2012年03月07日

海外、途上国の生理用品

海外、特に途上国で、女性が困ると思い用意万端にするのが、生理用品かと思います。
長期出張において、国内で買いだめした生理用品がかさばり、スーツケースを圧迫することも多いです。

一方、現地入手は可能です。ストックが無くても全く困りません。どんな田舎でも、貨幣経済さえ浸透していれば、キオスク等で容易に手に入ります。私が今まで赴いた40カ国ほどの中で、生理用品が売られていなかった国はありませんでした。ミャンマーやラオスの未電化村でも普通に売られていました。

昔は布などでやりくりしていたと思いますが。工業製品の使い捨て生理用品の便利さは、どの国の方も、一度知ったら逃れられないものの一つであるようです。

その種類は非常に豊富です。ネパールのスーパーには、各国製の製品が所狭しと並べられています。

サニタリーについては、なかなか公にしにくい話題でありますし、使用比べをしたレビューもあまり見かけません。
以下、ネパールの場合ということでご紹介してみます。インドなど南アジア、他のアジアでも状況は似たようなものかと思います。

選ぶのポイントは、(1)ジェル(高分子ポリマー)使用か否か、(2)厚さ・かさばるか、(3) 横もれしないか、(4) 表面シートの素材、(5) 個別梱包か、などになるかと思います。

(以下、1ルピー≒1.1円)


◆ Ferme
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8枚 75ルピー、ネパール Magna Max社製
ジェル使用かどうかは表記無し(おそらく使用)。薄い。綿製で表面シートは化繊。
個別梱包が無く持ち歩きに難。薄く糊が弱いのて、ガードルがないとずれやすい。


◆ Hibis
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8枚103ルピー。台湾製。ISO9001取得。
ハーブの香りでさわやか。やや高価。梱包が豪華でしっかりしている。個別梱包。綿製で吸収用ジェルも使用。表面シートはポリエチレンの不織布。作りも頑丈で横もれに強い。ただ、香料がきつく、連続して毎回使うには気が引ける。


◆ MAXI
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8枚入りで一パック、40ルピー。インド Actifit社製。今回のラインアップ中、最安値。
綿製でジェル使用、表面シートは化繊。個別梱包無し。畳まれずシート状のまま重ねられてパックされている。
糊が弱くずれやすい。薄く脇も甘いので少ない日に。


◆ Ria
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8枚 190ルピー (280mm)。高い。Silkと書かれているが多分綿製、表面シートは不織布。薄いがしっかり作られている。値段の価値はある。個別梱包。糊はやや弱い。225mm〜280mmまでサイズあり。
どこ製か書かれていないあたりおそらくインド製。Hartmann社。英、仏、独、露、アラビア語など各国語で説明書きあり。


◆ Safety
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8枚 60ルピー、ネパール Jasmine Hygiene Products社製
綿、表面化繊シートはMAXI、Fermeと同じ使用感だが、個別梱包あり。糊もややしっかりしている。


◆ Softex
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8枚42ルピー、24枚で100ルピー程度。インドネシア製
Non Gel とあり、ジェル不使用をアピール。個別梱包。綿が厚く、持ち歩き、買い置きにかさばる。コストパフォーマンスは良し。表面も綿。
(自分はこれが一番好みだった)


◆ Stayfree
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8枚55ルピー(230mm、羽根あり) 個別無しの他、様々なサイズ・種類あり。
ネパール製。ネパールでは生理用品の代名詞になっている模様。(歯医者で困っていたら、受付のお姉さんにStayfreeいる?と聞かれた。)
綿製でやや分厚い。表面シートは化繊。


◆ Whisper
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15枚 200ルピー インド Kundaim製。こちらも高価な部類。
日本でもおなじみのブランド。薄型。Air Dry Technology採用だそうな。個別梱包。ジェル使用。薄い。優等生的。脇がやや甘く多い日は過信できない。


以上、ネパールで入手可能な主要なラインアップでした。適当にスーパーで調達しただけなので、他に色々種類はあると思います。
ネパールの国内製が健闘していました。しかし価格はインドの大量生産の輸入品のほうが安い模様。
他、東南アジアならタイ製のものも沢山あるかと思います。

新興国、途上国も、サニタリー用品のように軽工業の部類で国内需要があるものは、自国内で生産しています。考えてみれば人口の半分は女性で、その半分は需要あるので、マーケットとしては巨大です。国内業者が手を出さない理由はありません。

それで結局、どれを使えばいいか、ですが。
個人的には、二、三種類の製品をとっかえひっかえするのが良いかと思います。


同じものを使い続けると、同じ成分のものが肌のデリケートな部分に付き続けることになります。

ジェル製のものは薄くてかさ張らず、良いのですが。人によってはかぶれる可能性もあります。ジェルは、多孔性で水分吸着力の大きい高分子ポリマーです。アレルギーの原因になりうる他、吸収が大きすぎて吸い取らなくても良い分まで吸い取ろうとして粘膜が乾き、余り好ましくないという説もあります。

一方、綿のみのものは分厚くなり、かさ張って保管に場所をとり、付け心地が良くなかったりで、一長一短です。
ジェル不使用でも、表面のフィルムが化学繊維のものの場合、肌に合う合わないがあるでしょう。

かぶれもアレルギー性のことが多いです(単なる蒸れなどそれ以外の原因もある)。アレルギーは、原因となるアレルゲンが許容量を超えると発現します。よって、アレルゲンの蓄積を避けるためにも、同じ製品を肌に合うという理由でずっと使用しつづけるより、適宜間隔を置いて使うほうが良いかと自分は考えます。

また、個別梱包について。日本のものは全て個別梱包されていたので、個別梱包無し、という発想は無かったです。個別梱包が無いと持ち歩きの際に衛生が気になります。また、使用済みのものを包むものがないので、その点でも不便です。
ただ、確かに安くなりますし、ゴミが減るので、家の中に限って使うと割りきれば、それもありかと思います。


色々比べてみると、確かに日本で売られているものが一番日本人の肌に合うように作られています。梱包や糊、肌触りなど、日本メーカー独特の細やかな配慮にあふれていることは確かです。心情的にも安心できるものがあります。

ただ、以上を使い比べてみて、現地入手可能製品で十分用は足りるというのが自分の実感です。

短期、1〜2ヶ月程度なら日本製のものを持ち歩き、それ以上の場合は腹を括って現地入手可能なものを使う、というやり方が良いかと思います。

…結局、そうせざるを得ないので、言わなくても良い結論になってしまいました。


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2011年03月11日

カトマンズより その2

カトマンズの生活も、1ヶ月経って大分慣れました。道やローカル交通機関も覚え、行動範囲が広がり、街の見た目以外のところも見えてくるようになってきました。

写真も色々ありますが、ネット環境が思わしくなく、なかなかアップするようになりません。
ひとまず、カトマンズネタを以下の通り羅列します。(1Rp=約1.2円)

・3月14日から王様の顔が描かれた紙幣は廃止になる。

「日本人は天皇をとっても尊敬しているが、ワシらは国王を蹴りだしてやったんじゃ」と地元の方は笑っていました。この余波が、元国王の顔が記された紙幣の廃止。2006年の王政廃止以降、それまで紙幣に印刷されていた元国王の顔が、紙幣から消えました。それ以前の紙幣はもちろん流通していますが、これが使えなくなるとの事。廃貨です。

しかし、銀行で両替すると、後2週間で廃止になる紙幣が平気で出てくる。数枚紛れ込む程度ならまだしも、高額紙幣(といっても1000Rp)の全てに元国王の顔が現れていたりする。こちらが外国人で何も知らないと思っているのか。3月14日以降は銀行に持っていけば交換してくれるとのことだが。みなが銀行に詰め掛けるため、混乱が予想される。店やレストランで、片っ端から元国王顔の紙幣を消費していっても、おつりでまた元国王が帰ってくる。こうして皆さらに国王嫌いになっていきます。

・ネパールの電力会社NEA、電気料金は逆ザヤ。

電気料金よりもコストのほうが高いので、電気は売れば売るほど赤字になる構造。電気料金は国家マターで、電力会社が独自に決めることができない。消費者代表委員会で決められる。消費者は電気料金が安いほうがいいので、物価は上がっているのに電気料金は据え置きのまま。いつまでたっても物価に追従して電気料金を上げることができない。それなのに電力会社は独立採算を強いられている。だから、NEAの独自の電源開発も出来ない。売るほど不利益が重なるため、本気で計画停電も抑える気にならないだろう。自分の売り物の料金を自分で決められないのなら、民営化しても仕方が無い。倒産したくても出来ない。

・テンプーはバッテリー車

タイやラオスのトゥクトゥクやジャンボに相当するのが、テンプー。三輪車型の乗用車より小さいマイクロバスで、乗客は横向きにぎゅうぎゅうに詰めこみ、10名ぐらい乗る。距離に関わらず、1回10〜15Rp。庶民の足。
見かけはおんぼろだが、実は100%バッテリーで動くフルEV車だったりする。夜に充電して昼に走るモーター車。ネパールの電力は99%水力なので、環境負荷は小さい。これがなんと、30年以上前から走っている。これを実証するために、研究者が自らチベットの国境まで往復したとのこと。
しかし、現在、計画停電のため、夜に充電ができなくなってテンプーが走れなくなり、テンプーと住民がNEA本社へ抗議に押し寄せたこともあったとの由。

・ 乾期はこれから

まだ10時間の給電があるだけマシ。これから一気に、乾期の暑期がやってきます。着いた当時は非常に寒かったですが、今は日に日に暑くなっていっています。日差しが強い。シミが増えた。水はどんどん少なくなる。今は3日に1日の給水が、5日に1日に減らされる予定。そして、電気もさらに少なくなる。去年は1日20時間停電までいった。しかも、今年はもっと厳しくなるとの由。東京の真夏以上の暑さで、湿度90%以上、気温40℃以上になるとのこと。電気がないということは、クーラーも扇風機ももちろん無い。これから、かなりきつくなりそうです。

・街そのものが歴史

角を曲がる度に、寺や寺院やストゥーパやチョークや、何かしら現れる。普通に街の風景に混在していて、皆そこで煙草を吸ったり昼寝をしたりしている。道の名前や町内ごとに謂れ、伝説がある。祭りが多い。古い街なので道が非常に複雑。すぐに迷うが、迷いながら見る建造物が楽しい。ネワール式の緻密な彫刻が普通に門や欄干や窓枠に施されていて、つい見入ってしまう。

・宗教の坩堝

雑然としていろんな神様がいる。そんな印象。
シヴァやヴィシュヌが踊る横で菩薩様が鎮座している。カーマスートラのごとく男女のまぐわう像が並んでいるかと思えば、そのすぐ下に煩悩とは無縁の仏像がある。ヒンズーと仏教とチベット密教と土着の宗教が入り乱れていて、分けがわからない。さらにキリスト教徒もイスラム教徒も居る。この混沌こそがネパールかもしれない。

しかし考えてみれば、クリスマス(キリスト教)、除夜の鐘(仏教)、初日の出(神道)、お年玉(儒教)を1週間の内に行ったり、同じ町内に教会と神社と寺があっても誰も違和感を抱かない日本も、大して変わらないのか。さらに考えてみれば、世界中の神様を敵雑魚キャラとして経験値にしたり、仲間にして合体させたりしてゲームで遊んでいる日本人が、一番怖いかもしれない。

・紅茶・ハーブティ好きには天国

高山植物をふんだんに使ったものすごく美味しいブレンドのハーブティが、普通にスーパーで100g100円以下で売られている。信じられない。
紅茶は、インドのダージリンと国境を挟んでネパール側にイラムという名産地がある。このイラム産のお茶が、世界ではダージリンティーとして売られている。(淡路島産の淡路ビーフが全国的には神戸牛の名前で売られているのと同じか) よって、ダージリンティーが安くて美味しい。高級ホテルでしかお目にかかれない、日本で買うと100g4000-6000円もするファーストフラッシュのイラム茶が…以下略。
いずれにしても、取って置きのときに飲むレベルのお茶が、普通に日常的に、その辺で秤り売りされている。一度、ヤン・ウェンリーに来ていただきたい。

・教育のレベルが高い

もちろん人によるので一概には言えないだろうけれども、人間は真面目で勉強熱心。教育熱がすさまじい。英語教育も行われる私立と、普通の公立とのギャップが激しい。親は将来を子供に託すため、教育費に収入の相当な割合を注ぐ。Grade 10 (10年生、高校1年相当)でセンター試験のような全国共通国家試験があり、そこで大学入試資格を得るかどうか決まる。資格を得たらさらに大学前に2年間の専門教育を受ける。大卒の新任も、かなり勉強してきている印象。英文文章作成も普通にできる。PCもワード・エクセルは当たり前、CADのほか専門ソフトウェアまで学んできているので、少し教えるだけで結構な戦力になる。大学教育課程で、本当に仕事に必要なことも教えられている印象。
一方、授業料は高い。高校2,3年の大学予備課程で、年間10万ルピー以上かかる由。私立学校が完全にビジネスになってしまっている。

・政治が悪い

では、何が悪いのかというと、誰もが口を揃えて言う。「政治が悪い」と。

誰もが、この国の電力をどうにかするには水力開発しかないと分かっている。水力発電の調査報告書は何十案件もあって山積みになっている。ドナーも援助で調査はする。しかし水力の建設には巨額の資金が必要。ドナーの協調や官民連系を行うにも政治が絡む。そして政治が動かないから、資金も集まらず、建設もできない。ネパールもブータンやラオスのように水力を売って豊かになる道がしっかりあるのに、豊富でどこにでもある水力ポテンシャルが利用できない。

政治が違うだけでこうも変わるのかと、つくづく思いやります。


そんな感じで。最初は、悪臭と排ガスと停電と断水、体調が崩れたのもあって、ここで1年かと、正直心が折れそうにもなりました。今は開き直って居心地良くなっています。不便な中に工夫するのも楽しい。歴史のある街だから、建物にも街角にも人にも味があります。「電気と道路と水と空気さえ何とかなったら、とっても良い街なんだけどね〜」と仰った方の後半部を、今は実感として感じています。

タグ:ネパール
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2011年02月24日

経口補水塩(ORS)


国を転々とする人間の職業病とでもいえる症状に、水あたりがあります。

水や食べ物が変わると、いったん体の中にあるものを空にしようとするように、腹痛、下痢と嘔吐感が一度に襲ってくることがある。人によって、2、3日でくる人もいれば、10日〜2週間で来る人もいる。また、場所が変わると必ずなる人もいれば、鈍感な人もいる。

これを過ぎれば、その後は不思議なことに、何を食べてもだいたい大丈夫になる。場所が変わった際の通過儀礼とでもいう感じです。

自分は鈍感なほうなのであまり苦しんだことはないのですが。油断してローカルフードを食べ歩いていたら、ここで来てしまいました。やっぱり苦しかったです。

下痢の時に行うべき処置法で、以下の内正しいものは何ぞや。

1)脱水症状にならないように水を多量に飲む
2)スポーツドリンクを意識して多く飲む
3)極力薄味にしたお粥など、水分の多いもので栄養補給する
4)速やかに下痢止めを飲む

答えは全部バツ。とまではいかないですが、全て、ベストアンサーではありません。

下痢で体がだるいのは、体力が落ちているというのもありますが、主に体内のナトリウムイオン、カリウムイオン、塩化物イオンなど電解質が失われるからです。下痢で脱水する水分の中に電解質が大量に含まれているので、体内の電解質の濃度が下がります。

途上国の子供が、下痢の脱水症状で亡くなるのは、多くの場合電解質の喪失によります。

ここで水分だけを補給すると、体内の電解質濃度がさらに低下し、体調は悪化します。

スポーツドリンクは、水よりはマシですが、糖分が多すぎ、一方電解質濃度は薄いです(必要量の1/3〜1/5というレベル)。やはりベストではありません。

下痢止めは、細菌性の下痢だった場合、毒素を出す細菌を体内に留めてしまうので、かえって悪化させます。細菌性でなくても、下痢は基本的に胃腸の中に入ってきた悪いものを体外に出そうという体の作用です。水当たりなど体が慣れないものを出そうとしている場合も好ましくありません。


それで、何が良いのかと言うと、水を飲みながら電解質を補充できるものです。

ORS (Oral Rehydration Salts、経口補水塩)というものがあります。

粉末のもので、所定量の水に溶かすと、体液とほぼ同じ電解質濃度の液体になります。
これにより、下痢の脱水により命を落としていた子供たちが助かり、死亡率の低下に大いに寄与しています。

(それが一因となって、人口が増えすぎて、都市に人があふれ、都市汚染を招き、職にあぶれた人々多数という現象を招いてはいますが。命は救われるべきものという大前提があります。人口が増えるならそれに応じてインフラを整備し、経済成長をして雇用を増やしつつ、家族計画で出生率を減らしていくべき、というのが総論です)

ORSは、ネパール語でジブンジョル、命の水というらしい。

そこで、試してみました。

P1000190.jpg


成分は以下の通り。

Sodium chloride (塩化ナトリウム)2.6g
Potassium chloride (塩化カリウム)1.5g
Sodium citrate (クエン酸ナトリウム)2.9g
Glucose anhydrous (グルコース)13.5g
excipients q.s.

グルコースが含まれているのは、ナトリウムイオンは糖分と一緒に吸収されるためです。
上のものはインド製ですが、ネパールでも、個人でも簡単に作れそうです。

上のものを、水1Lに溶かします。
乳児は体重30〜50ml/kg/日、幼児は300〜600ml/日、成人は500〜1,000ml/日を目安にすると良いとのこと。脱水の程度に合わせて増減します。

湯でなくても、水に簡単に溶けます。子供が飲むために糖分が結構入っていて、思ったほど塩辛くはない。濃くて粉っぽいスポーツ飲料、という感じの味です。こう言うと不謹慎ですが、以外においしいです。

ネットで見ればレシピもあります。
簡易的には、水1Lに、食塩2gと砂糖20〜40g(あるいは食塩を小さじ1杯、砂糖を小さじ8杯)を加えれば良いとのこと(なお、重症の脱水に対しては、適切ではないとのこと)。砂糖と塩で命の水になる。

途上国ではその辺の小さな薬局で普通に売られています。一袋が1リットル用。10ルピー(12円)です。これで助かる命が多いのですから、ありがたいものです。
よく、「100円で救える命がある」という、寄付のための宣伝文句があります。100円どころか30円でお釣りが来ます。

細菌性の下痢にかかると、もちろんこれだけではなく、抗生物質が必要になります。サルモネラ、病原性大腸菌、ブドウ球菌、赤痢、腸チフス、パラチフスなど、周辺環境には普通にいます。

地元の方が言うには、炭酸ガスのようなすっぱい感じのげっぷが出る場合は、薬を飲む必要があるのだそうです。自分で判別するのは難しいですが、水当たりだと普通熱はでないし、2、3日で何とかなります。それ以上続いたり高熱があったりするようだと、問答無用で病院へ、となります。そして、長引く感染症の下痢でこそORSが本領を発揮します。

ORSは、途上国にいる方なら常備しておいて損はないと思います。今は現地でどこでも買えます。日本のように衛生環境の整ったところでは、かえってお目にかかれません。
最近、大塚製薬からも、ペットボトルやゼリー状のものが発売されていました。飲んでもらえる味にするのに苦労したとか。命の水も、日本人にとっては嗜好品としても通用しなければならない。日本では死ぬほどの感染症の下痢というのはもはや希少であるゆえ、ということでしょうか。

なお、日本には昔から、毎日の食卓に脱水から命を救う構造がありました。味噌汁です。味噌汁の塩分濃度は、体内の電解質濃度とほぼ同じぐらいなのだそうです。そうした食文化を無意識に定着させていた我らの祖先に、驚嘆するところです。

ただ勿論、ORSも味噌汁と同様、高血圧などで塩分制限を受けている方は、普段から大量に口にするものでありません。


結局、水当たりはすぐに回復しました。幸いなことに、ORSは味見程度で終わってしまいました。目下の敵は、下痢よりも、排ガスと砂埃にまみれた空気です。常に喉がいがらっぽく、呼吸するたびに肺に黒い物が溜まっていく感じです。実際、ネパール人に気管支・肺疾患とアレルギーは激増中。下痢に対するORSのように、空気に対しても何ぞ抜本的なものが生まれてくれないものかと、つい思ってしまいます。

タグ:ネパール
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2011年02月22日

停電都市


夜です。今日は起きています。
夜はだいたい電気がありません。暗闇の中、ランランの光でポメラを打とうとし、そのままろくに作業せずに寝てしまう、という日が続いています。

今夜は珍しく夜中もカトマンズの町に電気が来ています。電気があるとこうして起きていますが。人間、暗いと寝る他ない生き物だと思います。

電気が来ているのは、おそらく、乾期に珍しく雨が降ったからでしょう。雨が降れば、流れ込み式の水力発電に水が流れ、電気が来る、という方式です。この時期、連日晴れでからっからに乾いていて、砂埃がすさまじい。すぐに咽喉をやられるぐらいです。ただ、誰も予期せず不意に雨が降ることがあります。これを「インド人も吃驚雨」と言うそうです。本当にネパール人はそう言っているらしい。

この雨で急激に気温が下がり、風邪引きが続出することになります。一週間前にもやはり一度大雨が降り、真冬に戻ったかのように凍える気温でした。道路は排水能力がなくてすぐに冠水します。

こうした例外がない限り、乾期の現在は1日14時間の停電中です。すなわち、電気があるのは1日10時間のみ。電気が足りないので、カトマンズの街を7つの区画に分け、同じ時間に電気を送る区画と送らない区画を設定しています。こうして電力の負荷が発電所の容量を超えないようにする。これをLoad Shedding、負荷分散と言っています。区画ごと、曜日ごとに電気のある時間が異なります。今日は何時から何時まで電気がくるのか、停電時間表を確認する事から1日が始まります。

今泊まっている宿は、ディーゼルの自家発電機を持っています。電気が来ていない時間でも、夜11時までは発電して電気を提供してくれます。発電用の油も高いので、発電機を動かせる時間も限られています。

よって、23時になると部屋は暗闇で、強制的に寝るか、貴重な電池を消耗しながらランタンの光でせせこましく作業するより他はなくなります。夜は暗いということを思い出します。外は街灯もないので、道が見えない。舗装が剥げて穴ぼこだらけになった道を歩くのには神経を使います。月が出ているととてもありがたい。満月だとまぶしいぐらいです。暗さを恐れ、月や星の明かりをありがたいと思う。インフラが整った国から出てはじめて、こういう感覚を思い出します。

ほとんどの普通の家庭はもちろん自家発電機など持っていません。せいぜい、インバーターとバッテリーを入れ、電気を溜めておくぐらいです。バッテリーを充電するためのソーラーパネルも普及しています。なお、インバーターは、交流の電源から直流のバッテリーを充電するために直流と交流を変換するためのもの。巨大なACアダプタに制御と保護機能をつけたようなものです。バッテリーの電力を使う場合は、再びインバーターが直流から交流に変換します。

このため、街にはソーラー屋やバッテリー屋が溢れています。多くはインド製。価格は日本の半分以下。バッテリーは容量あたり半分〜1/5ぐらい。

それでも、バッテリーの容量でカバーできるのはせいぜい照明、パソコン、携帯のチャージぐらいで、大型の家電まではまかなえません。特に加熱するものは容量を大きく食うので、まず無理です。エアコン、テレビ、冷蔵庫、湯沸かしポットやヒーター、ドライヤーなんてもってのほかです。

また、電気を貯められる形にするインバータの効率は悪く、余計に電気を消費することになります。ある家庭では、雨期は電気料金が1000ルピーぐらいですが、乾期には電気を貯めるためにこれが2000ルピー以上に跳ね上がるとのこと。(1ルピー=1.2円) 電気を余計に使っているわけではないので、理不尽と感じるでしょう。

オフィスでは仕事のために850kVAのインバーターと150Ahの鉛蓄電池バッテリーを、電気の達人の方に入れてもらっていますが。それでも1日で使えるのは、数台のPCとプリンタとルーターと、20Wの蛍光灯二本ぐらいになります。湯を沸かしてお茶を飲みたければ、電気が来るのを待つか、ガスコンロを買うしかない。

バッテリーは、その溜めた電気をその容量に対して使うほど寿命が短くなります。たとえば、ノートPCや携帯のリチウムイオンバッテリーを、しょっちゅうぎりぎりまで使いきっていると、すぐに持ちが悪くなって使える時間が短くなっていきます。少しずつ、浅く使う方が電池の寿命は長くなる。(なお、これは鉛蓄電池やリチウムイオン電池の場合。ニッケル水素電池などは、浅いところでばかり使っているとそれ以上深く使えなくなる現象(メモリ効果)があるから、時々使いきるほうがいいものもある。一方、ニッケル水素電池でもメモリ効果のないエネループのようなものもある)

バッテリーは、重いし(前述のもので60kgぐらいもある)高いし、処理に困る。そう再々、交換できるものではありません。電気のないところにあるソーラーパネルを用いた設備で、いつも問題になるのは、バッテリーの交換です。バッテリーの寿命がすぐに来てしまって、一方で新しいバッテリーが買えないまま、結局放置されてしまう、ということがよくあります。

よって、電気の無いときは、電気に素人でも、常に今何ワット、何アンペアの機器を使用し、バッテリーへの負荷がどれぐらいかかっているのかを、日常的に意識することになります。

エコだの地球の優しいだのわざわざ言わなくても、ものすごい省エネ志向になれます。

普段電線から来ている電気がいかに貴重なものか。それを自分で何とかしようとしたらとんでもない手間がかかるものだということを実感します。

日本は、1年間に数秒の停電も許さないほどに、がっちりと電力系統が作られています。だから誰も電気のありがたさを感じることができない。電気がないということが想像できなくなってしまっている。電圧、電流、電力といったものを全く意識せずに、家電に囲まれた日々の生活が営めてしまう。気にするのは電気料金に直結する電力量(kWh)ぐらい。無意識こそが贅沢であると言えるかもしれません。

日本も、週に一度、停電デーを作ってみたら、CO2削減もうまくいくし、エネルギーをありがたいと感じることが出来るようになっていいのではないかと、乱暴なことを思ったりします。
こちらの日々停電の腹いせではありません。多分。

早く1日中電気のある雨期が来ないかなと、つい思ってしまいます。雨期は雨期でさらに大変なのだ、ということは分かってはいつつ。


タグ:ネパール
posted by 入潮 at 04:30| Comment(3) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

カトマンズより

今月はじめから、ネパールはカトマンズに来ています。

ネパールといえば、エベレストにヒマラヤ、山の国ですが。
そのような爽快なイメージとはかけ離れ、首都カトマンズは、途上国の都市の宿業を一身に背負ったような状況でした。

人口過多による過密と環境悪化。行った人々皆から、停電と渋滞の激しさ、川の酷さを耳にしていたのですが。聞きしに勝るとはこのことか、という感じです。
電気が来ない。車は動かない。昼は電子も車も止まっている。

さらに町中の河川は汚物が充満していて、底は完全にヘドロ化。特に乾期は流れる水が少なく、川が汚水溜めか下水のようになってしまっている。悪臭が酷く、橋を渡るのも一苦労です。流れているのは水ではなく毒だと言う人もいる。

水の量自体も足りない。一般の民家は1トン〜2トンの水タンクを買って水をためていますが、乾期にはそれでも足らずに別途水を購入しなければならないとのこと。それも数千円する。給料の水準が日本の1/5〜1/10ぐらいなので、かなりな家計の負担です。

空気も酷いです。乾燥している上に、舗装が剥げている、砂質がラテライトの泥で非常に細かい、排気ガスが充満している、などの条件が揃って、埃っぽいというレベルではない。塵の中にいる、という感じです。
案の定、肺疾患が増えているとのこと。さらには、山林の斜面保護のために援助機関が杉を植林で持ち込んだから、花粉症が激増しているのだそうな。

どれも、既存のインフラに対して、急激に人が増えすぎた事によります。

この国の電線の電気は、ほぼすべてが水力発電によります。石炭も石油も天然ガスも採れないので、化石燃料はすべて輸入です。外貨は貴重で、文字通り湯水のように燃料を使わねばならない火力発電は大型のものは導入できない。輸出できる産業があまりないので、わが国のように「エネルギー?無ければ買えばいいじゃない」というわけにもいかない。自前の水力でまかなうしかない。一方、この国ように雨期と乾期がはっきり分かれていれば、乾期は水力発電のための水がない。雨期の水を1年中ためておける貯水池式なら乾期もまかなえますが、これには巨大なダムの建設が必要。貯水池式が切望されています。日本も援助で水力発電の調査設計していましたが、環境や資金やさまざまな問題で進んでいません。

道路は、日本の援助ででも拡幅して、少しでも渋滞を緩和させようとしています。ただ、抜本的に行おうとすると無償ではなく借款が必要。しかし、この国は返済能力が疑問視されて、借款はなかなか通らない。一方、返さなくてもいい無償は、生きる最低限の医療や水などの人道援助に限られ、都市の環境改善の大規模なインフラには適用されない。

周りはこの情況を何とかしたくてやきもきしているのに、環境といい、援助方針といい、自分で作ったルールに縛られてなかなか抜本的に動けない、という感じです。

アフリカの首都や中国の省都レベルの都市はみんなこんな感じだろうし、カルカッタや冬のウランバートルや東北区などに比べればまだマシだとは思うのですが。やはり、人による汚染にはうんざりするものがあります。

もちろん、良い面もあります。

良くも悪くも、欧米人や日本人のツーリストがかなり多いので、宿や食堂は供給過多ぎみに充実している。カフェは多くてパンがおいしい。マッサージ屋も多い。

ネパールの民間人も頑張っている印象です。ラオスなどはちょっと大きなカフェやレストランはだいたいタイ、中国、ベトナムの資本が入っていますが、ネパールは自前で行っているところが多い。あるカフェのチェーンは、視聴覚に障害のある方を従業員として一定数雇用し、社会貢献を行いつつ、それ自体を集客力としている。そのカフェでお茶を飲めば自分も社会貢献しているという意識を客に与えられる、それで多くの店舗を有している。

また、太陽光利用が非常に進んでいます。太陽熱の給水は昔から行われ、太陽光発電用のパネルは町のあちこちで売られている。導入には半額の政府補助が出る。そもそも系統の電気がないから、電気が欲しければ自分で何とかしなければならないからなのですが。住民は工夫して、決して安くはない金額をはたいている。
日本も太陽光に補助金を入れて一生懸命普及させようとしていますが。再生可能エネルギーを普及させる一番の方法は、電線の電気を止めることだという皮肉さを実感しました。

少数民族保護の意識も高い。すべての民族から議員を、という仕組みから、議員の数が600をオーバーしてしまい、議員が国会議事堂に入りきらなくなった。急遽別の建物を使用しているとのこと。なお、議員の1/3以上は女性とすべしという決まりがあるそうです。

観念的には進んでいると感心することが多い。
ソフトの進み方にハードインフラが追いついていないという感じです。

日本人ながらこちらに住まれて20年以上の主婦の方曰く。

「電気と道路と水と空気さえ何とかなったら、とっても良い街なんだけどね〜」

彼女の挙げられた四つは、どれ一つが欠けても徹底的にライフラインに関わってくる要素ではないかと思うのですが。確かに、そういう生活の利便の必須要素を別としてもなお、魅力的に感じられる要素は、この街にあります・・・と思わねば、生きていけない。

先週は事務所の設営に明け暮れ、まともな仕事になりませんでした。オフィスは例の川の畔です。悪臭に苛まれる日々。これから乾期になるにつれてさらに匂いは酷くなる由。数ヶ月塵の中に放置されダニの巣窟になっており、掃除も大変。

まず電気とインターネットが無ければ仕事になりません。プロバイダを探し、インバータとバッテリーを調達、配線して、掃除して、1日が終わります。それも結局人様に頼りきりで、己の力なさが身に染みます。

今回の仕事は、再生可能エネルギーの導入です。しかし今更数百kWぐらいのクリーンエネルギーを入れたところでこの都市の電力不足はどうにもならぬとは思いつつ。

こういうところで、少しでも居心地良く生活するために工夫するのも、楽しくなってきました。

これから1年間余りの駐在になります。
5月には一度帰る所存です、何とか。

タグ:ネパール
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2010年12月12日

ヤンゴンとネピド


ミャンマーに来ています。ヤンゴンから新首都Nay Phy Daw ネピドに行ってました。

ミャンマーは約7年ぶり。初めて仕事で出張した国で思い入れがあるというのもありますが、とてもいい国です。人は素朴で親切で真面目で信心深い。仏教を軸にローカル社会はゆったり住み良く動いている。マスコミで見るのと全く違う姿に、一度来るとミャンマーにはまってしまう方は多いです。ラオスやミャンマーを気に入ってしまい、採算度外視で仕事をしてしまう方、中には私財を擲っても尽くしてしまう技術者もいます。それぞれラオ吉、ミャン吉(キチ=好き)と呼ばれ、ある意味、経営的には問題です。

ミャンマーは、7年たってもほとんど変わっていない印象です。ラオスは伝統スカートのシンを着る人も減り、タイの不良のような格好の人も増えたりしましたが。ヤンゴンは男女皆ロンジー(巻きスカート)のままで、街中も素朴な風情です。

一方、首都ネピドは、軍事政権が遷都した、外国人は入れない政治的首都です。そういう偏見から、監獄のような場所を想像していました。

これが、あにはからんや。
道路は片側三〜五車線の道路で広々と大陸的な直線仕様。ナイター付きのスタジアムあり、ゴルフコースは4,5箇所もあり、宝石ミュージアムがあり、大きなショッピングモールがあり、高級ホテルが十数も軒を連ね、それらがきらびやかな電飾で覆われている。

あたかも高級リゾート地のようでした。
ヤンゴンの高官や将軍の家でさえ24時間電気は無いというのに、それはどうかと思ってしまうほど、電気もふんだんに使っています。

ヤンゴンからネピドを結ぶ高速道路も建設され、400km程もある距離が、車で4,5時間で到達できます。通常、LDCでこれだけの規模の道路は、援助機関の資金でなければなかなか建設されないのですが。ミャンマーは自国資金で作ってしまった模様です。舗装はアスファルトではなくコンクリート。通常コンクリートのほうが高価ですが。石油は出ず製油所もないので、タールがなくアスファルトは輸入になる。一方、石灰岩はふんだんにあるので、セメントやコンクリートは自国内で製造可能、という理由かと思います。

いずれにせよ、いくら内貨とはいえ、何処にそんなお金があるのかと不思議でした。貧しい人々から搾取して、絢爛な首都を建築した軍事政権、というストーリーを描きたい方は多いかもしれません。自分も国民の負担はどれほどのものかと思いましたが。上で述べたように、民衆の生活は見た感じは相変わらずな感じです。物乞いもいるにはいますが、そんなに増えたという印象ではない。

一方、沿岸部ガス田からの天然ガスの輸出で、かなりの政府収入がある模様です。まだ統計は見ていないのですが、国庫収入は伸びているのでしょう。
モザンビークやアンゴラなどアフリカもそうですが。やはり資源のある国は一度開発が入ると一気にガラリと変わります。中国資本はここも例に漏れず。むしろ日本含む西側が軍事政権を嫌がるアメリカの顔色を伺って投資を遠慮している間に、中国が相当強く入り込んで、綿密に資源確保の網で囲い込んでいる印象です。日本人としては焦りを感じます。

ホテルやリゾート施設は民間投資によるそうです。ミャンマーにもそれだけの資本を担える投資家が増えてきたということでしょう。ヤンゴンの街中にもショッピングセンターやレストラン、スターバックスタイプのコーヒーショップも増えました。車は相変わらず中古車ばかりで、他国のように新車で溢れかえるというほどではないですが。市民の所得は確実に上がっている印象です。外から見ていると軍政で隔絶された国であり、一方で古き良き風情を色濃く残している面もありますが。悠久の国も、確かに周辺国の変化と共にあります。

インターネットは、以前よりは改善されました。なぜかne.jpドメインにアクセスできなかったり、POP3のメールが取れなかったりする。やはり政府の制限はかかっています。co.jpドメインは問題なし。MSNはサイトはOKなのにメールはなぜか駄目だったり。ミャンマーに来る前に、co.jpのフリーメールを取っておけばよかった。以前は11kbpsの電話回線でようやく繋ぎ、テキストメールしか受け取りできなかったりしました。それよりは格段に改善されたとえ言えます。なおも遅いですし、しょっちゅう不通になりますが、ネットカフェか、ホテルにWifiがあれば何とか、という感じです。通じているだけでも素晴らしい。

一方、ミャンマーの電力不足は深刻です。ヤンゴンでも計画停電していて、停電区画がある。そして日常的な停電もしょっちゅう。オフィスでもUPS(無停電電源装置)の音がピーピー鳴り響いています。

電力は、日本が戦後賠償で作ったバルーチャン発電所が、1980年代には国の8割の電力を担っていたということもありました。この発電所のポテンシャルを発見して調査し、ミャンマー政府に開発を進めたのは、政府ではなく、日本の一民間人の技術者、久保田豊氏でした。バルーチャンは川の名前ですが、地名であるロピタの名前でこの発電所を知らない人はいません。

この国の電力開発を担ってきて、今は政府顧問的な立場の爺様は、バルーチャン発電所の計画設計建設を通じて電力事業を学んだと仰っていました。日本人技術者が作ったバルーチャンの設計書や報告書は数十センチの分厚さに及ぶ。それが我々の先生だ、と爺様は仰いました。

我々日本人に対するリップサービスもあると思いますが。発電所そのものだけではなく、日本が作った発電所建設を通じて育った技術者達が、その後の国の開発を担っているという姿は、もう少し知られれば良いなと思います。

この国の方々は、技術に感謝し、それを自分のものとして学び取り込み、次の世代で自分たちで作れるようにする。その姿勢を有しています。技術移転の受け入れ側として理想的といえるでしょう。明治の技術者達の姿を彷彿とさせます。謙虚であり感謝する国ほど、伸びます。その意味で、この国は人のポテンシャルがとても高いです。それが政治的な理由で抑えられていて、それに関与しない中国が跳梁跋扈しているという状況は、やはり残念です。

現在は、中国資本で巨大な水力発電所が何箇所も作られています。最近運転開始したエイワ発電所のおかげで、電力不足も大分軽減されてはいるようです。一方、シュエリという600MW、ちょっとした原子力発電所ぐらいの規模のある大型水力が、中国への輸出のために開発されました。案の定、という感じです。そうした中国資本の水力は、例に漏れず環境影響評価もろくに行われていません。もっと日本には、軍政民主化云々と政治的に無粋なことは言わず、積極的に関わって欲しいと思います。

ミャンマーは、人は真面目だし資源はあるし、日本として開発に関与すれば、リターンも、貨幣換算できない点も、得るところは大変大きいと思います。日本は中国と違い、収奪ではなくミャンマー自体の持続性を考えた開発をしようという姿勢を有しています。少なくともガイドラインではそうなっています。政治的状況が上向いて、日本人もここで仕事しやすくなってくれることを、切に願います。

さて、前回来ていたときは、結婚もできず人生に諦めが付いたら、この国で出家して尼になろうと心に決めていました。今は、それが現実となる可能性が否応が無く増しています。
なので、この国の発展を願いつつ。今のままででいて欲しいという勝手な外国人のノスタルジーも、やはりあったりします。もはや、変わらないことが貴重である世の中です。

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2010年08月11日

松葉杖で飛行機


やっとラオスに来れました。
盆の出国ラッシュには航空運賃が跳ね上がるので、その直前を狙った出張が年間行事になっています。

出るはずの出張に出られずにいたので、仕事量を考えるだけで気が遠くなる感じです。2ヶ月ぐらいは必要なのだけれども、会社が2週間しか許してくれませんでした。万が一の安全と体の負担を考えてくれての期間制限措置です。が、やる内容量は変わらない。ただ、実際、東京の通勤より現地生活のほうがずっと楽だったりします。

サラリーマンの皆様、連日猛暑の中の通勤お仕事、お疲れ様です。

さて、松葉杖で国際線飛行機は、あまり他でできない経験でした。
10年ほど前に国内線に乗った際は、松葉杖を持ったまま、空港内は車椅子で移動、機内に入ってから乗務員さんに杖を預けた覚えがあります。

以下、松葉杖の国際線飛行機の様子などをば。ノウハウでも何でもなく、一度乗ってしまえばなんてことはないですが。「松葉杖で国際線に乗っていいのか」という素朴な疑問を抱く手前のような人間もいますもので。

経路は成田第一ターミナル→バンコク→ビエンチャンの場合ですが。どこの空港もあまり変わらないのではないかと思います。

・空港内荷運び時:

カートに荷物と杖を乗せてしまえる。両手でカートに体重をかけてつかまり歩きできるので、歩行器状態とあまり変わらない。楽。

・チェックイン時:

松葉杖の場合、車椅子が必要かどうか尋ねてくれる。ここで車椅子を手配してもらうことも可能。

・ 所持品検査ゲート・セキュリティチェック:

最初、ゲートは杖無しでくぐらねばならないのかと思ったが、ゲート通過用の歩行杖もちゃんと常備されている。あるいは、

杖のままゲートをくぐる→金属探知機反応→ボディチェック→杖だけ戻してX線検査機を通す(その間ゲートの先で待っている)→コンベアから杖を受けとる

の流れで自分はOKでした。杖もしっかり検査されます。中に武器を隠し持つなどはできないようです。いえ、アルミパイプの松葉杖だと中に色々入れられそうだなどと考えもしませんが。そういえば、漫画で乳母車のパイプ内に武器を隠し入れていたテロリストの話がありました。

混んでいると時間がかかるので、もたつくと周りに迷惑になる。すいている乗務員用ゲートに案内してもらえる事もあります。

・入国審査:

特に普通。当たり前だが優先はない。立って待つべし。列が長いと辛いかも。

・搭乗時:

優先搭乗で、並んで待たなくても良いよう、ビジネスクラスのゲートから入れてくださいました。すいません。

・機内:

杖は座席まで持ち込めました(タイ航空の場合。航空会社によって異なるかも) 前のほうの座席、通路側に優先的に配置してくれるようです。が、杖を壁に立てかけて手元における分、窓側のほうが良いかも。つかまり立ちができれば、トイレも特に困ることは無し。

たまたま、完全介護が必要な方が隣でした乗務員さんが介護士をかねてました。乗客の状態に合わせたフォローもしっかりしてくださる。大変なお仕事です。

・トランジット時:

チェックイン時に頼めば、行き先の空港に連絡して、飛行機を出たところでの車椅子を手配してくれるそうです。また、空港内に電気カート車があり、頼めば空港内の移動に乗せてもらうことも可能。

以下はバンコクで乗り換えの場合のみということで、限られたケースですが。

バンコクのスワンナブーム空港の建物は、横に1000m以上あります。誰が設計して誰が認可したのか、利用者として怒り出したくなる構造です。

搭乗ゲートのABC側とEFG側で、逆側に配置されています。
乗り換え時にはゲートどちら側か、搭乗時間の何時間か前にならないとわからないという仕様です。なのでトランジット時間が長いと、次の便のゲートがわからない。ABC側とEFG側を間違えると大変です。しかも4Fの出発階は、免税品店アーケードで人がごった返している中を、延々1km歩くことになり、疲れます。

間違えた場合、一度、到着階の2階に降りると良いです。2階には動く歩道があって、4階と違って楽に移動できます。



以上のような感じで。

自分は、杖無しでも階段以外はあまり支障なく動ける状態だったのですが。片足荷重を掛けられなかったりする状態の方は、やはり大変かと思います。早々に車椅子に乗るのが良いかとも思います。実際、空港内は車椅子の方が目に付きました。後から思うと、杖だと却ってもたついて周りを待たせてしまうので、最初から素直に車椅子にしたほうが迷惑をあまり掛けなくてすんだかもしれません。

結果として、いろんな方に助けていただけたおかげで、通常時よりも、楽でした。その分、係員さんの手間を増やしたり、他の方に待っていただいたりしているわけなので、周囲への申し訳ない気持ちと感謝は忘れないようにしたいと思います。

飛行機は、障害者に優しい乗り物だと思います。配慮しよう、せねばならない、という意識を、係員さん、乗務員さんや、乗客の方々共有してくださっている感じがあります。バスや電車なら、優先席に座ろうとしたら「そこは俺の席だ」と突き飛ばしてくる爺さんがいたり、優先席で立っている怪我人をチラ見しながら寝たフリするOLがいたりしますが。皆、疲れているからなのでしょう。飛行機はその点、通勤電車やバスの戦場のようにギスギスした感じは無く、乗客にも余裕があります。

杖でも電車で通勤できる人なら、飛行機に乗って全く問題は無いと思います。

思えば、一ヶ月半前は病院のベッドで寝たきりでした。車椅子で病室からやっと出られた際に、世界はなんと広いのかと感動していました。人生、メリハリ有りが良いと思います。

一昔前なら、自分の村から出ることもままならなかっただろう奴、こうして数千km隔たった場所に簡単に出られるようになった。そうした社会インフラとシステムを整えてくださった先人の努力と苦闘に、感謝です。


