2007年12月12日

名誉とは

現場と報告書に追われていて、間が開きました。
今回、ちょっといがらっぽいポストになってしまいます。しかも世間様から約一ヶ月遅れで、すでに様々な方が詳細に議論されている話題なので、いまさらという感じではあるのですが。
ただ、幕末明治に接する上でも、前から触れておきたかったテーマでした。

ノーベル賞文学者、大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」と出版社の岩波書店の訴訟。沖縄集団自決冤罪訴訟ということで、ネット上でも大きな関心を集めています。

学生時代から購読しているメルマガに「沖縄戦『住民自決命令』の神話」として紹介されていたのを読んで以来、どうなるのだろうとソワソワしていました。

(こちらのメルマガ、 国際派日本人養成講座というバタくさいお名前がついているのですが、中身は史料に基づいた日本の歴史講話集です。江戸時代、幕末、近代を紐解き、日本人が日本を誇りに思え、それ以上にこのご先祖様に恥ずかしくない生き方をせねばと奮起させてくれる、とてもに実直なレポート集です。「あなたは自分の言葉で日本を語れますか」と読者一人一人に問いかける。人間としてまず自分の根を知ることの重要さを訴えかけて下さいます)


沖縄で、日本軍が住民に集団自決を迫ったという「説」。教科書にも掲載された記述です。これについて、当時の日本軍の守備隊長のご本人とご遺族の方が、その説を流布してきた作家と出版社に対して、出版停止と謝罪、慰謝料を求めて裁判を起こされました。

原告の方はお二方。座間味島の守備隊長だった元少佐の梅澤裕氏ご本人と、渡嘉敷村の守備隊長だった故人の赤松嘉次元大尉の弟さんの、赤松秀一氏。

彼らは、日本軍として住民に自決を迫るどころか、実際は赤松氏も梅澤氏も「自決するなど、とんでもない」と制止していた。「村民はとにかく生き延びてくれ」と言った。

そして、被告は、『沖縄ノート』でこの説を流布してきた大江健三郎氏、『太平洋戦争』を記した家永三郎氏、そして『沖縄ノート』の出版を続ける岩波書店です。(家永氏は故人であるので裁判の当事者ではなくなっている)

起訴の理由は、名誉毀損と、故人の人格を冒涜し尽くす故なき誹謗表現により「実兄に対して抱いていた人間的な敬愛追慕の情を著しく侵害された」ことによります。

名誉毀損と故人への「敬愛追慕の情を侵害」することが、起訴立件に繋がるのだという事実。これを、自分たちに都合の良い解釈と捏造ばかりで故人を貶めている幕末ファンの歴史ライター・作家の方々には噛み締めていただきたいものです、と。いつもの文句を垂れて終わろうかと思ったのですが。

そういうレベルでは終えられない問題の広範さと深さが、この裁判にはあります。
まず、「沖縄集団自決は軍の強要であった」とする教科書の記述を変更する歴史問題にまで至っているのは、連日報道されていた通り。
そして、この裁判は、右翼と左翼、反日自虐史観と自由主義史観の代理戦争のような様相を帯びてきているように感じます。

もともと、集団自決を、軍による自決命令として最初に世に広めたのは、昭和25年に沖縄タイムス編として朝日新聞社から出版された「鉄の暴風」であり、大江氏はこれらの記述と執筆者の話から、孫引きの情報をもとに自分の情緒的解釈を加えて「沖縄ノート」を記した。(なお、梅沢隊長の座間味のことは「沖縄ノート」には記されていない)

そして、「沖縄ノート」を読まれた曽野綾子氏が、渡嘉敷島に赴き、当時の状況を直接見聞した人たちの証言を聞いて回ったが、集団自決の命令がされた事実は見られなかったと「集団自決の真相」(WAC社)に記した。こちらで曽野氏が述べておられる「『ない』ことを証明する困難さ」「曖昧な現実に耐えねばならない」という言葉は、何が真実かを真剣に探しまわり、自費で労力をかけて現場を丹念に調べて回った調査者ならではの実感が込められていると思う。その上で曽野氏は、「赤松が自決命令を出したという証拠がなかった」と結論付けた。

それでとうとう、11月9日に、に大江氏が証人喚問として裁判に現れました。そして、大江氏がどのような返答を行うのか、目を見張っていました。
自分は、実は、大江氏が、自分の足で取材しておらず、他の著書の記述を真に受けた孫引きから人を断罪したことを認めるのではないかと期待していたのです。それで、さすがノーベル賞受賞者の貫禄は違う、と唸らせてもらえるかと思ったのですけれども。

経緯や裁判の結果はこちらがわかりやすい。裁判記録は沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会さんにて参照可。

大江氏の発言を要約すると。
「ひとりの隊長の選択で行われたものではなく、軍隊の行ったことである」「『命令』とは第一義的には、日本軍の『タテの構造』総体による積み重ねによるものである」として、問題となっている「個人への名誉毀損」ではない、名誉を侵害していない、と主張。

また、原告の方々が問題にし、曽野女史の取材の動機になった「罪の巨塊」という沖縄ノートの語については、「死体の意味だった」と自分で作った造語だったという、著作を読んだ人が誰も理解できなかっただろう説明をしています。

これに対しての関連サイトやブログの反応ですが。
『沖縄ノート』で渡嘉敷島の守備隊長を「ペテン」「屠殺者」「戦争犯罪人」呼ばわりしておいて白々しい、作家が自分の作品について、自己弁護するのは見苦しいと、多くの方が感じたようです。「ノーベル賞も地に落ちた」「日本の恥」、「大江健三郎という『嘘の巨塊』」、など、散々な言われようをしています。「自分が裁判で勝訴するという私益のために民族語を破壊するなど、最も文学者のやってはいけない行為である」とまで言われています。

一方、かなり異なる見方もあります。共産党のサイトでは、。「元隊長が『沖縄ノート』を読まずに提訴した」とか、「赤松秀一氏は、兄に事実の確認をしたことはないと証言」したとか「梅沢裕氏は、自決命令は出していないと主張。自分には『責任はない』とのべました」など、平易な記述。これは、日本の歴史の暗部を当事者たちが覆い隠そうとした裁判であるという印象を植え付けるような書き方です。裁判を、日本軍の汚点を強調する方向へ誘導する表し方に見えます。何を強調するかで、受ける印象がまったく異なる、良い例だと思いました。

原告の方が裁判前に「沖縄ノート」を読んでいないとか、曽野氏が「巨塊」と「巨魁」を誤読したのだとかいうことで、問題がはぐらかされようとしていますが。本質はそこではないでしょう。
問題は、流言、妄言の類に基づいて、ノーベル賞作家という大衆のオピニオンリーダーともなりうる影響力のある人間が個人の名を傷つけ、その著書が版を重ねて売られているということだと思います。

