2006年03月01日

経済と生活と鉱工業

1月の鉱工業生産指数が、3か月連続で、1998年以降の最高値更新、とのニュース記事。
鉱工業、つまり資源と生産の指数は、一番国の底力を表す動向じゃないかと思います。株価やサービス業の指数は、実体がないので、なにかインパクトがあれば結構簡単に変動する上に、影響が大きい。けれども、資源と産業の伸びがあるというのは本物のモノの動きが活発化しているということですので、喜ばしいことです。

(あ、単に石油価格の上昇もあるのか。石油の供給難で、石油・ガス会社が一気に価格を上げて儲けた。Exxon Mobilとかは世界の民間企業で最高益、米企業の年間当期利益の最高記録の見通し、とか言っていたっけ…)

で、鉱工業というと、経産省の関連機関の文書ぐらいでしかお目にかかれない、余り耳慣れない言葉なんですが。そのまんま、工業と鉱業のことです。鉱業は金銀銅などの金属のほか、石油や石炭など地下資源一般を指します。

で、この「鉱工業」が、大鳥の明治の官僚としての仕事分野を一番代表している言葉かなーと思ったり。もちろん、大鳥は私人としては、中国やインドの地理歴史や文化人類学、農業や気象や翻訳や土木やと、あちこちの分野でいろんな足跡を残していますが。開拓使から工部省、元老院まで、公人として、つまり仕事で携わっていたのは、官営工場の経営・技術指導と、勧業博覧会による工芸品・器機の普及と、石炭・石油・資源材料の開発なので。金銀銅の金属類は余り関わってなかったみたいですが、ブリキ、セメントなどの資源材料生産の技術導入を手がけ、鉱山経営については意見書を岩倉さんに出したりしていた。

「明治前期の日本経済―資本主義への道」という学術書の中で、工部省・内務省の大鳥の職務が取り上げられていました。

内務省勧業寮の大鳥。その下の地理局に、石油開発とライマンの調整のために入っていたのかと思っていたら、それだけじゃなかった。勧業寮の官営工場を手広く手がけていたとのこと。当時、工部省と内務省の鉱工業の管轄は、結構曖昧だったのですが。繊維・食品・紙など軽工業以外の、萌芽期にあった重工業と鉱業を一括して大鳥が面倒みていた。それも工部省の製作寮と工学寮(のち工部大学校)の頭と兼任なので、省庁をまたいでの分野全体の監理とでもいえましょうか。

それで、省再編時、大鳥の工部・内務省兼務の解消時に、管轄工場を引っさげて工部省に戻ってきた。鉱業・重工業を一手に管轄したわけです。鉱山は最初は鉱山寮があってそこが直接の管轄したけれども。工作局の赤羽分局で試作した削岩機が、佐渡の金山で使われていたり、関連は深かった。それで模範事業を行って産業を育て、民間に事業を受け渡していった。鉱工業について、今言われているスモール・ガバメント化をすでに行っていて、民間企業に役割を譲り、実質的な国の生産力を育てていった。

この内容については、これこそ大鳥〜!という感じですので、またじっくりとご紹介させていただきたいのですけれども。

日本の底力は、その頃にこそ養われたのだと思うと、ほんとうに、ありがとうございます、と感じます。ソフト産業に光が当てられがちですが、やはり鉄鋼、自動車、電機などのメーカーがあってこその日本だと思います。

もちろんそれは、佐野、山尾や大島や井上勝、工部大学校卒の技術者たちの活躍、渋沢が民間企業を立ち上げ育てた功績、様々な分野との繋がりや相乗効果とあいまってのことで。大鳥は様々な功労者のうちの一人にすぎないのですが。その中で大鳥の果たした、民業と人材を育てたという功績は、直接今自分たち享受している日本のゆたかさに結びついているのだという実感を、そこここで受けます。

そういう実質的な多忙きわまるお仕事をしながら、休みの日やクリスマスには、ひなやゆき、きくたちとクララ宅にいったりして遊び踊り、相撲を見て、囲碁を嗜んで、詩を詠み、梅を見に行き、本を紐解き、学術誌に仕事とはなれた自分の見識を紹介する。情緒とゆとりと教養も忘れない生活を満喫して生きた足跡も、また、追えるのが、幸せです。


…てなかんじで、誕生日でしたのに、感謝の一言もいうゆとりもなかったので、このぐらい言わせてください…なんかしゃちほこばっててうまくない。こういうことをこそきちんと言いたいのに、いざ言おうとするとどうも恥ずかしいというか、何をオタクの分際で、いきがっているんだ、という感じで気が引ける。
まぁ、疲れてるので許してください。

次の出張の為に洗濯ぐらいはせねばならんと、終電で帰宅。コンビニに寄ったら、財布をなくしていた。駅から2分歩くだけで、どうやって紛失できるのだろう。コートのポケットに入れていたはずなんだけどなー。コンビニの床や棚はおろか、ゴミ箱開けてまで探したけれど、財布は見つからず。

お陰でなにも買えず、空腹。交番で紛失手続きをして、クレジットカードやキャッシュカードを止めて。ぐったりした。免許証も保険証もなくした。身分証明もできない。定期も無し。

挙句、会社から持って帰ってきた残業用PCは、雨に濡れたせいか、電源が入らない…。データもとり出せない。データまで紛失か…。

報告書の締め切りはあさって、次の出張が迫っているというのに、まだ計算が終わらない。

こういうときに限って、現金を家においていない。かろうじて持っているカードは会社近くの銀行ので、近くでは現金引き出し出来ないカード。金なし、身分なしになってしまった。どうするんだよ、明日。部屋中探してみたら、5000チャットやら1000バーツやら500ルピーやら1000トゥグリルやら、1000000トルコリラやら、使えないのばかり出てくる。かろうじて、150円のみ冷蔵庫の下から見つかりました。…隣駅にすら行けやしねぇ。

