2006年06月05日

動画コンテンツ

すみません。間が開いてしまいました。
しばらく、動画にハマっておりまして。「伊藤みどりのジャンプすげ〜!」という世界におりました。
たまにメジャーなことに関心を持つと、その怒濤のような情報に、仰天です。
フィギュアのように連綿と歴史を積み重ねてきて、いろんな年の様々な大会で伝説が作られてきたものというのは、突っ込み始めると際限がない。奥が深いです。

で、普通だとコアな長年のファンがビデオで取ってきた物でしか見れないようなレア映像も、動画サイトや、それぞれのファンがいろんなアップロードサイトでやり取りをしていてそれを入手すると、簡単に拝めてしまったりする。レアがレアの意味を為さなくなってきた。恐ろしい時代になったものです。
みどりさんの伝説の、カメラを巻き込んだ場外ジャンプ画像まであった…

トリノのときにも少し触れましたが、村主章枝に眼が離せなくなってしまってまして。ファンというにはおこがましいのですが。つい追いかけてしまっておりました。
4回転とか3回転+3回転のジャンプとか、ビールマンスピンとか、超技があるわけではないので、マスコミに大きく取り上げられることはあまりなく、パッと見では見過ごしてしまいそうですが。一つ一つの技の正確さとか、曲と一緒に伝わってくる気迫とか、見れば見るほど奥の深い味のある方です。
また、試合を一連で眺めていると、毎回何かしら新しい技入れてきて、地味にレベルアップさせているのも、通好みな感じです。ブームに乗った人より、コアなファンほど惹きつけられる感じかと。いや、自分は思いっきりにわかというか、入り口にも来てないんですが。

釘付けになったきっかけは、2005年の全日本の優勝。トリノの選考を兼ねた競技会の動画でした。度肝を抜かれたというか。言葉も無し、という感じ。途中で「パーフェクトォォ」と叫んだアナウンサーに、むしろ「黙って見てろ!」と言いたかったぐらいに、その滑り自体に見入ってしまいました。

コメンテータの国分太一さんは、競技中は一切しゃべらず、終わってから「はぁ……スゴ…」とようやく呟いていた。終わったときは会場総立ちで。直接見ていた人には、わけも無く涙が流れた、と仰った人も。
同じ競技会で、浅田真央が史上初の2回トリプルアクセルを決めていて、これも鳥肌モノで凄かったし、それで、特に村主に眼を見張る技が入っていたわけでもないのですが。何が凄いかと聞かれると明確な言葉で説明できないのですが、なんというか、人間の持つ底力を見せ付けられた感じでした。画像の荒いほんの小さな動画でもそこまで伝わるものです。

後から聞いて見ると、股関節の故障で、選手続行も危ぶまれていたぐらいの状態からの復帰戦で、体に負担をかけないようにギリギリまで体重を絞った状態。確かに痛々しいほどに痩せていた。スケートしか見えていないようなものすごい努力な方で、一つのことにかける真摯な姿勢は、後から聞けば聞くほど納得で、こういう人もいるんだなぁと、心打たれる感じでした。

で、最近村主さん、スポンサーの都合か、いろんなバラエティに出演されている。それをリアルタイムでテレビを見れるような時間に家に居られる事はないのですが、それも出演が終わったらその日に動画がアップされていて、全然不自由なしに見れる、という世の中。

一方、とあるファッション雑誌で、村主さんの外見について、「ちまちました」とか「子供のような」などと評した美容評論家と、その記事を掲載した編集部について、その雑誌のBBSでは読者からの抗議の嵐となり、BBSが閉鎖されてしまったという一面もありました。メディアに対してファンが公共の場でモノを言い合え、それについてメディアの側が右往左往する、という図式も、インターネット時代ならではだなぁ、と思いました。メディアが情報流通において権威で居られるのは、いつまでのことなんだろうと思ってしまったことです。

(フィギュアに限らず、肉体も精神も切磋琢磨しているアスリートを、見ているだけの暖衣飽食の輩が云々する姿は、見苦しい以外何者でもないよなぁ。それを言ったらメディアはお飯食い上げだろうし、偶像化するとついやってしまうのだろうけれども。この辺、歴史人物にも同じことが言えると思ったりして。自分も調子に乗るとついやってしまいがちです。自分がその立場に立ったら何ができるのか、どうするのか、という想像力は、常に働かせておきたいです…と自戒。)

