2012年12月08日

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irisiomaru 群馬県史料集に収録されていた小栗日記が、群馬県文化振興会から再刊された由。2500円。基礎資料の再販は嬉しい。あと、BS-TBS『ライバルたちの光芒』 勝海舟〈作家・童門冬二氏〉 vs 小栗上野介〈東善寺住職・村上泰賢氏〉: 村上氏は語りは聞きたい。 at 11/24 12:51

irisiomaru @itaru_ohyama @tukaohtsu 此方為通信線劣悪 後方撤退ス 誠二恐縮乍前線勝利ヲ月之輪熊殿二請願奉候 貴台方之御尽力御高配真ニ有難シ 深謝申上奉候 at 11/25 01:08

irisiomaru フランス書院って凄い社名だなあ。フランスはあんな出版物ばかりかというイメージを与える。例えば欧米のJapan Archiveという名の会社が、その国の美少女エロアニメ・漫画専用出版社で、日本の書物はエロ漫画ばかりという認識を与えかねないのと同じ。…この例だと強ち間違ってはないか。 at 11/25 02:15

irisiomaru アニメはAnimationからの和製略語だが、逆に今はAnimeが和製アニメを示す国際語だ。MangaからEroge まで今や国際語として浸透。そしてそれらエロを包括する語がHentaiである。語源はともかく、Hentai=日本R18作品と言う意。世界に誇る我国のクリエーターよ。 at 11/25 02:17

irisiomaru RT、東京駅1914年造、設計者の辰野金吾。1854年生。唐津出身で高橋是清門下。工部大学校卒(入学時再試で10番目ギリギリの補欠合格、卒業時造家科(建築科)主席)。ロンドン大UCL留学。手がけた建築は200以上。日銀本館建設の際、かつての師高橋是清が社員になり立場逆転してた。 at 11/25 17:04

irisiomaru 辰野金吾。抜群の秀才タイプではなかったが、「辰野堅固」と呼ばれたほど並外れた強い意志、謹厳実直な性格。絵に弟子からは「おやじ」と親愛の情を込めて呼ばれてきた。相撲が強く、刀剣収集が趣味だった。絵に描いたような明治の気骨人間。現代日本の基礎インフラを構築した一人。 at 11/25 17:07

irisiomaru @tukaohtsu @itaru_ohyama 作戦時のコードネームであると理解しております。<ツキノワグマ あらゆる知識を吸い込むということで良いニックネームかと。<アリジゴク at 11/25 18:26

irisiomaru 祈るぐらいなら補給くれと、正直思いますな。
これが前線兵士の気持ちか。 at 11/25 22:13

irisiomaru 原史料に触れる者には、二つの責任が発生する。守る責任と生かす責任。前者は読む事によりその資料を今の状態より悪くしない責任。後者は、分析、考察、評価を行いその史料の価値を世に明らかにする責任。初めて史料に触れた際に史家の方にご教示頂いた。史料はアクセサリーでもインテリアでもない。 at 11/26 00:20

irisiomaru この言葉を頂いた時、史料は私情ではなく公益を意識して読む必要があると感じた。読み解いた結果と発見を、いかにニッチでも何かしら誰かしらの役に立つ形にする。すると還元されるものがある。役に立てられれば、更に大きな価値をまとう可能性がある。その可能性を殺さない責任がある。 at 11/26 00:41

irisiomaru @beads_amuse 嗚呼、皆様が東京駅を絶賛されるのをただ遠い地より伝え聞くのみの、この身がもどかしい! 帰国したらいの一番に見に参じたいです。 at 11/26 00:42

irisiomaru 完全赤字なのに消費者が電気料金値上反対、政府からも抑えられ値上げできず、維持費も不足で、新規発電所建設も出来ず。結果、乾期は1日20時間停電のネパール。これを日本の姿にしたいのか。関電電気料金値上への罵声を見ると、消費者の独善が、自分たちが依存しているインフラを瓦解させると思う。 at 11/27 00:05

irisiomaru 悪役「ムスカ大佐」からランドセル 徳島の児童施設に。http://t.co/T5SlMar0
ムスカ大佐からの贈り物が、ナウシカである件。 at 11/27 00:05

irisiomaru 行動しない善意の人より、行動する偽善者のほうが良い。 at 11/27 03:21

irisiomaru RT。函館から東京への護送中。熊本藩士唐杉が津軽で彼らに合作で作品を作ってくれと頼んだ。「五傑合幅」として、榎本が「物換星移」の題字、永井が竹、松平が蘭、荒井は2首の和歌、圭介が「自疑身世忽瓢零〜」の七絶を認めた、とのこと。敵側の藩士にも、人気が高かったようであります。 at 11/27 13:40

irisiomaru 熊本藩と言えば、伝習隊の浅田惟季が謹慎していたが。何か伝か関係があったのだろうか。高松凌雲の徳島藩謹慎とか。割り振りの基準が結構謎。 at 11/27 13:41

irisiomaru 熊本メモ:熊本藩木村鉄太の万延元年遣米使節記録「航米記」熊本日日新聞社から平成17年に出版されている。 at 11/27 13:42

irisiomaru >RT。これはまた詳細な。御入力お疲れ様です。著者は南柯紀行、大鳥圭介傳、死生の境を相当読み込まれた模様。敗北記録。一応勝った事も多々あるのだが。本人が敗北を強調した南柯紀行ベースの記述だから仕方ない。敗北者として言い訳一切しない損な歴史の残り方を大鳥本人が選んだ顕れか。 at 12/01 15:32

irisiomaru 当時の大鳥圭介官軍評価や新聞表現や部下の言を、負け・戦下手認識の反証として事ある毎に挙げてはみているが。それも本人の意には反しているのだろうと思うと、複雑だ。 at 12/01 15:38

irisiomaru 12月。今年は22、23、24日が連休。一方、1854(安政元)年の新暦換算、12月23日安政東海地震M8.4、死者約二〜三千人、潰家、焼失家屋3万。12月24年安政南海地震、全半壊消失流失家屋約八万、死者約三千人。リア充爆発どころではない事実か。 at 12/01 21:49

irisiomaru 今月よりケニア新交通ルール施行。反対車線に出ての追い越し不可、追い越し目的のガソリンスタンドを通過不可、他の車両をブロックする右折、左折不可。罰金10万円。すべて渋滞所以の行動。まず渋滞を緩和するインフラを設けない限り、法整備ではなんともならないと感じる。 at 12/03 02:07

irisiomaru このケニア新規交通法に反対して、マタツ(ミニバス)が先週末ストライキ。市中心部混乱。会議中も気が気でなかった。http://t.co/Lonijzsg タクシーの値段が3倍に跳ね上がった。スタッフも出勤に支障出た。週明けは落ち着いてくれていることを願う。 at 12/03 02:16

