2011年03月30日

非日常と日常


桜が開花しながら、お花見を自粛される方が多いようです。結婚式など祭事も取りやめされる方が多いと聞きます。日本国内全てが、謂わばお通夜のようになってしまっていた感じがします。
自分も、仕事以外は何を言うにも行うにも不謹慎な気がして、結局何も出来ずにいました。

震災についてのネット上のニュースや掲示板を読み漁り、津波の画像に呆然と見入り、胃が痛くなるまで原発を心配する。東電さんを責めるだけで何の代替案も提案しないマスコミに怒りを覚える。それで3月後半が終わってしまった気がします。

仕事でも震災の影響は当然ながら免れず、日本から調達を予定している機材の目処が立たなくて、頭を抱える毎日です。

ただ、NHKは通常の番組に戻り、ネットニュースも震災以外の話題が多く見られるようになってきました。皆様のブログにも、今を元気に過ごそうと、別のことに目を向けた話題も増えてきました。創作活動も復活しつつあるように思います。

こうした動きは、喜ばしく思います。

今これを言う必要がどこにあるのかと、お怒りを買うことなのですが。

UNAIDSによれば2009年のエイズ死者数は180万人。WHOによればマラリア死者は2006年で100万人。今こうしている間にも、毎日、1万人弱がエイズとマラリアだけで亡くなっていることになります。そして、予防や防止のための援助プログラムは盛んで、ドナーは数億円規模を提供していますが、罹患している方々に直接義捐金が行くわけではありません

日本国内でも、年間自殺者は3万人を超えています。個々の事情は様々でしょうが、その家族の方にもやはり寄付が行くわけでもありません。自殺と災害は違うという声もあると思いますが、自らの死を選択するほどの絶望に追いやられる方が年間3万人以上いた、その状況に救いの手が届かなかった現実があります。

数字だけ見れば、年間数万人以上の規模の死者は日常的に発生している。そしてそれは普段はニュースにもならなければ、大多数の人間が日々特別に思いやることも悲しむこともない。それが残酷な事実です。

日常化しているからニュースにもならない。

しかし災害は、非日常である。突発的で衝撃的で毎日マスメディアに取り上げられている。物的被害も大きい。だから人々は関心を寄せる。人は、ある意味、非日常に餓えているのかもしれません。

被災者の方に申し訳無い気持ち、痛ましいと思う気持ち、何かしたいと思う気持ちは、当然大きいです。ただ、いつまでも、東日本大震災を特別扱いしていいのだろうか。震災情報にばかり見入り、不謹慎を恐れて自粛ばかりして何もしないのが道徳的に良いという訳でもないだろうと、一方で思います。もちろん、被災地のことを思うと楽しむ気にはなれない。その気持ちは誰もあることだと思います。一方で、お祭りも旅行も娯楽も自粛されてしまうと、資金が動かず、税金も集まらず、国が不景気になり、復興資金の拠出が難しくなるという一面もあります。矢鱈めったらな自粛はむしろ、復興を阻害します。

楽しむ事を申し訳ないと思ってしまうなら、娯楽に費やした費用の10/1なりを寄付すればよいかと思います。遊びにおいて費用の1/10は誤差範囲でしょう。

健やかに仕事に精を出し、時に娯楽に興じる当たり前のこと。そして、日常を普通に過ごすこと。一人一人が稼いで消費することで、国内のお金を回すことが、何よりの復興への寄与です。

ネパールの方々からも、これまで仕事をしてきた各国からも、日本へのお見舞いの言葉を多数いただきました。ネパール政府は15人の災害救助隊と5000枚の毛布を日本に送ってくださいました。募金も集められています。
これまで日本はたくさん援助してくれていたのだから。ネパールの方は、そうしたことを仰います。

カトマンズの、1日14時間停電、5日に1回の給水、劣悪な空気にバラック小屋住みのこの人々の日常も正直被災地並みで、しかも何年経っても悪化するだけで回復の目処がない。それが日常化しているから慣れきっている。そうした人々からも支援の声があるというのは、なんとも言葉無く痛み入ることです。

ネパールにいて感じ入ることは、非日常を日常とする人々の、生きる力の強さです。
停電にも断水にも、バッテリーやインバータ、水タンクを普通に各家庭に常備して対応している。家庭の主婦も、ちょっとした電気知識を持っていますし、DIT (Do it yourself) の精神です。不便は人を鍛えます。劣悪なインフラの中でも少しでも住み良くするため、自ら工夫して、収入レベルを考えても少なくない費用を費やしています。


最近は落ち込んでいたとはいえ、毎年数千億円〜1兆円規模のODA予算を日本はつぎ込んできました。この先何年かは他国への支援どころではなく、国内資金はまず復興に回されるでしょう。

公共事業削減で倒産の嵐だったゼネコンや地方の建築会社は、インフラ復興の大きな需要により、盛り返していくことでしょう。産業復興のために地方では大きな雇用機会が生まれるでしょう。

各工場では、計画停電では生産が効率良く進まず頭の痛いところで、工夫のしどころかと存じます。一方、そこに停電に対応するための自家発電機、バッテリーとインバータ、家庭用自立運転型太陽光、高効率LED照明や家電機器などの分野では、大きな需要が生まれます。

震災により、ご家族や大切な方を喪われた方、財産や生計手段などを奪われた方々は、本当に痛ましく思います。
ただ、震災の被害を受けなかった地域の方は、被害そのものを、冷えて停滞した経済を根っこからひっくり返す原動力とする、転んでもただでは起きない日本人としての真価を発揮する時ではないかと思います。

戊辰戦争後。西南戦争後。関東大震災後。第二次世界大戦後。破壊と混乱の後、創意工夫と技術力で進化していくことを、日本人は繰り返してきました。
幕末から明治初期、明治初期から中期、大正から昭和、戦前から戦後。いずれも、各事件の前より後で、非日常を日常に変えながら、日本は国として大きく成長しています。

震災を糧として、と言ってしまうとやはりお叱りを受けてしまうことですが。
震災前よりも、元気と活力のある日本がもたらされればいいなと、心から思います。

そのためには、一人一人が、逆境と不便を成長の糧にして、非日常に適応してそれを日常としながら、生産すなわち仕事と趣味に精を出していくことが一番だと思います。日常生活で生まれる余力こそが、一番の復興の力であり、非日常に対処する力となります。エイズもマラリアも、慢性化した諸問題の解決策は、世界の人々の生産と消費の日常生活からの無意識な税金によって、実施されています。健やかな日常こそが、何よりも大切な現状打開の力です。

あと、一言。
がんばれ東京電力!