そして、怪我人は、手前の分をわきまえることが、周囲への配慮への感謝ではないかと思います。

と、自分が言うのも、どの口が言うか、という感じですが。

手前は基本怠け者なので、怪我という怠ける口実があったら、ついそれに甘えてしまいます。できることすら後回しにしてしまう。

しかし、働く人間のほとんどが、責任とやらねばならぬことを背負い込み、負担過多状態なのが、現代日本の現状です。誰かが潰れると、他の誰かがその分カバーし、負担の雪崩れ込み状態になる。これは怪我も欝も同じ。

無理をしないで。お大事に。そういう言葉は決まり文句で、言えば終わりなのですが。無理せざるを得ない、大事にしている余裕もない。自分が楽をするとその分誰かが苦しむ。後回しにすればするほど、後から辛くなる。多くの方がそうした状況に追い込まれ、せざるを得ない。それが現実ではないかと思います。

何が本当に無理で、何が可能なのか。自分の体調と体力を把握して、リスクを勘案して、できることとできないことをしっかり腑分けして、できる行動から行って処理していくしかない感じです。

そいういわけで、飛行機での移動は「できる」ことに入れていいのではないかと思ったのでした。

現地の生活はまた、もちろん現地事情によりけりで、それこそ場所により事情は様々ですが。

昔は、海外のダムの施工管理現場にも、骨折して松葉杖をついた技術者を普通に送り込んでいたといいます。それに比べれば今は大分、安全管理を重視してくれるようになったのだと思います。何かあったときの会社の責任と補償が大変というのが大きいとも言う。

いずれにせよ、自分の身を守る責任は自分にあるのだということで、慎重にいきたいと思います。

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2010年05月26日

途上国のPC自己防衛



手前のラップトップPCが立ち上がらなくなりました。BIOSから診断してみるとHDD障害と出ました。
バックアップはあるものの、ここ数日の作業ファイルがパーになったかと思うと、目の前が暗くなりました。

途上国現場で働く人間の仕事環境は、人にもPCにも過酷です。40℃を超す中で人もPCもオーバーヒート寸前フル稼働させている。よって、いつ壊れてもおかしくない状況ではあります。

しかしそれが日常化すると、気にも留めなくなってしまう。
そして、トラブルは、忘れたころにやってくる。

そうでなくとも、現場のモバイルPCは、常に脅威にさらされています。
2,3日ほうっておくと黒いPCが真っ白になる塵の多さによる電子機器への悪影響、気温の高さによるオーバーヒート、安定しない電圧、蔓延するウィルス、治安の悪さ。

ファンが壊れた、サージ電圧が来てアダプタが吹っ飛んだ、ウィルスでOSが動かなくなったなど、盗難に遭ったなど、対応を迫られて予定が狂うのは日常茶飯事です。

特にウィルス。宿やインターネットカフェ、コピー屋のPCなどでファイル送受信やプリントする場合、そのPCはウィルスに汚染されていないほうが珍しい。自分以外のPCにメモリスティックを挿した瞬間に、ウィルスは拾うものです。

ウィルスは、既存のアンチウィルスソフトは対応していないローカルものが多いです。対応していないから蔓延するのですが。ウィルス捕獲したので対応して下さいとソフト会社に連絡するのもしばしばです。各社のウィルス定義ファイルアップデートの中には、自分たちが捕まえてきたものも少なからず入っていると思います。わしら、体を張って未知なるPC風土病と戦いながら、PC疫学に貢献しているんじゃ、と思うこともあります。

問題がおきてPCショップに持ち込んでも、問答無用でデータを消されて再インストールされて、それで高い金を取られて終りです。何を以てしても代えがたい貴重なデータは、一切補償されない。

盗難の危険も高い。先日も、同じ政府のオフィスにいる日本人専門家の方が泥棒に入られて、PC一式盗まれていました。役所の奥部屋といえど、普通に物が盗まれます。他のプロジェクトでは、2分ほどトイレに行って事務所が無人になった隙にPCが盗まれたということもありました。まだ比較的治安が良いと思われていたラオスでも、これです。

PCに余り詳しくない専門家の方が同じチームにいてトラブルに遭うと、その方のサポートで1日が終わったりもする。手前はITのiの字も知らない所詮一般ピープルです。対応できる方が周囲にいないので、必然的に一番若いのが、ということで押し付けられるのは困った物です。大事なPCをこんな奴に診てもらわなければならない側も、とんだ不運です。

出張の多いサラリーマンは、自己防衛するより他はありません。座して動かない本社の人間は、事情はまったく理解してくれません。

PC本体よりも、それまで作業してきたデータのほうが価値はよほど大きいです。それが吹っ飛ぶと損害は計り知れません。データのリカバリや再作業のために作業遅延が発生したり、締切りを破ったり。それも誰も情状酌量してくれません。「PCが壊れて…」「盗まれて…」と言っても、上司やお客様に「何言い訳してやがるコイツ」と思われるだけ。残るのは、「遅れた」「できなかった」という事実だけです。酷い場合は、サボっていた言い分けに嘘をついていると思われて、御仕舞いです。

結局、環境に合わせた対策をしていないほうが悪い。データは無くなる物、盗難は遭うものと心得、普段から予防するしかないわけです。


すっかり愚痴になってしまいました。それでは建設的たるべく本題をば。

メールやマイドキュメントのバックアップのほか、出張者が普段から備えておければ良いのではないかなということを列挙してみます。国内作業でも十分有効かと思います。

というか、まずは自分がやれという、愚生への恫喝です。
ど素人の私が私なりにやるべきことということで羅列します。

○ ハードディスク:

PCのHDDデータ吸出しができる用意をする。ノート用2.5インチのHDDは、外付けのポータブルのものと同型。よって、OSが立ち上がらなくなったりシステムがウィルスにやられた場合、ノートPCから取り外して、ポータブルHDDのケースの中の物と差し替えられる。すると、外付けHDDとして、他のPCのUSBなどからデータを吸い出せる。ケースが外せない密封形の外付けHDDものも多いが、取り外しできるスクリュー止めの物も探せばある。HDDケースのみも、各社から販売されている。非常時に備えてこれを持っておく。HDD取り外し用の小型のドライバーもケースと共に常備しておく。(この作業を行う際は、バッテリーを外して数分置いてからにする。)
なお、バックアップ用HDDは、常にPCとは別の場所に、かつお菓子の袋にでも入れて置いておく。持ち運びの際も、ノートPCとは別の鞄またはトランクに入れる。HDD用の衝撃保護ケースに入れておくと、値打ち物と見られて盗難に遭う危険が大きい。

○OS:

OSのセットアップDVD/CDはどこへ出張するにも必需品として常備しておく。たまたま同じ機種を使用していたとかいう偶然でも無い限り、何かトラブルが起きてもこれが無いと周りはサポートのしようがない。

○ ソフトウェア:

元々のライセンスのあるCD/DVDを持っておくのが一番。普段使うソフトのインストールファイルは、一フォルダにまとめて外付けHDDに入れて持っておく。
しかし、CDは重なると重いし、HDD移しができないソフトも多い。
MicrosoftやAdobe、その他CADなど汎用業務ソフトは、CDを持ち歩くのも嵩で、つい忘れるが、無いと全く作業できなくなる。

よって、万が一に備えて、必要なライセンスのシリアルをテキストファイルにメモしておく。インストールされているソフトなら、ヘルプのバージョン情報を見れば大抵シリアルが記されている。

大抵の業務ソフトは、途上国では1US$ぐらいで海賊版が普通に売られている。無論、コンプライアンス上も人道上も、海賊版使用は許されない。しかし、ライセンスのシリアルはCDに固有ではなく、ソフトさえ同じなら違うCDにそのシリアルを入れればインストールはできる。自分がライセンスを有しているソフトのシリアルを海賊版入れるのが、法的にOKなのかは正直分からない。しかし、CDは単なる形であり、許諾条件を見ると大体ライセンスに対して購入費用を支払っている考えられるので、問題はないのではないか。グレーな領域かもしれない。(どなたがご存知な方、ご教示ください…)。もともと正規品を購入しているのなら、非常手段としては止むを得ないだろうと思う。

○ メモリ:

メモリも小型化し、USBに挿すと5mm程度しか頭が出ないメモリもある。8GBや16GBの小型メモリををPCに指しっぱなしにし、その日の作業ファイルを入れる習慣づけをすると良い。(PCごと盗難されるとどうしようもないが)
PCを持ったま車の川渡しのボートに乗った時、転覆しかけて、とっさにこのUSBだけ引き抜いて、これだけでも守ろうとしたこともありました。

○ ウィルス対策:

ウィルス感染の大部分はメモリスティックから。
まず、メモリのAutorunを切る。(方法はこちら。)
さらに、メモリスティックのドライブを開く前に、メモ帳などで「すべてのファイルを開く」で、メモリ内のファイルの中身を確認するのを習慣付ける。妙なファイルがあれば消せば良い。"Autorun.inf"や、覚えのあるファイル名に.exe拡張子がついていれば、間違いなくウィルス。フォルダ名+フォルダアイコンで.exe にされるものもある。フォルダオプションで拡張子表示を行うのは必須。

辞書:よくバックアップし忘れるのが辞書。無いと非常に困る。IME使用の場合、MSIME辞書ツールから、「ツール」→「一覧の出力」でMicrosoft IME形式のTextファイルで保存しておけば、OSが壊れたり他のPCで作業する際に読み込んで、普段と同じ辞書環境で作業できる。
あるいは、Xpの場合、
C:\Documents and Settings\(アカウント名)\Application Data\Microsoft\IMJP8
に辞書ファイルが入っているのでこれをバックアップしておく。

○ 雷

アジアは雨期になってきました。民生電気系統は雷に大変脆弱です。
やばいと思ったら、電源を抜き、バッテリーモードに移行。とにかくスコールが去るのを待つ。電気がちらついたら相当の電圧変動がある証。まだ大丈夫と思っても、後の祭りになる。


○ 電圧変動:

日本のように、プラグを指したら抜けない電源は、まず無い。電圧は安定しない。よってACアダプタが壊れやすい。雷や近所の工事による負荷変動で、サージ電圧が来てアダプタのコンデンサが吹っ飛ぶこともよくある。アダプタを探しにPCショップを駆けずり回り走る羽目になる。アダプタ故障は予防できるに超したことはない。

ノートPCでも、事務所では瞬停・電圧変動に対応しているUPSを入れる。UPSはピンきりだが、"noise and spike suppresion" "high voltage protection" などの表記のあるものを選ぶ。
UPSのない場所での一時使用の場合も多い。アダプタに付ける海外向けのサージプロテクタが、秋葉原の外人向けショップに売られている。どれほど効果があるのかは分からないが、とりあえずこれを使い初めてからはまだアダプタ吹っ飛びに遭遇したことはないので、結構有効ではないかと思う。

○ アダプタが吹っ飛んだ場合:

あれば勿論、新品を買う。ただ、タイやシンガポールなど供給地に近ければ手に入りやすいが、他国から輸入せねばならない、3ヶ月待てと言われる場合もある。待ってられん。そんな時は、電流と電圧の近い他の中古のノートPCのアダプタを調達し、元アダプタのジャックを切って、電線を剥いて別アダプタとつなぎ合わせて絶縁テープで止めて(+−に注意)、無理やり使う方法もある。

また、別のアダプタすらも手に入らない場合。要はPCのリチウムイオン電池が充電できればいい。電池は直流なので、3Aぐらいなら、アダプタを通さずに車のシガレットライターに繋いで直流12Vで充電するという手もある。現地ならどこでも携帯電話を車シガレットライターから充電するプラグが携帯屋で数百円で売られている。これにPCのジャックを繋ぐ。電圧は、リチウムイオン電池の充電電圧を超えていればそれで良し。

いずれにしても、ジャックを他電源と接続すると不安定なので、新品のアダプタを手に入れるまでの非常手段。

なお、こういう製品もあるようです。使ったことは無いですが。
http://www.thanko.jp/product/pc/carcharger.html/

上の方法を試される方はどうか自己責任でお願いいたします。


偉そうにも上のように並べ立ててしまいましたが。無知ゆえの我がトラブルとして遭遇してから、半泣きで対応せざるを得なかったことばかりです。供えがしっかりしていれば防げたことでした。痛い目に遭わないと学ばない奴です。


そして、わがPCですが。
HDDに物理的障害が出たら、もうあかんやろ。HDDだけ買うか新品を自己負担するかで悩んでいたのですが。翌朝もう一度立ち上げてみると、なぜかセーフモードから復旧できました。HDD障害は何だったんだ一体。単に熱ダレしただけだったのか。

毎日十数時間眺めているPCですが、未だに全く良く理解できません。
自分の家の庭一つでも、理解しようとしたら人生は短すぎるというライアル・ワトソン博士の言葉は、至言だと思います。

雷雨が酷くなってきました。ようやくそろそろ雨期です。この暑さが和らぐのは良いですが、PCは更に危険な環境に追いやられることになります。

出張先や過酷な現場にある皆様の、無難なるPCライフをお祈りいたします。

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2010年03月19日

UXOと軍事技術

現在、さまざまなGISデータを各省庁から駆けずり回って集め、整理しています。

その中に、UXO(unexploded ordnance、不発弾)というもののデータがあります。

出典は米国の戦闘記録データベースであり、インドシナ戦争の米国の爆
撃記録がさまざまなデータベースに記録されています。
ラオスのデータは、UXO Lao(http://www.uxolao.org/)という、UXOの情報を取り扱い調査や除去を行う機関が管理しています。以前は不発弾除去は外国の支援組織が部分的に行っていただけでした。昨年から日本のJMAS が支援参加し活躍しています(http://www.jmas-ngo.jp/)。


UXOは、道路、水力発電、送電線など、さまざまな開発事業の対象のサイトにも埋まっています。このため、安全性確認のために必ず調査しなければならない項目です。

ラオスは癒しの国と言われるほど、ラオスの人々はみなおっとりとして、争いを嫌い、のんびりとした国民性です。Lao PDR (People's Democratic Republic)は、Lao Please Do not Rush (急がないでください) であると揶揄されるほどです。

かつてこのおだやかな国が、フランスの植民地であり独立のために戦ったことやベトナム戦争で戦火に晒されたことなど、普段は想像もできません。

ラオスは14世紀にランサーン王国(百万の象の意味)成立、その後ビエンチャン王国、ルアンプラバン王国・チャムパサック王国の三王国時代を経て、1893年フランスの植民地になります。1945年、日本軍がフランスを追い出したのをきっかけに、ラオスで祖国回復の運動が立ち上がりました。ラオス独立のために1946年、パテート・ラオが組織され、1950年より対フランスゲリラ闘争が開始されます。1953年10月にフランスは植民地支配を終結。そして、1965年ベトナム戦争が始まりました。

ベトナム戦争時、北ベトナムが物資を輸送したルートが通称「ホーチミン・ルート」と呼ばれます。このルートの9割が、実はラオス国内にありました。
米国はベトナム戦争中、このホーチミン・ルートをたたくため、膨大な爆撃をラオス国内に行いました。この傷跡が、今UXOとして刻み込まれています。

なお、米国はラオスの屈強な山岳民族であるモン族を傭兵として雇い、米兵の代わりにパテート・ラオやベトナム兵と戦わせました。モン族の村は根こそぎ徴発され、白人の身代わりとして同族殺しする羽目になりました。このためモン族はラオス・ベトナムから恨みを受け、報復攻撃を受けました。モン族の1/4が死亡したといわれます。これらは「モン族の悲劇」という書籍に詳細に書かれています。今も開発において、モン族の地域は非常にセンシティブな問題として取り扱われています。環境影響評価では少数民族に対する配慮は必須事項ですが、開発地域にモン族がいた場合は特に慎重です。社会配慮事項は、報告書数センチの分厚さに亘ることになります。

1975年8月22日、パテート・ラオの女性部隊が中国製ロケット砲と共に首都に突入。ラオス全土開放宣言が為され、この日が終戦となりました。ベトナム戦争はすでに4月30日サイゴン陥落をもって終結しています。

米軍は、有り余る爆弾を、ホーチミンルートをはじめとしたラオス国内に投下遺棄しました。持って帰ると重く、燃料代がもったいないという理由だからだそうです。
これが、現在、UXOとしてラオス国内に恐ろしい数が埋もれ残されています。

UXOは、その辺の農地にも、そこら中に転がっています。子どもたちが見つけると、手ごろなおもちゃとして遊ぶ。事故の中には、農作業中の母親がこれを見つけ、子どもにおもちゃとして渡し爆発、死亡した例もあるとの由。
UXOは、地方の生活のあちこちに関わって出てきます。UXOによるくず鉄が、村人にとって貴重な現金収源になることもあります。
たとえ爆発事故がおきて怪我や死亡があっても、記録や報告はほとんど行われないという現状です。毎年、百数十人が爆発で死亡しているだろうとの由。障害、後遺症が残る方も多い。怪我や報告されない数を入れるとどれくらいの被害が生じているのか。正確な統計データはありません。


UXO.jpg
山中に転がっているUXO。


このUXOのGISデータの中身を見て、度肝を抜かされました。

米軍の投下位置座標、爆撃機の種類、爆薬の重量・投下量・種類・カテゴリー、目標物、爆撃の結果、などのデータが収められていました。
1965年から1975年の、インドシナ戦争による、ラオス、カンボジア、ベトナムへの爆撃記録。その数、1,634,834 件。

160万件以上のデータが、詳細に、しかもデータ漏れがほとんど無い状態で、整理されていました。

1960年代後半から70年代前半の時代に、それだけのデータを、GPS位置情報とともに米国が記録していたということに、眩暈がしました。

GPSは今でこそアウトドアのみならずカーナビや携帯電話に用いられ、身近なものになっています。もともとは、GPSのための衛星は、米国が軍事用に打ち上げたものでした。戦闘機や軍艦の位置確認や航法支援、巡航ミサイルの制御が主な目的でした。後に民間も使用できるようになりましたが、その当初提供されていたデータは、軍事的理由によって意図的に精度を落としたものでした。これの精度低下は2000年5月に解除され、現在では安価なGPSとして十分な精度で、一般人だれもが、安易に位置を測定することができるようになりました。

そして、GPSのデータを処理し、地図作成や分析を行うツールに、GIS(Geographic Information System、地理情報システム)があります。これはGPSの座標や衛星画像を絵的に管理し、同時にデータベースとしてデータを蓄積し、さまざまな分析を行うソフトウェアです。GISは各開発機関も調査や計画に導入し、各省も必ず所有しています。国土情報の管理はもはやGISなしには成り立ちません。各援助機関もGISのためのトレーニング、人材育成の支援を途上国政府に提供しています。現在は開発計画を担う人間の必須ツールとなりつつあります。

(ただ、GISのスキルを身につけると民間で高給で食べていけるようになるため、政府でトレーニングを受けた人間が給料の悪い政府を軒並み辞めて民間に流れてしまうという、良いのか悪いのか、という結果もあったりします。政府に人材がいない国は伸びないです)

なお、カーナビやGoogle Earthも一種のGISです。
このGISも、米国空軍の技術として開発されたもので、もともと軍事地理データ処理のために用いられたものです。


そういえば、そもそもインターネットも、元は軍事技術でした。


GPSもGISもインターネットも、元は兵器です。
広島長崎の原爆、東京大空襲はじめ各都市の空襲で数十万の日本の民間人を虐殺したのもまた、兵器です。

上司はラオスの方から、「日本も原爆や空襲があったから、同じだね」と言われたことがあるそうです。

われわれが日々依存している技術は、戦争により開発され発達したのだという容赦のない事実に、打ちのめされた思いがしました。

UXOのデータは1965年から1975年。米国のGPS衛星の利用が始まったのが1970年といいますから、ベトナム戦争中はまさにリアルタイムで位置情報技術を開発・発展させていたのでしょう。

今でこそ、ACCESSやオラクルなどのデータベースのソフトウェアが充実し、一般人も普通に手にできます。そして、ひとたびプログラムを組みシステムを開発すれば、コストはかかりますが数百万のデータの管理が可能です。自分は1万やそこらのデータベースでもひいこら言って投げ出したくなっていますが。ネットショッピングもネットバンキングも電気電話水道料金も、みなデータベース管理がされています。

一方、1960-70年代。データベースどころか、パンチカードでPCを動かし記録していた時代。パソコンなど無く、巨大な電算機だった時代。記録媒体としてようやくフロッピーディスクの開発が始まったに過ぎない頃に。ここまで膨大な位置情報とそれに付随するデータが整備され管理されていた。ちなみに、上の160万件のデータは、dbf形式のファイルでででも640MBほどあります。

軍というものの組織力、管理力の巨大さが身にしみてわかりました。
1年2年という時間は技術開発にとって十分に長い時間です。3年もあればひとつの技術は世代交代します。一方、上の例では、軍事技術は一般技術の30年先を行っていたといえるように思います。

ひとたび戦争というものが絡んだときに、技術が、いかに膨大な人的・経済的資源が注がれ、開発され、発展され、加速されるのかを実感しました。

そして、手前の行っていることなど、軍という組織の前には、児戯の児戯に過ぎないということを思い知りました。

もちろん、兵器も、目的さえ変えれば、生活に密着した便利なものとなり、人々の真の利益に繋がるものになります。現在の便利な生活は、軍事技術の集積の上に成り立っているのは、紛れも無い事実です。

ふと、大鳥圭介が、若い頃科学技術に目覚めてから、江戸にて軍事にのめり込んだ原因が、よくわかった気がしました。

軍事技術は、誰もがリソースを注いでくれ、効率よく、効果が高く、そして、早く実現できる。

超現実主義でとにかく役に立つモノを希求する大鳥が、そこに引き寄せられない理由はないだろうと思いました。


軍事は元来、とても身近なもののはずなのでしょう。
使う人と目的次第で、破壊にも生産にも用いることができます。ただ、目的が戦争でなければ、安全性やリスクや採算を度外視したすさまじい力が注がれることもなく、ゆえにこれほどの速度で進歩することもなかったでしょう。

軍事技術のおかげで今の生活があるということは、紛れも無い事実です。


平和教育の名の下に、軍事を遠ざけ忌避している現在は、本当に正しい姿勢であるのだろうか。
技術を生産に用いるのも、身を守る術に利用するのも、まず知識とそれに基づいた思考力が必要です。平和を求めたいなら求めたいほど、しっかりと軍事の知識をつけそれを好ましい方向に利用できるよう、現実を知る必要があるのではないか。
そう、改めて思いました。


今回の話題は重かったので、以下をご紹介して終わります。

日本海軍もとい海上自衛隊のページ
http://www.mod.go.jp/msdf/formal/family/recipe/menu/today/index.html

この軍事技術。あるまじき充実具合です。いろんな意味で、日本は凄いと思いました。



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2009年12月26日

山の国のSEAゲームと中国

え、もうクリスマスも済んで、いきなり年末なんですか。いつの話なんですか。

という感じの、ラオスです。更新と同じく、時間感覚が飛んでいます。回線が細くて、全くブログのポストができませんでした。

夏からブータンとラオスを行ったりきたりで、乾期の炎天下の中、走り回っていました。年末一旦帰国しますが、今、寒いということが想像できません。

首都ヴィエンチャンは、つい先日まで、SEAゲームという、2年に1度開かれる東南アジア版オリンピックで大賑わいでした。海の無いラオスでなぜSEAゲーム?という感じですが。単に、South East Asia Gameの略だそうです。

ラオスではこれまで開催したことの無い大規模の国際大会に、ビエンチャンは大わらわ。英語を話す人も限られているため、対応のために省庁の職員が大量にボランティアで借り出されてしまいました。誰にコンタクトしても、SEAゲームが終わるまで忙しいと、袖にされてしまいます。おかげで仕事が進まない。データが取れない。

連日お祭り気分で、待ち行く人は皆、SEAゲームプリントのTシャツ姿です。
人気のサッカーの時間は、町から人が消える。皆テレビを食い入るように眺めているので、さながらゴーストタウン。そして点が入ると、町中が歓声に包まれる。優勝したのはベトナム。ラオスは残念ながら4位でした。

電力需要も激増。一基1MWほども電力を使う数基の照明や、新設の道路などの電力のために、電力会社は、鉱山や工場などの大口需要家への給電分を一時的に調整して回してこなければならなかったとのこと。

ラオスにとって、SEAゲームを開催できるようになったということは、ラオスがここまで成長したのだという誇りであるようです。東京でのオリンピック発開催の際と、雰囲気が似ているかもしれません。実際、ラオスは、人口増加率2.2%に対し年率8-10%の経済成長を重ねています。

さて、SEAゲームのスタジアム会場は、中国が援助で建設しました。タイの一部のようだったラオスですが、近年急速に中国が入り込んでいます。中国がアコギなのは、スタジアムを無償で作る代わりに、何と5万人の移民をラオスに受け入れさせようとしたこと。これは2万人まで減らしたそうですが。中国がどんどん、ラオスに侵入しているのを感じます。来る度に、町に中国語の看板が増えています。ラオス、カンボジア、ミャンマーなど東南アジアに限らず、アフリカ、中東なども同様。世界中華化計画という言葉が脳裏をよぎります。

世界中の資源獲得における中国の暗躍は、お茶の間テレビ番組の題材にももなっていると思います。その実態を目の当たりにするにつけ肝を冷やします。ラオスは、東南アジアのバッテリーたる水力発電の宝庫ですが。そこへの中国の資金の流れ込み様は、すさまじいです。国の電力局や電力会社の上の方々は、しょっちゅう中国にご招待されていて歓待を受け、なかなか面談もできません。

特に歯がゆい思いをさせられるのは、中国の効率的すぎる手口です。日本が、事業化調査だの環境影響評価だのを慎重に行っているのを尻目に、中国はとにかく、投資して建設を始めてしまう。本来、認可が下りていないと建設開始できないはずの環境調査を、建設が終わってから始めたりするのは、顎が外れそうになります。例えば先日も、ビエンチャンの北で中国が建設しているダムの下流の維持流量を知る必要がありました。維持流量は下流の住民の生活に直接関わるので、およそ河川に関わる者、必ず検討すべき項目です。しかし、調査報告書や環境報告書をひっくりかえしても、何も出てきませんでした。同じようなことが世界中でまかり通っているのかと思うと、目の前が暗くなりました。

必要な調査を綿密に行い、技術的環境的社会的に妥当で最善を目指すのは、重要なことです。日本人の技術者たちは、よいモノを作ろうと、連日、汗だくになって働いています。ただ、今の日本の真面目なやり方だと、必要な配慮もろくにせずにとにかく事業開発権を握って建設してしまうという中国の手口には、到底太刀打ちできません。

日本が税金からお金を出して調査設計の技術援助した案件を、中国が横から掠めて実施して利益を上げようとしているものも多い。日本が作ったマスタープランで提案された案件を、中国が中国の名の下に実施する。事業性の良い開発案件が、中国の資金を注がれ、根こそぎ、ひっさらわれている。また、日本の援助案件で、建設や調達を国際入札し、価格の安い中国企業が競争に勝って業者として利益を得る。挙句、品質の悪い中国業者の仕事に悩む日本人エンジニアは後を絶たない。難しいのは、案件発掘と、設計の技術です。そこを日本が中国のために、税金で援助してやっているようなものです。日本の国益とは逆の方向性になっているように感じます。

途上国は、多くが、明日の電力が不安、1日でも早く道路がほしい、という状態です。そこに、中国の開発スピードは、諸手を上げて歓迎されるものです。それに対して日本の援助は、速度が遅い。調査を何段階も行わないとならない上に、役所、省庁の承認に、とかく時間がかかる。いくら高い技術、環境によい案件といっても、10年掛かるようなら、相手の国に望んでももらえません。

中国のスピーディさと、日本の技術の高さ・信頼性を両立させる、抜本的な姿勢の変換が求められているように思います。案件の検討、承認にかかるプロセスの遅さは我々技術者では如何ともしがたいところですので、ここは官僚の方々に頑張っていただきたいです。

スピードだけではなく、案件の質そのものにも、中国のなりふりかまわなさを感じます。
ホンサリグナイトという計画が、北西部のサイナブリ県にあります。タイと中国で39億ドルを共同出資し、1800MWを褐炭で発電し、タイに送電するという、とんでもない計画です。褐炭の鉱脈がタイからラオスに伸びていて、当初はタイ側に建設予定でした。しかしタイで環境問題が懸念されて反対されたため、ラオス側に建設することになったというものです。しかも燃料は、水分量が高く発熱量が低く、品位の低い褐炭。大量の二酸化炭素と大気汚染物質を放出します。ラオスは、火力発電所の環境汚染だけ受けて、電力は全部タイへ送られる。製品は全部持っていかれてゴミだけ押し付けられる形になります。

ラオスは現在、9割以上が水力発電というクリーンエネルギーでまかなわれ、電力輸出用水力の開発が進められています。世界に冠たる、再生可能エネルギー立国です。そこに今、そんな石炭発電なんぞを作る必要がどこにあるのかと思います。ラオスの水力開発を目の敵にする国際NGOはたくさんいますが、まずこれに目を向けてほしいと思います。

私は水力発電に肯定的です。水力発電が問題になるのは、色々ありますが、主に、ダムが必要な場合、川魚の遡上を妨げる生態の問題と、堆砂、水没地域の住民移転が問題になるためです。生態と堆砂は技術的に解決可能な項目です。避けられ得ないのは住民移転です。どんな人間も、他人の土地家屋資産を奪う権利はありません。住民が納得して移転してくれるよう、補償が必要です。しかし移転後に色々問題がでるため、NGOなどから槍玉に挙げられています。

ただ、例えばナムグム1水力発電では貯水池に豊かな漁場が出現し、移転した周辺住民を潤しています。移転先では、道路や橋、電気など工事のために整えられた基本インフラにより、住民の生活水準は、周辺県よりも相当豊かで、所得水準も二倍以上という例もあります。水力開発においては、住民移転を避けるために計画自体をキャンセルしたり、ダムの高さを下げて貯水池を小さくして、水没地を減らしたり(その分電力は減る)することも、盛んに行われています。そういう開発側の視点は、触れられることがあまりありません。

住民が移転後に、移転前より幸せになれるよう、事業者が綿密な対策を行い費用を注ぐなら、住民移転や用地取得は正当化されると、私は考えています。そもそも、住民移転、用地取得を避けずして、開発はできません。ラオスでも、それらが生じる場合は、Resettlement Action Plan というのを策定し、移転者が一方的な不利益を被ることのないよう、配慮を実施する枠組みがあります。

日本は、この開発と住民の問題について、昔から数多くの悩みと問題に正面から取り組んできました。

例えば、御母衣ダムの「幸福の覚書」という、日本の国の開発の必要と、故郷を守りたい住民が、闘争の末に歩み寄った例があります。

「御母衣ダム建設によって立退きの余儀ない状況に相成ったときは、貴殿方が現在以上に幸福と考えられる方策を、我社は責任を以って樹立し、之を実行するものであることを約束する」

という覚書です。昭和31年、当時の電源開発株式会社が、御母衣ダム絶対反対死守会に対して結ばれたものです。明瞭簡潔にして、開発者の責任がこの上なく込められています。開発者が、涙を流しながら膝詰めて心情を吐露した上で住民に理解を求めた結果でした。これがきっかけとなって、絶対反対の声は静まり、住民が最後には日本の未来を見据えた大局的な立場に立って、ダム建設に自ら協力するという流れになりました。

当時の日本はまさに戦後復興が始まり、電力が国の動力として必要とされた時代。慢性的な停電と朝鮮特需の電力需要の急増の中での、御母衣の水力発電215MWの電力は、救世主です。この「幸福の覚書」は、開発者が住民に対し接する際の、良いロールモデルであると思います。他国に示したい例です。

なお、この御母衣ダムは、「ひぐらしのなく頃に」という有名なゲームノベルのモデルにもなっています。主人公たちがかつてダムの反対同盟側にあり、ダム反対により守られた故郷が舞台だったという点は、プレイヤーには印象深い。それが若者の価値観に影響を大きく与え、ダム開発=悪と単純に印象付けられてしまいかねないのは、残念な点ではあります。ゲーム自体は今の日本の若者文化の底力を見せ付けるような、すばらしく奥の深いゲームだと思います。作成者には尊敬と畏敬の念が沸きます。

ただ、メディアを享受する一般の方々に対して感じるのですが、道路にしても水道にしても電気にしても、今の日本人一人一人は、こうした技術者と開発の犠牲になった人たちのおかげで、開発の恩恵を受けて生活している。その事を、普段から自覚してくださる方が増えればいいなと思います。
便利になった点だけを楽しみながら、一方で便利にしてくれた行為を罵倒するのは、寒いです。そういう人が、例えば停電すると一番先に文句を言うんですよな。

…と、婆くさいことをのたまいつつ。


SEAゲームが終わったビエンチャンは、祭りの後で、なんだかひっそりしています。ちょっと寂しい中、寒い日本を思いつつ、パッキング作業です。
タグ:ラオス
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2009年09月18日

山の寺

34.4%の人が「大型連休はいらない」なのだそうで。その理由に、「どうせ休めない」とあるのが、正直で良いです。こういう共感性豊かな記事は、いいですなぁ。

閑谷と上郡の祭典に行ってきまして。はい結局、我慢し切れなくて、突発的に行きました。後でアップします。
その直後からブータンです。休日何それ。高地に体を慣らす間もなく、いきなり山地の村に入っていました。運動不足でボロボロでした。

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ブータンの村。切り立った山上の山肌に、僅かな田畑を切り開いて住んでいます。何を好き好んで、そんな過酷な所に住むのかと、いつも疑問です。単に、そこ以外に住む所を知らないから、というのが大きいのではないかという気もします。

政府は、こうした僻地の村は遠すぎて、電気も水も水道ももたらすことができないので、村ごと移転しようという計画を持っている由。移転費用は全て政府持ち。幸福には、基本的なインフラが必要という認識からです。住みなれた山を離れて住み良い下界へ行くことを、村人が選択するのかどうか。興味深い所です。

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その山の上の、さらに孤立した地界の果てに、ぽつんと寺があります。ここまで極限を突き詰めなくても、もうちょっと他に修行する所もあっていいのではないかと思います。

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近寄るとこんな感じ。登り登り登り、さらに嫌になるまで登ると、ぽつねんと、お寺があります。

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お寺の中。

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寺の脇の家。
茶と果物をいただきました。疲れた体、乾いた喉に入れる茶の、美味い事美味い事。施しが、とてつもなくありがたかったです。

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寺のじーちゃん。いい顔で笑います。

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プナカの谷。棚田の稲が黄金に色づいてきて、まぶしいです。魂が抜かれそうなほどに綺麗です。


山好きの人には天国だと思いますが。運動音痴メタボ人間が身の程知らずに山に入ると、辛くてたまりません。作業量は一向に減らず、考えなければならないことが山積みで、肉体的にも精神的にも、根を上げたい。もっと楽に食っていく方法もあるだろうに、と思います。我が身の器の小ささを思い知るだに、自然、うつむいて地面ばかり見てしまいます。

それで、足元を見ると、石がきらきらしているのに気付く。ここの地質は石英を含む花崗岩だからか、石や岩肌が光を反射して瞬いている。これがまた、心に染みてくるぐらいにまぶしいです。

そうすると、何というか、お前が悩もうが苦しもうが、自然には良い物があって、それは変わらない。つべこべ言わずにやることやれ、とでも言われているようで、そうかいそれならやってやるわ、とやけっぱちなやる気が出てくる。

光る石は、一つ一つが、手に入らない宝石のようなものだと思えてきます。金で価値勘定すると、石材の材料ぐらいの価値しかないですが。そういう自分の中だけにしか通用しない宝石もあって良いんじゃないかと思います。そうとでも思わなければ、本物の宝石を手にできない貧乏人はやってられん。

それで、こうした地上から隔離された場所の数々に、暗闇の夜を照らす照明や携帯電話充電用の太陽光発電を入れようとしています。

太陽光発電は永久に自然のエネルギーが得られるという認識がありますが。実際は、バッテリーが2,3年でダメになってしまったり、コントローラがダメージを受けたりで、故障しえます。特に一般人が遠隔地で使う場合は、持続性が問題になっています。僻地のユーザーは、自分で機器を入れ替えるだけの貯蓄や伝がないので、壊れるとほとんどの場合、放っておかれるままになります。それで、途上国の僻地電化における太陽光のシステム自体が疑問視される場合もあり、ブータンも例外ではありません。それで、どうにかして長く使い続ける方法が模索されています。

そこに、太陽光機器の納入業者が頑張っています。照明をCFL(蛍光灯)からLEDに変えたり、バッテリーに代わる別の方法の情報があったら飛びついたり。政府よりも、実質的に真面目に考えているかもしれません。直接現地に機器を持っていって、設置するのが彼らだから、真剣にもなります。その業者の方の言葉。

「生半可な機器を入れて壊れたら、私にモンク(僧)が文句を言う。モンクに呪われると、死んだ後の私のカルマ(業)に影響するのだ。私の次生を健やかにするためにも、私には持続的な良い機器を設置する責任がある」

モンクの文句は、Monk complains を直訳しただけで、他意はないです。
えぇと。良い仕事をするモチベーションを持つのは、必要な事だと思います。日本人にはマネのできない義務感です。

輪廻と業が普通に道徳の柱としてあるのは、毎度吃驚します。常に死んだあとの次の生のことを考えて、善行を意識する。殺生はしまいと、蚊すら殺しません。見上げた姿勢です。でも、蚊取り線香は使うんです此人たち。自分の手で殺すのでなければ良いのか。

死といえば、ブータン人は、墓を作りません。火葬して、骨は粉にして川に流すのだそうです。輪廻転生を信じる仏教は本来こうであるのだと思います。
なお、骨は、もし利用可能なものが残されたら、プジャという楽器の材料にされてしまうのだそうです。なので、土葬をする宗教の方がブータンで亡くなると、困る。土葬をすると、どこからともなく人が墓を掘り返して、骨を持っていってしまうのだそうな。知人から聞いただけの話なので、本当なのかどうかは分かりませんが。

日本人がブータンで死んだら、墓も作ってもらえず、骨も流されて帰れないのか、と思いました。運動神経の無い奴が体力ぎりぎりで断崖絶壁の中踏査をしているのだから、それも結構、現実味を感じます。予め周囲に、自分が死んだら国に骨は帰してね、と言い置いておけばいいのでしょうが。なかなかそういうことは普段から言い出せることではありません。まぁ、自然に還り、骨まで廃物利用までしてもらい、残るものもないというのも、それはそれでいいものかもしれない。いや私は畳の上で孫曾孫に囲まれて真っ当に死ぬ予定です。小学生のときにそう決めました。孫どころかそれ以前に自分一人の生活も成り立たせてませんが。

現世には訪れるだけ、という刹那な観は結構好きです。人間、名や名誉を気にしますが、現世にしつこくこだわって、自分の名前やら家やらを良く評価されながら残すのに必死になるのは、余計に名を損ねている気もします。墓なぞないほうが、すっきり生きられるのかもしれません。墓で名を残さないといけないような生き方をしているわけでもなし。いや偉人を追う側にとっては、墓はあったほうが勿論ありがたいですが。

そんな感じで、色んな人に寄りかかりつつ、生きています。
トレーニングとかアドバイスとか偉そうなことを言いつつ、自分が精神的にも肉体的にも魂的にも、鍛えてもらっています、というか、ようやく人並みに近づけてもらっている感じです。
自分が寄与できるのは、この国の南京虫に吸わせる血ぐらいしかないなぁと思います。それにしてもどこで拾ってきたのか、体中が痒くて仕方がない。

タグ:ブータン
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2009年08月14日

凄い国

凄い国がある。

その国は、名前を知る者すら稀な、地図の片隅の、資源も産業もろくに無い、外国語を話す者もほとんどいない、孤立した小さな途上国だった。

その国では、飢饉に加え、天然痘やコレラなど疫病が蔓延していた。現政権への不満が膨れ上がり、大きな内戦となった。保守派と革新派で、国内を二分して争った。国土は荒れ果て、国民は皆、疲弊しきった。

内戦後、勝利した革新派により新しく政府が樹立された。ゼロからどころか、大きなマイナスからのスタートだった。資金も人材も無かった。
自立した国となるため、政府にとって、数々の改革を試み人材育成を行うことで、近代化を達成することが何よりの急務だった。

その国は、いかなる援助も受けなかった。
先進国からの無償援助も、開発銀行からの低金利融資も無い。開発の資金は、税金による自前の収入と、外国債の発行より充当した。

一方、先進国からの事業への投資は、徹底して固辞した。外資が入れば、事業の利益を奪われ、自国の発展のイニシアティブが阻害されると考えた。政府は、自国の発展は自国の手で担うという、高い矜持を有していた。

内戦直後、まず政府は、自国の費用で、百名以上から成る視察団を先進国へ派遣し、1年以上かけて税制、教育制度、産業技術、インフラを徹底的に調べた。その調査を元に、数々の法律を整備し、税制を確立して収入体制を作り上げ、自国の制度を整えた。厳しい財政の中で公務員の給料や待遇を優遇し、優秀な人材を中央に揃えた。

内戦3年後、政府はその国初の鉄道を建設した。費用は政府の外国債(借金)で賄った。現在価値に換算して総額約480億円、利子は9%と高い。知名度も信用もない政府であったので、当時の国際金融でもべらぼうに高い国辱ものの利子だった。
建設された鉄道運営による収益では、この借り入れ額はカバーできなかった。しかし10年後、他の財源から充当し、政府は耳を揃えてこの借金を完済した(1)。その後、政府は国内各地に、物流の動脈となる鉄道を、自国の資金と自国の技術者達の努力により張り巡らせた。

政府は、工業化により所得を向上させるために、先進国からの技術導入を徹底的に図った。
内戦8年後、この国のThe Public Works Department(直訳:公共事業省)に雇用された外国人コンサルタントの数は264人。外国人専門家・技術者の給料は、平均でも国内技術者の20倍以上、大臣や議員に匹敵する給料だった。事業費も含めた省の総支出313億円の内、外国人技術者への給料はの1/3が外国人技術者への報酬だった(3)。無論、全て政府自前の費用だった。

その負担は、貧乏な政府に大きくのしかかった。政府は、外国人技術者のための支出を削減するため、必死に自国の技術者を育てた。

政府は、年間約300人の優秀な学生を先進国に政府の費用で留学させ、後の政府の人材とした。また、自国内にエンジニア養成のための科学技術大学を設立した。実務者も外国人技術者から技術を吸収し、専門性ある管理技術者となった。なりふりかまわぬ実力主義の人材登用が行われた。大卒すぐの若輩者であろうが、旧体制派の戦犯であろうが、知識と技術力があれば、プロジェクトマネージャや局長クラスに抜擢された。科学技術大学の卒業者たちは、留学して先進国の技術をさらに身に付けた後、政府事業の総合監理技術者や大学の指導者となった。
こうして国内技術者たちは、高価な外国人コンサルタントを代替していった。

その5年後、内戦12年後には、外国人コンサルタントの数は半減。一方、国内上級技術者の数は4倍に増えた。政府は鉄道、通信、道路、港湾などのインフラ整備を進めた。また、国営の模範工場の民営化を主体的に行い、民間の経済を亢進させた。

一方、国内技術者たちは、自らが学んだ外国人技術者に対して一生恩に感じていた。国内の各地に銅像と顕彰碑を建て、数百種類の伝記を記し、その功績に感謝し彼らを称えた。外国人技術者はその国自前の費用で招かれ、高額で雇われたのであり、技術移転が成り立ったのはその国の高いオーナーシップと自助努力、そして国内技術者たちの真摯さの賜物である。しかし、技術者たちは自分ではそれを誇らず、謙虚にも外国人に感謝した。

この謙虚さと真面目さこそが、この国の民力を底上げした。

その後も政府は、先進国の技術を取り入れ続けると同時に、自国の在来産業にも重きを置き、民間産業を育てた。そして、就学率・識字率は世界でまれに見るほど高く、貧富の差の少ない社会を作り上げた。一方で防衛力を高め、自国のセキュリティには細心の注意を払い、紛糾しがちな国境の安定に力を注いだ。

内戦30年後、この国は先進国の仲間入りを果たし、世界の注目を集めた。

現在この国は、援助と技術移転を他国に対して行っている。戦争により国土は再度荒廃しながらも、高い教育度、民力の高さの土壌があり、ミラクルと呼ばれる復活を遂げた。そして、GDPあたりのエネルギー消費量はアメリカの半分、外貨準備高世界一やGDP世界二位を記録したことのある、環境・経済立国となった。

この国の名は、Japan。
内戦とは、明治維新の戊辰戦争(1867年=明治元年)を指す。

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歴史だと言ってしまえば、それで遠い世界のことになってしまう。

明治の技術者たちは、いざ産業の開発と国の発展を担わされても、初めてのことだらけで右も左も分からない状態だった。前例もマニュアルもガイドラインも無い中、赤字経営で非難されても、とにかくやってみるしかなかった。140年前の話であるが、現場にいれば案外身近な話である。

業務で、途上国の現地技術者の実情や本邦研修の様相を見聞きすると、援助とは何か、技術移転とは何かということを、凡庸なりに考えたりする。そして、我らがご先祖様達は、本当に大変で真面目で、豪かったのだなぁと思う。

モデルは自分の足元にあったことに気づく。

だからといって、日本はこんなに頑張ったのだ、だから貴方達も頑張れなどと、野暮なことを相手の国の方に言えるはずはない。先祖ではなく今の自分の姿を見て日本は凄いと思ってもらえなければ、意味がない。

正直、日々の業務で要求されている些細な事項に対しても、自分の力不足をかみ締めるばかりの毎日だ。ご先祖様たちにあの世で会って恥ずかしくない仕事を今しているかというと、全く自信がない。不甲斐なさをどやしつけられて終わりだと思う。

と言いながら、先祖の幽霊よりも、上司の白い眼のほうが怖い。

とりあえずは、会ったことのない御先祖様よりも、目の前の相手国の人々に対して恥ずかしくないように、一つ一つやっつけていくしかないと思う。今の途上国の技術者たちも、明治技術者のように真面目だ。こういう人たちがいれば国は伸びる。そう思わせられる目に出会うことは、喜びだ。


自分の元気は脆くて、何かあるとすぐに挫けそうになる。
元気は波のように伝播する。一人の元気は、周囲皆の元気に繋がる。
「恥ずかしくないように」という後ろ向きな動機でも、元気を固める土台の一つになればいいと思う。
先祖たちの頑張りを知ることは、そんな元気の支えの一つになる。

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(1) 明治三年、九分利付外債として百万ポンドを発行した。当時1$≒1円、1ポンド≒4.8円。
(2) 当時は「工部省」と称した。数字は「工部省沿革報」より集計。
(3) 省の予算の2/3がお雇い外国人の給料であったとする資料もある。
(*) 金額は全て概算値。1円(明治前期)≒1万円(現在額)として換算した。実際は当時1円の現在価値換算額は幅があり、1円(明治前期)=3万円(現在額)とする場合もある。
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別の所で書いた文章でした。同業者向けだったので、用語が堅苦しいのはお許しください。

明治の30年間を、維新とか殖産興業とか富国強兵とか植民地化などの歴史用語を使わず、今の言葉で書いたらどうなるかと思い、半分遊びで書いてみました。

日ごろ私のたわごとを聞いて下さっている方には、オチは見えていたと思います。一方、こうしたわが国の土台を意識せずに過ごしている方も、たくさんおられるのではないかと思います。

こうして書いてみると、今の途上国の援助漬け状態と比較するにつけ、つくづく、明治日本はよくやったと思います。もちろん、植民地支配の圧力をひしひし感じ、国一丸となって不平等条約撤廃に向けて動いたという動機も大きく、先進国の善人の方々が、無償援助、ソフトローンをいくらでも出してくれて、その額で張り合っているような現在とは全く違った状況でした。自分でなにもかもやらなければならない弱肉強食の世界。周辺の数々の国は、列強の植民地の魔の手に屈していき、今も続く途上国の現状に繋がりました。その中、日本が独立を貫ぬけ経済大国となりえたのは、何よりご先祖様たちのひたむきで誠実な生き方があったからこそです。

明治初期、自分の頭で考え、自分の足で立ち上がって、追いつき追い越せをやった日本は本当に凄い国だったし、その日本を牽引した方々、日本を一国民の立場として底で支えた方々は、真面目で真摯で、偉大だったと思います。

これを過去形で終わらせるか、現在進行形にするかは、今を生きる我々一人一人の姿勢と行動にかかっているわけです。GDPは転落したとか、総幸福量は低いとか、ネガティブな面ばかりあげつらうだけで何もしないのは、他者のやる気を奪うばかりです。自分なりに一生懸命、仕事の質を上げて、あるいは家族を支えて生産性を高める、日本人として当たり前のことが、自分と国の幸せに繋がることなのだと思います。


などとお為ごかしをやりながら。仕事をサボってたら何にもなりません。
お盆中で人がいないと、どうも身が入らんです。
ええと、帰国してます。炎症を起こして食事制限中。酒も飲めません。せっかくの日本なのに美味いものも食えんとは、何の罰かと思います。お祭が催されている湾岸地方を、遠い目で見つめるばかりです。

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2009年07月19日

Drag me up!

