2012年08月01日

Twitter 120713-120731


irisiomaru ありそうでなかった。これは惚れる。帰国したら買う。http://t.co/GkLFLBOk 「タフネスミニ」。風に強く折れにくいグラスファイバー骨を使用。フレームは風速40km/hまで耐える折りたたみ傘。ゴミも減る。こういうのを作るのが日本人の職人魂だ。 at 07/13 01:22

irisiomaru こちらはデザインの勝利ですな。一方向のみのテストというところで逆方向は如何…とか負け惜しみを言ってみるw @matsukar 折りたたみで80km/hまで耐えられるとか(オランダ製)http://t.co/mBteSOSq at 07/13 02:09


irisiomaru 福沢諭吉の瘦我慢の説は、徳富蘇峰氏が「一場の詭言」「躁急なる妄」「頑迷、固陋なる攘夷的精神の発作、亡国に繋がる」と酷評しているのをはじめ、同時代人は批判的でした。当時でも時代錯誤だったのに、なぜそれが現代になってこうも論われるのか不思議です。 @shishioriori at 07/13 01:44
irisiomaru 瘦我慢の説。徳川の恭順について「日本の経済のに於て一時の利益を成したりと雖も、数百千年養い得たる我日本武士の気風を損なふたるの不利は決して少々ならず、得を以って損を償ふに足らざるものと云ふべし」拝金主義で徳川の金で自塾に投資して、戊辰で戦わず日和っただけの幕臣のお前が言うなと。 at 07/13 01:48
irisiomaru 「只管平和を買わんとて勤めたるものなれば、立国の要素たる瘦我慢の気風を損なふたるの責は免かる可らず。殺人散在は一時の禍にして士風の維持は万世の要なり」戊辰西南日清日露も戦ってないくせに、士風とやらのために、安全な所から戦争賛美か。お前はヨブ・トリューニヒトか。突っ込み所満載だわ。 at 07/13 01:55
irisiomaru 士魂とか武士道とか、つい現代人は夢見てしまいます。長年積み重なっていた思いがあり、偶々噴出させてしまいました。大変申し訳なかったです。徳富蘇峰氏他の瘦我慢の説への反論は、朝日文庫「瘠我慢の精神」に収録されていますので、もしご関心がありましたらと。 @shishioriori at 07/13 02:42


irisiomaru おお、モザンビークにいらっしゃるのですか。発展的にご活躍のようで何よりです。マプートも投資が進んで変化していることと存じます。当方暫くナイロビです。国内かどこかで場所が重なればぜひご一緒してやってください。
@MakotoGoda at 07/13 05:46


irisiomaru 日大の山田も東京農業大の榎本も一ツ橋の森有礼も同志社の新島襄も、偶像化されることもなく、せいぜいひっそり銅像がある程度。福澤(と大隈)が突出して喧伝されている気はします。そんなのでブランド化しなくても他にあろうに…と思います。@tukaohtsu 大学と言うプロパガンダ機関 at 07/14 00:52
irisiomaru 福沢本人こそが、こと文筆・マスメディアにおいては大成功者。そして、福澤の拝金主義こそが士道とか士風とやらに相反するのは、当時の方に結構責められているのに、現代人の識者はそれらが目に入らないのか不思議です。@itaru_ohyama @tukaohtsu 成功者を嫌う日本人の性癖 at 07/14 00:55


irisiomaru 信者のリテラシーが、その「信頼」に答えられていないのが問題ですね。しかもメディアの供給者自身も、自分が信者その一であることに気付いていなかったり。その姿勢が、対象人物を貶めていることに気付かれればいいと思います。 @mocca02 判断を信奉者に委ねているから歪んでいるんだと at 07/14 00:58
irisiomaru 「薄桜記」ドラマ化で「薄桜鬼」のパクリだと怒った方々がいるようだが。そもそも「薄桜鬼」が歴史人物パクリで、女性受けする嘘まみれのキャラクターを作り上げたのはどうでもいいのだろうか。訳語も日本語に拘った大鳥圭介の和魂が、ハンカチーフやらシェイクハンドやらで蔑ろにされたりとか。 at 07/17 03:51
irisiomaru 調べ物で検索しても、診断メーカーで出てくるキャラしか引っかからないというのは、誠に悲しいものがある。ランダム抽出の妙が楽しいというのもわかるが。何の情報にもならん。 at 07/17 03:57


irisiomaru 日本を訪れるべき理由10選 http://t.co/tBbqrXId 電化製品も携帯も車も、中国・韓国製品に水をあけられ将来が心配になる日本だが。こういうのを見ると、内需だけでも案外やっていけるのかもしれない、という気になる。 at 07/17 04:09


irisiomaru 寒い。赤道直下だが、フリース着てても寒い。乾期だが曇りがち。洗濯物が乾かない。四季という概念がなく、暑いか寒いか、雨が降るかで1年が分けられる。移り変わりに情緒を見出す感性は結構貴重かもしれない。 at 07/18 12:45


irisiomaru タンザニア国境近くから帰り。野生動物が色々いたようだが、寝てた。自分は食える肉にしか興味がない。なぜ自分を食うかもしれない動物に自己防衛以外の関心を持たねばならんのか、と言ったら変人扱い。エコシステムは確かに大事だが。動物愛護は食われかけたことのない人間の贅沢だとも思う。 at 07/21 02:16


irisiomaru 九月下旬、ロンドン・グラスゴー行予定。目的:両大学と大英図書館の1863年、1874-1878年頃の記録漁り、創業137年以上の工場漁り、遣欧使節団ストーキング、志田林三郎電磁気論文と蝋人形参り他。バーミンガム、リバプール、マンチェスター等大鳥の足跡を追うとすると全く日が足りん… at 07/21 02:48
irisiomaru リバプールの綴りは、Riverpool だとずっと思っていたら、Liverpoolだったのね。肝臓がぎっしり浮いているプールを想像した。語源は澱んだ水溜りの意。19世紀産業革命以降時期の環境は凄そう。 at 07/21 02:54


irisiomaru 100円でできる夏場のPC加熱対策。 http://t.co/MTONR2it 滑り止めシールを貼る。これは目から鱗。要は空冷する面積が広ければいいと。 at 07/24 02:27


irisiomaru 電力会社の社員に表現の自由はないのか http://t.co/aDEeZHKI なぜ科学的に正しい意見が感情に圧殺されるのか。なぜそれまでサービスを提供してきたインフラのプロフェッショナルより、ただサービスを享受するだけの素人に世は迎合するのか。不思議でたまらない。 at 07/26 03:27


irisiomaru ケニア、消費税16%。所得税の取立て区分が厳しく、源泉徴収以外まで被雇用者が収めているか税理士が企業をがっちり監督しようとしている。法も変わり会計が大変だが。国のあり方として、援助べったりより税収で自立する姿勢が見え喜ばしいことには違いない。 at 07/26 03:42
irisiomaru 経験上、その国の将来性は省庁のトイレに現れる。水が出るか。掃除されているか。容器が破損してないか。紙はあるか。省庁のトイレが維持されている=福利に予算が周り公務員が大切にされている、つまり国の舵取りをする人間がきちんと働ける環境であること。その点ケニアの省庁のトイレは大体良い。 at 07/26 03:49


irisiomaru 国際まんが博 まんが王国とっとり。http://t.co/cqOb5YQE 各県出身の漫画家さんがいるので、やったもの勝ちという気もする。「青山剛亜昌ふるさと館」があるとは知らなかった…。 at 07/26 03:56
irisiomaru 「『長い時間をともに過ごしている5人』の平均が、今と未来の自分を作っている』 http://t.co/xnTyQSw3 友は自分を写す鏡であり、道標ということ。この人にそぐう自分でありたいという人との付き合いを大切にしたいもの。 at 07/26 04:02
irisiomaru 浄水フィルター付き水道水用ボトル http://t.co/4518fYmF 元から飲める日本の水道水向けなのかしら。 鉄管錆で黄色っぽく濁ったような当地の水道水でも効果あるなら、同じコンセプトで非常に効果的なBOPに結びつきそう。 at 07/26 04:40
irisiomaru 韓国原発2月全電源喪失事故、事故隠蔽で実刑。http://t.co/y0lVShuF 全電源喪失は福島と同じか。冷却水循環も止まったのか。わが国の原発再開より、こういうのが隠蔽された、風と海で繋がっている隣の国の存在のほうがよほど怖いわ。 at 07/26 04:42


irisiomaru RTより、http://t.co/rSBTSAMw これ凄い。静岡県立図書館くずし字解読講座テキストがPDFで。これだけWEBで学ぶ環境が整備されていたら、地理的な遠さは何の言い訳にもならん。やるかやらぬか。「学びたい私」ではなく、「身に着けた私」を醸したいもの。 at 07/26 13:12


irisiomaru 人間三種類いる。1)作られた世の中を享受し文句だけ言う者。2)世の中を支える者。3)世の中を作り変革させる者。3)は狙って育てられないし、必要以上に多いと混乱する。自分が3)であると勘違いしがちな1)は有害。2)が一番大切で数の土台が必要。日本は2)の層の厚さに支えられている at 07/26 15:27


irisiomaru 分業と役割分担が世を進歩させたのだから、へたな門前の小僧になるより、その道のプロに任せたほうが良いかもしれんと思う怠け者ですが。やはり己の目で過去の事実を確かめたいという誘惑は強いです。必要が身を助ける。
@ktosawa やはり身につくというのは大切ですね。精進せねば。 at 07/27 13:27
irisiomaru 江戸末期・明治の学者巨匠達が、蘭語仏語英語を全て和訳し一般の読めるものにした事が、今日大学・高等専門教育で全て日本語で学べ、日本の一般人知識層の厚みに繋がった。これは素晴らしい。が、反面くずし字が現代一般に継承されず、一般人の古典記録への接点に壁が立ちはだかっているのが痛い。 at 07/27 13:35
irisiomaru 崩し字を読み解ける方が少ない事が、所謂歴史研究家や小説家の作り上げた美しい像をただ信じるリテラシーの低さの一因になっているのかもしれない。自分で原典ソースを見て事実確認する層が厚ければ、彼らも適当なことは言えないだろうと。まあ活字でも読者が原典確認をすることは少ないか。 at 07/27 13:42


irisiomaru 何RTされたら○○描きます!というツイートをしばしば見かけるが。「描いて!と複数人から求められる私」でないと描けないのだろうか。需要など構わず、表現したい、好きだ、という己の内的衝動に突き動かされ生まれた作品のほうが、結果的によほど人を惹きつけるものになるのでは、と老婆心に思う。 at 07/27 22:31


irisiomaru そんな憾みを受けるのはまさかE省かと咄嗟に思ったけれど、他セクターの省も色々思い当たりがありそうな所が #黒いネパール …。@wobaba 某主要省庁本省正面玄関に、人間のものとしか思えない形状の、とぐろ巻いた at 07/28 00:47


irisiomaru エネルギー収穫率(生産エネルギー÷建設時消費エネルギー) 水力1200、風力90、太陽光1.3 http://t.co/RTDufugm この観点からは、まず水力のポテンシャルを開発し尽くすべし。系統連携太陽光はその後のラストオプションか。 at 07/28 04:40


