2007年05月05日

徳川浪士檄文と「慶応奥羽蝦夷戦乱史」

いろんなことに疲れてます。この1週間ひたすら同じチームだった別人の前の仕事に対する文句を聞き、そのフォロー作業に追われていました。仲間への文句というのは、自分への文句よりツライものがあります。不足を見つけることができなかった自分が悪いのも確かなわけで。

さらに、たまの日本語を求めてNHKをつけると、大型連休だとか黄金週間だとか連呼されている。こちらはスケジュールを前倒しされて焦ってにっちもさっちも行かなくなっているのに、機材調達も質問も、日本からは返答は当然皆無。人が疲れ果てながら奴隷のようにに働いていると時に、同胞が皆楽しんでいるという現実が、何より疲れる。そんな自分の狭量さもツライ。
標高が睡眠不足にダイレクトに響くのもつらい。かつてないほど肩凝り頭痛が進行中。

…そんな疲れを吹き飛ばしてくださったのが、いつもお世話になっている亜樹様「會東照大権現」様の5/1「つぶや記」。

いつも貴重史料情報を惜しみなく開示してくださり、史料を忠実に実用的にまとめてくださるその作業も脱帽なのですが。

今回は、旧幕脱走軍が野州において発した檄文を、全文、掲載してくださいました。
「野史台 維新史料叢書」から抜き出してくださったのですが、実はこちら、前に触れた「慶応奥羽蝦夷戦乱史」にも掲載されておりました。

「前朝孝明天皇及ビ徳川氏祖神ニ対シ、地下ニ謝スルノ辞ナシ」
「何ゾ売国不義の賊ト倶ニ天を戴クニ忍ヒンヤ。唯々節ニ死シテ後止マンノミ」
「之レ僕等ノ私ニ非ズ、報国尽忠鋤奸ノ義挙タリ」
「徳川浪士、皇国ノ為メ売国不義ノ賊ヲ誅鋤ス、即チ天兵也」

などなど。
火傷しそうにアツく激しい言葉がひしめいています。
これを見て私は図書館で悶絶しました。
全文はぜひ、上の亜樹様のサイトをご参照ください。

そろそろご紹介せねば、と思っていたと思っていたところに、まさにぴったりのタイミングで亜樹様が掲載してくださったので、なにか通じているのではないかと思いました。

「奥羽蝦夷戦乱史」の著者の佐藤浩敏氏もこの文には感動したようで。

「身よ、浪士の檄文、逆境児が発奮の度や、左に依て推量するを得べし」
「一読三嘆く、何ぞ猛烈の立論なるぞ」

檄文の内容も熱いですが、佐藤氏も負けじと熱いですです。

そして自分は、これは本当なのか。著者の創作なのではないのか、と疑っていたものでした。

なぜなら、慶応奥羽蝦夷戦乱史のほうには、以下のように書かれていたからです。

「光陰矢の如く戦後将に五十年、今日(檄文を)此処に曝け出す、それ或は趣味あらむ。本書は関東浪人軍の総督将大鳥圭介が、應下浪士を狩り集めるに当りて、その非凡の才と氣焔とに依りて、自ら起草したるものなりと云ふ。圭介、得て大胆不敵の言諭を吐く者也。斯る筆録を持て應下を督する限りは、当時の当同不平浪人たるもの、圖に乗らざるを得ざるは勿論、錦旗に対して発砲するも、敢て怪しまざりしは、基より其所と云ふべし」

…誰が「云った」のですが、そんなこと。
圭介がいろんなところで大胆不敵というのは、まったく同意ですが。

この内容が大鳥の口から出たものとすると、疑いよりまず、笑いが噴出しました。南柯紀行や漢詩のローテンションとは、あまりのギャップがありすぎる…。

そして、今、亜樹様のおかげで、本当に大鳥の口から発されたものである可能性が高まってしまいました…。

作者は、よほどこの檄文の感動を伝えたかったのか。
「下野鎮西藩主林昌之助、また赤裸一褌人となりて呼応するあり」
なんて、大名まで褌一丁にしてしまいました。

佐藤氏は、恐ろしいことに、このテンションを大枚の戦記の最後まで続けてくださっています。大変面白いです。いろいろな意味で。あまりに筆が走りすぎて、流石ににそれはないだろう!という箇所も多々あります。

