2011年09月03日

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irisiomaru か…かわぐちかいじが…伝習隊を描いている、だと…? ロシア留学者が主人公ということは、慶応元年の山川大蔵も加わっていたあの一団か。架空の人物が主人公のようですが。これは期待大。 at 08/06 01:39

irisiomaru H22 環境・循環型社会・生物多様性白書http://t.co/4BqxYIt 毎年発行されているが、今回も使えるデータがアップデートされていて有用。より水分野に力が入った印象。飲料水を作る途上国生活で必須のRO膜技術の日本シェアなど、豆知識としても面白い。 at 08/07 00:45

irisiomaru ああなんて甘美な響き。<納涼飲み 今回滞在時間が短く厳しいのですが、またご連絡させてください!@beads_amuse at 08/07 00:57

irisiomaru 「兵馬の旗」、「日本の軍装」に忠実な装備、士官は小銃を持たないこと、元込と先込銃の発射速度の違いなど、細かい点で丁寧に描かれているのが嬉しいです。しかし、滝川息子や窪田鎮章ら、十八万両の件で小野友五郎はスルーだったり。周辺人物のクローズアップは少ないかも。@tukaohtsu at 08/07 01:14
irisiomaru ビッグコミック「兵馬の旗」。小栗忠順罷免、小川町大隊まで出しておいて、そのままロシア過去話って。どんな焦らしプレイよ…。と思いつつ。記録に残らぬ、記録されるべき人物。この持っていき方が、ニクいです。ところでどれが大築尚志? at 08/07 22:49
irisiomaru
合田一道氏の「大君の刀」P25のブリュネのスケッチ「右の武士が大鳥圭介と思われる」と紹介されていたが。Soie et Lumieresでこのスケッチが"Norte intendant et mon domestique"(会計係(又は代官)と私の召使)とある。 at 08/10 02:24

irisiomaru 大鳥は代官でも会計でも召使でもないので、スケッチの人物が大鳥でないことは確か。顔がぜんぜん違うし。それにしても、著作に史料から写真を載せる際は、その原典を当たるかソース表示しないと、間違いが起こりやすい。自分も注意せねば。 at 08/10 02:32
irisiomaru このSoie et lumières、大鳥が"grand stratège militaire(偉大なる軍師)"、土方が"chef-adjoint des Shinsen-gumi(新選組の副局長)" と表記されていた。そうか、フランス顧問から偉大なる軍師として扱われてたのか。 at 08/10 02:53
irisiomaru 1866年12月の家茂→ナポレオン三世の手紙の内容、家茂の素朴で謙虚な人柄が伺えて好感大。あとデシャルムの愚痴が面白い。「我々は日本人士官に兵士への命令は日本語で行うよう判らせるのに苦労しています。彼らはどうしてもフランス語で命令したいのですよ!」よい史料です。 at 08/10 03:06

irisiomaru 来た。出た。「兵馬の旗」これは大鳥圭介、期待できないこともない、でもない…。微妙だ。いや主人公とヤクザ歩兵の価値観と現実性と理屈をがんがん掘り下げ、著名人は単なる背景としてかわぐち節を炸裂させてもらえればそれで良いのですが。しかし大鳥がこのまま猪武者路線では、今後ちょっときつい。 at 08/10 23:17

irisiomaru 大鳥の脱走時は、自伝草稿の、あの鬱々した泥の中で、今は行くしかないけどそのうちすぐ戻ってくるから、徒死はしないから、という後ろ髪引かれまくりな感じなのに、結局最後の最後、箱館戦争まで抜けだせない泥沼な感じが良いのです。 at 08/10 23:25

irisiomaru さて羽田です。これから夜行便。待合室にフリー無線LANあり、時間制限3時間は十分以上。空気良し、水良し、物流有り余り、清潔、日本食最高、そしてオタクの聖地。そんなわが国に数日滞在するとかえって離れ難い。手には片道チケットです。これから8か月か9カ月で終わればいいなあ。 at 08/10 23:27

irisiomaru 外国人に触れられる人間の特権意識のようなものも出てきたのかもしれません。一方「鹿柴」「脚鉤」「拒馬」(築城典刑)とか、和訳する際苦労して日本語を作る人もいました。外国語をきちんと習得した人ほど、日本語を大切にしますね。@tukaohtsu 良くも悪くも新し物好きの日本人の特性 at 08/10 23:34

irisiomaru カトマンズに戻りました。お盆前の夜行になぞ乗るものではない。激混の上旅行客のテンションが高く、寝れなかった。ああ眠い。これから出勤。さっそく豪雨で排水溝が溢れ、道路が川状態。先が思いやられる。 at 08/11 17:09
irisiomaru メモ。バンコクのスワンナブーム空港、サテライトC三階に、眠れるリクライニングシートと、インターネットアクセスPC あり。毎回何かしらサービスが追加され、どんどんバックパッカーにやさしくなっていく。 at 08/11 17:11

irisiomaru 出勤しようとしてバンダ(ストライキ)に遭い引き返す。パタンのプルチョーク地区。目の前の店がガラスを割られて商品を壊された。気の毒。請求できず保険も対象外らしい。原因は、誘拐で殺された女性の事件への抗議、交通事故ひき逃げへの抗議の二説がありはっきりしない。#ネパール at 08/12 13:04
irisiomaru 昨日の大使館からのお知らせでは、「マオイスト兵士に認証されない兵士が職業訓練や就職の斡旋,補償金の支払い等を求める」ためにバンダ、とのことだったが。パタンのほうは別口らしい。車は壊されるので走っていないが、なぜかバイクは破壊対象外だからか、飛びまわっている。#ネパール at 08/12 13:07
irisiomaru バンダ中、タクシーがバンダ価格になる。普段200ルピー程度で行ける所が3000ルピーにもなったりする。これはガラスが割られる危険があるからとのこと。しかし実際ガラスが割られたら、実費を払えとドライバーが要求してくるらしい。理不尽な。空港からの交通手段がなければ頼らざるを得ないが。 at 08/12 13:22
irisiomaru 情報ありがとうございます。宿泊地がルートに近いことを祈りましょう。RT @ghaletreks バンダ(ストライキ)の時にはネパール観光局が空港より有料シャトルバスを運行 at 08/12 14:41
irisiomaru バンダで、スーパー、商店、レストランなどすべてシャッターが閉じているが、薬屋、病院、水屋は普通に営業中。生命に関わるサービスは、バンダの人たちも分別があって襲わないということか。#ネパール at 08/12 14:46

