それが故に戊辰戦争に没頭し、戦後は軍に背を向けて文官として生きた。伝習を受けなかった大築が、一生、陸軍とともに歩み、軍人として栄達した、というのは、なんとも、皮肉な感じがあります。

旧幕臣として、明治政府のもとで、軍人としての道を歩んだのは、沢太郎左衛門なども同じかと思いますが。彼らの心境はどうであったのだろうか、と思うと、何かと考え込んでしまいます。

幕臣としての節にこだわった榎本たちが、二君に仕えたとかいう誹謗をうける言われは全くない、というのは言わずもがな。

彼らのように旧幕臣時代の素養が必要とされ、新しい世に仕える決心をした。それは、節がないのではなく、むしろ、武士として「公に仕える」ことの矜持を叩き込まれていたからこその、選択だったのでしょう。…もちろん生活苦とか現実の問題も大きかったのだと思うのですが。

「痩我慢の説」は福沢の一生の不覚だったのではないかと思えます。

余談ながら、この尚志の弟、尚正君ですが。
14歳で開成所入学、ドイツ語に入門。15歳で幕府留学生としてロシアへ。明治元年に帰国して開成学校の教授補佐に。で、明治2年、20歳のときに早速、開拓使に引き抜かれてます。ロシア経験がものを言って、ロシア語語学力を生かし、樺太の勤務に。…という秀才。

この後も、明治10年に病気になるまで開拓使勤務を続けています。明治6年の11月〜7年9月までは開拓使の芝増上寺の東京づとめ。圭介と同じ職場ですな。顔合わせしている可能性は大きいんじゃないかな、と。さらに、千島樺太交換条約のときは、交渉文書の通訳、実務担当をしていた。榎本さんの下にいた可能性は大きいですよな…。おいしいポジショニングです。
そして、惜しいかな、35歳で、函館で死去していました。
このあたりも、人間関係の妙が伺えます。

それにしても、佐倉藩の洋学者陣容って、すごいですな。
藩主からして開国の父堀田正睦。医学の佐藤泰然、津田仙。依田学海、松本良順、手塚律蔵、林董…
あ、津田梅子も、津田仙の娘だから、佐倉出身だ。

幕末技術者集団といえば佐賀藩ですが。明治に通じて活躍する特殊能力集団としては、もっと焦点が当てられてもいいかも、と僭越にも思ったりして。

なんか、そういう関係性も、調べていったら面白そうです。…まったくキリがなさそうです。すでに力及んでません。

洋学者時代の、一番何も苦悩する必要がなく、好きなことにいそしんでいたころの圭介のコミュニティ。これが、脱走の土台の、少なくともひとつにはなっているのではないのかな…と。予感めいたものがあったりするのですが。
これを書きたいと思って、一人一人調べていったりなんかすると、もう、泥沼で、筆が進みません。己の力量の小ささを、かみ締めるのみです…
posted by 入潮 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月16日

ニーズ

いつの間にか、入り口で3万、カウント経過しておりました。ありがたいことです。いつも本当にありがとうございます。
サイトの数字にあまり意味を求めてはいけないのかもしれませんが、こうした区切りをきっかけに思ったことなども。

オンライン・オフラインを問わず、風潮としてみると、何より、福本先生が「われ徒死せず」が刊行してくださって、明治の大鳥にも光が当てられるようになったのが感じられます。
そして、時折、技術官僚としての明治の大鳥に注目されていたり、負けて笑っていたとか降伏しても死なないと思っていたとかに、表面的でない解釈をしてくださっている記述にめぐり合えたり。
そういうのをネットやブログの記述で見かけるようになると、このサイトを開いたころからは変わったなぁ…という感慨があります。いや、大げさですけれども。

こんなタワゴトをほざいても誰も受け入れてくれんだろう、と思いつつも、言ってみるもので。
明治や、戊辰戦争以前の洋学者大鳥など、誰も気にかけないようなところに手を出していって、何を勘違いしているんだ?と冷笑されることに恐々としていたのですが、意外に受け入れていっていただいたなぁと、胸をなでおろすやら、いまだに怖いやらです。

やはり自分も当初は、小説や一般向けの評論にかなり影響されていまして、事実確認をしないままに、認識が作られていた面はありました。昔から自分の認識も変わってきてしまっていて、昔自分が書いたものを、すでに今の自分が受け入れられなくなったりしてます。

他人の脳みその中で勝手に作られたイメージより、現物ナマモノそのものに触れるのが、一番面白いなぁ、と思ってからは、馬鹿のひとつ物覚えのように、本人や同時代人の書いたものに、身の程知らずにもアタックしてみたわけですが。そうすると、どうも、世間様、業界の求めているものと、自分の認識が、ずいぶんと剥離してきてしまって、苦しかったりしました。

今まで数十年、歴史を本職とされる方が調査研究されてきた結果として、一般向けに形作られてきた像に、1年2年、片手間に覗いてみただけの、素人門外漢も極まりない自分が、異を唱えて許されるのか?と。
それは今も変わらない恐れです。

サイトのページの動向を見てみました。気色悪いナルシシズムめいているかもしれないですけど。結果としてみてみますと。

・創作コンテンツのカウントは、資料コンテンツの2倍。
・創作中、土方・新撰組の出るページのカウントは、そうでないページの3倍。

つまり、資料より創作、創作でも大鳥より新撰組。
これが世間様のニーズ。

…いや、そんなことは、数字を見る前からそもそも明らかなことなんですけれども。
いざ数値化されてみると、なんというか。

…別にカウンタの数がほしくてサイト開いているのではないから、良いや。

いやその、ニーズってのは、あるものじゃない。作り出すものです。
新撰組目当てで、1000人の方に一見で覗いていただくより、たった一人でも「大鳥さんってすごい人なんですね」と思ってくださる方が生まれるほうが、幸せです。

……ごめんなさい。ほどほどにしとけよ、という感じです。

別に、土方や新撰組が嫌いだとか、意図して避けているわけでは、決してないのです。創作物としては好きですし、今も漫画なども沸いて喜んで読んでます。

ただ、大鳥や戊辰・箱館戦争関係人物の記録を見ていても、新撰組や土方は、せいぜい名前が出てくるぐらいで、どうも、小説でできたイメージからは、縮小方向に向かってしまう。確かに土方は「良将」という表記も見られますが。大鳥視点からは、南柯紀行にも後の懐旧談にも、記録以上に意味のある記述はどうも見つけられない。(新撰組は、番兵怠慢、つーのはありましたな…汗) 土方については「老雄懐旧談」で「会津以来ともに幾度か死生の間に出入した土方は遂に戦死を遂げた」とコメントされていて驚いたぐらいで。この懐旧談は、圭介、荒井さんとか中島さんとかに関しては数ページを割いて、情感豊かに、長々と語っているので、それと比べるとどうも取ってつけた感じがしてしまうというか。しかも、「会津以来」って、鴻之台や宇都宮の土方は、記憶にすら無かったですか…と。(鴻之台は、南柯紀行で名前はあがってましたが)むしろ温度の低さが明らかになってしまった感じでした。

