2010年06月13日

化粧品と歴史娯楽の力学

白髪が出てきて、クマも濃くなり、老けたなぁと思うことが多くなりました。
アラサーという便利な言葉も生まれていますが。
世間的には十分おばはんと呼ばれる年齢になりました。

仕事では良いことであります。これまで「お前がこの仕事をするのか?できるのか?」という不安をお客様に散々与えてきました。実際できていませんが。いつまでもボランティアのような見てくれでは、仕事の先方にも失礼になってしまいます。責任の大きい業務では、年齢の与える信頼感、安心感というものは、確かに大きいと思います。

一方で、自分の周囲には「え?本当にその年なんですか?」と驚くほど若い方が少なくありません。専門家や看護婦さんなど、現場の砂塵と強烈な太陽の下の苛酷な環境で、大してスキンケアもせず日焼け止めすらなしに頑張っておられます。皆若々しいです。

対して、そうではない方も無論います。そのほうが普通かと思います。世間の女性の若さに対する希求性には驚きます。
手前の怠惰の言い訳をするわけではありませんが、この年になると若作りはよけいに老けて見えると諦めています。年甲斐の無い格好は、見る人に痛い印象を与えるものでしょう。必要以上に「若々しい」方は、むしろ魅力的とは逆の方向になるのではないかと思います。

若さ作りに、化粧は必須です。
この年になった手前も、身だしなみ程度に化粧はすべきものとは心得てはおりますが、私は化粧というものを、ほとんど理解していません。

女性の、肌についてのボキャブラリーは、大変豊富です。しっとりするとか、もちもちするとか、すべすべとか、ぷるぷるとか、くすむとか、乾燥するとか。その辺りの微妙な感覚は、自分には全く分かりません。ニキビができたとか、鼻の皮がむけてきたとか、そのぐらい変化があれば、おや、と思う程度です。

化粧水も乳液も、付けたところで何が変わるのか。一通り試してみても、さっぱり分かりません。そもそも、化粧水と乳液の二つの違いもよく分からない。中身の主成分は一見同じで、ミセル化しているかどうかの違いだけのように思います。なぜ両方必要なのだろうか。成人して初めて化粧した日より、素朴な疑問をずっと抱えています。

また、化粧水一つでも、同じメーカー、同じ品名でも、しっとり型とさっぱり型があります。5つぐらいにランクが分かれているのもあります。成分は同じ、保湿成分のグリセリン濃度が違うから粘度が違うのだろうかという感じですが、濃度が根本的に肌にとって何が影響するのかよく分かりません。自分にとってグリセリンは、処理に困るバイオディーゼルの副生成物でしかありません。

洗顔も、謎が多いです。
化粧落としだけで、洗顔フォームやクレンジングオイル、ピーリングなど何種類も作業工程があります。これに保湿の化粧水やクリームを考えると、作業用フロー図やバーチャートが必要になりそうです。

化粧の洗い残しは、親の敵のように罪悪視されています。古い表皮細胞である角質は、すべて取り除かねばならない悪役らしいです。

しかし、洗い残したら害になるようなものを、そもそも一日中つけていることに何の意味があるのだろうという素朴な疑問が、また出てきます。

それに、角質は、立派な肌の一部で、保湿成分を提供します。また、皮膚の表皮細胞を外部刺激から守るバリアという大事な機能があるはずです。垢も保湿に役割を担います。

ものの本で教えているように、クレンジングオイルで化粧を落とし、洗顔フォームで洗い、ピーリングで角質を取り除き、垢もすべてこそぎ取る。そんなことをしたら皮脂が無くなり、大事な表皮細胞がむき出しになってダメージを受けやすくなります。それこそ肌が紫外線や刺激に弱くなり、老化が促進されるのではないかと思います。自分が「敏感肌」とか言っている人は、単に皮脂と角質を無駄に取りすぎているのではないかと思います。

