2009年04月02日

靖国と桜と酔っ払い

本日4月2日、東京管区気象台により、桜の満開が観測されました。

この気象庁の開花宣言の基準木は、靖国神社の境内にある、三本のソメイヨシノです。

だからというわけではありませんが、昨日、会社の有志の方々と靖国神社で花見してきました。

召集言葉「靖国で会いましょう」
いくつかの戦争記録を読んだ後、これを聞いて不覚にも鼻の奥がづーんとするようになってしまったのであります。
一体何万人の方が、この言葉を念じて逝かれたことかと。


そして、さくらまつり真っ盛りの靖国神社は、盛況でした。

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桜と屋台。にぎやかです。

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月とマスジと酔っ払い。
もとい。大村益次郎像。本邦初の、西洋式銅像です。製造は東京砲兵工廠、製作者は大熊氏廣。工部美術学校彫刻科生徒。安政三年生まれ。ラグーザの薫陶を受け、明治15年に首席で卒業。その後工部省に入省。皇居造営の彫刻製作に従事。明治18年に大村益次郎の銅像製作を委嘱された際、内務省土木局を退官して、彫刻研究のために、フランス・イタリアに留学しています。日本近代彫刻の先駆者で、代表的な彫刻家。工部美術学校も、きっちりと、有為な人材を輩出しました。


靖国神社には、戦歿者246万6千余柱が祀られています。圧倒的に第2次世界大戦死者が多いです(2,133,915柱)。一方、明治維新7,751柱、西南戦争6,971柱 日清戦争13619柱、台湾征討1130柱、北清事変1256柱、日露戦争88429柱も含まれています。

靖国神社の前身は、東京招魂社でした。招魂社は戦没者を弔うもので、全国各地にあります。東京招魂社は、もともと戊辰戦争で、官軍が自軍の死者を弔うために建てられたもの。これが、明治12年に「靖国神社」と改称されたのでした。戊辰戦争期のものは、函館にもあります。

靖国神社のサイトによると、「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められているそうです。国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた方々の御霊が祀られている。

招魂社は、元々は、官軍のための神社なので、賊軍とされた側は祀られていません。これはもっともなことです。

橋本左内・吉田松陰・坂本龍馬・高杉晋作は祀られているのに、新選組や会津藩士など靖国神社には祀られていないとして、靖国神社を忌避されている方を、時折お見かけします。

靖国神社の背景と目的に照らすと、それは、少し的が外れた好き嫌いなのではないかなぁという気がします。

もちろん好き嫌いは人それぞれですし、日本人たるもの靖国神社に参拝しろと、旗を振るわけでも決してないです。

私ももちろん、心情的にはかなりの旧幕寄りです。

ただ、いくら人気があろうが、美しく描かれていようが、内乱を起こした側は、悪いものは悪い。こちらでもつらつらやってしまいましたが、この善悪は、変えようがないと思います。

いろんな国の歴史を表面だけでも見ていて夙に感じることは、国が統一されていないと、国は発展しないということです。インドシナ諸国にしろアフリカ諸国にしろ、国の内乱が続いたり、多民族でせめぎあっていたり、群雄割拠性が高くて中央の命令が届かない状態だったりすると、まず間違いなく、他国から付けこまれて植民地化されている。そして列強により搾取される構造となり、国の農業も工業も開発が阻害され、今日まで尾を引く貧困の原因となった。

国が一つにまとまっていて、初めて、国ぐるみでの良い方向を歩むことができる。

明治政府は、戊辰戦争・西南戦争などの士族反乱を短期間で終結させ、さっさと中央集権を固めて必要な近代化改革を行ってくれた。だからこそ、我々は、今、発展途上国ではなく先進国レベルの、電気・通信・道路・鉄道・水道等、十分なインフラの中で生きていける。それは、先人に、いくら感謝してもし足りないことです。
そして、その国を守るために亡くなった方々を、悼み、敬意を捧げることは、世界の誰もに共通する在り方です。

中央政府政権に刃向うことは、エンターテイメントでは格好良いドラマになりやすく、社会に不満のある方々の共感を得やすいことですが。

まずは、自分が、世界の位置の中でどれだけ恵まれた社会にいるのかということ、それを誰が作ってくれたのか、ということ、その基本は、軸として押さえておきたいなと思うのです。

その観点からは、いくら義の心に満ち満ちていようと、合理的に政権が移譲されて元の君主が新政府に政権を明け渡している以上、反抗して戦火を起こして住民に迷惑を掛けて巨大な消費を行うのは、正当化され得ません。

だから私は、大鳥さんも榎本さんも、悪かったと思いますし、戊辰戦争における旧幕側の方々は「国を安んじた」として顕彰される資格は無いということは、道理だと思います。

また、西郷隆盛や江藤新平、前原一誠らは、維新の功臣でありながら、靖国に合祀されてはいません。それぞれ、新政府に対する反乱軍として、西南戦争、佐賀の乱、荻の乱において、国の統一と国づくりの障害となり、貴重な人的・物的・経済的資源を浪費しました。