そうすると、大鳥と土方の関係も、地位だけでいろいろ言われていますが、実際は、良いも悪いも、そもそも接点もほとんどなかった、ぐらいが適当なんではないかなーと。大鳥視点とか、他の戊辰戦争史料からは、そんな感じですので、新撰組や土方についてなにか書こうかと思っても、ネタも浮かんでこないんですよな…。いやその、自分も何か見つかれば、喜び勇んで書くのですけれども。人様の書いたものを見るのは好きです。でも、自分で書くとなると、動機が見つからない状態で。何かいい史料がありましたら、本当に教えていただきたいです。

こういうことを書くのも、ファンの方には本当に申し訳ないのですが、戊辰の新撰組史料は、視点が内輪な感じで(京都はそれでいいのでしょうけれども)、あと、新撰組研究者の方々がすでに一般向けに多々取り上げておられるので、いまさら触れるのもなんだかなぁ、と。そして、新撰組史料を紐解いておられる方の認識と、戊辰戦争史料や大鳥著作などから受け取れる認識は、どうにも、なんか相当な温度差があるなぁ…という違和感が消えなくて困ってます。
結果、正直、フィクションの視点でしか見れなくなってしまってしまった…。小説の素材としては、好きなんですけれども。

そういうわけで、ニーズが一番あることが明らかなところに、どうも触れるということに考えが及ばない、という状態です。


なんか、取り繕おうとして、よけいに失礼なことになってしまってます…。すびばせん。区切りということで、ちょっともやもやしてたことを、カミングアウトしてみたいお年頃だったんですー。

こういうことを言うと、ますます、新撰組ファンのかたがたに相手してもらえなくなる、という辛さもあります。ていうかすでにもう、という話もありつつ。そりゃ、皆様に喜んでいただけるものを書くほうが、自分としても幸せだというのはもちろんなのですけれども。でも、自分の認識に嘘はつけなくて、苦しんでいるところです。

一番書きたいものは、やはり、ナマモノの大鳥と、その周辺と、その時代背景で、彼らが何を考えて、何を行ってきて、それが今の自分たちにどう繋がってきているのか、という点でして。他人や自分の脳みそで作り出された虚像より、実物そのものが一番萌え、というスタンスは変わりません。見るのは同人も大好きですが。そりゃもう生きる糧ってぐらいに、駄目駄目なかんじで、好きですが。いやその。

や、やっぱり、妄想より、「実際にあった」という破壊力はすさまじいじゃないですかー。
そんな感じで、これからも資料が主になっていきますが、見下げはてられても、隅っこでこっそり細々と、やりたいことをやっていこうと思います。…という意思表明でした。

あ、どうでもいいんですが、ページ単独で、一番カウントが大きかったのは、「幕末の銃砲器」でした…。創作の一番多いページの、4倍のカウントをたたき出していた。ミリタリーマニアのニーズがあるのか。考えもしなかった…。
posted by 入潮 at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月17日

酔っ払いの一日

本日の行動。

10:00 国会図書館。16:00 仕事。19:00 Kさんと靖国神社。20:00 飲み。

幸せな一日でした。

久しぶりの国会図書館だったですが、行くたびにスムーズ性がアップしている感じです。複写もネットワーク管理だから、時間が有効に使えるし、無駄な書類作成の手間がだいぶ減りました。

今回のお目当ては、東京学士院会の講演記録の引き継がれている、東洋学芸雑誌でしたが、マイクロ化されているということで、明治14年からマイクロフィッシュを探す羽目に。
これが、「指定の号・年月以降(以前)利用可能なだけすべて」というのが選べまして。1回当たり、30枚まで可能。3回分の貸し出しができるので、最大90枚の利用が可能で、助かりました。
けれども、1枚に1〜2号分で、10年分を網羅するのは。

…酔った。

マイクロフィッシュって、どうも、三半規管に合わなくて、見てると酔うんですよ…。5,6枚が限度だってのに100枚以上、目的記事を探し出そうとしたら、吐きそうになった。飲みに行く前から、へろへろになってました。

それなりに収穫もありました。圭介、また、もともらしいことを、自分ヤリタイ根性で、書き連ねてました。
細部についてはまた後ほど。

あと、幕府刊行物関連の書籍で、隠れた大鳥スキーがいました。幕末の幣制改革で、兵学関連書籍に焦点を当てると、大鳥、独断場というか、ヒーローになるのね…。これについてもまたじっくりご紹介させてください。

靖国は、みたま祭りがありまして。マスジ像が、オシャレするという不確定情報がありまして。それを見て
笑いたかったというのがあったのですが。これをダシに、Kさまをお呼びたてさせていただきました。
イベントの、「戦記漫談 いか八郎」つーのも、心ほのかに、気になりましたが。とりあえずそっちはスルーで。

で、大村像ですが、像じたいは、飾り立てられこそはしていませんでしたが。ちょうど、鳥居から歩いてくと、配置が遠近的に、マスジに集中線の中心が来るようになっているんですよね。で、参道の周りが提灯に埋め尽くされると、結果。

提灯集中線をバックに背負ったマスジ。
足元には、東京音頭で踊る阿呆に見る阿呆。
バッグには、女子大生の、どうみてもコンサート踊りのノリの神輿。

なかなかすさまじい光景でした。
その主役となっているマスジが、そこはかとなく気の毒でした。

あれを見て、軍国主義の言葉を彷彿する人はいないだろうなぁ…と。
現代日本文化の変遷と、平和を満喫してまいりました。

で、メインはやっぱりその後の飲みで。
焼酎のメニューだけで二桁行っていそうな、気合の入った居酒屋カウンターに、居座る女子x2。
……何しゃべったか、あまり覚えてないや…。
ほへー、ふえー、モードで、確たる知識と冷徹な分析とユーモアのスパイスに彩られたお話に聞き入っていたことは覚えています。

あと、すでに注文の酒が来ているのに「来てない〜」とかいちゃもんつけたり、信号見ずに車に特攻したり、どうもボケかましまくりでした。Kさんが笑って許してくださっていたことを祈るのみです。

それと、誘い受なKさんに対して、自分、へたれ攻あるいはボケ攻)ということが判明しました。

そんな感じで。今も酔っ払いです。支離滅ってますが、許してください。

さ、朝までに送らねばならない計算を、どうやっつけるか。
動かないのはプログラムなのか、己の頭か。

posted by 入潮 at 03:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月18日

吉沢勇四郎

吉沢勇四郎。ちょっと気になるお人です。

南柯紀行では2回ほど、名前が出てきます。まず、鴻之台結集時。小管辰之助とともに、 幕人として、何を連ねています。箱館では、やはり小菅とともに、工兵頭並に就任。

吉沢は、慶応元〜2年に、「斯氏築城典刑」を翻訳しています。これは二刊五冊の大作で、幕府陸軍所から刊行されています。「斯氏」というのは、英国のマヨル・ヘクトル・ストレイト氏のこと。(マヨル=Majorか?) 圭介の訳したオランダのペル氏の築城典刑とは別のものです。塹壕、野堡、砦柵、砲台などの築造法、攻撃方法などを述べた工兵のためのテキスト。