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2011年03月14日

東日本大震災


地震と津波のニュースを聞いて頭の中が真っ白になりました。
現地の新聞(カトマンズポスト)でも、一面に、津波の様子が報じられています。

スマトラや中越のときもそうでしたが。自分の無力さを噛み締めます。
開発案件では、数人の生活を守るために、エキスパート達が多大な労力と費用を用いて対策するのに。自然は1万人という規模を成す術もなく飲み込んでしまう。
慣れ親しんだはずの景色が、瓦礫の山と化した。仙台は、自分の第二の故郷です。阪神大震災の時の喪失感に、再び打ちのめされるとは。

自分が国外に居たのは偶々にすぎない。荒浜では何日も泊り込んで天体観測をしていました。名取は亘理は、R4・R6号を毎日のように走っていました。その時に地震が来ていたら、自分も間違いなく波に飲み込まれていました。町を壊滅させていく津波の映像に、本当に起こっていることとは信じられませんでした。

津波に襲われるその瞬間まで、防災無線放送で住民に避難を呼びかけた南三陸町役場の女性職員。
福島第一原発一号機放射能汚染を防ぐために排圧の弁を開けに身を投じた作業員の方々。

それらの方々の文字通りの命懸けの奮闘を思うと、嗚咽が込上げます。

濁流の中で生存者捜索される自衛隊の方。容量超過、電力・水の無い中でも必死に治療行為を続けられている医療機関の方。交通整理と治安維持に当たられる警察官の方。
東北各地では、今も決死の思いで、被害者の救出に尽力している方。極寒の中で孤立しながら救助をただひたすらに待っている方々。不便極まりない中で避難所暮らしを行っている数十万の方々。

それらの方々のご苦労を想像するだに、何もできない非力さが悔しくなります。

被災地はもとより、関東でも計画停電が実施されるとの由。
昼間は道路マヒ、給水は5日に1回、1日14時間の停電の当地に居ると、如何に日本が恵まれたインフラを持っているのか。一度日本も大規模に断水や停電してみれば、水道や電気などインフラのありがたさが分かるだろう、無意識の公共便益の享受が如何に贅沢なことであるのか感じてみたらいいのに。
そんな愚かしいことを思ってしまったこともありました。

それはそもそも自分が、日本のインフラを思う存分に享受してきて、かつ絶大な信頼をよせていたからこそでした。

実際にそのような事態になってしまった。まさか信じられないほど多くの人命と共に、そのインフラが破壊されることになるとは。
規模も、犠牲も、あまりに大きすぎることに、愕然とする他ありません。

「想定外」という言葉が頻繁にニュースから聞こえます。人間は所詮想定の範囲でしか動けないし、ものを作れない。想定の範囲を広げて安全を確保するほど、コストが大きくなる。その想定を、他国ではありえないほど、日本経済の許す限り大きく取った原発こそが、海水冷却にまで追い込まれ炉を廃する事態にまでなった。これで大丈夫と思いエネルギーを浪費する人の驕りに対する天の鉄槌とでもいうものかもしれない。というか、そのように超越した何かを思わないと、もうやりきれないです。

その想定外の事態と、最悪の事態だけは起こさせないと命を張っておられる作業員の方々。過負荷による大停電だけは起こさせないと、国民の怨嗟の声を覚悟しながら計画停電の計算に徹夜しておられる方々がいる。

インドのニュース、BBCや米国の各紙面で、日本人の規律正しさ、混乱しない冷静さ、災害への備えを賞賛しています。当事者の方々には何も慰めにはならないかもしれませんが。流言に惑わされず、他者を思いやる冷静さが被害を減じ、復興の壁を低くすることは疑いありません。

ボランティアをしたいとか、物資を送りたいという声も高いようです。ただ、緊急時はしかるべき訓練を受けたエキスパートにまかせていただいたほうが良いかと思います。一人一人に出来ることは、募金ぐらいです。現金は何をするにも必要で、輸送にコストも手間もかかりません。一方物資は、しかるべき物流に乗せることが必要で、人手とコストと手段が必要、個人が被災地に届けるのは難しいです。あとできることは冷静に、効果はすぐ自分の目の前に見えなくても、社会全体に寄与することかと思います。

特に関東など50Hz地域においての節電は、大きく寄与するかと思います。都内でも、各家庭が、ピーク時間(朝、夕方)のエアコンや暖房、ドライヤー、オーブン、ポットなど電力消費量の大きいものを控えるだけで、社会的な電力供給体制の安定に大きく役立ちます。まず、身近な電気製品の必要電力(kW)を確認し、大きい電力のものから1つ2つ使わないでいるのも、ひとつかと思います。
何より、東京電力さんを責めるのではなく、流言にも決して耳を傾けず、精一杯の対処をしてくださっていることに感謝することではないかと思います。

あと、計画停電の間、蝋燭など火は使わないほうがよいと思います。各地の消防は災害派遣や交通混乱で、通常より対処レベルが低下しているかと思います。 ここで火災が起きたら、二次災害が大きくなる恐れがあります。火の元は注意して十分すぎるということはありません。

言っても仕方ないことかもしれませんが。手元に、太陽光パネル付卓上LEDライトがあります。手回しラジオと共に、これが避難所などに配布されると良いと思います。100Lm/Wを超える高輝度で明るい。夜間の明かりがあるだけで心身の負荷が和らぎます。援助物資としてだけでなく計画停電用にも、メーカーや商社の調達で大量放出してくださらないだろうか。

P1000433.JPG

なお、関西など60Hz地域では、周波数変換を行う変電所の容量が約100万kWと上限があるので、節電効果には限りがあります。何とか助けたいという気持ちを決して軽視するわけではありませんが、冷静に見れば、目の前の自分の仕事に集中していただくのが一番かと思います。仕事がなされ、経済活動が行われれば、税も納められ、後の補填という形ででも、被災地にリソースを回せることになります。


今はただ、一人でも多くの人命が助かりますこと、一人でも多くの方が安寧に過ごせますことを、祈るより他はありません。

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2010年11月11日

ひのもとおにこ



尖閣での中国漁船衝突ビデオ流出で大騒ぎになっています。
普段あまりメディアに触れていないためか、何ゆえYoutubeでビデオが流出したことに皆大騒ぎしているのか、いまいち理解できずにいました。

そもそもビデオは、情報管理とか厳重管理とすべき対象だったのか。なぜ映像が公開されてはならないものだったのか。犯罪を記録した証拠の映像なのだから、領海を侵した犯人を裁く裁判になれば一般に公開されるべきものだろう。そして映像は、領海で何が起きたか、国民全てが知っておくべき情報ではなかったのだろうか。