irisiomaru メモ: 削除してゴミ箱からも消したファイルを3種類の方法で復元できるソフト。再フォーマットされたメディア、ファイルアロケーションテーブルが損傷していても復元可能とな。 http://t.co/SZGP1YES at 12/03 02:30

irisiomaru 読売新聞1910.4.7 芝江澤屋の女将イシ百二歳談。維新前「腕白盛であった今の男爵大鳥圭介氏が乱酔して帯刀を抜き床柱を切付け畳を刺し荒れ廻ついて居たのを気丈なイシは白刃を犯して飛込み刀をもぎ取た事がある」 大鳥さんどうした。芝大門と言うことは江川塾講師の頃と思われるが。 at 12/03 04:52

irisiomaru 明治34年「立身致富信用公録」。大鳥圭介の工部省経歴を、暹羅派遣から工作局、工部大学校と纏め、「今日我国に於て数百名の良工学者を出し国利民福を起し国運を發揚したり」と述べている。当時も維新と日清をまず注視されているが、見る人はその間を評価している。 at 12/03 05:27

irisiomaru 佐倉史研究樋口武彦氏「大鳥圭介と佐倉藩士荒井宗道・荒井宗懿」より。「大鳥(圭介)厄介弟」とされ幕府留学生に選ばれた大鳥貞次郎=荒井宗懿=荒井貞助。特に獄中での差し入れの「荒井」「荒貞」は、同時期大阪に赴いていた荒井宗道ではなくその弟らしき荒井宗懿であると指摘。 at 12/03 05:44

irisiomaru 明治32年「内地雑居二対スル諸大家之意見後集」外国人の日本居住における大鳥の意見。日本の悪習を羅列、特に時間の無頓着、人を待たせる損失を厳しく叱責。また事業を営む外国人は日本の民法を熟読研究するので、日本人が自国の民法を知らないのは不利益、不体裁のみならず自国の恥と警告した。 at 12/03 06:12

irisiomaru いわれてみれば他国では雇用も規制も契約も様々な法規を読むけど、日本の法律はよく知らない。当地の方に、日本の法律ではどうなっているのか聞かれて、答えられない現状は確かにかなり恥ずかしい。今はググれば大体出てくるが、それは言い訳にならない。 at 12/03 06:14

irisiomaru 昭和16年北垣恭次郎「大国史美談」より「大鳥が操縦自在に兵を用ふる為一勝一敗容易に雌雄を決する事出来ず官軍すこぶる苦戦」、「官軍の指揮官連中は大鳥の兵を用ふること神の如きに感じ入り戦略を議する度に大鳥をほめたてた」、「(大鳥に)負けるのが当然で勝つたら不思議といふべき」 など。 at 12/03 06:42

irisiomaru 日本教育史資料掲載の、安政三年創設の徳島藩江戸邸学校の長久館の沿革に、「練兵ニハ大鳥圭介」と記録がある。大鳥の尼崎藩招聘が安政4年11月、翌安政五年中に長久館が火災に遭っており、大鳥の徳島招聘はその間(安政5年初期)と推測できる。 at 12/04 00:34

irisiomaru 大鳥を尼崎藩に勧めたのは服部元彰。両親が圭介の帰郷を望むのに服部が答えた説あり。大鳥生家の上郡は尼崎藩の飛び領地。「尼崎に過ぎたるものは、馬術と沓踏石と大鳥圭介の三つ」の出典は「尼崎今昔物語」。徳島藩に替わるとき大鳥は代理として適塾同窓の太田精哉を尼崎に推挙した。 at 12/04 00:41

irisiomaru 大鳥、優しい虐待をする馬鹿親を戒める。M24.4.16毎日新聞「児子の思ふが儘に委せ惰弱の性をなし教謂の法を怠るもの、畢竟世上の見聞に乏しく彼是反省の念薄き(略)常に他人に勝れたりとのみ心得常に安心放逸自ら勉めて難事に堪ゆるの気象を欠き自立の念慮なきに至らしむ、是専敬自愛の餘弊」 at 12/04 00:58

irisiomaru 明治29年青山評論の大鳥評「君年六十二世辞の苦難を嘗めつくし政海の波濤を踏む、明治の歴史厳然頭角を顕すの偉人なり。京城の変、君が雷名五洲に鳴る、老翁白雪の美髯を撫して説き去り説き来る言、皆肺肝より出で又聴者の肺肝を透す、老て益々壯なる君が風姿人をして今昔の威に堪へざらしめたり」 at 12/04 01:18

irisiomaru 白きコロボックルか。フェアリーか。年を取るにつれ強力なカタルシスウェーブを放つ如楓爺。もとい。別に大鳥を絶賛している資料を選りすぐって抜き出しているわけではなく。手当たり次第に未読でほったらかしてたPDFを開いているだけであります。 at 12/04 01:29

irisiomaru M29「大鳥圭介君の家庭教育」。「家庭整理の最も重要なるは倹約、衣食住共に自身より二三段したの生活を以て標準となすべき」「小児の教育は寛仁大度の人を造ること大切、英雄を造り豪傑を造らんなど企てるは大なる過ち、善人を造り大人を造らんとを掛けるべし」 と、独特の家庭観を演説した。 at 12/04 01:44

irisiomaru 「大鳥圭介の東アジア史論」古林 森廣/姫路人間学研究。大鳥の有していた地理・史観に焦点。天津条約、朝鮮軍事介入における日清の対立などの背景の中、単なる学究でない大鳥のあり方を示し、「政策一辺倒の単なる政治家ではなく、洋の東西に渡って文系理系の緒科学を習得した人物」であると結ぶ。 at 12/04 01:53

irisiomaru 「大鳥圭介公使の朝鮮帰任について」大澤博明/熊本法学。大鳥の朝鮮帰任の際「今度は生還を期せないよと云ふと陸奥が熱涙を揮つて、君が死ねば僕が確かに骨を拾う」と述べた。これを「大鳥の甚だしい誇張」とした研究者に対し、大鳥の言の背景を検証、大鳥の覚悟が真当な危険性の表現であったと分析。 at 12/04 02:09



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2012年12月10日

大鳥圭介「至誠」


「名家談片 『至誠』 枢密院顧問官 大鳥圭介翁談」

明治32年5月号の「少年世界」に掲載。著者が老齢の圭介翁に、少年に聞かせるための話を求めに行った際の、大鳥の語り。筆録者名は不明。

この談話は、大鳥がこれまでの人生における自らの心がけを総括したものと思われます。
少年に聞かせるものということは、老若男女だれが聞いてもよいもの。ごく当たり前のことを語る大鳥ですが。本人の経験、事件時の想いを踏まえて語られるものであるせいか、一言一言が心に響きます。
ひとまず全文入力します。

