2012年08月28日

学習院大学史料館紀要 南柯紀行序文



学習院大学史学館紀要第十八号、2012年3月(以下、紀要)に、「特集 幕臣・大名家臣に関する基礎研究」ということで、以下の記事が掲載されています。

・「大鳥圭介関係史料について」
・「大鳥圭介書翰その一」
・「大鳥圭介 『南柯紀行』(一)」
・「旧幕臣男爵の授爵について― 宮内公文書館『授爵録』の分析を通じて」
・「川路聖謨『五月雨のかヽみ』復刻 ―附 解説」

上は、大鳥圭介だけではなく、旧幕臣史料としても利活用性が非常に高いです。
授爵録は、前島密や池田謙斎松本順などの旧幕臣の授爵につき、その理由を一次史料と共に分析しています。旧幕臣系列という派閥の色の薄まりと、国家に勲功のある者を国家功労者として授爵し、より多くの次世代の人々へ目標を示し、有能な人材発掘を図る国家の方向性を見出しています。

川路聖謨は代官所手代の子から普請奉行、勘定奉行海防掛など要職を歴任、慶応4年3月15日の官軍江戸接取直前に短銃で自殺した、徳川官僚です。この方の孫の寛堂は圭介と共に暹羅へ赴いています。その川路の天保十五年の本丸御殿の火災の実情を記した生々しい記録です。

他にも、「史料紹介 学習院神田錦町時代の消失教材」は、神田錦にあった学習院校舎の火災の際、書籍教材の消失について記しています。一方失われた教材の補充や、旧工部大学校校舎への学習院の移転について、大鳥圭介の尽力が記されています。工部大学校が東京大学工科大学に合併した後、旧工部大学校の博物場の美術用品、物理化学など実験道具など工科大学から譲渡されました。「大鳥院長の尽力により学習院は、工部大学校という明治政府のお雇い外国人教師たちが教鞭をふるった、謂わば当該期における最先端の大学で使用していた教材や備品類を手に入れることができた」と記されています。


さて、今回まず触れたいのは、「大鳥圭介 『南柯紀行』(一)」です。

南柯紀行は、いくつかの写本、異本があります。以下、原文に近く信頼が置けると思われる順番に、並べます。

(1) 山崎版:山崎有信編「大鳥圭介南柯紀行」。 「大鳥圭介伝」著者の山崎氏が、大鳥遺族から原本を借り受けて写本し出版した。山崎氏により、明らかな誤り部分についての日付修正や、山崎氏調査における注釈が入っている。昭和16年、平凡社出版。入手難。たまに貴重な古本が出回っている。

(2) 旧幕府・同方会誌版: 明治5年に大鳥が洋行した際、荷物の中に南柯紀行を持っていた。これを本多晋が大鳥に頼み写させてもらい、この本多の写本を丸毛利恒がさらに写した。この「写本の写本」を原本として、明治30〜31年にかけて「旧幕府」に、獄中日記部分は「同方会報告」に掲載された。同方会版は丸毛が細かい注釈を付けている。明治30年(1)と若干の相違・異字があるが、大筋は問題無い。双方、マツノ書店が復刻している。

(3) 新人物往来社版南柯紀行:(2)を1冊にまとめて復刻したもの。青空の表紙。Amazonなど入手可能で、現在最も手に入りやすい。

(4) 幕末実戦史: 明治44年に中田蕭村が、衝鋒隊戦史と併せて上梓した改悪版。誤字、誤謬、脱落が甚だしく、詩歌に至っては原型をとどめてないものが数多い。大鳥の遺族が出版社に談判して、初版限りで絶版にさせたといういわく付のもの。「かくのごときは実に故人に対し敬意を失するものと云ふべし、故人の迷惑察するに余りあり」と山崎氏が怒りを述べた。しかし、新人物往来社が1981年に復刻してしまった。当時の担当は何を考えてそんな問題版を復刻したのか不思議だ。「幕末実戦史」という無粋な名も、中田が勝手に名付けたもので、大鳥の命名には寄らない。「南柯紀行」とは全くの別物と見るべき。特別な目的でも無い限り、手に取るものではない。

