2011年01月04日

新年銭湯


新年の吉祥をお慶び申し上げます。
皆様とご家族の方々の、御多福をお祈り申し上げます。
今年も何卒よろしくお願いいたします。


年賀状を書こうとし、語彙がないお粗末な頭ゆえに、適当に気の利いた文言を拝借しようと書簡集を眺め、そのまま1日過ごしてしまう。それが近年の行動パターンとなっています。

後年の手間を省くため、もとい、そのうち使わせていただこうと思っているのは、以下の通り。すでに用いたものもありますが。


奉恭賀候
御多福奉恐賀候
清祥恭賀
新年拝賀
新年之吉祥 千里同風
新春之吉慶申納候
貴家皆々御無異御加寿之由、恭賀
御多祥芽出度存候
恭賀新正
新禧
敬賀新正


近年では、「あけましておめでとうございます」「年賀」「賀正」「謹賀新年」などが定型化しています。けれどもこうして並べてみると、新年の慶び方にも無数のバリエーションがあったことが伺えます。大鳥さん一人でもこれだけの言葉を使い分けている。なお、「恭賀」は新年のみならず、おめでたいことがあれば通年通して用いられていたようです。

こうしたおめでたい文言は、主に家族の間、知人の間に用いられているものにみられました。一方で、一月一日から、賀の一言も無くいきなり仕事の話に突入し、問題に終始して対応を迫っている書簡もありました。こちとら新年祝っている閑なんざねぇ、と言わんばかりです。現在のビジネスメールでも、今年もよろしくお願い申し上げます、ぐらいは定型文句で入れますのに。手前の如きぐうたら現代人とは気迫が異なりました。

そんな明治人のご苦労を他所に、手前は正月、徹夜で年賀状を書いて、明けて銭湯朝風呂の柚子の湯に漬かり、熱い黒湯を堪能してきました。極楽。おなじみになった御姉さんたちにも裸で新年のご挨拶です。日本ってなんて素晴らしいのだろう。

最近は銭湯でもエコを標榜し、二酸化炭素排出量の少なさを表すポスターをみかけるようになりました。「あなたが銭湯に来ると、地球はちょっとうれしい」そうです。環境大好き日本人の心を擽る、なかなかの名文句です。自宅でのシャワーより、銭湯に行くほうが個人の二酸化炭素排出量は低いらしい。確かに、一人一人で約180Lの湯を張り替えるよりも大勢ででっかい風呂をシェアしたほうが湯の量は少なくてすむ。そして、流しっぱなしのシャワーより、カランで洗面器にその都度汲む湯の使い方のほうが使用量は少ない。また、家庭用の温水器より、大量に焚ける風呂屋の業務用ボイラーのほうが効率も良い。

数値的にどれ程のものかと思って、試算してみました。
一人入浴一回あたりのCO2排出量。




家庭用では一人当たりの風呂一回当たり2.36kgのCO2排出。一方、銭湯では0.57kg-CO2。つまり、家庭では銭湯の4倍、二酸化炭素を排出していることになります。

もちろん、前提条件によります。上は結構乱暴な想定を行っています。4人が1回の風呂を共有すれば家庭用はもっと少なくなります。一方、時間がたてば風呂は冷めますので、追い炊き無しで入れる人数は限界があるでしょう。ひとまず上では平均2人としました。

家庭用でも温水器効率が0.95というエコキュートなどもありますが、電気はもともと効率が悪いエネルギーです。それにCO2排出については、電気は発電の燃料として何を用いるかに大きく拠る。東京電力は原発の割合が高いので、排出係数はやや低く0.42kg-CO2/kWhぐらいですが、火力発電の割合が高い沖縄電力は0.9kg-CO2/kWhを超えていたりする。この場合、一人当たり排出量は二倍以上になる。

一方、銭湯は、入る人数にも大きく拠る。客が来なくても使うエネルギーさほど変わらないので、集客数の少ない銭湯は排出量は大きいでしょう。また、燃料にも寄る。単に手前がよく行く銭湯はガス焚きだったので上ではLNGで試算しましたが。薪を使用した銭湯もある。墨田区の泉湯や世田谷区の代沢湯、大田区の宝湯など。意外な銭湯が建築廃材を燃やす薪ボイラーを使用していたりします(銭湯に廃材を売ると、有価物扱いとなって、廃棄物の処理コストがかからない)。そうすると、排出係数はほぼゼロで、したがって排出量もほぼゼロになります。逆に重油焚きボイラーなどではもう少し排出量は多いでしょう。

あと銭湯は自前の井戸を持っていることが多い。浄水場からの水のポンプアップにかけるエネルギーを考えれば、その点でも銭湯のエネルギー消費量は少ないはず。

ということで、上表の値は想定条件によって思いっきり異なりうることも付記させてください。

いずれにしても、一家に風呂は最低限の標準装備で、賃貸でも風呂が無いなど考えられない、という方も多いです。しかし、エコとかロハスとかいう、それを口にしたらなんとなく善人になった気がする安易な言葉は好きなのに、自分の便利と快適は手放したくない方も多い。そういう方々にこそ、銭湯をお進めしたいです。

なお、「平成20年環境白書・循環型社会白書」によると、日本の一般家庭で消費されるエネルギーの内、給湯用31.2%、冷暖房用25.9%とのことです。4回に1回を銭湯にすれば、一っ風呂あたりの排出量は約8割になります。これに給湯の割合をかければ、排出量は6%の削減になります。つまり、4回に1回を銭湯にするだけで、京都議定書の目標マイナス6%が、家庭レベルでは達成されます。全部を銭湯に切り替えれば、24%の削減になります。少なくともエコバッグなどよりは余程寄与することでしょう。

というわけで、週に1度ぐらいは、銭湯などいかがでしょうか。家族の絆も深まりますし、集団生活の衛生観念や社会性も学べます。カップルで神田川ごっこなんぞも乙なものでしょう。そして孤独な独り暮らしの方こそ、銭湯でのご近所様との肌のふれあいは、体だけではなく心も温まるものです。そして、風呂上りの火照った体で、夜空を見上げながら食すアイスや飲むビールは最高です。

悲しいことに、近頃廃止される銭湯の話もよく聞きます。銭湯文化ももっと見直しされたら良いと思います。

銭湯も生き残りのために切磋琢磨しておられます。東京ローカルで申し訳ないですが、自分のお勧めは、台東区の寿湯です。露天風呂やサウナ、インターネットなど設備面もさることながら、風呂場にラミ加工のご主人エッセイを毎月掲載したり、シャンプー・化粧水やドライヤーが無料だったり駄菓子が売られていたりする、飽く無きサービスの向上が、素晴らしい。ミストサウナがある墨田区押上のさくら湯、湯質が絶品で森林浴もできる向島の寺島浴場もよく足を運びます。
東京都浴場組合に、都内の全組合銭湯が掲載されています。銭湯めぐりも趣味として良いものと思います。

どうでもいいのですが、これまで熟成してきた辞書が、「銭湯」を必ず「戦闘」と変換してくれます。戦闘のススメとか、戦闘最高とか。どこのサイヤ人ですかという感じです。一方、銭湯ではよく隣国の方が垢すりをしています。その垢が他人にとっては不快なものであるという意識があまりない方が多い模様。しかも彼らはなぜか上流(排水溝より遠い席)が好き。よって垢が大量に下流のこちらに流されてくる。一言何か言いたくなります。ちなみに、垢すりは、肌のバリアである角質をこそぎ取り、肌理を破壊して肌の老化を早めたり、炎症状態になって黒ずみ・色素沈着の原因になったりする。肌にとって良くない行為であるという認識が、現在美容医学の常識であるそうです。今度垢すりを見かけたら、論じてみようか。しかしそうすると多分かの国の方の文化行為について物申すことになり、口論、そして戦闘になりそう。ぬぅ、風呂でまで戦いたくはない。平和と健康と美容のためにも、垢すり禁止の銭湯が出現してほしいものです。

なお、いい気分で茹だったまま道路横断し、車に撥ねられて腰と肋骨を折り、その記憶がないまま入院した馬鹿者も昨年おりました。銭湯からお帰りの交通にはどうかお気をつけ下さい。

えぇと今年一年、怪我病気で人様にご迷惑おかけすることの無いよう、肝に銘じて慎重に生きたいと思います。今年の抱負は、もうこれだけ。


ラベル:銭湯
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2010年10月17日

今起きていた事

約1ヶ月ぶりに帰宅した私は、今、やつの能力をほんのちょっぴりだが体験した。
い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが…

あ…ありのまま、今起きていた事を話すぜ!

101017


な…何が起きたのか、わからねえと思うが
私も何をされたのか、わからなかった…

頭がどうにかなりそうだった…

ハッピーターンを食い荒らされたとか
そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。


と。見た瞬間、ポルナレフ氏の有名なセリフが、脳裏に流れました。
帰宅したら、コタツの上に鎮座するラップトップPCが、上の有様でした。暹羅紀行をまとめるどころではない。

今回の出張は、まったく食料を家に残さないようにしたのですが。
ネズミの野郎。キーボードの間に落ちてしまっていた食べかすにまで、魔の手を伸ばしていやがった。

101017

お食事の跡。
貴様等。私の大切な安住の場を排泄場にしやがって。何て非道な連中だ。
飢餓になれば穀倉を壊滅させ、黒死病が流行ればその使者となる。まさに人類の大敵です。


いや、そもそも、お菓子を食べながらキーを打つだらしない自分が悪かったのです。

これまでも何かと話しのネタをもたらしてきたこの家ですが。
今回は今までで一番、精神的にも物理的にも、被害が大きかったです。


101017

とりあえず、キーはここまで復旧できました。
AltとCtrlの配置がうろ覚えだったから、困った。

1234567890qwertyuiop@[asdfghjkl;:]zxcvbnm,./\

と、色々試してみたところ、確実に死んだのはfnキーだけですんだようです。

Fnキーは幸いあまり使わないから、致命的ではないけれども。Fnキーが使えないと、PrtScrやPageUp, PageDn、それにプロジェクタも使えない。やはり辛い。あと、Shiftの効きが若干おかしい。
修理に出すにしても、2週間ぐらいはかかりそうだ。どうしようか悩みどころです。


とりあえず、徹底的に掃除します。掃除機かけて、拭き掃除もやります。殺虫剤も買ってこよう。ついでにバルサンも炊いてやる。

夜行便の徹夜明けだから早く寝たいのに。この家だとまったく、おちおち眠れやしない。

何というか。人生、試練が多いです。

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2010年07月29日

入院療養ノウハウ未満

おかげさまで、生活はすっかり平常に戻っています。まだ杖は必要ですが、休んでいた間の仕事のリカバリで、連日半徹夜状態です。

何か書こうとすると、記事が怪我人日記のようになってしまいます。別に手前の体調なぞウェブに発信しても誰の便益にもならぬとは思うのですが。
せっかくなので、得たものを生かす気にさせてください。

これから先、交通事故に遭ったり、骨を折ったり、縫ったり、救急車で運ばれたり、入院したりする方のご参考までに…、と言ってしまうと、何というか他に言い様がなくってすみません。人生備えあれば憂いなしということで。

● 入院時

・荷物

とにかく最小限に。病院は個室でない限りスペースが限られ、置く場所がほとんど無い。退院時に荷物が多いと大変。消耗品はだいたい売店で購入可能。

○ 必需品:
カップ(歯磨き・茶のみ兼用)x1、歯ブラシ、携帯用シャンプー+リンス、靴下・下着x2、洗面器、入院着x2(前開きのもの。ポケットのあるもの。1着はパジャマでなくジャージかホームドレスなど退院時にも着て外に出られるものが良い)、タオルx2、室内履き、ウェットティッシュ、本、筆記用具、エコバッグ、クリアファイル、イヤホン、耳栓、携帯電話と充電器、印鑑、保険証

○ 個人的にあると良いと思ったもの:
・ノートPC (必須。ネットは制限されているが、場所によって公共電波を拾えたり)
・腕時計(病室に時計がないことが多い)
・マジック (冷蔵庫は共用。食べ物に名前を書く)
・付箋(入院は書類が多い。説明メモや重要なものに)
・針金ハンガーまたは紐 (濡れたものを干すために)
・孫の手ORマジックハンド(体を起こせないときに、落としたものを拾ったりカーテン開け閉めしたり)
・ipodかMP3プレーヤー(他人の雑音を防ぐため。自分はノートPCで代用したが、夜はファンの音が気になった)
・いぐさの座布団(引いて寝ると背中の汗かきがかなり軽減された)
・クッション(寝たきりの場合、加重の方向を変えられるものがとても有難い)
・スケジュール帳 (日誌・メモ用)
・大鳥圭介伝 (こういうときこそじっくり読む)

○ お見舞い品でありがたかったもの (ありがとうございます)
・漫画、雑誌
・試験の参考書 (ええありがたかったです…)
・テレホンカード(会社、家族、保険会社、警察など連絡事項は多い。携帯だと通信費がかかる。病室内は使用不可で結局電話のある場所に行く必要あり)
・のど飴やコンビニ和菓子など軽く甘い少量のもの。(基本、病院食で出されたもの以外は食べては駄目。お見舞いにお菓子など色々いただいてしまったのだけれど、みな退院時に宅急便で送って、回復後の楽しみにさせていただきました。果物より日持ちするものがありがたかったです)
・エコバッグ(理由は後述)

・病院食
昼が大目、夜が少なめ。カロリーは1800kcal前後に調整している。朝400-500、昼600-800、夜600-700 kcal という感じ。夜が少ないので朝方にお腹が減る。飴で凌ぎました。
牛乳が苦手だとヨーグルトにしてもらえた。運動不足のため便秘になりがちなので、ヨーグルトのほうがありがたい。

・日誌、メモ
入院時だけではなく退院後も継続して、簡潔に箇条書きでつける。その日の治療内容、症状、飲んだ薬、お見舞いに来てくれた方、その日の支出、加害者・保険会社の方との交渉記録などは必ずメモする。後から保険の手続き、転院先医師への説明、お見舞いお礼などに役立つ。また、メモは後々貴重な証拠にもなる。特に支出メモは、たとえ領収書がなくても保険請求の根拠にできる場合もある。警察や保険会社の担当者の連絡先も一括してまとめておくと楽。

・プライバシー
皆無。行動制限。食事の量、排便・排尿の様子、全て報告義務あり。自分の立てる音や見舞い客との会話は、全て同室の方に聞かれている。

・夜の防音
運動しないので、皆、眠りが浅く夜中に目が覚める。大部屋の場合、夜間の音が響く。自分の立てる音が回りの迷惑になるのが困る。ポリ袋や紙袋の音が響く。物品はエコバッグなど音のしない布製の袋に入れるとよい。いびきやナースコール、話し声も気になる。耳栓かMP3プレーヤーなど、音を防げるものが必携。

・リハビリ
理学療法はPT(Physical Therapy)と略号で呼ばれている。内容は、負傷した体で可能な限りのぎりぎりの筋トレという感じ。陸上部でやっていた運動もあった。PTさんは流れ作業。自分の担当の方は、一人で1日に18人を見るそう。一度に2,3名の方を相手にしている方も。
退院後を想定し、日常の動作ができるように、いろんなケースの体の動かし方を教えてもらうとよい。階段や立ち座りの動作で、楽な方法を教えてもらえる。
痛み止めを処方されるなら、リハビリの1時間前に飲んでおいたほうが良い。痛み止めが利くまで少し時間がかかる。無いと痛くて進まない。

・松葉杖
後から微調整したくなる。脇の下は神経や血管が集中しているので、杖の台は脇下に直接当たらず拳一つ分の間を空けるのが良い。購入の場合、調整のために必要になるので説明書をもらう。レンタルの場合、自分で高さを調整できるようリハビリの先生か看護師さんにやりかたを必ず聞いておく。購入すると3800円でした。

・医師
医師も人間。とても忙しくて一人に多くの時間は割けない。特に救急の先生は、重症処置が本業で酷い例を見慣れているせいか、些細なことは見逃す傾向が大きい。診断書の項目が足らなかったり、抜糸が残っていたり、化膿していても処置が無かったり。(いやその) 自分の目でしっかりチェックして、不安なら看護師さんに「痛いから診てほしい」と頼んで、別の先生にセカンドオピニオンをもらえるようにする。(曜日ごとに担当があり、違う先生のいる日を狙える)

・診断書
診断書の中身はしっかりチェックする。軽い症状(ムチウチ=頚椎捻挫など)はスルーされてしまうことも。全ての症状が入っているか確認する。無い項目は追加を医師にリクエストする。事故の場合、後から症状が出た際に、保険で事故との因果関係を立証するのが大変になる。

余談ながら、仕事の都合で英文診断書を作ってもらいましたが、骨折とだけ書かれていました。仕事遅延の理由説明のために、挫創や打撲や治療期間と自宅療養期間を追加してくださいとお願いしたら、草稿を作りなさいと言われ、自分で自分の診断書を書く羽目に。医学用語なんてまったく知らんです。もとい。診断書の書き方も、医師によってまったく違うものらしいです。


入院ノウハウは、以下のサイトが参考になりました。
入院便利ガイド:http://www.jamiron.net/nyuin/index.html


● 通院・自宅療養生活

・公共の救急病院の難点
救急車で運ばれた場合に入る救急病院は、命を助けることが最優先。ある程度回復したら多少問題があっても深刻でなければ退院を急かされる。退院後は、次の予約がなかなか取れず後回しにされ、変更もきかないし、外来は激混みになる。公共病院は、事務は遅く融通も利かせてもらえない傾向がある(無論、全てがそうではないでしょうが)。自宅に近い民間の病院を紹介してもらい、転院するのが最善かと思う。特に通勤が始まると、通院時間の大小はとても大きい。私立の中小規模の病院のほうが手当ては細かく、診断書の記載事項など融通を利かせてくれる傾向がある。

・整形外科と形成外科
骨折の担当は整形外科。整形外科は骨・間接・筋肉・神経など運動や機能の治療。形成外科は主に体の外見や表面を扱う。(自分はこれを理解していなかった。当たり前ならすみません)

・レントゲン
最近のレントゲンは従来のフィルムではなくCCDカメラ式のものが多い。CCD設備のほうがX線量が少ない。フィルム式でも危険はないが、こだわりがあれば電話で問い合わせする。

・先生のスケジュール
良い先生を、という希望は大きいが、週ごとに担当の先生が変わることが多い。週1回しか先生が来ないと、その曜日にしか通勤できないので仕事の都合を付けづらい。先生の担当日もチェックしておくと良い。

・シャワー
外傷の縫い目のシャワー時の傷口の防水には、ラップが便利。防水のテープで止める。化膿していなければ、別に濡らしても良いらしい。湿潤治療被覆材のハイドロコロイド(Band-Aidなどドラッグストアにある)のものが、風呂にも入れて良い。6〜10枚で600円程度と少々高いが。


○ 松葉杖をついた電車通勤など

・徒歩時間は、健康時の4倍の時間を見ておく。
・できるだけ階段の少ないルートを探す。エレベータ・エスカレータのある無しは、JR東日本などのサイトで調べられる。バスも併用し色んなルートが検討できる。エレベータ・エスカレータのある大きな駅に接続している場合が多い。都営バスの場合、路線図・時刻表がサイトで調べられる。
・通勤時間の電車は、弱肉強食の戦場。誰も情けはかけない。7:30-9:00は絶対に避ける。もたもたすると周囲に迷惑。
・リュックが必需品。両手を開けて杖が持てる。
・肩掛けのできるエコバックも、買い物時には便利
・雨の日は、傘は諦め、大人しくレインスーツ(カッパ)に。
・車両連結部の手前は、掴まり用の手すりがあり、もたれられ、杖も置けるから便利。ただし連結場所そのものは振動が大きいので注意。
・最後に乗ってドアにもたれるのが一番楽で安定。ただし駅ごとに一度降りねばならない。
・Suicaや定期は鞄ではなくポケットに入れる。杖があると、改札で出すのにもたつく。

○ 一人暮らしの骨折生活

家族がいると何かと頼れるが、一人で身の回りのことをするのも、リハビリになるし、気もまぎれる。ただ、常に携帯電話を持ち、大家さんや隣の人など、何かあったときに誰か近くの人を呼べるようにしておく。

一人暮らしで突然の入院になった時は困る。自宅から持って来たいものが何かとある。いざというときのために、同じ境遇の近くの一人暮らしの友人と互助同盟を結んでおき、最低一度はお互いの家に行き来しておくと良いと思う。

そう友人に言うと、「それはオルターナティブだが、ベストアンサーではない!」と叱られた。そりゃ、家庭を持つのが一番というのは痛切に思います。はい。)

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2010年07月18日

健康一番


如楓会第2回のお知らせをサイトのほうに追加しました。まだ当分先のことですが。やりますよー!という行動表明のため。
…本当に人が来てくださるか、今から不安におののいています。どうか見捨てないでやってください。

あと、サイトのURLを変更させていただきました。しばらくは旧URLからリンクを置いておきます。すみませんが、ブックマークなどして下さっている方は、変更をお願いいたします。

以下は日記。

コメントやメールで暖かいお言葉下さいまして、本当に励みになりました。今回色々な立場の方からありがたいお言葉を頂戴しました。

事情聴取に来られた警察の方には「退院したら墓参りに行きなさいね」と言われました。この程度の怪我で済んだのは、ご先祖様が守ってくれたからに他ならないから、とのことです。

仕事が遅れると一番困る客先の方が、「神様が休みなさいといってくださっているんですよ」と仰ってくださったのには、涙が出そうになりました。

それから、友人に「後厄ではないか、これで厄を払えたね」と言ってもらえて、とてもすっきりした気分になりました。人間、災難に遭うと「何で私が?」と不条理に感じたりもします。けれども、「厄だから」といわれるとそれ以上のしなくてよい追求はしなくなる。厄というものに、なんら科学的根拠は無いけれども、自分を納得させる理由としてはいい智恵だなぁと思います。

先週の月曜日から職場復帰しています。周囲に迷惑をかけないのが大前提でしたが。何かと周囲の方に助けていただいてます。行動は、普段の何倍も時間はかかりますが、スローライフと思ってゆっくりやっています。行動速度が違うと、視界が変わって、世界が大きく思えます。自分の歩ける距離なんて本当に小さいものです。

そして、仕事山積みで、早速休日出勤でした。20日近くもゴロゴロしていると、復帰で体を慣らすほうが大変でした。入院時にぽつぽつやっていたことを上げたいのですが、ばたんきゅーで、更新作業もままなりません。

普段、「体調管理も仕事の内、給料の内!」などとやかましく嘯いていた奴だけに、今回のことは誠に恥ずかしかったです。仕事に穴を開け、保険や休暇の手続きでもいろんな方に迷惑をかけてしまいました。

自分だけではなく、間接的にも色んなコストが発生しました。キャンセルになった出張の現地発航空券、客先に何枚も説明レターを作ってくれた上司、休暇届けや見舞いに時間を割いてくれた同僚の人件費、技術指導に現地の別のエキスパートを雇用せざるを得なかった契約費、自営業の親の休業経費と交通費など。

そして、自分の怪我は、幸い、治れば終わるものですみましたが。事故の相手の方は、自動車運転過失傷害という刑事罰が付くそうです。いわば、自分の不注意で、相手の方に人生に一生消えない傷を負わせてしまったとも言えます。事故は、人の人生を変えうるものだと痛感しました。

事故で得をすることは何もありません。
今後は自分の運を過信せず、もっと慎重に生きたいと思います。

…という自分の言葉をまず行動に移せということで。

さっき、バイクを手放しました。

断腸の思いです。辛かった。引き取りのトラックを見送りながら、バックライトの明かりに泣きました。事故より怪我の痛さより、これが辛かった。足をもがれた気分です。七年付き合っていた彼氏に振られたときより辛い。自賠責、任意保険共に、先月2年間分払い込んだばかりだったのになぁ。

自分の場合は歩行者だったときの事故なので、バイクは事故と関係ないのですが。
入院時、周囲の救急の怪我の方がみんなバイクの事故だったこと。自分がいつでも加害者になりうるのだと実感したこと。そして、今回で自分の注意力に自信が持てなくなったこと。

そういうことで、十年近く共にしてきたバイクと別れました。

といいつつ、多分1年ぐらいしたらまた欲しくなると思います。
実際、十年前ラオスで借りたバイクの事故で、頭蓋骨と肋骨を折り、自分のバイクも手放し、しかしその1年後には別のバイクに乗ったという前科が手前にはあります。

その時だけは反省し、喉元過ぎて熱さ忘れるとまた繰り返す。それが人間。


ええと、そんな感じでほぼ復調しています。まだ松葉杖は離せないですが、その分いろんな方の優しさに癒されています。
今回、入院の過ごし方や保険の手続きなど、いろんなことを学ばせていただきました。せっかくなので、近いうちにまとめておきたいと思います。
posted by 入潮 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

骨の折れる


出張に出るはずだったのですが、東京でかつて無く愚図愚図した日々を送っています。

ちょっと痛い話なので、反転します。



気が付いたら、体からたくさん管が出ていて、頭の横でピコーンピコーンと音が鳴っていました。

どうも、銭湯の帰りに道を横断している際に、走ってきた運送会社のトラックと喧嘩し、敗北を喫したらしいです。

らしいですというのは、その前後の記憶が無いのでして。風呂屋にいった覚えすらない体たらくです。覚えていないので、悔悟も反省もしようがありません。何をやったと言われても、マジ顔で「記憶にございません」とお答えする他は無い状態です。

腰骨3箇所・肋骨2箇所の骨折と、手足・顔面の挫創裂創打撲でした。幸い、内臓や脳などに影響はなく、命に別状は全くありません。

ブータンで修験者の道なき道を行き、ベトナムでバイクの海を渡り、林道でツーリング飛ばしても大丈夫なのに、普通に徒歩で舗装された道を歩いていて何でこうなるかな、という感じです。

救命救急センター、ERなんてテレビの中の世界だと思っていました。10m以上飛んだにしては軽くすんでますねーと、救命医の方から残念そうに言われました。ERの猛者達には私は物足りなかったらしい。けれども、治療や検査で、何回、痛ぇ痛ぇと喚かされたことか。あの人達、無慈悲です。後から移った一般病棟の看護婦さんたちが本気で天使に思えました。治療と治癒って違うんですね。

腰と胸が痛く左目が開かないですが、頭と口はピンピンしています。しっかり腹も減ります。リアクションホイールとイオンエンジンは壊れたけど、回路も通信系統も太陽光パネルもリチウムイオン電池もバッチリオッケーだよ、うすださん、って感じです。つまりは、役立たずの無駄飯食らい。

しばらく身動きできず、寝返りも打てませんでした。寝たきりで、床ずれとエコノミー症候群が心配の種です。一気に60ぐらい年を取った感じです。動けないとシモが困る。30余年ぶりにおむつ生活でした。美しい看護婦さんに開脚されて「あらー、まだきれいねー。蒸れてるわねー、パタパタパタ」なんてやられると、私が生きた年月で築いてきたなけなしの物が、ガラガラ崩れ風化する思いです。ちなみに、折れた骨の名は「恥骨」です。恥の多い一生、絶賛現在進行中。

淡路島からはるばる上京してきてくれた母に、家からPCや細々した物を持ってきてもらいました。その中に、机の上にあったからと「江戸の男色」がありました。衆道の春画がこれでもかと収録され、ナニの形やら穴のよしあしを云々している図入りです。何故よりによってそれを持ってきてくれるか。そういえば川崎のイベントの戦利品を床に散らばらせてたのですが。それは口をつぐんでくれました。わざとか、母。

今日は車椅子に乗り、何日かぶりにベッド以外の世界に出ることができました。床に二本の足で立ったとき、クララが立ったよと独り勝手に感動しました。まだ病院の中だけしか動けませんが、世界は広いものであるということを、あらためて実感しました。

こうして馬鹿言っているぐらい元気です。というか、馬鹿を言って笑うたび、肋骨が痛いのが困りものです。お医者さんの仰る通り、致命的なことは何も無く、ラッキーでした。顔もお岩さんですが、後は時間が治してくれるでしょう。



と大げさに書きましたが、基本、元気でぴんぴんしています。
1日1冊ダラダラと小説を読み、あとはゴロゴロ寝ている生活なんて、何年ぶりでしょうと、それなりに楽しんでいます。
「骨の折れる」人生です、などと、まだ軽々しく言ってはならんと思いつつ。
洒落にするぐらいは許してください。


posted by 入潮 at 11:55| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

化粧品と歴史娯楽の力学

白髪が出てきて、クマも濃くなり、老けたなぁと思うことが多くなりました。
アラサーという便利な言葉も生まれていますが。
世間的には十分おばはんと呼ばれる年齢になりました。

仕事では良いことであります。これまで「お前がこの仕事をするのか?できるのか?」という不安をお客様に散々与えてきました。実際できていませんが。いつまでもボランティアのような見てくれでは、仕事の先方にも失礼になってしまいます。責任の大きい業務では、年齢の与える信頼感、安心感というものは、確かに大きいと思います。

一方で、自分の周囲には「え?本当にその年なんですか?」と驚くほど若い方が少なくありません。専門家や看護婦さんなど、現場の砂塵と強烈な太陽の下の苛酷な環境で、大してスキンケアもせず日焼け止めすらなしに頑張っておられます。皆若々しいです。

対して、そうではない方も無論います。そのほうが普通かと思います。世間の女性の若さに対する希求性には驚きます。
手前の怠惰の言い訳をするわけではありませんが、この年になると若作りはよけいに老けて見えると諦めています。年甲斐の無い格好は、見る人に痛い印象を与えるものでしょう。必要以上に「若々しい」方は、むしろ魅力的とは逆の方向になるのではないかと思います。

若さ作りに、化粧は必須です。
この年になった手前も、身だしなみ程度に化粧はすべきものとは心得てはおりますが、私は化粧というものを、ほとんど理解していません。

女性の、肌についてのボキャブラリーは、大変豊富です。しっとりするとか、もちもちするとか、すべすべとか、ぷるぷるとか、くすむとか、乾燥するとか。その辺りの微妙な感覚は、自分には全く分かりません。ニキビができたとか、鼻の皮がむけてきたとか、そのぐらい変化があれば、おや、と思う程度です。

化粧水も乳液も、付けたところで何が変わるのか。一通り試してみても、さっぱり分かりません。そもそも、化粧水と乳液の二つの違いもよく分からない。中身の主成分は一見同じで、ミセル化しているかどうかの違いだけのように思います。なぜ両方必要なのだろうか。成人して初めて化粧した日より、素朴な疑問をずっと抱えています。

また、化粧水一つでも、同じメーカー、同じ品名でも、しっとり型とさっぱり型があります。5つぐらいにランクが分かれているのもあります。成分は同じ、保湿成分のグリセリン濃度が違うから粘度が違うのだろうかという感じですが、濃度が根本的に肌にとって何が影響するのかよく分かりません。自分にとってグリセリンは、処理に困るバイオディーゼルの副生成物でしかありません。

洗顔も、謎が多いです。
化粧落としだけで、洗顔フォームやクレンジングオイル、ピーリングなど何種類も作業工程があります。これに保湿の化粧水やクリームを考えると、作業用フロー図やバーチャートが必要になりそうです。

化粧の洗い残しは、親の敵のように罪悪視されています。古い表皮細胞である角質は、すべて取り除かねばならない悪役らしいです。

しかし、洗い残したら害になるようなものを、そもそも一日中つけていることに何の意味があるのだろうという素朴な疑問が、また出てきます。

それに、角質は、立派な肌の一部で、保湿成分を提供します。また、皮膚の表皮細胞を外部刺激から守るバリアという大事な機能があるはずです。垢も保湿に役割を担います。

ものの本で教えているように、クレンジングオイルで化粧を落とし、洗顔フォームで洗い、ピーリングで角質を取り除き、垢もすべてこそぎ取る。そんなことをしたら皮脂が無くなり、大事な表皮細胞がむき出しになってダメージを受けやすくなります。それこそ肌が紫外線や刺激に弱くなり、老化が促進されるのではないかと思います。自分が「敏感肌」とか言っている人は、単に皮脂と角質を無駄に取りすぎているのではないかと思います。

肌には保湿が最も大事といいます。しかし、肌の保湿成分の99%は、そもそも角質や垢から成る自前のものです。クリームや化粧水で補えるのは全体の1%程度。1%なんぞ誤差だろうと思います。その99%の大事な自前の保湿成分を洗顔料という界面活性物質やオイルで一生懸命落とす。そして1%しか補えない成分を、高い金を出してクリームを買って塗りたくる。その必要性がどうも理解できません。

手前は、石鹸以上の洗顔の必要を感じたことがありません。親水性の化粧なら石鹸ですべて落ちるはずです。そもそも肌にオイルという疎水性物質や界面活性剤で落とさねばならない油性塗料を塗り付けていること自体、肌に良くないのではないかと思います。リキッドファンデーションとかマスカラとかアイライナーとか。あればいいですが別に不可欠でもないでしょう。

一つ一つの成分についてもよく分かりません。
例えばエタノール。化粧水は、ひんやりするまでパッティングする、と説明書に書かれていますが。ひんやりするのは、エタノールの気化熱で肌の熱が吸収されるからでしょう。エタノールの入っていない化粧水は、ひんやりする感覚がありません。一方、エタノールの含まれている化粧水は水分も一緒に蒸発させるから肌に良くない、と書いているものもあります。しかし、エタノールと水は、蒸気圧も潜熱も異なります。エタノールの吸収する気化熱が何ゆえ水を蒸発させることになるのか。浸透圧で皮下細胞が脱水するのかとも思いましたが、そうすると消毒用ぐらいの高濃度のエタノールが必要になる。なので、その理屈は全く釈然としません。

また、ミネラルオイル=鉱物油が肌に悪いということで、鉱物油不使用というのを謳っている化粧品もあります。鉱物油はCnH2n+2のノルマルアルカン飽和炭化水素のこと。常温で液体ならn=11〜20ぐらいですか。灯油やディーゼル油の主成分です。もうすこしnの数が増えて重くなると、固体になります。これがワセリンです。ワセリンもミネラルオイルも、分子量と炭素数が違うだけです。双方、肌に塗ると、油膜になり水分蒸発を防ぐので、乾燥防止になります。

基本、飽和炭化水素は還元されきっていて、微生物によっても特殊な環境でないとなかなか分解されません。つまり非常に安定な物質です。安定しているということは肌に塗っても変わらない。良くも悪くもない。なので最も敏感な肌をもつ赤ちゃんのためのベビーオイルにも、乾燥を防ぐ主成分として使われています。(昔は多環芳香族など不純物が含まれてあまりよい物ではなかったが、今は精製技術が良くなっている)
このミネラルオイル不使用がなぜ売り文句になるのかも、良く分かりません。ワセリンなんぞ尻の穴の粘膜に大量に塗っても大丈夫なものでしょう。薩摩の方はよく逆方向の用を足すのに使っていたそうな。

逆に、植物性を謳った化粧品も多いです。ミネラルオイルより植物油のほうが良いというイメージを持つ方が多いようです。しかし、植物油は安定した飽和アルカン炭化水素と違い、不飽和脂肪酸だから不飽和結合を持っていて化合しやすい。よって酸化しやすいです。サラダオイルなども日光の当たる場所に置いていたらすぐに酸化して痛むでしょう。そういうものを日の当たる中でつけているほうがよほど肌に悪いのではないかと思います。

それからファンデーション。酸化チタン主成分のミネラルファンデーションが最近人気だそうです。売り文句は「つけたままでも眠れる」とのこと。では、今までのファンデーションは落とさないまま寝ると有害なものだったのか。そんな物を昼間ずっと肌に塗ったくっていたのか。そもそも睡眠中よりも昼間のほうが紫外線により活性化エネルギーを与えられて成分が酸化変質しやすく、よほどつけてはならんのではないかと思います。謎だ。

サプリメントにも謎が多いです。
例えば、コラーゲンの摂取が肌に良いと言われます。コラーゲン含有ドリンクやクリームなどの広告もよく目にします。
コラーゲン自体、体の蛋白質の3割ほどを占めるものですが。蛋白質はそもそも、腸で消化され吸収される際に、アミノ酸のペプチドにまで分解されます。摂取したコラーゲンは、アミノ酸の補給にはなりますが、直接体の成分取り込まれることはないでしょう。アミノ酸だったら別に卵でも魚でもいいと思います。
それに、どんなにコラーゲンを皮膚に塗りたくっても、皮膚細胞が皮下組織の一部に蛋白質であるコラーゲンをそのまま取り込むはずはない。そんなことがあり得るなら、食肉に触ったらその肉の蛋白質が自分の皮膚の一部になってしまうことになる。そんな阿呆なと思います。
人間の体は基本、単純な分子構造の物質しか吸収できないし、蛋白質や脂肪などは吸収した材料から自分で合成するものです。

国立健康栄養研究所のデータベースにも、「(コラーゲンの)ヒトでの有効性については信頼できるデータが見当たらない。安全性については、アレルギーを誘発する可能性が示唆される」とあります。
なぜあのようにコラーゲンは肌に良いという広告が神話化しているのか。どうにも理解できません。

さらには、「肌断食」という言葉もあります。普段化粧水やクリームでせっせと手入れしている肌ですが、肌の自然本来の回復能力を高めるために、週に一回ぐらいは何もつけずにいる日を作るほうが良いそうです。
とすると、普段つけているものが、そもそも肌の回復機能を弱めているものだということにならないでしょうか。それなら、普段は何もつけに肌を鍛えて、ここが勝負日という必要な日にだけ手入れしたほうが、長い目で見るとずっと肌が若いままでいられる気がします。


以上のような素朴な疑問を、何でもご存知そうな美人のプロフェッショナル化粧品販売員さんに聞いてみるのですが。私でも理解できる答えをいただけたためしがありません。「何このキモイ人」と嫌がられて終りです。
そして、たまに色気を出して化粧品売り場に行っても、何が自分の肌にあっているのかも結局良く分からないままに、スゴスゴと引き下がる羽目になります。


手前には、化粧品や美容の論理には、有機化学や熱力学や生理学とは全く違う原理が働いているように思えます。魑魅魍魎の世界です。

世の女性は、膨大な広告情報の海を泳ぎ渡り、無限とも思われる化学物質の分子構造と物性を理解し、すさまじい数の商品から様々にテストして、自分の肌に合った物性の商品を選択して用いておられるようです。私には、それだけで一つの深遠なる研究テーマのように思えます。街行く世の一般の普通のお洒落な女性の方々が、皆そうしたことを行っておられるのだと思うと、仰ぎ見る思いです。女性って大変だ。

穿った見方をすれば、化粧品は、「コラーゲンは良い」「角質は悪い」という単純な二元論的イメージをまず与え、それに相応した商品を開発し販売することで収益を得る。その構造なのか、という気がします。
まず「良い」「悪い」を勝手に決め付けて消費者に印象を植え付け、「良い」とされるものを持てはやして必要なものと錯覚させて売り込む。そこに働く原理やメカニズムには、わざわざ触れないし、その正誤に責任は持たれないのではないか。それはけっこう恐ろしいことです。

と、ここまで書いて思いました。というか、以下が本題です。

化粧品と歴史エンターテイメントの力学は、似ている。

歴史エンターテイメントは、まず、良い人、格好いい人、悪い人、貶め役を決め付けて、良い人物を担ぎ上げて、関連製品であるの書籍や観光資源を提供して収益を狙う。

角質を悪役にしたて上げて、それを取り除く商品を売る。コラーゲンを善役にしてそれを与える製品を与える。

しかし、角質は、企業宣伝により要らない物扱いされているけれど、実は保湿にバリアに様々に重要な機構を持つ角質層は肌になくてはならない不可欠な要素だ。
なんだか大鳥圭介チックではないか。

一方、コラーゲンは良いものだとしてマスコミにもてはやされ黄色い声を上げられ関連商品が有象無象に出ているけれども、実際中身は大して機能していないし、(生体が自分で合成するものだから)あってもなくても別に変わらない。
そんな人もいます。察してください。

そんな感じで、無理やりサイトの主題に結びつけてみましたが。

自分は勉強嫌いで怠け者です。若く綺麗でありたいがために一生懸命研究して化粧品に何万円もかけるぐらいなら、野菜を食って運動して早寝早起きするほうが、よほど安く簡単で早く目的に適うのではないかと、直感的に思います。冒頭の現場の姉さんたちは、化粧よりも生活習慣により、美しく若い方々であるのだと思います。

世間では年齢に反して若々しく美しい人を「魔女」と呼んで持て囃しています。確かに若く美しいというのは、皆があこがれるものです。私も、若い、その年に見えないと言ってもらえることがあるとすると嬉しいです。単に未熟だという意味で言われるかもしれませんが。

不景気の世の中、若さという魅力を提供すると錯覚させる化粧品・アクセサリーの商品開発に、各社は余念がありません。三十代・四十代の女性の購買力を刺激するために「ナンタラ女子」とかいう、無駄に年齢を錯覚させる言葉もメディアで用いられています。女子とか乙女とかいう言葉も寒い。本来、「女子高生」「女子大生」と、せいぜい学生までが許されていた言葉なのに、それを未練がましくも使い続けて若いと錯覚しようとしているのは、かえって見苦しい。「心はいつまでも乙女」まで至ると、ギャグならいいのですが。もし本気なら、身の程を知れ、と言われかねない領域です。どんなに言葉で飾っても、おばさんはおばさん、ばあさんはばあさんです。

若さに拘って化粧品に金をかけるよりも、年齢に応じた分別と思慮を身に付け、他者への配慮を深くし、度量を大きくするほうが、よほど異性からは接しやすいだろうし、友人からも好かれ、仕事上も有利なのではないかと思います。

格好は、見苦しく無い程度の年相応が、結局、一番、魅力的なのではないかと思います。

歴史も同じで、マスコミのキャッチフレーズよりも、その人の分別と思慮と生活習慣を見たほうが、得る物も大きいのだろうなと思います。必要以上に作り上げた若々しさが痛々しいのと同様、必要以上に飾った虚構も不要ではないかと思います。

一方手前は、若さについて云々語り始めることがそもそもの老いの証だということを、きちんと自覚して、年齢に合う分別とやらを身に着けたいと思います。着けられればいいなという願望。


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2010年04月22日

雑誌「本」

国会図書館NDLで、大鳥さんの洋行中の事を書いたらしい論題があがっていました。

「明治国家をつくった人びと(21)幕臣大鳥圭介の再生--伊藤博文との出会い」
という、すばらしく心ときめくタイトル。
それで、この掲載雑誌の名前が、「本」。

雑誌名が「本」。なんのサブタイトルもない。

掲載が2010年4月であり、最新号は複写できないので、次の号がすでにもう出ているのかを確認したかったのでが。このタイトルだけで、複写ではなく雑誌そのものを購入する価値は十分以上にあるのですが。

「本」という名前の雑誌を、検索で探すことの、この難しさ。

ためしに「本」でぐぐると、「 約 1,330,000,000 件」という素敵な数字がでてきます。たとえ「月刊 AND 本」検索でも、「約 14,900,000 件」 です。


小一時間ほど費やし、なんとかたどり着きました。講談社の雑誌「本」。
http://shop.kodansha.jp/bc/magazines/hon/

かつて、これほど不親切な雑誌のタイトルがあったでしょうか。

これだけ情報を検索に頼る世の中。検索ワードのマッチングが、企業のモノ売り戦略に大きく関わる時代。消費者がモノを探す時代は終わった。「ほしい人へほしいものを」がキャッチフレーズ。YahooやGoogleのスポンサーリンクが大きく消費者動向を決定する時代なのですから。

もうちょっと何とかしてくれと思います。雑誌「本」。

いや、この時代だからこそあえて、アナログな文字に拘り、デジタル利便性は無視するのだという、それはそれで一本筋の通った講談社の主張なのかもしれない。

幸い、5月号は4月22日発売模様でした。よし。次の出張までに手に入るぞ。嬉しいなぁ。
ラベル:大鳥圭介
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2010年04月15日

こんなブログは

「こんなブログは更新するな」
一見ギクッとする題名のブログで、痛さにダハダハ笑ってしまいました。
http://koushinsuruna.seesaa.net/
もう、手前に当てはまるところが多すぎて、のた打ち回りました。

すでに5年以上前、ブログがようやく大衆化し始めた頃の記述ですが。すさまじいほど今の状態を言い当ててしまっています。

一行で切れ良く、ぶっすりと容赦なく。
千枚通しでえぐられるたこ焼きの気持ちが分かりました。

人の心情を慮るばかりで、言いたいことも言えない世の中。そこにこの、真実を抉り出す至言の数々。マゾヒスト的快感がたまりません。
手前に覚えのあることを、勝手にご紹介させていただきたいと思います。


○ シロウトの日記なぞ読みたくないという根本的問題

早速ですが。それをいっちゃあ、元も子もないです。
素人の日常の記述は、正直、つまらんです。何を食べたか、体の調子がどうなのか、人間関係の愚痴、など。そんなことはどうでもいい。誰にでもありうることで、自分には関係がないから。その人の日常に興味のある人は、その人の家族が恋人でしょう。つまりはその人の日常を共有している人。
一方、ネットは違います。書き手と日常を共有している人は誰もいないと考えるのが無難です。