このときの陸軍所刊行物には、大鳥の山砲演式や野戦要務、砲科新論、歩兵程式などがあります。吉沢も、斯氏築城典刑の翻訳の際は、築城学の大家の大鳥と、付き合いがあったのではないかなー、と。
当時の英学、工兵、築城すなわち土木の知識もちということは、相当使い出のある人材です。

それで、脱走軍に参加。鴻之台から箱館までともにしたというのは、伝習陣営と切って切れぬ長い付き合い。いや、藤原の再編や防衛時に名前が見当たらなかったから、途中別れた可能性もないとはいいきれませんけれども。

二股でも、この方が、土方、大川と同行し、陣地構築に活躍しています。
大鳥、二股に良い人材つぎ込んでたなぁ…。防御陣構築の工兵なんて、海岸線でこそ欲しい人材だったでしょうに。


もともと武士は、土工など下賎の人夫のやる仕事で、自らは行わなかった。官軍にも、土工兵という組織はなく、地元の農民を徴収するか、普請方で人足を集め、指揮して対応した。工兵は、そのあたり、必要なものは必要、と割り切っていて、エンジニアに高い評価を与えた旧幕軍にしかない役職だった。
幕府の築造兵は、200名のほぼすべて、大鳥の脱走軍に身を投じている。

ということで、戦後、明治陸軍は、工兵には、幕府築造兵の直流の工兵から幹部をリクルートしてくるしかなく。同僚の小菅は、その長として、後に陸軍工兵大佐までなりました。

で、吉沢ですが。明治でどうなったのだろう。語学OK、土木OKで、出仕していたら、陸軍といわず、内務省、開拓使、工部省などで、かなり必要とされそうな、手に職持ちだよなぁ、と思っていたら。

旧幕府掲載、宮氏の箱館脱走海陸軍惣人名をによりますと。
…亀田で「行方不知」となってしました。これまた、微妙…。
あと、「蝦夷戦争戦死之輩」で、「五稜郭 吉澤勇四郎」となってましたので、やはり、戦死だったのかもしれません。そうすると死因がよくわからないのですが。古谷と同じく、艦砲射撃の犠牲になってしまったのでしょうか。

生きていたら…と惜しまずにはいられません。

英語のみならず、ロシア語・フランス語にもまで達者だった古屋といい、貝塚道次郎といい、惜しい人材が、箱館で亡くなっています。

貝塚は、算術と化学が得意で、開成所時代に、宇都宮さんの元、化学局の教授手伝出役をしていました。慶応3年には、学徒動員で士官に転向、歩兵差図役並勤方に転役。沢さんと火薬製造にも従事していたようなので、おそらく榎本の脱走時からの参加かと。
箱館では、大砲、小銃や弾薬が不足して困っているところ、「器械方宮重、貝塚等其他附属の者、昼夜の勉励工夫に由て」と、武器弾薬を自前で製造して、不足を補ったと、圭介、褒めていました。

五稜郭篭城時、5月16日、砲兵指図役が、自分たちの仕掛けた地雷を過って踏み、この爆発に巻き込まれています…。

箱館でも、伝習隊と別のところで、圭介、仲の良い、使える部下たちがいたんだなー、と安心する反面。
そこに居たがゆえに、明治の世でその才覚を生かすことができなかった人たちがいたかと思うと、しんみりとしてしまうものがあります。
posted by 入潮 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月20日

江戸幕府刊行物


「大鳥圭介は以上のとおり、幕末における洋式兵学の輸入・紹介の功労者である」

あ、貴方どこの大鳥スキーですか。
と、思わず沸いてしまった記述。
一見、普通じゃん、という文ですが。いきなり緒言からこれでしたので。圭介自身の紹介として兵学の大家だとかはよく言われてますが、江戸末期における一分野の功績として顕著にされているのは、珍しいかなぁと。

「江戸幕府刊行物」 福井保著、雄松堂出版。

「野戦要務」のナマが国会図書館にあるということで、無謀にも古典籍資料室に土曜日にアタックかましてみたところ(通常、土曜日は予約必要)、これに説明が載せられているカタログがあるということで、教えてくださった文献でした。国会図書館も、一般的なレファレンスは検索かけるだけですが、ピンポイントな分室だと、職員さんに、効率を度外視する玄人さんがいらしてて、色々知識のおすそ分けをいただけるので、助かります。

で、一見、面白味のない題名ですが。その名のとおり、幕府の刊行物について、時代の傾向と照らし合わせながら、発行者、執筆者などの紹介を含めて、詳細に各書物について論じてくださっています。

洋学の受容として、外国語、社会科学、自然科学の導入の刊行物と同列に、兵学が一分野として取り上げられています。
その特色を抜き出すと。

「・文久・元治・慶応年間のわずか数年間に相次いで翻訳・刊行された
・その翻訳・刊行については大鳥圭介の功績が顕著である
・兵書の大部分は大鳥圭介が開発したと伝えられる錫製の活字を用いて印刷し、統一した版式によって印刷されている
・ 和紙・和装の小型本で統一され、携帯の便宜を考慮してある
・ 発行部数が僅少であり、さらに頒布範囲が限られていたので、現存する伝本が極めて稀少である」

ということ。このとおり、本文中では、稀少さ、発刊の早さと密度、そして、訳者・活字提供者としての圭介の経歴が事細かに語られています。小型本で型が統一されているというのも、形式にこだわらない、実用実益を重視した圭介のやりかたらしく、それが陸軍書刊行物で踏襲されたというののもまた、ポイント。

で、当時の兵学書の各刊行物が紹介され、訳者が分からないのも多いのですが、緒言なども写真で載せられています。う、嬉しい。どうせなら目次も。

この「江戸幕府刊行物」ですが、これに掲載された書物は、すべてマイクロフィルムになっています。
このあたりになると、カタログにあるのに、データベースには載せられていない、とかが多いんですよな…。
国会図書館も、電子情報に置き換えていくのに、なかなか需要の低いところまでは、手が回っていないようです。

今後、見逃すと悔しいので、次のとおり、まとめます。自分参考用
順に、書物名、発行場所、発行年、リールの元となった原本の所在。

【江戸幕府刊行物 マイクロフィルムリール】

リール 112
中外新報 洋書調所 文久 刊 12冊 天理図書館

リール 113
万国公法 開成所 慶応元 刊 6冊 国立公文書館内閣文庫

リール115
築城典刑 元冶元年 所荘吉氏蔵
歩兵練法 同 福島県立図書館

リール116
歩兵武器取扱打方稽古心得 元冶元年 静嘉堂
歩兵制律 元治2年 静嘉堂
山砲演式 同 福島県立図書館
野戦要務 慶応元年 国会図書館
斯氏築城典刑 慶応元年2年 間 福井市立図書館
火功奏式 慶応2年 京都府立総合資料館