このまま財布をもとめて丑三つ時に駅前を彷徨い歩いていたら、間違いなく不審尋問を喰らう。そして金(円)もなければ身分証明もない。ポケットの中には妙な紙幣ばっかり。間違いなく不法入国者扱いで逮捕モノです。日本人として在ることすら許されません。嗚呼。

そんな感じで、人様のご生誕も、景気の向上も、悠長にお祝いできるような状態ではありません。経済とか世の中とか言う前に、まず自分の生活をどうにかせねばなりません。明日会社にどうやって行こうか。駄目駄目。人生、うまくいかないものです。

「骨が折れる」…って言っていいですか、とふと思いましたが。まだまだ甘いわぃと、じーちゃんに怒られる。ごめんなさい。人生をかけて精根尽き果てるまで仕事して、それなりに形になったものもあれば、塵屑となり果てたものもある。それらを全て噛み締めた上で、言いたい言葉です。

…洗濯終わった。寝よう。明日は明日の風が吹く。はず。
posted by 入潮 at 04:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月04日

うぐぉ…。疲れた。眠い。
これから出張です。まだ会社です。明け方に報告書出し終わりました。印刷するヒマすらなかったから、とりあえずプリントアウトをホチキス止め、製本テープ、という、昨今に珍しい手作り感あふれるモノとなりました。なんだか同人誌を作っているみたいで、楽しかったです。眠い。

頭痛が、風邪によるものなのか、肩こりから来ているのか、睡眠不足が響いているのかよく分かりません。
今から電車で寝ます。飛行機で寝ます。わーい。やっと眠れる。

「よく体もちますねー」と、後輩君に言われた。「なんで体が壊れてくれないのか自分でも不思議だ」と返したら。「僕知ってますよ。貴方、既に、心が壊れているから」と返してくれました。
最近の若いモンは、ウィットに富んでいやがります。

クレジットカードをなくしたままで持っていないのが不安ですが、まぁ何とかなるでしょう。紛失がパスポートでなくて、よかった。

着いたら、次の日にワークショップで、プレゼンを3本抱え、かつ、会計から会場手配から参加者案内から、全ての事務が覆いかぶさってきます。全然準備していません。どうなるんだろう。うふふ。人生常に崖っぷち。


さて。帰宅している時間はない。成田直行…。また風呂も入らず、隣の席の人にごめんなさいな感じです。
もうヨロヨロ。こういうときに限って空は青い。

…愚にもつかんことよの。
せっかくいただいていたメイルをお返しする余裕がありませんでした。申し訳ございません。帰国したらゆっくり書かせていただきます…。

それではまたお会いしましょう。桜の季節をご満喫ください…。
posted by 入潮 at 06:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

貧困とは

ブータン出張から戻りました。1週間という、大変短い出張でした。
一足先に、桜にお目にかかれました。

http://members2.tsukaeru.net/irisio/photos/sakura.jpg

ティンプーではちょうど、満開時期でした。
といっても、こちらの桜は、小ぶりで色が濃く、花のつきはまばらです。ソメイヨシノのような豪奢さはありません。特定種が好んで植えられてきた日本よりも、原種に近いのかなー、という気がします。

熱帯雨林から照葉樹林、ヒマラヤ高山植物まで揃う植生。桜も年がら年中、どこかでお目にかかれたりする。同じ日に紅葉と桜が一度に見れたりするので、あまりありがたみがなかったりしますが。
それでも、桜という存在そのものにお目にかかれたのには、心華やぐ。これはもう、理屈じゃなくて、日本人遺伝子に組み込まれた感情なんだろうなぁ、と思います。

人間が生んだものに美しいものはたくさんあるが、森羅の美にかなうものはない。
というのは、真実だと思います。
ただ、まったくの天然自然より、自然にほんの少し人間の営みが混じったものに、より大きな慰めをもらったりします。

桜と、ブータン独特の意匠の家が、切り立った岩山にまばらに散らばっているのは、しみじみといいものだなぁ、と。忘れていた情緒を取り戻したような気がしました。
また、山間のみどりに囲まれた、あわい色の田んぼほど、美しく、安らぐものはない。

ブータンは山に覆われた、というか、山しかない。平らな土地というのがほとんどなので、川沿い、河岸段丘すら利用して、だんだん畑の水田をつくる。谷間をより立体的にまぶしく浮きぼらせて、えもいわれないほどきれいなのです。言葉を失って、何時間でも見入ってしまう。


などと、たまに余裕のあることをのたまう。
この仕事は情緒を失う一方だと思いつつ、仕事の中で思わぬ情緒に出会うから、困ったもんです。

えーと、以下、またダラダラやってますが、幕末明治には関係のない話なんで、興味のない方はスルーしてください…。

今回の現地滞在は3日間のみ。この間に、ワークショップの開催とレポートの説明、事務所の撤収、凄まじく忙しい思いをしました。行程が1週間で、内4日が移動日。非効率的なことはなはだしい。

バンコクでも結局準備で、2時間しか眠れなかった。次の日のブータン行きのフライトの中で昏々と眠っていたら、途中経由地から乗り込んでこられた隣の方が、客先のお偉いさんで、「爆酔してましたねー」と思いっきり笑われてしまった。
これから月末に向けて最終報告書の作成です、まだデータが出揃ってなくて、直前にプログラムをまわして何とか形にしたので、だいぶ見直ししなければならない。阿鼻叫喚はこれからナノよー。

専門外の社会開発なぞやっているから、自分の原稿が進まない、というのもあります。
自分、基本的に泥臭いエンジニアなんで、社会科学系のことはあまりわからず、一から調べなければならない。客先にはとても言えません。

(開発援助を志す方は、開発社会学とか開発経済学などを専攻される方が多いですが、農・工業系のほうが、現場に近くて役に立つことができるのではないかと思ったりします。日本の援助は、方針として技術援助を機軸にしているので、技術系のほうが実は門戸も広いです)