といいつつ、恥ずかしながら、自分は「沖縄ノート」は拾い読みぐらいしかしていません。大学生のころか、ちょうどノーベル文学賞の波に乗って、ヒロシマノートか沖縄ノートを読もうとしたことがあったのですが。数行にわたる長く叙情と比喩に溢れた文章に、どうにもついていくことができませんでした。ああ、私には文学的感性は皆無なんだなと、早々に撤退してしまった思い出が、ほんのかすかにあります。今も、自分と自分を理解する者が読めばいい、という文章は、全く苦手です。文は一行で区切るぐらいでいいと思います。教養のない自分は、三行四行も一文が続く文が連なっていると、どんな名文でも読む気が枯渇します。閑話休題。


私が心打たれたのは、島の人々のために汚名をかぶった、守備隊長の覚悟です。

彼らの冤罪を晴らす、様々な当事者の証言がありますが。中でも、照屋昇雄氏の証言は胸を打ちます。

http://www.ch-sakura.jp/mailmagazine/224.html
http://www.ch-sakura.jp/mailmagazine/225.html

読んでいて、涙がぼたぼた落ちました。
こんなに自己の名を犠牲にする事を厭わない強靭な精神の方が居たのだと、愕然としました。

自決は、村の役場の主導で行われた。そもそも、住民には、戦闘になったら敵に捕まる前に死を選ぶべしという価値観が、もともとあった。

両隊長が、自決命令を発したと冤罪を被ったのは、保護を受けたい島の遺族のためだった。

「戦傷病者戦没者遺族等援護法」という法律が戦後当時あった。通称「援護法」。これは、戦没者や戦傷者の遺族が年金をもらえるという法律ですが。自決、つまり自分で死んだ人の遺族は、援護法により、年金はもらえない。一方、戦後、島は赤貧の極みにある。配給が止まって飢えて蘇鉄を食って死んだ人までいる。島民は、何度も援護法が適用できないか東京の厚生省に掛け合った。日本中にあちこち同様の人がいるから駄目だと断られた。けれども、軍の命令で自決した、ということならば、(軍の命令を受けた=準軍属扱いとなるので)援護法の対象として年金がもらえると教えられた。

「とにかく、自決命令を出したと言ってくれ、そうすれば(政府から)お金が出るからと言ってね、しかし、誰もならない、馬鹿じゃない限り、あんた、自分で自分を、縄で首しめる隊長はいないですよ」

それで渡嘉敷の島民は、赤松隊長に頼み込んだ。赤松氏は「村を助けるために十字架を背負います」と言った。渡嘉敷の村長は「軍の自決命令書」を作って、赤松氏の関西の自宅へ行った。赤松氏は命令書にサインした。赤松氏は、沖縄病といわれるくらい沖縄に関わっている人で、何とか沖縄を救えないかと模索している方だった。

そしてめでたく島の住民に年金が下りた。

「自決は軍の命令だったと嘘言って、文章書いて、書類作って、援護金もらった」

この結果、集団自決した遺族の方々に一人当たり約1億円もの年金が支払われてきた。
年金を受け取った方は、同じく島の受給者のことを考えると、とても真実をいえるものではなかった。本当のことを言って補償が止まったら弁償しろと、同じ島の人に脅されたという証言もある。

これは、こういってしまうと憚られる気持ちは大きいのですが。…島ぐるみの国に対する詐欺であるといえるでしょう。この年金が税金から支払われたものである以上、返還せよという声が起こってもおかしくは無い。
だから、島の住民は、決して真実を公言できない。

このことにより、集団自決は「軍の命令」となり、命令書にサインした隊長は、戦争犯罪人、屠殺者と、メディアに罵られた。

そしてようやく、勇気ある方々によって、重い口が開かれるようになった。


なぜ、梅沢氏、赤松氏らが、今になって裁判を起こしたのか。
なぜ、彼らは、島の住民のことを思い、墓場まで秘密を持っていかなかったのか。
それは、起訴の動機に明らかかと思います。

即ち、「日本国と日本軍の名誉のため」。

当時の武士道を叩き込まれた日本軍兵士にとって、名と名誉は何よりも守りたいもの。それを、沖縄の人々のために、泥にまみれるどころか、この上なく醜悪な人間として後ろ指指される覚悟すら負った。けれども、ただ自分の名前が汚れるだけだったら、彼らは、そのまま墓場まで黙して秘密を持っていかれたことだと思います。

それ以上に、日本の名前と、日本軍の名前が汚され続けていたからこそ、彼らはそれを正したかったのではないか。
虚偽をそのまま放置できないという義憤のため、それ以上に、国際社会から言われも無い非難を招いている祖国日本に、名誉を取り戻したかったからなのではないか。

自分たちの十字架が、反日の攻撃材料、自虐史観、若者たちが国に誇りを持てない由々しき事態にまで及んでいる。それを正したかったのではないか。

「戦争を知らない人たちが真実をゆがめ続けている。この裁判に勝たなければ私自身の終戦はない」

と梅沢氏の言。重い言葉です。

こうした思いが、「日本の名誉のため」という言葉に凝縮されていると思うのです。

であるので、島の人々のために汚名を着て、しかも今、ご老体に鞭打って日本の名のために事を起こした両氏の、勇気と高潔さには、打たれずにはいられません。

この裁判を起こされた事自体が、御二方の名誉だと思います。

そして、そうした魂を持っておられた方が、戦中の日本には普通に居た。そうした方々に、日本を守ってもらっていた。その事実は、平和教育とは別の次元で、確りと認識していたいと思います。


沖縄集団自決の冤罪問題は、特定個人・組織・地域の利益が、歴史を捻じ曲げるのだという、もっとも顕著な例ではないかと思いました。特定の住民がいわば不正に便益を望んだ。それが高潔な魂を持った方々が60年に渡り冷血悪魔呼ばわりされ、ありもしない日本の汚点が作り上げられた元凶となったということは、事実でしょう。

無論、ぬくぬく育った現在人の私には想像の及びもつかないだろう凄惨な沖縄戦を経た方々、生き残られた方々を、責める気はありません。住民の方々、戦争の被害者には、やるせない想いこそあれ、その後のご遺族の身のいたし方を云々する気などはまったくありません。軍の命令であろうとなかろうと、集団自決は確かにあった。生きて虜囚の辱めを受けずという教えが民間に浸透して、その通り毅然と自らを殺めた方々がいた。その方々のご遺族を責めることなど、できるはずがありません。