有名人でもアイドルでもない。一方的に不特定多数に知ってもらえてその口に上る存在ではない。その辺のどこにでもいる素人の手前の書くことに、なんで興味を持ってもらえるかといえば。それは、趣味や好きな対象が一致するから、ということではないかと。そこを共有すると、その部分の自分のアイデンティティを認めてもらったような気になれる。
よって、趣味の情報を提供し続けない限りは、やがて寂れる。
金の切れ目が縁の切れ目。趣味の切れ目も縁の切れ目。

例えば旅行記などでも如実かと思います。荷物が重いとか、かばんが壊れたとか、飛行機がトラブルを起こしたとか、宿が汚いとか、そんな誰にでも起こりうる個人的なことはことはどうでもいい。
読む人にとって価値が感じられるのは、旅行の対象地に何があり、どのような価値があり、人類にとってどのような意味があるのか、という、情報の部分。そして、それに対して書き手が何を学びどのような新しい認識を抱いたかという、発見の部分。つまりは、趣味として共有できる部分。それが大事なのではないかと思います。

○「駄文を垂れ流しています」が謙遜になってない

謙遜の方向は、難しいです。よくハキ違えてしまいます。
謙遜のつもりで事実を述べてしまうと、それは謙遜ではなく、単に痛いのだから、言わぬがマシ、ということなのでしょう。イタタタ。

○ 文末には必ず自己ツッコミ

他にツッコんでくださる心優しい人はいないことが分かっているから、自分でやるんです。寂しい心の現われなのです。

○ ただの思いつきや感想を「個人的には・・・」と書き出す馬鹿丸出し。「公」のない一般ペーポーに「個人的」もへったくれもない。

「個人的には」という修辞は便利なのでつい使ってしまいます。「世間様と意見や認識は異なっています、ということは自分はわきまえているつもりなので、変なことを言っても許してください」と暗に求めているユニアンスを込めているつもりでも。しかし実際、いちいち他人様はそんなことは気にしないのです。
また「個人的には」といいながら、どこかで誰かが言っていたこと、ニュースや週刊誌やワイドショーで言われていることと大差なければ、寒いです。
結局、私は他人とは違うのよ、というアピールに過ぎないということなのでしょう。
「個人的には」。つい使ってしまって卑小なる自意識を滲み出させてしまう、恐ろしい言葉です。


○ 「特定個人に向けた私信を記事にする、という熱いアピール」

特定個人がそのブログを見ているという自信があるからこそできる記述。好かれている私。本当にそうなら良いのですが。えてして、そうでないほど、見られている私、そんな私をもっと注目して、というオーラが垂れ流れてしまうもの。
……痛いです。というか、そろそろ私可愛そうな領域に入りそうです。


○ 読者は皆全ての記事を読んでいる、という前提で書かれている

まさにやってしまっています。どこの世界にこのログに目を通す暇人がいるのか、と知りつつ、つい、「前に書いたからいいや」と記述を省略してしまったり、過去の記述を前提にした話をしてしまう。
毎回、全ての、読んでくださる方は、今日初めてここを目にされる方なのだ、とわきまえるぐらいで丁度良いのだろうと思います。


○練りに練った長文記事にコメントがつかず、「今日ドラクエ買いました」の1行記事にはコメント殺到

私のリッカの宿は、持ち主の寂しさを示すように、いつまでも閑散としています。すれ違い通信なんて、夢のまた夢。もとい。

ずいぶん前に、工部大学校の博物場とそこの担当の奥田象三氏について、一発入魂の記事を書いたのですが。ついその最後にポロリと、お内裏様とお雛様の右と左はどちらだったか、という事を書きました。結果、コメントが延々お雛様談義一色になりました。私には、お雛様の位置より奥田氏とひなちゃんのロマンスのほうがよほど重要だったので、少し切ない思いでした。
しかしながら、お雛様がいなければ、その記事にコメントは付かなかったことは明らかです。それが当方のクオリティ。奥田さんのせいにしてはいけません。


○「マニアックになり過ぎてアクセス激減 」

マニアとは、ほめ言葉ですよね。これは負け惜しみ七割ですが。
アクセスの数が少ないのは、むしろマニア性を賞賛されていると見るべきだ。

そもそも面白く分かりやすい文章ならば、いくらマニア度が高くとも、むしろマニアックなほど読んでもらえるというものだというのは置いておいて。


○ 「○○さん」「××ちゃん」等、敬称含みのハンドルネームを名乗る何様感覚と、それに「さん」をつけて呼びかける愚行

たしかに色々考えこんでしまいます。例えば、「○くん」と名乗っている方は、多分この方は「くん」付けして呼ばれたいのだろうと思うのですが。そのものずばり「○くん」だと呼び捨てしているようでかえって失礼であるように思うし。かといって「○くん様」と付けると明らかにおかしいし本人の意図にも反しているだろう。しかしながら「○くんくん」では何か臭そうだ。
あえて文中で呼びかけないしかないのではないかと思います。


○ 盗作される恐れのないブログに限って著作権にうるさい

私も著作権にはうるさいです。日本版フェアユースの動向は目を皿にして注目しています。
そしてわざわざ、トップページに「コピーOK」マークを貼り付けて、著作権フリーを明言しておいてすら、だれも盗作なぞしてくれません。

実は私は、私の考えることが一番面白いと思っています。私にとって。
これは、あくまで「私にとって」であって、他の人にとってもそうなのかということになると、全く自信はありません。なので、コピペでも何でも、私の認識が世界に広まるのなら、大歓迎です。だれか盗作してくれないかなぁ、そうすればこういうことを考えているのは私だけではないと安心できるのに、と思います。

著作権を主張される方、c にマルのマークをつけておられる方って、自分の考えは自分だけ持っていればいいという、独立不羈、孤高の精神なんだろうか。あるいは、自分の記述は著作権で保護されいつか利益を生むという確信をお持ちなのだろうか。いずれにせよ、そこまで自分の書いたものに誇りを持つということは、すごいことだなぁと思います。

手前の文はどうでもいいのですが、作成したデータや引用した資料内容については、もし需要があったとしてですが、どうかコピペではなく御自分で正しさをご確認ください。間違えていて後から問題が生じても、私知りません。
あ、自分の言葉に責任を取りたくない逃げ道にも、著作権は使えるのですな。
ううむ、深い。

○ (笑)という逃げ道を作らなければ何も書けない
○ 文章の8割が顔文字


(笑)とか(汗)とかのカッコ文字、あるいは^-^とか ^^; とかいう顔文字は、大変便利であると思います。これはジョークなんですよー、汗かく思いで言っているんですよー、だから悪く思わないでね、攻撃しないでね、というような免罪符を突きつけている感じがします。自分もついつい使いたい誘惑に駆られ、打ち込んでは削除しています。

けれんみやネガティブな印象を与えたくなければ、文章そのものの中で表現に配慮して書くべし。笑わせたければ文章そのもので笑わせるべし。楽する勿れ。と、私は自己に課しています。
おかげで毎回、必要以上に長文になる。言い訳です。精進します。

ところで、母から来るメールが、この顔文字八割に該当します。「気持ち悪いからいい年こいて顔文字は使うな」とは、親には言えない心優しい娘です。どうも携帯の特殊フォント?を用いているらしく、PCに飛ばせば顔文字が化けてくれます。なので、毎回PCに自動転送して読んでいます。おかげで私の中では、母とは、宇宙人語の中に片言の日本語を込める存在です。ビジネスメールしか返さない娘にもめげず、母の宇宙人語割合は増加の一途です。どうでもいいことですみません。


○ 2ちゃんに晒されたのにアクセスが増えない

一番悲しいのは、どんな形であれ見てもらえたのに、リピーターになってはもらえないことです。

2ちゃんに晒されるのは二通りあるかと思います。指差しされてその痛さを笑われているという場合と、議論の根拠として或いは資料としての参照という場合です。

前者には、ムカつきはぐっとこらえ、痛い自分に気づかせて下さってありがとうございますと御礼を申すより他はありません。2ちゃんは世間の鏡です。

後者の場合、とっても嬉しいのですが。間違いをスレの中で指摘するなら、ついでに本人にも知らせて下さればいいのにと思います。何で私、ミニエーが丸弾だなんて初歩的なミスを書いたままにしていたのだろう。ズボンの尻が破れてパンツが見えているのに気づかず放置してて、電車の中で指指されてクスクス笑われているような恥ずかしさでした。頼むから教えてくれよ。


○ コメント欄で「自分語り」を始める常連にも懇切丁寧にレスを返す管理人の義務感

他人のブログや掲示板のコメントで自分語りする人って何なの、あんたに興味はないのよ、記事の中身について語ってよ。…という想いをされた事のある方は、ブログの書き手たるもの、皆々誰もにあることではないかと思います。
自分もそうですと言ってしまうと、友達を無くすと思います。
自分語りのコメントより、ゼロコメントのほうが良いとするまでの潔さと思い切りを持つ強さは、手前にはありません。
義務感、というよりは、コメントを書いてくれる人を繋ぎ止めておきたい切ない心理なのではないかと思います。


○「今日は私の○回目の誕生日です (*⌒ヮ⌒*)ゞ 」の記事にコメント0

手前はそういう記事を見ると、「誕生日を祝ってもらえる家庭にお育ちになって、うらやましいことですね…」などとコメントしたくなります。そんな粘着質なコメントをもらうよりは、ゼロのほうが良いのではないかと思ったりします。

なお、コメントがゼロなことなどは分かりきっているから、わざわざ手前の誕生日ごときはブログには記さないのが、正しき自己防衛というものです。

○ 30過ぎの管理人はプロフィール欄に具体的年齢を記載せず、「30代」等と無駄に曖昧な表現を使う

どうせなら、「私はきらきら星の住人で、29まで年をとったら今度は18まで若返る」とまで書けば、いっそ清清しいです。

最近、白髪が増えました。
己にやましいことがあるなら、そのような小細工はせず、そもそも、プロフィール自体をハナから作成しないのが、やはり正しい道であると確信します。

○「昨日は更新休んじゃって、すみません」という自意識過剰

「昨日は」を「今月は」とすると、真にその通りの自意識過剰なのです。
私には読者の方がいる。その方々に申し訳ないから更新しなきゃ!という強迫観念。求められているという錯覚が産む、快楽。
はたから見ればやはり痛いものと知りつつ、ついそうした意識を持ってしまいます。

この意識がゼロになるとブログが死ぬときだから、表にさえ出さなければ、それはそれで良いのではと思います。というか、そのぐらいは許してください。



こういうのを一つ一つ考えると、ブログを書く意味って何だろう、と思います。人それぞれではありますが、基本は、自分を見てほしいという自意識の発露であることに、異論はないでしょう。

そして、誰もにあるゆえにいっそう、それをダダ漏れにするのは、見苦しい、ということなのでしょう。自意識過剰にならぬようぐっとこらえ、しかしながら価値あるユニークなものを。
ブログの道は、深いです。


さて、ラオスからハノイ経由、ベトナム北部の山中に入っていました。
人とモノとインフラと。ベトナムの国の成長力に圧倒されてきました。いや伸びるはずだわ。

…という、手前が今どこか、という記述は、誰にも求められていないということは分かりつつ。これは、こういう状況なので更新できませんでした、という言い訳の意図が4割ぐらいです。そして、「更新できません」あるいは「生きています」という生存報告もまた、別に誰に求められているわけでもないのに余計なことを伝える自意識過剰なのであります。
posted by 入潮 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

巡る善意

如楓会の、冊子作成要領を追加しました。

当日ご都合が悪い方、時間の取れない方は、冊子のみのご参加も大歓迎であります。
ご関心ありますかた、御一考いただけますと嬉しいです。

リンクを張ってくださる方、バナーを作ってくださった方、大感謝です。イラストを描いて応援してくださった方、もう感涙です。
本当にありがとうございます。

参加者様のご連絡も、少しずついただいております。
その中でもとりわけ嬉しかったのは、「いてもたってもいられず」というお言葉と共にご表明をいただいたことです。

まず、動機が盛り上がって、やる、ということを決める。やる、ということが前提になる。どうやってやるかは、後から考える。

これが、やる気だと思います。

私は子供の頃から言い訳がましい奴で、「できない理由を言うな」とよく大正生まれの祖母に叱られていたのですが。
今になってその言葉の意味を思います。

「できない理由」は誰にでもいくらでもある。金がない。時間がない。忙しい。それらは結局「金や時間を工面して都合をつけるほど、やる気はない」ということの裏返しにすぎません。「でも、でも、だって」と、できない理由を並べるのは、それだけやる気がないということを伝えているのに過ぎません。「忙しくて事情のある私」というスタイルを尊重してくれるのは、本人だけです。

やる気とは、まずやるということを決めること。どうやって金を調達するか、どうやって時間を搾り出すか。そこを考え、実行に移す、その行動のことだと思います。

「いてもたってもいられず」という言葉は、本気に至る、動機の固まりだと思います。
本気なら、あらゆる障害は、乗り越えるべき試練にすぎません。

思わず、大鳥さん、あなた愛されていますよう、と、床の間に向かって語りかけてしまいました。



さて、話は変わりまして。今日、財布を落としました。

終電で帰宅。JRの駅から出て、財布が無いことに気が付く。

駅で落としたらしい。

今週毎日、朝5時まで仕事していたので、疲れきってたのだと思います。
心血注いだ渾身の提案書を、本日社内で上の面々からフルボッコにされ、ピンクの蛍光ペンで「全面書き直し」と突きつけられ、月に向かって吼えたい気分だったのも、起因していたのだと思います。

財布は、駅前の派出所に届け出にいってみたら、どなたかが届けてくださっていました。

公務員も人手不足なご時世、交番は空のことが多い。けれども、たまたまなのか、なぜか6名ものおまわりさんが、狭い派出所内に集っていました。
大柄な警察のおじさんたちが、よってたかって皆さんで、「よかったねぇ、よかったねぇ」と言いあってくれました。
そして、慣れない感じの若手さんが、遺失物所持者発見手続きを、一生懸命してくれていました。

届けてくださった方は、住所氏名は明かさない希望で、お礼も辞退だそうです。
中のお金・カード類は、1銭たりとも損じられていませんでした。

名乗らぬ方、本当にありがとうございます。届かぬ言葉ですが、天に向けて心からの感謝を申し上げます。

「貴方も財布を拾ったら、届けてあげてくださいね」

といわれました。
ちょっと泣きそうになりました。

以前にも、財布・証明証類を紛失して、持っていたのが外国通貨だけだったために不法滞在の疑いを掛けられそうになったあげく、財布は戻ってこず、証明証類再発行手続きに走り回ったことがありましたので、今回は本当によかったです。

それから、予約していたマッサージ屋さんへ。

「財布を落としたので予約の時間より遅くなりましたけど、まだいいですか」

と恐る恐る電話を入れると、空いているからいいですよ、と優しいお言葉。

財布が見つかったことにマッサージ師さんたちがみんなで「よかったねぇ、よかったねぇ」と、連呼してくれました。

今日担当してくださった方は、物腰が丁寧で、骨格矯正もしてくれる、腕の良い方。
あまりの凝り固まった肩背中の疲れ具合に同情してもらい、気が付いたら、お願いしていた時間の1.5倍ぐらいの時間をかけてくださっていました。

矯正が効いたのか、子泣き爺と石地蔵が交互にトーテムポール様にのしかかっていたような肩が、一気に回復しました。

料金割り増しされるのではないかと、内心怖かったです。

疲れているときほど、親切心が、心に染みます。
人様からエネルギーを貰って生きています。
少しでもこのエネルギーを還元できるように。

さー、明日もがんばるぞ。

posted by 入潮 at 05:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月24日

愚痴を言う日々

岩手・宮城内陸地震のニュースが伝わるたびに、痛ましく思います。
栗駒温泉駒の湯は、大学時代に何度もツーリングで訪れました。野趣あふれる思い出深い湯でした。犠牲者の方々には心からお悔やみ申し上げます。被災地の復旧に携わる方々、雨の中大変ですが、二次災害にお気をつけて頑張って下さい。

地震の不安と戦っている方々に比べれば全く何でもないことですが。
16時間/日の労働が続いています。今年に入って片手の数も休みがない。災害救助の支援なら、ぶっ倒れても行い続ける甲斐はあるのだけれども。今追われていたのは、さもしい入札でした。しかも連敗中。今回も競争が厳しいのですが、今度は絶対に勝てと、上からオーダーが出ています。

仕事が取れたら夏が無い。取れなかったら居場所が無い。

どちらに転んでも、ろくな道ではない感じです。
とりあえず、今さっき原稿を印刷に出してきて、帰宅して一息つくことができました。

はぁ、ビールがうまい。
この達成感が良いです。

そして、明日からまた次の山に上ります。

相変わらず見苦しくてすみません。

自分の忙しさを誇示する愚痴というのは、「こんなに必要とされている私」という自慢であり、同時に「大変だね、無理しないで」という労わり文句を欲する自己愛だ、といいます。

人間誰でも、いたわられたい、いやされたい、という欲求は持っているものです。そして、生きている限り不満のない人はいません。
ただ、それを恥ずかしげもなく羅列するか、慎むかの違いかということかと思います。

なので、愚痴や忙しさ誇示というのは、確かに品の良いことではなく、やらないに越したことはない類のことかと思います。

そういうことを考えると、自分の言動は、なんつぅ恥ずかしいことを、と赤面することしきりです。こうしたことは、自分の心の中やPCのローカルディスクの中に留めておけばよいのですが。ブログや友人相手など、外に向けるものがあるからこそ、ついやってしまうのです。

いろんな分野の方のブログを拝見しても、「愚痴で汚したくないけれど」とか「愚痴でごめんなさい」とか、よくないとわかっていても、ついつい吐き出すことですっきりする、という感じで書いている方が多いようです。


もともと「愚痴」という言葉は、三毒「貪」「瞋」「癡」の一つという、仏語用語だそうです。

貪:貪欲、貪り求める心
瞋:瞋恚、怒りの心
癡:愚癡、真理に対する無知。心性が愚かで、一切の道理にくらいこと。

愚痴というのは、元をたどると、真理を知らず心性が愚かだから、出てくるのだそうです。
仏教も、きっついことを仰います。

たしかに、愚痴の内容は、真理を知らないとまで言うと言いすぎですが、本質からは遠い瑣末なことであることが多いです。
そして、言ってもせんのないことを、ぐだぐだと周囲に聞かせるのは、確かに周りも気持ちよいものではないでしょう。

そして、大抵は、その時間が過ぎてしまえばなんでもないこと。あるいは、自分が心持を変えて本気で行動を起こせば変えられることです。

そういうわけで、愚痴を言う時間があったら、その分楽しいこと意義のあることを行うのが、やはり格好は良いようです。

特にこういう趣味のブログは、趣味の内容に共通しているものがあり、書き手のその趣味に関する姿勢や考え方や行動や情報に関心があるから、読み手の方が読んでくださるわけで。
読み手の方の興味の度合いは、書き手の日常よりも趣味の内容そのもののほうが、ずっと大きいのではないかと思います。

なので、愚痴を言うぐらいなら、楽しい趣味の話題を、というあり方を目指したいと思います。

そんなわけで、先週は日曜日を休んで、横浜で、戊辰戦争をコアに研究されているOさんにお会いしてきました。ここ数ヶ月、仕事と銭湯以外でろくに人とコミュニケーションしていなかった分、思う存分喋ってきました。楽しかった。久しぶりに仕事以外のことに集中できました。
色々と収穫もありましたので、またご紹介させていただければと思います。


さて、小腹がすいたので何ぞつまみでも、と台所を見たら、買い置きのせんべいと切干大根とレトルトカレーが、全部ネズミにやられていました。

寝る前にモノを食うな、と。
メタボ対策への協力までしてくれる、いじましい同居の連中です。

しかしながら、晩酌の相手は人間良い、腹減った、という愚痴で、本日は閉めたいと思います。
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2008年05月03日

エネルギー排出

以前、柏崎刈羽原発の停止の記事で、二酸化炭素はどうなるのだろうというようなことに触れましたが。

Point Carbon の記事によると、2007年度の東京電力さんの二酸化炭素排出量は、前年度比で30%増加したとのこと。

これはかなりなダメージです。幸いというべきか。京都議定書で日本に課せられた目標-6%の約束期間は2008年から、今年からなので、この30%増事体はまだ響いていませんが。それでも未だに停止状況にあるのは事実。

ちなみに、東電さんは、日本の排出量の多い企業トップです。
気候ネットワークによると、日本の2006年のCO2総排出量は13億6717万トン。内、東京電力は6892万トンで、日本の5%を占めます。その次は鉄鋼会社(JFEスチール、新日本製鐵)、そして各電力会社(中部電力、電源開発、東北電力、中国電力)と続きます。

で、東電の排出量が30%増えたということは、それだけで日本全体の排出量割合で1.5%増えたわけです。6%削減を目指す日本にとっては、これはかなりなハードルアップです。
この分の削減量をどこかから調達してこようとすると、1トン当たりCO2が20US$(2000円)としても、この30%増分だけで、414億円です。誰が払うのでしょう。我々の電気料金?我々の税金? 跳ね返ってくるのは、どのみち、我々のお財布です。

再開反対の声も大きいのは事実です。お気持ちは良く分かります。
なので、反対の方々は特に、今年の夏は、ぜひエアコン無しにチャレンジしていただきたいです。我々の電気使用量を一人30%減らせば、東電さんが柏崎刈羽を止めた分火力発電で賄って、二酸化炭素を余分に放出することはないのですから。
特に昼間のピーク時間に、いかに電力を使わないかが勝負です。

他人任せにしてはいけません。アドボカシーは自己満足なだけで、実際たいした効果はありません。
大義を掲げる方々には、まずは己の行動で、己の生活の中で、排出量削減を示してもらいたいと思います。

自分も今年の夏も、エアコンテレビ無しで参ります。
自分だけがボロ家で暑い思いをするのは腹立たしいから言っているとか、本心は読まないで下さい。

(実は民生部門の排出量が全体に占める割合はあまり大したことはないというのは置いておいて)


さて、ご紹介したい本もネタもたくさんあるのですが。疲れ果てて体力がありません。
1時2時まで連日仕事、今年度に入って休み皆無。明日からGWの行楽客の波を掻き分けて、出張。

今朝、荷造り、荷物出しをしたら、雨が上がった。ある方の日記から、今日湾岸でオタクのイベントがあることを知る。よし、せめて今日会社に行く前に湾岸を走ろう。ということで、風の吹き付ける東京湾にバイクで二酸化炭素を撒き散らして鬱憤を晴らしてから、お祭りを覗いてきました。イベントは10年以上ご無沙汰していました。着いたらすでに撤収が始まっていて、30分も居られませんでしたが、雰囲気は味わえました。

メディアをにぎわせるほどあり、その規模に驚きました。それ以上に、創作にかける皆さんのエネルギーに吃驚です。作品の数々に、こうした職人気質の日本人が、次代を支えるのだなぁと、親父臭い感動の仕方をしてきました。

こういうエネルギーは、まず燃え尽きることは無いので、どんどん熱く発してほしいです。

さて、仕事に戻ります。
会社から成田へのピットスタートは、したくないなぁ。

皆様、充実した連休をお過ごしください。
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2008年04月21日

戻れない人

「あぁこれで戻れない」

と嘆く方がいます。

ある趣味の分野でいろいろと買い揃え、散財をしてしまって、これでもう真人間には戻れない、というところでしょうか。

最近、オタク擁護派のメディアのおかげで、なんだかオタクという言葉が一般的になってきて、あまつさえ、オタクがちょっとカッコいい、という印象まで持たれるようになりました。

そのせいか、自分がある趣味の世界に足を踏み込んだことを、嘆きつつどこか自慢げに語る方をよく耳にする気がします。

たとえば釣り。

上司には釣り好きが多くて、飲むとよく釣りの話になります。
槍ヶ岳で渓流釣りのために川の中を10km歩いて足が靴の中に入った石で爛れたとか、モンゴルでイトーを釣って岩塩だけでたらふく食ったとか、ブータンで渓流釣りをしていたら(崖から落ちてきた)車のパーツが釣れたとか、そういう話は楽しいです。

釣り自体には興味はなくても、そうした話にはふんふんと聞き入ってしまうものです。

一方、ロッドとルアーを入手したとか、釣りの本を買ったとかいう話で「あぁこれでもう戻れないな」と嘆息する方もいます。

正直言いますと、そういう格好の話をされても、余り興味が持てません。

「それって要するにファッションですよね。中身の無い格好だけの段階なら、いつでも真人間に戻れるんじゃないですか」

という言葉が、咽元まで出かかります。ただ、それを言うと人間関係に支障を来たすので、中々言えません。

ルアーも本も、金さえ出せば誰にでも揃えられます。
一方、そのルアーを使った体験や知見といった中身は、金では買えない。その話は、本気で行動した人にしかできません。

ハマッたというのなら、その行動を行った中身や結果を語ってほしいなと思ったりします。
釣った魚を捌くために3万円出して通販でナイフを買ったら海魚と川魚は違うのか切れなくて困ったとか、あまった餌を車の中に忘れて腐らせてひどい臭いが車に染み付いたとか、そういう体験談には大いに関心があります。どうせなら、行動した自分にしかできない話を披露してほしいなぁと思います。

格好やモノを整えて外見を飾ったなんちゃってオタクの方は、せっかくの投資が無駄にならないよう、ぜひ中身まで進んで、自分にしか言えない体験や知見を語ってほしいなぁと思うのです。

歴史という趣味にもそんな感じを抱いています。

本や史料をコピーした、買った、という話なら、そうですか、という感じで終わってしまいます。

その資料を手に入れたのなら、やはり中身を語るほうがいいのではないかと思います。その資料から得られるものとして、既存の認識を深めるデータや、既存の考えについての異論や、登場する人物の特筆すべき行動や考え方など、語るこはたくさんあるはず。せっかく資料を手にするのなら、その資料を生かす行動にまで及ぶといいと思います。本気で読んだなら、それについて何か言いたくなってしまうものではありませんか。

また、一つの史料を読むと、それが本当なのか、書かれた内容が生じた時代背景はどうだったのか、同時代の同じ事件に遭遇したほかの人の見方はどうだったのか、といった、周辺事項にも興味がわきます。それを集め読んでいるうちに、同じ事柄に興味のある方とのネットワークも生まれてきます。

戻れない、と言う方は、すでにそうした行動をし、行動が行動を呼んでいる状態の方を言うのではないかと思います。

そうしたことは、日常の会話だけではなく、特にブログなどの日記おいても同様に感じます。せっかく記録として残ることですから、その人にしかできないこと、その人ならではの考えを語っていただけると、読んでいてとても楽しいです。
といいつつ、自分も、後から自分の記事を見て、なんでこんなに下らない自分語りを…とがっくり来てしまうことがよくあります。表面的な話は、なんだかんだ言って、楽なのでついやってしまうのであります。

そして、自分も、入手したということだけを言い中身を語らないで終わってしまうことが多いです。けれどもそれは結局、「その史料を持っているワタシ」を自慢したいファッションのように見えて、あとから恥ずかしい思いをしたりします。

一方、歴史ファンの方は、中身にあふれている方が多くて、ブログやサイトなど巡るたびに、感嘆します。それを収入源にしているわけではない、むしろ交通費やコピー代を費やし、テキストにする労力を注ぎ、ひとかたならぬ身銭を切っていて、それをおくびにもださずに、価値のある中身を語る。どこからそうしたモチベーションが現れてくるのか不思議になったりします。そして、史料の記述の中身から、小説や読本などから一般的になっている認識に、そうではないと斬り付けている方などは、拍手喝さいするほどの格好よさを感じます。

そもそも「戻れない人」は、戻るかどうかなど考えもせず、気がついたらいつの間にかその境地に達しているものなのでしょう。

どんな分野でも、中身のある「戻れない人」が、自分は好きです。
そうした方々の爪の垢を煎じて飲みたいと思いつつ。
まずはコピーしただけで満足し床に積みあがっている資料を、アクセサリーにせず、何とか実のあるものにしたいと思います。
posted by 入潮 at 02:48| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月27日

熾烈な戦い

今朝、三分咲きぐらいかなぁ、と思っていた千鳥ヶ淵のソメイヨシノが、帰宅する時にはほぼ満開になっていました。びっくりした。
今日の暖かさで、一気に開花したようです。
誰もいないところで、豪華な夜桜が堪能できました。得した気分。

…という良いことばかりだといいのですが。

そんなうららかさとは離れたところで。
いろんなものと戦いを強いられています。
生きるとは戦うことだと、言ったのは誰でしたっけ。

締め切りと戦っています。
インド人と戦っています。
円高と戦っています。というか、敗れました。
今年、ボーナスは出ないんだそうです。今月1日休んだだけ。連日2時3時まで働いているのに、その仕打ちか。

そして、我が家のネズミとの戦いは、日々熾烈になっています。
超音波発生装置を設置しまして、数は減ったように思い、勝ったかと思ったのですが。
先日は、使い終わったマヨネーズの容器まで食ってました。ポリ容器を食いちぎり散らかしていました。容器を台所に置いていたら、油断した。

さらに、更なる手強い敵が、出現しました。

猫です。

帰宅すると、暗闇の部屋の中でドタバタして、一階に逃げていきます。どうも、一階の倉庫から入ってきているようでした。

ねずみを食ってくれるなら大歓迎だ、御猫様だ、と思って、そのままにしていました。
たまに食パンを食い破られていても、ハンターのご褒美だと思って、微笑ましく思っていました。

ところが、昨日、奴はとんでもないことをしてやがりました。

しっこしてました。

しかも、ベッドの下の畳に。

涙。

臭くて眠れやしませんでした。

せめて3時間でも我が家で睡眠を取ろうと、疲れ果てて明け方帰ってきた家主に、なんという仕打ちをしやがる。

この間はネズミの屍体で、今度はコレか。

猫のおしっこの臭いは、強烈です。拭いたぐらいでは取れやしません
臭いを思い出すだけで、今日家に帰るのが、憂鬱でした。


一方、臭いの一番の原因はアンモニア。
そうすると、次亜塩素酸と結合させりゃいい。

NH3+HClO → NH2Cl+H2O

となるはずだ。

生成するクロロアミンは消毒薬になるから、ちょうどいい。
次亜塩素酸を含むもの。よし、ハイターだ。

ということで、今日会社からの帰りに、コンビニで、ハイターを買いました。

コンビニのおにいさんが、一瞬、びっくりしたように硬直しました。

手には妙なグローブ。顔にはサングラス。真夜中1時半に、漂白剤だけを買う女。

(ハードコンタクトをしているので、自転車のときは国道のトラックの塵避けに、夜でもサングラスをしてます)

「怪しい者ではありません」と言うべきかどうか迷いました。
言うと余計に怪しいと思ったので、言いませんでした。

幸い、普通に売ってくれました。

コンビニから出ると、サイレンの音。
一瞬、通報されたかと思いました。

普通の救急車でした。

心臓が破れるかと思った。


それで、帰宅後、しっこされた場所に、ハイターを試しました。
臭いは何とか消えたのですが。

今度は、部屋中が、塩素臭くなった。

当たり前です。
クロロアミンの化学式を思い出す前に、なんでこういう当たり前のことが思い浮かばなかったのだ。

塩素の臭いで、頭が痛い。

どうしてこう、天は安らかな休息すら許してくれないのだろう。


他に臭い対策法は何かなかったのかと思ってネットをあさったら。
恐ろしい事実発見。

猫のおしっこは、縄張りのマーキングの意味もある。
一度しっこしたら、そこに何度もするものらしい。

うちの寝部屋は障子で、いくら締めていても、倉庫から進入した猫は障子を開けて入ってきてしまうのです。

ちなみに、中には、バイクのシートやヘルメットに粗相されてしまった人もいるらしい。それは悲惨だ。

そういうわけで、今度は猫と戦わなければなりません。猫には、超音波も効かない。

しかも敵は、ネズミとは違って、法律の保護を受けています。
愛くるしい外見に魅せられて、惜しみない愛を注いでいる方も多いです。
下手に物理的に撃退でもしようものなら、被害者が加害者として罪を負いかねません。
基本的人権を侵害されているという事実は一切顧慮されず、世間様から極悪人人非人扱いをされます。

どうすればいいんだ。

とりあえず、マーキングされた場所には、先日チェーンを洗ってタールだらけになった真っ黒のタオルをおいておこうと思います。タール臭さは、あらゆる生き物が嫌いなはず。臭いをもって臭いを征す。
しかしながら家主も、タール臭さはご免です。

猫除け方法。
良いお知恵がありましたら、どうかご教示ください。

疲れたので、明日は30分早く起きて、皇居の桜に癒されようと思います。
posted by 入潮 at 03:26| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月17日

休日にPCと自転車とバイクと銭湯と漫画喫茶

モバイル目的に、12.1インチのラップトップを衝動買いしました。そろそろVistaモデルオンリーになってきましたので、今のうちに買っとくかと。Windows Xpをどうしても使い続けたかったのです。メーカーから届くまで、ここ半月、楽しみで落ち着かなかったです。

画面の大きさが異なると、同じメーカーでもキー配列が違います。気の短いショートカット人間なので、CtrlやShiftの位置が異なると、非常にやりづらい。早く慣れねば。
あと、HomeとEndのキーを押すと、なぜか画面のコントラストが上下するのですが。これは初期不良なのだろうか。

CPU:Core2Duo 2.0GHz、HDD:120GB、RAM:2GB、というスペック。(自分のPCのスペックを口にするのは、自分のスリーサイズを言うような、妙な気恥ずかしさがあります。なら言うなという感じですが。傍から見たらお粗末でも、本人は自慢したいものってあるじゃないですかー)
ハイエンドモデルからは程遠く、型落ちで安くメーカー直販のオンラインで買いました。春モデルとの入れ替え時期なので、いろんなフェアがあって買い時だったと思います。それでも現行使用中のノートPCのスペックをはるかに凌駕しているので、こちらがメイン機になりそうです。解像度も良いし、メモリが大きいので、快適快適。
といっても所詮私の自宅PC、一番使うのはテキストエディタなので、無駄スペックではあるのですが。

それで今朝は、セットアップの終わったPCを持って、カフェで朝食。一回やってみたかったんです。こっそり憧れていたんです。カフェでモバイル。終電で職場ノートを開くのはしょっちゅうでしたが。そういう疲れたものとは違う、心の優雅さがあります。ええ、カフェでモバイル。それで、やっていたことはネットのキャッシュを見るだけだったのですが。次は実のあることをやろうと思います。

午後は、自転車とバイクの洗車と整備。
自転車は、チェーンを掃除して油を差しただけですみました。同じギアばかり使っているので、スプロケが心配でしたが、とりあえず当分は大丈夫そう。一方、後輪のタイヤの凹凸がほとんどなくなってしまっていた。1年でこんなになるのか、という感じです。そのうちチューブが摺れてパンクしそうなので、早く交換しないと。電車代が浮くと思っていましたが、維持費も結構かかります。
最初は自転車通勤もいつまで続くか怪しかったのですが。LED点滅の持ち運び可能なライトにしたり、センサー式スピードメータをつけたりして無駄なカスタマイズをしているうちに、愛着がわいてきました。

バイクのほうは、タイヤに空気を入れてもらうのとエアフィルターの交換に、バイク屋へ。天気がよく暖かかかったので、そのままどこかへでかけてしまいたいぐらいでした。いい季節になってきた。

ここのところ、バイクに詳しい友人との付き合いもなく、バイク事情にはぜんぜんついていっていなかったので、バイク屋さんは色々楽しかったです。

まず、HYOSUNGという韓国メーカーの車体のラインアップがあったのでびっくりしました。XRXというオフ車が、125ccなのに250cc並の車格で格好いい。それで30万円を切っている。同スペックの日本車よりも3割ぐらい安いのではないだろうか。新品でも中古並みの価格で手に入るのは魅力。学生さんなら買いたいと思うのではないだろうか。

ここ数年の韓国の工業製品の台頭はすごいです。とうとうバイクまで来たか、という感じで。価格の安さで市場に乗り込んでいくのは、かつての日本のやり方だったわけですが。韓国は国家政策で技術者養成を行い、技能者オリンピックなどでも国が全面支援して、工業高校の学生は授業後に毎日6時間のトレーニングを受ける特待生制度があったり。そして、金メダル数では韓国がここ数年トップ。技能者の質はダイレクトに工業製品の品質に結びつきます。今後、韓国製品が品質面でも十分伸び、市場をさらに席巻するのは、目に見えています。国土狭く、食料自給率低く、資源はなく、競争の中で技術を磨いて工業製品を売って生きるしかないわが国は、5年後10年後どうなっていくのか。

さて、前はセローという足つきの良い225ccのオフロードバイクに昔乗っていました。セローは20年以上も販売されているロングセラー。非力で高速はつらいですが、どんな林道山道も気軽に入っていける操作性の良さ、頑丈さ、スクーター並みの燃費の良さ、さらに量産型なのでパーツも安い、というのが魅力なバイクです。

その中に、ピンクと灰色という趣味の悪いカラーで評判がよくなく売られたのは1年のみ、という年式のものに乗っていました(SEROW225W)。七年間乗って全国を走って、同じカラーを見たのは2度のみというマイナーなもの。彼女とともに、11万km、沖縄以外の全県を走り、300箇所近くの温泉を巡りました。それをネタにして、就職氷河期に、入社試験の面接をほとんど一芸入試のノリで通り、今の会社に入れてもらいました。なので彼女はもはや人生の恩人です。その思い出ある車体の中古車が陳列されていて、びっくりしました。もちろん年式も同じ。思わず声をあげてしまった。自分のは五速・六速ギアが両方壊れるぐらい乗りつぶしたので、さすがに自分の乗っていたものである可能性は皆無ですが。その相棒と共に在った大学時代を思い出して懐かしくなりました。またツーリングに出たい。北海道や九州を2ヶ月ぐらいうろつきたい。

そのセローですが、今は250ccに排気量アップ。ずいぶんファッショナブルになっていて、街乗り仕様のモタード車まで出ていました。昔は小柄な山男か山女の乗り物、というイメージだったのですが。客層がだいぶ変わったのではないでしょうか。山に乗りに行く方は、2000年ぐらいのSEROW225WEの中古をわざわざ買う方が多いらしい。

モタードは今の需要にマッチしているらしくて、各メーカーが足つきの良いのを出しています。カワサキのD-Trackerとか格好良いなぁ。

今自分が乗っているのは、TT250R Raidという車体です。これは16Lというビックタンクで長距離連続走行OK、大光量、シート幅が広く、名前の通りラリーレイド仕様のもの。もともとあったヤマハのオフロードTT250Rのバリエーション。操作性はあまりよくなく、重いのでセローに比べると林道は走りにくいですが、積載力があり、長時間のツーリングが大変楽。東京−仙台を無給油で走れる。セローはすぐに股が痛くなるのですが、その疲れはだいぶ軽減されます。ただ、でかいので自分のように足が短いと大変。
同じヤマハからで、セローの兄貴分のように思っていました。ツアラーに評判の高かった良いバイクなのですが、1996年ぐらいを最後に廃盤になってしまっています。

それで、エンデューロタイプのTT-R250というのがありました。TT250Rの後継機だとは思うのですが。最高出力19.7PS、最大トルク1.9kgf・mというスペックは、昔の225ccセローとほぼ同じでは。うーん、なんだか複雑だ。

…バイク乗りでない方にはつまらない話を、長々とすみません。


その後、バイク屋さん近くの温泉銭湯へ。
久しぶりに来たら、サウナの営業時間が短くなっていました。
銭湯は、湯や熱というエネルギーが元手なので、燃料高がモロに影響します。この石油価格高騰で、都内の銭湯はみな苦労しているようです。営業時間短縮や、営業停止してしまったところも結構ある。
一方で、燃料高が響いていない所もあります。薪を使用したり、都内の材木所から廃材やペレットをもらって燃料にしていたり。

銭湯も色々特色があり、電気風呂、森林浴ミスト、サウナでもスチーム式、遠赤外線式など、ヒノキ風呂、ハーブ風呂、黒湯・温泉や井戸水、インターネットPC併設、番台、破風作り、格天井など、それぞれの設備ややり方に特色があり、いろんなオプションがあります。銭湯同士でも競争です。近所との付き合いだけでは生き残れない。

数えてみたら、東京23区に、約850の銭湯がありました。
平成19年判の東京都公衆浴場業生活衛星同業組合発行の、「東京銭湯お遍路MAP」によると、各区の銭湯数は、以下の通り。

千代田区 4
中央区 11
港区 8
新宿区 33
文京区 15
台東区 41
墨田区 44
江東区 34
品川区 37
目黒区 20
大田区 73
世田谷区 48
渋谷区 18
中野区 33
杉並区 38
豊島区 40
北区 44
荒川区 42
板橋区 54
練馬区 37
足立区 58
葛飾区 57
江戸川区 60
___________
合計 849


銭湯は東京、日本に誇る文化だと思います。
銭湯によって、共同生活のマナーやルールを学べる。湯にタオルをつけない、体を洗ってから湯に入る、湯を流しっぱなしにしない、などの共通するマナーにより、衛生観念や、水やエネルギーの節約が身につく。何より、裸の付き合いというある意味究極の環境で、他者を不快にしない、迷惑をかけない、という心構えが備わる。また、日本の伝統建築様式も学べる。地域行事とのふれあいもあるし、同じ湯を使う仲間ということですぐに周囲と仲良くなりコミュニティができる。
このまま廃れるのは寂しい限りです。子供たちには、ぜひ銭湯文化を踏襲してほしいと思います。

あとサウナも良いです。場所によりますが、銭湯代にだいたい200円ぐらいプラス。無料のところもある。老廃物が出て肌つるつるになりますし、水風呂と繰り返すことで血行が良くなり免疫も高まりますし、夜はぐっすり眠れますし。ダイエットにも使えますし。かなりコストパフォーマンスの良い健康法だと思います。


そして、最後に漫画喫茶へ。
大鳥さんが論考で、自分の美的感覚で一番美しいのは漁師水夫だと語っていました。船の男たちが「実に天賦の美形」であるなどと力説していました。ちなみに二番は農民、武士は最下位だそうです。これについて詳しくはまた後ほど。

それで、釣り船屋のせがれで家業の手伝いで鍛えた筋肉が素質という主人公のボクシング漫画を思い出して、読みたくなりました。筋肉だけ見てこようと思ったら、そのままはまってしまって、18巻まで読みました。82巻まで出ているのか。全部読むまで何日かかるやら。


そんな感じで、昨日集めた資料を語る前フリのつもりだったのに、だらだら書いてしまいました。自分語りばっかりですみません。

でも、たまの、大変充実した休日でした。あぁ休日だ、という感じでした。
来週もがんばろう。
posted by 入潮 at 03:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月12日

桜到来

暖かい日が続いています。

自転車では、汗が流れるぐらいです。
グローブを高グリップのものに変えたら、ハンドルがことのほか扱いやすくなったことに驚きました。自転車が我が手足のようだ。力も入りやすくなったので皇居の坂道も楽。装備ひとつでだいぶ違うものだと感動です。

さて、皇居はそろそろ、桜を目にできるようになりました。
赤い寒緋桜のほか、乾門の交番の辺りの大寒桜が、三分咲きぐらい。

大寒桜(オオカンザクラ)は早咲きの桜のひとつです。
「落葉高木、樹形は傘型、3月上・中旬に淡紅色の単弁( 5弁)の花が咲き、花弁の先には細かい切れ込みがある」
と説明板にはあります。カンヒザクラとオオシマザクラの雑種のようです。

ついでに、新しいデジカメを試してみました。

080311Sakura.jpg

花弁の筋までくっきり。ここまで撮れるのかと、ちょっと感動しました。
マクロに強く細かい字でも撮れるので、重宝しています。むしろそれが目的で入手したのですが。これまで何度も、手ぶれで撮影失敗し飲んだ涙からも開放されそう。
一眼レフでレンズをあーだこーだ言いながら高い金をかけないと成されなかったことが、手の平サイズで収まってしまう。テクノロジー万歳なのです。

桜は、もう少しほわっとした感じがいいです。
このぐらい。

080311Sakura2.jpg

そんな感じで、江戸が楽しい季節になってきました。

季節の挨拶などほんの一言といえどあまり得意ではなくて、以前は適当な表現を辞書で探したりしていました。そして衰えた季節への感受性に愕然としたり。一方、自転車通勤を始めてからは、あまりそういうことがなくなりました。特にこの季節は、桜の状態を述べるとそれが挨拶になる。開花が進むほど、うきうきします。いいものです。

隅田川堤あたりで、お花見したいですなぁ。
posted by 入潮 at 12:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月16日

バレンタインの切ない味

バレンタインでしたね。

冷蔵庫の中に、一つチョコレートが眠っていました。
すごく大切な方からいただいたものでした。

お菓子のブランドは六花亭ぐらいしか知らないような奴なのですが。
見るからに、製造店の拘りとプロフェッショナル意識の感じられるものでした。
下さった方のお住まいの神戸では、有名なお店のようでした。

ラムレーズンと抹茶の、サイコロ型の生チョコレートでした。
「バスティーユの新緑」という名前がついています。
バスティーユって、三銃士とかフランス革命で牢獄の名前で出てきたところだっけ、とそんなことしか浮かばない、風情の無い己の頭は置いておいて。

疲れたとき、自分を労わりたいときに食べようと、大事に取っていました。
今まで食べられないままに時が過ぎてしまいました。
そして、疲れて帰国し、他に食糧がない今こそ、食べたいと思うその時でした。

賞味期限は、2007年4月でした。

「新鮮な生クリームをたっぷりと使った神戸ならではのチョコレートと自負しております」
とありました。
もちろん「風味の変わらないうちに早めにお召し上がりください」の注意書きがついています。