檄文の作者と「云われて」いるからか、佐藤氏の大鳥に対する記述は、すさまじい、の一言に尽きます。

・ 鴻之台の終結

「大鳥圭介、徳川陸軍部内の豪の者、才知軍謀はるかに天下を□(厭+土)する気概に、推されて関東徳川浪人軍の総督将と為り」
「大鳥圭介の関東に出現する、既に諸藩は畏怖するところ」

大鳥、豪の者で、才知や軍略が天下を覆わんとした気概があって、既に諸藩は畏怖していたのだそうです。

・小山の戦い

「香川敬三、結城を略して昇天の慨あり。大鳥圭介、変を聞きて憤恕措く能はず、大挙の軍令を発して、大兵を四方より進めしむ。脱軍襲来、砲銃乱射して、破竹の勢あり。西軍是を迎え戦ふに必死の勇ありと雖も、大兵の包囲迫に衆寡敵せず…(官軍)防戦必死、攻防の接戦惨を極めて互に勝敗あり。然れども大鳥圭介の勇猛鬼虎の慨あり。西軍苦戦、長将南部、秋将石川を始め隊士の死傷、其数を知らず、彦軍被害惨を極めて小山の要害遂に崩る」

大鳥、勇猛鬼虎の慨あったそうです。
これが、現在においては「勝った戦は無し」だとか無視され、当人主役の小説にさえ「小山の戦いはビギナーズラックだった」とされてしまっている戦いの、大正時代の戦記の描写でした。

推移はこちらこちらをご参照。

・宇都宮戦

(四月二十五日の宇都宮脱出戦)「西軍は大呼して再宇都宮を攻む。それ脱軍の総督将大鳥圭介は軍略あり。脱軍隊士その多くは佛国式陸戦術の練兵にして、精鋭到る所西軍を悩ます掌中にあり、今や宇都宮の要害に拠り、四方の関門を扼して厳備す。西軍、兵を進めて宇都宮を攻むれば、脱軍殊守防頗る巧妙を極め、西軍の作戦、脱軍の右を衝かば、忽ち左を破りて後背より襲来し、中央を攻むれば左右を突破して挟撃の陣を張り、作戦の巧妙愈神秘の極なり

…大鳥の作戦が巧妙なこと、いよいよ神秘の極み、なのだそうです。

ちなみに秋月登之助も土方歳三も、この宇都宮戦は正午頃までに怪我で脱落していました。大鳥らが粘り、一時は薩摩を全滅寸前にまで追い込んだのは午後になってからのことです。
戦闘の流れはこちらにまとめました。

戦争に参加した人がどう思っていたのかは置いておいて、少なくとも大正の人は、「神秘の極み」と評してくださってました。

実際に戦闘にあった人は、「大鳥の戦略神のごときを褒めぬものはない」 (薩摩、野津七左衛門ら、西郷隆盛詳伝)、「機ヲ知テ速ニ軍ヲ退ルハ、眞ニ大鳥氏ノ神策ト云フ可シ」(伝習第二小隊長浅田麟之助)。

…敵味方、大鳥を評するのに「神」の文字が見えます。大鳥神社。


・日光

「脱軍が日光に拠りたる所以のものは、去る五月十五日の戦争に於て、壮麗流麗なる上野東叡山の建造物が、西軍の為めに鳥有とせられたるに鑑み、又々日光東照宮も其の通りと為りては、痛惜禁じ難く、飽くまでも廟地を守らんとの一念に他ならず」

脱走軍が日光に拠ったのは、日光を守ろうとしたのだそうです。
そして、日光を去ったのも、また、日光を守るためです。
日光はもっと大鳥に感謝していいいと思います。板垣は銅像になって讃えられていますが。

…いや、脱軍が日光を去った本当の理由は、会津に既に米倉を食いつぶされ糧食に乏しく、弾薬の自作も失敗して補給がままならなかったからです。はい。


・藤原の戦い

「八月十七日、西軍は退去して愈(いよいよ)藤原村に迫る。然れども此処は大鳥圭介の鎮座する所。部下を指揮して部署堅く、頑強勇邁、列戦奮闘、砲銃弾の運用巧に妙を極め、西軍、必死を尽くして力戦するも、容易に抜く能はず、今や作戦の計謀将に尽きむとして、残塁を固守して鏖戦苦闘にあり。さる程に、関東武士の雷名を轟かせし大鳥圭介、夜陰に乗じて會津に向ふ」

