2008年02月05日

オタクで女の子な国

山の国に戻ってだいぶ経ってしまいました。
寒いです。-30℃のモンゴルから後から直行してきた人も、モンゴルより寒い寒いと言っています。モンゴルでは豊富な石炭を焚いているおかげで、家の中は半袖で居られるほどな一方、ここでは非力な電気ヒーターにかじりつくより他はないからです。人間、快適な思いをしようと思うと、二酸化炭素を出すのは避けられません。
日本も厳しい寒さで、首都圏でも積雪だそうで。どうかお気をつけてお過ごし下さい。

長い間東京に馴染めず、これまでは、早く出張に出るか地方に引っ越したくて仕方がなかったのだけれども。なんだか今は、東京を離れているのが惜しいです。引越ししてからの古い家と、江戸の面影の残る街が居心地よかったからかなと思います。

いや、単に、飲み遊んだ正月が懐かしいというのが大きいです。すみません。

NHK衛星に"Tokyo Eye"という、日本や東京のツボな所を外国人の新鮮な視点で紹介するという番組があります。その中で、皇居周回−永田町−東京駅−大手町−銀座−築地−隅田川−下町というルートを自転車で回るコースが紹介されていました。皇居の自然、銀杏並木、1914年建造の辰野設計の東京駅、築地の屋台、隅田川くだり、駄菓子屋の楽しみなど、しっかりと過去から根付いている、東京というまちの魅力をみて、いい所なのだなぁとしんみりしました。郷愁、というほどそこに長くは住んでいないですが。自分がいいなぁ、と思っていたものが外に向けて紹介されていて、嬉しかったです。
なんだかんだと、離れると、住んでいたところへの愛着が大きくなります。

そんな前フリで、わが国をさらに好きになる本を、一冊ご紹介したいと思います。

「オタクで女の子な国のモノづくり」

…本気でお勧めしています。
題名と表紙で、かなり偏見を持たれてしまう感じの本です。

著者、川口盛之助氏は、製造業の商品開発や研究開発戦略のコンサルタント。
世界に誇るオタク文化と国の機関技術である製造業の橋架け役なることがライフワークなのだそうです。

オンラインでもこの本のテーマは、エッセイとして読むことが出来ます。
「ニッポン的ものづくりの起源」

とても分かりやすい、お手本のような論理立ての文章で、見習いたいなぁと思う文章を書かれる方です。

この方は日本人を「全体的にオタクっぽくギャル的な気質を内在」し、日本文化は子供かつ女性的、つまり「女の子っぽい」と見ています。

決して、馬鹿にしているのではありません。
日本人の気質の特徴を、細やかさと感受性を持つ点が「女性的」であり、好奇心旺盛でアイデア豊富で何でも試してみる点を「子供的」であり、つまりは「女の子っぽい」と、著者は分析しています。

日本人が高度な感受性を持つということを、まず、暖房便座を用いて説明しています。便座を暖めておくと、用を足すときに気持ちいいと考え、それを本当に実行する気配りと感受性。これは、いかに日本企業を買収しても、社員を日本に留学させてドクターを取らせても生まれない。一方で、日本人は日本で生まれ育っただけで当たりまえのようにそういう価値観を身に着ける、とのこと。

必要最小限以上の贅沢な機能を付加価値をつけた日本の製品は「どこの国のどこの文化の出身の人であろうと、一度使ってしまえば病み付き」になり、製品開発には「完熟を超えて、くさっているのではないかと思われるぐらいの贅沢をするセンス」が問われると、筆者は言います。

その日本人の独特の感性が、モノつくりにおいて高品質高機能なものを産むのに有利に働く。それを10の特徴に分け、日本人にしか生み出せない様々な製品例を用いて、説明しています。日本の未来に、ポジティブになれる良本です。

その10の特徴ですが。たとえば以下の通り。

・人と人の調和、かすがいとして働くツール:
「サンクスティル」、車の後部に付ける、犬のしっぽのようなもの。割り込ませてくれたときに「ありがとう」の気持ちを表すのに、尻尾を振ることができる。これはぜひバイク用を売り出して欲しいと思った。

・自分の「楽」より人への気遣い:
音の小さいエアコン・洗濯機・掃除機、入力音のしないキーボード、クリック音のしないマウス、ノック音のないボールペンまで。それらは、使う人のための機能ではなく、周囲の人のため。人様にご迷惑をおかけしないための機能。それを発展させることができるのが、日本人の感性。

・「恥ずかしさ」への対策:
用を足す音を紛らわせるトイレの「音姫」、開封時の梱包の音を抑える生理用品のほか、腹の虫の音を止める菓子、加齢臭対策のシャンプー(加齢臭という言葉自体、対策製品を産んだ資生堂の造語だとか)。これらは、自分の出す音、においが、周りに伝わると恥ずかしいと思う日本人の心があり、それを意識するからこそ生み出された製品。

・物を擬人化する感性:
針供養。道具に対して、これまで硬いものにばかり刺されてきてつらかっただろうから、最後はこんにゃくや豆腐など柔らかいものに刺して休ませてあげよう、という気遣いをする。それほどに道具に感情移入し、モノを擬人化する。
この日本人による擬人化は、マスコット化として、あらゆるところで行われている。マスコットは、電車でドアに挟まれないよう注意してくれるキティちゃんから、最もカタイ文書であるはずの「防衛白書」の案内キャラクターまで。
そして、この進化形が、「たん」化。萌えという感情が加わることにより、ありとあらゆるものが「〜たん」として擬人化され、美少女になる。インフラ、兵器、人工衛星、抽象概念や法律まで。鉄道では新幹線の「ファスティックたん」、燃料漏れや制御トラブルでぼろぼろになりながらお使いをする衛星「はやぶさたん」、さらには、戦争をやめてとうるうる手を組む「憲法九条たん」まで。
この感性が、人とマシンのインターフェースをつくりあげる。人と共生するAIBOをはじめとした製品を産む。そして、世界の半分以上のロボットが日本で働いているらしい。

・ダウンサイズ・折り曲げ:
折りたたみ傘、折りたためるベッドにちゃぶ台、アイロン台など、省スペース・小型化のための工夫は日本のお家芸。これが、ウォークマンや二つ折携帯電話、果ては宇宙衛星のソーラーパネルも折り紙技術を用いてコンパクト化した。発泡スチロールではなくダンボールを折り曲げて立体成型し緩衝材に用いる。さらに、アニメの変形ロボットのデザインも、玩具にすることを想定済みで変形や合体を織り込みデザインする。