リール117
騎兵練法 慶応2年 所荘吉 蔵

リール118
兵学程式 慶応3年 国立公文書館内閣文庫

リール119
砲兵程式 慶応3年刊 静岡県立中央図書館
歩兵程式 同 福井市立図書館
峨羅斯及亜西亜ノ図 同 静嘉堂


…あぁ、すっきりした。
にしても、圭介の刊行物、ほぼ網羅されているではありませんか。砲科新論がないのが残念ですが。
当分、土曜日が待ち遠しいです。問題は土曜日に会社を抜け出せるかです。9月まで休みがなさそうだ。9月になったら出張だ。嗚呼。

ここで、私が行ったとき、貸し出し中で利用できなかったら悲しいのであまり利用しないでくださいと、手前勝手なお願いをしてみようかと思ってみる一方、そもそもマイクロを引き出して圭介訳本を見ようとするマニアがいったいどれだけこの世にいるのかということで、そんな心配の必要ナッシング、とほのかに寂しくも思ってみる、ちょっと微妙な乙女心。(……)

てゆーか、このリール群、売ってました。ネットで買えてしまいますよ…。

http://www.yushodo.co.jp/micro/kensaku/edo-3.html

占めて、1,348,200円、リール一本13,650円。
マイクロのリーダーがないと、買ってもしょうがないですが。

そんな感じで、わざわざ買わなくても、このリール群、江戸東京博物館、近畿大学、岩手大学などにも所蔵されているようです。

くそー、そんなに簡単に手に届くのだったら、ありがたみが薄れるじゃないか…(得手勝手本音)

世の中、何処に何があるかわからないものです。

posted by 入潮 at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月22日

作業時間

疲れた。肩凝った。吐きそうだ。
今週に入ってから、会社と電車の中と自宅と食事しながらで、1日に正味19時間ぐらいPCで作業している。内18時間が仕事で、1時間がその他。そのほか呑み時間がある。(イヤそれは…)
このペースが8月末まで続くと思うと、体力もたんです。

で、「その他」ですが。
……大「島」圭介。北方資料室にもいた…。ぬー…。

ここんとこ、検索とみると、「大鳥圭介」「大島圭介」「大鳥圭助」の3種類ぐらい試してみないと、心安らぎません。

だからそういうことをしているから、そんな羽目になるんだって…。
ラベル:図書館
posted by 入潮 at 04:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月23日

ホワイトバンド

ホワイトバンド、流行ってますね…。電車などでも、身につけている方、見かけます。
グッズを購入すると、その利益が、貧困を撲滅するために用いられるそうな。

あれは上手いなー、と思います。やりかたが。

この手のグッズ販売は、飽きることなく繰り返されていますが。
今回は、ファッション、流行として位置づけて、現代的なメディアの力も活用しまくっている。
大手検索サイトとタイアップ、Yahooでもトップにリンクが張られていたり。

「なんだかよくわからんけど、カッコいいし、流行っているみたいだし、買ったらとりあえずいいことしている気になれるし。」

結果的にそんなフィーリングを生んでいるみたいです。
寄付や慈善というと、娯楽と仕事に忙しいひねくれモノの現代人としては、そんなええかっこしぃになってもしょうがないし、大して変化あるわけじゃないし…という感じの、冷めた脱力感があったりするかと思うのですが。

そういう感覚を呼び起こさずに、アクセサリーを買って身に着ける感覚で、ちょっといいコトができる。
このあたりが、うまいなー、と思うのです。チャリティーコンサートなども同じ感覚でしょうか。もっと手軽ですよね。

そういう自分、寄付などしたことがない人間なのですが。

よく分からん、趣旨が賛同できるかどうかも分からない団体の人件費やら出版費に、大半が使われて、支出の内訳もよく把握できないようなところに、金だけ託してもなー、と。寄付金を運用するNGOやNPOも、ピンからキリまでありまして。本当にプラスの効果を考えて理念を現実化させるために働いている方々もいれば、どうも国や開発への反抗を目的化させているだけの連中もいる。そんなのの活動資金を出すのも癪だし。
それだったら、排ガスまみれになりながら渋滞の車に新聞売っている汚い小僧に、直接くれてやったほうが、いくらも気分が良いんだな。

で、ホワイトバンドの活動主体は、ジュビリーサウスだそうで。
ジュビリーは、2000年に、途上国の債務帳消しを求めた世界的な運動の主体でした。
これは、奴隷は開放されて先祖伝来の所有地に帰ることができ、借地が帳消しになったされる、旧約聖書の「ヨベルの年」にちなんでいます。

債務帳消し、と言うのは、早い話が、途上国が先進国から借りた金(借款)の、利子と原本の返済が大変だから、借金とかいわずに帳消ししてあげようよ、というものなのですが。

これ、自分、あまり良い感じを受けないんですよな。

途上国援助の借款の場合、それで返済が為されないのは、利益を生むプロジェクトを計画してやれなかった、貸し手が悪い、という声が、結構強いです。それはそれで、同感です。借金は、後の利益を生むための事業の投資のためにするものだから。利益が生まれずに借金が返せなかったら、それは計画が悪い。

ただ、それで、貸し手に責任を擦り付けて、借り手は無罪放免、というわけにもいかんと思うのです。

借りたものは返せ、少なくとも返す努力は見せろ、と思うのです。返さなかったら、泥棒です。
返す努力とは、途上国が自分の稼ぎで自分の国を食わせて、その中から借りた金を返せるようになるだけの、モノを生む力をつける、ということです。

(まぁ援助の借款の場合、先進国が自分の利益になるように相手の事情をあまり理解せずに組み上げてしまったプロジェクトがあったりとか、事業の業者が貸し手の国に限られることが借金の条件で、高い業者を雇わざるを得なかったりとか、確かに情状酌量の余地は大きいのですが)

可哀想だから借金帳消し、プレゼントにしましょ、じゃあ、人間も国も、いつまでたっても育ちません。
国として独立していたかったら、一人前の大人として見られたかったら、少なくとも借りた金を返せるようになるために仕事しようよ、そのための働きかけをしようよ、と思うのです。

返済猶予期間を延長するとか、借金して作った工場の収益性を高めるような技術の援助をタダで行ってあげるとか、財務管理をしっかりするためのシステムを立ち上げてその人材を育てるとか、相手の力をつける援助の方法としては、実際にいくらでも有益なものがあります。
なので、借金帳消し、というのは、どうも短絡的で、好かんです。何も相手成長しませんから。甘やかして責任感を廃れさせるだけのように思えるのです。