社会開発というのは、貧困削減のために行うもので、一見、耳に優しい仕事にみえます。
けれども、「貧困ってなんてかわいそう」なんて心の底から感じられる清らかでまっとうな精神の人には、あまり向いていない仕事なんじゃないかと思ったりしています。

インフラのプロジェクトだと、事業の対象地域を選定するのも、「貧困削減に効果が高い地域」というのが、どの事業でもクライテリアになったりするのですが。
効果が高いというのは、道路があるとか、電話があるとか、マーケットへのアクセスがあるとか、すでにいろんなインフラが揃っているところなんですよな。あるいは、いろんなセクターで一緒に開発できるか。
電気とか、農業とか、水道とか、ひとつだけ進めてもなかなか効果にはなりにくい。

さらに、対象地域の重要な選定基準としては、「経済効率が良い」、というのがあります。これはおおむね、IRR(内部収益率)という指標で見ます。この指標は、乱暴に言うと、投資に対してどのぐらいの収益性があるかということを示します。当然、人が密集し、経済活動が活発なほど、高くなります。明らかに貧困対策とは逆の方向性を持った、情状酌量もへったくれもない数字です。これが、事業のゴーサインの一番の指標にされている。

また、あまりに都市から離れた遠隔地というのは、政府や援助機関により、プロジェクトのモニタリングができないから、あまり好まれません。
援助側に「効果を目でみたい」、でも「遠いところは行くのが大変だからヤダ」という都合があったりします。だから、道路に近い、雨季も乾季も通行可能な、便利な地域が選ばれやすいです。

けれども、本当に貧困が問題になっているのは、歩いて何日もかかる、雨季には道が泥と化して陸の孤島となってしまい、市場アクセスもなくてモノを作っても売れないような、僻地です。

で、ある程度発展しているところで事業が進み、本当に貧しいところはいつまでたって貧しい、という構図になりがち。

実際、そういう貧しい、厳しいところで事業を行っても、多くの場合は効果が現れない、道路を作ってもメンテナンスできなくて雨季になったら終わり、発電機を入れても燃料が調達できない、学校を作っても教師がいなくなる、などで、失敗する場合が多かったりします。もちろんそればかりとも限りませんが。

客観性を持たせて事業を進めるためには、そういったことに疑問を感じていても仕方がない。結局、何が全体の利益になるのか、状況の底上げにつながるのか、ということを目指すと、効果のあるところから開発して、芋づる式に下層を底上げするしかない。
それを求めると、こういったことに矛盾を感じていても何も進まなない。どこかで割り切って、ドライにならないといけない。

どのぐらい貧困か、というのを図るために、貧困の数値化というのが必要になってきます。主に、平均収入とか、1日の平均出費とかが使われます。世界で1ドル以下で暮らす人々が12億人いる、というのを目にした方は多いでしょう。

ただ、この数値化というのが結構曲者で。「あなたの家は1日に何ドル使いますかー?」なんて調査は一軒一軒はとてもやっていられないので、適当にピックアップしたサンプル調査が行われます。たいてい、調査は予算が乏しいので、統計学的にあまりまともなサンプルは確保されてません。そうすると、調査者によって、結構極端な例が抜き出されていたりする。
それで、平均の数字だけを見て、ここは貧困、ここは裕福、なんてのを決めていくわけです。

何を持って貧困とするかは、難しいものがあります。
もちろん、乳幼児死亡率が高いとか、栄養摂取量が低いとか、納得せざるを得ない数字はあるのですが。世帯収入なぞ、それが指標として通用するのは収入のほとんどが金で表せる先進国だけで、自給自足が一般の地域では、当てにならなかったりします。
(そうすると、食料や衣類、燃料、家屋などの消費量、あるいは生産量を金に置き換えて推計するのですが、これがまたすさまじく金と労力と時間がかかる…)

それで、数字に置き換える調査をやっても、インタビュアーが適当だったり、対象がよく質問を理解しなかったりで、実際、信頼のある数字が得られることは結構少なかったりします。そういうのに頼ることに、疑問を感じるようになる。

それでも、経済性や貧困率などの数字は、全体を客観的に見るには必要です。経済性を求めるというのは、たまに間違いもありますが、大部分ではそれが一番効率的。

たまたま目にした目の前の村人が、食うに困っていた、子供が学校に行けない、という状況にあったからといって、そこでお金をあげても、その国の状態改善にはなんら寄与しない。援助依存を増やすだけです。
人間わがままですから。自分がよければそれでいい。一箇所だけ援助しても、他所からのジェラシーを招くだけだったりします。自分の努力によらない利益を与えるというのは、あまりろくなことにならない。

本当に生活を良くしたいと思ったら、必要なことは、寄付でも奉仕でもない。金やモノだけあげても、使ってしまったら終わりです。必要なのは、彼らが自分の力で、着実に日々の糧を得られるような下地を作ること。つまり、その国のオヤジたちがきっちり仕事できるようにすること。
そのためには、それに必要なインフラを整えること、です。
で、良いインフラとは、住民が経済的利益をちゃんと得られるインフラです。
そして、国なり住民なり、その便益を受け取る側には、ちゃんと金を払ってもらわねばならない。サービスには金を払わせる。当たり前かつ、必要なことです。

住民から金を取るだけでは事業が回らないなら、国が税金など他の収益から補填する。国に補助する気がないなら、そんな事業はそもそもやらないほうがいい。

モノだけあげる、無償の行為というのは、実はあまり役に立たないです。ギフトで、もらって当たり前、と受け取られてしまうと、どうせタダだからと、あまり活用されない。主体性が芽生えない。持続的ではない。相手が資材を活用できるようになるだけのトレーニングをちゃんと行えばいいのですが、大抵は時間も予算も限られていて、そこまで至れり尽くせりをやっている余裕は現場にはない。