irisiomaru 創作一般を意図していました。多くの人に求められること、ある人に喜んでもらえること、新たな発見があることなど、創作の動機の方向性は色々ですね。虚栄心、献身、好奇心などの成分が、多かれ少なかれ混じっているとは思います。人様のキャラ描きは後者二つの成分が高そうです。 @ak_hr at 07/28 05:00
irisiomaru もはや宇宙人ですね、遭遇したくない類の。ファンアート・二次創作における原作がファンの共通認識であると同じ、史実は知られてようがそうでなかろうが、共通認識事項であるべしと思います。@ktosawa 史実を話題にすることについて「ネタバレすんな」と怒り狂う創作者がいる at 07/28 05:05
irisiomaru ネットに触れる子供にまず伝えたいのは、検索コピペが自分の知識であると勘違いしないこと。誰もがアクセスしうるネット情報以外の場に自分の柱を作る発見があること。ネットは事実と嘘の見分け方は教えてくれない事。の三点だと思います。@ktosawa ネット環境は「調べる」ことの価値を変えた at 07/28 05:20
irisiomaru 求める行為が己の生きる強さに結びつくなら、それでよいのではないでしょうか。@yamakasi1102 at 07/28 05:34


irisiomaru テロは、日本の貴重な記録者であり、橋渡し・後援者を失くさせてしまった。リチャードソンの手紙、横浜開港資料館7/19-10/21。帰国したら絶対行くぞ。 RT @meiji1868「生麦事件」犠牲者の手紙、日本への好印象記す http://t.co/tbDPlX6l at 07/28 13:27
irisiomaru 前発言、生麦事件は単純なテロとは違いました。日本の文化風習を無視した、或いは無知な外国人の自業自得とも云える事件です。前言につき、訂正とお詫びさせてください。<テロは、日本の貴重な記録者であり、橋渡し・後援者を殺めてしまった at 07/29 03:09
irisiomaru 自国と情況の違う国にいる際、当地の現状・風習の把握と、それに基づく安全対策ととっさの自己防衛の方法は常に頭に入れておくべし。これは業務に就く最低限の心得。最近も投石+カージャックOR強盗の危険が生じ、再度認識を強くしました。 at 07/29 03:14


irisiomaru まさに内的衝動。だからこそ描いていただけるのが嬉しいし、大切に保存しております。というか、本当にそんな恩恵を受けていいのかと怖くなりましたw @ak_hr 自分の場合は好奇心とファンアート的な意味合いが強い at 07/29 03:17
irisiomaru Twitterはそういう即興、刹那を楽しむのに向いているツールなのでしょうね。だから、あれこれ言うのは無粋だとは思いつつ。@matsukar 診断メーカーとかハッシュタグの「○RTで〜」は、即興を楽しむコミュニケーションのひとつかなと at 07/29 03:18
irisiomaru 自分の動機やアイデンティティを他人からの求めに委ねると、乾いた喉で塩水を飲むようなもので、いくら求められてもいずれ足りなくなりそう。自分のやりたいことは自分で決め行動するのが、持続的で得る物多く感じます。@k__________k 。RTされようがされまいが書きたかったら書くし at 07/29 03:49


irisiomaru スワヒリ語。「誰」が「ナニ」。「父」が「ババァ」。「兄」が「カカァ」。「姉」が「ダダ」https://t.co/n934SqiA 、「あなたの」が「ザコ」。なんかもう、そんなはずないけど、わざとやっているのかと突っ込みたい。 at 07/31 05:07
irisiomaru スワヒリ語。名詞が18のクラスに分かれ、各クラスで主語・否定形・目的語・形容詞・指示代名詞・所有格の接辞(活用)が異なる。男性女性中性の三クラスでも難儀なのに。人々は皆この複雑怪奇な言語を使いこなしているのか。アドバイス「諦めてください、否応にも覚えるのです」 もう諦めたい。 at 07/31 05:43


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2012年08月04日

大鳥圭介「清国論」

大鳥圭介「清国論」 明治十五年十月

大鳥の清国についての論考は、全権公使になる前から発表されていました。明治十六年「清国五人種」、明治十八年「支那東北諸国沿革考」などです。

これらは、大鳥が元老院、学習院学長など、殖産興業の第一線から離れ、人間離れした兼務も解消され、生活に若干の余裕ができたので、世論の高まりに応じて隣国に関心が向けられたものかと思われました。

一方、この「清国論」は明治十五年十月。書き始めたのはもっと前でしょう。工部省職歴の最中、工部技監兼少書記官兼工部大学校長という、工部省の技術担当トップ、事務担当の幹部、教育機関トップの全てを兼務しているという恐ろしい職務状態の只中です。その頃からすでに清国論考を始めていたのは驚きです。

清国事情など、工部省の職務対象からは全く外れたテーマですが。そこが今後の日本に喫緊に必要とみると、職制外だろうが何だろうが、早速調べて論考を書き、政府に提唱する。その大鳥圭介の在り方が伺えました。

余談ながら、この年の四月に、日本初ダム治水技術書「堰堤築法新按」の翻訳を出版していました。その頃技監になったばかりで工作局長も兼ねており、やはり超多忙だったことに変わりはないはず。さらに治水利水は工部省ではなく内務省の管轄だった。この男の二十四時間の行動時間構成は一体どうなっているのか。

大鳥を、清国公使として、日清戦争開戦の火付け役としての役割ばかりが強調されるのは、的を得ていないことと感じます。大鳥は、清国を「実に天下の盃友」と述べ、一方的敵にすれば「畏るべき一強敵」としています。独善的に友情を述べるのではなく、友になっても敵になっても両方対応できるようにすべし、と述べているのが現実的です。

なお、大鳥は日本における東アジアの理解を深めようと、文化、歴史、地理、商習慣、農業などの多くの分野で紹介し、公演や論述をしていました。上のほか、帰国後から晩年に渡って「日清交際の将来」「支那語学を勧むるの説」「国民の外交」などで、日本人と清国人の関係性を述べています。

大鳥が、李鴻章に誕生日に漢詩を送り「君独り詩あり」と喜ばれた例を見ても、清を文化を共有する日本の同胞であるとみなし、清国の各人物にも、敬意と礼節を持って接していました。その礼として、天津条約の際に李鴻章から大鳥に臥竜梅が送られ、大鳥の国府津の別荘に植えられていました。壮年の頃に書いたこの文書が、国府津の別荘の大鳥の遺品から出てきた。即ち、死の間際まで自宅(大鳥は晩年別荘に住んでいた)の身近に置いていた。その事実を省みても興味深いところです。

本文の中で、大鳥は、政府は欧米ばかり気にしているが、今後注目するべきは、隣国たる清国であると説いています。清国の物産、兵力、持続性、ポテンシャルを高く評価しています。中国の兵制についても筆を奮っているのが、かつての兵家らしいです。まだ旧制で侮られているが、いったん改革が進めば人材も組織も脅威になる。一方、それらを過小評価している政府の現状への懸念を強く訴えています。そして、今後清国を調査し、その為の情報機関の設立を内閣に提案しています。経費は数人の人件費と旅費だけだから、インプットに対して得るものはすこぶる大きいと、費用対効果まで説いているのが大鳥です。

以下、入力条件について。
原本は紐綴じの原稿用紙、ほぼ確実に自筆。小田原文書(別荘遺品)。
末尾に「明治十五年十月」と記入あり。
異なる原稿用紙に別バージョンあり。内容はほぼ同じなので、正・副の写しか清書を行ったものと思われる。
漢字はすべてママだが、入力者による読み間違いの可能性が高いものもあり。
(明らかな誤りはご指摘くださいますと助かります)
入力者によるカタカナ→ひらがな変更、濁点・句読点の追加、旧字→常用漢字への変更あり。

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近今我公国の外邦に対する交際に親睦を加へ、蓋平和を表し、相率ひて昔に前進するの気運に當り、我政府の注目請視すべきものは、隣邦清国の形勢なり。
地勢を以て論ずるときは、欧米各州は悠遠数千里の外にあり。清国は僅に一葦水を隔つるのみ。而て、維新は未だ遠方異域なる欧米の政度文物を忖度し、我国体を改良するに、孜々(しし)として近棲同父な清国の政略風俗を考求して、数千年来の情交を終むるに遅々たりし。介時勢の自ら然らしむる所なりと雖、実は遠きに親しみ近きに疎なる理にて、今より之を観れば、秩序を得たるものと謂ふべからず。

之を熟慮するに、本邦今日の交際上に於て、廟堂の深慮遠謀を要し全国の年月精神を注ぐべきものは、清国の盛衰治乱の一点にあるが如し。夫れ清国は坤興の巨封にて地面九十万方里、人口三億万余、租税に億万銀円、陸軍二十四旗兵丁八十万軍艦十隻、百般の物産に富み、都鄙富家商饒多く、一とて我邦の企及所に非ず。故に友として之と交るときは、我通商の利日を遂て増殖、実に天下の盃友なり。又敵としてこれに対するときは、兵馬衆多沃して軽侮すべからず。是畏るべき一強敵なり。

今是国体を審にするに、方ら我脳裏に銘記すべき要訣二点あり。曰く、治世の高方、曰く乱世の兵略是なり。該国全域の地理、近今の歴史、人種、人口、各港の地勢、出入の物貨、内地の風俗、各省の人情、農商の盛衰、工業の進歩、運輸の通塞、海陸両軍編制、外交の規則等、一々之を明にして以て政府の方略人身の向背を伺視し、友となりては治に処し、敵となりて乱に処するの業策を未然に定め、古を省み、今を視、更に将来を察する事、実に国家至上の急務なり。

元来我国人は清国人は立つに亜細亜の当方に生れ同人種なるべしと雖、其性大に同じからず。彼れは鈍、我は鋭、彼は重し、我は軽し。彼は傲慢、我は遜譲、彼は持久耐忍の性を有し、我は怜悧躁急の質を嗇く。

凡百年の事を為すに、我は明敏果断進むに快じ、而て倦む早ふて久に耐へず。因て事始めありて終なき患を免れず。之に及て、彼は遅征因循決行せず、而て一たび決すれば維持不撓の気力あり。因て事を行ふに、時に遅れ機を失ふの聲あり。

蓋し、両国の民風、勇惰軽重各長短あり。之を小にして各人の営生之を大にしては、両政府の経略一として之に由らざるなし。之を既往の事跡上に徴して歴々たり。今、局外より観るときは、誰れか優、未だ俄かに判決を下すべからざるべし。

然れども、後来我国人多くは彼を卑て頑陋と為し、惰弱と為す。是れ大なる誤見なり。安ぞ知らむ、其頑陋惰弱と為すもの、能く漸進し、他日事業晩成の功を挙げ、或は過日に軽佻子の上に超乗せむ事を。

近年、彼国自製の船舶数十隻あり。少年の才俊を撰し、出でて海外に遣わし、或は鑛山を開き、或いは電線を架し、風気徐々に開け、工商日々に進むの勢あり。其鉄道を布りも、亦太遠きに非ざるべし。後今十年の後、国運の進歩、果て如何ぞや。我有志者の目を刮て待つべきものなり。

又目を転じて、今日彼国の兵制を見るに、隊伍の編成古法に拘りて、未だ改正の道に就かず。統制の節制、柔惰にて、厳明の規律あるなし。是れ我国人の彼を蔑視して孱弱与みし易しと為す所為なり。然れども、若し一朝英主名将の出づるありて編制を正し、廊制を明にし、号令を厳にし、訓練を施すときは、強頸勇武となり、鹿を中原に逐ふに當て、勝算未だ必しも我にありと期すべからざるなり。