そんな感じで、そこまで考えたら、ホワイトバンドは、自分は買えんと思います。
でも、やり方はウマイと思います。
ジュビリーでなかったら、知らんうちに買ってたかも。


別に寄付という行為を否定しているわけでは、決してないです。寄付自体は、良い事だということに、間違いは無いと思います。やらないより、やるほうが、ずっといいです。

寄付というのは、自分がその活動に労力や時間を割くことができないから、お金という形で代償するものだと思ってます。ただ、そのお金がどう使われるのか良く分からない。
結局、金だけ出すより、自分が動くのが一番いいのではないかと思います。つながりが見えますから。それに、自分の為になりますし。

労力を出すか、金を出すか、言われると、後者が簡単ですが。自分が直接役に立つことをするほうがいい。まぁ、貧困対策は対象が遠いので、難しいものがありますが。

それだったら、一生懸命働いて、稼いで、税金納めるのが一番の近道です。国がちゃんと役立ててくれます。
(役に立たないODAとかいう批判は、氷山の一角がものの全てであるかのように書きたてる、批判を目的化した娯楽みたいなもんです。確かに下手なものも中にはありますが、大部分はちゃんと役に立ってます)

そういうわけで、自分の仕事のアウトプットを、人様の役に立てる形にするのに精力つぎ込むことが、結局、一番の寄付だと思うのです。圭介のやってきたこととかな(強引にもってくる)。

いやほんと、役に立つ産業知識を求めるのに、欧米滞在中に借金して、しかもその知識を自分の利益のためにではなく、社会のため国つくりのために、惜しみなく提供し続けた。
そういうような人間たちが、初期の、産業の自立的持続的な発展に寄与しているわけで。そこから社会が享受してきた豊かさというのは、計り知れませんよな。

日本も、戦後も高度成長期には、そういう親父様方、サラリーマンが普通に何処にでもいたわけで。
彼らは、会社という公のために働くだけ働いて、あとは自分と家族がたまにちょっとの贅沢するぐらいで食べていける、そこそこな中産階級だったら、文句も言わない。そういうのに支えられてきた。だーから、今の我々は貧困などとは無縁でいられる。ビバ団塊の世代。
そんな我々の恩人たる彼らも、今はすっかりリストラのターゲット。

とにかく、圭介みたいな人間を沢山生み出すのが、結局、一番の貧困対策になるんでないかと、思ったのでした。

ただの人材育成ではないです。
圭介産出プロジェクト。
そんなのがあったら、過労死するまでのめりこむ。

ラベル:貧困
posted by 入潮 at 03:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月25日

自己催眠

もう頭が働かん。
この追い込みに入って、また手戻り発生で、2週間分の作業をさかのぼらなくてはならなくなってしまい、1日で修正作業をやっつけねばならなかった。
結局土日+徹夜費やして、修正作業しただけで進捗ゼロかというか、同じ地点に戻ってきただけか。徒労…。
アドレナリン出すのは、たまには体にはいいのでしょうが。出っ放しな上に成果がないと、疲れます…。

電車の転職広告とか見ると思うのですが。

仕事に、やりがいとか生きがいとか、そんなものは、最初からは、そもそも、どこにもない。リクルート文句でよく見る、自分を生かせる、だとか、仕事をしている自分が好き、だとか、そんなもんは、派遣会社のキャッチコピー以上の何ものではない。やりがいのある仕事に就こう、と思ってたら、たぶん一生、やりがいなんぞ見つからん。最初からあるもんじゃない。自分に向いた仕事、なんてのは、そもそもない。仕事に無理やり自分を合わせるだけだ。

どんな仕事でも、やらなければいかんという事実だけがある。で、徒労とめんどうくささと能力が足りてない苦しみのままに、とにかくやっつけて、何らかの結果をひねり出して、それを重ねていった上に、ちょっと慣れた、という感触がある。そこで、終わってはじめて、面白かったかもしれないと感じられる。それは、結果として、何か得たものがあるように自分を納得させられるかどうか。要するに自己催眠だ。幻想と言っていいかもしれない。

それで、面白くない仕事というのは、単に、ちゃんとやってないだけだったりする。自分にやるだけやったら、「これだけやったのだから」という自己催眠力が強く働いて、面白かったとそこそこ錯覚できる。


その自己催眠で気持ちよくなれるなら、幸せなわけで。
あたしゃ結構幸せな奴ですが。
んでも、終わったと思ってたことをもう一度やれと言われたら、きっついもんです。あー…。

あ、酒ってのはいい催眠剤ですな。…もはや呑む余裕も無い状態ですが。

さ、寝よう。日曜日の夜の会社は誰もいないから、大っぴらに眠れます。朝、お掃除おじさんの掃除機の轟音にたたき起こされるまでは。
posted by 入潮 at 02:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月26日

東京帝国工科大学

工部大学校の英名。

"Imperial Collage of Engineering, Tokei"

直訳すると、東京帝国工科大学、という感じになるでしょうか。
すごい、テクノクラート養成機関、という気がしますで。

Tokei、というと、東京が明治初期、トウケイと呼ばれていたとのことですが、これを見ると、少なくとも明治10年ごろまではその呼び名だった、ということが分かりました。

ここの、諸規則は、建築学会図書館が、原文を持っているようだ。
何せ「辰野・妻木文庫」にある。彼らの寄付に違いない。
それにしてもこの二人を並べるか。…いや、別になんでもないのですが。

カリキュラムや、有名なダイアー先生のカレンダーとかは、やっぱり東大が抱え込んでいるんだろうなぁ…。


…さて、会社泊が3日続くと、だいぶ嫌になってきた。
全てを放り出して、いなくなってみたら、周りは慌てふためいてくれるかなぁなんてことを、夢想しつつ。いなくなってもサクッと代替人が入ってきて、なんら支障ナシ、という状況になったら、悲しいな…。

何かの足しにもなれずに生きて、何にもなれずに消えてゆく〜、と。
中島みゆきが頭の中で反響しております。
でもそれが一番幸せかもしれない。

posted by 入潮 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月27日

Leading Men of Japan

台風が通り抜けてくれたので、ひとまず終電で帰宅しました。
5日ぶりの風呂でした。シャワーですが。すっきり。
このくそ暑い時期に、この無頓着汚れぶりは、もはや公害ですな。
隣に座ったおにーさん、ごめんなさい。

さて、
"Leading Men of Japan, with an Historical Summary of the Empire", Charles Lanmant著。

明治維新期の日本の指導者の58人を紹介しています。1883年。明治16年刊。
『日本の指導者伝および日本帝国小史』
という邦題があるようです。
著者はワシントンの日本弁務公使館で、森有礼公使の書記をつとめたとのこと。
あと、津田梅子を米国で受け入れて、帰国時まで育てたという方。

ここに圭介の章がありました。指導者に含まれていました。明治16年といえば、圭介、工部省から元老院に移って、激務からちょっと落ち着いたころあいでしょうか。

同時代人の、外国人による評。これは見逃してなるものか。
黒田や榎本さんや森有礼や寺島宗則、大山巌っちなども、嬉しいラインアップです。

基本的に、各有名人の経歴紹介で、始めて日本を訪れる外国人のための、人脈手助け書、みたいな感じかと思います。
圭介のは、2ページほどで、特に真新しい記述はなかったですが、結構、好意的な書き方をしてくれていました。なかなか英語で紹介される機会もないと思いますので、抜き出してみます。

日本語訳は適当です。なにか間違い解釈などありましたらお願いします、K生さん。(名指しか)

"He was a retainer uner the Tokugawa Government, and after completing the ordinary education of his class turned his attention to the study of military affairs in which he became a proficient."

