2010年09月16日

情報奔流

久々に、大漁大漁!という気分でした。

国会図書館、近代デジタルライブラリ。著作権処理が終了していない資料約22万冊が、館内で閲覧できるようになったという9月1日の更新情報。
試しに、近デジ検索画面で「インターネットで画像閲覧可能な資料に限定する」 のチェックを外して大鳥圭介検索をしてみたら。これまでの37件から、75件。倍以上に増えているではありませんか。

国会図書館に行けばそれらが見れる。複写もできる。

著作物には、著作権上では複製権や公衆放送権があり、著作者の許諾がなければ、第三者がコピーやネットに載せるサービスを行うことができない。一方、図書館内ならば、図書館法内で、閲覧と、閲覧者の調査研究にかかる1部の複写が、許されている。

こうした法的制限と可能な事項について、著作権があるからとできない理由にするのではなく、可能な範囲で可能なだけのサービスを行ってくださる国会図書館の姿勢は、すばらしいです。

というわけで、未見大鳥資料がどっさりあると意気込んで、先週永田町に行ってみました。そして、館内ではなぜか近デジの大鳥圭介資料件数は127件に増えていました。

ちなみに大正4年山崎有信「大鳥圭介伝」も、館内のみ閲覧可能資料になってしました。山崎氏の死没年が分からず、著作権は自分も気になっていているところです。

館内のみ閲覧可能な近代デジタルライブラリの閲覧・複写方法は、以下の通り。

・新館1Fの電子資料室の「A端末」という表示のある端末からアクセス可能。
電子資料室の端末数は多くなく、空きがないことが多い。経済社会室など他の専門専門室にもA端末は設置されており、そこからも閲覧・複写手続きができる。

・複写(プリント)可能。A4は1枚20円。資料のスキャンのサイズによっては問答無用でA3になる。デジタルライブラリ資料を一端PDF化するまでは、インターネットと同じ。PDF化したものをプリントすることで、別の複写依頼画面が現れる。この依頼操作をA端末で行ったあと、さらに、電子資料室にある別の複写依頼専用の端末で複写手続きを行う。この複写依頼端末は、カウンター内のプリンタに直結している。プリントアウトが終わったらカウンターの担当者に呼び出してもらえる。カウンターで料金を支払い、プリントを受領する。なお、コピーよりずっと早い。助かる。

・A端末から、複写端末や複写支払いのために利用カードを抜いて移動する必要がある。この時、A端末が再起動されてしまう。しかも同じ端末を2度続けて使えない。複写端末での手続きは、カードを抜いた瞬間に現れる画面で、「問い合わせ」をクリックする。すると10分まで、再びカードを挿せば元の画面に戻る。(これが分からなかったので最初は大いに時間をロスしてしまった)

・プリントアウトした資料には、資料名も請求記号もなにも表示されない。資料本体画像のみ。なので何点もプリントすると出典が分からなくなる。一方、複写手続きの際に「資料名」を入力するが、これが支払い時にもらう水色のリストに表示される。このリストで出典を参照できる。ただしリストに表示されるのは10件まで。10件以上はいくら入力しても表示されない。よって、10件ごとに複写依頼端末でプリント手続きを行うと良い。


そして、近デジだけではありません。というか、近デジはほんの序章だった。
国会図書館の電子情報提供サービスで参照できるデータベースの数々。度肝を抜かれました。いつの間にここまで充実していたのか。知らなかったのを悔いました。

上リストのリンクを眺めるだけで、顎が外れそうになります。技術、サイエンス、経済、社会、政治、開発、医療、環境、教育、安全保障など、さまざまな分野の各国の、学術論文、雑誌記事、年鑑、報告書などのデータベースにアクセスできるようになっています。

本来、各社各機関が有料サービスとして提供するために整備したものです。そして、会員として費用を支払っている大学や研究機関、図書館がアクセスできるものです。それが、ここに集合しています。国会図書館は、そのサービスの利用者の一人ですが。これだけそれが集まると、まさに知識の集大成といえます。例えば世界の論文総合検索のScience Directにアクセスすれば、その分野の最新の研究論文が一様に手にできる。理科年表が創刊号からあり、統計開始時からの科学データにアクセスできる。

