2009年02月13日

民間企業の国づくり

フィリピンから離れまして、2月頭からラオスにおります。
その間に、数日、東京に戻ったのですが。
報告書に追われ、文字通り寝る間無し。疲れた体に鞭打ちつつ、準備もそこそこに、次の仕事に入りました。

マニラ:30℃→ 成田:1℃→ ヴィエンチャン: 38℃

という感じで、東京のボロ部屋の寒かったこと。そして寒さに慣れたと思ったら、今度は暑熱の乾季、山の国の暑いこと。ただヒートストレスでどうにかなることもなく、ぴんぴんしています。

ラオスは4年ぶりぐらいです。この間にも、首都ヴィエンチャンはずいぶんと変わりました。

バイクの数が圧倒的に増え、キン(巻きスカート)をはいた女の子たちがバイクを乗り回している。
モールができて若者が殺到している。
街中には、コンピュータショップと家電販売店とインターネットカフェがひしめいている。

電気の需要が年々10%で伸びている。前回来た際は「アジアのバッテリー」と呼ばれるほどに水力発電の豊富な国で、電気を消費国であるタイに輸出していたのですが。今は電気が足りなくて、逆にタイの火力発電から輸入している状態です。

人口6.68百万人(2008年)、面積236,800km2の、日本面積の2/3に東京の1/2の人口が住んでいる国。山岳民族が中心の山の国です。一人当たりGDPは、2002年に394ドルだったのが、5年で701ドル(2007年)にまで増えました。GDPの成長率は年々6.5%。
(CIA World Fact Book と Statistical Year Book 2007 Lao PDRより)

ラオスをはじめとし、途上国は伸び盛り。人々が豊かさを取り入れ、エネルギーがどんどん足らなくなってきています。これを何とかするのかこれからの課題です。


さて、マニラにて、とある日本の商社にお邪魔しました。創業者は天保生まれの近江商人。明治18年には、既に海外組織を設立し、悪名高き5%付帯条項の関税制限を課せられた不平等条約の中で、直接海外貿易を手がけていた民間会社です。

受付でまず目に入る額に、社是として掲げられていた一言。

「豊かさを担う責任」

…ちょっと感動しました。

豊かさを提供するのは、「責任」である、と。この会社は仰います。
この商社に限らず、途上国にある日本企業の社員の方々に話をお伺いすると、多かれ少なかれ、皆、社会を、この国を豊かにしたいという思いを抱きながら、働いていることに気付きます。自分の給料、自分の会社、のためだけではなく、今いるこの国のために何かしたい。そうした志を、誰もから感じます。

かつて自分が貧乏旅行者だった頃は、旅すがら出会う旅行者たちの間で、その国の悪口を言い合っていました。国の酷い状況をいかに面白く語れるかが、一種のステイタスのような節がありました。自分がその国でどれだけ悲惨な目に遭ったか。その国がどれだけ至らないか。それを半ば自慢するように言い合う。それが楽しかったでした。

一方、旅行者というのは、単なる消費者です。いてもいなくても、その国にとっては別に何ら関わるところではない。せいぜい、一人分の宿代、食事代などのお金を落とすだけである。旅行者は、自分が目の前のその国の酷い状況に対して、何ら変化を及ぼすことはできない。そうした無力さを無意識に感じている。この国の状態が悪いのは、自分のせいではない。恰も、自分の非力さの言い訳をするように、その国をけなす。そんな感じがします。

けれども、仕事となると、話は違います。
その国で、利益や成果を上げねばならない。成果を上げるということは、何らかの生産活動を行うということ。生産活動を行うというのは、変化を与えるということです。

組織として、その国のあり方に影響を与える。旅行者一人ではできなかったことが、会社や機関の力の元に、何かしらができるようになる。というか、それをやらねばならない。できないのは自分が悪い。

習慣も言葉も違う勝手の分からない国で、生産活動を行うというのは、大変なことです。法律や契約と格闘し、許認可事項の書類をひっくり返し、体当たりで利害の対立する現地の人とやりあい、譲歩し、譲れぬ所では意思を通し、払いたくもない袖の下を要求され、妥協案を見出すために頭を絞り、最新の知識と技術を求め、金を集める。

そうした苦労をしながらも、自分が変えた部分のあるこの国だからこそ、愛着がわいてくる。そして、この国のために、もっとなにかしたいと思えてくる。

この国が悪いのは、今この国にいる自分が至らないからである。自分にはこの国を良くする責任がある。
そうした責任感が、沸き、育ってくる。

官でなく民間でありながらも、商社の方、技術者の方問わず、途上国で汗を流す日本の方々には、そうした心意気を有している方が多いです。
直接それを口に出して言う方は少ないですが。会う方会う方の言葉の端々からそれを感じます。

おそらく、その国に対して為すべき事を知らない、為せる力の無い人ほど、その国の悪口を平気で言う。一方、その国へ自らの献身を以って実質的な影響を与えた人ほど、その国を愛しく思い、その国への敬愛の念を抱く。そういう傾向があるのではないかと感じます。

