2012年09月24日

英国周遊3日目 グラスゴーその1


この日はハイライト。二回に分けます。

◆ 2日目夜 9月18日、 ロンドン→グラスゴー夜行バス

・ 長距離バスはCoachと称する。長距離バス乗り場はCoach Station. 列車が取れずやむを得ずバスにしたが。Megabus 社の夜行寝台(Sleeper)バスが素晴らしかった。狭いがシーツは清潔で寝やすい。ベッドにも座席にも携帯・ノートPC用の電源があり、Wifi完備。競争が激しいのだろう。

・ ロンドンからはビクトリア駅近くにあるビクトリアコーチステーションから。中にハンバーガー屋のスタンドがある。椅子は鉄製で寒い。長時間待つ場合はしっかり防寒を。
・ グラスゴー側はクイーンズ駅の北側に着く。周りにカフェなどは無いので朝飯は南側のGeorge Squareまで歩く。


◆ 3日目 9月19日、グラスゴー

大鳥が滞在したのは、明治5年9月15日〜9月20日の6日間。フランスポリス(化学、鏡工場?)、Carpet局、Elder社蒸気器械製造局、Willie and Lochead Co. 型紙製造局、London and Glasgow Ship Engine Company, 林・宇都宮と近郊を馬車で徘徊、 Smith&Co.鋳鉄局、Hanney&Son 製鉄場、など。非常に精力的に動いていました。
ネットの検索、およびグラスゴー大への照会では、現在に渡って操業中の工場は確認できず。幾つかの場所は特定できた。

● グラスゴー市街

・グラスゴーは、歴史好きだけではなく、中世ファンタジー系のTRPG好きなら、きっと楽しめる。街中心部の本屋にはTRPGのルールブックやフィギュアが処狭しと並んでいる。

・ 市中心部はじめ、建物が圧巻過ぎる。12世紀からビクトリア朝期のものまで、大切に外観が保存されている。市中心部も古い建物を残し中味を近代化している。時間を忘れてタイムスリップできる。

● グラスゴー大学Archive

・ グラスゴー大学はケルビングローブ公園の敷地内にある。地下鉄Kervinbridge またはHillheadで下車。地下鉄駅近くは学生街で、安く雰囲気の良いカフェが多い。

・ グラスゴーの史料を保管するアーカイブ Archive は図書館とは別にある。図書館はメインゲートからUniv.Aave.を挟んだ反対側。Archiveは大学と反対側のDumbarton道沿い。

・ Archiveの閲覧室に開架で所蔵されている文献には、グラスゴーの歴史、スコットランドと日本の関係史にかかる良書が多い。

・ Archive内の史料はデジカメ撮影OK

・ 対象は主に1880-1881年にグラスゴーに留学していた工部大学校一期生の足跡。収穫物は以下の通り。

- 1881年のBritish Census。高峰、志田、南、高山の4人が同居していた場所を示す。場所は18 Wilson St。志田がShidaだったり、南清がKigosile Minamiだったり、何より高峰がJackichi Jatiamine だったり。東洋人の名前が難解なのは分かるし、原本の手書きの票をタイプする人間の解釈によるのだろうが。これでは検索のしようがない。

- 手書きの研究者メモ、"Japanese Students in Glasgow" に、彼らの住所のメモ書きには"18 Markland Terrace, Hillhead (Wilson St). This address of correspondence among Japanese Students in 1880 is also at Collin Brown" とある。

- 17 歳のアイルランド人 Miss.Mary、召使として3人と同居していた。

- 高峰が受けていた化学の授業内容を示す、同じ講義を受けていた学生による講義ノートあり。

- 志田帰国後の志田→ケルビン卿書簡がタイプされていた。研究報告も近況報告も。共同研究を行っていたことが伺える。公私ともに師弟の愛情深さが伺える。志田が若くして夭折したことをケルビン卿が嘆き悲しんだのもよく分かる。