なので、援助側も、たとえペイできなくても、ちゃんと金を出させて、有償にしたほうがいい。相手は、金を出した分、その分取り戻そうと、大切にしますし、受け取ったものを最大限に活用しようと勉強します。そのほうが人材が育ちやすい。(実際、何割かは借金、残る何割はタダにする、という事業はあります。このタダにする割合をグラント比という)

そういった全体的な底上げ、という視点からは、状況を冷徹に数値化し、その数字から問題を割り出し、必要な対策を練る視点が必要で。
その意味で、自分の感情より、客観的な数字に頼るほうがいいのです。

かわいそう、という個人の感情は、むしろ、対象を制限し、その場しのぎをのさばらせて、依存を増長させるために、邪魔であったりします。かわいそう、というのは、結局、「いい人」になりたい個人的な欲、自己満足にすぎなかったりする。目の前の人を助けたい。それは単なる欲望です。助けて感謝されたいのは、誰でも同じ。

もちろん飢餓や疫病など絶対貧困は、対処せねばならないのですが。
人助けというものは、簡単なものではないです。本来、本当に一人を助けようと思ったら、それに自分の人生をつぎ込むぐらいの覚悟が必要なものです。
アドボカシー(政策提言)系のNGOに数百円払ってアクセサリーつけたりしても、それはそのNGOの収入源になっているだけです。

ボランティアというのも結局たいしたものではない。自分はいいことをしていると信じているので、気持ちがいい、それだけのものです。タダでやってあげているという意識があるので、結果や成果に対する責任が育ちにくい。そういうのは、現状を根本的に変えはしないので、事態の解決にあまり結びつかない。

緊急災害復興には、ボランティアもある程度有効だろうとは思います。それでも、調整力のない人間ばかりが集まっても、物資は有効に活用されない。災害復興には災害復興のプロが必要です。プロとは、自分の経験と専門性と知見を供給して、見返りに食い扶持の金をきっちりともらう人たちです。

そして、貧困撲滅の開発事業に関しては、無償奉仕は、持続的ではない。大抵は、いなくなったら終わり、です。

結局、我々ができる一番シンプル、かつ、効果的なことは、一生懸命自分の仕事をして、役に立って、金を稼いで、自分の国に税金を納めることです。そうしたら、国があるべきところで、役立ててくれます。…あ、これは前も述べてましたが。

…てな感じで、また、世間様に逆らうようなことばかりのたまっています。
この仕事をやっていると、現実の世知辛さに、すっかりひねくれてしまいまして。

たとえば、貧困とされている未電化村に電気を送るために、水力発電の調査をしていたりする。鉄管路の断崖絶壁を死にそうになりながら上り下りし、首まで川の水に使って流されそうになりながら水量を測り、川に入ってきた水牛の糞まみれになり、汗と汚物まみれの臭い体で疲労困憊で村に戻ると。

村人は、ディーゼル発電機を回して、ぼへぇ〜、とカラオケで大音声で昼間から歌いまくっている。一方で若い男は今日の夜這いの先は遠いからと懐中電灯を買い求め、5人も10人も普通に子供こさえまくっている。数十人の家族のつながりは大きくて、やれ満月だ、初雪だ、雨季が終わったと、年がら年中なんぞ理由つけては祭りで踊り、酒を飲みまくっている。

土日祝日休みなく、会社の奴隷、若さを失い干からび、使い捨てまっしぐら、婆ちゃんの死に目にも会いに行く暇なしで家族との縁も失うばかり、伴侶も彼氏も探せやしない、目指す先は過労死か孤独死しかないと感じる人生なぞより、よっぽど素敵な生活を満喫しているじゃないか、と思ったりする。

確かに手前は、金は連中よりも持っているでしょう。でも、人生の財産、人間としての財産は、連中のほうが大きいと思います。

そういう連中を対象に事業を実施して、国の底上げを図るわけです。
そんな風にやるせなさを感じる自分の心が、一番貧しいんじゃねぇかと思います。はい。

こ、これももちろん極端な例で。ていうか、ただの個人的な愚痴でして。
そういうのを挙げて、貧困対策は必要ない、なんていうことを言う気はさらさらありません。

まぁ、開発が本当に良いことなのか、開発しないほうが幸せなのではないか、という議論は、どこにでもあります。
そういうことをしかめつらしくいう方は、えてして、朝シャワーもエアコンもインターネットも満喫しているハイソな方々でして。
電気・水道・道路のないところで暮らしたことのある方が、「開発は良くない」と本気で仰るのは、少なくとも自分は聞いたことがありません。


本当に効果あることがやりたいなら、目先の「かわいそう」にとらわれず、必要とされているから、やる。国が問題を認識し、国家政策として必要なインフラや開発事業を実施する。そこで、必要な技術や情報を供給し、見返りに食い扶持をもらう。

おためごかしなんぞせず、ドライなギブアンドテイクでいいのではないか。
そう思ったときに、ふと気づいたのですが。

明治期の日本は、世界に他に類を見ないスピードで発展を成し遂げ、もちろんさまざまな問題は内包していましたが、結果的に、開発のベストプラクティスだったと自分は思っています。
それで、お雇い外国人が行っていたのは、まさにそのドライな行動だったのですよな。

もちろん、仕えどころを求めた士族の公共への献身と向学心や、植民地化への脅威というのは、大きかったと思いますが。
お雇い外国人から着実に技術を吸収し、一方で自分ところの公務員の数十倍の報酬を与えて優遇した。必要なものに対してきっちりと見返りを与えた。大尉クラスの人間に大臣以上の給料を報酬として支払っていた。

そうした、国としてのなりふりかまわない底上げへの動力が、一番効果的であるし、そのあたりは今の開発援助にも適用してもいい考えではないかなと思ったりしています。

と、つらつら仕事愚痴をのたまって、最後に、無理やりサイトテーマにこぎつけた感じで。

ここんとこ、あまり大鳥本人について触れてなくてごめんなさい。
最近、疲れた、疲れた、と垂れ流しているばかりで、見るほうが疲れますわな。
いや、ネタは溜まりに溜まっています。流す傍から流れ込んできます。
てことで、次は山崎有信特集、いきますー。