マイナーな戦いながら、藤原の戦いは、藤原は陥落難し官軍を退け、二ヶ月以上にわたって膠着をもたらした、影響力のある戦いでした。

この戦いでも大鳥は、頑強勇邁で、列戦奮闘して、砲銃弾の運用は巧に妙を極めていて、関東武士の雷名を轟かしていたのだそうです…。


・木古内・二股の戦い

蝦夷に移り、五稜郭を落とし、年が明けて、4月の官軍上陸。防戦に入ると流石に、上のようなイケイケな記述は少なくなります。
けれどもそれだけいっそう、著者の同情が移っていて、濃い記述が含まれています。
木古内の大鳥の行動もかなり細かく書かれていて、危機を星恂太郎に救われるという一場面もあります。

そして、木古内の退却の場面。どんな賞賛賛美よりも嬉しい記述がありました。

「圭介、敗北の都度平然として曰く、勝敗は兵家の常なれば、今勝ちて夕に敗るも、当然の途なり。然れども、人命を傷ふことは、僅かの戦勝を見るよりも、主将たる者は尊重せざるべからずと。此言ありて圭介の過去初めて明瞭す」

良くぞ言ってくださいました…。これです。この言こそが、大鳥をつかんで下さっていると思いました。
美辞麗句は単に面白く笑わせてもらえたのですが。この言葉こそが、素直に心に染みてきました。

勝敗は戦の常、今勝って夕方敗れたりするのは当たり前である。けれども、少しの勝利よりも、人名をこそ主将たるもの尊重しなければならない。そう大鳥は、大鳥、敗北の度に平然として言っていた。

勝敗は些細なことで、人命こそが大事。戦は損じても人命は損なってはならない。

この言葉があってはじめて、大鳥圭介の過去の経歴が際立って見える。

著者は勿論、戦後の人命第一の平和教育を受けた人ではありません。発刊は第1次世界大戦が終わって3年後。戦争には飽いた頃だったのかもしれません。それだけいっそう、その著者の言葉に、今まで大鳥自身の記述から受け取ってきた大鳥圭介という人間の認識が、間違ってなかったのだと思うことができました。


「右に依りて木古内の要害に対しては、ノシを附けて西軍に進呈し、全軍みな矢不来の嶮に依って力拒防戦す」

官軍の艦砲射撃に対して、人命を守るために、あえて「ノシをつけて」木古内の要害を官軍に与えた。こうした書き方も素敵です。


「其木古内方面に於ける賊将は、其名も高き大鳥圭介と思ひば木古内を崩すは目下の大要務なれ」

ということで、片山米右衛門が、二股より木古内を追討して二股道を断つのが良策としていたそうです。

「大鳥圭介、軍略ある督将と雖も、戦陣常に海老の如く、徒に退却するは不運の為なるか」

これについて、「古今史談」で、「常に海老のごとくに退却すること、今日のクロバトキンと、その軌を同くせり。憐れむべきなり」と、似たような表現が用いられていました。

「海老の如く退却」って、当時流行っていた言葉なのでしょうか。いまいちどういう意味なのかよくわからないのですが。クロバトキンと同じというと、遅滞戦術で粘り強く退却していく、というイメージなのですが。海老のように飛び跳ねて、という意味だったらどうしよう。


さて、余談ながら、著者は二股の戦いで、木古内と二股間の作戦連絡がなかったことを指摘しています。

大鳥の賞賛を書き連ねたあとで、こういうことを抜き出すのも気が引けるのですが。

「土方歳三、沈勇豪邁と雖も、防御のみに留意し、西軍餌兵の実情偵察を困却したる欠点あり」

として、珍しく、二股における土方に批判的な視点が呈されていました。
防御のみに留意するのは、二股の地形を生かすにはそれしかないと思うのですが、それで西軍の偵察を怠り、結果、木古内に官軍主力が集結したということに対してです。

これについて、「編者曰く」として「後年榎本子、大鳥男、人見勝太郎氏、佐々木京運氏が一堂に於ける回旧談に、二俣口の実常話題に上りしとき、榎本子、盃を捨て机を叩きて大息せりき。それ或は然らむ」と、この本にしかないであろう気になる注釈もありました。

榎本さんと大鳥さんと人見さんたちが一同に介して懐旧談を催していたというのはかなり楽しい、というのはおいておいて。

この記述、どう判断していいものか迷います。土方を惜しんで榎本の感情が激してしまったのか、あるいは土方の欠点を思い出して榎本が怒ったのか。どうも文脈からは後者になってしまうのですが…。

