「大鳥活字」について。
「戊辰戦争のとき、大鳥が幕府方についたため彼の屋敷が焼かれたためなくなり」
………駿河台の屋敷、焼かれたですと?
圭介、江川塾と幕府陸軍調所出仕の兼任の時、即ち、塾生(薩摩藩留学生含む)相手に江川塾で講師やってたり、蕃所調所や陸軍所でバイトしてたりした時、「私は始終日記を書き、また幕府より下されし公文もそれぞれ所有せしが、戊辰の変にて皆失亡したれば今記憶せず」(名家談叢)と、くそ忙しい日常の暇を割いて、日記を書いて公文書も保管していたのに。残ってないのか、と悶えていたのに。ほかに、翻訳作業中の仕事とかもたくさんあったはずで、糾問所で質問されていたのに。
み、みんな焼けてしまってたんですか…。
なんて勿体無い…。
初めて本気で薩長憎し!と思った瞬間でした。貴重な萌えネ…もとい、文化遺産を…!
ソースとなっていると思わしき参考文献は未チェックだったので、ゲットしにいきます。
[2] 葛生 2005/08/03(Wed)-13:04 (No.35)
「焼かれた大鳥活字」のソースですが、たぶん2000年の柏書房のほうだと思います。
1996年の西野氏の本はチェックしましたけど、そんな記述はありませんでした。
…探しに行かなきゃ!
(そーか、圭介の日記はないんですね…がくり。)
[3] しの 2005/08/03(Wed)-14:37 (No.36)
2000年の柏書房のほうの、その参考項目をチェックしましたが、そっちにもそんな記述はありませんでした…。
(逆に1996年のほうだとばかり思ってた…。)
日記…。焼かれたなんて間違いだと良いのに…。
[4] 葛生 2005/08/03(Wed)-22:55 (No.37)
これかな…。
「大鳥活字は戊辰の硝煙の裡に佚し、本木は自力では高品質の活字を作りだせぬままに (中略) すなわち幕末和文鋳造活字の系譜はここで一旦断ち切られるのである。」
(1996年、府川充男「小括――幕末和文鋳造活字の展相」)
この筆者は、幾つかの文章を読む限り、比喩的・詩的な書き方をすることがままあるので、私はこれを「戊辰戦争のドサクサに紛れて所在が判らなくなった」と解釈してました。
…少なくとも「家が焼かれた」とかな記述はないです。よって、「圭介の家やら日記やらが焼かれた」という根拠にはならないかと。(希望は常に大きく!)
この論文はあくまで、幕末期の活字の系譜を刊行物の版面から整理しているものなので、圭介の説明も一切なし。
ただ、この方、ひょんなことから大鳥活字に深入りしてしまったと告白してる方なんですが、大鳥活字による刊行物を列挙した揚句、「幕末期に於る和文鋳造活字による印刷物随一の威容と評して異論あるまい」とか言ってくれてます。そして大鳥活字に疑問を呈する連中に向って、しつこく反駁してくれてます。実は大鳥スキーなんじゃないかと疑ってるんですけどね。(文体からいって結構ご年配の方ではないかと推察)
[5] しの 2005/08/04(Thu)-00:42 (No.38)
「固より運良く大鳥活字の実物が発見されるというような僥倖でもない限り、大鳥活字の料材を最終的に確証することはできない。」
(府川充男「和文活字の「傍流」」(印刷史研究会編『本と活字の歴史事典』所収)
と、語っているので、焼けたとは確証がないのでは無いでしょうか?少なくともこの筆者はそう思っているのではないかと。
作者は16ページに渡って、大鳥活字を語ってしまう大鳥スキーですよ(←言い切った)。
作者さんは、確か昭和26年生れのはずですよ。
[6] 入潮 2005/08/04(Thu)-02:54 (No.39)
お二方、ありがとうございます〜。
よく見たら、双方とも、入手してました。著者名まで覚えていなかったから、一致しなかった…。今手元に無いですし、掘り起こすのも大変なので、助かりました。かたじけないです。
圭介、専門分野では評価高いというか、好かれてますよねぇ。一般受けしないけれども、マニア受けする男。
それにしても、脱走前日記。江川塾の留学生との日々が…。調所の洋学者たちとのお付き合いが…。小栗さんへの夜の通いが…。あぁ、桂川さんの前で乱酔しちゃったり、 長州の人とも仲良くしているのが記されていたかと思うと、もういても立ってもいられません。
屋敷が焼かれた、というのは、まだ今のところ確実ではない、ということで。薩長の方、早とちりで恨んでごめんなさい。
明細短冊に住所があるから、それで、各年の地図や土地登記帳などで、判別できませんかね…。
でも、今の今まで見つかっていないというのは、これから見つかる可能性も低いですよなぁ。
江戸城の資料・公文書保護に走り回った江藤さんの手も、まず駿河台までは及ばなかったでしょうし。
あるいは実はみちさんが持って逃げていて、身を寄せていた佐倉の荒井宗道宅の土蔵の中に眠っているとかは…ないですよなぁ…。書物って重いしなぁ…。
今残っている資料というのは、ほんの一部で、あらゆる僥倖の積み重ねなんですよな。圭介の洋行日記も、一部欠けていますし。南柯紀行も元は人の手を経た写本でしたし。
こう考えると、小栗日記なども、残っていたのって、奇跡ですよなぁ…。