我兵素より勇敢善戦ふ事疑なしと雖、彼国人多く、財富み、殊に持臺の策に長ず。我が一旦の勝は必ず手に唾して収むべし。而て、□高の雉雄は容易に計るべからず。加之、我兵の多く疎開分散の軽戦に馴れて未だ結束聯合の進退に熟せず、蓋し廣野平原の運動は大に渓間山林の争戦と異なるものあり。是れ余が内外の兵勢を比較するとき毎に不安の憂を抱く所なり。

苟も、軽侮の念を生じ、彼与し易し、我勝利すべし等倨傲自居るは甚危し。夫の畏るべきを畏れ、戒むべきを戒め、之に備え之を待て、以て全局の勝を取るは、所謂彼を知り己をしるの古箴訓にて、兵家の奥義なり。

(欄外に「畢竟、兵数の多寡を以て論するときは、我彼に及ばず。故に我れ機を見て動き普計神算疾風迅雷奇襲…我長を伸し彼長を屈すは上策にて、平日彼の動静虚実を窺ふの須要なる所以なり」 と書かれているが、筆で消されている。→▼)

又近頃清国の外交も亦甚多事なり。西北の彊界(ウイグル?)喀什(カシュガル)葛甫にては、露国と争論再燃の気あり。安南の地方にては佛兵東京を襲ふの事あり。近日日韓の間に交り、忽然不審の挙動を為し、其裏情図るべからず。朝鮮の変大に人心を動かせしと雖、実は枝葉の小乱のみ。唯是之を憂慮する所以のものは、清国の連帯あるに由るのみ。

日清交際の将来とても猶不時の変なき能わず。平日地形の険易を暗知し、日夜民惰の虚実を窺ふ、 須臾も懈るべからず。故に廟堂にても、已然要点に注年あり。前年より清国の事情を捜索さるる事切なりと雖、竊かに思ふに、猶未尽所あるもの甚多きに似たり。

因て今般内閣又は参事院中に一局を置かれ、数名の委員を撰び、能く清国の状態を審にし、以て平時は国益の道を開き、変に應じては臨機の良策あらむ事を希ふのみ。


但し清国の政略内情は北京公使館に、亦た各地領事館の報告に由て報知あるべきものありと雖、彼国の事情は総て機密隠秘を専らとし、厳に其洩泄を警め、又書冊の徴すべきもの甚乏く、殊に各地の方言相通ぜず。故に公使領事等の職掌上にては、嫌疑を憚りて探偵蓋し難き事頗る多し。実に至近なる隣那の内情を悉すは、遠隔なる欧米各国の挙動を推考するよりも艱き事高々なり。

然らば如何して之を行はむか。曰く、其方便なきに非ず。先づ、爰に数名の委員を撰び、其人略漢文に通じ、兼て英佛の字に達するものを取り、一は彼地に泒出し、或は商估と為り、或い旅人に扮して内部に入り、耳聞の所解を細把し、又は各地在等の住外国人に交を結びて伝聞し、又一は彼国近今の書冊を集め、要点を采譯し、更に英佛著述の書籍を翻訳す。

(上2パラ、以下の別バージョンの原稿もあり
「但し清国の政略内情は北京公使館亦各地領事館の報告に由て知るべきもの少しとせず、然れども、彼国の事情は総て機密隠秘を専らにし、厳に洩泄を防ぎて、又書冊の徴すべきもの希にて、殊に各地の方言相通ぜず、故に公使領事等の職掌上にては、嫌疑を憚りて探偵蓋し難き事頗る多し。実に至近なる隣国の内情を悉くす、遠隔なる欧米各国の挙動を推考するよりも艱き事高々なり。
然らば如何して之を行はむか。曰く、其方便なきに非ず。先づ、爰に数名の委員を撰び、其人略漢文に適し、兼て(「英文」二重線で削除)佛の字に達する者を取り、一は彼地に泒出し、或は商估と為り旅人に扮し内部に入り、実情を探りて耳聞の所解悉く記録し、又一は各地在住外国人に交り従ひて習聞し、又一は彼国近今の書冊を集め、要を採択し、更に英佛」まで)

但し清国の書冊は、詩賦文章を先にする風にて、虚妄欺誕信を措き難きもの多し。而て、近頃欧米人の清国の事を記せし著書頗る多し。之を閲するに事実索引證明晰にて、以て信拠すべし。是れ、余が曽て暹羅国にありて国体を探りしとき実験して所知なり。右委員の一局は、最初先づ両三名を撰挙し、事務の順序緩急を議定し、従て時々彼国派遣し、実況に臨まして、且公使領事にも相謀りて、事務を探て務めて見聞を博し、其書冊は類を分て編輯し、以て不時の采、覧に便ならしむ。

但此一局の事務たるや、所費は僅に数名官吏の俸給旅費のみにて、而て国家に鴻益ある事決して尠少ならざるなり。

明治十五年十月

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以上。解読に力尽きたので、中身の解説は次の機会に行います。

なお、「▼」の部分は、後で別の原稿にまとめられているのがありました。別途入力します…。注釈を欄外に書こうとして、書ききれずに別途の論考が出来上がっている。この男はもう。

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2012年08月06日

「燃えよ剣」の虚構と実像

司馬遼太郎著「燃えよ剣」は、小説です。

その小説は、いかにも記録や事実を元にして書いたという書きぶりで描写を連ねています。それを元にライターが著作を書き、メディアが作品を作り、無数の評論や創作が世に呈されてきました。結果、歴史ファンが土方歳三に惚れ、一方で司馬に貶められた人物がその余波を被っています。

一方で、各資料で事実を比較対照し、そこに明らかな名誉毀損があれば、その「小説」に基づいた像について、虚構と実像を腑分けしたくなるのは、自然なことかと思います。

以下、主に土方歳三と大鳥圭介について「燃えよ剣」の描写とそれに対する所感をまとめます。
参照は新潮文庫、平成元年十二月四十一刷です。

土方像についての詳細検討にご関心ありましたら、以下の過去のポストもご参照くださいますと幸いです。

戊辰物語その3 新選組と土方歳三 http://irisio.seesaa.net/article/35582662.html
土方歳三の実像と箱館戦争 http://irisio.seesaa.net/article/30847145.html

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P.267 「歩兵頭大鳥圭介」

→ 脱走時、大鳥は歩兵奉行。

P.270 (鳥羽伏見の戦いの後)城中に歳三が帰ってきたとき、大鳥が土方に話しかけ、大鳥が土方を嫌なやつだと思った。

→ 創作であろう。大鳥が脱走前に正規陸軍訓練の受けていない新選組へ関心を寄せる理由はなく、土方との初対面は市川である可能性が高い。

P.271「市川屯集の幕士のあいだで、大鳥を将とすべきか土方を将とすべきか、多少の問題になっていた」 大鳥が「あれは剣術屋だ」と吐き捨てた。

→ この時土方を将とすべき、将に推された、という話は関係者の記録には無い。大鳥の台詞も司馬の創作。

P.273「市川で実戦を指揮した経験者は土方だけだった」

→ 天狗党の討伐軍の大川正二郎、鳥羽伏見の戦いの伝習隊参加者はじめ、脱走旧幕軍に実戦経験者は多数いた。

P.276 歳三は副将軍格、大鳥と馬を並べ中軍の先頭を行進。小山の戦いの後、兵に酒を飲ませた大鳥を土方が諌めた。兵の泥酔後、小山の再戦を土方が伝習隊・新撰組を率いて戦い勝利した

→ 土方は副将でも大鳥の参謀でもなく、前軍の会津脱藩伝習隊の秋月登之助の参謀。大鳥の参謀は柿沢勇気。土方は大鳥と同じ中軍ではなく、秋月と同じ前軍だった。小山の戦いの時、もちろん土方も新選組もいない。記述は司馬の創作。なお、小山の再戦は大鳥と本多が指揮し勝利した。

P.276「この男(大鳥)は大将のくせに地形偵察というのはすべて人まかせで、じぶんでいっさい見にゆこうとしない」

→ あまりに事実と異なる中傷だ。大鳥は、今市でも藤原でも母成峠でも地形視察を自分で行い陣地構築している。箱館では1ヶ月かけて江差〜箱館の広域を、雪中氷中、大鳥が自分の目と足で偵察している。

P.279 「(大鳥は)実のところ将才はない」

→ 「大鳥、韜略に通じ、機略群を抜く」(戊辰戦史)、「性正毅豪膽韜略に通じ、善く兵を用い、幕府八萬の旗下中、稀に見る處の人物なり」(会津史)、「真に大鳥氏の神算といふべし」(北線日誌)はじめ、大鳥の「将才」を伝える史料は無数にある。

P.282 土方が、街道の交わる要衝である宇都宮城攻を大鳥に提案。反対する大鳥に、兵三百と砲二門があれば陥とせると土方は云い、宇都宮城攻めに向かう。副将を秋月登之助とする。土方が落城させると、大鳥は舌を巻いた。

→ 実際は、土方が将、副将が秋月ではなく、逆。秋月が前軍の将、土方がその参謀。そして、彼ら前軍が、中・後軍の大鳥に断りもなく、宇都宮城を攻め落した。大鳥は宇都宮攻を知らず、空が燃えているのを見て初めて知った。急いで城に行くと、前軍に放火され、城内はそのまま放置された状態。大鳥は前軍の後始末のため、消火と略奪兵の鎮圧の為に苦心した。大鳥は治安維持のため、見せしめに略奪者の首切りまで行った。

この時宇都宮は、一揆鎮圧に疲弊しきった藩兵と、武井村・小山の戦いで大鳥伝習隊と戦い破れ壊滅した、士気皆無のボロボロの彦根、官軍兵しかいなかった。また、宇都宮は南側の防備が薄く、攻めるに易く守るに難しい、要塞としての機能に問題がある城だった。いわば、攻めれば誰でも落せる状態だった。

P.287 土方は「自分には弾があたらぬ、という信仰がある。事実、弾は歳三をよけて飛んでいるようであった」

→ 創作表現だが、主語が大鳥だったら頷ける。大鳥は箱館で「『ナーニ、おれに銃丸が命中るものか、銃丸の方が避けて行くぞッ』と大気焔を吐いて、尚も指揮しつつあると、部下の者は我輩の前に立ち塞がつて、銃丸避けになってくれる。それを突きのけて前に踏出すと、また立塞がる」という様だった(死生の境)。

P.304 榎本武揚が荒井郁之助に「土方歳三というのはどういう男だ」と尋ね荒井は「沈着剛毅といった男で、大軍の指揮ができる点では、あるいは大鳥以上でしょうな」と答えた。

→ 荒井がこのような言を呈する根拠はない。土方に大軍の指揮ができる能力があるという根拠もない。土方が指揮したのはせいぜい数個小隊であり、指揮した際の挙動を記録してたのは新選組配下の者だけで、組以外の隊の者の記述は大鳥のそれに比して些少であり、敵の記述はほとんど見られない。

P.306 仙台国分町の宿「榎本が歳三の評判をきくと非常な人気で、大鳥のことはだれもあまりよくいわない」

→ 逆ではなかろうか。
大鳥は、「沈勇にして大度あり、且文武兼備の人なれば当時の豪傑」(もしほ草)、「全戦闘を通じて、官軍の敵の中で一番すぐれた指揮者の一人であり、彼が指揮するところでは、どこでもその名は大敵とみなされた。彼こそ他の誰よりも官軍の進軍を食い止めた。若松では勇敢な天才であることを示した」(ヤングジャパン)はじめ、当時の新聞などで一般人にもその名が喧伝されている。
一方、三斗小屋の悪戦を戦い抜いた幕臣望月行蔵が「夢乃うわ言」で土方を「其傲慢、人を易ずるを悪む」と記したり、土方が本宮などで放火を行っていたので、土方のほうが評判は良くなかった可能性あり。

