2007年09月06日

クラウゼヴィッツ「戦争論」その1―批評について

色々ありまして、間が開きました。

クラウゼヴィッツの「戦争論」。脈絡もなく、いってみます。

「戦争とは政治の手段である」という有名な言葉を耳にした方も多いのではないかと思います。戦争とは何かを考え抜いた戦争哲学と評され、米軍士官は必ず読まされる本だそうです。

カール・フォンクラウゼヴィッツは、プロイセンのシレジア貴族の家柄。1780年生まれ。1831年没。大鳥と入れ違いで世を去っています。
ベルリン士官学校卒、プロイセン皇太子副官。1806年のイエナの回線には皇太子と共に捕虜になり、フランスに連衡されて、3年間捕虜生活を送る羽目になります。帰国後、士官学校教官を経て、プロイセン軍に復帰。ブリュッヒャー軍第三軍団の参謀長としてナポレオン軍に対峙、さらに第二パリ平和条約の後、ラインのグナイゼナウ軍団の総参謀長。その後、1818年にベルリン士官学校校長に就いています。戦争論はこの校長時代に認められました。
ナポレオン戦争後、ポーランドで暴動が勃発。1830年にポーランド鎮圧のためグライゼナウ軍の総参謀長。コレラの蔓延もあり戦闘に敗北。

大久保さんが感動したビスマルクのプロシアよりは、二世代ほど前の人です。

日本に「戦争論」が入ったのは、明治36年に森鴎外が「大戦學理」の名で訳したのが最初だったのではないかと。戊辰戦争前にこれに触れた日本人はいなかったのではないかと思います。

哲学といいながら、参謀や士官教育者として人生を捧げ、多くは戦場にあった著者の記すものですから、野営の仕方、陣の種類から政治まで、範囲は広範です。
彼の造語が今になって定着したものも多いです。内線、外線、決戦、包囲、殲滅などの用語がそうです。また、戦略と戦術を定義づけた書としても有名です。

さらには、彼の考え方が戦争のみならずさまざまな分野で応用され、現代の企業経営やスポーツ、政治にまで、多く引用されています。以前にプロジェクトサイクルマネジメントという分野の研修があったのですが、その中の「目的と手段」という項目について、戦争論の考え方ではないかと思うのが入っていました。

一方、難解さでも有名です。
有名なわりにあまり読まれていないことで、有名です。
最もこの書を必要とする軍人、自衛官すら、完読した者は少数だということが、解説に書かれています。

その解説者自身が「この大著を読むに当っては、一字一句にはとらわれず、何をいわんとしているのかとの大網をつかみながら読むことをお勧めする」と仰っています。解説者もどこか放り投げ気味です。

自分は、大学時代に二度ほど読もうとして、いずれも数十ページで挫折しました。今回で三度目。待ち時間などにちょこちょこと読んでいますが、1ヶ月かかって上巻の半分も読み進んでいません。

なにせ、文意が分かりにくい。内容のひとつひとつは非常に思索に富み、深いのだけれども、よく分からない比喩がでてきたり、論理が通らないまま別のテーマに移ったり、バックグラウンド知識がないと理解できないいろんな戦闘について知っていることが当たり前のように論拠にされていたりで、混乱する。人の思索が脈絡無くあちこちに言ったりきたりするのと同じような脈絡のなさもあったりする。通して読むというのが困難なのです。

これは、著者が推敲する前に亡くなってしまったためかと思います。

著者自身、それを良く分かっていたようで、覚書で「もし私が早死してこの著作が中断されるようなことがあれば、すでに出来上がった原稿はもちろん形をなさない思索の断片集と言われても仕方のないものとなり、それは普段の非難にさらされて、多くの未熟な批判に口実を与えるものとなってしまうだろう」と述べています。

そして妻マリーが、氏の死後、故人の文を損なわないように、まったく原文のままで、できるだけ追加や削除なく編集して出版しました。

よって、よく言われているように難解なのではなく、単にまとまっていないだけ、という感があります。

だから解説本が売れるわけなのですが、世の解説本も恣意的な構成になっていて、本当に原文の意に沿っているのか疑問なものもあります。

以前に読もうとしたときは、なんでこんなわけのわからない書が現代に至って戦争の基本思想に用いられているのか、みんな本当に理解して引用しているのか、不思議でしょうがありませんでした。

正直、今もそうです。

ただ、著者の一つ一つの思索は非常に深く、現実と理論の双方で有為なものと思います。戊辰戦争を追っかけて、まがりなりにも指揮官の立場や心境などを想像したりしてみたわけで。ぬくぬく育った現代人がどれほどの答えを得られるのか、という力不足感が調べれば調べるほどに募る一方という体たらくなのですが。戦争とは何かとか歴史の見方についてとか、ほんの少しだけ無教養者なりに考えるようになりまして。「戦争論」の内容に照らし合わせてみると、合点したり見方がすこし深くなったかもしれないところがあったりしました。

