2011年03月11日

カトマンズより その2

カトマンズの生活も、1ヶ月経って大分慣れました。道やローカル交通機関も覚え、行動範囲が広がり、街の見た目以外のところも見えてくるようになってきました。

写真も色々ありますが、ネット環境が思わしくなく、なかなかアップするようになりません。
ひとまず、カトマンズネタを以下の通り羅列します。(1Rp=約1.2円)

・3月14日から王様の顔が描かれた紙幣は廃止になる。

「日本人は天皇をとっても尊敬しているが、ワシらは国王を蹴りだしてやったんじゃ」と地元の方は笑っていました。この余波が、元国王の顔が記された紙幣の廃止。2006年の王政廃止以降、それまで紙幣に印刷されていた元国王の顔が、紙幣から消えました。それ以前の紙幣はもちろん流通していますが、これが使えなくなるとの事。廃貨です。

しかし、銀行で両替すると、後2週間で廃止になる紙幣が平気で出てくる。数枚紛れ込む程度ならまだしも、高額紙幣(といっても1000Rp)の全てに元国王の顔が現れていたりする。こちらが外国人で何も知らないと思っているのか。3月14日以降は銀行に持っていけば交換してくれるとのことだが。みなが銀行に詰め掛けるため、混乱が予想される。店やレストランで、片っ端から元国王顔の紙幣を消費していっても、おつりでまた元国王が帰ってくる。こうして皆さらに国王嫌いになっていきます。

・ネパールの電力会社NEA、電気料金は逆ザヤ。

電気料金よりもコストのほうが高いので、電気は売れば売るほど赤字になる構造。電気料金は国家マターで、電力会社が独自に決めることができない。消費者代表委員会で決められる。消費者は電気料金が安いほうがいいので、物価は上がっているのに電気料金は据え置きのまま。いつまでたっても物価に追従して電気料金を上げることができない。それなのに電力会社は独立採算を強いられている。だから、NEAの独自の電源開発も出来ない。売るほど不利益が重なるため、本気で計画停電も抑える気にならないだろう。自分の売り物の料金を自分で決められないのなら、民営化しても仕方が無い。倒産したくても出来ない。

・テンプーはバッテリー車

タイやラオスのトゥクトゥクやジャンボに相当するのが、テンプー。三輪車型の乗用車より小さいマイクロバスで、乗客は横向きにぎゅうぎゅうに詰めこみ、10名ぐらい乗る。距離に関わらず、1回10〜15Rp。庶民の足。
見かけはおんぼろだが、実は100%バッテリーで動くフルEV車だったりする。夜に充電して昼に走るモーター車。ネパールの電力は99%水力なので、環境負荷は小さい。これがなんと、30年以上前から走っている。これを実証するために、研究者が自らチベットの国境まで往復したとのこと。
しかし、現在、計画停電のため、夜に充電ができなくなってテンプーが走れなくなり、テンプーと住民がNEA本社へ抗議に押し寄せたこともあったとの由。

・ 乾期はこれから

まだ10時間の給電があるだけマシ。これから一気に、乾期の暑期がやってきます。着いた当時は非常に寒かったですが、今は日に日に暑くなっていっています。日差しが強い。シミが増えた。水はどんどん少なくなる。今は3日に1日の給水が、5日に1日に減らされる予定。そして、電気もさらに少なくなる。去年は1日20時間停電までいった。しかも、今年はもっと厳しくなるとの由。東京の真夏以上の暑さで、湿度90%以上、気温40℃以上になるとのこと。電気がないということは、クーラーも扇風機ももちろん無い。これから、かなりきつくなりそうです。

・街そのものが歴史

角を曲がる度に、寺や寺院やストゥーパやチョークや、何かしら現れる。普通に街の風景に混在していて、皆そこで煙草を吸ったり昼寝をしたりしている。道の名前や町内ごとに謂れ、伝説がある。祭りが多い。古い街なので道が非常に複雑。すぐに迷うが、迷いながら見る建造物が楽しい。ネワール式の緻密な彫刻が普通に門や欄干や窓枠に施されていて、つい見入ってしまう。