irisiomaru 担当局長に呼び出され説明に行ってきた。今日本はお盆だから対応が遅れると言うと、説明時間の半分以上が「お盆について」に費やされた。ネパールでも来月2週間かけてお盆期間がある由。日本の3日は短いのだそうな。日本に親近感が増したそうなので、日ネ関係に寄与できたとして良しとしよう…。 at 08/16 16:45
irisiomaru この局長殿は宗教的に偉いカーストの方だそう。急ぎで決めて手配せねばならぬ起工式の日程を、占星術によって占う為に日を費やして下さり、どうしても急ぎでサインが必要な時に、巡礼に出てしまいおられなくなる。そして物事遅れる。文句言えぬ。宗教リスクによる遅延とでも説明するか。#ネパール at 08/16 16:49

irisiomaru 暹羅紀行を読み直している。大鳥圭介氏、公的な日タイ関係の記念すべき開始の時に、タイの王子様からテナガザルをプレゼントされていた。山猿に手長猿。もとい。気候も異なるし、船の長旅で連れて帰るのはおそらく無理だっただろう。どーせーっちゅーねんと困る大鳥氏の顔が思い浮かぶ。 at 08/16 16:56

irisiomaru テキストをWordに張り付け、文末脚注を作成し、ビルダーに張り付け直してみてはいかがでしょうか。あるいはいっそWordからPDFにして掲載するとか。@tukaohtsu 引用文献は巻末に at 08/16 17:16
irisiomaru ありがとうございます。戻りましたらまた遊んでやってください!@machi_town at 08/16 18:27

irisiomaru 本当にすごいのはデレーケと共に砂防を定着させ発展させた明治日本技術者だと思う。なお砂防は、日本発祥技術として、土木技術英語でSaboとなっている。RT @meiji1868 明治期の日本に「砂防の父」と呼ばれた男がいた / 西日本新聞 http://t.co/qPEJx5I at 08/16 18:33
irisiomaru 富岡製糸場は官営払下げ時、だれも名乗り出てくれず、10年かかって1/8の価格でようやく三井が引き受けた。それだけ明治の民間工業は厳しかったのかと。RT @meiji1868 富国強兵・殖産興業…日本の礎が凝縮された貴重な史跡 - http://t.co/JXkJl8m
. at 08/20 14:33

irisiomaru 貴重な和製カレールー投入。大根とヨーグルトを入れてみたら、さっぱりしてうまい。日本食以外のカレーは油とスパイスの塊なので、手間はかかるし胃が疲れる。どこにいても均一に優しい味の出せるカレールーを生んだ日本食品メーカーに敬意をもって称えたい。 at 08/20 19:44
irisiomaru インドネシアの山奥で発電所建設のために数年働いた先輩は、長期を耐える要は、自分の食べたいものを自分で作れることであると仰る。彼は豆腐も納豆も現地の大豆から自作していた。今その言葉を実感中。きつい時ほど普段食べていたものに癒される。味は、メンタルの安定性にかなり重要な役割だ。 at 08/20 19:56

irisiomaru 「野津元帥の面影」より。後年の大鳥が、野津七次こと道貫を語る。「年を経て後野津に遭って、何やかや話の末に、野津が『宇都宮の戦では貴君(大鳥)に大腿部へ二ツ穴を明けられた』と云ふから、フウ気味の好い事よと云うてやった。夫れから毎々出会ふ事となり、数々の宴会にても一所になった」 at 08/23 03:49
irisiomaru 野津は、大鳥の江川塾講師時代の教え子。戊辰戦争で宇都宮戦で敵味方に別れ戦う。この時の野津はあたかもターミネーター。日清戦争時大鳥公使は京城で、二師団連れてきた野津を宿舎に案内した。師匠に撃たれて、気味が良いわと笑われ、それで付き合いが深くなる。明治という時代を象徴するような関係。 at 08/23 03:55

irisiomaru 明治後期風刺画「ビゴーが見た日本人」が面白い。異人は、人力車でボラれ、船頭に三倍の値を出しても溺れさせられかけ、芝居小屋で三銭の立ち見席でも皆十銭になる。「これが本当の保護貿易」と。旅行中、外国人料金を払わされボラれ怒る日本人だが、百年前は同じことを外国人に対して行っていたのね。 at 09/03 14:06
irisiomaru 明治29年条約改正時ビゴーは「新条約は日本に極めて有利。日本で外国人が日本人に暴行を受けても警官は見ぬふり。日本人裁判官による裁判は外国人は極めて不利に。外国人は全部刑務所にぶち込まれる」と出版し同胞を煽った。どの口を以て言うかと、唇引っ張りたいが。改正時の欧米の世論を思わせる。 at 09/03 14:11
irisiomaru 時間軸が違うだけで、途上国を脱するのに経る過程はどこも似ているかもです。植民地というキーワードがあるかないかの違いで、行うことは同じという気がします。要は自国にどう外貨を落とすか。@itaru_ohyama 典型的な発展途上国でしたもんねぇ。 at 09/03 14:16

irisiomaru 現在の悩み。坪井信道の跡取り信良(1823-1904)の後妻、荒井ヨノ(天保4〜明治41)の父荒井清兵衛は、荒井郁之助父清兵衛と同一人物なのか。ヨノ父は医者らしい。一方、郁之助父は代官だから違う気もするが。うーん。 at 09/03 17:18
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2011年09月04日

坪井塾と大鳥圭介


圭介の経歴で焦点が当てられるとしたら、適塾と江川塾が多いですが。坪井塾も濃厚で楽しいです。以下、坪井塾と大鳥圭介について、まとめます。

坪井家の関係者は以下の通り。

・ 坪井 信道(1795-1848)、蘭医坪井家筆頭。長州藩侍医。緒方洪庵の師匠

・ 坪井 信良 (1823-1904)、坪井家養子(信道娘「牧」婿)。越中高岡、代々の婦人科医佐渡家出身、1843年信道に師事、弘化元年(1844)養子に。1847年2〜9月、緒方洪庵に師事。後妻荒井ヨノ(荒井清兵衛娘、天保4〜明治41)

・坪井 信友(1832-1866) 信道実子。虚弱。嘉永五年(1852年)洪庵の適塾に入門、しかし遊蕩の末放逐。長州藩に任官。後に信道を襲名。1866年広島で病没。

・坪井 芳州=坪井為春=大木忠益 (1824-1886)、米沢出身。坪井家養子(信道娘幾(ヒサ)婿嘉永五年結婚)、坪井塾塾頭。薩摩藩斉彬公侍医。信道死亡時、診療は信良と代診が協力して行い、生徒教授は忠益が担った。安政二年頃から坪井家とは疎遠。大鳥圭介の坪井塾時代の師匠。