読みやすさのために、句読点の変更、旧漢字の常用漢字への変更、送り仮名の変更を行なっています。

______________

日清戦争の当時、大鳥公使の名は実に支那朝鮮を震撼せしめたのです。あの難局を引受けて能く首尾を整えられた功は、一時大鳥公使云々と俗謡に唱はれたのも、無理はないので御座います。今は枢密院顧問官として、国事の枢議に参して居られる。私の翁を訪れたのは、一重も大方に散つて、朝よりの花曇、何んとなく名残が惜しまれる某の日でした。暫らく應接室に待って居りましたが、楣間には山陽外史の一幅、彼方には当代の諸名流が書簡の、張交屏風が立てヽある。やがて翁は例の見事な白髯を撫しながら出て来られました。


ナニ少年のために話を仕ろと云ふのかい、ソー何を話したものか。ム先日麻布小学校で話を仕たのがある、それは「まこと」といふのであつた。

誠、即ち虚偽(うそ)をつかないと云ふことは、誰でも知つて居る、處がなかなか行はない。併しまあこれ位大切なものは無いと思ふ。何事に依らず何を為るにも誠といふことから出て来なければならない。親に考を尽くす、君に忠を行ふ、これは大切なことで、さうなくてはならないが、考といふことも忠といふことも、畢竟善い行にしても、其人の誠から出てこなければ善い行と称することが出来なけりア、又実効を挙げることも出来ぬ。仁義礼智信と区別されてるが、仁にしても義にしても、皆誠から出て居る、土台は誠にあるのであるから、誠意といふことは、人の一日も忘れる可らざることで、日常坐臥時事物々、皆この誠意から出て、誠意を以て遣らなければならない、とまあこういう話で。

第一誠意を以て進めば心強い、支那でも至誠鑑事天輔之(しせいことにかんがみてんこれをたすく)とある。西洋では天と謂はずして神(ゴッド)だが、かう云ふ諺は幾許でもある。即ち誠意を以て進めば、天神でも必ず輔けて呉るといふ位で、誠意の前途には決して遮るものは無いのである。虚偽位危険なものは無い。只百に一の僥倖を得やうとするのみだが、誠意で遣れは自分で一点疚しい事がないから、決して恐いものがないだけ。それだけでも心強い所がある。

私が日清戦争の時遣つたことは、何にも功名を得やう富貴を索めやうがためではない。只至誠を以て事を行ふた。朝鮮を助け支那の暴戻を挫くに至誠を以て仕た。即ち至誠鑑事天輔之とは此處の事である。

能く西洋では学理飢えの新智識を得るために、風船旅行を企つる者がある。又は北極南極探検を遣る者がある。これ等は脇から見れば洵に無謀らしい話で、能くそんな危険を遣ると思ふやうであるが、彼等は只新智識新発見を遣らうと云ふ至誠から出たのであるから、危険も思はない。至誠から出た事は、必らず天神が輔けて呉れると信じて居るから、当人に取つては局外者のやうに危険を感じない。これは一の確信を有して居る為だ。

それで日本の英雄の内で、誰が最も誠の人であるかといふと、私に云はすると菅原道真だと思ふな。そりア楠正成其他の人々も誠の人だらうが、その菅原道真の歌にかういふのがある。

心だに まことの道にかなひなば
祈らずとても神や守らむ

まことにその通りである。一体神に祈るといふも、至誠を以て祈らなければ何んの益にも立たない。祈るといふは二の次でも苦しくはない。只至誠に出て至誠を以て進むならば、天神は必ず守つて下さるに違ひない。只心だに誠の道に協ひさへすりァ、それで善いのである。

私が北京へ居つた時、北京の仏国公使館でその書記官が、一本の扇子を出して、どうかこれに一ツ日本の歌を書いてくださいと云ふた。よしと云つて直ぐ書いて遣つたのは、

西東 國こそかはれ かはらぬは
人の心の まことなりけり

書記官の云ふには、この歌は一体どういふことで御座いますかと聞くから、東洋西洋と國は違うけれど、只誠といふことは何處へ行つても違うものでない。人は悉くこの誠がありたいといふことだと説ひて遣つたら、大きにさうですと手を拍つて同感の意を表したが、実に欧羅巴も亜細亜も只人の作つた区別で、誠と云ふものヽ上には、人種の相違も何もあつたものでは無い。誠は四海共通りの土台である。

前云ふた通り忠考礼智信皆誠から出て居る。誠が大本である。であるから子供達に呉々も云ふて置くが、銘々成るべく日常の行為にも誠といふことを心懸けて、何を為るにも誠を以て遣るやうに、自分で自分を心懸けて居るなれば、それが一家に及ぼし一町に移り、竟に国家に及ぼすに至り、その誠から出るものに其処には堪えて罪悪と云ふが無くなるであらう。だから只自分で自分に誠といふことを心懸けて居れば善い、それで善いのだ。で相互いにさう心懸けて居れば、それが寄つて一の美しい国家を形成することが出来るのである。

とまあこんなことで……。



以上は麻生小学校で語られた所の大体で御座います。誤つた箇所があれば、それは私の筆の上に在るのです。

____________________


嘘をつかない、虚飾をしない大鳥のあり方は、その著作を見て明らかです。 しかも自分自身の評価については「丹心千載人ノ評二任ズ」と、いかに誤解されても言い訳や弁解の一切を行なわない姿勢でした。それが現在の創作における残念な書かれ方に繋がってしまっている面は確かにあります。

しかし本人はただ黙って至誠、誠を尽くして生きた。誠とは、嘘や虚飾なく、己の最大源の力を尽くして、私欲ではなく公益の為に行動すること。大鳥はそれを貫いた人だと思います。

誠とは、宣伝文句でもプロパガンダでもない。口に出して言うことは無い。ただ己の行ないで示すものである。誠を掲げながら実態がそうではない組織や人も多いですが。言うのは容易い。行なうのは難しい。特殊な事は何も言っていないながら、大鳥がそれを示し続けた人であるからこその説得力を本文は有しています。

「至誠鑑事天輔之」 至誠、ことに鑑み、天これを輔(たす)く。

これは、誠を尽くす、すなわち、真剣に全力で関わる人を大切にして物事取り組めば、自ずから結果はついてくる。その事実を示しています。天や神が助けるというのは、結果が応えてくれるということでしょう。

