2006年11月05日

引き続きモンゴル

えっと、地方入りしていたり、ウィルスに難儀していたり、単に呑み潰れていたりで、なかなかアクセスできませんでした。スパムのような書き込みのまま放置していてごめんなさい。メイルなどお返事も遅れております。申し訳ないです。

本日、ウランバートルは雪でした。
山や草原の雪は、景色を白に染めて綺麗なのですが。ウランバートルの雪は、石炭の烟を溶かし込んでいて、大変健康に悪い代物です。目に入るとぴりっとする。酸性化が進んでいるのかもしれない。

寒さにも慣れるものでして。2、3℃もあれば、今日は小春日和であったかいなぁー、と思うようになりました。明日は-15℃ぐらいまで冷えそう。まだまだ序の口です。

寒さもそうですが、乾燥が堪える。指先や踵がひび割れて痛いです。砂や塵も乾いて舞い上がる。それが皮膚の細かい皺に入り込んで水分を奪う。空気と水分を奪い合っている感じです。
道路に雪が降って解けると、すぐに蒸発するか、凍りつくかのどちらか。
水が液体として存在できる環境は、なんて生きやすいものなのだろうかと思った。

部屋の中はようやく暖房が入って暖かいです。シャツ一枚でも平気なぐらい。室内に出入りするたびに脱ぎ着が激しく、面倒です。もっと暖房を節約しても良いのにと思うのですが。蒸気・温水で室内を暖めるインフラシステムになってしまっているので、少し温めるというのが、かえって難しいらしい。蒸気ボイラーのある発電所に近いオフィスの方は「暑い」と言って窓を開け放ってました。日本食の料亭ではクーラーを入れていました。おいおい、という感じです。いくら大規模露天掘り石炭のおかげでここのエネルギー単価は安いといっても。
石炭が安すぎて、他のエネルギー源(ガスやバイオマスなど)が太刀打ちできないから、一向にエネルギー転換が進まない、というのがあります。

ウィルスはもう色々と。宿や職場のサーバにつなぐ毎に何かしら拾ってくる。ホームを書き換えたり、ポップアップで広告を出してくるぐらいは可愛いものですが。酷いものでは、10分タッチしないと、一切入力を受付けなくなるというもの。電源オフすらできない。バッテリーを外して強制的に電力を遮断して再度立ち上げ直す必要があったり。そんな感じで、何とか騙し騙し使っています。

災害でも疫病でもそうですが、基礎インフラの弱いところにまずダメージが来ます。困るのは対処法を知らない、知っていてもコスト的に対処できない、弱い層です。うちの現地スタッフもウィルスでPC1台駄目にして復旧できず、お金がなくて次のPCを買えずにいます。ハードにせよソフトにせよ、先進国基準で値段が付いているので、物価と給料の安い途上国では購入が難しい。ここの公務員の給料は月100ドル(1万2千円弱)。機器を購入しようとすると、十倍以上のコスト感覚になります。

で、地方に出ておりました。
草はすっかり枯れて薄茶色の大地がただ延々と広がる。刈り取りの終わった麦畑と、休耕地の草原が、果てしない縞々を作っていたり。
遠くに雪を被った山々をみながらひたすら走り、両岸が凍りついた河を氷を割りながら渡し舟で渡り、道なき道を消えかけた轍を頼りに行く、楽しい道中でした。

ここの運転手は、草原を馬で走り回る感覚で運転する。ダートの道路があるのにわざわざ草原の中に出て喜び勇んで走ったりする。草が傷むからやめろー、と言うのですが、聞きやしない。三台の隊列を組んで行くはずが、皆ばらばらに思い思いに走り出す。目的地に着きさえすればいい、という感じ。
くー、自分もバイクで走りたい。

遊牧民のゲルで馬乳酒を飲んだり、アルル(乳を乾燥して固めたもの)を食べたり。肉ばかりの食事で悪くなった便通が、一気によくなった。

それで命の洗濯をして、ウランバートルに戻ってくると、霧に包まれたように町が煙っている。石炭のスモッグで硫黄臭い。ぜんそく持ちの方ならその場で蹲るような。
そして、水道水は、老朽化した鉄管からの銹で赤茶色。酸化鉄が沈む。皆この水で茶を飲み、麦を捏ね、米を炊いている。

水も空気もろくでもない。

ウランバートルの人の寿命は、これから短かくなっていくのではないかと思った。
ぜんそくや呼吸器疾患の患者数は顕著に増えているらしい。

そんな町に嫌気が差し、政府高官や企業家ら資金のある人たちは、ウランバートルから10数キロ離れた郊外に家を持ち、そこから車で通勤する、という生活。
一般人は、ソ連時代に作られて割り当てられた10〜15階建て集合住宅か、指定された地区のゲルに住んでいる。ゲル地区は、地方の遊牧民が仕事を求めて集まり、地面を木の柵で覆って住み着いている。電気はあるけれども水道はなく、井戸。暖房は薪か石炭。このゲル地区の石炭が、ウランバートルの大気汚染の大きな原因。火力発電所は脱硫装置など対策はされているけれども、石炭ストーブはただ燃やすだけなので、石炭からの窒素酸化物や硫黄酸化物がダイレクトに空気に放出される。