大鳥圭介が坪井塾(大木塾)にいたのは、安政元年(1854)〜安政四年(1857)頃です。大鳥が坪井塾に至った経緯としては、「名家談叢実歴史談」の圭介述懐が詳しい。

大阪を出発し、村上代三郎、三木芳作と同伴して江戸に来る。が、手便る人もなく世話をしてくれる人もなく一時困難した。一方、坪井信道の実子の信友は、適塾にかつて在籍しており、圭介の知人だった。(信良も短期間適塾にいたが、圭介の側に記録はない) 信友を訪問し、その紹介で大木忠益(坪井芳州)に寄宿することになった。


なお、適塾の洪庵の師匠が坪井信道。洪庵は天保二年、22歳の頃、当時の江戸の蘭学の大家、坪井信道に入門、四年間学んでいる。
信道の養子で後継ぎが信良。実子が信友。信良も信友も、洪庵の適塾でも学んでいる。

信道実子信友は虚弱で、明治になる前に病没している。信道が二人も優秀な養子を取っていることは、信友の心情を思うとやるせないものがある。適塾では「放蕩」だったとのことだが。塾内の悪友に何やらけしかけられたのかと心配になる。

また、もう一人の信道の養子が大木忠益(坪井芳洲=圭介の坪井塾の師)。忠益は適塾にはいなかったが、適塾のことはよく知っていた模様。忠益は薩摩藩侍医の仕事が忙しくて、適塾で鳴らした圭介が入ってきたのは、渡りに船だったのかもしれない。塾頭としての塾生の指導は、圭介に任せていた。

坪井信道は長州藩侍医。忠益が薩摩藩侍医、信良が幕府奥医師、という関係も面白い。

なお、信道は、学問は最初に漢学を、そのあとで蘭学修業を、という方針で。信良も信友も漢学を先に学んでいた。

坪井塾の場所は芝浜松町。当時書生は十人程度。
同期で塾にいたのは、加藤弘之、子安峻、安藤太郎、橋本網三郎など。橋本佐内も安政2年前頃はいたので、坪井塾で佐内と圭介は顔合わせしていたかもしれない。

また、漢学者で昌平黌の教授の中村敬宇が、寄宿はしていなかったが、余暇に度々、蘭学の研究に坪井塾に来ていた。加藤と大鳥と会議仲間だった。中村の蘭学習得は、儒者たち周囲から批判された模様。大鳥は中村より二歳下、加藤より三歳上。

安藤太郎や橋本網三郎はおなじみの通り。加藤弘之も、坪井塾時代塾頭の大鳥に世話になったと述べている。明治12年ごろに共に専攻学社を設立したり、東京学士院で数々の講演を共にしたりと、明治に至っても繋がりがある。

圭介の坪井塾時代の生活については、神戸又新日報の記述が生々しくて良い。
当時坪井塾塾生で、大鳥に世話になったという加藤弘之談。「衣服とても夏冬一枚づつと破れ袴、破れ羽織ぐらいもので、虱は遠慮なく繁殖して衣服の裏の縫い目の辺は虱の卵を以て充たされたり。洗濯するにも着替なき程のあり様、柳行李一個あれども中は殆ど空虚なれば、唯ガタガタするのみ。」
大鳥は塾長だから幅のきくほうで、幾分か手当があった。また能筆で他人の為に原書の謄写を行い、これからの収入があったので生活にはまだ困らなかったほう。
ただ質屋の厄介ぐらいは何とも思わなかったと思われる由。
塾生の布団の取り合いはいつものこと。寒気を防ぐに足る夜具は二三人に二三枚ぐらい。この夜具の中に寄り集まって雑魚寝する。真ん中はいいが端は寒い。夜具の取り合いが始まり果てしない。その中、圭介は黙って狸寝入りする。皆が眠ってしまうと、その時を見計らって一人で夜具を占領する。こういうことが度々あった。

塾の子弟の関係はすこぶる親密、情愛は掬すべきものだった。先生と生徒と一緒に酒を飲んで放歌高吟、芝居や相撲を見に行くことも。職業や婿入りの周旋さえなされた。

圭介は金杉橋のたもとの豚屋「葦づ張」に酒飲みによく出かけた。牛肉屋は当時多かったが豚屋は極めて少なかった。安いので書生に人気だった。ここで十分に飲食して、八時ごろ塾へ帰り、布団をかぶって二、三時間寝た。そのあと起きて勉強するのが、酒を飲んだ時の圭介の習慣だった。

圭介は坪井塾頭のころ、寺島宗則(松木弘安)、川本幸民、八木玄悦らとと交際していた。川本幸民は長州藩松平大膳大夫の家来(信道の妻クメの姉妹ヒデの婿が川本だったりする、つまり川本と信道は義兄弟。また川本自身信道の門下生)。八木 元逸は薩摩で、坪井信良塾の塾生。寺島と坪井塾の関係は不明だが、寺島は川本から蘭学を学んだこと、安政三年頃に蕃書調所教授手伝、また、忠益が薩摩藩侍医だから、いろいろと繋がりは見いだせる。
寺島らが圭介に手伝ってくれと依頼したことから、圭介の薩摩上屋敷への出入りが始まり、圭介が斉彬公に知られることになった。

安政二年十月二日の大地震も、坪井塾のころ。


坪井信良については、信良が実家の兄佐渡三良に宛てた「蘭医坪井信良家兄宛書簡集」の、宮地正人氏による解説が正確で詳細。家系図も素晴らしいです。

安政元年(1854)信良、蕃書調所教授補、外国方翻訳出役。松木弘安ら同僚。
安政二年(1855) 信良、この頃まで塾を運営、橋本佐内も塾生
安政四年(1857)年4月、坪井家の本家は前年八月の水害で床上三尺以上の浸水。坪井芳州は薩摩公斉彬の侍医として薩摩へ。信良夫妻は芝浜松町の芳州留守宅に二カ月ばかり世話になる。
安政五年(1858) 信良、蕃書調所教授補
文久二年(1862)信良、横井小楠のコレラを治した。
文久三年(1863)信良、医学所助教授職。類焼で義母焼け出される。
元治元年(1864)信良、7月禁門の変のあおりで陸軍所に虜囚、11月奥医師・判官に。12月、幕府医師荒井清兵衛の娘と再婚
慶応二年十二月から慶喜の侍医。
慶応四年(1868) 信良、鳥羽伏見戦の際、徳川慶喜に従い開陽丸で東帰。四月慶喜に従い水戸へ。後、静岡藩へ。12月、病院頭並。
明治七年(1864) 東京府病院院長


