2006年01月07日

土方歳三の実像と箱館戦争


土方歳三。現状、この方については、調べるほどにハテナマークが増えて、結局、余り理解できてないという体たらく状態です。
史実の土方さんのファンでいらっしゃる方をご不快にしてしまうとは思いますが、疑問点を呈して認識をはっきりさせたく、また誤解や無知があれば史料をご教示いただきたいという意図ですので、御寛恕いただけますと幸いです。

NHKのドラマにつき、なぜあのドラマをみて、素直にエンターテイメントとして受け取ることが出来ず、後味が悪かったのかのですが。

あんなものが、「箱館戦争」として、世に流されたのが不本意だったから。

勿論、ドラマも、娯楽と思ったら十分楽しめます。榎本さんや永井尚志の存在感も良かったです。鉄も可愛かった。圭介の俳優さんの表現力も大変よかった。ただ、それは単に実物のイメージと比較して、ピッタリ来たか、純粋に見ていて楽しかった、というだけのことで。それ以上のものでもない。

逆にどうもモヤモヤしたものが残りまして、純粋に楽しめなかった。いや、圭介の描かれ方とかそれ以上に、白けたものがあった。それは。

一人のヒーローが死にました、はい終わり。
……というものではない、箱館戦争は。

てことでした。
あれは、大河ドラマの土方を求める土方ファンの方々ために、土方をテーマにした創作物だ、というのは重々承知です。自分が求めることも、フィギュアスケート見ながら、「スピードスケートってのはあんなんじゃないんだよ」とかいうぐらいのハキ違えだと思います。

それで、暴言ついでに、ここのところ、感じておきながらずっと言い出せなかったことを、言ってしまいます。
これはもう、特定のドラマがどうこうというわけではなく、業界全体、小説や漫画や読本系、果てはネット界隈までを含めた全てに関してなんですが。

土方の実像について。

調べるほどに自分、分からなくなっていいます。土方が何をしていたのかわからない。具体的な行動とか、仕事の内容があまり見えてこない。
戦闘にしても、「土方督ス」と、川汲、福島、二股など、分隊行動における司令役を務めていたのは明確です。ただ、その分隊の行動が「土方隊」と表現されて、分隊の功績イコール土方の功績、となっています。逸れはそれでおかしくないのですが、その中で土方が具体的にそこで何をやっていたのかというのが、よく見えない。

勿論、新選組関係者の筆にとって、土方は大変カッコイイです。十分、惚れるに値する人物です。
二股にて。「又寡ヲ以大敵ニ当リ動カサルハ是土方君ノ力也」(戊辰戦争見聞略記)
大野さんは、二股の土方について、「努力せば総督必ず重賞を賜らん」とか「吾れ総督に白して重賞を与へん」とか、「総督の法令厳整にしてよく士卒の心を得たる」とか、一生懸命その存在感を主張しています。(函館戦記) まぁ、伝習隊大川瀧川を仲裁したのは大野さんで、土方はコメントつけているだけでしたが。

特に死したときの慟哭は胸に来ます。
「安富才介ニ遭フ。彼曰ク、奉行土方君、馬ヲ跨柵ノ側ニ在リ、敵ノ狙撃スル処ト為テ死スト告グ、吾悲嘆。砲台ニアル新選組其長死スヲ聞キ赤子ノ慈母ヲ失フカ如ク悲嘆シテ止マス、アア惜シムヘキ将」(戊辰戦争見聞略記)

そこまで言ってもらったら、隊長冥利に尽きるというものでしょう。
石井は桑名藩士で、蝦夷に同行するために新選組に編入されましたが、しっかりと「新選組」の一員でした。箱館戦争史料集部分だけ読んでいたら、彼が桑名藩士だったというのは一見分かりません。

大野さんの「箱館戦記」や、石井勇次郎の「戊辰戦争概略記」をじっくり読むと、土方への賞賛文句だけではなくて、土方の位置づけが見えてくると思います。土方は新参者の彼らをしっかりと取り込んで新選組の一員にしていたのが伺える。石井さん、ご自身を土方配下の「新選組」の一部と見ています。土方は箱館において、新選組という強固な集団をきっちりと作っていた。その役割は戦闘のための小隊。あとは治安維持もあったのでしょうか。