一つ一つのデータベースは、それ自体凄いものですが。それが集積して一箇所にあることの意義といったら。ここにいるだけで、その道数十年の研究者以上の知識に、座っているだけでアクセスできてしまう。その知識が有機的に結合したらどのようなものが生まれるのか。その可能性に恐ろしさを感じました。


江戸末期・明治の歴史関係で、有用だと思ったものは以下の通り。

・CD-県史誌1-4:こちらは「B端末」からアクセス可。「関東、当会、近畿圏17都府県の県史誌のうち、近世・近現代部分の通史、資料編の目次・小見出し・図表・資料名などから検索が可能」とあります。全文ではないですが。図表や見出しに載っている地名や人名や事項が、各県史のどこにあるか一目瞭然に。これの検索結果をプリントして県史に当たれば良い。県史、郷土史は地元ならではの濃く深い情報が豊富。しかし量が膨大なので掘り出すのも大変。そこにこの検索システムは嬉しい。


・幕末明治期海外渡航者人物情報事典
A端末から。「1861〜1912年の海外渡航者6,573名の渡航先や業績などを収録」誰が、いつ、どこへ、どの船で、何の目的で、その後何をしたか…ということが一気に参照できる。

・雑誌記事索引集成データベース(皓星社)
「全国誌、地方誌の雑誌記事索引データべース。明治初期から現代までの1,000万件以上を収録。論題、著者名、雑誌名、刊行年、巻号から検索可能」。皓星社のウェブでも無料トライアルはできますが。パワーアップ中。国会図書館に納本されていない資料がたくさん見つかる。全国雑誌資料行脚の旅に出たくなる。


・ヨミダス歴史館
「1874年11月(創刊)からの読売新聞と1989年9月からのTHE DAILY YOMIURIが収録された新聞記事データベースと、随時更新される人物データベース」
明治7年からの記事が参照可能なのが嬉しい。何が凄いって、新聞全文検索だった。該当場所がピンで示される親切設計。人名検索すると、あまりの小ネタの豊富さに、噴出す。発掘が凄く楽しい。意外な人間関係や、江川塾時代のやんちゃすぎる大鳥エピソードも。

・聞蔵IIビジュアル
「1879年の創刊から1984年までの朝日新聞紙面、および1984年以降の800万件を超える新聞記事を収録」
こちらは明治12年から。主要人物の弔辞なども豊富で参考になります。

・ジャパンナレッジ・プラス
「「字通」「日本歴史地名体系」「日本国語大辞典」など百科事典・各種辞書・連載記事・映像資料などを集積した日本最大の知識データベース。日本大百科全書など30以上の参考図書などを網羅的に検索」
まだ参照していないのですが。この紹介文だけでお腹いっぱいです。これだけで数日引き篭もれそう。

・日経BP記事検索サービス
「日経BP社が発行する雑誌約50誌のバックナンバー記事を、テキスト形式またはPDF形式で読むことができます。提供されている雑誌は、日経ビジネス、日経コンピュータ、日経パソコン、日経アーキテクチュアなど」
日経コンストラクションは「など」に含まれているのでしょうか。もとい。各業界雑誌として先陣を切って先端技術と業界動向を紹介し続ける日経雑誌。それが全てバックナンバーがそろい、テキストデータで検索も可能とは。知的産業発展への貢献度がどれほどになるか計り知れません。現代記事ですが意外に歴史つながりもあったりします。


欲を言えばですが、PCのスペックが膨大なデータ処理の必要に追いついていないのは、辛いなと。テキストデータだけなら良いのですが。ヨミダスなどはビジュアライズされていてデータ量が多いのか、読み出しに時間がかかる。しょっちゅう固まる。そしてPDF化含め、プリント操作に時間がかかる。ピンポイントに当たりたいときはいいですが。しらみつぶしをやる場合には、時間との戦いなので、かなりスリリングかつストレスフルな思いをします。