このほか、個人カスタマイズ、病み付き、寸止め、健康長寿・清潔、自分が主役、地球環境、などのキーワードをもとに、日本人ならではの発想や製品が紹介されています。

あとは、できれば、そうして生み出された商品が会社にもたらした収益増の程度や、製造中止に至ったならその理由など、もう少し細かいつっこみがあればもっとよかったと思います。

「この国の女の子的な爛熟文化の中でまったりと暮らす私たちは、単にそれだけで、世界最高レベルの、筋のいい上品なモノづくり教育を受けているようなものです。日本の製造業と、その製造業が支える日本そのものの未来も、明るいものになる可能性は大いにあると思います」

と、日本を支える製造業の将来についてポジティブな視野を与えてくれています。何かというと日本は悪い、未来は暗い、とがなりたてる政治やメディアとはまったく違う視点をもたらし、読者に発想の転換と展望をもたらしてくれます。

なにより、自信をもって、「オタクでいいんだ」と思えます。

「日本社会のために」なんて大仰なことを言ってしまうと、所詮蟻んこのような自分にいったい何が出来るのかと引いてしまう感じがするのですが。オタクは思うままオタクでいることが、日本の発展と競争力強化に寄与する。オタクの一人一人が、自らの感性を、ただ自らのためだけではなく、周りの人の役に立てる。いざそうした発想を迫られたときに、きちんと生み出せる素養を、我々は自然に養っている。この救済感がすばらしいです。
それが、一人一人が、自分の感性に自信をもって、これは「売れるはずだ」というメーカー意識ではなく「使ってもらえる」製品やサービスを生むことに繋がる(「プロダクト・アウトではなくマーケット・イン」というらしい)。オタク一人一人が、日本の強力なプロデューサです。

そして、著者は、「日本人に特徴的なコミュニケーションのやり方のうち、強みとして世界に打ち出す要素が『周囲への配慮や全体の調和を重視する気質』である」とし、「自分の楽しみばかりを考えるのは、所詮は成金的な低次元の贅沢であって、周囲への思いやりこそが本当の贅沢ではないか。そう考える日本人の気質は、世界から尊敬される立派なものだし、また、モノづくりの戦略にも生かすことができる」と、言って下さいます。

日本人でいてよかったなぁ思える言葉です。
と同時に、その日本人のひとりとして、かくありたしと居住まいを正す思いの沸く言葉でもあります。

…などと、ことさら、日本人日本人と言ってみたくなったのは、国民総ジャイアンなんじゃないかと思えるインド人と日々遣り合っているからです。お前の成果は俺のもの。俺の成果は俺のもの、な生命力ある方々め。

ドラえも〜ん、ホンヤクコンニャクで、周囲への配慮とか全体の調和とかいう言葉を、やつらに伝えてやってくれよぅ。

…と、至れり尽くせり爛熟文化で育った軟弱日本人のび太君な自分は、日々泣き言を言って過ごしています。

しかし、ジャイアンも映画ではいい奴になる。最後には通じるのだと、日本人の感性が勝つのだと、信じよう。
posted by 入潮 at 07:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月15日

地方の状態

ブータンの首都ティンプーは、30分も歩けば街中を一周できてしまう、なかなか一国の首都と感じるのが難しいような規模です。けれども、地方ドサ周りで、州都でも宿自体もなく、昼食夕食を食べるにも事欠いた後には、ものすごく大きい都市に出てきたような気になります。

地方に出ると、やはり色々と楽しいことに遭遇できます。笑ったり困ったり苦しんだりということを自分の中に黙って閉じ込めておけない、我慢のきかない人間ですので、地方の現状について、少しご紹介を。
意味なく長いですので、興味のない方はスルーしてくださいまし。

● 道路

一部の南のインド国境を除くと、ひたすら狭く勾配とRのきつく、いつ落石土砂倒木が降ってきてもおかしくない山道が、大部分です。

幹線道路、ナショナル・ハイウェイでも1車線で、対向が難しい。それでひっきりなしに巨大なインドTATA社製
トラックが、目のペイントと共に正面の死角から襲い掛かってきます。かわすのも一苦労。油断がなりません。
とにかく土砂崩れが激しいです。雨季は必ずどこかが断線しています。下手をしたら、前後で土砂崩れが発生、閉じ込められて身動きが取れなくなります。
また、橋が少なく、川の中を道が走っていることも多いです。雨季で水がくると、それで寸断されます。乾季のみ通行可、という道も少なくありません。

舗装は幹線道路はなされていますが、排水が不十分、どころか、道路にそのまま滝が落ちている箇所も。せっかく舗装されていても、すぐに水に浸食されて、アスファルトが剥げます。そしてそこが道路崩落ポイントになる。

崖上のヘアピンカーブの連続。せめて石でも積んでいてくれればまだ良いのだけれども、多くは杭を打ってあるだけ。ドライバーに断崖絶壁を知らせるだけで、何の抑止にもなりません。知らせてやるだけありがたく思えという感じです。

道路の設備は最低限です。幹線で舗装がしてあるだけ御の字。枝道はほとんど、轍の深いダートです。ペイントや表示は一切無し。通してやっているだけありがたいと思え、と言わんばかりな感じです。

さらに、何の前触れもなく木材が崖からゴロンゴロンと落ちてきます。薪や家具用の伐採のためですが、国中斜面と崖なので、運ぶより転がり落としたほうがよほど早い。恐怖です。

そういう様ですので、滑落事故はしょっちゅう発生。谷底によく車が転がっています。

自分も一歩間違えると、お仲間になるところでした。
山道で対向車を避けようと、ドライバーが急ハンドル、急ブレーキ。タイヤがロックし、そのまま谷方向へ車が滑って、片輪が崖に突き出し浮いている状態で止まった。道側の扉から出て見たらそういう状態で、心底肝を冷やしました。後10cmタイヤが進んでいたら、そのまま谷底にまっ逆さまでした。

死亡事故が後を絶たないのも当たり前だと思いました。
一旦道路を開通させても、土砂崩れや崩落で維持管理が大変で、復旧させるのにコストもかかる。

そんな道路も、あるだけ物凄くありがたい。道路は国の動脈です。道路が来ると、それだけで物資が流れ込んで、水道や電気が整備されやすくなって、生活の質がいきなり向上します。みな道路を待ち望んでいます。よく開発では、教育、医療、水道、電気、通信など、どのセクターが重要で何から始めるべきか、という議論になりますが。私はまず道路だと思います。