2ヶ月も10ヶ月も変わらん、と思いました。いや、願いました。

しかし。

パウダーとは明らかに異なる、カビっぽいものが生えていました。

葛藤。

自分は手前の胃腸をそんなヤワに育てた覚えは無いッ!と、気合を入れました。



あぁ、紙箱まで素敵です。薄い桃色の金の刺繍。
お香入れにして使おうと思います。
そうして、ずっと取って置こうと思います。

そんな今年のバレンタイン。
切ない味でした。

正しくは、味が変わっていて、切なかったでした。

カビの生えた部分は、ごめんなさいと手を合わせながら、ご臨終願いました。というか、ほとんどの部分がこれに該当しました。


今度、神戸に行ったら、すぐに食べられなくてごめんなさいと頂いた方に心の中で謝りながら、お店に行って新品を買って、こっそり食べて、本来の味と風味を楽しもうと思います。

ちなみに、大切な方とは、70代の素敵な女性の方です。
単に、お会いした時期がちょうど去年の今の時期だっただけなのですが。
お元気でお過ごしになっていますように。
posted by 入潮 at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月05日

オタクで女の子な国

山の国に戻ってだいぶ経ってしまいました。
寒いです。-30℃のモンゴルから後から直行してきた人も、モンゴルより寒い寒いと言っています。モンゴルでは豊富な石炭を焚いているおかげで、家の中は半袖で居られるほどな一方、ここでは非力な電気ヒーターにかじりつくより他はないからです。人間、快適な思いをしようと思うと、二酸化炭素を出すのは避けられません。
日本も厳しい寒さで、首都圏でも積雪だそうで。どうかお気をつけてお過ごし下さい。

長い間東京に馴染めず、これまでは、早く出張に出るか地方に引っ越したくて仕方がなかったのだけれども。なんだか今は、東京を離れているのが惜しいです。引越ししてからの古い家と、江戸の面影の残る街が居心地よかったからかなと思います。

いや、単に、飲み遊んだ正月が懐かしいというのが大きいです。すみません。

NHK衛星に"Tokyo Eye"という、日本や東京のツボな所を外国人の新鮮な視点で紹介するという番組があります。その中で、皇居周回−永田町−東京駅−大手町−銀座−築地−隅田川−下町というルートを自転車で回るコースが紹介されていました。皇居の自然、銀杏並木、1914年建造の辰野設計の東京駅、築地の屋台、隅田川くだり、駄菓子屋の楽しみなど、しっかりと過去から根付いている、東京というまちの魅力をみて、いい所なのだなぁとしんみりしました。郷愁、というほどそこに長くは住んでいないですが。自分がいいなぁ、と思っていたものが外に向けて紹介されていて、嬉しかったです。
なんだかんだと、離れると、住んでいたところへの愛着が大きくなります。

そんな前フリで、わが国をさらに好きになる本を、一冊ご紹介したいと思います。

「オタクで女の子な国のモノづくり」

…本気でお勧めしています。
題名と表紙で、かなり偏見を持たれてしまう感じの本です。

著者、川口盛之助氏は、製造業の商品開発や研究開発戦略のコンサルタント。
世界に誇るオタク文化と国の機関技術である製造業の橋架け役なることがライフワークなのだそうです。

オンラインでもこの本のテーマは、エッセイとして読むことが出来ます。
「ニッポン的ものづくりの起源」

とても分かりやすい、お手本のような論理立ての文章で、見習いたいなぁと思う文章を書かれる方です。

この方は日本人を「全体的にオタクっぽくギャル的な気質を内在」し、日本文化は子供かつ女性的、つまり「女の子っぽい」と見ています。

決して、馬鹿にしているのではありません。
日本人の気質の特徴を、細やかさと感受性を持つ点が「女性的」であり、好奇心旺盛でアイデア豊富で何でも試してみる点を「子供的」であり、つまりは「女の子っぽい」と、著者は分析しています。

日本人が高度な感受性を持つということを、まず、暖房便座を用いて説明しています。便座を暖めておくと、用を足すときに気持ちいいと考え、それを本当に実行する気配りと感受性。これは、いかに日本企業を買収しても、社員を日本に留学させてドクターを取らせても生まれない。一方で、日本人は日本で生まれ育っただけで当たりまえのようにそういう価値観を身に着ける、とのこと。

必要最小限以上の贅沢な機能を付加価値をつけた日本の製品は「どこの国のどこの文化の出身の人であろうと、一度使ってしまえば病み付き」になり、製品開発には「完熟を超えて、くさっているのではないかと思われるぐらいの贅沢をするセンス」が問われると、筆者は言います。

その日本人の独特の感性が、モノつくりにおいて高品質高機能なものを産むのに有利に働く。それを10の特徴に分け、日本人にしか生み出せない様々な製品例を用いて、説明しています。日本の未来に、ポジティブになれる良本です。

その10の特徴ですが。たとえば以下の通り。

・人と人の調和、かすがいとして働くツール:
「サンクスティル」、車の後部に付ける、犬のしっぽのようなもの。割り込ませてくれたときに「ありがとう」の気持ちを表すのに、尻尾を振ることができる。これはぜひバイク用を売り出して欲しいと思った。

・自分の「楽」より人への気遣い:
音の小さいエアコン・洗濯機・掃除機、入力音のしないキーボード、クリック音のしないマウス、ノック音のないボールペンまで。それらは、使う人のための機能ではなく、周囲の人のため。人様にご迷惑をおかけしないための機能。それを発展させることができるのが、日本人の感性。

・「恥ずかしさ」への対策:
用を足す音を紛らわせるトイレの「音姫」、開封時の梱包の音を抑える生理用品のほか、腹の虫の音を止める菓子、加齢臭対策のシャンプー(加齢臭という言葉自体、対策製品を産んだ資生堂の造語だとか)。これらは、自分の出す音、においが、周りに伝わると恥ずかしいと思う日本人の心があり、それを意識するからこそ生み出された製品。

・物を擬人化する感性:
針供養。道具に対して、これまで硬いものにばかり刺されてきてつらかっただろうから、最後はこんにゃくや豆腐など柔らかいものに刺して休ませてあげよう、という気遣いをする。それほどに道具に感情移入し、モノを擬人化する。
この日本人による擬人化は、マスコット化として、あらゆるところで行われている。マスコットは、電車でドアに挟まれないよう注意してくれるキティちゃんから、最もカタイ文書であるはずの「防衛白書」の案内キャラクターまで。
そして、この進化形が、「たん」化。萌えという感情が加わることにより、ありとあらゆるものが「〜たん」として擬人化され、美少女になる。インフラ、兵器、人工衛星、抽象概念や法律まで。鉄道では新幹線の「ファスティックたん」、燃料漏れや制御トラブルでぼろぼろになりながらお使いをする衛星「はやぶさたん」、さらには、戦争をやめてとうるうる手を組む「憲法九条たん」まで。
この感性が、人とマシンのインターフェースをつくりあげる。人と共生するAIBOをはじめとした製品を産む。そして、世界の半分以上のロボットが日本で働いているらしい。

・ダウンサイズ・折り曲げ:
折りたたみ傘、折りたためるベッドにちゃぶ台、アイロン台など、省スペース・小型化のための工夫は日本のお家芸。これが、ウォークマンや二つ折携帯電話、果ては宇宙衛星のソーラーパネルも折り紙技術を用いてコンパクト化した。発泡スチロールではなくダンボールを折り曲げて立体成型し緩衝材に用いる。さらに、アニメの変形ロボットのデザインも、玩具にすることを想定済みで変形や合体を織り込みデザインする。

このほか、個人カスタマイズ、病み付き、寸止め、健康長寿・清潔、自分が主役、地球環境、などのキーワードをもとに、日本人ならではの発想や製品が紹介されています。

あとは、できれば、そうして生み出された商品が会社にもたらした収益増の程度や、製造中止に至ったならその理由など、もう少し細かいつっこみがあればもっとよかったと思います。

「この国の女の子的な爛熟文化の中でまったりと暮らす私たちは、単にそれだけで、世界最高レベルの、筋のいい上品なモノづくり教育を受けているようなものです。日本の製造業と、その製造業が支える日本そのものの未来も、明るいものになる可能性は大いにあると思います」

と、日本を支える製造業の将来についてポジティブな視野を与えてくれています。何かというと日本は悪い、未来は暗い、とがなりたてる政治やメディアとはまったく違う視点をもたらし、読者に発想の転換と展望をもたらしてくれます。

なにより、自信をもって、「オタクでいいんだ」と思えます。

「日本社会のために」なんて大仰なことを言ってしまうと、所詮蟻んこのような自分にいったい何が出来るのかと引いてしまう感じがするのですが。オタクは思うままオタクでいることが、日本の発展と競争力強化に寄与する。オタクの一人一人が、自らの感性を、ただ自らのためだけではなく、周りの人の役に立てる。いざそうした発想を迫られたときに、きちんと生み出せる素養を、我々は自然に養っている。この救済感がすばらしいです。
それが、一人一人が、自分の感性に自信をもって、これは「売れるはずだ」というメーカー意識ではなく「使ってもらえる」製品やサービスを生むことに繋がる(「プロダクト・アウトではなくマーケット・イン」というらしい)。オタク一人一人が、日本の強力なプロデューサです。

そして、著者は、「日本人に特徴的なコミュニケーションのやり方のうち、強みとして世界に打ち出す要素が『周囲への配慮や全体の調和を重視する気質』である」とし、「自分の楽しみばかりを考えるのは、所詮は成金的な低次元の贅沢であって、周囲への思いやりこそが本当の贅沢ではないか。そう考える日本人の気質は、世界から尊敬される立派なものだし、また、モノづくりの戦略にも生かすことができる」と、言って下さいます。

日本人でいてよかったなぁ思える言葉です。
と同時に、その日本人のひとりとして、かくありたしと居住まいを正す思いの沸く言葉でもあります。

…などと、ことさら、日本人日本人と言ってみたくなったのは、国民総ジャイアンなんじゃないかと思えるインド人と日々遣り合っているからです。お前の成果は俺のもの。俺の成果は俺のもの、な生命力ある方々め。

ドラえも〜ん、ホンヤクコンニャクで、周囲への配慮とか全体の調和とかいう言葉を、やつらに伝えてやってくれよぅ。

…と、至れり尽くせり爛熟文化で育った軟弱日本人のび太君な自分は、日々泣き言を言って過ごしています。

しかし、ジャイアンも映画ではいい奴になる。最後には通じるのだと、日本人の感性が勝つのだと、信じよう。
posted by 入潮 at 07:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

謹賀新年

謹んで新春のご祝詞を申し上げます。

あぁ疲れた。やっと、明けられます

「年内に送ります」と伝えていた報告書が、ついさっきやっと上がりました。「年内」を23時間ほどオーバーしました。いっそ、「2008年内という意味でした」とボケてやろうかと思いましたが。いくらインド人相手でもそれは日本人としてのなけなしの矜持が許しませんでした。

年末、冬の祭典に10年ぶりに参加したいと思っていたのですが、案の定、無理でした。夜のKさま、Oさま、Kさまの飲み会にだけ乱入させていただきました。久しぶりに、若いお嬢さんたちと会話して心華やぎました。サブカルチャーを担う若者たちの清清しい姿に、力を分けてもらってきました。…言うことがもう老人ですが。

そんなわけで、ぜんぜん正月を迎える体制になっていません。これから掃除と雑煮作りをしようと思いますが、正月があと数分しか残っていません。今年こそは人並みの生活を、と思いましたが、初日から破綻しています。

旧年中は、大変お世話になりました。サイトに来てくださった皆様御一人一人に感謝申し上げます。新しい出会いもいただき、学ばせていただいたことの多い一年でした。普通なら出会えることのない方と交流のいただけるネットの存在と、そのインフラを作ってきてくださった先人、皆様に感謝です。

去年、今年中にやりたいことのリストを挙げましたが、そのうちの2,3点しか消化できていませんでした。

さらに今年やること、と言うより、去年やろうとしてできなかったこと。

・松平太郎の野州戦援助
・宇都宮戦SS続き
・参考資料リスト整理
・燃えよ剣の検証
・硫黄島特集
・依田学海日録に見る榎本と大鳥
・明治ニュースに見る榎本と大鳥
・荒井さん特集と「土木屋さんの史学散歩」
・栗本鋤雲「匏庵十種」と陸軍歴史
・ブリュネの真意と箱館離脱
・ふんどし宿題
・三斗小屋ツーリング
・墨田区について
・土佐藩戊辰戦争資料のまとめ
・浅田惟季函湊戦図のご紹介
・明治前期殖産興業のまとめ
・私を救った鶏卵
・旧年のToDoリストからの持ち越し

あと、工部大学校全般。
特に、本サイトのほったらかしにしているコンテンツのほうは、早めに埋めて行きたいです…。

今の家に来てもう1年が立つのかと思うと、月日がたつのが早いです。まだ引っ越してから3ヶ月ぐらいしかたってない気がしますが。家に居た日を勘定すると延べでそんな感じでした。

今年もどれぐらい国内に居られるのか分からないので、とにかく1時間、1分を大切にして、自分という怠け者の尻を引っぱたきたいと思います。

"It is not how much we do but how well, the will to do, the soul to done."
(どれだけたくさんやったかが重要なのではない。どれだけ良い物を作り、作ろうという意思を持ち、そしてそれを最後までやり遂げる魂があるかどうかだ。田辺朔郎)

先人の言葉は重いです。

風呂敷を広げすぎても何も出来ないので、一つ一つ、やれることからやっていきたいと思います。

とりあえず人並みの生活からはじめます。
雑煮作るぞー。
posted by 入潮 at 23:53| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

靖国初詣と新年会


いきなりですが、初詣と新年会をやろうと思います。
つきましては、参加してくださる方、募集させてください。

お知らせが、年の瀬も差し迫った今日で、しかも当日まで3日しかないという、いつもながらの行き当たりばったりです。

1月2日 (水)
10:30 集合、初詣
14:30 新年会


という感じで。初詣の場所は靖国神社、新年会は九段か神保町あたりです。
もちろん、初詣、新年会どちらかのみの参加もOKです。夕方以降も飲み続けるかもしれません。

ちなみに、靖国の芸術的な大村益次郎像を作ったのは、大鳥が校長を勤めた工部美術学校の生徒さんです。

もともと、幕末サイトを運営しておられるたぬ吉さんと、一度飲みましょう、という話をしていて、せっかくだから初詣も兼ねましょう、という流れになっただけのものです。なので、ほとんど思いつきで、アレンジもなにもあったものではないです。内輪の小さなものになると思います。

もし近郊で、正月は暇だ、という方がいらっしゃいましたら、ぜひご参加ください。

たぬ吉さんが、早速、通知ページを作ってくださいました。

http://ohmiyatanukiti.web.fc2.com/kamati/travel/edo/200801_kokuti/200801_kokuti.html

ご希望者は上記ページのメールアドレスまで、ご連絡いただけますと幸いです。

ただ、運営者二人は、まじめな話も好きですが、いつオタクモードに入るか分かりませんので、ご注意下さい。


「それでは友よ、靖国で会いましょう」

とでも締めくくろうと思ったのですが。以前に沖縄戦に触れたら、そのままフィリピン戦や硫黄島に関心が移ってしまって、とても靖国を軽々しく言える状態ではなくなってしまった。
今、兵士の方々の時世の句や家族への手紙の実物を見てしまったら、人様に見せられない顔になると思います。遊就館で初泣きしていたら、捨て置いて下さい。

posted by 入潮 at 14:30| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

責任ある言葉

帰国しました。
虫歯で途中退場という、なんとも情けない結果です。

別チームの方からは、任務中で虫歯を我慢し続けた結果、抜くならまだマシで、化膿が顎骨にまで達して手術せねばならなかった人がいるとか、色々と脅されてました。

抗生物質で症状を押さえ込んでいたのですが。一週間も薬を飲み続けると、免疫力が弱ってきます。
(ペニシリン系抗生物質は細胞壁のある細菌をみんな殺すので、有用な腸内細菌なども一緒に死んで、体内の免疫力が衰える)

で、案の定、些細なことですが、どうも支障が出てきています。
深爪したところが膿んできたり、虫刺されの痕が直らなかったり、胃がむかむかして眠れなかったり、タイの空港でクーラー効きすぎで風邪を引いたり。

何より薬のせいで酒が飲めない。ノーアルコールで長時間の飛行機なんて、苦痛以外の何者でもなかった。

そんなわけで、帰国後、おとなしく、歯医者さんに行ってきました。

レントゲンを撮って、診断してもらった結果。

「まぁ腫れも引いているし、様子を見ましょう」

と、拍子抜けなお言葉をいただきました。そして。

「うーん、薬はどうしようかなぁ。まぁ、やめていいでしょう。何か起きたら、 私が何とかしますから、すぐに来てください」

とのお言葉。うっかり、涙が出そうになりました。

決して、薬から開放されて、これで酒が飲める、という喜びからというわけではありません。いやそれも2割ぐらい、すいません、4割ぐらいありますけれども。

「何かあったら私が何とかする」という言葉。これを、他人に向かって伝えることの出来る人は、なかなかいないのではないかと思います。

この言葉を口にするには、よほどの経験と知識と自信と、それ以上の責任感が必要なのではないかと思うのです。

今回、虫歯以上に、頭が痛かったのは、事なかれ体質なインド人との付き合いでした。

作業の打ち合わせは、まず "You prepare..."とか "You provide..."とか"You give me..." から始まる。人に作業を押し付けるのは大変巧み。「違う、このデータを取るのは君の仕事」と何度念を押しても、次の瞬間に"You gime me the data..." と返される。三回は同じやり取りが続く。

一方、自分がいかほど仕事したかということを主張するのは大変熱心。"I did..." が大変多い。自分は過去形、人に対しては未来形でものを言う。
そして、自分が責任を取ることになる状態は全力で回避しようとする。
メールで念押しすると、休みを取ったやらネットワークの調子が悪いやらで、返事が帰ってこない。結局こちらがやらざるを得ない方向に持っていく。謙虚に出ようとすると100%の責任を負い被せられかねない。

その強さ、ふてぶてしさ、逞しさには、感心してしまう。強烈な人口圧力の中で切磋琢磨して生き残りをかけて競争して育ち、熱暑の空気さえも敵であるような環境の亜大陸では、ここまでならないと生きていけないのかと畏敬の念すら抱く。

でも、謙虚さと勤勉の美徳が通じる、言わずとも成果を見れば理解してくれる、なぁなぁで甘っちょろい日本人が、私は大好きです…。

いやもちろん、インド人が全てそうだというわけではなく、中には優秀で責任感のある方もたくさんいるだろうとは思うのですけれども。 会う人会う人が皆が似たような調子なので、つい偏見が大きくなってしまいます。


そういうわけで、「私が何とかします」という、穏やかながら責任感ある言葉を聞いた時、じーんときてしまったのでした。

この分野なら何かあっても自分が何とかできる、人の役に立てるという自信があって、初めて口にできることば。そういう包容力を可能にできる専門性を、一つは持っておきたいと思うのでした。


さて、本体以上にチクチクやられていたのが、PC。
これでもか、というぐらいウィルスにやられていました。帰国後処理したら40数個いました。

メモリスティックが読めないとか、ソフトの常駐が外されるなどの程度で、致命的な症状はでていなかったから良かったのですが。
アンチウィルスで虫取りをして、レジストリを修復していたら、休みが潰れてしまった…。

現地は、混み混みギュウギュウのダイヤルアップで、夜中でも1MBダウンロードするのに2時間かかるようなネット環境。18MBもあるウィルスの定義ファイルをサカサカ落とせるような人はいない。

ADSLを提供する業者もいるけれども、一月に100ドル、公務員の給料の半分もかかるようなプロバイダと契約できるのはよほどの会社か、恵まれた家。

よって、2年前3年前の、インストールしたままウィルス定義ファイルが更新されてないPCはザラにある。個人のPCはまずウィルスの温床。そんな彼らとメモリスティックでひっきりなしにやり取りするのだから、感染しないほうがおかしい。

通信インフラが貧弱だと、ウィルスは瞬く間に蔓延する。(携帯電話の普及により固定電話の使用率が下がったから、国営通信会社がネットの従量料金を廃止して、固定料金にしてしまった。だから皆フリーなネットに殺到。結果、あっさり容量オーバーで繋がらなくなった)
まず、脆弱なところが狙われて、ダウンしてしまうのです。途上国はウィルス天国です。PCのメンテ業者ばかりが儲かっています。

人もPCも、インフラに守られた状態というのが、いかにありがたいことかと思います。


ちなみに、途上国でPCを使用される方は、以下の対策が役立つと思います。

● 自動再生をオフにする。
USBメモリなどにAutorunを自動的に作成するウィルスの場合、USBに差し込んだ瞬間に感染する。これを防ぐ。

(スタート→ ファイル名を指定して実行→"gpedit.msc"と入力→ローカルコンピュータポリシー→コンピュータの構成 →管理用テンプレート→システム→「自動再生機能を無効 (オフ) にする」 をダブルクリック。「有効」に設定。これはWin Xp Professionalの場合。Home Edditionの場合は、TweakUI というツールを使う)

ちなみにSiftを押しながらUSBに差し込こむと、自動再生しませんが。毎回Siftを押したままやりとりするのは、結構億劫です。

● ウィルスの作ったAutorun, Recycleなどを可視にする
メモリスティック内にAutorunなどがウィルスにより自動的に作られるのが分かります。

任意のファイルのフォルダ→ツール→フォルダオプション→「表示」のタブ→「すべてのファイルとフォルダを表示する」にチェック→「保護されたオペレーティングシステムファイルを表示しない」のチェックを外す


他にも色々あるかと思いますが。
人もPCも、予防が肝心。

しかしながら、虫歯という、不摂生が起因するものだけは、どうしようもありません。

さて、帰国日に高速環境に浸るべくサイト様めぐりをしていたら、T様がチャットを開催されていて、図々しくもついお邪魔してしまいました。
…ふんどし話に盛り上がり、笑いに笑いました。
笑いは何より免疫力を高めます。(笑いヨガというのもあるらしい)
薬放免になったのはその御蔭だったのかもしれない。

…皆様、誠に、誠にありがとうございました…。
英気を養って、また10月に行ってきます。
posted by 入潮 at 00:07| Comment(7) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月18日

寒いけれども暑さ対策

寒いです。
…というと、猛暑の本国に申し訳ない気もしますが。

ブータン、ティンプーです。標高2500mの高地です。
雨季の真っ只中です。連日雨です。朝晩が冷えます。

出国前に、何の修行かと思うほど暑さと戦っていたせいか、寒く感じて仕方がないです。
ほとんど半そでしか持ってこなかったので、作業服を着て寒さを凌いでいます。

今年のモンスーンの雨はことのほか激しい。土砂崩れ、水生の病害虫、川が渡れない、道が通れない等。その状況で、ジャングルの現場に踏査者たちが出ているのですが。遅れたスケジュールを取り戻せと急かさねばならない自分の立場が辛い。月が替わったら自分もでる予定です。

街中も、2008年の国王即位に間に合わせようと、建物も道路もどこもかしこも工事中です。道路は工事中の交通を全く考えてないかのごとく、掘り返してドロドロの石ごろごろにしたまま、雨で工事がストップ。そこを水があふれて流れ、その中を歩かねばならない。何が悲しくて、首都の通勤で、泥濘の中、ズボンを濡らしながら沢登りをせねばならんのだと思います。しかも転ぶと、抱えたPCのデータに被害が及ぶ。デンジャラス。

あと、蚊が多いです。
これだけ標高が高いと、通常なら蚊はあがってこないのですが。温暖化の影響なのか、今年は蚊が大発生しています。
日本で噛まれても、不愉快になるぐらいですむからいいのですが。ここの蚊はマラリア持ちなので、刺されるとかなり憂鬱です。乗り込みが遅れた上にマラリアで倒れて仕事が進みませんでした、 なんて羽目になったら、二度と仕事がもらえなくなる。

そして、こちらの蚊取り線香は、蚊より先に人間様がくたばりそうになるほど強烈です。烟を吸い込むとめまいと吐き気が襲ってきます。
マラリアも問題だけれども、煙を吸い込んだら寿命が縮む線香を作るのもどうかと思います。
そんなわけで、日本から持ってきた蚊取り線香を、折りながらチビチビ使っています…。

雨季で良いことというと、マンゴーが美味い、ぐらいでしょうか。
熟れきって、中が腐って虫が沸いているのに出会うと憂鬱です。
というか、どんな食べ物も、あしが早いです。何を食べてもほのかに腐っている感じがします。雨季の臭い。胃腸の抵抗力を試されている気がします。
あぁ寒い…。


と、ぐちっていてもしょうがないので。
体温以上の気温でも、クーラー、エアコンなしで涼しく過ごす方法。先週まで自分がやっていたことを、垂れ流しておきます。
東電さんの電力ピーク対策の、少しでも助けになりますように


1) 頭から水をかぶる。乾かさない。

水をかぶって髪を濡らしたまま、吹くだけで乾かさない。
髪の水の気化熱が頭から熱を奪うので、涼しく感じます。

2) 扇風機の前に水を凍らせたペットボトルを置く。

扇風機の消費電力は30-50W。エアコンの1/20。扇風機の前に、風の当るところに凍らせたペットボトルを置いておくと、融解熱で風から熱を奪い、風が冷たくなる。

3) 氷を食べる。

文字通り体の中の温度を下げます。アイスクリームだと糖分取りすぎで余計疲れたようになりますが、水ならOK。凍らした麦茶ならなおOK。ただ、胃腸の弱い人は注意です。

4) 麦茶を飲む

夏は、とにかく麦茶。
小さい頃から麦茶を1日2Lぐらい飲んでます。単に麦茶が好きだから。今もビールよりどんな飲みものより、麦茶が好きです。汗だくで帰宅し、冷蔵庫の水差しから一気飲みした瞬間に、最高の幸せを感じます。

で、最近、カゴメの研究で、麦茶の香りの成分であるアルキルピラジンが、血液の流動性を向上させる作用があるとわかったとのこと。いわゆる血液サラサラ効果。

なお、低級アルキルピラジンは加熱した際のローストの香気に寄与しているそうで。この成分が、血栓が出来るのを抑制し、心筋梗塞・脳梗塞に効果があるらしいです。出典がWikiですみません。
疲れると疲労物質である乳酸が血液に溜まり、血の粘度が上がりますが、麦茶はこれを緩和することになります。

他、抗酸化作用がある、胃の粘膜を保護しストレス性胃潰瘍の予防にもなる、食物繊維を多く含み整腸効果がある、などなど、健康食品の宣伝文句になりそうな効果がつらつら並べられます。さらに、カフェインを含まないからどれだけ飲んでも問題なし。

根拠無くこれは良いもと信じていたものに、科学的な根拠が与えられるのは、無性に嬉しいです。

5) エアコンを避ける

エアコンは、人を甘やかします。具体的には、体温調節機能と発汗機能を退化させます。エアコンの中にばかりいると、暑い場所に出たときに、発汗で体温を下げる体の自然な機能が劣化する。かく汗も、べたべたした臭い汗になります。(べたべたするのは、体内から流れ出たミネラルを多く含むから。ミネラルが流れると、イオンバランスが崩れて疲れます。自然な良好な汗は、水っぽくさらさらしています。)よってエアコンの中に居る時間は少なければ少ないほど良いです。

昼間職場でエアコンに当らざるをえないなら、家でぐらいはとにかくエアコン無しで過ごして、体の自然な機能を取り戻すほうが良いです。

6) 熱い風呂、サウナに入る

不思議なもので、熱い風呂、サウナに入って汗を流すほど、出たら外気が涼しく感じます。とことん熱い思いをすると、それだけ精神が暑さに強くなります。
東京の銭湯は、45℃以上の熱い風呂が多いですし、200円ほど足せばサウナに入れるところも多いので、うってつけです。


そういう感じで。
一番の暑さ対策は、暑さを避けることではなく、自分の体を暑さに耐えられるように作り上げることだと思います。

麦茶をたっぷり飲んで、昼間炎天下に歩いてどっさり汗をかいて、熱い風呂に入って、どっかり疲れたら、しっかり眠る。
そういう普通の生活が、一番の暑さ対策なのではないかと思います。

…とかいいながら、エアコンのない貧乏生活を正当化してみました。

そして、既に暑さと無縁の雨の高地にいる人間が言ってもなにも説得力がないです。

雨で洗濯物が乾かない。着る服がない。あぁ、寒い。

それでは、皆様、健やかな夏をお過ごし下さい…。
ラベル:ブータン
posted by 入潮 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月11日

八つ当たり


暑くて荷造りが進みません。明日朝、荷物を出さねばなりません。
出張です。

世間様はこの週末を持って、お休みに突入されるようです。
手前は無論、お盆休みのバカンスなぞに出られるような優雅な身分ではありません。
仕事です。
振り替え休日なんぞもありやしません。そいやGWも潰れました。このままだと正月も潰れるかもしれない。

8月1日には「さらば日本の夏。紅葉の季節に会いましょう!」と高笑いしながら、涼しいうちに軽やかに出発している予定だったのですが。
外務省の書記官が変わったからという、よくわからない理由でビザが下りず、出発が今まで延び延びになっていました。

何が悲しくて、海外旅行ピーク日に、押し合いへ圧し合いの成田から、仕事で出て行かねばならんのだと思います。

出発が延びている間に、激しく暑くなりました。

自宅の室温がゆうに体温を越えています。もちろんエアコンだなんて持ち合わせていません。ヒートアイランドと温暖化を増長する贅沢品は敵です。というわけではなくて、単に貧乏性なだけだからですが。
仕事場にはエアコンは必要です。でないと正常な思考と判断ができなくなる。

東電さん、やはり今、ピーク電力の確保に大変なようです。うちの会社でも12時から4時のエアコン28℃徹底令が出ました。お盆でひと段落という感じでしょうか。
原発不要論の方々には、まずご自身の自宅と職場のエアコンを切ることからはじめて欲しいとおもいます。

そんな感じで激しく暑い我が家ですが。

残業で帰宅が日をまたぐと、近所の銭湯はまず閉まっています。うちに風呂はありません。このくそ暑さで、帰って風呂に入れないというのは、相当辛いです。私が以上に、私の回りが。
洗面器一杯の湯で体を拭いて、頭を水で洗って終わりです。それだけでもだいぶさっぱりしますが。
そんな中、世の中の方々は、普通に、湯を何十リットルも使っているのだと思うと、なんだかやるせないです。

今は氷を食べて、内側から体温を下げて、凌いでます。
冷凍庫がなかったら、もう耐えられないだろう。
そう思いながら、氷を作っていたら、今度は冷蔵庫が壊れました。どうも後ろ側がオーバーヒートしていたので、どこか焼き切れたのだろうか。

この暑い中、エアコン無し。風呂無し。冷蔵庫無し。

天は一体、私の何を試そうとしているのか、と思います。
いくら江戸明治人間のことを考えているからって、自分の生活まで江戸明治に近づけてくれんでいいです。

ついでにテレビもなく、20km自転車通勤です。家庭のエネルギー使用量トップ5の項目と交通について、化石燃料使用ゼロです。自分ってなんて地球にやさしいのだろうと思います。全く意図してやっているわけではないですが。

もちろん、会社ではエアコンを使っていますし、日々口にする食べ物はトラックで生産地から輸送されてきたものを調理しているわけだし、パソコンなしの生活は考えられないし。使っているエネルギーは無論あります。

でも、平均的日本人よりは明らかに少ないと思います。今のところ電気消費量は40-60kWh/月ぐらい。冷蔵庫分がなくなるので、もっと減るでしょう。人様の1/3ぐらいだと思います。

最近のロハスやエコなどの流行語も、その内容はライフサイクルとして本当に環境に良いものなのか疑問なものがあったりしますが。私の今の生活を皆がやれば、間違いなく地球環境に、二酸化炭素-6%に貢献すると思います。

どうですか、環境運動家の方、原発反対の方。ぜひ、まず、私のエネルギー消費以下量で、自らが率先して省エネ生活を送ってみてください。自らが行動を示さないと、地球は変わりません。

…たんなる八つ当たりです。
あー、暑い。エアコンと冷蔵庫が恋しい。
もう出張でるから買わないけど。
荷造りしなきゃ…。
posted by 入潮 at 03:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月19日

国会図書館の進化

国会図書館。
相変わらず、この機関のためなら今の税金を払って全く惜しくないと思わせてくれる、素晴らしいパフォーマンスを見せてくださっています。
国会図書館の賛美は、以前もやっているのですが。

独立行政法人化の議論が自民党で出たときに、 「国立国会図書館は国会に属する機関であり…(略)政党の『提言』についてコメントする立場にありません」としながら、その動きについて牽制するかのように、自らの役割についてとキッパリと言い切ったのは、お見事でした。
こちらのページで全文が読めます。


さて、今回また喝采を挙げたのは、目標と評価
H19年度の重点目標。

1)書庫内資料の閲覧について、申込みから25分以内に提供:90%
2)オンライン複写について、申込みから50分以内に提供:95%
3)即日複写について、申込みから30分以内に提供:80%
4)後日複写について、申込日から4日(休館日を除く)で提供:90%

素晴らしい。利用者サービスとは何か。利用者が何を望んでいるのか。
それをよくわかって下さっている。
公の機関とはかくあるべし、という見本を見せ付けていると思います。


国会図書館にしかない知識はかなり多い。ほかの場所にあっても散逸しているので、一箇所でまとめて情報収集したいときは、国会図書館に優る存在はほとんどない。なので、国会図書館における作業効率が、そのまま知識の集積度合いにダイレクトに響いてくる。
遠隔地から来られる方も多いでしょうし。国会図書館の10分は、かなり濃い十分です。それが違うだけで、後の自分の進路に影響を及ぼしかねない情報が手に入ったりする。

なので、国会図書館における時間効率ほど大事なものはないと思います。

3)については、下で触れる100ページ制限があって為せる業だとは思いますが。
こういう具体的に何分・何日以内と数字で示し、絵に描いた餅にしないのは、本当にありがたいです。
昨年の結果を見る限り、トラブル以外は対処するシステムを作り上げた、という自信の表れかと思います。
2)のオンライン複写は大体15分ぐらいで出てきて、一番早かったりする。

更に、重点分野として「デジタルアーカイブの構築」として。

「『近代デジタルライブラリー』のコンテンツとして、大正期刊行図書の大部分を平成22年度までに公開する。 (略)デジタル・コンテンツを作成・提供する機関と協力して、わが国のデジタル情報の総合的なポータル・サイトを構築し、平成19年度から提供を行う。 」

と掲げているのも素晴らしいです。「大正期〜」については、もう半分ぐらいクリアされていると思います。ポータルサイトのほうももうだいぶできているのではないかと思うのですが。まだ意欲的広げようとして下さっているのかしら。期待も高まります。

何が知識・情報を媒体に国民に裨益するのか、がっぷりつかんでいる感じです。

そして、何より、はな。さんもご紹介してくださっていましたが。今回のデジタルライブラリの明治末〜大正年間の追加。

思わずCSVファイルを一から眺め回して、気持ちが悪くなりました…。
官報や統計、教科書類も多く、ものすごい量の基礎資料が、ネットリソースとして公開されたことになります。
個人的には工部大関連が多くて嬉しいです。

まず市助の「工学博士藤岡市助君伝」がある。(そういえばまだ藤岡市助についてのご紹介はまだでした。彼についてはいずれまたじっくりと。)

田辺朔郎による、「水力」「袖珍公式工師必携」(当時昼工事して夜に書かれたリアルタイム施工ハンドブック)のほか、朔郎編・田辺蓮舟著の「蓮舟遺稿」がある。

「工業大辞書」(M42)とか。当時の技術レベルがわかって凄く重宝ですし。「石油便覧」や「日本石油史」も個人的にありがたい。

戊辰関係では久留米藩資料とか、松平慶永の「戊辰日記」とか(これは復刻されている)

あと、欲を言えば、昭和初期のも優先してほしいと思ったり。

明治・大正時期のはほとんどマイクロ化されているので、実はかえって見やすかったりするのですが。
昭和初期〜戦後あたりは、酸性紙で痛みが激しく、複写できないものが多いのです。
別室で、パリパリ粉を吹く紙を、痛めないようにそーっとめくって、鉛筆で必要部分を書き写すというのは、精神的にも体力的にも時間的にも、かなりきつかったりします。


以前は、閲覧に待たされ、複写に待たされ、ということで、待たされ疲れすることが多かったのですが。
今は忙しくて、待つ、ということはまずなくなりました。
最も効率が良いのは、以下の3つを同時に行うこと。

1) 一般資料の閲覧+複写
2) 雑誌の閲覧+複写
3) オンライン複写で論文の複写

1)は通常の製本された書籍の閲覧で、場所は本館になります。1回に3冊まで。明治・大正・昭和初期の、マイクロフィルム化されたものも含みます。複写は同じ本館で申請・受け取り場があります。
マイクロは本館のリーダー室で読み、複写依頼することになります。

2)は定期刊行されている論文雑誌やジャーナル、漫画雑誌で、場所は新館になります。
雑誌は3種類までで、同じ雑誌の複数号を申し込めます。最大10号ぐらい出せたと思いますが、雑誌によって異なります。
複写は新館地下で行います。

3)は2)の雑誌についてですが、記事名や著者がわかっていれば検索マシンで当該雑誌の記事を指定し、閲覧することなく、直接複写依頼ができます。雑誌と同じ新館地下の複写カウンターから受け取ります。1回に3件まで。複写が終わるとまた申し込み可能です。

なお、1)、2)の複写についですが、1回あたり100ページの制限枠があります。「枚」ではなく「ページ」です。

この枠が結構苦しかったりします。それで、複写依頼を以下の通りにしてみる。

(縦書きの場合)
・複写開始ページ番号を左ページにする。
・複写終了ページ番号を右ページにする。

コピーは見開きで取ってくれるので、もう片側のページも収まることになります。
そうすれば、特に1冊から細切れに複写する場合、複写ページを増やせます。セコイです。

ちなみに、新館にいけば、本館の書籍も、もう100ページ複写できます。
ちまちま開始・終了ページを節約するより、雑誌の複写量が少ない場合は新館に行くほうが早いです。

それでも足りないなら、後日郵送ということで。後日複写はページ数制限無しです。(著作権が切れてない場合は著作権範囲内=本文の半分以下の縛りはあります) 以前は受け取るまで2週間以上かかり、忘れた頃にやってくるという感じだったのですが。最近は結構早く送ってくれます。目標成果制度万歳。

難点は、こういう複写を繰り返すと、1日1万円ぐらい平気で飛んでしまうということ。
なお、後日複写にすると、払い込みは後日郵便振替なので、お金が足りなくなったら後日郵送にするという手もあります。そうして抜け出せなくなる。

あと、郵送複写ですが。
図書館にいかなくとも、インターネットで複写依頼ができます。複写する文献名とページ場所がわかっていないとなりませんが。本の場合、まず目次ページだけ複写して送ってもらって、目次を見ながら該当する部分を再度申し込んで送ってもらう、ということも可能です。無論送料はかかりますが、図書館に行く手間暇をかけることを考えると、かなり便利です。
ただし、一度国会図書館に身分証明書をもって本人が訪れて、登録カードを作っておく必要があります。


そんな感じで、税金以上にさらに国会図書館につぎ込んでしまうわけなのですが。
少なくとも、飛んだ懐以上の充実感で、胸いっぱいになれます。

あとは、コピーの山を、自分の頭の中にちゃんと入れ、その後はファイルに入れ棚に入れて整理することですが。なかなかその最後までたどり着かないのは、困ったものです。このままでは紙がネズミの餌になる…。

ラベル:国会図書館
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2007年06月22日

明けない夜はない。

先週末、大鳥さんの命日に、とある方のチャットにお邪魔して、えらく楽しい思いをさせていただきました。
大鳥を偲んでくれる方があんなにいてくださるとは。嬉しい限りです。

そこではじけすぎた罰が当たったのか、今週は激しいことになっています。帰宅できても何もする気力がなかった。
明日提案書の締め切りで、にっちもさっちも行かない感じです。疲れた。眠い。

勝つ見込みのあるプロジェクトの提案書なら良いのですけれども。
どうも勝ちが見えない。内容はとても良いのだけれども、徹底的な武器を欠いている。

何が勝つために必要な武器か。

1)カネ 2)モノ 3)人。

天・地・人と言い換えてもいいのですが。
2)と3)はとりあえずあるけれども、1)がない。

競争というのは、それを真面目にやればやるほど、大体、やる前から結果が見えてくるわけで。
情報を集めれば集めるほど、ダメだ、という答えしか見えないことがある。
自分の力も、競争相手の力も分かるし、手元にある材料がどれほどのものかも分かる。

ただ、世の中、負けが見えていても乗り出さねばならない戦いというのはあるもので。
特に、自分を食わせてくれている人の命令には逆らえない。

勝ちの見えない戦いを行うのは、すさまじく大変なことだと思う。

勝てないなりに、色々と材料を求めて揃えられるように足掻く。
足掻くほどに勝てない事が分かるから、気が重くなる一方。
少しでもベターなものを作ろうとするから、作業も果てしがない。
四方八方から壁が迫って押しつぶしてくるように感じる。

主体的であればあるほど、圧力は大きい。

本当の戦に比べれば、自分のやっていることなど、吹けば飛ぶような、まったく大したことではないのですが。
こういう状況では、負ける戦いにあえて乗り出し、そこで負けても次に繋げた人の大きさを、身に染みて感じます。

私はこれで負けて笑える自信はありません。


ただ、大鳥は、そうして負けても、本当に大事な局面では勝った人だと思います。
明治という世造りのための戦いには、ひっそりと、勝利した人だと思います。
それが勝利だと理解する人はごく少なく、だれにも重きをおかれず、それでもその勝利がなければ今の世の中はなかった。そうした戦をした人だと思います。

世のある場所と、ある一部分の時間だけを切り取って、単純な勝ちと負けに分けるのは、後から見る人にとってはわかり易いことですが。
それはなんとも奥行きのない、そして楽なことのように思います。

負けても、なんとか次の勝ちの材料になる負け方をしたいと思います。


とか何とか、つらつら吐き出しても、目の前の作業は終わらない。

色々と書きたいことが溜まっています。
日光ツーリングの続きとか、内国勧業博覧会についてとか、そのほかぼちぼち集まっている資料とか。
これが終わったら、そっちに漬かりたいと思います。

…てことで、仕事に戻ります。
posted by 入潮 at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月30日

頑張ってから死にたいなぁ。


あぁ、空気が濃い。

バンコクです。帰路にあります。
雨季にあるせいか、これまでいたところのせいか、さらに空気がねっとりと濃く感じます。

山の上(ブータン・ティンプー)から持ってきたミネラルウォーターのペットボトルがべっこりと凹んでしまいました。空気の力って凄い。

今日は朝4時半起きで、空港へ。それからパロ(ブータン)→カルカッタ(インド)→ダッカ(バングラデシュ)→バンコク(タイ)という経路で、バンコクでトランジット。これから夜行便で成田に向かいます。
移動するのに中継地が三箇所になるというのも、なかなかあることではない。

それでも移動は楽で良いです。とりあえず何も考えなくてもいい。飛行機の中ではひとまず寝ていても許される。

ダッカもは既に雨季で、土地全体がなんだかべっとりと水に漬かったような感じでした。もともと土地が低くて洪水は茶飯事なお国柄ですが。
雨季は、常に足元がどろどろで、しけったままで食べ物や水はすぐに痛む。マラリアやデング熱を媒体する蚊は跋扈する。病気も起こりやすい。生きるのも大変な季節です。


いろんなことに追い立てられて、憔悴してました。
酸素が薄いと、1日徹夜しても、それが2,3日連続徹夜したのと同じぐらいに体にダメージが来ます。踏ん張りが利かない。エンジンと同じ。不思議。まぁエンジンも人間も、酸素を消費してエネルギーを得ているのだから、当たり前といえばそうか。

昼はひたすら会議、夜は資料作りやらデータ作りやらで、更新やポストも全く手がつかず。3-4時間ぐらいの睡眠時間も、空気が薄くては眠りが浅くて夢を見る。夢の中でも悩みながら文書を作っている。1日24時間仕事体制。けれども小人さんはおらず、仕事もできておらず、給料は同じ。割りに合わないぞ。

と戯言はおいておいても、
何が疲れるかって、結局、自分の力なさ、至らなさが一番辛い。
働くというのは本当に大変な事です。
色んな人の利害、譲れないところ、プライド、思惑が絡み合う。
金が潤沢にあれば円滑に行っていた人間関係も、一度資金に枠が課せられて、それぞれが押さえつけられると、とたんにギスギスしてしまう。

そこを読み解いてどうすれば上手く動くかをきちんと示さないと、進むものも進まない。
それはどういう仕事も同じ。

最後のほうは、追い立てられて能面のようになってしまっていました。
で、契約が破棄寸前になって、協力者からも見放されて、本当に追い詰められたとき。
雨が降って、止んで、ぱぁっと晴れたことがあったのですが。

雨上がりの山の緑色が本当に綺麗で、きらきらしていて、泣けてきました。

人間どんなに惨めでも、森羅は容赦なく綺麗なんだなと思いました。

そうすると、所詮人間、ちっぽけなものなんだから、やれることは限られている。限られていているんだから、できることをやるしかない。とにかくやれる事をやって、それでダメならもうそれでいいじゃないか。ダメだったらもうそれは天の思し召しだ。