あ、大体は、土方の書かれ方はかなり良いですし、出番も多いです。大正期に入ってからの、新選組人気が出てきてからのものというのもあるかもしれませんが、土方ファンの方も十分楽しめると思います。



と、そんな感じで、「慶応奥羽蝦夷戦乱史」。熱のこもった記述にあふれ、読む側も著者といっしょにエキサイトできる、かなりディープな大正時代の書籍でした。

ただ、事実と素直に受け取るには疑問である記述も、散見されます。

万次郎が撮った月代姿の写真を「圭介公の歩兵奉行時代のものにして登場の際撮影せしもの也」としていたり。
宇都宮で、体調を崩して寝ていたはずの大鳥が安塚を守っていたり。
11月21日の熊石での松前戦で「大鳥圭介は後背より突入し馬首肉迫捲土重来す」とあったり。(大鳥は松前戦には参戦していないはず。ただし明治太平記などにも大鳥の松前出戦の記述はある)
二股で土方歳三が兵を率いて官軍の駒井参謀と戦っていたり(駒井と戦ったのは瀧川)。
4月29日の矢不来戦に瀧川がいたり。
七重浜夜襲に土方がいたり。


それで、一番最初の檄文。
「野史台維新史料叢書」によると「宇都宮で発した」とされているとのこと。

大鳥がこの檄文を発したとすると、これが一番の疑問。

前述の通り、大鳥は体調を崩して前線に出られなかったぐらいだし、何より前軍が放火して、兵士が略奪しまくった場内の慰撫に走り回らなければならなかったので、こんなにテンションの高い檄文を嬉々として発せるような精神状態ではなかっただろうと思うのです。

また、「孝明天皇及ビ徳川氏祖神ニ対シ、地下ニ謝スルノ辞ナシ」の言も、大鳥の口から勤皇云々が出たのも、ましてやほかに孝明天皇の名前が出たのも、見たことがないので、違和感が大きいです。

徳川浪士が「即チ天兵也」と、天の兵であるとしているところも、大鳥は自分の記録に何度も「官軍」とあっさり書いていますので、そうした正統さの権威付けを好むともあまり思えない。

よって、この檄文を大鳥が考えたとすると、かなり疑問な点があります。

それで思うのですが。
これ、もしかして、柿沢が考えたものなのではないかと。
柿沢が大鳥の名前で適当にそれらしく書いたのでしたら、私は大納得です。

柿沢の詩文などが残っているのは見たことがないので、柿沢の文調はわからないのですが。漢文詩作に巧みで、かつ藩の公用局として京都勤めもしていた柿沢ですから、檄文に孝明天皇の名前を込めることは普通に思い浮かんだのではないかと。

本多をはじめほかの伝習隊士は、勤皇として天皇の名に言及することは余りしないだろうし。

大鳥の参謀で相談相手の柿沢が考えた文なら、大鳥の言葉として周りの人に認識されていてもおかしくはないなと思うのでした。

そして、周囲のテンションとは間逆に、二人でこっそりため息をついている図が目に浮かびます…。



そんな感じで、「慶応奥羽蝦夷戦乱史」。
ひとまず、力の限界の都合で、大鳥中心に触れました。もちろん実際は、各藩人物をはじめ、マイナー人物にもかなり焦点が当てられています。伝習隊人物も多いです。でも突っ込みどころが多すぎで、大鳥の記述を抜き出すのに精一杯でした。偏るのは許してください。

マツノ書店さんが、来年に復刻を検討してくださっているそうです。
素直に、これは「買い」だと思います。

ただ、上でも触れたとおり、間に受け取ると危険な箇所も多々あります。
いろんな史料と対照しながら、読み物として読み、大正当時の人の感性を楽しむのが、よいのではないかと思います。

posted by 入潮 at 02:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月14日

鶴の来る谷

現場入りしていました。
更新が週一回どころか十日に一回のスピードになってしまっております。見捨てられ者一直線な感じです。

なにかとやさぐれていたのですが、現場は良いです。
今回は環境保護がらみ。Black necked craneという希少種のいる谷の調査でした。直訳すると黒首鶴? 和名はなんと言うのだろう。