(ちなみに、石井の筆でも、5月11日「直二海涯ノ諸守ヲ厳二ス」と、寒川上陸の警戒について、触れてました)

ただ、死んだ人間は誰も悪く言わないもの。これらの惜しみの言は、戦死したからこその、いわば墓を飾るような言であり、美しくするのが部下のつとめ、という健気な意思もまた、感じられるところです。。

それで、新選組研究家の仕事って、何十ページもある資料から、ほんの1、2行を抜き出して、それがさも戦争の全てであるかのように組み立てているフシがある。全体の資料の構成から、その重み付けがいかなるものかという評価を行なっていないのは、あまり公平な作業ではないでしょう。

一方で、これはけなそうとしているとかではなくて、史料を手にとった率直な感想なのですが。新選組、直卒の輪から外れると、いきなり温度が下がってしまうのも土方ではないかと感じてます。

とりあえず自分が見たところ、大鳥や今井や丸毛利恒、小杉雅之心、小野権之丞、人見寧や林董といった、主な箱館戦争の記録者の記録、語り部には、土方は、名前の記録、以上の扱いが見つからない。せいぜいが、死亡したときに贐として「良将」との言葉が記されている程度です。重職にあった者の扱いにしては、大鳥や中島といった人物の扱いに比べて、かなり物足りない。

たとえば、今井の衝鋒隊戦史。同じ二股でも、大川と滝川の勇猛さをこれでもか、と称えている、歴戦50戦を誇る今井。土方に対しては二股でほとんど描写せず、ようやく退却になって、「古屋作久左衛門、土方歳三等を擁護して夜八時頃より徐々に退却」と触れているのみです。

一方で木古内の大鳥に関しては「木古内の前面最も悪戦を交えしが大鳥の奇襲功を奏して、官兵は脆くも一時壊走」とか、「大鳥、天野らの兵は再び胸壁に引き返して必死に防戦せしも、奈何せん胸壁は築造未だ幾何も経ざれば耐久力弱く、加ふるに官艦より打出す海軍砲の威力は猛攻を極め」(以上「衝鋒隊戦史」)とか、圭介の行動に関しては非常に具体的で、かつ、圧倒的に不利な中での努力をちゃんと書いてくれている。小杉も同じで。二股で土方の名前は全然言及してないのですが、木古内では「本営より大鳥圭介、本多幸七郎、星恂太郎等兵を率ゐ馳来り、奇兵を以て山谷より挟み打立しにより敵進む能はず、樹林の中に入防がんとせしを急に撃て之を破る」とか、劣勢になって「夜大鳥圭介馳せ来たり惣軍を五稜城附近に引揚べきを令す、衆肯ぜず、大鳥口を極め諸将を説諭し、終に木古内を発し」(以上、麦叢録)とか。やっぱり大鳥の行動は具体的に描いてくれている一方、二股は、伝習隊の活躍は之でもか、というぐらいに描いてくれていますが、土方について言及無しです。

嘘だと思われましたら、上に挙げた史料で確認してください。

戦争だけでなく、非戦時の行動、行政についても、まだ全く調査不足状態ではあるのですが、北海道文書館や、事務方の日記、書簡などの資料に、土方の名前は見つけることは、ほとんどできない。(桑名藩家老の酒井孫八郎日記には数点出てくる。新選組に編入された桑名藩士の処遇についてと思われる) 新選組研究者の言では、単に役職の名前だけで、重要な役割を果たしていたという評価になってますけれども、どうもそういう評価も具体的な根拠がない。

重鎮といわれる役職にあるならば、それなりに仕事をした跡が見つかっていいものだと思う。そりゃ、火事や戦争で失われた文書も多いでしょうし、今我々が手に出来る文書にないから、その人の功績を「ない」等と言ってしまうのは、余りに乱暴でばかばかしいことですが。
あるものを「あった」というのは簡単ですが、ないものを「ない」と言い切る事はできません。