この書から、人生への示唆をつかもうだとか、厳しい社会を生き抜く力を得ようだとか、そんな大それたことは考えてません。単に大鳥弁護に利用できるな、と思っただけなのですが。

大著の断片の切り出しに過ぎませんが、目を留めたところをご紹介してみたいと思います。

参照は中央公論新社の清水多吉氏訳のものです。


それで、しょっぱなから「批評について」という、いがらっぽいテーマにしてみる。

歴史系の読本や評論の研究家さんたちの論説を読むと、だいたい、なんだかなぁ、いう感が残ります。そのもやもやした感覚に、クラウゼヴィッツ氏がびしばしと深い言葉で明確に彼の考えを叩きつけて言葉にして下さっていました。同時にわが身を振り返って痛い思いをしたりしました。何かを述べるときの心構えとしても有用だと思いましたので、氏の言葉をご紹介してみます。

まず、批評とはどのように為すべきか。

「もし批評家が行為者を称賛したり非難したりしようとすれば、言うまでもなく、批評家は正確に行為者の立場に身を置き、行為者が知っていたことや彼の行為の動機となっていたことの一切を関連付け、反対に行為者が知りえなかったことや実際に知らなかったことの一切を排除し、特に結果として明らかになることをも排除するよう努めねばならない」

批評家は、対象の立場、動機、知っていたことの一切を調べ、それを関連付ける作業をせねばならない。これがまず大変。百科事典的経歴を見るだけで行えることではない。

動機は、対象の性格にも深く結びついているでしょう。幼年期にまで遡って、対象を深く知る必要がある。

その時点で対象が知っていたこととそうでないことを判断して、批評の材料にする。
批判の対象が知りえなかったことは、排除しないとならない。

これが難しい。

情報がどう流れ、どこに何が伝わっていたのかを、当時の文書から一つ一つ推測していかないと、これはできない。自分が知っていることを当時の人間が知っているとは限らない。

後世に生きるものは、あらゆる戦争、戦闘の結果を知っている。その原因も、背景社会も、高みから俯瞰できる。情報はいくらでも手に入る。時間もある。予定調和でものを考えられる。当時の人間からすれば、未来の人間は神様のようなものです。

けれども、その時点を生きたその人は、その先がどうなっているかわからず、情報もない。時間も無く、わけがわからないままに、判断を強いられる。我々にとっては確定している彼らの未来でも、彼らにとっては未来は全く不確定です。

当時の人間は、限られた視界の中で状況を必死に読み解いて、最良を選び、意思決定しているわけです。

批評者が、自分が知っている情報と自分の価値観で対象をあげつらうのは勝手であるし、結果どうなったか、ということだけを見てものを述べるのは簡単です。けれども、それでは当時の対象のことを本当に知って述べていることにならない。

対象が、どのような情報を持ちえ、どのようなテクノロジーとリソースが利用でき、どんな人間関係があって、何を考え、何を感じたか、何を知らなかったか。批評は、それを読み解いてからでなければならない。

「これは人が目指すべき目標に過ぎず、誰しもそこに到達し得るものではない」

「多数の些細な事情は已に消え去っているし、多くの主観的動機は決して公言されない」

確かに、自分が知っていることを、対象は知らないことしてそれを勘案して評価するというのは非常に難しいこと。だれしも、知っていることは示したいという誘惑には勝てません。

また、対象が知っているかそうでないか、を判断できる材料が、文書で残っているとは限らない。戦争中の一つ一つの事柄がいちいち記録されているわけでもない。都合が悪い文書は抹消されているかもしれない。さらに、対象の感情や性格に至っては、詳細な日記でも残されていたら別だけれども、それも書かれていることは僅かだし、文字にならないことのほうがずっと多い。本人しか知らないことも多い。

批評者が対象と情報を一致させるというのは、非常に難しい。その限界をわきまえていないとならない。

「行為者に対する正不正の判断は、我々が単なる結果から引き出したもの、あるいは結果のうちに見出したものから下すべきではない」

つまり、結果だけを見て手っ取り早く、正しい・正しくない、などと言うな、ということです。

例えば宇都宮で、大鳥の安塚・壬生攻めの判断に対する批判なども良く見ます。敗北した「結果」だけ見れば失敗であり、判断は間違っていた、と言いたいのもよくわかります。

しかしながら、当時の状況としては、1) 宇都宮は守るに難のある城である、2) 官軍の援軍の情報が続々届いており、壬生を官軍の根拠とされると宇都宮が危ない、3) 同僚だった人間の息子である友平慎三郎により壬生城から旧幕派が呼応するという知らせが直接もたらされた、などがあった。そして、直接の敗因は豪雨と兵が道に迷ったことだった。それらを勘案すると、大鳥の判断が間違っていた、ということは誰に言えるだろうか、批判者が大鳥のもつ情報だけを持ち、大鳥のあった状況にいたならどういう判断をしたのだろうか、と思います。