両隊長の不名誉な冤罪も、その原因となった集団自決も、戦後の自虐と国民の誇りの喪失も、そもそもの元凶は、マスコミなのではないかと思います。

鬼畜米英の残虐さを広め、玉砕を美徳とし、生よりも死を願うように洗脳まがいに民をけしかけ続けたのは、当時のマスコミだったではないか。メディアが大衆を煽り、メディアが軍を戦争から退けなくし、メディアが民間人の自殺に追いやった。
そして同じメディアが、戦争を断罪し、日本人から自国の歴史への誇りを奪い、人の尊厳を破壊している。

そして、マスコミは、正義の代弁者として、今も声をあげ胸を張って君臨し、世論を作り続けている。

いったいマスコミとは何者なのだろうと思います。

もちろん、マスコミも妙な連中ばかりではないですし、真実と客観に信念を掛けている報道者も多いと思う(思いたい)のですけれども。

一方で、「可哀想な被害者たちと極悪な日本軍」という二元構造にすれば、著書が売れ出版社の利益になる。戦争はもうこりごりという大衆に受け入れられやすい、日本軍=悪として大衆の心情を補償するストーリーを垂れ流すことにより、新聞雑誌は売れる。そうしてこれ幸いと事実を歪めるマスコミこそが、責められるべき存在ではないかと思います。

本や雑誌の売れ行きや、視聴率によって、歴史が作り変えられる。マスコミの影響力によって最も知れた事項が、事実になる。著名人の言が乗せられる雑誌や、全国ネットのテレビ放映により、著名人や番組制作者の認識が、そのまま一般の認識に繋がってしまう。そして一旦形成された認識を変えるのは、容易なことではない。

特定の人間、特定の地域、特定の出版社の利益のために、歴史も、人物像も、簡単に歪められ広められてしまうのだということを、この裁判により、強く認識したのでした。

日本人は素直なので、メディアや肩書きの権威に弱く、すぐに影響されてしまう。
こと日本の歴史事項については、メディアの言うことにははなから疑ってかかり、いちいち自分で資料で検証するぐらいでないと、危なっかしいように感じます。

言ってみれば大江氏も一種のスケープゴードなのかもしれません。大江氏は、誰もがやるように、メディアの記事を基にして自分の解釈を加えて「沖縄ノート」を執筆しただけなので。歴史事項でろくな調査もせず故人について言われのない中傷誹謗している例は、数え切れないほど目にする。ノーベル賞受賞者という肩書きを背負ったがために、大江氏はていのいい槍玉に挙げられてしまったなぁ、という感は確かにあります。それで、大江氏は晩節を汚してしまった。ある意味メディアの犠牲者と言えなくもないです。

モノ書きたるもの、人の名誉を傷つけるような記述をする際は、その根拠は慎重に慎重を期して事実を確認するものだろうと思うのだけれども。こと歴史に関すると、ご親族の心情や、そもそも事実がどうであるかということがほとんど省みられないままに、既存の有名小説や虚構を元に虚像が拡大再生産されていることが多いように思います。今度再放送される新選組の大河ドラマ続編しかり。

そこには、歴史を歪めることで得をする人たちの存在が垣間見えます。出版物の収益、視聴率、観光収入などが絡むと、ろくなことになりません。

(さらに、日本の歴史イメージが損なわれることにより外交上の発言力が増し国の利益になるという、日本の隣国の方々の思惑も大きいと思いますが、それはネット上でも様々な方が論じておられるので、ここでは置いておきます。)

ただ、幸い今は、ネットを徘徊すれば必要な情報や資料の存在もつかめます。
個人がサイトやブログでつぶやく分の影響力としては、マスメディアに比べればたかが知れているのですけれども。玉石混合の情報の渦の中でも、やはり根拠のある確たる事実というのは、力強く残されていくと思います。

何が真実かを見る目は、意識していたいと思います。

…といいつつ、自分も人物を扱う際、つい自分の都合や、調子に乗りすぎを自覚しないままに、貶めてしまうことがあります。その際は、どうか容赦なく、ご指摘、御誹謗、ご断罪下さい…。
posted by 入潮 at 05:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 太平洋戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月18日

日光への敗走

現場から戻って以来、無味乾燥なデータ作りと報告書書き生活です。
朝食時などに浅田惟季北戦日誌草稿を少しずつ読んでますが、これがあるおかげで、なんとか生活に潤いを見出せています。

それで、色々と、これまで自分が紹介してきたことに、細かい間違いがあったことに気づきました。

例の宇都宮戦後の浅田惟季の名言、復古記収録文の「眞ニ大鳥氏ノ神策ト云フ可シ」ですが、原文では「真に大鳥氏の神算といふへし」でした。
そのほか、てにをはや漢字の違いなどは、上げていたらきりがありません。

活字になっている文章は、写本の段階で、漢字を変えていたり、写本者が勝手にカタカナに直したり、送り仮名を変えたり、句読点や読点が入ったり、単に写し間違いがあったりなどで、本人の文章そのままとは言えない。南柯紀行も、本多晋経由で丸毛利恒が写して「旧幕府」に掲載されたものを採用した新人物往来者版と、大鳥家伝来の写しを山崎有信が縁者にいちいち照会対象した「大鳥圭介南柯紀行」とでは、けっこう文章に違いがある。「幕末実戦史」収録のものは、もはや別物と言っていいぐらいで、これは大鳥のご親族から出版差し止めを食らっていたり。

これまで、出展の文章を忠実に表そうとして、変換のしにくいカタカナ文を一生懸命打ったりして、無駄なあがきをしたこともありましたが。そもそも活字になっているものや写本の時点で、原典がどこまでオリジナルに忠実かわからないので、正確さを求めても余り意味がないなぁと思いました。ということで、今後、基本ひらがな、漢字は人名以外は特に意味の無い限り常用漢字を用いることにします。いや、単に自分が楽で読む人が読みやすいほうがいいやと、それだけです。

さて、宇都宮の後。敗残兵の日光への落ち行きについて。

南柯紀行では、読むのに辛く侘しい文面が連なります。

途中、地元民に兵糧を乞うと、ゴマをつけた握り飯を炊き出しをくれる。縁側に釜を並べておむすびを山の如くに積み上げて通行の兵に与えてくれる。大鳥、不思議に思って、なんでそう吾等をもてなしてくれるのかと問うと、百姓は、自分達は百姓だけれども、東照宮の恩に浴して実に長い。徳川氏の為に尽力するについてせめて兵糧だけでも勤めて三百年の恩義に謝したいと答える。大鳥、非常に感激する、という嬉しい一幕もありましたが。(それにしても「百姓家にて多く兵糧を焚出し、結びとなし、ゴマなどをつけて通行の者に供したり」と、食い物の施しについては、細かい)