なのでブータンも、道路開発には非常に重きを置いています。王様の命令一下のもと、次の5年で千kmを超える道路が計画されています。ただ、どこまでできるのか。何時どの道路がどの予算を使って建設されるのか。何度道路局に確認しても、明確な答えがもらえたためしがありません…。

これが日本だと、まず、道路がないということで不便な思いをすることは、よほどの災害時でないとありえない。事故が起きても、道路の整備状態が悪いからというせいにされる。なので、国交省が余裕に余裕を持たせた設計を課す。サインもペイントも斜面防護も路肩保護も、至れり尽くせり。この安全のために、どれほどのコストが掛けられていることかと思います。

インフラにしても、食品にしても、家屋にしても、安全を確保するという名目で、機能上必要とされる以上の強度や清潔さのために、事業費やもののコストがどれだけ上がっているか。日本人の命を守るための投資はすさまじいです。
日本人の命は、高いものだと思います。


● 泥

道路が途切れると、当然徒歩。「あれが次の村」と言われ、断崖絶壁の上を指差される。次の目標を見るのに、常に首の確度は135度以上。首も疲れます。そして、「次の村」(「家」だったりする)まで2、3時間ほどかかります。

フットパスは、泥。泥というのは、濡れても乾いても厄介なものです。
雨になると当然すべる、足を取られる、下手をすると膝まで埋まって動けなくなる。
一方乾季に乾くと、砂塵になる。トラクターでも来ようものなら、一面砂埃地獄です。

なお、車の通れない道は、ミュール、ロバが通常の荷はこび主になっています。LPGのボンベを両側にぶら下げて重そうにヨタヨタ歩くロバはよく見られます。
そして、雨季にひづめで泥が踏まれで道がボコボコになり、そのままカチカチに固まっています。

そこへ容赦なく糞をボトボト落とす。この量がすさまじいです。土中微生物の分解が全く追いついていません。泥の中を歩いているのか糞の中を歩いているのか分からなくなります。

● 夜

当たり前ですが。谷間でいったん日が暮れ、月が出ていないと、真の暗闇になります。自分の手が見えない。どこに何がいてもわからない。暗闇の重圧はすさまじいです。でもこの当たり前は、現代人は体験できなくなっていると思う。

懐中電灯が命綱になります。
そこに、電化村のある地域まで出ると、山にぽつりぽつりと灯る村の家の電気。8Wの小さい蛍光灯が、眩しいぐらいで、なんて頼もしいのだろうと思います。

また、携帯電話の液晶のバックライトが、目がくらむぐらいに明るく感じます。
ちなみに、山奥は電線工事が大変で、携帯のアンテナを立てるほうが簡単なので、電話はないのに携帯電話は普通に使えたりします。

● 日本の無償

マイクロ水力発電(独立した小さな配電線網に電力を供給する小さな水力発電)は、地方にとって重要な電源です。
ブータンでは、日本が無償援助を供与して、1980年代に13箇所ほど、導入されました。ブータンが自己資金で導入した場所も、もちろんあります。
暗闇に光がともる、あるいは、高いディーゼル油を発電に使用しなくてもすむようになる。その効果は大きいです。

それで、日本の製品の頼もしさをここでも感じる。ブータンで主に用いられているインド製の鉄柱は数年で錆び始め交換も目立つけれども、日本の鉄柱は20年以上経っても未だ新品のようにきらきらしています。また日本の鉄柱は、組み立て式で、上に上りやすいように取っ手が付いていて、建設や維持管理の容易さも考えられています。(ただ電気や電線そのものが盗まれやすくなるから、それも考え物なのですが)
さらに、しょっちゅう故障する悩みの種の変圧器も、日本の無償で入れられたものは一つとして故障を起こしていないらしい。そうした話を聞くのは、自分が何をしたというわけではないですが、嬉しいものです。

ただ、今は大型の発電所がインドの資金で建設され、そこから配電網が伸びてきました。するとこれら遠隔地の日本のマイクロ水力は、維持管理が大変で金がかかりスペアパーツの供給が困難という理由で、撤去されていく方向です。寂しいことですが、これまでに十分に役立ったと思います。


一方、橋。道路を繋ぐ橋は、非常に重要な拠点となりますが、技術も金も必要なので、なかなか簡単には建設できません。橋がなく、雨季は通れない道路が多いというのは前述の通り。

この橋の分野でも、日本の援助が活躍しています。スンコシという川の橋梁が出来たばかりです。引渡し式はまだだったですが、後は両岸の舗装ぐらいが残っているだけなので、既に使われていました。

橋は、道路を通る者誰もが通ります。多くは県境などの関門があり、そこでドライバーや旅行者は一服したりします。誰もが目にするもので、日本の有効を示す効果はとても大きい分野だと思います。

なお、日本が行ったワチ橋という橋梁の架け替えは、ブータンの切手になりました。ブータンは何でも記念切手にしてしまうことで有名なので、それだけで非常に重きを置かれたということにはならないのですが。それにしても嬉しいことです。

地球の歩き方を初めとしたガイドブックでは、そうした姿はほとんど紹介されていません。むしろ、他国のガイドブックでは、朝日新聞系のマスコミに影響されたような論調で、援助に否定的な書き方もよく見ます。

単に謙虚なのならいいのですけれども。どうも、お上の為す事業は、良いことは隠し、悪いことだけ喧伝されてしまう性質があります。民衆の感情的に、お上は汚くないとならないようです。

少なくとも、日本の援助は、ブータンでは現地の方々にはありがたく使ってもらっています。
そうした当たり前のことを、わざわざ言わなければならない気になってしまうことが、寂しいです。

● 国境

自分の知らない間に北部が中国に奪われていたというぐらいだから、国境はセンシティブな問題なのですが。
今回、車で移動していたら、いつの間にかインドにいました…。
GISで地図を作っていて、おかしいなぁこの道路、インドに入っている、まぁ国境データが間違っているのだろう、と思っていたら、本当に税関もなくインド領に突入していました。インドビザを持っていなかったので、ハラハラしました。すぐにブータン内に戻ったから良かったのですが。

そういうアバウトさは、通過人にとっては笑い話なのですが。
周辺の村の人々にとってはたまったものではありません。銃をもったインドからの密入国者が、ジャングルを渡ってきて、家畜や貯蔵した商品作物を盗んでいく被害が多発しているのだそうです。それに、混血も多いとのことです…。
国境周辺住民の生活も感情も悪化するばかり。そうすると、セキュリティとしても対策が微妙な、大きな社会問題になります。

こうした国境状態が生活に直結する感覚というのは、周辺を海に囲まれている日本育ちとしては、はっとするものがあります。海に囲まれた環境というのは、それだけでこのうえなく幸運なことなのだという歴史的事実を思い起します。