広大な土地に、モンゴルの人口は240万人。一方、ウランバートルの人口は公式には93万人(2004年)、登録していない移住者を合わせると、120万人と言われている。実に人口の半分がウランバートルに集中していることになる。第二の都市のダルハンは10万人以下。

これは、地方に仕事がないため。人が生きていくのは大変で。仕事を得て生活するためには、人の集まる町へ行かざるを得ない。失業は一番の社会問題。
それまでは皆遊牧生活で生きてきたわけですが。人口増加や気候変動で、草原が遊牧民を支えるためのキャパシティを失っているのか。

都市を離れた自然がいい、というのは、誰もが思う当たり前のこと。
自然を愛でられる環境にいられることは、もはや、たまたま豊かなところに生まれられた人間の贅沢であり、娯楽なのだと思います。

この国の人たちはよく気候の話をします。温暖化と、雨。
ウランバートルの降水量、年によって差はありますが、年間250mm〜300mm。一方、植物の生育限界もまた、年間250mm〜300mm。草原の草は、生存ぎりぎりのライン上で生きています。そして、家畜も遊牧民も、このぎりぎりのところに依存しています。

なので、少しの変動にも敏感ですし、ダメージが大きいです。おととしも旱魃で、灌漑をしなかった農作物は収量が下がりました。数百ヘクタールが全滅したところもあります。

温暖化は、単に暖かくなるのではなく、不安定な気候をもたらします。たとえば、それまで満遍なく降っていた雨が、一度に集中したり、逆にまったく降らなくなる時期があったり。自然は基本的に水を長期間溜めるようにはできていません。水に依存する生物は、それだけこの地では、気候変動の影響をもろに受けます。

ちょうど温暖化で史上最高の二酸化炭素濃度になったというニュースも。タイと2ppm程度の測定差にどれだけの信頼性があるのかはわかりませんし。そもそも地球規模の大きな流れで言えば、今は氷河期に向かう間の間氷期だという話もある。

それでも、本来ならすでに連日最高気温がマイナスになっているはずなのに、4,5℃の陽気が続いていたり、かと思うといきなり-30℃の寒波が来たりと、どうも何か違うと肌で感じている方は多いです。

…と、なんだかんだとこの国の行き先を何かと思ってしまうのですが。
連日、酒と肉が好きな連中に襲撃を受け、連れ去られてはアルヒ(ウォッカ)の洗礼。呑んでばかりで、すぐに頭が麻痺しています。
酒の量も時間も半端ではない。二日酔いになるのがいやだからずっと呑み続け、3日間飲み明かし、ということも平気でやる恐ろしい連中です。

限界まで呑んでいると、自分の体質が分かります。ウォッカなど強い酒は、すぐにべろべろになってしまうのですが、翌日まで持ち越すことはほとんどないみたい。呑んでいるときは周囲に迷惑をかけ、翌日はケロっとしているという、一番タチの悪い奴なようです。アルコール脱水素酵素はあまりないけれど、アルデヒド脱水素酵素は豊富に持っているらしい。

そういうわけで思ったように更新も書き込みも進まないですが、材料は持ってきているので、ぼちぼち行きます。

しばらく大鳥ネタがなくてごめんなさい。
でも、大鳥話より生活話のほうが良いと言って下さるのも、ありがたいですが、それはそれで寂しい。
う、嘘です。訪れてくださるだけで嬉しいです。頭が上がりません。
posted by 入潮 at 04:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月14日

モンゴル:射撃

射撃をしてきました。
仕事場の人に、銃を撃ちに行くぞと誘われた。狩猟を趣味にしている人はたまにいる。
民間のサバイバル施設でモデルガンでも撃つのかな?と思ったら。

車が止ったのは吹きさらしの演習場。並べられているのは、何時ロシアから流れてきたのだ、というような、ポンコツの戦車や高射砲。ペンキで塗るなどの見栄えすら整えていない。

そして野外机の上には、どう見ても陸軍使用中のトカレフやらカラシニコフやらその他ライフル。
…どうも、金のない陸軍が、小遣い収入を得るために、観光客や一般人相手におためし射撃をさせてやっている、という感じだった。

いちおう、民間会社が委託されてプログラムを組む、という形になっているようで。
トレーニングはきちんと受けるとか、事故がおきても損害賠償を請求しないとかいう誓約書を書かせられる。
ライフルやピストルなどいろんな種類が掲げ上げられているのだけれど、実際に射撃可能だったのは4,5種類。
それで、撃つ弾数に応じて金額を支払う。ピストルで16発1500円、ライフルで14発2000円ぐらい。うろ覚え。
中にはロケットランチャーもあった。一発9000円。

とりあえず、ピストル一種類と、ボルトアクション式のライフルを選んだ。
で、トレーニングどころかインストラクションもなくて、いきなり銃を渡される。

演習場は、強風の吹きすさぶ氷点下。草が凍り付いている。すぐに感覚のなくなる手足。手袋をしていると引き金が引けない。素手で張り付くように冷たい金属を握る。
鉄って、ひたすらに熱を奪い続ける物体なのだということが良く分かった。

