2012年12月10日

大鳥圭介「至誠」


「名家談片 『至誠』 枢密院顧問官 大鳥圭介翁談」

明治32年5月号の「少年世界」に掲載。著者が老齢の圭介翁に、少年に聞かせるための話を求めに行った際の、大鳥の語り。筆録者名は不明。

この談話は、大鳥がこれまでの人生における自らの心がけを総括したものと思われます。
少年に聞かせるものということは、老若男女だれが聞いてもよいもの。ごく当たり前のことを語る大鳥ですが。本人の経験、事件時の想いを踏まえて語られるものであるせいか、一言一言が心に響きます。
ひとまず全文入力します。

読みやすさのために、句読点の変更、旧漢字の常用漢字への変更、送り仮名の変更を行なっています。

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日清戦争の当時、大鳥公使の名は実に支那朝鮮を震撼せしめたのです。あの難局を引受けて能く首尾を整えられた功は、一時大鳥公使云々と俗謡に唱はれたのも、無理はないので御座います。今は枢密院顧問官として、国事の枢議に参して居られる。私の翁を訪れたのは、一重も大方に散つて、朝よりの花曇、何んとなく名残が惜しまれる某の日でした。暫らく應接室に待って居りましたが、楣間には山陽外史の一幅、彼方には当代の諸名流が書簡の、張交屏風が立てヽある。やがて翁は例の見事な白髯を撫しながら出て来られました。


ナニ少年のために話を仕ろと云ふのかい、ソー何を話したものか。ム先日麻布小学校で話を仕たのがある、それは「まこと」といふのであつた。

誠、即ち虚偽(うそ)をつかないと云ふことは、誰でも知つて居る、處がなかなか行はない。併しまあこれ位大切なものは無いと思ふ。何事に依らず何を為るにも誠といふことから出て来なければならない。親に考を尽くす、君に忠を行ふ、これは大切なことで、さうなくてはならないが、考といふことも忠といふことも、畢竟善い行にしても、其人の誠から出てこなければ善い行と称することが出来なけりア、又実効を挙げることも出来ぬ。仁義礼智信と区別されてるが、仁にしても義にしても、皆誠から出て居る、土台は誠にあるのであるから、誠意といふことは、人の一日も忘れる可らざることで、日常坐臥時事物々、皆この誠意から出て、誠意を以て遣らなければならない、とまあこういう話で。

第一誠意を以て進めば心強い、支那でも至誠鑑事天輔之(しせいことにかんがみてんこれをたすく)とある。西洋では天と謂はずして神(ゴッド)だが、かう云ふ諺は幾許でもある。即ち誠意を以て進めば、天神でも必ず輔けて呉るといふ位で、誠意の前途には決して遮るものは無いのである。虚偽位危険なものは無い。只百に一の僥倖を得やうとするのみだが、誠意で遣れは自分で一点疚しい事がないから、決して恐いものがないだけ。それだけでも心強い所がある。

私が日清戦争の時遣つたことは、何にも功名を得やう富貴を索めやうがためではない。只至誠を以て事を行ふた。朝鮮を助け支那の暴戻を挫くに至誠を以て仕た。即ち至誠鑑事天輔之とは此處の事である。

能く西洋では学理飢えの新智識を得るために、風船旅行を企つる者がある。又は北極南極探検を遣る者がある。これ等は脇から見れば洵に無謀らしい話で、能くそんな危険を遣ると思ふやうであるが、彼等は只新智識新発見を遣らうと云ふ至誠から出たのであるから、危険も思はない。至誠から出た事は、必らず天神が輔けて呉れると信じて居るから、当人に取つては局外者のやうに危険を感じない。これは一の確信を有して居る為だ。

それで日本の英雄の内で、誰が最も誠の人であるかといふと、私に云はすると菅原道真だと思ふな。そりア楠正成其他の人々も誠の人だらうが、その菅原道真の歌にかういふのがある。

心だに まことの道にかなひなば
祈らずとても神や守らむ

まことにその通りである。一体神に祈るといふも、至誠を以て祈らなければ何んの益にも立たない。祈るといふは二の次でも苦しくはない。只至誠に出て至誠を以て進むならば、天神は必ず守つて下さるに違ひない。只心だに誠の道に協ひさへすりァ、それで善いのである。