「彼は徳川幕府の旗本で、一通りの教育を経た後、軍事に関心を持ち、その分野に熟達した」

適塾が"ordinary education"かというと、ちょっと首をひねりますが。あと、最初から幕臣、旗本だったような書き方も、おや、と思いますが、まぁ、細かいことです。

"Prior to the year 1861, he published a book on the subject of Infantry Tactics, and soon afterwards another on fortifications, gleaned chiefly from french authorities; and those two productions were the first ever printed in Japan from metal types, and are said to have exerted an important influence on the military affairs of the Empire."

「1861年に先立って、歩兵の戦略を主題とした本を、その後直ぐ築城学に関する本を出版。主にフランスの当局から情報を集めた。これら二冊の出版物は、日本で始めての金属活字を用いて印刷された。これらは帝国の軍事に大きな影響を及ぼしたと言われている」

築城典刑の時点ではフランスとの付き合いはなかったかと。あと、Infantry Tactics は「歩兵程式」の英訳でしょうか。こちらはフランス伝習中なのでオッケー。ただ、実際は、築城典刑の方が先ですね。それから、活字に言及されているのは嬉しいですが、それを作ったのがほかならぬ圭介だ、ということにも触れてほしかったなー、と、無理を言ってみる。
「帝国」というのは明治政府の統治になってからですよな。正しくは大政奉還以降? いや、日本はずっと、万葉の時代からEmpireですが。主権が幕府にあれば、Empireという語は使わないと思うし。圭介の訳書、明治陸軍の教科書にも一時期使われていたとのことですが、旧幕府だけではなく、新政府にも、圭介の兵学は役立てられた、ということで。当時でもこう言われていたというのは、嬉しいですな。

"At the end of the Restoration he had command of a large military force in the eastern provinces; and although he displayed ability in their management, he was defeated, and then joined the army of Enomoto in the island of Yeso. After the capitulation at Hakodate he remaind in confinement for two years, having been liberated in 1871."

「維新の終わりに、彼は、東部地域で、大軍隊を率いた。その軍隊指揮の能力を披露したにもかかわらず、彼は敗北し、蝦夷の榎本軍と合流した。箱館での降伏の後、彼は2年間監禁され、1871年に解放された。

えっと、"displayed ability" です。能力を見せ付けた、と言ってくれています。下手とか無能とか、そんな評価では決してありません。彼は能力があるにもかかわらず負けた、というユニアンスです。この著者、日本人の知り合いから聞いて書いた事でしょうから、当時の認識はそうだったのだと思ってよいのではないかと。

なお、imprisonmentやjailed (投獄)とかではなくて、"confinement"というところが、ちょっとやらしい感じで、いいですね…。
あ、釈放は1872年かと。細かいですが。

"As was the case with Enomoto, he was treated with kind consideration by the Imperial Government, and was appointed to several honorable positions, among which was that of an under secretary in the Treasury Department in which capacity he accompanied Yoshida Kiyonari to England when that gentleman made his important loan."

「榎本の場合と同じように、彼は帝国政府の丁重な配慮を受け、幾多の名誉ある地位に任命された。そのうちのひとつとして、財務省次官として、吉田清成が重要な国債発行を行う際、その能力で、彼に同行し英国へ赴いた」

ちょっと "an under secretary "と"in which capacity"がどうかかってくるのか分からないのですが。
under secretary(次官)= 吉田さん、と解釈するのが適当なんでしょうけれども、文のつながりだと、圭介の"honorable positions" のひとつが、"an under secretary"ですよな…。圭介は大蔵省五等出仕だからそこまで地位は高くないはず。吉田さんだと少輔だから、適当かと思うのですが。んー、良く分からない。

で。ここで、吉田清成が出てくるところが、マニアックだな…と思いつつ。このCharles氏、ワシントンの弁理公使館務めで、開拓使留学生の梅子ちゃんのホームステイ先だったということで。少なくとも、著者と、開拓使の留学生管理もしていた圭介は、面識はあったのではないかと思えますし、吉田さんとも会ってはいたのだと思います。

吉田さん、"Gentleman"と呼ばれているのが流石です。や、英語表記では、ごくごく普通に代名詞なのですが。森さんの書記というから、あのハゲシイ、森・吉田喧嘩書簡のやり取りとかも見ていたのだろうか。その上でのジェントルマン表記だったら、結構笑える。
そして、ここで、黒田の名前が出てこなかったのがなんとも。吉田さん、説明しなかったの…?とか言ってみたりする。

ち、ちょっとここで沈没…。体力が尽き果てました。
posted by 入潮 at 03:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月28日

Leading Men of Japan (続き)

徹夜しました。呑んだのが悪かった…。
このごに及んで、プログラムのパラメータ間違えていたとの連絡アリ。2ヶ月分の作業を遡れと?

……もう知らん。〆切は近い。後は前を向いて歩くのみ。…今歩いた分、後からまた戻らねばならないと思うと、モチベーションが激しく萎えますが。
あぁぁ、進捗が…。
それでも、ヤケは起こすものではないです。とにかく今は何をどうするかが一番効率よく進むかを考えて、ガシガシ形を作っていかねばならない状態なのだ。

とか言いながら、逃避。
人間弱い生き物なの。てことで、昨日の続き。といっても、あと1パラグラフしか残っていませんでした。

"In 1875, he was made an officer of the fourth rank in the Public Works Department, then went upon a mission to the Government of Siam, and on his return published an interesting account of his travels. He is greatly respected for his talents and character, and as late as the year 1881, he was sitll connected with the Public Works and engraving Departments of the city of Tokyo"

「1875年に、彼は工部省の第4の地位の官僚となった。暹羅国政府へ赴く使命を拝命し、帰国の際には、その出張についての興味深い報告を出版した。彼は、天賦の才と品性で非常に尊敬され、つい最近の1881年まで、東京の工部省と関係していた」

Public Works Deprtmentは、この時期だと工部省で間違いない思うのですが。この語だと、直訳すると、公共事業局とかになってしまいますよな。工部省の職務は、工学の解明、既存工業の発展との新規工業の導入、鉱山経営、エンジニアの養成。公共事業というと、土木治水を担当していた内務省のほうがしっくりくるかもしれない。Public Worksというと、もっとこう、一般に裨益するような事業の感じをうけますし。