…予告でもしないとなかなか動かない怠け者。
ラベル:ブータン 貧困
posted by 入潮 at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月14日

「榎本武揚子」逸話

しのさんのご紹介くださっていたお素敵資料について、いても立ってもいられず、都立図書館へ飛んでいってきました。

都立へはいつも有栖川宮記念公園を抜けていくのですが、梅や早咲きのヤマザクラなどが咲き誇っていて、うららかーな、いい気分でした。
子供をつれたママさんたちがたくさん。藤の樹に上ろうとしていた子供を「だめよ、みんなが守っている樹なんだから」と叱っていたのが、なんだか微笑ましかったでした。

広尾のあたりは各国大使館が点在しているせいか、外国人が多くて、一方で街中も和を保っていて、独特の雰囲気があります。駐在の書記官とか領事とか、いい生活してやがんなー、などと。平和な光景の中に他人を羨む心の狭い人間が独り。

久しぶりに足を運んだ都立図書館は、結構便利になっていました。
ひとつは、館内に持ち込むものを入れる透明な袋。これが環境負荷の観点から廃止されることが決まった。変わりに、A4までのハンドバッグなら透明でなくても持込可能になったこと。

もう一つは、開架書籍のコピー代が10円になったこと。これが大変ありがたい。都立は開架だけでもそのあたりの図書館の蔵書数をはるかに凌駕しているので、本棚を見てぶらつくだけでも、コピーしたい枚数が馬鹿にならなくなる。で、安いと思って選ばずにコピーし始めると、結局お金がかかるのは一緒。

さて、収穫物はいろいろあったのですが、後日に譲るとして。これだけ。

「榎本武揚子」(日本外交史人物叢書第11巻、ゆまに書房)
オリジナルは明治42年刊で、これを国会図書館でマイクロだけで見ていて、本編のみ複写し、「逸話」の部分は時間と枚数制限の都合で先送りになっていたのですが。しのさんのご紹介くださっていたご本と同じシリーズで、開架でありました…。マイクロの複写は、見にくい上に高いので、こういう再録があるかどうかをちゃんと探してからのほうがいいですな。

で、この「逸話」の部分こそが、美味しかった。久しぶりに萌えすぎて蒸発するかと思った。
いろいろとピックアップしたいネタはあるのですが、とりあえずこれだけ言いたいと悶えたのを、挙げさせてください。

榎本子爵、他界に際しての、大鳥男の追懐談。

圭介じーちゃん、榎本さんの訃報に際して、明治41年10月27日、国府津から上京。麻布宅(富士太郎家)に滞在していました。このとき、記者が大鳥男爵から話を聞いています。

「去二十三日国府津へ行く前に向島に子爵を訪ひたるが、此の時余は既に子爵の存命の長からざるを知りたれば、国府津へ帰りし後も、日々長距離電話を利用して其の様体を問ひ合せ居る中、経過漸次良好にて牛乳を多量に嚥下したりなどといふ吉報もあり」

向島に住んでいる榎本を訪ねたところ、その命が長くないことを知った。それで毎日長距離電話で様態を問い合わせていた。
…この頃の電話というのも、相当高価で特別な連絡手段だったでしょうに。うちのばあちゃんは戦後まで電話を使ったことがなかったぞ。それで牛乳を大量に飲んでいたなんて微笑ましい吉報。牛乳というのも北辰社繋がりだなぁ、とか思うと、ちょっとしんみり。

「夫れは燈火の時将さに滅せんとする時、一時却つて明なるが如きものにて、安心すべきにあらざることを重々覚悟し居りたれば、訃音を聞くも左程に驚かず、当然来るべき運命の来りたることを知りたるのみ。然も斯の人の永久に渾圓球上に存在せざることを思ひては、不覚の涙禁ずる能はずして、衣袂為に濡ひたるも又已むを得ざるなり」

その牛乳呑みも、灯火が尽きる時に明るくなる炎と同じ、ということは覚悟していた。訃報を聞いてもさほどは驚かず、当然の運命がきたと知ったのみ。それでも、榎本が最早永久にこの地球上に存在しない事を思うと、不覚の涙を禁じえず、たもとがそのために濡れるのもまたしかたがないことだ、と。

…あー、じーちゃーん…。もう、榎本大好きというのが痛いほど伝わってきます。
牛乳飲んだというのも榎本さんのいつもの江戸っ子強がりなんだろうなぁ、とか。圭介もそれがわかっていたどころか最期の灯火だっただとか。
そして、死。もう地球上にいないのだ、という喪失感。

それで、中浜万次郎のところで初めて会ったこととか、留学から帰朝したときとかに触れて「子爵は尤も好(よ)き意味のハイカラなりしなり」なんて独特の表し方をしています。酒も女も好きだけれども溺れるほどでなく、才気鋭発、議論に巧妙、と褒め続ける。今の政治家と異なって、「趣味至って広く史書以外の諸種の製法にも深き興味を有じ、一時石鹸製造に熱中したることもあり」あたりは圭介の褒めかただなぁ、と。具体的に世の中に役立っていた点を褒める。

「函館附近より産する砂鐵を溶解し、鐵瓶を鋳造せしこともあり。一は余が現に国府津の本邸に使用しつつあり」

釜が鉄瓶を作った。これも榎本さんのしゃれっ気なのだろうか。
いやさ、榎本さんが、函館の砂鉄から鉄瓶を鋳造した。それを圭介が本邸で使用している。この図式も仲良さをアピールしていて、ほほえましくも哀しいです。榎本さんも、新しい溶解法か何かを試したくてやったことじゃないかと思うのだけれども。