P.307 「『土方さん、あなたは旧幕府きっての歴戦の人です。頼みます』と榎本は、西洋人のように歳三の手をにぎった」
P.315 「榎本は、同類のフランス式武士大鳥圭介をさほどに信頼していなかった。この榎本は、近藤勇にひどく興味をもっていた。のちの函館の攻防戦のときも、永井尚志という旧幕府の文官あがりに都市防衛の指揮権をゆだねたことを後悔し―― たとえば死せる近藤勇、あるいは陸軍奉行並の土方歳三に函館をまかせれば、ああいうざまはなかったであろう、と晩年までそういうことをいった」


榎本にも、永井にも、大鳥にも、失礼な記述である。榎本がこのように述べた根拠もまた寡聞にして存じ上げない。
後年に渡って榎本が土方を高く評価していたという根拠も無い。
二股戦で後述するが、榎本の土方への評価はむしろ低かったものと考えられる。

P.308 仙台におけるフランス式用兵の演習を、土方が完全にの見込み、砲兵教官ブリュネーが驚き「『土方さん。フランス皇帝があなたを師団長に欲しがるでしょう』」と真顔でいったほどであった。

→ これも司馬の創作だろう。さもそういう史料があるかのような書きぶりだが、ブリュネの書簡、「絹と光」「フランス人の幕末維新」をはじめとした考えうる各資料に、この記録は無い。あるならご教示いただきたいと思う。

P. 317 「かれ(榎本)は、土方歳三という男が、江戸脱走依頼、宇都宮の奪取、日光の籠城、会津への転戦、会津若松城外での戦闘など、かれがどんな戦をしてきたかを、土方の下にいた旗本出身の士官からきいてよく知っている」
若松城外の戦闘の例では、前哨兵を捕虜にしようとした大鳥に対し「土方は自分で撃たず、自分で本隊を見た方が様子が分かるとし、実際に偵察した。将校斥候としては理想的な行動といっていい」

同上。なお、土方は日光の籠城はしていない。会津も母成峠はどこで戦ったのか具体的な記録はない。浅田惟季「北戦日誌」で、本宮で放火して逃げただけのことを「戦勝」と報告したことが確認される程度。会津若松城外の戦闘の土方の参加も確認できない。なおこの時大鳥は、母成峠戦の壊滅で、最後までしんがりで戦った後、若松にはいかず檜原の山中を流離い、敗残兵を再編して粘り強く泥沼のゲリラ戦を展開している。一方、土方は戦わずそのまま仙台に落ち延びている。

P.318 「平素、歳三に臆病者とののしられている大鳥圭介」

大鳥が土方に臆病者と罵られる謂れは無い。大鳥は確かに戦は忌避し可能な限り戦闘回避しようとしたが、それでも大鳥は土方の三倍以上の戦闘数を有し、戦場期間も長く、勝率は土方よりも高い。大鳥は、勝つ戦は部下に任せ、負け戦ほど前に出て指揮し、自軍の損害を減じるよう努めた。時に最前線で弾丸に陣羽織を打ち抜かれ(函館戦)、時に軍が撤退するまでしんがりに居座った(宇都宮落城、母成峠、千代ヶ岡他)。その大鳥を「臆病者」と土方が言ったのなら、土方もそこまでの人物である。

P340 「大鳥軍は新選組を傘下に入れた。歳三の配慮であった。『新選組は新政府のもので、私の私兵ではありませんから』」

→ 大鳥が新選組を欲した記録はない。なお、大鳥の新選組評価は、低いようだ。「心元なく思い少し下りて之(新選組)を見るに、撒布の法も宜しからず(母成峠)」「新選組躊躇して進まず(七重浜)」「番兵怠慢(箱館山)」等が大鳥の南柯紀行の記述に見られる。
また、土方のほうに、藩主付人数制限の為にやむを得ず新選組に加入した岡崎藩士が、新選組から離脱する際に激怒したこと、陸軍奉行添役に相馬主殿、安富才輔ら新選組出身者を採用しているなど、むしろ土方が新選組を私兵扱いしているような節がある。

P.341 松前攻めの際「『土方さんは城攻めの名人だ』と、松平太郎は軍議の席上でいった」

→ そのような議事録も記録も無い。なお、土方は前述の崩壊寸前の宇都宮城を落とした隊にいただけであり、土方を城攻め名人と称える当時者の記録もない。土方が松前城攻めを指揮した将である書き方であるが、丸毛利恒「感旧私史」等を見ると、責任者は松平太郎であった。例えば彰義隊の地位争いなど混乱があったが、土方は関与せず、松平が納めている。余談ながら、司馬はこの時土方が松前藩主の正室を助けて斎藤一ら新選組隊士に江戸まで送らせているという美談を「ここで、あまりこの男にふさわしくない、ひどく人情的な始末をしている」とさぞ真実であるかのように書いているが、無論そんな記録はない。斎藤も会津ですでに離別しこの場にいない。

P.331 宮古寄港の際、土方が宮古湾海戦の、接舷から甲鉄奪取のアイデアを得て「この妙案がのちに世界海戦史上稀有といっていい歳三らの宮古湾開戦として実現する」
P.356 軍議で土方「とにかく海軍はわれわれを運んでくれるだけでよい。則るのは陸軍でやる」
P.357 歳三の案は榎本の口から旧幕府の仏人軍事教師団に伝えられた。ニコールという男が「それは外国の戦法にもある」といった

→司馬は宮古湾発案における土方の役割を、頁を割いて何度も強調している。一方、宮古湾開戦を思いつき計画を策定したのは、土方ではない。立案者は荒井郁之助、甲賀源吾、二コール、マルラン、フォルタンらの面々。土方は同乗したのみとしか伺えず、戦闘参加したかどうかも不明。宮古湾海戦参加者の安藤太郎による「美耶古能波奈誌」、経緯をフランス側史料から検証している「フランス人の幕末維新」他、丸毛利恒「北州新話」鈴木金二郎の「函館記事」等の記録も、土方については参加者として名前が羅列されたのみ。新選組の野村利三郎について記述はある。小説本文でも土方の活躍が長々と描写されたが、ソースは司馬と子母澤寛の想像力だろう。

P.372 (宮古湾海戦にて) 黒田が室内に他人の徳利を発見、抱き上げて口に入れた。「またたくまに大徳利から黒田の腹の中へ酒は移された」「黒田は生涯でいくつかの失敗をさせたが、このときもやはり失敗のうちに入れれば、入れられるかもしれない」

→ 黒田は確かに宮古湾海戦に遭遇している。しかしいくら酒癖の悪いことで有名な人物といえ、この戦闘前に酒を飲んだ記録はない。黒田の酒乱は、明治政府での政治争いと家庭の不幸のストレスからの逃避であり、この時期に酒乱者扱いするのは間違いであるのみならず、真剣に戊辰を戦い抜いた黒田への侮辱だ。

P.408 (二股にて)「――土方さんがいるかぎりは勝つ、という信仰が、函館軍のなかにあった」「歳三は函館政府軍における唯一の常勝将軍であった」

そんな信仰は無かった。現在はファンの間にあるだろうが、少なくとも当時にはない。
「常勝将軍」というのはファンの間で非常に好まれて、土方を修飾するのに頻繁に用いられる。無論この言葉は、司馬の創作である。勝ったのは司馬が強調している宇都宮城攻、松前、二股ぐらいであり、その他鳥羽伏見、宇都宮陥落、会津や本宮での敗北など全体の土方の勝率は高くない。ましてそれに対応して大鳥に「常敗将軍」というレッテルを貼るなど、言語道断である。

二股は、天嶮で防衛は容易な上、工兵隊の吉沢勇四郎が陣地を固めた。そして大鳥の両腕とも言える歴戦の伝習隊の大川と滝川、衝鋒隊の今井伸郎を、二股に投入した。
司馬は二股における土方の活躍を華々しく描くが、実際土方が二股の前線に出たという明確な記録は無い。伝習歩兵隊隊長として二股を率いた大川正二郎は、土方の名を羅列したのみ、同じく二股で衝鋒隊の隊長だった今井信朗は「土方歳三等を擁護して退却」とだけ記した。

二股の土方を賞賛しているのは、「又寡ヲ以大敵ニ当リ動カサルハ是土方君ノ力也」石井勇次郎(戊辰戦争見聞略記)、「士卒の心を得た」大野右仲(函館戦記)など、新撰組身内の筆であり、これが新撰組ファンの拠り所にされている。
新撰組以外の各史料で称えられているのは、二股に布陣した隊の活躍であって、土方自身の行動ではない。

なお、二股の戦いで土方が実際に活躍していたのなら、その後は、さぞ彼が頼りにされたことだろうが、その後の七重浜の夜襲の三連戦に土方が出陣した様子は無い。5月11日の箱館決戦も、大鳥・本多・大川・春日・人見・二関ら、奉行や各隊長たちは、明け方から七重浜・有川・大川の防衛線に詰めて、早暁から戦闘を開始したが、土方は、箱館山の寒川から官軍が攻めてきて、箱館の街が陥落するまで待機しており。つまりは予備兵力扱いだった。

P.410 「銃身が焼けて装填装置が動かなくなった。歳三は、ふもとから水桶を百ばかり運ばせて、銃を水につけては、射たせた。水冷式の射撃戦をした男など、同時代のヨーロッパにもいなかったのではないか。『弾はいくらでもある。射って射って射ちまくれ』と、陣地々々をまわっては、激励した」

→ 「水冷」が行われたのは事実だが、それをしたのは伝習隊や衝鋒隊の兵たちであり、土方ではない。少なくとも土方が前線で自分で射撃したとか、陣地回ったなどの記録は無い。大野右仲が土方がよく統率したと書いてはいるが、実戦での立ち回りなどの記述は見られない。

なお、「射って射って射ちまく」られると、弾薬確保に苦悩して女郎にまで給金払って作業してもらい弾薬製造していた大鳥は、さぞ頭が痛かっただろう。

P411 榎本から何度も送られる伝令に対して土方「『薩長は天下を取ったが、二股だけはとれぬといっておいてくれ』とこの男にはめずらしく広言をはいた。」

この言も司馬の創作だろうが、土方が連絡を怠っていたのは事実らしい。「奥羽蝦夷戦乱史」に「土方歳三、沈勇豪邁と雖も、防御のみに留意し、西軍餌兵の実情偵察を困却したる欠点あり。後年榎本子、大鳥男、人見勝太郎氏、佐々木京運氏が一堂に於ける回旧談に、二俣口の実常話題に上りしとき、榎本子、盃を捨て机を叩きて大息せりき。それ或は然らむ」つまり、榎本が二股の土方が偵察を欠いて連絡を行わなかった事に対し、戦後の酒の席で、榎本が盃を捨てて机を叩き、ため息をついた、と記録されている。

P.412 「閣下は芸術家(あるていすと)か」と、仏軍陸軍の下士官はちょっと妙な顔をしていった。…二股の攻防戦では、都市像はほとんど芸術家的興奮でこの戦を創造した。ちと刀と弾薬が、歳三の芸術の材料だった。歳三らのすさまじい戦いぶりについて、それらの(官軍が援軍を乞う)手紙には、窮鼠必死頚敵とか、余程狡猾、何分練磨、などという極端な表現が使われている」