と、自分の頭は疑問符だらけでした。ネットでは同じく、ビデオを何ゆえに隠匿していたのかと疑問の声はやはり大きかったでした。

その声に対して、現政権はまだ説明責任を果たしていない。

掲示板やブログのほとんどは、中国寄りの現政権が国民の反中国感情を煽ることなく、中国との外交を無難に治めたかった、弱腰外交の極み、という見方のようです。首相や官房長官は、中国に都合の悪い証拠を隠滅して、中国の機嫌を取るために、管理すべき情報にしたという意見です。

一方、法治国家たるもの、国家機密に指定された情報を漏らしたり、守秘義務に違反することは、断罪されるべきです。
しかし本件は、そもそも機密に属する情報なのか?というのが問題かと思います。

たとえば、国の開発計画策定業務では、守秘義務は重いです。調査の結果、例えば今後20年の電源・水資源・天然資源開発計画などには守秘義務が課されます。しかし、一般に公にすべき、公開したほうが民間投資家が現れて開発が進み国益にかなうと判断されれば、公開します。開発計画に資金を供与した世界銀行、アジア開発銀行、JICAなどの開発機関は、これら多くの調査案件の最終報告書のPDFファイルをインターネットで公開しています。

国家開発と軍事を同じにして考えるのはおかしいかもしれませんが。尖閣のビデオの公開は、日本人なら誰もが知って国防・領海意識を高める上で必要であり、国益にかなうとみなされるべき情報だったと考えるのが、妥当ではないかと思います。

特に日々、中国をはじめとした領海を侵す外国勢と戦っている海上保安官の方は、上のような売国ともみなされかねない弱腰政府の姿勢に憤懣やるかたない思いを抱いておられたとしてもまったくおかしくありません。映像を流出させた方を応援する声、拍手する声、無罪を願う声は大きいです。

ブログぼやきくっくり様が纏めて下さっている海上保安庁の政策アドバイザー青山繁晴氏の言葉が、事態をクリアに説明しておられました。まとめると以下の通り。

・なぜこれが国民の目に触れてはいけない情報なのか。ネット上の憶測に対応するためにも、政府の責任で、民主主義政府の責任として全面公開すべき。これが次の大きな関門。

・中国船船長を9月8日の未明に逮捕。那覇地検と上級官庁の福岡高検が正式に起訴した。しかし、「日中関係や国民生活に配慮して」釈放してしまった。

・ビデオは、日本の領海を守る海上保安官すべてが見るべき、知っておくべき映像として、編集されたもの。それだけじゃなくて、国民が見なきゃいけない映像だ。

・ビデオ流出は、国家公務員法100条(守秘義務)違反に該当せず、無罪になる可能性がある。 1.一般人が知らない事実、2.秘密として保護するべき、この2つの条件を満たす場合が、守秘義務の対象である。守秘対象について裁判になった際は、守秘の中身を調査し、本当に国のために秘密にする必要があると証明される必要がある。秘密にしている方が国益を損ねると思ったら、無罪になる。

・中国様が怒ってるとなったら、急に「機密」にして国民から隠してしまう、そんなことを平気でやる国が果たして「健全な国家」と言えるのか。

一方、この状況で、首相は「情報管理がずさんだった」とか的を外しまくった国会答弁をしています。公開したほうが良い情報の情報管理責任などどうでも良い。管理責任を押し付けあっている議員は、的外れです。日本人の現政権と中国への不信感は高まる一方かと思います。

流出経路やら犯人捜査に大騒ぎする余力があるのなら、さっさと国防、領海と国境安定に力を注いで欲しいです。

しかしながら、反中国に日本人の世論が突き進むのも、好ましいことではありません。

そもそも中国が盗人猛々しい態度で日本を四六時中挑発してくるから、このようなことになってしまうのですが。

その中国側に、かつてだれも思いつきもしなかった反撃手段を、日本のある層が呈しております。

萌リーベングイヅ。

中国人が日本人を罵る言葉に、「小日本鬼子(シャオリーベンクグイヅ)」があります。これは、イエローモンキーよりもよほどに侮蔑的な言葉です。中国語で「鬼」は、バケモノ、幽霊なの他、嫌なもの、ネガティブな存在全般に用いられます。バケモノ呼ばわりよりはまだサルのほうがマシな気がします。

中国の残留孤児の方などがこの言葉で凄まじく残酷ないじめに遭っていたことが、山崎豊子氏の「大地の子」などで描写されています。

しかし、この蔑称を、日本のオタクたちは、萌キャラ化した。

「中国人を鬼子ちゃんで萌え萌えにする」ことが目標。

ひのもとおにこちゃん。

濡羽色の黒髪に和服、愛嬌のあるツノ。キュートな顔に、手にした般若の面が、ギャップ萌を煽る。
各々の創作性によって色々パターンはあるようですが。いずれも日本人の心に訴え、外国人にはエキゾチックに可愛らしい感を抱かせる、すばらしい作品の数々が、オタクたちの手により生み出されています。

相手の戦意をくじくのに、自分側の蔑称を萌キャラ化する。
ある意味、別ベクトルの自虐といいますか。

そのような反撃方法を、かつて古今の歴史で思いついた者があっただろうか。

ブログ「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む様が、中国語検索サイト百度掲示板における中国側の反応が翻訳してくださっています。


「何かこういうの見てると、こっちの罵倒が通じているのかとても不安になる。小日本とか言っても、あいつら日本は小さいって普通に認めてるしよ…」

「なんかもうどうしようもねぇな。
こういうやり方で来られると返すのが難しい。」

「こっちは罵声を送っていたはずなのに返ってきたのは萌えキャラ……
なんかもう、無力感に苛まされる……」

「こんな手を打ってくるとは。
あの国はまずオタクから何とかした方がいいんじゃないか?」

「やべぇ……日本はやっぱりやべぇ国だよ。
ちょっと負けを認めるべきなのかもしれない。
あ、基本は黒髪ロングでお願いします。」

「正直こういった蔑称をスルーして萌えキャラ化できるってのは強いと思うわ。」

「やつら絶対萌えで世界征服する気だろ。」


…どうやら、攻撃は効いているようです。

すでに、百度Baiuで「日本鬼子」で検索すると、「“日本鬼子”被日本人萌化为可爱形象」「万物皆可萌日本鬼子萌化中」 と出てきます。Youtubeでもこれを紹介した中国語ニュースのビデオがアップされています。

中国の方もノリがいいですなぁ。まあ投稿されている中国ネットユーザー「網民」の方々は日本サブカル文化に興味がある方々ばかりでしょうから、さもありなんという感じではありますが。

