2011年04月02日

けいすけじゃアニメと没後百年記念



「上郡出身の大鳥圭介描く アニメ第一部が完成、5月から放送」

との記事。神戸新聞2011年3月26日の神戸新聞西播欄に掲載されているとのお知らせをいただきました。

「けいすけじゃ」アニメです。

記事の概要は以下の通りです。

「上郡町出身で、明治期の殖産興業に尽力した大鳥圭介の生涯を描くアニメ『けいすけじゃ』の第1部が完成し、5月から地元のケーブルテレビなどで放送される。大鳥の没後100年に合わせて同町(上郡町)が企画し、ボランティア約100人が作画やせりふの吹き込みに加わった」

「全20話中13話までを第1部とし、上郡で過ごした幼少期から江戸幕府の旗本になるまでを描いている。指導役に招いたアニメータらの提案で、衣装や建物の細部まで大鳥の生きた時代を忠実に再現。作画枚数は、予定を大きく上回る約4千枚にもなったという」


そのアニメの完成披露会が、5月4日、上郡にて行われる予定です。

大鳥圭介没後100年記念アニメ「けいすけじゃ」完成披露会&講演会


アニメ「けいすけじゃ」の完成披露会が、制作スタッフの方々と行われる予定です。

・日時 平成23年5月4日(祝・水曜日)9時から11時30分
・場所 上郡町生涯学習支援センター 大ホール 入場無料


こちらのページ に、以下の通りの記述があります。

「町では、(財)地域活性化センターの「活力ある地域づくり支援事業(宝くじ助成事業)」の補助を受け、郷土の偉人「大鳥圭介公」を題材とした漫画「けいすけじゃ」のアニメを上郡町出身のアニメーターをはじめ、町内外のボランティアの方に協力していただき制作しました。今回制作したアニメは、4月から順次「えんしんネット」で放映する予定です。
 なお、この「活力ある地域づくり支援事業」は、地域の活性化を図るとともに宝くじの普及広報事業を目的として実施されているものです。」


ということで、アニメDVDのジャケットが紹介されています。
幼少、洋学者、幕府時代の圭介の姿。そして上郡、岩木の里から千種川の果ての世界を思いやる圭介少年の姿。なんとも心くすぐるアレンジです。否応がなく期待が高まります。

お問い合わせしてみたところ、DVDは著作権の関係で販売予定は無い、とのことです。それについては残念なのですが。将来的に上郡へ行けば、何らかの形で映像を見れる機会はあるのではないかと期待したいです。

アニメは上郡のほか、姫路や宍栗市、佐用、太子町でも放送する予定とのこと。今後の放映は、自分はリアルタイムでは見れませんが、楽しみです。

さて、昨年11月に上郡を訪問した際に、スタッフの方々の製作場所をご訪問させていただき、アフレコ現場の映像を拝見しました。上記事にありました通りですが、スタッフの皆様の熱意と愛着には驚きました。

当時の少年漫画の雰囲気の半沢祐人氏のタッチを、現代の若者受けするアニメ調に、違和感無く、丁寧に、絶妙に移管されていると思います。作業の緻密さ、技術力の高さに敬服しました。

例えば、神戸又新日報の記事に圭介の服が「浅黄色の羽織」とあったという情報があれば、色を検討しなおす。資料をひっくり返してスペンサー銃の形を念入りに確認される。情景ひとつ描くにもそれぞれ拘りを持って丁寧に描写しておられました。

11月の訪問時での自分のメモは以下の通り。

・無精髭だらけの岩谷厳龍。男くささが最大値。ホワイトボードにハートマークに包まれて微笑んで描かれていた。愛されている。

・穏やかなのに目が笑っていない洪庵先生。惚れぬ女はいないと思うほどダンディで素敵過ぎた。

・母お節さんにこてんぱんにされる大鳥父の直輔。異様なまでの迫力。なぜか本番より絵コンテのほうが気合が込められいてた。

・姫路城の背景。まさに雲居に霞む堂々たる様。写実的で力の篭りように驚いた。地元の高校生が描かれたとの由。

・アフレコの迫力。吹き込みだけではなく、実感が伴われるよう、まず演技で体で表現しながらの練習を行っておられた。子役の方が上手い。閑谷学校へ行く正座しながらの親説得シーンなど、本気で圭介が重なって見えた。声優さんは、専門学校に通う卵の方と聞いていたが、皆さんプロの方と遜色なかったと思う。

等など。スタッフの方、ボランティアの方、声優の方それぞれ真摯な姿勢に驚かされました。

原作からの逸脱をオリジナリティと勘違いし、無駄なところに力を入れて原作の雰囲気を壊してファンの怒りを買ったアニメは、枚挙に暇がありません。

そうではなく、スタッフの方々は「けいすけじゃ」を心からリスペクトされ、半沢氏の世界観を何よりも大切にしておられ、圭介と「けいすけじゃ」が生まれた上郡という故郷への愛着を有しておられました。

一方で、やはり人手不足は如何ともしがたいようでした。進捗も大変そうで、5月までというスケジュールはご苦労も相当多いだろうと感じられました。地元のボランティアの方々と共に行っておられるので、それぞれで雰囲気や品質の違いが現れるのは仕方の無いところです。その中で、クオリティまで求めて困難な作業をしておられるのは脱帽の一言でした。

頑張ってくださいというのは簡単で、それで何が自分にできるかという事が心苦しく感じたほどでした。作業にお忙しい中、時間を割いてご説明くださったスタッフの方々に、感謝でした。

なお、スタッフの方々の非公式チーム名は「アニメ製作伝習隊」でした。こうしたネーミングも素敵過ぎます。


ふと思ったのですが。地域参加型のアニメ製作というのは、他に例があるのでしょうか。

中高生を含む地元の若い方々が、ボランティアとしてアニメの背景や彩色、アフレコに参加され、共同で一つのものを作りつつ、地域の文化、偉人の姿を学ぶ。こうしたアクションを通じて、若い方々の地元への愛着という、地方にとって何よりも大切な意識が育つことでしょう。

サブカルチャー媒体が真面目に論じられることも増えてきました。
「けいすけじゃ」アニメは、地方行政と若い世代の住民を結びつける参加型企画と見ることができます。アニメ通した地方参加型開発の画期的な試みとして、ある種のモデルともなり、今後評価されていくものではないかと思います。

アニメ完成披露会、とても楽しみです。
それと共に行われる講演会では、国づくりに尽くした大鳥圭介の姿が語られる予定です。

なお、アニメ完成披露会・講演会のご参加下さる方は、事前の4月20日までに上の上郡町さんの開催お知らせの「お問い合わせ」のメールアドレスに、氏名、住所、電話番号、同行者人数をご連絡の上、お申し込みいただければと思います。入場無料で、定員400名との由。


大鳥さんの生誕地の岩木石戸での圭介まつりは、震災に配慮し中止とされました。残念ですが、ご心情を思うと、止むを得ないことと思います。

また、国内の現状から、如楓会も延期することとしました。
参加をご表明下さり楽しみにして下さった方には、大変申し訳なく思います。落ち着きを取り戻した頃に、別の形で行いたいと思っています。

そうした中で、没後百年記念を予定通り実施してくださる上郡町さんに、感謝です。

今、復興に最も必要なことは、日本国内の地域の一つ一つが元気であることではないかと思います。

自分の趣味にかこつけるようで不謹慎だという謗りもあることとは思いますが。
地震、大火事、内戦、戦争と、何度も死んでもおかしくない絶望的な目に遭いながら、混乱期を生き抜いてその後の国づくりに奔走した大鳥圭介の生き様は、それに触れる人に元気をもたらしてくれるものではないかと思います。

そこに注目し、地域が元気になるきっかけをもたらして下さる没後百年記念。楽しみです。


posted by 入潮 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月14日

Twitterより


2ヶ月前の今回出張開始時に、社会についていくためにTwitterを開始してみて、そのまま放置していました。試しに、まとめて挿入してみます。

Twitterは手軽なだけ何を失言するのか分からないから、手前のような粗忽者には非常に怖いツールです。間違っていたり見過ごせない発言がありましたら、叱ってやって下さい。