村主さんを追いかけながら、なんというか、変わっていくメディアと情報のあり方を楽しんでいる感じでもありました。放映権とか著作権とかものともしない、アングラな流れというのは確かに強いもので、それを制限しても仕切れるものではない。それを巧く取り込んでWin-Winの形で発展する形を、今のメディアは考えなければならないのでしょうなぁ。

とか思っていたら、たまたま、YouTubeがニュース(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060602-00000079-zdn_n-sci)になっていて、吃驚した。

サーバダウンが、日本からのアクセスが多すぎてサーバに負荷が掛かったからでは、という憶測があるとのこと。それが、"ALL YOUR VIDEO ARE BELONG TO US"という、文法的におかしい英語のメッセージを、YouTubeが発したことによる。これが元々日本のビデオゲームの英語版にあった"All your bases are belong to us"という会話文のもじりだったとのこと。日本人の作る奇妙な英語は、あちらの人には時には記録に残るぐらい大受けするらしい。…何処がおかしいのか自分にはとっさには指摘できませんでした。はい。

確かに、ジャパニメーションの動画なども、かなりの確度で見れるようです。日本人だけではなく、世界中がジャパニメーション目当てにYouTubeに殺到している模様。

その日本アニメの字幕で、「"-Shi"とは丁寧でフォーマルな尊称で、"-San"とは日常的な敬称」とか、日本語の解説も所々あった。仕事でも、普通に初対面のイギリスの人がメイルで"-san"とか使ってくるのですが、それには、こういうところでの隠れた文化流通があったからなのか、と思ったりして。

実際、子供と一緒にジャパニメーションを見ているからなのか、本人がOTAKUなのか、アニソン愛好家な外国人はかなり多いです。前にプロジェクトで一緒だったエネルギー政策の著名人が、エヴァとかSeiyaとかを歌っていたからびびった。洗練された現代の芸術への不可欠な教養、なんだそうな。やべぇ、負ける。「国家の品格」で、坊っちゃんと三島由紀夫についての教養がイギリス人から試された話が出ていましたが、今は本家日本人がアニメの教養について試される時代です。ジャンプもマガジンも、発行の次の週には、バンコクや台北の路上で、別言語になって売られています。皆さん、真の国際人になるために、オラが国の漫画アニメの素養は、不可欠ですぞ…!

そんな感じで何が言いたかったのかというと、テレビ、ビデオにおんぶ抱っこしてもらわなくても、ネットがあれば古今東西のエンターテイメントにタダでアクセスできる時代になった。しかも、これまで情報の流れがメディアから大衆へのトップダウンだったのが、ダウン-ダウンというか、受信者側に甘んじていた人間たちが、受信側同士で交流しあって、時に上流のメディアに影響を与えるようになった。

これからメディアがどういう方向へ行くのか。なかなか革命の渦中にあると気がつかないものですが、今、ものすごい過渡期に自分たちはあるのではないか、と感じてしまったわけです。
なんか、こういう時代に生まれることができたのって、凄まじい幸運なことではないのかなぁ、と思いました。個々人の可能性が試されてるんだなぁ、と。

…と、久しぶりにオタクやってみました。清々しい。
時間が開いてのポストがこんなもんですいません。明日からちゃんと真面目に、不真面目な大鳥語りします。

posted by 入潮 at 04:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

石油文化社の「山油編」

石油文化社。
石油・エネルギー問題の報道・解説・分析を行い、エネルギーの相場や統計のデータを取り扱っています。技術面より、石油の依存度をどうするかや、エネルギーの安全保障など、政策面の取りまとめのほうに重きを置いていて、最新の業界分析レポートが、ウェブページで読めます。次の10年のエネルギー世界を読み解くには必須の題材を扱っています。

原油価格が下がる要因が全く見当たらないなぁ。中国インドはおろか、インドネシアまで輸入国に転落、精製プラントのインフラ増強は追いつかない。そろそろ増進回収法も確認可採埋蔵量を維持することはできなくなってきた。原油100$/バレル時代、というのをNews Weekでも取り上げていましたが。明るい材料がない。なのに石油会社は未曾有に収益を出している。便乗値上げが起きているわけなのでしょうが。辛い世の中です。

さて、この会社が季刊紙として、石油専門誌の「石油文化」を、昭和28年から発行しています。
…それで、まさかなー、と思ったら。いました。
昭和30年5月号。「明治七年大鳥圭介報文 『山油編』」