一方、西南戦争においても、官軍側はもちろん祀られています。旧幕臣も元旗本も会津や桑名など佐幕藩の方々も、西南戦争や日清・日露戦争で、官軍・日本軍の側で参戦し戦死した方ならば、祀られているはずです。(ということは、瀧川充太郎も、あの中にいらっしゃるのか)

ちなみに、大鳥さんは、死に損なった3回のこととして、(1)五稜郭の折、敗戦して首を刎ねられんとせし時、(2)日清談判破裂当時二六時中砲弾絶えず頭上に唸りし時、(3)小田原海嘯の折、命からがら逃げし事、と挙げています。仮にもし大鳥さんが(2)の日清談判で亡くなっていたら、大鳥さんも靖国の一柱になっていたことでしょう。

「国」という一つのまとまりで、我々の生きる場を作り守るために戦い、命を散らした方々だから、顕彰される。

その顕彰とは別に、死者を悼む気持ちは、明治政府にももちろんありました。

靖国の境内の隅、元宮の隣に、「鎮霊社」という祠があります。お祀りの対象は、殿に祀られていない日本人戦没者です。、戊辰戦争の旧幕軍や西南戦争の西郷隆盛に率いられた方々も対象です。2006年から一般人の参拝が可能となっています。

本殿との違いは、単に、国を守った存在として顕彰されているかどうか。自分の好きな人物がそこの顕彰されているかどうか、その点にこだわりがあるのは、よく分かるところです。

ただ、私は顕彰されているかどうかはあまり重要ではないと思います。単に、死んだときに偶々官軍・日本軍とされるところにいたかどうかという話です。同じ人でも、死ぬ戦が違っただけで、顕彰されたりそうでなかったり、ということは、瀧川や大鳥の例で示されます。そして、大鳥が清で亡くなっていたら靖国に顕彰されただろうから、日清で死んだらよかった、などとは全く思いません。

国のためではなくとも、彼らは彼らの共同体のために、家族のために、戦った。その想いに貴賤はありません。

本宮におわすか、鎮霊社におわすかは、その違いはごくごく些細なことです。

大切なのは、靖国の、日本人の、斉しくすべての霊をお慰めしたい、お祀りしたい、という、死者に対する親愛の情と敬意の念を汲み取ることではないかと思います。

なお、明治政府は、明治7年に、賊軍の戦没者遺族が賊軍だからとその祭祀を憚っていることから、堂々と祭祀を執り行い、これを地方官が篤く行うよう、わざわざ、お達しを出しています。

「戊辰己巳ノ際一時 朝旨ヲ誤リ 王師ニ抵抗セシ者降服謝罪ノ道相立夫々寛典ノ御処分被 仰出候処各地ニ於テ戦没ノ者ハ別段御沙汰モ無之ニ付其親族共祭祀等憚リ居候者有之趣二相聞愍然ノ事ニ候前条寛大ノ寛大ノ御趣意ニ候得ハ死者親族朋友ヨリ祭祀当執行候義ハ御搆無之候条地方官ニ於テ御趣意篤ト可致」(太政官日誌明治7年第114号)

仇敵の遺体に鞭打ち、唾を吐き、骨を灰にし、肉を食らい、身内にも類を及ばせ、史書において徹底的に蔑んで一族の名誉を剥奪するお隣の国に比べれば、相当な心の寛さだと思います。

日本人は、元々、敵とも通じる和の精神を持っています。そして、死者はみんな神様仏様です。賊も悪人も、死によって聖別されます。死者への尊厳を大切にしています。靖国神社はそうした穏やかなる日本人の心の拠り所です。

そういうわけで、靖国神社に対して、なんとなくでネガティブになったり、否定することが格好良いというようになってしまうことは、日本人としては、勿体ないことだなぁと感じるのです。

「国安かれ」

先人たち、顕彰された246万柱の想いは尊いです。そして鎮霊社の方々も、家族や共同体が少しでも良い世で生きていけるようにと戦った。戦って亡くなる。戦えるという想いがある。それは大変なことです。自分のためだけには、なかなか、命かけてなど戦えません。子のため、父母のため、愛しい人のためだから戦える。国や主君はそうした人たちを守る象徴だから、そのために戦う。

そうした故人の想いがあって、はじめて、今の我々があります。
そして、我々が、安らかに、平和に、安寧にあり、我々のあるこの国を大切に思うことが、日本を作り守り祀られた彼らの願いなのだと思います。