「一般に、ある手段を非難するにあたっては、他の、それよりも優れた手段を提起し得るのでなければならないのである。使用されなかった手段を提示するには目の前にある事柄を単に分析するだけでは不十分で、自発的な創造力がこれに加わらねばならぬ」

批判するには、他のもっと優れた手段を提案しなければならない。これは戦争に限らず当たり前のこと。この提案も、結果を知っていたらそれにそぐうものを呈することができるかもしれませんが、当時の人間と同じ情報、同じ条件で提案せねばならない。それには、大変な力が必要になるでしょう。氏は「創造力」と仰っていますが。批判とは、まさに自分の能力を駆使して考え抜かねばならない所業 なのではないかと思います。

であるのに。

「批評家が傲慢になって、事件の完全な洞察によって得た一切の知恵をあたかも彼独自の才能であるかのような調子で語るとき、初めて我々の感情は傷つけられるのである。こうした欺瞞は極めて浅薄なものであるが、人は虚栄心にかられてややもすれば、こうした欺瞞を弄しがちである」

その当時を生きた人の洞察には限界がある。ところが後世の人間は結果を知っているので、言いたいことが言える。けれどもそれはたまたま後の世から超越者の視点で過去を眺められるからであって。別に批評者自身の能力が対象より優れているわけでもなんでもない。なのに、結果を知っているという後世の人間の特権を駆使して、言いたいことを言う。

対象は情報もなにもなくどうやって良いか分からない。当時のその場現場にあった人間は結果どうなるかなどわからない。不確定要素は余りに多い。限られた時間、限られた情報の中で、苦悩の中で決断して責任に慄きながら意思決定しているわけです。ときに間違った判断もしてしまう。

けれども批評家は何が正しくどうやればよい結果になるか知っている。それで自分よりずっと情報が限られた対象をあげつらうのは、気持ちがいいことでしょう。優越感すら得られるでしょう。結果が分かっているのだから、後世の批評家は暖衣飽食のままに何でもえらそうなことを言えます。

その批評家の勝手を、虚栄心、欺瞞、浅薄、とクラウゼヴィッツ氏は容赦がありません。

自分の知りえる結果についての知識により人を批判する批評家ほど、却ってその見識の浅さを露呈しているということでしょう。

無責任な批評家に氏の敬愛する司令官が汚されたなどで、氏はよほど嫌な思いをしたのだろうなぁと思います。

勿論、氏の論じる次元はもっと広範・高尚ですが。時々私情が入っているいのではないかと感じさせるのが、氏の愛嬌です。

「批判は人間の測定や信念の範囲内にある一切を考慮した後、事物の深い神秘的連関にして目に見える現象の形を取っていない部分については、結果をして語らしめるということである。このようにして初めて、この高貴な黙示は一方で騒々しい粗野な諸論によって破壊されるのを免れると同時に、他方で愚昧な人々によってこの最高法廷が乱用されるのも免れるというものである」

クラウゼヴィッツ氏の本領発揮な文です。ある意味、自分に酔った文だと思います。一見して、何を言いたいのかわけがわかりません。この方、思索の深さゆえに、余人をついていけなくする面が多々あると思います。だから鬱屈して言いたいことが色々と溜まるのでしょう。閑話休題。

これまでの記述からなんとなく察してみるに。

人間をしっかり測定し、彼がいかなる信念をもっていたか、集められうる情報をあつめきり、洞察しきってから、批判を行うこと。それでも得られない、目に見えない部分はどうしても残る。そのときに、はじめて、結果より推定するということが許される。やることはやりつくしてから、結果に頼れ、ということではないかと。

「高貴な黙示」とは、もはや物言わない、批判の対象者のことではないかと。そして、「最高法廷」とは、結果をを批判の判定材料に用いるというと。結果を判断の材料に用いるというのは、いわば後世の特権であり、乱用されるべきではないという考えではないかと思います。

「結果の乱用」ですが。よく目にするのは、箱館幹部6人が生き延びて新政府に出仕し、明治の世で活躍したことについて。そのことは、我々にとっては当たり前の情報ですが、それは、「結果」にすぎません。一方、当時、戦中や降伏時にそのことを予期しえた人は誰一人としていなかったはずです。

箱館幹部の彼らは降伏後は死ぬものと皆思っていました。それは彼らの発言、詩、他者の言に現れる言動、どれを見ても明らかです。敵側も、当時は黒田以外はほとんど皆、彼らを死刑にする心積もりでした。

しかしながら、明治を生きたという「結果」から、彼等の戦中の思考や行動が、時には捏造すらされて批評されるのを良く見かけます。結果しか見ていないから、榎本の自害未遂が狂言であったとしたり、大鳥が薩長が自分の才を惜しみ助命するだろうから降伏を主張したとしたりする、的外れも極まりない論が生まれるのでしょう。
「高貴な黙示」たる彼らは、むろん、何も言いませんが。