確かに、いくら憎しみを込めて罵倒しても、それを「もっと言って!」と喜ばれたり、あまつさえ自文化に取り込まれてしまったりすると、脱力して憎しみも崩れる。もう相手にするのはやめようと思うかもしれない。「柔よく剛を制す」の一形態とでも言うべきでしょうか。

この攻勢が広まれば、ガンジーをも凌ぐ、古今世界史に残る一大偉業になるでしょう。
平成日本人は、恐るべきポテンシャルを秘めたエリート平和民族だと思います。
うまくいかなければただの阿呆扱いですが。
複雑な心境ながら、この動きを応援したいという心情は表明したいと思います。

Wikiのまとめサイトまで作ってくださっています。
見てると、自分も投稿してみたくなってきました。

いずれにしても、尖閣が日本の領有であることは明らかです。戦後の中国の教科書の地図や、19世紀に尖閣で座礁した中国人漁師を救った日本人への中国からの感謝状など、幾多もの歴史史料から証明可能な事実です。

いちいちまともに相手せず、斜め上を行く反応で、相手をおちょくりいなし、「ダメだこいつら」と脱力させる。それは、憎しみに反感を以って直接返すよりよほど、スマートで高次で文化的なやりかたでしょう。

私は中国を敵にすべきなどとは全く思いません。尖閣の件で日本人が中国人への不信感を募らせる現状は、改善されるべきと思います。

統計局の2008年データでは、
輸出: 中国12.9兆円、アメリカ14.2兆円
輸入:14.8兆円、アメリカ8兆円
日本の貿易相手として、中国は輸入第一位、輸出はアメリカに次ぐ第二位です。この先、中国と関係断絶などありえるはずがありません。

世界の工場として電化製品や衣料品が中国で生産され、しかも製品がコモディティ化してしまった。不買運動ももはや現実的ではありません。仕返しに日本製品が中国で売れなくなれば、超巨大マーケットを失って困るのは日本です。

中国とはうまく、見下されることなく、調子に乗られることなく、今後も付き合っていかねばならない。そして、あいつは怒らせたら怖いと、恐れられながら付き合うのが一番です。そのためには、中国が恐れるものを何か我々一人一人が持っている必要があると思います。

その意味で、百度掲示板の反応を見ても、中国人が日本のサブカルとオタク層を、ある意味羨みながら、楽しみながら、ある意味で恐れているのは明らかです。

ここに、政治にはできない草の根日中関係改善外交が展開されているといえます。

となれば政治にも、中国相手に例の外交原理、「あの国は敵にしてはいけないと相手に思わせ、恐れさせる」をやはり貫いてほしいものです。

小日本鬼子萌化は、少なくともこの原理に沿ったムーブメントだと思います。

「萌えは世界を救う…のか?
踊る阿呆に見る阿呆…それで平和ならまぁ、いいかもね」

上掲示板翻訳より。行き着くところは、まあそこでしょう。

日本国民の若者達が、日中関係改善のために、無償で献身的に知恵と職人的技術を振り絞って頑張っておられるのですから。政府もしっかりと真の国益を見据えて行動を起こして欲しいものです。

posted by 入潮 at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月02日

靖国と桜と酔っ払い

本日4月2日、東京管区気象台により、桜の満開が観測されました。

この気象庁の開花宣言の基準木は、靖国神社の境内にある、三本のソメイヨシノです。

だからというわけではありませんが、昨日、会社の有志の方々と靖国神社で花見してきました。

召集言葉「靖国で会いましょう」
いくつかの戦争記録を読んだ後、これを聞いて不覚にも鼻の奥がづーんとするようになってしまったのであります。
一体何万人の方が、この言葉を念じて逝かれたことかと。


そして、さくらまつり真っ盛りの靖国神社は、盛況でした。

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桜と屋台。にぎやかです。

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月とマスジと酔っ払い。
もとい。大村益次郎像。本邦初の、西洋式銅像です。製造は東京砲兵工廠、製作者は大熊氏廣。工部美術学校彫刻科生徒。安政三年生まれ。ラグーザの薫陶を受け、明治15年に首席で卒業。その後工部省に入省。皇居造営の彫刻製作に従事。明治18年に大村益次郎の銅像製作を委嘱された際、内務省土木局を退官して、彫刻研究のために、フランス・イタリアに留学しています。日本近代彫刻の先駆者で、代表的な彫刻家。工部美術学校も、きっちりと、有為な人材を輩出しました。


靖国神社には、戦歿者246万6千余柱が祀られています。圧倒的に第2次世界大戦死者が多いです(2,133,915柱)。一方、明治維新7,751柱、西南戦争6,971柱 日清戦争13619柱、台湾征討1130柱、北清事変1256柱、日露戦争88429柱も含まれています。

靖国神社の前身は、東京招魂社でした。招魂社は戦没者を弔うもので、全国各地にあります。東京招魂社は、もともと戊辰戦争で、官軍が自軍の死者を弔うために建てられたもの。これが、明治12年に「靖国神社」と改称されたのでした。戊辰戦争期のものは、函館にもあります。

靖国神社のサイトによると、「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められているそうです。国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた方々の御霊が祀られている。

招魂社は、元々は、官軍のための神社なので、賊軍とされた側は祀られていません。これはもっともなことです。

橋本左内・吉田松陰・坂本龍馬・高杉晋作は祀られているのに、新選組や会津藩士など靖国神社には祀られていないとして、靖国神社を忌避されている方を、時折お見かけします。

靖国神社の背景と目的に照らすと、それは、少し的が外れた好き嫌いなのではないかなぁという気がします。

もちろん好き嫌いは人それぞれですし、日本人たるもの靖国神社に参拝しろと、旗を振るわけでも決してないです。

私ももちろん、心情的にはかなりの旧幕寄りです。

ただ、いくら人気があろうが、美しく描かれていようが、内乱を起こした側は、悪いものは悪い。こちらでもつらつらやってしまいましたが、この善悪は、変えようがないと思います。

いろんな国の歴史を表面だけでも見ていて夙に感じることは、国が統一されていないと、国は発展しないということです。インドシナ諸国にしろアフリカ諸国にしろ、国の内乱が続いたり、多民族でせめぎあっていたり、群雄割拠性が高くて中央の命令が届かない状態だったりすると、まず間違いなく、他国から付けこまれて植民地化されている。そして列強により搾取される構造となり、国の農業も工業も開発が阻害され、今日まで尾を引く貧困の原因となった。