____________

irisiomaru 現在バンコクです。空港のスターバックスで夜明かししました。眠い。なぜかターミナルビルの中にスズメが飛び交っている。これからネパールに約1年です。 at 02/07 08:11
irisiomaru 空港を見ると、国勢の変遷が良くわかる気がします。韓国・中国勢力がすごい。成田スカイアクセスでは各駅名が韓国語・中国語(簡体字)で表示されていた。そこまでのサービスは必要ないだろうと思いましたが。 at 02/07 08:13
irisiomaru 成田では、中国の団体様が大量のダンボールとスーツケースを広げて荷物整理をしていた。中国もツアー客が日本に買い物旅行に来るようになった、購買力の急上昇に戦く。免税品店でも、背後から聞こえてくるのは日本語ではなく中国語・韓国語。 at 02/07 08:29
irisiomaru バンコクやジャカルタ、ベトナムなどの空港のカウンターは、かつてはJALの牙城だった分が、大韓航空に覆われている。海外における日本の勢力が衰えたのではなく、相対的に中国、韓国の影響力が大きくなっているのだということなのだろうけれども。 at 02/07 08:29
irisiomaru この勢いに着実に明日の日本の市場が脅かされているのだと感じると、どうにも怖くなります。周りのタイ人も、普通にラップトップを持ち、PCに興じている。子供がipodを振り回し、ipad で漫画を見て、数少ない電源を取り合っている。 at 02/07 08:30
irisiomaru 中韓だけではなく、日本以外のアジア全体の購買力、民力が、ここ10年で見違えるほど上がっているのを感じます。日本は変わらず横ばいか右肩下がり。ここが踏ん張りどころ。 at 02/07 08:30
irisiomaru さて、機内でトロイ見ました。面白かった。アキレスのアナーキー反抗期っぷりに対して、高潔でぶれない精神を持ち清清しいまでに将軍としても統治者としても理想的なヘクトルの対比。散々に感情的にヘクトルに肩入れさせておきながら。古典イーリアス通りの無残な結果にしたのが、ある種のカタルシス。 at 02/07 08:32
irisiomaru そして、機内映画にしても、古い映画は日本語字幕か吹き替えがあるのに、最近のヒット作は中国語か韓国語字幕なのが、悲しかった。 at 02/07 08:33
irisiomaru では、ネパール便の時間です。現地でアクセスできるのはいつになるだろう。宿に電気がありますように。 at 02/07 08:34
irisiomaru ネパールです。カトマンズは、聞きしに勝る渋滞っぷりと停電っぷりです。
昼間は、車も電子も動かないのか、と思うばかりです。大げさですが。
宿はディーゼル発電機を焚いてくれるので、22時まで電気がきています。ありがたい。そのせいで、油の臭いが充満している。いたしかたありません。 at 02/07 20:22



irisiomaru ネパールに来た日からそのままになっていました。今日は1年最後の日。月末で年末なので、銀行がお金を降ろしに来た人ですごい事になっていた模様。ちなみに今日はビクラム歴2067年12月31日です。 at 04/13 19:36
irisiomaru このビクラム暦は、西暦より一般的に用いられています。レシートなどの日付も、手書きのものはほとんどビクラム暦で来ます。領収書を貯めていると、精算の証憑の整理に涙する羽目になる。なお、1ヶ月ぐらい遅れているから、暦の修正をしないといけないのだと、地元の方が仰っていました。 at 04/13 19:38
irisiomaru 会計といえば、数字もアラビア数字と異なります。2,3,6あたりは覚えやすいですが、他のが混乱しやすい。9と書いて1と読む。純粋に間違えて100ルピーを900ルピーとして処理してしまい、あらぬ粉飾会計になってしまったりする。このチェックも頭の痛いところ。 at 04/13 19:42
irisiomaru 今日は一日雨でした。乾期に恵みの雨。給水は5日に1日、水力発電も渇水で、このままだと今14時間の停電が更に時間が増える予定なので、どんどん雨は降って欲しいですが。雨の後は蠅が大量に発生しする、仕事場傍のバグマティ川からの悪臭が酷くなる、食べ物も腐りやすくなる。悩ましい感じです。 at 04/13 19:47
irisiomaru 100年前に運転開始した水力発電を見てきました。Pharphing水力、500kW。大鳥圭介の没年と同じ年にできた水力発電所です。100年前のものを大切に維持管理しながら現在も使い続け、この国に貴重な電力を供給している。技術を100年維持し続けるのも素晴らしい技術だと思いました。 at 04/13 21:45
irisiomaru 古都パタンの見事な彫刻に彩られた町並みなどを見ても思いますが、ネパール人は器用で、古いものを大切にします。でもそれが技術の保存、維持に繋がっている。外国の開発者がいなくても自分のものにする。トランスやバッテリーなども自分で作る。計画停電にも自分達で工夫して対応している、。 at 04/13 21:59
irisiomaru 政治さえ落ち着いてリスクが低減されれば、外国からの投資も進んで、一気に伸びるポテンシャルがある国だろうと思います。この劣悪なインフラ状態だから、道路も水供給・水処理も電気も環境も、やることは山ほどあるなぁと思います。 at 04/13 22:01
irisiomaru 自炊しています。14時間計画停電で電気無しでも何とかなるものです。ご飯は鍋で炊いてますし、食パンはフライパンで焼く。冷蔵庫も頻繁に開けなければOK。米を変えたらグリンピースご飯を焦がしてしまった。でもうまいです。米ごとに水加減火加減が違います。 at 04/14 03:08
irisiomaru ガスは10kgボンベが売られている。ボンベをデポジットで買って、無くなると詰め替えしてもらう。電気は各家庭がインバータとバッテリーで貯めている。水は20Lジャーで、やはり無くなると詰め替えしてもらう。電気、水、エネルギーが各家庭で分散型となっています。今思うと災害に強い構造。 at 04/14 03:11
irisiomaru 一般家庭がインフラを信用していないから自分で対応しているだけ、ともいえますが。特に家庭用インバータ・バッテリーのカトマンズシステムを、計画停電対処法として日本の家庭に逆技術移転するプログラムを実施してみてはどうかと、日本の援助機関の方に提案してみましたが。一笑に附されています。 at 04/14 03:14
irisiomaru 日本でも詳しい方は既に車のバッテリーを使って、300kVAぐらいのインバータを入手して、PCなどの給電をしておられる模様。東芝さんの6000サイクル(15年以上)使えるSCiBなどのリチウムイオンバッテリー等良い蓄電池が日本にあるので、計画停電にうまく対応していってほしいです。 at 04/14 03:23


posted by 入潮 at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

Twitter その2


Twitter。リツイートとかリストとかフォローとか、専門用語を未だによく理解していません。貧弱回線ではどうも重く、フォローさせていただこうとしても読み込めない。
しばらく個人用メモ帳として動かしてみます。ブログと違ってオチを付けるのに頭を悩ます必要が無いのは、楽で良いかも。140語に如何に言いたいことをまとめて詰め込むかが課題。ですます調よりも言い切りのほうが字数が稼げるというせこい真似をしてみるとか。
回線状況が良くなったら色々遊んでみたいです。


irisiomaru 画像は大鳥圭介訳本「堰堤築法新按」の印刻より。この篆書体の印刻は他で見たことが無いが、この訳本の為に作ったのだろうか。この如楓散人圭介識の自筆序文が大変熱い。「何必秘公之世上補経綸」とか。超多忙工部省官僚が寸暇を惜しんで訳した日本初ダム技術本。図面も字も力の篭め様に痺れます。 at 04/15 19:02
irisiomaru 他人の印刻を勝手に使うなと叱られそうですが。家紋や花押をキャラクター商品にして販売している業者もいることですし。ご係累の方が用いている様子は無いですし。自分で結構加工していますということでお許し下さい。この印刻を画像に選んだのは、読めないから。篆書体は此処では調べるのが難しい。 at 04/15 19:19