他、大鳥の南柯紀行、獄中日記は、様々な雑誌に抜粋・掲載されてきました。
さて、学習院大学資料館紀要では、史料館に所蔵されている大鳥圭介関係史料に含まれた「南柯紀行」の全文を翻刻しています。

最初は、今ここで学習院大学が新たに南柯紀行を活字化しても、真新しいことはほとんど無いのではないかと思ったのですが。


南柯紀行に、序文がありました。

公にされたのは、この紀要が初かと思います。
山崎版にも、旧幕府版にも、まして幕末実戦史にもない。今回の紀要の学習院所蔵版で初めて目にしました。

この序文が、素晴らしい。
大鳥圭介という人間の真髄が炸裂していました。

通常それだけを読んでも、ふーん、の一言で終わる文なのですが。南柯紀行本文を読みこむほどに、突っ込み所が雪崩れ落ちてきます。横隔膜が破れるかと思うほど笑いました。これこそが大鳥圭介だ、と悶えました。

何より素晴らしいことに、紀要はこの序文の大鳥生字の写真を掲載してくださっています。
気合の入った、大鳥の楷書です。よく見る書簡の、明治研究者が頭を抱えるフリーダムでカオスな字ではありません。数多くの論考の原稿原本と同じ、読みやすい几帳面な筆跡です。変体仮名交じりで優美ながら、同時に実直な性格も滲み出ている字です。
これはぜひ、紀要そのものを学習院史料館からご購入の上、ご確認いただければと思います。

さらに、本文は上でご紹介した山崎有信編「大鳥圭介南柯紀行」「旧幕府」を紐解き、その異動を細部に渡って示しています。写本によってどのような違いが生じるのかまで、一字一句明らかにしてくださっています。この細かく、丁寧な、根気の要る作業には、頭が下がります。


以下、序文を書きだしますが。南柯紀行を未読の方は、本文を読みこまれてから序文を読まれる事をお勧めします。その方が、万倍楽しめます。

紀要は、漢字、仮名字体、当て字、脱字も可能な限り原文でかき起こして下さっています。また、訂正、加筆、二行割書きなども記号を用いて、原文を損ねないよう最大の配慮をしてくださっています。
一方、変体仮名の元の漢字は、古文に慣れていない自分が読みにくいので、勝手ながらひらがなに直させていただきました。原文が気になる方は、紀要のほうでご確認ください。


南柯紀行序

戊辰の初夏、墨田の櫻既に散れり頃、衣を拂ふて東の都を出て、黒髪山の麓に
いたりて、緑樹の陰に暑気を避け、常盤なる若松の下に、磐梯山の黄葉
を詠し、阿武隈川に棹して、塩竃の煙、松島の月越翫び、金華山廻
下に船を艤して、蝦夷の島に渡て、高山の雪にがし深谷の水を践み、
春に移りては亀田の柳、箱館山の花を弄し、終に又其仲夏に至り、緑もし
げき青森の港に船寄せて、津軽廻小冨士を望み、秋田の邉を回りて、緑な
る秧の中を過ぎ、鳥海山・湯殿山等を右の方に見渡して、福島に出て、東
京に帰へり、獄中に繋れし満傳の事、流離顛沛の迹を遺漏するとこ
ろなく、書綴りて三巻となしぬ、

近来世に公に人の著せる戦記を見るに、戦勝てるときは漫に誇張して、
寸をも尺に伸して録し、敗れしときは其進退を秘し、文を略し、迹を曖昧に
なし、敵の死傷は員を増して主張し、己が死傷は隠蔽して其実を露
さず、是れ尋常の常態なりといへども、後世をして実蹟に惑はし玉ふ大患
なり。