● ドマ

ドマという嗜好品があります。ブータン人は、男も女も、石灰と、ビターナッツという木の実を一緒に木の葉に包んで、くちゃくちゃ噛んでいます。赤色の汁が出て、唾と一緒に街に吐き捨てられています。このせいで街のコンクリートが赤色に染まって、汚れています。

これをやっているとき、みんな変に陽気になります。何かものを頼んでも、まともに為された試しがありません。逆に攻撃的になる人もいて、誠実なおとなしい人が、20分ぐらい同じ事を繰り返しながら怒鳴ってきたりします。歯も真っ赤になっています。

問題なのは、これをオフィスでも勤務中でも、皆憚らず噛んでいることです。周囲がドマをやり始めると、あぁ一日が終わった、と思います。仕事せずにしゃべってばかりになるので。
ドライバーを雇う際も「酒もタバコもやらない優良な人、でもドマはやる」と紹介されたときには、却って不安になりました。

けっこう臭いが凄いです。もともとビターナッツは、チーズを最悪の方法で腐らせたような臭いがあるのですが、これを石灰と一緒に噛むと、どういう反応が生じるのか、すっぱい独特のにおいになります。

ティンプーの都会では、若い女性は嗜まなくなってきたり、オフィスでは自粛したりしている人も多いようですが。田舎に行けばいくほど、老若男女皆が四六時中口するようになっています。
それで、現地の方を車の後ろに乗せたりすると、車の密室の中が、凄いことになります。

ブータンは、おととしにタバコの輸入一世禁止を行って一躍有名になりました。
今度は禁酒令もささやかれています。実際、毎週火曜日はDry Dayとして皆酒は飲みません。
健康と環境と、ついでに家計にも配慮した、すばらしい国です。
街中も、金のかかる伝統建築を保持し、壁や屋根には手間のかかる伝統彩色を施しています。

でも、ドマを野放しにしていると、なんともならないと思います。
伝統だからという理由で廃止できないのだそうで。そのあたりがブータンだなぁと思います。



そんな感じで、またダラダラとやってしまいました。
不満ばかりぶーぶー言っているような感じになってしまいましたが。
実際は、地方に行くと、元気になります。戻ってくると、また出たくて仕方がなくなる。田舎者です。

日本のどこから来たかと聞かれると、「離島出身だ」と答えています。
すると「そんな田舎からよく来たなぁ」と感心してもらえます。なんだか無意味に勝ち誇れる気分になります。山の民の方々には、離島というのはすさまじい辺境のように感じてもらえるらしい。

一方、生活の楽さの差を考えると、ごめんなさい、と謝り倒すより他はないです。

ラベル:ブータン
posted by 入潮 at 03:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月16日

バレンタインの切ない味

バレンタインでしたね。

冷蔵庫の中に、一つチョコレートが眠っていました。
すごく大切な方からいただいたものでした。

お菓子のブランドは六花亭ぐらいしか知らないような奴なのですが。
見るからに、製造店の拘りとプロフェッショナル意識の感じられるものでした。
下さった方のお住まいの神戸では、有名なお店のようでした。

ラムレーズンと抹茶の、サイコロ型の生チョコレートでした。
「バスティーユの新緑」という名前がついています。
バスティーユって、三銃士とかフランス革命で牢獄の名前で出てきたところだっけ、とそんなことしか浮かばない、風情の無い己の頭は置いておいて。

疲れたとき、自分を労わりたいときに食べようと、大事に取っていました。
今まで食べられないままに時が過ぎてしまいました。
そして、疲れて帰国し、他に食糧がない今こそ、食べたいと思うその時でした。

賞味期限は、2007年4月でした。

「新鮮な生クリームをたっぷりと使った神戸ならではのチョコレートと自負しております」
とありました。
もちろん「風味の変わらないうちに早めにお召し上がりください」の注意書きがついています。

2ヶ月も10ヶ月も変わらん、と思いました。いや、願いました。

しかし。

パウダーとは明らかに異なる、カビっぽいものが生えていました。

葛藤。

自分は手前の胃腸をそんなヤワに育てた覚えは無いッ!と、気合を入れました。



あぁ、紙箱まで素敵です。薄い桃色の金の刺繍。
お香入れにして使おうと思います。
そうして、ずっと取って置こうと思います。

そんな今年のバレンタイン。
切ない味でした。

正しくは、味が変わっていて、切なかったでした。

カビの生えた部分は、ごめんなさいと手を合わせながら、ご臨終願いました。というか、ほとんどの部分がこれに該当しました。


今度、神戸に行ったら、すぐに食べられなくてごめんなさいと頂いた方に心の中で謝りながら、お店に行って新品を買って、こっそり食べて、本来の味と風味を楽しもうと思います。

ちなみに、大切な方とは、70代の素敵な女性の方です。
単に、お会いした時期がちょうど去年の今の時期だっただけなのですが。
お元気でお過ごしになっていますように。
posted by 入潮 at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

悪知恵の主は

久しぶりに小ネタを。

近代デジタルライブラリより。「英雄の片影」大月ひさ著、文学同志会、明治35年。

英雄の片影というか、裏というか、偉人でもこんな面白い面があるんですよ、ということを紹介した逸話集。
調子は「近世偉人百話」に近いです。出典も明記されていないので、嘘か本当か良く分からないものも結構あります。読み物としては面白いです。

例えば以下のような話。

渡邊洪基(東大初代総長、工手学校設立者)が、九鬼隆一、井上毅らと慶応義塾に居た頃、雑煮を食いたいというので、渡邊は福沢諭吉先生の表座敷の床の間のお供え餅を、見えないように半分だけ切り取ってきて、皆で食った。その二十年後、渡邊が大学総長になったときに、年始のあいさつに福沢宅へ行った。福沢夫人が、雑煮でも差し上げましょうと笑う。このとき夫人らは往年のことを知っていて忘れていなくて渡邉は嬲られてしまった、とか。東大総長が、餅半切れのことで、福沢に20年たっても笑われた、と。

薩摩の野津道貫が幼少の頃、家が貧乏で米が食えず、毎日粥ばかり食っていた。ある日友人が来て道貫を学校に誘う。道貫は、「しばらく待ってくれ、今粥を食ってから行く」という。母がこれを聞いて、何故飯を食うといわぬか、と叱る。翌朝もまた友人が誘いにきたので、今度は道貫、「今粥の飯を食って行くから」と答えた。母は之を聞いて眉をしかめて冷や汗を流した、とか。薩摩はこういう貧乏ネタが多い。