その後は、道案内も無く、山道暗夜に惑い、漸く次の村についたら百姓達は逃げていて人っ子一人いない。空家で薪をともして暖まってからまた歩く。疲労のために歩きながら眠りかける始末で、農家の縁側で倒れ附す。そういう思いをして今市本陣にようやくたどり着く。大きく遅れて、柿沢も戸板で運ばれてきて、同じ宿に至る。
日光を目指すも弾薬無し。会津人に若松からの周旋を頼む。会津砲兵隊の日向内記は、会津国境が手薄だからと五十里にまいで引揚げてしまった。怪我人も多い。

柿沢も本多も深手で相談相手もなく、非常に困った。
日光奉行の新荘右近と組頭の清水が宿にやってきては、日光は米塩の蓄えがなくて、兵に駐屯されたら困る、ここで戦争されたら僧も迷惑という。宇都宮から日光に非難していた板倉勝静にいたっては、神廟を血で怪我したら忠誠も却って仇になる、などと因循なことを言ってくる。
これまで物理的・精神的双方に拠り所として目指してきた日光にようやくたどり着いて、そして留まることすらできなった。

ここで追い討ちをかけるように、四月二十五日(二十六・七日の記述もあり)柿沢の死。

この柿沢の死について。浅田君の北線日誌草稿。

「二十五日、柿澤勇記、創重癒へずして終に死す。此人、性穎悟、文学を能し、時勢に通ず。惜しむべき怜悧の人物なり」

惜しみの言葉を上げています。
浅田は柿沢を、相当高く評価していたことが伺えます。

穎悟(えいご):才知がすぐれ、悟りの早いこと。非常に賢いこと
怜悧(れいり):賢いこと。利口なこと。利発。
(大辞泉)

「穎悟」のほうが意味が強い気がします。「怜悧」のほうは、大鳥が山川大蔵の印象として用いた語でもありました。「怜悧」のほうは消されているようにも見えるですが。二つの語で意味が重なったから浅田が後から添削で消したのかしれません。

柿沢が、時勢に通じた人であったという点。柿沢が今で言う外交官畑な公用局出身だというのと、大鳥が信用して側に置いたという二点から勝手に自分が予想していたのですが。浅田君の記録でウラが取れました。

安塚進軍においては、「嗚呼、此日大鳥氏の説の如く迅速に進撃せば、必ず勝を得ん、然るを衆論決せず、空しく好機を失するに至る、惜しむべき也」と、柿沢が反対して軍議が決さなかったことを書いていましたが。これに拘ることなく、浅田君、やはり柿沢のことは高く評価していました。柿沢の大鳥への反対は「え、あの柿沢が?何で?」という感じだったのではないかと思います。

にしても柿沢を評する人、皆、詩文に通じるなどの柿沢の文学教養について褒めています。浅田君が「文学を能し」と言っているということは、浅田の前で柿沢が詩文を披露したことがあったりするのだろうか。大鳥と詩を交し合ったりしたのだろうか。

返す返すも、惜しいという言葉では尽くせぬ方を亡くしました。

それで浅田君の筆ですが。この後が辛い。

「此日、我伝習隊の裨将、山角旗三郎、板橋淳次郎、次官鈴木芳三郎、大久保虎吉、大久保録三郎、大岩正助、俗務官木村良吉、三ツ谷某、出奔す。是必ず、安塚宇都宮の烈戦に恐怖して身を遁れ成可し。嗚呼脆弱の鼠輩、論するに足らず。吾輩、豈此不義の徒を頼んや。之れ兵隊一時之の為に沸騰、下等士官其他又脱走、為す者有り。将に瓦解を醸さんとす。大川正次郎、瀧川充太郎、奔走して鎮撫す。予も創の痛みを忍びて説得し、漸くにして止む」

士官の脱走者について、浅田、憤慨しています。

この時の脱走者。
山角麒三郎は六番小隊頭取(隊長)で、法恩寺で伝習隊が大鳥を待っていた際に名前が挙げられた人。4月17日結城戦では大川とともに遊兵として敵を敗走させる勇戦を見せた。
板橋淳次郎は三番隊長頭取(隊長)。脱走時「死を盟ひて悉く大鳥圭介に属し」た士官として、浅田が本多、大川、山口、山角らと共に名前を挙げている。
鈴木芳三郎は七番小隊隊長で差図役。大久保虎吉は六番小隊の差図役で、壬生攻めに大川と共に参加。 大久保 録太郎は六番小隊の差図役並。
(なお、裨将=頭取、次官=差図役で、後から書きなおしています)

伝習第二大隊、なんと、三番、六番、七番の各小隊長が脱走してしまっていました…。その外下士官も脱走しています。特に六番小隊は、隊長、副隊長、その下の差図役並までもが脱走。トップ3が姿を消してしまいました。ただ、嚮導役の鈴木金次郎は残っています。鈴木は「名義団録」の著者で、箱館では伝習歩兵隊差図役頭取に昇進し、三番小隊隊長にまでなっています。下士官の嚮導役から隊長に昇進とはすごいなー、と思っていたのですが。上三人がいなくなって自分は残っていれば、そりゃ、昇進もするものだな、と思いました。

浅田の怒りは激しく、脱走した彼らを、頼むに足らない脆弱なネズミ輩呼ばわりしています。そして浅田、傷の痛みを忍んで、説得に回って脱走を食い止めました。

この記述も復古記に収録されていない部分です。復古記編者の方、こんなに大事な記述を、あっさり捨て去らんでくれ…と思いました。いえ、歴史の対極の流れを見るか、人物を細部を観るかの視点の違いであるというのは分かっているのですけれども。

ちなみに浅田の言にある、脱走を止めるのに「奔走」したらしい大川ですが。

「而るに軍中怯論沸騰して不止、為に二十三日ついに総軍日光鉢石に引揚ぐ。然るに兵意盃密し脱走する者多し、殆ど瓦解に及ばんとす。依之二十九日残兵を引纏め、六方越の間道過ぎて西川村に至り會藩の至るに遭ふ」(奥州南口戦争記)

と、瓦解もその後の六方越も、感情無しに非常にあっさり書いています。
拘らない男、大川正次郎。

この脱走が出たのは、無論、伝習第二大隊だけではありません。

「第一大隊のうちに薄井蓮次郎と言う者金百両、斉藤登は五十両、隊中の軍金持逃脱走、又回天隊の内飯田吉十郎、神谷三郎、日光鉢石駅より脱走す」(谷口四郎兵衛日記)

第一大隊の連中に、金の持ち逃げまでされています…。

このように各人が名前を挙げて記している士官脱走・瓦解事件。

大鳥は日光の拒絶を含めて、ただ「宇都宮一敗後人心瓦解」「兵隊進退のことに心を砕き」と述べるのみです。

部下の隊長格の者たちに逃げられるなぞ、不名誉なことは書きたくなかったのかとも、ちらりと思いましたが。
圧勝した戦なのに兵は酔っ払っていて馬を逃がして背嚢をなくして困った(小山第二次戦)とか、宇都宮で兵に準備させているのに朝の敵の砲撃に驚いたとか、そういう書き方ばかりする人。こんな酷い眼に遭いましたというネタがあるなら書かずには居られず自分で自分の評価を下方修正しまくっている人なので、それも考えにくい。