右とか、左とか、新政府派とか佐幕派とか、そういうのは置いておいて、ただ、靖国もいいものですよー、ということを、普通に言いたかったのでした。

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境内の門。

とかいいながら、その死者の想いを他所に、桜の下で、ビール焼酎両手に浮かれ騒ぎ、親父たちとクダを巻いているのが、今の私めです。

…と、ここまででオチをつけて終わろうと思ったのですが。
落ち着いているわけにもいかない情勢になってきました。

隣の国が、今にも人工衛星の名目で長距離弾道ミサイルをわが国の上空に今にも発射しようとしています。そして、迎撃するなら報復すると主張しています。

発射された場合、日本は国連安全保障理事会に持っていこうとしています。
その日本が20%も予算を出して運営されている国際連合ですが、国連は、第二次世界大戦の戦勝国が戦勝国に都合良いように、組織されたものです。
国連には、「敵国条項」と呼ばれる項目があります。

こちらの記述には、愕然とします。

国連憲章第107条〔敵国に関する行動〕「この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国(←日本とドイツのこと)に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。」

上のサイトは、「北朝鮮が第2次大戦中の賠償請求と称して、日本に核ミサイルで威嚇をしても、この107条がある限り、国連憲章違反にならない」と指摘しています。

ビール飲んでいる場合ではないと思いました。
花見に浮かれて平和酔いした我々は、御霊となった彼らの望んだ姿なのでしょうか。
…などと、真面目に思ってしまいました。

ミサイルについての北朝鮮のお題目は「宇宙の平和利用は、主権国家の合法的権利」とのことなので、賠償請求ではなく、上の敵国条項には関わらないだろうという楽観視も今回はできますが。
それでも、敵国条項なんてものが残っていること事体が、日本の安全保障の根本に関わる問題です。

これを廃止するためには、同108条によると「会の構成国の三分の二の多数で採択され、且つ、安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の三分の二によって各自の憲法上の手続きに従って批准」されることが必要とな。

桜だけではなく、現実を見ないとならんと思います。そう思うだけしかできないのが悔しいところです。

自分に出来ることといったら、ブログに書き付けることと、働いて税金納めて、それが正しく国を守るために使われることを、永田町と市ヶ谷に向けて祈ること、ぐらいです。
非力も極まりないですが、積もり積もったときの日本のパワーの一片になれれば良いと思います。
タグ:靖国神社
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2009年04月04日

大鳥圭介書画展とミニ資料館

上郡町さんの、平成21年度施政方針、その4「観光・レクリエーションの振興について」。

「従来の観光に加え、国指定の歴史的遺産である白旗城跡、山陽道野磨駅家跡をはじめ郷土の偉人である赤松円心や大鳥圭介を町民が再認識し誇りを持って紹介できるようホームページや広報紙を活用し情報提供して参ります。また、これらの観光資源を活かしたイベントやハイキングなどを地域と連携して実施することで、都市住民と町民との交流を進めるとともにJRや智頭線の利用促進を図って参ります。なお、2011年には大鳥圭介の没後100年を迎えることから、保存会と協働でイベントを開催すべく準備を進めて参ります。」

上郡町さん。やる気です。
赤松円心だけではなく、大鳥圭介を、町民の方が再認識してくださり、誇りを持ってくださるような活動を、行ってくださるそうです。
何より、再来年の大鳥圭介没後100周年に向けて、生家の保存会の方々と、イベントの準備を行ってくださるそうです。

地元が、拠点が、行政のバックアップによって活動してくださるのは、本当にありがたいことです。
大鳥圭介を観光に用いるには、正直、知名度が低いのでリターンにかなりの無理があると思いますが。認識を広める拠点として、地元が立ち上がり、町の方々が、故郷の特色であり誇るものとして大鳥を取り上げてくださるというのは、誠に心強いです。地元があるということは、土台があり、柱があるということです。

それでというわけではないのですが。以前からずっとご紹介したかったことを。

こちらです。

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大鳥圭介の書展。
昨年平成20年10月25日から11月9日に、上郡郷土資料館特別展示室という、町役場庁舎の一角で行われたものでした。展示物は大鳥の直筆の掛け軸や書簡、写真など。こじんまりとした、手作り風の、心の込められた展示でした。

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入り口の幟と、横断幕。

これらは、おらが村さん、石戸の大鳥生家保存会の方々の手作りです。

展示の上郡町・上郡町教育委員会の挨拶文には、「展示品のほとんどは個人蔵で、それぞれ貴重な所蔵品をご厚意により展示させていただいており、また書の意訳にあたっては、吉田實氏にご協力いただきました」とあります。

展示品は、上郡の方々が所持されているものを集めたもの。意訳を行ったのは、これまでも多数の大鳥さんの書簡や書画の解読をされている上郡地元の吉田氏。大鳥家の遠縁の方です。九十歳のご高齢でいらっしゃいますが、大鳥の足跡を明らかにするのに、精力的にご活動してくださっています。

「谷深き 石戸が生みし
この大器
ふたたび出でよ 大鳥圭介
百穂散人」

と詠んでおられます。もう、じーんと来ました。( 百穂は吉田氏の号)