私が北京へ居つた時、北京の仏国公使館でその書記官が、一本の扇子を出して、どうかこれに一ツ日本の歌を書いてくださいと云ふた。よしと云つて直ぐ書いて遣つたのは、

西東 國こそかはれ かはらぬは
人の心の まことなりけり

書記官の云ふには、この歌は一体どういふことで御座いますかと聞くから、東洋西洋と國は違うけれど、只誠といふことは何處へ行つても違うものでない。人は悉くこの誠がありたいといふことだと説ひて遣つたら、大きにさうですと手を拍つて同感の意を表したが、実に欧羅巴も亜細亜も只人の作つた区別で、誠と云ふものヽ上には、人種の相違も何もあつたものでは無い。誠は四海共通りの土台である。

前云ふた通り忠考礼智信皆誠から出て居る。誠が大本である。であるから子供達に呉々も云ふて置くが、銘々成るべく日常の行為にも誠といふことを心懸けて、何を為るにも誠を以て遣るやうに、自分で自分を心懸けて居るなれば、それが一家に及ぼし一町に移り、竟に国家に及ぼすに至り、その誠から出るものに其処には堪えて罪悪と云ふが無くなるであらう。だから只自分で自分に誠といふことを心懸けて居れば善い、それで善いのだ。で相互いにさう心懸けて居れば、それが寄つて一の美しい国家を形成することが出来るのである。

とまあこんなことで……。



以上は麻生小学校で語られた所の大体で御座います。誤つた箇所があれば、それは私の筆の上に在るのです。

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嘘をつかない、虚飾をしない大鳥のあり方は、その著作を見て明らかです。 しかも自分自身の評価については「丹心千載人ノ評二任ズ」と、いかに誤解されても言い訳や弁解の一切を行なわない姿勢でした。それが現在の創作における残念な書かれ方に繋がってしまっている面は確かにあります。

しかし本人はただ黙って至誠、誠を尽くして生きた。誠とは、嘘や虚飾なく、己の最大源の力を尽くして、私欲ではなく公益の為に行動すること。大鳥はそれを貫いた人だと思います。

誠とは、宣伝文句でもプロパガンダでもない。口に出して言うことは無い。ただ己の行ないで示すものである。誠を掲げながら実態がそうではない組織や人も多いですが。言うのは容易い。行なうのは難しい。特殊な事は何も言っていないながら、大鳥がそれを示し続けた人であるからこその説得力を本文は有しています。

「至誠鑑事天輔之」 至誠、ことに鑑み、天これを輔(たす)く。

これは、誠を尽くす、すなわち、真剣に全力で関わる人を大切にして物事取り組めば、自ずから結果はついてくる。その事実を示しています。天や神が助けるというのは、結果が応えてくれるということでしょう。

そして、誠は、東西共通であると。

実際、人類皆兄弟という言葉ほどの綺麗事は無いと思います。外国人相手に仕事をすればするほど、思います。存在そのものがジャイアンかと疑いたくなるインド人など相手には、散々苦しめられ、何度も「二度とこんな奴らと仕事するものか」と吐きました。技術支援に来ても「お前等の居場所は無い」と会議室の隅っこに追いやられたこともありました。

ただ、今の限られた自分の力と知識と経験でも、この国の益になることを、様々な制限と条件の中で必死に行えば、見る方はちゃんと見て下さる。協力して下さる。まず自分が全力で、何が最善かを考え抜いて動けば、人はそれに連れて動いてくれる。それは、どの国でも同じであるという感慨を抱いています。一方、力を抜き楽をしようとすれば、そこは冷徹に見抜かれます。すぐに軽く見られます。文化や考え方が異なればいっそう、相手は客観的に姿勢を見てきます。

大鳥の言葉には、そうした類のことを踏まえた実感が感じられます。
特に清国韓国駐剳公使時代について、胸に来ました。

大鳥は日清戦争を開戦に導いた公使として、その名が上がりました。開戦の切っ掛けは、朝鮮から清の兵を撤去させ、朝鮮の清への従属関係の解消を求めたため、というのが通説です。