工部省の官営事業とかは、対象が絞られているので、Government Projectぐらいになるのかと思うのですが。
まぁ、工部省も鉄道事業等のインフラ事業も行ってますし、いいのかな。

あと、"Public Works and engraving Departments"も工部省で間違いないと思うのだけど。これもちょっとよく分からない英名です。組織改変で英名も変わったのかしら。官営工場をそのままPublic Worksとしたのか。
Department of Engineering とかじゃ駄目なんだろうか。

ちなみに、ライマン→圭介の肉筆手紙では、あて先は、は、"General K.S.Otori, Chief Secretary, P.W.D.Kosakkiyoku"でした。…几帳面な男だ。工作局のローマ字が、苦労して覚えたんだなぁと、泣かせます。

もとい。P.W.D はPublic Works Department だから、やっぱりコレが工部省のようです。

あと、Departmentという語もよくわからない。局にも省にも使われているようです。省だと"Ministry"が一般的かと思うのですが。この頃はまだ省レベルだとみなされていなかったの…?

あと、圭介、connected with どころではないですよね。思いっきり局長ついでに、技術トップと事務トップの双方を兼ねています。まぁ、払い下げもひと段落ついて、少しは落ち着いたころだと思うのですけれども。それで鉄道の事業化調査とか行ってますけれども。

それにしても、" He is greatly respected for his talents and character"の一文。
一応、訳には良い言葉を選んでみましたが。
talent は神から与えられた特殊な才能、という意味合いで、芸術だけではなく実業にも用いられるとのこと。character は性格とか個性とかですが。でも、"greatly respected" ですからなー。ほんとに東洋のリー将軍だな…
他の方の原文もいくつか目を通してみましたが、こういう熱い表現はあまりなかったです。もっと淡々と履歴書っぽく経歴紹介しているだけでした。

でも、alents and character って。お笑い芸人を彷彿させますよな。この一文、「あいつの芸とキャラはすげぇよ」という風にも訳せてしまえます。むしろこっちの方がしっくり来ます。こっちの方だったらどうしよう。言葉の妙。

そんなわけで、かいつまもうと思ったら、結局全文引用してしまいました。まあ、著作権もとっくに消失しているし、画像を取っているわけでもないから、いいですよな…。

余談ながら、開拓使の英語名、"Colonization Department" にはびっくりしました。今までKaitakushiとそのままローマ字に表記になったのしか見なかった。
欧米人って、Colonization に開拓、というぐらいの意味しか感じてなかったんですかね…。まぁ単なる入植という意味でも用いるのですが。入植と植民地化が同じ語、ってところがそもそも。
黒田もそんな、いかにも誘っている表記名を許すなよぅ。

そいや、日本の韓国併合も、普通に英語にすると"annexation"なのですが、欧米人にとっては、"colonization"より"annexation"のほうがよっぽど極悪非道に相手を踏みにじるような印象に聞こえるのだそうな。この辺の感覚が微妙ですな…。

posted by 入潮 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月31日

五稜郭血書

すっかり会社が棲家と化しております。
夜になると、頭にタオルをまいて、裸足で歩き回る、不法進入の浮浪者扱いされかねない風体と化します。
フリスク5個一気食いしたあとで、氷水を飲むと、しゃっきりします。体にいいのかどうか分かりませんが。

今日こそは帰ろうと思ったら、また、プログラムが動かなくなったから計算してくれという連絡がきて、また帰りそびれた。
知るかー。今はもう形にしてガシガシ報告書にまとめないとならん時期なのだっつーの。
訳と編集と品質管理と進捗管理と自分の分の執筆で手一杯になっているのに。

自分、プログラミングのスキルは皆無で、今回ちょっとだけ関わっただけですが。
あれは果てしない自分との戦いだと思いました。ミスがなくなるまで、トライアンドエラーで、ひたすら繰り返して結果あわせの数字と睨み合い。クリエイティブなはずなのに、中身は素人にはブラックボックスになっていて、どんな複雑な事を行っているか、論理を極めた思考が働いているか、理解されない。できて当たり前だと思われている。どんなに時間をかけても、報われない。

あんなハングリーなものはないですな。それでソフトウェアというものが開発されて、世の中は見かけ上、どんどん効率的に、便利になっていく。駅ねっととか、飛行機の空席紹介とか、宿のオンライン予約とか。多分、10年前より費やされる時間、日本人全部あわせたら、1/5ぐらいになってますよ。
…全国世界のプログラマの皆様を尊敬します。自分でなれるとはまったく思いません。

さて。1日20時間働いていると、人間性が破綻しそうなので、圭介のことを考えて癒されたいのだけれど、語りたいネタは、疲れきった頭で負いきれる分量のものがない。

えーと。ひとつ面白かったのがありました。「五稜郭血書」久保栄、共立書院。1968年。あと、昭和25年にも発刊されているらしい。戦後世代の方の、舞台のシナリオ。

オモシロかったです。でも、オススメじゃないです。何がって、出てくる人間が、みんな、悪か馬鹿。ここまで人間をこき下ろしたら、いっそ爽快です。

その名の通り、箱館戦争五稜郭が舞台ですが、主役は民衆。箱館の異国人を相手に賄う商人、取り入る娘、その娘に懸想する下人、猟師、役人、郷士、といった、社会のキープレイヤーたちです。
そんななので、リアリティが主題の、世間の世知辛さ、やるせなさ、といったところを描いています。「どなた様をお褒めしてよいやら、ほっほっほ」みたいな人間ばかり。

ここに、徳川脱走艦隊がやってきて、彼らから搾取をはじめる、傍迷惑な為政者たち、という視点です。
なので、箱館脱走軍幹部たち、ロクな書かれ方していません。以下の通り。
(…各人物のファンの方は、読まない方がいいです。ごめんなさい)

・疲弊の極みで凍死しそうになりながら、凍りついた機関部を修繕する水夫たちをよそに、「生木の薪をぽんぽん炊いている船室から出ると寒風も爽やかだ」などと言い放ちながら出てくる榎本。豪快をよそおった神経病で、部下の失敗をゆるさない狭量な人間。

・赤十字社の制度を取り入れた先駆者として名を残す功名心にまみれ、榎本についていれば名を上げるのも可能、病人の一人や二人が凍え死ぬより、榎本に取り入りマッサージが大事、捕虜の南京人の虐待を見てみぬ振りしながら博愛精神を説き、最後に病人より自分を助けてくれと命乞いをする高松凌雲。

・絵に描いたように頑迷固陋、因循、極端保守で、傍若無人で、妙に芝居がかり、武士であることを誇り百姓を侮蔑し、何かあれば「叩き斬るぞ」と喚き、榎本・大鳥の新時代知識を妬む一方で武士道に固執する、単純愚昧な土方。