・宗教の坩堝

雑然としていろんな神様がいる。そんな印象。
シヴァやヴィシュヌが踊る横で菩薩様が鎮座している。カーマスートラのごとく男女のまぐわう像が並んでいるかと思えば、そのすぐ下に煩悩とは無縁の仏像がある。ヒンズーと仏教とチベット密教と土着の宗教が入り乱れていて、分けがわからない。さらにキリスト教徒もイスラム教徒も居る。この混沌こそがネパールかもしれない。

しかし考えてみれば、クリスマス(キリスト教)、除夜の鐘(仏教)、初日の出(神道)、お年玉(儒教)を1週間の内に行ったり、同じ町内に教会と神社と寺があっても誰も違和感を抱かない日本も、大して変わらないのか。さらに考えてみれば、世界中の神様を敵雑魚キャラとして経験値にしたり、仲間にして合体させたりしてゲームで遊んでいる日本人が、一番怖いかもしれない。

・紅茶・ハーブティ好きには天国

高山植物をふんだんに使ったものすごく美味しいブレンドのハーブティが、普通にスーパーで100g100円以下で売られている。信じられない。
紅茶は、インドのダージリンと国境を挟んでネパール側にイラムという名産地がある。このイラム産のお茶が、世界ではダージリンティーとして売られている。(淡路島産の淡路ビーフが全国的には神戸牛の名前で売られているのと同じか) よって、ダージリンティーが安くて美味しい。高級ホテルでしかお目にかかれない、日本で買うと100g4000-6000円もするファーストフラッシュのイラム茶が…以下略。
いずれにしても、取って置きのときに飲むレベルのお茶が、普通に日常的に、その辺で秤り売りされている。一度、ヤン・ウェンリーに来ていただきたい。

・教育のレベルが高い

もちろん人によるので一概には言えないだろうけれども、人間は真面目で勉強熱心。教育熱がすさまじい。英語教育も行われる私立と、普通の公立とのギャップが激しい。親は将来を子供に託すため、教育費に収入の相当な割合を注ぐ。Grade 10 (10年生、高校1年相当)でセンター試験のような全国共通国家試験があり、そこで大学入試資格を得るかどうか決まる。資格を得たらさらに大学前に2年間の専門教育を受ける。大卒の新任も、かなり勉強してきている印象。英文文章作成も普通にできる。PCもワード・エクセルは当たり前、CADのほか専門ソフトウェアまで学んできているので、少し教えるだけで結構な戦力になる。大学教育課程で、本当に仕事に必要なことも教えられている印象。
一方、授業料は高い。高校2,3年の大学予備課程で、年間10万ルピー以上かかる由。私立学校が完全にビジネスになってしまっている。

・政治が悪い

では、何が悪いのかというと、誰もが口を揃えて言う。「政治が悪い」と。

誰もが、この国の電力をどうにかするには水力開発しかないと分かっている。水力発電の調査報告書は何十案件もあって山積みになっている。ドナーも援助で調査はする。しかし水力の建設には巨額の資金が必要。ドナーの協調や官民連系を行うにも政治が絡む。そして政治が動かないから、資金も集まらず、建設もできない。ネパールもブータンやラオスのように水力を売って豊かになる道がしっかりあるのに、豊富でどこにでもある水力ポテンシャルが利用できない。

政治が違うだけでこうも変わるのかと、つくづく思いやります。


そんな感じで。最初は、悪臭と排ガスと停電と断水、体調が崩れたのもあって、ここで1年かと、正直心が折れそうにもなりました。今は開き直って居心地良くなっています。不便な中に工夫するのも楽しい。歴史のある街だから、建物にも街角にも人にも味があります。「電気と道路と水と空気さえ何とかなったら、とっても良い街なんだけどね〜」と仰った方の後半部を、今は実感として感じています。

タグ:ネパール
posted by 入潮 at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月14日

東日本大震災


地震と津波のニュースを聞いて頭の中が真っ白になりました。
現地の新聞(カトマンズポスト)でも、一面に、津波の様子が報じられています。

スマトラや中越のときもそうでしたが。自分の無力さを噛み締めます。
開発案件では、数人の生活を守るために、エキスパート達が多大な労力と費用を用いて対策するのに。自然は1万人という規模を成す術もなく飲み込んでしまう。
慣れ親しんだはずの景色が、瓦礫の山と化した。仙台は、自分の第二の故郷です。阪神大震災の時の喪失感に、再び打ちのめされるとは。