毎日激しい雷雨の、ラオスです。
ブータンから、一瞬だけ東京に戻り、そのままこちらに来ました。

日中は干上がるぐらい熱い。暑いではなくて、熱い。雨季のムシムシした空気に40℃以上の気温が重なって、天然サウナです。そして積乱雲が発達して、夕方は激しい雨に襲われます。

夜も作業漬けなのと、ネットの接続状態があまり良くないことで、ずっとアクセスできずにいました。回線が細くて、ページを開けてもタイトルで読み込みが止まる。本日ようやく、状態のいいネットカフェに入り込めました。更新がなくて、すみません。

以下は、先月にブータンで書いたまま、放置していた分です。見苦しい泣き言がありますが、いちおうピンピンしています、ということで。

___________

雨季のブータンです。うきうきしません。

親父ですいません。

今回はスタートから、渡航便はエンジントラブルを起こしてキャンセルになるわ、荷物はロストするわで、踏んだり蹴ったりな感じでした。エンジントラブルを空中で起こされて飛行機が墜落するよりはずっとラッキーだったと思いますが。

代わりの便の手配に航空会社のお姉さんが走り回ってくれて奇跡的に代替便に間に合ったり。のんびりのブータン人が、荷物ロストの手配連絡を即入れてくれ、数日後には届いたり。いつものことですが、自分の手の及ばないトラブルになると、人のありがたさが身に染みます。

ブータンから離れていたのは1年半ですが。それなりに変化は大きかったでした。
韓国の店が増えました。Hundaiのショールームがあった。一昔前は、インドのTATAか、Suzuki、お金があればToyota、というのがこの国の車トレンドだったのですが。この辺境の地まで韓国勢が押し寄せて、日本を凌駕しようとしている現実を見るのは、大変ショックです。

一昨年の新国王の戴冠式と選挙で新しい政府ができて、ここ数年のブータンの変わり様はめまぐるしいです。日本の維新期に匹敵するか、それ以上の国の変遷で、それを経ている真っ最中だと思います。道路やホテルが整備され、新しい政府組織や政府企業が設立されました。それにつれて、初めて見る新しい建物も沢山。戴冠式に間に合わせるように、かなりの突貫工事を行ったらしく、未だに残作業がそこかしこで行われています。

さらに、Talaという1000MWを超える巨大水力が運転開始。このおかげで一人当たりがGNPが、非公式な試算で、いっきに1,900US$を超えたそうです。もやはLDC(後発開発途上国)脱出です。
(但し現在はグレースピリオド(借金の返済が始まっていない猶予期間)に当たるため、返済が始まるとまたガタンと一人当たりGNPは落ちるとか。国の規模が小さいので、一つの事業でも国の経済への影響がとてつもなく大きくなる)

2020年をターゲットにしていた100%の地方電化も、最初は誰も本当に実現するとは考えない政府お題目だと思っていたのですが。更に2013年に100%電化に前倒しされました。今、急ピッチで電化が進んでいます。皆本気です。行動意欲にあふれています。

こういう成長気運にある社会だと、人間もとても活き活きしています。自分の2年後、5年後、10年後を予想して、展望を持って動いている人が多い気がします。そういう話題によくなります。昼食時に「お前の人生のゴールは何だ」といきなり聞かれて、米を吹きそうになりました。「墓だ」と答えてやろうかと思いました。今は墓どころか、死んでも腐るまで誰にも発見されない孤独死になりそうですが。そんな自分には、将来のある彼らがなんだかまぶしいです。自分の行動が着実に社会を良い方向へ変えていっているという確信が、皮膚の裏からにじみ出ている気がします。右肩上がりの社会は良いです。明治の官僚たちも、みんなこんな感じだったのだろうなぁと思います。

一方で、色んな資金が流れ込んでいるせいか、バブルめいた雰囲気もあります。街中には、タイの不良のような若者が増えました。にわかな豊かさを目のあたりにしたせいか、購買意欲が増して、車とPCが買いあさられています。また政府系銀行が手軽な小規模ローンを提供したりしているので、なおさらです。機能の良い携帯電話も、飛ぶように売れている模様。

どこもそうですが、携帯電話の質がその所有者のステイタスを決めるという一般認識があります。高くて良い携帯を持っているほど、豊かで格好良く、その人の格が高いということ。だからみんな、家計に無理をかけても良いものを買います。仕事用に一番安い携帯しか持っていない自分は、タクシーの運ちゃんにすら、プッとせせら笑われています。

国民総幸福量の概念を打ち出して、物質的豊かさより精神的豊かさを求めることで有名なブータンですが。他国の例に漏れず、物質への欲求は、増大中です。

それが良いか悪いかは、所詮他国の人間の自分が言って良いことではないなぁと思います。ブータンの未来を決めるのはブータン人です。

国民総幸福量の概念を提唱して、物質的豊かさではなく国民の幸せを追求するモデルとなっている国ですが。その国民の幸福も、水力発電による巨額の国家収入があり財源があるからこそ、成り立つものです。先立つものは必要。最低限の財源があってはじめて、幸せという悠長なものを求めることができます。
行き過ぎた利益を求める必要はありませんが。妙な幻想をこの国に押し付けたり、資金無しでも発展できるという変な誤解を持ったりすることのないようにしたいものです。

そんな、少し浮ついた感じの首都ですが、一方で田舎や山岳地方は、以前とまったく変わった様子はありませんでした。これから少しずつ、地方都市へ風潮は広がっていくのだとは思います。今が一番、国の過渡期、変遷を感じられる、面白い時期だなぁと思います。


今回のプロジェクトは、手前単独です。
自分の行動に自分が全て責任を取らないとならない。出発前は、他人の世話をしなくて楽でいいやー、などと、戯けたことを思っていましたが。今はそんな自分を後ろから蹴り飛ばしてやりたい一杯です。

今回、行き着くところまで来たなぁ、という感じです。
対象地は、地上のシャングリラと呼ばれるブータンの、そのまた奥地の奥地。ブータン人でさえろくに近づかない、修行僧のみが出入りするような険阻な現場ばかりです。そこに、エネルギー利用の新しい技術を持ち込むことになってます。

他人がやっているのを聞いたら、すごいなぁと思うのですが。
当人はその辺にどこにでもいる、体脂肪率が気になるメタボ寸前運動不足人間です。
体力も知力も精神力も時の運も要求されますが、それどころか想像力すらなく、どうすんべー、と呆けて途方に暮れている感じです。

調達も設置も輸送も知識が無くて、本日も、あるエンジニアの方が手前の甘さを叩きのめしてくださいました。そして、ようやくどのぐらい大変か理解できました。まだ実感まではできていませんが。

何か作ろうとするにも、複雑に絡み合った項目を一つ一つ進める。構造物が建設され、機器が導入されていくにも、確実性を求められ、説明責任がある。手前の生涯年収の何倍もの資金を動かして目に見える成果を残す。そこに要求される作業は相当な労力です。どんな仕事も、大変ではない仕事なんて無い、当たり前のことなのですが。単独になって初めて、その大変さがようやく身に染みてきた気がします。これまでは、同じ会社の方が誰かいると、相談すればいいし、何かあったら助けてもらえるという安心感がありました。つくづく、甘えていたなぁと思います。

そして今、胃の痛い思いをしている最中です。ベッドの上で、本当に自分にできるのかどうか、不安にのた打ち回る感じです。

その中で、「コイツに任せて本当に大丈夫なのか」と周囲の方も不安がっているらしく、いろんな立場の方から、有益なアドバイスをいただいています。

いろんな人に育ててもらっている感じです。情報とアイデアと資料をもらい、一つ一つ、少しづつでありますが、必要な知見をいただいています。
本当に、周囲の方に恵まれているなぁと思います。

能力がない分、周りにすがりつくより仕方がない、情けない現状に変わりはないですが。「知らない」ということは胸を張って言っても、「やれない」ということは言ってはならんと思います。

でも、「やってみましたけどダメでした」は言うかもしれない。今からそれを言ったらいかんです。

今回、自分への激励に、ipodを買いました。聞く曲は「重き荷を負いて」。地上の3/4の山の国の薄い空気の中ぜーぜー言いながら坂道を登っていると、この曲が身に染みてなりません。団塊世代の親父向けの曲に、涙が出てます。谷間に叫んでいます。「頑張ってェから死にたいなァ〜!」 のサビが頭に何度もこだまする。記事のタイトルは「這い上がれ」という感じの言葉です。曲中に「這い上がれ這い上がれと自分を呼びながら」フレーズがあります。自分でちったぁ頑張ったと思えるようになるまでは、這いずってでも死ねません。

質の良い携帯電話は金さえあればすぐに買えますが。自分の質を高めるのは、金ではどうにもならない。自分の苦しみと不安と葛藤と足掻きで、這い上がって乗り越えていかないと、人間の質は高まらない。生半可ではないと、しみじみ感じます。

幕末明治に限らず、今我々が目にする名の方々は皆、手前などとは比べ物にならない責任と重圧を背負って、知力体力精神力の限界まで駆使して、世に尽くしぬいたのだと思います。それを思うと、あらゆる派閥に関わらず、結果がどうだからこうだ、というようなことは簡単には全く言えなくなります。

とか何とか、何を酔ってるんだ、という感じです。
…と、泣き言ばかりも何なので。

ブータンは松茸シーズンがはじまりました。
松茸料理に、舌鼓を打っています。松茸とアスパラの胡麻和え、松茸ごはん、松茸スパゲティ、松茸ホイル焼き、松茸炒め物…とフルコース。

永谷園の松茸の味のお吸い物を持ってきていたのですが。ブータンの松茸は香りが足らんということで、これをまつたけご飯の香り付けに用いました。
ちなみに、永谷園のお吸い物のまつたけは、ブータンから輸入されていると聞きました。日本に空輸して、メーカーで脱水乾燥された松茸を、わざわざまたブータンに持ってきて、ブータン産の生の松茸と一緒に炊く。世界の照葉樹林帯の西の果てから東の果てまで旅した松茸の、炊飯器の中での再会。なんだかドラマを感じませんか。単なる無駄だなんていわないでください。

ちなみに、前述のエンジニアの方が料理してくださいました。私は見て食べているだけでした。
この方、厳しい方なのに、大変家庭的で子煩悩な方でした。可憐な三人の超能力小学生が主人公の漫画に出てくる主任にそっくりな方です。
何から何まで、他人に寄生しまくっています。


そんな感じでして、今年はほぼ出張ドサ周り状態です。更新頻度は、せいぜい月一度程度という体たらくかと思います。
時折思い出したときにでも、という感じで覗いていただけますと幸いです。


タグ:ブータン
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2009年03月19日

ウィルスのネタ

うららかな春の日です。

皇居の桜の開花状態。一ツ橋から代官山通りと千鳥ヶ淵。

寒緋桜:満開、散り始め
大寒桜:ほぼ満開
駿河桜: 三分咲き
ヤマザクラ:三分咲き
ソメイヨシノ: ゼロ、ただしつぼみは膨らんでいる。
ぼたん桜:ゼロ

という感じです。
種類はこちらをご参照ください。
これから、良い季節です。

先週、帰国しました。40℃のラオスから戻ってくると、寒くてかないませんでした。
風邪を引かないの何とやらの類なので、自分はぴんぴんしていますが、PCがウィルスで酷いことになっていました。アンチウィルスソフトも、辺境で流行っているウィルスは認識してくれません。ウィルスファイルを捕まえては、定義ファイルに入れてもらえるよう、ソフト会社に送りっています。

病気も寄生虫もそうですが、PCのウィルスも、ローカルになればなるほど、そこにしかいない亜種が存在します。名前は同じですが、ネパール種とかベトナム種とか、いろいろいるようです。日本でマラリアの診断をしてくれるお医者さんがなかなかいないように、先進国のウィルス対策ソフトのメーカーはこうしたローカルウィルスには、なかなか対応してくれません。

一番酷かったというか、感心したのが、以下のヤツ。

・他のPCから感染したUSBメモリの、ドライブを開いた瞬間にそのPCに感染
・既存の通常フォルダが隠しフォルダに変更される
・↑のフォルダと同じ名前のEXEファイルが、フォルダのアイコンの外見で作られる
・レジストリを書き換えられ、勝手にフォルダオプションの「隠しファイルおよび隠しフォルダを表示しない」にチェックを入れられ、「保護されたOSファイルを表示しない」のチェックを外される。
・↑の設定および、それに関連するレジストリの修復をできなくする。

つまり、これまでに作ってきた作業フォルダの格好をしたウィルスの実行プログラムが、わさわさとPC内に量産され、作業フォルダ本体は隠しファイルにされ、アクセスできなくなってしまう。作業フォルダの名前を覚えていれば、フルパスを直接アドレスバーに入れることによって開けはするのですが。いちいち覚えていられません。

これによってできたウィルスの不正プログラムを実行した場合どうなるのかは、色々あるようです。セキュリティホールを作ったり、妙なサイトに勝手にアクセスして実行したりする犯罪的なものから、IEのタイトルバーを卑猥な言葉に書き換えるだけの微笑ましいものまで。

いずれにしても、PCを使う人間が脊髄反射的に行っている作業流れを、うまく裏をかいてくれます。

多くはUSBメモリスからの感染です。ホテルやネットカフェ、印刷屋のPCはウィルスの温床。一方、仕事をしていると、通信や印刷のために、メモリを用いてそれらの施設のPCを介さないわけにはいかない。

また、USBメモリだけではなく、デジカメやiPodなど、あらゆる記憶媒体で感染します。

こちらのAutorunを動かさない方法もありますが。今回のようにユーザーをだまくらかしてくれる型だと、自分でフォルダを開いて感染してしまう。

そこで、良い方法を教えてもらいました、

1) 感染したUSBメモリをPCに挿入し、フォルダは開かない。
2) メモ帳起動
3) ファイル→開く、ファイルの種類:全てのファイルとする。
4) USBメモリのドライブへ
5) 見覚えの無いAutorun.inf(実行させる不正なプログラムのリスト)やEXEファイルがあれば、削除

メモ帳からなので、間違って開いてしまってもプログラムのコードが表示されるだけで実行されることにはならないし。ドライブやフォルダを開かなくて良いので、ドライブ・フォルダを開いた瞬間に感染するタイプのウィルスを避けることができる。

これは、いちいちUSBのドライブごとウィルススキャンするより早いし確実。他のPCで用いたUSBメモリを自分のPCで開くときに、常に確認を行うよう、習慣付けておきたいです。

ただし、上リンクの自動再生を行わない設定にし、かつ全ての隠しファイルが見えるようにしている状態に保っておく必要はあります。

海外、特に途上国でデータのやり取りをされる場合、ご参考になりますと幸いです。

ちなみに、notepad(メモ帳実行ファイル)ならぬnetapedという名前のウィルスも入ってました。こいつも、ファイル表示のレジストリを書き換えるヤツです。「ファイル名を指定して実行」でnotepadを立ち上げているのですが。間違って入力するとコイツが実行されてしまいます。おちおち、タイプミスもできません。netaped。せっかくなのでネタにしてみました。

それにしても、ウィルスを作る人って、本当に頭が良いなぁと思います。プログラムを作成する論理能力もさることながら、 人間の行動科学的なことも考え抜いている。
愉快犯にしては、つぎ込むリソースが無駄すぎるように思います。その才覚を、もっと有為な方向に生かしていただけないのでしょうか。

つぎ込む時間も相当なものだと思います。ほとんどは営利に結びつかないはずです。ある意味、特殊技能ボランティアです。その能力と献身を必要としている場は、世界のいたるところにあるでしょう。
なのに、一見、彼らが行っているのは、単なるからかいや、ちょっとした迷惑。そのために、膨大なインプットをつぎ込む。彼らの動機って一体何なんでしょう。

ウィルスソフトメーカーのエンジニアは、その多くが元ウィルス製作者だという話も聞いたこともある。もしかして彼らのモチベーションは、就職?

そんなはた迷惑なリクルート活動、頼むからやめて、生産的なお仕事をしてください。

あるいは、ウィルスソフトメーカーが、自分たちの製品を売るために、その需要を自ら作り出しているのか。

……それは流石に、そこまで世の中を疑いたくないので、小説か何かのネタだけにしてほしいなぁと思いました。


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2009年02月13日

民間企業の国づくり

フィリピンから離れまして、2月頭からラオスにおります。
その間に、数日、東京に戻ったのですが。
報告書に追われ、文字通り寝る間無し。疲れた体に鞭打ちつつ、準備もそこそこに、次の仕事に入りました。

マニラ:30℃→ 成田:1℃→ ヴィエンチャン: 38℃

という感じで、東京のボロ部屋の寒かったこと。そして寒さに慣れたと思ったら、今度は暑熱の乾季、山の国の暑いこと。ただヒートストレスでどうにかなることもなく、ぴんぴんしています。

ラオスは4年ぶりぐらいです。この間にも、首都ヴィエンチャンはずいぶんと変わりました。

バイクの数が圧倒的に増え、キン(巻きスカート)をはいた女の子たちがバイクを乗り回している。
モールができて若者が殺到している。
街中には、コンピュータショップと家電販売店とインターネットカフェがひしめいている。

電気の需要が年々10%で伸びている。前回来た際は「アジアのバッテリー」と呼ばれるほどに水力発電の豊富な国で、電気を消費国であるタイに輸出していたのですが。今は電気が足りなくて、逆にタイの火力発電から輸入している状態です。

人口6.68百万人(2008年)、面積236,800km2の、日本面積の2/3に東京の1/2の人口が住んでいる国。山岳民族が中心の山の国です。一人当たりGDPは、2002年に394ドルだったのが、5年で701ドル(2007年)にまで増えました。GDPの成長率は年々6.5%。
(CIA World Fact Book と Statistical Year Book 2007 Lao PDRより)

ラオスをはじめとし、途上国は伸び盛り。人々が豊かさを取り入れ、エネルギーがどんどん足らなくなってきています。これを何とかするのかこれからの課題です。


さて、マニラにて、とある日本の商社にお邪魔しました。創業者は天保生まれの近江商人。明治18年には、既に海外組織を設立し、悪名高き5%付帯条項の関税制限を課せられた不平等条約の中で、直接海外貿易を手がけていた民間会社です。

受付でまず目に入る額に、社是として掲げられていた一言。

「豊かさを担う責任」

…ちょっと感動しました。

豊かさを提供するのは、「責任」である、と。この会社は仰います。
この商社に限らず、途上国にある日本企業の社員の方々に話をお伺いすると、多かれ少なかれ、皆、社会を、この国を豊かにしたいという思いを抱きながら、働いていることに気付きます。自分の給料、自分の会社、のためだけではなく、今いるこの国のために何かしたい。そうした志を、誰もから感じます。

かつて自分が貧乏旅行者だった頃は、旅すがら出会う旅行者たちの間で、その国の悪口を言い合っていました。国の酷い状況をいかに面白く語れるかが、一種のステイタスのような節がありました。自分がその国でどれだけ悲惨な目に遭ったか。その国がどれだけ至らないか。それを半ば自慢するように言い合う。それが楽しかったでした。

一方、旅行者というのは、単なる消費者です。いてもいなくても、その国にとっては別に何ら関わるところではない。せいぜい、一人分の宿代、食事代などのお金を落とすだけである。旅行者は、自分が目の前のその国の酷い状況に対して、何ら変化を及ぼすことはできない。そうした無力さを無意識に感じている。この国の状態が悪いのは、自分のせいではない。恰も、自分の非力さの言い訳をするように、その国をけなす。そんな感じがします。

けれども、仕事となると、話は違います。
その国で、利益や成果を上げねばならない。成果を上げるということは、何らかの生産活動を行うということ。生産活動を行うというのは、変化を与えるということです。

組織として、その国のあり方に影響を与える。旅行者一人ではできなかったことが、会社や機関の力の元に、何かしらができるようになる。というか、それをやらねばならない。できないのは自分が悪い。

習慣も言葉も違う勝手の分からない国で、生産活動を行うというのは、大変なことです。法律や契約と格闘し、許認可事項の書類をひっくり返し、体当たりで利害の対立する現地の人とやりあい、譲歩し、譲れぬ所では意思を通し、払いたくもない袖の下を要求され、妥協案を見出すために頭を絞り、最新の知識と技術を求め、金を集める。

そうした苦労をしながらも、自分が変えた部分のあるこの国だからこそ、愛着がわいてくる。そして、この国のために、もっとなにかしたいと思えてくる。

この国が悪いのは、今この国にいる自分が至らないからである。自分にはこの国を良くする責任がある。
そうした責任感が、沸き、育ってくる。

官でなく民間でありながらも、商社の方、技術者の方問わず、途上国で汗を流す日本の方々には、そうした心意気を有している方が多いです。
直接それを口に出して言う方は少ないですが。会う方会う方の言葉の端々からそれを感じます。

おそらく、その国に対して為すべき事を知らない、為せる力の無い人ほど、その国の悪口を平気で言う。一方、その国へ自らの献身を以って実質的な影響を与えた人ほど、その国を愛しく思い、その国への敬愛の念を抱く。そういう傾向があるのではないかと感じます。

かつてラオスの6割以上の電力を支えた水力発電を設計し、施工を監理された日本人の方がいます。その方は、定年になった今、ラオスに家を構えて移り住んでしまいました。今も顧問的な立場で、ラオスの国づくりに関わっておられます。在りし日は鬼軍曹と部下から恐れられた技術者だった方ですが。もとの会社の社員がラオスに来るたびに、野草たっぷりのラオス料理を、さも嬉しそうに相好を崩して振舞っておられます。ラオスが好きでたまらないのだなぁ、と感じます。

自分などは、思うように行かないことが多いと、「この国はダメだ」と、ついつい愚痴っぽくレッテル出しをしてしまいたくなるのですが。

ダメなのはこの国ではない。ダメなのは、ダメさをなんともできないお前自身だ。

そう自分を蹴り飛ばすべきなのだと思いました。

明治の企業家たちは、官と民で一緒になって国づくりを行いました。
「政商」などと、口さがない新聞屋たちに揶揄され扇動されて、批判を受けることも多かったですが。国に尽くすのが本分であるという誇りを以ってして、土木、農業、工場、商業、分野問わずに、民間から国作りを支えました。

もちろん利益を上げるのも重要な目的でしたが。彼らには、常に、社会を良くしたい、豊かにしたい、という、わが国にプラスの影響を与える責任感がありました。

それは、渋沢栄一や浅野総一郎、安田善次郎、豊田喜一郎らの名を出さずとも、彼らの残した文書、書簡、ことばを見れば、ありありと感じられることです。

明治の企業家の方々は、元武士が多く、そうでなくとも寺子屋などで、幼少期に四書五経を叩き込まれて育った方が多いです。そのせいか、彼らからは、民間人でありながら、社会と国に仕えるという姿勢を感じます。

幾多の企業と銀行を立ち上げ日本の経済の土台となった、渋沢栄一。彼が「論語」を生涯のバイブルとしていたことは有名です。

「論語」を自分の企業経営における経験則と照らし合わせて、自らの言葉で記述した、ずばり「論語」という本を、渋沢氏は著しておられます。含蓄にあふれた言葉の数々です。その中でも特に以下の言葉。

「富を成す根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」

一見当たり前のことですが。富とはそもそも、自分の利益を考えてないと生まれ得ないものです。富と仁義は、しばしば相反します。
けれども、富は仁義と道徳から生まれる。そう渋沢さんは仰います。

これは、まさに現在、国づくりで必ずキーワードとして出てくる「サステイナビリティ(持続可能性)」のことかと思います。

「仁」は貧困削減、「義」は責任と公平性、「道」は開発戦略と政策、「徳」はグッドガバナンス。「正しい道理」とは、今で言うと、環境配慮をし、その国の実情に合い、ニーズと妥当性と効率が高い事業を行うこと、でしょうか。

世界銀行などの開発機関からもってきた言葉を用いずとも、昔の人は、何が国づくりにとって最も重要か、背骨の芯から知っていたのだと思います。

彼ら民間人は、別に道理や道徳など説かずともよく、社会のためではなく、自らの会社の利益を追求すれば良い立場の方々です。

しかしながら、自分だけの利益を求めるような体制は、結局、持続しない。社会のため、国のためになることが、自らのためになる。
それを、自らの価値観として、知っていたのだと思います。

CSR(corporate social responsibility, 企業の社会的責任)というのは、別に特筆することでも何でもない。CSRの固まりのような方々によって、今の日本は作られました。

いかにも欧米から新しく持って来た概念ですといわんばかりに、アルファベットの略語で表されてしまっていますが。そうした価値観は、すでに明治の方々が、自ら固有のものとして、持っていました。

CSRに限らず、事業の現場では、欧米由来の仰々しい概念の言葉を、嫌々、無い頭に詰め込まねばならないのですが。
ふと足元を見ると、我々の先祖は、そんなことは言われなくてもとっくの昔から本質的に行っていた。日本の過去を見ると、そう気づくことが多いです。

その明治の民間の方々の心意気により、わが国は作られました。
そして、つい最近まで、ジャパニーズ・ビジネスマンによって、途上国においても、その心意気が発揮されてきたように思います。

今は、心意気はともかくその成果が、韓国や中国にお株を奪われつつあることが、歯がゆいところです。余談ながら詳細については、また後ほど触れたいと思っています。

いずれにしても、そうした日本の民間会社の軌跡を逐一追うのも、面白いだろうなぁと思いました。


といいつつ、すっかり、ポストが月一ペースになってしまっています。すみません。今は、この国独特の、「ぼっぺんにゃ〜(=No Problem) 」な、ゆるーい、ぬるーい、やわらかーい空気に冒されてしまっています。
また、界隈のマッサージが、申し訳なくなるほど安くて、上手なんですわ。

人は、この国を、「微笑みの国」「癒しの国」と呼びます。
私は、この国を、「脱力の国」と名づけたい。
人様のお名前からして、ランポンとか、ビラポンとか、カンポンとか、チャンポンとか、トンペとか、ナンダボンとか、ポーミーとか、どうも力が抜ける感じです。

えぇと、そろそろ、国のせいにばかりせず、日本の先人の方々の軌跡を振り返って、活を入れたいと思います。
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2008年10月10日

郊外より

帰国しています。現地は36、7℃ありましたので、日本の秋の朝晩の涼しさが気持ちいいです。

ガザ州、イニャンバネ州という、マプトの北の州に行ってきました。モザンビークは縦長の国ですが、首都は南の端にあります。

地方に出ると、プランテーションのサトウキビ畑と、カシューナッツの木々、キャッサバ畑が広がっていました。

地方に出ても、物価は高いという印象です。地元産の製品があまり無いというのもありますが。地元のナッツなどもやはり高い。

誰と話をしても、食糧危機を話題にしない人はいない。食糧の価格の高騰に、まず苦しめられるのは貧困層です。

石油価格の高騰と温暖化対策のために、各国はこぞってバイオ燃料の導入を始めた。投機筋の資金がバイオ燃料に流れ込み、コーンや小麦、植物油などの価格が一気に上がった。実際は足りていないわけではない、むしろ在庫はだぶついている。けれども卸売りは出し惜しみをして、価格を吊り上げている。それでも売れる。パーム油など2年前の価格の3倍にまで上がった。

この食糧・植物油の国際価格の上昇の余波を受けているのが、産業のない原料生産国です。

農民が仲買人から買い上げられる農産物の価格は同じなのに、肥料も燃料も価格は上がる。輸入物、製品となって入ってくる日用雑貨や食料の価格も上がる。仲買人も輸送費など経費が上がっているから、買い上げ価格は抑えたい。

食料がないわけではないのに、金儲けをしたい投資家たちの思惑のために、農民の生活が厳しくなる。

アフリカの多くの国々にとって焦眉の課題は、食料の価格高騰です。この間横浜で開かれたTICAD IV(第4回アフリカ開発会議)や、洞爺湖サミットなどでも地球環境ばかり問題にしていた日本を、マスコミは槍玉に挙げていましたが。たしかに明日の地球環境よりもまず目先の食糧問題です。

我々にとっては、コンビニのチョコレートが100円から120円に変わったとか牛乳が1割高くなったとかぐらいのもので、それで生活がいきなり苦しくなるという程度ではない。お昼を弁当にするなり飲み会を一回我慢するなりで、十分吸収できる程度です。

けれども、こうした国の農民にとっては、死活問題です。

本来、こうした情勢の中では、生産者である農民の立場が強くならなければおかしい。
けれども、生産者として力があるのは、欧米や南アの資本で大規模に行っているプランテーションであり、小農は自分たちで価格を決定することができない。


車中から見えるプランテーションと小農の違いは一目瞭然です。

モザンビークは海岸の近くは降水量が多く、川も湿地もあり、水は豊かです。これはモザンビークの素晴らしいポテンシャルだと思います。

プランテーションには、しっかりと灌漑の水路が引かれ、農機が導入され、青々とした美しいサトウキビ畑が広大な土地に地平線まで広がっています。
サトウキビは、ガソリンの代替となるバイオエタノールの原料にも使われ、原材料価格が高騰しています。

一方、その隣に、細々としたキャッサバやメイズの農地があります。女性が一人で鍬を振り、土地を耕しています。彼方まで続く大地に対し、人間一人の力で耕せる面積はあまりに些少です。

労働は女性が担っています。乾いた農地に鍬を入れているのも、20リットルのポリタンクに水を入れて頭に載せて運んでいるのも、皆女性です。一方、商人や経営者、ドライバーなどは圧倒的に男性が多いですが。農村の男は何をしているのか良く分からない。単純労働は女性の仕事ということになっている印象です。

男が働かない国は伸びません。

モザンビークの豊かな土地資源に対し、巨大資本をつぎ込んで大規模栽培を行い利益を持っていく外国企業。そして、手作業でできることをやりマーケットへのアクセスが乏しいために仲買人に買い叩かれるしかない小農。その対比は鮮やかです。

自分もその外国企業の一人に過ぎないので、そうしたことを書き立てるのは憚られるものがあるのですが。
モザンビークの地は、モザンビークの人の手で耕し、モザンビークの人たちを豊かにして欲しいと、豊かボケした頭でも感じざるをえません。


農業にしても電力にしても交通にしても、これだけ資源があるのに、今まで発展が遅れていたのは、内戦の爪あとが大きかったからかと思います。

モザンビークは今、活気付いているといえます。すでにGNPは中国に匹敵するぐらいの成長率を維持しています。人によっては、奇跡の復興を遂げた、と見なしている人も居ます。

たとえば、モザールという巨大アルミニウムプロジェクトが20億ドルを投資。2003年に日本のアルミニウムの新地金の1/4に値する生産を開始。この25%のシェアを三菱商事が投資しました。モザールは国内一の企業になり、アルミは電力を抜いてモザンビーク最大の輸出品目に。2003年の経済成長率7%農地3%がモザールによると試算されているそうです。
経済規模の小さな国では、こうした事業のインパクトが非常に高く効果的。

ただそれでも、20年の内戦は長かったと思わざるを得ません。
内戦にあると、なにも投資が進みませんし、インフラも整備されないどころかそれまであったものが破壊される。農地も荒れ食料が流通しなくなる。物価は高騰してモノが手に入らなくなる。人はただ難民となって逃げ惑うしかない。

内戦は国を荒廃させるというのは当たり前に云われていることですが。
その「荒廃」の跡を見て、そうしたことをしみじみと思いました。

まず、鉄道。
せっかくあるのに、ほとんど使われていない。かろうじて隣国との首都を結ぶ鉄道が、不定期に週に1回程度通行できる程度。
あとの路線は廃線になってしまっています。レールも撤去されないまま、その上がすでに倉庫になっていたり家が建てられてしまっていたり。

鉄道は、大量の物資が輸送でき、輸送地方の産物を消費地に届けて地方にお金を落とすができる。輸送という点では車より効率が良いのに、使われないまま廃棄されているのは、まことに勿体ないです。

これを復旧するためには、まず地方に産業が育成されて、その物資を運ぶ便益が復旧のコストをカバーできるようになることなのですが。鉄道を復旧すると地方の産業が活発になるという、鶏が先か卵が先か、という話もあります。
すでに廃線の上が生活地域になってしまっているので、設備だけではなく、社会環境調査を行った上での移転費用も必要でしょう。

それから、電気。
前にも触れましたが、モザンビークには2000MWを超える巨大な水力発電所があります。一方、国内の需要は300MWかそこら。残りは、直流送電で大消費地南アに輸出送っています。というか、ほとんど南アのためのバッテリーです。

そして、国内、特に内陸部の多くは、電気の無い暗黒地帯です。
送電線はあっても、変電所と配電線がないので、国内に電気は行き渡っていません。首都マプトと海岸線では、一旦南アに送られた電気を再度輸入して使っているという状態です。
多くの人が、目の前の巨大な送電線のタワーを眺めつつ、電気なく生活しています。

それでその送電線も、内戦でタワーが倒され、電線が持っていかれたりして、復旧が大変だったそうです。

南ア在住の方によると、すでに南アの電力供給は逼迫していて、都市部では計画停電が行われているとか。そして、モザンビークから南アに流し込まれた安価で大量の電力が、金やプラチナなどの精錬に、つまりは南ア製品のために使われています。

こういうのは感傷かと思いますが。つい、ブータンと比べてしまいます。ブータンは、インドに輸出する電力があるのに国民が暗闇で暮らしているのは耐えられないと、2020年電化率100%を本気で目指しています。インドに売ったほうが国内に売るより国としては儲かるにも関わらず、です。


一方、道路は、地方には余り入り込んでいないので状態は分からないのですが、幹線は比較的よく機能しているようです。
マプトの周辺の道路の状態はとても良く、安全鋲まで打たれていました。力を入れて国づくりしているなぁと感心したら、ドライバーに「南アが作った」と言われてしまいました。穿った見方をすれば、南アもモザンビークに入り込んで好き勝手にやっているので、自分のための道路ということでしょうか。

地方の道路はやはり内戦で寸断されているそうです。ナカラやベイラという国際港があり、そこから隣国のザンビアやジンバブエなどから鉱物資源が輸出できればこの国の便益は大きい。ただ、そのための鉄道・道路が内戦で荒廃したまま。そこに、世界銀行やアフリカ開発銀行、そして日本国際協力銀行が、資金を提供して、復旧を始めています。


概して、一時期に日本でもかなり報道されたような絶対貧困では、もはやありません。
子供も比較的良いものを着ているし、労働は大変そうだけれども餓えまでは感じさせないところまできている。そして、これからだ、というエネルギーを感じます。
貧しいことは貧しいですが、絶望的な貧しさではない。これから良くなっていくだろうという希望を感じさせる状態です。

それでこの国で何かをやろうとすると、貧困削減、など大仰な言葉を使う必要はあまり無い気がします。もちろん、報告書には必ず書かねばいけないワードではありますが。

貧しいのはあんたらが悪い。嫌なら働け。

これをきっちりと言うべきこととして言って、働く機会を提供できる社会にするのが必要ではないかと思うのです。
もちろん相手の面子を潰さないようにする。これが難しいですが。

あんたらに仕事させるのが私の仕事だ。私に仕事をさせてくれ。あんたらが仕事してくれたら、あんたらは能力がつくし収入も増える、私は給料がもらえる。すると私もあんたもハッピーだ。

こういう正直まっすぐそのままに、お互い、ぶつかっていくこと。
これが一番有効なのではないかと思います。

肝心なのは、政府の人も、地元の人も、やる気に満ちて、アイデアを持って、働いていることではないかと思います。

相手は、農民であったり、地方政府の役人だったり、中央政府の技術者だったり、大臣だったりする。

そこまで言える関係になるまで、時間は掛かりますし、限られた時間だと言える相手も限定されますけれども。

今回のような短い調査では、ただ実態がなんとなく分かってくるだけで、そこまで言えるほど人と絡めない。それがちょっと残念だったりします。

モザンビーク人は、以外に穏やかで、人の心情や面子を気にします。そして、真面目です。時間には多少ルーズですが約束も守る。日本人に少し気質が似ている気がします。一方、厄介ごとからは逃げがちなけらいがある。

アフリカと一言で言っても、国や部族によっていろいろな性格があります。
この国とは、仲良くお付き合いさせてもらいたいなぁと、一日本人として感じます。

また来月に来る予定です。
今度はもう少し深いところまで見れればいいなと思います。
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2008年10月03日

白い壁の都より

モザンビークの首都マプトです。
成田→香港→ヨハネスブルグ→マプートというルートでした。長かった。

モザンビークは、南アフリカの北東に位置しています。他、南にスワジランド、西にジンバブエとザンビア、北にマラウィとタンザニアに接しています。東側は長々とインド洋に面していて、対岸にマダガスカルがあります。

資源開発の期待されているアフリカ南部で、港の出口を擁しています。つまり、地勢的に有利な位置を占めています。そして、物流の中心となる回廊国として注目されています。

ここマプトは、白い壁の家々と青い海、緑のココナツに囲まれています。一見どこのリゾートかと思うような穏やかな光景が広がっています。

食道楽ポルトガルの植民地だったおかげで、シーフードとワインが大変美味しいです。特にエビ料理がすばらしい。皿一杯腹一杯、香ばしいエビで満たされます。地元ビールも苦味が利いていて良いです。白い砂の見えるビーチ傍のホテルのパラソルの下で、着いてすぐ早速ビールを飲み、一体何をしにきたのだっけと思いました。

街中も、大通りは人で賑わい高層ビルもあり、明るい雰囲気です。官公庁や博物館などは白く塗られた地中海ヨーロッパを思わせる美しい建築で、目に麗しい町並みです。通りに面した明るいカフェでは白く泡立つカプチーノが楽しめます。「1908」という1908年建築の、植民地時代の様式を留めた優雅なレストランもあります。

貧困の蔓延るアフリカの都市というイメージで気負って乗り込んだので、正直、拍子抜けした感じでした。「寒郷なれば人家とてもなく、土人穴居し、我等上陸の後宿もあるまじと覚悟せしに、あに図らんや、本陣に着すれば主人袴を着けて迎え、家構も壮大にて、以前想像せしとは雲泥の違いなり」と正直に書いた大鳥さんと同じ感じでした。

以上が第一印象なのですが。
一方で、一人で街中を歩き、小さい通りに入ると、やはり一転してイメージが変わりました。

舗装は剥げてボコボコ、赤茶けた砂が露出し、道端はゴミで埋め尽くされ、悪臭が漂い、家々の塗装も廃れてひび割れて歩きにくく、砂埃のひどい状態です。

日本人中国人とみると、みやげ物売りがアミーゴアミーゴと押し寄せてきます。乞食も多い。車の間を縫って少年たちが窓に雑貨を売りつけたり物乞いの手を出してきたりする。

都市の周辺には、掘っ立て小屋トタン屋根のスラムが並びんでいます。人々が井戸の水に列をなして並んでいます。異臭が、漂い衛生状態の酷さをうかがわせます。

ほとんどが黒人で、南アフリカのように白人と黒人の間に瞭然とした階級があるわけではありませんが。同じ黒人の中でも、高そうな服と宝石で実を飾った層と貧困層が明らかに別れています。

外国投資が進んで民間企業で成功した人たちが現れ、これまでの貧困層の上に突如として少数の富裕層が現れた感じです。

同じ都市でも、表と裏の顔のギャップがありすぎます。

どこの国も同じだと言ってしまうと身も蓋も無い感じですが。これが、今のアフリカの諸国に共通する当たり前の姿でしょう。

コンサルティング会社のマーサーが、健康・公衆衛生の指数に基づき、「世界の汚れた都市トップ25」というのを発表しています。この23位にマプトが入っています。

なお、25の都市の大部分がアフリカにあります。アジスアベベ(エチオピア)やブラザウィル(チャド)、ンジャメナ(チャド)、ダルエスサラーム(タンザニア)、バンギ(中央アフリカ)、バマコ(マリ)、ポワントノワール(コンゴ共和国)、ロメ(トーゴ)、コナクリ(ギニア共和国)、ルアンダ(アンゴラ) など。

これに、石炭による大気汚染と酷い水質で有名な中国の都市が、トップ25にまだ含まれていないというのが、なんだかショックでした。ごみや廃棄物の処理の未整備、水の汚染、大気汚染による生活環境の悪化で、ろくな水も空気もないということですが。中国の都市よりさらに公害汚染は対策がなされておらず深刻だということです。

アフリカというと大地と草原と野生動物と、というイメージがありますが。
都市部の状況は、全く異なります。
野生動物は、車で何百キロも離れた国立公園内で、欧米人・日本人ツーリストの観光資源になっています。
そして、地方には産業がなく仕事がない。辛い農作業で安く買い叩かれる農業しかない。
それで人間の大部分は都市に流れていく。地方と都市のギャップは大きくなるばかり。


マプトの中心に、巨大なショッピングセンターがあります。スーパーの日用品は、ほとんどが輸入製品です。南アフリカの輸入が大部分です。旧宗主国のポルトガル製も多いですが、インドやタイ、UAEからの輸入物もあります。一方、意外と中国製がありません。

南アから製品をわざわざもってくるので、物価は高いです。スーパーの食料品は日本より高い。例えばポテトチップス200円、ヨーグルト500gで400円、コーラ1缶80円、クッキー200-400円、卵6個200円、といった具合。