どうも、大鳥は、脱走を知っていて書かなかった、見逃したのではないか、という気がする。
軍たるもの、脱走逃亡は死罪ですし。少なくとも名前を書き記したら、脱走者の不名誉が残る。それを慮ったのではないか。咎めなかったら自分もある意味同罪であるし。

…とすると、大鳥を美化しているような感じではあるのですが。
むしろ、誰よりも大鳥本人が一番逃げたかったのではないかと思うのです。逃げた人たちの気持ちがわかるから、書かなかったのではないかと。

新妻、幼い子、老いた父母が困窮しているのなら、大黒柱は死ぬ眼に遭う前に帰ったほうがいい。
そうした思いがあったのではないかと思いました。

なにせ、脱走前に家族が避難する際、「おひな様片付けちゃやだ〜」と泣きぐずるひなちゃんのいじらしさをこれでもかと書き上げて心挫けそうになった様を自伝草稿に書き、家族に「府下に徒死せず」と言い置いて出てきた男ですから。待つ者のいる人間の気持ちは、己のものとして知りぬいていることでしょう。

そういえば浅田君も、新婚か、それに近いのではありませんでしたか…。いくら嫁様の実家は漢方医の大家で暮らし向きに心配はそれほどなかっただろうといえど。怪我しても痛みを忍んで戦って駕籠で担ぎ出されたり、打ち抜かれて敵兵に付け狙われて兵が三人犠牲になってくれて離脱を助けてくれてモッコで運び出されたり、関所を通るのに切腹未遂したり、傷が化膿して朦朧として耳が聞こえなくなったり。…嫁様が見たら、泣くと思います。


さて、さらに追い討ちをかけるように、この時起こったこと。

「今市宿の方より人足風を致し、此方へ来る、番兵之を咎め候処、甚だ怪しき様子に相見へ、直様召捕り、本陣へ引き送り、吟味致せし処、敵の廻し者。此者三番町屯所の小頭役ナリ。日光並木にて首を切り、味方是を酒の肴に喰なり」(野奥戦争日記)
「鉢石間にて独り召捉え、是は許、脱走前三番町歩兵屯所歩兵小頭之尋聞を、更に一言の答なく、遂に(某)斬首するに、諸兵肉を食、回天隊(某)(某)始生肉を食。第一歩卒(某)生キモを食後、大言珍しきたわごとを吐き、歩行て果ては偉乱と成」(谷口四郎兵衛日記)


敵の間者となった幕府の元三番町屯所の役人らしき人に対して、口語訳しかねる、おぞましい事も起きています。
大鳥さん、一切書いていませんが。これにはどう対処したのだろう…。
これは本当に書きたくなくて、記憶から抹殺したのではないかという気もする。

そういうわけで。
敗軍を率いながら、死生ともに一つであらんとするまで惚れ込んだ柿沢の死。兵の脱走と瓦解。配下の兵の元同輩に対する非人道的極まりない仕打ちと狂乱。そして東照宮の威光を守る使命たる僧侶からも板倉からも、兵がいたら迷惑だから去ってくれと追い出される。

もはや泣き面に蜂とかいう生易しい言葉では著しきれない、もうどうしようもない状況の大鳥総督。さらにこれから、筆舌に尽くし難い苦難の待つ六方越の餓鬼道へ発つのでありました…。


頼りにしていた人間に去られる辛さというのは、良く分かります。
自分の何が悪かったのだろう、一体どうすれば打開できるのだろう、どうやって埋め合わせをすればいいのだろう、と。申し訳ないやら、力不足が悔しいやらで、袋小路に入ってしまって、飯も食えなくなります。

カウンターパート(相手政府のプロジェクトのメイン担当者)は留学でいなくなる。パートナーのブータン技術者(「勤勉な人」でご紹介した方)は幹事のインド会社から給料が支払われない事が不満で辞めると言い出す。測量チームのキーの人間を夜遅くまで働かせすぎてしまったら、彼が夫婦喧嘩を起こして投獄者されてしまう、と。頼みの綱の面々が居なくなって、その分自分に振りかぶってきてにっちもさっちもいかないどうしようかという状況で、鬱々としていたのですが。

毎度の事ながら、大鳥圭介らの苦労を見ていると、自分の悩みなぞ苦労の言にも値しない、吹けば飛ぶ些細なことだと思いました。
敗軍の将にだけはなるものではないと、つくづく思わせる一件でありました。
posted by 入潮 at 04:24| Comment(3) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

佐倉と国立歴史民俗博物館

帰国しました。
つい最近まで暑くて汗だくで畳に寝転んでいたような気がしますが。季節が移ろっていました。
1月になったらまたすぐに出るので、周囲からは、忘年会と新年会のためだけのために帰ってきたのか、というような目で見られています。

今回は、成田からの帰りに、佐倉に寄りました。念願の国立歴史民俗博物館、通称、歴博です。
佐倉城跡の城址公園にあります。

江戸時代の第三展示室が、リニューアルで閉鎖中でした。再開は3月18日とのこと。案内の方が教えてくださったとき「えっ、閉鎖しているんですか」と声に出して言ったら、よほど残念さを込めてしまったので、懇切丁寧に「ビデオ展示があります」とご案内してくださった。

常設展示は、立体展示の歴史教科書、という感じでした。模型作りが楽しそうです。
一方で、テーマ別に資料を纏めた配布プリントがおいてあり、更に興味のある方はこちらを参照、という感じで、様々な視点、様々な年代の方が楽しめるよう配慮された作りになっていました。さすが国立。


あと、佐倉藩は、藩主堀田正睦をはじめ、佐藤泰然や木村軍太郎、依田学海ら和洋の学者の町ということで、特に有名です。山内堤雲も一時期佐倉にいました。大鳥の友人も豊富で、その伝でみちさんや子供達が大鳥脱走中は佐倉に避難していました。
博物館の図書室で、「佐倉市史」や雑誌の「佐倉史研究」などを開いていたら、官員さんに「こちらは郷土資料は余りなくて、市立図書館から寄贈を受けているぐらいなんですよ」とえらく恐縮されてしまった。「何をお調べですか」「えっと、佐倉の洋学者を…」「佐藤泰然ですか?」「えっとその、荒井宗道(みちさん避難先)と木村隆吉(大鳥の駿河台屋敷からともに脱走)と小柴小次郎(草風隊一員として脱走)と大築尚志(こちら参照)を…」「……」という会話を交わしました。そのあと「明治に生きた佐倉藩ゆかりの人々」という本をご紹介いただきました。