そして、誠は、東西共通であると。

実際、人類皆兄弟という言葉ほどの綺麗事は無いと思います。外国人相手に仕事をすればするほど、思います。存在そのものがジャイアンかと疑いたくなるインド人など相手には、散々苦しめられ、何度も「二度とこんな奴らと仕事するものか」と吐きました。技術支援に来ても「お前等の居場所は無い」と会議室の隅っこに追いやられたこともありました。

ただ、今の限られた自分の力と知識と経験でも、この国の益になることを、様々な制限と条件の中で必死に行えば、見る方はちゃんと見て下さる。協力して下さる。まず自分が全力で、何が最善かを考え抜いて動けば、人はそれに連れて動いてくれる。それは、どの国でも同じであるという感慨を抱いています。一方、力を抜き楽をしようとすれば、そこは冷徹に見抜かれます。すぐに軽く見られます。文化や考え方が異なればいっそう、相手は客観的に姿勢を見てきます。

大鳥の言葉には、そうした類のことを踏まえた実感が感じられます。
特に清国韓国駐剳公使時代について、胸に来ました。

大鳥は日清戦争を開戦に導いた公使として、その名が上がりました。開戦の切っ掛けは、朝鮮から清の兵を撤去させ、朝鮮の清への従属関係の解消を求めたため、というのが通説です。

一方、すでに大鳥は明治十五年、大鳥は朝鮮の指導者と交わっています。朝鮮から殖産興業視察にきた官僚達を自宅に迎え入れて語り合っていました。吉田清成への書簡に以下の通りあります。

「小生儀は兼て近来渡来せしものゝ内、趙秉嘉、洪英植、魚允中、又金宏集、金繻ウ等と申人とも幾回も面会、拙宅へも尋参り心底を打明物語致し候廉も有之候。且従今彼国之頭目たる人を導き政路を改良せしむるには、必政略のみを用ゐず、誠意誠心を以てし、或は工業或は農事を教へて遍々に彼の心情之方向を変化せしめ、数々之事より徐々に暁し緩々の心服せしむる事、実に大切之ことかと被存候。其辺之事に至り候ては小生敢て他人に譲らずと、例之小天狗心を発し居申候」

ここでも「誠意誠心」誠の文字が出てきます。政略だけではなく誠を尽くして、農業や工業を教えれば、彼らの心情は変化し、心服してくれる。大鳥は、このことについては他人に譲らないと「例の天狗心」を発していると、冗談めかしています。

大鳥公使の本望は、韓国への技術支援にありました。天津のために工学士の桑原政が派遣されると聞いた大鳥公使、「余は欣喜に堪えず、多年の望漸くにして達したるに満足するものなり」と大喜びしました。桑原政は、工部大学校の生徒で、二期生次席。ダイハツの創設者としても名を連ねている方です。

また、大鳥は朝鮮の官報を、鮮明な活版印刷で発行するという有益な刷新を行った。1895年には、漢字と『無知な文字』とされていたハングルの混合体が官報を用い、一般庶民にも読めるようにしています。庶民が文字が読めるということは直接民力向上に資することです。識字率の低さほど開発の妨げになることはありません。現代に繋がる韓国の文字制度への貢献でしょう。

大鳥は朝鮮に「強引な改革要求をした」とされますが。大鳥が朝鮮に求めた事は以下の通りです。

外国交渉を重んじた担当大臣の設置、売官の悪弊の停廃、事務執行に必要な役人を残して冗長な人間の削減、従前の格式を打破して広く人材を登用すること、官吏収賄の禁止、国家収入・支出の調査と厳正な会計、土地田畑の調査と租税改正、不必要の支出の削減、税関に他国の干渉を入れないこと、鉄道や電信の開設と通信の開始、裁判法の改正と司法を公正化、士官の養成と新式の兵の設置、首都と地方の町に厳正な警察の設置、各地方に小学校を設置し教育を実施、中学・大学の設立、優秀な人を外国に留学させること、など。

国が一国として主権を持ち成り立つための、必須な事項ばかりです。

そうした行ないは、大鳥の自分の名声のためではない。朝鮮のため。そして朝鮮の発展を阻害する最要因であった宗主国清への従属関係を断絶させるためのものでした。大院君の行ないも、その大鳥の姿勢に応えたものであったのではないかと思います。

無論、朝鮮の高官たちの既得権益を廃する改革でした。因循固陋な考えが蔓延り、反対の声の大きさ、大鳥公使に対する批難の数は想像に難くありません。そもそも日本は国境の安定のために緩衝地帯となる朝鮮が安定していればそれでよい立場のはずです。そこに、朝鮮そのものを開発しエンパワーする改革を推進する行ないは、単に本国の言うことを聞き無難に任期を負えればそれでいいという大使にはとてもできることではないでしょう。

大鳥は、後年の様々な評価は別として、誠意をもって朝鮮の便益を考え抜いて行動した方であることは確かであると思います。
その姿勢を貫いた人物であったからこそ、フランスの外交書記官に「西東 国こそ変われ 変わらぬは 人の心の 誠なりけり」という実感を込めた和歌を読んで渡し、相手の心にも響いたのでしょう。

一つ一つの難事に誠意を持ってクリアして行くというのは、言うは易し行なうは難しです。心身疲れ果てます。それでも正しい方向を見極めて力を注ぎ続ければ、いずれは理解され良い方向に進む。

現場にいれば、日々人とのやり取りの難しさに、様々なやりきれない想いを抱きますが。
それが浄化され、初心に帰らせてもらったような、大鳥の語りでした。

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2012年12月12日

Twiter121204-121211


irisiomaru カンボジア、プルサット州の中国援助建設中の水力発電所ダム決壊。http://t.co/7CrT5MJ1 「貯水水位が高くその水圧で水が漏れ出した」由だが。満水位の水圧に十分安全係数地震係数掛けて設計するだろうに。設計が悪いのか施工が悪いのか。世界中の中国援助のダムが心配だ。 at 12/04 02:44

irisiomaru ケニア、新規交通法に抵抗するマタツ(ミニバス)のストライキは已然収まらず。市バスは本数が少なく、マタツが市民の足。今日は道端列を為して通勤者が歩いていた。しかし不思議なことに交通量は増え、幹線道路も大渋滞。普段給油ができず眠っている車が動いているからだという。 at 12/04 02:47

irisiomaru 中国様が、ナイロビの交通渋滞改善のため、ティカのジャンクションとバイパスを建設した。この時工事計画が杜撰で、工事中の車両誘導の誤りが多発、交通事故で約二百名の死者が出たと聞いた。記録を見たわけではないので真偽はわからないが。まことしやかに伝えられている辺りが、さもありなん。 at 12/04 02:58