「あるていすと」のソースは、司馬脳内だろう。そういうことを述べた仏軍士官の記録は目にしたことがない。二股で、土方の名前以外の活躍を描写した官軍側の史料も寡聞にして知らない。「余程狡猾」「何分練磨」は、大鳥や大川ら伝習隊を描写するのに類似のものはあった。大鳥は「児玉大将伝」で「大鳥圭介の神謀鬼策、古えの楠氏にも喩うべき名将」と記述されるなど、確かに官軍側で高い評価だったことが伺える。

P.414 「二十二日には大鳥圭介が守る木古内陣地が堕ち、このため官軍艦隊が直接函館港を攻撃する態勢を取り始めた。『だらしがねえ』二股のあるていすとは憤慨した」

大鳥が担当した海岸線陣地は、艦砲射撃降り注ぐ、屍山血河の地獄だった。その記録は当事者の筆に生々しい。それでも大鳥は木古内で、三次元的に陣地を渡り歩いてゲリラ的に戦を行い、一旦勝利した。それで士気が上がり突撃兵が増えて隊長格まで死傷者が激増。大鳥は諸隊長を必死に説諭して、退却させまわって全滅を防ぎ撤退させた。この大鳥を、だれが「だらしない」と言えるのか。少なくとも箱館戦当事者達の記録に大鳥を批判したものは皆無だ。

P.415 「歳三は山上待機の本隊に総攻撃を命じ「一兵を残すな」と突進した。官軍は大半が斃れ、長州出身の軍監駒井政五郎もこのとき戦死した」


駒井を討ち取ったのは、伝習士官隊を率いた瀧川充太郎である。他人の功績を横取りする書き方はいかがなものか。

P.416 (土方が二股から帰営して)「驚いたのは、大鳥が率いていた幕府歩兵が数百人脱走してしまっていたことである」

→ 隊からの脱走者は確かにあったが、函館決戦の後に落城がほぼ確実となった、5月12日以降である。この4月末の段階であたかも大鳥を見限ったかのように脱走を述べるのは不当。

P.417 中島三郎助が「榎本が降伏するのではないか」という疑惑から、千代ヶ岡から馬を飛ばしてきた。中島は土方に「こういっては何だが、榎本という男はいざとなれば存外腰の砕けやすい男だ…もし榎本が降伏すると言い出せば、陸軍奉行たる貴殿はどうなさる」と訊ねた。

→千代ヶ岡で壮絶な死を遂げた中島が、こう土方に言ったとすることで土方を引き立てさせようという司馬の意図がみられる。しかし、中島に対し失礼な捏造である。
林董が史談会速記録で述べた中島の言「是迄蓋したらモウ沢山だ、此中には若い人もあるし、まだ二千余の人もあるから、是から先やつて居たら、どんなみつともないことが出来るか知らぬから、榎本だの大鳥だの大将分は、軍門に降伏して、皇裁を仰ぎ、外の者の為に謝罪するが宜しい」 若い者たちは降伏させようとし、しかし自分は討死したのが中島である。そして、榎本ら幹部はその言葉を聞き入れず、官軍からの降伏勧告も五月十七日まで退け徹底抗戦したのが事実だ。

P. 426 五稜郭篭城を主張する大鳥に対し、土方「君は籠城説を採ってる。籠城というのは援軍を待つためにやるものだ。我々は日本のどこに味方をもっている」

大鳥が籠城を主張したことなど無い。記録には一切にない。土方の発言も創作。しかしこの場面が、天下のHNKのドラマで演じられたのは全く残念である。


P. 432 土方の死後、碑の資金は「全市の商家から献金された。理由はたった一つ、歳三が妙な『善行』を函館に残したことである。五稜郭末期のころ、大鳥の提案で函館町民から戦費を献金させようとした。『焼け石に水』と歳三は反対した。『五稜郭が亡びてもこの町は残る。一銭でも借りあげれば、暴虐の府だったという印象は後世まで消えまい』 そのひとことで沙汰やみになった」

箱館軍は、町民から通行税を取ったり、贋金を鋳造して箱館の経済を混乱させた。これにより榎本に、武揚の訓読みで「ブヨ」と不名誉な渾名が付けられたのは事実。戦は消費であり、補給が命である。開陽や輸送船である千代田形の沈没で、箱館軍は多大な物的損害に瀕した。武器弾薬も食料も小判も失った。費用も乏しく、大鳥も豪商に対して借金金策交渉をして、弾薬を自作していたぐらいである。管理、運営とは資金運用である。金は空から降ってこない。戦う為には金が必要。誰も税を取って民を苦しめて悪名を残したくはない。古今、資金難を何とかするのは非常に頭の痛い問題だ。土方が本当にこれを述べたのかどうかは不明だが、ここで一人だけ善人ぶって理想を唱えいい気になる者がいれば、その者はもはや戦争当事者達の友人ではいられないだろう。
これまでの司馬の筆の中で、もっとも当事者たちを侮辱していると感じる記述である。

P266 (大鳥の容姿)「白皙、ひたい広く、鼻すじ通って、りゅうとした美男子である」

→ その通り。異論無し。

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最後はともかくとして。

以上のように、「燃えよ剣」は、事実から地位の格上げ、全く根拠のない創作による修飾、膨らましや拡大、いるはずの無い場所に人物がいる、他人の手柄をすげ替えしている、など多々見受けられます。

「燃えよ剣」の土方歳三は万人に称えられるべき格好良い男です。しかしその格好よさは、司馬遼太郎が、以上のように本当に称えられるべき他者の功績を土方の名前に挿げ替え、他者を比較対象役として貶め、想像力の濃いソースをたっぷりと降り注いで作り上げた虚像にすぎません。

無論「小説」である点は酌量されるべきです。そこに目くじらを立てて事実と違うと云い張るのも無意味なことです。しかし、それらの記述がさも史料に基づいている事実であるという書き方をしているのが一番の問題です。読む者はそれが事実であると誤解します。

実際、この司馬像に基づき、作家、歴史ライターなどの追従者が現れ、司馬土方象に即した多数メディア作品が世に生み出されました。

「燃えよ剣」は単純明快で勧善懲悪、悪役とヒーロー対比させた、シンプルな虚構です。大鳥圭介はその悪役として贄にされました。何故ここまで、大鳥や他の人物が、嘘と捏造で彩られた悪意のある書き方で司馬遼太郎に貶められねばならなかったのか。なぜ司馬遼太郎は、嘘で中傷されると、その当人や地元や係累やその方を敬愛する者が怒るという、当たり前のことに思い至れなかったのか。共感性を欠いた人間だと感じます。
そしてこの共感性の欠如は、多くの作家、歴史ライターにも見られる点です。

こうした点が、史料に示される事実により正され、人物の復権が為されることを切に祈るばかりです。

posted by 入潮 at 00:37| Comment(8) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月26日

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irisiomaru 「齷齪」が読めなかった。「あくせく」なのね。ギリギリのスケジュールは必ず失敗する。必勝ほど余裕が必要。勝さん大人。@KatsuKaishuBot いくら物事に齷齪して働いても、仕事の成就するものではないヨ。きつと戦に勝たうといふものには、勝戦は出来ない。余裕がないからの事ヨ。 at 08/02 00:50

irisiomaru バックパッカーだった昔は、リアル冒険者だと嘯いていた。実態は名も責任もない消費者その一に過ぎんのに、好き好んで身を投じた。平凡な会社員たる現在は、設計、契約、交渉、調達、監理、競争の結果に会社・自分の名で責任を持つ、波乱と戦いに満ちた己が主役のドラマ。しかしいつも逃げ出す寸前。 at 08/02 00:57
irisiomaru テレビが鬱病を加速させる。http://t.co/2slc0hMu 勧善懲悪のわかりやすいストーリー。白黒はっきりした二元化とグレーの非許容、失敗を許さないこと、善悪の感情的判断ばかりするメディア。テレビに浸るほど心の弾力が失せ、世の中の不条理と複雑さに耐えられなくなる。成程。 at 08/02 01:37
irisiomaru 何カ国に行ったから凄いのではない。旅行は暇を作って金さえ払えばできる。その国の何を知り、その国の人に日本の何を語って何を知ってもらい、その国にどういう影響を自分が及ぼし、何の成果と言えるものを成したか。それらが語れて初めて凄い。 at 08/03 00:47


irisiomaru ケニア。スーパーに美白用品が沢山売られている。ブラウンの肌がモテるらしい。女性の多くはブレードという小さな三つ編みの編み込みを、月数回、数時間かけて行なう。着道楽で無電化村でもスーツを着る。女性の給料は髪と服と化粧品で飛んでいる。お洒落にかける消費市場に驚かされる。 at 08/03 13:18


irisiomaru オリンピックで世界と戦う選手たちの話題が酣だが。国際競争入札でシビアすぎるコスト競争環境の中、日本製品の品質や仕事の質で世界と戦い、時に世界一を成し遂げる、日本の名誉と経済を背負い働いている、普通の会社、普通の給料のとーちゃん達の存在も、たまには称えられると良いと思う。 at 08/04 01:17


irisiomaru ケニアの方は大変敬虔。名前は多くが洗礼名。日曜日は教会。食事や集会前後もお祈り。それでも失業率高い為、盗難強盗相次ぎ治安悪い。昼さえも一人歩きに危険あり。宗教に疎いのに治安は良い日本を思うに、人の悪行は宗教ではなく経済に拠る。宗教で貧困は救えぬ。恒産無くして恒心無しを実感する日々 at 08/04 13:05


irisiomaru 帰ったら読む。国交省官僚の哲学がわかりそう。RT @sato_atsushi 「国土と日本人」 http://t.co/FtslSlSu 歴史をとおして見た国土の特殊性、税金が土地によって規定される歴史がよくわかる。個人的にはインフラ整備よりも維持管理のスキームの重視 at 08/04 13:41


irisiomaru 大鳥圭介「清国論」明治十五年、入力終了。大鳥の清国の論考は工部官僚時代から行なっていた。この時期に清国のポテンシャルを非常に高く評価し、侮りがちな本邦の体制を憂う。兵制を熱く語り、遠い欧米より隣国と、内閣に清国対応機関の設立、スパイ的な提案まで行った。後の公使就任は必然だったか。 at 08/04 16:13
irisiomaru あとでブログに入れます。しかし清国論、圭介伝にも学士会院公演録にも憲政資料にも収録されてない。未発表のものかしら。ご存知の方もしおられましたらご教示ください。 at 08/04 16:15
irisiomaru 大鳥圭介「清国論」http://t.co/kNeffJR7 アップしてから気づいた。論考が明治十五年十月。その前月、榎本武揚が全権公使として清国赴任。もしや、榎本を後押しする文章だったのか。榎本死去の際「一心同体も云うも可なるものある関係」と言ってたし。 at 08/04 17:53
irisiomaru ご教示感謝です。日本として清国との付き合い方を模索中なのが、友になっても敵になっても対応できるよう調査し対策すべしという大鳥の主張に合っています。@itaru_ohyama 明治13年に陸軍は『隣邦兵備略』で清国との提携構想に見切りを付け、明治18年には時事新報に『脱亜論』 at 08/04 18:07


irisiomaru 「『燃えよ剣』の虚構と実像」http://t.co/owKkUiWu
軽い気持ちで昔に始めたのですが、忍耐の必要な、半ば拷問な作業でした。打ち込むたびにHPが削ぎ取られ、途中で投げて、再開してまた嫌になり、と繰り返し。終わって燃え付きました。 at 08/06 00:46
irisiomaru 元々、燃えよ剣と、石油技術書で山油編を評した研究者の文章の大鳥像があまりにかけ離れ、何が正しいのかと南柯紀行をとりあえず読んだのが、明治を知るきっかけでした。昨日「なぜハマッたのか」と聞いて下さった方がいたので、初心に戻ってみた。 at 08/06 02:10