かつてラオスの6割以上の電力を支えた水力発電を設計し、施工を監理された日本人の方がいます。その方は、定年になった今、ラオスに家を構えて移り住んでしまいました。今も顧問的な立場で、ラオスの国づくりに関わっておられます。在りし日は鬼軍曹と部下から恐れられた技術者だった方ですが。もとの会社の社員がラオスに来るたびに、野草たっぷりのラオス料理を、さも嬉しそうに相好を崩して振舞っておられます。ラオスが好きでたまらないのだなぁ、と感じます。

自分などは、思うように行かないことが多いと、「この国はダメだ」と、ついつい愚痴っぽくレッテル出しをしてしまいたくなるのですが。

ダメなのはこの国ではない。ダメなのは、ダメさをなんともできないお前自身だ。

そう自分を蹴り飛ばすべきなのだと思いました。

明治の企業家たちは、官と民で一緒になって国づくりを行いました。
「政商」などと、口さがない新聞屋たちに揶揄され扇動されて、批判を受けることも多かったですが。国に尽くすのが本分であるという誇りを以ってして、土木、農業、工場、商業、分野問わずに、民間から国作りを支えました。

もちろん利益を上げるのも重要な目的でしたが。彼らには、常に、社会を良くしたい、豊かにしたい、という、わが国にプラスの影響を与える責任感がありました。

それは、渋沢栄一や浅野総一郎、安田善次郎、豊田喜一郎らの名を出さずとも、彼らの残した文書、書簡、ことばを見れば、ありありと感じられることです。

明治の企業家の方々は、元武士が多く、そうでなくとも寺子屋などで、幼少期に四書五経を叩き込まれて育った方が多いです。そのせいか、彼らからは、民間人でありながら、社会と国に仕えるという姿勢を感じます。

幾多の企業と銀行を立ち上げ日本の経済の土台となった、渋沢栄一。彼が「論語」を生涯のバイブルとしていたことは有名です。

「論語」を自分の企業経営における経験則と照らし合わせて、自らの言葉で記述した、ずばり「論語」という本を、渋沢氏は著しておられます。含蓄にあふれた言葉の数々です。その中でも特に以下の言葉。

「富を成す根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」

一見当たり前のことですが。富とはそもそも、自分の利益を考えてないと生まれ得ないものです。富と仁義は、しばしば相反します。
けれども、富は仁義と道徳から生まれる。そう渋沢さんは仰います。

これは、まさに現在、国づくりで必ずキーワードとして出てくる「サステイナビリティ(持続可能性)」のことかと思います。

「仁」は貧困削減、「義」は責任と公平性、「道」は開発戦略と政策、「徳」はグッドガバナンス。「正しい道理」とは、今で言うと、環境配慮をし、その国の実情に合い、ニーズと妥当性と効率が高い事業を行うこと、でしょうか。

世界銀行などの開発機関からもってきた言葉を用いずとも、昔の人は、何が国づくりにとって最も重要か、背骨の芯から知っていたのだと思います。

彼ら民間人は、別に道理や道徳など説かずともよく、社会のためではなく、自らの会社の利益を追求すれば良い立場の方々です。

しかしながら、自分だけの利益を求めるような体制は、結局、持続しない。社会のため、国のためになることが、自らのためになる。
それを、自らの価値観として、知っていたのだと思います。

CSR(corporate social responsibility, 企業の社会的責任)というのは、別に特筆することでも何でもない。CSRの固まりのような方々によって、今の日本は作られました。

いかにも欧米から新しく持って来た概念ですといわんばかりに、アルファベットの略語で表されてしまっていますが。そうした価値観は、すでに明治の方々が、自ら固有のものとして、持っていました。

CSRに限らず、事業の現場では、欧米由来の仰々しい概念の言葉を、嫌々、無い頭に詰め込まねばならないのですが。
ふと足元を見ると、我々の先祖は、そんなことは言われなくてもとっくの昔から本質的に行っていた。日本の過去を見ると、そう気づくことが多いです。

その明治の民間の方々の心意気により、わが国は作られました。
そして、つい最近まで、ジャパニーズ・ビジネスマンによって、途上国においても、その心意気が発揮されてきたように思います。

今は、心意気はともかくその成果が、韓国や中国にお株を奪われつつあることが、歯がゆいところです。余談ながら詳細については、また後ほど触れたいと思っています。

いずれにしても、そうした日本の民間会社の軌跡を逐一追うのも、面白いだろうなぁと思いました。


といいつつ、すっかり、ポストが月一ペースになってしまっています。すみません。今は、この国独特の、「ぼっぺんにゃ〜(=No Problem) 」な、ゆるーい、ぬるーい、やわらかーい空気に冒されてしまっています。
また、界隈のマッサージが、申し訳なくなるほど安くて、上手なんですわ。

人は、この国を、「微笑みの国」「癒しの国」と呼びます。
私は、この国を、「脱力の国」と名づけたい。
人様のお名前からして、ランポンとか、ビラポンとか、カンポンとか、チャンポンとか、トンペとか、ナンダボンとか、ポーミーとか、どうも力が抜ける感じです。

えぇと、そろそろ、国のせいにばかりせず、日本の先人の方々の軌跡を振り返って、活を入れたいと思います。
posted by 入潮 at 04:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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