自分が国外に居たのは偶々にすぎない。荒浜では何日も泊り込んで天体観測をしていました。名取は亘理は、R4・R6号を毎日のように走っていました。その時に地震が来ていたら、自分も間違いなく波に飲み込まれていました。町を壊滅させていく津波の映像に、本当に起こっていることとは信じられませんでした。

津波に襲われるその瞬間まで、防災無線放送で住民に避難を呼びかけた南三陸町役場の女性職員。
福島第一原発一号機放射能汚染を防ぐために排圧の弁を開けに身を投じた作業員の方々。

それらの方々の文字通りの命懸けの奮闘を思うと、嗚咽が込上げます。

濁流の中で生存者捜索される自衛隊の方。容量超過、電力・水の無い中でも必死に治療行為を続けられている医療機関の方。交通整理と治安維持に当たられる警察官の方。
東北各地では、今も決死の思いで、被害者の救出に尽力している方。極寒の中で孤立しながら救助をただひたすらに待っている方々。不便極まりない中で避難所暮らしを行っている数十万の方々。

それらの方々のご苦労を想像するだに、何もできない非力さが悔しくなります。

被災地はもとより、関東でも計画停電が実施されるとの由。
昼間は道路マヒ、給水は5日に1回、1日14時間の停電の当地に居ると、如何に日本が恵まれたインフラを持っているのか。一度日本も大規模に断水や停電してみれば、水道や電気などインフラのありがたさが分かるだろう、無意識の公共便益の享受が如何に贅沢なことであるのか感じてみたらいいのに。
そんな愚かしいことを思ってしまったこともありました。

それはそもそも自分が、日本のインフラを思う存分に享受してきて、かつ絶大な信頼をよせていたからこそでした。

実際にそのような事態になってしまった。まさか信じられないほど多くの人命と共に、そのインフラが破壊されることになるとは。
規模も、犠牲も、あまりに大きすぎることに、愕然とする他ありません。

「想定外」という言葉が頻繁にニュースから聞こえます。人間は所詮想定の範囲でしか動けないし、ものを作れない。想定の範囲を広げて安全を確保するほど、コストが大きくなる。その想定を、他国ではありえないほど、日本経済の許す限り大きく取った原発こそが、海水冷却にまで追い込まれ炉を廃する事態にまでなった。これで大丈夫と思いエネルギーを浪費する人の驕りに対する天の鉄槌とでもいうものかもしれない。というか、そのように超越した何かを思わないと、もうやりきれないです。

その想定外の事態と、最悪の事態だけは起こさせないと命を張っておられる作業員の方々。過負荷による大停電だけは起こさせないと、国民の怨嗟の声を覚悟しながら計画停電の計算に徹夜しておられる方々がいる。

インドのニュース、BBCや米国の各紙面で、日本人の規律正しさ、混乱しない冷静さ、災害への備えを賞賛しています。当事者の方々には何も慰めにはならないかもしれませんが。流言に惑わされず、他者を思いやる冷静さが被害を減じ、復興の壁を低くすることは疑いありません。

ボランティアをしたいとか、物資を送りたいという声も高いようです。ただ、緊急時はしかるべき訓練を受けたエキスパートにまかせていただいたほうが良いかと思います。一人一人に出来ることは、募金ぐらいです。現金は何をするにも必要で、輸送にコストも手間もかかりません。一方物資は、しかるべき物流に乗せることが必要で、人手とコストと手段が必要、個人が被災地に届けるのは難しいです。あとできることは冷静に、効果はすぐ自分の目の前に見えなくても、社会全体に寄与することかと思います。