こうした環境要件があると、プロジェクトが1年も2年も平気で遅れます。数年前ならその場で決定できていたことが、進むものも進まなくなる。
環境保護を唱える方々は、それで自然を守れるのだと良い気分になれるでしょうけれども。
そこに住む人たちにとっては、それだけ、たとえば道路や水道や電話や電気といった切実なライフラインが、もたらされるのが何年も遅れたり、時には来なくなってしまったりする。

けれども、もはや、環境保護に異を唱えると、極悪非道な愚物扱いを受ける世の中です。

鶴が来るのは冬。鶴の到来を邪魔するような建造物は好ましくない。
この微妙で敏感な地域ですが、実は道路はすでに通っています。
なぜなら、道路の建設は環境保護地区の制定より前に行われたから。
今は、保護区に何かを作ろうとすると、環境影響評価を行って、切り倒す木の数や、掘り起こす土の量や、行き来する生物の種類を数えて、工事の騒音が周囲の生き物に迷惑でないかを調べて、複雑で大量の報告書を作って、本当に建造物を作っても大丈夫かどうかを、長い時間をかけて確かめてからでないとならない。

環境保護には金と手間と時間がかかる。
それを誰が払うのか。
金のある人が、自分の善のために払ってくれるのなら良いのですが。

他人の独善が、当事者を置き去りにしていないかと。
毎回思うことです。

谷はとてもきれいで、幻想的なまでにゆったりしたところでした。ぎっしりした森林に囲まれて、すいこまれそうにのどかな風景に、伝統家屋の家々が点在している。
ここに電線をどかーんと通してしまったりすると、やっぱり興ざめだなぁ、などと思ってしまう。

そこに住んでいない外国人の得手勝手な視点です。


この国の中央政府の人たちは、手間が増えて手続きが進まないことを苦々しく思いながらも、環境の重要性を認めています。
特に森林保護についての意識は尊敬してしまうほどに高いです。

もともと、森林資源が豊富なだけあって、ブータンの一人当たりの薪の消費量は、世界一レベルです。暖房や煮炊きのために、一人当たり、1日約4kgを消費する。

8時間薪をくべて石を焼き続け、熱した石を入れて暖める風呂、ストーンバスというのもある。(これがまたとてつもない贅沢)

木材はかつてブータンの主要な輸出項目で、貴重な外貨を稼ぐ手段でした。

人口が少ないうちは自然の回復力でカバーできていたのでそれで良かったのですが。
都市に人口が集中し、その地域での薪の消費量が増えると、森林の回復が追いつかない。
首都ティンプーの周辺は、一度、丸裸になりました。

森林が減ると、土壌が流出するとか、土壌への水の供給が減り土壌による水の緩衝能力がなくなって洪水が多発するようになるとか、旱魃を招きやすくなるとか、とかく環境には良いことがありません。

そこで、ブータンは、まず、木材の輸出をやめました。
そのころはまだ観光客も多くなく、水力発電所も少なく、木材がなければ外貨獲得手段は無きに等しかったほどなのに。その決断は凄いです。

そして、電気のある都市部には暖房に電気を用いさせ、薪の暖房使用を削減しています。オイルヒーターやハロゲンヒーターが普及しています。電気は熱に変換するにも効率が悪く、隙間風だらけの家ではなかなか温まらないのですが。それでも我慢しています。

電気は、山国ならではの水力発電で売るほどあります。ただ、外国(インド)に輸出したほうが2倍以上にも高く売れる。国内に電気を売ってしまうと国庫としてはその分儲からない。けれども、薪の使用量を減らすために、国内に電気を使わせようとしている。

このあたりも偉いです。

また、ブータンには、縁者が無くなったとき、108本の旗を立てる、という風習があります。この旗がなびくだけ、立てた人がお経を読んだことになり、徳を積むことにも繋がるのだそうです。

(百八という数字は、日本では煩悩=欲望の数だということで、大晦日に欲を払うために百八回の鐘をついて、ピュアな心で新年を迎えるのだ、とブータン人に言ってみると、ずいぶんと喜んでくれた。百八という数字で連帯感が生まれた瞬間。こうした何気ないことを、土台として語ることは、大切なことなのだと改めて思った)

この旗を立てる場所が問題です。なにせ平らな土地のない、国中が斜面のブータン。旗を立てるのにも木を切り、草を払って、場所を作らなければなりません。親類縁者が無くなるたびに百八本の旗のための用地を確保しなければならない。
これが結構な森林伐採と土壌流出を招いてしまっている。