そういう諦めも生まれてくる。

そうして、行き着くところまで行くと、なんだかんだと上手く進むものです。

といっても、結局いろいろな人に助けていただいて、お蔭様でなんとかリカバリできた感じです。人のありがたさが身に染みました。
そして、自分の未熟さと無力さ、世間知らずさを噛み締めるばかりでした。
もっと容量をでっかくせねばならんと、つくづく感じましたです。


現地で更新しようと張り切って「大鳥圭介伝」やら「旧工部大学校史料」やら「工部大学校昔噺」やらを持ち込んでいたのですが。エクセス(荷物超過料金)を増やしただけだった。

まぁ、空気も濃いですし、これからもボチボチやっていこうと思います。


________________

といいつつ、帰国しました。

成田からの帰り。

外はしとしとと雨。桜の季節の終わりに出たら、新緑を味わう暇も無く、梅雨に突入しそうな天気。

荷物がロストしていました。
自分の携帯電話番号を忘れていました。
住所も忘れていました。
ついでに、最寄の駅の名前も忘れていました。

…私の脳みそはどうなっとるのだろう。

家のほうは、出張中、暴風雨や地震などで、ボロ家がどうなっていることかと心配でした。とりあえず無事でした。

ただ、帰宅したら、また停電している。
おいてあった米や菓子はネズミに食い荒らされている。
ついでに床はネズミの糞だらけ。
家主がいない間に、ネズミ連中は我が世の春を謳歌していたようです。

さらに、モデムまで故障していて、ネットに繋がらない。
これが一番辛い。


それでも、床の間に、ただいまと挨拶して、なんとか落ち着きました。

荷物が無くなったのは寂しいのですが。
別になくして困るものは、あまりない。(仕事の資料は別として)
ただ、あれにはボロボロになった南柯紀行が入っている。それを無くすのは辛い。…とか思うあたり末期的。

南柯紀行はもはや原点回帰をさせてくれる何かがあると、本気で思っています。

そのときはものすごく大変だと思っていても、結局自分如き、何があっても、たいしたことではない。
自分よりもずっとずっと責任も重圧も重く、身を裂くような決断に直面し続けた人が、いつの時代にも、どこの場所にもいる。

生きていくというのは、そんな楽なことじゃあない。
それは当たり前で。
みんな人に見えない坂道をよじ登って、這い上がれと自分を蹴飛ばしている。

そう思わせてくれる。

同じ大変なのなら笑っているほうが良い。
笑いは悟りと同じなのだと思いました。


タイトルは中島御大の「重き荷を負いて」より。
何度この歌に涙が出たか知れない。
大本は多分、東照宮遺訓の「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし」ではないかと思います。
(ある方から、日光土産にこの句を刻んだ面タオルをいただきました。身に染みます)

「頑張ってから死にたいなぁ」という叫びと、圭介爺ちゃんの「骨の折れる」が妙に重なったものでした。

(ミリオンセラーを何度も叩き出している人生の成功者たる彼女が、いまさらながら、なんでここまで底辺であがく人間を此処まで汲み取れるのか、不思議だ)

そんな感じで。
疲れたりもするけれど、なんだかんだと自分も元気です。

明日から更新やるぞ、っと。
posted by 入潮 at 23:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月14日

ひこにゃんと著作権

喝采しました。

はな。さんがご紹介下さっているひこにゃん像。思わずプリントしてしげしげ眺めてしまいました。

ひこにゃんが、ミッ○ーを、ぶった切っています。
笑いが張り付いたまま斬られているミッ○ーが、何ともいえません。

ひこにゃんは、400周年を迎える彦根城の記念キャラクター。脱力と力強さという相反する要素を同時に内包していて、一部で大人気のようです。

思うところのある会社は、世にいくつかあるのですが。
子供達に夢を売るとしつつ、裏ではひたすら自社のキャラクターの著作権による権益を追求しているディズニー社は、その一つです。


ディズニー社のコピーライトへのこだわりは異様なほどで、たとえばCMや映画でモブの人間が着るTシャツのプリントにも、ディズニーのキャラクターが出てくることを許さないらしいです。こちらによると、キャラクターのシルエットだけでも訴えられるという話もあるようです。

ディズニーにとって、キャラクターグッズによる収入は死活問題。米国の著作権法(1976年)では、著作権の保護期間は著作者の死後50年、あるいは発行から75年までとされていました。しかし、これを1998年に20年間延長させたのが、ディズニー社の活動によるものでした。というのも、ミッキーマウスが始めてキャラクターとして登場したのが1928年。この著作権が切れるのが2003年。ディズニー社は著作権による権益にしがみつくために、アメリカの法を変えたという認識があります。この1998年の改定は、「ミッキーマウス保護法」などとも揶揄されているとのこと。一企業の権益のために変えられる法とは何ぞや、と思います。

大鳥は、特許について、永年のものではなく、再登録ごとに手数料を高くして、こうした権益の独占をしにくくするよう提案していました。明治人のほうがよほど考えることがまともではないかと思います。

一方、著作権保護を延命させてまで、キャラクターによる利権を貪っている企業ですが。そのくせ、自らは「雪白姫」「シンデレラ」「ピノキオ」の童話など、すでに著作権の切れた他人の著作物をキャラクター化して「商品」として用いています。
童話など、すでに一般に著名な材料を用いて、キャラクターとして作品を作るほうが、全く一から自分のオリジナルとして始めるよりも、よほど作品売れるというのは事実です。童話の一般性におんぶだっこして始められるですから。まったくの創作に比べると「ずるい」です。
(これは歴史小説で有名人物を登場人物にする際なども同じと思いますが)

さらに、日本発の著作物についても、「ジャングル大帝」や「ふしぎの海のナディア」を、ディズニー社が盗用しているのではないかという疑惑が上がっています。
それについては、こちらのサイトが詳しい。ファンは、文化の侵害だと怒りの声を上げています。

そして、上のサイトの「詳しい情報」へのリンクにある記述。

「数年前とある小学校(滋賀県大津市?)の児童が卒業記念に、プールにとあるディズニーのキャラクターの絵を2ヶ月ぐらいかけ描いた。ところが、ディズニーがその事実を知り『著作権の教育上必要な処置』として、その絵を塗りつぶさせた」

…大津市といえば、彦根とは琵琶湖の対岸仲間。同じ釜の飯ならぬ、同じ湖の水を飲む中。
ひこにゃんは、この復讐を遂げてくれたのでしょうか…。


なお、手元の電子辞書「英次郎」には、以下の通りあります。
Mikey Mouse:

【名-1】ミッキーマウス(のイラスト[アニメ・漫画・映画])、古くさいこと[もの]、時代遅れのこと[もの]
【名-2】単位の取りやすい科目[講座]、たやすい科目[講座]、楽勝科目、楽勝講座
【名-3】素人仕事、急場しのぎのおっつけ仕事
【形-3】陳腐な、つまらない、くだらない、ばかげた、取るに足りない、無意味な、たわいのない、安っぽい、質の低い、低品質の、ちっぽけな、けちくさい ・What is this Mickey Mouse shit?

英語圏の人々の、"Mickey Mouse"という言葉に対する認識が、伺えます。

確かに感動や興奮と癒しのエンターテイメントを与え、これを消費と結びつかせたウォルト・ディズニーは偉大だったと思います。

けれども、そろそろ、先人の生み出した偉業にしがみついて、法を変えさせてまで金儲けをするのは、見苦しいのではないでしょうかといいたくなります。


さて、恐ろしいことに、こうした過程で成立された著作権保護期間延命に、日本でも追従しようという動きがあります。理由は「欧米諸国において著作者の権利の保護期間が著作者の死後70年までとされている世界的趨等を踏まえて」だそうです(2005/01/24、文化審議会著作権分科会)。まったく、やるせない限りです。

図書館などで、探し回ってようやく手にした資料について、「死後60年『しか』たっていないから半分しかコピーできません」と言われたら、私は悔し泣きします。

こちらでもつらつら述べたのですが、自分は著作権の切れた著作はどんどん利用したいと思いますし、著作権のある作品でも、フェアユースの概念がもっと広がって欲しいと思っています。

共有されたほうがよい情報・知識があるのは確かです。むしろ、知識の利用の利便性と、それを共有できる度合いが、その国の文化程度を決定すると自分は思っています。
牽強付会するわけではないですが、歴史資料に触れる方なら、おそらく同じような意識を持つ方も多いのではないかと思います。


その点で、あのネズミは、過去の記録というかけがえのない財産の共有を阻害する、害悪の象徴だと自分は思っています。

ですので、ひこにゃんが、そのキュートな面で、公共の利益を阻害する者をぶったぎった姿をみて、なんだかすっきりしたものを感じてしまったのでした。

あ、刀に血が…。
たしかに残酷でブラックで、それを賞賛するというのも憚られるものがあるのですが。
ひこにゃんの、脱力系の顔が、そのあたりの感覚を絶妙に緩衝していると思います。


という感じで、ディズニーのファンの方には大変申し訳ない罵詈雑言となってしまいました。心情を害されましたら、お詫びいたします。

……昨夜の停電の恨みを、ネズミにぶつけているわけでは決してございません。…多分。
ラベル:著作権
posted by 入潮 at 16:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月31日

千代田の桜

年度末、呑みシーズン。別れと出会いと花見の季節。歓送会、歓迎会、お別れ会。
それと年度末進行が重なるので、家に帰るとだいたいバタンキューです。

今日も例にもれずフラフラしてます。酔っ払ってポストすると、いつもあとから後悔する羽目になるので。本日は当たり障りの無いところを。

桜。江戸はこの週末が見ごろかと。

昼休みにお弁当を持って、皇居の西側、千鳥ヶ淵と国立劇場を見て回ってきました。

まず千鳥ヶ淵のソメイヨシノ。

070319chidor_somei.JPG

周辺は会社を抜け出してきたサラリーマンでごった返し。皆かろうじてビールに手を伸ばすのを止めている感じです。
千鳥ヶ淵には288本の桜が植えられており、都内では靖国神社・皇居東御苑と並んで有数の見所かと。密度が高くて見事です。

それから、国立劇場。この前の広場でさくら祭りというのが開催されています。昼は平日はほうじ茶、週末はお茶とお菓子が、無料で振舞われています。ソメイヨシノだけではなく、何種類もの珍しいさくらが植えられていて、ここを巡るだけでちょっとした桜の通になれる感じです。

小松乙女。

070319komatsuotome.JPG

もともと上野公園の小松宮像の近くにあったものだそうです。ソメイヨシノよりも小ぶりで、花びらの外周の桃色が濃い、乙女という名前に相応しい初々しい感じです。

駿河桜。

070329suruga1.JPG

色が淡いです。見ようによっては白く見えます。名前からして、江戸開府の際に三河駿河から持ってこられた桜なのかと思いましたが。そづえはなく、文部科学省三島遺伝学研究所で作られた桜だそうです。ソメイヨシノよりも数日開花が早いので、本格の開花の訪れが予想できます。代官通りの、近代美術館の通り向かいにある駿河桜は、びっくりするほど華やかで、見事です。

駿河桜のアップはこちら。

070329suruga.JPG

それから、駿河桜二世。

070319suruga2nd.JPG

駿河桜の種から育てられたもの。世界でただ一本だそうです。

あと、「仙台屋」、「八重紅枝垂」、「関山」、「神代曙」などがあります。開花時期が異なるので、ソメイヨシノとずらして楽しむのも良いかと思います。


千代田区は、皇居を中心に抱えているだけあって、特に桜に力を入れています。
江戸の心意気を躍起になって継承しようとしている感じです。

桜の見所はこちら
さくらサポーターというのが結成されて、千代田の桜を守るための活動が行われています。樹木医と樹勢調査を行ったり、やご取りをして手入れをしたりしているようです。

昨年の通信では桜の見所散歩コースが紹介されていました。
以下の4つのコースがあります。

A:千鳥ヶ淵ルート
地下鉄九段下駅四番出口→目白通り→北の丸公園→代官町通り→内堀通り→千鳥ヶ淵→靖国神社歩道橋→靖国神社外苑→内苑→外濠公園→JR飯田橋駅出口
以上、1082本、行程4.5km、ハイライトは千鳥ヶ淵のソメイヨシノ

B:江戸城外堀ルート
地下鉄永田町7番出口→紀尾井町通り→紀尾井坂→喰違見附→真田濠→四ツ谷濠→外濠公園→市ヶ谷濠→外濠公園→JR飯田橋駅西口
以上、738本、行程3.8km、ハイライトは真田濠のソメイヨシノと牛堀濠のヤマザクラ

C:皇居東御苑ルート
地下鉄竹橋駅2番出口→内堀通り→平川橋→皇居東御苑→代官町通り(歩道橋までで引き返し)→地下鉄竹橋駅1a出口
以上、502本、行程4.2km、ハイライトは乾門周辺の八重紅枝垂

D:国会前庭ルート
地下鉄霞ヶ関駅A8出口→桜田通り→国会通り→国会前庭→国会図書館→三宅坂→内堀通り→半蔵門→麹町大通り→大妻通り→地下鉄半蔵門駅3番出口
以上、401本、行程3.5km、ハイライトは国会北庭のサトザクラ

という感じで。
Cコース+Aコースの一部+Dコースの一部が自分の通勤ルートだったりします。毎日1000本近い桜を見ているのか。なんて贅沢なんだろう、自転車通勤。


特にソメイヨシノはこの週末が盛りかと思います。お楽しみになる方も多いのではないでしょうか。

桜にかける日本人の情緒って、すごいものがある。
天気予報には開花予想。個人のブログでもみな周辺の桜について綴る。デザインに桜を起用する方も多々。桜の動向についてみんながそわそわする。地方地方の桜の状況についても興味津々。普段お国自慢をしない人も、周辺の桜については語る。その年の桜を見ないと、人生で何か大事なものを置き忘れたような、ものすごく勿体無いことをしたような気になる。

ぱっと散る様がはかなく、潔く、美しい。そこに日本人の死生観が込められている。生に執着しないとは言わないけれども、終わり際は美しくしたい。桜が散るのをみるだけで、じんわり涙が出てくる。アイデンティティの一つですよな。

自分も上のコースどれかをゆっくり歩きたいところです。国会図書館とか千代田区立図書館とかもルート内にあるので資料漁りもできるし。大久保利通殉難の地とか、靖国神社とか、史跡ルートでもある。

が、例にもれず自分は灰色のクレーム処理仕事です。辛い。春ぐらい人並みに生きたい。呑みだけは人並みですが。過ぎた仕事はぱっと散って終わらせたい。
ラベル:皇居
posted by 入潮 at 02:16| Comment(2) | TrackBack(1) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月20日

東京マラソンと中国からお客様

東京マラソン。

通行止め解除と同時にバイクで走ったら、都心は道がえらく空いていて快適でした。東京をあれだけ昼間にかっとばせることはまずないだろうなぁ。

とうことで自分は仕事のためにスルーだったのですが。後からレポートを読んでいたら、うっかり感動してしまいました。

街ぐるみのビックイベント。共同体意識が希薄だといわれる東京住民に、「東京」というコミュニティ意識を芽生させるきっかけになった、という新聞の評価。
東京の、住民意識が薄いというのは、要するにみんな土地の人ではなくて地方から働きに出てきた田舎者の集まりだから、だと思うのですが。
こうした現代の「お祭り」で、東京という一つの棲家に、新参者達たちが根を下ろすきっかけになるというのは、田舎者江戸住民の一人として、嬉しいことだと思いました。

普段行く仕事場の近くの銭湯が、東京マラソンで練習する人のために、去年の暮れに浴槽を削ってシャワーとカランを広げる改修をしていたり。犠牲になった浴槽は、家庭の風呂と変わらない大きさになってしまった。
それでも、マラソン前は練習のランナーでシャワーがいっぱいになってしまい、時間待ちが出る有様。
「全然採算は取れないと思うのだけれどもね〜」と、銭湯のおばさん。ランナーのために、自分の城をシャワー場のように改装してしまったのは、あっぱれだと思いました。

レポートを読んでいて面白かったのは、トイレ。
当日、朝は冷たい雨が降り注いだために、3万人のランナーの体は冷えた。なにぜ3万人。スタートするまでも一苦労。登録や、荷物を預けるのに行列をつくる。スタート前のトイレも大行列。これに並んでいて、スタートに間に合わず、20分以上も遅れたランナーもいたとのこと。
それで、スタート後に民家やコンビニでトイレを借りたランナーも数知れず。コンビにはともかく、普段から知らないお宅でトイレを借りるなんてことはまずない。この当たりの地元の人の受け入れが嬉しかったとのことで。

いずれにせよ、トイレ不足はランナーを苦しめて、大会運営の課題として残ったとのこと。

今、水処理メーカーの方と仕事でお付き合いしているのですが。これがまた70超えた職人肌の私好みのじいさま。生活排水、つまりトイレの排水を環境にそのまま放出できるまで浄化できるシステムを開発。単なる微生物処理なのだけれど、これが、通常2日3日は滞留時間が必要なところ、3時間もあれば、仮設トイレの槽もすっきり綺麗になるのだそうな。花火大会のときに大活躍だったのだそうで。現地処理してその場で流せるのなら、コストも低くすむし再利用もしやすい。
来年の東京マラソンの時には、そうした技術にもお呼びがかかるといいなぁと思いました。

あと、用意されていたバナナや梅干、氷菓子などの栄養補給用の食糧がすぐになくなって、約2万人のランナーが空腹状態におかれてしまったとのこと。参加費1万円で、バナナの一本も食べられない、と。運営費の問題ではなく、単に運営者の調達の見込み違いとのことでしたが。事前に30数万本のバナナが用意されたと聞いていたのだけれども、どこにいったのだろう。

ところで、サルの着ぐるみやメードなどの衣装を着た市民ランナーもいたのだそうな。
お祭り騒ぎで神輿も出たとのことで。そのうちコスプレーヤーとかも走り出さないかと、ちょっとどきどきです。だれか始めたら、きっと広まるだろう。まず手始めにスポーツ漫画からとか、やりやすくていいじゃないでしょうか。

そんな感じで。いろんなドラマがあって、レポートを見ても、ちょっとじーんと目頭が熱くなりました。両足義足のランナー、沖縄の島袋勉氏も制限時間内ではないけれども、完走された。彼の存在が色々なランナーを力づけたそうです。

余韻が残っているのか、刺激を受けて来年は自分も走ろうと思ったのか、マラソンが終わってからも、皇居の周りを走る人の数はそんなに変わっていませんでした。むしろ増えているようで、びっくり。
皇居ランナーが増えると、皇居チャリダーとしては夜ぶつかりそうになって怖いですが。

東京という都市が、また少し好きになりました。

関連記事:

http://www.janjan.jp/culture/0702/0702190319/1.php
http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000000702190002
http://news.livedoor.com/article/detail/3035684/
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070218-OHT1T00061.htm
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/02/19/01.html


さて、この日、上海在住のDさんが、うちのボロ家に泊まりに来てくださいました。ほわほわした雰囲気の、それでいて豪傑な方でした。
中国は、初めての海外旅行で本当に通り抜けただけですが。デイパック一つで1ヶ月貧乏旅行をして回ったことがありまして。その際のことを思い出しつつ。変わり行く中国というのは、いろいろなところで囁かれていますが。本質は同じなようです。かなり中国と中国人ネタで盛り上がりました。具体的なことはちょっと公な場では言えない。

Dさんは中国史ご専門の方。中国のエンターテイメントジャンルといえば、三国志とか項羽と劉邦とか、その当たりばかりかと思っていたのですが。近現代史ジャンルというのがあるのですね。極少だとはおっしゃってしましたが。たしかに、強烈なキャラクター揃いです。なんだか、国民党を見る目が違ってきそうです。

普段自分では買わないような良いビールを大量に用意してください、そしてすべて消費してしまった。ありがとうございました。

そして翌日、Dさん、バックパックなのに、東京江戸博物館、浅草の蔵前を回って上野まで歩くルートをご紹介してしまった。後から自転車で行ってみて、やっぱり遠いよなぁ…と、青くなりました。恩を仇で返してしまったかも。にわか住民が無謀に案内すると、そうなります。大丈夫だったでしょうかと心配です…。
ラベル:皇居
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2007年02月16日

チョイオタがカッコイイ。

ええと、昨日占いについて、ぶちくさ文句を垂れてみたら、その日、尊敬する方のサイトにその方の占い結果が示されていたりして。なんだか夜逃げしたくなってしまった小心者です。こんばんは。

いや、その。
占いは良いです。占いは文化と共に培われてきました。古代の政治の意思決定は占いなくしてありえなかったといっても過言ではありません。人間の、到底抗えぬ自然への畏敬をこめたすばらしい行為だと思います。正月の初詣でのおみくじも、年の区切りとけじめ、生き方を自らで知覚することのできる、素敵な風習だと思います。

…とフォロにならないフォローをする自分が、だいぶツライ。

さて。ニュースからもう一つ。

「チョイオタ」がカッコイイのだそうな。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070216-00000028-inet-inet

「チョイ」=「ちょっと」で、昨年流行った「チョイワル」から派生してきた言葉だと思います。

ちょっとオタク。
ライトなオタク。


オタと省略して言うのは、オタクの蔑称かと思っていたら、特にそうでもないようです。

以前に「オタク文化論」ということで、オタクとは情緒と共に無償の献身で調査・創作・創造を行い、高いスキルと精神性と美意識を有し、武士道に通じる日本古来の高尚な精神素養を継承した存在であること。そして、萌えとはあはれ・ゆかしさと惻隠の情を内包した、奥深くナイーブな感性の表れであると、調子に乗りながら、のたまったことがありました。

上の新聞記事は、オタクをそこまで評価してくれていませんが、ライトなオタクをとても肯定的に捉えてくれていると思います。アンケートの標本数は少ないし、サンプリングも偏っているようにも感じるのですが。着眼点が面白いです。

アンケートの結果。

「ちょっとオタクではある」と自称した回答者は68.7%、「雑学にあかるく、情報通」48.4%、「明るく堂々とオタクをカミングアウトしている」31.4%

とのこと。そして、チョイオタは、「広く浅く、そして様々なジャンルに明るく、守備範囲の広さ話しのユニークさなど、好印象なイメージ」があるとしています。

「チョイオタ」は、豊富な教養と文化理解とユーモアのセンスで、一部とに知識と健やかな笑いを供給しているのです。それは、10年20年といった、あるいは子供の頃からの、たゆまぬ対象への愛と理解があってこそ為せる業です。
「チョイワル」のような浮薄なファッションとは違います。

一方、ちょっとではないオタクの場合、のめりこみ方やお金のかけ方が違う、コミュニケーションが苦手、という、少々ネガティブな一般イメージがあることを述べています

オタクがコミュニケーションが苦手と思われるのは、知識が深すぎて、だれもついていけないから、一般人相手には黙っているというのが関係しているのではないかと思います。
しかしながら、オタク同士、同じ趣味が通じることがひとたび分かれば、そこに瞬間にして氏族血族のような親和性が生じる。むしろ私は、オタクはコミュニティ作りの達人なのではないかと思います。

そして、そうした深い知識こそが、唯一無二の価値と発見と生産を世にもたらすのです。誰もが知りうること、できうることには、大した価値はありません。一方、オタクが、技術と知識の粋を凝らし、精魂を込めて生み出した作品は、まことに見事です。世界を席巻するジャパニメーション、Mangaの姿は、オタクたちの不断の鍛錬が凝結した結晶といえるでしょう。

そして、分からない相手にわざわざ分からない話をするまでもない。自分の価値観を確固たるものとした、独立不羈の人間性を持つ存在でもあることの現れではないかと思います。この自分を持たない、自己を造れないでいる魂のぼうふら的現代一般人の中にあって、オタクは、自己とは何かを知る、精神の灯台のようなまぶしき存在です。

オタクへの認識も、変わってきました。というか、千差万別に広がってきたような気がします。
「特定の事物に強い関心と深い知識を持つ一種のエキスパート」であるという尊敬の念の混じったポジティブな評価から、「現実の女性に相手にされないから二次元のキャラクターに依存する男性(あるいはその男女逆)の逃避行動」など捉える蔑視的な見方まで、ずいぶんと差があります。

こうしたライトオタクにしてもヘビーオタクにしても(こう表現するとなんだか武器のようだ)、評価が別れてきたのはいいことではないかと思います。それだけ世間に特異な存在ではなくなってきた。また、サブカルチャーが、本来のカルチャーの領域にまで進出してくる可能性をはらんでいることの証ではないかと思います。

前述のように、オタクのもつすばらしい素質、精神性、生産性、社会性は、技術立国日本の行く末の中で、もっと有効に活用すべきではないかと考えます。オタクの無償の活動が生むマーケット価値と文化的貢献は、もはや定量不可でしょう

しかしながら、さらに一般的に認知され、その崇高な精神と行為に見合う評価を受けるには、現状の世間評価に惑わされず、阿世を行うことなく、オタク自身もまた不断の自己研鑽を続ける必要があると思います。

一つの分野に深いだけでは、オタクのネガティブな印象は完全にはぬぐえません。
縦に深い専門性を備えながら、同時に横に広い一般教養を併せ持ち、博識と専門知識の双方が必要ではないかと考えます。同じオタク分野においても、スペシャリストとジェネラリストの双方の役割を同時に担うわけです。それがあってこそ、格好のタイミングと場面において、自己の分野を一般へ浸透させることができるのではないかと考えます。

そういう自分は、まったくこの横の広がりを欠いています。特に、ことテレビの話題になるとまったくついていけません。芸能人も知りません。そうした話題になると貝のように口を閉ざします。日本のアイドルは皇室の方々だけで十分だと思っています。4割ぐらい本気です。
もうとっくに、一般から隔絶した逃避型ヘビーオタクと思われているかもしれない。いや、事実だから別にいいのですけれども。

なんにせよ、オタクについても、一分野に誰にも追従させぬ深さと、広く一般的な話題に対応できる教養を併せ持った、「T字型」オタクを目指したいと思います。

……だいぶ自分が何を言っているのか分からなくなってきました。
こういうことをやっていると、自分が心底阿呆だと思えて、なんだか気持ちがいいです。
現実逃避はこのぐらいにして、仕事に戻ります…。
ラベル:オタク
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2007年02月15日

診断とか占いとか

「根拠ない血液型性格判断」
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/news/20070214ddm016070128000c.html

良くぞ言ってくれた、と喜びました。

血液型に、性格を判定できる要素など何も無い。
小学生の頃から、ずっと思い続けていました。

自分の血をウサギやらネズミやらの血と混ぜて固まるかどうか(=抗体反応の有無)で、自分の性格が決められてたまるか。
しかも人間の性格なぞ複雑極まりないのに、A、B、O、ABと、たかが四種類に分けられようはずが無い、と。

自己紹介などで血液型を書いたり言ったりせねばならなかったりすると、面白くないので、医療や戸籍などに関わること以外は、全部スルーしていました。

あまりに周りが血液型性格判断を普通に行っているので、なんだか自分が間違っているのではないかとか、世間に反抗するだけの天邪鬼なんじゃないかと不安だったりしたのですが。

これでなんだかすっきりしました。

占いにしても、診断にしても、人間、誰かに自分を分かって欲しい。理解して欲しい。そんな願望をついた上手い商売だなぁ、と思います。けれども結局は詐欺めいた弁論術にすぎないわけで。

「答えは貴方の中にあります」など、一見ものすごく説得力があるように見えて、けれども何も具体的には示唆していない。そういう、便利な言葉というのはいくつかあります。

「あなたは本当は優しい人」「貴方は本当は寂しがりやでしょう?」
とか言われても、人類60億、皆そうだ。わざわざ口にせんでいい、と思います。

「当たっている」と思うのは、自分がそう思うだけであって。何かしら適合する文句を自分で見つけているのに過ぎません。

動物とか歴史人物とか、いろんなキャラクターの型に当てはめるサービスはウェブに数多いようですが。人が勝手に作った枠組みに自分を合わせて、何が楽しいのかと感じてしまうひねくれ者です。人間はもっと複雑だ、と。
…同化行為は確かに楽しそうだなと思いますが。

診断結果の紹介もブログのいたるところで行われており、見ない日はないというぐらいで。それだけポピュラーなんだな、とは思うのですが。
それだけ自分がどういうタイプの人間か、分かって欲しいというのがあるのかな、と思います。理解してもらいたいという欲求はだれもが持つものですので。

(せっかくの発信手段なのだから、他人が作った分類結果をコピーペーストするより、自分の頭で苦労して自分の文章をひねり出して示すほうが、よほど目的に適うのではないかとも思ったりもしますが…)

けれども、だいたい性格なぞ、下手に類型化しても、相手や環境が変われば人間の感じ方も違ってくるわけで。
自分、家族の前と友人の前と上司の前では全く性格は違いますし。更に言えば関西弁のときと標準語のときとでも変わります。

私は、性格を決めるのは、遺伝と環境と読んできた本、だと思います。

人の性格が知りたいなら、血液型や星座を聞くより、本棚にどんな本が多いですかと聞くほうが、よっぽど具体的な真実に近づけると思います。

星占いも、わけが分からないです。何で太陽の軌道が、昔のギリシア人が勝手に決めた星のつなぎ方や天球の区分を通るから、幸せだとか不運だとか決められないとならないのか。イエローがラッキーカラーで、スカーフがラッキーアイテム、猫は避けて通ること、とかいわれても、理解する気がおきません。得手勝手で不可解な世界観のファンタジーを押し付けられている気分になります。

心の安らぎと楽しみが得られるならそれでいいとは思いますが。
時々、そんな妙なものを信仰してても、なんら生活に寄与しないのではないかと思うことがあります。

たとえば、就職判断などで見かけますが。

休日の過ごし方は?という質問の選択肢で 「1) 屋内で読書 2)キャンプでアウトドア」 などという項目があり、1)を選ぶと、「思索的な貴方は研究職が向いています」、2)を選ぶと「活動的な貴方は営業が向いています」などへベクトルが向かうようになっている。

…勘弁してくれ、と思います。一日中ひたすらインターネットやってごろごろしていたいときもあれば、体力の限界までバイクで走り回りたいときもある。

就職というのは、就職先のもつニーズを分析し、その中で自分の今持つ能力、経験、ポテンシャルがどう活用されうるか、相手が必要としている分野にいかに自分を売れるかであって。自分の性格で相手が選んでくれるような生易しいものではないだろう、と思います。自分の希望を言う助けにはなるでしょうが。性格がこうだから、ではなく、こういう能力があるから、で選ぶものだと思います。でないと相手企業にとって迷惑です。企業は性格に対してではなく、仕事する能力と成果に対して報酬を支払うのですから。

こうした性格判断は、そういった合理的なプロセスを省いてしまって、「今の貴方で必要とされるのよ」という夢見がちな幻想だけを与える。なので、かえって本人に対して為すことが悪いのではないかと感じたりします

判断というのは、ものの原理とか仕組みとか道理とか、いちいち言葉をひねくり回して考えて理解しないと答えにたどり着けない、ややこしい作業です。けれども、人間、基本的に怠惰なので、そこになんとなくでも手っ取り早い答えがあれば、ついそれに飛びついて、安心して、そこで終わってしまう。そうすると、人間が生産的に物事を考えるための必要な土台が育たない。占いやら診断やらに判断を頼ってばかりだと、何か不都合があったとき、それを処理してクリアするだけの論理的下地が自分の中にできない。だから脆い。現代人がストレスに弱いというのも、その原因を特定して攻略する論理的思考が育ってないからというのが、その一因にあるのではないかと思います。

手っ取り早い安易な解答ばかり与えてもらっても、ものの見方は広がらないし、価値観も育たないし、問題解決はできないし、結果に対する責任感もないまま。調べ、考え、悩み、自分で結論をひねり出してこそ、自分の行動とその結果に最後まで立ち向かう根性と人間性が得られるのではないかと思います。

といっても、こうした根拠が根拠になっていない分類やら決め付けやらアドバイスが、楽しいというのは分かります。
根拠がないからこそ、いっそう、そこに神秘的なものを求めたがる人間の心理は確かにあると思います。
儀式や信仰といった、人間や国のアイデンティティを強める手段としての占いは、良いものだと思います。

ただ、占いにしても診断にしても、多くは安心するための手法に過ぎない。未知なことへの不安を和らがせる効果はあるけれども、それでなんら現状が変わるわけではない。しょせん娯楽にすぎない。

エンターテイメントはエンターテイメントとしてそれ以上のものではない、ということで、話題の供給源として楽しむのは、いいのではないかと思います。


…と、兵式をまとめるのに手間取っていることの逃げとして、当たり障りのない(?)話題を。
後装式戦術の例として小山・武井村の戦いを上げようと思ったら、複雑でプロセスを追いきれません。
「大鳥は有能です」と答えだけ示して逃げたいです。でもそれだと何も説得力がない。
答えを与えるだけで信じてもらっている占い師とかいう家業は、なんて楽な商売なんだろうと思います。
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2007年02月05日

銭湯探して

目が覚めたら2時(PM)回っていました。
勿体無い。いい天気だし。午前中に起きていたら、図書館なり博物館なり、一軒は回れたじゃないかと思いつつ、出勤。

そして、3時(AM)まで仕事。結局、仕事時間量はいつもとあまり変わらない。

週末というと、朝寝ができてバイクで会社で行く日、という位置づけになってしまいました。

夜中3時に20分も走ると、手足が凍えてキツイです。昔仙台にいた頃、-5℃ぐらいで路面凍結を気にしながらも平気で走っていたのですが。最近の東京は暖かかったせいか、また寒さに弱くなりました。人間、甘やかすと軟弱な体になります。

そんな日々の楽しみが銭湯巡り。自転車なりバイクなりで冷え切った体を溶かす熱い湯。人生至上の快感です。

そして、一度入った湯の敷居は二度と跨がねぇ、とばかりに、日々銭湯を変えています。オリエンテーリング気分で、楽しい。そのうち「流浪の銭湯日記」とか始めるかもです。需要はぜんぜんなさそうですけれども。

昨日入ったのは、市谷柳町の銭湯「柳湯」。素晴らしかった。スチームサウナは銭湯代込、薬草湯は、よくある入浴剤ではなくて生のハーブ、水は井戸水を使っているらしくてすこし硫黄っぽい匂い、水風呂は冷たくて身が引き締まる。今まで行った銭湯の中ではトップクラスでした。

で、この市谷柳町といえば、ピンとくる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私はぜんぜん、気づかなかったのですが。

銭湯を探して付近の路地をうろうろしていると、ぶつかりました。

070304shieikan.jpg

試衛館跡。

今は路地の中の駐車場になっていました。普段普通に歩いていたら絶対に見つけられないところでした。
偶然ってあるものだ。

場所は、地下鉄都営大江戸線、牛込柳町東口よりすぐです。住所は 東京都新宿区市谷柳町25

こういう風に、不意打ちでも何かにぶつかるから、東京ってすごいやと思います。

史跡巡りに近くに寄られた方は、ついでにタオル一枚を、締めくくりに銭湯としゃれこんでみてはいかがでしょうか。
なお、東京都の銭湯は共通で430円です。

…と、こういう軽いネタしか書く気力がない。
色々と書き散らしたいことが溜まっています。ぼちぼちいきます…
ラベル:銭湯
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2007年01月11日

カタカナへの反発

連休中に会社の同僚が家を冷やかしに来てくれました。ついでに溜め込んでいた、ラオスやらモンゴルやらトルコやらブータンやらの酒を空けました。胃の中にも床にも。家の中が酒臭い。
ついでに、ドアのサッシの木が腐っていて、乱暴な連中に容赦なく開け閉めされ、ガラスが外れてしまいました。サッシはボロボロでもはやガラスは固定できず。寒風が吹き込んできます。しょうがないからガムテープでガラスを止めています。いつガラスが吹き飛ぶか怖い。
…戦争直後の家もこんな感じだったのかなぁと、在りし日に思いを馳せています。
多分この家も戦後すぐに建てられたものだろうから、丁度いいのでしょう。

暴風雨が来ませんように。あと地震も怖い。この家に居ると、忘れていた自然への畏怖を思い出して、人間としてはいい感じです。

えぇと。
カタカナ連発への反発。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070107-00000090-sph-soci

塩崎官房長官の「センシティブ」「エクスパティーズ」「キックオフスピーカー」など、記者会見でのカタカナ言葉に対して、記者が当惑しているという記事。
スポーツ新聞なのですが。これを書いた記者の気もちは分かる。

カタカナを多用するほど、頭はあまりよろしく見えないと思います。
…といってしまうと、また語弊があるのですけれども。

やっぱりカタカナに頼るのは、楽、というのがあります。
いったんカタカナで仕入れてしまった知識は、そのままカタカナで使うほうが簡単なわけで。新しい概念のカタカナ語は抽象的なことが多いだけに、用法をきっちりしようとすると、無駄に長くなります。

槍玉に挙げられている「ウィン・ウィン(Win-Win)の関係」とかもよく使います。「ある事業を実施することにより、勝者と敗者に分かれるのではなく双方が利益を受けるような関係」とかいちいち言っていられない。

会話がカタカナの羅列になることもよくあります。

「スコープのデマケはディスカッションしてください」
→「客先から指定された作業項目の役割分担は、話し合って決めてください」という感じで。そう言えばいいのに、というところですが、同業者相手だとついやってしまいます。

カタカナのままだと概念の部分が強調されるので、より言いたいことが端的に伝えられると勝手に期待している、というのはあります。但しそれは相手がその用語を理解しているという前提の上であって、同じ業種で気心が知れた相手に限るものなのではないかと。相手が一般の方とか見知らぬ人の場合は、多用すると「何コイツ」と白い目で見られるだけかと思います。

カタカナ言葉も、それをちゃんと日本語で説明できて初めて自分の言葉になる。
カタカナばかりでそのまま使っている限りは、他人に理解させる気がないのではないかとすら思われることがありますし、何より本人が本質を理解しているように見えない。

小泉元首相は、このカタカナ言葉が嫌いで、厚生相時代には省内からのカタカナ言葉追放のための検討委員会まで設立したり、首相になってからは英語を多用する答弁をした閣僚に「分かりやすく表現しろ」と叱ったりしたらしい。それ以降、役所内では日本語表現に重きを置いた一方で、漢字が並ぶ「戒名」のような用語にまみれて、余計にわかりにくくなる弊害も出たのだそうな。

それはそれでやりすぎというか。
議員の書記さんたちや省庁のエリート官僚の方々が、いちいちカタカナにチェックを入れて適当な日本語を当てはめるのに四苦八苦されている様を想像すると、ほほえましい。

とにかく、日本語にするにも、相手にわかりやすく、というのが重要なのでしょう。
分かりやすく表現するというのは、簡単ではない。言葉の本質を捉えてきちんと理解した上で要点を抽出せねばならない。間違ったイメージを与えてはならない。大雑把にみえて厳密。これがとても難しい。
簡単な表現が出来るほど頭がいい人だというのは、話し言葉も文章も同じことかと思います。
そして言葉の美しさは、単純で簡単な表現にこそ宿るのだろうなぁと思います。

言葉は生き物で、日々新しいモノや概念が生まれていますから、変化を取り入れて時代と共に変わるのは当然。変わっていく言葉についてそのまま外来語で取り入れるのではなく、外来語の意味を理解し、それにふさわしい日本語を当てはめて、いかに土着化させていくか。

もともと日本語は、とても包容力のある言語だと思います。
カタカナに対して単に拒否反応を示すのではなく、カタカナ語を内包して周囲にわかりやすく自分のものにしていくか。それが日本語を用いる者に求められているのではないかなと思いました。


ただ、カタカナ言葉も、結構面白いというか、使っていて楽しいことがあります。
カタカナを使うことにより、妙な同業者意識というか、仲間内の閉鎖的なやり取りができるとき。

「サチる(=saturate、飽和する)」とか、実験室の化学屋さんは好んで使っているかと思います。ある薬品が水などにこれ以上溶けない、という状態。頭が過負荷状態で、これ以上詰め込まない、働かない、というときに泣き言として言うことが多いです。今はネットワーク専門の人たちが、通信過多で帯域や性能がいっぱいになるときにも使っているようです。

「エマる(Emulsify、乳化する)」。よけいな界面活性物質(洗剤)が存在してしまい、本来混ざらないはずの油と水が混ざってしまうこと。「エマった!また分離時間が掛かる、やりなおし」と頭を掻き毟ったり。

「ネグる(=neglect、無視する)」は、いろんな分野の人が使っているとは思います。誤差が無視できる範囲でそれ以上計算で厳密性を求めないで行こうというとき、「ネグれ!」とか言ってます。大抵、それ以上面倒なことはやりたくないときに使う言葉です。

それも、相手が同じクラスとか部署とか研究室など、専門分野や作業を共有している人にしか通用しない言葉。一見知的を振舞いたいのだけれども、ふたを開けてみると単なる泣き言。それを使うことによってお互いの結びつきを確認して、お互い情けないなぁと感じることにより、より親密な関係を作り上げられる。そんな秘密結社的な楽しみ方。

結局言葉もTPO、時と場所を考えて使い分けるのが一番ということでしょうか。

…えっと、新年スタートで早速沈没しかかっています。
業務が押寄せているのに、疲れた体で新年会という名目でまた飲む。
さらに、帰宅してから、連中が残していった大吟醸が畳の上で存在を主張している。
日本語にしてもろれつが回っていません。カタカナより何よりまずまともな言葉をしゃべる状態を作らねば。
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2007年01月06日

「おさぼり」のススメ

都心で夜明けまで呑み続け、フラフラになって雨に打たれながら自転車で家にたどり着き、そのまま泥のように眠りこけて、気がついたら午後も西日が挿していた。
新年早々、そんな自堕落な生活を送っています。

「東京おさぼりマップ」という本を、コンビニで買いました。
「仕事途中にいけるフリー&格安休息スポット」「午後3時のビジネスマン達へ。必要なのは20分間のリフレッシュ」ということで、漫画喫茶や屋上、ロビーや博物館、銭湯などが紹介されています。

これだけを見ると、よくあるヒーリング系のハウツー本かなー、と思ったのですが。

「おさぼり」を「ハードな現代社会を行きぬくための自己防衛手段」と定義し、力をヌく手段とし、ストレスの耐性を高める行為としているのが、なんとも気に入りました。

ストレスというのは、常々、わけのわからない言葉だと思っています。
もともと、抑圧とか、材料破壊試験における負荷だとかに用いられていた言葉だと思うのですが。
それが人間に用いられて、なんだか自分の体と心に好ましくない事象全てに適応されるようになった。ストレスといっても、何も特定していない。原因を明らかにしていない。なので、ストレスという言葉を多用されるとなんだかうんざりします。

あと、病気の原因が「ストレスだ」といわれると、当たり前のことをわざわざ言わなくて良い、と思います。「あなたの病気の原因は貴方に好ましくない原因があるからです」といわれているようなものなので。それでなんとなく納得させられた気になる。医者も説明したような顔をしている。なので、ストレスとすぐ口にする医者ほど、自分は信用したくなくなります。

原因が悪いとすると、結局、環境や人のせいにしてしまって、それから逃げるより他はなくなる。けれども、人間、仕事をして金稼ぎをして食っていかねばならない以上、ストレスの原因と付き合うことは不可避です。金稼ぎというのは楽してできることではない。いやな思いをすることのほうがずっと多い。金はその対価である以上、そこから逃れられるはずもない。

人間、普通に仕事をしていたら、プレッシャーもやりきれなさも不甲斐なさもムカつきも普通に受けます。
仕事中に誰にも会いたくなくなってトイレに閉じこもりたくなることも、何も食えなくなって吐いたことも何度もあります。

でも、ストレスの原因が悪いのではなく、ストレスに耐えられない自分の体が悪い。ストレスをストレスと思わないように自分を作り変えたほうが良い。
そう思うようにしたほうが、何かと現実的な生きる術に繋がるのではないかと思うのです。

この本では、「おさぼり」は単に休息が目的ではない。仕事への意欲と集中力を増し、業務を円滑に進めストレスとうまくつきあっていくためのテクニックだ、とした肯定的な捉え方も素敵です。「おさぼり」はただの「サボり」とは違うのだと。

それで、昼寝だけではなく、サウナやスポーツ施設でのリフレッシュや、博物館、ブックカフェ、ビル屋上などでの頭の切り替え場所を紹介してくれています。

ちなみに、20分程度の昼寝は、脳の前頭連合野の疲労回復に役立つそうな。前頭連合野は脳みその中でも記憶力や集中力を司る部分。この機能が低下するとやる気がなくなる。この機能が高まると、仕事の集中力が増し能率が上がる。


で、この「東京おさぼりマップ」ですが。ただのサボりポイント紹介ではありません。わざわざ行ってみたくなる、積極的におさぼりしたくなるところが豊富。場所は駅に近く、客先からの帰りに簡単に寄れるところばかりというのも素敵です。そして、なにより費用対効果を重視したのが素晴らしい。無料かせいぜい500円以内でのリフレッシュが実現できる。

たとえば、ホテルのロビーでの昼寝と豪華トイレの活用、カラオケボックスでの完全防音・プライベート空間での昼寝、マンガ喫茶でのシャワーやプチオフィス活用、デパート屋上での非日常の逃避、図書館の図書室での息抜きや昼寝、大学学食での買い物、市役所・区役所での食事や放心、博物館・美術館・記念館などでの失踪気分とマニア浸り、神社で森林浴、果ては山手線など。