irisiomaru チャイナタウンとか行けば分かるかな?と思い。ニューロードという地区に行ってきました。入り口が中国人街っぽいネパールの秋葉原。中国風なのは入り口だけで、印鑑屋はさすがに無かったです。 at 04/15 19:22
irisiomaru 同時に、仕事用のプリンタを探索。持ち込んだプリンタはインクカートリッジが販売していないことが判明、ということで。スキャナ、コピー機能、ネットワークありのレーザーマルチタスクが欲しかったけれど、レーザーは電力消費が高すぎてインバータの容量を超えるから使えないことも判明。 at 04/15 19:23
irisiomaru インクジェットは30W程度、レーザーは500から1200Wも消費する。インバータ容量は800VA。よってインクジェットに対象を切替せざるを得ない。計画停電の思わぬ弊害です。 at 04/15 19:26
irisiomaru インクジェットはランニングコストが高い。1本1500-2000ルピーもする。ただ、インクジェットのタンクにインクを追加する安いボトルが、20mLで400-500ルピーで売られている。使ったらきっと問答無用で保証対象外になるのだろう。悩みどころだ。 at 04/15 19:27
irisiomaru 日本も、プリンタをレーザーからインクジェットに切り替えれば、節電効果があるのでしょう。まあ使用時間が短いから、あまり大した効果はないかもしれませんが。そのうちインバータ・バッテリーシステムが日本でも家庭導入されてくるのではないかと思うので。その時のご参考になりましたらと。 at 04/15 19:29
irisiomaru ニューロードは疲れました。人が多すぎて空気が悪すぎる。そして、凄まじい数の携帯ショップが軒先に溢れている。あれでよく競争になると感心した。そして肝心のPCショップは大抵が4Fとか5Fとか。もちろんエレベータは無し。今日一日でどれだけの階段を上り下りしたことか。もう行きたくない。 at 04/15 19:32

irisiomaru そして、A Happy New Year. 昨日はビクラム暦新年のお祝いに、午後からバクタプールへ行ってきました。凄まじい人でした。人を見に行ったという感じ。バクタプールは、カトマンズ・パタンと並ぶ、かつての三大王都でした。現地の方も読めない古い文字で彩られた煉瓦の遺跡群です。 at 04/15 19:35
irisiomaru ドイツが援助で遺跡保護を行った由。破損遺跡を修復して、外国人料金を徴収して維持管理を行っています。映画リトル・ブッダの撮影地にもなったそうな。入場料が750ルピーと高いですが。目的がしっかりしていると払い甲斐もあります。 at 04/15 19:39

irisiomaru ネパールの寺院建築にはよく、男女がまぐわっていてその上に煩悩とは無縁そうな菩薩像が居座るという、違和感爆発な像が刻まれています。パタンやキルティプールより、此処のほうが卑猥だった。モザイクが無い。小さい子供がたくさんいるのに…と思わず心配になります。 at 04/15 19:41
irisiomaru まあ考えてみれば、江戸の春画や現代のコンビニ漫画など、わが国のほうがよほど堂々と卑猥なものが身近にあるかと、やはり我が文化に思い至りました。 at 04/15 19:45

irisiomaru 漫画といえば日本人のよく行くレストランに、「仁(JIN)」が3巻まであった。これは良い歴史漫画。人物の背景や性格がしっかり調べられて、非常に良く練りこまれている。何より洪庵先生が凄まじく格好良い。あの陶冶された人徳に惚れる。勝海舟といい、実在人物への敬愛の念がそこかしこから感じられる。 at 04/15 20:08
irisiomaru 歴史トリップ物はオリキャラがよくメアリー・スー化して苦手だけれども。主人公の限界と挫折を描くことでそれも感じなくさせている。ペニシリンのエピソードは、まさか本当にやるのか、という感じで感動した。原作も自分で作者がここまで書ききるのは尋常でないと思う。後でブログでねちねち語りたい。 at 04/15 20:10
irisiomaru 主人公、幕府陸軍所に来てくれないか。その後の横浜伝習所でもいい。いっそ慶応4年4月、松平太郎に連れられて日光に来て、小林文周と青木文岱と一緒に医者不足の旧幕軍に参加して欲しい。浅田惟季の肘を見てあげてくれ。この作者に伝習隊と大鳥圭介を描いてもらえれば…!などと思ってしまいました。 at 04/15 20:18
irisiomaru JINは20巻まで出ているのか。オタクが国外に居て何が辛いかというと、こういう良い漫画を見つけても続きがそう簡単に読めないこと。読むまで続きを知りたくないのでブログなどの感想漁りも出来ない。職場に届けて送ってもらうわけにもいかんですし。 at 04/15 20:28
irisiomaru Amazonなどが海外搬送も受け付けて下さればいいのですが。と思ったら、転送コムというサービスがあるのですな。なお、此処での海外荷物受け取りの際、税関や郵便局で箱を空けられ中身を説明させられるという羞恥プレイが待っています。JINは時々イヤンなシーンもあるので、考え物です。 at 04/15 20:32

irisiomaru メアリー・スーの定義を見直そうとWikipediaを見てました。「作者の願望を投影した万能オリキャラ」ぐらいの認識でしかなかったのですが。様々なタイプのメアリーがあり、深い。別にオリキャラでなくても、二次創作でなくても、メアリー化はする。原作キャラや、実在人物もメアリーになる。 at 04/16 09:47
irisiomaru 特に「人物が作り手にとって都合の良い別人に改変」される「原作改変メアリー」。これは歴史娯楽メディアで、実在人物に対して普通に行われている。Wikiに「極端に言えば二次創作全般に通じる型」とありますが。時代小説や歴史同人は多かれ少なかれこの側面が現れてしまうような。我然り。 at 04/16 09:51
irisiomaru ファンアートでは蛇蝎のように嫌われるメアリー・スーですが。歴史人物はメアリー化するほど受けているようだ。と、司馬作品を見ていると思う。オリキャラだと作者の投影が鼻に付くけれど、歴史人物だと読者皆でその人物に願望投影をシェアできるからだろうか。 at 04/16 09:56
irisiomaru しかしメアリー化から一切決別しようと思うと、行き着くところはサザエさんかプロジェクトXかの両極端になりそうだ。それはそれで面白そうではある。プロジェクトXは歴史人物に匹敵する経験と問題解決力が、サザエさんは日常生活への鋭い感性とユーモア感覚が、作者に求められる気がする。 at 04/16 10:14
irisiomaru 大鳥圭介はサザエさんとしてもプロジェクトXとしても、優秀な素材ではないかと思う。両方、ネタが尽きることが無い。プロジェクトXは顕彰になるから良いとして、明治ホームドラマ大鳥一家なサザエさんは、上手く作らないとプライバシーの問題になりそうだから、加減が難しそうだ。 at 04/16 11:44

irisiomaru ガソリンスタンドが非常に混んでいて、スタッフはバイク給油に45分並んだ上、一人2リットル制限だった由。オイル会社の供給不安とのこと。何が起きているのだこの国は、と思ったが、これもまた日常。ちなみに、ガスもよく供給できなくなり、2,3の会社のボンベを持っておくほうが良いとの事。 at 04/17 10:37
irisiomaru どうもオイル会社の支払いが滞り、石油製品の供給を半分に半分に減らされた由。一方、理由はそれだけでなく、政治的に何か進めようとするとこういう邪魔が入るものらしい。知人は「いつもの事ですよー。うちはいつも20リットル常備してるから特に困りません」との由。強い…。 at 04/17 18:33
irisiomaru 石油の供給が無くなるという情報が流布すると、普通なら暴動寸前の大騒ぎになるだろう。政治とインフラが慢性不安なネパールの、人々の順応性や弾力性、泰然自若さにはいつも感心する。常時、非常事体制。一方、行き過ぎて整ったインフラは、一部以外の人間を弱体化してしまうのかもしれない。 at 04/17 19:12
irisiomaru オイル会社もやはり電力会社と同じで、自分で値段が決められない。政府が販売価格を抑えていて会社が自分で値上げできないから、輸入の支払いも出来なくなる、という構造。電気は99%水力で自国内で作っているが、石油はほとんど輸入なのでこちらのほうがさらに深刻だろう。 at 04/19 18:55
irisiomaru こういう国こそバイオディーゼルが進めば良いと思う。ただ、山国で平地がほとんどないから、大規模栽培は難しい。経済性が大きな課題。ただ、菜種はどこでも米や野菜の輪作で作っている。菜種油の小売価格は90-120ルピー/Lぐらい。ディーゼル油は約60-70ルピー/L。 at 04/19 18:56
irisiomaru タライ平原でジャトロファを作っているそうだが、土地は何万ヘクタールも確保できない。よって、ネパールでは植物油を主に行くしかないだろうと思う。一方、ネパール料理は油を使いすぎる傾向があるが、健康志向が上昇してきた首都では健康への影響を見直して、植物油の消費量は減っている由。 at 04/19 18:58
irisiomaru ディーゼル油価格は政府からオイル会社への貸付、つまり補助金で抑えられている。この補助金の中身によるけれども、この補助を菜種油バイオディーゼルに付ければ、製品として植物油と競争性が出てくるのではないか。ただこれをやると植物油の価格が釣られて上がるのが考え所。 at 04/19 19:00
irisiomaru あと、カトマンズの極悪大気汚染は、インドのTATAやMahendra製トラック等の凄まじい煤、未燃炭化水素等による所が大きい。上り坂の度にもうもうと吹き上がる黒煙がバイオディーゼルで軽減されるなら、大気汚染軽減への寄与も生まれる。元々のエンジンが悪いという話もあるけれども。 at 04/19 19:03


posted by 入潮 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

北戦日誌の山入村戦その1


Twitterで、母成峠の戦いの前日に行われた山入村の戦いについて触れました。戊辰戦争にて会津の国境が破れた致命的な敗戦であったとされる母成峠の戦いですが。その前日にあった戦闘はあまり注目されていない。そもそも、母成峠での伝習隊はまともに戦える状態ではなかった。それを示すのが山入村の戦いです。