国が一つにまとまっていて、初めて、国ぐるみでの良い方向を歩むことができる。

明治政府は、戊辰戦争・西南戦争などの士族反乱を短期間で終結させ、さっさと中央集権を固めて必要な近代化改革を行ってくれた。だからこそ、我々は、今、発展途上国ではなく先進国レベルの、電気・通信・道路・鉄道・水道等、十分なインフラの中で生きていける。それは、先人に、いくら感謝してもし足りないことです。
そして、その国を守るために亡くなった方々を、悼み、敬意を捧げることは、世界の誰もに共通する在り方です。

中央政府政権に刃向うことは、エンターテイメントでは格好良いドラマになりやすく、社会に不満のある方々の共感を得やすいことですが。

まずは、自分が、世界の位置の中でどれだけ恵まれた社会にいるのかということ、それを誰が作ってくれたのか、ということ、その基本は、軸として押さえておきたいなと思うのです。

その観点からは、いくら義の心に満ち満ちていようと、合理的に政権が移譲されて元の君主が新政府に政権を明け渡している以上、反抗して戦火を起こして住民に迷惑を掛けて巨大な消費を行うのは、正当化され得ません。

だから私は、大鳥さんも榎本さんも、悪かったと思いますし、戊辰戦争における旧幕側の方々は「国を安んじた」として顕彰される資格は無いということは、道理だと思います。

また、西郷隆盛や江藤新平、前原一誠らは、維新の功臣でありながら、靖国に合祀されてはいません。それぞれ、新政府に対する反乱軍として、西南戦争、佐賀の乱、荻の乱において、国の統一と国づくりの障害となり、貴重な人的・物的・経済的資源を浪費しました。

一方、西南戦争においても、官軍側はもちろん祀られています。旧幕臣も元旗本も会津や桑名など佐幕藩の方々も、西南戦争や日清・日露戦争で、官軍・日本軍の側で参戦し戦死した方ならば、祀られているはずです。(ということは、瀧川充太郎も、あの中にいらっしゃるのか)

ちなみに、大鳥さんは、死に損なった3回のこととして、(1)五稜郭の折、敗戦して首を刎ねられんとせし時、(2)日清談判破裂当時二六時中砲弾絶えず頭上に唸りし時、(3)小田原海嘯の折、命からがら逃げし事、と挙げています。仮にもし大鳥さんが(2)の日清談判で亡くなっていたら、大鳥さんも靖国の一柱になっていたことでしょう。

「国」という一つのまとまりで、我々の生きる場を作り守るために戦い、命を散らした方々だから、顕彰される。

その顕彰とは別に、死者を悼む気持ちは、明治政府にももちろんありました。

靖国の境内の隅、元宮の隣に、「鎮霊社」という祠があります。お祀りの対象は、殿に祀られていない日本人戦没者です。、戊辰戦争の旧幕軍や西南戦争の西郷隆盛に率いられた方々も対象です。2006年から一般人の参拝が可能となっています。

本殿との違いは、単に、国を守った存在として顕彰されているかどうか。自分の好きな人物がそこの顕彰されているかどうか、その点にこだわりがあるのは、よく分かるところです。

ただ、私は顕彰されているかどうかはあまり重要ではないと思います。単に、死んだときに偶々官軍・日本軍とされるところにいたかどうかという話です。同じ人でも、死ぬ戦が違っただけで、顕彰されたりそうでなかったり、ということは、瀧川や大鳥の例で示されます。そして、大鳥が清で亡くなっていたら靖国に顕彰されただろうから、日清で死んだらよかった、などとは全く思いません。

国のためではなくとも、彼らは彼らの共同体のために、家族のために、戦った。その想いに貴賤はありません。

本宮におわすか、鎮霊社におわすかは、その違いはごくごく些細なことです。

大切なのは、靖国の、日本人の、斉しくすべての霊をお慰めしたい、お祀りしたい、という、死者に対する親愛の情と敬意の念を汲み取ることではないかと思います。

なお、明治政府は、明治7年に、賊軍の戦没者遺族が賊軍だからとその祭祀を憚っていることから、堂々と祭祀を執り行い、これを地方官が篤く行うよう、わざわざ、お達しを出しています。

「戊辰己巳ノ際一時 朝旨ヲ誤リ 王師ニ抵抗セシ者降服謝罪ノ道相立夫々寛典ノ御処分被 仰出候処各地ニ於テ戦没ノ者ハ別段御沙汰モ無之ニ付其親族共祭祀等憚リ居候者有之趣二相聞愍然ノ事ニ候前条寛大ノ寛大ノ御趣意ニ候得ハ死者親族朋友ヨリ祭祀当執行候義ハ御搆無之候条地方官ニ於テ御趣意篤ト可致」(太政官日誌明治7年第114号)

仇敵の遺体に鞭打ち、唾を吐き、骨を灰にし、肉を食らい、身内にも類を及ばせ、史書において徹底的に蔑んで一族の名誉を剥奪するお隣の国に比べれば、相当な心の寛さだと思います。

日本人は、元々、敵とも通じる和の精神を持っています。そして、死者はみんな神様仏様です。賊も悪人も、死によって聖別されます。死者への尊厳を大切にしています。靖国神社はそうした穏やかなる日本人の心の拠り所です。

そういうわけで、靖国神社に対して、なんとなくでネガティブになったり、否定することが格好良いというようになってしまうことは、日本人としては、勿体ないことだなぁと感じるのです。

「国安かれ」

先人たち、顕彰された246万柱の想いは尊いです。そして鎮霊社の方々も、家族や共同体が少しでも良い世で生きていけるようにと戦った。戦って亡くなる。戦えるという想いがある。それは大変なことです。自分のためだけには、なかなか、命かけてなど戦えません。子のため、父母のため、愛しい人のためだから戦える。国や主君はそうした人たちを守る象徴だから、そのために戦う。

そうした故人の想いがあって、はじめて、今の我々があります。
そして、我々が、安らかに、平和に、安寧にあり、我々のあるこの国を大切に思うことが、日本を作り守り祀られた彼らの願いなのだと思います。

右とか、左とか、新政府派とか佐幕派とか、そういうのは置いておいて、ただ、靖国もいいものですよー、ということを、普通に言いたかったのでした。

kikumon.jpg

境内の門。

とかいいながら、その死者の想いを他所に、桜の下で、ビール焼酎両手に浮かれ騒ぎ、親父たちとクダを巻いているのが、今の私めです。

…と、ここまででオチをつけて終わろうと思ったのですが。
落ち着いているわけにもいかない情勢になってきました。

隣の国が、今にも人工衛星の名目で長距離弾道ミサイルをわが国の上空に今にも発射しようとしています。そして、迎撃するなら報復すると主張しています。

発射された場合、日本は国連安全保障理事会に持っていこうとしています。
その日本が20%も予算を出して運営されている国際連合ですが、国連は、第二次世界大戦の戦勝国が戦勝国に都合良いように、組織されたものです。
国連には、「敵国条項」と呼ばれる項目があります。