肌には保湿が最も大事といいます。しかし、肌の保湿成分の99%は、そもそも角質や垢から成る自前のものです。クリームや化粧水で補えるのは全体の1%程度。1%なんぞ誤差だろうと思います。その99%の大事な自前の保湿成分を洗顔料という界面活性物質やオイルで一生懸命落とす。そして1%しか補えない成分を、高い金を出してクリームを買って塗りたくる。その必要性がどうも理解できません。

手前は、石鹸以上の洗顔の必要を感じたことがありません。親水性の化粧なら石鹸ですべて落ちるはずです。そもそも肌にオイルという疎水性物質や界面活性剤で落とさねばならない油性塗料を塗り付けていること自体、肌に良くないのではないかと思います。リキッドファンデーションとかマスカラとかアイライナーとか。あればいいですが別に不可欠でもないでしょう。

一つ一つの成分についてもよく分かりません。
例えばエタノール。化粧水は、ひんやりするまでパッティングする、と説明書に書かれていますが。ひんやりするのは、エタノールの気化熱で肌の熱が吸収されるからでしょう。エタノールの入っていない化粧水は、ひんやりする感覚がありません。一方、エタノールの含まれている化粧水は水分も一緒に蒸発させるから肌に良くない、と書いているものもあります。しかし、エタノールと水は、蒸気圧も潜熱も異なります。エタノールの吸収する気化熱が何ゆえ水を蒸発させることになるのか。浸透圧で皮下細胞が脱水するのかとも思いましたが、そうすると消毒用ぐらいの高濃度のエタノールが必要になる。なので、その理屈は全く釈然としません。

また、ミネラルオイル=鉱物油が肌に悪いということで、鉱物油不使用というのを謳っている化粧品もあります。鉱物油はCnH2n+2のノルマルアルカン飽和炭化水素のこと。常温で液体ならn=11〜20ぐらいですか。灯油やディーゼル油の主成分です。もうすこしnの数が増えて重くなると、固体になります。これがワセリンです。ワセリンもミネラルオイルも、分子量と炭素数が違うだけです。双方、肌に塗ると、油膜になり水分蒸発を防ぐので、乾燥防止になります。

基本、飽和炭化水素は還元されきっていて、微生物によっても特殊な環境でないとなかなか分解されません。つまり非常に安定な物質です。安定しているということは肌に塗っても変わらない。良くも悪くもない。なので最も敏感な肌をもつ赤ちゃんのためのベビーオイルにも、乾燥を防ぐ主成分として使われています。(昔は多環芳香族など不純物が含まれてあまりよい物ではなかったが、今は精製技術が良くなっている)
このミネラルオイル不使用がなぜ売り文句になるのかも、良く分かりません。ワセリンなんぞ尻の穴の粘膜に大量に塗っても大丈夫なものでしょう。薩摩の方はよく逆方向の用を足すのに使っていたそうな。

逆に、植物性を謳った化粧品も多いです。ミネラルオイルより植物油のほうが良いというイメージを持つ方が多いようです。しかし、植物油は安定した飽和アルカン炭化水素と違い、不飽和脂肪酸だから不飽和結合を持っていて化合しやすい。よって酸化しやすいです。サラダオイルなども日光の当たる場所に置いていたらすぐに酸化して痛むでしょう。そういうものを日の当たる中でつけているほうがよほど肌に悪いのではないかと思います。

それからファンデーション。酸化チタン主成分のミネラルファンデーションが最近人気だそうです。売り文句は「つけたままでも眠れる」とのこと。では、今までのファンデーションは落とさないまま寝ると有害なものだったのか。そんな物を昼間ずっと肌に塗ったくっていたのか。そもそも睡眠中よりも昼間のほうが紫外線により活性化エネルギーを与えられて成分が酸化変質しやすく、よほどつけてはならんのではないかと思います。謎だ。