「今や斯の人を失い函館以来死生を共にし来りたる刎頚の友は僅かに当年の勇将荒井郁之助氏一人なるのみ」

などもまたしんみり。荒井さんと二人静かに酌み交わして、榎本さんを送ったりしたのでしょうか。
このときばかりは、いつもは人を笑わせている側のじーちゃんも、荒井さん相手だから「寂しくなったよ」とか弱音を吐いて、慰められてたりしたのでしょうか。

「時と共に人の凋落するは固より必然のことなれど、年長たる余の止りて、年少たる子爵のかへつて余に先ちて逝く、人事の常ならざる概ね此の如し」

圭介、榎本さん相手には、自分が年上だという自覚はあったようで。若いときもちょっとお兄さんぶったりしていたのでしょうか。それにしても、年下の人に先立たれる寂しさ。見送る辛さ。

「余と子爵は維新以来死生を共にし来りたる、殆ど一心同体と言ふも可なるものある関係にて、恐らく子爵の訃音を聴きて尤も感動したる友人中の第一人は、余なるべし」

…一心同体というのも、可、と。
あまり深く考えると、自らの墓穴を深くしてしまいそうです。
とにかく。榎本さんの訃報を聞いて、最も悲しんだ第一の友人は自分だろう、と。家族とかは置いておいてとりあえず友人、としているのは謙虚なんだか何なんだか。

そして、語り終わった圭介。記者曰く。

「白髪白髯美しき颯爽たる男爵の英姿も自ら憂愁の俤(おもかげ)見えて、眼鏡越しに烟りたる双眼も、時ならぬ露を帯ぶるを見たりき」

コロボックルの如きの、美しい白髪白髭のじーちゃんが、記者の前で、釜さんを思い出し、憂愁の面影を浮かべて、眼鏡越しに、涙の露を浮き上がらせて。

想像するだに、森閑なる山中に走っていって思いっきりわめきまわりたい心境に駆られてもいいでしょうか。

箱館の重責を共に担っただけではなく、明治を通して、官から、民から、上流から、下流から、共に国を支え続けた二人の連帯感は、この上ないものがあったと思います。

そんな感じで、これでもか、という榎本好きな、晩年の大鳥の姿を拝むことができました。大鳥は、好きな人間はちゃんと語り残してくれているのが、ありがたいです。

斉彬候といい、小栗さんといい、大鳥は、自分の合理性と合致し、世を読み解き舵取りをすると認めた人間に対しては、無条件の好意を向けていますが。
自分より一回り、意思決定と物事を推進する力に秀でた榎本は、大鳥が認め慕った人間だったんだなぁ、ということを、まざまざと感じられたのでありました。

それにしても一心同体…。ぶつぶつ。
心休まらぬことの多い春先です。

…一人浮かれててすみません。寂しいヤツなんでこのぐらい許してください。
早速、前日の公約破りでした。山崎さんの愛と根性は、か、必ず、後ほどしっかり、ご紹介させていただきます。
posted by 入潮 at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

「国家の品格」

藤原正彦氏「国家の品格」が100万部発行、新潮社で最速記録であるとのこと。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/bestseller/?1142244235

いやぁ、嬉しいです。こういう良書が、しっかりと売れているところが、まだまだ日本も捨てたものではないなぁと思います。
今も多くの本屋に山積みで並べられていると思います。

自分は上司が「こういうの好きでしょ」と、この本を貸してくださいました。30分後にお返ししました。
とても借りて読む本ではないと思ったからです。

この本、何が良いかというと、まず、文が平易、面白いこと。構成力がすごい。するすると頭に入ってくる。

著者の藤原氏は、数学者で、米国・英国での勤務経験のある方。外側からと内側から、同時に日本というものを見つめながら凝縮してこられた思索が、散りばめられています。

なんというか、自分がもやもやと感じていたけれども形にならなかったことが、実に明朗、爽快な言葉で綴られています。

まず、現在の英語教育の動向に疑問を呈し、国語と国語から育つ文章・思考力・人間としての内容の重要性を述べられるにも。
「小学校から英語を教えることは日本を滅ぼす最も確実な方法だ」「公立小学校で英語を教え始めたら日本から国際人がいなくなる」「(人間としての)内容ナシ英語ペラペラは、海外では黙っていて欲しい」

…良くぞ言ってくださったという感じでした。

語学力とは思考力である。まず、母国語に熟達していないと、思考力が育たない。思考力が熟成しないうちに、二つも三つも言語を学校で習っても、肝心の母国語がおろそかになり、人間として中途半端になるだけだ。昔の日本人は尊敬されていた。それは、古典を学び情緒を持ち、人間としての中身が充実していたからだ。今の日本人は、羨望されてこそすれ、尊敬されている人は少ないのではないか。

…というのには頷けました。実際、今の、英語がファッションとなっている状況には疑問があったります。勿論、高校大学で英語の文法をきっちりやって、正確に文書表現できるようになるのは大事だと思いますけれども。書ければ、あとは現場に出れば、しゃべるのはあとからついてきます。

自分の上司にも、英語は得意ではなくとも、現地の人からは尊敬を集めている方はたくさんいました。

ポルポト全盛期のカンボジアで、配電線のための測量を行い、道路でポルポトの戦車を「邪魔だ、後にしろ」と体を張って止めながら単眼鏡から眼を離さず測量を続けていた。普段は大変朗らかな人で、皆から「ミスター・アップルジュース」と呼ばれ慕われている(肝臓が悪くて酒が飲めないため、いつもアップルジュースを飲んでいるから)おやっさんとか。

水車の神様と呼ばれ、日本語以外は全く話さないけれども、水車の修理、メンテナンスの指導をするとき、なぜか通訳ナシで全て言いたいことを相手に伝えている。発電所の調査をするとき何箇所訪れても、全くメモを取らず、必要なスペックや特徴、問題点を現地で頭の中に全て入れている。不思議がると、「自分の子供の特徴を忘れる親はいませんよー」と笑っている、喜寿を超えたじいさまとか。