こちらの記述には、愕然とします。

国連憲章第107条〔敵国に関する行動〕「この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国(←日本とドイツのこと)に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。」

上のサイトは、「北朝鮮が第2次大戦中の賠償請求と称して、日本に核ミサイルで威嚇をしても、この107条がある限り、国連憲章違反にならない」と指摘しています。

ビール飲んでいる場合ではないと思いました。
花見に浮かれて平和酔いした我々は、御霊となった彼らの望んだ姿なのでしょうか。
…などと、真面目に思ってしまいました。

ミサイルについての北朝鮮のお題目は「宇宙の平和利用は、主権国家の合法的権利」とのことなので、賠償請求ではなく、上の敵国条項には関わらないだろうという楽観視も今回はできますが。
それでも、敵国条項なんてものが残っていること事体が、日本の安全保障の根本に関わる問題です。

これを廃止するためには、同108条によると「会の構成国の三分の二の多数で採択され、且つ、安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の三分の二によって各自の憲法上の手続きに従って批准」されることが必要とな。

桜だけではなく、現実を見ないとならんと思います。そう思うだけしかできないのが悔しいところです。

自分に出来ることといったら、ブログに書き付けることと、働いて税金納めて、それが正しく国を守るために使われることを、永田町と市ヶ谷に向けて祈ること、ぐらいです。
非力も極まりないですが、積もり積もったときの日本のパワーの一片になれれば良いと思います。
タグ:靖国神社
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2007年12月29日

当たり前の贅沢さ

仕事収めでした。
収めるどころか仕事は増える一方で、収拾つきません。今日は半日以上は飲みながら仕事していました。今日チェックした図面に基づいて建設が行われるというのは、恐ろしいことです。飲酒運転を禁じるのは当たり前ですが、飲酒勤務も禁じないといけないと思います。

今回出張は長目だったので、帰国日は、いろんなことに感動していました。

佐倉で真っ先に、コンビニで、おでんと麦茶を買って食べました。世の中、あんなにやわらかくあたたかい食べ物と、あんなに香ばしく味わい深い飲み物があったのかと、感動しました。200円で味わう至上の食の幸福。と言うとえらく大げさですが。

これまで、チーズと唐辛子と豚の脂身と赤米と硬いパンとその他野菜ぐらいで過ごしていました。それはそれで普通においしく食べていたのですが。日本のお茶とダシの風味のもたらす安らぎといったら、なにか別格のものがあります。コンビニ食でそんなことをほざくなという感じではありますが。そういうのが安く24時間街中至るところで手に入れられる日本の食産業と流通業はすばらしいと思います。

銭湯で湯がたっぷり使えるのも、嬉しい。今までは、冷え切った風呂場で、電気で沸かしたバケツ三杯ほどの湯を、いかにして効率的に使うか頭をひねりながら、洋上の海軍の兵隊さんなみの節約をして、寒さに震えながら埃っぽい頭と体を洗っていました。
それを思うと、銭湯で思う存分湯を使い、皮膚のただれそうに熱い黒湯の温泉に入り、湯上りは冬の夜の冷気の中、湯だった肩にタオルをかけて、湯冷ましに夜の町をぶらぶら歩いて、缶ビールを飲む。この世の幸せです。

そのほか、夜でも前が見えるとか、、斜面に土砂崩れ防護がしてあるとか、足元が舗装されていて滑らかで下を見なくても歩けるとか、オフィスで手がかじかまないとか、トイレの水が流れるとか、階段の高さが各段で同じだとか、銀行で長時間並ばなくてもお金がATMで自動で下ろせるとか自動販売機で飲み物が買えるとか、24時間開いている店があるとか、靴のサイズが色々あるとか、野犬がいないとか、マラリア蚊がいないとか、あくびをしても唇が破れないとか歩いても踵が割れないとか、風が吹いても砂埃が立たず目を開けていられるとか、1M以上のメールやファイルも数秒で送れるとか、人様のブログが一瞬で開けるとか。些細なことに喜べます。

しかしながら、そうした感動も、一日で慣れてしまって、なにも感じなくなってしまった。今まで人生の大部分を便利な環境で過ごしてきたから、当たり前なのですけれども。

この当たり前さが、不思議で、奇怪なものだと思う。

もはやインフラは空気です。電気も水道も給湯も電車も道路も防災も安全も衛生も、皆、空気のように思っています。

街灯があって夜でも明るく、道路も屋内も舗装されて躓くものがなく、砂埃も立たず、害虫がおらず、様々なデザインとサイズの製品が溢れて販売され、エアコンで室内を快適な温度にし、皆が高速のインターネットにアクセスできる。

その生活は、本来、すさまじいお金と労力が社会インフラにつぎ込まれていないと成り立たないのですが、そんなものは、あって当たり前になっている。

この快適で、安全で、便利で、生き易いことが、空気のようになってしまっている。

その一方で、談合や贈収賄や品質欠陥や構造計算書偽造といった、技術者、会社の欠陥ばかりが報道される。もはや土建屋、建設会社など社会悪の代名詞のように、お茶の間ワイドショーでは語られてしまっています。
そんな中では、建築家、技術者を目指す若者がどんどん減るないのではないかと心配になります。

マスコミも一般人も、みな技術の中身を知らない。電気がどのように作られて送られているのか、足元の舗装にどのように作られ金が注がれ成り立っているのか、PCがどういう構成で出来ているのか、だれも気にしないから、価値も置かれない。

そして、電車が来ないとか、道路が混んでいるとか、電気が止まると、あたかも運輸会社や電力会社が自分たちの生活を妨害する悪人であるかのように、非難する。

声を大にして言いたい。

あんた方は、世界有数の豊かで便利で安全な生活を満喫しているのだと。
そして、それは日夜エンジニアたちが業務に心身を捧げて初めて成り立つ社会なのだと。

贅沢を贅沢だと自覚しないのが、一番の贅沢だと思います。

製造や建設やエンジニアリングに対する価値の置かなさは、社会問題に繋がりつつあると思います。

社会圧力により、効率化やコスト削減の企業努力の多くが、エンジニアに押し付けられている。

今まで協調主義だったものが、競争原理に入れ替わった。
これまでは実績ベースの随意契約で受注できていたものが、競争入札に変わった。そのために提案書や入札書類の準備に相当な労力を割かねばならなくなった上、コスト競争で受注できても利益は薄くなる。
問題が起きれば誰がコストを負担するか、エンジニアが契約書を片手に喧々諤々に論議せねばならない。今まで分業できていたものが人員削減で一人がカバーせねばならない分野は激しく広くなった。なので、エンジニアにも交渉能力、契約知識が求められる。今まで自分の専門分野に精を出していればよかったけれども、そんな贅沢は許されなくなった。