大村益次郎が井上聞多と遊撃隊を率いて征長の兵と石州境で戦い、進んで高津河に至った際。船がないので渡河するしかない。益次郎は「大隊進め」の号令を掛けたが、水は深く流れは速い。士卒は逡巡し、「大隊長は我々を溺れさせるのか」と驚き怒った。益次郎は更に大喝一声、「大隊溺れ!」の号令を掛けた。一軍、みな怒って河を渡った。そして前は敵、後ろは河の背水の陣になって、隊は必死になって奮闘した。帰りは益次郎は船橋を作って待っていた、とか。
大隊長に溺れろと命令されて自棄になる兵。

戊辰戦争終わって凱旋し江戸に入った黒田了介と西郷新吾の二人。旅舎で風呂に入った。風呂が五右衛門風呂といって、水の底にすぐ釜がある。それに底板が浮いている。底板を踏んで入るのだが、二人はそれを知らずに、底板を外に放り出して中へ飛び込んだ。すると釜が熱いの何の。最初は我慢をしたが、そのうち足が痛くてとても痛くて入っていられない。新吾はすぐに飛び出したが、黒田は意地で両手を風呂の縁にかけて足を浮かして入る。女中が呼ばれて風呂場を見るとこの有様なので、絶倒するばかりに笑った。黒田は何を笑うかと起こる。いくら薩摩さんでも底板無しでは堪らないだろうと女中はさらに笑った、とか。熱い釜にやられた黒田…。
了介はこの上、岡本龍之介と花奴を取り合って大喧嘩かました件についても取り上げられています。

そんな感じで、面白おかしく、著名人の小ネタ話をとりあげています。
それで、「水二升と酒二升」という題名で、「大鳥圭介の事」という記事紹介があります。

大鳥圭介の書生たる頃に、或日数名の学友が訪ね来て、高論放談に時を移し、終には酒を沽(か)はん事を請求した。圭介時に懐中一銭の貯へもないので、暫ゝ思案して居つたが、忽ち二階を降りて二升徳利を借りて来て、之に水を一杯盛り、一刀を腰に挟んで家を出て、あちらこちらと市街を徘徊して居つた、すると富豪の隠居らしき者に出逢ふたので、圭介直に之に突当り、其携へたる処の徳利を態と大地に堕したので、徳利は壊れて水は残らず毀れて仕舞ふた。

圭介忽ち憤怒の状を粧うて、拙者は今酒を購うて帰る処であるのに、貴様は態と拙者に衝当つて、大切の徳利を壊した、無体至極の奴めと、既に刀を抜いて斬らうとするので、老翁地上に座して、低頭平身其罪を謝するので、圭介之を恕すと、老翁も大に喜び、徳利と酒の代を償ふたので、圭介得意になり、直に酒を買うて帰り、学友に徳利を示していふには、これこれ一同これを見ぬか。



聞いた事のある話かと思います。
「大鳥圭介伝」にある、適塾の、酒騙し取りの一件。
酒がないので、徳利に水を入れて持ち歩き、裕福そうなご隠居の老人にわざとぶつかって徳利を落して割り、老人に、どないしてくれるねん、とヤクザのごとくつっかかる。老人は恐れて平身低頭詫びを入れて、徳利と酒を弁償する。そうして得た酒を塾に持って帰って、得意になって友人に振舞う、というエピソード。

この、野党のごときと評される悪知恵の主は、「大鳥圭介伝」では、圭介の友人、岩谷玄龍のはずなのですが。

主語が違います。大鳥本人が、いたいけな隠居の老翁から酒と徳利を脅し取っています。

しかも、割ったのは、二升徳利、適塾台所から拝借したという追加情報付きです。

二升徳利、3.6リットル。牛乳パック四個分弱。どれだけ巨大なんだろう。

さて、この悪知恵の主。大鳥か岩谷か、一体どちらが正しいのだろう。「大鳥圭介伝」のほうは、大鳥の談を元に山崎有信氏が編集したもの。一方この「英雄の片影」のほうが、前後のストーリーがあってもっともらしい。しかも明治35年ということは、大鳥圭介伝よりも15年も早いわけです。
とすると、この隠居老翁の恐喝者の主は、本当は大鳥のほうだったのか、と思えるのですが。

150cm足らずの大鳥が二升徳利を持つと、引きずって歩いてそうな感じです。迫力がありません。岩谷のほうがよほどお似合いな感じがします。
「英雄の片影」の著者が、大鳥が犯人としたほうが面白そうだと、改変した可能性がないでもありません。

まぁ、どちらにしても、大鳥と岩谷は共犯だった、ということには、変わりはないと思います。

そして大鳥男は、この手のネタを早くから披露して、周りを笑わしていたということかと思います。


そんな感じで。最近大鳥話に触れていなかったので、リハビリ代わりの小ネタでした。


さて、素敵な大鳥サイトさんが復活して下さって、喜んでいます。

そして、未確認情報ですが、春頃にまた一冊、大鳥関係の出版がなされる模様。しかも著者は、技術史ご専門の方です。技術官僚、技術教育者としての大鳥にもスポットが当てられると期待できます。嬉しい。

さらに、こちらの神戸新聞のコラム、正平調の2月17日の記事。
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0000839801.shtml

大鳥生家の地元の方々が、没後百年に当たる三年後を目指して、大鳥生家を一部保存する形で建て替える活動をして下さっている旨を紹介してくれています。
「欧米の産業をつぶさに見て回り、近代工業化にも大きく貢献した」「近年では、テクノクラート(高級技術官僚)としての評価も高い」と、福本先生が著書で明らかにしてくださった大鳥の技術官僚としての面も、字数に限りのある中で、ちゃんと触れて下さっています。

なんだか最近、嬉しい事が多いです。
プライベートでいいことばかりだと、あとから仕事でしっぺ返しを食らいそうで、怖いです。

とりあえず今は浮かれておきます。やっほぅ。
ラベル:適塾 大鳥圭介
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2008年02月21日

「硫黄島からの手紙」その1

銭湯で、「硫黄島からの手紙」のポスターが貼られていました。上野の映画館で、1週間だけ上映しているらしい。19:00からの回がある。

まさかまだ上映しているとはと、喜び勇んで、本日、行ってきました。

前評判に違わぬ、中立的な視点の、よい映画でした。
一つ一つの台詞も心に染み、役者さんの表情も演技も良かったです。ボタボタと涙を流してきました。


ただ、見ていると、細かいところで、言いたいことが色々と出てきてしまう。
映画としては満足だっただけに、贅沢を言ってみます。
以下、かなりのネタバレを含みます。もう公開されてから1年以上経ち、観る方は観た後だと思いますので、全く配慮しておりません。すみませんが、お気をつけください。