小柴小次郎は、亜樹さんがご紹介下さって以来、とても気になっていました。
木村隆吉と小柴小次郎の碑が、佐倉市鏑木町の浅賀多神社の境内にあるらしい。今度行ってみようっと。

展示以上に大きな収穫だったのが、全国各博物館の特別展示の資料集を販売してくれている事。国会図書館にもなかなかないし、その博物館まで足を伸ばさなければ手に入らないものばかりだから、これが大変ありがたい。思わず散財してしまいました。収穫は以下の通り。

● 東京都港区立港郷土資料館「江戸の外国公使館」

2004年日米和親条約150周年を祈念して発行されたもの。明治元年以前に江戸にあった各国公使館とその関係者について、資料や写真が紹介されています。また、外国人が関連した事件や、見物場所、警備についても。図録名や人名が英語で並列されているので、関係機関や人物のスペルを調べるのにも役立ちます。洗濯するフランス人の図など面白い。安政5年の条約交渉時の永井尚志、水野忠徳、岩瀬忠震らの西応寺の写真、若い福地源一郎や福沢諭吉の肖像写真、通弁や勘定の役人たちの写真もあり、興味深いです。なお、1500円と、お買い得です。

● 栃木県立博物館「幕末の陸海軍を率いた黒羽藩主大関増裕」

大関増裕は黒羽藩の大名ですが、生まれは横須賀藩、桂川甫周に蘭学を学びました。講武所奉行になり、文久の軍制改革では自ら設立した初代陸軍奉行に就任、さらに慶応元年に海軍奉行を歴任。横須賀造船所に関わり、小野友五郎に甲鉄艦を注文させ、開陽丸にも試乗している。慶応元年の時点でフランス軍海軍服で総髪姿という、前衛的な写真があります。幕府の陸海軍で軍制の最前線の役割を果たしながら、慶応三年に狩猟中に急死してしまったという、興味深い人物です。
掲載されている資料は、軍制改革に関連する一般的なものですが、大鳥の訳書や大鳥活字の用いられている陸軍所発行物の数々が圧巻でした。

● 西南戦争を記録する会「西南戦争之記録第2号」

スペンサー銃のパンフレットが、英文と訳文両方掲載されているので、思わず手に取ってみました。図がとても精密で、連発機構が良く分かります。
西南戦争の戦場踏査記録や、参加者の自叙伝・攻略戦記や、当時の軍陣医学についてや、手紙など、貴重な資料が満載です。既に缶詰が使用されていたなど興味深い。西南戦争を調べられる方には垂涎の中身かと思います。何より附録がたまげた。当時の陸軍参謀局が攻略に用いていた、九州の西街道全図。詳細。まだ等高線が用いられていないのに、緯度経度が振ってあるのが、とても新鮮。郵便所、電信局があるのが素敵。地図史としても貴重な一品かと。思わず笑いが止まらなかった…。

● 国立歴史民俗博物館友の会「佐倉の軍隊」

大岡昇平の「レイテ戦記」に出てくる第五十七聯隊が、佐倉で編成された聯隊だったということで、興味があった。佐倉聯隊の兵営や城址についての記述が豊富なので、歴博の帰りの城址の散歩の右手に持っているとよいかも。
大岡氏の「レイテ戦記」は、死の直前まで大岡氏は手直しを続けたとのこと。雑誌連載時は生存兵士の記録が多かったが、死後の全集ではまったく載せられなかったとのこと。疑わしきは取らないという姿勢は立派です。ちなみに大岡氏は、帝国酸素や川崎重工など技術系の会社に勤務の後、召集兵としてフィリピンで戦い捕虜となった経験をお持ちです。大鳥の敗軍記「保成峠」と「檜原」を遺されていますが、「戦争から帰ってから、なにか負ける話が好き」ということで、大鳥とご自身を重ね合わせるところが大きかったらしい。

● 国立歴史民俗博物館 「資料図録5 武具コレクション」

オールカラー。ゲベール銃、ガラベイン銃、エンフィールド銃、シャープス銃、レミントン銃、スペンサー銃(この3つは底碪式というらしい)、スナイドル銃、ハンドモルチール砲、各年式の村田銃、など等の写真。多くの銃で機構部の分解写真があるのが素晴らしい。銃身や弾丸、ハトロンの写真も。
エンフィールド改造スナイドル銃というのもあった。前装式から後装式への改造が可能だったということに驚き。
図録はお値段も張りますが(5250円)、武器好きの方にはその価値はあるかと思います。



なお、購買で全国博物館の図録リストももらえます。通信販売をしてくださっているのが嬉しいです。後からじっくり眺めて、取りこぼしたものを注文する事もできます。

調子に乗って買ったら、重くて、キャリアケースが壊れてしまった…。
バンコクからの夜行明けで眠くてフラフラだったので、午前中にさっくりと見て終わろうと思ったのですが。結局、閉館まで居ついてしまいました。


そして帰宅。
相変わらず、家はネズミの糞だらけになっていました。

今回、ネズミの糧を残すものかと、めぼしいものはすべて処分したり冷蔵庫(密閉のため)に入れたりして出てきました。
すると、ネズミ連中は、ひじきや乾燥ワカメや、キャンプ用の砂糖やココアや、果ては座椅子のスポンジまで食い荒らしてやがりました。ツーリング用のビニル防水バッグや延長コードまで齧られているのには、もう、恐れ入った。ネットが通じないなぁ、またモデムが壊れたのかなと思ったら、モジュラージャックまでが齧り切られていた。よほど飢えていたらしい。ビニルケーブルや銅線なんて食べたら死ぬのでは。

と思ったら、居室で、異臭がする。立つと匂いが強くなるので、恐らく天井裏で臨終したのだろう。
この部屋で私は、ものを食い、本を読み、ネットして、寝なければいけないのだけれども。

私が悪かった。いくら以前にミッキーマウスを貶したからって、ここまで祟らんでもええじゃないか、と思いました。

とりあえず、ブータンで買ってきたお香(ブータン産の製品は、蜂蜜とビールとお香ぐらいしかない)を炊いて誤魔化していますが。回収するにも、天井裏の板の外し方が分からない。

どうしよう。おとなしく二酸化炭素と水に分解されるまで待つか。
しかし、このまま正月を迎えるのはかなり鬱だ。

とりあえず、休みに入ったら大工さんに来てもらおうと思います…。

良かった事といえば、3ヶ月近くほったらかしていたバイクのエンジンが、一発でかかったこと。
正月休み、どこかへ走りに行こうかしらん。日光は…凍死しそうだ。
posted by 入潮 at 01:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月29日