そして、人材紹介会社がウェブや電車の広告でハバを聞かせては、自分の会社に対する不信感を煽っている。転職がカッコいい、自分は年収で報いられていない、今の会社には不満を持たないといけないのだという気にさせられる。

私は、終身雇用と年功序列が、日本の技術のキーだと思います。

技術は人です。人から人へ伝えられ、人が発展させ、それが競争力になります。特に技術者は、徒弟制度的な実務の中で、会社が蓄積してきた技術が上司から部下へ継承されます。期間が限定されている派遣や契約社員ベースでは、この技術の継承は難しくなる。

バブル期ぐらいまでは、受注は安定して利益も十分取れて、社員一人一人が目の前の業務に集中することができ、上司から部下への技術教育、技術継承がしっかり行われるだけの余裕がありました。人が会社に居て、会社のために精を出すから、会社の技術力が上がり、国際競争力が付くのです。

そして、会社が社員の生活を保障し、社員は会社を我が身我が主として献身する。その関係が、日本的な産業発展を成し遂げたと私は思っています。

まずは自分の会社を好きになることが、社会貢献の始まりだと思います。自分ごときが働かせてもらって、給料を払ってくれる、なんていい会社なんだ。そう思うことが必要なのではないかと思います。転職ニーズはいつの時代も一定量はあるでしょうけれども、人材紹介会社が会社への不満を煽り転職をけしかけている今の状態は、長い目で見て社会にプラスに働くようには思えません。

ブータンで知人と話していて、お前の給料は?と聞かれた際の話。日本人とブータン人の給料はあまりに違うので、素直に言うと「こいつ、この程度の知識しかなくこの程度の仕事しかしていないくせに、こんなに貰ってやがるのか」と思われるのが怖かったので、先に「自分の仕事は、私の今貰っている給料に値するとはとても思っていない」と答えました。すると彼は「そう思う人が会社にいるのはすばらしいことだ。普通は皆、自分は報われていないと思うから真剣に仕事しないし、すぐに転職する。一方、給料に値しようと皆が会社のために一生懸命働くから日本は成長したのだ」と言いました。せっかくだから、彼には誤解したままでいてもらったのですが。彼の言葉は、結構真実をついているのではないかと思います。

しかし今は、企業への社会圧力のために、上司はコスト削減のための部内管理に追い立てられる、部下は人員削減のために専門以外の雑務事務で走り回っている。そして設計なり測量なり、いろんな業務をアウトソーシングする。本来自らが技術業務を行うべき社員は、外注契約や事務管理作業にばかりに忙殺されている。専門業務を集中して行う時間が確保されないから、専門性に自信がもてないまま。結果、社員の技術力が付かず、会社に技術が残らない。会社自身の、業務遂行能力が減退している。技術が空洞化して、ブランド力も中身の技術力もあった会社が、スカスカになりつつある。

技術の空洞化は魂の空洞化に繋がると、建設会社の方が仰っていました。

まさしくそうだと思います。
技術者に技術力がない、専門性がない、製品に自信がもてない。そんなことでは、どんな競争もできなくなり、仕事に誇りをもてなくなります。

技術の劣化、競争力の低下は、そのまま国の収入と会社の実力の低下に直結します。国と会社に金がなければ、親父の収入が低下し、行政サービスも劣化し、家族が生活しにくくなります。貧乏は心を荒ませます。礼節ある生活は衣食足りてはじめて成り立ちますが、収入がなければ、物質的にも精神的にもゆとりある生活はできなくなります。

日本の収入源は基本的にモノ作りです。サービス産業はそれに派生している二次的なもので、膨大なモノ作り産業が国にあって成り立つものです。モノ作り無しで、今の生活レベルを日本人が満喫できることなどありえない。

その「モノ」(箱物、電気、機械、車、化学、材料、等など)を作るためのハードウェア技術が、今、「あって当たり前」になっている。誰もそれを作る人を評価しない。当たり前のことをやっているとしか思えない。せいぜい、新製品がほんの数ヶ月間もてはやされるのと、ソフトウェア産業が就職で人を引き付けているぐらいでしょうか。

この、モノ作りへの価値の置かなさ、評価のしなさは、将来的に、日本の国力の低下に劇的に繋がると思います。

一人一人が、今あるインフラ、今ある生活を「当たり前」のものとして価値を置かないということは、日本を衰退させることだと思います。

なので、国民一同、もっとモノ作りする親父の背中を尊敬して欲しいと思います。
そして、自分もその道を志す若者が増えてくれればと思います。

具体的には、小学校の理科算数教育でその面白さを十分子供が理解し自発的に子供が自然の成り立ちや生活物資の構造への興味を持つような教育をしてほしいと思いますし、大学の今の工学部の人数を2倍3倍に増やしてほしいと思います。

まずは、日本の高等工業教育の興り、工部大学校をドラマ化して、若者がテクノロジーへ目を向けるきっかけを、メディアに作って欲しいと思います。本気。

ここでもまたメディアの悪口になるのですが。メディアが不祥事や偽装を喜んで放映して、悪を責める正義漢の悦に入っているから、企業への締め付けがどんどん苦しくなる。企業はコンプライアンスとアカウンタビリティに必要以上の労力を割かねばならない。コストは増加する一方だからサービス残業でもして埋め合わせねば到底コスト削減なんてできないのに、メディアは労働基準法を振りかざしてでまた企業を締め付ける。

そして、カネを動かす人間ばかりが尊重される。マスコミは、連日投資、株価状況をさもそれこそが世の中を動かしているのだと言わんばかり
投資家、弁護士、政治家、銀行家ら、他人の仕事の上に乗っかって、表面で法律やカネを運用している職ばかりの価値が上がっていく。

まず、メディアの意識をなんとかしないと、日本は悪い方向へ行くだけだと思います。


えっと、酔っ払っているので、結構、支離滅裂なことを言っていると思います。お気を悪くされました皆様、ごめんなさい。非難は甘んじてお受けいたします。

さて、本日、案の定、日本の正月事情を知らないインド人が、積算と報告書を至急直せと言ってきやがりました。GWも盆も連休も関係なく、この上正月まで奪われるようです。少なくとも年内一杯は出社です。インド人を跳ね除けて仕事量を管理できない非力な自分が悪いのですが。