サプリメントにも謎が多いです。
例えば、コラーゲンの摂取が肌に良いと言われます。コラーゲン含有ドリンクやクリームなどの広告もよく目にします。
コラーゲン自体、体の蛋白質の3割ほどを占めるものですが。蛋白質はそもそも、腸で消化され吸収される際に、アミノ酸のペプチドにまで分解されます。摂取したコラーゲンは、アミノ酸の補給にはなりますが、直接体の成分取り込まれることはないでしょう。アミノ酸だったら別に卵でも魚でもいいと思います。
それに、どんなにコラーゲンを皮膚に塗りたくっても、皮膚細胞が皮下組織の一部に蛋白質であるコラーゲンをそのまま取り込むはずはない。そんなことがあり得るなら、食肉に触ったらその肉の蛋白質が自分の皮膚の一部になってしまうことになる。そんな阿呆なと思います。
人間の体は基本、単純な分子構造の物質しか吸収できないし、蛋白質や脂肪などは吸収した材料から自分で合成するものです。

国立健康栄養研究所のデータベースにも、「(コラーゲンの)ヒトでの有効性については信頼できるデータが見当たらない。安全性については、アレルギーを誘発する可能性が示唆される」とあります。
なぜあのようにコラーゲンは肌に良いという広告が神話化しているのか。どうにも理解できません。

さらには、「肌断食」という言葉もあります。普段化粧水やクリームでせっせと手入れしている肌ですが、肌の自然本来の回復能力を高めるために、週に一回ぐらいは何もつけずにいる日を作るほうが良いそうです。
とすると、普段つけているものが、そもそも肌の回復機能を弱めているものだということにならないでしょうか。それなら、普段は何もつけに肌を鍛えて、ここが勝負日という必要な日にだけ手入れしたほうが、長い目で見るとずっと肌が若いままでいられる気がします。


以上のような素朴な疑問を、何でもご存知そうな美人のプロフェッショナル化粧品販売員さんに聞いてみるのですが。私でも理解できる答えをいただけたためしがありません。「何このキモイ人」と嫌がられて終りです。
そして、たまに色気を出して化粧品売り場に行っても、何が自分の肌にあっているのかも結局良く分からないままに、スゴスゴと引き下がる羽目になります。


手前には、化粧品や美容の論理には、有機化学や熱力学や生理学とは全く違う原理が働いているように思えます。魑魅魍魎の世界です。

世の女性は、膨大な広告情報の海を泳ぎ渡り、無限とも思われる化学物質の分子構造と物性を理解し、すさまじい数の商品から様々にテストして、自分の肌に合った物性の商品を選択して用いておられるようです。私には、それだけで一つの深遠なる研究テーマのように思えます。街行く世の一般の普通のお洒落な女性の方々が、皆そうしたことを行っておられるのだと思うと、仰ぎ見る思いです。女性って大変だ。

穿った見方をすれば、化粧品は、「コラーゲンは良い」「角質は悪い」という単純な二元論的イメージをまず与え、それに相応した商品を開発し販売することで収益を得る。その構造なのか、という気がします。
まず「良い」「悪い」を勝手に決め付けて消費者に印象を植え付け、「良い」とされるものを持てはやして必要なものと錯覚させて売り込む。そこに働く原理やメカニズムには、わざわざ触れないし、その正誤に責任は持たれないのではないか。それはけっこう恐ろしいことです。

と、ここまで書いて思いました。というか、以下が本題です。

化粧品と歴史エンターテイメントの力学は、似ている。

歴史エンターテイメントは、まず、良い人、格好いい人、悪い人、貶め役を決め付けて、良い人物を担ぎ上げて、関連製品であるの書籍や観光資源を提供して収益を狙う。

角質を悪役にしたて上げて、それを取り除く商品を売る。コラーゲンを善役にしてそれを与える製品を与える。

しかし、角質は、企業宣伝により要らない物扱いされているけれど、実は保湿にバリアに様々に重要な機構を持つ角質層は肌になくてはならない不可欠な要素だ。
なんだか大鳥圭介チックではないか。