それで、麻痺する体で射撃の反動をこらえる。
銃音そのものより、射撃直後に反響ががキーンと高く頭蓋骨の中に響いてくる。それがどうも耐えられない。
自分の筋力によらない衝撃の反動が、直接体に響いてくる。
なんかもう、涙と鼻水で顔がべしゃべしゃになる。

これしきのことで人が殺せるというのが、どうにもいやな感じだった。
剣道とかだと、自分で動かした手足によってどう相手に攻撃が当たったかというのが分かるのだけれども、射撃にはそれが無い。やりこめば別なのかもしれないけれど。どうも、引き金を引くだけの自分の作用に対して、放出されるエネルギーがあまりに大きすぎる。効率が良すぎる。

自分、何を好き好んでやっているんだろう、と思った。
まったく自分の力に寄らないのに、平気で人を殺せる道具を持つというのが、嫌だった。

平和ボケした人間の偽善的な感覚に過ぎないのだけれども。
嫌だと思えることこそが、恵まれた環境でのほほんと育ってこられた証なのだろう。

ただ、この嫌さを1回経験しておくのは必要なことではないかと思った。そして1回でもう十分。

まぁ、車やバイクも、十分に人間をひき殺すパワーはある、という点では同じだし、作用に対するエネルギーの大きさ、という点でもなんら異なることはないのですけれども。
それを目的化することが、こんなに違うものなのかと思った。

せっかくなので写真を撮りたかったのですが。
デジカメの電池が、低温で起電力が下がり、全く働かなかった。残念。
懐に入れて温めておかないと、カメラも凍って使い物にならない。雪中行軍の握り飯のようだ。

とりあえず、シャスポー銃などに採用されているボルトアクション式の操作の仕方は、良く分かりました
機械的な機構としては結構単純なのだなぁと。装填もばねで制御しているだけだし。
いや、分からないままでもよかったです。
あんなもんと無縁の人生を送れるならそれに越したことはない。

それにしても、冬季の行軍が大変極まりないということはよくわかりました。冷たい鉄の塊を持ってそこに一日中居続ける、というのが、いかに人間の体力と精神力を摩滅させるか。
薩長軍が冬に入る前にと会津を攻め、冬季の箱館を放置していたのも良く分かる。ナポレオン軍が冬のロシアに敗れたのも当たり前だ。ロシアがあの巨大な領土を維持できたのもむべなるかな。

あんな中で銃を担いで昼夜動き回らされるのは、絶対にいやだと思った。いくら士気が高くても数日で瓦解すると思う。私なら後ろから撃たれようが何だろうが、1日で逃げ出す。

ズボンも凍る中の会津山中や、膝まで雪で埋まっていた峠下、極寒峠越えの二股(松前攻めの前)。伝習隊・衝鋒隊・一連隊の彼ら。よくもまぁ、投げ出さずに最後まで戦ったものだと思います。

寒さの逆に、熱帯の暑さと湿気と雨の中、デング熱・マラリア蚊、風土病と闘いながらの行軍というのも相当辛いのでしょうけれども。

戦争は一般民衆だけではなく、現場の人間にとっても、ろくでもないものだ、ということは、良く分かりました。
陸軍の小遣い稼ぎでも、それが分かっただけ、ありがたいものでした。

で、一緒に行った仕事場のモンゴル人は、一日中寒風に吹かれたのが災いし、風邪を引いて翌日寝込んでしまいました。
やってほしい仕事詰まってたのにー。


    [2] MOJO URL 2006/11/19(Sun)-22:36 (No.205)
    こんばんは。

    氷点下の射撃体験とは、
    また貴重な体験をされましたね。
    私なんぞは
    文章を読むだけでも身が縮こまる思いです。

    鉄…
    鉄砲は撃ったことはありませんが、
    刀の手入れはした事があります。
    考えてみれば鉄の塊ですから当然ですが、あれも相当重いです。
    長い時間持っていると手がしびれてきます。
    少し話がずれますが、
    人殺しの道具というのは別として、日本刀は綺麗です。
    きちんと作られた刀は鉄の色が澄んで、反りの具合や形状、焼入れされた刃紋など、見ていてあきません。
    以前、少しだけ鍛治屋さんの作業の真似をさせてもらったことがあります。
    鉄の塊から形を作り出すことの面白さ、難しさ、
    また火の取り扱いなどを垣間見ることができ、大変興味深い経験でした。

    鉄は叩けば熱くなる。
    鍛治屋さんは鉄を叩いて赤らめて、それで火をおこします。
    冷たい鉄というのは私の想像の外にあります。
    でもその冷たさはきっと鉄の持つもう一面、入潮様が感じた嫌なものに通じているのかもしれません。
    知らない私は幸せといえます。

    モンゴル人スタッフは回復されましたか?
    ご当地の環境に慣れていても、射撃場はまた違った風が吹いていたのですね。
    モンゴルにも玉子酒とかあるのでしょうか?
    あるとしたらベースの酒が相当きついかもしれませんが…(笑)

      [3] 入潮 2006/11/21(Tue)-23:08 (No.207)
      MOJOさん、書き込みありがとうございます。

      まさか自分もああいうところに連れて行かれるとは思っていませんでした。
      鍛冶の経験がおありとは、MOJOさんも、なかなか人ができない貴重な経験をされていますね。鉄を真っ赤にして打つというのは、一度はやってみたいです。