ピークオイル論を調べていたのに、こういうのにぶち当たるから、油断なりません。真面目に仕事していたのに、頭がプライベートモードに入りました。

内容は、題名の示すとおり、大鳥開拓使四部作のうちの「山油編」を再掲載したものなのですが。読んでいていつも躓く変体仮名を、現代仮名に直して活字にしてくださっているので、かなり読みやすくなっています。

で、これの前書きとして掲載されている「編集者のことば」が面白い。
昭和30年という戦後10年、復興が軌道に乗り始めた頃の方の文章。我々より3世代上の方と思うと、また違った雰囲気があります。

「大鳥圭介、明治生まれの人々には忘れられない名である」からいきなり始まっています。勿論、「朝鮮の公使となって日清戦争の口火を切った人」としてです。
明治末の人には大鳥ヨッポド偉い、ということで、名声一時に揚った。昭和初〜中期でも、大鳥は戊辰戦争よりも日清戦争の人、というのが、世の中の印象のようで。どちらにしても、人材育成とか民業養成とか、本人が心から精を出した分野ではなく、しぶしぶ開き直って入り込んだ戦争で有名になっているあたりが大鳥、という感じがします。ご愁傷さまです。

「しかもこの人が、明治初年の、まだ海のものとも山のものとも判らなかった日本の石油業模索時代に、アメリカの石油業を視察したり、新潟、長野、山形の三県に亘って物産調査を行なうに当たり、特に石油生産地の実況を詳細に報告したりして、石油業には因縁の浅からざる人であったことには気のつかない石油人もかなりあると思う」

昭和30年でもやっぱり知られていなかった。いや、明治工業史にすらもほとんど出てこなかったから、やっぱり昔から知られてなかった、というのはあると思う。
知られてない、ってことはたいしたことない、という見方もあるのですが。知る人ぞ知る、で、知る人のほうの人の評価は高いので、悩ましいところであります。
いやさ、知名度と現実社会への貢献度は、比例するものではないのだ、ということは、アタクシがこのサイトで述べたいテーマの一つ。…ツライ。

で、山油編が書かれた背景について説明されたあと、いかなる経路で石油文化社の雑誌に掲載されるかに触れているいのですが。

「かつて日本石油史を編纂した日石(日本石油)の勝田加一氏が、同書出版直後、偶然にも九段下の古本屋でこれを入手、手の舞い足の踏むことを知らなかつた程の感激を覚えたと、大正六年四月刊行の『石油時報』にその感懐を叙述していられる」

…圭介山油編が、当時の石油界の権威を、踊りあがらせるほどに喜ばせた、と。勝田氏が、出版前に見つけてくれていたら、ちゃんと「日本石油史」に山油編について掲載されていた可能性が高かったわけですかなー。

と思ったら。山油編の表紙に「井上馨蔵書の朱印が捺されてあった」とのこと。…勝田氏、単に井上さんの蔵書だったから嬉しかったのか。

…えーと。井上さんが、圭介の書いた本を持っていたそうですよ。
それで、帝国石油の当時の会長、鮎川氏が、「たしか井上候の甥の一人だつたと思う」と編者が記憶しておられました。意外な繋がりを実感できて「茶人が名器を探し出した程の感激を覚えたのは当然でだつただろう」ということなのでしょうか。単に有名人レアモノゲット、という嬉しさだけではなく、「山油編」を「名器」と喩えたユニアンスを含んでいることを祈ります。

で、勝田さんは日石を退職された後、その蔵書の「山油編」は日石の図書室に保存される。日本石油が帝国石油と分離したとき、帝国石油に写され、戦争のドサクサで終に跡形もなく影を没してしまった、とのこと。東京大空襲などで失われた貴重文書の価値は、天上知らずなのでしょう。「惜しみてもなお余りある話である」…惜しまれたのが井上さんのハンコだけではなかったことを祈りたい。

そして、幸いなことに、石油地質学の権威で、帝国石油副総裁の大村一蔵氏が、この書を謄写版印刷にして、石油関係者に配っていたとのこと。これが僅か1つ2つ、戦災を免れて保存されていた。これにより、石油文化社の創刊三年記念号に載せることができた、とのことでした。「石油関係者には得がたき珍品である」とのこと。…よかった、井上さんのハンコだけに価値が置かれていたのではなかった。