irisiomaru モラルは、特に社会の中層〜下層がどれだけ安定して豊かか、によるかと思います。日本の貧富の差が広がったとは言われますが、他国と比すると広がった内に入らないですね。これからが踏ん張り所ですが。@tukaohtsu 貧すれば鈍する」の正反対に、経済的に余裕があるから他人に親切に出来る at 08/06 02:26


irisiomaru GISデータ。ケニアと隣国の国境がソースごとに違いどれが正しいのかわからん。基にした地図の測量が違うからだろう。国境に実際に行っても、柵があるわけで無い、だだっ広い平野。誰もどこが国境か知らない。この国境の違い、尖閣が一体何十個入るのかという規模だが。大らかというかなんと言うか。 at 08/06 22:51


irisiomaru これは行って漁りたい。自分の直感やセンス試しになりそう。RT @sato_atsushi これはリアル本屋でしかできない。凄い。本の持つ潜在力を信じて、書店員の相当な選書能力がなければできない。/本の闇鍋状態…!紀伊國屋の思い切ったフェアhttp://t.co/M7IA5sy1 at 08/07 00:05


irisiomaru ケニア。コーヒーの産地だが高い。コーヒー豆は基本輸出に回され、皆インスタントのネスカフェを飲んでいる。コーヒー好きは日本のコーヒーのほうが上手いという。ロースト、グラインドの技術が良いから。ガーナにチョコレートを持っていくと喜ばれるというが、それと同じ。結局、加工技術があるか。 at 08/07 11:24
irisiomaru ショッピングセンターSCに挽いたコーヒーが売られているが。フィルターも漏斗もない。先日、中国人ツアー観光客が大挙してコーヒーに群がりみやげ物として大量購入していた。中国の経済力を実感すると共に。日本人もかつてああ見られていたのかと思うことは、良いのやら寂しいのやらで複雑。 at 08/07 11:32


irisiomaru 植民地列強の政府収入における関税の大きさに驚いた。井上清 「条約改正」によると、明治前期、関税/歳入=英22%、独56%、米54%、日本3〜4%…。これ見ると不平等条約の安政5%付帯条項がいかに悪逆で相手国経済を踏みにじるものだったか実感。よく明治経済はこの中から這い上がった。 at 08/07 12:01
irisiomaru つまり、日本は列強の都合で輸入製品の関税を5%以上掛けられない。一方日本の輸出製品は相手は関税掛け放題だからいくらでもブロックされうる。列強はこの関税で政府収入の半分以上賄っていた。日本は関税収入の機会を損失=その分税負担増、超不利な国際競争を強いられ生き抜いた。明治凄い。 at 08/07 12:08
irisiomaru しかも嫌らしいのは、日本に課された5%関税制限が「付帯」条項だったこと。つまりAppendix。アタッチメント。おまけ。大体こういうのは本文読んで理解するのに力尽きて、調印辞におまけまで細部は見ない。そこにこんなトロイの木馬を潜ませ、後から遵守を強要するなど、悪辣すぎるわ。 at 08/07 12:13
irisiomaru ナイロビも、百年以上前に英が作った都市計画道路のロータリーが今大渋滞を引き起こしてるし。間接統治に用いたインド人の末裔が経済を握り多くのケニア人は被雇用者に甘んじ、自国製品と呼べる製品も乏しいし。本当に列強はロクなことをやらん。その中でケニアも良くやっていると感じますが。 at 08/07 12:29
irisiomaru 既得権益を覆すのが如何に至難か。結局日清日露を必要とした。青木、寺島、吉田、井上、陸奥、榎本、大隈、小村以下、関わった方全てに拍手です。 @itaru_ohyama 『日米通商航海条約』をもって関税自主権を回復したのは明治44年。明治時代の全期間、不利な国際競争を強いられた。 at 08/07 12:39
irisiomaru その日本の経験が、現在の途上国開発にどう生かされるかと、援助機関の方からお尋ねいただいたが。すみません、結論から、無理だと思います、と答えてしまった。無償低金利融資援助漬けの今と、列強の脅威に脅かされる当時とは、あまりに状況も人間の危機感も違う、別世界だし。 at 08/07 12:45
irisiomaru 「UXOと軍事力」http://t.co/E34uH4sC で述べたのですが。戦争は国の技術力、人材を底上げする。内戦は駄目ですが。技術立国日本は、日清日露太平洋時に培われたものに支えられたのも事実。決して用いてはならない手段ですが。あの気概をいかに民間競争に持っていくかですか。 at 08/07 12:52
irisiomaru ケニアは電線が木柱で6,7年毎に交換必要で、大鳥・宇都の「木材防腐の説」の防腐剤は役立ちそうだとか。田辺の琵琶湖疏水のトンネル工事手法とか。明治期のローテクが個別案件で途上国に役立つのはあるかも。日本の凄いのは明治の技術書が近デジや戦前土木百選で誰もに参照できる形になっている事。 at 08/07 13:02
irisiomaru 途上国僻地は電源も道路もないから、運搬、動力をどうするか、日本の先人が知恵振り絞り工夫重ねた明治大正戦前技術の生かし所は多い。そういう近代ローテク技術発掘調査などの案件いかがですか、JICAさん。 at 08/07 13:11


irisiomaru >RT、多言語できるより、専門性や技術力を身に付けた人のほうがよほど社会に役立つ。これ真理。通訳は特に途上国にはいくらでもいるが、専門技術取得者は限られ後々も崇められる。他にない技能で地域産業に貢献する方は貴重。 at 08/07 17:56
irisiomaru 日本人が英語できないのは、列強に膝を屈さず植民地化を拒絶したから。大学高等教育まで日本語で受けられ、ツイッター言語二位が日本語であることは誇り。なお、アフリカ唯一独立貫いたエチオピアも英語不得意のようだ。 at 08/07 18:10
irisiomaru 避暑地といいますか、この時期寒いです。赤道直下なのに。余談ながら、サファリは野生動物見物娯楽だけではなく、普通の地方出張にも用いられます(発音はサフィリ)。 @cogacchi サファリという娯楽もなかなか。ケニアはイギリスの避暑地でしたし at 08/07 18:11
irisiomaru 日本人は観光客以外は評判が良いのですが。一応。手前も日本人は違うと思われたいものです。中国人も、過去の自分達を振り返って眉をひそめる世代が現れることを祈ります。 @ak_hr 昔の日本人に眉をひそめた人々にも同じ頃があったのかしらとか。 at 08/07 18:12
irisiomaru ぜひ情緒と感性豊かな日本語で、そんな風に怒らせて悪かったねと捨松さんの話を聞いて差し上げてください。共感を示せば女性は落ち着くかと存じます。@iwao_ohyama おいも仏語は少々出来申すが、怒った妻に英語でまくしたてられるといけもはん。 at 08/08 01:06


irisiomaru 旧JBICは銀行なので確かにお金を動かすのが仕事ですが。JICAは開発調査やFS調査で終わるものも多く、近年プロジェクト研究という後続の為の調査案件も多数出ています。調達情報をウォッチされてはいかがでしょう。@katoA71 だってJさんの仕事はお金を動かすことだから・・・ at 08/08 01:11
irisiomaru 日本から離れれば日本の時事のリアリティが薄れるのは自然かと存じます。一方、貴方の会うその国の人々にとって、これまで培ってきた貴方の姿こそが「日本人」です。そこを意識していれば、大丈夫だと思います。@nakagawah2 日本人として自分を残念に思ったのは、8月6日を無意識に at 08/08 15:30
irisiomaru 昔の現場はもちろんネットもなく、国際電話は高価。一文字当たり課金のテレックスをいかに文字詰めて送るかが課題「図面至急送レ(英語)」とか。珠に出入りする日本人が持ちこむ新聞や雑誌が何よりの娯楽だった。故郷とは遠きにありて思うもの。それでもその世代の方々は皆、この上なく日本人です。 at 08/08 15:36



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2012年08月27日

Twitter 120810-120824




irisiomaru ケニア海の入り口、モンバサです。1500m下ってきて、空気が濃い。久しぶりの海風。ザンジバルや中東と海で繋がるせいかモスリムが多い。海リゾートを楽しむ欧米人と、コンテナを荷揚げしてトラックで長距離輸送するケニア人の対比が何ともいえない。 at 08/10 02:35
irisiomaru モンバサ、キリフィなどケニア海岸線移動中。携帯の通信が発達して、携帯SIMカードを用いたモデムにより車中インターネットができる。Mpesaエムペサという携帯送金システムがあり、旅先で金が尽きたら携帯にバーチャルマネーを送ってもらえる。この通信インフラ進み具合。必要が技術を育てる。 at 08/10 18:34
irisiomaru 新鮮と感じられるのかと新鮮w ブータンなどからも標高を下ると、空気濃いなあと感じます。海岸沿いは低地の他、湿気が多く空気が重いのもかなりあると思います。@matsukar 高地から下りてくると「空気が濃い」のか。そうか……いや、理屈としてはわかるんだけれど、新鮮な言い回しだ(笑) at 08/10 18:44


irisiomaru こみけとは遠きにありて思ふもの。そして楽しくつどふもの。よもやうらぶれ異国の社奴となる身には。往く処にはあるまじや。ひとりけにあのゆふぐれに 湾岸おもひ涙ぐむ。その心もて、遠きないろびかへらばや。 訳:湾岸の皆様、熱中症にお気をつけて、お楽しみください。楽しい2日間を。 at 08/11 11:59


irisiomaru 廃炉コスト1箇所数兆円。代替化石燃料輸入に3兆円/年。エネルギー高騰。財源は借金。会社は国外へ。富の流出。貿易赤字、国債更に濫発。日本の国力が衰える近い未来。10年後、失業率増、貧困象、犯罪増、お先真っ暗を政府に責任転嫁する方々は、かつて脱原発を唱えていた…という像が浮かぶ。 at 08/11 12:34


irisiomaru 測候所の観測員とか、乗鞍スカイラインの職員さんとか、発電所・ダムのオペレータの方とか、山小屋の管理人さんとか、色々いるじゃないかー。@matsukar 日本だけで暮らしてると、アスリートかアルピニストじゃない限り、薄い空気を日常的に呼吸することはないからねー。 at 08/12 02:38
irisiomaru 故郷とは、遠くで思うから良いものと思うもので、うらぶれ都落ちしても穀潰し扱いの厄介者になるだけ。近寄るものではない。そんな室生氏の切なさに比べれば…と思います。なお、下手に出世すれば一族郎党で金を集られやはり近寄るものではないというご時勢。@ktosawa これは切ない室生犀星 at 08/12 02:44


irisiomaru ナイロビで出世すると、やれ入学金、結婚費用、葬式代、医療費、土地を買う、家購入、バイク購入…と、親戚や出身村の人々が集ってくるそうな。地方と首都の格差はさもありなん。アジアも昔の日本も(一部今もか)そういう節はあるが。相互扶助と考えれば良いものだろうが。本人たまったものではない。 at 08/12 02:56