・その土方に手を焼いている大鳥。「君の好んで着用する『はい・からあ』は見てくればかりの文明開化か」などと偉そう。落城寸前の最後の晩餐のときに、盃をためらう大鳥に、「斗酒なお辞せずという日ごろの手並みにも似合わぬぞ」と榎本に言われ、降伏の道を見出した瞬間に、「榎本、飲もう。今日を限りに通飲いたそう」と調子よくなる。

・そんな連中を野蛮人扱いして蔑み、ねずみを食ったと嘲笑し、東洋最後の植民地に英国に気勢をそがれたことに巻き返しを図み、人民瞞着の手段を偉そうに榎本に講釈し、箱館が落ちそうになったらさっさと安全地帯に逃げる、得手勝手な国粋主義者のブリュネ。

こんな感じで。
永井さんや中島さんまでが、武士としての特権階級意識に凝り固まった、民衆の虐待者扱いされていました。

とか言いつつ、大鳥はそんなに悪く書かれておらず、むしろ、結構、おっ?と思うところがあったりして。

榎本さんが、甲板の寒風に吹きさらされた「大鳥圭介ならば七言絶句のひとつも浮かぶところだ」とか言ってくれたり(水夫の悲惨さに対する、のんきさの演出なんですが…)。
甲鉄の五稜郭への艦砲射撃の正確さを疑問に思った大鳥が「我輩も仏蘭西軍制にのっとって、幕府歩兵操典の基を築いた先覚者だ。薩長、松前、津軽の大群を引き受け、衆寡敵せ敗れたと伝えられるは、むしろ本懐とするところだが、文明の利器の操作術が彼らより劣ったがための敗残といわれては、末代までの恥辱」とか可愛いこと言っちゃうとか。

大鳥がよければそれでいいのか?と自分に突っ込みつつ。いや、むしろ自分、圭介はどんな姿にかかれてても、辛いながらも、「またやられてるよー」と笑える自信があるけれども、釜さんが悪く書かれるほうが我慢がならん、という日和見人間です。

けれども、ここまでこう、みんな一斉に貶められていたら、いっそ痛快で、笑ってしまいました。
なので、面白かったですけれども、おすすめではないです。変り種がお好きな方でしたら、気分転換にぜひどうぞ、という感じでした。


で、こちら。芝居の台本ということで、フィクションという位置づけだと、笑って終われたのですが。

解説を読んでみますと、著者は、この舞台を、「現在の支配体制の礎が置かれた重要な時期であり、またブルジョア演劇が自己の反動的役割を果たすために好んで取り上げる題材であるところの明治維新に対する、我々の側からの芸術的解明の一つの試み」だと位置づけています。

場所請負制度の廃止を求めた郷士や漁民など、社会の底辺に位置する人間が英雄化されていて、このあたりはプロレタリアート文学的で、それはそれでいいのですが。

「現代の一般被圧迫大衆にとって最も教訓を含んだ一時期を全人類史の合法則的発展の一環として描き出す」と仰っているのは、うーん、と。

この戯曲が描かれたのは、戦時中の体制に対する戦後の反省があって、かなり反動的、反体制的姿勢がもてはやされた時期かと思います。

その立場で、政府・支配者=悪、という、不満を持つ民衆にウケるには最も手っ取り早い図式というのがあって、それが一番売れる、というのは分かるのですが。
これが、歴史的に正しい認識だ、史実の姿なのだ、教訓なのだ、と胸を張られると、辛い感じです。

この感覚を経てしまって、かなりゆがめられてしまった歴史認識、というのがあると思うのです。それが、今の教科書問題とかに絡む、自虐的歴史認識を育ててきたような気がします。
自分の国が嫌いな人間を作ってどうするんじゃ、と思うのですが。それがエンターテイメントとして受ける、要するに利益になるとなると、なんら違和感なしに行われるようになり、それで「正しい」と開き直られると、怖いです。

あと、各章の冒頭に、さまざまな史料からの抜粋が、付けられているのですが。

陥落前の万国公法のやりとりが、「豊瑞丸風説書」という本に面白おかしく「相撲にていわば相談相撲の様にて〜降伏と候得共賊の方より和睦の様に見え居」とあるのとか、南柯紀行の、降伏後の宿で「少しも過酷の取扱なく酒肴を饗し丁寧を尽くされければ」という記述とかを、各巻の冒頭に抜き出しているとか。それにより、箱館軍幹部が、敵と通じて重用されるという姿をイヤらしく見せようとしている。そのことによって、虐げられた民衆の哀れさを強調しているのですが。

それはそれでストーリーとしては手なのでしょうけれども、いかにもその内容が歴史的事実に沿って書かれているのだ、と装飾している意図があって、なんとも…。

この、史料の抜き出しと再構成、というのが、結構つらい。

史料に載っているから事実!という主張をする姿勢は、ちょっとどうかなー、と思うのです。100ページあるような記録や日記の一文だけを拾って抜き出してきて、パーツを組み立てると、結構簡単に、自分の思うようにストーリー付けできてしまったりしますよな。
たとえば、「○○さんの役割葉歴史的に大きかった!」ということが言いたければ、史料のほんの1箇所2箇所の○○さんに関連した記述を抜き出して、それに都合のいい解釈をして、そういうのを集めて書き出せば、いかにも○○さんはスゴかった、という印象を与える文を組み立てることができる。
いや、自分も多かれ少なかれ、そういうことは、確信犯的に、やってますけど。
これが業界でも、ごくふつーに行われていて、誰も疑問を抱いてないんじゃ…?ってことは時々感じてました。

(最初にそれを感じたのは南柯紀行だった…。あれの全体像を捉えた人は、いわゆる自称歴史研究者や歴史作家には、ほとんどいなかったのではないだろうか…。会津・新撰組の都合のよい情報パーツの供給源ぐらいの扱いしか受けてなかったような気がする。むしろ門外漢の蘭ちゃんや、大岡昇平氏などの文学者の方々のほうが、ずっと全体的にバランス良く捉えてくれていたと思う)

そんな感じで、政府批判、反体制を目的化した、パーツ抜き出しの歴史の組み立て、のような姿勢が伺えてしまい。そうすると、反体制やりたいのなら、別になにも、五稜郭でなくてもいいじゃん、と感じてしまった。
せっかく面白かったのに、歴史という重みに虎の威を借りると、却って興ざめだなぁと思ったり。
フィクションはフィクションとして、開き直ってもらったほうが、エンターテイメントとしてはありがたいなぁと、思ったのでした。

戦後、ちょっと昔の本ですけれども、今でも同じような意識のが、結構あるのではないかなぁ…。

てか、また、えらそうなことを…。
こういうことを書くと、またあとからハゲシク後悔をする、躁鬱気味な小心者です。
……過労状態で、分別なくなっているんで、許してください。
posted by 入潮 at 03:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。