展示室の様子。

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展示品では、特に以下が、印象的でした。

・勧農局長松方正義宛、工部省時代の書簡。同局の井上という人から伝えられた紡績機製造について。

・地元のお寺蔵の漢詩
「水陸三千共進兵
両軍今日決(車へん+兪)羸
上丘一望敵方近
觸袖飛丸戛有声」

「五稜郭戦場作」とあります。「羸」は疲れる・やつれるという意味。「戛」は矛。

海軍、歩兵三千人、共に兵を進める。両軍は今日、いよいよ勝負を決めんとする。丘に登って一望すれば、敵はすでに近い。飛来する弾丸は袖を触れ、槍を掲げる声が上げられている。
箱館戦争でよく引用されている漢詩です。実物を見たのは初めてでした。勇ましい詩の割りに、筆遣いはゆるやかでした。

・書画「細心豪膽」
「膽」は肝のこと。心は細やかで、肝っ玉は太く。大鳥さんのあり方そのものを指していると思います。

・「松籟石泉」
松籟は、松の梢に吹く風やその音。石泉は巌から水が迸る姿。
一見、清閑な自然を詠んだ書画かと思いましたが。松籟は日本、大和魂の象徴。転じて、「大和魂は脈々と湧き出ずる」という意味だそうです。
大鳥さん、他国滞在経験も多いこともあり、日本人としてのアイデンティティはかなり強く持っている方だと思います。

・「儉素」
「儉」はつづまやか。節倹で質素なこと。「けじめをつけてつつましく、おごりを簡素にする」とあります。「倹素会」を開催し、節倹の徳を説いていた大鳥さん。家族だったら多少鬱陶しい人になってしまうかもしれませんが。締めるところでは締め、出すところでは出すという信念有る出納を行った、という評もあります。

・「風雨有序」
「雨、風も順序があるように、人にも物にも順番がある。規律正しいこと。礼儀が大切」と説明にありました。自然の摂理に善があると感じさせる、いい言葉だと思います。


写真は、ガラス乾板からの「男爵大鳥圭介君肖像」もありました。上のポスターに入っているものです。大鳥さんの写真の中で、一番よく、優しげで柔和で芯のある人柄を捉えていると思います。


特に心を撃った素晴らしい展示が、以下ふたつ。
まずはこちら。

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「川柳で詠む大鳥圭介一代記(少年篇)」吉田實作。

韻を踏みながら、圭介少年が語られているのです。
生家のある石戸や家族の様子が、見てきて一緒に時を過ごしていたかのように生き生きと描写されています。何より愛にあふれています。
テキストに起こして良いと許可をいただいたので、後ほど図々しくもご紹介したいと思います。

そして、これ。

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実物大「けいすけじゃ」幼年期なのです。
…すみません。何かに直撃された思いでした。不覚にも、他の展示物よりまずこれに目を奪われてなりませんでした。

作成されたのは、町役場の職員さんです。毎日、仕事が終わってから、夜、職場に残って、製作作業を行っておられたそうです。この手作りの心が、胸に来ます。

地元ならではの、愛着にあふれた、素晴らしい展示会でした。
お客さんも、地元の方ばかりでした。町外の方はほとんどご存知無かったと思います。自分も、おらが村さんに教えてもらうまで、全く気づきませんでした。

役場の職員さんたちと保存会の方々、こうした活動を行ってくださる方がいるところに、上郡町さんの意気込みを感じます。実現とは、それを本気で行う人がいることです。

昨年3月31日の大鳥圭介フォーラムのときも感動でした。その活動を、継続して行動として行ってくださっていることが、何よりも嬉しいです。継続が大変なのです。


その後、石戸の谷の生家の場所へ連れて行っていただきました。

「おらが村」さんたち、石戸の保存会の方々は、公民館を立ち上げられ、継続して、地域の活動として、大鳥圭介の周知活動を行っておられます。

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生家の道路向かいにある、公民館。

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中には、「おらが村」さんを初めとした有志の方々による手作りの展示が、所狭しと並べられています。

地域コミュニティ活動として、地元校長先生による講演会を行ったり、圭介少年が歩いた山道、皆坂の瀧を越えて閑谷学校を目指したり、地域のお祭りに出展したり、行政と一丸となって上の書画展を開催されたり。その活動に、感謝と尊敬の念が溢れて止みません。

そして、ご存知の通り、大鳥の生家は、昨年のちょうど今頃、平成20年4月頭を以って、老朽化のために取り壊されています。

上の「おらが村」さんがサイトでご紹介しておられます通り、この跡地に、県の「県民交流広場事業」として、「いきいき交流ふるさと館」が建設予定です。このふるさと館は、「大鳥圭介ミニ資料館」としての機能を持つことになります。