- 多久市教育委員会が刊行した「郷土の先覚者 志田林三郎」が保管されていた。志田林三郎の生涯を描いた伝記マンガあり。これは欲しい。

- 志田、高山、田中館(東大)、渡辺らのグラスゴー大学入学許可書、授業登録書などあり。なお、高峰の留学先はUniv. of Glasgow ではなく、Anderson Collage だった。

- 志田は、自筆で Shider だった。ヘボン式ローマ字がまだ浸透していないため、皆好き好きにローマ字を当てているようだ。検索時に厄介。

- 高山直質 の読みは Takayama Naotaka。彼も Civil Engineering で2位、George
Harvey賞1位、General Eminence2位 など、グラスゴーで優秀な成績を収めた。帰国後の早逝が悔やまれる。

- 工部大学校の英語名は Imperial Collage of Engineering. 大体、I.C.E. と省略されて記されている。

- 山尾庸三の滞在住所判明。 C/O Clin Brown, 5 West Regent St. H Whead house (mobed from Douglas St in 1866) とある。山尾が徒弟として働いたネピア造船所の正式名称は Robert Napier & Sons Shipyard.

- 工部大学校からは、他に三好晋六郎 Miyoshi Shinrokuro(1880-81)、真野文二 Mano Bunji(1887-1888) 渡辺嘉一 Watanabe Kaichi(1887-1888)、内藤政共 Naito Masatomo(1882-1883)、進経太Shin Tsuneta(1885)など留学。カッコ内はグラスゴー滞在期間。

- フォース巨大鉄橋を設計した渡辺嘉一(工部大学校卒、第五期生)の関係資料が結構たくさんある。

- 工学寮学課並諸規則 Imperial College of Enegeering, Tokei 英文冊子あり。W.E.Ayrtonの記名があり、頭に宛先をA.Mori としている。エアトン先生が所持し、森有礼宛に送ったものと見受けられる。英文学課規則。これは日本の大学におけるシラバスの起源とのこと。昭和45年4月14日、東京電機大学藤田豊記教授の解説が添付されていた。

・ 大鳥らが見学したWillie and Lochead Co. Whiteinoh Paper Staining Works の1897年の損益表があった。

・ 山尾が働いたR.Napier 造船所は、1850-1900操業。Goven East 地区にあった。古い地図には、クライド川右岸(南側)のGovan Road の北側に Naipier PL, Naipier Drive, Naipier St など見当たる。

・ 大鳥の訪れたLondon & Glasgow 社は1864-1912年で、Govan Midedleton 地区。同じく、エルダー社中の蒸気器械を見学した J.Elder社は 1870-1886年、Govan Fairfield にあった。

・ 当時の造船所、鉄工所など工場は、大体がクライド川の南側、Govan 地区に集中していた。

・ Olive Checkland がグラスゴーほか英国に留学した日本のパイオニアについての詳細な論文、著作を残している。

・ 「国際日本を拓いた人々 日本とスコットランドの絆」 北政巳 昭和59年、この分野を網羅しているよい文献。アーカイブに寄贈されていた。


以下、写真:

P1010572.jpg
グラスゴー街中の本屋さんのウィンドウ。TRPGのWarhammer のポスターが張られている。骨が絶たれ切断される苦しみがまざまざ感じられる、リアルな恐ろしいルールだった。

P1010573.jpg
タクティカルコンバット用のフィギュアもたくさん。昔の血が騒ぐ。

P1010575.jpg
グラスゴーセントラル駅。

P1010581.jpg
大学から眺めたケルビングローブ博物館の建物。どこの中世だという世界。

P1010582.jpg
大学構内の建物。尖塔が見事。

P1010585.jpg
Archiveの閲覧室。

P1010621.jpg
郷土の偉人伝志田林三郎。

P1010692.jpg
田中館愛橘の切手。

P1010730.jpg
1858年のグラスゴー地図の一部。Napier造船所のあったGoven地区。


posted by 入潮 at 03:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/294036013
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。