2010年10月15日

とりあえず暹羅

また間が開いてしまいました。
山から下りてきまして、現在バンコクです。

ラオス→ブータンで、ドサ周り的な出張をしていました。
自分が悪いのですが、日程がきつい上、ケアレスなミスが原因で係争マターに発展しかけたりで。余裕が無くネットもろくにできずにおりました。

仕事も片付けきれていないのですが、とりあえず帰国の途にあります。帰国を延ばしたら便が取れず、バンコクでよけいに1泊することになりました。

しかし、この機会を生かさずんばあらず。

せっかく得られた1日なので、明日は、大鳥さんの辿った暹羅紀行の道をストーキングしてきたいと思います。

タイ自体は、年に10回以上通り過ぎていたりします。ただ、仕事で出張に出ているのに私用で遊ぶわけにもいかず、今までその機会がありませんでした。

満席のおかげで、大義名分をもって滞在できる。
人間、生きていると良いことがあるなあ。

今はカオサンのネットカフェです。
今はもうどのカフェでも大体日本語が使えるようです。かつては日本語IMEのファイルを持ち歩いて、行き先でインストールしてもらったりしていましたが。いい時代になりました。その辺のバックパッカーも普通にモバイルを持ち歩いています。

バンコクといえば、商業や歓楽街の中心であるパッポンやシーロムやスクンビットをメインにする方が多いです。
手前にはカオサンが心の故郷です。カオサンは、バックパッカーの聖地と言われています。安宿がひしめき、屋台が立ち並び、マッサージと飲み屋とピアス屋、タトゥー屋が軒を競っています。退廃と堕落の象徴。それまでいかに仕事頭にスーツでも、ここにくると5分でヒッピーにクラスチェンジできます。
しかも暹羅紀行中心地の王宮も徒歩圏内なので、うってつけです。

ここにいるとすべてがどうでもよくなって、帰りたくなくなります。ただでさえ怠け者なのに、この環境はヤバイです。抜け出せなくなる。
暹羅紀行もそうですが。そろそろ気合を入れなおして、出発前に集めた国会図書館の資料もちくちく触れていきたいです。




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2010年10月16日

覗き見程度に暹羅紀行


バンコクは土砂降りの一日でした。濡れた足で歩きすぎて、足がふやけました。
行程は以下の通り。

1) 8:00 ロイヤルホテル (滞在したホテル)
2) 8:30-9:30 ワットプラキオ
3) 9:30-10:00 王宮
4) 10:00-11:00 エメラルド寺院博物館
5) 11:30-14:00 ワットポー (寝釈迦とマッサージ)
6) 14:00-14:30 チャオプラヤ川下り
7) 14:30-15:00 シープラヤー船着場・ロイヤルシェラトンホテル
8) 15:30-16:00 国立博物館

上の内、ワットプラキオ、王宮、ワットポー、それからチャオプラヤ川は、大鳥さんが訪問し、暹羅紀行で詳しく記している場所。特に意識しなくても、普通に観光すれば訪れる場所です。

ロイヤルオーキッドシェラトンホテルは、大鳥さんたちが滞在した「フォルクスホテル」と同じ場所にあると思しきホテルです。「フォルクスホテル」という名の1800年代から続いているホテルは、バンコクに見つけることはできませんでした。暹羅紀行付属の当時の地図と現在のものを照らし合わせると、同じ場所にシープラヤー船着場とシェラトンがあったので、この辺が跡地あたりではなかったかと思います。

自分の滞在したロイヤルホテルは、上のシェラトンとは、同じロイヤルを冠しても似ても似つきません。バンコクで一番古いホテルとホテル予約サイトにあったので、何かあるかと期待して大して考えずにそこに決めました。もちろんフォルクスホテルとは位置もゆかりも全く関係しませんでした。名前はすばらしいですが、中身は、典型的な、かつては高級だったと思しき古いホテルです。つまりは暗い、水周りが悪い、職員がどことなく社会主義的(偏見)、などの特徴がある。そのままでした。場所は一級で、王宮方面に出るには便利です。約40US$。普段カオサンで10US$以下が当たり前な自分には、思い切った出費です。カオサンにも新しくてきれいなホテルができていたので、正直、そちらのほうがいいのではないかと思います。