irisiomaru 自分を褒めたり功績を誇張したりする人は、虚栄心は大きいが、実は自分を誇りに思えず満たされていない。謙虚で、自分の話はあまりしない聞き上手の人ほど、アイデンティティが強く、自分の柱と誇る何かを持っている。 at 08/12 17:29
irisiomaru 人の根拠のない悪口は自己紹介というが。(例:「どうせあの人浮気しているんでしょ」=浮気しているのはその当人) 人をうまく褒める人も、その褒め口は自分の自己紹介だったりする。 at 08/12 17:31
irisiomaru 自分の話をするのは簡単だが。会話は、相手の関心を汲み取り、その対象の話がいかにできるか。よって、関心の対象が同じ者同士は良い友人になる。残念ながら、アイドルや著名人でない限り、本質的に自分自身は相手の関心の対象、ではないため、際限ない自分語りは大抵鬱陶しがられる。 at 08/12 17:52


irisiomaru 東洋学芸雑誌八十巻大鳥圭介「斯る卑猥の徒に遇はば、一刀を以て醜類を屠殺し国の為に身を損て仁を成すの挙にでしやも計るべからず」 ええ!?と思ったが、斬る対象が不正選挙の議員と「鑛業電信鉄道工事請に及び請負人と相馴れ私利を営む技術家」だった。納得した。 at 08/14 00:40
irisiomaru これ、ゼネコンと発注者の談合を戒める技術者倫理の提唱として先駆け的な公演ではないか。他もないか調べてみようっと。…それにしても、大鳥が刀振りかざしても…いや本人はそれを承知で敢えて可笑し味を加えていたのだ、と思う。多分。 at 08/14 00:47
irisiomaru 大鳥は、英ゴルドン "Those who would command others must be capable of commanding themselves" の語を引用し、他人に忠孝信義を要求する者はまず自分自身の心を取り締まれ、とも。耳痛い人は古今多くいそう。 at 08/14 01:01


irisiomaru 同僚の熱心なクリスチャンに洗礼を勧められた。「私はジャパニズムだ。12/25にキリストの誕生日を祝い、12/31は百八の欲望消す鐘を聞く仏教徒、翌朝は太陽を拝むアミニスト、昼は儒教のお年玉を実践。後はご先祖と八百万のご神体を崇める。一つの宗教を選ぶの無理」と言ったら納得された。 at 08/14 13:24
irisiomaru まっちゃん、あんたぁ、いいお人だなァ・・・。@matsukar at 08/14 13:28
irisiomaru 子は親の背中を見る。親として何より望ましい心がけだと思います。言行不一致は何より避けたいことですね。人に締め切りを守れといっておきながら、自分が守らないとか。ええ。@irisiomaru  子育てに置き換えると「子供にルールを守らせたかったら、まず自分が実践してみせよう」 at 08/14 13:36


irisiomaru 日→韓ODAリスト http://t.co/TUhtV7lD には、社の先輩方が心血注ぎ設計施工監理したインフラ事業が沢山。日本の金で日本の技術者が韓国インフラを作り、韓国技師を育て、その技師が今、省や公社の上級管理者に。先輩方は皆、相手への技術移転の為取得した韓国語を今も話す。 at 08/15 02:33
irisiomaru 韓国技術者の方は、当時尽くされた先輩方を先生と呼んで感謝して下さり、今も難しいダム設計には助っ人として先輩方が呼ばれ尊敬を受ける。それだけを見ると儒教の礼の国だと感じる。しかし現場レベルで心が通じても、トップがあれでは、これまで構築された信頼の歴史も台無しになる。 at 08/15 02:54


irisiomaru 終戦の日にまた読みたい文章。 http://t.co/u9d4dGmw 「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」 の和歌に涙流れた。 at 08/16 02:00


irisiomaru 東京学士会院報告大鳥圭介「士族」。士族への要求が凄い。武士は武事は勿論、文事に通じ、忠孝の大儀を有し、名節を重んじ徳義清廉で民の模範で、地方山野開拓、土木事業興し河川堤防築き、農工商業を奨励する。農商の経営強化、産業繁殖、売買利便の為に、武門はこれを保護するものと。武士って大変。 at 08/16 02:21


irisiomaru ケニア電源。統計より2011年設備容量1534MW中、水力48%、火力38%、地熱12%。同年発電量7560GWh中、水力43%、火力37%、地熱19%。地熱が健闘。伸び2009-10が7.2%増、2010-11が8.4%増。この電力需要の伸びを如何に今後カバーするか。 at 08/17 00:36
irisiomaru なお、水力は設備容量同じでも、2009年2160GMh、2011年3217GWhと、発電量の変動が大きい。2009年の旱魃の影響が如実。アフリカの水はこれが怖い。 at 08/17 00:37


irisiomaru @ktosawa お互いが強烈な片思いし合っていて、ベクトルは大きくても方向が合っていない感じの相聞歌です…(涙)。 at 08/17 00:43
irisiomaru 「原文ママ」の表記法は、"〔ママ〕" が最も厳密で読み手に誤解を与えない表示。縦書きの場合、右横に。横書きの場合ルビで上に。(Wordで縦書きで下付きにすると左下に来るが、どうすればいいかしら) 英文では"(sic)" または "[sic]" 。 at 08/17 01:51


irisiomaru 中国に領土を狙われているのは日本だけではない。日本と同様の問題を抱えるベトナム、中国の海洋覇権拡大を阻止したいマレーシア。http://t.co/iSzdnBHA国際司法で理論武装するのに、目的を共有する相手と情報交換は有効。 at 08/17 22:50
irisiomaru JICAと海上保安庁の東南アジア対策 http://t.co/VSQeOPn3 こういう取り組みはもっと知られ、評価されると良いと思います。 非常に役立てられているはず。@yamakasi1102 インドネシアで平和の海がうんたら言って外相に心配された元総理 at 08/17 23:01


irisiomaru 荷物検査の際、後ろの人が割り込み自分の鞄を前に置き、勝手に私の物をコンベアに流れない後ろに回した。相手に抗議した。日本人観光客だった。謝罪も無し。道中この調子か。日本人も色々いる。観光客も自分の行動が日本人の印象を決めることは心得えてほしい。真面目に働いている日本人が被害を蒙る。 at 08/18 06:34
irisiomaru 観光地でみやげ物やブランド品を買い漁るお株は、すっかり中国人に奪われた感もあるが。GW、盆正月はそれでも日本人観光客がどこも目立つ。非日常に浮かれる気分もわかるが。日本人は違う、と思ってもらえる節度と謙虚さこそ有れかしと思う。 at 08/18 06:43


irisiomaru 我、関西国際空港二降機セリ 天候明朗ナレドモ波高シ 明日大阪国際経済振興センター二赴ク 近江屋殿二侍ルナリ 戦利之大ナルヲ確信ス at 08/18 20:07
irisiomaru 国会図書館。雑誌目次全データ化し検索可として下さってた。交詢雑誌の大量寄稿の他、「教師之友」「頴才新誌」「教育広報」「文壇」「東京茗渓会雑誌」「播磨の友」「青山評論」「少年世界」「今世世界」「奉公」「書道」「実業世界」他、未見の大鳥圭介論考がザクザク出た。土曜日国会図書館に篭る。 at 08/22 13:02
irisiomaru ありがとうございますー。何食べてもおいしいです。空気良く暑さも気持ちいい。今回は1ヶ月もいられるので、幸せです!@ktosawa at 08/22 22:06


irisiomaru 大鳥資料を大量所蔵する学習院が、遂にやる気を出して下さった。学習院大学史料館紀要 2012-03「大鳥圭介関係史料について」「大鳥圭介書翰 その一 」「大鳥圭介『南柯紀行』(一)」現金書留送付→着払い発送してくれる。 http://t.co/v4WTGwSZ at 08/22 22:10
irisiomaru 明日土曜日、明治雑誌を漁りに、朝から国会図書館に浸ります。真理による自由を満喫してきます。もし同日行かれる方おられましたら、お声掛け下さい。 at 08/24 12:47



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2012年08月28日

学習院大学史料館紀要 南柯紀行序文



学習院大学史学館紀要第十八号、2012年3月(以下、紀要)に、「特集 幕臣・大名家臣に関する基礎研究」ということで、以下の記事が掲載されています。

・「大鳥圭介関係史料について」
・「大鳥圭介書翰その一」
・「大鳥圭介 『南柯紀行』(一)」
・「旧幕臣男爵の授爵について― 宮内公文書館『授爵録』の分析を通じて」
・「川路聖謨『五月雨のかヽみ』復刻 ―附 解説」

上は、大鳥圭介だけではなく、旧幕臣史料としても利活用性が非常に高いです。
授爵録は、前島密や池田謙斎松本順などの旧幕臣の授爵につき、その理由を一次史料と共に分析しています。旧幕臣系列という派閥の色の薄まりと、国家に勲功のある者を国家功労者として授爵し、より多くの次世代の人々へ目標を示し、有能な人材発掘を図る国家の方向性を見出しています。

川路聖謨は代官所手代の子から普請奉行、勘定奉行海防掛など要職を歴任、慶応4年3月15日の官軍江戸接取直前に短銃で自殺した、徳川官僚です。この方の孫の寛堂は圭介と共に暹羅へ赴いています。その川路の天保十五年の本丸御殿の火災の実情を記した生々しい記録です。

他にも、「史料紹介 学習院神田錦町時代の消失教材」は、神田錦にあった学習院校舎の火災の際、書籍教材の消失について記しています。一方失われた教材の補充や、旧工部大学校校舎への学習院の移転について、大鳥圭介の尽力が記されています。工部大学校が東京大学工科大学に合併した後、旧工部大学校の博物場の美術用品、物理化学など実験道具など工科大学から譲渡されました。「大鳥院長の尽力により学習院は、工部大学校という明治政府のお雇い外国人教師たちが教鞭をふるった、謂わば当該期における最先端の大学で使用していた教材や備品類を手に入れることができた」と記されています。


さて、今回まず触れたいのは、「大鳥圭介 『南柯紀行』(一)」です。

南柯紀行は、いくつかの写本、異本があります。以下、原文に近く信頼が置けると思われる順番に、並べます。

(1) 山崎版:山崎有信編「大鳥圭介南柯紀行」。 「大鳥圭介伝」著者の山崎氏が、大鳥遺族から原本を借り受けて写本し出版した。山崎氏により、明らかな誤り部分についての日付修正や、山崎氏調査における注釈が入っている。昭和16年、平凡社出版。入手難。たまに貴重な古本が出回っている。

(2) 旧幕府・同方会誌版: 明治5年に大鳥が洋行した際、荷物の中に南柯紀行を持っていた。これを本多晋が大鳥に頼み写させてもらい、この本多の写本を丸毛利恒がさらに写した。この「写本の写本」を原本として、明治30〜31年にかけて「旧幕府」に、獄中日記部分は「同方会報告」に掲載された。同方会版は丸毛が細かい注釈を付けている。明治30年(1)と若干の相違・異字があるが、大筋は問題無い。双方、マツノ書店が復刻している。

(3) 新人物往来社版南柯紀行:(2)を1冊にまとめて復刻したもの。青空の表紙。Amazonなど入手可能で、現在最も手に入りやすい。

(4) 幕末実戦史: 明治44年に中田蕭村が、衝鋒隊戦史と併せて上梓した改悪版。誤字、誤謬、脱落が甚だしく、詩歌に至っては原型をとどめてないものが数多い。大鳥の遺族が出版社に談判して、初版限りで絶版にさせたといういわく付のもの。「かくのごときは実に故人に対し敬意を失するものと云ふべし、故人の迷惑察するに余りあり」と山崎氏が怒りを述べた。しかし、新人物往来社が1981年に復刻してしまった。当時の担当は何を考えてそんな問題版を復刻したのか不思議だ。「幕末実戦史」という無粋な名も、中田が勝手に名付けたもので、大鳥の命名には寄らない。「南柯紀行」とは全くの別物と見るべき。特別な目的でも無い限り、手に取るものではない。