特に関東など50Hz地域においての節電は、大きく寄与するかと思います。都内でも、各家庭が、ピーク時間(朝、夕方)のエアコンや暖房、ドライヤー、オーブン、ポットなど電力消費量の大きいものを控えるだけで、社会的な電力供給体制の安定に大きく役立ちます。まず、身近な電気製品の必要電力(kW)を確認し、大きい電力のものから1つ2つ使わないでいるのも、ひとつかと思います。
何より、東京電力さんを責めるのではなく、流言にも決して耳を傾けず、精一杯の対処をしてくださっていることに感謝することではないかと思います。

あと、計画停電の間、蝋燭など火は使わないほうがよいと思います。各地の消防は災害派遣や交通混乱で、通常より対処レベルが低下しているかと思います。 ここで火災が起きたら、二次災害が大きくなる恐れがあります。火の元は注意して十分すぎるということはありません。

言っても仕方ないことかもしれませんが。手元に、太陽光パネル付卓上LEDライトがあります。手回しラジオと共に、これが避難所などに配布されると良いと思います。100Lm/Wを超える高輝度で明るい。夜間の明かりがあるだけで心身の負荷が和らぎます。援助物資としてだけでなく計画停電用にも、メーカーや商社の調達で大量放出してくださらないだろうか。

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なお、関西など60Hz地域では、周波数変換を行う変電所の容量が約100万kWと上限があるので、節電効果には限りがあります。何とか助けたいという気持ちを決して軽視するわけではありませんが、冷静に見れば、目の前の自分の仕事に集中していただくのが一番かと思います。仕事がなされ、経済活動が行われれば、税も納められ、後の補填という形ででも、被災地にリソースを回せることになります。


今はただ、一人でも多くの人命が助かりますこと、一人でも多くの方が安寧に過ごせますことを、祈るより他はありません。

posted by 入潮 at 02:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

非日常と日常


桜が開花しながら、お花見を自粛される方が多いようです。結婚式など祭事も取りやめされる方が多いと聞きます。日本国内全てが、謂わばお通夜のようになってしまっていた感じがします。
自分も、仕事以外は何を言うにも行うにも不謹慎な気がして、結局何も出来ずにいました。

震災についてのネット上のニュースや掲示板を読み漁り、津波の画像に呆然と見入り、胃が痛くなるまで原発を心配する。東電さんを責めるだけで何の代替案も提案しないマスコミに怒りを覚える。それで3月後半が終わってしまった気がします。

仕事でも震災の影響は当然ながら免れず、日本から調達を予定している機材の目処が立たなくて、頭を抱える毎日です。

ただ、NHKは通常の番組に戻り、ネットニュースも震災以外の話題が多く見られるようになってきました。皆様のブログにも、今を元気に過ごそうと、別のことに目を向けた話題も増えてきました。創作活動も復活しつつあるように思います。

こうした動きは、喜ばしく思います。

今これを言う必要がどこにあるのかと、お怒りを買うことなのですが。

UNAIDSによれば2009年のエイズ死者数は180万人。WHOによればマラリア死者は2006年で100万人。今こうしている間にも、毎日、1万人弱がエイズとマラリアだけで亡くなっていることになります。そして、予防や防止のための援助プログラムは盛んで、ドナーは数億円規模を提供していますが、罹患している方々に直接義捐金が行くわけではありません

日本国内でも、年間自殺者は3万人を超えています。個々の事情は様々でしょうが、その家族の方にもやはり寄付が行くわけでもありません。自殺と災害は違うという声もあると思いますが、自らの死を選択するほどの絶望に追いやられる方が年間3万人以上いた、その状況に救いの手が届かなかった現実があります。

数字だけ見れば、年間数万人以上の規模の死者は日常的に発生している。そしてそれは普段はニュースにもならなければ、大多数の人間が日々特別に思いやることも悲しむこともない。それが残酷な事実です。

日常化しているからニュースにもならない。

しかし災害は、非日常である。突発的で衝撃的で毎日マスメディアに取り上げられている。物的被害も大きい。だから人々は関心を寄せる。人は、ある意味、非日常に餓えているのかもしれません。