すみません、これは単なるわがままです。設備の問題ですし、システムは追々改善されていくのではないかと思います。だから、国会図書館が変な仕分けの対象になったり民営化の話が再燃したり予算は減ったりということは、決して無いよう、設備更新の予算も確保されるよう、一国民一納税者として、心から願います。


何度もしつこくて恐縮ですが。これだけのデータに一瞬でアクセスできる素養ベースが、18歳以上の国民なら誰もに、日本語で、公共サービスとして、開かれているという状況は、凄い、の一言です。他国の人に自慢できることです。

そして、一方で、当の日本人にとっては厳しいことだと思います。

昔の人はコピー機すらなく、情報は全てコネを駆使し、手紙を出してアポを取り、出向いて足で集め、メモし、必要なら全て筆写する。そうして文献を残した。それに比べて今のこの状況。

国民よ。国がサービスとしてここまでしてやったのだから、最大限に活用し、知的レベルと生産性を上げ、得た知識と創造性で国の発展に尽くせ。
そう、国から突きつけられている気がします。

インターネットもそうですが。PCとネット環境さえあれば、これだけ安易に望んだ知識の入手が適うようになりました。

一方で、アクセス可能なのは、テキスト化、データ化されているもののみ、という制限があります。本当の知識の価値は、データ化できないもの、まだされていないものにこそあります。検索可能な知識は、入り口に過ぎません。

ある分野の知識は深まれば深まるほど、余人が手を及ぼしていない、自分が発見する余地が増えてくる。それらを用いて、組み合わせて、データ化するべきものを自分で生み出せるようになる。それが、一人一人に求められている。
それらの集積が、新たな価値になるのではないかと思います。

それは技術分野も、ビジネスモデルも、歴史研究も、趣味も仕事も、分野を問わず、同じ。

これまでは、そうした深い知識は、年数を費やした一部の研究者や専門家の特権でした。しかし、一般人も持とうと思えば誰でも短時間で持てるようになった。

もちろん、経験やカンは、その職をプロフェッショナルにしているからこそのもので、一夕には身に付きませんが。少なくともどんな分野にも取り掛かりの機会は誰もに与えられている。であるので、自分の興味や専門の分野に、それらの知識を用いて卓越しないのは、単なる怠惰だ。データベースの情報の奔流に、そう言われているような気がしました。

知っているだけ、というのはもはや何の価値もない。誰もが調べようと思えばすぐに調べられる状況です。Googleの検索の上10件に出てくるページやウィキペディアに書かれていることは、もはや誰もが知っていて当然と思うべし、な時代です。

それ以上の事を、どこまで自分の血肉として蓄えているか。それを比較し、分析し、どのような事実と真実を己が感覚として身に着けているか。思い込みではなく、その根拠をいつでも出せるか。それらから、いかに余人の及ばない新しいアイデアと応用を編み出すか。

ネットやPCから離れ、身一つとなったときに、何の語る言葉を持っているか。

それが、これからは人の格として見られていくのではないかと思います。

一方で、間違った資料を根拠に挙げて語ってしまうと、自分がその資料の比較検討もせず鵜呑みにし、知識が浅いことを曝け出してしまう。いっそう恥ずかしい。
よって、何を読むにしてもただ流し読んで時間を過ごすのではなく、いかに分析し自分なりの答えを持ち、検証し、新しいことを見出せるか、ということが、大切なのだと思います。

大変だ。日々ゴロゴロして過ごしたい怠け者な手前には、たまらんきっつい時代です。

ここで収穫物から、大鳥さんのお言葉。

「労働は快楽の根源なり。艱苦は怠惰より生まれ、辛苦は安逸より起こる」(明治43年中学校女学校師範校幼年校受験準備読本)


受験の読本にまで現れてどこまで神出鬼没なんですかとか、過労死と隣り合わせの灰と青春な人生を送っておきながらどこまでマゾなんですかとか、突っ込みたいことは色々ありますが。

とりあえず、怠惰に甘んじず、労働はします。はい。

posted by 入潮 at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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