この逆の例が、土方歳三だったりするかと。彼は死という「結果」により多分に称賛されている。「地下で近藤にあわせる顔がない〜」という有名な言葉は子母澤寛による創作の可能性が高い。本人の意図は私には不明だし、死ぬ気は無かったことを示唆する言動は「渋谷十郎事蹟書」にはある。批評家が美化の根拠にしてるのは、終わりを覚悟しながら終わったという像にしたほうが読者受けが良いという恣意なのではないか。死という「結果」が違えば、現状の評価はずいぶんと違っていたのではないか。土方は、「結果」からの評価により相当な嵩上げをされてしまっているのではないかと思います。勿論、新撰組の中ではカリスマのあった人物だということは間違いないとは思うのですけれども。

これらは、批判だけではなく、創作などにおいても同様かと思います。
現代人の情報で過去の人間を描いているものにはよく出会います。歴史の結果は、あくまで我々しか知らないのに、過去の人間に、さも結果に都合のよい言動を与えたり。そういのは、作者は格好よさを出そうとしているのかもしれませんが、却って興ざめな感を受けてしまったりします。

「批評家は、場合に応じてあちこちの体系からその断片を取り出してきてこれを尺度とし、最高司令官の作戦に欠陥があったことを示そうとする。大多数の批評家は、学問的な兵学のこうした断片をあちこちから拾い出してきて自分の支えとしなければ、いかなる推論も展開することができないのである。述語や比喩で固められたこうした少断片は、多くの場合批判的説明の虚飾以外の何者でもない。ほとんどの場合、がらくたで博学を衒おうとする著者の意図しか見出されない」

クラウゼヴィッツ氏の、批評家に対する毒舌は、止まるところを知りません。

例えば孫子やナポレオンや楠正成などの、有名な言葉や会戦の例を挙げては、それを尺度にして、対象を批判する。批判とは欠陥を指摘することだと思っている。しかしその根拠に使われたものは、断片、がらくたに過ぎない、ということかと。

他人を批判することによって自分が博学な知的人間だということを表し優越感を味わいたい。それが目的化されているのではないか。批評と名のつく多くの文からはそうした印象を感じて、あまり好きになれずにいたのですが。

そんなものは「虚飾以外の何者でもない」と、氏は、ずんばらりんと断じて下さいました。
大変すっきりしました。

「そのようにあいまいで中途半端で混乱した恣意的な思考は、実際上どんな役に立ち得るというのだろうか。せいぜい戦場で偉大な才能を発揮する司令官に嘲笑されるところとなるのが関の山というものであろう」

良くぞ言ってくださった、と思いました。
得手勝手に批判して優越感なぞ振りまかれても、何も役に立たない。
まったく同感です。
参謀として戦場に長くあり、尊敬する司令官に仕えた方ならではの言葉だと思います。

それで、批評とはどのように行えば良いか、ということですが。

「批評家は学問的形式や歴史的対象を用いて不相応に華麗な叙述に陥らないように努め、常に事実に密着し、戦場において生得の心眼を通してことを運ぶ司令官とともに手を携えて批判論究を進めていかねばならないのである」

下手に理論や歴史事実の威を借りて博識ぶっても分不相応なだけ。常に、事実がどうであったかを徹底的に調べ、司令官が何を知って何を考えたか、司令官と同じ立場に立って、考えなければならない、ということ。

「結果」をいかに排除して、当時の状況を考えられるかが、批評家、作家の腕の見せ所ではないかと思います。

批評家には、批評の対象となる司令官と同じぐらいの格が必要だということでしょうか。
その時々を全力で生きた人間をおこがましくも批評するのは、自分も人生をかけるぐらいに全力でやらないとならない。

そう思うと、批評などおいそれと軽々しく行えるものではなく、行うとしてもよほど謙虚でないとならないものだな、と感じます。

さもなくば、クラウゼヴィッツ氏と当の司令官に嘲笑される羽目になると思います。

大鳥は、後世の勝手で恣意的な批評には、ひっそり苦笑するだけだと思いますけれども。

結果だけ見て、大鳥を無能だとか常敗だとかへたれだとか評する方は、私が嘲笑します。

とか言ってみる。言ってみただけです。人様を嘲笑できる度胸は私にはありません。すみません。

それに最近は、しっかりした評価を下さる方も増えて、上のように感じることは少なくなりました。

そんな感じで。大家の著も、自分は大鳥弁護の目的にしか使っていません。ここまできて、結局、たどり着くところはそこです。

それで批評家を批判する愚を冒すという、自己矛盾に陥っていては世話はないです。
まぁ人の悪口で飯を食っている人間が、悪口を言われるのは世の道理ということで、許してください。

他にも、戦争論、大鳥弁護に利用できるところはいっぱいありますので、また紐解きたいと思います。
それも、大家の言を借りて自分の言いたいことを言う、虎の意を借る何とやらにすぎないのですが。はい。
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2007年09月10日