大村氏といえば、「お雇い外国人ライマンとむかし日本の石油開発」でも触れられていました。彼は、自分の持っていた「山油編」に「本編は、本邦最初の石油関係著書なると同時に、世界石油鉱業初期時代の状況を記述せるものにして、すこぶる興味深く、かつ最も記念すべきものなり」と書き込みを記していたそうです。
この論文を書かれた(財)石油開発情報センターの岩佐三郎氏も、大鳥を、「日本の頭脳」と呼ばれた大鳥」「当代一の『石油通』の有能な官吏」「冷徹な官僚」と評されていました。…石油関係者には本当に受けがいい大鳥。私も石油関係者の端っこの端くれです。大鳥ブラボー。もとい。

工部省に入ってから調査した石油・産業報告書である「信越羽巡歴報告」のほうも、そのうち「石油文化」に掲載したいとのことでしたが。果たしてこれは叶ったのか。今のところ、分かりませんでした。

で、大鳥自身の経歴も概略として載せてくださっているのですが。
「少年期既に蘭学を修め」とか。「明治七年当時工部省の役人だった大鳥がアメリカに渡り」とか「二月大蔵少輔黒田清隆に従つて欧米を巡遊した」とか、おや?な記述はご愛嬌。

黒田に随行して洋行か…。
土産を買うのに、買い物の会話ができず、両手一杯にコインを持ち出して、「いるだけ取れ」という黒田。
横から殴って「適当な事をするな、ボラれるだろうが」と説教を始める大鳥。
「細かい事に拘らん日本の鷹揚さを見せ付けるんじゃ」
「計算もできんのかと侮られるだけだ。だからお前がそれだから、開拓使のどんぶり勘定はいつになっても改まらん」
延々お付の人たちを待たせて、出航の時間に遅れる二人。
…なんて感じでしょうか。
大蔵少輔黒田清隆。黒田に大蔵省というのは、ワースト適正だと思います。決断力はあるけれども、緻密さがないので。
リーダーが吉田さんでよかった。

…真面目に大鳥の石油業界における位置づけを述べようと思ったのに、最後が妄想で御免なさい。

そんな感じで。出張やら研修やら何やらで、ポストに間が開いてしまっておりましたが、またボチボチ行きます。
posted by 入潮 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月24日

デジタルアーカイブ統合検索

デジタルアーカイブ統合検索。すげぇです。
何がって、デジタルライブラリ、公文書館、国会図書館蔵書のデータベースから一括検索できる。

http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/dasearch/

類義語、読みまで出てきます。
人名だと諱も号も。大鳥だと、「純彰」「如楓」が当たり前といわんばかりに。流石に「杣槎」はなかったですが。

アクセスランキングやキーワードランキングまであって、何が人気なのか分かる。…いや、別に何が助かるというわけでもないすが。
さすがに、夏目漱石や森鴎外らメジャーどころが上位に来ていますな。
是非大鳥圭介をランキング上位に導いてあげてください。その名前を見て「だれこれ?」と、調べてくださる方が生じるかもしれないですから…!

それにしても、これのもたらす情報量ってすごいよなぁ…
つまりは著作権所有物と公文書が一括検索されてしまい、しかも明治以前の著作権をクリアした文書に関してはオンラインで閲覧されてしまうのだから。

…って騒いでみて、知らなかったの自分だけでしたら失礼しました。


研究者の価値って、人脈とか経験とかはおいておいて。情報の所在や活用法、資料アクセスへのノウハウにこそあると思うのですが。
素人が、インターネットさえあれば、時間かけず、金掛けず、あっさり貴重資料にアクセスできてしまう。専門家が専門家としての用を為さなくなっていく。

つい最近、仕事でも新しい分野に手をださねばならなくなってしまい、文献をかなり集めたのですが。国会図書館に2日も篭れば、大体、業界情報や技術の限界、今の課題も分かってくる。今までは、大学の図書館などで、関係しそうな雑誌の目次をいちいち網羅して、何週間も掛けて探していた文献も、今は、国会図書館の雑誌記事検索と、Science Directなどの論文サイトが利用できれば、だいたい最新の研究情報が整理できてしまう。
専門外でも、高校や大学教養程度の基礎知識があれば、だいたい手を出して、1ヶ月もあればそれについてモノを言えるようになってしまう。
専門知識・情報・技術のチープ化、スピード化、ボーダレス化、一般化の時代。こういうところに、時代の変遷を感じてしまいます。つーか、自分ら、技術者として食っていけるんだろうか、と不安です。

あのGoogleが、大学図書館・議会図書館の文書を全てオンライン全文検索化を目指していると聞き、そりゃもう知識に対する革命だと、動向を刮目して睨んでいたのですが。その目論みは、さすがに著作権問題で訴訟されて頓挫しまいました。それでも技術的にそういったことが可能、ということが凄い。10年後の出版界ってどうなっているんだろう。紙文化が消える事は無いとは思いますが。情報アクセス性は次元が違っているんだろうなぁ。