他、大鳥の南柯紀行、獄中日記は、様々な雑誌に抜粋・掲載されてきました。
さて、学習院大学資料館紀要では、史料館に所蔵されている大鳥圭介関係史料に含まれた「南柯紀行」の全文を翻刻しています。

最初は、今ここで学習院大学が新たに南柯紀行を活字化しても、真新しいことはほとんど無いのではないかと思ったのですが。


南柯紀行に、序文がありました。

公にされたのは、この紀要が初かと思います。
山崎版にも、旧幕府版にも、まして幕末実戦史にもない。今回の紀要の学習院所蔵版で初めて目にしました。

この序文が、素晴らしい。
大鳥圭介という人間の真髄が炸裂していました。

通常それだけを読んでも、ふーん、の一言で終わる文なのですが。南柯紀行本文を読みこむほどに、突っ込み所が雪崩れ落ちてきます。横隔膜が破れるかと思うほど笑いました。これこそが大鳥圭介だ、と悶えました。

何より素晴らしいことに、紀要はこの序文の大鳥生字の写真を掲載してくださっています。
気合の入った、大鳥の楷書です。よく見る書簡の、明治研究者が頭を抱えるフリーダムでカオスな字ではありません。数多くの論考の原稿原本と同じ、読みやすい几帳面な筆跡です。変体仮名交じりで優美ながら、同時に実直な性格も滲み出ている字です。
これはぜひ、紀要そのものを学習院史料館からご購入の上、ご確認いただければと思います。

さらに、本文は上でご紹介した山崎有信編「大鳥圭介南柯紀行」「旧幕府」を紐解き、その異動を細部に渡って示しています。写本によってどのような違いが生じるのかまで、一字一句明らかにしてくださっています。この細かく、丁寧な、根気の要る作業には、頭が下がります。


以下、序文を書きだしますが。南柯紀行を未読の方は、本文を読みこまれてから序文を読まれる事をお勧めします。その方が、万倍楽しめます。

紀要は、漢字、仮名字体、当て字、脱字も可能な限り原文でかき起こして下さっています。また、訂正、加筆、二行割書きなども記号を用いて、原文を損ねないよう最大の配慮をしてくださっています。
一方、変体仮名の元の漢字は、古文に慣れていない自分が読みにくいので、勝手ながらひらがなに直させていただきました。原文が気になる方は、紀要のほうでご確認ください。


南柯紀行序

戊辰の初夏、墨田の櫻既に散れり頃、衣を拂ふて東の都を出て、黒髪山の麓に
いたりて、緑樹の陰に暑気を避け、常盤なる若松の下に、磐梯山の黄葉
を詠し、阿武隈川に棹して、塩竃の煙、松島の月越翫び、金華山廻
下に船を艤して、蝦夷の島に渡て、高山の雪にがし深谷の水を践み、
春に移りては亀田の柳、箱館山の花を弄し、終に又其仲夏に至り、緑もし
げき青森の港に船寄せて、津軽廻小冨士を望み、秋田の邉を回りて、緑な
る秧の中を過ぎ、鳥海山・湯殿山等を右の方に見渡して、福島に出て、東
京に帰へり、獄中に繋れし満傳の事、流離顛沛の迹を遺漏するとこ
ろなく、書綴りて三巻となしぬ、

近来世に公に人の著せる戦記を見るに、戦勝てるときは漫に誇張して、
寸をも尺に伸して録し、敗れしときは其進退を秘し、文を略し、迹を曖昧に
なし、敵の死傷は員を増して主張し、己が死傷は隠蔽して其実を露
さず、是れ尋常の常態なりといへども、後世をして実蹟に惑はし玉ふ大患
なり。

此篇の体裁、千山萬水自ら目撃するところの真景実情を旨とし、将士兵卒
の屡遭遇するア嶇艱難の趣を詳に寫し、笑うべき耻ずべき事をも修飾なく、其儘と
拾ひあつめ、事跡或いは忌憚に触るヽと雖、絶て斟酌せず記し載せたり。看
官冀くば、事の確実な流をとりて、文の俚雑なるを笑ふことなかれ

己巳十月 痩梅逸人識



黒髪山:日光、男体山
翫び:あそび、もてあそび
流離顛沛:りゅうりてんぱい。顛沛はつまづき、倒れる、挫折すること
迹: あと
屡: しばしば
ア嶇: きく。険しい山道
耻:はじ
冀くば:こいねがわくば
俚雑:りざつ。俗っぽく雑なこと


「痩梅逸人」は無論、大鳥本人のこと。
獄中の漢詩で「欲見瓶花時秉燭 驚吾孤影痩於梅」と、蝋燭の瓶を手に取ったら、自分の影が瘦せた梅のように見えて驚いた、と詠んでいます。ここから来たのでしょう。幕臣時代に大鳥の拝領した屋敷があったのが「駿河台紅梅町」だったことも何か関係あるかもしれない。
ただ、「痩梅逸人」を名乗ったのは他では見たことはありません。

己巳十月は、戊辰の翌年、すなわち明治二年のことでしょう。明治二年六月に獄に入れられ、四ヶ月を経た十月に、この序文が書かれたものと思われます。

そして、本文。以下、「 」内は意訳です。

まず、最初の七行。
流麗な、旅情あふれる文です。どこのボンボン貴族の旅行だ、という感じです。これだけを読めば、綺麗な文ですね、で終わる。
しかし、南柯紀行本体の、あの悲壮さ、悲惨さとの対比がすさまじい。

「墨田の桜散る頃」
それ、間違いではないですが。実際は土砂降りの泥濘の中、ずぶ濡れの深夜の脱走だったではないですか。お雛様片付けるを嫌がった長女はじめ、家族と離れて流浪の反乱軍に身をやつす、沈欝な想いがあったではないですか。

「日光黒髪山に来たら緑樹の間に影に暑さを避けて」
日光で避暑か。 宇都宮でボロボロになった敗残兵まとめ上げて、死生を共にしようとも期した柿沢勇記と死に分かれて、脱走兵続出で、徳川菩提寺の日光を心の拠り所にしてやっとたどり着いたのに、日光僧から食糧無いから出ていけと言われ。にっちもさっちも行かず、徳川の天兵から会津の傭兵になってでも戦い続ける悲壮な決意で、餓鬼道の六方沢に向かったことが、避暑、ですか。

「常緑の若松、紅葉の磐梯山」
二度も子飼いの伝習兵を会津に置き去りにされて兵の過半を失い、会津仙台二本松は頼むに足らないと慙愧し生き残った兵の手を取って男泣きに泣いて、山中筵をかぶって流離い川に滑り落ち足をくじき、1日数十km道なき道を藪こぎし、死んだと兵に思われていて生きていたのが夢の心地と言われてまた泣いて、味方だった藩の変心で裏切られ、泥沼の中食糧なく弾薬なく、際限の無いゲリラ戦に身を費やした。それが貴方のもみじ狩りですか。

「高山の雪、深谷の水を踏み」
冬の道南、おとなしく五稜郭居ればいいものを、雪中踏査。馬も氷を踏み抜いて動けなくなり、フランス人は凍傷で動けなくなる1-2月の北海道を歩き抜き。敵が上陸したら、陸兵と艦砲射撃の三面攻撃喰らい天が落ちる屍山血河の戦闘を、自刃する兵を引き剥がす想いで戦場から離脱させ生き残らせたのは、どんなハイキングだ。

「春になったら亀田の柳、箱館山の花を愛で」
連日の夜襲夜戦、決戦日は弾丸がほっぺた掠って耳が痺れ陣羽織を撃ち抜かれても、自分の身に怪我なしという悪運。兵が身を呈して庇ってくれ後ろに下がれと怒られる傍、隣の春日隊長が撃ち抜かれ戦死、右腕の大川の馬も撃たれて死ぬ。疲弊し果てて押し入れの中で隠れて寝入っていたのを、降伏議論の為に士官に見つけられ起こされた。首領は自害未遂。それを貴方は、春の花見と云いますか。

「初夏、緑で青々した青森の港に船寄せて、津軽の岩木山を望んで…」
流落日記にある経路そのままですが。降伏後、死にはしないと部下には強がる陰で、「この身を殺す」と漢詩に詠んで死を覚悟し、いつ首を斬られるか分からない生と死の狭間、血も枯れる想いで、牢獄と処刑場に向けて護送されてた道中文が、これですか。


……と。最初の七行に突っ込むのに、いくら時間があっても足らない。

かと思ったら、「流離顛沛」。流離いの果てに躓き倒れ挫折。一言で南柯紀行の内容を表しおった。


そして、次。
ここに、大鳥が南柯紀行を記した理由が込められています。南柯紀行はこの大鳥の想いを具現したものであることが、明らかです。

人の書いた戦記は、勝った時は誇張して小さいことも大きく述べ、負けた時は詳細を書かず略して曖昧にし、敵の死傷者は水増しし、味方の死者は隠ぺいする。これが普通なのだが、後世の人間が実際のところを知るのに大きな邪魔になる。であるので、自分は長い行程の中で目にしたそのままのこと、経験した実情を飾らずに述べ、特に兵士の遭遇した苦難については詳細に記した、という。

ここで「笑うべき事、恥じるべき事も飾らなかった」確かに飾ってはいない。しかし。飾らなさすぎだ。敵はまだ来ないと思っていたら大砲の音劈いてきて大びっくりとか。味方かと思って近寄ったら、これが敵で撃ちかけられて逃げまどっちゃったよとか。
貴方自分をピエロにして、別の方向に組み立てて読者を笑わせようとしているでしょう、明らかに。

「嫌がられることもあえて汲み取らず手加減せずに書いた」
その結果がサナダムシですか。会津で遊びたかったという本音ですか。好き好んで自分を貶めて悲壮な中に笑いを取ってどうするんですか。笑わなければやってられないというのも分かりますが。人間、余りに苛酷なストレスに晒されると、自己防衛機能が働いて脳内麻薬が出て、何故か全てをかなぐり捨てて本当に笑ってしまう、そんな境地だったではないですか。

「文が俗っぽくて雑なのは笑わないでね」
このシメに一番笑いました。人の腹筋をどこまで崩壊させたら気がすむのですか。
南柯紀行は、雑な文どころか、至高の文学だと思います。笑うところは、文が雑なのではなく、全てを正直以上に記した貴方の感性です。関西人的自虐諧謔で笑いを取ることを、計算して、あるいは本能で書いている、この序文はもう、反則です。

…と。息切れするほど突っ込みたい。全く困った人です。

余りに突っ込みどころが多すぎて、南柯紀行のタイトルが「大義日記」だったという衝撃の事実に触れるまで、手が回りませんでした。「大義」は、やっかいだ、骨が折れる、という意味のほうの「大儀」だったとしても、驚きません。

南柯紀行のほか、大鳥の史料紹介、書簡についての寄稿も必見です。学習院大学史料館紀要第十八号、お手元にあって損は無いと思います。数々の史料を丹念に整理され、読み解かれた学習院の関係者の方々に敬服です。

ただ、基本文献を先に読まれてからのほうが、理解はずっと進み得るものも多いかと思います。まずは、「けいすけじゃ」「大鳥圭介伝」「われ徒死せず」「南柯紀行」の順に読み、それから各記事に当たられれば、紀要の論文の価値もぐっと増して感じられるのではないかと思います。

posted by 入潮 at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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