なお、安政元年頃、塾経営難のため、信良は不良塾生を一斉退塾させ、他国入塾生を断った。医書に関係しないものは一切読ませず、医者になる者以外は原則的に入塾させなかった。

圭介が入門したのは、そのまさに安政元年。医学はさっぱり勉強せず、他国の者である上、テクノロジーや兵書の翻訳ばかりやっていた圭介が、坪井塾で幅を利かせていられたのは不思議だ。

信良は塾経営は忠益に任せていたとの由。「大木塾」と「坪井信良塾」は全く同じ塾を指すのか。もしかしたら塾としては別という可能性も。


信良さんが慶応二年十一月に作った詩に噴き出しました。

身分雖美給金悪 僅是俳人中上場 法眼無銭従者少 禿頭有髷入毛長
非番売薬聊呑酒 折節喰饅漸養腸 三樹祇園全断念 沢庵朝漬日難忘

身分は美しいが給料悪くて、俳人よりちょっとマシな程度。法眼っつっても銭は無くて従者は少ない。はげ頭のはずが、髷が結えるまで毛が長くなっちまった。非番にゃ薬を売っていささか酒を呑んで、饅頭食って腸を満たすだけ。祇園なんざすべて断念。沢庵と浅漬けの日々は忘れ難いのさ。

これが医家の最高峰たる幕府法眼、将軍の侍医の作る詩なのか。

傍ら、駕籠と乗馬とどちらが安上がりなのか悩んでいたり。後妻と義母の関係に板挟みになって苦しんだり。なんとも生活感あふれた人。
なお、後妻よのは荒井清兵衛娘(天保4生)。義母は文久三年に家が類焼して家財道具すべて焼けだ出され、信良の家に厄介になっていた。

この後妻の父の荒井清兵衛は医者だったという。荒井郁之助父の、代官だった清兵衛とは別人?

なお、先妻牧との間の長男の坪井正五郎は人類学者・考古学者。正五郎の妻直は箕作秋坪の長女。

奥医師、法眼と医師として登りつめた信良だが、最も充実していたのは、静岡藩での病院創設事業に奔走していた時期ではなかろうか、と宮内氏が解説で述べておられるのも興味深い。東京府病院も在職時期は短かった模様。

坪井信良と圭介の関係は明治もあったようで、圭介が工部省時代に発刊した工業新報にも信良は寄稿していた。


と、坪井塾も、いろいろ見所があり、ネタが膨らみます。当時の洋学者の典型的な生活模様に溢れていることと思います。
スルーされてしまいがちですが、「けいすけじゃ」ではオリキャラの横田なども絡んで、しっかりと生き生き描かれているのが嬉しいです。


posted by 入潮 at 06:08| Comment(5) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

如楓会第二回オンライン

如楓会第二回オンライン

2011年 10月8日(土)、9日(日) 両日18:00-24:00

近江屋さんと共に、開催いたします。

大鳥ファンの皆様がチャット部屋に集まって、同じ時間に創作しながら、休憩時間にチャットで喋ったり落書きしたりするという、交流と創作を兼ねた企画です。

詳しくは以下のページをご参照下さい。
如楓会第二回のお知らせ

如楓会は、大鳥圭介を主体にした歴史同人創作を行うオフ会です。5月に上郡で、没後百年の記念行事・圭介まつりと合わせて開催しようとしていたのですが、延期になっていました。

今回は、オフ会という主旨に反して、オンラインで行いたいと思います。地理的に主催の片割れが無理という事情によります。すみません。
上郡での開催は、来年以降に企画したいと思います。

創作をしたいけれども、なかなか多忙で手がつかない。そんな大鳥ファンの方々が、創作する時間を共有することで、お互いモチベーションを高めて楽しい時間を過ごすことができればいいなという目論見です。いや圧力をかけられなければ筆が進められない手前を蹴っ飛ばしてほしいというのは置いておいて。

実際にどの時間に創作をするかは、参加者様の自由です。
上の時間のご都合が悪い方は、別の時間に活動していただくことでご参加いただくことも、もちろん歓迎です。


第一回目はPDFの冊子として作品をまとめて、参加者の皆様に電子データを配布しました。電子版アンソロジーと言うと格好良すぎなのですが。今回も、オンラインで同人誌を和気藹々と作りましょう、という感じの集まりです。

ご参考までに第1回の様子はこちら。
第一回開催のお知らせ
第一回中間報告
第一回結果

今読むと、だいぶ恥ずかしいことを書いています。この時は、人物の魅力を知ってほしいといくら資料を羅列しても、読んでもらえなければそれで終わり。資料は強力な説得力ではあるが、手に取るのはなかなか面倒くさい。一方で、創作物は、敷居低く資料にくらべてずっとなじみやすい。現在でも、小説やドラマなどのデフォルメ像そのものが、人物のイメージ形成に強力な役割を果たしている。ならば資料的と創作と双方から攻めるのも、イメージ作りには有効…などと、偉そうにもお為ごかしをのたまっていました。

その第1回から2年が経ち、状況はガラリと変わったように思います。

上郡町の方々が本腰を入れて、郷土の偉人として、大鳥圭介を教育素材として取り上げてくださっている。生家跡地に大鳥圭介資料館であるふるさといきいき資料館が開館した。書画展が複数回開催された。没後百年記念式典が催された。そして、地元の漫画家・郷土史家・アニメーター・クリエーター・ボランティア・役場の皆様が、力を総結させて、大鳥圭介アニメ「けいすけじゃ」を世に出された。
薄桜鬼などのメディアでも、これまでのように他者を引き立てるためにないがしろにされた人物像ではなく、イメージを上向きさせる方向で取り上げられている。

ここはひとつ、その流れにあやかっていこう。
と、気軽に楽しめればと思います。

なお、今回お知らせページに追加したFAQは、実際にいただいた質問もありますが。まじめにやっていると見せかけて、実はそうではないただのオタク活動であるという主張を込めています。楽しいので、ネタがありましたら教えてください。

というわけで。
すでにWebや同人誌で活動されている方、しばらく活動していたけれども今は離れておられる方、興味があるけれどどうやったらいいのかわからない方、ゲームや小説などがきっかけで実物にも関心が沸いたという方。

