2009年06月14日

制限の無い時代

おかげさまで、如楓会は、6月8日のPDF冊子配布を以って、無事終了しました。

Jofukai_specimen.jpg

70頁を越す、ファンの方々の大鳥圭介への愛にあふれた素晴らしい一冊となりました。
どの頁を見ても、必ず大鳥圭介がいます。文字なり絵なり。青年、壮年、老人、死後までいます。適塾も江川塾も幕府も伝習隊も家族も英国も工部省も工部大学校も元老院も。ここまで広い時代にわたって一気に一冊に収まっているのも、すごかったです。

参加者の皆様、応援くださった方々、本当に、ありがとうございました。

各参加者様には、それぞれの作品をウェブページや同人誌などで積極的に発表してくださいますようお願いしました。もともと、一作品でも多く大鳥作品が世にあり、それを元に大鳥圭介への愛着と認識が深まれば良いなという想いからの企画でした。アンソロジーなどでは、それ以外に掲載しないことを以って献身を示す慣わしもあるようですが。企画者としては、作品が様々なサイトでお目にかかれるようになることを切に望んでいるのであります。

冊子自体は参加者の方への配布とさせていただきました。ただ、参加者の方がお友達に差し上げるなどは、私の関与する所ではありません(笑)。


いっそ、国会図書館に寄贈してみたくなりました。
国会図書館にひとたび登録されれば、国が半永久的に保存してくれます。
21世紀サブカルチャーの一つの形として、文化的にも意義があるのではないかと、私は結構本気で思っています。
NDLの検索で「大鳥圭介」と入れると、引っかかるようになり、閲覧申込みするとカウンターから出てくるのです。

さすがに、それは参加者様に嫌がられると思いますが。近江屋さんに打診した所、殴られそうになりました。よって、しぶしぶ自重します。

一方、デジタルライブラリに出てくる大鳥圭介は、もっとすごいのがあると思います。
こういうのとか。

koumeizouden.gif

「高名像伝」より。
大鳥さんが、どう見ても夜盗です。ムササビのように飛んでいきそうです。
こういうのも、ちゃんと100年後に残っているのですから。如楓会冊子も100年後に残されてみても良いと思います。

いや、時代それぞれに文化と創作の形があるなぁ、ということが言いたかったのです。


現在は、創作において、これまで存在していた、経済的な制限と、空間的な制限が取り払われた、とても面白い時代だと思います。

まず、経済的な制限、つまりは費用についてですが。例えば、今回の冊子は、元手はほとんどかかっていません。プリントのインクと当日のお菓子代ぐらいです。そして、労力という名の人件費は、趣味においてはむしろその労を費やすこと自体に価値があるので、仮に今回の収支を経済評価すると、人件費は費用ではなく便益にカウントしても良いぐらいです。

本来、出版は経費がかかるものでした。版を作り、紙に印刷するという作業だけで相当な投入が必要です。昔は、活字を組む職人が一つ一つの字を手で組んで版を作っていました。人一人が本を出版するというのは大変な作業です。一般に向けて何か考えを述べたり発表したりというのは、ほんの限られた人の特権でした。お金という対価があって初めて可能になることでした。かかる経費を回収して儲けにできる作品を作れる人か、或いはその経費を自分の懐から出す覚悟がある人にしか、出版はできませんでした。

これを、経費をかけずに出版を可能にしたしたのが、PDFです。プリントを、アナログの紙ではなくデジタルなファイルに行うPDFの概念は、かなり画期的なことだったと思います。そこから編集ができなくなるという意味で、PDF化の時点で原稿が最終化し、紙と同じ意味を持ちます。

紙の文書は、変わらず残るものだから価値があるし、事実の根拠としての力が生じます。
Webはいつでも更新可能だから、便利な反面、信頼性に欠けます。だから、例えばWikipediaなどは論文や報告書の根拠には使えません。
一方、最終化してオーソライズした形のPDFにすることにより、これが、事実の根拠として効力を発するものになります。現在、国連や各政府の文書や報告書も、PDF化が進んでいます。これにより、各機関のオーソライズを担保した上で発信し、コストをかけずに世界中と共有することが可能になります。

もちろん、今回は、そういう根拠としての変わらぬ価値うんぬんの、たいそうなことを考えながらやったわけでは全くなく、単にこういう形もありだなー、という思いつきに過ぎなかったのですが。
PDFは、確かに、変えられないから残したい、という方向性を与えるものではないかと思いました。

手前のように、どこにでもいる普通の一般人が、作品として後に残るものを作る力を持てるようになったというのが、面白いことだなぁと思った次第です。


そして、もう一つの空間的な制限について。

昔は、趣味をはじめるにしても一人で、仲間を見つけるまでが大変でした。私は昔からオタクで、星キチ+TRPGゲーマーという業の深い人種でした。それらを共有できる友人はなかなかおらず、雑誌のサークル募集を探しては少ない小遣いをはたいて、海を越えて渡って仲間を求めたわけでした。時間もお金もかかり、そうさいさいと遊ぶわけにはいかず、どこでもドアが心の底から欲しかったものでした。