山入村の戦いは、浅田惟季北戦日誌が最も詳しいです。北戦日誌にはいくつかの異本、写本があります。

以前、浅田惟季の「北戦日記抄」のこの戦いの記述部分をご紹介したことがありました。「北戦日記抄」は漢文調子で不明な字も多く、手前の能力不足で意味を理解しきれていない文も多かったでした。

一方、復古記の大本になったと思われる、内閣文庫「浅田惟季北戦日誌全」があります。ご係累の方のご好意で写しを入手させていただきました。こちらより、前に不明だった点を含めて、山入村の戦いパートをご紹介させていただきます。

以下、これまでに触れた関連のポストです。

山入村の戦いと大川正次郎「奥州南口戦争記」名簿の死者数
北戦日記抄と山入村写真、説明板
上説明板の地図、三十一人戦士墓位置など
母成峠の戦い背景
母成峠の戦い


以下、原本より、カタカナ→ひらがな、句読点・濁点追加、傳→伝、國→国、營→営 など、各変更を行っています。

先ず背景から。

「八月三日、我軍三十余人猪苗代を発し、進て勝軍山下に抵る。大原小屋の二 邑に陣し、間諜をして敵情を窺ふ。
(以下小文字)夫れ勝軍山は一名ホナイ峠と云方、今に至りて地名を改と云。(ここまで)

會城を距る凡十二里、二本松に抵る五里、四面涵みたる郊原にして、数里外一点の障碍物を見ず、唯山上の営を距る半里にして一要地有り、勝岩と云。然れ共、尚土湯越立沢の二道数千の兵隊をして守らずんば、一時も支ゆるに能わず。此、地盡く兵隊を排列する時は、八千の兵無んば叶ふ可からず。而て我兵挙て五百人に過ず。」


大鳥と同じく、浅田も母成の地形を、四方がなだらかな高原で、防戦に有利となる障碍物が無いとしている。勝岩という要地はある。しかし土湯・立沢の二街道に兵を配置しないと守れない。ことごとく防戦しようとすると八千は必要。一方自分たちはには五百も無い、との事。大鳥は「たとえ精兵でも二千人餘以下では覚束ない。しかもその五百人は多くが農兵で節制もない」とため息交じりに述べています。浅田はその4倍の八千必要とした。

「大鳥氏、必其破れん事を知り、檄を飛して、援兵を促す。此時、會津城四境へ出師、一人の戦士無く、答へずして止む。大鳥氏、晝(昼)夜痛心、先づ三箇所に砲台を築か令め、自身馬を馳て會城に至り、国力を盡て出師為んを乞ふ。」

大鳥は地形を見たときから破れることを知っていた。昼夜悩んで、三箇所に砲台を築いたり、自分で会津城に馬で走って援軍を求めるも、すでに会津で戦える者は出払っていて答える声はない。

「依て須川野邑に一砲台を築き、須川駅に陳したる伝習第一大隊二百人、新撰組五十人をして不日に趣き救は令んと云。既にして敵軍大挙進撃の報告有り。大鳥圭助曰く、敵衆既に乗じ大挙して薄る。其鋒鋭く當る可らず。然れ共、今吾兵此地を退く時は、會城忽ち囲みを受け、四境の守兵必ず瓦解せん。宜く死を決て守り力盡て殪れん耳。然りと雖、共坐て敵を待、謀に非ず。一と度敵を挫くに如ず。小を以て大を撃つ。殊に夜襲を善とす。依て第一大隊二百人新撰組五十人をして須川野の隘道を辿り、本宮駅の敵陣を襲は令む。

吾第二大隊二百三十人、仙台二本松の兵三百人をして山入邑に陣せ令め、敵兵の吾が背面を絶つに備ふ。八月十六日申の時、勝軍山の営を発し、夜既に四更ならんとする時、山入村に抵る。

既にして第一大隊の長土方歳造須川野に隘道を繞(めぐ)り、本宮駅の中央に突入し、火を四方に放つ。敵兵狼狽、戦はず兵器を捨て走り、二本松に退く。吾軍直ちに兵を収め、十七日午後、勝軍山に凱旋す」


大鳥はその中でも動きます。須川野に砲台を築く。須川の伝習第一大隊と新撰組を呼ぶ。そこに敵進撃の報あり。我らここを退くときは、すなわち会津城が包囲され、国境を守る兵も瓦解するのだ、死を決して守れ。座して敵を待つのではない。小を以て大を撃つのに、夜襲だ、と。誰よりも大鳥が状況を重大視しています。
そして、第一大隊200名と新撰組50名で本宮駅を襲撃させました。
一方、第二大隊は山入村に陣しています。

南柯紀行よりこのパート。

「第二大隊に二本松、会津の兵を合して二本松を夜襲せむと謀り、総人員四百人許りにて夕方石筵を起し二本松藩士を嚮導として向ひしが、山路に迷ひ、終夜山上に徘徊し、暁天に山入村へ着き、二本松まで是より今二里もある由なれば、時刻に及ばずと止むを得ず此村より引返せり。暁天に本宮駅焼失せり。前夜山上に徘徊し、終夜休息せざりしゆえ、一同暁天に暫時の間露宿し、翌朝又幾重の山岳を越帰り、兵士大疲弊に及びたり」

大鳥の認識では、第二大隊は、単に山道に迷って、疲弊して帰ってきただけ、ということでした。

浅田の言が勇ましく、大鳥の言葉が悩ましさに溢れているのは、いつもの事です。浅田惟季北戦日誌の登場人物大鳥圭助と、南柯紀行の作者の大鳥圭介は本当に同一人物なのか。状況はぴったり填まっていますが、キャラ設定が違いすぎる。これは、普段大鳥がいかに無理をして兵達の前で強がって心で泣いているかということを示す所作でしょう。

それはともかく、本宮の第一大隊・新撰組。
浅田君によると、伝習第一大隊、隊長の土方歳三(負傷した秋月登之助の代理)は、本宮中央に突入し、火を四方に放つ。敵は戦いもせず壁を棄てて逃げ、二本松に退いた。兵は17日に母成に凱旋したとの由。これだけ見ると華々しい勝利です。

しかし大鳥は「暁天に本宮駅焼失せり」の一言。

一方、敵側の記録。「山内豊範家記」では「八月十四日、黎明本宮駅、賊の為に放火せられる。存するところ十の一分而已、先是、本宮守兵を置かず。於是九十合隊を出して之を守らしむ」。
三春藩記では「八月十四日暁、本宮宿にて賊徒放火いたし候に就き、高木村番ところ援兵として人数差出候処、最早賊徒、玉ノ井(山入)、熱海辺へ遁逃の由」。

これによると、第一大隊・新撰組は単に、敵兵不在の本宮を放火したのみ。しかも敵守兵の九十合隊が手配され向かわされた所、彼らは山入へ逃げ帰ったとの由。浅田の記録とは齟齬があります。放火して逃げ帰ったのと、「凱旋」とではえらく違う。

どちらにしても、大鳥の頭痛の種だったでしょう。大鳥は常日頃口を酸っぱくして「放火はするな」と戒めていた。放火を禁じる言は南柯紀行のあちこちにある。ある会津藩士が藤原の東、船生を焼き払ったとき、無辜の農民を虐げた咎でクビにしたことすらあった。

「本宮駅焼失せり」と、主語もなく一言で終わらせた所に、大鳥の辛さが感じられます。この後大鳥は母成戦の直前に、「勝岩の下の方にては第一大隊、新撰組合併の人員にて防ぎたりしが、余心元なく思ひ、少し下りて之を見るに、人数も少なく撒布の法も宜しからず」と、第一大隊・新撰組に不安の念を記述していますが。この件で元々不信感はあったのではないかと疑ってしまいます。