ぜひぜひ、ご参加いただけますと嬉しいです。

ラベル:如楓会
posted by 入潮 at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月18日

坪井塾と大鳥圭介 その2


大鳥の坪井塾時代に師事した大木忠益=坪井芳州=坪井為春。
坪井信道の第二女婿。薩摩藩奥医師。
この方については、斉藤祥男氏の「蘭医気坪井の系譜と芳治」に詳しいです。

同書から抜き出した年譜は以下の通り。


文政七年 十月十五日、米沢に生まれる。父は米沢郷医大木松翁。

天保十一年 坪井信道の塾に入門。後、塾頭

嘉永元年 坪井信道死去。塾生の教育に当たる。

嘉永五年 芝浜松町に開業。信道の二女 幾と結婚。

安政元年 薩摩藩奥医師に召され、坪井為春と改名。

安政六年 江戸に戻る

万延元年 蕃書調所教授

文久元年 西洋医学所教授

文久二年 二男二郎出生、妻幾と長男が死去

明治元年 鎮城府医学助教、後医学教授

明治二年 大学中博士

明治四年 文部省編集寮助

明治五年 文部省六等出仕

明治十一年 埼玉県立医学校長

明治十二年 埼玉県立病院長を兼ねる

明治十七年 東京大学御用係

明治十七年 三月三十日没


この方の伝記としては、東京医事新報新誌第四百三十三号、四百三十四号「坪井為春先生傳」があります。上書に掲載されています。

医事新報は、「新報」と言いながら蘭三郎氏が大鳥さんの自伝草稿を寄稿していたり、幕末洋学者の系譜に詳しかったり、良い史料が多く含まれています。医学史というのも一つの専門分野です。

その「坪井為春先生傳」が面白く、坪井芳州=大木忠益の基礎資料となるものだと思いますので、書き出してみます。
カタカナ→ひらがな、句読点追加、旧字→常用漢字への変更を、勝手に行っています。

先生初め大木忠益と称す。文政七年甲申十月十五日、出羽米沢某里に生る、家系を詳かにせず。世に米沢藩の郷医たり。父松翁門人某氏を養子となし、大木姓を譲与し、家族を携ふて都下に移り、下総松戸駅に寓し、先生(忠益)を米沢藩侍医堀内忠良に従学せしむ。此年十九。翌年堀内氏を介して先生を長藩侍医坪井信道の門に入る。この年二十。

在塾勉学すること六年、日習堂塾監となり、此年廿十、赤澤寛輔の後を受て塾頭となる。此年廿三。坪井翁病篤し。先生病床に侍して看護し、八月より十一月まで四月間寝食を廃して心を尽し、身を役す。その懇篤周悉なること、人見て感賞せざるものなし。蓋し中情の深切なるに出る所なり。既にし翁の病終に起たず、時に嗣子信友尚少なり。義子信良は家を監して病用に専任し、先生は塾務を担当し、三十余名の生徒を訓導し、両人協力同心し、家名を堕さざらんことを勉めたり。此時先生の名声書生中に高し。諸藩より之を聘せんとする者数家ありたれども、皆辞するに、学ぶ所尚ほ浅きを以てす。然るに同塾に安達楳榮なるものあり。薩の医員。百方先生に誘説し、之を藩侯に薦む。候見て大に嘉賞し、引て白金今里村植物園内に寓せしめ、兵書を翻譯せしむ。是に於て松戸より父母を迎へ侍養す。此年母病て没す。此年廿八。浜松町にト居す。松翁病舊なり。存生中媳(よめ)を一見したしとの懇請に依り、遂に坪井氏の二女を娶る。次て翁没す。此年廿九。

其薩藩に入るや坪井芳洲と改称す。抑も米沢は現時は小藩なれども、従来大藩たりし時の威風旧制の改めざるものありて、凡そ藩人は他籍に入るを許さず、其無禄なるものも此禁を犯ことを得ず。薩州には他国人を領内へ入れざるの厳禁あり。候の先生を寵寓するや之を領地に扈従せしめんとするの意あり。是に於て薩州家より屡照会ありて先生の籍を転せんことを求む。然れども上杉家にては国法犯すべからずとて是を肯せず。啻に両家の吏員商議するのみならず、終に殿中に於て、薩候此事を上杉候に面請するに至りたれども、尚ほ頑然祖先以来の国憲犯すべからずとて結了せず。薩候大に之を憂ふ。

偶々薩候の御用人に山崎某なるものあり。頗る方略あり。又威権あり。大に先生を庇蔭す。一策を案出せり。即ち、姓名を異にせば、両藩において共に制度に礙(さまたげ)なきなりと。依て薩藩にて坪井芳洲と称し、米沢藩にては依然大木忠益と称し、一身にて両名のものとなれり。蓋し芳洲とは其の号を取るにて、坪井と称する所以は次の如し。是より先に信道翁は屡薩州邸に出入し、薩候の信ずる篤きを以て、之を聘すんとの意を内報したることあり。然るに是より数日前に長州藩にて聘せんとするの内約を結びたるを以て此事止みたり。候大に之を憾めり。今や先生既に坪井翁の婿たり。即ち、兵父に代て婿を聘するの意を以て坪井と称するべしとの議に因なり。

此際に方てや先生の名倍高く、都下に震ふ。従学するもの頗る多し。長男俊太郎生る。此年三十二。候の駕に陪し、薩州に在勤す。此年三十四。一年を隔て薩州より帰る、此年三十六。蕃書調所教授手伝に任ず。医学書教授に転ず。
此年三十七。次男次郎生る。此年三十八。俊太郎坪井氏ともに麻疹に罹り没す。次て村井氏を娶る。此年三十九。

明治元年鎮守府医学助教に任ず。二年二等教授に転ず。三男謹三郎生る。三年大学少博士に任じ、正七位に叙す。四年中博士に進み従六位に叙す。五年文部中教授に任じ編輯助に転じ、又文部六等出仕に任ず。既に其の出仕を免じさらに六等出仕に再任す。七年免出仕、位記返上す。奉職七年。旧年埼玉県管内医学教頭聘せらる。県立医学校長兼県立病院長に任ず。奉職八年。十六年文部省御用掛り拝命す。奉職四年。

十九年三月三十日病没す。享年六十三、東京谷中天王寺に葬る、為春院義岳忠益居士と謚す。


大木忠益と坪井芳州の二つの名を持ち、大木塾=坪井塾であるなど、追いかける人間に二倍の記憶量を強いる理由がよくわかりました。

米沢藩は威風ある大藩だったので、その藩士は他の藩に籍を移すことは許されなかった。無禄であってもこれに逆らえなかった。また、薩摩は他国の人間を領内に入れることは厳禁だった。薩摩から上杉家に、忠益を転籍するよう求められたが、受け入れられなかった。