ところが、ウェブが、同じ趣味を持つ仲間との繋がりを持つことを容易にし、ネットの繋がりによって物理的な距離をゼロにしました。つまりは空間的な制限が無くなりました。

一方、創作は、本来は自分と向かい合う、孤独で求道的なもので、自分の動機との戦いでもあります。やったところで金が稼げるわけでも、誰かの役に立つというものでもない。その時間を仕事に費やせば金になるにに、それをしない。それでも行うのは、ただやりたい、作りたい、という内的な動機がなせる業でしょう。そして、動機が枯渇するとそれでおしまい。

この動機を持続させるのが、その創作を喜んでくれる他者の存在かと思います。

創作物に対する読者・閲覧者からのコメントが、「お米」と呼ばれているそうです。お米は栄養(=創作のためのエネルギー)、かつ、生きていく(=創作を続ける)ために必要なもの。お米がないと、餓死する(=創作を止めたりサイトを閉じるたりする)ようになる。

非常に的を得た言い方だなぁと思います。

これまでは、同人誌と手紙というアナログな形で、限定的ながらもそうした趣味を共有し創作物を分け合える他者との繋がりはありました。ただ、手紙にしても時間がかかりますし、距離的空間的な制限は大きかったでした。

一方、PCが家電化して、インターネットがインフラ化して、誰も有して当たり前になった。同じ趣味を共有する方との繋がりが、空間的制限なしに得られて当たり前になった。
そして、メール、BBSやコメント、拍手などの機能により、感想を伝える手間が、手紙に比べて相当軽減された。お米を届けやすくなった。

余談ながら、それで価値が出すぎたのが、ネトゲかと。仕事そっちのけや育児放棄してまでのめりこみ、ネトゲ廃人という言葉が生まれるまで、人を惹きつける。それは何かというと。願望投影とコミュニケーション、つながりといったものに、人は時間というとてつもない対価を支払うという証かと思います。

そこまで行くと行き過ぎですが。それだけ、人と人のインタラクティブな作用は、人が時間と労力を注ごうという動機に対して、働きかける力が強いのだと思います。

趣味は、いくらひとたびは熱くなっても、一人ではいずれ飽きるもの、という性質は否定できません。同じ動機、同じ深さを持つ仲間というのは、持続性のためには不可欠でしょう。


そういう、経済的制限、空間的制限の二つが取り払われた今の時代だからこそ、如楓会ができたのだと思います。そうでなければ、如楓会どころか、とっくに自分は動機を失っていたことだと思います。本当にみなさまのお陰です。

こうした技術とインフラの恩恵で、今のサブカルチャーはものすごく発展したと思います。これは十分文化の変遷に値すると思いますし、100年後はこれが研究対象になるのではないかと思います。純粋な表現技術だけではなく、消費者心理やマーケティングや、コミュニケーションや発達についても。それから、ネットが役割を果たした近年の歴史回帰も、日本人の意識の変遷としては意味が大きいことかと思う。

そういう流れの影響を受けた一つの些細なものとして、如楓会冊子の国会図書館寄贈を思ってみたわけです。
もしここのコメント欄で誰からも反論がこなければ、本気でやってみましょう。

…という、暴力的恐喝的な誘い受けで、お米を奪い取ろうとする行いででした。はい。

勿論、それをやると来年の参加者が皆無になってしまうことは目に見えていますが。いや、「来年も参加してくれないと、寄贈しちゃうぞ」と言ってしまう手はありますな。

などと、世迷いごとをほざきながら、山に入ってきます。今回はブータンです。雨季だ。ヒルの季節だ。鬱だ。


___________________

(追記)

上の国会図書館寄贈は、あくまで、参加者様に大反対されるのが分かっている上で、それ故にこう言えばコメントをもらえるのではないかというスケベ心が為した、与太話です。
本気で寄贈する気は全くありません。ご不安をおかけしてしまいましたら、申し訳ございません。
posted by 入潮 at 02:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お米・・・になるかどうか分かりませんが、メールを送りました。
届いてなければご連絡下さい。

それにしても本当に良い時代になりました。
本を出すお金が無くても一応発表する場所がありますし、仲間を見つけるのも容易になりました。

如楓会、来年もあるんですね(^^)
とっても有難くって拝んじゃいますよ。
Posted by 成田みのる at 2009年06月17日 23:15
「私の漫画を削除してくださればそれはそれであり・・・」とか言ってしまうところでした。危ない危ない(笑)<国会図書館に寄贈
でも入潮さんがそうおっしゃるのもわかるほどすばらしかったです、如楓会。2回目も合わせて100P、いや300P超えくらいの大鳥本を作りたいですね・・・!