天国と地獄

ティンプー谷にかかった虹。

rainbow.jpg

晴れた日もあったのですが、ここ一週間ほど、激しい雨が降り続いていました。雨季はまだ明けません。

日本では、虹には良いイメージがありますが、ブータンでは悪い知らせがあるとかいう、悪い兆候だとのことです。

そのせいかどうかわかりませんが、連日の雨は、ブータンの脆弱な交通網にダイレクトに影響しています。

本当は今日から南部のゲレフという地方の現場に入ろうとしていたのですが。中止になりました。

首都からゲレフへ向かう二線ある道路の両方が、落石、がけ崩れ、橋が流された、などで、十数kmに渡って通行止め。復旧の見込み立たず、という状況になってしまいました。1日ずれていたら、がけ崩れの現場に居合わせたか、現地に閉じ込められて帰れない、という状況になっていたかもしれません。

もともと、急峻な地に、地盤が弱かったり、オーバーハングになっていたり、地層の方向が適していないところを、インドの業者が無理に掘ったり切り崩したりして道路を作っているので、激しい雨にやられるとあっという間に崩れてしまうのです。

反面、日本の道路を思うと、斜面防護、落石防止などの防災に気が配られ、土木技術の粋が凝らされ多額の金がつぎ込まれて、いかに日本の人々が守られた存在であるのか、よくわかります。台風や地震による災害は、それでも人智を超えた力により起こってしまうわけですが。日本人ほどよく自然に善戦している民族はないと思います。

本日お会いした別プロジェクトの日本人の方が西部から戻られたのですが。昨日、車ごと谷底へ向かって滑落。20mほど落ちて途中で止まり、九死一生を得たとのこと。一歩間違えていたら今頃ニュースを賑わせていたことでしょう…。同じ道路を使おうとしていたので、まさに明日はわが身、な感じでした。

そのチームの方々と夕食をご一緒させていただいたのですが。荷物も一緒に谷底へ落ちたとのこと。薄口しょうゆは行方不明。ポン酢は発見され生還。そのポン酢で料理をいただきました。もはやこのポン酢、霊験があるかもしれない、と思いながらいただきました。
自衛隊のほかにも、命がけの方々はいらっしゃいます。好きでされているのでは決してないでしょうけれども。


さて、虫刺されには相変わらず悩まされています。蚊なのか南京虫なのか蟻の一種なのか、その全てなのか、もはや良く分からない。二つの穴が空き、その周り約8cmが青黒く晴れ上がるこの刺され痕の正体は何なんだろう。

長袖長ズボンは基本ですが、ズボンの裾から入ってきて、手っ取り早く足首の靴下との境目を刺してくれます。足首周りはもはや噛み痕と掻き痕で変色・変質して、人間の肌ではありません。

密集して噛まれると、かゆみもそれだけ増幅されて、雨で蒸れると気が狂いそうに痒くなります。このかゆみもいきなり襲ってきて、仕事の打ち合わせ中に「おぐぉっ」と奇妙な呻きを発して蹲る羽目になります。強烈な痒みには、本気で悲鳴が出て、一瞬意識が遠のきます。

むしろズボンをはかずに寝たほうが、刺され所が分散されて、痒さには耐えられると気がつきました。嫌な学習です。

日本から持ってきた蚊取り線香や虫除けは効かないし。インド製の蚊取り線香は蚊より先に使用者が倒れそうな代物だし。難しいところです。


虫刺されは、不快なだけで、大した支障は無いからよいのですが。

今の問題は、処置済みの歯からばい菌が入って化膿してしまったこと。顔半分がぱんぱんにん腫れてます。

顔の右半分と左半分が全く人相が違います。右側はタレ目でおかめのようです。鏡を見ていると、我が顔ながら思わず笑えます。モンタージュが作れません。
見る人は皆、若返ったねー、と言ってくれます。嬉しくない。

顔の変化というのは見て分かるものですから、皆一目で心配してくれます。
よほど見るに耐えなかったのか、再び、秘書が強制的に医者に連行してくれました。

以前にもアレルギーで、まぶたが腫れてお岩さん状態になり、病院にお世話になったことがありました。

顔面頭蓋骨骨折に、お岩さんに、おかめ。もともと悪い、というのは置いておいても、前世に狐の顔でも潰したことがあったのかと思うぐらいに、顔には祟られています。

医療費は全て無料のブータンです。外国人もその恩恵にあずかれます。医療事情はこちらでも触れました。

以前から変わったところといえば、看護婦さんの民族衣装のキラが、真っ白いキラになっていたことぐらいでしょうか。混み具合は相変わらずでした。

歯医者さんは、外国人特権で予約できたのですが、VIP患者がきたとのことで、後回ししてくれました。待つこと2時間。外国人も政府要人には適いません。正直、待つほうが申し訳なさがなくて、まだ良いです。