今も日本にはそんな感じの、職人魂というか、技術者魂というか、気合の入った親父様方が、プロジェクトXを紐解くまでもなく、たくさんいらっしゃいます。そういう方々に共通しているのは、語学力ではない。専門性とか、知識経験とか、仕事に対する誇りと献身とか、それを総合した人間性であるわけで。
そのあり方は、きちっと踏襲したいと思う。

語学力が達者だから尊敬される、というのは、よほどの語学のプロフェッショナルでない限りは、あまりないことなんですよな。いくら一生懸命話してても、通訳の名前なんて普通覚えてくれないです。
語学力という表現する手段より、表現する内容、人間の内容を涵養するのが先。
無論両方必要で、片方ではいけない、ということなんでしょうけれども。

同様に、筆者は、情報化社会についても警鐘を発しておられます。「小学校でパソコン(の使い方)を教えたら、(必要な理数の基礎学力を身につける時間がなくなって)パソコンを作る人がいなくなる」というのは、ちょっと乱暴ですが、的を得ている感じです。

論理には限界がある、思考の出発点として最も重要なのは情緒だ、ということを、論理的に説いておられるのも喝采もの。
論理を聖化する資本主義の怪しさを、カルバン主義・プロテスタントの無茶な起こりを説明する事で一刀両断。「自由は、この言葉もろとも廃棄してよい、廃棄したほうが人類の幸福にとってよい」とか「自由とか平等とかいう概念は神がかりのフィクション」としている。現代社会で絶対視されているイデオロギーを、綺麗に否定してくださっています。その辺りの、世界への喧嘩の売り方が憎めなくて面白い。

そして、我々日本人が最も大切にし、取り戻さなければならないのは、情緒と武士道。情緒と自然への崇拝が日本人の民族としての謙虚さ、運命を引き受ける平静な心を生んだという点。
精神性を尊び、自然へ跪き、美しいものに囲まれることが、天才を生む条件と筆者は述べ、日本にはその三条件が揃っていることを指摘する。明治維新以降の眼の覚めるような日本の近代化は、必然のものであったと言い切る。それらは、市場経済の発展よりもずっと価値のあるものだと。

たかが経済。効率より能率より、情緒と形が大切。経済成長を犠牲にしても品格ある国家を目指すべき。それが進の国際貢献に繋がる、として、筆を置いています。「欧米を初めとした未だ啓かれていない人々に、本質とは何かを教えなければいけません」あたりの言い草は、笑いながら頷きました。グローバリズム否定と「たかが経済」という言い方も、世界がグローバリズムと経済に支配されている、それを覆すことは出来ない、という前提の下に、あえて仰っている気がします。

著者の方は、百万人に頷いてもらおうと思って書いているわけではなくて、いろんな立場・見方からの議論を巻き上げようとしている、ちょっと愉快犯めいた面を感じます。

それでも根本は、「日本人に戻れ」「日本人になれ」「日本人たることを誇れ」という、簡明かつ強力なメッセージにあふれた本でした。

自分、単純な人間なので、結構真面目に、影響を受けてしまっています。
真面目にギャグと見せかけてその冗談が実は本当に言いたいことだ、という辺りの筆の調子が、一番のツボだったりします。

いやその、大鳥も「士道」をテーマに論説を述べていましたが、この本の趣旨に共通する事があったりして、ちょっとびっくりでした考えてみれば当然のことになるのですけれども。このあたりもまた後ほど、纏めたいと思いますー。大鳥の士道の定義のしかたは、面白いです。


    [2] ままこっち URL 2006/03/16(Thu)-00:07 (No.19)
    入潮さん、お仕事お疲れ様です!財布は見つかりましたか?
    「国家の品格」、私は未読ですが会社でこの本について結構話題になっています。先月号の文藝春秋にも、藤原先生のレポートが載っていました。今注目される武士道、なんでしょうか。
    私も、英語はツールだと思っています。英語「で」何を語るのか、何を表現するのか、が重要であり、その為には母国語でしっかり自分の意見なり考えなりを持たねばならない、そう思います。それこそがその人となりを作るのだろう、と。
    文藝春秋は今月号にも衝撃的なレポ「下層社会」が出ていました。昔の日本人のよさ、が資本「至上」主義のもと、どんどん失われているんでしょうか・・・

    [3] 葛生 2006/03/16(Thu)-11:56 (No.20)
    私もこの本、未読なのですが。入潮さんのご紹介で、読んでみたいなと思いました。
    私は英語で食ってますが、2年前、ある人材紹介会社に登録に行った時に言われた言葉が忘れられません。私の経歴を眺めたそのエージェントの方は仰いました。
    「で、英語以外に何ができるんですか。」
    社会で仕事する際に、英語なんてのは「あったらいいな」的ツールでしかないのだと思い知らされた瞬間でした。
    英語のプロになるにも、生まれ持ったセンスは不可欠です。誰でもがなれるわけじゃない。そのへんを、今の教育は無視してますよな…。
    ちなみに私は、高校卒業まで毎年、英語は赤点でしたよ(笑) 追試も赤点を取ってお情けで進学させてもらってたくらいです。それでも、大学4年間と1年半の海外滞在で充分、英語で食ってく素養は身につきました。大事なのは幼い頃から教えこむことではなく、たとえ赤点を取っても英語が嫌いにならない高等教育ではないかと愚行する次第です。
    欧米にだって、英語ダメな人は大勢います。それぞれの国にそれぞれの成り立ちがあって、それに基いた文化があるのだから、まずはそれを大事にするのが先決との思いを新たにいたしました。

    「一心同体」、私もどうしようかと思いました。昨日から頭の中に居ついて離れてくれません…。

    [4] Q太郎 2006/03/17(Fri)-13:58 (No.21)
    前回、BBSではじめましてなのにご挨拶もせず、失礼致しました。
    「国家の品格」割に最近読みました。
    私は感性が欠落しているのか、今一つ「品格」だの「上品」だのがよく解らないので、こういう本読んでみるのもいいかな、なんて考えで読んだのですが…
    以前五木寛之氏の「生きるヒント」を読んだ時にも思ったのですが、普段漠然と考えてる事(そして場合によっては誰かに言って欲しい事)を読みやすく書いてる、と思いました。
    割に最初の方でしたか、土器の違いとか二度の元寇の違いとかを聞かれた人の話を読んで、辰野金吾が外国留学した時に、日本建築の事を聞かれてろくに答えられずに非常に恥ずかしい思いをした、と言っていたエピソードを思い出しました。
    でも、これ(じゃなくても)いきなり聞かれたら、何をどこまで言ったものかと思ってしまいそうです。
    そして、解っていた事ですが「自分、まだまだやな」と改めて思いました。
    とりあえず、「徒然草」と「風姿花伝」を再読しよう!(←そこですか?)