一方、すでに大鳥は明治十五年、大鳥は朝鮮の指導者と交わっています。朝鮮から殖産興業視察にきた官僚達を自宅に迎え入れて語り合っていました。吉田清成への書簡に以下の通りあります。

「小生儀は兼て近来渡来せしものゝ内、趙秉嘉、洪英植、魚允中、又金宏集、金繻ウ等と申人とも幾回も面会、拙宅へも尋参り心底を打明物語致し候廉も有之候。且従今彼国之頭目たる人を導き政路を改良せしむるには、必政略のみを用ゐず、誠意誠心を以てし、或は工業或は農事を教へて遍々に彼の心情之方向を変化せしめ、数々之事より徐々に暁し緩々の心服せしむる事、実に大切之ことかと被存候。其辺之事に至り候ては小生敢て他人に譲らずと、例之小天狗心を発し居申候」

ここでも「誠意誠心」誠の文字が出てきます。政略だけではなく誠を尽くして、農業や工業を教えれば、彼らの心情は変化し、心服してくれる。大鳥は、このことについては他人に譲らないと「例の天狗心」を発していると、冗談めかしています。

大鳥公使の本望は、韓国への技術支援にありました。天津のために工学士の桑原政が派遣されると聞いた大鳥公使、「余は欣喜に堪えず、多年の望漸くにして達したるに満足するものなり」と大喜びしました。桑原政は、工部大学校の生徒で、二期生次席。ダイハツの創設者としても名を連ねている方です。

また、大鳥は朝鮮の官報を、鮮明な活版印刷で発行するという有益な刷新を行った。1895年には、漢字と『無知な文字』とされていたハングルの混合体が官報を用い、一般庶民にも読めるようにしています。庶民が文字が読めるということは直接民力向上に資することです。識字率の低さほど開発の妨げになることはありません。現代に繋がる韓国の文字制度への貢献でしょう。

大鳥は朝鮮に「強引な改革要求をした」とされますが。大鳥が朝鮮に求めた事は以下の通りです。

外国交渉を重んじた担当大臣の設置、売官の悪弊の停廃、事務執行に必要な役人を残して冗長な人間の削減、従前の格式を打破して広く人材を登用すること、官吏収賄の禁止、国家収入・支出の調査と厳正な会計、土地田畑の調査と租税改正、不必要の支出の削減、税関に他国の干渉を入れないこと、鉄道や電信の開設と通信の開始、裁判法の改正と司法を公正化、士官の養成と新式の兵の設置、首都と地方の町に厳正な警察の設置、各地方に小学校を設置し教育を実施、中学・大学の設立、優秀な人を外国に留学させること、など。

国が一国として主権を持ち成り立つための、必須な事項ばかりです。

そうした行ないは、大鳥の自分の名声のためではない。朝鮮のため。そして朝鮮の発展を阻害する最要因であった宗主国清への従属関係を断絶させるためのものでした。大院君の行ないも、その大鳥の姿勢に応えたものであったのではないかと思います。

無論、朝鮮の高官たちの既得権益を廃する改革でした。因循固陋な考えが蔓延り、反対の声の大きさ、大鳥公使に対する批難の数は想像に難くありません。そもそも日本は国境の安定のために緩衝地帯となる朝鮮が安定していればそれでよい立場のはずです。そこに、朝鮮そのものを開発しエンパワーする改革を推進する行ないは、単に本国の言うことを聞き無難に任期を負えればそれでいいという大使にはとてもできることではないでしょう。

大鳥は、後年の様々な評価は別として、誠意をもって朝鮮の便益を考え抜いて行動した方であることは確かであると思います。
その姿勢を貫いた人物であったからこそ、フランスの外交書記官に「西東 国こそ変われ 変わらぬは 人の心の 誠なりけり」という実感を込めた和歌を読んで渡し、相手の心にも響いたのでしょう。

一つ一つの難事に誠意を持ってクリアして行くというのは、言うは易し行なうは難しです。心身疲れ果てます。それでも正しい方向を見極めて力を注ぎ続ければ、いずれは理解され良い方向に進む。

現場にいれば、日々人とのやり取りの難しさに、様々なやりきれない想いを抱きますが。
それが浄化され、初心に帰らせてもらったような、大鳥の語りでした。

posted by 入潮 at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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