今はこの跡地に、「大鳥圭介公生誕の地」という幟が立てられています。書展のけいすけじゃ少年もいます。

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跡地の様子。

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跡地の案内板。
手作りです。この手間のかけようから、保存会の方々の意気込みが伝わります。

そして、ミニ資料館設計図より。

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「おらが村」さんがご紹介しておられるように、3月27日、地鎮祭が厳かに執り行われたとの由です。
着々と、いきいき交流ふるさと館・大鳥圭介ミニ資料館の実現が、進行しています。

ここまで漕ぎ着けるのは、本当に大変だったと思います。そしてもちろんこれからも。
個人や自治会が、実現可能なスキームを見つけ出し、申請し、説明し、地域と町の理解を得て、公的な形にしていくのは、すさまじく大変なことです。

以下は私の勝手な私見ですが。
公的事業の申請は、本当に苦労します。お上から補助金というお金を貰うのは、ものすごく大変です。申請を進めるのには、一種の特殊技能と独特のノウハウが必要だと思います。申請書は少しでも漏れがあると再提出だし。主体のやりたいことより事業の目的が先ず第一なので、それに適うように計画の文面を何度も修正して書類を作り直したり。そのたびに担当者の下に行脚して説明を繰り返し、合理的にするためにフレームワークから作り直さねばならなかったり。その間の経費と手間労力については、持ち出しです。まして設計になると、会社に依頼しないとならない。しかも、それで申請が通るかどうかわからない。申請が通ったとして、今度は透明性と説明責任を確保するだけの会計と報告が必要になる。本当に根気の要る作業です。私は、仕事でやっていても投げ出したくなります。

まさにそうした苦労の只中で、ここまで具体的に事を進めて下さっている「おらが村」さん、石戸自治会・保存会の方々、そして、それをサポートしてくださっている上郡町さんには、頭が上がりません。兵庫に向けて敬礼なのであります。

保存会のご活躍とふるさと館・ミニ資料館の進行については、またご紹介させていただきたいと思います。

嗚呼、熱くなったら夜が明けてしまった。さあ仕事だ。
タグ:大鳥圭介
posted by 入潮 at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月18日

如楓会開催のお知らせ

以下のような企画を立ち上げてみました。

如楓会


創作のためのオフ会です。通常と違うのは、大鳥圭介をテーマにした創作作品を作るための集まりという点です。
ご興味を示してくださる方は、是非上のリンクをご参照ください。

題字は、うちの床の間の書画と、日光の楓の写真から作りました。

歴史研究が目的ではありません。すみません。同人創作的楽しみのための会です。資料情報目的などで此方をご覧くださっている方は、お見逃しください。

企画は、もともと、「大鳥圭介の創作が少ないです」「ならば我等で作るべし」という、近江屋さんとの会話から生まれたものです。

人物の魅力を知ってほしい、イメージを変えたいと、いくら資料を羅列しても、読んでくださらなければそれで終わり。資料は、強力な説得力ではあるけれども、手に取るのはなかなか面倒くさいものです。価値有るものは数多ですが、その多くは、読みやすさや、読んでの楽しさを考えて作られてはいません。

一方で、創作物は、エンターテイメントとして敷居低く、資料にくらべてずっと人口に膾炙しやすい性質のものです。イメージのデフォルメは行われるものの、対象を主体に据えることで、実像がひどく損ねられることは回避できるかと思います。
現在でも、小説やドラマなどのデフォルメ像そのものが、人物のイメージ形成に強力な役割を果たしているわけですし。ならばそれを避けるのではなくそこを積極的にアタックし、資料的な側面と併せて、双方から攻めてゆくのも、イメージ作りには有効であるかと思った次第です。

とかなんとか、御託を並べつつ。要するに何より私が、創作作品を見たいだけなのですー。


日時は5月4日。ゴールデンウィークの真っ只中です。
告知期間も短いですし、これで本当に人が来て下さるのか。恐々としながらの企画です。
40人が入る集会室を借りてきました。
これで、近江屋さんと二人きりだったらどうしよう。それはそれでもちろん初志貫徹します。

堅苦しいことはまったく考えていません。同人誌を和気藹々と合同で作る会合、という感じで。ひとまずは、作業の成果をPDF冊子にまとめ、参加者様に配布させていただこうと考えております。

「如楓会」と勝手に団体名をつけてしまっていますが、これは集会室をお借りするのに団体名が必要だったからで、サークルに入れと強要するなどのことは決してありません。
取って食いはしませんので、どうかお気を楽にご参加くださいますとありがたいです。

出張前で、正直無謀なスケジュールでの強行ではあったりしますが。思い切りと良識を併せ持つ近江屋さんがいらっしゃらなければ、とても実行できなかったと思います。近江屋さん、すみません。ありがとうございます。お世話になります。

そして趣旨にご賛同くださる方、もしいらっしゃいましたら、リンクなどで広めてくださいますと大変うれしいです。何せこのブログ、更新頻度が低くて、立ち寄ってくださる方もかなり少なくなっているかと思いますので…。