irisiomaru ナイロビEastleigh地区で再び爆破テロ。路上手榴弾で6名死亡の由。http://t.co/eYN9MH1T Eastleigh地区はソマリア系住人が多い。テロがケニア人との軋轢を生んでいる。近所にもスタッフにもムスリムの方が多くいるが、彼らイスラム系が最も迷惑している。 at 12/06 10:13

irisiomaru ケニアで選挙というと、治安の激悪化と諸事務の停止を意味する。前回2007年末の大統領選は不透明さから民族抗争に繋がり、暴動焼き討ち略奪が多発した。当時の案件事務所も襲撃され機材一式奪われた。今回はそこまでいかないだろうと言われているが。選挙の3月は原則入国できず仕事も休止予定。 at 12/06 10:20

irisiomaru 当然選挙が近づけば、テロの増加も予想される。選挙の必要性は理解するが、開発の停滞、混乱、後戻りという負の効果ばかりもたらされるのが目に付く。「選挙」という言葉に対するリアリティが、日本のそれとあまりに異なりすぎて戸惑う。 at 12/06 10:23

irisiomaru Kenya Power120MWディーゼル発電所運転開始の新聞記事有。ケニア系統容量は1400MW。水力乾期減や休止を入れると全体の10%以上容量増。一方電気料金はkWh当たり4円程度のベースより燃料調整代が高く、全体で20円超え。給料レベルに比し激高。これで更に上がりそう。 at 12/06 10:46

irisiomaru 日本の古本屋 官版 歩兵練法 揃2冊
大鳥圭介譯、元治元年 https://t.co/xKGb0iE1 価格660,000円。…一桁違うだろう。どういう評価基準でこの価格になったのかを、売主の古本屋さんにお伺いしたい。 at 12/06 19:47

irisiomaru @tukaohtsu 安いです! と言いたいところですが(笑)。今まで古本屋に出回ってた築城典刑や山油編など10万〜18万円ぐらいの相場でしたので、このプライシングは一体何があったのかと驚きました。やはり一桁入力間違い説が有力か…。 at 12/06 22:08

irisiomaru 金宏集。日清戦争前にクーデター起こした大院君の政権の総理。甲午改革で朝鮮近代化を図る。日本軍に清国掃蕩を依頼し、日清戦に繋がったが。明治15年大鳥、日本の殖産興業視察にきた「金宏集と申す人と幾回も面会、拙宅へも尋参り心底を打明物語致し候」と。この関係が生きたのか。何と言う…。 at 12/08 00:34

irisiomaru 大鳥は日本の殖産興業の経験を朝鮮の農業工業に役立ててもらおうと彼らと交流したわけだが。彼らが朝鮮指導者になったのは良いとして。それが後に朝鮮における覇権争いの日清戦争に繋がるとは。しかも開戦の火蓋切ったの大鳥自身である。なんとも因果な。 at 12/08 00:39

irisiomaru デジタル化資料活用の真髄を見た…。国会図書館「江戸時代の日蘭交流」http://t.co/wRBRQIKQ この惜しみない原典史料の開陳。どれだけ日本人の知的教養高めようとしているのか。もはや史料のありがたみが無い。 at 12/08 01:21

irisiomaru 「5. 幕末の西洋兵学受容」http://t.co/F4EnUjEK では高野長英訳「三兵答古知幾(タクチキ)」勝海舟著自著の「海軍紀事」、大村益次郎訳「兵家須知戦闘術門」他。大鳥圭介訳「砲科新論」「築城典刑」は原典蘭書と共に。原典と比較図まである。大鳥の図の方が見やすい。 at 12/08 01:34

irisiomaru 「6.幕末オランダ留学生」http://t.co/1dfVGQeO では自筆の「沢太郎左ヱ門航海日記」、赤松則良自筆の「日記」「航海日記」「和蘭滞在日記」「蘭行日記書簡留」、内田正雄自筆日記、津田真道「はなのしをり(日記)」、西周自筆日記と「記五科授業之略」等。太っ腹すぎる…。 at 12/08 01:38

irisiomaru 極めつけがこの「掲載資料一覧」ページ。http://t.co/nGB5w6I5 国会図書館に向けて最敬礼。日本の威信をかけている姿勢が伝わってきます。 at 12/08 01:46

irisiomaru しかし蘭語原典を示したMemory of the Netherlandsのサイトが、ほとんどリンク切れになっているのは残念。これは相手のあることだから仕方ないが。データベースは可能な限り自サーバ内で完結させたほうがいいというのを感じる。メンテが凄く大変になるので。 at 12/08 02:30

irisiomaru こうした決断をし前例を作らざるを得ないコミケ準備会スタッフが最もやり切れず悔しいだろう。仮に数万人集う中事件が起きた時の被害の凄惨さ、社会的影響、コミケその物への影響を思えば、生き残りの為の苦渋の妥当な判断と思う。普段テロと身近な場に在る者として準備会の決断に敬意を表したい。 at 12/08 18:29

irisiomaru 当該ジャンルの方の楽しみを台無しにされた嘆きや怨嗟の声は大きいと思う。そして準備会の方々ほどそれをわかっている方はいないだろう。ジャンルの方の落胆は当たり前だが、準備会の身を切る決断に自分たちが守られるという一面もあると知っていただければと思う。犯人逮捕と厳罰措置を祈ります。 at 12/08 18:38

irisiomaru @tukaohtsu Wiki版籍奉還の項目も「明治維新後、初めて藩という呼称が公式に使用」とありますが。復古記にも各藩文書にも幕府提出された報告書にも「弊藩」とか「奥羽諸藩」とか「松前藩」とか頻出しているので、何を以ってそんな記述ができるのか大変不思議に思っております。 at 12/08 22:32

irisiomaru 久しぶりに仕事しない休日。本日のToDoリスト:水調達。手洗い洗濯。資料リスト更新アップ。大鳥圭介「至誠」入力。エジンバラ記続き。日本の電化率データ整理。 at 12/09 15:28

irisiomaru 鹿児島県立図書館に大鳥圭介談「斉彬公御事蹟」がある。これ物凄く読みたい。鹿児島…行かねばならんか。 at 12/09 15:34

irisiomaru RT、古本屋の相場から外れており、前回の朱書きのような付加価値もなさそうなので、入札流れになりそうだが。前の日本の古本屋のもだが。出品者は何の基準からこの価格設定したのだろう。 at 12/09 15:38

irisiomaru なお歩兵練法は横浜開港資料館などで閲覧可。まだオンラインデジタル化はされてないようなのでその当たりで価値が高いかも。築城典刑などの様にオンライン閲覧できると古本の価値も下がりそうだが。その点はまだ古本の価格として反映されて無い模様。 at 12/09 15:44