ここで出されたウルトラCが、姓名を変えて、一人があたかも二人いるように見せかければいいじゃないかと。一人は薩摩の坪井芳州。もう一人は米沢の大木忠益。ちょうど大木忠益が坪井信道の娘婿になって名字が変わるのと、芳州は号を取ったことから。

一人で二人存在しているフリ。そんなのありか、と思います。国家としての戸籍というものがなかった頃だからこその話かもしれない。

弘化3年(1847年)に日習堂(坪井信道の塾)の塾頭になるも、この年に信道は病に倒れる。忠益の献身的な全身全霊の看護も及ばず、信道は没する。信道の嫡子信友は虚弱で幼少だった。第一女婿の信良は大阪の適塾にいて不在だった。

信良が戻ってからは、信良が家の中を取り仕切り患者の診療を行った。塾生の指導は忠益担当。そして、名前の広まった忠益が薩摩の奥医師として士官したのが安政元年(1854)。日習堂の後事は坪井信良に託した。そして、芝浜松町に家を構えて蘭学を教えた。同じ年、信道の二女幾妻にしたのは正式には信道死後のことだった。この年から坪井為春として活動する。

ということで、日習堂(坪井信道塾)と大木塾は、繋がりは深いがやはり別ものとみるべきでしょうか。

そして、この年安政元年に大木塾に入塾したのが、大鳥圭介。キミ緒方の塾で鳴らしたんだから、できるでしょ?と言われ、忠益からいきなり塾頭に指名される。薩摩藩奥医師として多忙を極める忠益に変わり、大鳥は塾頭として塾生を指導しつつ、自分も筆耕し翻訳し、兵書研究に没頭する。

「門下生を含めた当時の交友関係について仲田一信博士が纏めたものが、同氏の著書に収録されている。それに加えて今回の遺品整理中に発見した方などの指名を追加させていただく」

として同書に38名の指名が羅列されています。その筆頭に大鳥圭介の名がある。他、伊藤裕亨、中村正直、金子精一、石黒忠悳、子安峻など興味深い名前が。

「大鳥圭介は、芳州坪井為春門下生の中では異色の人・・・芳州門下としては逸材といわれる。なお、詳しくは仲田一信著を参照せられたい」


坪井芳州門下生は皆医者繋がりが多いので、大鳥の進退が異色といえば確かに異色です。

この仲田氏の著作は「埼玉県医学校と日習堂蘭学塾 蘭医坪井信道と坪井為春」のことか。すぐにでも当たりたいが。海とヒマラヤの向こうではどうにもならぬ。

安政五年、芳州は島津斉彬候に従って薩摩に赴き、そのまま斉彬公は薩摩にて没します。この時斉彬候の病床に侍していたのは芳州ひとりだったとの由。この時芳州は斉彬候の死に際して、大変な思いをされたことでしょう。

同じ年、芳州の留守を守っていた大鳥は、師匠の米沢と薩摩のやり取りと似たような形で、尼崎から徳島藩に譲り渡されました。米沢と違って尼崎は「尼崎に過ぎたるもの三つあり、一に馬術、二に沓脱石、三に大鳥」として、あっさり徳島藩候の要請に答えて大鳥を譲渡したのでしたが。

本人の選択によらずに、上の必要と都合に応じて人事が決められていく。優秀な方ほどそうした傾向は強かったのかもしれません。

洋学者に限らずですが、同業者、同じ分野の方々は、親族関係、養子関係を通して先人の功績を受け継ぎ足場を固め、その分野の中で頭角を現していく。そして、新たに台頭した分野であるゆえにいっそう、洋学者同士の結びつきは強い。特に養子縁組は本人にとって大きな展望が開く。その分重圧もある。
一方、大木忠益は坪井家の女婿になる前に、すでに自分の実績で諸藩に力が認められた方でした。

大鳥もまた、そうした氏族・親族の後ろ盾無しに、個人の実力とキャラクターで他者との結びつきを深めながら頭角を現していった。その点でも、異色な存在ではないかと思います。


坪井塾には、当時の洋学者事情が色々と詰め込まれていて、楽しいです。

posted by 入潮 at 05:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月30日

Twitter 110904-110930


irisiomaru 入潮
ダサインフィースト(祭りのご馳走、お菓子)がオフィスを巡っている。会議忠も出てくる。額に赤いティカ、頭に花びら。祭り連休前だからこそ忙しいのに、すっかり祭りムード。気付くと誰も仕事してない。今を逃すと日程が半月〜1ヶ月遅れるというのに。と焦るのも馬鹿馬鹿しくなるムード。#ネパール
30 Sep ≫

irisiomaru 入潮
太陽光はFIT売電価格がないと話にならぬが。ただでさえ逆ザヤ、自分で自分の商品(電気)の価格を決めることもできず(政治マターになるから)、計画停電による民衆の怨嗟を一身に受けながら、精一杯水力を運転しているネパールNEAに、FITを持ちかけるのは人として間違っている気になり辛い。
29 Sep ≫

irisiomaru 入潮
日本の会社が汗流したFSが、他国に持っていかれるのは遺憾だが。ミャンマーは両大国に挟まれた地理をうまく活用し、中国とインドのディベロッパーを競争させてうまく利を得てほしい。@adachihayao ミャンマーのイラワジ河上流,いずれもインドのNHPCが中国に対抗して開発を意図
29 Sep ≫

irisiomaru 入潮
太陽光PVの価格は下落傾向にあるとはいえ、現状レベルではまだまだ苦しい。原発不安により欧米や産油国にどんどん導入してもらい、それを数年間静観しながら、大量生産PVパネルのコストが下がりきった時点で一気に入れるのが良いのではないかと。
29 Sep ≫

irisiomaru 入潮
MW級太陽光の財務評価、やればやるほど、大規模太陽光は金持ちの道楽だと思い知る。特に利子の高い途上国では民間ベースはとても無理。太陽光は年間コストに比べて初期投資が高いので、割引率の影響が非常に大きい。利子の高い国ではとてもまともな売電価格にならない。
29 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ 伊知地正治日記は淡々と必要なことを簡潔に記す、書き手の頭の良さと人柄が滲み出てますよね。戦死手負人、飛脚や陣中見舞まで。一方で、棚倉で珍しい四斤半施条砲分捕ったと嬉しそうに特筆したり。俺が俺がドヤ顔な逸話の多い板垣と対照的に思います。@tukaohtsu
29 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ それは素晴らしいご旅行を!ヒップス造船所や海事博物館など、名所が目白押しなので羨ましいです。いずれお話お伺いしたいです。飛行機は確かに、インドネシアに漂流したりもまず無いですよね…@machi_town
28 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ おかえりなさいませ、お疲れ様でした。ご出張でしょうか。気候の違いに体調崩されませんようご自愛下さい。@machi_town 昨夜、無事帰国しましたー
27 Sep ≫