主役は、西郷一等兵という架空の人物。パン屋の主人で、妊娠した若妻を残してきた召集兵。映画のオリジナルの人物です。
戦中当時の日本人の中に、一人現代人が居るなぁ、という感じでした。現代人観客の共感を呼ぶために主人公補正がかけられたのかもしれません。
あと、一等兵の西郷の態度が、やけに大きいのも気になりました。

一方、もう一人の主役、兵団長の栗林忠道中将。こちらは実在の人物です。硫黄島というとこの方がまず有名で、軍事系の読本などでは何度も特集が組まれているかt思います。
この方の人間性は、「散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官栗林忠道」という書籍に詳しいです。

名将の誉れの高い、元騎兵。実際の人物は、写真で見ると、この人が軍人なのかと思うほど、とても穏やかな知的な顔をした方です。アメリカに留学経験あり。
家族思いの方で、妻の為に家の台所の隙間風を心配する手紙から始まっています。映画でも作中、何度も家族への手紙が出てきますが、それらは全て本当に書かれたものです。
役者さんは、好々爺たるおだやかな様と、クワッと目をむいた激情モードの二様を演じて、とても印象的な役作りをしておられました。

西郷一等兵の家族は出てきたのですが、栗林中将の家族はなぜか描かれていませんでした。
どうせだから、一瞬でも、たこちゃん(娘)と義井さん(妻)、太郎君(長男)たちを出してほしかった。

そして、映画でのもう一人のヒーロー、西竹一中佐。良い男の代表格。バタ臭い洒落者に描かれていました。

西中佐は、第二十六戦車連隊長。通称、バロン西。薩摩出身の西徳二郎男爵の息子。
オリンピック馬術競技の優勝者で、オープンカーやオートバイクを乗り回していて、アメリカ人女性にモテモテだったという逸話だけを知っていると、ああいった描き方になってしまうのでしょうが。

実際の西中佐は、反骨心旺盛な、和魂洋才の人です。「名をこそ惜しめ」によると、西中佐は薩摩武士の血を引いており、いったん覚悟を決めると梃でも後へ引かない頑固者。アメリカでの振る舞いも、当時世界にまだ余り知られていない日本人に対する認識を高めようとした意図があったものとのことです。

Wikiには、西中佐は戦場に遺棄された米軍の兵器を積極的に鹵獲し、整備・修理した後それらを使用して米軍を相手に勇戦したと記されています。
途中から西中佐の戦車隊に合流した大曲少尉の手記によると、西中佐は「老人のような皺が縦横に刻まれ、乱髪は顔を覆い、戦闘の苦労にはやつれていたが、両岸にはするどい光を宿していた」という外見。そして、映画で描かれたように自殺ではなく、戦車射撃の戦闘により、鉄兜を銃弾で撃ち抜かれ戦死だったとのことです。死に様には諸説あります。

役者さんは、笑顔が魅力的な方で、西中佐のイメージにぴったりだったと思います。ただ、洋かぶれ具合が過剰演出だったように見えて残念でした。


日本兵の戦術については、よく調べられていたと思います。

日本軍の虎の子、噴進砲が描かれたのが良かった。日本兵がやられっぱなしではなく、米軍戦車を破壊してくれたのが頼もしかった。

一人地雷を抱えて、死体にもぐりこんで、敵戦車を待つ伊藤中尉の空しさも、良かったです。
あまり成功はしませんでしたが、10km爆薬を抱えて、地面にもぐりこんで戦車を吹き飛ばすという人間地雷は、常套手段として硫黄島の兵士により行われていました。斬込み隊と呼ばれ、夜な夜な兵は爆薬を抱えて壕を出て、多くは帰りませんでした。壕を掘る工兵もこれ多数が亡くなりました。
欲を言えば、この地雷斬り込み隊は、もう少し描写してほしかったです。

一方、米軍の自動小銃や火炎放射器に対して、日本兵の持っていた村田式に毛の生えたボルトアクションのライフルの非力さも、よく伝わってきました。


さて、日本軍兵士の過酷な状況については、描写不足の感を否めませんでした。

掘り抜いた壕は、多くの箇所は、背をかがめて漸く歩ける狭い通路で、それが迷路のように張り巡らされいたのですが。映画では随分と大きい洞窟のようなところばかりで、イメージと異なりました。

細かいですが、映画では壕内の明かりのランプが電球だったのも首をかしげました。兵団長壕ぐらいしか発電機を回している余裕はなかったかと。手記ではほとんど石油ランプを使っていた模様です。

また、映画で皆、多くが長袖を着こみ、将官が軍服を身に着けていたのも疑問。本来壕内は、硫黄の蒸気が吹き出て、地熱で40℃50℃もあり、兵士は汗だく。ある壕では、みな素っ裸で、ただ一人ふんどしを付けているのが、隊長の大尉だった、ふんどしが将校の階級章のようなものだったという話もあります。

空襲や戦闘が酣になると、壕内の遺体安置場に死体を積み重ね死臭が充満し、食糧の腐臭や弾薬、汗、排泄物の匂いが混じって、壕内はすさまじい状況でした。
映画で、砲弾の中、西郷が排泄物のバケツの中身を捨てに行くシーンがありましたが。壕内は、下痢患者の下痢便だらけで、臭い汚いといったらそれどころの話ではなかったのではないかと思います。

さらに、食糧不足や粗悪な食糧も問題でした。映画では飯盒のメシがふんわりして白かったですが。硫黄交じりの水で炊いた米は、紫色がかっていて、食欲も減退したとのこと。野菜も高野豆腐ぐらいしかなく、新鮮な野菜などは手に入りようがありませんでした。

そして、水不足と乾きの辛さは、誰もが手記に書き連ねています。水は塩辛く、硫黄と重金属を含んでいて、湯のようにぬるい。雨水を溜める水桶は次々破壊される。どんなに砲撃が激しくても兵は水を汲みに外に出ねばならない。半ば壊れた水槽には、水を汲みに行って射殺された味方の腐乱屍体が浮かんでおり、そこに黄燐弾を投げ込まれて、腐臭と毒で異様な臭気を放っている。その水を、身体から水分が蒸発しきって枯れたような兵たちは、これほど旨いと思った事はないとため息をつきながら皆飲んだ。乾きに苦しむよりは、ひと思いに撃たれ死んだほうがましだった、という状況もありました。