自分の今までのお気に入りや、行ってみたいと思ったのは、以下のところ。

・東京駅オアゾ内 宇宙航空開発機構JAXAのPRルーム: ミニ宇宙博。宇宙からの地上の景色、15分のロケット打ち上げ上映あり

・「旅の図書館」:東京駅八重洲北口のJTB図書館。各国観光資料、各国航空会社の機内誌、地図、時刻表など

・「東京交通会館」:有楽町。団塊世代青春時代にタイムスリップできる。昭和のテーブルゲームあり。

・「日比谷公園公園グリーンテラス」:霞ヶ関日比谷公園内。テラス席セルフ式のカフェだけれども、「無料休憩所」の大きな文字が。また、公園内での森林浴と昼寝もよし。草地広場では鉄棒や吊り輪ができる。

・「日本の酒情報館 酒プラザ」:虎ノ門。 試飲で、日本各地の酒の呑み比べができる。525円で70種類の中から5銘柄を選ぶ。6000冊の酒関連の情報誌やマンガも楽しめる。

・「航空図書館」:三田線幸町。大量の飛行機模型のほか、充実した専門雑誌棚。物流、観光、無線、ヘリコプター、気球、航空シミュレーターなどなど。気球の歴史を探ってみたい…

・「食の文化ライブラリー」:高輪台。味の素研修センターの施設。「食」をテーマにした図書館。食の雑誌や「美食しんぼ」全巻なども。「食とくらしの小さな博物館」では時代ごとの食卓風景を再現している。

・「目黒寄生虫館」:目黒。お馴染み。巨大(長)サナダムシの展示、フィラリアに寄生されて地面につくほど肥大した睾丸の写真など。近くに「大鳥神社」がある…

・有栖川宮記念公園:広尾。構内にお馴染みの都立図書館がある。森の中で渓流もあり、周辺の大使館勤務者の家族の子供達も遊んでいて和める。

・恵比寿麦酒記念館: 恵比寿。ビールのブランド名がそのまま地名になったのだそうな。日本ビール史の展示と、セルフ式ビールの呑み比べが…、

・「池袋防災館」:池袋。消防署の上。地震、火事などの災害状況を疑似体験できる。震度6の揺れを経験できる地震コーナー、煙の中を歩いて出口を探す煙コーナー、応急手当コーナーではダミー人形で人工呼吸法を学べる。

・立教大学第一食堂: 池袋。10メートルはある高い天井、礼拝堂のような厳粛な雰囲気。1918年に作られた建物。

・「深川江戸資料館」:清澄白河。原寸大で江戸深川の町並みが再現されている。路地、長屋、雨漏りする天井、夕方の鐘の音。米屋、船宿、芸者、あさり売りの住まいも。昼寝もできるそうな。

・「東京都水道歴史館」:原寸大の江戸長屋と井戸のセット、井戸端会議の再現音。治水関係の図書を備える閲覧室ではうたたねも可能。土木マニア必修。

・「現代マンガ図書館 内記コレクション」:江戸川橋。この世に生み出されたマンガのすべてを蒐集しようという図書館。雑誌のバックナンバーも好く揃っている。天井までコミックに埋め尽くされた空間。所蔵リストは三十冊。


…と、そんな感じで、上げていけばキリがありません。「おさぼり」どころではなく、それを目指していきたい、と思うところも目白押しで。特に博物館、専門図書館系は、近代産業技術にアタックしたいと思っている人間には垂涎のラインアップでした。東京写真美術館図書室も面白そう。

国家級のメジャーな施設を、しっかりとおさぼり施設として紹介しているのもいい。経済産業省や農林水産省の食堂まであった。
そして、靖国神社や国会図書館が含まれている。靖国神社は、ベンチも有る回遊式の日本庭園、飛び交うトンボ、泳ぐ鯉などは平和そのもの。国会図書館は最強の昼寝メッカなんだそうだ。確かにあの新館地下1Fは独特の誘眠電波が飛び交っていると思う。あと、青山霊園もしっかりと含まれているのが良い。

東大や明治大学、慶応大学、上智大学などの大学の学食は活用しようと思いました。

そんな感じで。ローカルネタでごめんなさい。でも、皆様が住むどの地域にも、こうした「おさぼり」スポットは有るのではないかと思います。

サボりと言ってしまうと何かと後ろめたいですが、心身をすっきりさせて、集中力仕事の能率を高めて、ストレスを跳ね除け、マニアな知識まで身につけてしまうる、ポジティブなおさぼり。人それぞれの場所と方法と、自分だけのスポットをを持っていると、日常のささやかな楽しみ、けれども大きなエネルギーチャージになるのではないかと思います。
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2006年12月24日

銀座鍋オフ、引越し

銀座の鍋は大変美味しかったです。総勢6名。
豚肉の赤さにびっくり。味も濃厚でした。惣菜も出汁が上品で美味しかった。
皆様のお話も含蓄深く。料理も人も、贅沢でした。
…そこに、打ち合わせが長引いて提出物が終わらず、1時間遅刻した馬鹿者が一人。
1時間という時間が、あれほどに逃して悔しかったものはない…。
それでも、新しい方と知己を得られたり、大変貴重な時間を過ごさせていただきました。
参加者の方々は以下の通り。

ままこっちさま:今回、企画から場所探し、連絡事項、幹事まで、全て手際よくこなしてくださいました。初対面の方が多いので、事前にアンケートを取り、紹介シートを配布してくださったという気の使いよう。本当に頭がさがります。
そして、赤ちゃんがおなかにいるので、お酒は口にしておられませんでしたが、素面を思わせぬテンションと語り口。口数少なな方がいたらすかさず話を回してくださったり。場の取り持ちようは見習いたいなぁと改めて思いました。

Jさま:怖い人でした。決して敵に回してはならない方だと思いました。社会のいろんな面を一刀両断にされてます。私の言う「怖い」は、人間に対する最上級のほめ言葉です。
A樹さんといい、歴史分野には、かっちょいい御姐様が多くて嬉しいです。

Mさま:幕末のみならず、世界史の各分野にも関心深く、広い知識をお持ちな方でした。ウィーンにまで舞台を見に行かれたり。文化的教養への熱意の素晴らしい方でした。

Aさま:微笑みが癒し系。見ているだけで幸せになるような方でした。そして、思索に富んだ一言を持つ方だなぁと思いました。

Qさま:せっかく名乗り上げくださったのに、今回は席が遠くて、じっくりとお話お伺いできず、大変残念でした。サクサクぽん酒を空けてくださるのが、頼もしかったです。次回こそゆっくり杯を差し交わさせていただきたい。矢板の話もお伺いしたい。

皆様幕末ファンでいらっしゃるので、一人異端者が混じって、妙なことをほざいて嫌われたりしないかと、恐々としてました。

(自分、幕末は洋学者と幕臣ぐらいしか手を伸ばしておらず、京都や長州、土佐など、いわゆる「幕末」でメインとされているところは、全く追っていないんですよな。幕末をひとつの時代として見るのではなく、明治、或いは現代への繋がりの始点のひとつとしてしかみていないので、かなり無知です。なので、こちらを幕末サイトという眼で見ていただくと、期待外れになってしまって大変申し訳ない。かといって明治サイトでもないし。…何サイトなのだろう。単なる大鳥サイトです。それ以上でも以下でもありません、はい。)

でも、史跡訪問や旅行についてや、欧州の文化、舞台、新選組の位置づけなど、一般的な話題で、かつ皆様の思慮深いお話をお伺いできて、本当に楽しかったです。

京都についても、京都という連綿と続く歴史の中では、新選組の登場はほんの一瞬にしか過ぎず、観光産業は沸いたけれども住民はけっこう冷ややかだ、という話もお伺いしました。
新選組ファンの方々も、人間をキャラクター化するのではなく、そこに存在した人たちを人間として追いながら、すごく冷静な視点をお持ちなのだなぁと感じたのが、印象深かったです。

そういうわけで、人も、お話も、お料理も、大変美味しくいただきました。幸せ。


さて、引越し。ようやく今、なんとか荷造りがすみました。明日運送会社が来て、運び出し。この1週間で10時間ぐらいしか寝てない…
荷解きを考えると気が遠くなりますが、もう正月にゆっくりやるしかないです。

ダンボールは50箱を越えました。内、40箱以上が本・資料だった。不要かどうかの判断をするためについ読みに入ってしまう。捨てようと決心しても、最後の1回、ということで読んでしまう。そうすると時間がいくらあっても足らない。

就職して今のワンルームに越してから、ほとんどモノを買っていないと思ったのに、何でこんなにモノがあるのかとイヤになりかけた。大量のゴミも発生。中古、100円ショップや格安家電が増えたから、本当に必要かどうか熟慮せずに買ってしまい、結局対して活用しないままに捨ててしまう。この消費型生活は変わらないというか、更に加速していくのだろうなぁと。
ネットでの古本屋、オークションなどで、求める中古品が安価に手に入るようになったのも、功罪両方あります。

それで街にでれば、なんでそんなにというぐらいにモノがあふれている。街は際限なく人に「買う」「消費する」という行為を強要する。広告を眼にせずに街を歩くことは不可能だ。

そんな社会が、資源を大切にとか、地球に優しいとか、グリーン何たらとか言っても、手前の手先を誤魔化しているだけで、何も説得力がない気がする。

人間、本当に必要なものってほんの僅かなのに。
スーツケースひとつあれば2ヶ月は持つ。2ヶ月持てば1年も2年も同じ。
なんだけれども、持たずにいるということがなんと難しい世の中か。

いや、荷物の大半を占める資料を捨てれば相当身軽になるのだけれども。これはもう手放すわけにはいかない。
本こそ捨てられない最たるものなんですよな。自分、本はまったく大切にしません。徹底的にハイライトとメモと手垢で汚します。そうしてボロボロにするほど、自分のものとして愛着が沸く。新品同様なのは、それこそまだちゃんと読んでないから、ということでやっぱり捨てられない。

人様のおうちにお邪魔したとき、真っ先に本棚を見てしまうのです。本棚を見ると、その方の考え方や知識、興味や価値観などが大体想像がつく。
本は、自分の人間性の土台になる一番の財産なのではないかなぁと思います。

テレビやインターネットは、情報源としては手軽だし、エンターテイメントではあるけれども、大衆化するために相当な作為が入っていたり、情報としてのクオリティや公共性に対する責任がなかったりする。
本からマスメディアとインターネットへ移行していくのは、流れとしては仕方がないけれども、人間性を育てる手段としてはかなり頼りがない気がしています。

だからといってむやみやたらに持てばいいというものでもないのですが。
…自分の本棚には、人間性を疑われそうな春画本とかそっち系の同人誌とかも普通にあります。はい。いやほら、人間性の幅を広めるのも、大切なことだからさっ。

    [2] ままこっち URL 2006/12/25(Mon)-21:16 (No.231)
    入潮さん、お引越し無事に済みましたか?
    さて先日の鍋の会では楽しい時間をありがとうございました。もう少しゆっくり出来るとよかったんですが、時期も宴会シーズンですし隣のオヤジ様方に迫力負けしちゃいましたね(爆)
    本棚は人をあらわす。私もそう思います!そんなウチの本棚はやはり偏っている・・・ノウハウものが多いかな??あとはビジネス本ですね。
    荷解きも大変だと思いますが、不用品を処分されたことですし、スッキリと新生活が送れるといいですね♪


      [3] 入潮 2006/12/28(Thu)-08:01 (No.233)
      おかげさまで、何とか雨露はしのげる生活になりました。
      資料はもう何も考えずにダンボールに詰めたので、これからの荷解きと整理の道のりは遠いです。

      こちらこそ、とっても楽しかったです。ままこっちさんの幹事の采配の見事さにうっとりしました。
      あの親父様達は、いい反面教師でした。ちょっとわが身を振り返ってみなければ、と思いました…

      本棚は人の軌跡。ままこっちさんのところのは、ビジネスウーマンらしい本棚なのですね。
      自分の本棚はとても人様に言えるようなものではなく。「そこには混沌があります」と物々しく言うより他はありません。
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2006年12月18日

牡蠣、引越し

島に行った際、一緒に行ったメーカーの方と、夜は生牡蠣を食べたのですが。
実(身?)はちょっと痩せていたけれども、大変美味しくたらふく食わせていただいたのですが。
いや、仕事をしていてそんな僥倖に預かれる機会など、一生に何度あるかということですが。
世の営業という部署の人間は、いつも社費でこんなもん食っているのかと、世の中を薮睨みしてしまったというものですが。

えーと。その後、メーカーの方からの連絡が途絶えてしまった。
どうも、メーカー側の方々が、牡蠣にあたってダウンらしい。

もともと牡蠣は、あまり奇麗な水ではなく、汚い水のところをむしろ好むようで。食べるとしても2,3匹にしておいたほうがよく、生は特に注意ということでした。
食ったのは、2、3匹どころか。桁が一つ違った気が…

幸い、こちらから行った2名は、ピンピンしています。普段喰っているものが喰っているものだからでしょうか。上司は魚が好きで、タイの田舎だろうがパキスタンだろうが、貝でも刺身でも平気で食う。海の無いブータンでもナマズやら鯉やらを食っている。付き合わされるほうも、まぁ、喜んで付き合っていますが。普段から汚いモノを食っていると、こういうときに助かります。この仕事は、まずは抵抗力勝負です。

それにしても、メーカーの方にコストを出してもらわないと、肝心な部分の積算が進まない…。
いやその、ご快癒をお祈りしております。


えっと、ここのところ、夜な夜な引越し作業をしているので、しばらく書き込みは無くなると思います。

終電で帰宅、引越し詰め込みをして、始発の音が聞こえる時間ぐらいに力尽きて眠る日々。
肉体労働をしていると、疲れていてもあまり眠くはならないのですが、ある閾値を超えると、とたんに電池が切れたように意識がなくなって、気がついたら朝になっています。今朝、電話で叩き起こされたときには、雑巾にまみれて床に横たわっていました。肩が痛い。

それにしても荷物が多い。
就職するときにすでに持ってきていた本だけでダンボール20箱を超えた。まだ序の口で、これから倍増した資料に手をつけねばならないのが恐怖。我ながら六畳ワンルームによくこれだけ詰め込んだなぁ、と思う。
2,3人の家族でもダンボール30箱もあれば十分ですよとのたまった引越し屋さんは、うそつきだと思います。

そのダンボールの確保に駆けずり回るだけでも一苦労です。
会社には腐るほどありますが、おしくらまんじゅう山手線に持ち込む根性はないし。
夜中に、10km離れた24時間スーパーにバイクで駆け込んで調達。
引越しやさんのダンボール配達サービスもあったのですが。世の中、資源ごみにするしかないダンボールであふれかえっているのに、わざわざ新品調達をするなんて、エネルギーに関わる者としてそれは許せない、という余計な矜持が邪魔をしました。そんなおためごかしは最初から持ねばよかったと、今、激しく後悔しています。善人とは、楽してなれるものでは決してありません。

それで、引越し日は24日に決定。

「わざわざクリスマスイブにしなくてもいいのに」
「わざわざクリスマスイブにしたんです。イブに何もすることが無くて一人暇で寂しく過ごすほうが嫌じゃないですか」
「それを口に出して言うのが一番寂しいだろ」

そんな心温まる激励を上司からいただきました。

もともと、今年度中に、年齢制限で会社の寮から出て行かねばならない通達が来ていたので、家探しは始めないとならなかった。

それで、12月は一番家賃が下げ側に変動するそうで。1月になると上がり始め、進学・就職・移動時期の2月・3月でピークになる。4月は上がったままで売れ残った物件ばかりで、ろくなものがない。賃貸で引っ越すなら11〜12月が一番、とのことで。

それで、普通に土日出勤の毎日終電帰りぐらいには忙しいのだけれども、年度末になるともっと忙しくなるだろうので、今しかないか、と。

バイクを駐輪できることと、資料を広げられる広さがあることを条件に探していたら、なかなか見つからなかった。

けれども、キワモノな物件にぶち当たりまして。
広いのだけれど、築50年は経過していそうな木造倉庫の二階。場所は三角州の低地で水害にも弱そうだし、震度5ぐらいの地震がきたらもう崩れそうな家。風呂もなし。
仮にも土木に関わる者の住むところではない。普通の人は絶対に退くようなところなのですが。

けれども、なんというか、すごく気に入ってしまった。前に住んでいた人の家具や本や掛け軸などが置かれていて、そこにブラウニーが憑いていそうな感じだった。
ブラウニーとは、靴屋さんで夜中に働いてくれるという童話でおなじみの妖精。
こちら参照。http://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-345-3p.html
人間の家に対する愛着から生まれる、古い家に住み着く精霊として設定される場合がありますが。
そいつが、家主がいなくなって寂しくなったから、呼んでいるんだと思ってしまったぐらいに、離れなくなってしまった…

世知辛い世の中で生きていると、たまにメルヘンなことも考えたくなるものです。この年になると。

色々探していたら、もう一つ二つ、かなり良い物件がありまして。駅に近い、安い、いわゆる閑静な住宅地、リホームしたばかりで綺麗、広い、エアコンあり、とかいう言うことなしな、理想的な条件だったのですが。…どうにも面白味がなくて食指が沸かずじまい。

決めた家は、もともと、90歳を超えたお爺さんが住んでいたところで、彼がお亡くなりになり、息子さん夫婦は既に別のところにマンションを買ってそっちに住んでいて、住む人が居なくなったから貸しにだした、という物件でした。

お爺さんの本が全部本棚に置いたままになっているのですが、このラインアップがまた素晴らしかった。柿本人麻呂や山上臆良など万葉集の歌集全集、ライアル・ワトソン博士の本、第二次世界大戦の経験者談など。本って、その人の人生の軌跡のようなもので、本棚は持ち主の人間性を語る。お爺さんが生きていたら、お話をお伺いしたかったなぁ…。

大家さんは、バイクは倉庫の中に入れてもいいと言ってくれた。これがありがたい。屋根つきの駐輪所なんて、都内で探すといくら掛かることか。

場所がまた、小さな工場の集まる下町で、街中に金属を削ったときの匂いが立ち込めている。まわりは、てやんでぃ、こちとらこの道ン十年よ、という、私好みのおっちゃんばかり。
目の前には銭湯はあるし、近くに商店街もあるし。

そして、何より、大鳥の脱走経路の側だった…。

そんな物件、断れるはずないじゃないですか。

それで、引越しの下見などでその家にしばらくいたら、どうも肩こりが激しくなった。
この家にいると、いろんなものを背負い込んでいきそうなので、それでも大丈夫なようにマッサージ機を買いました。
非科学的なことは科学技術で解決する。これが技術者。

「おまえ、流石にそれはネタだろ」

この話を同僚にしたとき、そう言われましたが、私はごっつい真剣です。

そのほか、この際だから欲しかったものを一気買い。コタツとマウンテンバイクを入手。
財布の紐は締めてかかったつもりなのですが、かなりな散財をしてしまった。

そういうわけで、年末から、下町で銭湯ぐらし、自転車通勤という、憧れていたライフスタイルを手に入れられそうで、満足です。

誰もうらやましがってくれないという自信はありますが、私は幸せです。

地震水害が来たら、まず真っ先に家が潰れてくたばりそうですが、牡蠣に中らない体に恵まれたので、このぐらいのリスクは背負って生きるぐらいで丁度良いでしょう。はは。

…そんな感じで、ダラダラ垂れ流していても、片付かないものは片付かない。鉄筋コンクリのワンルームだと、ブラウニーは手伝ってはくれない。

それでは、埃とゴミと睡眠不足の戦に戻ります。疲れた…
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2006年12月15日

ヤマトとヒロシマ

ここのところ、国内をあちこちうろつき回っています。
今日は湘南、昨日は広島、その前は筑波、など。残念ながら仕事でなのですが。

睡眠時間が少なくても、移動時間が多いと眠れるので助かるなぁ。飛行機とか新幹線とか、高い乗り物ほど寝心地が良い。

安芸津の工場にまで脚を伸ばしつつ。
呉に大和ミュージアムというのがあるとのことで。行きたかった。

大和ミュージアムは、年間40万人も来れば御の字だとしていたら、200万人以上の来館者があったとのこと。地方の博物館としては、驚異的な人数です。
「男たちの大和」という映画があったのもあるのでしょうが、宇宙戦艦ヤマトの巨大模型がお目当てなお父さんたちがメインで、賑わっているらしい。

もともと呉は、明治36年には呉海軍工廠が設置された軍港。戦前に戦艦「大和」を建造し、戦後はタンカー製造などで造船の街として栄えたということで。

船を作る技術、浮力の基本原理、木、FRP、アルミ、鉄の素材、プロペラの推進力など、技術の原理が体験型で分かりやすく展示されている模様。
あの大和・宇宙戦艦ヤマトの独特な流線型が、いかに流体的に優れていたかなども、眼の付け所がいいです。

技術はそれだけだと一般との接点に乏しく、悲しい事ながら、科学技術の歴史では博物館はやっていけないところが多い。けれども、アニメでも漫画でも、一般とのなじみのあるところを接点にして、そこから切り込んでいくという着眼点がいいなぁ、と。

昔は「ヤマトを作るんだ」「アトムを作れるようなロボット工学者になるんだ」という夢を子供に励起させるようなアニメが、きちんとあったと思います。技術が身近に思える、自分でもやりたいと思えるような作りで。
今のは、複雑でヒロイックで技巧に走って、エンターテイメントが行き過ぎていて、娯楽だけで終わってしまっているような作りになっているような気がします。なんか、もったいないというか。もっとシンプルでいいから、子供に、自分もやりたい、なりたい、と思わせる身近で等身大な像が提供されたらいいのになぁ、と思います。

広島も久しぶりに訪れました。街中のイルミネーションがすさまじかった。中国電力さん、そんなに電気があまっていますか…という感じで。

原爆ドームのほうは、ライトアップを見ただけですが。相当な補修をしていますね。原型をとどめるのにかなり無理をしているなぁと。地震による崩落の危険があるとのこと。

それでも、形有るものを形有るままに保存するということは、お金さえあれば可能なこと。
ただ、記憶は廃れ、風化し、消えていく。

あれは日本としても世界としても、無くしてはならないモニュメントだとは思いますが。原爆の記憶をもつ国の人間なのだという意識が続いていないと、記念碑は記念碑で終わってしまう。

保存においては、「悲惨な戦争を思い出すので撤去すべき」という声もあったそうですが、それは当事者ならではの声なのだろうなぁ、と。すでに記憶になってしまったから、残そうという話になる。

10年前に世界遺産になりましたが、ユネスコの世界遺産の登録審議会に置いて、アメリカは登録に反対、中国は「日本の戦争への反省が足りない」と棄権したとのこと。

アメリカは、原爆により戦争の終結を早めたことによって、自国民の生命を守ったという論調を未だにしているということですが。広島・長崎あわせて21万人が虐殺されながら(さらに死者は東京大空襲で13万人、沖縄で19万人、名古屋・大阪・神戸などを含めるともっとだ)、反米も報復も考えず、生き残った若い兵士までが「復讐の儀式」にすぎない無法な東京裁判で銃殺されたという事実を骨身に刻みながら、ただ粛々と「二度と戦争は起しません」と頭を垂れる日本人は、どう「反省が足らない」のでしょうかね。

自分達の先祖の中に悪人を作り出し糾弾することが美徳と勘違いしている「イイヒト」たちが、変な認識を広めているのが実際で。

形あるものを残すのは可能なことですが、形ないものをの遺すのはとても大変なことであるし、一度ゆがめられたものは取り返しがつかないことでもあるのだと、美しいライトアップを見ながら感じました。


…まぁこういう話を始めると際限がなくなってしまうのですが。
夏にはいつも世がホットになるので、たまに冬につぶやく奴がいても見逃してください。
posted by 入潮 at 03:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

銀座で鍋オフ忘年会

銀座で鍋。

…とかいうと、なんだか凄まじい天井離れした贅沢なことのように感じます。

しかもイベリコ豚という、スペインの美味なことで有名な豚の鍋です。そういうのがあるということは、検索して初めて知りました。私は黒豚すら口にしたことはありません。

最近、健康にも精神にも影響が悪いコンビニ食しか口にしていない自分にとっては、なにか異次元にでも飛び込むような覚悟です。初めてミャンマーに出張に出たときよりもどきどきする。

そんな感じの鍋オフを、ままこっちさんが企画してくださいました。(http://mamakocchi.blog22.fc2.com/blog-entry-874.htm)

いや、自分が勝手に緊張しているだけで、ざっくばらんに幕末明治話を肴に盛り上がって、鍋をつつきましょう、という会です。

・日時: 12月20日 (水) 20:00 開始予定
・場所: 東京銀座
・予算: 1万円以下

ままこっちさんのパワーあふれる絶妙トーク、綿密な調査に裏付けられた幕末史跡レポートなどに浸りたい方は、是非。こっちが本体で、鍋はおまけです。


あと2名様との由。参加希望してくださる方は、以下の項目をTopにあるアドレスまでお知らせください。

・お名前(HN可)
・メールアドレス
・ウェブページやブログをお持ちの場合、URL

12月15日(金)までにお知らせくださればと思います。
追って概要などをお知らせいたします。

忘年会というか、自分の年をまず忘れたいというか、置き去りにして忘れきってむしろ無かったことにしたいことが一杯一杯というか、そもそも来年があるのかどうかも怪しい身の上の奴ですが。

楽しくやりましょう〜。


[2] ままこっち URL 2006/12/09(Sat)-23:41 (No.223)
入潮さん
わーい広報ありがとうございます♪
イベリコ豚、は今年輸入解禁になったそうで、37、8℃で溶ける脂身が絶品らしいですよ・・・(今から妄想中)
ご覧の皆様も是非ご参加下さい!

[3] 入潮 2006/12/12(Tue)-03:27 (No.225)
余り宣伝らしい宣伝になっていなくて、すみません。
融点が体温近くとは。溶解したり固化したり、忙しそうですな…
いえ、食べ物でした。もの知らずですみません。
グルメ情報まで敏感に察知されるままこっちさんは素晴らしいです。

いやー、楽しみだなー。
posted by 入潮 at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月14日

仕事でふらふら、旭川と東大図書館

北海道にお花畑を見に行ってました。

いや、仕事でですが。旭川に泊まりで出張でした。寒かった。朝晩で5,6℃ぐらい。
飛行機上空から、函館と札幌を内心叫びながら見送りました。
それで今日、会社に戻って今まで仕事。疲れた。

ここのとこまた別分野に手を出さざるを得なくなりました。今度は夏30℃、冬-40℃の土地で百姓。
人権は建前上守ってくれますが、人生はまったく顧慮してくれない会社です。

てことで、来週からモンゴル出張。やっと外にでれる…。
今年はもう出張はないものだと思って、晩秋・紅葉用のツーリング装備を整えてしまったではないか。帰ったらもう冬だ。くそー。

えぇと、先日、東大の研究室と生協と総合図書館に行きました。仕事で。
あれは仕事で行くところではありません。工学部を通るたびに、「うぉ、コンドル先生はどこだ」「あぁ、この建物のなかに辰野・曾禰のナマ卒論がッ」とか、のけぞる。

図書館は雰囲気が大英図書館とよく似ていた。モデルにしたのだろうか。なんかこう、日本一の智が結集した聖地としての威厳を背負っているぞ、という感じ。国会図書館のほうは重厚さのなかに機能性があって、どちらかというとワシントンの議会図書館に雰囲気が近い。国会図書館のほうは慣れましたが、東大のほうはどうも、自分のような一庶民には居心地が悪くて、こんなところに迷い込んでしまってごめんなさい、という気になる。

一度、関東大震災で全焼しているのですよな。幕末明治以来築き上げられてきた蔵書数十万冊が一瞬にして灰塵に帰したという。ぐあぁ。
時間がぜんぜん無かったので、目的の文献だけ見つけたらさっさと引揚げるはずだったのですが。何気なく通りかかった棚に、各電力会社やら製剤会社やら製紙会社やら丸善やら各銀行やらの百年史・五十年史がずらりと開架で並んでいた。悶えた…。今度一日かけて行ってみよう。
ここでしか出来ない調査をするのです、という目的を書けば、一般人でもあっさり中に入れてくれます。独立行政法人化ブラボー。

…む。明日は福島、ピーカンか。
いや、駄目だ。出発準備が。文献も山と読まねばならない。事務作業も終わるかどうか果てしないのに。
駄目なんだったら、自分。
(といいつつ三十一人戦士の墓の位置を地図に書き込む…)

(あ、天から行けというお告げが降りてきていた…)
ラベル:図書館
posted by 入潮 at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月07日

人がましく休みを満喫

昨夜、K生さんとS宮さんの飲みに、混ぜていただきました。楽しかったです。大鳥をネタに、鳥とかタコとか食べながらの呑みって、なんであんなに楽しいのだろう。至福でした。眼福でした。普段親父とばかり飲んでいるから、たまに綺麗なお嬢さんたちと飲むと緊張する。

大鳥は迷ったら距離を長く書くとか。史跡巡りオカルトネタ出し合いとか。
S宮さんが「会津中将」をいきなり所望されたので、頼んでいたビールをキャンセルして、おこぼれをもらった。なるほど、甘口でした。

お二方の仲良さには、なんだか当てられっぱなしでした。出会った瞬間にお布団並べてたそうで。いいなぁ。

酔っ払いついでに、店を出てから、勢いあまって植木に突入した気が。そしてS宮さんが心配してくださって常磐線のホームまで見送りに来てくださった気が。…この辺になると余り記憶がありません。勿体無い。もとい、ご迷惑おかけしました…。

今日は久しぶりにバイクの整備。
オイル交換、チェーンの清掃・油差し、エアクリーナー洗浄、タイヤの空気入れ、といったこまごましたことを。手が油と煤でガサガサになった。軟弱な皮膚だ。でもこれで燃費がよくなれば良いなぁ。
エアクリを洗うのに灯油が必要で、入手するのに苦労した。ガソリンスタンドに買いにいったのですが、以前はペットボトルでも売ってくれたのですが、消防法の改正で専用の灯油缶でないと売ってくれなくなってしまった…。
あとはフロントのブレーキに違和感があるのを何とかしたい。ワイヤーの潤滑性が悪くなっているんだなー。オーバーホールしてもらわんと。

明日はどこへ行こうかな。
会津もう一度行って、前回取りこぼした檜原峠や御霊柩峠や山入村を訪れたいのだけれど、明日はまだ天気が悪そうだし、大雨の後なので峠道は崖崩れが心配だ。むー。
ラベル:ツーリング
posted by 入潮 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月27日

お買い物

ネット買い物しちゃった。
ハクキンカイロと2Gフラッシュメモリ。

ハクキンカイロは、白金触媒を使ってベンジンを低温で触媒燃焼させることにより、長時間の暖が取れるというもの。通常の酸化鉄のカイロとは違って、廃棄物も出ない。熱量は使い捨てカイロの13倍。軽いし暖かい優れもの。

歴史は結構古く、大正末期には発明されていたらしい。戦前・戦中には郵便局や軍隊が愛用。昭和37年の南極観測隊も使ったとか。

掲示板でライダー大絶賛だったので、購入してみました。晩秋ツーリング用。あと冬のモンゴル・ブータン対策。

気合の入ったファンがいて、非公式サイトまであります。
http://www.geocities.jp/hakukinwarmer/

もちろん、ツーリングだけではなく、冬山や天体観測、警備員バイトなど野外で一日過ごす際には大活躍かと。

フラッシュメモリのほうは、2Gで4000円ちょいだった。何でそんなに安くなっているのー。3年ぐらい前、成田で128Mメモリを買ったときは1万円近く払った覚えが。記憶装置のコスト安、留まるところを知りませんなぁ。

早く届かないかなー、ウキウキ。
…たまにはこういうモノを買って喜んでいる若い(というには難のある)娘が居てもいいだろう。
実用性は何よりの美なのです。


ようやく、疲れが取れてきました。まだ肩が痛いですが、これは慢性。
月曜日などは歩くのも億劫でした。
日焼けとゴーグルずれで、赤白パンダ状態。鼻の頭とほっぺたはガサガサ、上唇が荒れてガピガピになっている。人様の前には出られない体です。たかが1泊2日の行軍ごときでこの羽目に陥るとは不覚。

昔は40日とか野営を続けて、この程度の疲れも1日眠れば回復していたのに。こうして人間衰えていくのな…。
東京生活がいかに人間の生命力を蝕むか。いや、ただの老化か。まぁ、今の体にあった無理の仕方があるということで。

レポートですが、書くことが膨大で、何から手をつけてよいのやら、という感じです。
写真と一緒に整理したいのだけれども。
母成等は周辺状況を整理するのも一苦労。会津や新撰組でさんざん研究され尽くされているかと思いきや、大鳥視点から触れてみると、案外書くこと一杯あるのですよな。
特に、裏磐梯檜原の流浪と西会津のゲリラ戦闘は、置き去りにされている感があるので、丁寧に触れていきたいなぁと思います。

大鳥の真髄は、六方越と檜原の漂泊にあると思っています。
posted by 入潮 at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月06日

SAMURAI7

最近、CGIをおいてあるサーバの調子が悪いらしく、こちらの雑記がよく落ちてます。すみません。

それ以上に自分も落ちています。
連日、呑んだくれて、へたばっていました。平日のはじめから三連続。
一昨日はビールと出羽桜2合、あと名前を忘れたけれど加賀の酒2合、焼酎、それから河岸を変えてカクテルを3杯ほど。昨日はなんか飲み放題でいろいろやった後、ラムをがつがつと3人で1瓶。

…後から自己嫌悪になるような飲み方はしちゃいけねーな。いけねーよ。

えーと。先週、なんとなく深夜テレビをつけてみると、えらく作画の美しいアニメをやっていて、びっくりしました。3DのCGを駆使していて、このクオリティで毎週やっているのかと驚愕。

「SAMRAI7」
すでにスカパーで放映済みだったとのことで。思わず、全話を見てしまいました。
かの黒澤明監督の「七人の侍」が原作だと謳っているのですが。原作というよりは、異次元パラレルなパロディと言ったほうがしっくりくる感じです。

黒澤氏の原作が好きな方からは何かと文句がありそうですが、一つの作品としては秀逸だと思います。
ここまでのジャパニメーションの品質を世界に披露したのは、誇っていいと思う。

キャラクターデザインが草薙琢仁氏というのが嬉しい。独特の世界観をあらわすイラストで、ソードワールドのライトノベル時代からのファンでした。和風とか中華という枠に収まらない雰囲気を醸してますなぁ。
原作付きというのに全く萎縮していない。冒険的なデザインです。

そしてキャラクターが、渋い。
カンベイのおっさま。ドレッド長髪にピアスにサンダル、浅黒い肌というワイルドなお姿ながら。
「いつも負け戦ばかりだったという軍師」にズドンとやられました。
負け戦ゆえに身に染み付いた貫禄とか老成さというか人間性がじんわりと伝わってくる、味のあるキャラクターです。こんなおっさまを主役に据えてくれるとは、NHKもやるなぁ。

最初、見目麗しいカツシロウ少年が主人公で、彼の成長物語なのかと思いながら見ていました。へたをするとカンベイのおっさまは主人公の成長のための死にポジション。

しかしながら、依然として物語の中心はおっさま。
カンベイがどうも英雄になりきれない庇護され具合で。独り突っ込んでいって、ピンチになって、部下に助けられるというのがそれとなくパターン化している。「先頭に出ちゃ駄目です」と部下に叱られる某都督を彷彿とさせる。ガタイは違いますが。
ヒロインの恋愛ベクトルまでおっさまに向いていますし。
そして、監禁されるし沐浴シーンはあるし。私はむしろおっさまがヒロインじゃないかと思った。NHKもコアな領域を狙うものです。

その古女房とか、参謀とかが出てくるから、うれしいですねぇ。いやその、歩兵頭の隊長さんとか、会津からお迎えした参謀さんとかを彷彿させているなんてそんな。

しかも工兵がいる。ヘイハチ。工兵といえば吉沢君。彼もムードメーカーっぽいよね。…だからさ。

あと、剣豪のキュウゾウ。すごいデジャブがあったと思ったら。あれだ、ファイヤーエムブレムのナバールだ。(分からんネタですみません) で、ナバールといえば、私の中では今井さんです。

それと、キクチヨ。元農民でサムライになりたかった男というと…。うーん、これは、やめておこう。

難点と言えば、この布陣だと、ダブルリバーがいない。ブツブツ。

そんな感じで。現在ろくでなし人間を満喫しています。
まぁ人間そういう情緒を養う期間も必要だわな。

オタクとは情緒であり、萌えとは、あはれ、ゆかしさと惻隠の情の混在した大変奥深い感性です。良哉。


    [2] 入潮 2006/09/07(Thu)-02:31 (No.154)
    今、一話を見返してみたら、先の大戦とやらで、おっさまが軍服を着て、戦艦をザク切りしていた。キュウゾウもそうだけど、ここのおサムライ様たち、金属ロボでも大砲でも、みんな刀一本でカマボコのようにスライス切りしてしまうのね。しかもそれで刃こぼれしない。(の割りに、予備の刀を地面に林立させるし)
    この刀ってダマスカス鋼とかオリハルコンとか特殊素材なのかしら。それともおサムライ様って、筋肉マンでいう超人のように、一般人とは人種的にかけ離れているのかしら。弾丸を見切るどころかそのまま切り裂いて纏めちゃうし。
    それなのに、死亡原因が、よけた弾丸が砕いた家の破片だったり、味方の誤射だったりと、案外渋い。
    トンデモ世界観なのに、妙にリアリティを持たせようとしているあたりが、なんと言うか。そういう往生際の悪さも好きです。
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2006年08月19日

漫画とかフィギュアとか

昨夜はアナクロの空さんと、お食事しました。
普段世間様に背中をそむけたことばかりのたまっていて、時折これでいいのかとわが身を振り返っては、なけなしのモチベーションが霧散しかけたりするのですが。人様とゆっくりお話できると、なんともエネルギーチャージになります。

初対面だったのですが、わざわざイラストにまで描いて、背格好を教えてくださいました。これがまたキュート。それなのに、待ち合わせで人違いをして、違う方にお声かけをする。「そ、空さんですか?」「?…違います(笑)」というう間抜けをかまし、しかもそれを思いっきり空さんに見られていた奴。

場所は池袋の京風料理屋。和服の姉さんが「いらっしゃいませ」じゃなく「おいでやす」をお迎えしてくれて、こんなところに迷い込んでいいのかと一瞬腰がひけました。
オタクな会話になるだろうと思い、検索ワードに「個室」と入れて探したところだったのですが、これが結構ヒットでした。
しかし、話に夢中になっているとノックも聞こえず、オタク話に興じている最中に扉が開かれて慌てる、という一面も。

ご本をいただいたお礼、ということで、これ幸いとお呼び掛けさせていただいたのですが。
漫画作成にかかる苦労を色々お伺いしました。ドロー系のソフトでは一瞬でできる網掛けも、一つ一つ丁寧にトーンを張っているのだと思うと、漫画も職人技だなぁと思います。いくらデジタル画が進んでも、持ち込みなどはやはり技量を測るために、手作業が求められるとのこと。
日本の漫画文化は世界に冠するものですが。空さんのような方々がそのクオリティを支えているのだなぁとしみじみとお伺いしました。

空さんは、大鳥・伝習隊にも並ならぬご関心を示してくださって、えもいわれぬ大鳥イラストや漫画を生み出してくださっています。ちょっと眠そうな、野暮ったい、人間味あふれる大鳥像が素敵なのです。

「あの顎ひげはどこからきたんですか?無精ひげ?」
「もみ上げと頬髯のかわりです」

…なるほど。という一面も。
箱館時点で大鳥に髭があったのかどうかは、実は未だによくわからなったりして。会津磐梯の流離いの最中とかは、無精ひげだらけだったと思う。
そのへんのモサさを一目で表してくれる、ちっこいおっさん具合が、とってもツボなのです。

空さんは探究心豊かな方で、貴重古本入手エピソードもとても楽しくお伺いいたしました。


さて、いきなり話は変わりまして。
久しぶりに動画サイトで遊んでいたら、フィギュアスケート、太田由希奈さんの復活映像があってうれしかったです。

太田さんはとてもやさしい京都弁の方。
足首の骨の故障で2年間ブランクがあり、一時はスケートをやめることも考えておられたとのことですが。アメリカで療養に加え更にレベルアップ。6月25日のDreams on Iceで復活、7月の野辺山でも演技を見せてくださいました。

太田さんの特徴といえば、滑りと手。手そのものが芸術的といえるぐらい、とても優雅な動きなのです。「氷上の菩薩」と言ったアナウンサーがいったアナウンサーがいたそうですが。まさしく千手観音のように、麗しい手つきで、手そのものに表情がある感じなのです。技の入っていない滑りの部分こそがもっとも魅せることができる、稀有な選手です。

ぱぁっと花の開くようなレイバックスピン、イナバウアーやイーグルの背中のラインを見せる滑りが惚れ惚れするほど綺麗。ほぅ〜とため息つきながら見入ってしまいます。

ジャンプが不安定なので、現在の採点方法ではあまり点が上がらないという傾向があるのが寂しいかぎりなのです。ジャンプはらはらしながら見てしまう。あとはとにかく滑りとスピンを見せてくだされば幸せ、という選手です。

滑りが綺麗、というのは、それだけ基礎がしっかりしているということなのですよな。昔はコンパルソリーという、図形を描くような滑りの技術を競う科目があり、まさに基礎の競技も盛り込まれていたですが。今はショートプログラムとフリーという二段構成になったせいで、基礎の滑りの部分が軽視されているという話も耳にします。
でもやっぱり見ていてスゴイ選手というのは、まさにその基礎の部分で。
基礎も極めると芸術なんだなぁと思います。


漫画もフィギュアもみんな職人芸で、ここが得意、ここで魅せる、という個性があって面白いです。
ただやはり共通しているのは、ずっと練習を積み重ねてきた基礎の部分で、ここがないと個性も光らない。
それはどんな分野も同じで。
自分には幼い頃から積み重ねてきたもので、コレ、というのがないので、空さんにしても太田さんにしても、ひとつの分野に邁進されているかたを見ると、羨ましいなぁ、まぶしいなぁ、と思うと同時に、このままではいかんなぁ、と力をいただきます。

そんな感じで。仕事引きこもりから、ちょっと脱出している今日この頃です。
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2006年07月28日

諦めないこと

あー、疲れた…。
年から年中疲れたような奴でごめんなさい。
ここ数ヶ月仕掛けていたお仕事が、一気にパァになるような羽目になってしまいました。

精神的な疲労だと帰宅できてもそのままんなにもできずバタンキュー。風呂に入らないと疲れるなぁ。体が汚れると精神も汚れる。シャワーだけでもだいぶ疲れが取れるものですが。

あきらめない、というのは、大変疲れることです。
ハードルが立ちふさがり、というか、立ち入り禁止状態で、変更に次ぐ変更。何度も体制図を書き直し、関係者とひたすら調整し、それが可能な形にもっていこうとしては、やっぱり駄目だとポシャる。
自分ひとりの仕事じゃなくて、相手の会社、相手の方針とも戦わないといけない。
そして結局先方の徒労になる。人様の迷惑になってしまったことが一番疲れる。

あきらめれば楽になれる。
何回思ったことか。人からも言われた。
しかもあきらめないほうが泥沼というか、なお悪くなるのは目に見えている。
見切りをつけるのは早いほうがダメージは少ない。
なのだけれども、一縷の望みのために、やっちまうんだなぁ。
諦めないことを諦めるというのが難しい。

自分の疲れだけじゃなくて、もはや上司が潰れかけているのがキツイ。
私のようなぺーぺーは、結局やっていることは力仕事にすぎなくて、意思決定や決断の重みは、上が背負ってくれている。決断というのは、それに伴う結果の責任をすべて引き受ける前提の行いで、心理負担がとてつもなく大きい。そして、体の疲れより精神の疲れのほうが生命力に対してダメージが大きい。自分なぞ楽なものです。

新渡戸稲造の「武士道」での言葉。

「生きることが更なる苦難を伴う際は、あえて生きることを選択するのが、更に上位の精神性をもった武士道である」

さらに。

「真のサムライにとっては、いたずらに死に急ぐ事や死を恋焦がれる事は卑怯と同義」

新渡戸武士道は、当事者としての武士の実態に無関心なところがある、武装階級ではなく国民を近代文明の担い手たしめるために作為された国民道徳思想だ、という批判も根強くあるようですが。んなこたどうでもいいです。何が武士道かという議論は好きな人にお任せします。

私は単純にこの言葉に共感した。生きるという一番難しい選択をせずしてなにが戦士か、と思います。
終わりに焦がれるのは、フィクションだけでいいです。美しい終わり方なんぞ目指しても、耽美な現実逃避であるだけで、何も生まれない。

会津で。箱館で。
最後の最後まで諦めなかった大鳥らの生き汚さには、毎度、力をもらいます。

彼らの往生際の悪さのために多大な災難を蒙った人たちも勿論いる。
自分のせいで相手に迷惑をかけていることほどしんどいことはない。会津の圭介とか、その心理負担はいかばかりだったか、と思います。