ただ、足跡というのは即ち、記録であり、書簡であるわけなので。この時代、電話も通信も無く、情報のやり取りは口頭以外は全て手紙で行なわれていた。なにかしていたら何かしらどこかに残っているし、辿るとどこかに糸口がみえてくるものだ、というのが今までなけなしの史料に触れてきて自分が持っている実感です。なのですが、土方がなんらかの仕事をしていた記録がどうも見当たらない。北海道文書館の箱館奉行所文書には、榎本、松平、荒井、大鳥は勿論、松岡四郎次郎、小杉、人見といった地方の奉行格の文書も見当たり、仕事内容に察しがつけられるのですが、土方の場合はその影にどうもひっかかってくれない。かろうじて大鳥が、松前の概況を松平太郎に伝えた際、回覧で陸軍奉行並土方にも見せておいてくれ、という言伝がありましたが。一方で、家伝とか子孫の言とか、創作だか事実だか願望だかはっきりしないのばかり目に付くので、どうにも像がぼやけて伝説めいてしまっている。

箱館政権の役職紹介の記述で、羅列のなかに「陸軍奉行並」職が出てこない資料も多かったりする。箱館奉行などと役職を間違えていいるものもある。他の役職、海軍奉行、陸軍奉行の荒井・大鳥はもちろん、江差奉行の松岡四郎次郎、松前奉行の人見寧の役職も、間違えたり、スルーしている人もほとんど居ないですが。
たとえば、実際に12月15日に決定した役職を言及している資料で、土方の役職の表記。

「蝦夷の夢」衝鋒隊今井信郎:記載無し
「衝鋒隊戦史」衝鋒隊今井信郎:「箱館奉行」
「麦叢録」江差奉行並小杉雅之進:記載無し
「北州新話」丸毛利恒:「土方歳三を同く(陸軍奉行)並に」
「蝦夷錦」額兵隊荒井宣行:同(陸軍奉行)並、箱館市中取締陸海軍裁判役頭取ヲ兼ヌ
「戊辰戦争見聞略記」桑名藩→新選組、石井勇次郎:「陸軍奉行並裁判為頭取箱館市中取締兼」
「新開調記」民間人:記載無し(総裁選の票数はあり)
「人見寧履歴書」:奉行職としては記載無し「各軍隊長」として、春日、古屋、星らと共に土方の名が羅列。

此処に挙げた、各役職就任の記載のある資料のなかで、「陸軍奉行並」として土方が記載されているのは3つ。箱館市中取締と陸海軍裁判役頭取という副職(?)に触れているのは2つ。石井は土方直属の新選組だから当然としても。ちょっと寂しい感じです。まして筆まめ記録男の今井や小杉が、スルーまたは間違っているというのはどういうことなのだろう。

こうなると、土方が「陸軍奉行並」という役職についていたことも、身近な人や記録に拘る人以外にはあまり認識されてなかったということではないかと思える。ただ、新選組という、箱館では小規模な二個小隊を直属にしていた、という認識。奉行という管理統治に携わる役職よりは、新選組という、自分が自由になる小隊組織の編成を固めてたのじゃないでしょうか。もちろん、土方は、河汲、福島・松前、二股でそれぞれ、その方面を督する司令官になっていましたが。大鳥と軍を二分する存在、というような認識は、各資料からは残念ながら得られない。委託されてその方面の数隊を率いている、という印象です。

記録者の人間たちが、陸軍奉行として一目置いて総司令官扱いをしているのは大鳥です。「大鳥自ら馳せ来たり」「この時大鳥は本営へ戻る」など、大鳥の行動は結構頻繁に各種記録でお目にかかれます。

また、実際に全ての戦況を把握して軍の方針、戦術を決めているのも、現場においての指揮を担っているのも、残されている書き物からは、大鳥だと判断できます。箱館では南柯紀行以上に軍全体・戦況を把握している資料はありません。まぁ、自分の目で見た限りで、贔屓を言っているだけかもしれませんけど。