国内で製品を生産していないからです。

国内に製造工場が無い。農産物の生産国として、原料のまま輸出される。そして外国で加工されて付加価値がついて、何倍〜何十倍の値段になって戻ってくる。

例えば木材の生産国でもあるのですが、木材を加工する向上も技術も無い。ベッドや机に加工するのにいったん輸出しなければならない。それで10倍の価格になった製品を、地元の人が買っている。

搾取の構図です。

モザンビークの地図すら、2000円以上。絵葉書は1枚300円もする。日本で買うほうが安い。自国で作れないからです。地図を外国で作って、それを輸入して持ってこなければならない。自国の地図なのに。

経済はほぼ完全に、南アフリカに依存しています。南アの通貨ランドも普通に流通している。タイに対するカンボジアやラオス、インドに対するブータンと状況は似ています。ほとんど南アの属国状態です。

この状態では、貧富の差を小さくしろというほうが無理な話です。

今回、こちらに来る前はしばらく日本にいたので、その間に、日本という壁に守られて温室にいる状態が当たり前になってしまっていました。

なので、今も国の表面の皮一枚を見たに過ぎないですが。
なんとも自分がもどかしくなってくる。

善良な人の仰る「何かしてあげたい」という感じとは違う。そうした自分の安全域が確保された前提での、上からの目線である感覚ではない。

別に自分が何か特別な苦難を乗り越えたわけではない。たまたま日本という、先人が苦労を重ねてくれたおかげで豊かな温室に生まれられただけだ。その自分の位置からこの国の現状を表面的にだけでも見ると、お前は一体何なんだと、その無力さは何なんだ、と無言で責められている感じがする。


正直、できればアフリカで仕事はしたくないと思っていました。

賄賂は多く何かあるごとに領収書の出ない袖の下を要求される。地元の人間は働かない。時間にはルーズ極まりない。何を買っても依頼してもボろうとする。役所は動かない。手続きは金と時間ばかりかかる。リスクは高い。忍耐ばかり要求される。強盗も置き引きも多い。強姦も誘拐も茶飯事。エイズもマラリアも肝炎も破傷風も多く、健康を維持するだけで大変。

そんな中で会社の金を管理して、宿と交通機関を確保し、役人とアポを取って、信頼できるデータも無い中で計画を作って、事業費を計算して、しかもその結果に自分の名前で責任を持たねばならない。うまくいかないと自分のせいにされる。とにかくさんざん振り回されて労力ばかり掛かって疲れることばかりで、得るものは少ないどころか下手すればマイナス、というのは、目に見えている。そんな思いを好んでしたいかと問われれば、嫌です。嫌に決まっている。

けれども、もう来てしまったからには仕方がない。開き直るしかない。これが楽しいと思うしかない。

自分が所詮豊かな国の人間に過ぎないという原罪感から逃げるためには、目の前の仕事を誠実にやって、何かしら役に立つかもしれないことをやって、それをエクスキューズにするしかない。


ただ、この国の場合、内戦が15年前に終わり、国が落ち着き成長への階段を今踏みしめているところだということも感じます。

デノミも行われましたが、ここのところはインフレも落ち着いています。経済成長率も年々国全体で8.0%、一人当たりでも5.7%と、数字になって現れています。

天然ガス田や農業などへの外国投資が入っている影響が大きいかと思います。

そして、内戦で荒廃した鉄道や道路などの復旧に、世界銀行や国際協力銀行など色々なドナーが手を上げています。
モザンビーク自体も、天然ガス、水力・石炭火力などに大きなポテンシャルを持っている。南アにも近隣国にもモノをいうことのできる、資源保有国になろうとしています。国力とは、資源力です。

そうした状況ですので、外国企業の投資が盛んに行われています。今まではエビや綿花ぐらいしか輸出項目が無かったのですが。まさに、地面の下に成長のマグマを抱えている感じです。

成長の主体が、ポルトガル人でも南ア人でもなく、今、モザンビーク人の手にあります。

その状況に、モザンビークの人々がやる気を出しています。

頼もしいと思うのは、政府も民間企業の上の人たちも、白人に牛耳られている南アと異なり、自国の人たちで真剣にモザンビークという国のことを考えていることです。少なくとも自分の会った方々は、真面目で、問題をしっかりと認識して、これから何をやらねばならないかを考えておられました。

これまでは経営もマネジメントも南アに依存していた部分が大きかったですが、外国企業が入り、自分たちで取り舵を握らねばならない責任を感じている人が居ます。
南アへの依存状態をもどかしく感じ、自分の国を自分の力でなんとかしたいと思っている人が居ます。

そうした主体性を持つ方が居ると、国が伸びます。

人材が、この国のいちばんの資源なのではないかと思います。

ただ、まだそうした人は、ほんの一部のエリートたちに過ぎないようです。この政府を取り舵していくにはまだまだ人手が足りず、何より資金が無く、援助や外国投資に頼りきりの面もあるかと思います。政策も場当たり的にならざるを得ない面もあると思います。

お金が無いのはどこも同じ。今はうまくドナーの資金を使って、自国の技術者や監理者をガンガン育てて、それで事業で収益を得て、きっちりお金を返す国になって欲しいです。

そして、もちろんこの国にも、良い人も悪い人も、調子のいい人も胸の悪くなるような人も、やさしい人も攻撃的な人も居ます。

資源のない日本は、こういう国の人たちと、対等に渡り合って、相手も自分も利益が得られるよう折衝する能力をつけないとならない。

ここの人を、かわいそうとか助けてあげたいとか、そういう善い人お偉い人な感覚で付き合うと、得られるものも得られなくなるかと思います。

怒って笑って、人対人で、体当たりしていくしかない。
実直に、かつ、したたかに付き合っていくことが一番だということは、何処の国でも同じです。

そんな感じで。短い過密スケジュールの中で走り回っています。
これから地方に行ってきます。
posted by 入潮 at 16:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月26日

空港より

現在、モザンビークへの途にあります。

バタバタしていて、まったく出発前に更新ができませんでした。
出張に出てしまうと頭の中がリセットされるので、函館も三斗小屋も纏めきってしまいたかったのですが。書きたかったことの2割も書けなかったです。
いただいたメールなどもお返事できず、申し訳ございません。

今回はほとんどだけ下見なので、すぐに帰ってきます。
その内、行き返りの移動だけで4日間の時間が取られます。
昔は2ヶ月も3ヶ月もかかっていたルートなので、文句はまったく言えませんけれども。短くても忙しいだけだから、せっかくなら長く居たいです。

月給の数倍の飛行機運賃を見ると、遠くへいくのだなぁと思います。

モザンビークは旧ポルトガル領。面積801,590km2、人口約2130万人
1975年の独立後、90年代まで内乱が続き開発が遅れ、貧困率も高いです。一方、ボーキサイド、石炭、天然ガスの採掘が始まり、資源の開発が期待される国でもあります。

カホーラバッサという巨大な水力発電所があり、この電力を直流送電線で大消費地である南アフリカや他国へ送っています。数字上ではエネルギー輸出国です。が、国内の電化率は6%です。つまり100軒に6軒しか、電気のある生活をしていません。
そして、ガソリン・軽油などの石油や電化製品、機械類はすべて輸入に頼っており、貿易赤字による富の流出は深刻です。

巨大な大地。蔓延るエイズとマラリア。国民一人当たりGNPは310ドル(2006)で世界193位のいわゆる最貧国。人口増加率1.8%、死亡率は20.29/1000人、識字率48%、平均寿命41歳。耕作可能地は国土の5.6%に過ぎない。(World Development Indicators, 2008, World Bank)

地球に残されたフロンティアといいますか。
まさに、これからの国です。

これからどんどん秋が深まり、夜長の季節になるかと思います。
皆様、おいしい旬のものに読書に行楽に、実りある秋をお過ごしください。

あとはこの季節、家の雨漏りが心配です。台風が来ませんように。
posted by 入潮 at 18:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月15日

地方の状態

ブータンの首都ティンプーは、30分も歩けば街中を一周できてしまう、なかなか一国の首都と感じるのが難しいような規模です。けれども、地方ドサ周りで、州都でも宿自体もなく、昼食夕食を食べるにも事欠いた後には、ものすごく大きい都市に出てきたような気になります。

地方に出ると、やはり色々と楽しいことに遭遇できます。笑ったり困ったり苦しんだりということを自分の中に黙って閉じ込めておけない、我慢のきかない人間ですので、地方の現状について、少しご紹介を。
意味なく長いですので、興味のない方はスルーしてくださいまし。

● 道路

一部の南のインド国境を除くと、ひたすら狭く勾配とRのきつく、いつ落石土砂倒木が降ってきてもおかしくない山道が、大部分です。

幹線道路、ナショナル・ハイウェイでも1車線で、対向が難しい。それでひっきりなしに巨大なインドTATA社製
トラックが、目のペイントと共に正面の死角から襲い掛かってきます。かわすのも一苦労。油断がなりません。
とにかく土砂崩れが激しいです。雨季は必ずどこかが断線しています。下手をしたら、前後で土砂崩れが発生、閉じ込められて身動きが取れなくなります。
また、橋が少なく、川の中を道が走っていることも多いです。雨季で水がくると、それで寸断されます。乾季のみ通行可、という道も少なくありません。

舗装は幹線道路はなされていますが、排水が不十分、どころか、道路にそのまま滝が落ちている箇所も。せっかく舗装されていても、すぐに水に浸食されて、アスファルトが剥げます。そしてそこが道路崩落ポイントになる。

崖上のヘアピンカーブの連続。せめて石でも積んでいてくれればまだ良いのだけれども、多くは杭を打ってあるだけ。ドライバーに断崖絶壁を知らせるだけで、何の抑止にもなりません。知らせてやるだけありがたく思えという感じです。

道路の設備は最低限です。幹線で舗装がしてあるだけ御の字。枝道はほとんど、轍の深いダートです。ペイントや表示は一切無し。通してやっているだけありがたいと思え、と言わんばかりな感じです。

さらに、何の前触れもなく木材が崖からゴロンゴロンと落ちてきます。薪や家具用の伐採のためですが、国中斜面と崖なので、運ぶより転がり落としたほうがよほど早い。恐怖です。

そういう様ですので、滑落事故はしょっちゅう発生。谷底によく車が転がっています。

自分も一歩間違えると、お仲間になるところでした。
山道で対向車を避けようと、ドライバーが急ハンドル、急ブレーキ。タイヤがロックし、そのまま谷方向へ車が滑って、片輪が崖に突き出し浮いている状態で止まった。道側の扉から出て見たらそういう状態で、心底肝を冷やしました。後10cmタイヤが進んでいたら、そのまま谷底にまっ逆さまでした。

死亡事故が後を絶たないのも当たり前だと思いました。
一旦道路を開通させても、土砂崩れや崩落で維持管理が大変で、復旧させるのにコストもかかる。

そんな道路も、あるだけ物凄くありがたい。道路は国の動脈です。道路が来ると、それだけで物資が流れ込んで、水道や電気が整備されやすくなって、生活の質がいきなり向上します。みな道路を待ち望んでいます。よく開発では、教育、医療、水道、電気、通信など、どのセクターが重要で何から始めるべきか、という議論になりますが。私はまず道路だと思います。

なのでブータンも、道路開発には非常に重きを置いています。王様の命令一下のもと、次の5年で千kmを超える道路が計画されています。ただ、どこまでできるのか。何時どの道路がどの予算を使って建設されるのか。何度道路局に確認しても、明確な答えがもらえたためしがありません…。

これが日本だと、まず、道路がないということで不便な思いをすることは、よほどの災害時でないとありえない。事故が起きても、道路の整備状態が悪いからというせいにされる。なので、国交省が余裕に余裕を持たせた設計を課す。サインもペイントも斜面防護も路肩保護も、至れり尽くせり。この安全のために、どれほどのコストが掛けられていることかと思います。

インフラにしても、食品にしても、家屋にしても、安全を確保するという名目で、機能上必要とされる以上の強度や清潔さのために、事業費やもののコストがどれだけ上がっているか。日本人の命を守るための投資はすさまじいです。
日本人の命は、高いものだと思います。


● 泥

道路が途切れると、当然徒歩。「あれが次の村」と言われ、断崖絶壁の上を指差される。次の目標を見るのに、常に首の確度は135度以上。首も疲れます。そして、「次の村」(「家」だったりする)まで2、3時間ほどかかります。

フットパスは、泥。泥というのは、濡れても乾いても厄介なものです。
雨になると当然すべる、足を取られる、下手をすると膝まで埋まって動けなくなる。
一方乾季に乾くと、砂塵になる。トラクターでも来ようものなら、一面砂埃地獄です。

なお、車の通れない道は、ミュール、ロバが通常の荷はこび主になっています。LPGのボンベを両側にぶら下げて重そうにヨタヨタ歩くロバはよく見られます。
そして、雨季にひづめで泥が踏まれで道がボコボコになり、そのままカチカチに固まっています。

そこへ容赦なく糞をボトボト落とす。この量がすさまじいです。土中微生物の分解が全く追いついていません。泥の中を歩いているのか糞の中を歩いているのか分からなくなります。

● 夜

当たり前ですが。谷間でいったん日が暮れ、月が出ていないと、真の暗闇になります。自分の手が見えない。どこに何がいてもわからない。暗闇の重圧はすさまじいです。でもこの当たり前は、現代人は体験できなくなっていると思う。

懐中電灯が命綱になります。
そこに、電化村のある地域まで出ると、山にぽつりぽつりと灯る村の家の電気。8Wの小さい蛍光灯が、眩しいぐらいで、なんて頼もしいのだろうと思います。

また、携帯電話の液晶のバックライトが、目がくらむぐらいに明るく感じます。
ちなみに、山奥は電線工事が大変で、携帯のアンテナを立てるほうが簡単なので、電話はないのに携帯電話は普通に使えたりします。

● 日本の無償

マイクロ水力発電(独立した小さな配電線網に電力を供給する小さな水力発電)は、地方にとって重要な電源です。
ブータンでは、日本が無償援助を供与して、1980年代に13箇所ほど、導入されました。ブータンが自己資金で導入した場所も、もちろんあります。
暗闇に光がともる、あるいは、高いディーゼル油を発電に使用しなくてもすむようになる。その効果は大きいです。

それで、日本の製品の頼もしさをここでも感じる。ブータンで主に用いられているインド製の鉄柱は数年で錆び始め交換も目立つけれども、日本の鉄柱は20年以上経っても未だ新品のようにきらきらしています。また日本の鉄柱は、組み立て式で、上に上りやすいように取っ手が付いていて、建設や維持管理の容易さも考えられています。(ただ電気や電線そのものが盗まれやすくなるから、それも考え物なのですが)
さらに、しょっちゅう故障する悩みの種の変圧器も、日本の無償で入れられたものは一つとして故障を起こしていないらしい。そうした話を聞くのは、自分が何をしたというわけではないですが、嬉しいものです。

ただ、今は大型の発電所がインドの資金で建設され、そこから配電網が伸びてきました。するとこれら遠隔地の日本のマイクロ水力は、維持管理が大変で金がかかりスペアパーツの供給が困難という理由で、撤去されていく方向です。寂しいことですが、これまでに十分に役立ったと思います。


一方、橋。道路を繋ぐ橋は、非常に重要な拠点となりますが、技術も金も必要なので、なかなか簡単には建設できません。橋がなく、雨季は通れない道路が多いというのは前述の通り。

この橋の分野でも、日本の援助が活躍しています。スンコシという川の橋梁が出来たばかりです。引渡し式はまだだったですが、後は両岸の舗装ぐらいが残っているだけなので、既に使われていました。

橋は、道路を通る者誰もが通ります。多くは県境などの関門があり、そこでドライバーや旅行者は一服したりします。誰もが目にするもので、日本の有効を示す効果はとても大きい分野だと思います。

なお、日本が行ったワチ橋という橋梁の架け替えは、ブータンの切手になりました。ブータンは何でも記念切手にしてしまうことで有名なので、それだけで非常に重きを置かれたということにはならないのですが。それにしても嬉しいことです。

地球の歩き方を初めとしたガイドブックでは、そうした姿はほとんど紹介されていません。むしろ、他国のガイドブックでは、朝日新聞系のマスコミに影響されたような論調で、援助に否定的な書き方もよく見ます。

単に謙虚なのならいいのですけれども。どうも、お上の為す事業は、良いことは隠し、悪いことだけ喧伝されてしまう性質があります。民衆の感情的に、お上は汚くないとならないようです。

少なくとも、日本の援助は、ブータンでは現地の方々にはありがたく使ってもらっています。
そうした当たり前のことを、わざわざ言わなければならない気になってしまうことが、寂しいです。

● 国境

自分の知らない間に北部が中国に奪われていたというぐらいだから、国境はセンシティブな問題なのですが。
今回、車で移動していたら、いつの間にかインドにいました…。
GISで地図を作っていて、おかしいなぁこの道路、インドに入っている、まぁ国境データが間違っているのだろう、と思っていたら、本当に税関もなくインド領に突入していました。インドビザを持っていなかったので、ハラハラしました。すぐにブータン内に戻ったから良かったのですが。

そういうアバウトさは、通過人にとっては笑い話なのですが。
周辺の村の人々にとってはたまったものではありません。銃をもったインドからの密入国者が、ジャングルを渡ってきて、家畜や貯蔵した商品作物を盗んでいく被害が多発しているのだそうです。それに、混血も多いとのことです…。
国境周辺住民の生活も感情も悪化するばかり。そうすると、セキュリティとしても対策が微妙な、大きな社会問題になります。

こうした国境状態が生活に直結する感覚というのは、周辺を海に囲まれている日本育ちとしては、はっとするものがあります。海に囲まれた環境というのは、それだけでこのうえなく幸運なことなのだという歴史的事実を思い起します。

● ドマ

ドマという嗜好品があります。ブータン人は、男も女も、石灰と、ビターナッツという木の実を一緒に木の葉に包んで、くちゃくちゃ噛んでいます。赤色の汁が出て、唾と一緒に街に吐き捨てられています。このせいで街のコンクリートが赤色に染まって、汚れています。

これをやっているとき、みんな変に陽気になります。何かものを頼んでも、まともに為された試しがありません。逆に攻撃的になる人もいて、誠実なおとなしい人が、20分ぐらい同じ事を繰り返しながら怒鳴ってきたりします。歯も真っ赤になっています。

問題なのは、これをオフィスでも勤務中でも、皆憚らず噛んでいることです。周囲がドマをやり始めると、あぁ一日が終わった、と思います。仕事せずにしゃべってばかりになるので。
ドライバーを雇う際も「酒もタバコもやらない優良な人、でもドマはやる」と紹介されたときには、却って不安になりました。

けっこう臭いが凄いです。もともとビターナッツは、チーズを最悪の方法で腐らせたような臭いがあるのですが、これを石灰と一緒に噛むと、どういう反応が生じるのか、すっぱい独特のにおいになります。

ティンプーの都会では、若い女性は嗜まなくなってきたり、オフィスでは自粛したりしている人も多いようですが。田舎に行けばいくほど、老若男女皆が四六時中口するようになっています。
それで、現地の方を車の後ろに乗せたりすると、車の密室の中が、凄いことになります。

ブータンは、おととしにタバコの輸入一世禁止を行って一躍有名になりました。
今度は禁酒令もささやかれています。実際、毎週火曜日はDry Dayとして皆酒は飲みません。
健康と環境と、ついでに家計にも配慮した、すばらしい国です。
街中も、金のかかる伝統建築を保持し、壁や屋根には手間のかかる伝統彩色を施しています。

でも、ドマを野放しにしていると、なんともならないと思います。
伝統だからという理由で廃止できないのだそうで。そのあたりがブータンだなぁと思います。



そんな感じで、またダラダラとやってしまいました。
不満ばかりぶーぶー言っているような感じになってしまいましたが。
実際は、地方に行くと、元気になります。戻ってくると、また出たくて仕方がなくなる。田舎者です。

日本のどこから来たかと聞かれると、「離島出身だ」と答えています。
すると「そんな田舎からよく来たなぁ」と感心してもらえます。なんだか無意味に勝ち誇れる気分になります。山の民の方々には、離島というのはすさまじい辺境のように感じてもらえるらしい。

一方、生活の楽さの差を考えると、ごめんなさい、と謝り倒すより他はないです。

タグ:ブータン
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2007年11月30日

勤勉な人

本格的な乾季です。雨季にあれだけ悩まされた雨が、一切降りません。

朝晩冷え込みが厳しく、外は霜がびっしり下り、真っ白です。
暖房が、ないよりマシという電気ヒーターしかないので、夜なべ仕事がきついです。手がかじかんでキーが打てない。ハードディスクの放熱でせめてもの暖をとる。
気温にしてみると大したことはないのですが、居住空間に暖房のない寒さというのは、一種独特です。

通常はブカリという煙突付きの薪ストーブがあるのですが、森林伐採が進んで、ティンプー周辺はハゲ山になったので、規制でほとんど薪の使用ができなくなっています。豊富でクリーンな水力発電の電気を使うように、ということです。もはや薪は贅沢品です。
電気による熱は効率も悪いし、温まりません。化石燃料が恋しいです。

それで、とある援助機関のオフィサー宅にお邪魔したら、家でLPGガスのストーブをぼうぼう炊いていたりする。このやろー、環境保護でうるさく人に余計な仕事を課してくるくせに、自分だけ二酸化炭素を放出して贅沢しやがってと、ついヒネた目で見てしまいます。(LPGはインドからの輸入)。貧困削減をしかめ面しくいう人ほど、贅沢な生活をしているのだよな。

そして、乾燥が辛いです。からっからに乾いています。
足も唇もひび割れてがさがさで痛い。肌が粉を吹いて、黒いズボンを脱ぐと内側が真っ白になっていて、うげっ、と思います。
寒さで蚊がいなくなり虫刺されがマシになったのですが、かわりに乾燥で痒いです。
踵もひび割れて、歩くだけで亀裂ができて血がでる。痛い。

街は未舗装部分が多く、国王陛下の戴冠式に合わせて工事が佳境に入っているので、砂煙だらけです。乾燥が砂煙を増長します。目を開けていられない。

雨季のヒルだらけの現場に比べれば、まだまったくどうって事はないのですけれども。
つい環境に文句が出てしまいます。

エマ(唐辛子)とチーズの現場も1ヵ月半が過ぎると、そろそろ茶漬けが食べたいとか、唐揚げをかじりたいとか、些細な欲求も出てきます。持ってきた玄米茶が切れた。寂しい。

そんな感じでブツブツ言いながら、報告書作業中です。
ここ2週間ほど、4時就寝7時起床の生活が続いています。1日16時間ぐらい仕事してます。

おかげで後半は、まったく更新ができませんでした。今月中に宇都宮戦争部分を終わらせてしまいたかったのですが。ずるずる行きそうです。

気圧が地上の3/4程度しかない空気の薄さだと、いくら寝ても体力が回復しない感じで睡眠時間が余計に必要です。睡眠部不足は、もう若くない無理の利かない体に、いっそう烈しく圧し掛かってきます。

ずっと報告書の事を考えているので、寝ていても、でもひたすらデータ整理し英文を打っている夢を見ます。でもその分の仕事はもちろん進んでいない。働き損だ。

今、一緒に働いているブータン人のエンジニアの方がいます。彼も一緒に、夜中2時3時まで働いてもらって、申し訳ないと思っていたのですが。
この方は、本当に効果がでるのなら、仕事が増えるのをまったく厭わない。自分の仕事が増えて大変になるのが分かっているのに、それがこの国に必要で多くの人の便益に繋がるのならと、あえて色々提案して自分を苦境に追い込んでいる。明治の技術者のような気骨のある方です。

どんなに作業が遅れようと、現地の人はアフターファイブと土日は働かないのが普通だし、給料も同じなのに、ありがたいことだと伝えたら。

自分がより働き苦労することで、より多くの人の生活をよくすることができる。
それは、魂の質の向上になり、来世で報われるのだ。

という事を言っていました。

ここのドゥク教は、チベット密教と関わりがあり、輪廻や因果を重んじる考え方がいろんな行動の根幹にあったりするのですが。
宗教が勤勉性をも生み出す。そのことに、ちょっと驚きました。
こうした想いがさらりと出ることに、素直に尊敬の念が沸きます。

こういう人がいる国は、伸びます。

自分としては、そういう方と一緒に仕事をすると、こちらも仕事が増えて大変なのですが。

それで、明治の技術者たちは何を思って身を粉にして働いていたのだろうか、ということを思いやってみる。
昼に工事主任を執り行い、夜に施工管理ハンドブックの訳本として「工師必携」を執筆して、正に昼夜なく働いた田辺朔郎のような人たちが、何処にでもいた。志田林三郎は、教育、官僚、研究者、現場技師と、4人分の仕事をしていた。伝記を書かれた信太氏のご指摘にもあるように、あの死はきっと過労死だ。

彼らには何の倫理が働いて、何がモチベーションとなっていたのだろうか。

多分、自分の魂の質とか、来世とか、そういうことは思いもよらず、単に目の前で必要とされていたから働いていたのだろうな、とも感じます。

明治のみならず、日本人の勤勉さは、何が土台になっているのだろう。
顧客充足度とか、クオリティコントロールとか、その辺の大仰な事を言われなくても、お客様は神様だとか、正速美という意識は普通にありますよな。

国土に対して人口が多いから競争する必要が昔からあったとか、台風や地震の多発で風水害に対抗するために生活の質を上げる必要があったとか、農耕民族は働けば収穫増に繋がる見返りのある生産体制だったからとか、それなりの説明は目にするのですが。どれもしっくり来ない気がする。

疲れてくるほどに、彼らが何を思って身を粉にしていたのだろうと、思えてきます
聞いても「やらなければならないから、やった」ぐらいの返答しか帰ってこない気もします。

一方、人が必死で上げた報告書を、平気で二ヶ月も三ヶ月も放置し、支払いを遅らせてもなんとも思わないインド人と仕事をしていると、自分だけ納期の為に死ぬ思いをしているのが馬鹿馬鹿しくなってきて、モチベーションも枯渇しがちになってきたりするのですが。

勤勉な人と一緒に働くのが、一番勤勉にならざるを得ない気がします。
村意識の日本人は、他人が働いているのを見ると、落ち着かないのでしょう。
明治技術者のようなブータン人の存在は、受身なやる気に繋がります。
というか、俺がこんなに働いてやっているのにお前は何だ、と怒られるのが怖いです。
給料も違いますし。

(物価が違うので、日本人というだけで、現地の人の何倍も給料をもらっていることになる。自分よりよほど優秀なローカルと一緒に仕事していると、申し訳なくて仕方がなくなる)

世間ではもう、クリスマスやら年末やら騒がれるようになったようで。
こちとら、ゴールデンウィークも夏休みもまだなんですが。それどころか土日も数えるほどしか経ていないような。

私は、魂の質よりも、人並みの生活と玄米茶が欲しいです。
タグ:ブータン
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2007年11月08日

高山と亜熱帯の現場

暑いです。
湿気でむっとしていて、空気が重いです。
ゲストハウスの部屋の床を、見たことのない虫が、賑やかに走り回っています。

現場に入っております。ブータン第三の都市、ゲレフというところに来ています。
文字通り、山から降りてきました。現在標高は400mぐらいです。
久しぶりの下界です。ブータンに入って初めて真っ直ぐな道路を見ました。

インドとの国境の町でもあります。衛星写真を見てもそうなのですが、山の始まりがそのままブータンとの国境になっています。ブータン人は、さすがの大英帝国も、この急峻すぎる山と峡谷だらけの国土は欲しがらなかったのだと、誇らしげでした。

外務省の安全衛生情報の関係で、日本人はいちおう入れない地方のはずなのですが、雇い主が日本ではないという理由か、何の問題もなく入ってきました。(入領許可は事前にImmegrationから取る必要がある)

植生も亜熱帯のそれで、南国の雰囲気です。気温は28度ぐらい。晩秋の乾季でこの暑さだから、雨季の夏の暑さはもう考えたくない。
緯度からするとこの暑さのほうがが普通なのですが。国土のほとんどが2-3000mの高地なので、冷涼な気候になります。

今回は北のほうから東へ入り、南へ降りてくるという形で地方を回ってきました。移動で1日、調査で1日、という感じを繰り返しています。

車で長距離移動していると、高度600m程度まで降りたり、また3000m以上まで上がったりの繰り返しになります。鼓膜がぺこぺこ引っ込んだり膨らんだり、忙しい感じです。耳抜きできないと辛いかも。強制的に高度馴化訓練をさせられている感じです。2500mのところにずっといたので、いまさら訓練も無いのですが。3000mぐらいでは山と見做されないのがこの国です。

地図で見ると直線で10kmぐらいなのに、河が峡谷を深く刻んで、迂回しようとすると2時間も3時間もかかります。下手をすると道路の下は1000mを超えるような谷底だったりします。

植生もめまぐるしく変わります。高山植物がきれいだなぁと思ってたら、ちょっとうとうとすると、バナナやシダなどの亜熱帯の植生に変わってたり。針葉樹林になったと思ったら照葉樹の密林に入ったり。
何より、1日で桜と紅葉が見れるというのが、かなり変です。季節感もへったくれもありません。

車道も歩く道も、なにかとすさまじいです。後でゆっくりご紹介できればと思います。
2度ほど死ぬかと思いました。谷底に落ちかかりました。こうして暢気にPCを開いていられるのは、僥倖以外の何者でもありません。

今回は完全に乾季なので、雨季のような雨や虫や泥や洪水やその他もろもろの苦しみからは免れています。濡れない、滑らない、ヒルがいないだけでどれだけ体力が温存でき、快適で安全なことか。密林を歩いていると、虫やら蛇やらだらけで、くそ暑くて汗だくになるのは変わりないですが。

乾いているのは恵みだと思います。
砂漠の国ではそうは言っていられないのだと思いますが。
雨季の泥は人の移動をとてつもなく困難にします。泥で滑り谷底に滑落することすらあります。雨季で沸いて出た爬虫類、ヒル、羽虫の類は、容赦なく栄養補給に襲い掛かってきます。もちろん、マラリアやデング熱持ちの蚊は容赦なく集ってきます。

何でも、今いるところは、雨季にはレッドリーチ(紅ヒル)がでるそうで。巨大なヒルで、一度吸い付くと2,3日ひたすら血を吸って離れないらしい。…乾季でよかった。

雨季は、命がけの季節です。
それが、年の半分あります。
そこに人々は住んでいます。

現在、眼病が大流行していて、目が真っ赤になっている人がかなりいます。。
目の前を小虫が飛んでいるような錯覚が出て、サングラスをしていないとならないそうな。
測量した現地エンジニアも感染してしまって、PCの画面を眺めていられないとのことで、データ作業に支障がでています。

予防法はないかと、臨床もしている病院の管理の方に聞くと、「感染者を見るな」ということでした。感染者の持っている菌が目に入ると感染するので、近寄らないようにという点では確かに合理的なのですが。なんというか。

ちなみにこの眼病、目が真っ赤になることから、"Japan Flag Disease" と呼ばれているとのこと。不名誉な。

そんな感じで。
熱いシャワーも久しぶり。今はレストランの電話線を借りてアクセスしています。
案の定、すさまじく遅いしぶちぶち切れますが。久しぶりの文明の利器です。

またティンプーに戻りましたら、現れたいと思います。
タグ:ブータン
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2007年05月14日

鶴の来る谷

現場入りしていました。
更新が週一回どころか十日に一回のスピードになってしまっております。見捨てられ者一直線な感じです。

なにかとやさぐれていたのですが、現場は良いです。
今回は環境保護がらみ。Black necked craneという希少種のいる谷の調査でした。直訳すると黒首鶴? 和名はなんと言うのだろう。

こうした環境要件があると、プロジェクトが1年も2年も平気で遅れます。数年前ならその場で決定できていたことが、進むものも進まなくなる。
環境保護を唱える方々は、それで自然を守れるのだと良い気分になれるでしょうけれども。
そこに住む人たちにとっては、それだけ、たとえば道路や水道や電話や電気といった切実なライフラインが、もたらされるのが何年も遅れたり、時には来なくなってしまったりする。

けれども、もはや、環境保護に異を唱えると、極悪非道な愚物扱いを受ける世の中です。

鶴が来るのは冬。鶴の到来を邪魔するような建造物は好ましくない。
この微妙で敏感な地域ですが、実は道路はすでに通っています。
なぜなら、道路の建設は環境保護地区の制定より前に行われたから。
今は、保護区に何かを作ろうとすると、環境影響評価を行って、切り倒す木の数や、掘り起こす土の量や、行き来する生物の種類を数えて、工事の騒音が周囲の生き物に迷惑でないかを調べて、複雑で大量の報告書を作って、本当に建造物を作っても大丈夫かどうかを、長い時間をかけて確かめてからでないとならない。

環境保護には金と手間と時間がかかる。
それを誰が払うのか。
金のある人が、自分の善のために払ってくれるのなら良いのですが。

他人の独善が、当事者を置き去りにしていないかと。
毎回思うことです。

谷はとてもきれいで、幻想的なまでにゆったりしたところでした。ぎっしりした森林に囲まれて、すいこまれそうにのどかな風景に、伝統家屋の家々が点在している。
ここに電線をどかーんと通してしまったりすると、やっぱり興ざめだなぁ、などと思ってしまう。

そこに住んでいない外国人の得手勝手な視点です。


この国の中央政府の人たちは、手間が増えて手続きが進まないことを苦々しく思いながらも、環境の重要性を認めています。
特に森林保護についての意識は尊敬してしまうほどに高いです。

もともと、森林資源が豊富なだけあって、ブータンの一人当たりの薪の消費量は、世界一レベルです。暖房や煮炊きのために、一人当たり、1日約4kgを消費する。

8時間薪をくべて石を焼き続け、熱した石を入れて暖める風呂、ストーンバスというのもある。(これがまたとてつもない贅沢)

木材はかつてブータンの主要な輸出項目で、貴重な外貨を稼ぐ手段でした。

人口が少ないうちは自然の回復力でカバーできていたのでそれで良かったのですが。
都市に人口が集中し、その地域での薪の消費量が増えると、森林の回復が追いつかない。
首都ティンプーの周辺は、一度、丸裸になりました。

森林が減ると、土壌が流出するとか、土壌への水の供給が減り土壌による水の緩衝能力がなくなって洪水が多発するようになるとか、旱魃を招きやすくなるとか、とかく環境には良いことがありません。

そこで、ブータンは、まず、木材の輸出をやめました。
そのころはまだ観光客も多くなく、水力発電所も少なく、木材がなければ外貨獲得手段は無きに等しかったほどなのに。その決断は凄いです。

そして、電気のある都市部には暖房に電気を用いさせ、薪の暖房使用を削減しています。オイルヒーターやハロゲンヒーターが普及しています。電気は熱に変換するにも効率が悪く、隙間風だらけの家ではなかなか温まらないのですが。それでも我慢しています。

電気は、山国ならではの水力発電で売るほどあります。ただ、外国(インド)に輸出したほうが2倍以上にも高く売れる。国内に電気を売ってしまうと国庫としてはその分儲からない。けれども、薪の使用量を減らすために、国内に電気を使わせようとしている。

このあたりも偉いです。

また、ブータンには、縁者が無くなったとき、108本の旗を立てる、という風習があります。この旗がなびくだけ、立てた人がお経を読んだことになり、徳を積むことにも繋がるのだそうです。

(百八という数字は、日本では煩悩=欲望の数だということで、大晦日に欲を払うために百八回の鐘をついて、ピュアな心で新年を迎えるのだ、とブータン人に言ってみると、ずいぶんと喜んでくれた。百八という数字で連帯感が生まれた瞬間。こうした何気ないことを、土台として語ることは、大切なことなのだと改めて思った)

この旗を立てる場所が問題です。なにせ平らな土地のない、国中が斜面のブータン。旗を立てるのにも木を切り、草を払って、場所を作らなければなりません。親類縁者が無くなるたびに百八本の旗のための用地を確保しなければならない。
これが結構な森林伐採と土壌流出を招いてしまっている。

それで、森林局の苦肉の策としては、旗一本が十本に相当する、特別な旗を準備して普及させようとしているとのこと。寺は認めるのだろうか。
そういうふうに、森林保護のために宗教上の風習まで変えさせようとする。かなりの苦労です。

旗の様子。

03_hata.jpg

町と言わず田舎と言わず、いたるところでこんな感じのが目に入ります。


そんな森林保全のための涙ぐましい努力をするブータンなのですが。

つい最近、森林火災が起きてしまいました。5000エーカーが焼けてしまったとのこと。
烟で2,3日、ティンプーは空が曇ったままでした。
爪に火を点すようにしながら森林を守る彼らも、自然の炎の前にはなす術がない。合掌です。


そして、森林局は後の対応に大忙し。

自分らのプロジェクトでも、彼らには、これからの認可手続きに頼みたい調整事項が山とひしめいているのですが。火災の後処理で手一杯で、とてもわれわれの相手をしてくれません…。


と、まじめなことばかりのたまってても、肩凝りが激しくなる一方ですので。
写真なども、よっこらしょ、と。(画像は重い…)

04_hillhouse.jpg

民家と畑です。一つ一つの家が斜面に点在しているので、訪れるのも大変です。
隣の家まで、谷を越えて下って上って4時間、なんてこともザラ。

06_driver.jpg

ドライバー君。ドテラ様のものは、民族衣装の「ゴ」といいます。衣装といってもこれがユニフォームで、平日のオフィスも学校も、おっちゃんも少年も、みんなこの、裾までのドテラです。

01_hiza.jpg

店先で居眠りする親父。
足から覗くすね小僧が眩しいです。
なお、エリートのにーちゃんも、いかついおっちゃんも、座るとみんなすね小僧君になります。

05_girls.jpg

女の子たち。衣装は「キラ」と言います。懐に入れているのはお弁当箱。
下に来ているのは、実は巨大な四角形の布。これをうまく体に巻きつけて着物のようにしています。
自分も昔買いましたが、着方がわからなくなって、今はソファカバーとなっています…。

07_pobji.jpg

鶴の来る谷。
写真で見れば平凡な田舎風景。

08_omamori.jpg

家の壁で、よく見かけるものなのですが。
この絵がなんとも。魔よけになるのだそうです…。


という感じで。
疲れながらも、のんびりやっています。
タグ:ブータン
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2007年04月29日

ブータンの変化

飲んだくれていました。

いつもの言い訳ですが。標高2500m、気圧約700mb。通常の約70%程度しか気圧がないため、酸素が薄く、酸素を取り入れる量が少なくなる。そうすると、眠りが浅いとか、睡眠時間が増えるとか、頭が働かないとか、酒の周りが早いとか、いろいろ影響してきます。

要するに、空気のせいで、酔っ払いの怠け者になっております。はい。

という感じの、ブータンです。ちょうど1年ぶりぐらいです。
前回離れた際、もう来ることはないと思っていたので、空港に降りたときは懐かしく感じました。数えてみたら8回目でした。

平地のない国なので、滑走路や航行経路もぎりぎりに設計されています。
ここの国営航空会社は、国家予算に比する額を費やして、新規にエアバスを2台購入しました。以前から、飛行機の翼が谷間をかすりそうな勢いで谷の滑走路に進入していましたが。
機体が大きくなったためにさらにスリリングになっています。窓を見ていたら、翼が、稜線の家をなぎ倒すのではないかと思ってハラハラしました。
ここのパイロットは、ビルの間を抜けていく昔の香港空港パイロットか、空軍並の腕が要求されると思う。

それで、ブータンですが。
タイとは比類のないほどに変わっていました。


● 王様が変わっていた

皇太子殿下が王様になっていました。
予定では王位譲位は2008年だったけれども、より早期に統治経験をつませたいという前王様の意向により、早められたとのこと。

未婚ながら、新国王にはすでにお付き合いしている人はいることは知れ渡っている模様で、秘書がその家を教えてくれた。結婚は来年以降。これは、今年は暦の上では"Black Year"という、国の厄年のようなもので、結婚や大掛かりな公共工事などは行うべきではないとされているため。

飛行機ですぐ前の席にいたり、数少ないカフェでケーキを食べていたら隣に座っていたりで、挨拶しただけですけれども、結構身近なお方でした。もうあまり街でお見かけすることはないのでしょう。
ここだけの話ですが、最初見たときは、ずいぶんと色の白い優男な感じの方で、その手の人に好かれそうな人だなぁ、という不届きな印象を持ったものでした。

前国王は、流入しまくるインド経済に抗うように、仏教護持や民族衣装着用など伝統文化の維持に努めて、自分の王権を小さくして民主化を進めた方。「国民総生産」ではなく「国民総幸福量」の指標を用いたのは有名。実際におととしの国勢調査では"Are you happy?"の項目がありました。2008年の国民投票を置き土産にして退位されました。

前国王が英明な君主として名高い一方、インド・中国の大国にはさまれて国としての立場が難しくなっていく状況で、どういった王様になられるか。注目されます。

● 紙幣も変わっていた。

王様の譲位に関連してだと思います。紙幣がずいぶんと小さくなっていました。森林資源を大切にするブータンらしいというか、なんと言うか。
巨大な曼荼羅が刻まれ、持っているだけでご利益のありそうな1ヌルタム硬貨が、そっけない紙幣に変わっていたのは、ちょっと残念でした。


● 道路工事、建設工事

ブータン総工事中、というと言いすぎですが。どこもかしこも建設工事中。道路のいたるところで建機でガツガツ斜面を切って道路幅を広げている。乾いているので砂埃がひどい。厄年も何のそので、ブータン中を掘り返す勢いです。ちなみに今年に入る前に開始された工事については、今が厄年でも別にかまわないとのことでした。

空港のあるパロから首都ティンプーまでは1時間半ほど急峻な山道を走るのですが。この道路も全ての区間で工事中。施主がインドの軍だそうな。

道路は物資を運び、人の移動を支える唯一のインフラ。道路が無くては何も動かない。都市の人は明日の米すら手に入らなくなる。

その自分の国の道路を、他国の軍に作らせるというのは、国としてどうなのかと思ってしまいました。あたかもインドは、ブータンを自分の州の一つとでも思っているかのような振る舞いで。経済も軍事ももはやインドに依存しているブータンにしては、やむをえない、というところでしょうか。

それでインフラを手に入れながら、国としての文化的なアイデンティティは強めていこうとしているあたりは、ちゃっかりしていると言えなくもないのですが。

● ネットが無料に

ここの所得を考えると結構な金額だった国営プロバイダのインターネットの接続料金。これが、なぜか無料になっていました。民間が参入してきたから、とのことでしたが。
無料化すると当然ながらアクセスが殺到する。つなぎっぱなしになる。結果、ただでさえ細い、軟弱な、不足しがちな回線が、まったく繋がらなくなる。繋がってもブチブチ切れる。
これが、使用者たちのかなりのストレスになっているようで、新聞の見出しに、"free, but slow" と、でかでかとありました…。

だから更新が進まない…というわけではないのですが。

近いうちに、月3000円ほどでADSLも導入されるようで、そちらも検討してみたいと思います。ただし、通信のダウンロード量に、1GB/月の制限があるそうな。ダウンロードの容量制限だなんて、聞いたことがないぞ…。

● 模擬国民投票

近いうちに国民投票が行われるのですが、その事前の「練習」として、mob electionという、模擬投票が行われていました。
選挙をしたことがなかったわけなので、国民に選挙の意味とやり方を知らせるのが目的。
その投票内容ですが。「青い龍、赤い龍、緑の龍、黄色の龍、どれがいいか」だそうで。
…なんというか。もともとブータンは雷龍の国と言われ、国旗や紋章など皆雷龍をあしらっているのですが。せっかくやるのだから、ちょっと世論を把握できるような質問項目にしたらいいのに、と思いました。いや、差しさわりのない項目だから良いのか。

それで、字のかけない人が、歩いて何日もかかる山中からわざわざ投票しにくる。その彼らの判断基準の多くは「友達や兄弟が入れるのと同じにする」のだそうで。
…先は長いかもしれない。

● 県境も変わっていた

それで、国民投票のおかげで、行政区画が変わっていました。郡が別の県の所属になったり。これは、県の端っこにいる人は、遠距離を延々歩いて投票に行かねばならないため。国民の動かねばならない距離を少なくするために、わざわざ行政区画を変えたわけです。それはそれでよいのですが。おかげで、激しく仕事が増えました。地図境界も村落IDも全部変えなければならないのか…。


● さらに、国境が変わっていた

これが、衝撃でした。ここまで変わらんでも、と思いました。

ブータンの北部のガサ県のうち、東部が中国に奪われてしまっていました。奪われたと言う言葉は適当ではないかもしれないけれども。
県庁まで道路から丸1日かけて歩いた、以前に訪れたことのある県だけに、かなりショックでした。

もともと、該当のチベットの山岳地方には、誰も住んでいなかった。
よって、国境の位置は誰も知らず、位置を明確にするような建造物もなく、ただ地図上で定められていただけだった。