診ていただいて、レントゲンを取ってもらったら、歯医者さんは"bad infection" を繰り返してくれました。
今、処置できる医者がバンコクに出張中とのこと。抗生物質で症状を誤魔化すということになりました。

薬は飲みたくない、と言ったら、秘書に怒られ、毎回薬の時間に携帯電話で注意される始末です。

だって、まっ黄色のカプセルに、青や赤色のインクでけばけばしくコードや分量が印刷されているんですもの。見るだにこんなもの体に入れたくないと、拒否反応が起こります。なぜ薬って、あんな人工的な造詣をしているのでしょう。もっと食欲をそそるデザインにすれば良いのに、と思います。

そんな感じで、微熱があったり、頭が痛くて仕事にならなかったりで、ちょいと心もとない感じです。
こういう状態で現場に入っても使い物にならないので、道路封鎖もある意味助かったと言えなくも無いです。

今、ほしいものは?と聞かれると、「健康」と真っ先に答えると思います。

どんな場所でもそこに人は住んでいるわけだし。環境が変わっただけでこうも支障がでるのは、己の現代人としての軟弱さをさらけ出しているようで、どうにも口惜しいものがあります。

十月までは居るつもりだったのですが、現地調査もできないし、帰国日を早めるかもしれません。今回はチームではなく単独なので、気弱になっているかも。無念也。


ちなみに、悪い思いだけではなく、こういう思いもしています。

matutake.JPG

マツタケ。
日本人しか有難がらないという点で、ブータンで有名です。

matutakemeal.JPG

左から、ホイル焼き、シャムダチ(チーズ煮込み)、バター焼きです。上のは赤米。
ブータン産のマツタケは香りは少ないとかいわれていますが、大変香ばしいです。秋の味の髄。香りの凝縮。

でも歯が痛くてきちんと味わえないという精神的苦痛。
さらに、とっておきの焼酎も、医者から酒禁止を言い渡されたために、呑めません。

天国と地獄。
天は私にかくもの意地悪をして、何を試されようというのか、と叫びたい気分です。

うっ、うっ。
タグ:ブータン
posted by 入潮 at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月13日

首相が変わっても

ある人が、内閣が変わったということを大事件かのごとくに話をしていたら。
宇都宮三郎。

「内閣が変わっても、化学には何等の関係もない」

と仰った。

数ある偉人のエピソードの中でも、五本の指に入る好きな話です。

(出典:江原素六「三田評論(大正15年):余の先輩及び友人の見たる福沢先生」)

これで終わるのもあまりにスカしているので。

首相の辞意表明。

「無責任」だとか「敵前逃亡」だとか言いたい放題に批判されてしまっています。
有名人や与党に付け入る隙があると、ここぞとばかりに元気になる方々が、メディアには散見されます。あんまり見ていて気持ちが良いことではないです。

そう責められることは、誰よりも首相自身が、覚悟の上だったのではないかと、思うのです。

体調が整えられない、力不足である、など、任務の大きさに対して耐えられないと判断され、自分が退くことが周囲にとってベターであると判断される際は、退くこともまた勇気である。そんな勇気も評価されて良いのではないかと思います。

自分の代わりが居るということを認めることも、また勇気であると思いますし。

引き際を決めるのは、周囲ではなく当人だろうと思います。
参議院選での自民党敗北の時点でやめるべきだった、という人もいますけれども。どんなに困難が待っていても精神力が漲っていればそれを超えようとする意思が漲る。けれどもその精神力も、体力が無くなったり何かきっかけがあれば費えてしまうもので。
眼に見える引き際と、そうでない本人にしかわからない引き際はあるのだろうなと思います。

だから、政治家も、メディアも、人を責めるのにあまり要らない労力をつぎ込まないでほしいなぁと感じる。

重い任を背負った際、自分の力量と知力と体力と精神力がそれに耐えられるのか。必要とされている事項に対して本当に自分にそれを真っ当できるだけのものがあるのか。

そういう悩みに直面し何日も苦悩しながら任務に当ったことのある方は、今回の安部首相を、人事として見てはいないのではないかと思います。

そして、えてして、そういう方は自分の専門領域に誠心するのに忙しくて、他人の進退に口を挟むヒマはない。

人を責めることは正義感に酔える気持ちの良いことですけれども。

責められる人でもなく、責めている人でもなく、人を責めるヒマもなく仕事に追い立てられている人が。

今、宇都宮三郎のような言葉をボソリと言える人が。

本当に世の中を作り保っているのではないかと思います。

それで、人事で盛り上がるのも結構ですが、そういう人たちを最も邪魔しない形でやってほしいと思います。人が入れ替わるとそれだけで色々なことがスタックするので。

というわけで、首相が変わっても、配電線の仕様には何等の関係もないのだから、クダを巻いていないでさっさと仕事に戻れと、心の声に責められています。
データ整理が終わらないのに、ついNHK衛星を見てしまう、弱い人です。

posted by 入潮 at 16:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

責任ある言葉

帰国しました。
虫歯で途中退場という、なんとも情けない結果です。

別チームの方からは、任務中で虫歯を我慢し続けた結果、抜くならまだマシで、化膿が顎骨にまで達して手術せねばならなかった人がいるとか、色々と脅されてました。

抗生物質で症状を押さえ込んでいたのですが。一週間も薬を飲み続けると、免疫力が弱ってきます。
(ペニシリン系抗生物質は細胞壁のある細菌をみんな殺すので、有用な腸内細菌なども一緒に死んで、体内の免疫力が衰える)