一方、土方は、敵、官軍側資料に至っては、名前すらめったに見受けられなくなる。福島攻めのときに、賊軍陸軍指揮官の名前として出てくるぐらいです。

つまり、内輪身内から離れた瞬間に、土方の存在感は、どうも薄れてしまう。
土方の死についても、むろん多くの資料が触れていますが、上で触れた部下の新選組以外の人たちの史料は、せいぜい覚書程度に1行触れているのみ。
一方、中島三郎助に触れていない資料はないといってよく、皆かなりの分量を割いて、中島のおやっさんの最期と、信念の強烈さを称えている。

もちろん、名前すら残されず朽ちていく人は沢山いたわけで。そういった、資料の中の人物の比較でいくと、土方の位置付けは、陸軍奉行並だとか将軍だとか、仰々しいのではなくて、戦闘の場の隊長さんその1、という感じに受け取れるのです。

それで、今自分が持っているなけなしの史料からは、土方の行なっていた事というのは、2個小隊、学校2クラス分程度の組織をまとめて、分化した役割の一つを果たし、分隊行動の際は、その方面の数隊を管轄する、という程度のものとしか判断できない。
3千人からの軍事組織を統括して、箱館の町を統治して、防備戦略を練り、城壁を陣地を構築して、税金を算段して収入源を確保して、予算を作って、兵糧を確保して、兵の配分をして、開発計画を練って…というな、政権の中核部分や、陸軍の実務に関わるようなことはしているような印象ではないし、そういう表記が記録のなかに今のところ見当たらない。

戦が本当に得意だったのかどうかも、実はよく分からない。士卒の心を掴んで鼓舞していたのは、新選組の部下の言から伺えるのですですが、戦の能力そのものを定量的に判断できるだけのサンプル数がない。谷口四郎兵衛日記では、会津の戦で4連敗している。勝った戦闘は、宇都宮といい二股といい、兵力も地形も有利なものばかり。
それに、確認できる土方の戦闘数は10そこそこ。数で言えば、大鳥の1/3、今井の1/5です。しかも、戦闘する土方を記録している人も身内以外はあまりいないですし、その身内も具体的な描写ではない。会津で伝習第一大隊を率いていたときも、出陣した、という記述はあっても、それ以上何をしていたか具体的にわかるものがどうも見つからない。

箱館戦争なのですが。
川汲は、斥候同士が出会い頭に打ち合って相手が驚いて逃げただけで、戦闘と呼べるものでもなし。
福島や松前は、寒くて雪に苦労はしたでしょうけれども、味方は最新鋭、額兵隊はスペンサー持ちだし、少なくとも皆ミニエーは揃っていて、洋式教練は受けている。背後では猛者の衝鋒隊が、最初は援護役としておとなしくしていたけれども、しまいに物足りなくなって吾等も前に出せとうるさい。海軍は海から援護してくれる。相手の松前兵は和装、前装式滑空砲で、射程も命中率も比べ物にならない。そりゃ、勝てます。実戦経験のない額兵隊や、上野戦争で敗退した彰義隊、陸軍隊の実戦訓練のような要素もあったのではないのでしょうか。あれで勝てなければ、どんな戦でもムリ。

二股は「異論1」でもぼそぼそ触れましたが、大鳥の両腕たる、敵味方が賛辞を惜しまない歴戦の勇者大川・滝川コンビと伝習歩兵・士官両隊に、最多戦闘数を誇る強運の剣豪今井と衝鋒隊、当代きっての工兵吉沢勇次郎。
大野さんは一生懸命「こうしたら総督は褒めてくれるぞ」と総督の存在を強調してますが、今井は、擁護する、などと一言言っているぐらいだから、土方を将として崇めているというよりは、そっけなくニヒルな笑みを浮かべているだけの印象です。

七重浜の連夜夜襲にも名前は全く見られないし、5月11日の箱館決戦も、夜明け前から布陣していた主力に比べると、寒川が落ちるまで五稜郭待機だったのだから、どちらかというと予備兵力な扱いだった。