そこで、先に中国が国際機関へ領土の登録を済ませ、その後で派遣団が来て、すでに権威付けされているとうことで無理やり領土を決めていったとのこと。

人は住んでいなくても、その地域は希少植物や薬草の宝庫。遊牧民が採取した薬草は中国国内に高く売れ、密輸出が盛んに行われていた。それで、リッチになった未電化村の村人が中国製の太陽光パネルやバッテリーを購入していたりしますが。(ブータンと中国に正式な国境は無い) 中国にとっては、今回獲得した地域は、宝の宝庫だったわけで。それだけの富が、ブータンから中国に流れてしまうことになる。

さらに中国は、「国境の寺」という意味のある名前の寺があることを理由に、ティンプーやパロの北部も要求していたそうですが。ブータンはそれは何とか退けたとのこと。

で、日本のガイドブックには、ブータンの面積は前は「九州の1.1倍」と表記されていたのが、今は「九州の0.9倍」となっていました。つまりは九州の20%に値する地域が、中国の手に渡ったことになります。
ただでさえ極めて小さい小国が、さらに国土を奪われてしまった。

住民の有無が領土を決めると言うのは、日本の国境問題でもよく取りざたされていますが。国際法を知り、外交慣れして、ごり押しを恥を思わない国が勝つというのは、幕府の不平等条約の締結を思わせます…

こうした外交に対してモノをいえるのは、結局は軍事力なわけで。それで、軍事力もインドに依存しているブータンには、何もいえなかった。

新王を迎え華やいだだけではなかった。国民の無念さが思いやられます。


そんな感じで、不在の1年間、ブータンは激動の只中にありました。

それでも、ブータンの伝統建築の醸すほのぼのした町並みや、ため息のでるような水田の美しさは変わっていませんでした。

外国人の身勝手なノスタルジーに過ぎないのですが。そういう自分もまた変化をもたらす側の輩ではあるのですが。

やはりこの、ほっとする空気はかわってほしくないなぁ、と思うのでした。


えっと、久しぶりのポストがこれですみません。次は何かしら幕末明治ネタで行きたいと思います。
タグ:ブータン
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2007年04月22日

タイの夜

暑いです。
ねっとりと、暑いです。
そこにいるだけで、じんわりと汗にの浮かんできて、気力が汗とともに霧散していく大気。

もーいいよ。だらけようよ。あとで考えようよ。食って寝ようよ。
そういう感じの惰性がとても強くなる、生ぬるさ。

これがタイ。
この空気が大好きです。

そういうわけで。現在、出張の往路にあります。バンコクです。
明日はブータンに飛びます。

今週は出張準備もありまして、まったく余裕がありませんでした。
新しいプロジェクトなのはいいのですが。インド人の相手は疲れるわ。新しいソフトはわからんわ。データの構成がどうなっているのかさっぱりだわ。読まねばならない資料は10センチ単位だわ。ビザは間違っているわ。飛行機のチケットはとれんわで。
もちろん帰宅は午前。
いい加減頭痛に苛まれて、家に帰っても気力体力がなく。コタツに入ったらそのまま意識を失っていつの間にか朝、という毎日でした。

それでも、飛行機の中でどっかりと寝て、タイの空気に浸って、タイスキ食って、マッサージしてもらったら、すっかり回復しました。
現場に出ると復活する。東京生活がいかに心身を苛むか。江戸は好きだけれども東京はもういやだと、たわけたことを思います。

タイも、毎回、くる毎に変わります。
10年ぐらい前にバックパッカーとして来たときは、ひどい渋滞で、ガスマスクをした警官が必死で交通整理をしていて、スクンビットのあたりが異様に近代都市として開けていて、そのほかは半ばスラム化した屋台に人がひしめいていたイメージでした。

今回は、まず空港が新しくなっていました。
Suvarnabhという、どういう読み方をするのか良くわからないお名前の空港。
首都の国際空港というと、その国の国力を現す顔のようなもので、空港を見ると大体その国の経済力がわかるもので。

広大な地に、お台場のような近未来的な様相。カマボコ状の飛行機ドッグに、建築としてどこまで必要なのか良くわからない鉄パイプのデコレーションの屋根。ターミナルも天井が高くて広くて、「贅沢に空間を使った」とでも形容されるものかと。
空港の外には、トヨタやいすゞやベンツの新車のリムジンがひしめいていた。

そこかしこに巨大液晶ディスプレイがあって、為替もニュースも到着便も、リアルタイムに情報を表示している。韓国のサムソン製が多い。

これを維持するだけタイは力をつけたのだ、という威信をかけた空港だな、という感じでした。

泊まったホテルの近くにショッピングモールがあったので行ってみました。
メイドインタイランドのモノがあふれている。服飾品の価格は、地元の所得を考えるとかなり高く、日本のユニクロなどのほうがずっと安いぐらい。
フードコートにはタイ風のファーストフードが立ち並ぶ。タイスキや中華は行列ができている。腹いっぱい食って1000円ぐらいと、かなり高い。

こうしたモールは大人気らしく、その周辺の道路は渋滞、買い物客のタクシーや乗り合いバスがひしめいている。

1日空港と市内を見て回っただけですが。タイの人たちの購買力がどんどんあがっているのだな、という感じでした。

もちろん、東北タイなどに行けば、今も変わらない農民の生活があるのだと思います。

こういう、変化の只中にある国は、独特のエネルギーがあります。
発展が必ずしもいいことではない、ということは、環境保護という言葉が好きな人はよくおっしゃいますけれども。
上の変化があって、下層の生活が引っ張りあげられるということは、事実だと思います。
タイの周辺一帯に及ぼす影響力は強くなる一方で、ラオスやカンボジア、ミャンマーなどでもタイバーツが通用したりします。バーツ文化圏という言葉もあるぐらいで。

お隣の国のご機嫌伺いも大事ですが。
こうした伸び行く国とのお付き合いも大切にしたいものだと思いました。

ちなみに、公的に日本にタイが紹介された初めての記録は、「暹羅紀行」By工部省大鳥圭介、でした。(非公式にはいくつかあったかと)

ここで暹羅紀行の中身に入っていければ良いのですが。
内容はデジタルライブラリ参照、ということで横着をします。
明日4時起きなので、寝ます…


そんな感じで、またネットアクセスの難しい地域に入ります。
ご紹介したいネタはいくつかありますので、頻度は下がりますが、まとめてポストしたいと思います。飲んだくれてなければ。
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2006年11月26日

モンゴル:チャレンジ

帰国しました。

とりあえず。

外に出ても顔が痛くならない。涙も出ない。
防寒着も毛糸股引も必要ない。
石炭臭さとスモッグで息が詰まらない。
鼻の中が黒くならない。
水道水が無色透明だ。
ボーっと歩いていてもマンホールに落ちない。
部屋の中でも汗をかかない。
街中で塵がなくて目を開けていられる。
夜でも明るい。
夜、呑まなくてすむ。

そんなどうでもいいところに、新鮮味を感じてみたりします。
居る、ということが楽だ。

でも、早速、徹夜までは行かないけれども、終電+自宅残業+休日出勤です。まだ「今日中に出します」と行った書類を作り終わっていない。「今日」とは、次の日の太陽が昇るまでのことを言うのさ。

今までなら、8時には仕事を終わって、サウナに入って中華料理を食べながら(肉だらけモンゴル料理は腹にもたれるので夕食はつい中華になる)ビールを飲んで、ウォッカでへべれけになって、10時にはベッドに沈没していたのに。

考えて見れば、モンゴルに居た間、呑まなかった日が一日たりとて無かった。
飲むために、夜仕事を切り上げるし、飲んだ後は仕事をしないから、区切りが良いんですよな。
多少居るのが辛くても、すでにもう懐かしい…。

って、その分進捗は遅い。溜まった仕事のアオリを今食らっています。


いろんな人間が居ました。
概して、モンゴル人、突っ走る人が多い。草原を走り回っていたからかどうかはわかりませんけど。
決断力と行動力がすさまじい。失敗を恐れない。反面、計画性が無い。

新しいもの好きで、若い人もこれと決めたらどんどん自分で突き進んでいく。自分の会社を持って、事業を立ち上げて、がんがんお金をつぎ込んでいく。付き合いのあった人も、2,3年経って再会してみると、同じ仕事をやっていたというためしがない。

日本の会社だと20代だとぺーぺーで、自分が最終責任を取るような大きな仕事を切り盛りするということは少ないですが。彼らは大学卒業したばかりのような若い人でも、どんどん恐れず責任を背負っていく。その分寿命も短くて、40代ぐらいになるともう隠居臭さをかもし出していたりもするのですが。

まず社会が、失敗に対して寛容というか。人間失敗してなんぼ、という感じで。事業に失敗して借金が残って破産しても、「しょうがないなぁ」と次への道を目指せるようになっている。具体的にどう処理しているのかはよく分からないのですが。失敗、破産、脱落、ということが、社会的にそんなに重く取られない。失敗して一文無しになっても、遊牧民に戻って、家畜を育てて売って金を稼いで、また戻ってくれば良い。そんな感じ。

(年率25%とか30%とかいう、消費者金融以上の恐ろしい市中銀行金利は、たぶんその辺から来ているのだろう。きっと借り逃げが多いんだ…)

議員もすぐにガラリと入れ替わるし、議会が解散すると省庁、官僚までみんな首がすげ変わってしまう。新陳代謝が激しい。…それはそれで今までの担当者が居なくなってしまってまた一から説明しなおし、ということがしょっちゅう、という大変な欠点もあるのですが。

日本だと一度信用を失ったら復活が大変で、「再チャレンジできる社会に」なんてのが政権のポリシーにわざわざなったりしているわけですが。(ポリシーにするというからには、「そうではない現状」という前提があるわけで)

これだけ挑戦と発展を試せて、復活が出来る社会というのも、ひとつの理想かも。
もちろん、治安の悪さを見ても、成功者とそうでない人の格差も大きく、いろんな社会不安があるわけなのですけれども。

そういう中だといろんな人に出会えます。

20代後半で、数億円規模の金を集めて、「政治に影響されないメディアを作りたい」とテレビ局を立ち上げて、中国のSony支社から最新の資機材をコンテナ一杯に買ってきて、金が無くなって社員に給料が払えないと自転車操業をしながら、2週間スタジオに泊り込みで社長みずから番組のプログラム作って、相撲の実況中継やって、編集している人とか。

国境で中古車の売買をして小金を貯めて、カジノを作っては失敗して文無しになって、留学先のドイツから技術をもってきて、三畳ぐらいのカウンターでモンゴル初の生ビールを売り成功して、レストランやら食肉加工やらホテルやら建設会社やらのオーナーになった人とか。

その人たちの人生、本当に面白い。人生が面白いと人間も面白い。
そういう人たちは、遊ぶときは力いっぱい遊びます。

フブスグル湖という、ロシアとの国境にある最後の秘境、桃源郷かというような地方で、大草原ラリークルージング、サバイバルキャンプ、巨大鱒の釣りをした、などの話を、デジカメ写真付きで見せられると。

自分、なんつー小さく、みみっちい人間か、と思ってしまいます。

自分は結構、それなりに楽しい人生過ごしているじゃないかと己惚れていましたが。ここの人間を見ていると、今までの肯定感がガラガラ崩れていく感じで。
いや自分もそんなに捨てていないと思いたいと会津磐梯のツーリングの写真を見て、孤独な野営を思い出して、余計にめり込んでみたり。

浮き沈み、苦楽の激しい人生。
こういう、しなやかに強靭に生きている人たちが、まぶしい。

勿論失敗も多くて、その分困窮に陥る方も多いのですが。
それを良い、悪いと決め付けてしまうことは、アウトサイダーにできることではない。住んでいる人間が自分の名においてのみ決めることなんでしょう。


…と、我々の先祖、150年前は、日本人もそんな感じだったのではないかと思うのですよね。
特に明治の初め、朝令暮改の世の中は、なにも当てになるもの、正しいもの、確固としたものは無い。昨日と明日で、価値観がガラリと変わってしまうこともあった。廃藩置県などまさにそうで。

その中で、若かろうが老いていようが、自分の才覚を頼りに、無ければ勉強してその才覚をひねり出して、みんな必死に生きていこうとしていた。浮き沈みは誰にでもあった。

幕末の時点に閉じた価値観で、明治初期の人の生き方を語っても、本質に触れることはできないのだろうと思います。武士道という言葉すら、戦国、江戸時代、明治で激しく中身が変わっていますし。

その国を語るにはその国の価値観を知ってから。その人を語るにはその人が生きた時代を知ってから。
というような在り方を目指せればなぁと思います。
「知る」というのは果てしない作業なのではありますけれども。

…と言う感じで、ひとつ更新してみましたが。
幕末ヒロイック志向の価値観でばかりで語られることへのアンチテーゼを示したかった…とか偉そうなことを言ってみたいチャレンジでした。
…とか言うと、大抵沈む羽目になるんですな。はい。


    [2] MOJO URL 2006/11/26(Sun)-19:18 (No.209)
    入潮様
    無事?のご帰国、おめでとうございます(笑)

    いろいろな人に出会うと、
    そのたびにいろいろな想いにも出会いますね。
    もちろん相手だけではなく
    自分の中にある思いにも。

    個人的には
    平凡な日常(人生)を送るということも
    とても大変な事だと思うのです。
    実は極端な針のふり方をした人生のほうが
    気に留める事柄が少ない(エネルギーを集中できる)という点においてやりやすいかもしれません。

    そして人はいつの世もどんなところであっても
    時代の最先端を生きていますので、
    現在でも過去でも、きっと環境の変化に必死に対応して生きていくのでしょう。
    人を語るにはその時代を知るという視点は確かに大切ですね。
    できれば、その人が見ていた方向や
    その先にあるものも知りたいものです。

    [3] 入潮 2006/11/27(Mon)-02:15 (No.210)
    人に会い、自分の思いに出会う。旅人らしいお言葉ですね。
    違いを見て、初めて当たり前のことを発見する、という。ちょっと病みつきになる感覚です。

    波乱を経ても最終的に目指すところは平凡で、平凡が一番の幸せなのだろうとは思っていましたが。
    平凡が実は一番大変、というのには考えさせられました。
    平凡を達成するのにどれだけのエネルギーが注がれているか。それも、非日常のためのエネルギーは自分からも他者からも目にしてもらえるものですが。あたりまえのことをあたりまえに、誰も褒めないことを継続して行うことの大変さ。それを達成できる人こそが、本当に見るべきものなのかもしれません。
    たぶん身の回りに、たくさんたくさん、尊敬すべきものがあるのだろうなぁと思います。

    今の世は、人類がかつて遭遇したことがないほどの変革の時代だ、ということは時々聞きますが。
    いつの世も、世が変わっていく日々を過ごし、その変わる世界に合わせて、だれもが自分を変えていったのですね。

    その人を見ていた方向を知りたい。本当にそうだなぁと思います。
    予定調和という言葉がありますが。我々はある時点の未来がどうなったかという情報を持っている。けれども、その時点を生きたその人は、その先がどうなっているかわからず、情報もない。限られた視界の中で何を必死に読み解こうとし、どんな行動を起したか、その先人たちの直の姿を、追いかけていきたいです。たぶん未来の人間が結果を知ってあれこれ言うのを見るより、吸収ところが多いのではないかという気がします。
タグ:モンゴル
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2006年11月21日

モンゴル:盗難

再び地方に入っていました。
先月と同じ場所だったのですけれども、前回は荒涼とした枯れた草原の侘しい景色だったのが、一転して真っ白な雪景色になっていました。草原の秋は短いというのを実感。

昼でも氷点下10℃ぐらいで、雪はサラサラと乾いて土や草木に凍り付いている。木は樹氷になっていて複雑な結晶をちりばめている。一面、太陽の光をキラキラと反射していて、どんな宝石より豪華な感じでした。宝石のようなつまらんものと比べるな、という感じ。

それでゲルからはストーブの烟がもくもくと上がって天にたなびいていく。その前をゆっくり馬、羊、ヤギ、駱駝の群れが過ぎていく。

そこで生きるのは大変だけれども、こういう美しいものが広がっているのなら、凍死と隣り合わせな日常も悪くないなぁ、と思ってしまった。…3日もあれば嫌になると思います。

草原の人々は、景色だけでは飽き足らず、それを絵にするのがとても好きです。その絵は、夏の生命力に満ち溢れる草の青か、冬の全てを浄化するような白かのどちらか。

今のプロジェクトサイトは、夏は40℃、冬は-50℃まで下がる、1年の寒暖差90℃。そんなところで人間生きていけるのか?と思っていたのですが、実際に人間はたくましく世知辛くビジネスライクに生きている。
ぎりぎりの自然と草と一緒にでも、人間生きていけるのだなぁと、しみじみします。


さて、少し前にJICAのシニアボランティアの方が自宅で殺害されたとニュースになっていました。
JICAは大騒ぎだったようです。いろんな契約交渉もストップして、担当の方は大変そうでした。
自分達民間人はのほほーんとしていますが、安全を謳いながら人集めをしていた公的機関は、今後も対応に追われそうです。

犯人は、現地の、同じ職場の人間だったとのこと。
目的は強盗とのことで。現金やPCなどが自宅からなくなっていたとのことでした。
技術援助のボランティアで来ているのに、どうにも辛い話です。

安全を言い出すときりがない。
この交通事情だからいつ交通事故に遭うとも限らないし。酔っ払って外で寝たりしたら間違いなく凍死する。狂犬病は多いし地方に行けばタルバガンという哺乳類が未だにペストを仲介している。
日本人だけではなく、現地人もうかうかしていると被害に遭う。うちの通訳が、夜に酔ったままタクシーに乗って眠り込んでしまい、気がついたら現金とデジカメ、携帯を全て取られていたとのこと。
市場はスリの巣窟。コートやかばんが切り裂かれているのは茶飯事。

何をやっていても、死ぬときは死ぬものだし、事故にも遭うときは遭うし。
そもそもモンゴルにいるよりも日本の高速道路を走るほうがよほど事故率も死亡率も高いですが。

同じヒトに殺されるというのは、いちばんやりきれない話です。

治安という点では、平均月収が100$程度の貨幣経済ですから、日本人=金持っている、という認識は拭い去りようはない。
モンゴル人も日本人も顔は同じなのですが。国境を介して顔をあわせないままだと恙無くいられるのですが。
顔をあわせて、そこに不均衡があることが分かると、その不均衡を是正しようとするかのように、何かしら物事が起きる。モンゴルに限らず世界中どこもそうですが。

人が悪いのではない。

「持っているほうが悪い」

そんな、どうにもならない結論に行き着いてしまいます。

とか何とか、悟っている風なことを云っても、盗まれるのは嫌、仕事ができなくなるのは困る、ということで。自己防衛はせねばなりません。
自分のような下っ端は、会計も引き受けているために、持ち歩く現金が結構大きくなる。
宿のセーフティボックスも万全ではない。どのように安全に現金を保管するか、そもそも自分の身を安全にしておくか。パスポートすら日本人の者は高値で取引されるので狙われやすい。持ち歩くのも、ホールドアップやスリに遭ったら終わり。

けれども、結構些細なことを気をつけていれば、効果はあるのではないかと思います。
たとえば。

○ 化粧はしない

化粧の濃さとトラブルに遭う確立は比例すると思う。
類似:パンプスの高さ、アクセサリーの数

○ 走る。立ち止らない。

通常から歩く速度を早くする。買い物も目的に一直線。
夜の一人歩きの場合も、一心不乱に目的地を目指してずんずん走る。

○ 部屋に相場の半額ぐらいのチップを置く

チップを置かないと、メイドが腹いせにスーツケースの現金や貴重品を盗んでいくことがある。
チップの相場は国に関わらず大体1$ぐらいですが、わざわざ現地価で0.5$ぐらいをおいておくと、貧乏臭い、かつ嫌味でない。

○ 小銭だまし

スーツケースにスーツケースに、いかにも現金のありそうな見つかりやすい封筒に100〜200$程度入れておいておく。保険みたいなもの。これを取られることで、本命の現金を守る。

○ 知人には「自分には借金がある」と明言しておく

ホテルでの盗難は、実は知っている人というのは、長期滞在ではよくあるパターン。人間がいろんなところで繋がっているので、ホテルのハウスキーパーにもいつの間にかいろんな情報が流れている。
「育英会の奨学金で、あと20年働かないと返せない」とか言って周囲から憐憫を買っておくと、意外に身を守れる。

○ どうでもいいところに現金を置く

スーツケースの中に多額の現金を入れる場合、新聞にはさんでおくとか、飴やポテトチップスなど食べかけのお菓子の中に入れて輪ゴムで止めておくとか。使用後の靴下の中とか。まさかこんなどうでもいいところに?と思うところに入れておく。小銭だましと併用。隠すのではなく見つからないことがポイント。

ただ、あまりにどうでも良すぎのところにおくと、忘れるので注意。
生理用品の中に3000$隠しておいたら、すっかり忘れてしまって、金なくした!と蒼白になってしまった。

余り参考にならないものばかりですみません。でもひとまずこれで自分はのうのうとやってこれています。
まぁなにをやっても万全というものはないです。恨みを買わないようにするのが一番です。金を持っていると見せるのも、恨みを煽ることと弁えて。

とりあえずまだ大金を盗まれたことはないですが、自分で400$ぐらいバスに忘れて戻らなかったことはあります。免許証・保険証ごと財布をなくしたこともあった。最も用心するべきは手前の馬鹿。

相変わらず歴史ネタでなくてすみません。
ネットから遠いとどうしても目の前のものしか見なくなってしまう。

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2006年11月14日

モンゴル:射撃

射撃をしてきました。
仕事場の人に、銃を撃ちに行くぞと誘われた。狩猟を趣味にしている人はたまにいる。
民間のサバイバル施設でモデルガンでも撃つのかな?と思ったら。

車が止ったのは吹きさらしの演習場。並べられているのは、何時ロシアから流れてきたのだ、というような、ポンコツの戦車や高射砲。ペンキで塗るなどの見栄えすら整えていない。

そして野外机の上には、どう見ても陸軍使用中のトカレフやらカラシニコフやらその他ライフル。
…どうも、金のない陸軍が、小遣い収入を得るために、観光客や一般人相手におためし射撃をさせてやっている、という感じだった。

いちおう、民間会社が委託されてプログラムを組む、という形になっているようで。
トレーニングはきちんと受けるとか、事故がおきても損害賠償を請求しないとかいう誓約書を書かせられる。
ライフルやピストルなどいろんな種類が掲げ上げられているのだけれど、実際に射撃可能だったのは4,5種類。
それで、撃つ弾数に応じて金額を支払う。ピストルで16発1500円、ライフルで14発2000円ぐらい。うろ覚え。
中にはロケットランチャーもあった。一発9000円。

とりあえず、ピストル一種類と、ボルトアクション式のライフルを選んだ。
で、トレーニングどころかインストラクションもなくて、いきなり銃を渡される。

演習場は、強風の吹きすさぶ氷点下。草が凍り付いている。すぐに感覚のなくなる手足。手袋をしていると引き金が引けない。素手で張り付くように冷たい金属を握る。
鉄って、ひたすらに熱を奪い続ける物体なのだということが良く分かった。

それで、麻痺する体で射撃の反動をこらえる。
銃音そのものより、射撃直後に反響ががキーンと高く頭蓋骨の中に響いてくる。それがどうも耐えられない。
自分の筋力によらない衝撃の反動が、直接体に響いてくる。
なんかもう、涙と鼻水で顔がべしゃべしゃになる。

これしきのことで人が殺せるというのが、どうにもいやな感じだった。
剣道とかだと、自分で動かした手足によってどう相手に攻撃が当たったかというのが分かるのだけれども、射撃にはそれが無い。やりこめば別なのかもしれないけれど。どうも、引き金を引くだけの自分の作用に対して、放出されるエネルギーがあまりに大きすぎる。効率が良すぎる。

自分、何を好き好んでやっているんだろう、と思った。
まったく自分の力に寄らないのに、平気で人を殺せる道具を持つというのが、嫌だった。

平和ボケした人間の偽善的な感覚に過ぎないのだけれども。
嫌だと思えることこそが、恵まれた環境でのほほんと育ってこられた証なのだろう。

ただ、この嫌さを1回経験しておくのは必要なことではないかと思った。そして1回でもう十分。

まぁ、車やバイクも、十分に人間をひき殺すパワーはある、という点では同じだし、作用に対するエネルギーの大きさ、という点でもなんら異なることはないのですけれども。
それを目的化することが、こんなに違うものなのかと思った。

せっかくなので写真を撮りたかったのですが。
デジカメの電池が、低温で起電力が下がり、全く働かなかった。残念。
懐に入れて温めておかないと、カメラも凍って使い物にならない。雪中行軍の握り飯のようだ。

とりあえず、シャスポー銃などに採用されているボルトアクション式の操作の仕方は、良く分かりました
機械的な機構としては結構単純なのだなぁと。装填もばねで制御しているだけだし。
いや、分からないままでもよかったです。
あんなもんと無縁の人生を送れるならそれに越したことはない。

それにしても、冬季の行軍が大変極まりないということはよくわかりました。冷たい鉄の塊を持ってそこに一日中居続ける、というのが、いかに人間の体力と精神力を摩滅させるか。
薩長軍が冬に入る前にと会津を攻め、冬季の箱館を放置していたのも良く分かる。ナポレオン軍が冬のロシアに敗れたのも当たり前だ。ロシアがあの巨大な領土を維持できたのもむべなるかな。

あんな中で銃を担いで昼夜動き回らされるのは、絶対にいやだと思った。いくら士気が高くても数日で瓦解すると思う。私なら後ろから撃たれようが何だろうが、1日で逃げ出す。

ズボンも凍る中の会津山中や、膝まで雪で埋まっていた峠下、極寒峠越えの二股(松前攻めの前)。伝習隊・衝鋒隊・一連隊の彼ら。よくもまぁ、投げ出さずに最後まで戦ったものだと思います。

寒さの逆に、熱帯の暑さと湿気と雨の中、デング熱・マラリア蚊、風土病と闘いながらの行軍というのも相当辛いのでしょうけれども。

戦争は一般民衆だけではなく、現場の人間にとっても、ろくでもないものだ、ということは、良く分かりました。
陸軍の小遣い稼ぎでも、それが分かっただけ、ありがたいものでした。

で、一緒に行った仕事場のモンゴル人は、一日中寒風に吹かれたのが災いし、風邪を引いて翌日寝込んでしまいました。
やってほしい仕事詰まってたのにー。


    [2] MOJO URL 2006/11/19(Sun)-22:36 (No.205)
    こんばんは。

    氷点下の射撃体験とは、
    また貴重な体験をされましたね。
    私なんぞは
    文章を読むだけでも身が縮こまる思いです。

    鉄…
    鉄砲は撃ったことはありませんが、
    刀の手入れはした事があります。
    考えてみれば鉄の塊ですから当然ですが、あれも相当重いです。
    長い時間持っていると手がしびれてきます。
    少し話がずれますが、
    人殺しの道具というのは別として、日本刀は綺麗です。
    きちんと作られた刀は鉄の色が澄んで、反りの具合や形状、焼入れされた刃紋など、見ていてあきません。
    以前、少しだけ鍛治屋さんの作業の真似をさせてもらったことがあります。
    鉄の塊から形を作り出すことの面白さ、難しさ、
    また火の取り扱いなどを垣間見ることができ、大変興味深い経験でした。

    鉄は叩けば熱くなる。
    鍛治屋さんは鉄を叩いて赤らめて、それで火をおこします。
    冷たい鉄というのは私の想像の外にあります。
    でもその冷たさはきっと鉄の持つもう一面、入潮様が感じた嫌なものに通じているのかもしれません。
    知らない私は幸せといえます。

    モンゴル人スタッフは回復されましたか?
    ご当地の環境に慣れていても、射撃場はまた違った風が吹いていたのですね。
    モンゴルにも玉子酒とかあるのでしょうか?
    あるとしたらベースの酒が相当きついかもしれませんが…(笑)

      [3] 入潮 2006/11/21(Tue)-23:08 (No.207)
      MOJOさん、書き込みありがとうございます。

      まさか自分もああいうところに連れて行かれるとは思っていませんでした。
      鍛冶の経験がおありとは、MOJOさんも、なかなか人ができない貴重な経験をされていますね。鉄を真っ赤にして打つというのは、一度はやってみたいです。

      鉄を熱いと思うのは、何かを生産しているからではないかと思います。
      鉄を冷たいと感じるのは、破壊の象徴と捉えるからではないかと。

      日本刀は、それ自体、殺戮の道具としてだけではなく、力や名の象徴、誇りや魂の象徴、という色々な意味を付加されている。それを表そうと鉄の極限の姿が創りだされ、それが美しいと感じられるのではないかという気がします。

      刀だけではなく、日本の鉄技術は昔から群を抜いていたようで。江戸初期から鋳掛け屋という行商人が、ふいごで鉄を流動化する技術を持ち、鍋釜を鋳掛けて補修することを生業にしていたそうで。鉄を加工する技術力というのは、そのまま国力に繋がるので、そうした技術の萌芽がすでに400年前にあったというのが驚きでした。

      精錬や焼入れなど、鉄を鍛えるのに込めるエネルギーは相当大きなもので。千度以上の温度をもたらす燃料を長時間投与するわけですから。何気なく手にしている製品も、そこにつぎ込まれた熱さを思うと深いなぁと思います。

      そして鉄は、インプットを上回るだけのアウトプットをもたらすからこそ、鍛えられるわけで。

      そのアウトプットが、鋤や鍬やエンジンや鉄筋のように生産をもたらすものだといいのですが、銃器のように破壊の方向に向かうときに、果てし無く冷たく感じてしまうのではないかなぁと思いました。

      そして、鉄の熱さも冷たさも感じることなく、ただあって当たり前だとしか感じられない状態が、一番恐るべきことなのではないかと思ったりもします。

      モンゴル人は、何とか復活していました。ご心配ありがとうございます。
      玉子酒は無いようなのですが、二日酔いすらウォッカで治すという人たち。(二日酔いの気持ち悪さも、更に飲むとハイになって忘れられる…) 風邪を引いている間も普通に飲んでいたのではないかと心配です。

posted by 入潮 at 02:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月05日

引き続きモンゴル

えっと、地方入りしていたり、ウィルスに難儀していたり、単に呑み潰れていたりで、なかなかアクセスできませんでした。スパムのような書き込みのまま放置していてごめんなさい。メイルなどお返事も遅れております。申し訳ないです。

本日、ウランバートルは雪でした。
山や草原の雪は、景色を白に染めて綺麗なのですが。ウランバートルの雪は、石炭の烟を溶かし込んでいて、大変健康に悪い代物です。目に入るとぴりっとする。酸性化が進んでいるのかもしれない。

寒さにも慣れるものでして。2、3℃もあれば、今日は小春日和であったかいなぁー、と思うようになりました。明日は-15℃ぐらいまで冷えそう。まだまだ序の口です。

寒さもそうですが、乾燥が堪える。指先や踵がひび割れて痛いです。砂や塵も乾いて舞い上がる。それが皮膚の細かい皺に入り込んで水分を奪う。空気と水分を奪い合っている感じです。
道路に雪が降って解けると、すぐに蒸発するか、凍りつくかのどちらか。
水が液体として存在できる環境は、なんて生きやすいものなのだろうかと思った。

部屋の中はようやく暖房が入って暖かいです。シャツ一枚でも平気なぐらい。室内に出入りするたびに脱ぎ着が激しく、面倒です。もっと暖房を節約しても良いのにと思うのですが。蒸気・温水で室内を暖めるインフラシステムになってしまっているので、少し温めるというのが、かえって難しいらしい。蒸気ボイラーのある発電所に近いオフィスの方は「暑い」と言って窓を開け放ってました。日本食の料亭ではクーラーを入れていました。おいおい、という感じです。いくら大規模露天掘り石炭のおかげでここのエネルギー単価は安いといっても。
石炭が安すぎて、他のエネルギー源(ガスやバイオマスなど)が太刀打ちできないから、一向にエネルギー転換が進まない、というのがあります。

ウィルスはもう色々と。宿や職場のサーバにつなぐ毎に何かしら拾ってくる。ホームを書き換えたり、ポップアップで広告を出してくるぐらいは可愛いものですが。酷いものでは、10分タッチしないと、一切入力を受付けなくなるというもの。電源オフすらできない。バッテリーを外して強制的に電力を遮断して再度立ち上げ直す必要があったり。そんな感じで、何とか騙し騙し使っています。

災害でも疫病でもそうですが、基礎インフラの弱いところにまずダメージが来ます。困るのは対処法を知らない、知っていてもコスト的に対処できない、弱い層です。うちの現地スタッフもウィルスでPC1台駄目にして復旧できず、お金がなくて次のPCを買えずにいます。ハードにせよソフトにせよ、先進国基準で値段が付いているので、物価と給料の安い途上国では購入が難しい。ここの公務員の給料は月100ドル(1万2千円弱)。機器を購入しようとすると、十倍以上のコスト感覚になります。

で、地方に出ておりました。
草はすっかり枯れて薄茶色の大地がただ延々と広がる。刈り取りの終わった麦畑と、休耕地の草原が、果てしない縞々を作っていたり。
遠くに雪を被った山々をみながらひたすら走り、両岸が凍りついた河を氷を割りながら渡し舟で渡り、道なき道を消えかけた轍を頼りに行く、楽しい道中でした。

ここの運転手は、草原を馬で走り回る感覚で運転する。ダートの道路があるのにわざわざ草原の中に出て喜び勇んで走ったりする。草が傷むからやめろー、と言うのですが、聞きやしない。三台の隊列を組んで行くはずが、皆ばらばらに思い思いに走り出す。目的地に着きさえすればいい、という感じ。
くー、自分もバイクで走りたい。

遊牧民のゲルで馬乳酒を飲んだり、アルル(乳を乾燥して固めたもの)を食べたり。肉ばかりの食事で悪くなった便通が、一気によくなった。

それで命の洗濯をして、ウランバートルに戻ってくると、霧に包まれたように町が煙っている。石炭のスモッグで硫黄臭い。ぜんそく持ちの方ならその場で蹲るような。
そして、水道水は、老朽化した鉄管からの銹で赤茶色。酸化鉄が沈む。皆この水で茶を飲み、麦を捏ね、米を炊いている。

水も空気もろくでもない。

ウランバートルの人の寿命は、これから短かくなっていくのではないかと思った。
ぜんそくや呼吸器疾患の患者数は顕著に増えているらしい。

そんな町に嫌気が差し、政府高官や企業家ら資金のある人たちは、ウランバートルから10数キロ離れた郊外に家を持ち、そこから車で通勤する、という生活。
一般人は、ソ連時代に作られて割り当てられた10〜15階建て集合住宅か、指定された地区のゲルに住んでいる。ゲル地区は、地方の遊牧民が仕事を求めて集まり、地面を木の柵で覆って住み着いている。電気はあるけれども水道はなく、井戸。暖房は薪か石炭。このゲル地区の石炭が、ウランバートルの大気汚染の大きな原因。火力発電所は脱硫装置など対策はされているけれども、石炭ストーブはただ燃やすだけなので、石炭からの窒素酸化物や硫黄酸化物がダイレクトに空気に放出される。

広大な土地に、モンゴルの人口は240万人。一方、ウランバートルの人口は公式には93万人(2004年)、登録していない移住者を合わせると、120万人と言われている。実に人口の半分がウランバートルに集中していることになる。第二の都市のダルハンは10万人以下。

これは、地方に仕事がないため。人が生きていくのは大変で。仕事を得て生活するためには、人の集まる町へ行かざるを得ない。失業は一番の社会問題。
それまでは皆遊牧生活で生きてきたわけですが。人口増加や気候変動で、草原が遊牧民を支えるためのキャパシティを失っているのか。

都市を離れた自然がいい、というのは、誰もが思う当たり前のこと。
自然を愛でられる環境にいられることは、もはや、たまたま豊かなところに生まれられた人間の贅沢であり、娯楽なのだと思います。

この国の人たちはよく気候の話をします。温暖化と、雨。
ウランバートルの降水量、年によって差はありますが、年間250mm〜300mm。一方、植物の生育限界もまた、年間250mm〜300mm。草原の草は、生存ぎりぎりのライン上で生きています。そして、家畜も遊牧民も、このぎりぎりのところに依存しています。

なので、少しの変動にも敏感ですし、ダメージが大きいです。おととしも旱魃で、灌漑をしなかった農作物は収量が下がりました。数百ヘクタールが全滅したところもあります。

温暖化は、単に暖かくなるのではなく、不安定な気候をもたらします。たとえば、それまで満遍なく降っていた雨が、一度に集中したり、逆にまったく降らなくなる時期があったり。自然は基本的に水を長期間溜めるようにはできていません。水に依存する生物は、それだけこの地では、気候変動の影響をもろに受けます。

ちょうど温暖化で史上最高の二酸化炭素濃度になったというニュースも。タイと2ppm程度の測定差にどれだけの信頼性があるのかはわかりませんし。そもそも地球規模の大きな流れで言えば、今は氷河期に向かう間の間氷期だという話もある。

それでも、本来ならすでに連日最高気温がマイナスになっているはずなのに、4,5℃の陽気が続いていたり、かと思うといきなり-30℃の寒波が来たりと、どうも何か違うと肌で感じている方は多いです。

…と、なんだかんだとこの国の行き先を何かと思ってしまうのですが。
連日、酒と肉が好きな連中に襲撃を受け、連れ去られてはアルヒ(ウォッカ)の洗礼。呑んでばかりで、すぐに頭が麻痺しています。
酒の量も時間も半端ではない。二日酔いになるのがいやだからずっと呑み続け、3日間飲み明かし、ということも平気でやる恐ろしい連中です。

限界まで呑んでいると、自分の体質が分かります。ウォッカなど強い酒は、すぐにべろべろになってしまうのですが、翌日まで持ち越すことはほとんどないみたい。呑んでいるときは周囲に迷惑をかけ、翌日はケロっとしているという、一番タチの悪い奴なようです。アルコール脱水素酵素はあまりないけれど、アルデヒド脱水素酵素は豊富に持っているらしい。

そういうわけで思ったように更新も書き込みも進まないですが、材料は持ってきているので、ぼちぼち行きます。

しばらく大鳥ネタがなくてごめんなさい。
でも、大鳥話より生活話のほうが良いと言って下さるのも、ありがたいですが、それはそれで寂しい。
う、嘘です。訪れてくださるだけで嬉しいです。頭が上がりません。
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2006年10月25日

Problem...

Now I am having problems of very slow internet connection and virus infection to my PC.

T-T

Virus is a big enemy and influences even to the body of our team members. (That is because of duty smog from coal stoves and this cold cold climate)

I'm now from a cyber cafe and not being able to use Japanese here.

Sorry for the delay of BBS and e-mail response.

MOJO-san, thank you for your warm comment!


    [2] ままこっち URL 2006/10/25(Wed)-23:43 (No.194)
    入潮さん
    寒冷地でのお仕事お疲れ様です!石炭ストーブと冷涼「すぎる」気候、開拓使だと思って乗り切って下さい!そして帰国されたら、是非鍋の会、でも・・・(悪魔の誘い?)