普通のオフ会を開くよりも、何故かものすごく緊張しています。
というわけで、ご関心あります方、ご参加くださいますよう、どうか御願いいたします。
タグ:大鳥圭介
posted by 入潮 at 03:53| Comment(2) | TrackBack(1) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

国立公文書館「旗本御家人」

如楓会。
まだ公示して2日ですが。このままでは40人会議室に近江屋さんと二人きり路線でしょうか…という感じです。

いっそR指定、という話がでました。

人を呼ぶには、それしかないでしょうか。

それで舞台が売れるなら、私、脱ぎます。
という、踊り子の心境です。

でもそれが通用するのはかわいい女の子だけです。アラサーの枯れた女が脱いでも、寒いだけです。周囲が凍えます。

いや、脱いでいただくのは大鳥さんですね。アラフォーの男に脱いでもらうのですか(作品で)。困りました。私にもなけなしの慎みというものがですね。わきわき。

では、参加者様門外不出の、PDFにパスワードをかけた裏本として、出しましょう。

……などと、かなり思考がヤバイ方向に走ってしまっていますので。私を真人間に留める手助けだと思って、どうか、慈悲の心があり、ご都合合います方、ご参加を賜りたく…。
遠隔地の方、御多用などで当日参加できない方も、原稿で参加という方法で、激しく募集しております。どうかよろしく御願いしますー!


さて。
国立公文書館「旗本御家人 −江戸を彩った異彩たち」

先週、仕事前に行ってきました。
さすがの国家仕事。とってもクオリティが高かったです。

そして、しゃちほこばった展示ではなく、江戸の侍が何を考え、どう感じていたのか、等身大の旗本たちを見せる、というコンセプトも良かったです。

配布のパンフレットの説明もぎっしりで、豪華。これで無料なのですから、ありがたいことこの上ないです。

パンフレットによりますと。
これまで過去に「将軍」「大名」をテーマにした企画展が、公文書館にて行われました。今回の「旗本御家人」がこれに加わったことで、「江戸時代を通じてわが国の統治機能を支えてきた武士を主題とする三部作を締めくくる」と、今回の展示を位置づけています。

そして、旗本・御家人の特色を、以下のようにまとめています・

・昇進争いや立身出世に向けた駆け引き、身分格差の中で人間性を発揮し、多様な才能を開花させて、幕府の統治や時代の文化の形成に大きく貢献したこと。

・徳川幕府の末期には、全国各地から優れた人材が幕臣として登用され、三河徳川家以来の旗本御家人とは異なる新しい家臣も誕生したこと。

・明治維新の後において幕臣の中から、新政府に出仕して重要な役職に就く者や、出版や教育など民間にあって文明開化の社会を担うものも輩出したこと。

特に最後の一点が嬉しかったです。幕臣たちは、決して時代の負け組、隠居者ではなく、明治の政府と社会の構成者として歴然たる活躍をした。そこがしっかりと強調されていました。公文書館がこの記述をしているのですから、文字通り公認、国認定の事実です。
権威好きですみません。

徳川幕府末期では、柳河春三、栗本鋤雲(安芸守)、福地源一郎の三名に、特にスポットが当てられていましたのも、嬉しかったでした。


面白かった展示は、以下の通り。

○ 奥祐筆

口ぞえもワイロもないような願書は、箱の中に放り入れられたのですが、その箱を「地獄箱」と言うそうな。「吹挙もなく賄賂もせず無縁之ものゝ諸願ハ地獄箱に入たり」なのだそうです。なんたるコネと賄賂社会。仕事のしにくい国です。

徳川吉宗の祐筆、中根平蔵が詠んだ歌。

「筆とりて頭かくかく四十年 男なりやこそ泣かね平蔵」

泣かね=中根。40年もこの仕事を続けておられたのですか。それは泣きたくもなる。

同じく奥祐筆ネタは、大谷木醇堂の「醇堂叢稿」にも紹介されていました。祐筆には、表と奥がある。奥は内外万事の書類を取り扱う。役儀は軽いけれども、なにせ書類が物事を進めるわけであるので、それを営中は皆知っている。よって、威厳は頗る重くなる、
「ゆへに賄賂を求めずに苞苴(ワイロ)積んで山となす」という有様。中には地価千両の地権書を手土産にする人もいたとか。

職場イジメも横行。新人イジメは通過儀礼。家人に頼むよりも新人を扱き使うほうが気が楽が良い、という風潮だったそうな。
パワハラなんて昔からそこら中にあり、皆耐えていた、ということなのでしょう。

松平太郎が、金や物資の収集に長けたイメージがあり、実際にどこからともなく金を調達して大鳥さんたちを援助していたのは、この奥祐筆の経験がものを言ったのかしらと思ったりもする。