で、案の定、些細なことですが、どうも支障が出てきています。
深爪したところが膿んできたり、虫刺されの痕が直らなかったり、胃がむかむかして眠れなかったり、タイの空港でクーラー効きすぎで風邪を引いたり。

何より薬のせいで酒が飲めない。ノーアルコールで長時間の飛行機なんて、苦痛以外の何者でもなかった。

そんなわけで、帰国後、おとなしく、歯医者さんに行ってきました。

レントゲンを撮って、診断してもらった結果。

「まぁ腫れも引いているし、様子を見ましょう」

と、拍子抜けなお言葉をいただきました。そして。

「うーん、薬はどうしようかなぁ。まぁ、やめていいでしょう。何か起きたら、 私が何とかしますから、すぐに来てください」

とのお言葉。うっかり、涙が出そうになりました。

決して、薬から開放されて、これで酒が飲める、という喜びからというわけではありません。いやそれも2割ぐらい、すいません、4割ぐらいありますけれども。

「何かあったら私が何とかする」という言葉。これを、他人に向かって伝えることの出来る人は、なかなかいないのではないかと思います。

この言葉を口にするには、よほどの経験と知識と自信と、それ以上の責任感が必要なのではないかと思うのです。

今回、虫歯以上に、頭が痛かったのは、事なかれ体質なインド人との付き合いでした。

作業の打ち合わせは、まず "You prepare..."とか "You provide..."とか"You give me..." から始まる。人に作業を押し付けるのは大変巧み。「違う、このデータを取るのは君の仕事」と何度念を押しても、次の瞬間に"You gime me the data..." と返される。三回は同じやり取りが続く。

一方、自分がいかほど仕事したかということを主張するのは大変熱心。"I did..." が大変多い。自分は過去形、人に対しては未来形でものを言う。
そして、自分が責任を取ることになる状態は全力で回避しようとする。
メールで念押しすると、休みを取ったやらネットワークの調子が悪いやらで、返事が帰ってこない。結局こちらがやらざるを得ない方向に持っていく。謙虚に出ようとすると100%の責任を負い被せられかねない。

その強さ、ふてぶてしさ、逞しさには、感心してしまう。強烈な人口圧力の中で切磋琢磨して生き残りをかけて競争して育ち、熱暑の空気さえも敵であるような環境の亜大陸では、ここまでならないと生きていけないのかと畏敬の念すら抱く。

でも、謙虚さと勤勉の美徳が通じる、言わずとも成果を見れば理解してくれる、なぁなぁで甘っちょろい日本人が、私は大好きです…。

いやもちろん、インド人が全てそうだというわけではなく、中には優秀で責任感のある方もたくさんいるだろうとは思うのですけれども。 会う人会う人が皆が似たような調子なので、つい偏見が大きくなってしまいます。


そういうわけで、「私が何とかします」という、穏やかながら責任感ある言葉を聞いた時、じーんときてしまったのでした。

この分野なら何かあっても自分が何とかできる、人の役に立てるという自信があって、初めて口にできることば。そういう包容力を可能にできる専門性を、一つは持っておきたいと思うのでした。


さて、本体以上にチクチクやられていたのが、PC。
これでもか、というぐらいウィルスにやられていました。帰国後処理したら40数個いました。

メモリスティックが読めないとか、ソフトの常駐が外されるなどの程度で、致命的な症状はでていなかったから良かったのですが。
アンチウィルスで虫取りをして、レジストリを修復していたら、休みが潰れてしまった…。

現地は、混み混みギュウギュウのダイヤルアップで、夜中でも1MBダウンロードするのに2時間かかるようなネット環境。18MBもあるウィルスの定義ファイルをサカサカ落とせるような人はいない。

ADSLを提供する業者もいるけれども、一月に100ドル、公務員の給料の半分もかかるようなプロバイダと契約できるのはよほどの会社か、恵まれた家。

よって、2年前3年前の、インストールしたままウィルス定義ファイルが更新されてないPCはザラにある。個人のPCはまずウィルスの温床。そんな彼らとメモリスティックでひっきりなしにやり取りするのだから、感染しないほうがおかしい。

通信インフラが貧弱だと、ウィルスは瞬く間に蔓延する。(携帯電話の普及により固定電話の使用率が下がったから、国営通信会社がネットの従量料金を廃止して、固定料金にしてしまった。だから皆フリーなネットに殺到。結果、あっさり容量オーバーで繋がらなくなった)
まず、脆弱なところが狙われて、ダウンしてしまうのです。途上国はウィルス天国です。PCのメンテ業者ばかりが儲かっています。