    [3] MOJO URL 2006/10/27(Fri)-01:59 (No.195)
    入潮様
    くれぐれもお体大切に。

    豊田で宇都宮三郎展が始まりました。
    弊ブログで紹介していき隊と思いますが、
    もし機会があれば実物資料をご覧下さい。


      [4] 入潮 2006/11/04(Sat)-19:27 (No.197)
      ○ ままこっちさん
      お言葉ありがとうございますー。
      暖房も電気も水道も道路も、首都にいる限りは少なくともインフラは整っていますので、開拓使や、実際に開拓に従事された方々の苦労を思えば、寒さぐらいでぶーぶー言えなくなります。文句を言うとろくな食糧もなく綿入れ一枚で北海道の冬を越した先祖に殴られそうです。
      鍋、いいですね…しみじみ。鍋オフ、ぜひやりたいです。

      ○ MOJOさん
      宇都宮三郎展! 情報、ありがとうございます。自分がいないときに限って、こうも面白そうなイベントが実施される…。帰国したら真っ先に駆けつけたいと思います。滞在が延長にならないことを祈るのみです。
      通信事情が悪くて、ブログもなかなかお邪魔できず、生殺し状態です。豊田市史も調べてみるといろんな発見があって面白そうですね。


    [5] MOJO URL 2006/11/05(Sun)-00:06 (No.200)
    入潮様

    宇都宮三郎展、とても小規模な展示ですが、
    ご覧いただけるなら光栄です。
    お越しの際には弊ブログへメッセージをお送り下さい。都合がつけばご案内したいと思います。

    豊田市も歴史は長いですし、多様な地域色を内包していますので、
    面白いところも多いと思います(市史は通読しようと思うと眠たくなってしまいますが・・・)。
    徳川氏の祖の松平氏も豊田出身ですし、
    織田信長の肖像画として最も有名な重要文化財「紙本著色織田信長像」も豊田市内で所蔵されています。

    そういえば、この信長像も
    11月26日までの会期で行われている豊田市郷土資料館特別展「新豊田の文化財展」で、
    土・日に本物が展示されています。
    松平氏初代の親氏(ちかうじ)と若き日の家康(松平元康)の木像も並んで展示されています。
    豊田市民としては、こちらの展覧会もお勧めですが・・・

    ご無事でのご帰国をお祈りしております。

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2006年10月24日

モンゴル:人と国


[1] MOJO URL 2006/10/24(Tue)-00:55 (No.191)
入潮様
こんばんは。お邪魔します。

モンゴルですか・・・
近い国なのに、現状のモンゴルのイメージが乏しくて情けないです。
でも、正直寒い所は嫌いなので、
入潮様のような活動は、たぶん出来ません。
(吹きさらしの冬の発掘現場は経験ありますが)

日本の今後を考えると、
私も不安だらけです。
その反面楽観的なところもあります。
(といっても、私の場合もう少し範囲が狭いです)
私は日本人に生まれたことを
とても喜ばしく思っています。
アジアの片隅にこれだけの歴史を積み上げてきた民族ですし、その使う言葉の美しさ、
異文化を飲み込む寛容さなどは誇りに思います。
しかし、国(故郷ではなく政治体としての)となると、自分は「国」を一度でも誇りに思ったことがあるだろうか?
たぶんありません。

その差がどうも埋められなくて、
たぶん国が滅んでも日本「人」は生きていけるのではないかと思ってしまいます。

公平性、効率化と言う言葉が
どれほど仕事をやりにくくしているか。
お金も労力も必要な所に投入してこそ活きるのに、
目的をはっきりさせずに、お題目だけ唱える輩の多いこと。いやになります。
格差だって、社会にあるのは当然。
平等は幻想です。
・・・すみません。
なんだかやさぐれてしまいました。

ご自愛をお祈りしています。


    [2] 入潮 2006/11/04(Sat)-19:21 (No.196)
    MOJO様、
    思慮に満ちたコメント、ありがとうございます。通信困難なときにお言葉いただけるのもいっそう嬉しいです。レスポンスが大変遅くなってしまい申し訳ないです。

    冬の発掘現場とは、それも大変そうです。風の中に長時間居続けるというのが一番堪えますし。
    温暖な地方での夏生まれなので、自分も寒いところはできるだけ避けたいです。ただ、人間、慣れるもので、そこに人がいる限り、なんとでも生きていけるのだなぁという気がしています。

    MOJOさんのように日本に生まれられたことが感謝できる方は、あまりいないのかもしれません。自分は外に出て初めて、日本人のステイタスがいかにありがたいことかを初めて知りました。パスポートもビザも難なく取れる、通貨が強い、何より製品の品質に裏づけされた「あの日本人」という定評がある。馬鹿にされるところも皆無ではありませんが、日本人は世界の中で確固とした位置を持っているのだなぁ、と。

    日本はダメだという自虐やニヒリズムが好まれることが多いですが、子供らにちゃんと自分が日本人でよかったと思ってもらえるようなものを供していきたなぁと思います。

    国が滅んでも日本人は生きていく。なんだか考えさせられました。日本人は民力が高いのだなぁと。
    政治が無くても生きていけるというのは、多分とても凄いこと。ミャンマーでも感じました。(軍事政権ですが、小乗仏教がとてもいいコミュニティを作り上げていき、政治とは別のところでミャンマー人がミャンマー人らしく生きている)
    自分も国会で居眠りしている方々はちょっと誇りには思えないです。
    けれども、日本を今の姿にまで築き上げてくださった先人、官僚、技術者、研究者、創業者の方々は、大きな誇りであり、もっと知りたい、もっと知っておかねばならないと思っています。

    仕事をやりにくくする要素。公平性、効率化。ぜひそれに「透明性」という語を付け加えさせてください。
    いやその、MOJOさんも相当、ご苦労されていますね。今度一緒に飲ませていただきたいです(笑)

    格差について、同感です。機会の平等はあればいいなぁと理想としては願うのですが、結果の平等を求めるのは何か履き違えていると感じられてしまいます。福祉と平等をごたまぜにして考えると、ろくでもないことになるなぁ、と。

    日本も日々寒さ増している頃と思いますが、体調などご留意ください。


      [3] MOJO URL 2006/11/05(Sun)-00:44 (No.201)
      入潮様

      人間、なんとでも生きていける。
      そうなのですね。
      国が滅びても人は残る、と思うのも実はそのあたりに根っこがあります。
      民百姓はたくましくてしたたかです(笑)。

      日本人であることを誇るためには、いま声高に言われれているような愛国心なんか不要だと私は思います。
      自分までつながっている歴史と文化、そして日本語の美しさを知ることができれば、それが誇りにつながると思います。

      「透明性」賛成します。
      私なんぞ苦労しているうちに入りませんが、飲むほうは是非ご一緒させてください(笑)。

    [4] 入潮 2006/11/05(Sun)-04:20 (No.203)
    国が滅びても人は生きていける。一方、人がいないと人は生きていけないのだなぁ、と感じたりします。
    国というのは人が効率的に生きていくための必要悪なのかな、と思います。

    「愛国心」というのは、言葉にしてしまうと無粋なことなのかな、と思ってしまいます。要は自分の存在を肯定できること。自分の家族、地域、郷土、形あるなしに関わらず今の自分に繋がるものの成り立ちを知っていて、良いものを良いと思えること。愛国心や祖国愛というのは、その結果生まれる、肯定的なものの形の一つに過ぎないのかな、と思います。

    歴史と文化と言葉、それを個人を構成するものとして、それぞれが取捨選択して積み上げていくことができるようにするのが教育だろうと思うのですが。必修を履修せずとあたふたしているのを見ると、本質はどこにあるのだろうと思ってしまいます。

    そういうわけで、酒の席、お言葉に甘えて駆けつけさせていただきます。MOJOさんの語りは、いろんな方面で尽きることがなさそうです。
タグ:モンゴル
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2006年10月22日

グラミン銀行

潰れてます。
呑んだくれています。

酒は上物の飲み物として尊敬すべき液体。客人を迎えるには欠かせない。そしてモンゴル人は、相手が酔わないと安心しない。こちらも貰ってばかりでは何なので、お返しに日本酒やら焼酎やら持ち込む。
そういうわけで、毎夜何かしら飲んでいます。

自分が持ち込もうとした酒は、空港で割れてしまっていました。せっかく会津で買ってきたいい酒だったのに。もったいない。入れていた鞄が酒でぐっしょり濡れて、凄い臭いがしていた。出発前、成田のチェックインカウンターで、「何だこの酔いどれ女は」と、皆怪しい人間を見る目で通り過ぎていった。まだ酔ってないのに。出発からしてそんな感じでした。今だったらそのまんま酔っ払いです。

仕事場がビアガーデンの奥の部屋で、ビール工場の中を通って部屋に行くので、毎日ビール漬けになる。そして、モンゴルといえばアルヒ(=ウォッカ)。寒いから体を温めるためというのですが。温めるだけではすまないのが常。いくらでも瓶が出てくる。恐怖です。

昨日は雨でした。この時期は普通雪なのに雨というのは相当珍しいとのこと。こんなところにも温暖化の影が現れています。で、降水量の少ない都市なので、排水が全く整っていない。ちょっと雨が降るとすぐに道路が冠水しています。そして、夜のうちに雪に変わり、凍り付く。朝は打って変わって銀世界でした。温暖化だろうがなんだろうが、寒いものは寒い。

二日酔いのまま、今日は刈入れでした。着々と農業への道へ。
植え付けも雑草むしりもやっていないのに、刈入れの一番美味しいところだけいただくというのも申し訳ない。味を占めそうだ。
しかしこの寒さで1日中農作業というのも、厳しい。しかも昨日の雨が凍って、昼に解け始める。手も足もびしょぬれになる。寒い中で濡れると、本当に体力を消耗する。これが毎日なのだから、お百姓様の苦労が身に染みます。


さて、二日酔い頭でNHKを見ていたら。
グラミン銀行のユヌスさん、ノーベル平和賞受賞。
やっとかー、という感じです。10年遅いという気もします。

ムハンマド・ユヌス氏は、マイクロクレジットの創始者。何が凄いかというと、資金能力のない相手に、担保なし、小額から、零細農民、多くは女性に対して金を貸すこと。

そのシステムが良い。貸す対象は、個人ではなく5人程度のグループ。昔の日本で云う五人組を作る。融資はそのグループに対して行い、グループが連帯責任で金を返す仕組み。

この連帯責任が、担保になっているわけです。「人間性が担保だ」という素晴らしい言い方をしていますが。要するに、金の貸し先をグループ化することによって村八分が怖い人間から確実に返させるということ。(バングラディシュのように農村人口が密集しているからできるのであって、ブータンのように谷を越えてようやく一軒、というように離散した地域には適用は難しいかも)

重要なのは、単にその場しのぎの生活のための金貸しではなくて、産物を進め商売をして、借りた人間をちゃんと儲けさせる相談を行う。それまで耕すだけだった人間が、自分の生んだものに頭で考えて付加価値をつけさせるサポートを行っている。だから、借りた人間が、自分の儲けのなかからちゃんと金を返すことができるようになる。その仕組み自体が担保というか。貸しっぱなしではなく、グラミン銀行の人間が、返せる体制、つまり生活基盤を作ってやっている。

たとえば、グラミン銀行が携帯電話会社「グラミン・フォン」を設立。電話の普及していない農村の土地のない女性たちに携帯電話を貸す。女性たちはこの携帯電話を使って、先物取引をしたり、市場アクセスを手に入れて、ビジネスを行い、借りた金を返していく。

これら、数千円からという、小さい規模からはじめる融資なので、マイクロクレジットという名がつけられています。

そうした事業が功を奏して、グラミン銀行の返済率は98%を誇る。利益は毎年17億円という成功を収めている。

素晴らしいです。これを見ると、うちの国の消費者金融は何をやっているのだろうと、辛くなってくる。

それでHNKがこれを紹介していまして。その後、日本ではどうかということで、とあるミュージシャンの持っているNPOを紹介していました。再生可能エネルギー設備導入の紹介でした。それはそれでいいのですが。再生可能エネルギーは、よほどの規模があり事業で採算性が取れるものでないと現実的な効力は無い。小規模でチクチクやっていても、単にイイコトした気分になれる贅沢娯楽に過ぎないわけで。実際にそれがどれだけ地球環境と貧困削減に貢献しているのかというと、局所的にはよくても、全体の大枠から見れば大したインパクトはないわけです。でも、言葉がキレイだから、マスコミは喜んでそういうのをもてはやしたがる。

一方、日本もちゃんと国として、大使館予算で行っている草の根無償の中に、マイクロクレジット草の根無償というのがあります。「無償」というのは、返さなくてもいい、要するにプレゼントのこと。対比語は「借款」です。これは掛かった金は返してもらいます、というもの。

で、日本はマイクロクレジットの有効性にはきちんと目がつけていて、その原資や事務作業経費については無償で行いましょうという枠組みをもっていて、世界中で行っています。けれども、NHKはなぜかそういったODAには触れない。

なんで日本は、日本が日本の名前において行っている事をちゃんと国民に知らせないのだろうか、不思議です。

ウランバートルを走っているバスにも、日本の無償で入れたものがあります。
モンゴルの人口240万人のうち、半分はウランバートルに集中している。地方からどんどん都市に人口が流入しているわけで。ウランバートル郊外には移住してきた遊牧民のゲル(天幕)が林立しています。
ウランバートルも広いし、外がこの寒さなので、移動するのも大変。
そこにこの、小さな「JAPAN ODA」シールの張られているバスは、かなり喜ばれている存在です。

ただ、このバス、HUNDAI(韓国のメーカー、現代のこと)です。モンゴル人、バスにでかでかと書かれたHUNDAIの字を覚える人は多かれ度、ちっこいJAPAN ODAシールをわざわざ目に留める人はあまりいない。日本の税金を使って韓国の自動車メーカーを儲けるさせて宣伝してやっているのだから、何をやっているんだ、という気がしないでもないです。

ひも付き援助への批判対策で、国際入札にしたからでしょうか。
ひも付きというのは、日本のODAで入れる機器を、日本のメーカーの製品に限定して、日本の企業を儲けさせるということに対する、ネガティブなイメージから付いた言葉。入札の条件で、日本の商社やメーカーに限定して、他の国の企業が入ってこれないようにするわけです。それで、日本の製品は高い、というのは有名で。税金を払う側(=日本人)で公平性を求める人が、「ひも付きはよくない、どの国の会社も入札に参加できるのが公平だ」と高々と声を上げる。これもマスコミが好んで批判することです。

私としては、日本の金で日本のモノを入れて、何が悪い、という気がするのですよな。ODAで入れる製品は、日本のプロダクトの広告塔であり、その耐久性、機能性を知らしめるには格好の手段。日本製は高いが良いもの、というブランド意識を植えつけられます。その国で普及すると、大きなマーケットになる。技術立国日本の展望が広がっていくわけで。

大体、日本の金で日本の名前でモノを入れるわけですから、安かろう悪かろうな他国製品を入れて、すぐに故障するとかメンテナンスに金がかかるとか悪評が立ったら、傷つくのは日本の名前なわけで。
自分なら、安いからという理由で、自分の納めている税金が他国のメーカーの宣伝にしかなっていないというのなら、そっちのほうが納税者として怒りの声をあげます。

「公平性」という言葉が大好きな方はたくさんいらっしゃいますが。それを金科玉条のように振りかざした結果、妙な事になっているというのは、ときどきあるようです。

ただ、モンゴルのこの件の場合は、単に、当時Hundaiの市場が既に出来上がっていて、スペアパーツが手に入りやすいとか、安いとかいう事情があり、あるいはあるいは安いバスのほうが台数を稼げるから、そのほうがいいなど、当のモンゴル政府からそういう要望があったのかもしれない。

そのあたりは、当時の担当の方や基本設計を行った方に聞いてみないと分からないですが。

その場合だと、単に市場を開拓していなかった日本企業が悪い、ということにもなる…。

さて、格差社会という言葉が流行語になって久しい。
原因は、景気云々もそうですが。日本の製品が海外できちんと売れているという状態が、今の日本人の生活レベルを支えているわけで。その前提が、韓国・中国の台頭により脅かされてきた、というのが一番の原因なのではないかと思う。中国も、「安かろう悪かろう」の代名詞ですが、日本やアメリカからかなりの技術導入(あるいはマネ)をして、「安かろう良かろう」になってきている。中国製40万円小型車が大流行で、これが日本のマーケットを脅かすのではないかという話も。これはかなり恐るべきこと。

一方、中国やインドの人口が巨大なマーケットになっているというのはすでに現実。
グラミン銀行の成功は、低所得層を経済的に豊かにすることを可能にしたこと。援助もなにも、使っておしまいな寄付ではなく、貧困層が金儲けする仕組みを作らないと、貧困はどうにもならない。そこにグラミンのシステムによって突破口が生まれた。そして、今まで資本主義に置き去りにされていたこの貧困層が、今後大きな市場になっていく。貧困層がちゃんと金儲けする社会が、世界に安定をもたらす。

ここに食い込むために、日本の技術は、低コスト化をもってしてこれを本気でターゲットにする必要がある。
それは、貧困撲滅と低所得層の生活水準向上にとっても、日本自身が生き残るためにいも、必要なこと。
さもないと、いずれ日本は零落していくのではないか。先進国の人口は減っている一方、増えているのはこのポスト貧困層であるわけで。

日本のモノを世界で売るということを、日本人が一丸となって本気で考えないと、格差どころの話ではなくなる。先進国、中心国、途上国、という言葉がありますが、「転落国」という語が生まれ、それがわが国に課せられるというのは、ぞっとしない話だなぁ、と。別に不安を煽りたいわけではないですが、怖くなってしまうわけです。先人が築き上げてくださった技術立国日本のステイタスを、今の我々の世代が貶めてしまうようなことになっては申し訳が立たんのではないかと。

や、単に、一納税者としては、HUNDAIのバスより、TOYOTAやHONDAやISUZUに使ってもらうのがいいなぁ、と思うだけなのですが。
(相手の借金になる円借款は別だと思いますけれども。金を返さねばならないのなら、安いほうがいいと思うのも相手次第)

そういいながら、本日、余りに寒いので、デパートで有名アウトドアウェアメーカーのロゴのある防寒具を買ってきました。どう見てもバッタモノの中国製品です。結構しっかり作ってあって、良いです。そうなるとやはり、購買において安さに勝てる魅力はありません。

不安だ。あー、不安だ。
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2006年10月19日

モンゴル着

モンゴルです。首都ウランバートル入りしました。

寒いです。昼間で3℃。今は氷点下。旭川より寒い。
といってもまだまだ序の口で、冬はこれから。
正月ごろには-40℃まで下がるとのこと。風呂に入って外に出ると頭の後ろにツララができるのだそうな。
ただ、ここまで寒いと人間ほとんど外に出ない。それで、豊富な石炭を利用して熱供給をしているので、室内は半そででもいられるぐらい暖かいのだそうで。

一方、今はちょうど暖房が入る前の時期なので、実は室内は一番寒い時期だった。室内でバイクの冬用のウェアを着て震えています。

会津野営で寒さに体を慣らしておいてよかった。計算どおり。…嘘です、すみません。

秋の草原の国というと、抜けるような爽快な空を想像してしまうのですが。
どんよりとスモッグで曇っています。町中が石炭臭い。これは、暖房用の石炭のため。
この国は、石油は出ないのですが、石炭は豊富に埋まっていまして、大規模な露天掘りで安くガンガン掘り出しています。で、石炭を燃やすときに発生する硫黄酸化物や窒素酸化物が、大気汚染の元になっている。

(石炭火力発電所が原因かと思ったら、そうではないようで。地方から首都周辺に集まった遊牧民のゲル(テント)のストーブの石炭が、問題になっているとのこと)

さらにこれに、激増した自動車が拍車を掛けています。ちょうど夕方のラッシュ時期に着いたら、大渋滞で難儀しました。運転手は慣れっこで、割り込みしまくり。Uターンのときに確認すらしない。交差点のガソリンスタンドが、自動車のレーンと化している…。

運転は相当あらっぽいというか、かろうじて信号が守られているぐらいの無法地帯です。皆、草原を自由に馬で駆ける感覚で車を乗り回しているので。車はぶつけまくっていて、みんなボコボコになっています。バンパーがへこんだぐらいでは、蚊が刺したほども感じないのだろう。

これまでのモンゴルの産業といったら、カシミアと皮製品ぐらいのものでしたが。今、地下資源の最後のフロンティアなどと言われ、石炭のほかに、鉄鉱石、銅、金などの金属資源に熱い目が注がれています。外国からの投資が急速に入り込んできていて、資源成金というのが街に現れてきた。

この国も、来るごとに変わっていくのだろうなぁと思います。

今は、ちょうど草も枯れて、茶色い大地が広がっていて、どうにも侘しい感じです。

宿にADSLが来ていた。といっても速度はダイヤルアップと同じぐらい。でもブータンよりはだいぶ状態がいい。
というわけで、時間を見つけて、更新していきたいと思います。

ここも標高が高くて酸素が足りないのと、アルヒ(酒)を飲むので、すぐに寝る毎日になりそう。更新を思うだけで終わらないようにしたいと思います。と思うだけで終わらないように…(エンドレス)
タグ:モンゴル
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2006年03月12日

貧困とは

ブータン出張から戻りました。1週間という、大変短い出張でした。
一足先に、桜にお目にかかれました。

http://members2.tsukaeru.net/irisio/photos/sakura.jpg

ティンプーではちょうど、満開時期でした。
といっても、こちらの桜は、小ぶりで色が濃く、花のつきはまばらです。ソメイヨシノのような豪奢さはありません。特定種が好んで植えられてきた日本よりも、原種に近いのかなー、という気がします。

熱帯雨林から照葉樹林、ヒマラヤ高山植物まで揃う植生。桜も年がら年中、どこかでお目にかかれたりする。同じ日に紅葉と桜が一度に見れたりするので、あまりありがたみがなかったりしますが。
それでも、桜という存在そのものにお目にかかれたのには、心華やぐ。これはもう、理屈じゃなくて、日本人遺伝子に組み込まれた感情なんだろうなぁ、と思います。

人間が生んだものに美しいものはたくさんあるが、森羅の美にかなうものはない。
というのは、真実だと思います。
ただ、まったくの天然自然より、自然にほんの少し人間の営みが混じったものに、より大きな慰めをもらったりします。

桜と、ブータン独特の意匠の家が、切り立った岩山にまばらに散らばっているのは、しみじみといいものだなぁ、と。忘れていた情緒を取り戻したような気がしました。
また、山間のみどりに囲まれた、あわい色の田んぼほど、美しく、安らぐものはない。

ブータンは山に覆われた、というか、山しかない。平らな土地というのがほとんどなので、川沿い、河岸段丘すら利用して、だんだん畑の水田をつくる。谷間をより立体的にまぶしく浮きぼらせて、えもいわれないほどきれいなのです。言葉を失って、何時間でも見入ってしまう。


などと、たまに余裕のあることをのたまう。
この仕事は情緒を失う一方だと思いつつ、仕事の中で思わぬ情緒に出会うから、困ったもんです。

えーと、以下、またダラダラやってますが、幕末明治には関係のない話なんで、興味のない方はスルーしてください…。

今回の現地滞在は3日間のみ。この間に、ワークショップの開催とレポートの説明、事務所の撤収、凄まじく忙しい思いをしました。行程が1週間で、内4日が移動日。非効率的なことはなはだしい。

バンコクでも結局準備で、2時間しか眠れなかった。次の日のブータン行きのフライトの中で昏々と眠っていたら、途中経由地から乗り込んでこられた隣の方が、客先のお偉いさんで、「爆酔してましたねー」と思いっきり笑われてしまった。
これから月末に向けて最終報告書の作成です、まだデータが出揃ってなくて、直前にプログラムをまわして何とか形にしたので、だいぶ見直ししなければならない。阿鼻叫喚はこれからナノよー。

専門外の社会開発なぞやっているから、自分の原稿が進まない、というのもあります。
自分、基本的に泥臭いエンジニアなんで、社会科学系のことはあまりわからず、一から調べなければならない。客先にはとても言えません。

(開発援助を志す方は、開発社会学とか開発経済学などを専攻される方が多いですが、農・工業系のほうが、現場に近くて役に立つことができるのではないかと思ったりします。日本の援助は、方針として技術援助を機軸にしているので、技術系のほうが実は門戸も広いです)

社会開発というのは、貧困削減のために行うもので、一見、耳に優しい仕事にみえます。
けれども、「貧困ってなんてかわいそう」なんて心の底から感じられる清らかでまっとうな精神の人には、あまり向いていない仕事なんじゃないかと思ったりしています。

インフラのプロジェクトだと、事業の対象地域を選定するのも、「貧困削減に効果が高い地域」というのが、どの事業でもクライテリアになったりするのですが。
効果が高いというのは、道路があるとか、電話があるとか、マーケットへのアクセスがあるとか、すでにいろんなインフラが揃っているところなんですよな。あるいは、いろんなセクターで一緒に開発できるか。
電気とか、農業とか、水道とか、ひとつだけ進めてもなかなか効果にはなりにくい。

さらに、対象地域の重要な選定基準としては、「経済効率が良い」、というのがあります。これはおおむね、IRR(内部収益率)という指標で見ます。この指標は、乱暴に言うと、投資に対してどのぐらいの収益性があるかということを示します。当然、人が密集し、経済活動が活発なほど、高くなります。明らかに貧困対策とは逆の方向性を持った、情状酌量もへったくれもない数字です。これが、事業のゴーサインの一番の指標にされている。

また、あまりに都市から離れた遠隔地というのは、政府や援助機関により、プロジェクトのモニタリングができないから、あまり好まれません。
援助側に「効果を目でみたい」、でも「遠いところは行くのが大変だからヤダ」という都合があったりします。だから、道路に近い、雨季も乾季も通行可能な、便利な地域が選ばれやすいです。

けれども、本当に貧困が問題になっているのは、歩いて何日もかかる、雨季には道が泥と化して陸の孤島となってしまい、市場アクセスもなくてモノを作っても売れないような、僻地です。

で、ある程度発展しているところで事業が進み、本当に貧しいところはいつまでたって貧しい、という構図になりがち。

実際、そういう貧しい、厳しいところで事業を行っても、多くの場合は効果が現れない、道路を作ってもメンテナンスできなくて雨季になったら終わり、発電機を入れても燃料が調達できない、学校を作っても教師がいなくなる、などで、失敗する場合が多かったりします。もちろんそればかりとも限りませんが。

客観性を持たせて事業を進めるためには、そういったことに疑問を感じていても仕方がない。結局、何が全体の利益になるのか、状況の底上げにつながるのか、ということを目指すと、効果のあるところから開発して、芋づる式に下層を底上げするしかない。
それを求めると、こういったことに矛盾を感じていても何も進まなない。どこかで割り切って、ドライにならないといけない。

どのぐらい貧困か、というのを図るために、貧困の数値化というのが必要になってきます。主に、平均収入とか、1日の平均出費とかが使われます。世界で1ドル以下で暮らす人々が12億人いる、というのを目にした方は多いでしょう。

ただ、この数値化というのが結構曲者で。「あなたの家は1日に何ドル使いますかー?」なんて調査は一軒一軒はとてもやっていられないので、適当にピックアップしたサンプル調査が行われます。たいてい、調査は予算が乏しいので、統計学的にあまりまともなサンプルは確保されてません。そうすると、調査者によって、結構極端な例が抜き出されていたりする。
それで、平均の数字だけを見て、ここは貧困、ここは裕福、なんてのを決めていくわけです。

何を持って貧困とするかは、難しいものがあります。
もちろん、乳幼児死亡率が高いとか、栄養摂取量が低いとか、納得せざるを得ない数字はあるのですが。世帯収入なぞ、それが指標として通用するのは収入のほとんどが金で表せる先進国だけで、自給自足が一般の地域では、当てにならなかったりします。
(そうすると、食料や衣類、燃料、家屋などの消費量、あるいは生産量を金に置き換えて推計するのですが、これがまたすさまじく金と労力と時間がかかる…)

それで、数字に置き換える調査をやっても、インタビュアーが適当だったり、対象がよく質問を理解しなかったりで、実際、信頼のある数字が得られることは結構少なかったりします。そういうのに頼ることに、疑問を感じるようになる。

それでも、経済性や貧困率などの数字は、全体を客観的に見るには必要です。経済性を求めるというのは、たまに間違いもありますが、大部分ではそれが一番効率的。

たまたま目にした目の前の村人が、食うに困っていた、子供が学校に行けない、という状況にあったからといって、そこでお金をあげても、その国の状態改善にはなんら寄与しない。援助依存を増やすだけです。
人間わがままですから。自分がよければそれでいい。一箇所だけ援助しても、他所からのジェラシーを招くだけだったりします。自分の努力によらない利益を与えるというのは、あまりろくなことにならない。

本当に生活を良くしたいと思ったら、必要なことは、寄付でも奉仕でもない。金やモノだけあげても、使ってしまったら終わりです。必要なのは、彼らが自分の力で、着実に日々の糧を得られるような下地を作ること。つまり、その国のオヤジたちがきっちり仕事できるようにすること。
そのためには、それに必要なインフラを整えること、です。
で、良いインフラとは、住民が経済的利益をちゃんと得られるインフラです。
そして、国なり住民なり、その便益を受け取る側には、ちゃんと金を払ってもらわねばならない。サービスには金を払わせる。当たり前かつ、必要なことです。

住民から金を取るだけでは事業が回らないなら、国が税金など他の収益から補填する。国に補助する気がないなら、そんな事業はそもそもやらないほうがいい。

モノだけあげる、無償の行為というのは、実はあまり役に立たないです。ギフトで、もらって当たり前、と受け取られてしまうと、どうせタダだからと、あまり活用されない。主体性が芽生えない。持続的ではない。相手が資材を活用できるようになるだけのトレーニングをちゃんと行えばいいのですが、大抵は時間も予算も限られていて、そこまで至れり尽くせりをやっている余裕は現場にはない。

なので、援助側も、たとえペイできなくても、ちゃんと金を出させて、有償にしたほうがいい。相手は、金を出した分、その分取り戻そうと、大切にしますし、受け取ったものを最大限に活用しようと勉強します。そのほうが人材が育ちやすい。(実際、何割かは借金、残る何割はタダにする、という事業はあります。このタダにする割合をグラント比という)

そういった全体的な底上げ、という視点からは、状況を冷徹に数値化し、その数字から問題を割り出し、必要な対策を練る視点が必要で。
その意味で、自分の感情より、客観的な数字に頼るほうがいいのです。

かわいそう、という個人の感情は、むしろ、対象を制限し、その場しのぎをのさばらせて、依存を増長させるために、邪魔であったりします。かわいそう、というのは、結局、「いい人」になりたい個人的な欲、自己満足にすぎなかったりする。目の前の人を助けたい。それは単なる欲望です。助けて感謝されたいのは、誰でも同じ。

もちろん飢餓や疫病など絶対貧困は、対処せねばならないのですが。
人助けというものは、簡単なものではないです。本来、本当に一人を助けようと思ったら、それに自分の人生をつぎ込むぐらいの覚悟が必要なものです。
アドボカシー(政策提言)系のNGOに数百円払ってアクセサリーつけたりしても、それはそのNGOの収入源になっているだけです。

ボランティアというのも結局たいしたものではない。自分はいいことをしていると信じているので、気持ちがいい、それだけのものです。タダでやってあげているという意識があるので、結果や成果に対する責任が育ちにくい。そういうのは、現状を根本的に変えはしないので、事態の解決にあまり結びつかない。

緊急災害復興には、ボランティアもある程度有効だろうとは思います。それでも、調整力のない人間ばかりが集まっても、物資は有効に活用されない。災害復興には災害復興のプロが必要です。プロとは、自分の経験と専門性と知見を供給して、見返りに食い扶持の金をきっちりともらう人たちです。

そして、貧困撲滅の開発事業に関しては、無償奉仕は、持続的ではない。大抵は、いなくなったら終わり、です。

結局、我々ができる一番シンプル、かつ、効果的なことは、一生懸命自分の仕事をして、役に立って、金を稼いで、自分の国に税金を納めることです。そうしたら、国があるべきところで、役立ててくれます。…あ、これは前も述べてましたが。

…てな感じで、また、世間様に逆らうようなことばかりのたまっています。
この仕事をやっていると、現実の世知辛さに、すっかりひねくれてしまいまして。

たとえば、貧困とされている未電化村に電気を送るために、水力発電の調査をしていたりする。鉄管路の断崖絶壁を死にそうになりながら上り下りし、首まで川の水に使って流されそうになりながら水量を測り、川に入ってきた水牛の糞まみれになり、汗と汚物まみれの臭い体で疲労困憊で村に戻ると。

村人は、ディーゼル発電機を回して、ぼへぇ〜、とカラオケで大音声で昼間から歌いまくっている。一方で若い男は今日の夜這いの先は遠いからと懐中電灯を買い求め、5人も10人も普通に子供こさえまくっている。数十人の家族のつながりは大きくて、やれ満月だ、初雪だ、雨季が終わったと、年がら年中なんぞ理由つけては祭りで踊り、酒を飲みまくっている。

土日祝日休みなく、会社の奴隷、若さを失い干からび、使い捨てまっしぐら、婆ちゃんの死に目にも会いに行く暇なしで家族との縁も失うばかり、伴侶も彼氏も探せやしない、目指す先は過労死か孤独死しかないと感じる人生なぞより、よっぽど素敵な生活を満喫しているじゃないか、と思ったりする。

確かに手前は、金は連中よりも持っているでしょう。でも、人生の財産、人間としての財産は、連中のほうが大きいと思います。

そういう連中を対象に事業を実施して、国の底上げを図るわけです。
そんな風にやるせなさを感じる自分の心が、一番貧しいんじゃねぇかと思います。はい。

こ、これももちろん極端な例で。ていうか、ただの個人的な愚痴でして。
そういうのを挙げて、貧困対策は必要ない、なんていうことを言う気はさらさらありません。

まぁ、開発が本当に良いことなのか、開発しないほうが幸せなのではないか、という議論は、どこにでもあります。
そういうことをしかめつらしくいう方は、えてして、朝シャワーもエアコンもインターネットも満喫しているハイソな方々でして。
電気・水道・道路のないところで暮らしたことのある方が、「開発は良くない」と本気で仰るのは、少なくとも自分は聞いたことがありません。


本当に効果あることがやりたいなら、目先の「かわいそう」にとらわれず、必要とされているから、やる。国が問題を認識し、国家政策として必要なインフラや開発事業を実施する。そこで、必要な技術や情報を供給し、見返りに食い扶持をもらう。

おためごかしなんぞせず、ドライなギブアンドテイクでいいのではないか。
そう思ったときに、ふと気づいたのですが。

明治期の日本は、世界に他に類を見ないスピードで発展を成し遂げ、もちろんさまざまな問題は内包していましたが、結果的に、開発のベストプラクティスだったと自分は思っています。
それで、お雇い外国人が行っていたのは、まさにそのドライな行動だったのですよな。

もちろん、仕えどころを求めた士族の公共への献身と向学心や、植民地化への脅威というのは、大きかったと思いますが。
お雇い外国人から着実に技術を吸収し、一方で自分ところの公務員の数十倍の報酬を与えて優遇した。必要なものに対してきっちりと見返りを与えた。大尉クラスの人間に大臣以上の給料を報酬として支払っていた。

そうした、国としてのなりふりかまわない底上げへの動力が、一番効果的であるし、そのあたりは今の開発援助にも適用してもいい考えではないかなと思ったりしています。

と、つらつら仕事愚痴をのたまって、最後に、無理やりサイトテーマにこぎつけた感じで。

ここんとこ、あまり大鳥本人について触れてなくてごめんなさい。
最近、疲れた、疲れた、と垂れ流しているばかりで、見るほうが疲れますわな。
いや、ネタは溜まりに溜まっています。流す傍から流れ込んできます。
てことで、次は山崎有信特集、いきますー。

…予告でもしないとなかなか動かない怠け者。
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2006年02月07日

ブータン:薄い空気

掲示板、復旧しました。ご迷惑おかけしました。
回線が重過ぎて、FTPが動かないので、復旧はあきらめていたのですが、WebアップロードのJAVAでパーミッションの変更ができることに気がついた。便利になったなぁ。

過去ログですが、本体のバックアップをしていなかったので、キャッシュから拾って再投稿したりしています。なので、日時が今で、実投稿日時をその下にコピーしていますが、許してください。
また、上げ切れていない記事がまだあるかもしれません。お気づきがございましたら、教えていただけるとありがたいです。
バックアップは必要だなー…。HTMLはローカルで作るからまずなくすということはないけれど、CGIはつい忘れそうになる。

えーと、沈んでおります。現場は今回少なかったのですが、データ整理が大詰めで、なかなか波の上に浮上できません。回線も重いから巡回もままならず。ウェブメイルのほうもチェックできておりません。いつもながら申し訳ないです…
ちょっと滞在が伸びました。現地の会社に委託していた調査の成果が遅れて、膨大な量のデータ整理が集中。データのみでエクセルで50MB超えてるってどういうこと。このまま処理しきれないままに報告書の締め切りに突入します。というか報告書のためのデータが、まだ揃っていない。肩こりで吐きそう。

そんな感じで、またしばらく音沙汰がなくなると思います。現れたら、切羽詰って逃避しにきたと嘲ってやってください。

空気が薄いから、踏ん張りが利かないのですよなー。気圧が700-750mb、下界より30%ぐらい低い。つまり、酸素濃度が低い分、いろんなところで支障が出る。というか睡眠時間が増える。起きていても眠い。パフォーマンスが落ちる。深く眠れないという人も多い。空気は薄くても仕事の密度は変わらない、というか、濃くなる一方なので、なかなか思うようにいきません。標高は日本の車道で一番高い、たしか信州の乗鞍スカイラインと同じぐらい。あそこでは、酸素が薄くて225ccのセローのエンジンがすっかり元気なくて、坂が登れないんじゃないかという弱りようだった。そりゃ人間も弱ります。…はい、怠惰の言い訳です。

データ収集してくれている委託先の人は、1日4時間睡眠で、家に帰ってもおらず、床を指差して「これが私の大きなベッドだ」とか言ってくれてます。彼の仕事が遅れているのでこっちのしわ寄せもキツイのですが。誰を責めるわけにもいかず。日本人以上にブータン人を働かせる日本人は、うちらぐらいだろーと。過労死の種を振りまいております。技術を広めるのはいいけれども、そんな悪習まで広めるな。
民間が泣いているのはどこも同じ。でも働き者は大好きです。自分より過労気味の人間が居ると思うととても慰められる。

そんな感じで函館中央図書館資料もまだ突っ込みきれていないままに放ったらかしです。いつも中途半端にして次の話題にフラついているのな。あー。
タグ:ブータン
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2006年01月20日

顔面病気とブータン医療事情

顔面がお岩さんになってしまった。
朝起きたら何故か左目が開きにくい。目脂がとれないのかな、と思っていたら、まぶたが腫れ上がっていました。
まぁ、人間生きていると、いろんな怨念を引きずるものなんで、今更ですが。
…恨みフリーな人生を送りたい。

ともかく、バクテリアでも入ったか、虫刺されかなんだろうと。別に痛みもかゆみも少なく、単に片目を開けているのが辛いだけの状態だったので、放置しようと思ったのですが。上司命令で病院行きを言い渡されました。余りに酷い顔だったのか。そいや頭蓋骨折ったとき、整形しないといけなかったのをそのまま放置してた。顔が悪くなる一方だ。病院嫌いなので、かなり抵抗したのですが。秘書に問答無用で車に乗せられてしまいました。

せっかくなので、ブータンの医療事情。

病院は全て公立。ブータンは、社会福祉を謳っている国だけあり、医療費は薬代含め、全て無料です。これは外国人に対しても同じ。福祉に対しては、途上国でHIPC(Heavily Indebted Poor Country、重債務貧困国。債務削減、つまり借金チャラが必要とされる)の対象候補国とは思えない大判振る舞いです。水力発電の豊富な電力を、慢性電力不足のインドに売っている、国自体が殿様商売をして収入源があることの賜物です。

ブータンに近代的医療が整ったのはいつなのかは不明ですが、そんなに昔のことではなく、漢方や土着療法に頼っていた期間が長かった。秘書の親父さんがブータン初のDr.持ちの医者だったとのこと。
建物や医療機器に、援助が結構入っています。日本からは2000年に母子保健・基礎医療機材整備計画を無償援助で行なっています。JOCV(海外青年協力隊)も多い。(質はどうであれ)

ちなみに、日本からの援助は、だいたい毎年、無償資金協力(日本がお金を出してインフラ等を作る)のが10億、技術協力(専門家を派遣して人材育成を行なう)が5-8億ぐらい。これまでの累計で合計300億円ぐらい。まぁ金額でモノを測るのも無粋なんですけど。出した金額で寄与度を測るのはあほらしいことで。で、プロジェクトを実施するにも日本人は人件費が高いし機材も高価なので、ほかに比べて日本のプロジェクトが費用対効果が低いのは許してください。過労死寸前までサービス残業するのも日本人ならではですんで。閑話休題。

で、医療費がタダなものですから、みな、ちょっと何かあると詰め寄せる。しかし病院のキャパシティは一定なので、人があぶれて散々待たされることになる。混み具合が凄まじい。芋洗いの如く。椅子の数も到底足りていない。大体1回病院に行って診察してもらうのに、朝早く出かけて、丸一日かかるらしい。
子供は泣く、おばちゃんは喋る、憩いの場と化している。とりあえずここにくれば両手の指で数えられない知り合いに合えるから、待たされる間も暇はしないらしい。ただ、怪我で見てもらって、ここで風邪やらインフルエンザやらを貰って帰ってくる人が多いとのこと。そりゃそうだわな…。
病院の内部は思ったより清潔で、消毒薬の臭いが立ち込めているのですが。白衣を着ている人はほとんどいなくて、看護婦さんも普段の民族衣装のキラのまま。

それでも、そうすると医師は何人いても足らないし、一人の診断や治療に十分な時間もかけられないし、本当に治療が必要な人間が十分な手当てを受けられない場合もある。国の医療費負担は増す一方。
5%でも3%でも、累進課税的にでも、自己負担させれば良いのに、と思います。公平さが行き過ぎた福祉は、かえって公平性を損ねていると思うのですよな。

統計を見ると、1998年から4年間で、病院の数は28→29と変わらずだけれども、医者数は145→166と増えている。人口当たりの医者数は、6000〜7000人に一人とコンスタントに保とうとしているようです。(日本は約500人に一人とな)

で、自分のほうなんですが。お医者様は、懐中電灯を当ててまぶたの裏を覗き込んだだけで「アレルギー」と診断してくれました。何に当たったのか分かりませんが、多分そうなんでしょう。
処方してくれた薬を後から調べてみたら、思いっきり副腎皮質ホルモンだった…。アトピーで昔酷い目にあったことのある類のものでした。(アレルギーの薬というのは、アレルギーを生じさせる機構を停止させるだけで、根本的な治療にはなっていないわけで。薬の効き目が切れて、アレルゲン(アレルギーの原因となる物質)が体の中にまだあると、また現れる。それで薬がないと余計に酷い状態になって、薬への依存が進む。副作用もでてくる。ステロイド薬禍というのは有名ですが。アレルギーの薬など利用しないにこしたことはなく、アレルゲンに近寄らないようにするしかないわけです

まぁ、アレルギーと聞けただけでも安心です。変な細菌やらカビやらが繁殖していたらどうしようかと思った。食べるものも全く入れ替わっていて、唐辛子などの刺激物ばっかり食っているから、何が出てきても不思議ではない。現地の医療機関には、ラオスで以前帯状疱疹が出て、ご厄介になりましたが。自分の体がどうなっているのか知りたい、それが分からないのが不安だ。どれぐらい悪いのかというのは結構どうでもいい、というのはあったりします。
それで、医療が無ければ生きていけない体になるのもいやだ、などと、勝手なこをと考えております。


なお、待ち時間ですが、自分は、秘書のコネと、お雇い外国人の名刺を最大限に利用し、1時間程度で終わらせることができました。実体はともかく肩書きだけは政府のコンサルタントなんで、外国人特権フル濫用です。それで薬代も診療代もタダです。1時間ほどで恙無く終了しました。せっかく処方してもらった薬はそのままゴミ箱行きです。あーあ。こうして、貧困の国から富める者が搾取していくのな。まぁ元はうちとこからの税金のインプットも多少あることなので、許してください。

ちなみに今回のワタクシの仕事内容は、社会開発、貧困対策です。

…自分の偽善が嫌になる。



    [2] 葛生 2006/01/22(Sun)-01:07 (No.169) New!
    伝習隊情報有難うございました。
    …アレルギー、大丈夫でしょうか…。私もアレルギー持ち&受け付けない薬などありますので他人事とも思えず。海外で凄まじい発疹ができた時には何か変な病気ちゃうやろなと青ざめましたです。英国にもNHSという(悪名高き)医療の無料制度がありまして、6ヶ月以上滞在なら外国人でも適用されるんですが、待ち時間の異常な長さと手が足らないための環境の劣悪さが有名だったので試したことはありません。病気はひたすら寝て直しました。
    高い保険料払っても満足に診てもらえない(私の友人は保険が効かない病でして)のと、タダだけど緊急手術を一ヶ月待たされたりする(英国実例)のと、どっちがいいんでしょうねぇ。

    さて、頂戴した情報ですが。『陸軍歴史』で慶応4年1月9日、なら、たぶん手持ちで特定できてると思います。ただ、その書き方がちょっと微妙でして。
    「辰正月九日改め 歩兵」という書き出しで、三番町の上坂・江戸在留組の人数と伝習隊の人数が並べて書かれています。で、「七百人 小川町伝習兵」と書かれた隣の、やや下げ位置に少し小ぶりの活字で、「六百人 組合御抱/替市兵 合せて六百人、第六聯隊と称す」と書かれているのです。
    それより少し前のものと見られる歩兵隊の人員表(第一連隊や第十一連隊の人数が揃っていること、大坂で徴募されたという第十二連隊が存在しないことから、戊辰開幕前のものではないかと推察)には、伝習第二大隊は600人となっているので、600人を異動した人数が残りが700人、というわけじゃないだろうと思うのですよね…。
    もっとも、これらの記録において小川町駐屯=伝習第二大隊、かどうかは確実じゃないので、他にも小川町に駐屯していた部隊があったのかもしれないのですが。
    『戊辰役戦史』は恥ずかしながら未見ですので、今度確かめてみます。あとは「幕府陸軍」「徳川陸軍」で検索かけて探してみたら何か引っ掛かるかな…(願望)

    とにもかくにもお大事に。無事のご帰還、お祈りします。

      [3] 入潮 2006/01/23(Mon)-12:17 (No.172) New!
      どんなセクターもそうですが、医療は、特に公憤と私憤が混同されやすくて、政府内の計画の場でも議論の多いところなので、一概にどうだということはできないのでしょうね…。
      金のある人だけが救われるシステムというのは結構簡単なわけで。施設、機器、人材などの供給リソースと、需要のバランスがうまく取れ、かつ公平に福利が配分されるように、今後の計画設計がなされることを願ってやみません。医療や貧困といった、一人一人への細やかな配慮が必要な分野ほど、実は一人一人の要望をかなえようとしたら何もできず、全体の福利のために切り捨てねばならないことが多く、ドライにならなければならない、というのは事実だと思います。
      …専門外だから好き勝手にモノをいってみる。

      この仕事をしていると、病気になるほうが、体調管理ができていないということで悪い、と思うようになりました。実際、一番の社会貢献は、自分が怪我病気にならないことなのですよな…。

      出張先で手元に「陸軍歴史」も他の資料もなく、何で読んだのかあやふやなのですが、たしか、二個大隊=一個連隊、一個連隊につき一屯所所属、という構成があったと記憶しております。
      また、慶応年間の連隊構成は、始まったばかりなので、時期によって流動的で、確固とした所属駐屯所や大隊・連隊構成を掴むのも難しいことかと思います。一屯所に数個大隊、という時期もありえたのではないかと。
      そこを明確化しようとされるのは、すごいです。調査結果に期待させてください。
      もはや自分は怠けモノですので、大枠を見て流れを掴むだけで満足し、詳細については真実を探求される皆様の労力の成果を楽しみにさせていただくといたします。こういう奴でごめんなさい。

      あ、アレルギーは、何事もなかったかのように、去ってくれました。その後、酷い肩こりに悩まされております。悪霊はなかなか離れてくれないようです。憎まれっ子は世に蔓延るを地で行なっております。
      ご、ご心配ありがとうございます〜。
タグ:ブータン
posted by 入潮 at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 途上国開発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月21日

繋がり

相変らず、ネットの壁の向こうに居ます。
回線が益々込み合っていて、重いページはまず開けない状態。近年ブログが流行りで、皆様見目麗しいレイアウトで中身濃く綴っておられますが、お目にかかることも出来なくてハンカチ噛んでます。

かろうじてメイルは取れるのですが。…と思っていたら、接続時間制限があって、アカウント切れしていた。
王様の誕生日週末だったので、官公庁オフィス全てクローズ。国営プロバイダも勿論動いていませんでした。
こういうときにプロバイダのサーバが落ちると、そのまま週明けまで動かないのよな。

で、祝日だろうが休日だろうが、日本の役所も会社も動いているので、メイルが繋がらないと仕事にならない状態で、困っていましたら。
秘書が、某プロバイダのアカウントを聞き出してきてくれました…
「何時間使っても無料よ♪」 ってあんた。普通、そういうのは、企業秘密だかオフィシャルユースオンリーだかで、バラしたら懲罰モノではないのか。
…そのアカウントを使って今はアクセスしています。休日は空いていていいなぁ…。ついでに、発酵していたのを一つ更新してみた。FTPは結構快適なんだけれどもなぁ。普段は回線が飽和状態で、肝心のページが開けなくて困る。

その秘書は、特に人脈がすごくて、何かと毎回、助けられています。省庁の技術者、長官はおろか、その気になれば大臣との面会までアレンジしてくれる。ブータン人は小さい国だけあり、横のつながりがすさまじい。友達の友達の友達、の3段階まで伝えば、全国民をカバーできる、という話です。
飛行機の手配なども、どんなにハイシーズンで込んでいても、無理を言って直前に申し込むと、人脈伝で、国営航空会社幹部までたどり着いて、ノープロブレムでチケットが得られたりする。
逆に人脈がないと、まったく何も出来ないというのもこの国です。

なので、人と人が、生きていく上での繋がりについては、考えさせられます。
今回も、王様誕生日ホリディに、秘書の家族のピクニックにお呼ばれしました。兄姉とその妻・夫、子供はおろか、叔父さん甥っ子、従兄弟にはとこ、どういう家系図になっているのか複雑すぎてまったく分からない。外国で働いているにーさんが1ヶ月の休暇で帰ってきていたり。

清流と森林の中、青空の下で、お子様たちの賑やかな声に囲まれながら、たらふくランチを食べながらのんびりと過ごさせていただきました。秘書のファミリーは、ここの政府の重鎮揃いなので、本来おいそれとモノを言えないぐらいなのですが、大変包容力のある方々で、自分も子供になったように遊ばせていただきました。