さて、ここからが本題の山入戦。
本題に入る前に一度切ります…。

posted by 入潮 at 06:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月24日

北戦日誌の山入村戦その2


山入戦続き。浅田惟季北戦日誌(緑)と大鳥圭介南柯紀行(青)を重ね合わせながら進めます。記述の前後違いは若干あります。

この本宮・山入村派兵の後。南柯紀行より。

「八月中旬、余既木地小屋より猪苗代に出、会津執政田中、内藤に面会し、攻守の策を謀りしに、二本松侵略の説盛なり。余所見にては、我に精兵十分あり、歩兵の他に猶予あれば、攻むるも亦一策なれども、兵員不足、且節制なし、軽率外に出て一敗付け入られては、国境甚だ危しと曰へども、田中抔も侵略の説を主張せり。因て強て議論に及ばず、其儘に打棄て置きたる所、十九日の晩、又石筵口より使来り、愈々翌二十日山入に出て、二本松進撃の見込みなりと云ふ。因て第二大隊とも出陣致し呉との事なり。已むを得ず兵を出す事に決し、之を本多へ文通せり。余は二十日猪苗代より木地小屋に帰れば、兵隊已に出立せり」

二本松侵略を会津側が論議するが。しかし大鳥は、精兵十分ならともかく、兵不足で熟練していないと、攻め込みには反対。しかし会津側で侵略論が止まず。大鳥はもう議論するのも厭になってそのままに捨て置いた。投げモード。しかし8月20日、母成峠の戦いの前日に二本松に進撃するから第二大隊も出陣せよとの要請が来る。止むを得ず大鳥は兵を出すと決めて、木地小屋にいる本多に文で先に知らせた。大鳥が戻ると、第二大隊はすでに出発してしまっていた。

大鳥の、このときの伝習兵を出すという止むを得ない決断は、後から浅田君がきっちり弁護しています。
伝習隊はいまや会津の傭兵身分で会津から補給を受けているわけだし、今が会津の危急の時であるので、放っておく訳にもいかない。

ここから、北戦日誌、山入戦本番。一気にいきます。

「十八日に至り、敵兵山入村を奪はんとするの報告有り。若し此地敵手に陥る時は、隘道縷(いと)の如く、守るに難し。若し大軍の一時に攻入る時は、曽て支ゆ可らず。依て先吾第二大隊二百三十人、二本松仙台の兵三百人をして守ら令む。吾が軍直ちに整列、八ツ半時勝軍山を発し、夜三更山入邑に陣す。吾牆塁を築くに暇非ず、兵を排列して是を待つ。

先づ北方小丘の上に二番小隊を伏せ、三番四番の小隊をして南方の邑を距る五丁余、竹藪の中に備へ、予が率いたる一番小隊を二隊に分ち、四十人をして東方の田畦に撤列せしめ、本多幸七朗之を指揮す。予、四十三人を率ひ、邑の前三丁程を距て畑の中に撤列したり。又、東南半里を距て山入邑に続たる一大道有り。二本松仙台の兵をして之を守ら令む。

已にして未半、敵砲一声、地を震て起る。吾二番小隊放発を始む。敵軍数里一望の田畔を繞(めぐ)り、恰も蟻の如く、直ちに予が陣したる畑の中に接近し烈く攻撃す。吾が兵、径を胸壁として、善く拒ぐ。暫時にして四面の砲声地を動し、山谷を崩す。

申の時に至て砲戦既に酣也。田畦の敵兵、吾が銃声に応て紛々と殪れ、死る者無数、予尚烈く発火令む。敵兵数々被靡す。嗚呼此時、三四百人の遊兵有て彼が横を攻撃せば、一挙に勝を得可し。然るに僅か二百三十人の兵にして分つに暇非ず、動もすれば敵の為に四面を囲まれんと為に至る。須臾にして敵兵一手に合し、猛烈に竹薮の中を攻撃し、終に奪ひ取らる。是に於て予が畑中に陣したる兵をして赴き援は令め、大川氏と共に大喝、四方に奔走して号令し、終に又竹林の敵を逐ひ出す」


18日、敵が山入村を奪わんとする報が入る。ここが陥落したら、細い道が糸のように母成峠まで連なっているので、守るのが難しくなる。

伝習第二大隊230人、奮闘しています。浅田はなぜか会津藩兵のことを書いていませんが、南柯紀行によると会津は仙台と共に右翼に配置されていました。胸壁を造る暇がないので、兵を配置。二番小隊を北の丘に。三番・四番小隊は村から南方約500mの竹薮に。二番小隊は半分を本多が率いて東側の田畦に、もう半分は朝だが率いて畑の中に。東南約2km隔てて、二本松・仙台・会津が守る。

砲声が来て地が震え、戦闘開始。敵軍が数里一望の下に蟻のように見える。浅田の小隊は畦道を胸壁として利用して、よく防いだ。15時頃に最も砲戦が烈しくなる。浅田は発射を命じるが死者が無数に出る。この時、三、四百人の遊兵があって敵を横から攻撃できれば勝てたのにと浅田は悔やむも、居ないものは居ない。それどころか敵に四方を囲まれる。一瞬にして敵が一手に合わさって、猛烈に竹薮を攻撃して遂に陣を奪われる。しかし、畑の兵と合わせて、大川とも合流して共に大喝、四方に奔走して、遂に竹林の敵を追い出した。

しかし優勢に粘っていられたのは、ここまで。

「已にして大川正次郎、馬を馳せ来り呼て曰く、南方仙台二本松の兵已に敗走し、敵軍吾が背面を絶つ、速に軍を退けよと。語未だ終らず、後面に砲声聞へて丸下る雨の如し。忽ち一丸有り、予が左臂を貫く。暫時にして吾兵殪れ、死ぬ者夥し。申半過に至て、吾兵盡く破れて引退く。予が創、頻りに痛みて、出血泉の如し。畚(もっこ)に乗り兵士之を擔(にな)ひ走る。背面に敵兵あり。距離数十歩に過ぎず。烈く放発して呼て曰く、畚に駕る者を撃てと。

予逃れ難きを知り、自刃為んとする。腰刀既に兵士の手に在て身に寸鉄無し。傍の兵力を合せ殿して予を迯さ令む、之が為に死る者又三人。予、兵卒に謂て曰く、事既に接迫せり。棄て走れ。我自殺せん。腰刀を吾れに与へよと。兵聴ず終に助けて半里餘を遁れたり。之に於て真に匹夫の義氣有るを感じ、思はず涕泣したり。

此夜に更勝軍山の営に帰り、殆ど絶氣する事三度。医官小林文周、薬を施して、漸く蘇生す。予脱籍の後数十戦、未だ此の如き苦戦を知らざる也。予が率ゆる所の兵隊、総て八十三人有り。今存する者僅に十九人、創を被て帰る事を得る者十六人に過ず。裨将山下秋之助、次官浅井清之丞、戦死す。下等士官死る者五人、官員存る者唯三人耳。餘の三小隊此の如くならずと雖、共尚三分の一を失ふ。而て仙台二本松の兵傷く者、唯三人也。是れ、戦はずして走る事明か也。」


大川が馬を馳せて来て叫ぶ。南方の仙台・会津・二本松の兵は已に敗走している。敵は我が軍の背後を絶とうとしている。直ぐに軍を退け!と。
その語が終わらない内に、後ろから砲声が聞こえて、雨の如くに弾丸が降り注いでくる。その一弾に浅田、被弾。左肘を打ちぬかれる。この集中砲火により浅田の小隊から夥しい死者が出る。16時ごろ、兵はようやく敗れて退却を始める。浅田の銃創は痛みが烈しく、血が泉のように吹き出た。兵がもっこを持ってきた。それに乗った浅田を兵が担いで走る。後ろ、約数十mに過ぎない場所に敵が現れる。もっこに乗るものを撃て!と烈しく砲撃してくる。

浅田は逃れ難い事を知って、自害しようとする。しかし刀は兵士に持たれて、身に寸鉄無し。兵が重なってかばって浅田を逃がそうとする。そのために死んだ者三名。浅田は兵に、自分は自殺するから、自分を棄て逃げろ。刀をくれ、と叫ぶ。兵は聞かずに浅田を助け、2kmも走って逃げた。浅田はこの匹夫の義勇に涕泣した。