irisiomaru 入潮
若く優秀なネパール人エンジニアが、留学したいが語学以外に何をすべきかと聞いた。まず自国の歴史と誇れる点を自分で語れるようになるべしと答えた。「それは一番苦手だ」彼は答えた。JICAのローカルスタッフの方が、優秀なエンジニアは皆外国へ行ってしまうと嘆いていた。まず此処か。#ネパール
26 Sep ≫

irisiomaru 入潮
BBCの天気予報を見て軽く絶望。http://news.bbc.co.uk/weather/forecast/152 明日大雨、明後日小雨、3日後・4日後大雨。ダサイン(祭り)前にどこまで工事を進められるかが鍵だったが。また工期が遅れると頭痛。農家の方々の収穫期の被害に比べれば、とは思うが。洪水被害も心配。#ネパール
26 Sep ≫

irisiomaru 入潮
地震(構造物への不安)、墜落事故(空の交通不安)、収穫期の大雨(=農作物への被害甚大)、ルピー下落(外貨流出大、輸入品価格上昇)。今月のネパールはどこまで試練を抱えるのか。#ネパール
26 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ 手前も大鳥先生と違って字は下手なので、羨ましいのは同感です。ただ、読めない達筆より読める悪筆のほうがいいではないかと、癖のある書簡を見るたびに思います。連絡手段が手紙→メールになったのは、趣は無いですが、機能的にはありがたいです。@iwao_ohyama 字が巧か人は羨ましか。
26 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ インドルピーにペッグしているネパールルピーが下がり続けている理由を理解。RT @adachihayao インドのルピー,ユーロ危機の影響を受けて大きく下げており,特に原油の輸入に大きな影響,インフレを懸念国内価格抑制http://bit.ly/nQkZYe
26 Sep ≫

irisiomaru 入潮
大鳥圭介書画展。10月22日~12月18日予定。上郡町郷土資料館http://www.hyogo-c.ed.jp/~museum-ac/081-120/100.html。上郡では1回目郷土資料館、2回目願栄寺で書画展が開催され、今回三回目。一番大きな規模になる見込み。さらに役場が書画情報を求めています。http://www.town.kamigori.hyogo.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=6342
25 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ インドシナも心配。ネパールも雨期明けなのに雨ばかり。収穫物への影響が懸念される。水力発電的には、長引く雨季より早い雨季のほうが良いのだが。RT @adachihayao カンボジアは増水中!例年にない雨量、メコン河の水位がかなり上昇http://bit.ly/pL8HDs
25 Sep ≫

irisiomaru 入潮
墜落事故。痛ましい。墜落地から現場も宿も10数km程度だった。1992年タイ航空パキスタン航空2件の事故で計280名が亡くなった。その後日本の援助でレーダーが導入。カトマンズは盆地で天候・地形的に離着陸が世界で最も難しい空港の一つ。慎重なフライトを願うより他ない。#ネパール
25 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ 過去のIFは趣味又は願望に過ぎず、真っ当な議論には持ち込めない。未来のIFはリスク管理や最悪ケース予測の為に論じても論じ過ぎる事はない。過去の事実を未来のIFに生かすのが学ぶという事か。RT @itaru_ohyamaIF論と歴史 http://amba.to/qzciPv .
23 Sep ≫

irisiomaru 入潮
今年のNEA年報の電力需要曲線、容量ベースで、ピーク時間(18-20時)で半分、オフピーク時間で1/3しか供給できていない。特に乾期が問題。乾期のIPP買電価格は高く設定されているが。流れ込み式水力では乾期に供給できない。しかし需要は年々10%増える。今年も大変そう。#ネパール
23 Sep ≫

irisiomaru 入潮
ダサイン(祭り)期間9/28〜10/8は計画停電が週6時間に減少と大使館から通知。電力会社NEAからのダサインプレゼント、な訳はなく。ダサイン頃から降水量が減るのに水力発電大丈夫?と思ったが。ダサインは工場オフィスが軒並み休みで、その分電力負荷が減るからか。#ネパール
23 Sep ≫

irisiomaru 入潮
RTの「自分の上に困難と義務を背負いこむ人」仕事は常に多様で、対応を迫られ、失敗を重ね、それまでの自分が打ち砕かれる思いを重ねる。その結果謙虚さが生まれる。謙虚な方が尊敬されるのは、自分の経験や力で太刀打ちできない困難に当たってきたことが、生きる姿勢に現れるからなのだろう。
23 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ ダサイン前には現地貨需要が多くなり多少下がるでしょうか。しかしネパールルピーはインドルピーとペッグなのであまり影響ないかも。ダサインボーナスもあり、今月末の従業員給料支払の出金をいつにするか悩む動向です。RT @dipskyjp どこまで上がるだろう。10円=10.22ルピー
23 Sep ≫

irisiomaru 入潮
契約書は百回読めというが。入札図書も同様。しかし読めば読むほど必要な対策に気づき、価格が高くなる。当然高い業者のほうがいい仕事をする。税金を使う以上公共事業で価格を下げる必要は理解するが、税金を使うからこそ高くともまともなものを作るべきと思う。「安かろう悪かろう」は真実だ。
23 Sep ≫

irisiomaru 入潮
特に国際案件。海外で低価格で入札する企業ほど、入札図書を読み込まず、情報収集が甘く、リスクを勘案せず、楽観して物事に当たる。よっていざ受注されると苦労する。経験で落とべきだが、会社やプロマネの経歴書は如何様にも化粧される。評価者が本当の業者の実力を知るのは難しい。
23 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ その代わり、患者が病院に押し寄せ、常に大混雑、緊急を要する方もすぐには見てもらえずコネのある人が優先、慢性的な医師不足という現実がありますが…。RT @yosiyukitakagi ブータンの医療費は無料
21 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ 母成峠で大量大砲投入してきて自軍を蹴散らしてくれた教え子(江川塾時代)にそう仰られると、大鳥先生はどう感じられるか。「お前に言われたないわ!」と笑いを取りにいく気がします。@iwao_ohyama 戊辰の戦で最も手強かったのは大鳥先生ごわした。東の横綱ごわんそなぁ。
19 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ ありがとうございます。当時の方には著名人を云々する番付も娯楽なのでしょう。今も最も○○な100人などよくありますね。@skr_setsun 古典籍総合データベースで「番付」を検索
19 Sep ≫