ことあるごとに集まってつながりを確認する。それゆえの、窮屈さやしがらみというのはあってしかるべきなのでしょうけれども。そういう繋がりがあるからこそ、何か問題を起したら恥ずかしい、という昔の日本にあった恥の意識が大きかったりして、治安もいいし、人間も誠実で、国全体のまとまりがとても強い気がする。

なんか、人間、細切れじゃあだめだなぁ、と。一人で生きている人間って、大したことないんだなぁ、と思わされました。

…といいつつ、相変らず、人様との縁を一体なんだと思っているんだ貴様、というような、不義理をしっぱなしでありますが…。
掲示板や、ご挨拶させていただきたいところが一杯…。ネット状態が好転し次第、巡礼させてくださいませ…。
なお、ここのネットのニーズは、ほとんどが官公庁。仕事中に、職場のネットでチャットして遊んでいる。そして最近ネット恋愛でくっつく組が増えている。ブータンの社会も変わった…。ていうかそんなことに貴重なインフラリソースを使わないでくれ…。人はすぐにつながり、一方でネットは繋がらないこと夥しいブータン。
タグ:ブータン
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2005年11月14日

現場

現場入りしていました。未電化村に入ってました。
日ごろの不摂生、不健康極まりない生活が祟って、山歩きは辛かったです。もうこの体じゃ、ガサに行って再び圭介体験、というのは無理だな…。六方沢も無理かもしれん。体を作り直さねば…。

今回は完全に山山山でした。もともとブータンには山しかないイメージですが。いろんな山が楽しめました。一応、遊牧民のフィールドも熱帯雨林もあったりもします。南はインドと接する標高170mの熱帯気候、北は標高7,000mを越す極寒のヒマラヤ、というのはいつも出してますが、一日でジャングルから寒々した針葉樹まで楽しめます。紅葉と満開の桜が一度に拝めて、びっくりした。季節感も何もあったものではないです。首都は寒いから冬だと思えますけれども。

今回入ったところは、山全体が花崗岩に覆われていて、雲母がふんだんに含まれていて、フットパスに露出している岩々が、太陽を反射してキラキラ輝いていてとても綺麗だった。なんか、天国への道のようでした。朝飯も食わずに1日中あるいていたので腹が減りすぎて本当に幻覚を見ているのかと思った。

で、そういうのを見ると、この花崗岩を切り出してインドあたりに売れば、或いは国内の官公庁や寺に収めれば、良い商売になるだろうに。地元も相当活性化するだろうに。…と考えるあたりが、職業病です。ちなみにここの国は、途上国とは思えないほど政府が金持ちです。寺が金持ちなのはどの国も同じです。

電気を引いてくるための調査をしている、というと、地元の受けが違います。限られた時間でも、あるもので精一杯の歓待をしてくれる。道から相当離れた村でも、コーラでもてなしてくれる。商品作物もほとんどない自給自足の村で、重たい水分を道から運んでくるのも相当な労力なのに。血糖値の下がりまくった体に大変ありがたかった。

そんな感じで、やっぱり現場は良いです。人間の真剣さがひしひしと伝わります。
といっても、現場にばかりいてもダメなんですけれども。視野が狭くなって、目の前のことを片付けるのが精一杯になってしまいがちですから。

現場の住まいのNGOの方々も、理念や行いは素晴らしいですけれども。組織でも出来ることは限られている。戦術レベルの組み立て方がせいぜいになりがち。アドボカシー(政策提案のこと。環境破壊は良くないとか、鯨を食べるのはやめようとか、政府に訴えかける活動) も、一視野的な視点に基づいているから現実的でなかったりする。個人の「かわいそうだ」とか「これが人々のためになるのだ」とかいう、「善」を、国レベルに持ってくると、大抵うまくいかないのですな。国というのは、個人の数だけ利害を折衝しないといけないですから。

そういうわけで、計画というのは、何が国益か、なにが全体の幸せに一番近いかを考えて、上流、下流、全部を知って、戦略的におこなわないと、できるものではないです。その意味で、伊藤さんとか圭介とかは、現実的な良いプランナーだったんだろうなぁと思います。

…SSで書いた事をまた持ち出してくるというのも恥ずかしいことですが。結構日常的に、まわりがどんな方針で動いているのかということは、気になったりします。

圭介情報、まったく出してなくてごめんなさい。色々吐き出したい事は抱えています。
でもまた誰も望んでないだろうターゲットのSSを次の更新にする積もりです。

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2005年11月12日

沈滞中

居なくなっています。
ブータンです。寒ぃです。乾いています。ムシにまみれています。
普通に宿にいるのになぜか、ダニやら南京虫やらよく分からんムシやらに差されて、肌はまだら模様な上、寝ている間に激しくかきむしっているので、体中がヒリヒリしてます。

いつもの宿、いつもの事務所なのですが、別プロジェクトなので、なにかとバタバタしてます。

もう少しすると落ち着くと思うので、更新開始したいと思います。
ネットが遠いので、つい、サボりがちです。
いや、呑んでるだけなんですが。いつものこと。
メイルなどお返事いつもながら申し訳ございません…

タグ:ブータン
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2005年09月16日

出家

あー、出家したい。

前々から、いつか出家しようと思っていましたが、ここのところ、その出家願望がピークに達しつつあります。
そろそろ、便利で都合のいい人間を演じるのも、疲れてきました。
必要とされるということは、なんだかんだ言って、快楽ですが。
それがあって当たり前、空気のようになり、気づくと他人とあまりに業務量が不均衡になっている。

人間、所詮、道具です。
動けなくなったら、ガラクタと呼ばれ、役に立たなくなったらそれで終わり。
皆、都合で動いてますから。
あとは省みられず、忘れ去られるだけ。

この仕事をしていると、どうにもそう思うことが多いです。
そういう風に心が荒んでくると、特に出家欲が高まります。

まぁ、結局、仕事の量を自分で制限して、精神の状態を健やかに保つのも仕事のうちなわけで。自分に仕事を集中させる自分が悪い。仕事をしないようにもっていくのも、仕事のうち。力量のうち。
辛くなったり、やさぐれたり、他人を厭んだり、鬱になったり、とかいうのは、結局、自分が未熟だということに過ぎないわけです。

それでも人間弱いので、突発的に全てがどうでも良くなり、自分の魂を高めるためだけに生きたい、と思うことがあります。

それで、出家ですが。

場所はミャンマーです。最初に外国人向けのメディテーションセンターに通いながら、ミャンマー語とパーリ語(仏教聖典の言語)を勉強して、それから本格的に頭を剃って出家して、シャン州の山岳地帯の僧院に入る。

ミャンマーのテラバータ仏教は、なんというか、理想的なのです。

軍事政権があまり政治が上手じゃなくて、他民族なわけだから、政府がむりやり中央集権をやろうとしても、うまくいかない。地方の人たちは、あまりお上を信用していない。

それで、経済封鎖は喰らっているし、80年代に大学閉鎖があって知識層の暗黒化があって、政府に人材がいない状態で、公務員の給料も低い。インフラ開発は進まないし、電源は完全に不足しているし、国が国として成り立っているのが不思議な状態ではあるのですが。

なのに、不思議なことに、なんとなく、うまくいっている。

それには、テラバーダ仏教の存在が大きいと思うのです。

テラバーダ仏教は上座部仏教、あるいは小乗仏教と呼ばれています。
大乗仏教、つまり、日本とかの仏教とは全く別物です。
(そもそも、極楽があるとか、墓を作るとか、その時点で仏教としてはおかしい、という話もある。魂は輪廻し、昇華する、というのが仏教の基本なので。大乗仏教とテラバータ仏教は同じ仏教とは思えない)

その教えは、弱者に優しいです。富める者は貧しい者に与えよ、というのはどの宗教にもありますが、富者は貧者に分けさせていただくことによって、徳を貰う。富者は貧者に、「善い事をさせていただいてありがとう」と礼を言わなければならない。僧侶への寄付に対しても同じです。寄付を「させていただく」ことによって、徳を積める。
この辺りの感覚が好きなのです。
キリスト教は「してあげる」という基本的な感じがありますが、そういうのとは違う。(イスラムも、どっちかというとテラバーダ仏教の感覚に近い。)

ミャンマーのテラバーダ仏教は、宗教的な人々の支え、という以上に、この「させていただく」観が、うまく社会を支えている気がします。

タイやラオスなどは、出家は、一生に一度なり三度なり、一週間とか、1ヶ月とか、男児たるもの、せねばならないと見なされています。カウンターパート(プロジェクトのパートナーとなる政府の役人)が、ある日いきなりしばらく見なくなったら、いきなり頭も眉も剃ってて、げっそりやつれてて、や○ざのようになってて大変怖い思いをしたこともありました。出家するとだいたい人相が悪くなる…。

で、ミャンマーの場合、男女どちらでも出家できます。尼僧も多いです。タイやラオスなど他国では、女性は不浄なものとして、出家できないところも多いのですが。

一時的な出家もありますが、永久出家する人も多いです。出家のきっかけは、失業とか、家族の死とか、不幸があった場合などに多いです。普通、失業などすると、働かない人間ということで、周囲の目は暖かくないですが、ミャンマーでは、「試練を受けている人」「更に自分を高める人」ということで、尊敬されたりします。

僧侶になると、朝夜明け前から、壷を持って托鉢。このときに、一般人からお布施や食べ物を分けてもらいます。これが僧侶の食事。昼12時までしか食べ物を口にできません。

僧侶は、その実態は、何も生産せず、社会に養っている存在なのですが、社会的な地位は大変高い。

なにかあったら僧侶になればいい。僧侶になればやっていけるし、徳も高まるし、家族も安心する。

そういった感覚が、不安定な社会にあって、社会の基盤を支えている気がします。
テラバーダ仏教にある、「させていただく」感覚とか、「何かあったら出家」という感覚が、社会の根底に根付いて、うまく貧者救済、失業対策、社会保障、という、本来なら政府がせねばならない役割が、宗教により果たされている。

ミャンマーは、失業率も高いですし、25%以上という凄まじいインフレで、クーデターがしょっちゅうで政権も安定してなくて、役人には賄賂が横行してますが、不思議と、地方はゆったりと落ち着いて、人々は真面目で、のほほんとしている。それは、このテラバータ仏教に支えられた社会、というのがあるのではなないのかなと思っています。
賄賂に腹を立てていると、ミャンマー人の秘書などは、「仕事を助けてもらってありがとう、と思うと腹も立たないわよ。その人たちのお陰で仕事できるから、お礼だと思うのよ」 と、何気なく言ってくれたりします。その辺の心の持ち方は、学ばされます。


(ちなみに軍事政権が悪いと言っているわけではないです。平和馴れした方々には、軍事政権というだけで鼻白む方が多いですが。他民族や、周辺諸国の脅威などで、国内が統一されていないと、軍が政権を持つのは、不可避な時期があったりします。未だに共産系や反政府の少数民族がいるので、パワーで纏めるしかない、というのが今の現実です。ただ、軍事政権が表面にでている国を、ワルモノの欲しいイイ国たちが、ワルモノに仕立て上げている。一方、ベトナムとかインドネシアとかも、本質は軍事政権なわけで。軍事政権にもそれなりの正当性はあると思います。民主主義がいつも正しいとは限らない。ミャンマーの軍事政権が、うまく国内をまとめて、緩やかに民主化していくことを祈ります)


さて、僧侶は地方のコミュニティを纏めています。
人々は、あまり貯金をするという習慣がない。1年間に稼いだお金に余剰がでると、寄付してしまう。そんなわけで、僧院は金を持っています。で、彼らはそれを、道路や井戸や橋を作ったりして、人々に還元している。
人々も、銀行は信用しないけれども僧侶は信頼しているので、安心してお金を託せる。つまり、宗教が金融やインフラ整備まで担っていたりします。

よって、地方において、僧侶の権限は大変大きい。やれる幅が広い。
ただ、僧侶は技術力はないですから、資本はあっても、建築に苦労したりする。僧院を立てたり道路を作ったり、というのは、村レベルでは結構できますが、例えば、水供給や発電となると、そうはいかない。

さて、シャン州は、雨が豊かな山地です。地元のおっちゃんが自分で電気と土木を勉強して、周辺の村々に、水力発電を入れています。中国から中古の発電機を買ってきたり、使い古した水車をコピーして作ったり、サンドバッグで堰を作ったり、家で焼いたレンガで水路を造ったり。だから驚くほど安くできるのですが。その工夫は、ほんとに関心します。それで、そのエンジニアのおっちゃんは、地元では、電気の神様だと呼ばれていたりする。

で、このおっちゃんは、どんどん水力を広めたいのだけれども、金がない。大体村人が3年間お金をためてそれを集めると、オラが村に電気が来るぐらいのものなのだけれど、貯金をする習慣がないから、お金を集めるのに苦労する。

そこで、僧侶が、こういうおっちゃんたちと協力して、資本を運用して、電化資金とすると、未だに10%もないミャンマーの電化率は、だいぶ向上するんじゃないのかなぁと。

それを、自分が僧侶になって、やりたいなぁ…などと思ってたりするのです。


……結局、仕事から逃げようとして、仕事に関連したところに行こうとするのよな。
単に、やってられん、と思うことから、逃避してたら、こうなった、ってことで。
ミャンマー人の10倍以上の給料貰っているんなら、多少のことは辛抱しやがれ、って感じです。

そもそも、出家したら、ネットアクセスできないじゃないか。
それが最大のネック。
その程度の志か。…その程度なんです。ごめんなさい。中途半端な人間です。
まぁ、掲示板にグチグチ書き連ねるぐらいは、余裕のある、暇な奴です。

……そんことしてるよりも、六方越えとか矢不来直後とかの圭介の心境を思い起こすほうが、何を下らんことでウジウジしとるんだ、と吹っ切れます。
他人の命を救おうとして、逃げたの、一思いに潔く死なせてくれない武士道の分からない因循だの、あとから好き勝手言われるわけなので。

出家よりも強力な、圭介癒しパワー。
…だから結局、どうしたいんだよ、自分。
いや、出家は圭介でも癒しきれなくなったら、ってことで。
それには圭介を語りつくしてから、って事で。
ところが、圭介は簡単に語りつくせる存在でもない。

…つまり、出家は当分先、ってことで。ハハハ。
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2005年07月23日

ホワイトバンド

ホワイトバンド、流行ってますね…。電車などでも、身につけている方、見かけます。
グッズを購入すると、その利益が、貧困を撲滅するために用いられるそうな。

あれは上手いなー、と思います。やりかたが。

この手のグッズ販売は、飽きることなく繰り返されていますが。
今回は、ファッション、流行として位置づけて、現代的なメディアの力も活用しまくっている。
大手検索サイトとタイアップ、Yahooでもトップにリンクが張られていたり。

「なんだかよくわからんけど、カッコいいし、流行っているみたいだし、買ったらとりあえずいいことしている気になれるし。」

結果的にそんなフィーリングを生んでいるみたいです。
寄付や慈善というと、娯楽と仕事に忙しいひねくれモノの現代人としては、そんなええかっこしぃになってもしょうがないし、大して変化あるわけじゃないし…という感じの、冷めた脱力感があったりするかと思うのですが。

そういう感覚を呼び起こさずに、アクセサリーを買って身に着ける感覚で、ちょっといいコトができる。
このあたりが、うまいなー、と思うのです。チャリティーコンサートなども同じ感覚でしょうか。もっと手軽ですよね。

そういう自分、寄付などしたことがない人間なのですが。

よく分からん、趣旨が賛同できるかどうかも分からない団体の人件費やら出版費に、大半が使われて、支出の内訳もよく把握できないようなところに、金だけ託してもなー、と。寄付金を運用するNGOやNPOも、ピンからキリまでありまして。本当にプラスの効果を考えて理念を現実化させるために働いている方々もいれば、どうも国や開発への反抗を目的化させているだけの連中もいる。そんなのの活動資金を出すのも癪だし。
それだったら、排ガスまみれになりながら渋滞の車に新聞売っている汚い小僧に、直接くれてやったほうが、いくらも気分が良いんだな。

で、ホワイトバンドの活動主体は、ジュビリーサウスだそうで。
ジュビリーは、2000年に、途上国の債務帳消しを求めた世界的な運動の主体でした。
これは、奴隷は開放されて先祖伝来の所有地に帰ることができ、借地が帳消しになったされる、旧約聖書の「ヨベルの年」にちなんでいます。

債務帳消し、と言うのは、早い話が、途上国が先進国から借りた金(借款)の、利子と原本の返済が大変だから、借金とかいわずに帳消ししてあげようよ、というものなのですが。

これ、自分、あまり良い感じを受けないんですよな。

途上国援助の借款の場合、それで返済が為されないのは、利益を生むプロジェクトを計画してやれなかった、貸し手が悪い、という声が、結構強いです。それはそれで、同感です。借金は、後の利益を生むための事業の投資のためにするものだから。利益が生まれずに借金が返せなかったら、それは計画が悪い。

ただ、それで、貸し手に責任を擦り付けて、借り手は無罪放免、というわけにもいかんと思うのです。

借りたものは返せ、少なくとも返す努力は見せろ、と思うのです。返さなかったら、泥棒です。
返す努力とは、途上国が自分の稼ぎで自分の国を食わせて、その中から借りた金を返せるようになるだけの、モノを生む力をつける、ということです。

(まぁ援助の借款の場合、先進国が自分の利益になるように相手の事情をあまり理解せずに組み上げてしまったプロジェクトがあったりとか、事業の業者が貸し手の国に限られることが借金の条件で、高い業者を雇わざるを得なかったりとか、確かに情状酌量の余地は大きいのですが)

可哀想だから借金帳消し、プレゼントにしましょ、じゃあ、人間も国も、いつまでたっても育ちません。
国として独立していたかったら、一人前の大人として見られたかったら、少なくとも借りた金を返せるようになるために仕事しようよ、そのための働きかけをしようよ、と思うのです。

返済猶予期間を延長するとか、借金して作った工場の収益性を高めるような技術の援助をタダで行ってあげるとか、財務管理をしっかりするためのシステムを立ち上げてその人材を育てるとか、相手の力をつける援助の方法としては、実際にいくらでも有益なものがあります。
なので、借金帳消し、というのは、どうも短絡的で、好かんです。何も相手成長しませんから。甘やかして責任感を廃れさせるだけのように思えるのです。

そんな感じで、そこまで考えたら、ホワイトバンドは、自分は買えんと思います。
でも、やり方はウマイと思います。
ジュビリーでなかったら、知らんうちに買ってたかも。


別に寄付という行為を否定しているわけでは、決してないです。寄付自体は、良い事だということに、間違いは無いと思います。やらないより、やるほうが、ずっといいです。

寄付というのは、自分がその活動に労力や時間を割くことができないから、お金という形で代償するものだと思ってます。ただ、そのお金がどう使われるのか良く分からない。
結局、金だけ出すより、自分が動くのが一番いいのではないかと思います。つながりが見えますから。それに、自分の為になりますし。

労力を出すか、金を出すか、言われると、後者が簡単ですが。自分が直接役に立つことをするほうがいい。まぁ、貧困対策は対象が遠いので、難しいものがありますが。

それだったら、一生懸命働いて、稼いで、税金納めるのが一番の近道です。国がちゃんと役立ててくれます。
(役に立たないODAとかいう批判は、氷山の一角がものの全てであるかのように書きたてる、批判を目的化した娯楽みたいなもんです。確かに下手なものも中にはありますが、大部分はちゃんと役に立ってます)

そういうわけで、自分の仕事のアウトプットを、人様の役に立てる形にするのに精力つぎ込むことが、結局、一番の寄付だと思うのです。圭介のやってきたこととかな(強引にもってくる)。

いやほんと、役に立つ産業知識を求めるのに、欧米滞在中に借金して、しかもその知識を自分の利益のためにではなく、社会のため国つくりのために、惜しみなく提供し続けた。
そういうような人間たちが、初期の、産業の自立的持続的な発展に寄与しているわけで。そこから社会が享受してきた豊かさというのは、計り知れませんよな。

日本も、戦後も高度成長期には、そういう親父様方、サラリーマンが普通に何処にでもいたわけで。
彼らは、会社という公のために働くだけ働いて、あとは自分と家族がたまにちょっとの贅沢するぐらいで食べていける、そこそこな中産階級だったら、文句も言わない。そういうのに支えられてきた。だーから、今の我々は貧困などとは無縁でいられる。ビバ団塊の世代。
そんな我々の恩人たる彼らも、今はすっかりリストラのターゲット。

とにかく、圭介みたいな人間を沢山生み出すのが、結局、一番の貧困対策になるんでないかと、思ったのでした。

ただの人材育成ではないです。
圭介産出プロジェクト。
そんなのがあったら、過労死するまでのめりこむ。

タグ:貧困
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2005年07月09日

問題の根っこ

5日間で、1700 km程、草原を走ってました。半分は、酒に酔いつぶれて寝てましたが。
戻ってきたら、ロンドンの事件。やはりマスコミ、政府の反応は、凄まじいものがありますね…
うちの会社の人間も、知人も、皆、無事なようで、ほっとしました。

…という一般的な感慨はさておいて。
911のときもそうでしたが、こういうことがあると、人の死、って何なんだろう、と思います。

日本では交通事故で1万人が死亡。1日約30人。負傷者数は年間100万人を超えています。が、日常化していて、大して人の口には上らない。警察と厚生労働省と、事故者本人とその家族ぐらいしか、それを意識していない。テロ非常警戒宣言地域にいるよりも、高速道路を車で走るほうがよほど危険だ、ということは、誰も言わない。

開発プロジェクトでは、大体、1億円あたり1人亡くなると言われています。事故などで。そういうのを既に計算に入れています。日本の援助額は8000億〜1兆の間で推移していて、うち半分が建設プロジェクトとすると、年間4000〜5000人、1日、10人〜15人、亡くなっていることになります。
プロジェクト関連の交通事故で亡くなった地元の方の保証金が、2万円だった、という例もあります。
一方、テロで亡くなった方の生命保険金は、1億円ぐらいは行くのでしょうか。(戦争免責などがあるかもしれませんが…)

Canadian Land Mine Foundationによると、地雷による死者は年間26000人。1日71人。アメリカがばら撒いたものも多い。

ユニセフによると、下痢・伝染病・マラリア等の疾病で、一日当たり35,000人の子供達が死亡。

これら皆、常態化しているから、人の口に余り上らない。
異常と日常で、死者の重さが変わるのだろうか。

…現実、違っています。すくなくとも、大衆メディアの世界では。

死者は死者です。家族友人なら嘆きますが、それ以外にとっては、最早、数字です。
けれども、死者の価値も重みも注目度合いも、皆異なる。
異常事態で、センセーショナルなほど、注目される。

自分も、やっぱり異常事態だから、日ごろに無い事を、考えたりする。
何でその、異常事態が起こるのだろうか、と。

テロ=悪として、テロの撲滅に全力で力が投入されてますが。
何故テロが起きるのか、という背景の、そもそもの根本は、何なのだろうかと。

「豊かさ」が違うから。そこにたどり着きます。


自分の行っていることは、地方電化です。電気の無い村や遊牧民に、どうやって電気をもたらそうか。どうすれば安上がりに効果をもたらせるか。それを考えることを、仕事にしています。電気は、水や衛生、安全と共に、豊かさを実現する不可欠なものです。

50年間、途上国開発を行ってきたうちの会社の社長は、豊かさは「禁断の果実」であると言ってました。
豊かさを知らなければそれなりに暮らしていける。けれど一度知ると、病みつきになってどこまでも追い求め、独占し、奪い、争う。

エチオピアのある村での話。
そこでは、マラリアによる乳幼児死亡率が80%を超えていた。これは問題だということで、WHOが医師団を派遣、マラリア撲滅に献身した。結果、マラリアは駆逐されて、乳幼児死亡率も10%にまで下がった。国連の活動の成果だとして称えられた。

その10年後。別の調査団がその村に派遣された。しかし、村は消滅していた。

マラリア撲滅の結果、村の人口が増えた。村の持っている限られた耕地では、増えた村人を養うことができなかった。結果、村人の多くは飢饉で死亡。生き残りは離散して都市へ移住していた。


…途上国の人口爆発が、貧困を招いているというのは事実でしょう。その人口爆発は、先進国の援助や自力による、医療や生活環境の改善による。援助や発展が、豊かさへの憧憬を招き、人口を増やし、結果、ますます人々を貧困に陥れている。それは、援助側や政府の人間たちが、常に抱え持つジレンマです。

人の命って何なのだろうかと、思わされます。
人と人が争い、殺しあうことが、人間が種として生存ラインを確保する最も効率的な手段なのだろうか、とすら思ったりします。…自分が殺されることはないだろうと踏んでいるからこその傲慢な思考ですが。


ブータンは、GNH(Gross National Happiness、国民総幸福量) という、物質経済に変わる、幸せ度という概念を打ち出しました。それは、GNP偏重の考えに立ち向かい、幸せとは、金、経済の尺度で測れるものだけではない、としたものです。

けれどそれには、ブータンに豊富な水力資源があり、電気を無尽蔵に使ってくれるインドに、良い値で売っており、国として既に安定した収益が確保されている、という背景があります。経済的な豊かさをもたらすものが確立されているから、幸せを追求できる余裕があります。資源も生産力も無い、あるのはポルポトの爪あとと援助だけ、という状況のカンボジアなどでは生まれようがない考え方でしょう。ブータンに幻想を抱いている人たちは、これに触れることは、ありません。

人間、ある程度豊かでないと、奇麗事もいえませんし、人を思いやる心も生じませんし、分け合うこともできません。

物質が、精神を支えるのです。逆ではないです。

だから自分は、豊かさをもたらすことは悪だとは思いません。禁断の果実が、1年365個あるなら、1日1個にすればいいだけのことです。適度なところで豊かさを限ればよい。…そしてそれが難しい。果実の個数をカウントするのも、いくら食べれば一番いいのかを知るのも、とても難しい。

物質を極限まで追求することは、破滅でしかない。それは誰でもわかっていること。お互い、生きていって分け合えるだけの、食べ物、住処、暖かさ、安全。それが「ある程度」があれば、それでいい。そういうことなのでしょうが、その「程度」がどこにあるのか、それは誰にも分かりません。どのラインが「持続的」なのかを見極めなければなりません。

だから、いかに、限られた豊かさの中で、持続的な様式を確立するか、そのための組織、制度、技術を考えるのが、自分の仕事だとは思っています。全くその次元に自分の力は及んでない、卑小さを自覚するのが嫌になるだけの毎日だ、というのが、現実なのですけれども。

で、その豊かさのレベルが、今は国ごとに全然違う。
たとえば、サウジアラビアの国民それぞれに、一番好きな国は?と聞くと、「アメリカ」がトップになります。それは、アメリカの持つ「豊かさ」への憧憬が、そこにあるからです。

それが逆に、憎しみも生んでいる。豊かさへの妬み、自分の苦境の責任転嫁が、そこに生じる。

家もなくマラリア・デング熱蚊と一緒にビニールシートで暮らし、コーラを栄養源として虫歯だらけになっている肋骨の浮いた乳幼児と。
独り1台自動車を走らせ、毎朝熱いシャワーを浴び、あまったハンバーガーをゴミ箱に投げ、留守中にもガンガン快適にクーラーを効かせている人たちを。

同時に自分の目で見ると、そりゃ、後者は爆破されても、文句言えんだろう、と思います。自分含めて。人間、妬む生き物ですから。勝手な傍観者の言い分ですけど。

一人一人なら、妬みで終わるかもしれませんが。
この妬みが、集団、組織というレベルまで大きくなると、「こんな社会は間違っている」という正義感、義侠心、確信になります。そして、「間違っている」ものを正そうとする動きになります。テロは数ある手段の一つです。
その動力に、宗教というものが使われます。宗教は団結を強め、確信を与えます。

この当たりも宗教というものへの認識で、誤解されているところだとは思うのですが。
あらゆる宗教は、普通なら、「他の教え、他の民族、他の宗教に寛容であれ」と説いています。
これが普通ではなくなるのは、自らの持っている資源で、自らを養えなくなるときです。
つまり、自らで自らを豊かにすることができず、自分が生き残るために、他から奪うしかなくなるとき。

宗教という言葉は便利です。「宗教だから」といわれると、そこで全てが納得できる気になれますから。

けれど、本来、宗教は、人が皆、強調し、平和に過ごすために、心を豊かにするためのものです。
争いを説明するのに、思考停止させるものではないのです。

そこで、思います。
宗教とかテロとかいう言葉で飾り立てられ、その事件の問題の本質が、覆いかぶされていないか。
自分たちの快適な生活を正当化するため、豊かな生活を送っている自分たちが責められないようにするため、その目隠しとして、宗教戦争、テロ、という、便利な言葉を使っていないか。

マスメディアの報道を見るたびに、そう感じます。

豊かなことは罪です。けれどそれは、食べることと同じ、生きている限り生じる、原罪です。豊かなことは悪いことではない。生きることは悪いことではないのと同じ。
ただ、あまりに偏りが激しいことと、我慢しないことが、問題。
セックスと同じでしょう。生きるために必要だけれども、見境ないと問題。

地雷も、疾病も、開発プロジェクトの死者も、元を正せば、豊かさの欠落から来る問題。交通事故は豊かであることから起こる問題ですが。…根本的には、テロと同じではないかと。常態か、非常事態かの違いであるだけで。分散されているか、集中して生じるかであるだけで。問題の本質は、同じではないかと。

それで、もちろん、豊かな国の人たちは、何もしていないわけではないです。「貧困対策」という言葉が市民権を得て久しい。日本の無償援助の重点項目は、まずそれです。案件を動かす為のお題目、金科玉条にまでなっています。そして、貧困削減のための案件が、年間、数千億円規模で実施されています。

けれども、この国の大部分の人間にとっては、貧困というのは、所詮、「別世界」の言葉です。豊かな国にいると、なかなか、貧困というものにリアリティがない。
豊かなところにいられるのは、自分の努力によるものではありません。単に、優れた先人たちのお陰です。ラッキーなだけです。

でも、恥じる必要は無いです。実際、日本は自分の豊かさを削って、貧困に投げ打ってます。税金から。余り効果的ではないし、問題も多いですが、勿論ゼロでもマイナスでもありません。ちゃんと役に立っているところは沢山あります。だから、胸を張って税金払ってください。ODA予算増やしてください。民間に過酷な競争と予算削減ばかりさせないで、もうちょっと楽に仕事下さい。…もとい。

だからといって、豊かさが、国ごとに同じラインになれば、幸せは達成できる、とも思わないのです。私は電気と通信インフラに支えられたインターネットがなければ生きていけない体ですが、そんなものがなくても十分幸せな方はごまんといるでしょう。草原の遊牧民の、悠久の大自然の中の生き方は、羨ましくてしょうがなかったですが、今自分がそこに身を投じたからといって、確実に幸せになれるとも思いません。今の生活は放棄したくないです。

ただ。
豊かな国にたまたま生まれることができた自分の、無知な傲慢さが、今の事態を招くことに加担してるのだ。

少なくともそのことには、自覚的になっていなければ、と思います。

感傷的になるのは悪いことではありませんが。泣いても世界は何も良くならない。
自分にできることを模索するのは、少なくとも悪いことではない。クーラーの温度を1度上げること。ゴミを分別して出すこと。それだって、巡り巡って、豊かさのセーブと、分配にだってなる。偽善と感じるのは、繋がりが見えないからなんです。自己満足でも、やらないよりは良いんです。技術的に、経済的に、確かなことなら。(確かでない、っつーと、鯨を殺しちゃいかんとか、ダムは全て撤去しよう、とか、そういうこと。余談。)

テロを起こしたいと思う、その根本の原因を、見つめていきたい、と思います。
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2005年07月06日

草の海の酔っ払い 

モンゴルです。タリアートという地方まで来ています。ウランバートルから800 km弱。

ゲル(モンゴルの遊牧民の天幕)で、ロウソクの光でキーボードを照らし、薪のパチパチと爆ぜる音を聞きながら、バッテリーでこれを打っています。ポストは勿論後日ですが。なかなかオツなものです。
内陸部なので、朝晩はかなり気温が下がります。夏の盛りの今でも、10度切っているぐらい。風が相当出てきました。ゲルのフェルトが飛ばないか心配です。

ゲルは、木枠にフェルトをかぶせ、水避けの綿布をのせた簡単な作りです。上に暖炉の煙突用の穴が開いています。良くこれで、−40度の冬を過ごせるものだと感心しますが。ストーブに火を入れると暑いぐらいで、冬でも半袖で過ごすそうです。

● 草原
幸い、雨が降った。その後の草原の輝かしいこと。緑という色は、まぶしい色なんだと知った。魂が吸い込まれそうに美しくて、包容力がある。草原の中に入ると、奥行きのある色で、回りが緑の海のよう。その中に吸い込まれそうになる。司馬遼太郎は「草の海」と評しておられたが、まさしくそれだな、と思った。

そこを延々と走る。道は、町の周辺は舗装されていたり、砂利道になっていたりするが、地方に行くともう、緑の草に刻まれた茶色い轍が辛うじてそこを道だと示している程度。皆好き勝手に走るので、轍が幾重にも連なり、大地を蛇行する川のよう。車は、あまり轍からずれて草原に出ることはないが、これは、草を傷める為ではなく、単に、草原の中はどこに穴ぼこが空いているか分からないからとのこと。

標識も案内も、そこを道路だと示すものは何も無い。一月も車が来なかったら、轍も草に覆われて道が消えてしまいそうだな、と思っていたら、本当に時々消えている。彼方に残っている轍を探しながら走るわけだが、右に左に、轍が散らばっているので、どこへ行っていいのか分からず迷う。GPS必須。というか、今はGPSがあるからいいのだが、昔はどうしていたのだろう。牧民にひたすら道を聞きながら、遠くに見える山を目印にするしかない。

山というと、山の近くで山の名前を呼んではならないのだそうだ。山は神様の化身であるといわれ、神様の名を直接呼ぶのは、良くない事だといわれている。
山や川の名前は、突き抜けて行くような響きのものが多い。空気を切るような舌子音のモンゴル語で発音すると、なんとも、聖なるもののような感じがする。

バータール・ハイラニー、ホリドゥール・サリターグ、トゥール川、オルホン川、オノン川…

● 星

月もなく、満天。180度の空というのは初めて。疲れも時間もどこかに飛んでいく瞬間。ゲルの中の暗闇から外に出ると、そらが星の光でまぶしいほど。星明りというのは本当に明るいものなのだと思った。
流星が降る。暗い流星まで見えるので、ひっきりなしに流れるように感じる。かと思うと、南の空では時折雷が光って、目を射抜かれる。
すっかり体が冷えて、ゲルの中のストーブで温まる。これもまた快感。

● 遊牧民

ソム(村)センターという、役場、学校、病院、郵便局などの公共機関が集まった、遊牧民の拠点となっている行政単位が、全国に点在。ここは、自然発生的に生じたのではなく、ソ連時代に、計画経済によって、全ての地方に作られた人工地区。ディーゼル発電機と、冬場のボイラー温水による集中暖房の設備がある。冬にここに移り住む遊牧民も結構いる。ただ、補助金や資源が潤沢に流れ込んでいた計画経済時代と違い、ソ連崩壊後は、ソムが資金的には独立して自主的に運営しなければならなくなった。(県からの補助金は多少ある)。最近の原油価格高騰で、ディーゼル油が買えずに苦しんでいる。

一方、牧民は、結構、豊か、という印象。かなり地方まで入り込んでも、ゲルは綺麗だし、着ているものは韓国製でおしゃれだし、女性はばっちりめかしこんで化粧しているし、家畜の多い裕福なところは、太陽光パネルに風力発電で発電し、パラボナアンテナまで買いこんで、衛星テレビを愉しんでいる。

そんな彼らの収入源のメインは、家畜の肉、乳製品もあるが、なによりヤギの毛。すなわちカシミア。中国人の商人が入り込んで、牧民から原毛を買って、密輸で輸出。中国が自分ところで適当な毛と混ぜて、製品化し、これが昨今の安価なカシミアになって、日本のスーパーを席巻している模様。カシミアは、洗毛→着色→紡績→製品化、という過程を経るが、紡績が結構大変で大掛かりな機械が必要。モンゴル国内でも国営工場一社しか製品化まで行っていない。モンゴル産カシミアというと、結構なブランド印象がある。この場合、原産ではなく製品化をモンゴルで行わねばならないのがポイント。このため、日本のある会社は、原毛をモンゴルで買って洗って、日本に持ってきて紡績して、またモンゴルに持って帰って製品化し、再度日本に輸出する、という、二往復の過程を経ているそうだ。それでも、ペイできるのが凄い。

カシミアだけではなく、革製品も、なめしが大変で、原材料は豊富なのに、製品化できないでいる。
できるならカシミアや革製品は、モンゴル自身に技術を導入して、地方産業を活性化させる産業にしてほしいところ。

● 食べ物
肉のほかは乳製品、ハムなど。パンもハムも、非常食として車に5日ほど積みっぱなしにしていたが、乾燥しているせいか、炎天下を延々走り続けていても、痛んだ様子がない。
アルルという、発酵乳を干して固めたもの。歯が割れそうに硬い。文字通り歯が立たない。少しずつ歯で削りながら食べる。酸っぱくて臭い。
肉は、ヤクやヤギの干し肉もある。これも、ゴムを噛んでいるように、弾力があって硬い。いつまでも噛んでいる。
あと、食堂などで定番の食べ物として、ゴリヤシというのがある。ひき肉団子とキャベツに、バターご飯が盛られている。このご飯が、山二つにした天辺に、ケチャップをちんまりとかけているレイアウト。その形状から、日本人親父には、おっぱい定食と呼ばれている。妙な郷愁。

● 酒
飲む。朝から飲む。ひたすら飲む。モンゴル人。血の代わりにエタノールが流れているんじゃないか、ってぐらいに飲む。酒の一滴、血の一滴。

○馬乳酒
その名のとおり、馬の乳を発酵させたもの。癖のあるヨーグルトにビールを混ぜたような感じ。微炭酸。アルコール度はビール程度。モンゴル人はこれを酒とはみなしていない。子供もドライバーも、ごきゅごきゅと飲む。ビタミンの塊。これを飲むから野菜を食べなくてもすんでいる。デフォルトの飲み物。お茶よりも水よりも、これ。食事時も休憩時もひたすら飲む。春夏は、家畜がまだ超えていない一方、乳が出るので、この季節にモンゴル人は肉ではなく乳製品で過ごす。ビタミンもこれから取る。他一切口にせず、馬乳酒のみで過ごす人間もいるそうだ。乾燥している上に直射日光浴びまくりで日焼けしている一方、洗顔やスキンケアとは無縁の非文化的人間も、この馬乳酒のお陰か、我が肌ながら、モチモチしていて気持ちが良い。四六時中飲んでいるものだから、体がなんとなく馬乳酒臭い。出すものからもその匂いがする。

草原を走っていると、どこからともなく遊牧民の子供が沸いて現れ、ペットボトルに詰めた場乳酒を売りに来る。牧民が歌いながらかき混ぜて作る手製ので、当然ながら、ボトルによって味が違う。臭いのだけ、というのもあれば、クリーミーですっぱくて炭酸が効いていて、本当に美味しいのもある。
車で揺られる間に発酵が進んで良い具合になるが、下手すると発酵が進みすぎて、ふたを開けるとロケット噴射状態になる。でもこの位になっているのが、うまい。

そいや、カルピスは、強制連行時に飲んだ馬乳酒を忘れられなくなった日本兵の発案なのだそうな。

○シミンアルヒ。
馬乳酒を蒸留させた酒。これが、また、んまい。馬乳酒にウォッカを混ぜたような感じになるのだが、ずっと洗練されて、それでいて乳臭い。大のお気に入りになった。残念ながら10日ぐらいしか持たないらしい。ワインのような感じで飲みやすいのだけれども、結構度数は高くて、つい行き過ぎる。

○アルヒ。
恐怖の酒。ウォッカのこと。お決まりのコースで、ここに来る。
親愛の証。出されると干さなければならない。ボトムアップ(ひっくり返して、全部飲んだぞーと示す)が、礼儀。どこからともなく誰かが持ってくる。常に瓶をガチャガチャと持ち歩いている人も居る。これがなくなるまで飲まされる。出会いに一杯、別れに一杯。瓶を干すまで繰り返される。大変危険。アルコール度数が98%を超えるスピリタスというのを持ってくる馬鹿者も居る。
これのせいで、いつも撃沈する。そのままインタビュー調査に入ったりすると、仕事にならない。でも仕事もせねばならない。つらい。
で、別れで散々飲まされたあとに、車で草原のガタガタ道を走る。良い具合に頭と胃の中がシェイクされて、結果、ご想像通り。おげげー。
…草原を汚してしまいました。御免なさい。まぁ、360度全てがトイレみたいなものだし。
なお、大自然の中で自然の要求を満たすというのは大変爽快で、癖になりそうです。


…そんな感じで、ウランバートルまで戻ってきました。結局地方では、ネットアクセスは全滅でした。衛星電話か、交換手がガチャガチャ回す有線しかないんだもん。いや、通信があるだけずっといいですが。

いつもながら大鳥の話がなくて、ごめんなさい。車の中で暇だったので、色々ネタは考えていました。帰国したらぼちぼちいきたいと思います。

…って、飛行機の帰国便、キャンセルされてました。
理由:客が少ないから。本州淡路連絡船のようなお手軽さ。さすが独占企業国営航空。お陰で帰国が2日延びます。ひゃっほーい。





 

ウランバートル 投稿者:入潮 投稿日:07/01(金) 00:45 PC No.899 [返信] [削除]
えーと、ウランバートルです。首都からまだ動いていません。とりあえず第1段階メモ。

●食事。
肉。肉。そして、肉。そんな感じです。朝から肉。餃子かと思ったら、中は肉の塊。
中華でも肉。スープでも、羊肉のスープというと、羊の肉をダシに取ったものかと思って頼んだら、肉そのまま出てきた。それはスープとは言わん。肉のスープかけというのだ。
で、野菜を食べない。ゆっくりと土と対話しながら、野菜を栽培する国民性ではない。ビタミンは乳製品から取る。そんな、蛋白質偏重型食生活なので、モンゴル人は、男も女も、どこかムチムチして、弾力がある。

●インフラ。
旧ソ連時代のをそのまま使っていて、どこもかしこもガタが来ている。水道管さび付いていて、水道水は鉄錆びでまっ茶色。沸かしても水をのむのは勇気が居る。(飲むなよ)。シャワーを浴びるとなんとなく自分の体が鉄臭い。そのシャワーは熱湯or冷水の究極の選択。いや、このホテルだけなのかもしれないが。そう思ってたら今日は市内の湯の供給が「国の都合で」止まっていた。「国」を出すと、とりあえず全てのいい訳になると思っているのが、社会主義的。(いや本当にそうだから仕方ないのだけど)

ウランバートルに給電している発電所は、全てコージェネの石炭火力で、電気と熱を両方供給している。日本の援助で作った第4火力発電所はランドマーク。この熱供給だがしょっちゅうストップする。今は夏だからいいが、冬、暖房用の温水供給がストップしたら、本気で死人がでるんじゃないか。
と思っていたら、やっぱり冬でもしばしば止まるらしい。地方部など、一旦システムが止まると、凍り付いて、春が来るまで動かなくなってしまう。なので故障すると、作業員が夜中でも起こされて-40℃の極寒の中、凍らないうちに、必死こいて寝ずに直すらしい。暖房は人間が生きるための最低限インフラ。

今日、下水管が破裂していて、道路が水浸しになっていた。
道路は広いが運転が皆荒いので、そこら中で事故って渋滞を引き起こしている。1日に3,4回事故現場に出くわす。

首都の中にもゲル(遊牧民の移動式天幕)があちこちにある。ちょっと広場があるとどこからともなくゲルが表れる。ゲルには電気も暖房も来ていないはずだが。どうやって冬をやりくりしているのかは、謎。

● 天気
西日本の渇水状態を見ていると、どうだ、ダムの有り難味がわかったか。誰だ、脱ダム宣言なんぞ耳に聞こえの良い薄っぺらい環境カブレなこと言っていたのは。…とかいうどこかハキ違えた尊大な気分になりますが。(そういう感覚もな…)
ここも雨が降っていない。草原が緑にならず、まだひ弱い黄色。草が育たないと、家畜が肥えない。乳が取れない。そうすると肉が育たず、家畜の価値が下がり、牧民の食料と収入に直結する。草原の青い空にぽっかり浮かぶ白い雲。これがどんよりと灰色に垂れ込めて、草原を潤す日を皆待ち望んでいる。

夜11時になっても明るい。朝は4時ごろからやっぱり明るい。それで睡眠時間が減る…ということもありませんが。冬は逆で、朝11時ごろにようやく明るくなって、それでもずっと夕方のような暗さで、午後3時4時にはまた暗くなる。1日中寒くて暗くて、どうにも滅入るらしい。遊牧民は、風の弱い谷間で、氷点下40度もの中、ひたすらじっと、春を待つ。

