2009年01月17日

道の上で

あけましておめでとうございます…というご挨拶も、すっかり時期外れにまでなってしまいました。
現在、フィリピンにおります。30℃近くで、暑いです。

マニラのマカティというビジネス街に滞在しています。高層ビルの合間に、24時間コンビニもファーストフードもあるし、インターネットカフェや和洋中華のレストランもひしめいている。巨大な消費をもたらすモールもある。大都会です。

飛行機も乗り換え無しで短くて安いですし、あまり外に来たという感じがしません。沖縄のちょっと先、という感覚です。出稼ぎ帰りの方が多くて、どこの飲み屋に入ったのかと思うような女性の華やかな便でした。なお、この出稼ぎ人の方々(特に女性)は、フィリピンのGNPの2割〜3割をがたたき出します。石油もガスも出ないフィリピンのエネルギー資源は、地熱と出稼ぎ人です。

そのパワフルな方々に比べると情けないのですが。昨年から報告書と提案書のラッシュに次ぐラッシュに見舞われていました。ショックなことも重なって、こちらのほうは手がつかないままでした。

おらが村さんもお知らせくださっていますが。
「われ徒死せず」「大鳥圭介の英米産業視察日記」を発刊された福本龍先生が、昨年11月30日に、お亡くなりになりました。
モザンビークから帰国してこの訃報に接し、目の前が真っ暗になりました。大きくて暖かい光を失ったような気がしました。

「われ徒死せず」では、7年以上の歳月を掛けて、大鳥圭介の知られざる明治の姿を、明らかにしてくださった。
根拠を以って簡潔にして必要十分に語ってくださる。無用な誇張も装飾も行わず、大鳥と同じく科学技術者の姿勢で 事実に忠実。冷静に等身大の姿を捉えながらも、肉親としての愛着を垣間見せた。
そうしたあり方には、大いに啓発されました。

また、産業視察日記では、視察メモという、書いた本人にしか普通読み解けず、しかも技術の黎明期という難しい時期の当時の知識と専門性を要する素材を、可能な限り同時代の資料を基に読み解いて、我々に呈してくださった。
日本の近代技術導入、人材育成の初期の、政府の有り方としても、今後研究の原材料となる貴重な素材をもたらしてくださった。

福本先生の筆があって始めて接することのできた明治の姿も、多くありました。
特に両著の緒言は名文で、要点を抽出し蒸留した福本先生の言葉に感無量の思いを抱きました。
福本先生のおかげで、工業・科学技術の実務者であった大鳥の姿に光が当てられるようになったと思います。

また、著作以上に、福本先生ご自身に感じ入る所が大きかったです。
関西人的なユーモアにあふれたお人柄も、鋭いカミソリのように事実を割いていく鋭さも、大好きでした。福本先生と会話させていただいた時間のほとんどを、笑って過ごしていた気がします。そしてその時間の後には、何かしら世界が開けたような思いにとらわれたものでした。

福本先生の切り開いてくださった道があるからこそ、自分にもやれることがある。
何年かかるかわからないですが、その思いを基に、何かしら意味のあることができればと思っています。


と言いつつ、年賀状は、大鳥さんの字を筆ペンで真似て練習し、数時間、無意味な格闘をしたりしました。何百回練習しても、結局最初に適当に書いた字が一番マシだったりするのですよな。
まず労力に対する生産性とは何ぞや、というところから始めたいと思います…。


そんな感じで、そろそろ、浮上します。
去年から書きたいと思っていることが、溜まりに溜まっています。
「忙しい」というのは、しょせん「やらないこと」の言い訳です。

とにかく一つ一つ書いていくぞ、ということで。マイナスからのスタートですが、まずはリハビリからはじめたいと思います。


これから、南部のミンダナオ島に行きます。
乾季のはずなのに現地は大洪水。飛行機は11日止まったままで、ただ今飛行機待機中。
遠回りしたところで到着できるか。
異常気象のあおりをこんな処で食らうとは思いませんでした。

あったかい国だ、さらば日本の冬、と出発前には浮かれていたのですが。
ハプニングは人生の糧ということで。まあ何とかなるでしょう。いや何とかします。
タグ:大鳥圭介
posted by 入潮 at 14:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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