たしかに、「記録がない」=「功績がない」ではないのですが。それでも記録あるところの人と比較することにより実体を推し量るしかないわけで。
そうすると、実物大の土方というのは、隊の身内の人気者ではあるが、重鎮とみなされていたとは見えない。奉行並という役職がついて、軍務のほうは、分隊行動が必要になるとその方面の司令官にはなるけれども、どうも、上(大鳥)が人材手当てをしてくれて、戦略、陣地配置まで面倒みている。一方、政務のほうもインテリ洋モノ系の幹部に囲まれて性が合わないのか、中枢の仕事にはあまりかかわっていない。普段は小さな組織内で、箱館の町の治安維持のために闊歩しながら、早く戦来ないかなぁなんて燻っている。その組織の中では大変人気者の隊長その1、ぐらいの人。タレント的で、いれば士気は高まるし戦闘も盛り上がるけれど、戦略や戦術といった難しい事は、上がやることで、余り自分は関与しない。(大鳥が、土方に何かを相談しているという記述は、見たことがない) しかし戦に関して理に適ったことは自分も勉強しようか、とは思っている。
戦闘になると、退くなら斬るぞと脅すおっかない人で(実際退却すると斬る、というのは、結構いろんな人が行ってますが。薩摩の人とか今井さんとか)、本当に斬ったら悔いて墓を立てる自己満足、あるいは弱さのある人。月夜の白牡丹を俳句に詠んだり、一輪咲いても梅は梅と、梅一輪が必死で生きる健気さを詠ったりする、チャーミングな人。

…そうした感じが、今のところ、自分が受け取っている、実物大の土方さんの感じです。
それで、自分はそういう土方を好ましく思います。
戦好きで勇猛で人気者の隊長さん。政務だの、方針だの、予算だの、ややこしいことは頭の良い連中に任せて自分は口を挿まないけれども、自分とこの部下はきっちり面倒見て、組織はきっちり締める。他の隊長やら奉行たちやらは、なんか頭の言い人たちばっかりで、毛色の違う自分はあまり口出ししないけれど、内輪なりに、部下からはたいそう慕われている。むしろ、雲の上の人ではなくて隊に身近だから、あんなに部下が懐いているという感じ。

新選組の土方さん、箱館戦争でそれなりに表面は時勢に合わせて変った、それでも芯は京都と同じ者を引き継いでいる新選組。箱館戦争の主力歴戦の衝鋒隊・伝習隊。それから遊撃隊、額兵隊、彰義隊、陸軍隊、杜稜隊、見国隊、その中の、京都で会津で鳴らした気骨の入った新選組の隊長さん。それでいいのではないでしょうか。
実際、戦前の創作作品では、アナクロの入った融通のきかない好戦的な隊長、という感じが多いです。

新選組に関しても、近藤さんファンには申し訳ないですが、箱館の新選組に、京都の新選組を土方は求めていないと思うのです。土方がいつまでも過去ばかり見ていてたり、自己陶酔していて、新撰組が維持できますか。石井さんや大野さんが、あそこまで土方を信奉しますか。皆現実的で忙しいです。ナルシストにかまっている暇ありませんし、土方も自分のことばかり構っている暇もないでしょう。なにより、箱館面子も、連中の目指すことも、魅力的で面白そうではありませんか。その中で自分の出来る役割を果たす。あのみょうちくりんで頭良いくせに夢見たり憔悴するまで働いたりしている連中を護るために、一肌脱いでキッチリ強い部隊を作ってやろうじゃないか、と。完全に私見ですが、そんな感じだと思うのです。土方も変わるし、新選組も変わるし、自分なりに変わる状況に追いつこうとしているから、部下もそこまでついていくってものではないでしょうか。

そういう、ありえる感じの人間じゃダメなんでしょうか。
常勝将軍だ軍神だというチンドン屋めいた肩書きを貼り付けて、箱館政権の皆から一目置かれていて、インテリ連中からも愛されて畏怖されて、敵の大将の中枢を衝く起死回生の作戦をほとんど一人で任されて、その人死んだらもう戦争全ておしまい、みたいに、虚構でもてはやされないと、表せない人なんでしょうか。そういう煌びやかな創作で飾らないとダメな人なのでしょうか。