古いホテルだから、何かしら歴史由来が聞けるかと、ツーリストカウンターでたずねてみました。

「このホテルが建設されたのは何年ですか?」
「はぁ?」
「このホテルのオープンはいつでしたか?」
「え?ちょっとまって」(待つこと数分)
「六十年ぐらい前だって」
「あ、そんなに新しいんですか」
「はぁ? あんた何者(不審者を見る目)」

という、心温まる対話でした。

思い立ったが吉日な日程でガイドブックも無かったですが、1日で効率よく見て回れました。バックパッカーの時分に一通り見ていましたが、その頃より精力的に動きました。昨夜カオサンで買った日本語版Grooby Mapのバンコクマップ&ガイドが役立ちました。この地図だけで主要な観光地と概要が網羅されている。250Bは高いけれども、その価値はありました。

お目当ては、ラーマ五世=チュラロンコーン王。1876年に暹羅に赴いた大鳥圭介たちが謁見した王様です。戴冠は1868年、戊辰戦争終結と同じ年です。1910年まで、まさにちょうど日本の明治期にあたる時期を統治した方です。この時期は、タイにとっても列強の波が押し寄せ、近代化せねば植民地化される、重要な時期でした。チュラロンコーン王は、ラーマ四世の後を継ぎ、道路・鉄道のインフラ建設、陸海軍や教育の近代化を行い、チャクリー改革というタイの岐路を分ける改革を行い、中央集権を成し遂げた。タイがその後独立を保ち今の姿にあるのは、この王様の近代化戦略と開発計画のおかげだったといっても過言ではない、まさに偉大な王様です。

今回見回ってしみじみ感じたことは、1800年後半というのは、すでに歴史であったのだということです。何を当たり前のことかと言われてしまい、いまさらのことなのですが。

ひとまず何を見るにも、大鳥達が渡航した1876年よりも前のものかどうかという視点で見て回りました。1876年以前ならば大鳥たちが見た可能性が高いです。ただ、そのころのものは、歴史遺物扱いで展示されているもの以外は、当時そのままのものはどこにも無い。あっても相当な修復の手が入っています。

日本では、150年ぐらい昔のものは、結構どこにでもある。神社や建物も紙の記録も、探さなくてもそれなりに結構残されています。修復も、昔のものを可能な限りそのまま再現する形で残している。よって、当時そのままのその姿が良くわかる。

一方、タイにとっては、150年前は、もはや歴史の霞の向こうに断絶したかなり昔のことなのだと感じました。

王宮も寺院も何度も改築され、その度に大幅な変更がなされている。壁画など昔のままのものもありますが、やはり多くは何度も塗りなおされている。

その建造物の歴史のプロであるはずの職員も、しゃべっているか携帯をいじっているのみ。「ラーマ5世時代の展示はどこにありますか」と聞いても、寝耳に水のような顔をされるだけで、ろくに答えが返ってこない。たまたまその当番にやる気がなかっただけだと思いたいのですが。10人に聞いても10人ともそんな感じでした。あなた達、自国の歴史を聞かれてなぜ答えないのか、と問いたかった。

日本では、どの史跡のガイドさんや学芸員さんも、詳しいことを尋ねると、我が意を得たとばかりに満面の笑みで知識を疲労してくださったりします。そこにはなけなしのプロ意識と、自分の専門分野に関心を示してくれる一般人への歓迎の姿勢があります。まして外国人が関心を示してくれたら、それは張り切るものでしょう。

たった1日で見てまわったことで自国びいきするのもナンセンスではありますが。記録保存、文化保存、そして歴史そのものへのレスペクトにおいて、ここで温度の差を感じてしまいました。

ただ、公務員が職務熱心ではないのは、タイに限った話ではなく、先進国以外どの国も同じであったりはします。給料が安いから仕事のモチベーションが上がらない。一所懸命仕事しても、そこで単に時間をつぶしていても、給料は同じ。

逆に言えば、公務員の環境が職務に精励できるものではないから、公務員が働かず、国が発展しない。タイはその点では、かなり発展したほうではあります。

一方、きちんとそれで給料をもらっている民間のガイドは、説明も熱心です。ただやはり、観光客向けの通り一遍のことしかしゃべらない。知らないことを聞かれるのは迷惑なようです。