一方で彼らが生きて、その命を最大限に使ったことにより、生かされたものがある。
降伏人1000人の人生。彼らの後半生の国づくり。

そういう、厄介と迷惑と災難をもたらしながら、同時に生むものもあったからこそ、大鳥らは戦士だったと思います。
戦いってのは、終わらせるためにではなくて、創るためにやるものだと思います。消費以上の生産につながる目的がないとやっちゃいかん。目的がダメになったら、さらにその目的を上回る生産性の別の目的を持たねばならん。

本当にもう駄目、というときに何を見つけるか。
藁をもすがる思いですがってみたら、それが鉄棒だった、ということもある。
鉄棒をつかんで重みに一緒に沈むかもしれないのですけれども。それを底の泥濘に突き刺してそこから這い上がることもある。
諦めなかった人たちによって、歴史は造られてきたのだと思います。

そんな感じで手前を動かしつつ、まぁもうちょっとやってみます。
分けわかんなくてごめんなさい。
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2006年07月08日

スーパーウーマン

先日、 ままこっちさん( http://mamakocchi.blog22.fc2.com )と呑みました。嬉。
周囲はお嬢さんたちが買い物におしゃべりにたむろする、四ツ谷の駅ビル。親父な飲み方しかしない奴なので、普段決して乗り込めない領域だったのですが。ままこっちさんのお陰で、なんだか若返りました。

新撰組ファンで大河ファンでいらっしゃいます。ブログで日々多くの情報発信に勤めておられる上に、その快活な語り口が魅力で、多くの読者の方を抱えて運営されている方です。毎日何かしらの価値ある情報提供を続けておられるバイタリティが凄い。

そして。ありがたいことに、大鳥を好きになってくださり、さらに、大鳥の魅力についても時々ブログで語ってくださっています。ままこっちさんが大鳥情報を流してくださると、ままこっちさんお目当ての新撰組ファンの方への普及効果があるというう。辺境の光あたらぬくらい場所でボソボソやっている自分などから拝見すると、後光が差して見えます。拝みます。

それで、ままこっちさん、夏休みで函館へご家族でご旅行されるとの由。五稜郭や資料館関係、二股などメジャーどころだけではなく、木古内・矢不来・茂辺地海岸まで廻ってきてくださるとのこと。
そういうことで、函館話とか、戦争話とかに花が咲きました。
大河ドラマとか、土方話とかで、土方ファンの方に「言っていいのかそんなこと」ということを、酒の勢いでぶちかましてしまった気がします。快く受け止めてくださったままこっちさんは、海のように広い心をお持ちだと思いました。

せっかくだから更に大鳥にはまっていただこうと、大鳥ナマ身史料ぐらいはもって行こうと思っていたのですが。準備が間に合わず。ご家族連れの方に、函館市図書館の箱館戦争関連の文献リストだけ渡して終わるという愚行をしでかしてしまったのが、心残りです。

お仕事ではキャリアを着実に積み重ねておられ、主婦としても母親としても立派に家庭を築き、ブログで発信されているように情報アンテナの領域が広く、さらに趣味に精をだしておられる。スーパーウーマンのような方です。

図書館ひとつ、旅行でも、自分だけが行きたいところに家族を連れて行くわけには…と思ってしまうんじゃないかと、自分などは思ってしまうのですが。そうではなくて、家族ぐるみな幕末ファン。家族を新撰組色に染め上げて、自分のハッピーは家族のハッピー。普段から一緒に楽しむ。そういったあり方を達成されている。
それはもう、尊敬、の一言です。言い訳の余地のゆるさない、理想的なファンのありかたを見た思いです。

仕事だけで精一杯で生活が成り立たなくなり、すでに枯れ果てて諦めの境地にいた自分には、まぶしくて溶けそうでした。いや、このままではいかんと、刺激をいただいて、志を新たにいたしました。

ここのところ色々重なって、モチベーションが枯渇状態で、サイトのほうもこの体たらくだったのですが、スゴイ女性とお話をさせていただくと、もりもりパワーをいただきます。本当にありがとうございましたー。


ままこっちさんとお話して思ったというか、トドメ刺された感じなのですが。

つい最近、とある国際開発系の雑誌の企画で、女性コンサルタント座談会というのに出させていただきました。いや、雑誌から会社に依頼があったところ、うちの会社の女性技術者が、皆出張中か産休で、一人国内でダラダラ穀潰ししている自分が槍玉にあがっただけ。

それで、集まった方々、エリート女性という言葉がぴったりなすばらしい経歴の方で、プロフェッショナルとして堂々とアサインされてる方々。そんな中にペーペーの自分が混じっていていいのか、と恐々としていたのですが。

仕事と家庭の両立で、時間のやりくり、子供の幼稚園への送り迎え、親御さんとの折衝のなかで、周囲に理解してもらいながら、生きている。だれもみんな、家庭に専念できない自分自身を、すまなく思っている。
そういう実態が明らかになりました。

他人から責められるより、自分が自分を責める声が一番ツライんですよな。

女性の社会進出、女性の専門職、というのは、どの業界でも企業が看板飾りのように掲げている事だと思うのですが。
男性と違って、女性は、有能な人ほど、仕事を「させてもらっている」という意識があるような気がします。
女性の本業は、家事と子育て、ということを分かった上で、自分がやりたいから、というわがままで、仕事をさせてもらっているのだ、と。
無論、割り切っている方も多いと思っていたのですが。でも、そうではないのだなぁと、最近よく感じます。

この職だと特に、1年の半分以上国内にいないのは当たり前。しかも行き先はろくな通信ができないことも多い。そんな環境なんで、家庭を半年以上空ける母親がどこにいるか、と思って、それを言い訳に、自分の人生に積極的になれずにいたりするのですが。

そういうとき、この仕事は自分にしかできない。自分がやらないと改善しない。そういう誇りと説得力があれば、家族にも理解してもらえる。なにより、自分自身を納得させることができる。

やっぱり、専門家としての実績と能力で勝負。誰もができる仕事をするのなら、自分がする必要は無い。自分にしかできないからやらないといけないのだ。そういう意識がないと、自分が守らねばならない家族に対して、やっていけない。

なんというか、今、自分ひとりだから、雑用係に甘んじて、専門性に対して貪欲にならないでいるような気がしてきました。

家庭だと、家事や子育てひとつひとつが、そのひとにしかできない専門性だと思います。仕事としての専門性とは全く別ですが。

いくら仕事に一生懸命になって専門性磨いても、仕事に時間を割くだけだと、人間として、レベルが高くないというか、不完全なままなんですよなぁ。仕事というのは、生き物として、女性として、ちゃんと家庭でも女としてのプロフェッショナルであって、自分の居場所を作り、自分の後続を残して、はじめて、やっていいと認められるもの。それで初めて専門性を高められるもの。
そのぐらいの認識でいないといけないんじゃないか。

仕事やら専門性やらは、自分が人間として女としての責務をきっちり果たし、そのための環境作りを自分で整えてから、はじめて求められる贅沢なんじゃないか。人として必要なことをまず固めていないと、その贅沢においても価値あることができないんじゃないかと、思うようになりました。

「オニババ化する女たち」( http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334032664/249-1367446-4455512?v=glance&n=465392 )は名著だと思います。
…上司に勧められたんだよ、ちくしょう。今更廻り見回してもどうにもならんのだ。もう10年早く言ってくれ。

そんなアタクシは、今日もオニババ街道まっしぐら。


    [2] ままこっち URL 2006/07/14(Fri)-21:51 (No.90)
    入潮さん、箱館より帰ってきましたー!
    先日はお忙しい中、お時間作ってくださりありがとうございました。お陰様でとても楽しい時間を過ごすことができました。
    私なんぞは全然スーパーウーマンでも何でもなく、日々ダンナや子供に負担をかけているのでは、と自分を責めつつ短い業務時間でどうやって人並み、いやそれ以上の成果を出せるか、知恵を絞って効率的に業務を進めるよう何とかやりくりしているに過ぎません。入潮さんのように明かりをとるのも大変な場所に公共インフラを構築するような立派な仕事をしているわけでもないですし。恐縮するばかりです。
    さて、箱館のほうはしっかり松前方面、知内、木古内、矢不来と回ってきました。レポートはボチボチでUPしていきます。入潮さんオススメの谷地頭温泉、入ってきましたよ♪
    中央図書館に籠れなかったのが唯一の心残りですが、いつかまた行こう!と思っています。
    また飲みましょう♪

      [3] 入潮 2006/07/18(Tue)-12:22 (No.92)
      すみませんー。気づくのが遅くなってしまいました。

      函館(箱館)旅行、お疲れ様でした。短い日程のために相当の準備をされ、密度濃く動かれたのだと思います。
      ガイドブックをたどるのではなく、自分で見つけ自分で組んだ自分のための旅、ということで、得られるものもそれだけ多かったのではないかと思います。それに、語ることも、独自の視点から噛み砕いたままこっちさんにしか書けないもので、すばらしいエンターテイメントになると思います。

      谷地頭温泉。碧血碑参りで汗だくになった、あるいは極寒に冷え切った体には、とてもいいロケーションにあると思います。ただ、この温泉に入ったという資料をまだ見てないので、箱館軍の彼らが漬かったのかどうかはわかりませんでした。泉質表をみて何時掘り出したのかを見ればはっきりするのですが、どうだったっけ…と、そんなことばかり気になってしまうお年頃。

      「過ぎません」と仰いますが、それを行うのが大変なのですよう。時間をかければできることはけっこうある。けれども、同じ時間でも多くのことを。同じく仕事でも短い時間で。それができるのは、経験と能力と意識なのだと思います。

      中央図書館にいかれない方に、図書館資料の検索結果を差し上げるというド間抜けなことをしでかしてしまった償いに、次回はもう少しマシなことができるようにしたいと思います。というわけで、ぜひぜひ、リベンジさせてくださいませ。
posted by 入潮 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月05日

動画コンテンツ

すみません。間が開いてしまいました。
しばらく、動画にハマっておりまして。「伊藤みどりのジャンプすげ〜!」という世界におりました。
たまにメジャーなことに関心を持つと、その怒濤のような情報に、仰天です。
フィギュアのように連綿と歴史を積み重ねてきて、いろんな年の様々な大会で伝説が作られてきたものというのは、突っ込み始めると際限がない。奥が深いです。

で、普通だとコアな長年のファンがビデオで取ってきた物でしか見れないようなレア映像も、動画サイトや、それぞれのファンがいろんなアップロードサイトでやり取りをしていてそれを入手すると、簡単に拝めてしまったりする。レアがレアの意味を為さなくなってきた。恐ろしい時代になったものです。
みどりさんの伝説の、カメラを巻き込んだ場外ジャンプ画像まであった…

トリノのときにも少し触れましたが、村主章枝に眼が離せなくなってしまってまして。ファンというにはおこがましいのですが。つい追いかけてしまっておりました。
4回転とか3回転+3回転のジャンプとか、ビールマンスピンとか、超技があるわけではないので、マスコミに大きく取り上げられることはあまりなく、パッと見では見過ごしてしまいそうですが。一つ一つの技の正確さとか、曲と一緒に伝わってくる気迫とか、見れば見るほど奥の深い味のある方です。
また、試合を一連で眺めていると、毎回何かしら新しい技入れてきて、地味にレベルアップさせているのも、通好みな感じです。ブームに乗った人より、コアなファンほど惹きつけられる感じかと。いや、自分は思いっきりにわかというか、入り口にも来てないんですが。

釘付けになったきっかけは、2005年の全日本の優勝。トリノの選考を兼ねた競技会の動画でした。度肝を抜かれたというか。言葉も無し、という感じ。途中で「パーフェクトォォ」と叫んだアナウンサーに、むしろ「黙って見てろ!」と言いたかったぐらいに、その滑り自体に見入ってしまいました。

コメンテータの国分太一さんは、競技中は一切しゃべらず、終わってから「はぁ……スゴ…」とようやく呟いていた。終わったときは会場総立ちで。直接見ていた人には、わけも無く涙が流れた、と仰った人も。
同じ競技会で、浅田真央が史上初の2回トリプルアクセルを決めていて、これも鳥肌モノで凄かったし、それで、特に村主に眼を見張る技が入っていたわけでもないのですが。何が凄いかと聞かれると明確な言葉で説明できないのですが、なんというか、人間の持つ底力を見せ付けられた感じでした。画像の荒いほんの小さな動画でもそこまで伝わるものです。

後から聞いて見ると、股関節の故障で、選手続行も危ぶまれていたぐらいの状態からの復帰戦で、体に負担をかけないようにギリギリまで体重を絞った状態。確かに痛々しいほどに痩せていた。スケートしか見えていないようなものすごい努力な方で、一つのことにかける真摯な姿勢は、後から聞けば聞くほど納得で、こういう人もいるんだなぁと、心打たれる感じでした。

で、最近村主さん、スポンサーの都合か、いろんなバラエティに出演されている。それをリアルタイムでテレビを見れるような時間に家に居られる事はないのですが、それも出演が終わったらその日に動画がアップされていて、全然不自由なしに見れる、という世の中。

一方、とあるファッション雑誌で、村主さんの外見について、「ちまちました」とか「子供のような」などと評した美容評論家と、その記事を掲載した編集部について、その雑誌のBBSでは読者からの抗議の嵐となり、BBSが閉鎖されてしまったという一面もありました。メディアに対してファンが公共の場でモノを言い合え、それについてメディアの側が右往左往する、という図式も、インターネット時代ならではだなぁ、と思いました。メディアが情報流通において権威で居られるのは、いつまでのことなんだろうと思ってしまったことです。

(フィギュアに限らず、肉体も精神も切磋琢磨しているアスリートを、見ているだけの暖衣飽食の輩が云々する姿は、見苦しい以外何者でもないよなぁ。それを言ったらメディアはお飯食い上げだろうし、偶像化するとついやってしまうのだろうけれども。この辺、歴史人物にも同じことが言えると思ったりして。自分も調子に乗るとついやってしまいがちです。自分がその立場に立ったら何ができるのか、どうするのか、という想像力は、常に働かせておきたいです…と自戒。)

村主さんを追いかけながら、なんというか、変わっていくメディアと情報のあり方を楽しんでいる感じでもありました。放映権とか著作権とかものともしない、アングラな流れというのは確かに強いもので、それを制限しても仕切れるものではない。それを巧く取り込んでWin-Winの形で発展する形を、今のメディアは考えなければならないのでしょうなぁ。

とか思っていたら、たまたま、YouTubeがニュース(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060602-00000079-zdn_n-sci)になっていて、吃驚した。

サーバダウンが、日本からのアクセスが多すぎてサーバに負荷が掛かったからでは、という憶測があるとのこと。それが、"ALL YOUR VIDEO ARE BELONG TO US"という、文法的におかしい英語のメッセージを、YouTubeが発したことによる。これが元々日本のビデオゲームの英語版にあった"All your bases are belong to us"という会話文のもじりだったとのこと。日本人の作る奇妙な英語は、あちらの人には時には記録に残るぐらい大受けするらしい。…何処がおかしいのか自分にはとっさには指摘できませんでした。はい。

確かに、ジャパニメーションの動画なども、かなりの確度で見れるようです。日本人だけではなく、世界中がジャパニメーション目当てにYouTubeに殺到している模様。

その日本アニメの字幕で、「"-Shi"とは丁寧でフォーマルな尊称で、"-San"とは日常的な敬称」とか、日本語の解説も所々あった。仕事でも、普通に初対面のイギリスの人がメイルで"-san"とか使ってくるのですが、それには、こういうところでの隠れた文化流通があったからなのか、と思ったりして。

実際、子供と一緒にジャパニメーションを見ているからなのか、本人がOTAKUなのか、アニソン愛好家な外国人はかなり多いです。前にプロジェクトで一緒だったエネルギー政策の著名人が、エヴァとかSeiyaとかを歌っていたからびびった。洗練された現代の芸術への不可欠な教養、なんだそうな。やべぇ、負ける。「国家の品格」で、坊っちゃんと三島由紀夫についての教養がイギリス人から試された話が出ていましたが、今は本家日本人がアニメの教養について試される時代です。ジャンプもマガジンも、発行の次の週には、バンコクや台北の路上で、別言語になって売られています。皆さん、真の国際人になるために、オラが国の漫画アニメの素養は、不可欠ですぞ…!

そんな感じで何が言いたかったのかというと、テレビ、ビデオにおんぶ抱っこしてもらわなくても、ネットがあれば古今東西のエンターテイメントにタダでアクセスできる時代になった。しかも、これまで情報の流れがメディアから大衆へのトップダウンだったのが、ダウン-ダウンというか、受信者側に甘んじていた人間たちが、受信側同士で交流しあって、時に上流のメディアに影響を与えるようになった。

これからメディアがどういう方向へ行くのか。なかなか革命の渦中にあると気がつかないものですが、今、ものすごい過渡期に自分たちはあるのではないか、と感じてしまったわけです。
なんか、こういう時代に生まれることができたのって、凄まじい幸運なことではないのかなぁ、と思いました。個々人の可能性が試されてるんだなぁ、と。

…と、久しぶりにオタクやってみました。清々しい。
時間が開いてのポストがこんなもんですいません。明日からちゃんと真面目に、不真面目な大鳥語りします。

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2006年05月27日

適合性

夜です。あー。まだ見積り作んなきゃ…。
提案書が二つ重なって、にっちもさっちもいきません。
最近、普通に結婚して普通に子供育てたいと思うことが多いのですが、それが月面旅行より遠い世界の夢に感じる。

草鞋が3足になりました。
成り行きで、非営利団体の構成員になってしまった。仕事の都合でですが。無給。
組織として若いところので、モノを動かそうとすると、名刺作りから理事会資料作成まで、山ほどやることがある。勿論、本業の仕事量は大して変わっておりません。
すでに自分の給料は、時給換算するととっくにマクドナルドのアルバイト以下です。最低賃金は満たしているのだろうか。まぁ、どこまでが仕事でどこまでがそうでないのかという線引きが非常にあいまいな分野ではあります。

にしても非営利団体って良いなぁ…。競争とか成果とか配当金とか利益率とかよりも、まず自分たちのやりたい事、理念を第一に考えて良い。なんせ何が「イイコト」なのかをおおっぴらに主張すれば良いので、申請書一つ作るのでも、楽しい。競争という柵から抜け出すと、こんなに負担が軽く感じるのか、と思う。あとは透明性さえ確保すれば良い。

やっている内容は仕事と同じなんですけれども。競争しなくて良い、という気の持ちようだけで、こうも変わるのかと思う。これで食えるだけの給料さえ出れば最高なんだけれど。

とか感じるあたり、どんどん自らの奴隷化が進んでいる気がする。
「真性マゾですね」と、後輩君は新たな前途を祝福してくれました。


ここまで人の心を荒ませる資本主義って何なのだろう、と思えてきた。競争で幸せになれるタフな人も中にはいるのは確かだけれども、自分はそこまで強くないや。
だからといって共産主義もアレなんですけど。

なにが合うんだろう。…やっぱり行く末は出家か。
清く慎ましく生きるって、最高の贅沢なことなんだろうと思います…。
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2006年05月06日

南アルプス・静岡・沼津

ほとんど野人と化しながら、走りまくっていました。
でろでろんに疲れました。しばらく太ももが上がらなかったぐらい。

現在、沼津です。
一昨日から、高いガソリンを消費しつつ、バイクで排ガスを撒き散らしています。

ルートは以下のとおり。
4日:
横浜→厚木→宮ヶ瀬湖→道志村→山中湖→河口湖→上九一色村→本栖湖→富士川→早川町→南アルプス→井川雨畑林道→山伏峠→(寸又峡を目指すも敗退)→県道52号南下→清水(宿泊)

本日:清水→静岡→口坂本温泉→井川湖・井川ダム→長島ダム→本河根町→静岡→清水→(東名高速)→沼津→明治史料館

あまり面白みのある話題でなくてすみません。
思うままにいかないことだらけで、えらく疲れました。失敗記録は以下のとおり。地図がないとわけわからない。

・宮ヶ瀬ダムを、眠くて朦朧としていて見損こねた(日本固有の技術、ローラーでコンクリートを押し固めたRCD工法、ダム高156m、貯水量約200万立法mの国内最大級のダム)

・川口湖へ向かう138号を、何を思ったか逆方向へ。都留まで着てしまう。都留から高速を使って河口湖へ出ようとしたら、都留からは逆方向にしか乗れない。大月まで出て高速に乗ったが、行楽家族連れの車で激しい渋滞。1時間半のロス。エンジン熱ダレして、足を火傷。

・早川町、南アルプスの手打ちそばの食べられる「そば処アルプス」で昼食。山中の一軒家で、1時間待。他に食料の得られるところはなく、泣く泣く待つ。待っている間、雨のような鳥糞の襲撃を食らう。

・井川雨畑林道。落石で岩ごろごろ。砕石ですべる。何度こけそうになったか。ひぃこら着いたてっぺんの山伏峠。標高2000m。落石のため通行止めで、ゲートで閉ざされていた。
ゲートの向こうは、逆の静岡側から上ってきたオフロードバイクの一行様が、同じように立ち往生。ゲート10cmの向こうはお互い果てしなく遠い。オフロード軍団は、ゲートの横のがけをバイクごと引っ張り上げて上って超えようとしていた。5人がかりで、峠でバイクを持ち上げる人たち。根性だ。
そんな体力も気力も自分らは、あえなく敗退。引き換えす。下りのほうが滑る。周囲は崩落地帯。曲がり損ねると絶壁の谷底。恐怖。

・周囲にろくなキャンプ地はなし。実は、山伏峠を越えた先で、食料を用意して待っている同僚がいるのでどうしても峠越えはしたかった。道路の無いところは走れない無力さを痛感。仕方がないので、お互い南下、海まで降りて、清水で落ち合うことにする。2000mから一気に海抜0mへ。あたりはすでに夕闇。

・とっぷり夜もふけた頃、ようやく清水にたどり着く。適当な漁港にテントを張る。水なし。風呂無し。トイレ無し。清水に先に着いていた同僚が、酒と刺身を用意してくれていたので、そのまま宴会に突入。どろどろのままテントで眠る。

・翌日。自分の主目的地は沼津。沼津といえば、兵学校。同僚と別れてそっちを目指す予定だったが、テントを片付けたのがまだ朝早かったので、昨日あきらめた寸又峡の温泉を、南から目指すことにする。同僚いわく、南から上がると片道1時間。

・寸又峡よりもう少し近いところに、口坂本温泉というよさげなところがあったので、そちらを目指すことに。この県道が極狭で地図で観るより全然長かった。たどり着いてみると、温泉は9時半から。着いたのは8時。ということで、峠を越えて井川湖を抜けて別の温泉へ。

・この道がダムの宝庫だった。景色最高。桜満開。走っては止まり、景色と構造物を楽しむ。そんなことをしていると、時間など湯水のごとく流れていく。気が付いたら午後。

・急いで同僚に別れを告げて南下。ショートカットの国道を使おうとしたら、これが工事中、狭い、対向車多い、12-14%勾配のヘアピン連続。3度程ぶつかりかけた。寿命が3年ちぢんだ。老けた。

・時間が無いので、清水まで降りてから、沼津まで一気に高速で抜ける。目指すは沼津兵学校。じゃなかった、沼津明治史料館。展示も楽しみだけれど、見たい資料がいっぱいいっぱい。ここに行かずして何の静岡。時間はいくらあっても足らない。それで、沼津に着いて一般道に下りてから、道を間違えて、何を思ったか1号バイパスに乗ってしまう。これが高速国道で、次のジャンクションまで降りれない。激しく戻り道をする羽目に。これで30分はロス。

・沼津。風が吹き荒れていた。荷物を積んでバランスが悪く、風にあおられやすくなったバイクをなんど倒しそうになったか。

・明治史料館にヨレヨレになりながら到着。展示の券を買っておきながら、肝心の展示は見ずに、ひたすら紀要と目録とにらめっこしていた、どう見ても研究者に見えないバイク乗りの来訪者を、館内の方はどう思ったのだろう。大変親切にしてくださいました。有難うございました。

・沼津史料館の目録に、かなりなお宝がありまして。これは見逃せないと思った。史料室に入室できる学芸員の方が、今日は不在だけれども明日なら空いている、とのこと。明日、早朝に伊豆方面に向かう予定だったのを、午前中再度史料館を訪問することに決定。

・館内、嵐のごとく強風の音。声が聞こえないぐらい。この日、沼津の海岸でテントを張って過ごそうと思ったけれども、臆した。とても無理だと判断。史料館の方にホテルを取っていただく。しかも、館内にバイクを入れさせてもらう。大感謝。

・夜になって風が止んだ・・・。全然問題なくキャンプできたみたい。まぁ、疲れ果てていたし、明日はもっとシビアなスケジュール、下手すると夜中までの走行だから、疲れは抜いておきたい、ということで、よしとする。

顔は日焼けとゴーグルのずれでヒリヒリして赤くなっているし、排ガスの煤で汚れてパンダ状に黒くなっている。ジーンズも煤と汗でいい感じにぐだぐだ。よく沼津資料館の館員のお姉さま方、嫌がらずに相手してくれたものだと感心してしまうほどでしたが、おかげさまで、明日の楽しみができました。

さて、ホテルに入って、駅前をぶらつく。
休日の夜を皆様、満喫中のようです。駅前は、カップルだらけでした。また、お嬢さんたちが綺麗にキメてるんだ。

一方、漁港の町なので新鮮な魚を食いたい、と思えど、一人だからどこの店へ入る勇気もない自分。結局ようやくコンビニ握り飯を口にしただけ。春もすんだのに春爛漫な方々と比べるだに、いつもと変わらない侘しさ。人生って何だろうと感じないこともない。

でも駅前のお嬢さんたちより、今の自分のほうが格好いいと思った。

……ちょっと言ってみただけです。ごめんなさい。

そんな感じで、明日も濃そうです。
事故りませんように。と、コロボックル圭介生き神様にお願い。波乱万丈だけれども、とりあえず生きて帰ってくる、というのがご利益。
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2006年05月01日

GW前半

幼稚園の時、「ミルキーはママの味」と聞いて、怖くて泣きそうになったことがある入潮です。
無駄に想像力というか妄想気があって、怖がり。「クトゥルフの呼び声」で真っ先に発狂するタイプです。(分からんネタを…)

金曜日、客先と呑んで、そのまま会社に戻って、次の日に国会図書館に行こうとしたら。地下鉄永田町の出口で立てカン「本日国会図書館は休館です」。…世間様は、GWに突入していたんですね。畜生。想像力豊かなアタクシにも予想できませんでした。

悔しかったので、バイクで、30kmぐらい夜の街を慣らしてきました。後半のツーリングに向けて。バイクをならすより体を慣らすほうが先。足つきが悪いので信号で止まるたびにコケそうになる。
結局、キャブレター取替えになったので、かなりな出費になりました。まぁ、食費と資料のコピー代ぐらいしか支出のない毎日で、他に使う当てもないから、たまには良しとしよう。うちの世帯のエンゲル係数は無茶苦茶高くて、貧困世帯です。電気使用量も、ブータン一世帯以下だったことを知ったときは哀しくなった。
ここ5年間、スーツとシャツ以外の服は買っていないし、化粧・アクセサリについても、全く使用していない。それで社会人として一応やらせていただいているのだから、うちの会社も寛容です。

そんな感じで、人生、何か大事なものを捨てているワタクシでも、萌えは重要です。

今Amazonを見たら、ユースド商品に、「地の王(グラウンドキング)、空の勇(エアヒーロー) 」がありました。かの大山格氏(大山巌元帥の御曾孫)による、宇都宮攻防戦小説が収録されています。大鳥びいきには嬉しいのですが、土方好きの普通の方にはお勧めできない、という、稀有な短編小説です。
最初は、こ、こんな姿に描いてしまっていいんですか、と恐怖に慄いてしまったものですが、今読み直すと、このぐらいが妥当ぐらいだよなぁ、と至極納得してしまいました。その辺自分も、大分図太くなったと思います。いやその、大山氏の先見の明というか、既存の認識に捉われずに自らが読み解いたものから描き出す姿勢には、敬服の至りです。
大野津・小野津とか、沸点の低い米田桂二とか、飄々とした大川とか、哲学的でオタクの血を引く大山巌とか、大鳥抜きにしても、戊辰ファンにとってはかなり見所があります。未読の方は是非。

そんな感じで、たまには軽くつらつらと。
工部大学校のほうは、完全に泥沼状態に陥っています。現在、エアトン先生の衝撃の事実に、慄いています。オムニバス、先生編でじっくりいきたいと思います。
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2006年04月27日

プロジェクトの終わり

昨日は徹夜で印刷。本日、最終報告書を出しまして。ブータンのプロジェクトが終わりました。まだ残務や必要書類の提出がちょこちょこありますが。
これでようやく、過労死と隣り合わせの灰色の日々から開放されます。

カウンターパート(プロジェクトの相手の国の主体者)に、報告書PDFを送った旨と、終了の報告のメイルを書きていたら、じんわり込み上げてきて、画面が見えなくなってしまった。年を取ると、涙腺が緩くなるもんだ…。
奴隷のようにいい様にこき使ってくれ、日本に居ても1日に10-30通ぐらいの英文メイルで喧嘩を続けてきた連中ですが。彼らともこれで終わりかと思うと、寂しいです。
なんか、色々と教えてもらいました。技術者らしい仕事はあまりしませんでしたが。経済や組織や、何より、大きな事業を進める、物事を現実化させるのに何が必要か、ということを学ばせてもらいました。国作り最前線にある人間の真剣さに、何度、適当で、無知で、力不足な自分が恥ずかしくなって、消えたい、辞めたい、逃げたいと思ったか知れません。「辞表」という名のファイルをデスクトップにおいて、それを精神安定にしながらデータ処理したこともありました。自分の作るものが人の生活に響くという周りの人たちの真剣さに、力を一杯もらって、学ばされました。圭介みたいな人もいました。どっちが援助されたのか分かりません。

といいつつ、所詮は援助機関の下請け下働きで、報告書を作っただけなので、我々の名前など数年もして担当者が入れ替わったら、あっさりと忘れ去られてしまうものです。けれども、誰それの仕事という名札が残ってなくても、これをもとに事業が進んで、あの断崖絶壁の暗闇の奥地に、電気の光が点くことに繋がると思ったら、なんというか、しみじみ満足してしまう。

技術者の仕事は空気のようなもので、意思決定した人、政治的に推進した人ばかりが名前になっていくものなのですが。技術者という人種は、別にそんな事はどうでもいい。ただ、自分のやったことが、結果として何かの役に立てたら、それで良い。それに尽きるのだと思います。


そんな感じで、燃え尽き症候群になりそうなワタクシ。
でも、工部大学校という次の萌えが待っています。
次の案件の提案書が、3つぐらい列を為している気がしないでもないのですが、とりあえず見ざる聞かざる日光猿。

GWも前半は出社だけどな。バイクも直したし。
バイクですが、1年ぐらいほったらかしにしていたら、キャブレターが詰まって、どころか、腐っていました。ガソリンがエクソシストの嘔吐物みたいな色になっていた。油を抜いた瞬間に駐輪所に毒霧の如く悪臭が立ち込めて、倒れこみそうになった。…ごめんよ、Raid (バイクの名前)。
日光、会津、伊豆に沼津、走りたいところがわんさかだ。久しぶりに人間らしく、後半は遊びまわってやるぞぅー。
posted by 入潮 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月23日

国会図書館の役割と独立行政法人化

ようやく峠を越えられた、という感じです。まだいきなり目の前にチョモランマが隆起してくる可能性もあるのですが。一体、昨年度の3月が何日まで続くのだろう、という感じです。
更新する、といいつつほったらかしていてすみませんでした。メイルも2ヶ月以上、お返事できていません。いつも謝り通しでいい加減誠意がない、というものなのですが。大変申し訳ございません…。

昨日は呑んで、職場に戻って仕事して、2時間仮眠して、仕事して、朝、客先に出すものを出して。
なんか、自分を労わってあげたくなったので、そのまま国会図書館に行きました。ひたすら論文コピーをチマチマ取っていたので、国会図書館の本館と新館を30往復ぐらいした。…余計に体を酷使した。疲れた。そして更に会社近くの大学図書館まで足を伸ばして、コピー三昧していました。
今日こそ早く帰って寝ようと思ったのに、結局またその後終電まで仕事してしまった。

さて、国会図書館。時間を経るたびに、機能が拡充していっている気がします。

今日は結構混んでいたと思うのだけれども、複写に要する時間が格段に短かった…。いつも30分以上かかるのに、毎回10分以内ででてきたし。

そして、オンライン複写! 閉架の資料を持ち出さずに、そのまま複写依頼をかけられます。論文など、号や頁がはっきりしていて、検索で引っかかれば、手に取るまでもなく直に複写してもらえるので、時間がかなり節約できる。同時に3件までですが、他の資料を当たっている間に複写してくれるので、大変助かります。

それ以外に、図書館に足を運ばなくてすむ郵送複写サービスは、本当にありがたい。図書館まで足を運ばなくても、検索に引っかかる限りはその場で申し込めて、送ってくれる。

何より、幕末明治ファンが泣いて喜べるデジタルライブラリ(http://kindai.ndl.go.jp/index.html)。ひよさんがご紹介くださっているので、既に何度も利用されている方が多いとは思うのですが。

いやはや、国会図書館。 本当に良い仕事をしてくださいました。

6万7000冊の追加。所蔵の明治書籍の2/3の電子化・オンライン閲覧化が終了。これまでの2倍に一気に倍増。
なにより、PDFとしてダウンロードが可能になった! これまでは一枚一枚印刷して、スキャンしなければならなかったのに。一気に利便性が増して、かつ、Acrobatが使えるので、相当読みやすくなりました。
出張前に大量にダウンロードして、夜な夜な読みふけることもできる。嬉しい。

デジタルライブラリ保存用に、HDD一つ買おうか、とか思ってしまった。
(今までも持っている資料はPDF化を進めていて、もはやCD2枚に収まりきらなかったりして。10〜20ページのコピーで約1MB、書籍1冊だと10〜50MBぐらいいくので、容量がばかにならないのだなー)

電子化するメリットとして、まず、どこへでもラップトップがあれば持ち運べる、というのがあります。そして、何より、すぐにほしい資料を探せる、ということ。紙資料だと、何かの出典を探すにしても、よほど整理していないと、「どこへやったっけ〜」と分からなくなって、探すのに相当時間がかかるのですが。いや、ちゃんと整理せず、床の上に積み上げておくのが悪いのですが。PCの中にあれば、ファイル名で検索して、数秒で探し当てることができます。

PDFですが、デジタルライブラリを活用されるのでしたら、フリーのReaderではなくて、Acrobat Standardなど、ページ編集可能なものを購入されるのがオススメです。もちろんReaderでも不足はないのですが、Acrobatがあると、ページの連結が一瞬にしてできるので、整理しやすさが全然異なってきます。

そんなわけで、ダウンロードさえしておけば、いつでも好きなときに呼び出せるし、なければ拾いに行けば良い。自分のPCが国会図書館になったようなものです。

ただ、1回に10ページしかPDF化できない、というのが難。サーバ負荷対策なのかしら。
それに、雑誌や新聞までは流石にまだ網羅していないのが残念ですが。それでもこれだけ拡充してくれたのは喝采モノ。

大鳥資料に関しては、倍増どころか。「大鳥圭介」で検索したら、これまで11件だったのが、37件と3倍以上に増えています。これに、「戊辰」とか「函館(箱館)」とか「会津」とか、関連ワードから探したら、もう計り知れないことになります。
あと、明治の中田版「幕末実戦史」が入っているのもびっくり。

(「幕末実戦史」については、誤字や誤謬の多さに色々批判がありますが、写本がちょっと適当だったわけで、基本的な流れを追うにはそれなりに使っていいとと思う。そりゃ、大鳥の漢詩を鑑賞してその価値観を論じたいとか、大岡正平のように、自分のフィリピン山野の敗戦の記憶と大鳥の経験を重ねて、檜原の万山千峰が大鳥の目に「愁色を帯びていた」かどうかが知りたい!とか、コアなことを考えるなら別ですが。…あ、こだわるなら、山崎版「大鳥圭介南柯紀行」が一番だと思います)

そして、「死生の境」まである。かっちょ良くて可愛くて正直で漫談家で、何処まで天然で何処まで計算なのかわからない圭介に、悶えてください。

他に、まだまだ出てきた同時代人の大鳥評。とりあえず、「ポケット近世歴史」「日清韓三国英名伝」「六英八将伝_」「世界軍人伝」あたりを見てください。大鳥が聞いたらひきつけを起すんじゃないかという文句が並んでいます。私は呼吸困難を起しました。

大鳥ネタだけではなくて、まともにデータを集めたいときも、掌中官員録、各省の沿革報告、法令集、各省の布告全書、工部省沿革報告、工部大学校学課並諸規則と、調査研究のベースとなる一次資料が満載。…やっぱり趣味に走ったセレクションになっていってすみません。

さらに、「近代日本人の肖像」(http://www.ndl.go.jp/portrait/contents/list.html)で事典式に紹介されている各近代人の項目から、デジタルライブラリにある関連資料へ直接飛べるのも嬉しい。

そんな、どんどん至れり尽くせりになっていく、国会図書館。これだけやってくれるなら、いくら税金をつぎ込んでくれてかまわないと思ってしまうのですが。

ショッキングな話が、自民党で進んでいるようです。
国会図書館の、独立行政法人化。

http://www.jimin.jp/jimin/gyo/katsudou/h18/180210.pdf (自由民主党行政改革推進本部)

…ちょっと待ってくれよぅと、泣きそうになりました。

国会図書館の本来の機能と価値を推し量らないままに、公務員削減の手を国会図書館にまで伸ばして、独立行政法人化をイメージだけで論じている。業務スリム化とか、目標管理制度とか、管理職の割合を本省と同じにするとか、資産の売却とか、全く根拠も具体性も感じられない、時代のトレンドにのっかかった上辺の案が、もっともらしく並べ立てられていて、愕然としました。

これを書いた人、国会図書館を利用したことがないのではないかとか思ってしまった。

http://slashdot.jp/articles/06/02/03/0131255.shtml
http://tosa-toad.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_43ee.html

こちらのブログさんでも喧々諤々、論じておられまして、自分の意見は、これらに集われる方々に全く同感です。

つまりは、国内の著作権を持つすべての著書が、一箇所にあり、一般人がそれに触れられるという価値は、なにをおいても変えがたい。過去と現在を繋ぎ、知識を受け継がせることにより、後世の人間が受ける恩恵は計り知れない。これを損ねることは、日本の国力を損ねるのと同等である、という考えです。

(あと、国会の議事資料を提供する機能があるゆえの「国会図書館」から、国民のための図書館機能を分離して「国立図書館」を作る、という考えも賛成。二つの方向性は全く異なると思うので。国会のための図書館は、性質としては公文書館のほうが近い気がする。ある国の国会資料を作らされて、何で私がとひぃひぃ泣きながらやったことがあるけれども、あれは徹底した守秘義務の観念と、厖大な資料から抽出するデータの信憑性を確保する特殊技能が必要だと思うのよー)

個々の大学やインフラ事業を行う公団などとは次元が違うものを、公務員削減と効率化いう浅はかな社会の要求に応じるために、同一視している。
効率を犠牲にしても守らなければならないものが世にはあるだろう。国会図書館の知識提供サービスは、まさしくそれだと思っています。

目標管理とか言われると、職員一人あたりの利用者の数の増加とか、納入機器の業者叩きによる予算の削減とか、安易な目標設定がされそうで不安だ。

憲政資料室や古典籍資料室のように、利用者の大部分にとっては需用はないけれども一部の人間には計り知れない価値があるところのレファレンスが、まず先に手が入れられそうな感じで、怖い。

たしかに、国会図書館を見ていると、余剰人数の多さとか、過剰投資なんじゃないかとかは、感じないでもないです。利用者にシステムの使い方を教えるために、殆どの時間をじーーっと立って過ごしているお嬢さんとか。資料や複写到着の利用者番号を知らせるボードに巨大プラズマディスプレイを採用していたりとか。常に5割以上空いてありあまってしまっている検索端末機とか。

でも、一般開放された場としては、他ならぬ日本の最高の知識集積所ですから、このぐらいは余裕として残しておいてほしい、というのが、利用者としての勝手な観です。確かに1000に近いという投入人数は過剰気味な気はしないでもないですが。出版物を網羅するコレクションの構築、永久的保存の義務、あらゆる出版物に対する国民のアクセスの保障、そして出版物の散逸を防止、といった責任を考えると、職員の方々には余裕を持った仕事をして欲しい。

あと、アメリカの議会図書館などは、厖大な量の全文献の全文検索化を進行中ですし。日本語はアルファベットより格段に情報量が多くなるので、検索化にはハンディがありますが。その分、システムの利便性と信頼性と余裕で対抗してほしいなぁ、と。

無論、独立行政法人化で、改善される部分もあるかもしれません。1回3冊の縛りとか、まだツライし。複写の料金が一般図書館並に下がるならそれほどありがたいことはない。国会図書館の本来の機能と価値を尊重して、そこをさらに向上させながら、利便化を勧めてくれるのなら、独立行政法人化も良いのですが。
ただ、国会図書館の場合、効率化の名の下に犠牲にされる価値が、計り知れなくなる気がしてならないのです。
国会図書館の場合、世間的にムダ、不要と思われているものこそが、本当に必要な価値だったりしますし。
それに、国の有形無形の財産を守る人たちですから、利益と効率を目指す民営の人間より、国の本当の便益とは何かを追求するエリートに運営して欲しい。

知識へのアクセス性の向上と情報入手の効率化は、国のトップクラスの人間の底上げにより、国力の強化に繋げる最たる近道だと思うのです。情報化が更に進む今後は、いっそう、そうなるでしょう。情報を手に入れるために費やす労力を、思索と考察と実証と応用のために用いることができる。表面的でなく、情報に深みを持つことはそのまま人間の質の向上につながります。

知識も技術も、情報に支えられ、競争に使われる。国民の情報アクセスへの効率性の向上は、そのまま、国としての競争力の増大に繋がるわけで。日本人が今の贅沢な暮らしを満喫できているのは(何だかんだいって贅沢です、皆)、技術立国として、経済大国として、先人から受け継がれ、今の人間が切磋琢磨して開発しているものが、世界に範を垂れるだけのものがあるからこそです。

その最も大きな知識のための共有資産が、国会図書館という存在だと思います。

目先のちっこい効率を上げて、国全体の大きな利益を損ねるようなことだけは、しないでくれ、と思います。

…いやその、国会図書館の、それだけの眼を見張るようなシステムを、大鳥オタク所業にしか用いていない自分が言うのも、説得力という言葉を考えろ、って感じで、穴に入りたいものなのですけれど。
えっと、まともな研究を行っていらしている学生さんや研究者の方々に、あの、その、考えていただければなー、なんて。もじもじ。
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2006年03月21日

WBC優勝

日本、王、おめでとうございます。

……。とりあえず、後ろの親父たちが、携帯電話でテレビを見ながら叫んでいたので、便乗してみました。
WBCって何だろう、と初めてネットで調べてみた、隔離人間です。

あ、今日って祝日だったんですね。会社の人口密度が低いのが、何でだろうと思っていました。

またデータ入れ替えだ。年度末報告書は、表紙だけ作って詫び入れになりそうです。

あぁあ、シメが、決算が。まだ再委託先からデータが上がってきてない。このままだと年末に支払いが間に合わない。

真面目に仕事すればするほど、コンプライアンスやら品質管理やら独立禁止法やら個人情報保護やらいうモノが重くのしかかってきます。効率的・的確・法遵守するためのはずのツールなぞ、人を過労死させる死神の鎌にしか見えません。
ISOは、よほどに業界の現実と制度を熟知して、効率改善を真剣に考えて有効化できる人間が、一から末端までしっかり見ないかぎりは、書類と面倒を増やすだけの、地球と人間の精神衛生やさしくない、企業の自慰行為だと思います。ISOのせいでうつ病になっている人は多いと思う。

お上の口先だけの成果主義と見てくれの社会倫理に付き合わされて、民間は、やることなすこと手間ばかり増えて、泣きを見る一方です。うっだらー。

すみません、かわいそうな奴なんで、しばらく放置しておいてやってください。

そんな感じで、昨日はヤサグレ呑みしていました。刺身に大変合う、うんまいしそ焼酎を飲んでいたはずです。なのになんでズボンが紹興酒臭いんだろう。中華を食べた覚えはないのに。家にどうやって戻ったか、記憶ナッシングです。もったいない。
posted by 入潮 at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

「国家の品格」

藤原正彦氏「国家の品格」が100万部発行、新潮社で最速記録であるとのこと。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/bestseller/?1142244235

いやぁ、嬉しいです。こういう良書が、しっかりと売れているところが、まだまだ日本も捨てたものではないなぁと思います。
今も多くの本屋に山積みで並べられていると思います。

自分は上司が「こういうの好きでしょ」と、この本を貸してくださいました。30分後にお返ししました。
とても借りて読む本ではないと思ったからです。

この本、何が良いかというと、まず、文が平易、面白いこと。構成力がすごい。するすると頭に入ってくる。

著者の藤原氏は、数学者で、米国・英国での勤務経験のある方。外側からと内側から、同時に日本というものを見つめながら凝縮してこられた思索が、散りばめられています。

なんというか、自分がもやもやと感じていたけれども形にならなかったことが、実に明朗、爽快な言葉で綴られています。

まず、現在の英語教育の動向に疑問を呈し、国語と国語から育つ文章・思考力・人間としての内容の重要性を述べられるにも。
「小学校から英語を教えることは日本を滅ぼす最も確実な方法だ」「公立小学校で英語を教え始めたら日本から国際人がいなくなる」「(人間としての)内容ナシ英語ペラペラは、海外では黙っていて欲しい」