      鉄を熱いと思うのは、何かを生産しているからではないかと思います。
      鉄を冷たいと感じるのは、破壊の象徴と捉えるからではないかと。

      日本刀は、それ自体、殺戮の道具としてだけではなく、力や名の象徴、誇りや魂の象徴、という色々な意味を付加されている。それを表そうと鉄の極限の姿が創りだされ、それが美しいと感じられるのではないかという気がします。

      刀だけではなく、日本の鉄技術は昔から群を抜いていたようで。江戸初期から鋳掛け屋という行商人が、ふいごで鉄を流動化する技術を持ち、鍋釜を鋳掛けて補修することを生業にしていたそうで。鉄を加工する技術力というのは、そのまま国力に繋がるので、そうした技術の萌芽がすでに400年前にあったというのが驚きでした。

      精錬や焼入れなど、鉄を鍛えるのに込めるエネルギーは相当大きなもので。千度以上の温度をもたらす燃料を長時間投与するわけですから。何気なく手にしている製品も、そこにつぎ込まれた熱さを思うと深いなぁと思います。

      そして鉄は、インプットを上回るだけのアウトプットをもたらすからこそ、鍛えられるわけで。

      そのアウトプットが、鋤や鍬やエンジンや鉄筋のように生産をもたらすものだといいのですが、銃器のように破壊の方向に向かうときに、果てし無く冷たく感じてしまうのではないかなぁと思いました。

      そして、鉄の熱さも冷たさも感じることなく、ただあって当たり前だとしか感じられない状態が、一番恐るべきことなのではないかと思ったりもします。

      モンゴル人は、何とか復活していました。ご心配ありがとうございます。
      玉子酒は無いようなのですが、二日酔いすらウォッカで治すという人たち。(二日酔いの気持ち悪さも、更に飲むとハイになって忘れられる…) 風邪を引いている間も普通に飲んでいたのではないかと心配です。

ラベル:モンゴル 銃砲
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2006年11月21日

モンゴル:盗難

再び地方に入っていました。
先月と同じ場所だったのですけれども、前回は荒涼とした枯れた草原の侘しい景色だったのが、一転して真っ白な雪景色になっていました。草原の秋は短いというのを実感。

昼でも氷点下10℃ぐらいで、雪はサラサラと乾いて土や草木に凍り付いている。木は樹氷になっていて複雑な結晶をちりばめている。一面、太陽の光をキラキラと反射していて、どんな宝石より豪華な感じでした。宝石のようなつまらんものと比べるな、という感じ。

それでゲルからはストーブの烟がもくもくと上がって天にたなびいていく。その前をゆっくり馬、羊、ヤギ、駱駝の群れが過ぎていく。

そこで生きるのは大変だけれども、こういう美しいものが広がっているのなら、凍死と隣り合わせな日常も悪くないなぁ、と思ってしまった。…3日もあれば嫌になると思います。

草原の人々は、景色だけでは飽き足らず、それを絵にするのがとても好きです。その絵は、夏の生命力に満ち溢れる草の青か、冬の全てを浄化するような白かのどちらか。

今のプロジェクトサイトは、夏は40℃、冬は-50℃まで下がる、1年の寒暖差90℃。そんなところで人間生きていけるのか?と思っていたのですが、実際に人間はたくましく世知辛くビジネスライクに生きている。
ぎりぎりの自然と草と一緒にでも、人間生きていけるのだなぁと、しみじみします。


さて、少し前にJICAのシニアボランティアの方が自宅で殺害されたとニュースになっていました。
JICAは大騒ぎだったようです。いろんな契約交渉もストップして、担当の方は大変そうでした。
自分達民間人はのほほーんとしていますが、安全を謳いながら人集めをしていた公的機関は、今後も対応に追われそうです。

犯人は、現地の、同じ職場の人間だったとのこと。
目的は強盗とのことで。現金やPCなどが自宅からなくなっていたとのことでした。
技術援助のボランティアで来ているのに、どうにも辛い話です。

安全を言い出すときりがない。
この交通事情だからいつ交通事故に遭うとも限らないし。酔っ払って外で寝たりしたら間違いなく凍死する。狂犬病は多いし地方に行けばタルバガンという哺乳類が未だにペストを仲介している。
日本人だけではなく、現地人もうかうかしていると被害に遭う。うちの通訳が、夜に酔ったままタクシーに乗って眠り込んでしまい、気がついたら現金とデジカメ、携帯を全て取られていたとのこと。
市場はスリの巣窟。コートやかばんが切り裂かれているのは茶飯事。

何をやっていても、死ぬときは死ぬものだし、事故にも遭うときは遭うし。
そもそもモンゴルにいるよりも日本の高速道路を走るほうがよほど事故率も死亡率も高いですが。

同じヒトに殺されるというのは、いちばんやりきれない話です。

治安という点では、平均月収が100$程度の貨幣経済ですから、日本人=金持っている、という認識は拭い去りようはない。
モンゴル人も日本人も顔は同じなのですが。国境を介して顔をあわせないままだと恙無くいられるのですが。
顔をあわせて、そこに不均衡があることが分かると、その不均衡を是正しようとするかのように、何かしら物事が起きる。モンゴルに限らず世界中どこもそうですが。