兵は皆、壕掘りの重労働と、下痢と水不足で、皆痩せ細って、垢まみれの骨と皮だけになって、目だけがギラギラ光っているような様だったとのことです。なので、映画の兵の血色のよさは違和感がありました。

兵には、硫黄島の硫黄交じりの水と米を、硫黄臭い臭いといいながら、鼻を抓みながら飲み込んでほしかったです。
藤田中尉→西郷一等兵への命令で、「ミミズを取って来い」というのがありましたが。
これは、おそらく本当なら、「蛆虫を取って来い」でしょう…。
兵団長壕は若干余裕があったようですが。

食糧を奪って味方同士殺しあう日本兵というのは十分ありえた話で、汚い話を描くならそうしたシーンもありではなかったかと思います。

映画では、そこまでの過酷な様は描かれていませんでした。
事実は、フィクションよりもよほど凄惨です。


一方、脇役キャラクターは、皆、良かったと思います。

特に、愛国婦女連合のおばちゃんの演技が良かったです。パン屋の西郷が召集を受けるシーン。おばちゃんは、私も夫と息子を国に捧げたのですと、西郷の妻花子に夫を差し出せと迫る。そのときの醜く歪んだ顔が印象的でした。これは多分、彼女が持っていたのは、愛国心ではなく、嫉妬だったのだろうと思いました。自分は家族を国のために失った。目の前の若夫婦だけが幸せに暮らすのを見ていられなかったのではないかと思いました。

伊藤中尉の融通の利かない剛直ぶりも、ああいう士官は当時本当にたくさんいたのだろうな、という感じでした。

そして、自分の思うベストキャラクターは、栗林中将の副官、藤田中尉でした。彼は、実在の人物です。
映画のテーマでもある栗林中将の家族への手紙ですが、実際藤田中尉は、これを「検閲」するという、グッドジョブをしてくれたと推測される方です。

兵士の手紙には戦況などの機密が含まれるため、手紙は全て検閲を受けます。赴任地や、弾薬や食糧に窮しているということも書いてはいけません。それどころか、家族への弱音や武士らしくない表記は、全て検閲で撥ね退けられます。
一方、家族への思いにあふれた人間らしい栗林中将の手紙が、今我々が直に参照でき、この映画でも何度も引用されているのは、栗林中将の手紙の検閲が素通りだったためです。手紙の「検閲印」にいつも「藤田」とあったとのことです。この藤田さんの「仕事」なしには、今伝えられる栗林中将の姿もなかったことでしょう。

まぁ、自分だけ感情のままに手紙を送ることができて、栗林中将はずるいとも思います。 家族に本音を伝えたかったのは、どの兵士も同じだったでしょうので。

それで、映画の藤田中尉、すごくイメージがぴったりでした。栗林中将に従う藤田中尉。夫の三歩後を常に影のように寄り添う女房のようでした。映画での彼は、戦闘推移や大本営からの連絡、情報を全て頭の中で整理して、栗林中将にお伝えしていた。さらに、中将の命令で、侵攻してきたアメリカ軍の振りをして砂浜を駆け回っていた。すごい仕事量です。二人の信頼関係も、存分に伝わってきました。

合理主義、親米派で、日米の物量の違いをイヤというほど知っている。兵からの人望はあるが、旧態依然の海軍や陸軍の将官とは意思疎通が難しく反感も多い。家族思いのおだやかな司令官中将。
そして、その中将に傾倒して、暖かく見守り我が身惜しまず援ける有能副官。

すみません、白状します。
栗林‐藤田ラインは、大鳥-本多ラインに似ていると思いました。
もっとも本多さんは副官ではなく、れっきとした実戦隊長ですが。

色々と文句をつけて、結局それか、という感じで、ごめんなさい。
映画にはとても満足しています。
そして、感想はまだ続きます…。
ラベル:硫黄島
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2008年02月27日

「硫黄島からの手紙」その2

「硫黄島からの手紙」感想、続きです。
ネタばれがふんだんにありますので、ご留意ください。

映画の中で一つ大きなテーマとして描かれていたのは、日本兵の降伏と自決についてでした。

事実はこうだった、だから映画(フィクション)はおかしい、ということを声を荒げて言うのは、どんなジャンルでも鬱陶しがられることなのですけれども。

硫黄島に込められた日本兵の精神性の基幹となるところであり、自分なりに感じたことを文にしておきたいと思ったので、無粋を覚悟で、挙げてみます。

日本兵は降伏せず、すさまじい粘りで戦い続けました。
それは、栗林中将ら司令部も同じでした。

「散るぞ悲しき」の言葉を借りると、硫黄島は、「勇敢に戦って潔く散るという贅沢」の許されない戦場であり、全員が自分の命を最後の一滴まで使い切ることが仕事でした。
栗林中将が全軍に配布した「敢闘の誓い」は以下の通り。

一、我等は全力を振って守り抜かん。
二、我等は爆薬を抱いて敵の戦車にぶつかり之を粉砕せん。
三、我等は挺身敵中に斬込み敵を鏖しせん。
四、我等は一発必中の射撃に依って敵を撃ち仆さん。
五、我等は敵十人を斃さざれば死すとも死せず。
六、我等は最後の一人となるも「ゲリラ」に依って敵を悩まさん。

これを行ったのは、栗林中将も同じでした。他人に訓令をしておいて、自分だけが「潔く散る贅沢」を味わうことは許されない。

映画では、ラストの栗林兵団長の指令部総攻撃は、白昼の万歳突撃として描かれたのですが。
栗林中将は万歳突撃を禁じていました。万歳攻撃で歓声を上げながら集団で突撃するのは、敵に格好の的を与えるだけで、実際の攻撃の効は奏しません。

そして実際、司令部の総攻撃は、深夜でした。闇夜、敵陣にヒタヒタ迫り、万歳どころか、敵の破壊と混乱を狙った物音一つ立てぬ整然とした攻撃だったと、米海兵隊戦史の記録にあるとのことです。

万歳突撃の禁止に代表される、栗林中将の合理主義と兵一人一人をゲリラにして最後まで苦しめた冷徹さは、硫黄島が硫黄島たる所以の一つです。

あと、これは、栗林中将を主役の一翼に置いた以上、言ってもせんのないことだと思うのですが。映画では栗林中将の死を以て終わりでした。
何より、一番違和感があったのはこの点で、本来、硫黄島の本番は、栗林中将が死んでからである、ということでした。

司令部が崩壊し、武器弾薬が尽き、腐臭と熱の中で蝿と蛆虫にたかられ、飢えと渇きに苦しみ、もう敵に撃たれ死んだほうがましという惨状に追い込まれながらも、日本兵は最後の最後まで死ねなかった。