…良くぞ言ってくださったという感じでした。

語学力とは思考力である。まず、母国語に熟達していないと、思考力が育たない。思考力が熟成しないうちに、二つも三つも言語を学校で習っても、肝心の母国語がおろそかになり、人間として中途半端になるだけだ。昔の日本人は尊敬されていた。それは、古典を学び情緒を持ち、人間としての中身が充実していたからだ。今の日本人は、羨望されてこそすれ、尊敬されている人は少ないのではないか。

…というのには頷けました。実際、今の、英語がファッションとなっている状況には疑問があったります。勿論、高校大学で英語の文法をきっちりやって、正確に文書表現できるようになるのは大事だと思いますけれども。書ければ、あとは現場に出れば、しゃべるのはあとからついてきます。

自分の上司にも、英語は得意ではなくとも、現地の人からは尊敬を集めている方はたくさんいました。

ポルポト全盛期のカンボジアで、配電線のための測量を行い、道路でポルポトの戦車を「邪魔だ、後にしろ」と体を張って止めながら単眼鏡から眼を離さず測量を続けていた。普段は大変朗らかな人で、皆から「ミスター・アップルジュース」と呼ばれ慕われている(肝臓が悪くて酒が飲めないため、いつもアップルジュースを飲んでいるから)おやっさんとか。

水車の神様と呼ばれ、日本語以外は全く話さないけれども、水車の修理、メンテナンスの指導をするとき、なぜか通訳ナシで全て言いたいことを相手に伝えている。発電所の調査をするとき何箇所訪れても、全くメモを取らず、必要なスペックや特徴、問題点を現地で頭の中に全て入れている。不思議がると、「自分の子供の特徴を忘れる親はいませんよー」と笑っている、喜寿を超えたじいさまとか。

今も日本にはそんな感じの、職人魂というか、技術者魂というか、気合の入った親父様方が、プロジェクトXを紐解くまでもなく、たくさんいらっしゃいます。そういう方々に共通しているのは、語学力ではない。専門性とか、知識経験とか、仕事に対する誇りと献身とか、それを総合した人間性であるわけで。
そのあり方は、きちっと踏襲したいと思う。

語学力が達者だから尊敬される、というのは、よほどの語学のプロフェッショナルでない限りは、あまりないことなんですよな。いくら一生懸命話してても、通訳の名前なんて普通覚えてくれないです。
語学力という表現する手段より、表現する内容、人間の内容を涵養するのが先。
無論両方必要で、片方ではいけない、ということなんでしょうけれども。

同様に、筆者は、情報化社会についても警鐘を発しておられます。「小学校でパソコン(の使い方)を教えたら、(必要な理数の基礎学力を身につける時間がなくなって)パソコンを作る人がいなくなる」というのは、ちょっと乱暴ですが、的を得ている感じです。

論理には限界がある、思考の出発点として最も重要なのは情緒だ、ということを、論理的に説いておられるのも喝采もの。
論理を聖化する資本主義の怪しさを、カルバン主義・プロテスタントの無茶な起こりを説明する事で一刀両断。「自由は、この言葉もろとも廃棄してよい、廃棄したほうが人類の幸福にとってよい」とか「自由とか平等とかいう概念は神がかりのフィクション」としている。現代社会で絶対視されているイデオロギーを、綺麗に否定してくださっています。その辺りの、世界への喧嘩の売り方が憎めなくて面白い。

そして、我々日本人が最も大切にし、取り戻さなければならないのは、情緒と武士道。情緒と自然への崇拝が日本人の民族としての謙虚さ、運命を引き受ける平静な心を生んだという点。
精神性を尊び、自然へ跪き、美しいものに囲まれることが、天才を生む条件と筆者は述べ、日本にはその三条件が揃っていることを指摘する。明治維新以降の眼の覚めるような日本の近代化は、必然のものであったと言い切る。それらは、市場経済の発展よりもずっと価値のあるものだと。

たかが経済。効率より能率より、情緒と形が大切。経済成長を犠牲にしても品格ある国家を目指すべき。それが進の国際貢献に繋がる、として、筆を置いています。「欧米を初めとした未だ啓かれていない人々に、本質とは何かを教えなければいけません」あたりの言い草は、笑いながら頷きました。グローバリズム否定と「たかが経済」という言い方も、世界がグローバリズムと経済に支配されている、それを覆すことは出来ない、という前提の下に、あえて仰っている気がします。

著者の方は、百万人に頷いてもらおうと思って書いているわけではなくて、いろんな立場・見方からの議論を巻き上げようとしている、ちょっと愉快犯めいた面を感じます。

それでも根本は、「日本人に戻れ」「日本人になれ」「日本人たることを誇れ」という、簡明かつ強力なメッセージにあふれた本でした。

自分、単純な人間なので、結構真面目に、影響を受けてしまっています。
真面目にギャグと見せかけてその冗談が実は本当に言いたいことだ、という辺りの筆の調子が、一番のツボだったりします。

いやその、大鳥も「士道」をテーマに論説を述べていましたが、この本の趣旨に共通する事があったりして、ちょっとびっくりでした考えてみれば当然のことになるのですけれども。このあたりもまた後ほど、纏めたいと思いますー。大鳥の士道の定義のしかたは、面白いです。


    [2] ままこっち URL 2006/03/16(Thu)-00:07 (No.19)
    入潮さん、お仕事お疲れ様です!財布は見つかりましたか?
    「国家の品格」、私は未読ですが会社でこの本について結構話題になっています。先月号の文藝春秋にも、藤原先生のレポートが載っていました。今注目される武士道、なんでしょうか。
    私も、英語はツールだと思っています。英語「で」何を語るのか、何を表現するのか、が重要であり、その為には母国語でしっかり自分の意見なり考えなりを持たねばならない、そう思います。それこそがその人となりを作るのだろう、と。
    文藝春秋は今月号にも衝撃的なレポ「下層社会」が出ていました。昔の日本人のよさ、が資本「至上」主義のもと、どんどん失われているんでしょうか・・・

    [3] 葛生 2006/03/16(Thu)-11:56 (No.20)
    私もこの本、未読なのですが。入潮さんのご紹介で、読んでみたいなと思いました。
    私は英語で食ってますが、2年前、ある人材紹介会社に登録に行った時に言われた言葉が忘れられません。私の経歴を眺めたそのエージェントの方は仰いました。
    「で、英語以外に何ができるんですか。」
    社会で仕事する際に、英語なんてのは「あったらいいな」的ツールでしかないのだと思い知らされた瞬間でした。
    英語のプロになるにも、生まれ持ったセンスは不可欠です。誰でもがなれるわけじゃない。そのへんを、今の教育は無視してますよな…。
    ちなみに私は、高校卒業まで毎年、英語は赤点でしたよ(笑) 追試も赤点を取ってお情けで進学させてもらってたくらいです。それでも、大学4年間と1年半の海外滞在で充分、英語で食ってく素養は身につきました。大事なのは幼い頃から教えこむことではなく、たとえ赤点を取っても英語が嫌いにならない高等教育ではないかと愚行する次第です。
    欧米にだって、英語ダメな人は大勢います。それぞれの国にそれぞれの成り立ちがあって、それに基いた文化があるのだから、まずはそれを大事にするのが先決との思いを新たにいたしました。

    「一心同体」、私もどうしようかと思いました。昨日から頭の中に居ついて離れてくれません…。

    [4] Q太郎 2006/03/17(Fri)-13:58 (No.21)
    前回、BBSではじめましてなのにご挨拶もせず、失礼致しました。
    「国家の品格」割に最近読みました。
    私は感性が欠落しているのか、今一つ「品格」だの「上品」だのがよく解らないので、こういう本読んでみるのもいいかな、なんて考えで読んだのですが…
    以前五木寛之氏の「生きるヒント」を読んだ時にも思ったのですが、普段漠然と考えてる事(そして場合によっては誰かに言って欲しい事)を読みやすく書いてる、と思いました。
    割に最初の方でしたか、土器の違いとか二度の元寇の違いとかを聞かれた人の話を読んで、辰野金吾が外国留学した時に、日本建築の事を聞かれてろくに答えられずに非常に恥ずかしい思いをした、と言っていたエピソードを思い出しました。
    でも、これ(じゃなくても)いきなり聞かれたら、何をどこまで言ったものかと思ってしまいそうです。
    そして、解っていた事ですが「自分、まだまだやな」と改めて思いました。
    とりあえず、「徒然草」と「風姿花伝」を再読しよう!(←そこですか?)

      [5] 入潮 2006/03/20(Mon)-03:03 (No.22)
      すみません、レスが遅くなりました。
      たまにメジャーな話題にすると、反応をいただけて、嬉しいです。

      ● ままこっちさま

      ご心配ありがとうございますー。人生、別れはつきものです。去る者追わず。新しい出会いに生きます。…といいつつ、免許証・保険証・各種クレジットカード再発行手続きに追われております…。<財布

      文藝春秋の記事は、大衆不安扇動が先に来ている感じで、うーん、と思いましたが。
      ささいな豊かさを豊かと感じられなくなっていくことが、貧しいということなのではないかなぁと。豊かと思うも貧しいと思うも自分たち次第であるし、貧しいと嘆くことが貧しさを作り出しているのではないかと思います。
      自分を豊かにする事は、周囲をも豊かにすることである、ということは、昔の人は知っていたのだと思います。武士道とは、豊かであるための心のツールだなぁ、と。

      ということで、今年こそ、花見の季節は満喫したいと思いますー。

      ● 葛生さま

      葛生さんのように最前線でお仕事されている方にお言葉いただけますと、心強いです。
      英語ができる=英語ででも仕事ができる、ということではないかなーと思います。

      仕事ができるのが前提といいますか。自分も派遣さんに来ていただくのに、英語で事務ができる方、ということでお願いすると、「何ができますか。どんな経験がありますか。それは英語ででも大丈夫ですか」という聞き方になってしまいます。文書作成管理とか、会計や監査対応とか、進捗や予算利益管理などをきちんとしていただける、というのが前提で、それは日本語ででも英語ででもOKですか、という感じで。

      直接業務に関わっていただける方になると、どんな分野の専門性があって、どんなソフトやプログラムがどこまで使えて、どんなプロジェクトや論文・報告書の執筆経歴があるか、ということが大事になります。
      ですので、英語自体とか、留学経験を武器にこられる方は、身構えてしまうところであります。映画を英語で見てます、と仰られても、すごいですねー、と思いますが、後のご縁はまず続きません…。

      結局、仕事で重宝される方は、気配りと責任感がある方で。自分の全く個人的な感覚ですが、つきつめていくと、心細やかで人の心を読んでくれるとか、真面目であるとか、この人日本人だなぁ〜という方だったりします。国際性が高い現場ほど、日本人的なものが必要とされている気がします。

      ● Q太郎さま

      国家の品格、というよりは、人間の品とは何か、という本だったように思います。自分も品ってなんだ?というのが定義できないでいたのですが、形にしてもらったなぁという気がしました。

      自分は坊ちゃんすら教科書でしか読んだことのない非文化人間です。何を聞かれても、「私がそれを知らない人間だということを教えてくれてありがとう。次貴方に会うまでに説明できるようになっておきます」で全て逃げています。

      「風姿花伝」は新書などで引用されているのを見る程度で、中身は読んだことありませんでした…「秘してこそ花」。500年前に、日本人の感覚を芸能として明文化した人がいたということは、誇っていいことであり、そういうことこそ説明できるようになっていたいなぁと思います。今までなんとなく流してしまっていましたが、Q太郎さんに言われて自分も原文で読んでみようと思いました。
      五木氏の「生きるヒント」は未見でした。ご紹介ありがとうございます。ぜひ手に取ってみようと思いますー。
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2006年03月04日

うぐぉ…。疲れた。眠い。
これから出張です。まだ会社です。明け方に報告書出し終わりました。印刷するヒマすらなかったから、とりあえずプリントアウトをホチキス止め、製本テープ、という、昨今に珍しい手作り感あふれるモノとなりました。なんだか同人誌を作っているみたいで、楽しかったです。眠い。

頭痛が、風邪によるものなのか、肩こりから来ているのか、睡眠不足が響いているのかよく分かりません。
今から電車で寝ます。飛行機で寝ます。わーい。やっと眠れる。

「よく体もちますねー」と、後輩君に言われた。「なんで体が壊れてくれないのか自分でも不思議だ」と返したら。「僕知ってますよ。貴方、既に、心が壊れているから」と返してくれました。
最近の若いモンは、ウィットに富んでいやがります。

クレジットカードをなくしたままで持っていないのが不安ですが、まぁ何とかなるでしょう。紛失がパスポートでなくて、よかった。

着いたら、次の日にワークショップで、プレゼンを3本抱え、かつ、会計から会場手配から参加者案内から、全ての事務が覆いかぶさってきます。全然準備していません。どうなるんだろう。うふふ。人生常に崖っぷち。


さて。帰宅している時間はない。成田直行…。また風呂も入らず、隣の席の人にごめんなさいな感じです。
もうヨロヨロ。こういうときに限って空は青い。

…愚にもつかんことよの。
せっかくいただいていたメイルをお返しする余裕がありませんでした。申し訳ございません。帰国したらゆっくり書かせていただきます…。

それではまたお会いしましょう。桜の季節をご満喫ください…。
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2006年03月01日

経済と生活と鉱工業

1月の鉱工業生産指数が、3か月連続で、1998年以降の最高値更新、とのニュース記事。
鉱工業、つまり資源と生産の指数は、一番国の底力を表す動向じゃないかと思います。株価やサービス業の指数は、実体がないので、なにかインパクトがあれば結構簡単に変動する上に、影響が大きい。けれども、資源と産業の伸びがあるというのは本物のモノの動きが活発化しているということですので、喜ばしいことです。

(あ、単に石油価格の上昇もあるのか。石油の供給難で、石油・ガス会社が一気に価格を上げて儲けた。Exxon Mobilとかは世界の民間企業で最高益、米企業の年間当期利益の最高記録の見通し、とか言っていたっけ…)

で、鉱工業というと、経産省の関連機関の文書ぐらいでしかお目にかかれない、余り耳慣れない言葉なんですが。そのまんま、工業と鉱業のことです。鉱業は金銀銅などの金属のほか、石油や石炭など地下資源一般を指します。

で、この「鉱工業」が、大鳥の明治の官僚としての仕事分野を一番代表している言葉かなーと思ったり。もちろん、大鳥は私人としては、中国やインドの地理歴史や文化人類学、農業や気象や翻訳や土木やと、あちこちの分野でいろんな足跡を残していますが。開拓使から工部省、元老院まで、公人として、つまり仕事で携わっていたのは、官営工場の経営・技術指導と、勧業博覧会による工芸品・器機の普及と、石炭・石油・資源材料の開発なので。金銀銅の金属類は余り関わってなかったみたいですが、ブリキ、セメントなどの資源材料生産の技術導入を手がけ、鉱山経営については意見書を岩倉さんに出したりしていた。

「明治前期の日本経済―資本主義への道」という学術書の中で、工部省・内務省の大鳥の職務が取り上げられていました。

内務省勧業寮の大鳥。その下の地理局に、石油開発とライマンの調整のために入っていたのかと思っていたら、それだけじゃなかった。勧業寮の官営工場を手広く手がけていたとのこと。当時、工部省と内務省の鉱工業の管轄は、結構曖昧だったのですが。繊維・食品・紙など軽工業以外の、萌芽期にあった重工業と鉱業を一括して大鳥が面倒みていた。それも工部省の製作寮と工学寮(のち工部大学校)の頭と兼任なので、省庁をまたいでの分野全体の監理とでもいえましょうか。

それで、省再編時、大鳥の工部・内務省兼務の解消時に、管轄工場を引っさげて工部省に戻ってきた。鉱業・重工業を一手に管轄したわけです。鉱山は最初は鉱山寮があってそこが直接の管轄したけれども。工作局の赤羽分局で試作した削岩機が、佐渡の金山で使われていたり、関連は深かった。それで模範事業を行って産業を育て、民間に事業を受け渡していった。鉱工業について、今言われているスモール・ガバメント化をすでに行っていて、民間企業に役割を譲り、実質的な国の生産力を育てていった。

この内容については、これこそ大鳥〜!という感じですので、またじっくりとご紹介させていただきたいのですけれども。

日本の底力は、その頃にこそ養われたのだと思うと、ほんとうに、ありがとうございます、と感じます。ソフト産業に光が当てられがちですが、やはり鉄鋼、自動車、電機などのメーカーがあってこその日本だと思います。

もちろんそれは、佐野、山尾や大島や井上勝、工部大学校卒の技術者たちの活躍、渋沢が民間企業を立ち上げ育てた功績、様々な分野との繋がりや相乗効果とあいまってのことで。大鳥は様々な功労者のうちの一人にすぎないのですが。その中で大鳥の果たした、民業と人材を育てたという功績は、直接今自分たち享受している日本のゆたかさに結びついているのだという実感を、そこここで受けます。

そういう実質的な多忙きわまるお仕事をしながら、休みの日やクリスマスには、ひなやゆき、きくたちとクララ宅にいったりして遊び踊り、相撲を見て、囲碁を嗜んで、詩を詠み、梅を見に行き、本を紐解き、学術誌に仕事とはなれた自分の見識を紹介する。情緒とゆとりと教養も忘れない生活を満喫して生きた足跡も、また、追えるのが、幸せです。


…てなかんじで、誕生日でしたのに、感謝の一言もいうゆとりもなかったので、このぐらい言わせてください…なんかしゃちほこばっててうまくない。こういうことをこそきちんと言いたいのに、いざ言おうとするとどうも恥ずかしいというか、何をオタクの分際で、いきがっているんだ、という感じで気が引ける。
まぁ、疲れてるので許してください。

次の出張の為に洗濯ぐらいはせねばならんと、終電で帰宅。コンビニに寄ったら、財布をなくしていた。駅から2分歩くだけで、どうやって紛失できるのだろう。コートのポケットに入れていたはずなんだけどなー。コンビニの床や棚はおろか、ゴミ箱開けてまで探したけれど、財布は見つからず。

お陰でなにも買えず、空腹。交番で紛失手続きをして、クレジットカードやキャッシュカードを止めて。ぐったりした。免許証も保険証もなくした。身分証明もできない。定期も無し。

挙句、会社から持って帰ってきた残業用PCは、雨に濡れたせいか、電源が入らない…。データもとり出せない。データまで紛失か…。

報告書の締め切りはあさって、次の出張が迫っているというのに、まだ計算が終わらない。

こういうときに限って、現金を家においていない。かろうじて持っているカードは会社近くの銀行ので、近くでは現金引き出し出来ないカード。金なし、身分なしになってしまった。どうするんだよ、明日。部屋中探してみたら、5000チャットやら1000バーツやら500ルピーやら1000トゥグリルやら、1000000トルコリラやら、使えないのばかり出てくる。かろうじて、150円のみ冷蔵庫の下から見つかりました。…隣駅にすら行けやしねぇ。

このまま財布をもとめて丑三つ時に駅前を彷徨い歩いていたら、間違いなく不審尋問を喰らう。そして金(円)もなければ身分証明もない。ポケットの中には妙な紙幣ばっかり。間違いなく不法入国者扱いで逮捕モノです。日本人として在ることすら許されません。嗚呼。

そんな感じで、人様のご生誕も、景気の向上も、悠長にお祝いできるような状態ではありません。経済とか世の中とか言う前に、まず自分の生活をどうにかせねばなりません。明日会社にどうやって行こうか。駄目駄目。人生、うまくいかないものです。

「骨が折れる」…って言っていいですか、とふと思いましたが。まだまだ甘いわぃと、じーちゃんに怒られる。ごめんなさい。人生をかけて精根尽き果てるまで仕事して、それなりに形になったものもあれば、塵屑となり果てたものもある。それらを全て噛み締めた上で、言いたい言葉です。

…洗濯終わった。寝よう。明日は明日の風が吹く。はず。
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2006年02月26日

トリノの求道者

えーと。何かと干からびそうになってますが、まだまだ元気です。
いやー、フィギュア、面白かったです。とか、たまには一般人めいたことを言ってみる。

夜明けまでの自宅残業が続いていて、余りに眠くなったのでテレビをつけてみたら。これが面白くて、つい連日して、見入ってしまいました。自分、スポーツに全く関心の向かない流行脱落者なのですが。昔、バレエをやっていたので、フィギュアには目が惹きつけられると離れません。
データ出さなきゃいけないのに、エグシビションも朝まで釘付けになってしまった。体力が持たないー。


荒川さん、アジア女性初のフィギュア金メダル。嬉しいです。国民の英雄がまた一人誕生しましたなぁ。日本がここまでやった、という日本の存在性が高まりました。ありがとうございます。

ちゃんと見たのは今回がずいぶんと久しぶりだったのですが、自分としては、村主さんの存在が大変印象的でした。

この世の艱難を一身に背負いつくしたような表情。なんであんな顔をするのか最初疑問でした。演技が始まってからも辛そうなので、この人、一体何が楽しくて滑っているのだろう、と不安になりました。
ところが、演技が佳境に入るうちに、だんだん恍惚とした表情に変わっていって、この方は、何か内側に、計り知れない精神世界を持っているではないかと思えました。

筋肉の目立たない細い体つきや、薄い顔など、もとから禁欲的な印象を与える方ですが。
ショートプログラムの、あの顔でこの曲か、というギャップのある選曲とステップとか、フリーの最後の高速スピンのアグレッシブな終わり方とか。何かと驚かされる方です。

4位になったときの「結果を受け止めるのが大変だった」というコメントも、自分の中の暗闇にある、一転の蝋燭の焔を見つめているような感じを受けました。自分に厳しい、とかいうレベルでは無い気がする、

氷上のアクトレスという異名があるそうですが。私は彼女を、氷上の求道者と呼んでみたいです。
年齢も他の選手に比べれば高めですが、今後も挑戦を続けられるとのこと。これからも己の存在性を高めていってほしいです。

フィギュアの他で面白かったのは、カーリング。カナダとノルウェーの女子3位決定戦で、ノルウェーのベテラン、41歳のナルビエ選手。眼がすごかった。シュートのとき「喝ァッ!」という気合が伝わってくるようでした。投げ終わったあとには、やわらかいおばちゃんになってしまうギャップが、またいい。


それにしても、スポーツ記事をいくつか当たりましたが。品性がないのがあるなぁ…

コーエンの転倒を取り上げて「四年間が台無し」などと身もフタも無い見出しを附けたり。安藤さんのアイドルとしての商品価値を云々していたり。

自分の価値を判断するのは、選手の方々自身であって、マスコミじゃないだろう、と思いますし。
ほめられるより、貶されるほうが、心への影響は大きい、というのは当たり前のことで、マスコミのあり方が、選手の方々の心身の状態に大きく響くでしょう。
であるのに、言葉に最も気をつけてもらいたい業種の人間が、言葉の影響をいちばん軽視している気がするなぁ。ああいう記事を見ると、メディア報道に不信感を感じてしまう。

暖衣飽食の輩が、一生懸命やっている人間を手前の勝手な価値感で云々して、しかもそれをメシの種にしている、という図式は、スポーツに限らずメディアではよく見られることで。自分の言葉が世間の意思を作るのだという誇りが感じられない。それはずいぶんと怖いことだし、恥ずかしいことなのじゃないかなぁと思います。

視聴者である我々も、単に情報をオモシロければ良し、とするのでは、足りない。メディアを冷静に評価する視点が求められているのではないかなー、と思います。

表現の自由には、その表現され公開された内容に対しての反応に責任を持つという義務が伴うものでしょう。

マスコミのあり方が多くの選手の方のプレッシャーやダメージに繋がっている、というのは周知の事実で。マスコミによりエンターテイメントを我々が受けている以上、情報の享受者が、マスコミが品性を維持できるように働きかけをする。情報を受ける我々一人一人の質を高めること。それが、選手の方々への本当の応援に繋がるのではないかなぁと思ったりします。

さて。トリノ、トリノ、と聞くたびに、「トリがなんだって?」と思ってしまう自分は、矢張り一般人には戻れません。
ラベル:村主章枝
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2006年02月17日

オタク文化論

前に向かって倒れたい。涙は後ろへ流したい。

「倒れる」と打とうとすると、「殪れる」とか「斃れる」とか出てくる職場PCは問題です。だって出張先で更新作業を行なうわけで。出張に、重いPCを2台も手荷物持っていく気はしないんですもの。

夜行便の徹夜明けで、1ヶ月の出張戻りで職場に現れたとき、迎えてくれた後輩君の最初の言葉は、「入潮さん、疲れてますね。メイド喫茶行きましょう。秋葉原!」でした。
「あたしそんなにオタクっぽいか?」と聞くと「全身のオーラが行きたいと云ってます」と返されました。隠しようがないらしい。
別に机にゲームイラスト飾ってあるわけじゃないのに。南柯紀行は棚にこっそりありますが。
…いいなぁ、行きたいなぁ。メイド喫茶。可愛い女の子を見て癒されたい。人間の尊厳というものを思い出してみたい、仕事奴隷な日常。昨日も徹夜でした。締め切りは済んでますがデータは穴だらけです。

そんな感じで、久しぶりに自分がオタクということを思い出しました。思い出したというか、本来は、根も幹も葉っぱもオタクです。オタクの消費動向とマーケット価値を明らかにした野村総研さんの調査。(http://www.nri.co.jp/news/2005/051006_1.html)これで、ここで5つに分類されたオタクタイプの内、4つに確実に当てはまるオタクです。

MSNなどが喜んでオタク記事を載せているせいか、今はオタクという言葉のイメージが大分変わってきましたな。昔は、協調性や社会性のない、閉じた趣味の不潔さのある人種、という感じで用いられていました。しかし今は、二次元文化に対して感受性が高く、時代のツールに敏感、操作力と適応性があり、創造意識が高く、コミュニケーションに秀でた一大消費者層、という感じです。

いや自分、本気で、オタク文化は、武士道に通じる日本古来の高尚な精神素養の表れだと思っています。

「萌え」とは、いとしきもの、うつくししきものを、ゆかしい、あはれと感じる豊かな情緒。
また、ちいさきもの、かわらしいものを愛らしいと思うのは、惻隠の情に基づいています。

「萌え」を表現する手段として、文章や絵画があります。それは、精緻表現を追求し、情感に訴える。茶道や華道などと同じ精神的土壌から涵養された「道」でありましょう。ジャパニメーションの質の高さと世界への流布度は、おしんやエヴァンゲリオンの例を挙げるまでもなく、その源流にあるオタク文化洗練度の高さを示すものだと思います。

また、オタクは一般人に対して、引け目を持っています。自分たちの知識や志向の深さが、一般には容易に到達しえず、理解されがたいことを知っているからです。そして、謙遜するのです。ゆえに、自らをいたずらに誇ったり、傲慢であったりはしません。謙虚で、謙譲の美徳を備えています。そして、同類、同好の士に対しては大変やさしく、許容性を持って受け入れます。時にその隠匿的な姿勢や仲間内に閉じる傾向が、内輪、秘密結社的なイメージを与えることもあるでしょう。けれどそれは、オタクの謙虚さとシャイな心のなせることで、決して侮蔑を受けるような性質ではないのです。

メイドもオタク情緒を表す典型のひとつです。
メイド文化は、自分が主人として奉仕される心地よさを味わいたい傲慢さから生じたものでは決してありません。
メイドという、挺身し奉仕するかよわき乙女。それを可憐に感じさせていただく心。弱き者、健気なものを大切に思う精神。やはりこれも惻隠の情の表れなのです。
メイドは、決して服従させるものなどではない。むしろオタクにとっては、崇め奉る対象なのです。

更にオタクは、自らの生産するものに対して経済的利益も効率も追求しません。心の安らかさを生む作品を、無償のままに供給し続けています。それによる利益や経済性などとは無縁です。むしろ自分の財産と労力をつぎ込んでいます。文化の対象への奉仕と献身と愛こそが、動力です。同人誌で儲けようなどと思っているオタクはいません。

多くのウェブサイトでは、オタクの調査・創作・創造精神により、価値ある情報と、エンターテイメント作品が提供されています。だれもそれにより儲けようなどと考えておりません。なのに、時に、世界を揺るがすほどの利便さえ供給されます。
検索システムもリナックスも、オタクの無償の奉仕精神ゆえの産物です。

世の中、所詮、金とモノが力。仕事に追い立てられ、効率と能力と生産性ばかり要求され、体力がそぎ落とされ精神が乾ききる。世知辛い競争が日常化しております。けれども、その中で、オタク性は、うつくしきものをいつくしみ、精神に潤いを与える。人間らしさを保つには必須な素養とさえいえるのです。
真の利益は、経済性とは別のものから、もたらされます。

明治は、士族となった武士たちが、自らの忠誠と勤勉を、それまでの藩や将軍ではなく、一丸となって、天朝国家へ尽くしました。彼らは、豊かな素養をもって、政治、産業、教育等あらゆる分野で民間をリードし、献身的に国づくりを行ないました。これが、日本的価値観を守りつつ自由民権運動を為しえ、同時に、人材育成を行なって科学技術の発展を可能にし、民力を底上げしました。それゆえに、日本は、アジアで唯一植民地化を免れ(緩衝材として残されていたタイを除く)、たった30年で300年の鎖国によるビハインドを快復し、驚異的成長を為しえたのです。

そして現代は、オタクたちが、武士に代わる存在です。オタクこそが、その無償の奉仕心と美意識をもって、日本人らしさを保ちながら、技術立国としての立場を存続させ、日本に持続的発展と幸福をもたらす中心的な役割を果たすでしょう。そう、自分は考えております。

…ちょっと褒めすぎ、やりすぎか。
いや、催眠です。

ほぅら〜、オタクってすごいのよー。

調子に乗りました。すみません。
で、せっかくそういう、時代がオタクを認めてくれる方向にあって、オタクメッカの日本国内にいるのに、オタクに興じている体力というか、情緒的余裕がない…。
文化どころか健康的な生活すら放棄してます。泊り込みが続いているし、家に帰ってもそのまま消耗し果ててバタンキュー。空港から送ったスーツケースを、未だに開いていない。中で汚れた洗濯物が醗酵していそうで、開くのが怖い。
一昔前の汚いオタクそのままなワタクシ。なのに楽しいオタク作業はまったくできないでいる。何か間違っている。
3月まではこの調子が続きそう。せっかく国内にいるのに図書館にもいけず、ご挨拶メイルすらかいていない。干からびそうだ。
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2006年02月10日

「けいすけじゃ」

えーと、「けいすけじゃ」コンテンツを復旧しました。
事情があって、取り下げておりました。「けいすけじゃ」掲載から、取り下げまでの経緯は以下の通りです。

1) 「上郡民報」に大鳥圭介の伝記漫画が掲載されていたことを、約2年前、ネット情報として知った。

2) 「上郡民報」を発行している自分が「山本新聞社」様にご質問したところ、、バックナンバーがあるとのことなので、直接お訪ねしコピーさせていただいた。また、山本新聞社様が所蔵されていない号については、上郡公民館図書室を再訪し、コピーを入手した。

3)「けいすけじゃ」については「出版してほしい」「まとめて配布販売する予定はないか」という声が高かった。その声を山本新聞社様にお伝えした。

4) 山本新聞社では、出版は難しいとのことであった。そこで、山本新聞社様に、電子化してインターネットに乗せていただくことがを可能かどうか、ご検討いただけないか、打診した。

5) 山本新聞社様から、「容量や技術的な問題がある。しかし、自分が電子化を行ない、ウェブページに掲載しても良い。著作権上の問題は無い」とのご回答をいただいた。

6) 以上から「けいすけじゃ」の掲載をさせていただいた。この際、著作権上の問題は無い、ということを、自分が「著作者の了解を得ているものである」と思い違いをしてしまっていた。(2004年2月8日)

7) 昨年末12月20日頃、同様にウェブページに「けいすけじゃ」を掲載しておられる「おらが村」さまより、著作者の半沢祐人様が掲載についてご存知なかった、という旨をご教示いただいた。同時に、半沢様より誤字脱字箇所についてのご指摘があった点を、ご教示いただいた。顔面蒼白。大慌てで「けいすけじゃ」を取り下げた。

8) 半沢様に連絡を取り、上記の経緯をご説明し、お詫び申し上げた。誤字脱字箇所を修正した上でならば掲載は問題はない、早期に復活させてほしい、という旨をお知らせいただいた。


以上より、著作者でいらっしゃる半沢様のご了承をいただかない内に、半沢さまの著作物を掲載していたという、著作権上問題である過失となってしまっておりました。
所定の必要となる手続きを踏まなかった上、礼儀もわきまえていなかった所業で、お詫びのしようもございません。申し訳ございませんでした。軽率な行為で、お恥ずかしい限りです。

また、上記の経緯をご了承の上、掲載をご快諾くださり、半沢さまにはお礼の申しようもありません。
今後このようなことのないよう、法遵守は意識して、手続きを怠らずに運営させていただきたいと思います。

半沢様にご指摘いただいた修正点は、送り仮名や「言われる」→「思われる」としたところ、「!」を追加、などで、話の大枠に変更はありません。

改めて読んでみると、いろんな発見や細かい芸に気がついて、大変楽しかったです。

アンモニアネタは諭吉自伝だったとか。
ちゃんと回想にいながら成長しているお勝と鉄次郎とか。
足が速い圭介とか。
薩摩藩邸でここぞとばかりにひたすら飲み食いしている圭介とか。
圭介が集めた歩兵で「で、大将、あっしらに何をさせようってんですかい?」の不敵な面構えのにーちゃんが、降伏直前までいて最後に開き直っていたとか。
長身で、ずいぶんほがらかだった本多さんとか。
「戦闘は一段落月つきもうした」「そうか、こっちは今が戦さの真最中だ!用なら早く言ってくれ」の稜雲先生が非常に格好いい、とか。
なにげに木戸さんの後ろにいた岩倉具視がそっくりだったとか。
山崎さんを最後に持ってくるところがニクすぎる、とか。

そういったのを置いておいても、非常にしっかりと調べて、土台を形作って描いておられるなぁという感じで、改めてしみじみとした嬉しさが沸き起こってきました。一つ一つのエピソードも詳細で、人間味に溢れており、誇張もなく真正面から、大鳥圭介という人間の等身大の魅力を描き出した、愛情に溢れた作品だと思います。著者の半沢様、考証を担当された西山昌夫先生(「大鳥圭介とその時代」の著者)の、長年積み上げたお仕事の賜物と思います。

製作の当初は冊子に収まる程度のものであった予定とのことでしたが、大鳥圭介の人生に触れるにつれ、それでは収まらなくなり、5年の長きにわたった連載となったという逸話も、「上郡民報」にご紹介されておりました。

そういう感じで、自分如きのサイトにこの作品を掲載させていただくのも、恐れ多さ極まりのないことで、躊躇いまだ大きいです。
ただ、メディアでは誤解され歪められがちな大鳥の、真実に近づいた像を広めるのに、漫画という媒体は、非常に有効で、自分如きがテキストで長文垂れ流すより、よほど力のあることですので、恥を忍んで、再掲とさせていただいた次第です。

半沢様、山本新聞社様には、改めて、御礼申し上げます。

掲載に当たっては、画像処理を行なって、前回見難かったドットの飛びなどを除去しましたので、見やすくなっていると思います。ただ、最初のコピーの関係で、ゆがみやページの切れなどがあるのは、ご容赦ください。いずれ、上郡を再訪させていただいた際、切れているページは再度コピーをさせていただいて、掲載しなおそうと思っています。

PDFから吐き出して、フォトショップでチョコチョコ修正、解像度を変えては容量を調節する。…その日16時間かけて結局パァになった仕事のデータ整理より、ずっと有意義な作業でした。
ラベル:大鳥圭介
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2006年01月07日

ウェブでの著作権

あけましておめでとうございます。

コンテンツ追加したら、えらく時間がかかってしまって、ご挨拶もできんかった。
史料打ち込みは時間がかかるものですが。なんであんなに長くなるかな。正月から徹夜を繰り返すとは。
ウェブは字数制限しなくていいから、ついつい、書き込んでしまうんだよなぁ…

えっと、年末は、東京にいらしたしのさんにお会いし、鐘ヶ江さん、初対面のQ太郎さんと、濃密な時間を過ごさせていただきました。しのさん相変らず笑みがミステリアスで、マニアックだった。鐘ヶ江さん、やっぱり天使でした。ほっぺた触りたかったので、抱きつきました。Q太郎さん、知的で深みのあるお姉さまでした。コアな歴史ファンの方でした。自分が圭介しか喋れないのが恥ずかしかった。
仕事でダラダラPC直していたので、ほんの短時間しかお会いできませんでしたが。やっぱり人っていいなぁと思いました。ありがとうございました…。

そして、大晦日に、同じく、皇居探索されるというあろあさんに便乗させていただきました。新選組のみならず工部大学校、建築、城、徳川方面などにも深く広く触手を伸ばしておられて、その教養にうっとりでございました。大河から入って圭介ファンになられたという稀有な方。あろあさんの存在そのものに、毎回、勇気付けられます。

そんな感じで、年を越して。抱負がましきことも垂れておきたいと思いつつ。

ちょっと前に入口ページの但し書きを変えたのですが。
前頁リンクフリーはともかく、コピーペーストまでフリーを明言しているページは、なかなかないだろう。

もともと、ウェブで著作権を主張する意味がよくわからなかったのですよな。

著作権というのは、著作者の利益を保護するためのもので。
出版物や音楽など、それなりに手間や資金をかけ、世に公表し、作成者がそれにより得られる利益を守ろう、という考えから生まれたものです。あとは、著作者の名誉を守るため。こちらは著作人格権という名前がついています。

で、著作権(財産権、つまり複製や譲渡などの権利のほう)は、利益を保護するための法律だから、非営利の場合は、効力がないと考えるほうが妥当なんですな。あと、公表が前提だから、私物化している場合も、無効。
私物のばあい、それを見た人に「複製しないで」と、頼むのは個人の勝手ですが、著作財産権では保護されません。

ウェブの場合、そもそも、特別に設定しない限り、そのページを開いた瞬間に、ページ全部、自動的に、自分のPCのキャッシュという領域にコピーされます。オフラインでも一度開いたページを見れる、というのはそれがあるからで。
このキャッシュについては、著作権法上でも議論があり、各国により扱いが異なるようですが。HTMLの中身そのものも、ソースも、一瞬で自分のPCに保存複製できますし、中身もCtrl+C、Ctrl+Vか右クリックで、瞬間にコピー・ペーストが出来る。

複製権というのは、複製にそれなりに労力と資金がかかり、それを投資として、それでも利益が見込める場合に、元の作成者の権利を保護しなければならないときに用いられるもので。現実的には、ウェブで複製を禁止するなんてことは、ナンセンスなので、複製権を主張することに、紙の出版物ほどに意味はどこまであるのか。

右クリック禁止などされているサイトもたまにありますが、クリック禁止JAVAをご存じで、何でツールバーとかプリントスクリーンとかをご存じないのだろうか、と思います。

現実的に出来るから、禁止する事はナンセンスだ、といっているのではないです。人殺しや窃盗など、できるけれどもやってはいけない、倫理上いけない、ということは山ほどある。
ただ、それは外の人が迷惑するからであって。困る人がいるから、倫理的な問題になるし、法で厳重に規制される。

多くの人はコピーペーストはやめてくれと思うだろうから、それも倫理的によくないことだし、著作権という法で守られること。ただ、自分は別に迷惑でないので、いくらでもコピーペーストしてくれと思います。むしろこんな辺境サイトで何を呟いても一般への流布性は皆無なので、一般に接点のある方が自分ごときの言葉を複製してくださるのなら、いくらでもお願いします、と思います。

もちろん、まねされるのが嫌だ、という方の気持ちも分かりますので、その方々の、無断複製禁止、という主張もよくわかります。それで、自分のところは別に禁止でもなんでもないです、ということが言いたかっただけです。

ただ、言葉や表現を使おうと思い、自分の記述物に取り入れた時点で、その人の言葉になりますから、そこからいかなる問題が派生しても、その人の責任において処理してください、ということで。自分が流した文章や解釈が間違っていて、それを知らずコピーして使って、外の人から文句が来ても、私知りません、ってことで、許してください。引用元をはっきり書いていただいたら、こちらにも責任あることになりますけれども。

人間だれも、大部分の自分の言葉ってのは、誰かから貰ったものなんですよね。ただ自分で組み立てなおしているだけであって。だから、自分で組んだ元は人様からいただいた言葉が、他人様のお役に立つのでしたら、還元したい、という感じです。

自分の頭も古くて、人さまの認識とかなり違っているとは思うのですが。

基本的に、ウェブはインフラ(社会資本)、つまり、社会の共有物です。図書館みたいなもの。
で、ウェブページは、パスワードで保護されていない限り、一般に公表されているものです。図書館にある本と同じ。
検索避けをしているのは、単に、目録を作っていないだけのこと。図書館の棚には並べられていて、誰もが手に取れる状態であることに変わりはありません。
サーチエンジンやウェブリングの登録などは、利用者が手に取りやすいように、そういうジャンルに並べてある、ということかと。

なので、ウェブサーバに上げてある限りは、誰が見ても文句を言う筋合いはないですし、その内容についての苦情や批判が来ても、受け止めるべき事です。公表物とはそういうものです。

サイトを、自分の家とか城とかと表現し、私的な空間とするのは、こういったウェブの観念からいくと、ちょっとそれは違和感があったります。自分が作ったものですが、サーバにアップした時点で、自分の手からは離れ、誰が触れても良いという状態になっています。改変されないだけ。どう称するのもその方の勝手ですが、私物ではないのです。

で、表紙に「18禁です」とか、「こういう特殊嗜好のものです」、とか明記するのは、良いことだと思います。本を開くかどうかの判断を読者に与えることなので。ただ、抑止力にはなりますが、強制力にはならない。どんな人にでも中身を見られる可能性がある、というのは、ウェブを公開する以上、覚悟しておかないといけないことです。二次創作サイトの場合、原作者が、歴史ジャンルサイトの場合、それこそ、子孫や係累の方も、ご覧になる可能性がある。トップページの注意書きは、その可能性を下げるためのもので、ゼロにはならないし、Webに上げている時点で言い訳にもならない。

一般に見られたくないなら、鍵を掛けて、知っている人にだけ鍵を渡しておく(パスワード制にする)か、イントラネットなどにして囲い込む必要がある。鍵をかけるなら、公表したことになりません。(この場合は私的な物であるので、著作財産権は働きません)
URLのクイズ制も、一般に見られたくない場合は有効でしょうけれども、入りにくくするだけで、中身のページの公共性は変わらないです。つまり、公開している状態であることに変わりはない。

…いやその、原作者や子孫の方に見られて悪いページは作るな、と言っているのではなくて、見られるという可能性はどうあっても発生するものだから、そういう心構えで謙虚さを忘れずに、怖がりながら楽しみましょう、ってことで。私も日々かなり怖いです。はい。

ついでにリンクについて。リンクはトップページに張らねばならない、というものでもないです。別に読者は、1頁目から読まねばならない義理はない。どのページから読んでも、それは読者の自由。ならば引用先は、読者が読んで一番便利なところに張らせていただくのが、親切、というものです。注意書きを読むのも読まないのも、読者の自由。

リンクフリーでない、というのは、ウェブの性質からいえば、ありえません。
自分で勝手に周囲にお願いするのはありですが。それは単なる我儘で、法的にそれが保証される根拠はないです。

営利に関わらないところでは、著作人格権の同一性保持権(勝手に改変されない)とか、なりすましの禁止とかありますが、それは著作者の名誉保持のためのものであって。個人サイトの場合、ウェブで自分の名誉を確立しよう、と思っておられる方も少ないのではないでしょうか。ある程度プライドを持って書いているから掲示板などでの議論も白熱するものなのですが。

食い扶持とはなれて、やりたいことをやっているだけで。自分はただ、やりたい事やっている上に、自己満足だけじゃなくて、それを見た人に楽しいと思っていただけるとラッキーだな、とそんな感じです。

そして、他人のを勝手に変えてはいけないとか、他人の名前を自分のものとして発表しちゃいけないとか、そういうのはわざわざ口に言うまでもないモラルの問題であって、ウェブではわざわざ権利の名前で主張するようなことだろうか、と。モラルを超えたことが起こるのは、大抵利害が絡む時ですが、ウェブページで利益を求めている人も、法人や組織や商業サイトでない限りは、まずないでしょう。

そういうわけで、こと趣味のサイトなら、"All rights reserved"とか(c)マークとかに、あまり意味は感じられないのですな。
というか、そんなのを一行一文字追加しただけで、権利ってのは守れるようなものでもないと思いますし。組織・法人などは別ですが。守られようと思ったら、裁判やらなにやら、面倒な手続きが必要になる。モラルに訴えかけるのが一番簡単。わざわざ権利なんて大そうなものを持ち出すまでもない。

で、公共性の話に戻りますが。
掲示板や日記、ブログなども同じことで。単にポストが簡単であるだけで、性質はウェブとなんら変わりません。
自分の勝手な日記ということで、私的なことも色々書いている方がおられますが、一般の目に曝されるという事実は変わりないです。多くのブログは検索に引っかかりますし。