それで、森林局の苦肉の策としては、旗一本が十本に相当する、特別な旗を準備して普及させようとしているとのこと。寺は認めるのだろうか。
そういうふうに、森林保護のために宗教上の風習まで変えさせようとする。かなりの苦労です。

旗の様子。

03_hata.jpg

町と言わず田舎と言わず、いたるところでこんな感じのが目に入ります。


そんな森林保全のための涙ぐましい努力をするブータンなのですが。

つい最近、森林火災が起きてしまいました。5000エーカーが焼けてしまったとのこと。
烟で2,3日、ティンプーは空が曇ったままでした。
爪に火を点すようにしながら森林を守る彼らも、自然の炎の前にはなす術がない。合掌です。


そして、森林局は後の対応に大忙し。

自分らのプロジェクトでも、彼らには、これからの認可手続きに頼みたい調整事項が山とひしめいているのですが。火災の後処理で手一杯で、とてもわれわれの相手をしてくれません…。


と、まじめなことばかりのたまってても、肩凝りが激しくなる一方ですので。
写真なども、よっこらしょ、と。(画像は重い…)

04_hillhouse.jpg

民家と畑です。一つ一つの家が斜面に点在しているので、訪れるのも大変です。
隣の家まで、谷を越えて下って上って4時間、なんてこともザラ。

06_driver.jpg

ドライバー君。ドテラ様のものは、民族衣装の「ゴ」といいます。衣装といってもこれがユニフォームで、平日のオフィスも学校も、おっちゃんも少年も、みんなこの、裾までのドテラです。

01_hiza.jpg

店先で居眠りする親父。
足から覗くすね小僧が眩しいです。
なお、エリートのにーちゃんも、いかついおっちゃんも、座るとみんなすね小僧君になります。

05_girls.jpg

女の子たち。衣装は「キラ」と言います。懐に入れているのはお弁当箱。
下に来ているのは、実は巨大な四角形の布。これをうまく体に巻きつけて着物のようにしています。
自分も昔買いましたが、着方がわからなくなって、今はソファカバーとなっています…。

07_pobji.jpg

鶴の来る谷。
写真で見れば平凡な田舎風景。

08_omamori.jpg

家の壁で、よく見かけるものなのですが。
この絵がなんとも。魔よけになるのだそうです…。


という感じで。
疲れながらも、のんびりやっています。
タグ:ブータン
posted by 入潮 at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月30日

頑張ってから死にたいなぁ。


あぁ、空気が濃い。

バンコクです。帰路にあります。
雨季にあるせいか、これまでいたところのせいか、さらに空気がねっとりと濃く感じます。

山の上(ブータン・ティンプー)から持ってきたミネラルウォーターのペットボトルがべっこりと凹んでしまいました。空気の力って凄い。

今日は朝4時半起きで、空港へ。それからパロ(ブータン)→カルカッタ(インド)→ダッカ(バングラデシュ)→バンコク(タイ)という経路で、バンコクでトランジット。これから夜行便で成田に向かいます。
移動するのに中継地が三箇所になるというのも、なかなかあることではない。

それでも移動は楽で良いです。とりあえず何も考えなくてもいい。飛行機の中ではひとまず寝ていても許される。

ダッカもは既に雨季で、土地全体がなんだかべっとりと水に漬かったような感じでした。もともと土地が低くて洪水は茶飯事なお国柄ですが。
雨季は、常に足元がどろどろで、しけったままで食べ物や水はすぐに痛む。マラリアやデング熱を媒体する蚊は跋扈する。病気も起こりやすい。生きるのも大変な季節です。


いろんなことに追い立てられて、憔悴してました。
酸素が薄いと、1日徹夜しても、それが2,3日連続徹夜したのと同じぐらいに体にダメージが来ます。踏ん張りが利かない。エンジンと同じ。不思議。まぁエンジンも人間も、酸素を消費してエネルギーを得ているのだから、当たり前といえばそうか。

昼はひたすら会議、夜は資料作りやらデータ作りやらで、更新やポストも全く手がつかず。3-4時間ぐらいの睡眠時間も、空気が薄くては眠りが浅くて夢を見る。夢の中でも悩みながら文書を作っている。1日24時間仕事体制。けれども小人さんはおらず、仕事もできておらず、給料は同じ。割りに合わないぞ。