それらの像の根本となった「燃えよ剣」自体は、私も好きです。司馬遼太郎は偉大な人だと思います。けれどもそれは、他人の功績や言動を土方の名前にしたり、子孫の方の伝聞なのか願望なのか良くわからないエピソードがそのまま入ったり、比較対象として他者を貶めてキャラクターを際立たせたりして生まれたもので。そういうふうに生み出された虚構を、いつまで業界が、吾も彼もと引きずっていないとならないんですか。それで本当に、大人のエンターテイメントと言えるのですか。(無論、武揚伝など、例外もありますけども)

あのドラマばかりをつらつら言うのももはや気が引けますが、ドラマからは、自分の感触として、箱館戦争がぜんぜん見えてきませんでした。土方を飾り立てるために、箱館戦争のパーツが切り貼りされて、趣味の悪い獄彩色のアクセサリーにされてしまった、という印象でした。

というか。
アクセサリーで飾らないとダメな人扱いをしてませんか。業界でこぞって。

都合いい所から虚構を膨らませて、あることないことリアリティを忖度せずにでっち上げて、自己満足・自己陶酔的なキャラクター作って、何が実像が分からなくしながら、お手軽なヒーロー君にしてしてしまい、メディアが金儲けして、地元が観光資源にしているほうが、精一杯生きてきた人間に対して、何より土方自身に失礼なんじゃないのかと思うのですが。有り得ない仮定ですが、自分が土方の立場だったら、あそこまで崇め奉らないといけないのかと情けなくなると思うのですが。

あと、ただの持ち上げなら、罪はないですが。
そのために、他の人物について、都合よい捏造やら邪推やらで、像を歪めているのがどうかと思うのです、

幕末、明治というのは、生きた人間の息吹が今に伝わる時代、という意味で、一種特別なのではないかと。書簡や日記、記録も図書館に行けば沢山生の言葉を手にすることができます。また、我々のじーさんぐらいの世代の方は、彼らを直接知っている。つながりが感じられる時代です。戦国や室町は、半ばファンタジーと化しているかと思いますが。
それで、子供の頃に伝え聞いていた尊敬するひいひいじーさまとか、近所にスゴイ人がいたんやでー、とか言われていた方が、テレビ番組で一人を持ち上げるために、ある事ない事笑いものに作られていて、「創作だからひっこんでろ」といわれても、はいそうですか、と納得できる寛容な方は、あまりいないと思うのです。そういう、地元やご子孫の方々の感情も考慮されてもいいのではないか、と思うのです。(まぁ、論評でも小説でも誰もそんなこと慮ってないというのが現実ですが)

それで、そもそもドラマの目的が、前の大河ドラマの続編として、主人公の死場を描くことなら、そこに意を唱えるのは過剰要求であり、ハキチガエであり、言いがかりではありますが。
そこから派生して、箱館戦争ってあんなもんか、と思われたくないので、あえて言います。


―― 箱館戦争とは何ぞや。

幕臣たち、佐幕派藩士たちの思いの昇華場所であり、一つの時代の終焉場所、そして次の時代のスタート地点ではないのか。

開拓の夢を見たハイカラ連中も。薩長には最後まで膝を屈しなかった意地っ張りも。単に食い扶持少ねぇよと不満でいきり立った連中も。お為ごかしはどうでもいい、明日の給料よこせ、という生活感あふれる輩も。
一緒になって、封権と、アナクロと、パイオニア精神の夢を、花散らせた。

そして、封建と近代のハザマ、時代の転換点ゆえに、玉石混合の価値観がひしめいた。日本の培ってきた和の精神は西洋の技術に屈したし、逆に戦の中で大鳥のような合理主義者も武士道の美しさによろめいた。
中島父子の死にあんなに心打たれるのは、武士道という日本人の根幹たる美学に殉じた以上に、命捨てても護るものを護りたい意思の強さと精神力に、美しさと憧憬を感じるからだろう。