irisiomaru 公共の事業は民間の営利活動を阻害すべきでない原則がある。古典書籍デジタル化は古本屋の営利活動の障害にならないだろうか。勿論利用者としてはデジタル化は大歓迎。今後も市場インパクトに繋がる程ではないとみなされることを祈る。ただ古本屋が潰れると吾人消費者も困る。 at 12/09 15:52

irisiomaru 大鳥圭介「至誠」: 誠は仁義礼知信の元。「日常坐臥時事物々みな誠意から」「至誠鑑事天輔之」日清戦争は「功名や富貴を求めるためではなく、朝鮮を助け支那の暴戻を挫くに至誠を以ってした」北京で仏国公使書記に和歌を求められ「西東 国こそかはれ はらぬは 人の心の まことなりけり」と返した at 12/09 21:45

irisiomaru 「只自分で自分に誠といふことを心懸けて居れば善い、それで善いのだ、それが一家に及ぼし一町に移り、竟に国家に及ぼすに至る。相互いにさう心懸けて居れば、それが寄つて一の美しい国家を形成することが出来る」 心に響いた。誠は宣伝文句ではなく、自分が自分の内に抱き行ないとするもの。 at 12/09 21:56

irisiomaru 大鳥圭介「至誠」。http://t.co/Q4JEkdZM 老翁圭介の人生の心がけを総括するような、名語りです。 まだこの後に教育論が続くのですが。それは後の機会に。 at 12/10 00:58

irisiomaru 大鳥圭介の調査研究に資する資料リスト、アップ。http://t.co/PwXdNj2y
PDFです。昔フォーラムで作成配布したものより50点ほど追加。今の力の及ぶ範囲で作成。未読資料も多いので今後も更新します。 at 12/10 23:28

irisiomaru リスト内の資料は、国会図書館のデジタル化資料や論文サーチの中に入っているものも多いです。http://t.co/ziN7Csa5 あとは東京都や府県の横断サーチなど。探しても所在が分からないものについては、ご質問下さい。 at 12/11 00:18

irisiomaru 丹心千載人ノ評二任ズ。この大鳥の言、他人にどう思われようと気にせずに在る事。これがいかに至難かは、例えば2chやツイッターでの叩き、ニラオチ、誘い受け等に遭うと実感する。人間、特に自分について誤解されると正さずにいられない生き物だ。しかし可能な限りこの言葉に倣い生きたいと思う。 at 12/11 00:20

irisiomaru @shishioriori 読んで下さり、入力した甲斐がありました。何気ない言葉の後ろに尋常ではない経験がひしめいているので、いつも背筋を正す思いです。胸を打たれるのは、はなださんご自身がそうした生き方を求めておられるからではないかと存じます。 at 12/11 00:28

irisiomaru @ius8sui 見て下さってありがとうございます。ID番号は、後でAccessなどのデータベースで処理できるように、当方で分類に応じて入力しています。シリアルは単に入力順で、それ以上の意味はありません。 at 12/11 00:31

irisiomaru @shishioriori すみません、日本語が変でした。最後の一文を以下に訂正させて下さい。胸を打たれるのは、はなださんご自身が大鳥の語りの内容のように誠心誠意を以ってした生き方を求めておられるからではないかと存じます。 at 12/11 01:30

irisiomaru 朝五時。明けぬ空にアザーンの音声が鳴り響く。あの野太い声は、夜店屋台の甘栗の宣伝を思い出し、郷愁と食欲をそそられる。 at 12/11 11:09

irisiomaru 大鳥が連戦連敗だと至る所で言われ、大鳥自身もそう口にしているが。本当に連敗したのは今市第1次・第2次ぐらいしかない。武井村・小山2次・3次戦、峠下・大野戦、七重浜1次・2次戦など、むしろ連勝しているほうが多い。http://t.co/lOkEvnM8 at 12/12 00:40

irisiomaru 今週中にナイロビ市内中心部でテロ発生する可能性有、注意せよと、大使館より連絡あり。無論テロが怖いので中止部の打ち合わせに行けません、では仕事にならない。困ったものだ。 at 12/12 00:48

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2012年12月18日

大鳥圭介と鳳啓助



「おおとりけいすけ」と言うと、幕末明治に関心のない一昔前の方は、「ポテチン」というギャグで有名な京唄子とコンビを組んでいた鳳啓助を挙げます。20年近く前にお亡くなりの方ですので、すでにこの漫才師鳳啓助もご存知ではない方も多いかと思います。

鳳啓助、本名小田啓三。1923年生、1994年没。大阪出身の俳優、漫才師、脚本家です。
この鳳啓助が髣髴されやすい大鳥圭介ですが、その芸名の由来が、大鳥圭介そのものであったことは、あまり知られていません。
この経緯に関連した新聞記事をご紹介します。


● 読売新聞 昭和54年4月14日夕刊

「劇団結成の動機?そりゃ好きな軽演劇をしたかったよってですよ」

唄子・啓助の漫才に親しんできたから、寄席芸人が一念発起して劇団結成した―くらいに思っていたら、これが違った。

母が浄瑠璃好き、祖父が劇団を結成して旅回りするほどの芝居好きという環境に育ち、幼時から山口県の祖父の劇団に子役で出た。十七歳で帰阪し、二十三歳で鳳啓助劇団を設立。宮城千賀子劇団に京歌子で出ていた唄子と結婚(十六年年前に離婚)―と聞くと、寧ろ役者が本業だったのだ。

「十年前は商店街の売出しがあると聞くと、飛んで行きましたね。一枚でも券を買うてもらおう思うて。このごろでは電話で百枚、二百枚と注文がきます」

啓助は舞台が受ける理由をこう分析する。かつて森川信劇団が上演していたような"まじめな軽演劇"が今はない。これを目ざし、その場だけの屈託のない笑いを盛った肩の凝らない"底辺の芝居"に仕上げたためではないか―。
そのために、まず役者を喜ばさねば、という論法だ。

「ぼくの芝居作りは、まず装置を考える。それから役者さんの割り振り。最期に物語を組み立てていく。だから唄啓劇団に出た役者さんは、みんな喜んでくれます。必ず為(し)所を作るからね。だって、みんなが楽しみを分かち合わないと、ね」

幕末に榎本武揚と函館の五稜郭にたてこもった大鳥圭介に心酔していて、芸名もここから。
「彼はやるだけのことは十分したから降参してもいい、死ぬことはないといって、維新政府でも要職につきました。あの生き方がすきなんですねェ。ぼくはいつまでもみんなと生きていたい」

