2009年08月14日

凄い国

凄い国がある。

その国は、名前を知る者すら稀な、地図の片隅の、資源も産業もろくに無い、外国語を話す者もほとんどいない、孤立した小さな途上国だった。

その国では、飢饉に加え、天然痘やコレラなど疫病が蔓延していた。現政権への不満が膨れ上がり、大きな内戦となった。保守派と革新派で、国内を二分して争った。国土は荒れ果て、国民は皆、疲弊しきった。

内戦後、勝利した革新派により新しく政府が樹立された。ゼロからどころか、大きなマイナスからのスタートだった。資金も人材も無かった。
自立した国となるため、政府にとって、数々の改革を試み人材育成を行うことで、近代化を達成することが何よりの急務だった。

その国は、いかなる援助も受けなかった。
先進国からの無償援助も、開発銀行からの低金利融資も無い。開発の資金は、税金による自前の収入と、外国債の発行より充当した。

一方、先進国からの事業への投資は、徹底して固辞した。外資が入れば、事業の利益を奪われ、自国の発展のイニシアティブが阻害されると考えた。政府は、自国の発展は自国の手で担うという、高い矜持を有していた。

内戦直後、まず政府は、自国の費用で、百名以上から成る視察団を先進国へ派遣し、1年以上かけて税制、教育制度、産業技術、インフラを徹底的に調べた。その調査を元に、数々の法律を整備し、税制を確立して収入体制を作り上げ、自国の制度を整えた。厳しい財政の中で公務員の給料や待遇を優遇し、優秀な人材を中央に揃えた。

内戦3年後、政府はその国初の鉄道を建設した。費用は政府の外国債(借金)で賄った。現在価値に換算して総額約480億円、利子は9%と高い。知名度も信用もない政府であったので、当時の国際金融でもべらぼうに高い国辱ものの利子だった。
建設された鉄道運営による収益では、この借り入れ額はカバーできなかった。しかし10年後、他の財源から充当し、政府は耳を揃えてこの借金を完済した(1)。その後、政府は国内各地に、物流の動脈となる鉄道を、自国の資金と自国の技術者達の努力により張り巡らせた。

政府は、工業化により所得を向上させるために、先進国からの技術導入を徹底的に図った。
内戦8年後、この国のThe Public Works Department(直訳:公共事業省)に雇用された外国人コンサルタントの数は264人。外国人専門家・技術者の給料は、平均でも国内技術者の20倍以上、大臣や議員に匹敵する給料だった。事業費も含めた省の総支出313億円の内、外国人技術者への給料はの1/3が外国人技術者への報酬だった(3)。無論、全て政府自前の費用だった。

その負担は、貧乏な政府に大きくのしかかった。政府は、外国人技術者のための支出を削減するため、必死に自国の技術者を育てた。

政府は、年間約300人の優秀な学生を先進国に政府の費用で留学させ、後の政府の人材とした。また、自国内にエンジニア養成のための科学技術大学を設立した。実務者も外国人技術者から技術を吸収し、専門性ある管理技術者となった。なりふりかまわぬ実力主義の人材登用が行われた。大卒すぐの若輩者であろうが、旧体制派の戦犯であろうが、知識と技術力があれば、プロジェクトマネージャや局長クラスに抜擢された。科学技術大学の卒業者たちは、留学して先進国の技術をさらに身に付けた後、政府事業の総合監理技術者や大学の指導者となった。
こうして国内技術者たちは、高価な外国人コンサルタントを代替していった。

その5年後、内戦12年後には、外国人コンサルタントの数は半減。一方、国内上級技術者の数は4倍に増えた。政府は鉄道、通信、道路、港湾などのインフラ整備を進めた。また、国営の模範工場の民営化を主体的に行い、民間の経済を亢進させた。

一方、国内技術者たちは、自らが学んだ外国人技術者に対して一生恩に感じていた。国内の各地に銅像と顕彰碑を建て、数百種類の伝記を記し、その功績に感謝し彼らを称えた。外国人技術者はその国自前の費用で招かれ、高額で雇われたのであり、技術移転が成り立ったのはその国の高いオーナーシップと自助努力、そして国内技術者たちの真摯さの賜物である。しかし、技術者たちは自分ではそれを誇らず、謙虚にも外国人に感謝した。

この謙虚さと真面目さこそが、この国の民力を底上げした。

その後も政府は、先進国の技術を取り入れ続けると同時に、自国の在来産業にも重きを置き、民間産業を育てた。そして、就学率・識字率は世界でまれに見るほど高く、貧富の差の少ない社会を作り上げた。一方で防衛力を高め、自国のセキュリティには細心の注意を払い、紛糾しがちな国境の安定に力を注いだ。

内戦30年後、この国は先進国の仲間入りを果たし、世界の注目を集めた。

現在この国は、援助と技術移転を他国に対して行っている。戦争により国土は再度荒廃しながらも、高い教育度、民力の高さの土壌があり、ミラクルと呼ばれる復活を遂げた。そして、GDPあたりのエネルギー消費量はアメリカの半分、外貨準備高世界一やGDP世界二位を記録したことのある、環境・経済立国となった。