被災者の方に申し訳無い気持ち、痛ましいと思う気持ち、何かしたいと思う気持ちは、当然大きいです。ただ、いつまでも、東日本大震災を特別扱いしていいのだろうか。震災情報にばかり見入り、不謹慎を恐れて自粛ばかりして何もしないのが道徳的に良いという訳でもないだろうと、一方で思います。もちろん、被災地のことを思うと楽しむ気にはなれない。その気持ちは誰もあることだと思います。一方で、お祭りも旅行も娯楽も自粛されてしまうと、資金が動かず、税金も集まらず、国が不景気になり、復興資金の拠出が難しくなるという一面もあります。矢鱈めったらな自粛はむしろ、復興を阻害します。

楽しむ事を申し訳ないと思ってしまうなら、娯楽に費やした費用の10/1なりを寄付すればよいかと思います。遊びにおいて費用の1/10は誤差範囲でしょう。

健やかに仕事に精を出し、時に娯楽に興じる当たり前のこと。そして、日常を普通に過ごすこと。一人一人が稼いで消費することで、国内のお金を回すことが、何よりの復興への寄与です。

ネパールの方々からも、これまで仕事をしてきた各国からも、日本へのお見舞いの言葉を多数いただきました。ネパール政府は15人の災害救助隊と5000枚の毛布を日本に送ってくださいました。募金も集められています。
これまで日本はたくさん援助してくれていたのだから。ネパールの方は、そうしたことを仰います。

カトマンズの、1日14時間停電、5日に1回の給水、劣悪な空気にバラック小屋住みのこの人々の日常も正直被災地並みで、しかも何年経っても悪化するだけで回復の目処がない。それが日常化しているから慣れきっている。そうした人々からも支援の声があるというのは、なんとも言葉無く痛み入ることです。

ネパールにいて感じ入ることは、非日常を日常とする人々の、生きる力の強さです。
停電にも断水にも、バッテリーやインバータ、水タンクを普通に各家庭に常備して対応している。家庭の主婦も、ちょっとした電気知識を持っていますし、DIT (Do it yourself) の精神です。不便は人を鍛えます。劣悪なインフラの中でも少しでも住み良くするため、自ら工夫して、収入レベルを考えても少なくない費用を費やしています。


最近は落ち込んでいたとはいえ、毎年数千億円〜1兆円規模のODA予算を日本はつぎ込んできました。この先何年かは他国への支援どころではなく、国内資金はまず復興に回されるでしょう。

公共事業削減で倒産の嵐だったゼネコンや地方の建築会社は、インフラ復興の大きな需要により、盛り返していくことでしょう。産業復興のために地方では大きな雇用機会が生まれるでしょう。

各工場では、計画停電では生産が効率良く進まず頭の痛いところで、工夫のしどころかと存じます。一方、そこに停電に対応するための自家発電機、バッテリーとインバータ、家庭用自立運転型太陽光、高効率LED照明や家電機器などの分野では、大きな需要が生まれます。

震災により、ご家族や大切な方を喪われた方、財産や生計手段などを奪われた方々は、本当に痛ましく思います。
ただ、震災の被害を受けなかった地域の方は、被害そのものを、冷えて停滞した経済を根っこからひっくり返す原動力とする、転んでもただでは起きない日本人としての真価を発揮する時ではないかと思います。

戊辰戦争後。西南戦争後。関東大震災後。第二次世界大戦後。破壊と混乱の後、創意工夫と技術力で進化していくことを、日本人は繰り返してきました。
幕末から明治初期、明治初期から中期、大正から昭和、戦前から戦後。いずれも、各事件の前より後で、非日常を日常に変えながら、日本は国として大きく成長しています。

震災を糧として、と言ってしまうとやはりお叱りを受けてしまうことですが。
震災前よりも、元気と活力のある日本がもたらされればいいなと、心から思います。

そのためには、一人一人が、逆境と不便を成長の糧にして、非日常に適応してそれを日常としながら、生産すなわち仕事と趣味に精を出していくことが一番だと思います。日常生活で生まれる余力こそが、一番の復興の力であり、非日常に対処する力となります。エイズもマラリアも、慢性化した諸問題の解決策は、世界の人々の生産と消費の日常生活からの無意識な税金によって、実施されています。健やかな日常こそが、何よりも大切な現状打開の力です。

あと、一言。
がんばれ東京電力!


posted by 入潮 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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