その果てに、屈辱の想いを経て、葛藤に引きちぎられそうになりながら、国つくり人つくりこそが自分たちの償いだと、あるいは官途に付き、あるいは民草になって世の土台になった人間がいる。
まだ歪みは終わらず、不平士族は荻の乱や西南戦争の途を辿ることになるし、新しい世に背を向け続けた人間もいた。死者を弔うために仏門に入った人間もいた。
けれども、泥まみれ血まみれになって、それがあって、新政府も旧幕もなく、明治の世、日本の土台を作りはじめた人がいる、そのマイルストーンの一つだ。今自分らの生きている日本という国の、出発点の、紛れもない一つだ。死んだ方も生ききった方も、その苦しみは変化する世での次の遷移への陣痛だ。

それが旧幕軍にとっての箱館戦争ではないのか。戊辰戦争ではないのか。

その我々の土台となる軌跡を、単なる一キャラクターの紙芝居絵背景に貶められたのが、悔しいのです。
そして、等身大で十分魅力的な隊長さんを、わけの分からない虚構で飾り立ててもてはやしている業界そのものについて、疑問なのです。

あのドラマはそれが顕著だというだけでした。別にあれだけに不満なわけではない。
ただ、お子様向け特撮じゃあるまいし。一人のヒーローが死んで、カッコよかった、ハイ終わり、なんて単純お綺麗な戦争で終わらせたら、血反吐吐きながら苦闘していた連中が、それこそ地下で泣きます。

天下のNHKなら、曇りない眼で事実をしっかりがっぷり掴みきった上で、日本人の誇りと心の琴線に響くエンターテイメントやってくれ。仮にも受信料と税金で、モノつくりしてるんだろうが。

ということが言いたかった。

時間限られてましたか。
制作費限られてましたか。
尺の都合ですか。
ニーズは満たしてたからオッケーですか。

わかりました。もう言いません。すいません。


…まぁ、あれで、箱館戦争ってどんなんだろう、と興味を持ってくださり、ついでに大鳥さんってちょっといいかも、って思ってくださったら、こちらは万々歳です。
その程度の適当さではあります。


自分は、土方に関しては、大鳥目当てに突っ込んでる資料から二次的に見ているだけなので、単に眼に入っていないだけのまま、えらそうにほざいているだけかもしれません。敵の評価とか、会津人の目とか、味方の賞賛とか、こんなのあるんですよー!というのがありましたら、ぜひ、このかわいそうな奴に教えてやってください。皮肉とかじゃなくて、心底お願いしたいのです。

大鳥を調べていて何が辛いのかというと。
世間様の土方像、大鳥像と、自分の認識が剥離していく一方であることです。どうも、道に背いていく一方になってしまうような気がして、なんか自分が人でなしに思えてくることです。どうせだからそのままついでに切り開きますけど。自分も土方を貶めたいわけでは断じてありません。大体大鳥は、比較対象で他人様を貶めなきゃいけない人物では断じてない。単に本当のところはどうなのか?というのが知りたいだけ。ですそれでメディアに背くのは、凄まじい労力が必要です。等身大の姿が、メディアの姿そのままだったらどんなに楽なことか、と思います。

また僻地未電化地域に入るもので、ネットアクセスの都合上、時間はかかってしまうのですが。苦情やご批判には、真摯にご対応させていただきます。ご教示ご指摘は、拝み奉り謹んでいただく所存です。




    [3] 葛生 2006/01/07(Sat)-15:45 (No.148)
    根本が京都新撰組とその副長ファン(ただし燃え剣は苦手)の立場から、深くお礼もうしあげます。
    素晴らしい分析、どうも有難うございました。感激しつつ拝聴しました。
    自分が言いたくて言い出せずにいたことが沢山含まれていました。――本当はその人のファンこそが異論の端にならなきゃ駄目なんですよね…。怖くてできないんですが(笑)