夜になって母成峠の陣に返った。気絶すること三度。医官小林文周が薬を処方してやっと意識が戻った。浅田は脱走の後数十戦を経たが、これほどの苦戦は知らない。自分が率いた兵は83名あったが、今無傷なのは僅かに19人、負傷者16人が残ったに過ぎなかった。士官の山下秋之助、浅井清之丞も戦死した。下士官も5名死んだ。後の三個小隊はこれほどではないとはいえ、伝習隊兵力の1/3を失った。

伝習隊がこれほどの打撃を受けたのに、仙台・二本松・会津の兵の負傷者は3人のみだった。彼らが戦わずして逃げたのは明らかなことだった。

一方、兵に追いつけなかった大鳥。山入村のほうへ急いで伝習隊を追って行きます。

「夫より直に石筵山に上り見れば、諸兵隊今早出でたりと云ふ。此に於て余又石筵山を下り山入の方に赴き、兵隊の跡を逐ひ行きしに、歩兵隊の者追々帰り来れり。且二本松藩並に会兵も帰来るゆえ、伝習隊は如何なりしやと問へば、伝習隊は正面より戦ひたるゆえ、多分後より引揚げ来るべしと彼此物語りの内、大川その外帰来りしゆえ、途中ながら是を聞くに、午時頃二本松の官軍進み来りしにより、仙兵並びに会兵を右翼に備へ、二本松を左翼に備へ、伝習隊は正面に向ひ、奮戦敵を逐ふ事十丁餘に及びしに、豈科(あにはから)んや、両翼の兵格別の血戦に及ばず、山腹に引揚げしを以て、敵両翼を逐て山に登り、却て正面の兵の後より打かくる姿になりたるゆえ、伝習隊大に驚き山へ引揚げ、敵を逐下さむとて退きたれば、正面の敵又来り挟み撃たれ大苦戦、多くの兵士を亡ひ、辛うじて引揚げ来りと云ふ。

本多は正面に出たりしが未だ帰り来らずと、夜四つ時頃にもありけるが、本多兵士数人と共に帰り物語りけるは、今日の戦、全軍敗走するにて帰路を絶れ、漸く一両輩小林の間に潜匿し、敵数歩の處まで来れども、幸い見つかる事能はず、其去るを見て迂路を取り、山に登り還りたりとぞ。而して会、松、仙 (会津、二本松、仙台)の兵を問ふに死傷も甚だ少し、伝習隊の士官の戦死三、四人、頭取浅田麟之助も重傷を蒙り、兵士死傷凡三十人なり。余益々三藩の兵の頼むに足らざるを知れり。然れども亦、本多、大川其他士官の無事にて帰るを見て、悲喜相交り手を執つて涕を流せり」


山入村へ行く途中に、二本松、会津藩の歩兵が次々帰ってくる。伝習隊はどうしたと問えば、伝習隊は正面で戦っていたから後から引き揚げてくるだろうとの由。そして大川らが帰ってきた。話を聞くと、正午頃二本松に駐在していた官軍が進んできた。仙台・会津が右翼、二本松が左翼で、伝習隊は中央。敵を1kmも追ったが、両翼の仙台・会津・二本松兵がろくに戦闘もせず山腹まで逃げた。敵が両翼を追ったため、中央を後ろから包囲する形となった。伝習隊は包囲されたのに驚いて山へ引き上げてから敵を追い下してやろうとしたが、正面からも挟撃されてしまい大苦戦。多くの兵士を失いながら、辛うじて引き揚げた。

本多は正面で戦っていたため未だ帰らない。夜十時頃にようやく兵士数人と帰って来た。本多が言うには、今日は全軍敗走、帰路を絶たれて、兵士数人と林の間に潜伏して、敵が数歩のところまで来たが隠れ通した。敵が去ったのを見て迂回し、山に登って帰って来た。そこで会津・二本松・仙台の兵は死傷者は甚だ少ない。なのに伝習隊は士官も三、四人戦死し、浅田は重傷。兵士死者約三十人。大鳥、益々、三藩の兵の頼むに足らざることを知る。ただ、本多、大川ら士官が無事に帰って来たのをみて、悲喜交々、互いに手を取って男泣きに涙を流した。

何故にこんな酷い戦に出てしまったのか。再び北戦日誌。

「此役や、大鳥氏必ず今日の敗有らん事を知る故に、痛心し、檄を會城に馳せ、国力を尽て敵に當らん事を乞ひ、或は自身馬を馳て尚云々の策を献ると雖、會藩因循して終に此挙に至る。之を知て而て坐ながら禍を招くは愚也と評せられん哉。然りと雖共、此地會津国境最も専務の要地にして若し吾軍是處を退かば若松城忽ち兵燹(せん)に罹り、我輩拠る所無し。一日を保たば一日の危急を援ひ国民塗炭の苦みを免れ令るが故に、断然死を決して退かざる也。豈佐久間盛政が蜒鱒」の一戦に機を失したる如きと同日の論ならん乎。後世猥りに誹謗する勿れ」

でました、後世みだりに誹謗するなかれ。今市第二次戦後に続く、大鳥弁護です。もとい。大鳥はこの戦、絶対に破れると知っていたが為に痛心していた。元々檄を会津城に飛ばして、国力を尽くして敵に当たる事を乞い、自分で馬を飛ばして対策していたのだが、会津が因循でこの挙に至った。この結果を見て、座して災いを招いたのは愚かだと評するか。しかし、ここは会津で最も要地、もしここを退いたら会津城は忽ち兵火に焼かれて、自分達も拠る所が無くなる。一日持てばそれだけ、民が一日の塗炭を免れるとしたが故に、死を決して退かなかったのだ。賤ヶ岳の合戦時の佐久間盛政と同じではないのだ。後世、みだりに誹謗するな。

重傷でありながらの浅田君のこの気勢に、ほろりときます。
一方、山入に向かう前の大鳥さんの言葉。

「木地小屋に帰り、余此口の防戦を熟考せしに、何分現在する丈の兵員を以ては、とても強敵に当たりがたしと、因て又若松へ帰り、之を有司に謀らんとて、城下に来り、国境の危きことを君公並に執政に語れり。然れども今兵残らず諸口へ分配し、餘所なければ如何とも為し難し。然らば一日も早く田島の農兵を仕立て之を役するの外有間敷と云ふ。全体会藩には会計俗吏等の類多分にこれ有り、成るだけ之を減員し兵に用ひたしと云ふ事も先頃より申し述れども、何分未だ俗吏の権強く、因循の風止まず、其策も行われず、遂に今日に至る、長歎に堪へざるなり」

…この滲み出る苦労。
浅田が、こうせざるを得なかったのだ!と気炎を上げているのに対し、大鳥の諦めきった風。大鳥は手を尽くして前々から援軍を要請しているし、田島で兵の養成をしていたのだが、対策はなされなかったと長々とため息。「俗吏の権強く、因循の風止まず」な会津藩を、零さずに居られなかった。

同じ事を言っているのに、このテンションの違いが凄い。
もちろん、会津藩も兵力に限りはあるし、攻め入られる口は方々にあるしで、一箇所に兵力を注ぐことはできないから、会津も気の毒ではあるのですが。

山入戦後に戻ります。九死一生を得た浅田。

「此夜大鳥圭介来て予が創を訪ふ。予謂て曰、敵軍大挙、新に我れに捷つ、其の鋒最鋭し。加之吾兵半殲て、各恐怖の心有り。且敵兵必ず晨(あした)に此営を襲ん。然る時は吾兵は疲弊して戦ふ可らず。大事に及ばん事必せり。乞ふ速に兵を猪苗代に退けて守戦の策を為せ。大鳥氏、諾して去る」

夜、大鳥が来て浅田の創を見舞う。浅田は言う。敵軍は大挙してきて我々に勝った。その鋒はこれまでに最も鋭い。それなのに我らが兵は半分殲滅状態で、恐怖心を覚えている。敵兵は明日、必ず母成の陣営を襲う。この時我が兵は疲弊して戦える状態ではない。必ず大敗に及ぶだろう。お願いです、速やかに兵を猪苗代まで退いて、そこで守戦の策を為して下さい。
大鳥、ただ頷いて、浅田の元を去った。

あの浅田が。どんな時にも強気で前向き、安塚の敗戦も八分の勝と言い切った彼が。兵は半分壊滅、恐怖して戦えないと弱音を言うとは。それほどまでに怪我が酷く、気を落とし、士気を失っていたのだろう。