一方、コラーゲンは良いものだとしてマスコミにもてはやされ黄色い声を上げられ関連商品が有象無象に出ているけれども、実際中身は大して機能していないし、(生体が自分で合成するものだから)あってもなくても別に変わらない。
そんな人もいます。察してください。

そんな感じで、無理やりサイトの主題に結びつけてみましたが。

自分は勉強嫌いで怠け者です。若く綺麗でありたいがために一生懸命研究して化粧品に何万円もかけるぐらいなら、野菜を食って運動して早寝早起きするほうが、よほど安く簡単で早く目的に適うのではないかと、直感的に思います。冒頭の現場の姉さんたちは、化粧よりも生活習慣により、美しく若い方々であるのだと思います。

世間では年齢に反して若々しく美しい人を「魔女」と呼んで持て囃しています。確かに若く美しいというのは、皆があこがれるものです。私も、若い、その年に見えないと言ってもらえることがあるとすると嬉しいです。単に未熟だという意味で言われるかもしれませんが。

不景気の世の中、若さという魅力を提供すると錯覚させる化粧品・アクセサリーの商品開発に、各社は余念がありません。三十代・四十代の女性の購買力を刺激するために「ナンタラ女子」とかいう、無駄に年齢を錯覚させる言葉もメディアで用いられています。女子とか乙女とかいう言葉も寒い。本来、「女子高生」「女子大生」と、せいぜい学生までが許されていた言葉なのに、それを未練がましくも使い続けて若いと錯覚しようとしているのは、かえって見苦しい。「心はいつまでも乙女」まで至ると、ギャグならいいのですが。もし本気なら、身の程を知れ、と言われかねない領域です。どんなに言葉で飾っても、おばさんはおばさん、ばあさんはばあさんです。

若さに拘って化粧品に金をかけるよりも、年齢に応じた分別と思慮を身に付け、他者への配慮を深くし、度量を大きくするほうが、よほど異性からは接しやすいだろうし、友人からも好かれ、仕事上も有利なのではないかと思います。

格好は、見苦しく無い程度の年相応が、結局、一番、魅力的なのではないかと思います。

歴史も同じで、マスコミのキャッチフレーズよりも、その人の分別と思慮と生活習慣を見たほうが、得る物も大きいのだろうなと思います。必要以上に作り上げた若々しさが痛々しいのと同様、必要以上に飾った虚構も不要ではないかと思います。

一方手前は、若さについて云々語り始めることがそもそもの老いの証だということを、きちんと自覚して、年齢に合う分別とやらを身に着けたいと思います。着けられればいいなという願望。


posted by 入潮 at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

アニメけいすけじゃ


上郡町さんが、けいすけじゃアニメ製作ボランティアを募集しておられます。締め切りが明日15日です。

こちらをご覧になった方でご関心ある方、どうか今すぐに以下のページをクリック下さい。

上郡町おしらせ(5月13日)

上のページで、下のほうにずずいっと行きますと、PDFとWordの書式がおいてありますので、それをダウンロードし、プリントして下さい。
そして、必要事項をご記入の上、上のページの書式の下にある「情報発信元」に示されたファックス番号に、FAXしてください。

アニメ化については、5月21日の神戸新聞地域ニュース(但馬姫西)に、記事になっています。

「上郡出身明治の高官 大鳥圭介をアニメに」

神戸新聞さんは、フォーラム以前より、上郡の大鳥顕彰活動をしばしば取り上げて下さっています。
今回も、「町が企画。郷土の偉人 生涯を書く」という小見出しで、大きくご紹介くださっていました。ローカルの新聞メディアが継続して注目してくだるのは、より地域に溶け込んだ活動が期待できて心強いです。