当たり前の贅沢さ

仕事収めでした。
収めるどころか仕事は増える一方で、収拾つきません。今日は半日以上は飲みながら仕事していました。今日チェックした図面に基づいて建設が行われるというのは、恐ろしいことです。飲酒運転を禁じるのは当たり前ですが、飲酒勤務も禁じないといけないと思います。

今回出張は長目だったので、帰国日は、いろんなことに感動していました。

佐倉で真っ先に、コンビニで、おでんと麦茶を買って食べました。世の中、あんなにやわらかくあたたかい食べ物と、あんなに香ばしく味わい深い飲み物があったのかと、感動しました。200円で味わう至上の食の幸福。と言うとえらく大げさですが。

これまで、チーズと唐辛子と豚の脂身と赤米と硬いパンとその他野菜ぐらいで過ごしていました。それはそれで普通においしく食べていたのですが。日本のお茶とダシの風味のもたらす安らぎといったら、なにか別格のものがあります。コンビニ食でそんなことをほざくなという感じではありますが。そういうのが安く24時間街中至るところで手に入れられる日本の食産業と流通業はすばらしいと思います。

銭湯で湯がたっぷり使えるのも、嬉しい。今までは、冷え切った風呂場で、電気で沸かしたバケツ三杯ほどの湯を、いかにして効率的に使うか頭をひねりながら、洋上の海軍の兵隊さんなみの節約をして、寒さに震えながら埃っぽい頭と体を洗っていました。
それを思うと、銭湯で思う存分湯を使い、皮膚のただれそうに熱い黒湯の温泉に入り、湯上りは冬の夜の冷気の中、湯だった肩にタオルをかけて、湯冷ましに夜の町をぶらぶら歩いて、缶ビールを飲む。この世の幸せです。

そのほか、夜でも前が見えるとか、、斜面に土砂崩れ防護がしてあるとか、足元が舗装されていて滑らかで下を見なくても歩けるとか、オフィスで手がかじかまないとか、トイレの水が流れるとか、階段の高さが各段で同じだとか、銀行で長時間並ばなくてもお金がATMで自動で下ろせるとか自動販売機で飲み物が買えるとか、24時間開いている店があるとか、靴のサイズが色々あるとか、野犬がいないとか、マラリア蚊がいないとか、あくびをしても唇が破れないとか歩いても踵が割れないとか、風が吹いても砂埃が立たず目を開けていられるとか、1M以上のメールやファイルも数秒で送れるとか、人様のブログが一瞬で開けるとか。些細なことに喜べます。

しかしながら、そうした感動も、一日で慣れてしまって、なにも感じなくなってしまった。今まで人生の大部分を便利な環境で過ごしてきたから、当たり前なのですけれども。

この当たり前さが、不思議で、奇怪なものだと思う。

もはやインフラは空気です。電気も水道も給湯も電車も道路も防災も安全も衛生も、皆、空気のように思っています。

街灯があって夜でも明るく、道路も屋内も舗装されて躓くものがなく、砂埃も立たず、害虫がおらず、様々なデザインとサイズの製品が溢れて販売され、エアコンで室内を快適な温度にし、皆が高速のインターネットにアクセスできる。

その生活は、本来、すさまじいお金と労力が社会インフラにつぎ込まれていないと成り立たないのですが、そんなものは、あって当たり前になっている。

この快適で、安全で、便利で、生き易いことが、空気のようになってしまっている。

その一方で、談合や贈収賄や品質欠陥や構造計算書偽造といった、技術者、会社の欠陥ばかりが報道される。もはや土建屋、建設会社など社会悪の代名詞のように、お茶の間ワイドショーでは語られてしまっています。
そんな中では、建築家、技術者を目指す若者がどんどん減るないのではないかと心配になります。

マスコミも一般人も、みな技術の中身を知らない。電気がどのように作られて送られているのか、足元の舗装にどのように作られ金が注がれ成り立っているのか、PCがどういう構成で出来ているのか、だれも気にしないから、価値も置かれない。

そして、電車が来ないとか、道路が混んでいるとか、電気が止まると、あたかも運輸会社や電力会社が自分たちの生活を妨害する悪人であるかのように、非難する。

声を大にして言いたい。

あんた方は、世界有数の豊かで便利で安全な生活を満喫しているのだと。
そして、それは日夜エンジニアたちが業務に心身を捧げて初めて成り立つ社会なのだと。

贅沢を贅沢だと自覚しないのが、一番の贅沢だと思います。

製造や建設やエンジニアリングに対する価値の置かなさは、社会問題に繋がりつつあると思います。

社会圧力により、効率化やコスト削減の企業努力の多くが、エンジニアに押し付けられている。

今まで協調主義だったものが、競争原理に入れ替わった。
これまでは実績ベースの随意契約で受注できていたものが、競争入札に変わった。そのために提案書や入札書類の準備に相当な労力を割かねばならなくなった上、コスト競争で受注できても利益は薄くなる。
問題が起きれば誰がコストを負担するか、エンジニアが契約書を片手に喧々諤々に論議せねばならない。今まで分業できていたものが人員削減で一人がカバーせねばならない分野は激しく広くなった。なので、エンジニアにも交渉能力、契約知識が求められる。今まで自分の専門分野に精を出していればよかったけれども、そんな贅沢は許されなくなった。

そして、人材紹介会社がウェブや電車の広告でハバを聞かせては、自分の会社に対する不信感を煽っている。転職がカッコいい、自分は年収で報いられていない、今の会社には不満を持たないといけないのだという気にさせられる。

私は、終身雇用と年功序列が、日本の技術のキーだと思います。

技術は人です。人から人へ伝えられ、人が発展させ、それが競争力になります。特に技術者は、徒弟制度的な実務の中で、会社が蓄積してきた技術が上司から部下へ継承されます。期間が限定されている派遣や契約社員ベースでは、この技術の継承は難しくなる。

バブル期ぐらいまでは、受注は安定して利益も十分取れて、社員一人一人が目の前の業務に集中することができ、上司から部下への技術教育、技術継承がしっかり行われるだけの余裕がありました。人が会社に居て、会社のために精を出すから、会社の技術力が上がり、国際競争力が付くのです。

そして、会社が社員の生活を保障し、社員は会社を我が身我が主として献身する。その関係が、日本的な産業発展を成し遂げたと私は思っています。

まずは自分の会社を好きになることが、社会貢献の始まりだと思います。自分ごときが働かせてもらって、給料を払ってくれる、なんていい会社なんだ。そう思うことが必要なのではないかと思います。転職ニーズはいつの時代も一定量はあるでしょうけれども、人材紹介会社が会社への不満を煽り転職をけしかけている今の状態は、長い目で見て社会にプラスに働くようには思えません。