唄啓劇団が根強い人気を持ち続けているもう一つのわけは、座長・啓助の暖かい人柄と、したたかな生命力が舞台ににじみ出ているから―なのかもしれない。



芝居好きというのは大鳥圭介も鳳啓助も同様でした。後者はそれを芸に高め漫才師として大成しました。鳳啓助は大鳥圭介の芸人魂に共通するものを感じたのかと思っていましたが。負けても死なずに生き残り後の世に尽くした生き方が好きということでした。


もうひとつ。


● 神戸新聞 昭和59年8月10日の「正平調」

赤穂上郡郡での出来事。役場を訪れた若い記者が尋ねた。
「この町の有名人を教えてください」
「オオトリケイスケですね」と町職員が答えた。

記者「すると京唄子さんも…」
職員「?」

彼(町職員)が誇らしげにあげたのは、榎本武揚らと函館・五稜郭で官軍に抵抗しながら、明治政府で枢密顧問官まで昇進した異色の政治家大鳥圭介のことである。「漫才の鳳啓助と間違うとは、ヤングの歴史音痴にも程がある」と一つ話になっている。

しかし、二人のオオトリが太い糸で結ばれていることはあまり知られていない。旅回り一座で育った小田啓三少年が、皿洗いや新聞配達で暮らしを支え、やっと舞台に上がれた時、真剣に芸名を考えた。そこで心に響いたのが大鳥圭介だった。名優・鳳啓助はこうして生まれた。

「大鳥圭介の生き方が好きなんです」と鳳(啓助)さんは言っていた。変節とか転向とかではない。「やることは十分したから、降参してもいい、死ぬことはない―この考えにポテチンと参ってしまった」のである。素直な気持ちに裏打ちされた生命力の強さに感動したのだった。

唄子さんとの絶妙の掛け合いや「おもろい夫婦」の芸術的ともいえる司会に、そんな哲学がにじんでいた。本紙の随想にもこんな詩を綴ってくれた。

「もつれあい、化かしあい、許し合う狐と狸。夫婦、おもしろきかな、この長き道連れに幸せあれ」

がんで逝く直前、鳳さんは「蛍の光」を歌っていたという。出会った無数のカップルに別れを告げていたのか。励まされた日本中の夫婦が、続いて「蛍の光」を輪唱する番だ。



「ヤングの歴史音痴にも程がある」との言葉に、昭和の世からの時の流れを感じます。この記事は1984年。長生きの方なら、日清公使時代「ヨッポド偉い者」と謳われた大鳥圭介そのものを、同時代の方としてご存じである方がまだおられた頃でした。

「死ぬことはない」と言ったとされていますが、大鳥本人は「幡然、衆に代わって茲(この)躬(み)を殺す」と死ぬ覚悟はしていました。ただ、「なあに死にやしない」と衆に対してはうそぶいていた。その点が仰ぎ見るところです。

大鳥が安藤太郎など多くの人に伝えた「いつも負けてばかり」ということも、関西人が美徳とする謙遜と自虐とユーモア故のことでしょう。しかし実際は勝率は五分五分以上、連勝している事も多かった。大鳥は同時代の新聞や錦絵などでは高名な将としてもてはやされていました。だからこそ、本人の口から、苦労ばかりして負けてばっかり、ということを聞かされると、感じ入って印象に深く残ってしまうものだったでしょう。それゆえに、現在になって戦下手という悪名がフィクションで強調されるようになってしまった。
このあたり、臆面もなく自分の自慢話を強調し、結果、戦の天才として名前の残った板垣退助などとは対照的な感じがします。

大鳥の謙遜と諧謔は、いつの時代にも通じるものではないかと思います。大鳥は事実を冷静に見極め、世に役立つものを提供する能力がある方ですが。一方で、南柯紀行や各漫談のタメやオチにあふれるユーモアから見ても、漫才師としての才能もあった方ではないかと思います。

大鳥圭介と鳳啓助。この二人が同じ世に生きていれば、笑いの絶えない善い付き合いができたことでしょう。

今後、「おおとりけいすけ」という名を耳にして「なんやポテチンか!」と返す方がおられましたら、「その漫才師が尊敬して名前をあやかったという偉人の大鳥圭介のことや!」と、ぜひ説明して差し上げて下さい。

ラベル:大鳥圭介
posted by 入潮 at 06:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月21日

新聞と大鳥男爵瀧の家



明治期の新聞を調べるのに、横浜市立図書館はかなり充実しています。
http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/library/chosa/theme/shinbun-meiji.html

無論、国会図書館が最も多くの新聞タイトルを所蔵し、頼りになります。「明治・大正時代の主な新聞とその参考文献(関東地域」として、詳細にまとめられており、お役立ちです。
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-700041.php

ただ、国会図書館は複写費が割高であるので大量複写は厳しいこと、マイクロフィルムリーダー機が古く複写の指定に専用用紙が必要で手間と時間がかかることなど、難点があります。その点で、目的が限られていれば他の公共図書館のほうが便利である場が多いです。

国会図書館は急ピッチで資料のデジタル化を進めていますが、新聞まではまだ電子化は及んでいません。マイクロフィルムをグルグル回して不鮮明な画像を膨大な記事数の中で探すのは、なかなかの骨折りです。

一方、自動巻き取り機能や、プリンタと接続しボタン一つで複写できる機能を備えたマイクロフィルムリーダーのある図書館では、記事探しや複写にかける時間もコストも労力も、かなり節約することができます。

新聞記事の閲覧をする際に頭が痛いのは、新聞の名称です。似たようなタイトルの新聞紙が、時代を経るごとに複雑怪奇に変遷しています。

例えば、日本最初の日刊紙「横浜毎日新聞」は、以下の通り変遷しています。
「横浜毎日新聞」明治3年12月8日〜明治12年11月16日
「東京横浜毎日新聞」明治12年11月18日〜明治19年4月30日
「毎日新聞」明治19年5月1日〜明治39年6月30日
「東京毎日新聞」明治39年7月1日〜昭15年11月30日 (帝都日日新聞に吸収)
「帝都日日新聞」昭和7年8月月〜昭和44年6月30日 (昭和19年4月〜33年7月18日まで休刊)

しかも上は、現在の「毎日新聞」とは別物です。
現在の「毎日新聞」は、明治5年2月21日に「東京日日新聞」として創刊、時事新報・大阪毎日新聞などと合同して、昭和43年に毎日新聞という名称となりました。
つまり、明治20〜30年代の「毎日新聞」と現在の「毎日新聞」は、系譜が全く異なる別会社です。ややこしい。

国会図書館は、新聞名称変遷を調べるためのデータベースすら整備しています。
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-534.php
おそらく職員の方々が、職務で整理されるために誰よりもこれを必要とされたのでしょう。