そして、大鳥は、もちろん猪苗代に退くわけではなく。
暗澹たる気持ちで、翌日の母成戦に臨みます…。

「今夜は兵隊と共に石筵の山上に宿す。但し諸士官兵卒共三藩の兵の早く引揚げ身方を残したるを怒り、直ぐに木地小屋に帰らむ事を欲すれども、余之を説諭し、今日に至り彼是論議すも益無し、今日の戦い不利なる上は敵必ず明朝付入り来るに相違なし。今日木地小屋に帰りては明朝の戦いに間に遭難しと申聞けたるに因て、漸く承服、山上に泊れり。

余三藩の隊長並に田中源之進其の外頭立ちたる者を呼び集め、今日の戦敗績の上は敵必定明朝押寄するべし、今夜より防戦の手筈定め置かざれば間に合ひ難しと。是に於て持ち場を定めけれども、何分兵欠乏、大砲打手抔も熟練の者なく、独り焦思過慮して枕に就きたり」


大鳥はその夜、疲れきった兵隊達と母成峠の山上に宿した。士官も兵も、会津、仙台、二本松兵が伝習隊を残して先に逃げて引き上げたのを怒り、今すぐにも後方の木地小屋に帰ると言っている。大鳥はこれを、今に至って誰が悪いか議論しても益は無い、今日の戦いがここまで不利だったのだから明日敵は必ず朝攻めてくるだろう。今木地小屋に帰っては、戦いには間に合わないと説得した。兵はようやく承服して、山上に留まってくれた。

大鳥は、仙台、二本松、会津の隊長と田中ら主だった者を呼び集めて、明日朝に敵が押し寄せるから、今夜から防戦の手はずを整えようと、持ち場を定めた。しかし何分、兵が欠乏、大砲の砲撃手も熟練者がおらず、独り焦って思い悩みながら、ようやく枕についた…。

この翌日の母成峠の戦い。頼みの綱の伝習隊は前日の戦いで1/3を失い、兵は疲弊、士気壊滅、見方の会津・仙台・二本松への不信で感一杯。しかも兵力は、三百対八百で劣勢。地形は茫々として守るに適さない。

この状況。誰が勝てるか、母成峠。

結果は。北戦日誌続きより。

「八月二十日、拂暁、釣台に乗り勝軍山を発し、會津街に抵らんとす。此時敵軍来て勝岩の塁を攻る。吾兵此営に在る者挙て三百人に過ず。大鳥氏、兵を牆堡に排列して頻りに戦ふ。敵兵忽ち立沢の隘道より達て、吾兵の背面を襲ふ。巳半終に破れて営を放火し土湯越に退く。予此時須川野の関門に在り。報を聞て人夫を馳せ猪苗代に告げ令め、次て申半、同所に達す。會津の軍司官止宿を進む。予肯ぜず、又行く事三里、大寺と云へる駅に止宿す。時既に四更ならんとす。敵兵進て大原木地小屋に屯し、直ちに猪苗代に迫らんとす。此時須川野の関を護衛する會兵百人に過ず、暫時防戦すと雖共叶はず。終に敗て退く。敵薄暮に至て猪苗代に迫り、街家を放火す。此時猪苗代城中空虚、唯百人の農兵有る耳。終に廿二日拂暁に没落なす。勝軍山の塁堡破れしより我兵四方に散乱、大鳥、本多、大川其他の官員更に生死を知らず。或は戦死と云、或は土湯越より仙台へ落去共云へり」

母成も猪苗代も陥落。伝習隊は四方に散乱。大鳥、本多、大川、その他士官の生死も不明。戦死とも、仙台に落ち延びたとも伝えられた、病床の浅田君でした…。

浅田の傷は、「此時予が創、未だ療用せざれば、腐爛甚しく疼痛堪へ難し、時として気息絶るに至る」と、この後も散々彼を苦しめ、見かねた滝川が浅田の命を絶たせてやろうと思い至るほど。それについてはまた別の機会に。

さらに母成峠以降の大鳥と伝習隊の苦労苦難。筆舌に尽くし難いとはまさにこのことでした。
死んだと思われても、敗戦で散り散りバラバラになっても敗兵を集めて結集し、木曽、小田村、泥浮、陣が峰と戦い続け、千山万峰武器無く弾薬無く、ズボンが凍る寒気の中、裏切られボロボロになりなりながら、会津のために戦いぬいた大鳥と伝習隊。なのに母成峠は「大鳥が臆病で逃げたから敗れた」などと描く作家が居るということに、歴史娯楽メディアはどうなっているのかと。小十時間ほど問い詰めても足りません。

posted by 入潮 at 02:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月25日

Twitter 110419-110425


Twitetr続き。やはりつい失言してしまいます。

原発の太陽光代替コストは、節電効果など全く考慮していない、かなり乱暴な仮定をしています。
抗生物質云々は、要するに、お酒が飲めなくて寂しいという話です。

irisiomaru 星亮一氏の新書大鳥圭介、4月24日に発刊予定との由。副題「幕府歩兵奉行、連戦連敗の勝者」とな。小山・武井村三連勝、藤原、木古内一次戦等の勝利は無視か。山入・母成の「連敗」は、二度連続で会津藩が先に逃げ、しかも内一度は伝習隊を置き去りにしたまま放火した言語道断な連中が原因だったが。 at 04/19 19:24
irisiomaru 書籍紹介:「最後の幕府陸軍奉行として会津から五稜郭まで戦い抜いた『楽天的敗軍の大将』」とな。幕府では最終役職は歩兵奉行。陸軍奉行に就任したのは箱館政権だ。北関東と宇都宮はスルーか。「敗戦は実に実に辛いもの」と血も枯れる思いだった人間の本音も無視で「楽天的」の一言で片付けるのか。 at 04/19 19:26
irisiomaru 何より、洋学者、工学者、教育者、技術官僚、外交官、詩人であり、産業開発、殖産興業、地域開発、文化交流に尽くした明治の軌跡、近代日本の土台としての活躍はどのように描かれているのだろうか。それもやはり無視されてしまうのか。…と、すでに突込み所が多過ぎてどうしようもない感。 at 04/19 19:27
irisiomaru なお、星氏が大鳥生家に訪問された際、上郡地元の生家保存会の方が「いらんこと書いとったら、本燃やすでぇ!」と星氏に直接喝破なさったらしい。お流石です。しかし今のこのあおり文句では、自分が先に燃やすことになるかもしれない。 at 04/19 19:29
irisiomaru と、あおりだけでそこまで決め付けてしまうのは失礼ではある。これまでの会津作家の作品群から偏見を持ってしまった。これまでに無い発見や丹念に足で歩いた調査結果、時代を掘り下げた深い視点が含まれて驚かせて下さるかもしれない。史料に基いた大鳥の姿が掘り下げられることをお祈りしたい。 at 04/19 20:11
irisiomaru @tukaohtsu ああ、私の抱くモヤモヤ感を何と的確に表して下さる。<これ何て罰ゲーム。自分も消費者として声を上げる権利を担保するために購入することになると思います。 at 04/19 20:38