此篇の体裁、千山萬水自ら目撃するところの真景実情を旨とし、将士兵卒
の屡遭遇するア嶇艱難の趣を詳に寫し、笑うべき耻ずべき事をも修飾なく、其儘と
拾ひあつめ、事跡或いは忌憚に触るヽと雖、絶て斟酌せず記し載せたり。看
官冀くば、事の確実な流をとりて、文の俚雑なるを笑ふことなかれ

己巳十月 痩梅逸人識



黒髪山:日光、男体山
翫び:あそび、もてあそび
流離顛沛:りゅうりてんぱい。顛沛はつまづき、倒れる、挫折すること
迹: あと
屡: しばしば
ア嶇: きく。険しい山道
耻:はじ
冀くば:こいねがわくば
俚雑:りざつ。俗っぽく雑なこと


「痩梅逸人」は無論、大鳥本人のこと。
獄中の漢詩で「欲見瓶花時秉燭 驚吾孤影痩於梅」と、蝋燭の瓶を手に取ったら、自分の影が瘦せた梅のように見えて驚いた、と詠んでいます。ここから来たのでしょう。幕臣時代に大鳥の拝領した屋敷があったのが「駿河台紅梅町」だったことも何か関係あるかもしれない。
ただ、「痩梅逸人」を名乗ったのは他では見たことはありません。

己巳十月は、戊辰の翌年、すなわち明治二年のことでしょう。明治二年六月に獄に入れられ、四ヶ月を経た十月に、この序文が書かれたものと思われます。

そして、本文。以下、「 」内は意訳です。

まず、最初の七行。
流麗な、旅情あふれる文です。どこのボンボン貴族の旅行だ、という感じです。これだけを読めば、綺麗な文ですね、で終わる。
しかし、南柯紀行本体の、あの悲壮さ、悲惨さとの対比がすさまじい。

「墨田の桜散る頃」
それ、間違いではないですが。実際は土砂降りの泥濘の中、ずぶ濡れの深夜の脱走だったではないですか。お雛様片付けるを嫌がった長女はじめ、家族と離れて流浪の反乱軍に身をやつす、沈欝な想いがあったではないですか。

「日光黒髪山に来たら緑樹の間に影に暑さを避けて」
日光で避暑か。 宇都宮でボロボロになった敗残兵まとめ上げて、死生を共にしようとも期した柿沢勇記と死に分かれて、脱走兵続出で、徳川菩提寺の日光を心の拠り所にしてやっとたどり着いたのに、日光僧から食糧無いから出ていけと言われ。にっちもさっちも行かず、徳川の天兵から会津の傭兵になってでも戦い続ける悲壮な決意で、餓鬼道の六方沢に向かったことが、避暑、ですか。

「常緑の若松、紅葉の磐梯山」
二度も子飼いの伝習兵を会津に置き去りにされて兵の過半を失い、会津仙台二本松は頼むに足らないと慙愧し生き残った兵の手を取って男泣きに泣いて、山中筵をかぶって流離い川に滑り落ち足をくじき、1日数十km道なき道を藪こぎし、死んだと兵に思われていて生きていたのが夢の心地と言われてまた泣いて、味方だった藩の変心で裏切られ、泥沼の中食糧なく弾薬なく、際限の無いゲリラ戦に身を費やした。それが貴方のもみじ狩りですか。

「高山の雪、深谷の水を踏み」
冬の道南、おとなしく五稜郭居ればいいものを、雪中踏査。馬も氷を踏み抜いて動けなくなり、フランス人は凍傷で動けなくなる1-2月の北海道を歩き抜き。敵が上陸したら、陸兵と艦砲射撃の三面攻撃喰らい天が落ちる屍山血河の戦闘を、自刃する兵を引き剥がす想いで戦場から離脱させ生き残らせたのは、どんなハイキングだ。