人もPCも、インフラに守られた状態というのが、いかにありがたいことかと思います。


ちなみに、途上国でPCを使用される方は、以下の対策が役立つと思います。

● 自動再生をオフにする。
USBメモリなどにAutorunを自動的に作成するウィルスの場合、USBに差し込んだ瞬間に感染する。これを防ぐ。

(スタート→ ファイル名を指定して実行→"gpedit.msc"と入力→ローカルコンピュータポリシー→コンピュータの構成 →管理用テンプレート→システム→「自動再生機能を無効 (オフ) にする」 をダブルクリック。「有効」に設定。これはWin Xp Professionalの場合。Home Edditionの場合は、TweakUI というツールを使う)

ちなみにSiftを押しながらUSBに差し込こむと、自動再生しませんが。毎回Siftを押したままやりとりするのは、結構億劫です。

● ウィルスの作ったAutorun, Recycleなどを可視にする
メモリスティック内にAutorunなどがウィルスにより自動的に作られるのが分かります。

任意のファイルのフォルダ→ツール→フォルダオプション→「表示」のタブ→「すべてのファイルとフォルダを表示する」にチェック→「保護されたオペレーティングシステムファイルを表示しない」のチェックを外す


他にも色々あるかと思いますが。
人もPCも、予防が肝心。

しかしながら、虫歯という、不摂生が起因するものだけは、どうしようもありません。

さて、帰国日に高速環境に浸るべくサイト様めぐりをしていたら、T様がチャットを開催されていて、図々しくもついお邪魔してしまいました。
…ふんどし話に盛り上がり、笑いに笑いました。
笑いは何より免疫力を高めます。(笑いヨガというのもあるらしい)
薬放免になったのはその御蔭だったのかもしれない。

…皆様、誠に、誠にありがとうございました…。
英気を養って、また10月に行ってきます。
posted by 入潮 at 00:07| Comment(7) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

役立たずを実感する時

カントー橋事故。

やりきれない思いです。

いかに安全第一を謳い、どんなに安全管理を厳密に施しても、どこかに災害リスクは残ります。

インフラ整備の工事は、工事事故のリスクという点で、事業費1億円に一人が亡くなると言われています。
後の人々の快適で便利な生活のために、建設される工事の危険の中で、亡くなる方々が、います。

その方々の犠牲の上に、我々の生活は、成り立っています。

被害に遭われ、はかなくなられたベトナムの方々のご冥福を心よりお祈りいたします。負傷者の方々の一日も早いご快癒をお祈りします。

現地の技術者の方々は、これから事故原因究明、損害補填、そして補償について、夜も眠れぬ心身過酷極まりない日々が続くのだと思います。
ご無理なさらないで下さい、というのも無理な話かと思いますが、この上労災にまで及ばないよう、お体だけは大切にしてください。

まだ原因は判明していないですが。よもや、コスト低減への社会の抑圧に対して、企業努力も限界に達し、技術的品質を低下させることで答えるしかなくなりはじめた歪みが出始めたのか、と思うと、心が凍える思いです。

心ならず犠牲になった方々の死が、せめて無駄になりませんよう、プロジェクトの成功と、ベトナムの方々の幸せを願います。

(将来的に、プロジェクトの収益の一部を負傷者の方や遺族の方の年金に回すなどの措置を取ったりできないのだろうか)


更新が滞っております。ご足労下さる方には、いつも同じ画面で、申し訳ないです。

連日日が変わるまで残業で、体力尽きて、なかなか落ち着いてポストを纏めるまでいきません。

仕事のほうで書き物をしていたら、ふとかつてサイトにアップしたことで気になることがありまして、資料をひっくり返しては、目的が果たせず1日を終えたりして。

自分で書いた文章なのに、何を根拠にどこを参照したのかわからなくなった。
…そんなことって無いですか。

工部大学校資料のパートですが。
数字はちゃんと書いてあるし、何かの論文を参照にしたのはうろ覚えで覚えているのですが。当の論文が見当たらない。そういうところに限って、参考文献付け損ねてる。

さらに、自分の文章を見直していて、工部省のお雇い外国人の給料が、130人余りで30万円超えているって、ありえないだろう、とか思いまして。

大鳥の贔屓の超高給取りライマンでも950円/月。お雇い外国人の平均給料で200-300円/月の間のはず。一桁間違えたのだろうか、とうんうん唸っていました。

…年間と月給の違いでした。12を掛けるとぴったりでした。

そういう、単位の違いというあほらしいことに気付くまで、3日掛けて悩んだことって無いですか…。

自分がものすごく無能で役立たずな人間だと思う瞬間。

…仕事に戻ります。
今週ぐらいで何とか落ち着かせて、ちゃんと更新進めたいです。
posted by 入潮 at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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