人が悪いのではない。

「持っているほうが悪い」

そんな、どうにもならない結論に行き着いてしまいます。

とか何とか、悟っている風なことを云っても、盗まれるのは嫌、仕事ができなくなるのは困る、ということで。自己防衛はせねばなりません。
自分のような下っ端は、会計も引き受けているために、持ち歩く現金が結構大きくなる。
宿のセーフティボックスも万全ではない。どのように安全に現金を保管するか、そもそも自分の身を安全にしておくか。パスポートすら日本人の者は高値で取引されるので狙われやすい。持ち歩くのも、ホールドアップやスリに遭ったら終わり。

けれども、結構些細なことを気をつけていれば、効果はあるのではないかと思います。
たとえば。

○ 化粧はしない

化粧の濃さとトラブルに遭う確立は比例すると思う。
類似:パンプスの高さ、アクセサリーの数

○ 走る。立ち止らない。

通常から歩く速度を早くする。買い物も目的に一直線。
夜の一人歩きの場合も、一心不乱に目的地を目指してずんずん走る。

○ 部屋に相場の半額ぐらいのチップを置く

チップを置かないと、メイドが腹いせにスーツケースの現金や貴重品を盗んでいくことがある。
チップの相場は国に関わらず大体1$ぐらいですが、わざわざ現地価で0.5$ぐらいをおいておくと、貧乏臭い、かつ嫌味でない。

○ 小銭だまし

スーツケースにスーツケースに、いかにも現金のありそうな見つかりやすい封筒に100〜200$程度入れておいておく。保険みたいなもの。これを取られることで、本命の現金を守る。

○ 知人には「自分には借金がある」と明言しておく

ホテルでの盗難は、実は知っている人というのは、長期滞在ではよくあるパターン。人間がいろんなところで繋がっているので、ホテルのハウスキーパーにもいつの間にかいろんな情報が流れている。
「育英会の奨学金で、あと20年働かないと返せない」とか言って周囲から憐憫を買っておくと、意外に身を守れる。

○ どうでもいいところに現金を置く

スーツケースの中に多額の現金を入れる場合、新聞にはさんでおくとか、飴やポテトチップスなど食べかけのお菓子の中に入れて輪ゴムで止めておくとか。使用後の靴下の中とか。まさかこんなどうでもいいところに?と思うところに入れておく。小銭だましと併用。隠すのではなく見つからないことがポイント。

ただ、あまりにどうでも良すぎのところにおくと、忘れるので注意。
生理用品の中に3000$隠しておいたら、すっかり忘れてしまって、金なくした!と蒼白になってしまった。

余り参考にならないものばかりですみません。でもひとまずこれで自分はのうのうとやってこれています。
まぁなにをやっても万全というものはないです。恨みを買わないようにするのが一番です。金を持っていると見せるのも、恨みを煽ることと弁えて。

とりあえずまだ大金を盗まれたことはないですが、自分で400$ぐらいバスに忘れて戻らなかったことはあります。免許証・保険証ごと財布をなくしたこともあった。最も用心するべきは手前の馬鹿。

相変わらず歴史ネタでなくてすみません。
ネットから遠いとどうしても目の前のものしか見なくなってしまう。

posted by 入潮 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月26日

モンゴル:チャレンジ

帰国しました。

とりあえず。

外に出ても顔が痛くならない。涙も出ない。
防寒着も毛糸股引も必要ない。
石炭臭さとスモッグで息が詰まらない。
鼻の中が黒くならない。
水道水が無色透明だ。
ボーっと歩いていてもマンホールに落ちない。
部屋の中でも汗をかかない。
街中で塵がなくて目を開けていられる。
夜でも明るい。
夜、呑まなくてすむ。

そんなどうでもいいところに、新鮮味を感じてみたりします。
居る、ということが楽だ。

でも、早速、徹夜までは行かないけれども、終電+自宅残業+休日出勤です。まだ「今日中に出します」と行った書類を作り終わっていない。「今日」とは、次の日の太陽が昇るまでのことを言うのさ。

今までなら、8時には仕事を終わって、サウナに入って中華料理を食べながら(肉だらけモンゴル料理は腹にもたれるので夕食はつい中華になる)ビールを飲んで、ウォッカでへべれけになって、10時にはベッドに沈没していたのに。

考えて見れば、モンゴルに居た間、呑まなかった日が一日たりとて無かった。
飲むために、夜仕事を切り上げるし、飲んだ後は仕事をしないから、区切りが良いんですよな。
多少居るのが辛くても、すでにもう懐かしい…。

って、その分進捗は遅い。溜まった仕事のアオリを今食らっています。


いろんな人間が居ました。
概して、モンゴル人、突っ走る人が多い。草原を走り回っていたからかどうかはわかりませんけど。
決断力と行動力がすさまじい。失敗を恐れない。反面、計画性が無い。

新しいもの好きで、若い人もこれと決めたらどんどん自分で突き進んでいく。自分の会社を持って、事業を立ち上げて、がんがんお金をつぎ込んでいく。付き合いのあった人も、2,3年経って再会してみると、同じ仕事をやっていたというためしがない。