      [5] 入潮 2006/03/20(Mon)-03:03 (No.22)
      すみません、レスが遅くなりました。
      たまにメジャーな話題にすると、反応をいただけて、嬉しいです。

      ● ままこっちさま

      ご心配ありがとうございますー。人生、別れはつきものです。去る者追わず。新しい出会いに生きます。…といいつつ、免許証・保険証・各種クレジットカード再発行手続きに追われております…。<財布

      文藝春秋の記事は、大衆不安扇動が先に来ている感じで、うーん、と思いましたが。
      ささいな豊かさを豊かと感じられなくなっていくことが、貧しいということなのではないかなぁと。豊かと思うも貧しいと思うも自分たち次第であるし、貧しいと嘆くことが貧しさを作り出しているのではないかと思います。
      自分を豊かにする事は、周囲をも豊かにすることである、ということは、昔の人は知っていたのだと思います。武士道とは、豊かであるための心のツールだなぁ、と。

      ということで、今年こそ、花見の季節は満喫したいと思いますー。

      ● 葛生さま

      葛生さんのように最前線でお仕事されている方にお言葉いただけますと、心強いです。
      英語ができる=英語ででも仕事ができる、ということではないかなーと思います。

      仕事ができるのが前提といいますか。自分も派遣さんに来ていただくのに、英語で事務ができる方、ということでお願いすると、「何ができますか。どんな経験がありますか。それは英語ででも大丈夫ですか」という聞き方になってしまいます。文書作成管理とか、会計や監査対応とか、進捗や予算利益管理などをきちんとしていただける、というのが前提で、それは日本語ででも英語ででもOKですか、という感じで。

      直接業務に関わっていただける方になると、どんな分野の専門性があって、どんなソフトやプログラムがどこまで使えて、どんなプロジェクトや論文・報告書の執筆経歴があるか、ということが大事になります。
      ですので、英語自体とか、留学経験を武器にこられる方は、身構えてしまうところであります。映画を英語で見てます、と仰られても、すごいですねー、と思いますが、後のご縁はまず続きません…。

      結局、仕事で重宝される方は、気配りと責任感がある方で。自分の全く個人的な感覚ですが、つきつめていくと、心細やかで人の心を読んでくれるとか、真面目であるとか、この人日本人だなぁ〜という方だったりします。国際性が高い現場ほど、日本人的なものが必要とされている気がします。

      ● Q太郎さま

      国家の品格、というよりは、人間の品とは何か、という本だったように思います。自分も品ってなんだ?というのが定義できないでいたのですが、形にしてもらったなぁという気がしました。

      自分は坊ちゃんすら教科書でしか読んだことのない非文化人間です。何を聞かれても、「私がそれを知らない人間だということを教えてくれてありがとう。次貴方に会うまでに説明できるようになっておきます」で全て逃げています。

      「風姿花伝」は新書などで引用されているのを見る程度で、中身は読んだことありませんでした…「秘してこそ花」。500年前に、日本人の感覚を芸能として明文化した人がいたということは、誇っていいことであり、そういうことこそ説明できるようになっていたいなぁと思います。今までなんとなく流してしまっていましたが、Q太郎さんに言われて自分も原文で読んでみようと思いました。
      五木氏の「生きるヒント」は未見でした。ご紹介ありがとうございます。ぜひ手に取ってみようと思いますー。
posted by 入潮 at 03:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月21日

WBC優勝

日本、王、おめでとうございます。

……。とりあえず、後ろの親父たちが、携帯電話でテレビを見ながら叫んでいたので、便乗してみました。
WBCって何だろう、と初めてネットで調べてみた、隔離人間です。

あ、今日って祝日だったんですね。会社の人口密度が低いのが、何でだろうと思っていました。

またデータ入れ替えだ。年度末報告書は、表紙だけ作って詫び入れになりそうです。

あぁあ、シメが、決算が。まだ再委託先からデータが上がってきてない。このままだと年末に支払いが間に合わない。

真面目に仕事すればするほど、コンプライアンスやら品質管理やら独立禁止法やら個人情報保護やらいうモノが重くのしかかってきます。効率的・的確・法遵守するためのはずのツールなぞ、人を過労死させる死神の鎌にしか見えません。
ISOは、よほどに業界の現実と制度を熟知して、効率改善を真剣に考えて有効化できる人間が、一から末端までしっかり見ないかぎりは、書類と面倒を増やすだけの、地球と人間の精神衛生やさしくない、企業の自慰行為だと思います。ISOのせいでうつ病になっている人は多いと思う。

お上の口先だけの成果主義と見てくれの社会倫理に付き合わされて、民間は、やることなすこと手間ばかり増えて、泣きを見る一方です。うっだらー。

すみません、かわいそうな奴なんで、しばらく放置しておいてやってください。

そんな感じで、昨日はヤサグレ呑みしていました。刺身に大変合う、うんまいしそ焼酎を飲んでいたはずです。なのになんでズボンが紹興酒臭いんだろう。中華を食べた覚えはないのに。家にどうやって戻ったか、記憶ナッシングです。もったいない。
posted by 入潮 at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。