と戯言はおいておいても、
何が疲れるかって、結局、自分の力なさ、至らなさが一番辛い。
働くというのは本当に大変な事です。
色んな人の利害、譲れないところ、プライド、思惑が絡み合う。
金が潤沢にあれば円滑に行っていた人間関係も、一度資金に枠が課せられて、それぞれが押さえつけられると、とたんにギスギスしてしまう。

そこを読み解いてどうすれば上手く動くかをきちんと示さないと、進むものも進まない。
それはどういう仕事も同じ。

最後のほうは、追い立てられて能面のようになってしまっていました。
で、契約が破棄寸前になって、協力者からも見放されて、本当に追い詰められたとき。
雨が降って、止んで、ぱぁっと晴れたことがあったのですが。

雨上がりの山の緑色が本当に綺麗で、きらきらしていて、泣けてきました。

人間どんなに惨めでも、森羅は容赦なく綺麗なんだなと思いました。

そうすると、所詮人間、ちっぽけなものなんだから、やれることは限られている。限られていているんだから、できることをやるしかない。とにかくやれる事をやって、それでダメならもうそれでいいじゃないか。ダメだったらもうそれは天の思し召しだ。

そういう諦めも生まれてくる。

そうして、行き着くところまで行くと、なんだかんだと上手く進むものです。

といっても、結局いろいろな人に助けていただいて、お蔭様でなんとかリカバリできた感じです。人のありがたさが身に染みました。
そして、自分の未熟さと無力さ、世間知らずさを噛み締めるばかりでした。
もっと容量をでっかくせねばならんと、つくづく感じましたです。


現地で更新しようと張り切って「大鳥圭介伝」やら「旧工部大学校史料」やら「工部大学校昔噺」やらを持ち込んでいたのですが。エクセス(荷物超過料金)を増やしただけだった。

まぁ、空気も濃いですし、これからもボチボチやっていこうと思います。


________________

といいつつ、帰国しました。

成田からの帰り。

外はしとしとと雨。桜の季節の終わりに出たら、新緑を味わう暇も無く、梅雨に突入しそうな天気。

荷物がロストしていました。
自分の携帯電話番号を忘れていました。
住所も忘れていました。
ついでに、最寄の駅の名前も忘れていました。

…私の脳みそはどうなっとるのだろう。

家のほうは、出張中、暴風雨や地震などで、ボロ家がどうなっていることかと心配でした。とりあえず無事でした。

ただ、帰宅したら、また停電している。
おいてあった米や菓子はネズミに食い荒らされている。
ついでに床はネズミの糞だらけ。
家主がいない間に、ネズミ連中は我が世の春を謳歌していたようです。

さらに、モデムまで故障していて、ネットに繋がらない。
これが一番辛い。


それでも、床の間に、ただいまと挨拶して、なんとか落ち着きました。

荷物が無くなったのは寂しいのですが。
別になくして困るものは、あまりない。(仕事の資料は別として)
ただ、あれにはボロボロになった南柯紀行が入っている。それを無くすのは辛い。…とか思うあたり末期的。

南柯紀行はもはや原点回帰をさせてくれる何かがあると、本気で思っています。

そのときはものすごく大変だと思っていても、結局自分如き、何があっても、たいしたことではない。
自分よりもずっとずっと責任も重圧も重く、身を裂くような決断に直面し続けた人が、いつの時代にも、どこの場所にもいる。

生きていくというのは、そんな楽なことじゃあない。
それは当たり前で。
みんな人に見えない坂道をよじ登って、這い上がれと自分を蹴飛ばしている。

そう思わせてくれる。

同じ大変なのなら笑っているほうが良い。
笑いは悟りと同じなのだと思いました。


タイトルは中島御大の「重き荷を負いて」より。
何度この歌に涙が出たか知れない。
大本は多分、東照宮遺訓の「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし」ではないかと思います。
(ある方から、日光土産にこの句を刻んだ面タオルをいただきました。身に染みます)

「頑張ってから死にたいなぁ」という叫びと、圭介爺ちゃんの「骨の折れる」が妙に重なったものでした。

(ミリオンセラーを何度も叩き出している人生の成功者たる彼女が、いまさらながら、なんでここまで底辺であがく人間を此処まで汲み取れるのか、不思議だ)

そんな感じで。
疲れたりもするけれど、なんだかんだと自分も元気です。

明日から更新やるぞ、っと。
posted by 入潮 at 23:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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