日本の会社だと20代だとぺーぺーで、自分が最終責任を取るような大きな仕事を切り盛りするということは少ないですが。彼らは大学卒業したばかりのような若い人でも、どんどん恐れず責任を背負っていく。その分寿命も短くて、40代ぐらいになるともう隠居臭さをかもし出していたりもするのですが。

まず社会が、失敗に対して寛容というか。人間失敗してなんぼ、という感じで。事業に失敗して借金が残って破産しても、「しょうがないなぁ」と次への道を目指せるようになっている。具体的にどう処理しているのかはよく分からないのですが。失敗、破産、脱落、ということが、社会的にそんなに重く取られない。失敗して一文無しになっても、遊牧民に戻って、家畜を育てて売って金を稼いで、また戻ってくれば良い。そんな感じ。

(年率25%とか30%とかいう、消費者金融以上の恐ろしい市中銀行金利は、たぶんその辺から来ているのだろう。きっと借り逃げが多いんだ…)

議員もすぐにガラリと入れ替わるし、議会が解散すると省庁、官僚までみんな首がすげ変わってしまう。新陳代謝が激しい。…それはそれで今までの担当者が居なくなってしまってまた一から説明しなおし、ということがしょっちゅう、という大変な欠点もあるのですが。

日本だと一度信用を失ったら復活が大変で、「再チャレンジできる社会に」なんてのが政権のポリシーにわざわざなったりしているわけですが。(ポリシーにするというからには、「そうではない現状」という前提があるわけで)

これだけ挑戦と発展を試せて、復活が出来る社会というのも、ひとつの理想かも。
もちろん、治安の悪さを見ても、成功者とそうでない人の格差も大きく、いろんな社会不安があるわけなのですけれども。

そういう中だといろんな人に出会えます。

20代後半で、数億円規模の金を集めて、「政治に影響されないメディアを作りたい」とテレビ局を立ち上げて、中国のSony支社から最新の資機材をコンテナ一杯に買ってきて、金が無くなって社員に給料が払えないと自転車操業をしながら、2週間スタジオに泊り込みで社長みずから番組のプログラム作って、相撲の実況中継やって、編集している人とか。

国境で中古車の売買をして小金を貯めて、カジノを作っては失敗して文無しになって、留学先のドイツから技術をもってきて、三畳ぐらいのカウンターでモンゴル初の生ビールを売り成功して、レストランやら食肉加工やらホテルやら建設会社やらのオーナーになった人とか。

その人たちの人生、本当に面白い。人生が面白いと人間も面白い。
そういう人たちは、遊ぶときは力いっぱい遊びます。

フブスグル湖という、ロシアとの国境にある最後の秘境、桃源郷かというような地方で、大草原ラリークルージング、サバイバルキャンプ、巨大鱒の釣りをした、などの話を、デジカメ写真付きで見せられると。

自分、なんつー小さく、みみっちい人間か、と思ってしまいます。

自分は結構、それなりに楽しい人生過ごしているじゃないかと己惚れていましたが。ここの人間を見ていると、今までの肯定感がガラガラ崩れていく感じで。
いや自分もそんなに捨てていないと思いたいと会津磐梯のツーリングの写真を見て、孤独な野営を思い出して、余計にめり込んでみたり。

浮き沈み、苦楽の激しい人生。
こういう、しなやかに強靭に生きている人たちが、まぶしい。

勿論失敗も多くて、その分困窮に陥る方も多いのですが。
それを良い、悪いと決め付けてしまうことは、アウトサイダーにできることではない。住んでいる人間が自分の名においてのみ決めることなんでしょう。


…と、我々の先祖、150年前は、日本人もそんな感じだったのではないかと思うのですよね。
特に明治の初め、朝令暮改の世の中は、なにも当てになるもの、正しいもの、確固としたものは無い。昨日と明日で、価値観がガラリと変わってしまうこともあった。廃藩置県などまさにそうで。

その中で、若かろうが老いていようが、自分の才覚を頼りに、無ければ勉強してその才覚をひねり出して、みんな必死に生きていこうとしていた。浮き沈みは誰にでもあった。

幕末の時点に閉じた価値観で、明治初期の人の生き方を語っても、本質に触れることはできないのだろうと思います。武士道という言葉すら、戦国、江戸時代、明治で激しく中身が変わっていますし。

その国を語るにはその国の価値観を知ってから。その人を語るにはその人が生きた時代を知ってから。
というような在り方を目指せればなぁと思います。
「知る」というのは果てしない作業なのではありますけれども。

…と言う感じで、ひとつ更新してみましたが。
幕末ヒロイック志向の価値観でばかりで語られることへのアンチテーゼを示したかった…とか偉そうなことを言ってみたいチャレンジでした。
…とか言うと、大抵沈む羽目になるんですな。はい。


    [2] MOJO URL 2006/11/26(Sun)-19:18 (No.209)
    入潮様
    無事?のご帰国、おめでとうございます(笑)

    いろいろな人に出会うと、
    そのたびにいろいろな想いにも出会いますね。
    もちろん相手だけではなく
    自分の中にある思いにも。

    個人的には
    平凡な日常(人生)を送るということも
    とても大変な事だと思うのです。
    実は極端な針のふり方をした人生のほうが
    気に留める事柄が少ない(エネルギーを集中できる)という点においてやりやすいかもしれません。