それは、自分達が1日戦い持ちこたえることは、彼らの家族が、妻子が、1日長く、故郷たる日本で平穏に暮らすことができる。だから、自分達が1日苦しむ事には大きな意味があるのだ。その思いがあったから。

その玉砕の意味は、映画では栗林中将の口からのみ語られただけだったのですが。一兵士一兵士が皆、その意味をかみ締めて闘っていました。

妻子持ちの中年招集兵や経験の無い初年兵が、他戦史にありえないほどあそこまで粘り強く戦えたという理由が、そこにあるのではないかと思います。

栗林中将、市丸少将らが死んで司令部が壊滅しても、兵の抵抗はやまず、降伏もせず、敵弾に倒れず負傷して壕に篭っていた兵たちは、最後まで戦い、食糧水弾薬尽きて動けなくなり、皆、自決しました。

独立機関砲第四十四中隊の鈴木栄之助伍長の体験談には、敵の砲弾や火炎放射器など敵の攻撃で死亡したと思われるのは、三割程度、とあります。
一方、自決が、なんと六割。
そして一割が「お前が捕虜になるなら殺す」という他殺だったとのことです。

「栗林中将ならずとも誰か将校で、『無駄な死をせず敵の手に渡れ』という勇敢な発言のできる人がいたら、もっともっと多くの人命が助かったと残念でならない」と、体験談にはあります。

司令部壊滅で組織的抵抗ができなくなった時点でも、なお一万人が生きていました。その一万人が助かった可能性があったのに、実際に捕虜になり命を永らえたのは、その1/10にすぎませんでした。

なぜこれほどまでに降伏を拒み、自決した者が多かったのか。

投降すれば上司や同僚から殺されるという懼れは大きかったことでしょう。
そして、もちろん、東条英機「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けず」の訓戒が、日本の老若男女に刷り込まれていたというのもあるでしょう。捉えられたら人間扱いされず酷い目に遭うという鬼畜米英のイメージが染み付いていたというのもあるでしょう。

ただ、それだけではない気がするのです。

津本陽氏の「名をこそ惜しめ」で、加藤上等兵の手記が引用されています。

「『死は眼前に迫っている。俺達の取るべき最良の道は何か、それは分からない。とにかく死ぬ時まで生きる努力をするほかはない」加藤たちの心中には、日本人として戦死を遂げようという考えが、どんなに追い払おうとしても根付いていた」

同じ手記から、周囲が自決する中で、加藤上等兵と共に居ただれかの言葉。

「死ぬなら壕の外で、いい空気を吸えるだけ吸って、日本の軍人らしく万歳三唱をして、散華するんだ。魂はきっと日本に戻るよ」

それから、武蔵野工兵隊の浅田中尉の遺書。彼は壕内で5月13日まで、兵団司令部壊滅からなお2ヶ月生き続けていた。彼はその間に降伏勧告を何度も米側から受け取っていた。けれども、その日に至って遺書を遺して自決した。その遺書。

「閣下のわたし等に対する御懇切なる御行為誠に感謝感激に堪へません。閣下よりいただきました煙草も缶詰も皆で有難く頂戴いたしました。御奨めによる降伏の義は日本武士道の慣として応ずる事はできません。もはや水もなく食もなければ十三日午前四時を期して全員自決して天国に参ります。終りに貴軍の武運長久を祈りて筆を止めます。 日本陸軍中尉 浅田真二 スプルアンス提督殿」

確かに、降伏するとして上官に撃ち殺された兵もあったことでしょう。また、映画にあるように降伏した後で米兵に殺された兵も居たことでしょう。

けれども、浅田中尉のように、飢えと渇きの極限で、食糧と嗜好品を与えられ厚意に降伏を勧められても、決然と礼を尽くして断り、自決した方がいたことも事実です。

「日本武士道の慣」「日本の軍人らしく散華」という言葉にあるように、彼らは、日本人として自決する、日本人として終わることに、意味を見出していたのではないかと思います。
ここで、武士道とか軍人とかいう言葉に目を取られると、本質を見失うのではないかと思います。

日本の慣。日本人らしく散華。魂は日本へ。
それが揺らぐと、日本人のアイデンティティが崩壊するように感じていたのではないかと思うのです。

降伏したらもはや、日本人としてあることはできない。
恰も日本人たる資格を剥奪される。
死した魂が、故郷に、日本人として戻ることができない。

それを、日本兵たちは、芯から懼れたのではないかと感じます。


「いつか我々の御霊が感謝される日が来るだろう」という台詞が映画にありましたが。

彼らは、感謝されたくて戦ったわけではないと思います。
彼らは、故郷を、家族を、日本という魂の還る場所を、守りたいから戦った。

だから、ここの台詞は「日本を守ろうとして死んだ御霊があったという事実を、日本人が誇りに思う日が来るだろう」のほうがしっくりくると思いました。

日本のために、故郷のために戦い、最期まで日本人であろうとした。
兵士の方々の、その日本というものへのすさまじい動機を、あらゆる手記、体験談から感じます。

その悲壮な想いと共に、悲彼らが守ろうとした日本というものがある。

その日本に、今現在、自分達が、平和に、ゆたかに、暮らしている。

硫黄島の意味は、そこにあるのではないかと思います。


映画の最後のシーン。

「ここは、まだ、日本か」

栗林中将が、西郷に聞いた言葉。

「ここは日本であります」

西郷の答え。
ここで号泣しました。

ここは、良いシーンを描いてくださったと思いました。
監督に、心から、感謝しました。



「硫黄島は、あんなものではない」

当事者ならともかく、第三者がそういって片付けるのは、感傷に過ぎないのかもしれませんが、正直、自分にもその思いは、残りました。
しかしながら、硫黄島の持つ意味への取り掛かりは、映画は確実に与えてくれたと思います。

主役の西郷役の俳優の方は、人気あるグループのアイドルの方だそうで。そうした層を取り込んだことによる若い世代の方々への、社会的なインパクトも大きかったと思います。

色々書きましたが、本当に良い映画だったと思います。

こうした映画が、アメリカで、アメリカ人の手で描かれたという点に、アメリカの文化の度量の深さに、感じ入りました。
日本人が他人の文化でこれほどのものが描けるのかと聞かれると、否だと思います。

だからこそ、同時に、硫黄島の本当のリアリティは、いつか日本人の手により描かれてほしいと思いました。
ラベル:硫黄島
posted by 入潮 at 02:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 太平洋戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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