この国の名は、Japan。
内戦とは、明治維新の戊辰戦争(1867年=明治元年)を指す。

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歴史だと言ってしまえば、それで遠い世界のことになってしまう。

明治の技術者たちは、いざ産業の開発と国の発展を担わされても、初めてのことだらけで右も左も分からない状態だった。前例もマニュアルもガイドラインも無い中、赤字経営で非難されても、とにかくやってみるしかなかった。140年前の話であるが、現場にいれば案外身近な話である。

業務で、途上国の現地技術者の実情や本邦研修の様相を見聞きすると、援助とは何か、技術移転とは何かということを、凡庸なりに考えたりする。そして、我らがご先祖様達は、本当に大変で真面目で、豪かったのだなぁと思う。

モデルは自分の足元にあったことに気づく。

だからといって、日本はこんなに頑張ったのだ、だから貴方達も頑張れなどと、野暮なことを相手の国の方に言えるはずはない。先祖ではなく今の自分の姿を見て日本は凄いと思ってもらえなければ、意味がない。

正直、日々の業務で要求されている些細な事項に対しても、自分の力不足をかみ締めるばかりの毎日だ。ご先祖様たちにあの世で会って恥ずかしくない仕事を今しているかというと、全く自信がない。不甲斐なさをどやしつけられて終わりだと思う。

と言いながら、先祖の幽霊よりも、上司の白い眼のほうが怖い。

とりあえずは、会ったことのない御先祖様よりも、目の前の相手国の人々に対して恥ずかしくないように、一つ一つやっつけていくしかないと思う。今の途上国の技術者たちも、明治技術者のように真面目だ。こういう人たちがいれば国は伸びる。そう思わせられる目に出会うことは、喜びだ。


自分の元気は脆くて、何かあるとすぐに挫けそうになる。
元気は波のように伝播する。一人の元気は、周囲皆の元気に繋がる。
「恥ずかしくないように」という後ろ向きな動機でも、元気を固める土台の一つになればいいと思う。
先祖たちの頑張りを知ることは、そんな元気の支えの一つになる。

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(1) 明治三年、九分利付外債として百万ポンドを発行した。当時1$≒1円、1ポンド≒4.8円。
(2) 当時は「工部省」と称した。数字は「工部省沿革報」より集計。
(3) 省の予算の2/3がお雇い外国人の給料であったとする資料もある。
(*) 金額は全て概算値。1円(明治前期)≒1万円(現在額)として換算した。実際は当時1円の現在価値換算額は幅があり、1円(明治前期)=3万円(現在額)とする場合もある。
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別の所で書いた文章でした。同業者向けだったので、用語が堅苦しいのはお許しください。

明治の30年間を、維新とか殖産興業とか富国強兵とか植民地化などの歴史用語を使わず、今の言葉で書いたらどうなるかと思い、半分遊びで書いてみました。

日ごろ私のたわごとを聞いて下さっている方には、オチは見えていたと思います。一方、こうしたわが国の土台を意識せずに過ごしている方も、たくさんおられるのではないかと思います。

こうして書いてみると、今の途上国の援助漬け状態と比較するにつけ、つくづく、明治日本はよくやったと思います。もちろん、植民地支配の圧力をひしひし感じ、国一丸となって不平等条約撤廃に向けて動いたという動機も大きく、先進国の善人の方々が、無償援助、ソフトローンをいくらでも出してくれて、その額で張り合っているような現在とは全く違った状況でした。自分でなにもかもやらなければならない弱肉強食の世界。周辺の数々の国は、列強の植民地の魔の手に屈していき、今も続く途上国の現状に繋がりました。その中、日本が独立を貫ぬけ経済大国となりえたのは、何よりご先祖様たちのひたむきで誠実な生き方があったからこそです。

明治初期、自分の頭で考え、自分の足で立ち上がって、追いつき追い越せをやった日本は本当に凄い国だったし、その日本を牽引した方々、日本を一国民の立場として底で支えた方々は、真面目で真摯で、偉大だったと思います。

これを過去形で終わらせるか、現在進行形にするかは、今を生きる我々一人一人の姿勢と行動にかかっているわけです。GDPは転落したとか、総幸福量は低いとか、ネガティブな面ばかりあげつらうだけで何もしないのは、他者のやる気を奪うばかりです。自分なりに一生懸命、仕事の質を上げて、あるいは家族を支えて生産性を高める、日本人として当たり前のことが、自分と国の幸せに繋がることなのだと思います。


などとお為ごかしをやりながら。仕事をサボってたら何にもなりません。
お盆中で人がいないと、どうも身が入らんです。
ええと、帰国してます。炎症を起こして食事制限中。酒も飲めません。せっかくの日本なのに美味いものも食えんとは、何の罰かと思います。お祭が催されている湾岸地方を、遠い目で見つめるばかりです。

posted by 入潮 at 02:10| Comment(5) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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