さて、横浜毎日新聞系列の会社は、編集者や執筆者に旧幕臣が多かったでした。まず、大鳥と坪井塾で同窓だった子安峻が初代の編集者。その後、妻木頼矩や島田三郎、そしてあの沼間守一が編集長、社長などに名を連ねています。また、毎日新聞時代には、『北洲新話』『感旧私史』など筆マメな戊辰戦争記録を残した丸毛利恒が記者として勤めていました。

よって、上の横浜毎日新聞系列は、明治政府で活躍する旧幕臣の記事が結構あります。榎本武揚の死去した際も、その事跡を伝える為、数日間特集が組まれました。

大鳥圭介も例外ではありません。(大鳥嫌いの沼間が生きていれば別だったかもしれませんが)。大鳥男爵薨去として、3日に渡り、葬式の様子や懐旧談の記事が組まれていました。

そのうちの一つが、以下の記事です。書き出してみます。
句読点の変更、常用漢字への変更など行っています。

______________

東京毎日新聞 明治44年6月18日
「大鳥男の面影 別荘瀧の家の自慢話」

記者が最初に大鳥男爵の茲で薨去された国府津の別墅瀧の家を訪れたのは、其庭に蜜柑の枝もたわヽに黄金色をなした頃であつた。

国府津穂鎮守の宮の華表を右に見て、小路を半町許り右へ一寸曲がると、節だらけの大木を騙乎と両方へ樹てたのが其の門。瀧の家と書いた表札は、ハテナ料理屋かと誰でも思ふ一構へ。庭か林か区別がつかぬ程。蜜柑の木が立並んで、ニスを引いた様な葉の色の間々に、例の黄金色。花許りかは、蜜柑は木に在る間は香が高い奥の小高い方から、紆余曲折つて小流の潺湲たる音。遠くで金糸雀(カナリヤ)の聲が聞える処に、家があるのだらうとは思つても、一寸何方だか見当が着かなかつた。

唯見ると垣根に向つて草をむしつて居る爺様(ぢいさん)がある。「少々伺いますが、大鳥男爵の御邸は此方でせうか」回顧いた爺様(ぢいさん)の顔をみると「ヤ、閣下」「オヽ御出か。彼方へ行つておいで、今即刻行くから」

此爺様には二度驚かされた。初めて遭った時にも這度工合であつた。男爵の海岸の別荘が海嘯に洗はれた時、国府津の停車場で後から肩を叩いて「大鳥男爵の宅まで何町あります?」と訊いた。其人が男爵であつた。

ダラダラ阪を登ると正面は中二階、左の格子戸を調子能く明けて、聲の主の金糸雀の籠の置いてある玄関で来意を通じると、中二階へ通された。其処は男爵の書斎である。

室中を見廻す間に手を清めて来た男爵。端然(きちん)と坐つて「御用は」と尋ねられる。用談が済むと、嘗て一度聞いた別荘のご自慢が実地に就いて始まる。

「御覧じやい、箱根足柄から斜に芙蓉峰、此柄の通りでえせう」と支持される間には、東久世卿の筆で太田同道灌の「我庵は松原つヾき 海近くで富士の高嶺を軒端にぞ見る」
實や一脈の街道、並木の松が数千頃の青田をかぎつて、其の向ふは白波翻る袖絵が浦。

「まだまだ見せたいものがある、此方へ」と伴はれる。浦座敷は高さ十条の不動が岡から一条の飛泉懸るを坐ながらにして見らるヽ「瀧の家」。流れの末は水車小屋に入つてコトリコトリ。

「どうでえす、別荘多しと雖、室に坐つて天然の瀧の見られるのは他にはあるまい俺(わし)が東海道一の別荘じやと云ふたは真実でせうが」

この東海第一の別荘で逝かれたのである。


________________


「爺様」にすべて「ぢいさん」とルビが振られているのがポイントです。

この記者佐々木某は、同じ事を二度繰り返しています。一度目は国府津の汽車の駅にて。大鳥男爵別荘への道をその辺の爺さんに尋ねたら、まさかそれが男爵だったとはと驚いています。そして二度目は男爵の別荘にて。別荘で草むしりしていた庭師か何かに、ここが男爵の別荘ですかと尋ねたら、まさか男爵本人だったとはと、また驚きました。

それだけ大鳥男爵が、男爵に見えなかったということなのでしょう。
大鳥本人も気を悪くしていないどころか、そうして惑わせるのをかえって楽しみにしているような節が感じられます。

山川大蔵からイザベラ・バードまで、「一見さほどの人にも見えなかったが…」「取り柄のないことが唯一の取り柄にみえたが…」と、第一印象に逆接の接続詞を伴って語られることの多い大鳥です。

大鳥は見た目で人を威圧する型とは正反対の人間でしょう。童顔で小柄。元々格式ばった家柄でもない。謙虚さとユーモアにあふれた性格。質素で現実的で苦労体質。そうした点が、偉い人に一見見えないことに起因していたかと思います。

おそらく、ぢいさんになる前も、若いころから繰り返されていたのでしょう。著名な洋学者の教授として江川塾の教壇に立った時も。練兵訓練を受ける幕府歩兵の前に現れた時も。脱走後に兵を使うこと肘が指を使う如しと云われた将として各隊の前に立った時も。元将軍の技術官僚としてお雇い外国人と折衝した時も。校長先生として工部大学校学生たちの前に現れた時も。清国韓国公使として日本の陸軍や各国の公使と相対した時も。

あれがあの大鳥…?と、出会う各人を惑わし続けたことではないかと思います。

さて、東海第一とまで称した、大鳥爺様自慢の滝の家。後年、徳川慶喜も好んで訪れた別荘です。別荘多しといえど、居ながらにして滝が見えるのはここだけ、と大鳥爺さんのご自慢でした。
故郷上郡から、幼少期に毎週週末、閑谷学校の寮から家に戻る山道20数km途中にあった皆坂の滝を偲んだのではと、上郡の方には推測されています。

花鳥風月を愛した、自然への畏敬と情緒を深く持つ如楓爺様らしい別荘です。
残念ながら、後年の新幹線などのインフラ工事で水脈が変わり、現在はもう大鳥が愛した滝は見る事はできません。

この別荘で息を引き取られた。葬儀には二千名以上が参列したとのことです。
大鳥圭介がその生涯を終えるのに、この上なく相応しい場所ではなかったかと思います。

親友たちを見送り、次男三男も先立つという不幸も晩年はありました。波乱万丈と言う言葉も尻込みするような人生の最後が、安らぎに満ちたものであったことを、この滝が見守っていたのだと思わないほかはありません。


ラベル:大鳥圭介
posted by 入潮 at 06:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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