先日は丁寧なメールをありがとうございました。ありがたく拝見しております。御礼、返信が遅くて申し訳ありません。近日中にまた夜の王子様の話(笑)とか色々したためたメールを送らせて頂きたいと思っておりますので今しばらくお待ちください。

それにしても本当に便利な時代になりましたね。ネットの普及は本来の良識や思考力を奪う等良くない面もありますけれど、やはりこうして入潮さんはじめいろんな方々と交流できるのはありがたいとしか言いようがありません。勿論オンだけでなく、またオフでもお会いできることを楽しみにしておりますv まずはブータンの雨季を無事に乗り切ってくださいませ・・・!ヒルってそんなに身近にいるものなんだ・・・!!衝撃。
Posted by ひよ at 2009年06月21日 19:21
 本の完成おめでとうございます。男なので参加出来ない&読めないので、皆さんの活動を楽しそうだな〜と指を咥えながら見ていました。でも本当にネットの普及は、歴史を学ぶに当たって良い時代になったなと実感しています。自分の望む資料がどこにあるかがすぐに判るようになりましたし、どのような本が出たのかも一目でチェック出来るようになりました。何より一緒に歴史を学ぶ仲間が出来たのはネットのおかげだと思っています。入潮様の活動もこうしてネットで見れて、自分が歴史を学ぶ励みになっていますし、もしネットが無かったら、私は現在のように歴史を趣味にするのを続ける事が出来ていたのか疑問なので、本当にネットの普及には感謝しています。
 話は変わりまして「忠義」拝読させて頂きました。確かに忠義と言う言葉は便利なので、ついつい言い訳にしたくなる誘惑を感じてしまいます。そんな私にとってもこの話の言葉は耳に痛く、自分の戒めにしたいと思います。

 ところで入潮さんの話の本多は本当に生き生きとしていますよね。私は本多がどのような人物だったか未だにイメージが沸かないので、入潮さんの描く生き生きとした本多を見ていると、もっと資料を読み込まないといけないなと実感しています。
Posted by つか at 2009年06月21日 21:22
お米乞食をしておきながら、御礼ができないままで、申し訳ございませんでした。
回線が弱くて、書き込みできない状態でした。

○ 成田 様
メールありがとうございました。お優しいお言葉、有難く拝聴しています。
インターネットにより、あらゆる人に可能性と情報が等しく与えられるという点で、凄い時代になったなぁと思います。ある大学がネットで授業を公開したり。もはやお金がないという言い訳はできなくなりました。それだけ、行動とその結果がシビアに見られる、怖い時代になったなぁとも思います。
如楓会、気力だけは旺盛です。あとは行動に結びつけられるように、来年の予定を調整したいと思います。 成田さんもお忙しいとは存じますが、ご参加いただけると嬉しいです。

○ ひよ 様
300ページですか。10年ぐらい行えば、そこから総集編を作り、参加者様からこの作品なら良い、という同意を得た上で、寄贈するのもありかもしれません。…とか、まだ希望を捨てていない奴です(笑)
地球の裏にいても繋がっていられるというのも、ネットの素晴らしいところだと思います。
ネットの情報は玉石混合だから、それだけ個人の判断力や読解力、倫理といった素質が必要になるので、確かに怖いところもあります。一番の価値は仰るとおり、人と人との繋がりですよね。20年前の自分は今の状況を知ったらものすごく羨ましがると思います。
ヒルですが、普段、屈強でむさくるしいブータン親父が、現場で自分の足にヒルに吸い付かれたのを見た瞬間に、「うきゃぁん」と大層かわいらしい叫び声を上げてくださいまして。横隔膜が破れるかと思うぐらい笑いました。そのぐらいしか、雨季には良いことがないですが、お蔭様で楽しくやっています。

○ つか 様
あまり何も考えずに、参加者を限定してしまって、すみませんでした。つかさんの、たくさんの同士の方と濃く活動され情報交換されている様は、いつも羨ましいと思いながら眺めています。
ネットがなかりせば、という想像は、結構面白いです。手隙になる時間は格段に増えていたと思いますが。果たしてその時間自分は何をやっているのだろう、と。
歴史は特に地域性の高いものですから、物理的に距離が離れてしまうと、どうしても関心が他の対象に逸れてしまうものですが。様々な情報を継続して入手できる環境だと、関心も動機も持続します。後はその環境に応じるだけの、成果を、とは思います。思うだけなのが問題です。
ご感想もありがとうございます。本多さんですが、すみません。人柄を推測するにも、脱走時の訓示の男らしさや、牢中差し入れの気遣いや、いなくて困るという頼りのされ方のサンプルが極端なので、かなり作り上げてしまっています。想像力というより妄想のレベルです…。
大鳥の脱走理由は未だはっきりしないのですが。「正義のため」とか「環境のため」とか「人の役に立つため」とか、それを掲げると一通り説明できてしまう気になる言葉は、便利ですが、現実はそれでは説明できないところに面白さがあるのだろうなぁと思いました。
Posted by 入潮 at 2009年07月19日 18:04
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。