irisiomaru 入潮
上郡町WP、近代日本のパイオニア 大鳥圭介ページhttp://www.town.kamigori.hyogo.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=6717 紹介文は、生家保存会の猪尾塾長。今後さらに拡充していくそうです。先が楽しみ。
18 Sep ≫

irisiomaru 入潮
震源地はシッキムの模様。ブータンも揺れたようです。http://zeenews.india.com/news/nation/major-quake-rocks-sikkim-tremors-across-india_732231.html 地震を考慮しない古い建物の込み入った地区では、震度が低くとも被害が大きくなる。皆様の無事をお祈りしています。
18 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ 早速の情報ありがとうございます。@ghaletreks @Nepal_travels 6.8-magnitude quake strikes northern India - CNN International http://dlvr.it/m0b6x
18 Sep ≫

irisiomaru 入潮
地震。震度3ぐらいかな?と思っていたら、回りが皆外へ飛び出して騒ぎはじめた事のほうに驚いた。普通の家屋はブロック建てで鉄筋も入れないだろうから耐久は低いだろう。地震係数を建築に導入したのも最近と聞く。避難路も整備されておらずすぐパニックになりそうなソフト面の方も問題か。#ネパール
18 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ ご紹介ありがとうございます。戦は嫌だと言いつつ土方氏の三倍以上の戦闘数を経て、藩の軋轢の中で寡兵を率い最後まで泥沼の戦に身を費やした方ですので、愚痴ではなく、壮烈な苦難の中の真っ当な呻吟であったと思います。@toshi5hayato
18 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ 洋学者の系譜は、考えてみれば色々繋がっていて不思議はないですね。文子夫人…酒樽を割り燃やして夫の飲酒に抗議した、禁酒同盟伝説の烈女でしたか。@skr_setsun 安藤太郎の妻(文子)も、荒井郁之助の妹
18 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ 情報ありがとうございます!同じ明治13年の「高名像伝」とはまた別ものでしょうか。こちらは100名ほどがイラスト付で紹介されていました。@skr_setsun
18 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ 鳥羽伏見で伝習隊が敗北し東帰した際「切歯措く能はず」と大鳥は自伝草稿で非常に悔しがっていたので、本来の実力を見せてやりたいという思いはもちろんあったと思います。浅田の方が普通、同感です。@tukaohtsu 自分が育て上げた幕府歩兵の実力を発揮したかった」と言う技術者的な野心
18 Sep ≫

irisiomaru 入潮
報恩寺で合流した同じ伝習隊の大手前大隊とすら連絡がなかった。市川で総督を辞していたのも本気。「強いて依頼」され「宇都宮へ行く迄なら指揮しようと承諾」した。浅田北戦日誌との温度差が面白い。不満をガス抜きさせるための脱走だったのに、結局、箱館まで泥沼の連戦に身を浸す羽目になった。
17 Sep ≫

irisiomaru 入潮
大鳥から直に話を聞いた筑川記者による神戸又新日報記事「脱走は強ち戦争する積りでは無く、暫く市内を避けて要處に退き、城中の形成を見て然る後、如何なりとも進退を決する考であった」大鳥の脱走、戦う気はないものとはっきり書かれていた。だから諸隊との連系もなく補給も浅かったのかと納得。

irisiomaru 入潮
http://www.irisiomaru.com/jofukai/jofukai_02online.htm 如楓会第2回。10月8日・9日、オンラインで創作会を開催します。大鳥圭介にご関心ある皆様、歴史創作好きの方、ぜひご参加下さい。

irisiomaru 入潮
今の海外における日本アニメは、その影響力に反し、肝心のクリエイターに益せず、それにあやかる周辺ばかりが甘い汁を得ている状況。もはやTVでなく動画が海外の視聴者の主流。その中で、製作者のリターンが確保される仕組みが作られる必要がある。
6 Sep ≫

irisiomaru 入潮
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0509&f=column_0509_001.shtml 。日本アニメの権利関係を複雑にする「製作委員会方式」。日本アニメにとって、中国は不毛な砂漠か、黄金が眠る大陸か
6 Sep ≫

irisiomaru 入潮
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0502&f=column_0502_006.shtml 動画サイト運営側が放映権料など支払い配信しているコンテンツが正規版。視聴無料という条件下では、違法物よりも正規版の方が有利になるのが、中国動画サイト業界の特徴。肝心なのは、日本側が中国で正規版を売ろうとする意思があるかどうか。
6 Sep ≫

irisiomaru 入潮
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0511&f=column_0511_006.shtml 日本アニメの中国人の心への影響。日本にはアニメという優れたソフトパワー(国家がその国の文化やの魅力などに対する支持を得て、国際社会かの信頼・発言力を獲得し得る力)がある。
6 Sep ≫

irisiomaru 入潮
これは、「いまどきの若者は…」と言いたくなるのも分かる。「今の米国の若者たちは、英国ロックより日本のバーチャル歌姫「初音ミク」の方がクールなのだと語っている」http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0905&f=national_0905_022.shtml
5 Sep ≫
irisiomaru 入潮
@ 板室の戦いは、ゲリラ戦が得意なはずの伝習隊が散開もろくにせずに固まり砲を当てにしたり、地勢の優を確保しておきながら三方包囲を食らったり、解せない点があるので、その当たりも現地にてご検討いただけると有難いです。@tukaohtsu板室・大田原城の戦い関連のポイントは結構残ってそう
4 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ ありがとうございます! 與能子=己巳子=信良妻ヨノでしょうか。甲府代官荒井清兵衛顕道が郁之助の父なので、間違いなさそうです。@skr_setsun
4 Sep ≫

irisiomaru 入潮
@ 板室から麦飯坂を上り三斗小屋まで辿られるのも一つかと。私は藪がトラウマですが。痛ましい事件のあった三斗小屋宿は今も色々夜の噂があるようです。そこから3km登った三斗小屋温泉は、盆正月時期には事情を伝え聞く古老の方が集われるそうで、いつか再訪したく思ってます。@tukaohtsu
4 Sep ≫

irisiomaru 入潮
上郡町の怖いぐらいの本気がここにも。http://photo2010.blog56.fc2.com/blog-entry-226.html 天使が、立っておる…。
4 Sep ≫

posted by 入潮 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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