そんなわけで、専門の方からも「は?チュラロンコーン王?なんで外国人そんなこと聞くの?」という反応が返ってくると、チュラロンコローン王はあなたの国の礎を作ったあなたが誇るべき英雄でしょうがー!と叫びたくなりました。

視点を変えれば、それまでここを訪れた外国人観光客のほとんどが、タイの歴史にまったく関心を示してこず、単に目で見てきらびやかなものを見て写真を撮って終わっていた、ということなのでしょう。観光客はそういうものですが。説明しても右から左に耳の中を流れるだけだから、説明する側も甲斐がない。私もバックパッカー時代は、ラーマI世もV世も区別が付いておらず、何も考えずに通り過ぎただけでした。

無論、文書館や大学など行くべきところに行けば、しっかりした記録もあるでしょうし、意識の高い人もいるのだと思います。一観光客として一日で見て回っただけの人間が、軽々しく、当地の歴史への姿勢について判断してしまうのも、失礼なことだなと思います。

大鳥たちが同行したオーストリア公使は国王に公的に謁見していますし。その記録を含んだ王宮の外交記録を保存している公文書館のようなものはないか。当時を追うのなら、やはりしっかり時間をかけて調べる必要があるのだという、当たり前のことに思い至りました。たかが1日観光しただけでストーキングとかのたまうなぞ、とんでもない思い上がりでした。できたのはせいぜい覗き見程度です。

いずれにせよ、大鳥さんの暹羅の記録は、追うとかなり楽しいです。
暹羅紀行だけではなく、旅中に送った伊藤博文への書簡も、色々と突っ込み甲斐があります。
そう言いながらも、いつも旅レポは中途半端なまま放置してしまい、次のネタに手を出してはまた…ということを繰り返しているのですが。

記憶が風化しないうちに、まとめたいと思います。とりあえず表明だけ。

さて、明日は東京だ。まずはコンビニおでんを食したい。

posted by 入潮 at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月17日

今起きていた事

約1ヶ月ぶりに帰宅した私は、今、やつの能力をほんのちょっぴりだが体験した。
い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが…

あ…ありのまま、今起きていた事を話すぜ!

101017


な…何が起きたのか、わからねえと思うが
私も何をされたのか、わからなかった…

頭がどうにかなりそうだった…

ハッピーターンを食い荒らされたとか
そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。


と。見た瞬間、ポルナレフ氏の有名なセリフが、脳裏に流れました。
帰宅したら、コタツの上に鎮座するラップトップPCが、上の有様でした。暹羅紀行をまとめるどころではない。

今回の出張は、まったく食料を家に残さないようにしたのですが。
ネズミの野郎。キーボードの間に落ちてしまっていた食べかすにまで、魔の手を伸ばしていやがった。

101017

お食事の跡。
貴様等。私の大切な安住の場を排泄場にしやがって。何て非道な連中だ。
飢餓になれば穀倉を壊滅させ、黒死病が流行ればその使者となる。まさに人類の大敵です。


いや、そもそも、お菓子を食べながらキーを打つだらしない自分が悪かったのです。

これまでも何かと話しのネタをもたらしてきたこの家ですが。
今回は今までで一番、精神的にも物理的にも、被害が大きかったです。


101017

とりあえず、キーはここまで復旧できました。
AltとCtrlの配置がうろ覚えだったから、困った。

1234567890qwertyuiop@[asdfghjkl;:]zxcvbnm,./\

と、色々試してみたところ、確実に死んだのはfnキーだけですんだようです。

Fnキーは幸いあまり使わないから、致命的ではないけれども。Fnキーが使えないと、PrtScrやPageUp, PageDn、それにプロジェクタも使えない。やはり辛い。あと、Shiftの効きが若干おかしい。
修理に出すにしても、2週間ぐらいはかかりそうだ。どうしようか悩みどころです。


とりあえず、徹底的に掃除します。掃除機かけて、拭き掃除もやります。殺虫剤も買ってこよう。ついでにバルサンも炊いてやる。

夜行便の徹夜明けだから早く寝たいのに。この家だとまったく、おちおち眠れやしない。

何というか。人生、試練が多いです。

posted by 入潮 at 11:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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