なので、圭介について、新選組研究家の勝手な評や抜き出しを、さも史実のように論って圭介を嘲笑しておられましたら、心の狭い圭介ファンが憤然と苦情を書き込みにいっても、しょうがないわけです(笑)

閑話休題。そういうわけで、著作権。そういう面倒くさいモノなら、とっとと放棄したほうがいいや、と。
わざわざ口にするほどのことでもないのですけれども。別に自分の文章を、自分以外が使うな、などという気はさらさらないですし。ましてや圭介使って商売する気もありえないですし。
むしろ、圭介について、自分ごときの言葉をコピーしていただけて、広めていただけるなら、そんなあり難いことはない。

そういうわけで、このサイトは、どのページにリンクしていただいても、どのフレーズをコピーしていただいても、それはもう、喜んでどうぞ、というか。こんなので宜しければ、伏してお願いし奉ります、ってもんです。

創作物も別にかまわんです。というか、あんなものをご自身の言葉にしてくださる方もいらっしゃらないとは思いますが。
創作といいつつ、あれも資料から得られた認識を繋ぎ合わせして妄想のふりかけしているだけですし。ただ、作り上げた部分は作り上げにすぎないんで、そのあたりの判断はお願いします、ってことで。創作は創作にすぎません。そんなに酷い嘘はついてないつもりですが。なかには、いけしゃあしゃあとやってる場合もありますので。はい。

資料の引用コピーペースト部分については、自分の行っているのは著作権でいう「引用」の範囲内であるよう心掛けている積もりなので、大丈夫だとは思いますが。繋ぎ合わせてそれだけ、というとまずいかもしれない。
ただ、これも、分別の問題ですよね。
抜き出しの場合は、楽したければどうぞ、という感じで。ただ、自分が史料から抜き出しをする時は、自分が後から読みやすいように、句読点や送り仮名をつけたり、漢字はなるべくそのまま使っていますが略字があるときはそちらを使ったりしていますから、自分が打った文は分かります。で、その部分のコピーペーストしてアップしておられるのを見つけたら、「あ、楽しやがったな、こいつ」と私が思うだけです(笑)…いやいや、便利にしていただけるならありがたいです。

以上は、自分がサイトを広げている上での方針であって、誰に示唆するものでもないです。
お気を悪くされましたら、申し訳ございません。
また、これらはこのサイトでのみ通用する事で、この人がこんなこと言ってたよ、と牽強付会しながら他人の作品の成りすましやコピーペースト、ってのも、ご勘弁ください。まずないと思いますが…。

そういうわけで、 長々とまたやってしまいましたが。
今まで、コンテンツのほうは殆どほったらかしで、日記ベースで、とりあえず、資料みつけたら速報、というノリで、大して言葉も選ばず、クロスチェックもせず、勢いのままに垂れ流していた。いつのまにか、自己満足に終始していました。同時に、自分が一般に向けて流すものに対する公共性や、責任というものを、軽視していました。

今年はもうすこし、一般の方の目に触れて堪えられる形に、公共性という点を考えて、サイトを整理していきたいなぁと思っています。

同好の方、御友達だと、なんだかんだと許してくださいますが、一般の方の目というのは、怖いんですよね。
ちゃんと言葉を選んで、それにより不快さを被らせることなく、事実を確認して、わかりやすく、論点をはっきりさせて、呈さないといけない。

それで、年明けて最初の更新が、まず一般の方を考えていない、クソ長いものになってしまっていますので、もう抱負もなにもあったものではないですが。

だからこそ、あれを読んで編集して、一般の方に見ていただけるような作業を行ってくださるのなら、もう、崇め奉るってもんです。
色々ごたくを並べましたが、蓋を開けてみると、結局他力本願の現れでございました。はい。

…新年から嫌われそうなこと2連発。嗚呼。
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2005年12月20日

断食希望

報告書提出終了。
また厳しかった。徹夜が何回あったか、数える気にもならん。また老けた。皺が増えた。この年になると直ぐに体に現れる。体温調節も相変らずおかしいし。抜け毛も酷い。髪の毛の量がだいぶ減った。すいた髪型が流行していてよかった。

原因は分かりきっていて、徹夜と人間関係。1日3時間でも寝られると、まだ体調を保てるのだけれども。寝ないと疲労が精神にも来る。人の非効率さや及ばなさが許せなくなるし、許せない自分の至らなさがイヤになる。

「はたらきマン」で「何でこんなにちぎれるまで働いているんだろう…」みたいなシーンのがあったけれども、それが毎日続いている感じだ…。立ち読みでごめんなさい。

てことで、断食修行を行おうか思案中。
もはや息抜きでは到底間に合わない。毒抜きしたい。
いろんな毒を溜めてます。まぁ、生きてたらしょうがないんですけど。
生きることは汚染されることだ。汚れるというのは強くなるためには必要なことだけれども、行き過ぎて毒になると心身が痛む。そろそろ解毒したい。

それで、断食ですが、最近いろんなのが流行っていて、1泊2日で出来るプチ断食、というのがあるそうな。
体質改善とかは、相当な気概と苦労と時間と持続がなければできんとは思うけれども。
1日断食とかでもそれなりに効果はでるらしい。空腹で血糖値足りなくて頭を朦朧とさせながら、脂肪やら腸壁から、溜め込んだ老廃物をそぎ落とす。

いいなぁ、断食。なんかとってもいい響きだ。こう、自分を虐めて高次の存在に持っていくという作用が好きだ。イスラムの断食は、昼間はそれを理由にだらけて効率悪いし、夜はひたすらくっちゃべりながら食っているから、むしろ仕事の邪魔になる堕落的なイメージがあるのだけれども。仏教的な断食苦行はいいなぁと思う、マゾヒスティックなアタシ。

家庭でも出来る断食。
http://plaza.rakuten.co.jp/ysato/diary/

でも、温泉のある断食宿での断食がいいよなぁ。疲れている同類が一杯いそうだ。
ていうかここのサイトマスター氏、人生ものすごく楽しんでそうだ…。
人を癒すことが仕事なんて、そんな良い職業あるだろうか。
人を痛めることが、一番自分が痛むもんなぁ…

問題は2日、仕事の空きがとれるかどうかだ。今年、北海道で遊んでいたのを除くと、仕事しなかった日は、5日あるかないか。週休二日とか、9時-18時勤務とか、贅沢は言わないから、せめて、電車の中では仕事じゃなくて本を読んで、日が変わる頃には帰宅できて、自宅残業はなしで風呂入って洗濯して、ネット回ってメイル書いて掲示板ポストして、3時ごろには就寝できる、多少人間らしい生活をしたいところ…。

まぁ自分に仕事を集めるのが悪いわけで。できんものはできん、と開き直って、疲れないように自分のコンディションを保つのも仕事の内。
結局自分の自律心が足りんというだけなわけです。自分のコントロールが出来なくてイヤになるというのは、仕事に対して失礼だ。

とりあえず出すもの出したから、健やかになります。
そして、更に溜め込んでいるものを出すのだー。

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2005年12月16日

12月

うー、肩がこり過ぎて頭が痛い。
明日はバリウム飲むってのに。その後で報告書提出と説明。
なんか、バリウム飲んだら下剤も一緒に飲まされるらしい。その下剤がまた強力で、トイレからしばらく離れられなくなるらしい。
…客先で、ハラぐるぐるさせながら、徹夜明けで説明か…。ツライな。あー。

相変らずこんな奴ですみません。しばらく帰宅してません。家に帰ってもそのまま残業徹夜とかやってますので、まったく体力が回復しません。むしろ忘年会シーズンで終電混みまくりで、よけいに疲れる。酔っ払いがな。隣から芳しいニオイが漂ってきたり。最高。
てか、帰国してから洗濯していない。もう下着が切れた。手前も泥酔野郎のことは言えない汚い存在だ。あー。

1週間ちょっとで200ページある英文報告書をまとめるスケジュールなぞ誰が組んだんだよ。自分の配分50ページぐらい。自分の原稿を書くのはそんなに苦にならないのですが。責任者という名の奴隷なので、他人の文章も全て校正して報告書内で整合性を取って手直しせねばならない。これが苦痛だ…。

手前の仕事だけしていればいいってのは、楽でいいよな。自分の過失、能力不足ならいくらでも痛めつけてくれてかまわない、むしろ本望だけれども。他人の仕事にケチを付けなければならないというのが何より苦痛だ。それなので何人もの仕事を取りまとめて統合して形付けねばならんというのは、いつもながら大変疲れる。世の人間が出世して管理職になりたがる理由がまったく分からない。

街中はクリスマスソング。デコレーションはジングルベル。
アタイは仏教徒だ。葬式のときと12月だけ。
去年は孤独を分かち合いながら一緒にK-1の筋肉を見てくれたマイベストフレンドも、今年はできちゃった結婚で幸せの只中。あー。

働く女性がカッコいいなど誰の幻想だ。ステイタスを持って誇れるほどに余力があるのは、緒方貞子氏ら一部の職場環境に恵まれたスーパーウーマンだけだ。大部分は都合よく使われ、若さばかりが失われていき、病み衰え、そのうち切り捨てられ、手元にはなにも残らない。なまじプライドが高かったりするからその未来にもなかなか気づかない。これほど見苦しい存在は無い。

明日までにあと10ページ書いて50ページ校正……
手前の健康気にしてバリウム飲んでいる場合じゃない。成果、成果を…。あー。

そんな感じでやさぐれピーク中。机に貼り付けた出家欲ゲージはいい具合に上昇中。
週があけたら少しは楽になるはずですので、メイルなど、も、もう少々お時間ください…


てか、世間様に物申したいことが増えてきた。いや単に圭介関連ですが。それを行なえる状況でないというのが、いちばん精神衛生上悪い。…そのうち友達総喪失覚悟でヤリます。フハハ。


    [2] ままこっち URL 2005/12/19(Mon)-00:59 (No.126)
    入潮さんはじめまして。はじめて書き込みます。
    いつも拝見しています。お仕事大変なのに、ケースケこと大鳥圭介への傾倒ぶりと、史実記事のUP、感服しています。
    私はまだ鳥歴半年程度と入門レベルですが、入潮さんの記事を参考にいろいろな本を読んだり探したりしています。大変助かります。
    私もハードワークな会社で働いていますが、さすがに徹夜はないです・・・代休取れず2週間連続出勤、等はたまにありますが。あまり無理されず、体調には気をつけてください。ホントに消耗する一方ですから・・・

      [3] 入潮 2005/12/20(Tue)-01:44 (No.127)
      はじめまして。タカエフ様より拝見させていただいておりました。このような辺境荒野へのお越し、ありがとうございます。いつかご挨拶させていただきたいと思っておりましたところに、そ、そしてこのようなポストへのレス、かたじけないです。
      土方ファンの方に大鳥を正面から見ていただけるのが何よりも嬉しいことですので、ままこっちさんの存在を大変心強く頼もしく、僭越ながら感じさせていただいております。自分のようなものがはしっこでブツクサ呟いていても大した効果はないですが、ままこっちさんのように影響力のある方に取り上げていただけると話は違うと、画面に拍手喝采しておりました。
      ケースケというと、なんだかアイドルとかマスコットのようですね。照れる…(何故)
      そしてお優しいお言葉、染み入ります…。ままこっちさんのプロフィールを拝見するだに、責任の大きい大変なお仕事をされながら、ご家庭と両立されていらっしゃるようで。自分ひとりの面倒も見かねているのが恥ずかしくなります。その上でお好きなことに精をだされていらっしゃるままこっちさんを拝見すると、このままではいかんとエネルギーをいただきます。ありがとうございましたー(敬礼)!
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2005年11月02日

「なか見!」検索

すげぇやAmazon。やってくれた…!
Search Inside日本語版。つまり、本の中身全文検索、しかもページが捲れる。(ページの中身を見るためにはアカウントを作成していることが必要)

「なか見!検索」 というネーミングセンスは、いいとして。

これは、しばらくはネット本業界、Amazonの一人勝ちになるのじゃないだろうか。
(まぁ、Amazonで中身を確認してから他のサイトで、という手もあるだろうけれども、そういう二度手間を踏むのは少数派だろう)

この手のシステムを、アルファベットではなく、日本語で実現させたというのが、驚愕です。
日本語というのは、パッと見て語の意味を掴むのには非常に秀でている言語ですが、デジタルとして認識させてテキストに置き換えるには、複雑だしパターン数もすさまじいし、大変なことなのですよな。OCRの確度も、日本語だとかなり低くなる。
確かに、検索の誤認識も多いようですが、それでも実用レベルになっているのが、すごい。
大鳥が大島になっていても、偉い。

なお、勿論全ての本が対象ではなく、
「本プログラムは出版者様と当サイトの間の契約に基づいて実施される販売促進プログラム」ということで、Amazonと契約した出版社のみということのようです。
総スキャン・デジタル化の作業もさることながら、この契約事務作業だけでも相当な手間・コストがかかっているんだろうな。それでも販売促進による利益が大きいということなのでしょう。

そういうわけで、早速いつものキーワード。こういうときに、いの一番に入れる検索ワードで、その時のその本人の一番の興味対象が明らかになるわけなのですが。…2年間も同じまま、ってのも恥ずかしい奴だな。

今のところはメジャー出版系なので、引っかかるのは、新撰組か適塾関連ばかりでしたが。
中には。

「お徒歩―ニッポン再発見」という本。
「『退く勇気もあるんだから、大鳥の像を建てれば、という話もあったんです』
と日光文化教会の中川光喜会長は言う」

よっしゃァ、よく言ってくれた!というのも。…日光に大鳥の像。実現したら気恥ずかしい。ていうか、板垣と仲良くだなんて、かなり笑える。
他にも色々ありましたが。しつこくなるので、1つだけにしときます。はは。

そんなわけで、書籍全文検索。あるものをくまなく、というようには行かなくて、街の本屋の立ち読みがネット上で実現された、という感覚でしょうか。
それでも、日本語の書籍全文検索の実現というのは、一つの時代のブレークスルーに立ち会ったのだなぁ、と感じました。大げさですな。すみません。でもうれしい。

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2005年10月31日

迷惑いきます。

うぐぁ。疲れた。
こめかみの白髪が一気に増えてしまった。この歳で、海原雄山になってしまうのか。
(こめかみだけです。あんなに貫禄ないし豪快でもないです。家族は同じぐらい不幸にさせる自信あるけど)
つい最近まで普通に10代で通用していたのに。老けが来ると早いな…

昨日からずっと、タンクトップで会社にいました。なんか、熱かった。逆に、体温が下がったまま上がらないこともある。徹夜が続くと、体温調節機能がヘンになるようだ。先輩に自律神経がおかしいんじゃないかといわれた。多分、そうなんだろう。

泊まりで2,3時間の仮眠→徹夜→泊まり仮眠→自宅戻り電気をつける間もなく撃沈6時間睡眠→朝着替えだけ持ってズルズル出社→泊まり仮眠→徹夜→……というクールを4回ぐらい繰り返しました。うち1回は自宅睡眠時間を12時間ほど間違えましたが。

ナポレオンは多忙すぎて1日に3時間しか睡眠時間が無かったといいます。
1日に毎日3時間も寝ることができりゃぁ、十分余裕だ。忙しいとか、偉そうにのたまっているんじゃねぇ。…と思いました。

なんか、海原雄山にたとえたり、ナポレオンに勝ったとか言い出したり、ちょっと大きく出てますよ自分。

このところ、命が削れて行く音を聴いています。
もうちょっと、楽に生きることを望んでも、バチは当たらんよな…

そんな風に疲れていたら、大学の同期の友人から久しぶりにメイルが入ってました。引越し通知でした。
学生時代の6年間付き合っていたと(私が勝手に)思っていた奴です。最後の2年は遠距離でした。
そのまま、できちゃった結婚の事後通知を、私が修論で死に掛けていたクリスマスの直前に呉れやがった、ナイスガイです。

現在、二児の父。巨大IT企業を退社しソフトの開発者。
軽●沢に、薪ストーブ付の400坪一戸建て新築住宅を購入したんだそうな。

……どうか永劫に幸せに生きてくれ。私の分まで。

そんなふうに健気に祈るアタイ。今年のクリスマスは、中島みゆきの「十二月」を聴きながら哂っていると思います。
(「十二月」:12月を、自殺する若い女が急に増え、大都会の薬屋で睡眠薬が売り切れ、男が正気に返り、何万人の女たちが、あたしは違うと思いながら、何万人の女たちと同じと気づく月、と定義した素敵なクリスマスソング)

どんなに体力振り絞って過酷な仕事を果たそうが、会社に儲けをもたらして立派な成果を残そうが。
所詮、使い捨て人生。
家族と一緒に時を過ごし、次世代を残し育む人間には、なに一つとして敵うものは、自分には残らないんだよ…。

…あ、涙が出そうになってきた。だっておんなのこだもん。

そんな感じで、返信もメイルも滞りっぱなしで、大変申し訳ございません。いつも謝りっぱなしで…。

明日を乗り切れば、少しは人がましい生活ができると思うので、それから鋭意掛からせていただきます…。

書きたいネタは腐るほどあるというか、腐って発酵して腐臭を放っているので、資料の散らかっているアパートに帰ると、何かしら書くと思います。が、いかんせん、ネタはあっても体力がない。雑記が前の日と同じままなのは、徹夜しているかヘタばっているかどちらかです。
自分から働きかけをしないとすぐに見捨てられてしまう世の中。なるべく定期的にネタ出しはしようと思ってはいます。

ただ、2ヶ月以上音沙汰無しのままサイト放置していたら、そのときは居なくなっていると思います。あー、こいつ出家しやがったな、と思し召しください。今のところその確率は2割もないですが、1割よりは高い感じです。


……て感じで、アタシこんなに疲れているのー、てゆーかイタイ奴なのー、というのを吐き出したら、だいぶスッキリしました。読まされるほうは、タマッたモンじゃないですね。
いやぁ、鬱々は人に伝染させるに限ります。大迷惑。

…仕事しようか、自分。

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2005年10月27日

気球

本日の上司との会話。

「あのー、建設段階で、車両が進入できない山間部の人力輸送箇所での、効率的な工事方法を提案しないといけないんですけど」

「そんなのないよ。人力は非効率というのが前提」

「一応指示書に出てるから何か書かないとならないんですが。
トランスの容量を小さくして重量を制限する、ぐらいじゃダメですかね」

「それは抜本的な答えになってないねぇ」

「抜本的でなくてもいいから、お客さんが納得してくれる方法ないですか」

「じゃあ、気球を使うといい。コントロールは難しいけど、大体の輸送が出来ればいいから」

「……(激しく狼狽しながら)過去に実施例はあるのでしょうか」

「無いよ。だから提案しづらい。でも、やったらうまくいくと思うんだけれどなー(きらきら)」

「……」

……上司に圭介の影を見た瞬間でした。

レポートに入れるべきかどうか激しく悩んでいます。

……今日も徹夜ですが、ちょっとだけ幸せです…。


    [2] 入潮 2005/10/28(Fri)-05:26 (No.103)
    ウフ、フフフ…
    入れちゃった。気球、入れちゃった…
    圭介、貴方のアイデアが、今現代に蘇る……
    (だから違うってば)
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2005年10月18日

光源

圭介は発光ダイオード(LED)だと思います。

LEDは、順方向に電圧を加えた際に発光する半導体素子のこと。

効率がよく発熱が少ない。消費電力が少ない節約型。寿命は半永久的というぐらいに長い。豆粒のように小さい。落としても壊れず丈夫。紫外領域から赤外まで、応用領域も大変広い。本来は指向性が高い一転集中型、でもトーチなどにはレンズで拡散されて使われてしまう。さらに、電子機器、スクリーン、ディスプレイ、液晶の光源、信号など、どこにでもありふれて重用されているのに、どこに使われているのか一般に知られていない。

……見れば見るほど、恐ろしいほど、圭介じゃないか。
そういうわけで、LEDの光を見つめるために、圭介を思い出して、にまにますることにします。

ガス灯の黒田と正反対です。(明るいけど効率も悪くて99%は熱として発散、燃やすから火事の危険あり、臭いあり、屋内は不適)

ごめんひよさん。もともとひよさんのところのチャットで話題に上がっていた電球ネタだったのに、自分ところでネタにしちゃった。だって参加できなくて悔しかったんだもーん。

…地方電化の光源の報告、書いてるんすよ…。(太陽光発電→LED、バイオマス→ガス灯)

    [2] しの 2005/10/19(Wed)-01:01 (No.98)
    やん!!仕事でLEDを書き込むたびに萌え(燃え)ちゃいそうです。
    ある問題の所為で嫌いになりそうだったLEDをちょっぴりどころか凄く好きになりそう(笑)。
    そんな私は、了介のガス灯に近そうですが…。

    [3] ひよ 2005/10/19(Wed)-21:26 (No.99)
    あははは!今まで「発光ダイオード=ハイテク?」くらいの認識しかありませんでしたが、激しく見方が変わりました。「豆粒のように小さい」とか「丈夫」とか「重用されているのにどこに使われているのか知られていない」とか、圭介っぽいですね!(笑)勿論優秀なところが特に・・・v
    新たな萌えをありがとうございます。自然やら電気やら、萌えって色んなところに潜んでいるのですね・・・!
    私は一人でヒートアップして勝手に割れるハロゲン木戸ランプっぽいです。今もちょっと割れそうです。

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2005年09月20日

札幌お食事会

札幌開拓使お食事会。
・・・とか言ってみます。別に開拓使はあまり気にしないでください。
でも、圭介は気にしなくても耳にする羽目になると思います。いやおうがなく圭介話に雪崩れ込むと思うので。
だってひよさんと私ですもの。
圭介ファンでない方もぜひ、こんな人種がいるんだ・・・とあきれ返りにきてやってくださいませ。歯止めをかけてくださる方がいらっしゃらないと、もうどうなるか分からない。
も、もとい。他の人物の話も、みんな楽しいです。

日時: 9月22日(木) 19:30〜
予算: 3,000円前後
場所: 直前に掲示板、または、ご連絡いただいた方のアドレスまで、ご連絡いたします。

平日で申し訳ないのですが、翌日から連休ということで・・・。お仕事帰りなどでお時間ある方、ぜひ、お声かけしてやってくださいませ。
時間遅れてのご参加なども、大歓迎です。
それで、浮浪者のごとく居場所を転々としている自分に代わって、ひよさんが連絡受け係をお引き受けくださいました。
て、ひよさんの日記のほうに触れてくださっているので、二度手間になってごめんなさい。

お問い合わせ、ご参加のご連絡は、
入潮のアドレス・a href="mailto:iirisiomaru@hotmail.com">iirisiomaru@hotmail.com)まで。・・・といいつつ、前日まででしたらOKですが、反応は鈍くなります。
確実なのは、 ひよさんのアドレス( h-upper@cside.com) までお送りいただけるとありがたいです。すみません、ひよさん。

ご連絡の際、
 1.お名前、 2.メールアドレス (こちら必須でお願いしますー)
携帯電話をお持ちの方は、
 3.電話番号、 4.携帯用メールアドレス
について、お知らせくださいませ。

もしご連絡がございませんでしたら。その際は私が一晩中ひよさんを独占します。
それが危険だと思し召される勇者は、どうか立ち上がってください。
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2005年09月06日

マツタケ

死ぬほどマツタケ食べてみたい、ということは、日本人なら一度は思うことかと思いますが。
本当にマツタケ食べすぎて、死にかけた人間は、そういないと思います。

ブータンはただいま、マツタケ収穫期です。アカマツの原生林に覆われたブータン西部は、マツタケの宝庫です。
けれども、ブータン人は、マツタケを尊んで食べる習慣がありません。かぐわしい秋の香りも「泥臭い」の一言で片付けられます。

結果、輸入業者ぐらいにしか需用がありません。国内価格は、キロ1000〜3000円ぐらいです。
てことで、地元の物価を考えると高価ではありますが、我々のような貪欲な日本人は、飛びついて買い求めることになります。

で、数キロ買い占めて、宿に持ち込み、料理してもらいました。


http://members2.tsukaeru.net/irisio/photos/matutake.jpg

ホイル焼き、蒸し焼き、グリル、オムレツ、吸い物、マツタケご飯、と、考え付く限りのマツタケオンパレードで、もういい、ってぐらいにたらふく食わせていただきました。

赤米マツタケご飯は、こちらのご飯は、鍋でグラグラ炊いた後、上澄みの汁をどばーと捨てるので、その汁に旨味分が流れ込んでしまって、香りはイマイチでした。炊飯器のほうが良かったかも。こちらの炊飯器は、気圧が低いので圧力が足らないままに沸騰してしまって、米に芯が残るから、あまりご飯が美味しくないのですが。

それで腹いっぱい食べ終わった後。
どうも、息が苦しい。横隔膜が腫れあがった感じして、ひどい風邪をひいたように、咳が出る。
それで、気道が閉じてしまって、鼻詰まり+ひどい喘息のような状態に陥ってしまいました。
ゼイゼイいいながら涙がボタボタ出てくる。
口でしか息ができないのに、息が吸いきれない感じ。

どうも、大量のマツタケ摂取による、マツタケアレルギーが出たようです…
マツタケ以外は既に十分食べ馴れたもので、それまでに食べてなかったもので、その時に食べたのは、マツタケしかなかったものなので。

アレルギーといっても、症状はジンマシンだけではないということを初めて知りました。
そのままだと窒息しそうだったので、海老反りになって気道を確保しなければならなかったり。苦しかった。

一晩寝たら、さくっと直りましたが…。

まさか、マツタケにやられるとは。人間、何が災いするかわかりません。マツタケ食べ過ぎて死にそうになりました、とか言うと殴られそうです。まぁ、卵とか蕎麦のアレルギーなどと違って、日本に居る限り、マツタケをアレルギーが出るほどに食べられる機会というのはまずないでしょうから、別に普段の生活に支障は全くないですが。

本当にアレルギーの原因が、マツタケだったのかどうか、確かめるために、もう一度マツタケを食べて追実験したい、というと、容赦なく却下されました。ちぇ。

まぁマツタケというのは、本当は皆、心底美味しいと思っているわけではなくて、秋の味覚の代表で、希少なもの、ということで、無条件にありがたがる精神的風潮が、体に染み付いているだけ、というのもあったりするのではないかと思ったりもします。見た目と食感だけだと、エリンギなどとそう変わらないわけですよな…

まだ、横隔膜がおかしいです。
性懲りも無くもって帰りたいと思うのですが、岐路に3カ国立ち寄りのドサ周り行程なので、途中に腐るよなぁ、と。…マツタケの腐臭ってどんなのだろう。ちょっと試してみたいお年頃。
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2005年08月20日

嫌韓流

なんでこの修羅場も極まっているときに、買ってしまってるんだ、自分…

「嫌韓流」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488380478X/qid%3D1124525516/249-2535113-8861120

いまさらという感じではありますけれども。
よくぞやってくれたよ…。頼もしいよ、マイナー出版界。もう大好き。
そうしてどんどん、マスメディアに歯向かってくれ…。

それにしても幽遊白書にキャラを似せているのは、ワザとなのか。


なお、自分、「冬のソナタ」を、韓国語に翻訳した「北の国から」だと思っていました。
今も、とりあえず、なんとなく、そうではないらしい、ということしか、分かっていません。
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2005年08月17日

宮城地震

盆も土日も、昼も夜も無縁で、会社に閉じこもっていているからこその、幸いってあるもんだ。

……と、不謹慎にも、思ってしまいました。

次に思ったこと。

……うちの会社、また儲かるかな…
(災害復旧とかいうと、地震、台風、火山、土砂災害など、天災があるごとに仕事が来る、という、因果な商売)
えーと。
学生時代は仙台でしたので。
震源地は何度もバイクで走りにいったことがありました。

住んでいたアパートは、自分の親の年ぐらいのぼろで。
青葉山の裏手の山と、下界の国道の中間点の山腹をむりやり切り開いたところで。
構造線の真上でした。
……だから家賃が安かった。宮城県沖地震が2、3年以内にくるといわれていて、被災区の赤色指定だった。

もし今頃あそこにいたら。というか、あそこに住んでいたころにその地震が来ていたら。
と、結局わが身を振り返って思ってしまいます。

ちなみにそのアパートは、今は取り壊されてありません。
だから、そこに住んでいた人がどうなっているのだろう、と心配はしなくてすむのですが。

残っている連中、大丈夫かなぁ…

ところで、GPSの基準点が5cmずれたのが分かる、って。
すげぇよ、国土地理院。普通、こんな直後に分からないよ。この後に及んで、自分たちの測量技術を、こっそり自慢していないか…?

……と考えてしまうあたりが、とことん不謹慎な奴です。

えっと、その。
皆様のご無事をお祈りいたします…。
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2005年08月14日

いぬわし

http://hiroshima.cool.ne.jp/toriton/news0001/news_262.html

ちょっとだけ和みました。
うふふ…。

こんなところに癒される自分がツライ。

ちなみに、大鳥発電所と奥只見発電所は、長さ8kmの、高さ1mぐらいの極小トンネルで結ばれています。
スクーターでのみ通行可能。徒歩だと頭が支える。

大鳥発電所は、冬季は完全に雪の中に埋もれて閉ざされるから、シルバーラインの走っている奥只見からの非常用通路としてなのですが。

…地下の暗闇のごく狭の中を、8km延々、スクーター。

発電所の管理員の方も、大変です…。
(普段はリモートコントロールで、無人だったと)
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2005年07月25日

自己催眠

もう頭が働かん。
この追い込みに入って、また手戻り発生で、2週間分の作業をさかのぼらなくてはならなくなってしまい、1日で修正作業をやっつけねばならなかった。
結局土日+徹夜費やして、修正作業しただけで進捗ゼロかというか、同じ地点に戻ってきただけか。徒労…。
アドレナリン出すのは、たまには体にはいいのでしょうが。出っ放しな上に成果がないと、疲れます…。

電車の転職広告とか見ると思うのですが。

仕事に、やりがいとか生きがいとか、そんなものは、最初からは、そもそも、どこにもない。リクルート文句でよく見る、自分を生かせる、だとか、仕事をしている自分が好き、だとか、そんなもんは、派遣会社のキャッチコピー以上の何ものではない。やりがいのある仕事に就こう、と思ってたら、たぶん一生、やりがいなんぞ見つからん。最初からあるもんじゃない。自分に向いた仕事、なんてのは、そもそもない。仕事に無理やり自分を合わせるだけだ。

どんな仕事でも、やらなければいかんという事実だけがある。で、徒労とめんどうくささと能力が足りてない苦しみのままに、とにかくやっつけて、何らかの結果をひねり出して、それを重ねていった上に、ちょっと慣れた、という感触がある。そこで、終わってはじめて、面白かったかもしれないと感じられる。それは、結果として、何か得たものがあるように自分を納得させられるかどうか。要するに自己催眠だ。幻想と言っていいかもしれない。

それで、面白くない仕事というのは、単に、ちゃんとやってないだけだったりする。自分にやるだけやったら、「これだけやったのだから」という自己催眠力が強く働いて、面白かったとそこそこ錯覚できる。


その自己催眠で気持ちよくなれるなら、幸せなわけで。
あたしゃ結構幸せな奴ですが。
んでも、終わったと思ってたことをもう一度やれと言われたら、きっついもんです。あー…。

あ、酒ってのはいい催眠剤ですな。…もはや呑む余裕も無い状態ですが。

さ、寝よう。日曜日の夜の会社は誰もいないから、大っぴらに眠れます。朝、お掃除おじさんの掃除機の轟音にたたき起こされるまでは。
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2005年04月08日

免疫抵抗力と生命力 免疫抵抗力と生命力 免疫抵抗力と生命力 

また忙しくなってきました…。徹夜明けぶっとうしの仕事は堪える。
最近、終電には毎日帰る余裕があったのですが、また、泊り込み体制に入りそう。まぁ、年中、やることは無限にあり、いつ締め切りがあるかの話で、次の提出日が近づいてきたというだけのことですが。まだ忙しい、と口にできるぐらいの余裕はあります。でも、そろそろ徹夜も持たなくなってきた。ていうか、白髪が増えた。

愚生の生活や体のことなぞ、誰も興味がないかとは存じますけれども。ちょっと面白いなと思うことがありました。

明らかに長すぎる、1日16時間以上のPC時間が災いして、肩こりが酷くて、マッサージ行き着けになっていたのですが。
新しい方に診てもらいますと。「体が柔らかすぎるから、肩が凝りが酷くなるのだ」という、聞いたことのない説明をいただきました。

昔陸上やっていて、ひたすら柔軟体操をやっていたことがあった関係で、体はやわらかいほうなんですが。やわらかいと、凝りにくい一方、一旦凝ると、なかなか回復しないんだそうです。それは、伸ばそうとするストレッチが、元々筋肉や筋が柔らかいので、ちょっと伸ばしても、伸ばしたという効力になってこないんだそうで。多少肩や肩甲骨周りを曲げ伸ばしするだけだと駄目なんだそうです。

で、ストレッチの方法を教えてもらいました。相撲取りのように四股を踏んで、膝と対角線に手を当てて、手に力を込めて膝で押し返し、その反発力で、肩の筋を伸ばす。確かに効きます。

……職場で机の周りでやってたら、何事かと思われますが。

さて、体が柔らかいと、疲れにくい、免疫抵抗力がある、などの傾向があるようです。どういう関連かはよく分かりませんが。
話は免疫に変わりまして。

免疫抵抗力は、あるほうだと密かに思ってます。途上国で腹下したことは、コォンというタバコのような刺激物を間違って飲み込んだときぐらいで。あ、帯状疱疹が一回出ましたが。風邪は記憶にある限り、20年ぐらいまともにひいたことはなかったり。子供のころは酷いアトピーでしたが、いつの間にか治ってました。どうしようもない運動オンチですが、生命力はあった。

むかしは、食べる前に手を洗わない、キタナイ子供でした。学校でも「食事の前に手を洗わないと病気になる」ということで、手洗い敢行されてたのですが。どうも反抗期で、手を洗ってバイキンを取り除いてばかりいたら、バイキンに負ける体になる、と思い込んで、あえて、汚い手で物を食ってバイキンに挑んでました。うがいなぞ、したこともありませんでした。

さて、アレルギーの要因を、食品添加物など、不自然な食品が定着したことによる「推定有害説」というのはよく言われていますが、これに、免疫異常の流行が、日本人の行き過ぎた清潔志向のためとする考えも、加わってきたようです。清潔にしすぎて、体の中にバイキンが入ってこないので、それに対抗する体の作用である免疫力が低下して、ちょっとしたことでもアレルギーや、風邪などの体調異常に繋がる、という考え方です。守られすぎてしまって、環境に対する日本人の防御力が低下しているということで。花粉症の増加などもその一例と思いますが。
「『きれい好き』が免疫力を落とす」(藤田紘一郎)という文庫が本屋に並んでいたときは、子供心に直感的に感じていたことが、結構正しかったのではないかと、ひとり満悦しました。
不健康なほうが、結果的に健康になるってこともあるものだと。人間、甘やかすものではないです。

そういうことで、今も、子供のころから、大して変わっていません。床に落ちたものでも平気で食います。顔も洗わずにバタンキューで寝て、そのまま翌朝、起きた五分後に電車には乗っているという生活で、己の免疫力を研鑽する日々でございます。(それはだらしがないだけ、と言う)

しかし白髪はなー。免疫高めても老化はどうもならんなぁ…。まぁいいや、いじわる婆ァになるのは、小さいころからの夢だ。

で、圭介も、体が柔らかくて、免疫力が高い気がします。いや、同化で自己満足、っつーのは、ハタからみてると気色悪いですが。すんません。

山の子だし。崖から落ちても大した怪我もしていないし。めったに体調崩さないし。戦場を走り回って殿になって銃弾打ちかけられても服にかするだけとか。寄生虫に巣食われても平気な顔をしているし。圭介が、寄生虫がいると免疫力が高まるという考え方を知っていた可能性はあまりないと思いますが。
あの得体の知れない生命力は、その辺から感じるのかなぁと思いました。

……いつか寄生虫に挑戦してみたいと思います。圭介の生命力を目指すために。
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2005年04月02日

おそろしいもののかたち

ずっと一緒に仕事をしてきたブータンの技術官僚の方ですが。
この度、退職しまして、独立して、とある事業を営むことになったと、連絡をくださいました。
非常に真面目で優秀で、見所のある方で、末はかなりの重鎮になるのだろうと期待されていた方でした。
実は、この方に圭介を重ね合わせて、暑苦しい視線をこっそり送っていたのですが。

個人としてはめでたいことで、前途を祝福すべきことなのですが、本当は、日本政府からブータン政府への援助の形で技術移転を行っていた視点から見ると、決して喜ばしいことでもなかったりして。

というのは、ODAというのは、タテマエ上、政府から政府、あくまで公に対する援助ですので、その成果は、あくまで公の機関に帰するべきものである、という考え方があったりするわけです。

ただ、相手の国全体で言えば、民間に優秀な人材が注がれた、ということで、別にいいんじゃないのかなーと思います。

さて、この方の新しい事業の紹介と宣伝が、部内で回覧されていたのですが。その文書に、上司からのコメントとして、「大変真面目で、日本の明治・大正時代の技術者のような良さがある方です」と評されていました。
その上司は、特に歴史に対して興味のある方というわけではなかったのですが。
それがとっても嬉しかったりしました。

どうも、あまりに、日本って、明治って、すごかったんですよー、ということを酒の席で垂れ流していた奴がいたもので、いつの間にか洗脳されてしまっていたようです。

いや、現地調査中って、チームで、職場も滞在先も、三食食うのも同じなものだから、家族のような感じで、逃げられないのです。で、夕食になると、親父様たちばかりなものだから、よほど切羽詰っていない限りは、どうしても酒が入る。そうすると、普段の箍が外れる…

幸い、今のところ、どうもマニアで、酒を飲ませれば何時間でも明治についてしゃべる奴、というぐらいの認識ぐらいでとどまっていますが。酒が入ると、カミングアウトできないようなことでも、口を着いて出てくるから、アルコールというのは怖いもんです…。
それはともかく。
仕事一辺倒な親父様に、ちょっと別の視点を持ってもらえたことがわかって、こんな奴でも、いて良かったと思えた瞬間でした。


電車の中で、週が明けたら会社にいかなければならない、「ずっと週末だったら良いのに」というあたりまえの会話を聞いて、なるほど、そういうものかと思いました。
仕事ってつまらないものかなぁ、と。少なくとも自分の時間の大半を割くものであるし、役に立つ、生産的なことをしているわけなので、そこに楽しさを見出さないって、寂しいことではないのかなぁと。確かに人間関係とかいろんな要素はありますが。

よく「日本の経済は駄目だ」「日本の政府はなっていない」とかいうことが、やっぱり電車で酔っ払っている親父様がたの会話から聞こえてきますけれども、

あまりに周りを評価しなさすぎではないか、と思うのです。
確かに消費者金融のはびこりようを見ていると不安にもなりますが、単に、景気とか消費者物価指数だとかリストラだとかと組み合わせて、だめという結論にしてしまっているだけではないかという気がする。

日本はよくやっているほうだと思います。貿易黒字は続けているし、アメリカの債権を買い支えしてやっているだけの余裕もあれば、額は減ったとはいえ国際援助も第一人者であり続け、津波復興も真っ先に乗り出し、環境保護も真剣になって進めている。

で、何が悪いのかと考えますと。
もともと世の中の構造自体が、不幸なことになってしまっているというのはあるのではないか。あまりに大きく、複雑になってしまって、自分が何をしても影響はない、自分がいなくてもおなじ、と感じてしまう。自分の無力さだけが募っていく。その中で、どこかで中学生が人を殺したとか、ハリウッドのスターが何億稼いだとか、情報だけどんどん流れ込まされ、その無力さは強まる一方で。そして、架空のファンタジーに慰めというか逃避を見出す。そうすると、世の中との接点がリアルなものでなくなって、自分という存在の濃度が希薄になっていく。

「恐ろしいものの形をノートに描いてみなさい。そこに描けないものが君たちを殺すだろう」

という、文句が、中島みゆきの歌「吹雪」にあります。それが、預言者の言葉のようで、聞くたびにぞっとしているのですが。その、おそろしい、形のないもの、というのが、この無力感というか、自分はいてもいなくてもおなじ、という感覚なのではないかなぁと。

「どこから来たかと聞くのは年老いた者たち。どこにも残らぬ島なら 名前はいえない 誰もいえない。 初めから無かったことになるのだろう」

という文句に続くのですが。「年老いたものたち」、この国を作ってきた人たちは、国の名前も知っているし、それを作ってきたゆえの自分たちの存在もしっかりしている。けれども、それを受け継ぐ人たちのアイデンティティが、複雑化した世界の中で、どんどん希薄になっていく。生産的なことを厭い、ゲームやアイドルや娯楽にばかり慰めを見出して、自らの無力感ばかり募らせていく。そうして、日本という名前にたいする誇りを失い、無への方向性を強めていく。それが本当に、「恐ろしいもの」であるという警鐘ではないかと、思ったりしました。

ただ、そんなに個人が無力な社会でもないと思うのです。実際、「個力を強めるべし」というのは、どの会社でも言っている。
ひとつの会社を例にとっても、別に、経営陣にいたり、会社の収益に繋がったり、責任の大きい直接業務だけが偉いのではないと思うのですよね。
たとえば事務の方でも、うちで面倒をみていただいているYさんという方は「社長はいくら変えても良いから、あいつは変えさせるな」とか言われている。それは彼女が、まるで母親のように、お茶からしステム管理まで自分の責任としてきちんと動いてくださっているからで。「社長がいなくても仕事はできるが、Yさんがいないと仕事にならん」とか言われている。そういう、サポート役にもプロフェッショナルがいる。そういう方は、仕事の流れを常に分かろうとしていて、組織が変わったり、新しいシステムが導入されると、自分の仕事、自分の責任とばかりに、まっ先に勉強してくださって、周囲に還元しようとしてくださっている。

で、そういう方って、周りの駄目だ、社会がなっていない、日本はだめだ、なんていうことは、決して言わないです。社会を善くするのは自分次第だ、自分は少しでもよくすることに役立っている、という自信を、心のどこかに持っているようであるのです。

逆に、言っては悪いですが、「こいつ使えねぇ…」と思う上司ほど、会社が悪い、社会が悪い、ということを口にしてます。本当に役に立っている人は、周りのせいにはしないです。社会が悪いのは自分のせいだと思っている。そして良くする為には何をするか良いかを考えて行動に移している。

自分を棚に上げた社会攻撃って、格好悪いというか、薄っぺらいんですよな。日本はだめだ、という人が、日本を駄目にしている。批評家というのは、たいそう、役に立たない人種だと思います。
自分と、自分の周りを、毎日、すこしずつ、マシに、よくなるようにしていく。それが、世界を良くすることに繋がる。そういうものだと思います。

で、自分の上司が、年賀状に、ネパールの情勢やアフガニスタン・イラクの後片付けに触れて、「やることだらけです。この時代に生まれたことを感謝しています」と書いていました。その方は、世の中とはどう動いているのか、どうすれば動くのか、政府や民間は何を考えているのか。仕事の実地で、それを教えてくださっている人です。この人の下につけていることが、今の僥倖だと思っているぐらいなのでして。そういうように、見るものを見て、果たすべき役割を果たそうとしている人は、格好良い。

うちの会社もリストラ進行中ですが、やめていく方は、会社のせいにも、社会のせいにもしないで、「自分の力が足らなくて、会社に迷惑をかけた」といって去っていく。胸が締め付けられます。そういう方にこそ残ってもらいたかった。

世界を善くしたい。日本を善くしたい。周りを善くしたい。そのために自分に何ができるか。自分のできる範囲に何があるか。何から始めればいいか。今日、何をやったか。

自分も、今この国この時代に生まれてよかったと思える生き方をしたいです。社会が悪いのではない。景気が悪いのではない。日本が悪いのではない。悪いのは自分だ。そう思い、良くしていくことを考え実行すること。
要するに、仕事を一生懸命しましょ、ってことなんですけども。
まず、自分が悪いと思うこと。それが、無力感を払拭する鍵なのではないかなと思います。
それが、幕末や明治の人たちが、この国を作ってよかったと思ってもらえることに、繋がるのではないかなと思います。

であるので、幕末・明治の人たちがキャラクター化されて、美化・超人化・英雄化され、自分たちの手の届かない人たち扱いされるだけなのは、なんとももったいないと感じる。彼らはカッコよさのエンターテイメントのために生み出された架空ファンタジーのキャラではなくて、確かにこの世の中、今自分たちが住んでいるここを作ってくれた人であるわけで。彼らが何を考えたか、何を作ったか。彼らの伝えるメッセージは、身の回りにごまんとある。そこに、今日何をするか。些細にでもマシにしていく為に何をすれば良いか。そのヒントが内包されている。
娯楽としてはキャラクターや小説のパロディも良いけれども、娯楽だけに閉じ込めておくのは、寂しいのではないかと思ったりします。

彼らをキャラクター化・ファンタジー化するだけで終わらせているのは、一時的に楽しいことではありますが、一方で、彼らと自分たちの存在を剥離させ、「おそろしいもの」を育てているだけなのではないかと、思ったりします。

…とかエラそうなことをのたまいながら、頭の中は不毛な妄想ばかりで、彼らにどつき張り倒されることばっかりしか考えていませんが。いやもう、ほったらかしていた裏サイトが検索エンジンに引っかかっていたときはどうしようかと。恥ずかしくって、未だに墓参りもできません。ハハハー。
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