    そして人はいつの世もどんなところであっても
    時代の最先端を生きていますので、
    現在でも過去でも、きっと環境の変化に必死に対応して生きていくのでしょう。
    人を語るにはその時代を知るという視点は確かに大切ですね。
    できれば、その人が見ていた方向や
    その先にあるものも知りたいものです。

    [3] 入潮 2006/11/27(Mon)-02:15 (No.210)
    人に会い、自分の思いに出会う。旅人らしいお言葉ですね。
    違いを見て、初めて当たり前のことを発見する、という。ちょっと病みつきになる感覚です。

    波乱を経ても最終的に目指すところは平凡で、平凡が一番の幸せなのだろうとは思っていましたが。
    平凡が実は一番大変、というのには考えさせられました。
    平凡を達成するのにどれだけのエネルギーが注がれているか。それも、非日常のためのエネルギーは自分からも他者からも目にしてもらえるものですが。あたりまえのことをあたりまえに、誰も褒めないことを継続して行うことの大変さ。それを達成できる人こそが、本当に見るべきものなのかもしれません。
    たぶん身の回りに、たくさんたくさん、尊敬すべきものがあるのだろうなぁと思います。

    今の世は、人類がかつて遭遇したことがないほどの変革の時代だ、ということは時々聞きますが。
    いつの世も、世が変わっていく日々を過ごし、その変わる世界に合わせて、だれもが自分を変えていったのですね。

    その人を見ていた方向を知りたい。本当にそうだなぁと思います。
    予定調和という言葉がありますが。我々はある時点の未来がどうなったかという情報を持っている。けれども、その時点を生きたその人は、その先がどうなっているかわからず、情報もない。限られた視界の中で何を必死に読み解こうとし、どんな行動を起したか、その先人たちの直の姿を、追いかけていきたいです。たぶん未来の人間が結果を知ってあれこれ言うのを見るより、吸収ところが多いのではないかという気がします。
ラベル:モンゴル
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2006年11月27日

大鳥、日光再訪の詩

最近大鳥圭介資料の話が無かったので、ひとつ。
「旧幕府」掲載の大鳥の詩です。

◆◆

「明治二十六年八月游于晃山客中」

老松崇檜影蒼々
三十年前古戦場
砲響硝煙歸一夢
軽衣来浴満山涼

(意訳)
明治26年、明るい山を旅行く客となる。

蒼々とした影を投げかけている老いた松、高い檜。
三十年前の古戦場。
砲の響きと硝煙は、一夢と帰した。
今は(軍服や陣羽織ではなく)軽い衣を着て、満山の涼に浴している。

◆◆

「神廟」

匆々二十六星霜
自吊当年古戦場
神廟有霊免兵火
満山紺碧耀晨光


(意訳)
この二十六年の年月は慌しく過ぎていった。
自らを二十六年前に戦場だったところに赴かせた。
神廟は兵火を免れてここに在る。
満山、朝日の光で紺碧に耀いている。

匆々: いそがしい、慌しい
晨: あした、朝

◆◆

ふたら山 神の御影を ふしおかみ
袖にしくるる 我涙かな


なんかもう…。
26年前の戦を偲ぶ大鳥。
明治26年8月の緑が青々としている頃というと、丁度大鳥が、清国特命全権公使に、朝鮮国駐剳公使を兼任した直後。
きな臭くなる朝鮮半島の情勢。以前しのさんがご紹介くださっていた「日本外交史人物叢書船津辰一郎」に、大鳥が朝鮮公使を任命される際の談話がありました。

26年7月に伊藤博文から「君朝鮮公使を兼ぬるの意なきや」と聞かれ、1日経って「行きます、受けます」と答えた。
傍らの人は皆驚き、互いに顔を見合わせて「君本当か、行くのか」という。
それを聞いた友人達が前後して大鳥の家にやってきて。

「余り大胆じゃないか、君は今迄清国に在りてさしたる毀謗も受けず。彼の国(清)は事少なく再赴するも何ぞ妨げん。韓国は之れと異なりて事件多く、防穀事件結了して未だ数月ならざるに既に数事件起れり。君この難局を引き受けんとす。随つて世人の毀誉褒貶これより族生せん。君が晩年に至りてこの挙あるは取らざるなり。以てその終りを全うする所以に非ず」

清にいれば事件は少なく障害はないが、韓国は事件が続発している。その難局を引き受けたら世の人から毀誉褒貶を受ける憂き目になる、晩年になってまで引き受けるべきではない、いい形で職を終わりまで全うすることはできないぞと友人達は説いた。

これを大鳥は、「余は十数年宿望あり。…余は此時に当たりて一身一家を顧みるに逞あらず。亦世人の毀誉褒貶も関するところにあらず。余は此多事の舞台に上がりて多年の宿望を遂げ得るか得ざるか。余の力能くこれを為し得るか得ざるか、最後の一働き、余の脳力精神は如何程のものなるやを試みん」として、決意を固める。

韓国行きは十年来の宿望だった。この時に及んで、自分のみの身や家だけを省みることはできない。世の毀誉褒貶など自分の関することではない。事件の多い舞台で、自分が事を為せるかどうか、自分の能力、精神力はどれほどのものかを試してみたい、と。