    [4] ままこっち URL 2006/01/07(Sat)-21:02 (No.149)
    こんにちは!
    大河続編の件はもう「なかったことにしよう」と忘れる努力をしています(汗)
    土方スキーの私ですが、やはり入潮さんのように「ヒーローな彼」が好きなのではないので、全くもって同感です。彼がヒーローに描かれてしまうのは、入潮さんもご指摘のように「北征以降の彼を記述している史料が意外に少ない」からなのかもしれません。プラス、最後の最後で戦死した、のが「滅びの美学」とか言われてしまうほどカッコイイ(日本人、そういうの好きでしょう)のと、極めつけは「あの写真(というかルックス)」。それで余計に小説や創作物で持ち上げられやすいのかな、と思います。ご本人は空の上で「いや、俺ぁそんなにカッコよくねぇよ」と照れているかもしれませんね(笑)
    でも私は「実際に存在していた土方歳三」に関心があるので、今後も調べていきたいと思っています。

      [5] 入潮 2006/01/09(Mon)-08:03 (No.150)
      ● 葛生様

      土方については、自分も怖くて、今まで言い出せなかったでした。そして、怖い以上に、難しいんですよね。あること、見つけたことを根拠にするならいくらでもできますが、「ない」ということを根拠にする論なぞ、どこにあるか、と。
      普通に業界で行なわれている推測と誇張に突っ込みをしたかったわけなのですが、それを推測だとするための論拠が「ない」ということなので、それもあやふやなわけです。しかもそんなこと、わざわざ言いたくもないのです。まったく苦しいところです…。
      …土方ファンとしての姿勢から受け入れてくださっても、同時に大鳥コアファンでいらっしゃる葛生さんですから、あまり安心できません(笑)

      ● ままこっち様

      滅びの美学ならまず中島三郎助にだろう、とか思ってしまった私は、ファンの方々から総スカンな感じでズレた奴です。まぁ何に焦点を当てるか、というだけの話ですが。ただ、箱館戦争で亡くなった方々はそれこそ千人規模なわけで。それで役職で死んだのは土方だけだった、などとよく言われているのに対しては、勘弁してくれ…と思ってしまいます。終わりがよかった人は、周囲が美化してくれるから目立つのですけれども、自分はどう死んだかよりどう生きたかのプロセスを重視したいなぁと思っています。
      写真に関しては、なんか、Dr.マシリトに似とるなー、ぐらいだった、現代女子にあるべからぬ美的感覚の持ち主です。箱館は、美男と呼ばれる方が一杯。隊長クラスでも星、二関、天野、春日、伊庭…美男でないほうが少ないんじゃないかというぐらいで嬉しいところです。ただ、自分は外見重視の評価は、苦手です。
      特に土方氏の場合、実体が創作の姿に霞んで追いかけにくいところがあるので、難しいと思いますが、その難しさに挑戦されるのは素敵だと思います。ままこっちさんのほうでも何か発見されましたら、是非教えてやってください〜。
posted by 入潮 at 02:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たまたまこのブログを見つけて読んでしまい、大変気分が悪いです。土方歳三や新選組について調査不足、資料や記録が無いと自身で書きながら、決めつけたような書き方をするのはいかがなものかと思います。貴方がとにかく土方歳三が嫌いなのは分かりました。
Posted by 美咲 at 2015年05月27日 16:25
>美咲様

小説やドラマで創作された土方歳三を好きな方にとっては、不快な内容だったと存じます。その点はお詫び申し上げます。
自分は土方歳三が嫌いなのではありません。利益目的の創作で、土方をその実像とかけ離れた嘘と虚像で飾り立て、一方で他の偉人を捏造で貶める業界人の行為が嫌いなのです。
なお、当記事や他のブログ記事は、主に以下の資料番号 I、Jの史料内容に基づき書いております。
www.irisiomaru.com/Otori_material.pdf
主に「旧幕府」「同方会誌」他、旧幕府側戊辰戦争参戦者の土方歳三を直接知る方の日記や書簡等を含めた記録に基づいています。複数資料を比較対照して得た確証ある認識については、断定的な表現としました。
ご指摘事項等ありましたら、史料名と内容引用と共にご教示いただけますと幸いです。
コメントありがとうございました。
Posted by 入潮 at 2015年05月27日 21:16
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