「上郡町は6月からケーブルテレビ(CATV)で自主制作番組『えんしんネット』の本格運用を開始する。この機会に大鳥の功績を広く知ってもらおうと、アニメ化を企画。財団法人『地域活性可センター(東京都)』から『活力ある地域づくり支援事業』として助成される300万円を充てる。『ゲゲゲの鬼太郎』を手がけた上郡町出身のアニメーターが絵コンテの制作や台本のチェックなどを担当。ほかに、アニメ制作会社のOBや県外の歴史ファンも参加するという。アニメは1話5分で全20話の予定。ボランティアは原画のキャラクターや背景を描き起こし彩色する『作画』と、編集ソフトで動画を作成する『アニメーション』の2部門を募集」


助成金300万円で、5x20=100分のアニメを作るということに、ネット上でも心配している方も多々おられる模様です。上郡町さんの持ち出しや、関与しておられる方々の身を削り生活を圧迫した粉骨砕身を思うと、セル画1枚でもご協力される方がいてくださればと、祈らずにはいられません。

娯楽は、メディアが勝手に提供するもので、享受できて当たり前な世の中になってしまっています。しかしそれは、市場の需要が大きく、商業価値があり、それがビジネスになるから。

一方、マイナー人物に需要は小さく、採算など取れようがありません。端から無理、と切り捨てることは簡単です。しかし、そこに、没後百年記念にむけて顕彰しようとして下さっている地元の方々の想い。

オープニング画や設定資料、アフレコ計画などが日に日に作成されていっていて、本当にやるんだ、本気なんだ、という現実味が膨れ上がっています。

答えてくださるファンの方がいて下さればと、切に願います。

大鳥さんにご関心のある方で、腕に覚えのある方。どうかまずは上郡町さんにお問い合わせを。アニメの「中の人」になれる機会なんてなかなか無いですよー。
posted by 入潮 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月15日

やり遂げた瞬間から


はやぶさ、おかえりなさい。

はやぶさは、輝き、燃え尽き、砂漠の風になって、帰ってきました。

ニュースや、はやぶさのこれまでの軌跡を見ながら、涙と鼻水を垂れ流しました。

7年かけた60億キロの長旅。制御装置故障、エンジン故障、電池切れ、通信断絶。「迷子」になりボロボロになりながら旅を続けたはやぶさ。それを支えたJAXAスタッフの方々の熱い情熱と注ぎ込まれた技術力、創意工夫に感動。

そして、日本中のみなが、声を上げて、「おかえり、はやぶさ」と暖かい気持ちでお迎えしたこと。オーストラリアに一目はやぶさの最後をみたいと詰め寄せた人々。その感性豊かな人々の想いに、胸が熱くなりました。

2003年に「はやぶさ、いってらっしゃい」と送り出した方の言葉で、もう涙腺が決壊しました。そして、最後の姿に、滂沱の滝涙です。

はやぶさには、国民栄誉賞を授与すべしという声も、産経新聞のコラムに上がっていました。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃える」。はやぶさ以上にふさわしい存在があるでしょうか。

同新聞記事には、
「(JAXAのプロマネの)川口淳一郎教授は詰め掛けた数十人の報道陣を前に、「はやぶさは指令をけなげにこなしてくれた。さっきまで動いていた(管制室の)機器はもう用済みです」と、ねぎらうように語った」

何よりもだれよりも、JAXAプロジェクトチームの方々が、はやぶさへの海より深い愛と萌えを有しておられます。

そして川口教授は、今後について仰います。

「はやぶさが終わった瞬間から技術の風化は始まっている。次につなげることが必要だ」

偉業を成し遂げた瞬間にこの言葉。はっとしました。まさに、科学のフロンティアを開拓し続ける方ならではの、前を見つめ歩き続ける言葉です。
スタッフの方のお言葉を借りれば、かの方々はすでに、はやぶさが開拓した技術を元に、隕石の地球衝突を回避して人類が生き延びるための能力を身に付け、太陽系を人類が旅する次のステップを、考えておられます。