● 市場とか
(ロシア+中国)÷2、というと、モンゴルに怒られるだろうけど。なんとなくそんな感じ。文字はキリル文字で、ロシア語に良く似ている。町の区画の、社会主義的なのっぺりした雰囲気、革ジャンの人が目立つ、女性の化粧が濃くて原色好き、辺りも、中国よりロシアを彷彿とする。デール(蒙古服)はじーさんばーさんぐらいにしか見かけない。(地方だと別)モンゴルはモンゴル以外何者でもないのだけれども。
中国市場はどんどん入り込んでいて、ちょっとした製品やレストランには中国語が目立つ。
それ以上に入ってきているのが韓国。走っているバスはHundaiかDaewoo。セダンもHundaiが主流。政府機関のPCのディスプレイはSamsungが主。電化製品やインスタント食品、お菓子、洋服など韓には、国語がびっしり。

外資のスーパーに並ぶ製品は、ロシア製・韓国製・中国製がしのぎを削っている。
韓国はロシアや中央アジアなど、ロシア語圏で強いようだけれども、品質も日本製に劣らないぐらいになってきていて、価格は半額ぐらい。今は日本製を買うメリットは何も無い、と、韓国メーカーは豪語している。がんばってくれニッポン。サッカーもいいが、真に勝負すべきところは別にあるだろう。韓国アイドルにウツツを抜かしている場合ではない。

そんな感じで。明日から地方に入ります。買い込んだミネラルウォータは、韓国製でした…




 

バックパック 投稿者:入潮 投稿日:06/28(火) 02:12 PC No.898 [返信] [削除]
ちかれた…

ウランバートルです。ようやく暗くなってきました。
よる11時過ぎても、明るいんだもんなぁ…。といっても、到着10:30pmでしたが。

荷物は久しぶりに、スーツケースではなく、バックパックです。昔使っていたものですが。今は持っていかねばならないものが増えてしまって、詰めるのに苦労しました。PC関係、資料、文房具など。
ずいぶんとパッキングに時間がかかってしまいました。
スーツケースは面で広げて入れられるので、サクサク入るのですが、バックパックは、容量も小さいし、縦に、線上に、しかも重いのが上に来るように入れないとならないので(背負った時のバランス上、上が重いほうが安定する)、入れては出して…と、考え込みます。

昔はこれで何の不便も違和感もなく詰め込みしてたのですが、
いつのまにかスーツケースの便利さに慣れてしまってたんですな…。

でも、やっぱり、自分の所属品を、転がすのではなく、腰で背負い込む、というのが、気持ちいいです。
スーツケースのキャスターというのは、屋内や、完全に舗装された、凸凹のない道しか、通用しないわけで。たしかに重さを地面に預けられるので、転がすのは楽ですが、砂利道やむき出しの地面の上では、用いられるものではないです。

で、キャスターが使えるようなところというのは、つまり、人間が人間の利便ために、作った所オンリー、というわけで。キャスターを転がしていると、自分は人間が、楽に歩けるようにアレンジしたところしか歩けないのか、とかいう、妙な気分になってしまって。
ほんと、凸凹のない地面というのはものすごくありがたいわけで。ところがそのありがたさを全く感じる事なく、それが当たり前だと思うようになった。そういうところに、違和感があったわけなんですよな。
自分の所持品の重さすら、自分で持たずに、そういった便利な地面に預けてしまっている。

そういう感じで、昔はスーツケースとか、車輪付きカバンとかに抵抗感があったりしてまして。バックパッカーだった頃は、バックパックを自分で背負って、どんな地面も歩いている、ということに、無意味な誇りを持っていたりしたものでした。で、そういうのを忘れて久しくなってしまっていることに、バックパックを背負いなおして、自分の所持物の重みを受けて、初めて気がついてたりします。

で、背中にバックパック、肩に資料の山とパソコン、という格好で、駅の階段を上がると。…息が上がって上れない。ご、ここまで体力が落ちてたのか…。愕然としました。

……いや、スーツケース、ほんと便利です。文明、万歳。
そんなワタクシも、月が替わったら、道路も電気も水もろくに期待できない場所に居る予定です。
あぁ、体力持つかしらん…。

タグ:モンゴル
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2005年07月01日

ウランバートル

えーと、ウランバートルです。首都からまだ動いていません。とりあえず第1段階メモ。

●食事。
肉。肉。そして、肉。そんな感じです。朝から肉。餃子かと思ったら、中は肉の塊。
中華でも肉。スープでも、羊肉のスープというと、羊の肉をダシに取ったものかと思って頼んだら、肉そのまま出てきた。それはスープとは言わん。肉のスープかけというのだ。
で、野菜を食べない。ゆっくりと土と対話しながら、野菜を栽培する国民性ではない。ビタミンは乳製品から取る。そんな、蛋白質偏重型食生活なので、モンゴル人は、男も女も、どこかムチムチして、弾力がある。

●インフラ。
旧ソ連時代のをそのまま使っていて、どこもかしこもガタが来ている。水道管さび付いていて、水道水は鉄錆びでまっ茶色。沸かしても水をのむのは勇気が居る。(飲むなよ)。シャワーを浴びるとなんとなく自分の体が鉄臭い。そのシャワーは熱湯or冷水の究極の選択。いや、このホテルだけなのかもしれないが。そう思ってたら今日は市内の湯の供給が「国の都合で」止まっていた。「国」を出すと、とりあえず全てのいい訳になると思っているのが、社会主義的。(いや本当にそうだから仕方ないのだけど)

ウランバートルに給電している発電所は、全てコージェネの石炭火力で、電気と熱を両方供給している。日本の援助で作った第4火力発電所はランドマーク。この熱供給だがしょっちゅうストップする。今は夏だからいいが、冬、暖房用の温水供給がストップしたら、本気で死人がでるんじゃないか。
と思っていたら、やっぱり冬でもしばしば止まるらしい。地方部など、一旦システムが止まると、凍り付いて、春が来るまで動かなくなってしまう。なので故障すると、作業員が夜中でも起こされて-40℃の極寒の中、凍らないうちに、必死こいて寝ずに直すらしい。暖房は人間が生きるための最低限インフラ。

今日、下水管が破裂していて、道路が水浸しになっていた。
道路は広いが運転が皆荒いので、そこら中で事故って渋滞を引き起こしている。1日に3,4回事故現場に出くわす。

首都の中にもゲル(遊牧民の移動式天幕)があちこちにある。ちょっと広場があるとどこからともなくゲルが表れる。ゲルには電気も暖房も来ていないはずだが。どうやって冬をやりくりしているのかは、謎。

● 天気
西日本の渇水状態を見ていると、どうだ、ダムの有り難味がわかったか。誰だ、脱ダム宣言なんぞ耳に聞こえの良い薄っぺらい環境カブレなこと言っていたのは。…とかいうどこかハキ違えた尊大な気分になりますが。(そういう感覚もな…)
ここも雨が降っていない。草原が緑にならず、まだひ弱い黄色。草が育たないと、家畜が肥えない。乳が取れない。そうすると肉が育たず、家畜の価値が下がり、牧民の食料と収入に直結する。草原の青い空にぽっかり浮かぶ白い雲。これがどんよりと灰色に垂れ込めて、草原を潤す日を皆待ち望んでいる。

夜11時になっても明るい。朝は4時ごろからやっぱり明るい。それで睡眠時間が減る…ということもありませんが。冬は逆で、朝11時ごろにようやく明るくなって、それでもずっと夕方のような暗さで、午後3時4時にはまた暗くなる。1日中寒くて暗くて、どうにも滅入るらしい。遊牧民は、風の弱い谷間で、氷点下40度もの中、ひたすらじっと、春を待つ。

● 市場とか
(ロシア+中国)÷2、というと、モンゴルに怒られるだろうけど。なんとなくそんな感じ。文字はキリル文字で、ロシア語に良く似ている。町の区画の、社会主義的なのっぺりした雰囲気、革ジャンの人が目立つ、女性の化粧が濃くて原色好き、辺りも、中国よりロシアを彷彿とする。デール(蒙古服)はじーさんばーさんぐらいにしか見かけない。(地方だと別)モンゴルはモンゴル以外何者でもないのだけれども。
中国市場はどんどん入り込んでいて、ちょっとした製品やレストランには中国語が目立つ。
それ以上に入ってきているのが韓国。走っているバスはHundaiかDaewoo。セダンもHundaiが主流。政府機関のPCのディスプレイはSamsungが主。電化製品やインスタント食品、お菓子、洋服など韓には、国語がびっしり。

外資のスーパーに並ぶ製品は、ロシア製・韓国製・中国製がしのぎを削っている。
韓国はロシアや中央アジアなど、ロシア語圏で強いようだけれども、品質も日本製に劣らないぐらいになってきていて、価格は半額ぐらい。今は日本製を買うメリットは何も無い、と、韓国メーカーは豪語している。がんばってくれニッポン。サッカーもいいが、真に勝負すべきところは別にあるだろう。韓国アイドルにウツツを抜かしている場合ではない。

そんな感じで。明日から地方に入ります。買い込んだミネラルウォータは、韓国製でした…
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2005年06月28日

バックパック

ちかれた…

ウランバートルです。ようやく暗くなってきました。
よる11時過ぎても、明るいんだもんなぁ…。といっても、到着10:30pmでしたが。

荷物は久しぶりに、スーツケースではなく、バックパックです。昔使っていたものですが。今は持っていかねばならないものが増えてしまって、詰めるのに苦労しました。PC関係、資料、文房具など。
ずいぶんとパッキングに時間がかかってしまいました。
スーツケースは面で広げて入れられるので、サクサク入るのですが、バックパックは、容量も小さいし、縦に、線上に、しかも重いのが上に来るように入れないとならないので(背負った時のバランス上、上が重いほうが安定する)、入れては出して…と、考え込みます。

昔はこれで何の不便も違和感もなく詰め込みしてたのですが、
いつのまにかスーツケースの便利さに慣れてしまってたんですな…。

でも、やっぱり、自分の所属品を、転がすのではなく、腰で背負い込む、というのが、気持ちいいです。
スーツケースのキャスターというのは、屋内や、完全に舗装された、凸凹のない道しか、通用しないわけで。たしかに重さを地面に預けられるので、転がすのは楽ですが、砂利道やむき出しの地面の上では、用いられるものではないです。

で、キャスターが使えるようなところというのは、つまり、人間が人間の利便ために、作った所オンリー、というわけで。キャスターを転がしていると、自分は人間が、楽に歩けるようにアレンジしたところしか歩けないのか、とかいう、妙な気分になってしまって。
ほんと、凸凹のない地面というのはものすごくありがたいわけで。ところがそのありがたさを全く感じる事なく、それが当たり前だと思うようになった。そういうところに、違和感があったわけなんですよな。
自分の所持品の重さすら、自分で持たずに、そういった便利な地面に預けてしまっている。

そういう感じで、昔はスーツケースとか、車輪付きカバンとかに抵抗感があったりしてまして。バックパッカーだった頃は、バックパックを自分で背負って、どんな地面も歩いている、ということに、無意味な誇りを持っていたりしたものでした。で、そういうのを忘れて久しくなってしまっていることに、バックパックを背負いなおして、自分の所持物の重みを受けて、初めて気がついてたりします。

で、背中にバックパック、肩に資料の山とパソコン、という格好で、駅の階段を上がると。…息が上がって上れない。ご、ここまで体力が落ちてたのか…。愕然としました。

……いや、スーツケース、ほんと便利です。文明、万歳。
そんなワタクシも、月が替わったら、道路も電気も水もろくに期待できない場所に居る予定です。
あぁ、体力持つかしらん…。
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2005年06月24日

腹を下したら

下痢の対処法。
結構今回周囲に病人が多かったので、メモ代わりに。

1) お茶などををせっせと飲んで、水分補給につとめる
2) 体力を維持し、胃の負担のならないように、味気の薄いお粥などを取るようにつとめる
3) 脱水症状にならないように、下痢止めを活用する
4) ポカリスエットなどのイオン飲料を飲む

以上、全て、間違いだそうです。

まず、1)の水分補給ですが。通常、下痢によって、大量の水分とともに、電解質(ナトリウム・塩化物・炭酸イオンなど)が失われます。
水分だけを補給すると、さらに体内の電解質濃度が下がってしまいます。そうすると、体は、血中の電解質濃度を保とうとして、体のいろんな器官から、電解質を奪うようになります。すると、体が非常にだるくなって、起き上がれなくなってくる。

で、2)ですが、これも、味の薄いお粥などは、水分を増やしてしまうだけなので、望ましくない。また、下痢中は胃腸が弱ってるので、むしろあまり食べずに、胃腸を休めるほうがいいそうです。

3)ですが、これは、下痢は体内の有害な菌を排出しようとする自然な働きなので、下痢止めを飲んでしまうと、逆に有害な菌を体の中に留めてしまう。結果、闇雲に飲むと、かえって悪化させてしまう恐れがある。菌の種類を同定して、それに合った抗生物質があるならそれを飲むほうがよい。

4)のイオン飲料は、電解質の濃度が、下痢を改善するには低すぎて、結果的に水と同じく体内の電解質濃度を低下させて、かえって酷くなることがあるそうです。これは医者でも誤解されて、イオン飲料を勧める人が居るとの事。

で、どうするかですが。
一般的にどこの薬局でも売っている経口補液(ORS, Oral Rehydration soltion) を手に入れること。これは、ナトリウム・カリウム・塩化物イオン、ブドウ糖などを福見、下痢で失われた体内の電解質と水分を同時に補給してくれ、体液を正常に戻すのに大きな助けとなるそうです。

下痢といっても馬鹿にしたものではなく、コレラなどの死因は、下痢による脱水と栄養失調の衰弱によるところが大きいとも。幕末にもコロリと恐れられていましたが。こういう、別に特別な材料も用いず、一回数円程度のもので、救われるのでしたら、それを知らないことというのが、やるせない思いになってしまうことであります。

うちの上司も、とにかく水を飲んでいたらひどい目にあったとの由でした。
自分も何も知らなかったら、とにかく水を飲んで、消化のいいものを食べていたと思います。
常識として知っていることが、結構、思わぬところで、却って窮状に追いやっている、というのはあるようです…

あんま関係ない話で御免なさい。メモということで許してください。
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2005年06月20日

山と雪と熱

印度です。デリーです。熱くて死にそうです。
暑い、なんて生易しいものではないです。熱いです。外に出ると、体の蛋白質が変性するのが分かります。目玉とか、ゴリゴリします。

熱波で、45度とか50度とか言われています。ホテルに一応クーラーがあるのですが、これが、音だけ凄くて、なかなか効きません。いや、十分冷房の役目を果たしてくれているとは思うのですが、MAXにしても、30度前半までしか下がりません。

空気が体温より高いと、風が吹き付けても、熱風が余計に体温を上昇させて、熱いだけなんですよな。バイクのあんちゃんたちは、長袖、手袋、スカーフの完全防備で、肌が空気に触れないようにしていました。自分の体温の熱のほうが、外の熱よりはマシだということで。

インド人が、自己主張が激しくて、みんなジャイアンで、デフォルトで生存競争やっているような国民性なのは(激しく偏見あり)、普段からこの熱さと戦って生きているからだと思いました。とりあえず熱や寒さに殺されることはない、モンスーンの穏やかな気候で、季節を愛でる余裕のある人間とは、そりゃ、生き様も違うわ。

てことで、ブータンからこちらにやってきました。
標高2500mの首都ティンプーは、朝は寒く、昼は暑くもカラッと清々しかったのですが。その反動もあって、ぶおぉぉ、と吹き付ける空気の熱さに、うめいてしまったことです。

ブータンからのフライトは凄かったです。カトマンズ経由の便になるのですが、エベレストはじめ、ヒマラヤの山々の間近を飛んでいくルートでした。世界第四位の標高のローツェ(8516m)、8463mの世界第5位のマカルー高さ8201mの世界第七の高峰のチョオーユーなどが、連続して拝めました。

このルートは、カトマンズなどから発着しているマウンテンフライトよりも、ずっと近くを通るそうです。ネパール○年の団長が「世界一のマウンテンフライトだ」と仰ってました。

世界の高峰というネームバリューもさることながら、なんというか、「神々の座」と呼ばれるのにこれほどふさわしいものはない、という感じで。雲のたなびく上から、雪を反射させた岩肌がまぶしくて、人を寄せ付けない凛とした厳しさと、現世離れした美しさがあって、人間、こんなもの、簡単に見ちゃいかんよ…と思いました。

「ああ南壁」など、エベレストをはじめとした登頂を成し遂げる方々は、肉体の限界のほか、現実的にも資金繰り、社会や家族との軋轢野中で、人間の行き着くところまでいきついた方々が、その果てにようやく拝んで許せるものなのに。何もしてない、ただ飛行機に、のへらー、とのっかかっているだけの自分が、こんなに間近で見ていいのか、と思いました。

そういう神々か、神に近い人間しか拝めないようなものを、こんな何もない人間が、のんべんだらりと座って見れてしまうほどに、技術というのは進んでしまった。

そこで、強引ながらやっぱり圭介。
初めて、しかも自分ところの生徒伝で、自動車に乗せてもらって、喜びのあまり、
「今に君、エンジンのついた乗り物が空を飛ぶようになるよ」
といったというエピソード持ちな圭介。じじぃがそんなにかわいくてどうするんだ馬鹿者ーーッ、と拳を振りかざしたい彼。その彼に、人間ここまで来ているんだよと自慢してやりたいというか、自分何もやっていないのに、ここまで来てしまってごめんなさいとすまなくなってしまったというか。

どうにも、微妙な気分になってしまったことです。
あの雪と雲の、厳然とした聖なる白に覆われた山を、圭介に見て欲しかった、なんて考えている辺りが、相当病進行中だなぁと思いました。えぇ、いまさらですが。

で、デリーだとあるだろう、と、ノートのAC-DCアダプタを探して、町をさまよいました。イエローページ片っ端からあたりましたが、全滅でした。…日曜日だったということに気がついたのは、炎暑で頭が朦朧として、意識が無くなりかけてからのことでした。
貴重なバッテリーを使って、書くことが、これか。これなのか。
タグ:ブータン
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2005年06月12日

吹っ飛んだ

いやはや。まいりました。
オーバーボルテージで、PCのAC-DCアダプタがやられました。
いきなり、蛍光灯がぐわー、とちらついてきまして。あー、電圧下がってんなぁ、と思ってたら。いきなり電圧急上昇。テレビとPCのアダプタから、煙が出て、いやぁな臭いが。
幸い、ノートPC本体は無事だったので、何とかデータを、現地のPCに移し変えて、ついでに日本語システムも入れて、使っております。
バックアップでバッテリーがほとんどなくなった・・・。

そんな感じで、ブータンにきて、早1週間がすぎました。
出張前にいろいろとやりたいことがあったのですが。研修生の相手と提案書と報告書とワークショップ含む出張準備のクワドラプルアタックで、寝る暇どころか食う暇もなかったです。
ひとまずワークショップも終了して、一息入れられると思った瞬間に、これでした。
被害者は、団員中少なくとも3名。ほかにもまだ出てくるかもしれない。プリンタもやられました。この復旧だけで、しばらく仕事にならなさそうだ。
電力公社を責めようにも、彼らの能力強化が自分らの仕事目的なので、それもままなりません。うぅ。

機器だけではなく、団員にも、腸チフスとかアメーバ赤痢とかが出て、やばい感じです。ブータンからではなく、ネパールとカンボジア帰りの人たちが持ってきたのですが。
ひとまず感染力は低いので、隔離などの羽目には陥っていませんし、普通に仕事していただいています。それどころか、近寄るな、消毒薬もってこい、と苛めるとか、抗生物質のせいで酒が飲めない方々の目の前で地酒に興じたりとか。ヒドイ扱いです。
人間、死なないと思ったら、粗雑に扱ってしまうものです。最初は心配するけれども。慣れって怖いです。
アメーバ赤痢の感染源って、そういうのもあるのですか…。家庭の医学辞典で見ていて、もののあわれを感じました。現実って大変だ。よろしければ調べてみてください。
ちなみに、アメーバは腸壁にくっついてしまってなかなか流れていかないのか、一度かかるとしつこいようです。昔かかった上司によると、半年続いたとか。下痢が続くので、体力の維持が大変なようです。
抗生物質は体がしんどいので、途中で薬はやめて、ひたすらヨーグルトを食べて、善玉菌を増やして、体の中で競争させていたそうです。そうしたら、体のほうが共生状態に慣れてきて、アメーバを抱えつつも、元気に動けるようになったようで。
人間の順応力って、すごいものだと思います。

そんな感じで。たらたらとやっています。
今日は日曜日なので、仕事場のPCを弄くれていますが、平日はそうもいかず。ネタもたまっているのに、ままならない人生。
更新やメイルが滞りっぱなしで、大変申し訳ないです。いつも謝ってばかりです。帰国後、改めてご挨拶をさせていただきたく。タイミングを激しく外した文字列が届いても、どうか嫌がらないでやってください・・・
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2005年03月07日

明治と今と

のへのへと、生きております。
どうも、気圧が700mb前後、下界より30%ぐらい低いようですので、それだけ酸素利用効率が落ちている。これが、日ごろの眠さと、睡眠時間増加の原因となっていると、身内で一致しております。…というのは、格好の怠惰の言い訳ですが。怠け心を、誰のせいでもない、空気のせいだ、とできると、こんなにいいことはない。

んで、空気は薄くても、やることは溜まります。
今の自分の役どころとしてはは、お雇い外国人の下働きみたいなものだったりしまして。
この能力と年では、ライマンやディのように、そのスペシャリティや経験を買われて、乞われて来ているというわけでは到底なく、てか、比べるほうがおこがましいのですが。(日本の技術者は、経験で評価されるのですが、年齢ってのは言い訳にならないんだけんども…。ダイアーにしてもアトキンソンにしても、日本に招かれてきたのは、20代後半なワケだから。あのころは完全に売り手市場だったというのはあるのですけど)

ここのところ、人手が足らないので、ぺーぺーの自分も、政府の組織改革や制度の提案などもさせてもらってたりします。貿易産業省、農業省、大蔵省などの局長クラスの方々と協議する機会も多いです。

みなさん、まともな方ばかりです。おっしゃることが、全く、まともです。現状をどう良くしていくか、どう動かしていくか、どう金を工面するか、本気になって考えています。「まともである」ということは、現状を考え抜き、改善点を検討しきった結果に到達できる、苦悩の末の到達点なのだと思います。でないといい子ぶりっ子の観念論に陥るしかないわけでして。

この国は、九州より小さな面積の、日本のひとつの県にも人口が及ばない国ではあるのですが。その分、一人の存在が強い気がします。
「この国が悪くなったらお前のせい、良くするのがお前の仕事」ということを、常に突き詰められて追い立てられている人たちの責任感といったら、いっそ迫力があります。

なので、そういう方々と、これから何を方針とし、フレームワークとするか、どんな具体的組織や政策が必要か話し合っていると、世の中のつながりとか、ものを動かす方法など、むしろ教えてもらうばかりで、根本的なことが今まで何も見えてなかったんだなぁと、恥じ入るばかりです。

課題認識。問題解決。意思決定。その流れの中で、特に最後の意思決定ということを行う側の人間は、強靭にならざるを得ない。何かを意思決定するということは、その結果に対して責任を持つということですので。局長レベルになると、自分の決定が、本当に、国の実態、国の人たちの生活にダイレクトに響いてくる。そのことを知っている。そういう人の言葉は、具体的で現実的で、人を動かす力があります。

日本の場合は、この責任の部分を、大久保さんのような、省のトップが、引き受けてくれた。責任は俺が持つ、お前らは必要だと思ったことをやれと、技術者たちに太鼓判を押してくれた。だから、技術者たちは、誰もやった事がないという恐怖を押しのけながら、新しいことに手をつけて、存分に動けた。いい構造を持っていたと思います。

どの組織でもそうですが、特に、大蔵省というのは、何か違う感じがします。自分たちが直接何かを生み出しているわけではないけれども、国のお金を動かす決定権があるという力はすごい。その人たちの意志力は、なんと言うか、別次元の力を感じます。国というのは、いくら奇麗事を言っても、金儲けできて初めて成り立つというのが、よくわかります。

それでよく、彼らの姿が、初期の明治政府の人たちと、重なってしまうわけなのですが。

明治政府では、士族、特に元幕府の下級士族が中心となって、東大や札幌農学校、工部大学校を経て、こぞって省庁入りしていった。これは、武士として育てられ徳川、あるいは天朝への忠誠を、美意識の頂点として植え付けられた彼らの、倫理の行き場が必要だった。そこに、国を建設する場である「官」があった。食っていかなければならない、という現実ももちろんありますが。実際、鉄道、建築、土木、都市計画、鉱業、工場など、国の土台となる産業に、目的意識を持った人材が集中した。

官僚は、民間に比べ、非常に高給取りで、生活も保障されていわけですが。ただお上が自分たちの身可愛さに、給料を上げていたのではない。国づくりに必死だった当時、人材を官に集中させるための動機付けを、少ない税収から自らの肉を裂くようにして、官員に給料として与えていたわけです。
で、金のかかるお雇い外国人も、明治8年を境に首切りを行い、自分の国の技術者を代替していった。そこが偉い。お雇い外国人は、あくまで一時的な処方として、日本は、自分の国の成長と自立の為に、厖大な対価を支払いながら、その知見を吸収していった。

藩閥というのも確かにありましたが、その危険さを誰よりも懸念していたのは、大久保さんや木戸さんをはじめとした、その藩の頭たちだった。省庁の力のバランスも、藩の力関係を考慮して行われた。藩閥批判というのは、平和な世に馴れた民衆が、娯楽としてお上を攻撃する材料だった、という一面もあるような気がする。

一方、地租改正で、国民に重税を課して血を流させ、これに外債という借金をして、自らの発展の財源をとし、自力で金を確保していった。そうして、明治政府は、富国強兵、殖産興業に突き進んだ。
そういうパワーと、なりふり構わない目的意識の強さ、統一感があってこそ、今の日本がある。
それは、今の援助依存型の途上国の実情を見るといっそう、彼らの頼もしさ、ありがたさが実感できたりします。

今の途上国の問題の一つは、官の給料の低さだと感じられます。まず、そもそも、国の基礎となる税制がしっかりしていない。会社と官が癒着して民間から税をとれない。よって、財源がない。資金がない。公務員の低給料は、その弊害の一つですが。肝心の、実務者、技術官僚たちの給料が、月に20〜50ドルでは、官であり続けるモチベーションがない。だから、彼らは、公務員・官僚としての仕事はそこそこに、アフターファイブの副業に精を出す。あるいは、外国コンサルタントのプロジェクトの日当目当てに集る。賄賂が横行する。で、民間を育成する適正な競争と取引が進まない。

そういう状況で、技術移転、人材育成にやっきになっているのは、援助側だけだったりして。せっかく、相手政府に必要な技術ノウハウを提供しても、肝心の受けての人間が、その技術を持って、官僚を辞めて、別の儲かる国で自分で会社を開いてしまったりする。実力のある人材を、官に留めておけない。そういうのを見ると、途上国はだから途上国なんだ…と思ったりするのですが。こういう構造を持っている限り、いくら、医療機器や小学校をタダであげても、ダメなものはダメなわけで。まず、税制改革をして、民間を育てて、産業を成り立たせて、という当たり前のことを行わねばならない。

ブータンの場合、この国の人たちは、無償援助など、タダでもらえるところはもらってやれ、というようなガメツサはなく、いらないものははっきりといらない、と言う。いるものは、借金してでもやる。そういう、目的意識の持ち方が強い気がします。また、官僚たちも、技術やノウハウに非常に貪欲です。今は我々が行っている仕事でも、これから自分たちが独自でやるのだ、という意識を持っていて、熱心に受け止めてくれています。それは、国王が明確な指針を与えてくれているから、官僚はそれにのっかかるだけ、という、民主主義とはまた別のものが、この国の健全さを支えている、という面白い側面があったりします。

ただ、明治時代の日本は、殖産興業、富国強兵に邁進できましたが、今の世界は、その流れに逆行する要素を、抱えています。

それは、「環境」。


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(続) 明治と今と 入潮 - 03/08(火) 02:57 PC No.779 [削除]

環境保護というのは、基本的に、ハンディです。それを守ろうとすると、金とコストばかりかかる。そこからは何も、金を生まない。50年とか100年とか長い目から見れば確かに環境を守る事が経済的にもプラスに働くというのはあるのですが、その日その年の金が必要な者にとっては、環境というのは、重荷にしかならない。

一方、援助側というのは、当たり前ですが、非常に環境保護を気にする。それが既に倫理になっているからです。調査のお金を出している日本側と話をするときは、大体、話題の半分ぐらいは、ずーっと環境の話です。

例えば、電化するための電線を引くためには、電線の周りの森林の樹を刈っていかなければなりません。これが、環境影響に繋がる。なので、環境に悪いのではないかどうか、ちゃんと調査をせねばならないことになっています。この調査に、金と時間が掛かる。1日も早く電気が欲しいのに「環境に悪いかもしれない」といわれるとそれだけで2年も3年も待たされる、政府はその分、電気料金という形の収益を取りっぱぐれる。

これを、相手政府の現場担当者と協議をすると、嫌な顔をされる。当たり前です。
歩くと4日かかる、切り立った崖の上にポツンと立つ家をさして「我々はアレを電化せねばならない。そのために、環境調査をせねばならない。あの山全ての野生動物の数を数えて、樹を一本一本数えて、草を分類して、昆虫を同定して…。馬鹿を言え!」というのが、本音となります。この、「樹を一本一本数えて…」ですが、雨季などは、雨のようにヒルが降ってきて、泥でズルズルで一歩滑ると谷底にまっさかさまなところを、ひたすら歩き回る。生きるのに精一杯です。獣や樹の数どころではなくなります…。

そして、住民にとっては、暗闇のおらが家に、電気がくるかどうか。期待しているところ、電線を張るのに木が切り倒されると「環境に良くない」から、おまえのところにはやらん、とお上に言われた。自分がそこに住んでいたら、どうするか。一匹、レッドパンダのような天然記念物が見つかると、もうそこは手をつけてはならない、ということになる。レッドパンダのせいで、夢にまで見て楽しみにしていた電灯もテレビも、パー。住民はどうするか。政府に抗議するか。もし自分がそこの住民だったら。レッドパンダをこっそり殺してしまうかもしれません。

それで、実際のところは、電気がくることにより、煮炊きのエネルギーを電気で賄えるようになり、薪を集めずに住むという点がある。樹を切らなくてすむようになる分、見えないところで環境への負担は減少する。煮炊きや暖房のために樹を刈っていくのは、慢性的なハゲを進行させているようなもので。実際、人口の集中している首都の周辺は、一度森林がツルッパゲになりました。電線を延ばすためにバリカンで一筋刈ることにより、だいぶ全体のハゲが防げたりするのですが。目立つトラ刈りは、本質的なハゲより悪く言われるようです。実質的に本当にどうなのかは、そういう調査をまだ行っていないので、データがなく、数字で示すことができないのですが。それがあったとしても、本質より、表面の「見える」ところを、恵まれた「いい人」は気にします。

国が金儲け機関とすれば、環境とははっきり言って、負債です。それを守るためには、少なくとも現状、何も金になるものは生まず、守ろうと思ったら金と労力を支払い続けなければならないものですから。キャッシュフローから言えば、好き好んで借金を背負っていることにしかならない。将来の貴重な資産を守っているのだ、なんて耳に快いことは、現在そこに住んでいる人の本音とはかけ離れている、遠いハイソな方々の奇麗事にすぎません。日本が慈善国家が成り立っているのは、それ以前に世界の工場として、十分に金稼ぎをしているからなんですな…。ブータンも水力発電という無限の宝箱があって、インドといういくらでも買ってくれる消費者がいるから、相当恵まれている国なのですが。それでも、現実はこんな感じです。

そういうふうに、倫理がその時代や場所のリアリティに合っていない場合があったりする。そして、経済的に成り立たなければ、いくら良い事を言っても、実現できないというのが現実。
その状況で、クリアしなければいけない条項を真剣に考えて、時間とお金の許す範囲で何とかしようとするのが、彼らの「まともさ」なのです。現実を考えず奇麗事で言葉を飾ることは、まともなことではなく思われきます。で、そういった感覚は、現場の最前線で国を考えている人にはありません。

話がそれましたが。そういった、「環境」という逆行要素を抱えていても、十分に機能できるだけ、今の日本は贅沢になっている、という面があります。

それで、わが国の現在のお上を見た場合、ブータンの人たちほどの目的意識は感じないのが正直なところではあったりします。政治家の方々が選挙で口にすることは、環境にしても、公共事業にしても、福利厚生にしても、どこかで聞いたことのある耳に優しいことを、テープレコーダーのように編集して繰り返されているような気がしたりします。反論が生まれない代わりに感銘もあまりなかったりする。どうすれば選挙に勝てるか、ということが目的化しているゆえの、目的意識の弱さが見え隠れしてる気がしてしまうんですよな…。

頭のものすごくいい人、行動力のある人は、たしかに居ます。能力も情報収集力も教養も、今の時代の人間のほうが、明治の人たちよりずっと上だと思います。

ただ、責任というか、背負っているものが違う気がするのです。今の人たちは、自分がしくじっても自分ごときが世界に及ぼす影響は高が知れていると思っていると思っているように思う。自分の一挙一動が、ダイレクトに国の人間たちの生活や人生に響いてくる、という切羽詰りようが、あまり感じられない。

まぁ日本は幸い、それで勤まります。マスメディアによって情報による倫理が画一化されているので、よほど奇異なことをやらないかぎり無難に過ごせますし。なにより、資金が民間にあり、民間が保護や補助なしでも動ける社会が出来上がっている。それにより、皆にお金が回って、なんだかんだ言いつつ、弊害もありながら、基本的には幸せな国なっているのではないかなぁと思います。

だからこそいっそう、明治のアノ人たちからは、生きることが面白くて仕方がない、という脈動が感じられたりします。なんだかんだ言いつつ、リアルで世界を作っている人の存在力はすごい。
ただ、その面白さを、明治の人たちのものだけにしておくのは、もったいないなぁと思ったりして。
その、自分が世界を作るのだ、という目的意識さえあれば、いつでも、あの明治の人たちの視点をえられるのではないかと、ブータンの人たちを見ていて思いました。

どんなフィクションよりファンタジーより小説より、この世界そのものが、一番面白いです。
そこに自分の力が活きて、自分が世界の変化に立ち会っていることを、感じれば。
シナリオを書くのも、その通りに進まずにアドリブで必死にやりくりするのも全部自分なわけでして。
だから、どんな英雄物語より、自分の生きているこの世界が、味わい深い。

いまさら野暮ったいことですが、やっぱり、人の存在の仕方はそれぞれで、人の数だけクリエイトされる世界の数がある気がします。それは、仕事の範囲の広さとかではなくて、どれだけ自分の居場所に当事者意識を持って、深く食い込みのさばるか、ではないかと思います。たとえば子育ては母が主力のひとつの国つくりですし、世界つくりなんだと思います。そこに自分が居なければ家庭という世の中は動かないという誇り。自分の行為を、どう自分が認識しているかで。今は仕事も家事も、「当たり前のこと」としてしか捉えられることがないことがほとんどなので、もったいないことだと思います。実際、携帯電話にしてもインターネットにしても、個人が世界に接点を持って、自分の居場所で行動し深められるポテンシャルは、すさまじく大きくなっているのだと思うのですけれども。要は、自分の周りの世界をどう捉えるかなのですよね。見る目を持とうとするかどうかなのだと思います。

でもやっぱり、娯楽が発達しマスコミの力が大きく、派手なヒロイックなドラマばかり持て囃されると、そっちばかりに目がいく。そうすると、そうでない自分がつまらなく思える。やっぱりちょっと不幸なのかもしれません。贅沢な不幸ですが。


とかなんとか、偉そうなことほざきつつ、今の自分は、駄目駄目言われバカヤローと日本人からもブータン人からも怒鳴られているのが現実なんですけれども。ホント。毎日が勉強です。泣きそうになりながら、素人が、門前の小僧よろしく、経済学のページをよっこらしょと開いて、消費者余剰やら内部収益やらに苦しんでいます。余談ながら、経済学というのは、真理ではなく、物事を、他人に説明するため、推し進める動力とするためのツールなのだと思います。技術と経済は表裏一体。技術もそこにあるだけでは役に立たない。経済的に良くなる、金儲けができる、ということを説明して初めて、技術というのは生きるようになります。「これをやるとアナタのトクになります」というのは、世界を動かすための説得力です。経済学部の人たちは、世の中を読み解くいい勉強をしているのだと、初めて知りました。

国を動かすようなプロジェクトには、経済の理解が必須なのですが。明治の人たちは、経済用語を知らなくても、みんなその事業によるコストが、どういった収益を生むのか、きちんと考えていたのでした。琵琶湖疎水なんて、利子を考慮しながら、B/C(便益費用)評価をきちんと行っているので、吃驚しました。

で、バカヤローと言われるのは気持ちが良いです。言ってくれる人たちはそれだけ真剣に本気に、良い世界を作ろうとしているし、こちらに作らせようとしてくれているわけですから。
で、発展と開発の現場で、日本の明治の彼らの思考と行いが、日本人としての自分の柱になっていることを自覚する。いい先達を持ったのだなぁと、ひしひしと感じています。

自分はなんら特別なものはないですが、この仕事をしていると、偶々、彼らの「面白さ」に、重なりやすい、彼らの思考と行動をラップさせやすい立場で、彼らの行いを、我が物として感じやすい。それはやっぱり、幸せなことだなぁと感じています。

と、まとまりなく、とりとめもなく。有害なまでの文字列となってしまいましたが。
幕末明治の世に、我々日本人の根にする土壌を重ねてきてくださって、ありがとうございますと、ただ、お礼を言いたかった、いまさらながらのファンレターでした。
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2005年02月18日

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。今年も何卒、よろしくお願い申し上げます。

…とうとう理性だけでなく時間のネジまではじけ飛んだか、という感じですが。
正月でした。ここでは。ブータン暦は太陽太陰暦で、どこに閏がくるのか全く予想できない上に、不意に日付が跳んだり、重なったりする、心臓に悪いものです。11日の次が11日だったり、13日だったりする。西暦にあわせたカレンダー上の祭日も、その前の週までいつが祝日かわからなかったりするので、仕事に支障がでまくりです。
まぁでもそのおかげで、日本で味わえなかった分、正月気分で、飲み食いできました。出張中はブータンの休日だろうが日本の祭日だろうが、構わず働いているのですが、夜中まで延々、ということはなく、お招きを受けるのも多いので、人間らしい生活パターンです。
暮らしていると何かとネタがたまっていきます。圭介でなくて申し訳ない。また性懲りもなくブータンレポート。

● 気圧
気圧が低い。低い温度で水が沸騰してしまう。つまり、料理が煮えない(油は沸点が高いからOK)。米に常に芯が残る。炊飯器はあるが、まともな米を食いたいと思ったら炊飯器が使えない。圧力鍋は必須。
人にもモノにも影響がある。下界から運んできたポテトチップスや袋の密封物がパンパンになって嵩張る。時に破裂して使いものにならない。敏感な人は来る度に軽い高山病にかかっていて、眠さや頭痛を訴えている。

● 気温
寒い。山には雪がかぶっている。緯度が低いので、昼間太陽が出ると暑いぐらいだが、朝晩が非常に冷え込む。で、10日ほどで、急激に寒気が去っていった。と思うと、いきなり放射冷却で20度以上も冷える。暦だけではなく季節の移り変わりも、単位が何か違う。

● 電気
まともな電化製品がない。常にヒューズやアダプタを探し回る。皆が取り合うので、ストックしておくと必ずなくなる。だれでも日曜電気技師になれる。くる度に、オフィスのセットアップに電気パーツのやりくりで1日が暮れる。
環境対策のため、暖房用の薪が手に入りにくくなったので、電気ヒーターを皆使う。ヒーターは激しく電力を食う。皆一斉に使うので、結果、電力が足りなくなり、電圧が下がる。そうすると、電圧変化に弱い蛍光灯が点かなくなる。手動スタート、即ち、放電の点灯管を直接ガチャガチャと手で動かす羽目になる。危険。あるいは暗い中我慢するか。白熱灯は、消費電力は大きいが電圧変化には強いのでそれなりに点せたりする。ここは240Vだが、計ってみると160Vまで下がっていたりする。日本の100Vの電化製品にトランスをかまして使うほうが、よほど安定して使えたりする。
風呂の湯も、電気ヒーターで暖める。タンクも容量も小さいので、バケツ一杯ぐらいしか湯が使えない。シャワーが必ず途中で水になる。風呂場も寒いので、湯で温まるより、濡れた分、冷めるほうが早い。風呂に入ると毎回凍える。石を焼いて水を温める石風呂というのが田舎の家にはあるが、それは激しく薪を消費するので、だんだん行われなくなっている。
ここの電気は皆水力発電なので、環境にやさしいというが、全てのエネルギー源を電気で賄うには、暖房にしろ煮炊きにしろ、あまりに受け入れ側の設備が届いていない。昨日もヒューズが飛んだが、問題はヒューズすらついていないアダプタが氾濫している。いつか大火事がおきる気がする。人間の快適さは、基本的に、おびただしい環境犠牲の上に成り立っている。

● 肉
No Meat Month というのがある。肉無月とでもいうべきか。正月からの1ヶ月が該当する。この月は、肉を買ってはいけない。よく分からないが、食うのはOK。つまり殺生をしてはならない、ということか。
干し肉を食べるのはOK。インドから輸入してきた肉もOK、という、よく分からない戒律。
この時期は干し肉が主。ヤクの肉などだが、硬い。最初は歯が折れるかと思うぐらい。これをチューインガムのように、くちゃくちゃとひたすら噛む。時々、普通の肉があるが、真っ黒になるまで揚げてあるか、免疫抵抗力を試されているのかと思うほどに臭い。
肉無月は年に3ヶ月もある。古くからある習慣かと思ったら、施行されたのはたった3年前から。肉屋も商売上がったりだ、と思うが、実は皆、必要以上に買いだめするので、肉屋の売り上げとしては変わらず、むしろ儲かるらしい。それで年に3ヶ月も休みが得られるのだから、肉屋としては有難いことこの上ない。

● タバコ
つい最近、国内で一切のタバコの販売を禁止して、話題になった。
実際、役人はみんな吸っている。公共の場所では駄目だが、食堂などでは皆おおっぴら。役人は、外国人コンサルタントとの付き合いが多く、外国人がタバコを持ち込んでくるので、不自由はしていない。タバコ禁止を決めた側が実は一番吸っていたりする。関税は200% (つまり価格が3倍)になるのだが…。

● 酒
ビール。レッドパンダという、保護動物の名を借りた地ビールがある。これが、思いっきり濁っていて、底に沈殿している。ビンの最後まで飲もうとすると、沈殿で口の中がもわもわする。
酵母が生きている。どころではない。瓶の中でガンガン発酵進行中。瓶ごとに味が違う。時々、発酵しすぎて、栓を抜いた瞬間に瓶の中が全て泡になって飛び散る危険物。栓を抜く前に、皆総出でジョッキを構える羽目になる。かと思うと、全く発酵してないんじゃないのか、という薄くて泡の出ない瓶、逆に発酵しきって酢になっていて飲めたものではない瓶まである。生産年月日に、2004/12/41 とか、ありえないのが平気である。一応、工場出荷品。いったいどういう品質管理なんだろうかと思う。慣れるとこれが味だと思うようになり、栓をあけるのが楽しみになる。

あと、アラ、という、米と穀物から作った焼酎がある。これは熱くして、バターと卵を入れて飲む。すさまじく強い玉子酒みたいなもの。風邪を引いていたら、治る以前にまず、べろべろに酔っ払って、風邪も何も分からなくなる。家庭で作られるもので、売られているのは見たことがない。家庭によって味も色も濃度も濁り具合も違う。ブータンに来るととたんに更新率が落ちるのはこの酒のせい。

● GHP
ブータンは国王自ら、Gross National Happiness(国民総幸福量)という、GNP(国民総生産)に変わる指標を打ち出した。国王は開明で、自己矛盾ながらも民主化を推進。
国王は良いとして、国王の周囲が問題。一夫多妻制が認められているが、多妻の場合姉妹でないとならないという制約がある。現国王は4人姉妹を妻として迎えている。この外戚の一族がたいそうな権力を持っている。ホテル、建設、観光地など主要な産業を握っている。だけならいいのだが、ある主要な川の砂取り場を独占し、重量単位で販売するのに、砂に水をかけて重量を増やして売っているというせこいことを。おかげで建設用の砂は、国内産のほうが高くなり、インドから買わなければならなくなっているとか。そんな調子で独占寡占、投資もやりたい放題。知り合いの役人は、あれは"Group" National Happiness つまり、一族のための国の幸福だ、なんてことを平気で言っている。

ブータン。最後の秘境、開発のモデル、なんてことが言われていて、基本的にはそのはずなんですが、いろんなところに突っ込み所満載です。
タグ:ブータン
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