「春になったら亀田の柳、箱館山の花を愛で」
連日の夜襲夜戦、決戦日は弾丸がほっぺた掠って耳が痺れ陣羽織を撃ち抜かれても、自分の身に怪我なしという悪運。兵が身を呈して庇ってくれ後ろに下がれと怒られる傍、隣の春日隊長が撃ち抜かれ戦死、右腕の大川の馬も撃たれて死ぬ。疲弊し果てて押し入れの中で隠れて寝入っていたのを、降伏議論の為に士官に見つけられ起こされた。首領は自害未遂。それを貴方は、春の花見と云いますか。

「初夏、緑で青々した青森の港に船寄せて、津軽の岩木山を望んで…」
流落日記にある経路そのままですが。降伏後、死にはしないと部下には強がる陰で、「この身を殺す」と漢詩に詠んで死を覚悟し、いつ首を斬られるか分からない生と死の狭間、血も枯れる想いで、牢獄と処刑場に向けて護送されてた道中文が、これですか。


……と。最初の七行に突っ込むのに、いくら時間があっても足らない。

かと思ったら、「流離顛沛」。流離いの果てに躓き倒れ挫折。一言で南柯紀行の内容を表しおった。


そして、次。
ここに、大鳥が南柯紀行を記した理由が込められています。南柯紀行はこの大鳥の想いを具現したものであることが、明らかです。

人の書いた戦記は、勝った時は誇張して小さいことも大きく述べ、負けた時は詳細を書かず略して曖昧にし、敵の死傷者は水増しし、味方の死者は隠ぺいする。これが普通なのだが、後世の人間が実際のところを知るのに大きな邪魔になる。であるので、自分は長い行程の中で目にしたそのままのこと、経験した実情を飾らずに述べ、特に兵士の遭遇した苦難については詳細に記した、という。

ここで「笑うべき事、恥じるべき事も飾らなかった」確かに飾ってはいない。しかし。飾らなさすぎだ。敵はまだ来ないと思っていたら大砲の音劈いてきて大びっくりとか。味方かと思って近寄ったら、これが敵で撃ちかけられて逃げまどっちゃったよとか。
貴方自分をピエロにして、別の方向に組み立てて読者を笑わせようとしているでしょう、明らかに。

「嫌がられることもあえて汲み取らず手加減せずに書いた」
その結果がサナダムシですか。会津で遊びたかったという本音ですか。好き好んで自分を貶めて悲壮な中に笑いを取ってどうするんですか。笑わなければやってられないというのも分かりますが。人間、余りに苛酷なストレスに晒されると、自己防衛機能が働いて脳内麻薬が出て、何故か全てをかなぐり捨てて本当に笑ってしまう、そんな境地だったではないですか。

「文が俗っぽくて雑なのは笑わないでね」
このシメに一番笑いました。人の腹筋をどこまで崩壊させたら気がすむのですか。
南柯紀行は、雑な文どころか、至高の文学だと思います。笑うところは、文が雑なのではなく、全てを正直以上に記した貴方の感性です。関西人的自虐諧謔で笑いを取ることを、計算して、あるいは本能で書いている、この序文はもう、反則です。

…と。息切れするほど突っ込みたい。全く困った人です。

余りに突っ込みどころが多すぎて、南柯紀行のタイトルが「大義日記」だったという衝撃の事実に触れるまで、手が回りませんでした。「大義」は、やっかいだ、骨が折れる、という意味のほうの「大儀」だったとしても、驚きません。

南柯紀行のほか、大鳥の史料紹介、書簡についての寄稿も必見です。学習院大学史料館紀要第十八号、お手元にあって損は無いと思います。数々の史料を丹念に整理され、読み解かれた学習院の関係者の方々に敬服です。

ただ、基本文献を先に読まれてからのほうが、理解はずっと進み得るものも多いかと思います。まずは、「けいすけじゃ」「大鳥圭介伝」「われ徒死せず」「南柯紀行」の順に読み、それから各記事に当たられれば、紀要の論文の価値もぐっと増して感じられるのではないかと思います。

posted by 入潮 at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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