はやぶさを生んだJAXAの方々は、日本人が日本人であれることを皆誇らしく感じさせてくださったと思います。希望と感動をありがとう。


話は変わりまして。
昨日は川崎の歴史オンリーイベントに参加させていただきました。楽しかった。幸せな一日でした。

10代の方から30年選手の方まで、様々な年代の方が、会場に所狭しと集っておられました。ここに居る方々、みんな幕末明治のファンの方なのですかと目を瞬かせました。皆、ブームなど関係はない。自らの動機で活動しておられる方々でした。普段一体どこに潜んでおられるのか。エネルギーが熱かったです。

特に、スタッフの方々の綿密な計画、決め細やかな配慮、見事なチームワークで、その労力を思うだに恐れ入るより他はありませんでした。一体どれほど事前から内容を詰めてこられたのか。スタッフの方々全員の立ち振る舞いから、参加者の方を楽しませようという献身の心が感じられました。企画の流れ、雰囲気の作り方、誘導の仕方、チームの動き方など、見ていて勉強になりました。一体感のある素敵なイベントでした。お疲れ様でした。感謝です。

何より出会いが楽しかったです。
自分が楽しむことよりも、周囲を楽しませようという気概にあふれた方が、とても多かったと思います。ファッション一つをみても、自らは熱さと蒸れに苦しみながら、涼やかな笑みと清涼感ある着物で眼福を与えてくださった方。歴史界の誇る肉食美少女。クールなゴシックロリータの方。歴史人物の髭をこよなく愛され、あふれるデザインセンスで素敵な髭エンターテイメントを醸してくださった髭部の方々など。まさに気骨の塊でした。

そうした参加者一人一人の方の意気込みの相乗効果で、お互いを高めあっていたように思います。

爛熟した文化の結晶がここにあると思いました。

そして、このイベントにて近江屋さんが、大鳥アンソロを、文字通り命がけで発行してくださいました。重厚な表紙、肉厚の本文、中身の作品の素敵さに、今後当分、幸せな夢が見れそうです。

形にして結果を残すために、近江屋さんは苦難の中色々な犠牲を払ってくださいました。それを思えば、手前は何もして無いも同然ですが。年表など資料部分で、サイトより気合入れて参加させていただきました。そのパートの中身については責任取ります。誤謬や苦情などありましたら、当方にお寄せくださいますと幸いです。

それにしても、触発されました。やる気はやる気を呼ぶというか。

「やり遂げた瞬間から、風化は始まっている」

川口教授のお言葉が、心に響いてなりません。

はやぶさの大気圏突入日時を知らないままにイベントを楽しんでいたのですが。はやぶさが流れ星になった時、偶然にも、近江屋さんと一緒にはやぶさの萌え動画を見ていたのでした。困難に見舞われボロボロになりながらもアンソロをもたらしてくださった近江屋さんとはやぶさが重なります。そんなはやぶさの粘り強さの一千億分の一でも、見習いたい。

近江屋さんの志と成果を、決して風化させず、フレッシュなまま、次に繋ぐべし。

というわけで、大鳥圭介オフライン創作会の、如風会第二回を行いたいと思います。
詳細はまだ未定ですが、勝手に手前の頭にある概要は以下の通り。

1.場所:上郡

2.時期:来年5月のGW中。
没後100年記念企画&圭介まつりが開催される前日または1日後、

3.形式:
1泊2日、合宿形式

4.内容:
(i) 大鳥圭介没後百年の企画及び圭介まつりへの参加
(ii) 石戸の生家跡いきいき交流資料館ご訪問、皆坂の滝ハイキング
(iii) 上郡町公営宿泊研修施設における創作会(小説・漫画・イラスト・漢詩・和歌・関連史跡紀行文など)と、第1回同様の冊子作成。
* 現地参加無し、冊子のみの参加もOK