ブータンで知人と話していて、お前の給料は?と聞かれた際の話。日本人とブータン人の給料はあまりに違うので、素直に言うと「こいつ、この程度の知識しかなくこの程度の仕事しかしていないくせに、こんなに貰ってやがるのか」と思われるのが怖かったので、先に「自分の仕事は、私の今貰っている給料に値するとはとても思っていない」と答えました。すると彼は「そう思う人が会社にいるのはすばらしいことだ。普通は皆、自分は報われていないと思うから真剣に仕事しないし、すぐに転職する。一方、給料に値しようと皆が会社のために一生懸命働くから日本は成長したのだ」と言いました。せっかくだから、彼には誤解したままでいてもらったのですが。彼の言葉は、結構真実をついているのではないかと思います。

しかし今は、企業への社会圧力のために、上司はコスト削減のための部内管理に追い立てられる、部下は人員削減のために専門以外の雑務事務で走り回っている。そして設計なり測量なり、いろんな業務をアウトソーシングする。本来自らが技術業務を行うべき社員は、外注契約や事務管理作業にばかりに忙殺されている。専門業務を集中して行う時間が確保されないから、専門性に自信がもてないまま。結果、社員の技術力が付かず、会社に技術が残らない。会社自身の、業務遂行能力が減退している。技術が空洞化して、ブランド力も中身の技術力もあった会社が、スカスカになりつつある。

技術の空洞化は魂の空洞化に繋がると、建設会社の方が仰っていました。

まさしくそうだと思います。
技術者に技術力がない、専門性がない、製品に自信がもてない。そんなことでは、どんな競争もできなくなり、仕事に誇りをもてなくなります。

技術の劣化、競争力の低下は、そのまま国の収入と会社の実力の低下に直結します。国と会社に金がなければ、親父の収入が低下し、行政サービスも劣化し、家族が生活しにくくなります。貧乏は心を荒ませます。礼節ある生活は衣食足りてはじめて成り立ちますが、収入がなければ、物質的にも精神的にもゆとりある生活はできなくなります。

日本の収入源は基本的にモノ作りです。サービス産業はそれに派生している二次的なもので、膨大なモノ作り産業が国にあって成り立つものです。モノ作り無しで、今の生活レベルを日本人が満喫できることなどありえない。

その「モノ」(箱物、電気、機械、車、化学、材料、等など)を作るためのハードウェア技術が、今、「あって当たり前」になっている。誰もそれを作る人を評価しない。当たり前のことをやっているとしか思えない。せいぜい、新製品がほんの数ヶ月間もてはやされるのと、ソフトウェア産業が就職で人を引き付けているぐらいでしょうか。

この、モノ作りへの価値の置かなさ、評価のしなさは、将来的に、日本の国力の低下に劇的に繋がると思います。

一人一人が、今あるインフラ、今ある生活を「当たり前」のものとして価値を置かないということは、日本を衰退させることだと思います。

なので、国民一同、もっとモノ作りする親父の背中を尊敬して欲しいと思います。
そして、自分もその道を志す若者が増えてくれればと思います。

具体的には、小学校の理科算数教育でその面白さを十分子供が理解し自発的に子供が自然の成り立ちや生活物資の構造への興味を持つような教育をしてほしいと思いますし、大学の今の工学部の人数を2倍3倍に増やしてほしいと思います。

まずは、日本の高等工業教育の興り、工部大学校をドラマ化して、若者がテクノロジーへ目を向けるきっかけを、メディアに作って欲しいと思います。本気。

ここでもまたメディアの悪口になるのですが。メディアが不祥事や偽装を喜んで放映して、悪を責める正義漢の悦に入っているから、企業への締め付けがどんどん苦しくなる。企業はコンプライアンスとアカウンタビリティに必要以上の労力を割かねばならない。コストは増加する一方だからサービス残業でもして埋め合わせねば到底コスト削減なんてできないのに、メディアは労働基準法を振りかざしてでまた企業を締め付ける。

そして、カネを動かす人間ばかりが尊重される。マスコミは、連日投資、株価状況をさもそれこそが世の中を動かしているのだと言わんばかり
投資家、弁護士、政治家、銀行家ら、他人の仕事の上に乗っかって、表面で法律やカネを運用している職ばかりの価値が上がっていく。

まず、メディアの意識をなんとかしないと、日本は悪い方向へ行くだけだと思います。


えっと、酔っ払っているので、結構、支離滅裂なことを言っていると思います。お気を悪くされました皆様、ごめんなさい。非難は甘んじてお受けいたします。

さて、本日、案の定、日本の正月事情を知らないインド人が、積算と報告書を至急直せと言ってきやがりました。GWも盆も連休も関係なく、この上正月まで奪われるようです。少なくとも年内一杯は出社です。インド人を跳ね除けて仕事量を管理できない非力な自分が悪いのですが。

初詣では、人並の生活ができますようにとお祈りしようと思います。
そして、技術者のみなさんが、そんな祈りをしなくてすむような世の中を、お祈りしようと思います。
posted by 入潮 at 03:30| Comment(5) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

靖国初詣と新年会


いきなりですが、初詣と新年会をやろうと思います。
つきましては、参加してくださる方、募集させてください。

お知らせが、年の瀬も差し迫った今日で、しかも当日まで3日しかないという、いつもながらの行き当たりばったりです。

1月2日 (水)
10:30 集合、初詣
14:30 新年会


という感じで。初詣の場所は靖国神社、新年会は九段か神保町あたりです。
もちろん、初詣、新年会どちらかのみの参加もOKです。夕方以降も飲み続けるかもしれません。

ちなみに、靖国の芸術的な大村益次郎像を作ったのは、大鳥が校長を勤めた工部美術学校の生徒さんです。

もともと、幕末サイトを運営しておられるたぬ吉さんと、一度飲みましょう、という話をしていて、せっかくだから初詣も兼ねましょう、という流れになっただけのものです。なので、ほとんど思いつきで、アレンジもなにもあったものではないです。内輪の小さなものになると思います。

もし近郊で、正月は暇だ、という方がいらっしゃいましたら、ぜひご参加ください。

たぬ吉さんが、早速、通知ページを作ってくださいました。

http://ohmiyatanukiti.web.fc2.com/kamati/travel/edo/200801_kokuti/200801_kokuti.html

ご希望者は上記ページのメールアドレスまで、ご連絡いただけますと幸いです。

ただ、運営者二人は、まじめな話も好きですが、いつオタクモードに入るか分かりませんので、ご注意下さい。


「それでは友よ、靖国で会いましょう」

とでも締めくくろうと思ったのですが。以前に沖縄戦に触れたら、そのままフィリピン戦や硫黄島に関心が移ってしまって、とても靖国を軽々しく言える状態ではなくなってしまった。
今、兵士の方々の時世の句や家族への手紙の実物を見てしまったら、人様に見せられない顔になると思います。遊就館で初泣きしていたら、捨て置いて下さい。

posted by 入潮 at 14:30| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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