YouTubeのところでも触れたばかりですが。こういうのを眺めていられるだけ、凄い時代に生まれたなぁ、としみじみ思ってしまいます。


    [2] ままこっち URL 2006/06/28(Wed)-00:40 (No.81)
    耳が痛いです・・・仕事でメーカーを担当してもう10年が経過し、たまに「自分は実はエンジニアじゃないのか」と錯覚することもあるくらい、半導体から通信、自動車、素材まで技術について語れるようになってしまいますた。
    勿論本や専門誌などの紙ベースでも相当勉強しましたが、それでも近年のwebの発達なしではここまでの情報収集はできないと思います。
    でも!!結局勉強しただけの知識、はホンモノではないと思います。やはり「実務に勝る学校なし」、入潮さん自信を持ってお仕事に取組んでくださいねっ!

      [3] 入潮 2006/06/28(Wed)-12:49 (No.82)
      コメントありがとうございます。ままこっちさんも領域が広いので、大変なご様子が伺えてしまいます。今のお姿も、それまでの自分の枠に捉われない努力を日々されてきた結果なのだと思います。
      文理というか、専門の壁がなくなってきているというのは常に感じます。これは自分の専門じゃない、という言い訳が通用しなくなっている。業務にあわせて、分野の垣根を越えて自分を変えていかなければならない、というのは、どの業界も同じなんでしょうなぁ…。当方も、客先がどんどん知識をつけてくれるので、生半可な準備では商売になりませんし。同じ業務量でも、半分の時間、半額の予算でやれ、といわれる。5年前から比べると既に要求量は段違いになってきている気がします。
      情報も、あるだけではゴミで、いかにそれを組み合わせて価値にするか、安く早くお手軽に役に立てる形にするか、というオーガナイズ力が個々に試される。その中で、趣味じゃなくてこの分野を食い扶持にしているんだ、という誇りと人脈とノウハウで、自分にしかこれはできない、という領域をいかに作るか、だと思います。
      情報化社会は人間への要求を強める一方で。それが良いことなのかどうか。もはや逃げ根性の自分としては、能力も飽和してますし、だんだん疲れてきて、さっさと出家したほうが幸せなんじゃないかという気が強まる一方です…
posted by 入潮 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

幕府組織 陸軍所と洋学所など

うーん。
陸軍所関連と洋学所関連の、幕府組織がよくわからない。
安政〜慶応年間って、組織の変遷が激しくて、同じ組織でも年によって名前が違ってたりするので、ややこしくてかなわんのですが。

安政2年(1855)1月18日 天文方から「洋学所」が分離。
安政3年(1856)2月11日「洋学所」を「蕃書調所」と改称。
文久2年(1862)5月18日「蕃所調所」を「洋書調所」と改称、一ツ橋門外に移転。
文久3年(1863)8月29日「洋書調所」を「開成所」と改称。

一方。
安政3年(1856)4月13日 「講武所」開設。
慶応2年(1866)11月 「講武所」→「陸軍所」に吸収合併。
(講武所を改称したのが陸軍所、とする文献もある。しかし大鳥の「築城典刊」は元治元年陸軍所刊、「野戦要務」は慶応元年五月陸軍所刊とあるので、慶応2年より前にも陸軍所という組織はあった模様)

上を「洋学所系」、下を「講武所系」として、別組織と思っていいのだろうか。開成所は陸軍所にかなり従属していたようなのですが。

つーか、講武所系と洋学所系が別組織とすると、大鳥は、たとえば元治元年。
開成所で教授手伝いやりながら、陸軍所で兵学・洋学を教えて翻訳作業しながら、江川塾で講師やりながら、阿波藩に出仕しながら、横浜で英語・数学を学びながら、二院制の建言を幕府に提出しながら、富士太郎をこさえていたことになるのだが…。

最後のはともかくとして。
君の体は、いったい幾つあるんだ、という感じです。

とりあえず整理したいので、「陸軍歴史」が手許に欲しい。でもなかなか図書館に行くヒマもないし…
とか思っていたら、ネット古本屋で4本セット2000円代であった。こんなに手に入りやすかったのか。今まで気付かんかった。さすが勝のおやっさん…。(供給量と価格は反比例なので)
posted by 入潮 at 04:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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