○ 公人朝夕人

何をする役職かとおもいきや。将軍が上洛したり日光参詣する際、装束のせいで簡単に用を足せない将軍に、尿筒(尿瓶)を差し出すという係り。世襲で、定員1名だそうです。十人扶持で、身分は町人と同格。年に1,2回お役目があるかどうか、ということだそうで。無駄な役職、といってしまうと見も蓋もないですが。名誉が有るのかどうなのか、良くわからない役職です。

○ 「海防問答」 平山子竜

平山子竜(1759−1828)、異才の幕臣として紹介されていました。ロシア船によって、樺太や択捉が襲撃された報に危機感を抱き、幕府に海防のための建白書を出しました。「海防問答」は1816年、異国の侵犯から国を守る方法を説いたもの。生涯独身で、武具と書物に囲まれて古武士のような生活を送っていた方。家塾の門人に男谷精一郎や、勝海舟の父勝子吉などがいます。

黒船が来て幕府は、寝耳に水の大慌てだったと言うイメージがあります。「泰平のねむりをさますじょうきせん たった四はいで夜も寝られず」という川柳でも有名ですが。そうではなく、19世紀初頭にはすでに異国からの侵入の影はちらつき、それに対する対策が始まっていたことが伺えます。

○ 遠山景元・景晋

遠山景元は、遠山の金さんで有名な方。作事奉行、勘定奉行を経て、1840年に町奉行。
彼の隠居時の和歌が素晴らしい。

「天つ空 てらす日かげに曇なく もと来し山に 帰るしら雲」(嘉永雑記)

なんて鮮やかで潔い歌なのかと思います。
町奉行と言うと雑事の固まり。きっと色々と遣り残したこと、悔いることも多かったのではと思いますが。そういうのを一切さっぱり「曇なく」と言い切って、しら雲として家に戻る。自分が仕事を辞めるときに、果たしてこの心境に至れるのだろうか、と思いました。

ちなみに当時は、景元ではなく、その父で、長崎奉行・作事奉行・勘定奉行を歴任した景晋のほうが人々に知られていたとのことです。景晋は、蝦夷地開発や交易で活躍。1799年に幕府が蝦夷の経営と防備強化の為に「蝦夷地取締御用掛」を設置した際に、蝦夷に赴き、「未曾有記」を記しています。1805年にはレザーノフの長崎来航の処理で、長崎や西蝦夷へ。さらに2年後にロシア船の択捉襲撃で蝦夷地へ。外交処理で、北へ南へ、飛び回っておられたようです。

○「匏庵十種」

栗本鋤雲の著作。1892年の報知社のものが、デジタルライブラリでも読めます。
小栗忠順と共に陸軍の仏式近代化を進めた方ですが。私はいまだに、鋤雲さんのキャラクターが掴めないでいます。
展示で開かれていたページには、「栗本鯤化鵬」が栗本さんのペンネームが。鯤は北方の大海にすみ、大きさは幾千里という大魚。鯤と化する鳳凰。すさまじく壮大なお名前です。どんな野望があった方なのでしょう。一方で、福澤の「痩我慢の説」を喜んだという説もありますし。
なお、明治9年11月の板垣大鳥対談をアレンジしたのもこの方です。大鳥さんとの関係性が、ものすごく不明です。

なお、「匏庵十種」に、若かりしヒラ幕臣の大鳥さんが出てきて、陸軍をみようみまねでやっているだけなのでモノになりません、ちゃんとした教師が欲しいです、と鋤雲さんに訴えています。これがきっかけとなり、ブリュネさんたちの招聘となったのでした。このネタは、後に触れたいと思っています。

○ 諸向地面取調書

幕臣が、江戸市中に所有する屋敷の所在地、坪数、賃借などを幕府の「屋敷改」提出。これが台帳として整備されたもの。江戸に屋敷にあった限りはこれに記載されているはずなので、マイナー幕臣を当たるには、しらみつぶしにする価値あり。勿論当主しか記載されていないので、次男坊三男坊の伝習隊などは難しいかもしれませんが。でも士官ともなれば石高が付くので、家格がついてこれに名前が挙がってくる可能性が高くなるかなぁと。いや、大川正次郎の正体がいまだによく分からなくて、難儀しています…。

○ 榎本釜次郎脱艦一件書並仏人ブリユウネ等処罰方

箱館ファンの方には嬉しい展示。
開洋丸で脱走した榎本さんから、勝海舟・山岡鉄太郎に宛てた書簡の展示。有名な、榎本さんによる新政府の弾劾文も添付されています。
ブリュネさんたちフランス士官の、処分を巡って日仏でやり取りした文書の展示も。

あと、勝海舟の展示で、榎本脱走の際に勝から政府に宛てた、侘び状だかなんだかの手紙の言いぶりが面白い。

「誠に無是非」「小拙輩、別段手段も無御座、其情実有体ニ鎮守府江被仰上可然奉存候」
是非も無い。どうしようもない。別段、手段もない。その事実をありのまま鎮守府に報告するしかありません。
この開き直りよう。ふてぶてしさ。さすが勝さんです。