こんなところで。はやぶさと近江屋さんに感動しているうちに、突っ走っておきます。

詳細はこれから考えます。

出張だ駐勤だと言っていると何もできない。まずはやることを決めて、それに応じて自分のスケジュールを組むべしと、腹括りました。

来年のことを言うけれども。
鬼よ、笑いたいだけ笑え。私はやる。

posted by 入潮 at 01:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

骨の折れる


出張に出るはずだったのですが、東京でかつて無く愚図愚図した日々を送っています。

ちょっと痛い話なので、反転します。



気が付いたら、体からたくさん管が出ていて、頭の横でピコーンピコーンと音が鳴っていました。

どうも、銭湯の帰りに道を横断している際に、走ってきた運送会社のトラックと喧嘩し、敗北を喫したらしいです。

らしいですというのは、その前後の記憶が無いのでして。風呂屋にいった覚えすらない体たらくです。覚えていないので、悔悟も反省もしようがありません。何をやったと言われても、マジ顔で「記憶にございません」とお答えする他は無い状態です。

腰骨3箇所・肋骨2箇所の骨折と、手足・顔面の挫創裂創打撲でした。幸い、内臓や脳などに影響はなく、命に別状は全くありません。

ブータンで修験者の道なき道を行き、ベトナムでバイクの海を渡り、林道でツーリング飛ばしても大丈夫なのに、普通に徒歩で舗装された道を歩いていて何でこうなるかな、という感じです。

救命救急センター、ERなんてテレビの中の世界だと思っていました。10m以上飛んだにしては軽くすんでますねーと、救命医の方から残念そうに言われました。ERの猛者達には私は物足りなかったらしい。けれども、治療や検査で、何回、痛ぇ痛ぇと喚かされたことか。あの人達、無慈悲です。後から移った一般病棟の看護婦さんたちが本気で天使に思えました。治療と治癒って違うんですね。

腰と胸が痛く左目が開かないですが、頭と口はピンピンしています。しっかり腹も減ります。リアクションホイールとイオンエンジンは壊れたけど、回路も通信系統も太陽光パネルもリチウムイオン電池もバッチリオッケーだよ、うすださん、って感じです。つまりは、役立たずの無駄飯食らい。

しばらく身動きできず、寝返りも打てませんでした。寝たきりで、床ずれとエコノミー症候群が心配の種です。一気に60ぐらい年を取った感じです。動けないとシモが困る。30余年ぶりにおむつ生活でした。美しい看護婦さんに開脚されて「あらー、まだきれいねー。蒸れてるわねー、パタパタパタ」なんてやられると、私が生きた年月で築いてきたなけなしの物が、ガラガラ崩れ風化する思いです。ちなみに、折れた骨の名は「恥骨」です。恥の多い一生、絶賛現在進行中。

淡路島からはるばる上京してきてくれた母に、家からPCや細々した物を持ってきてもらいました。その中に、机の上にあったからと「江戸の男色」がありました。衆道の春画がこれでもかと収録され、ナニの形やら穴のよしあしを云々している図入りです。何故よりによってそれを持ってきてくれるか。そういえば川崎のイベントの戦利品を床に散らばらせてたのですが。それは口をつぐんでくれました。わざとか、母。

今日は車椅子に乗り、何日かぶりにベッド以外の世界に出ることができました。床に二本の足で立ったとき、クララが立ったよと独り勝手に感動しました。まだ病院の中だけしか動けませんが、世界は広いものであるということを、あらためて実感しました。

こうして馬鹿言っているぐらい元気です。というか、馬鹿を言って笑うたび、肋骨が痛いのが困りものです。お医者さんの仰る通り、致命的なことは何も無く、ラッキーでした。顔もお岩さんですが、後は時間が治してくれるでしょう。



と大げさに書きましたが、基本、元気でぴんぴんしています。
1日1冊ダラダラと小説を読み、あとはゴロゴロ寝ている生活なんて、何年ぶりでしょうと、それなりに楽しんでいます。
「骨の折れる」人生です、などと、まだ軽々しく言ってはならんと思いつつ。
洒落にするぐらいは許してください。


posted by 入潮 at 11:55| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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