この頃大鳥は中国や朝鮮半島の歴史地理に関する論考を多数発表していて、朝鮮のきな臭さは十分に熟知していた。そこにあえて乗り込む。まさか戦争開戦の引き金を引くことになるとまでは思っていなかったと思いますが。

丁度、その朝鮮駐剳公使を引き受けた直後に、大鳥、26年前に自分達が戦火をもたらした日光、血みどろの戦をした今市を訪れて、詩を詠んでいた。

そう考えると、どうも胸に来るものがあります、

一見、26年前は昔のこと、一夜の夢にすぎなかったと、青々とした日光の山々を楽しんでいる詩なのですが。

東照宮を皆が戦う上での精神の拠り所にしようと乗り込んだ日光。自分の総督の役目は本来、その日光に兵を連れて行くまでだった。
そして、日光を戦火で焼かせないために無念の撤退をした大鳥。あの時は辛かったけれども、今朝日に耀く神廟を見て、兵火に晒さずに良かったと、平和で穏やかな時間を満喫しているようです。

「袖にしくるる我が涙」。一見そのままふーん、と見過ごしてしまいそうな詩ですが。単に、二荒山の神の姿の荘厳さに感動しているだけではなくて、戦中のやりきれなさ、その後での餓鬼道行軍や、雨と泥の中で戦いに戦い続けた記憶と想いが、去来していたのではないかと思います。

「匆々二十六星霜」忙しかった26年。…そりゃ、あれだけ縦横無尽に飛びまわっていたら、忙しかったでしょうよ…と。わざわざ詩に込めるあたりは、苦笑を誘います。

そして、難事溢れる朝鮮半島への乗り込みの直前の、日光参拝。
どうも、ただの「游于晃山」では到底なくて、大鳥なりの決意と覚悟を秘めた旅行だったように思えてなりません。

かつて戦火を免れた日光を目にする事により、再び動揺の地へ赴くに当たって、この穏やかさ、安寧を心に据え置いて、難題だらけのかの地で無用な混乱を起さぬよう肝に銘じているようにも見える気がします。

それにしても、大鳥、朝鮮公使引き受けを「我が宿願」と格好よく言い切っていますけれども。普通のシビリアンだと、あんな政治的にも情勢的にも厄介な火薬庫、他に引き受ける人がないというのは目に見えている。
どうもこれも大鳥の運命への流され具合に開き直っているだけ、というように捉えられてしまうのは、偏見でしょうか。

あ、いつもの如く、漢文の意訳はド素人の適当ですので、あまり信用しないでください…。変なところがありましたらご指摘いただけると嬉しいです。


    [2] 亜樹 URL 2006/11/27(Mon)-21:58 (No.212)
    お帰りなさいませ♪無事のご帰還何よりです(^^)。

    さて、「二十六星霜」の詩ですが、『明治百年野州外史』(下野新聞社 昭和44年刊)にこれの現物の写真が載っておりまして、同書の解説によると2行目の「吊」は「弔」と読まれております。大鳥さんの文字は「吊」と「弔」のアイノコのような形ですが、漢和辞典で調べたところ、「吊」は「弔」の俗字だそうですので、やはり「自ら弔う当年の古戦場」という事になるのかもしれません。深いですね(^^;)。

    『明治百年野州外史』によれば、大鳥さんのこの書は日光で幕軍が本営を置いた櫻本院(さくらもといん)の為に揮毫したもので、同院の所蔵。現在もあるのかどうかはわかりませんが、機会あらば拝見したいものです(署名は「従三位大鳥圭介」。「為櫻本院主」とあります)。

    ちなみに、原文の漢字は(写真で見ると)↓のようです。

    怱々二十六星霜
    自吊(弔)當年古戦場
    神廟有霊免兵火
    満山金碧耀晨光

      [3] 入潮 2006/11/29(Wed)-03:53 (No.213)
      亜樹さん、教えてくださってありがとうございます〜。
      伏し拝みます。

      そう、どこかで見たことのある詩だと思っていたら、まさしく過日に亜樹さんにご教示いただいたものでした。ちゃんと確認してから出すべきでした。お手間いただいてすみません…

      この部分、意味が通らなくて、吊るされているように呆然としていたのだろうかとか、首を吊りたくなった想いを思い出したのだろうかとか、色々と阿呆なことを考えて首をひねっておりました。

      弔う。これ以上にしっくり来る語はないと思います。
      あと、紺碧じゃなくて金碧でしたか。絵的なイメージがまた違ってきます。
      ぽつんと独り弔いの祈りをささげる姿と、朝日に金色に耀く、緑の山、東照宮。対比が鮮やかです。

      「明治野州百年外史」、村上喜彦氏、本当に良い仕事をしてくださっています。生筆跡、確認いたしました。
      為書きしているということは、火事などで失われない限りは、そんなにおいそれと売られたり処分されたりはしていないとは思うのですが。写真があるということは、少なくとも1969年には存在していたのですよね。今度日光に行ったら、確認してみたいと思います。楽しみがひとつ増えました。

      どうも日光は、あれだけ行き来しても、行き足りるということを知らないです。どこもそうなのですけれども。いっそう。

posted by 入潮 at 03:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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