そんな感じで。4月23日までなので、あと4日しかありませんが。
パンフレットだけでも貰ってくる価値があるかと思います。
音声ガイドも、展示やパンフレットに書かれていない情報が入っていたりで、ポイントが高かったです。

それでは、如楓会に参加者様がありますように、と祈りながら、布団にもぐります。
タグ:資料
posted by 入潮 at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

巡る善意

如楓会の、冊子作成要領を追加しました。

当日ご都合が悪い方、時間の取れない方は、冊子のみのご参加も大歓迎であります。
ご関心ありますかた、御一考いただけますと嬉しいです。

リンクを張ってくださる方、バナーを作ってくださった方、大感謝です。イラストを描いて応援してくださった方、もう感涙です。
本当にありがとうございます。

参加者様のご連絡も、少しずついただいております。
その中でもとりわけ嬉しかったのは、「いてもたってもいられず」というお言葉と共にご表明をいただいたことです。

まず、動機が盛り上がって、やる、ということを決める。やる、ということが前提になる。どうやってやるかは、後から考える。

これが、やる気だと思います。

私は子供の頃から言い訳がましい奴で、「できない理由を言うな」とよく大正生まれの祖母に叱られていたのですが。
今になってその言葉の意味を思います。

「できない理由」は誰にでもいくらでもある。金がない。時間がない。忙しい。それらは結局「金や時間を工面して都合をつけるほど、やる気はない」ということの裏返しにすぎません。「でも、でも、だって」と、できない理由を並べるのは、それだけやる気がないということを伝えているのに過ぎません。「忙しくて事情のある私」というスタイルを尊重してくれるのは、本人だけです。

やる気とは、まずやるということを決めること。どうやって金を調達するか、どうやって時間を搾り出すか。そこを考え、実行に移す、その行動のことだと思います。

「いてもたってもいられず」という言葉は、本気に至る、動機の固まりだと思います。
本気なら、あらゆる障害は、乗り越えるべき試練にすぎません。

思わず、大鳥さん、あなた愛されていますよう、と、床の間に向かって語りかけてしまいました。



さて、話は変わりまして。今日、財布を落としました。

終電で帰宅。JRの駅から出て、財布が無いことに気が付く。

駅で落としたらしい。

今週毎日、朝5時まで仕事していたので、疲れきってたのだと思います。
心血注いだ渾身の提案書を、本日社内で上の面々からフルボッコにされ、ピンクの蛍光ペンで「全面書き直し」と突きつけられ、月に向かって吼えたい気分だったのも、起因していたのだと思います。

財布は、駅前の派出所に届け出にいってみたら、どなたかが届けてくださっていました。

公務員も人手不足なご時世、交番は空のことが多い。けれども、たまたまなのか、なぜか6名ものおまわりさんが、狭い派出所内に集っていました。
大柄な警察のおじさんたちが、よってたかって皆さんで、「よかったねぇ、よかったねぇ」と言いあってくれました。
そして、慣れない感じの若手さんが、遺失物所持者発見手続きを、一生懸命してくれていました。

届けてくださった方は、住所氏名は明かさない希望で、お礼も辞退だそうです。
中のお金・カード類は、1銭たりとも損じられていませんでした。

名乗らぬ方、本当にありがとうございます。届かぬ言葉ですが、天に向けて心からの感謝を申し上げます。

「貴方も財布を拾ったら、届けてあげてくださいね」

といわれました。
ちょっと泣きそうになりました。

以前にも、財布・証明証類を紛失して、持っていたのが外国通貨だけだったために不法滞在の疑いを掛けられそうになったあげく、財布は戻ってこず、証明証類再発行手続きに走り回ったことがありましたので、今回は本当によかったです。

それから、予約していたマッサージ屋さんへ。

「財布を落としたので予約の時間より遅くなりましたけど、まだいいですか」

と恐る恐る電話を入れると、空いているからいいですよ、と優しいお言葉。

財布が見つかったことにマッサージ師さんたちがみんなで「よかったねぇ、よかったねぇ」と、連呼してくれました。

今日担当してくださった方は、物腰が丁寧で、骨格矯正もしてくれる、腕の良い方。
あまりの凝り固まった肩背中の疲れ具合に同情してもらい、気が付いたら、お願いしていた時間の1.5倍ぐらいの時間をかけてくださっていました。

矯正が効いたのか、子泣き爺と石地蔵が交互にトーテムポール様にのしかかっていたような肩が、一気に回復しました。

料金割り増しされるのではないかと、内心怖かったです。

疲れているときほど、親切心が、心に染みます。
人様からエネルギーを貰って生きています。
少しでもこのエネルギーを還元できるように。

さー、明日もがんばるぞ。

posted by 入潮 at 05:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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