irisiomaru 関西電力さんの資料では、設備容量で4391万kWの内27%が原子力。エネルギーベースで年間(2012)1688億kWhのうち51%が原子力。実際の使用電力量の半分以上が原子力。「関西は電力に余剰がある」という言葉そのものが、今後も原子力を使い続けるという意思を内包しているわけだ。 at 04/19 21:13
irisiomaru 日本が今の生活レベルを保ったまま原子力から決別するのは、非現実的だ。今後も原子力を国家エネルギー計画に据えるアメリカや中国は現実的。原子力にサヨナラするなら、本気で日本人が生活そのものを変える必要がある。具体的には、ピーク電力(kW)、使用電力量(kWh)共に2/3にする。 at 04/19 21:19
irisiomaru 家庭電力だけなら結構簡単。夏期のエアコン、冬の電気暖房を一切用いない。エアコンを使うなら、テレビ・冷蔵庫を消し照明をLEDのみに。ピーク時間(午後4〜8時)は熱電機器と800Wを超える全ての機器を使用しない。湯も米もガスで。多分これでOK。ちまちま待機電力を消しても効果は低い。 at 04/19 21:32
irisiomaru 問題は産業電源。産業を抑えると日本の国力に関わる。ビルや工場の分散型独立電源、コージェネの抜本的普及が必要。ガス・石油に頼ることになりCO2排出は30%規模で増えることになりそう。-6%どころではない。排出権はどうするのか。1,2年は震災で情状酌量してもらうにしても。その後は。 at 04/19 21:38
irisiomaru 「原子力がダメなら太陽光を使えば良いいじゃない」。では計算してみる。日本の原子力容量4574万kW。太陽光設備コスト100万円/kW。24時間ベースロード可能な原子力と違い太陽光は夜間・雨天曇天で発電できず、朝夕は電力が低下するからその1/4しか発電できない。 at 04/19 21:50
irisiomaru 原子力を置き換える太陽光設備コスト183兆円。面積は10m2/kWとして約183,000ヘクタール必要。この面積をどこに作るのか。ゴビ砂漠かサハラ砂漠か。それにしても数千万kWを送る国際連系・海底送電線のケーブルがどこにある。 at 04/19 21:56
irisiomaru 日本の消費税が10兆円/年だから、18年間分の消費税を10%にして5%を太陽光につぎ込むか。日本の世帯数が約5000万世帯だから一世帯当たり400万円ほど拠出するかすれば、資金は捻出できる。利子を考えると条件は対数的に厳しくなるか。 at 04/19 22:13
irisiomaru 太陽光も風力も貯められない。数千万kWh/日を貯められるバッテリーなど、現実的には無理。その時点で、破綻している仮定だ。世界に超大容量太陽光ネットワークを張り巡らせて昼夜問わず送れればいいが。その輝かしい未来まで、つなぎのエネルギーはどうしよう。 at 04/19 22:20
irisiomaru なお、日本の年間使用電力量、10電力会社合計で858,516百万kW、一人当たり約6700kWh/人。ネパールの年間使用電力量4367百万kWで、153kWh/人。日本人はネパール人の40倍以上、電気という便利なエネルギーを使っているわけです。 at 04/19 22:36
irisiomaru 日本人が本気で自らの生活を変えて使用エネルギー削減に取り組みながら、一方で生産性を維持するなら、原発と決別できると思う。原発反対の言葉の裏には、自らのエネルギー消費を抜本的に抑える責任が常に付いて回るということが、意識されれば良いと思う。 at 04/19 22:44
irisiomaru 今後否応が無く火力への依存が高まるだろう。これまで散々、クールアースだ地球環境プログラムだと格好良いことを他国に示しておいて、原発が怖いからやっぱり火力でどんどん温暖化ガスを垂れ流します、では、どうも格好が悪い。格好を気にしていられる状況ではないと開き直るしかないわけだが。 at 04/21 20:50
irisiomaru 格好云々は別にしても、節電しかない。しかし生産を止めるわけにはいかない。抜本的に生活を変えて、家庭はエアコンとサヨナラし汗まみれの夏を過ごす。工場は投資して独立電源を持つ。独立電源・インバータ・蓄電池導入に補助金を設定されるといい。子供手当てなど矛盾の多いばら撒きは廃止でいい。 at 04/21 20:56


irisiomaru @tukaohtsu 簡潔明瞭陳謝です!なお、母成峠前、伝習隊士気は壊滅的に低かった。会津から二本松攻入りを要請され大鳥不在のまま伝習隊は山入村で戦闘。右翼の仙台・会津、左翼の二本松兵がロクに戦わず逃げ、中央伝習隊は置き去り、包囲され30数名の死者を出す。頭取の浅田も重傷。 at 04/21 22:07
irisiomaru 大鳥は「余益々三藩の兵の頼むに足らざるを知れり」生き残りの兵の無事を見て悲喜交々に男泣き。兵は大疲弊。会津藩兵らが先に逃げたのを怒り狂って、もう帰る!と怒鳴る伝習兵を大鳥が必死に説諭して留まらせた、という状況での母成戦でした。これが前日です。誰が勝てるの、この状況で。 at 04/21 22:10
irisiomaru 山入戦を記した浅田惟季の北戦日誌は生々しい。浅田、山入で自刃しようとし、兵に刀を取り上げられて出来ず。しかも彼を逃がすため3人の兵が戦死。大鳥が浅田の傷を見にきた。我が兵疲弊、もう戦えぬ、猪苗代に退いて守戦の策を為せと浅田は大鳥に乞う。大鳥、黙って頷いて去り、翌日の戦に出た。涙。 at 04/21 22:17
irisiomaru 山入戦にあまり触れる人がいないのは残念なので、後で北戦日誌のこのパートをテキスト化してブログにでも貼り付けておこうかしら。
なお、味方の第一大隊・新選組も、母成峠では「余心元なく思ひ…撒布の法も宜しからず」と、あまり頼りにならなかった模様です。 at 04/21 22:24
irisiomaru そういえば星氏は、この山入村の伝習隊39名の死者を「【会津藩】三十数名が【犠牲になった】」と「会津落城」に記していました。この本もたしか中公新書。…不安が増します。 at 04/21 22:40


irisiomaru 上郡郷土資料館より。「上郡町内外を問わず、大鳥圭介(如楓)の書画をお持ちの方、あるいは情報をご存知の方は、上郡町郷土資料館に情報をお寄せください。掛け軸、扁額、書簡、写真など圭介に関連する資料は、何でも結構です。」 大鳥書画は全国に散逸しているので、こうした呼びかけは嬉しい。 at 04/23 20:04
irisiomaru 先ほどのは上郡町さんWPより。大鳥書画はウェブのオークションなどでも結構出てくる。悲しくなるほど安かったりする。全国に散逸したものが一同に会すと、何百点になるのだろう。去年の上郡西光寺の書画展も圧倒的で素晴らしかった。大鳥漢詩は、見た目以上に詩に込められた意味にこそ、発見が多い。 at 04/23 20:12
irisiomaru
賀客不来吾不過
角布野服又弓靴
紅葩緑咢手培養
却覚入春園事多
とか。あれだけ波乱万丈な人生を経た大鳥さんですが。普通の日常を愛した詩が圧倒的に多い。普通を愛する姿こそが本質なのなのだろうと思う。一方やさぐれると、オマルハイヤームに近くなる。どちらも呑兵衛だし。 at 04/23 20:15


irisiomaru 山入戦、ブログに入れました。浅田君の苦難はこれから。しかし、米沢の関門の綱木にて、米沢の背信に遭った際の浅田君の怒り。「若し我輩時運を得て再度葵旗を翻に至る事有らば、此賊の肉を喰はずんば有可らず」 烈しすぎる。宥めるのにまた苦労する大鳥さんでした。 at 04/24 00:00
irisiomaru @tukaohtsu 伝習隊からすれば千辛万苦の険阻道を援軍を求めた辿り着いた所で拒否だったので「背信」と取られてしまいましたが。米沢藩としては時勢と黒田の周旋から当然の判断だったでしょう。大鳥がようやく会津を諦める決断をする元になったのも、後から見れば良かったのかも。 at 04/25 00:36


irisiomaru 抗生物質服用中。ペニシリンとそれに続くセフェム系の抗生物質の発見には本気で感謝です。20世紀の福音とはよく言ったもの。ただ、セフェム系抗生物質には恐ろしい注意点があります。服用中、酒を飲んではならないこと。 at 04/25 20:07
irisiomaru セフェム系抗生物質は、アルコール分解の中間代謝物であるアルデヒドを代謝するデヒドロゲナーゼ(脱水素酵素)の働きを阻害する。二日酔いの原因毒であるアルデヒドが分解できなくなる。よって、二日酔いが凄まじくなる。これを逆利用してアル中の治療にも用いられている模様。 at 04/25 20:09
irisiomaru 微生物がレーウェンフックにより発見されたのは17世紀だが、コッホが感染症の病が細菌によることを炭疽菌により証明したのが1876年。幕末明治初期は細菌という言葉すら無かった。勿論殺菌、滅菌という言葉も無い。JINでしきりに殺菌という言葉が出てきたが、当時の人は誰も理解しないだろう。 at 04/25 20:15
irisiomaru 浅田君の肘の化膿も、抗生物質さえあればあんなに酷くなることは無かったのに、と思うと涙。一方、JINで仁先生が青カビを培養して抽出液をクロマト分離してペニシリンを精製したのは、本気で歴史がガラリと変わると読んでいて畏怖した。それまでの苦悩もしっかり描いているので現実味があって凄い。 at 04/25 20:21
irisiomaru そして、その後、ペニシリン製造施設を焼失させたのが、著者の話の構成力の凄さ。こういうのを予定調和というのだなと。突込み無効化。これなら納得する。結果を知っているから、超越者の視点で都合よく人物や物語を作り上げることだけが予定調和ではない。JINの続きが早く読みたい。 at 04/25 20:24


posted by 入潮 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。