初詣では、人並の生活ができますようにとお祈りしようと思います。
そして、技術者のみなさんが、そんな祈りをしなくてすむような世の中を、お祈りしようと思います。
posted by 入潮 at 03:30| Comment(5) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

役立たずを実感する時

カントー橋事故。

やりきれない思いです。

いかに安全第一を謳い、どんなに安全管理を厳密に施しても、どこかに災害リスクは残ります。

インフラ整備の工事は、工事事故のリスクという点で、事業費1億円に一人が亡くなると言われています。
後の人々の快適で便利な生活のために、建設される工事の危険の中で、亡くなる方々が、います。

その方々の犠牲の上に、我々の生活は、成り立っています。

被害に遭われ、はかなくなられたベトナムの方々のご冥福を心よりお祈りいたします。負傷者の方々の一日も早いご快癒をお祈りします。

現地の技術者の方々は、これから事故原因究明、損害補填、そして補償について、夜も眠れぬ心身過酷極まりない日々が続くのだと思います。
ご無理なさらないで下さい、というのも無理な話かと思いますが、この上労災にまで及ばないよう、お体だけは大切にしてください。

まだ原因は判明していないですが。よもや、コスト低減への社会の抑圧に対して、企業努力も限界に達し、技術的品質を低下させることで答えるしかなくなりはじめた歪みが出始めたのか、と思うと、心が凍える思いです。

心ならず犠牲になった方々の死が、せめて無駄になりませんよう、プロジェクトの成功と、ベトナムの方々の幸せを願います。

(将来的に、プロジェクトの収益の一部を負傷者の方や遺族の方の年金に回すなどの措置を取ったりできないのだろうか)


更新が滞っております。ご足労下さる方には、いつも同じ画面で、申し訳ないです。

連日日が変わるまで残業で、体力尽きて、なかなか落ち着いてポストを纏めるまでいきません。

仕事のほうで書き物をしていたら、ふとかつてサイトにアップしたことで気になることがありまして、資料をひっくり返しては、目的が果たせず1日を終えたりして。

自分で書いた文章なのに、何を根拠にどこを参照したのかわからなくなった。
…そんなことって無いですか。

工部大学校資料のパートですが。
数字はちゃんと書いてあるし、何かの論文を参照にしたのはうろ覚えで覚えているのですが。当の論文が見当たらない。そういうところに限って、参考文献付け損ねてる。

さらに、自分の文章を見直していて、工部省のお雇い外国人の給料が、130人余りで30万円超えているって、ありえないだろう、とか思いまして。

大鳥の贔屓の超高給取りライマンでも950円/月。お雇い外国人の平均給料で200-300円/月の間のはず。一桁間違えたのだろうか、とうんうん唸っていました。

…年間と月給の違いでした。12を掛けるとぴったりでした。

そういう、単位の違いというあほらしいことに気付くまで、3日掛けて悩んだことって無いですか…。

自分がものすごく無能で役立たずな人間だと思う瞬間。

…仕事に戻ります。
今週ぐらいで何とか落ち着かせて、ちゃんと更新進めたいです。
posted by 入潮 at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

Google図書館プロジェクトと慶應義塾大学

出発前に浅田君ラストまでと、大鳥語りの続きはやっていきたかったのですが。やっぱりばたばたしていて無理でした。

とういことで空港です。意外なほどに成田は空いていました。
夏休み期間(7月13日〜9月2日)中に成田空港を利用する旅客は約427万人で過去最高と推計、とニュース(http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200708/sha2007081206.html)にあったので、げんなりしていました。激しく待たされるだろうと、時間早めに家を出たのですが。
出国検査もパスポートコントロールもほとんど待つことなしでした。

日本人の海外熱が冷めたのか、地方空港の海外線の充実によりそちらに流れたのか、成田空港スタッフの努力の賜物なのか、単に推計が外れたのだろうか…
というわけで、時間ができたので、ポストしていきます。


知の集積提供者としてますます野心的になっていくGoogle。
図書館プロジェクトはその最たるものだと思います。
以前にもちらりとご紹介したので繰り返しになってしまいますが。ミシガン、ハーバード、スタンフォード、オックスフォードなど各大学に所蔵される著作権に問題のない書籍を、オールスキャン・検索可能にして提供するというものです。

これの日本語版が、7月より開始されています。
http://books.google.com/intl/ja/googlebooks/library.html

Googleが掲げた目標。

「書籍–、特に、絶版になった書籍のように、ユーザーが他の方法では検索できない書籍– をより簡単に見つけ出すお手伝いをすること」

専門家(とくに歴史)の食い扶持を奪ってしまうようなサービスです。
ネットにさえアクセスできれば、どのような場所に居ようと、プロも小学生も、皆が等しく資料を手にする機会を得られる。
大喝采。

まだまだ蔵書は少なく、Amazonのなか見検索のほうがまだずっとひっかかりはよく、知の集大成というにはこれからだなぁ、と思っていたのですが。

この図書館プロジェクトに、慶応大学が手を上げました。
http://www.keio.ac.jp/news/070710.html

慶応大学が所蔵の「著作権保護期間が満了した約12万冊をデジタル化し、GoogleのGoogleブック検索を通じて、世界に公開します」ということです。

つまり、慶応大学の昭和までの12万冊が、国会図書館のデジタルライブラリと同様に開放され、しかもすばらしいことに、全文検索可能となるということです。

慶応大学には諭吉関係でいろいろと思うところがあったりしたのですが。こうしたプロジェクトに率先して参画して時機を得るのは、さすがトップクラスの私立大学だと思います。

これでますます、知識への道筋がハイウェイ化していく。アマチュアさんたちががどんどん侮れない存在になっていく。今新刊書籍で好き勝手を仰っている自称研究家さんたちも、うかうかしていられなくなっていくのではないかと思います。専門書や学会誌ではなく、いろんな方のブログを拝見しているいと、個人のブログがある分野の研究の最前線になる、というのが始まっているなぁと感じます。この流れが、さらに加速していくのではないかと思います。

情報へのアクセス性がプロの特権である時代は、終わったのだな、と思います。そして、自分の頭で考え、あまたの情報から必要なエッセンスを抽出する。そして、目的に対して重要な事柄を、分かりやすく、系統的に表す個人の能力が、より問われていくのだと思います。

実現はこの夏以降とのことですが。刮目して動向を見守っていたいと思います。

といいつつ、こういうときにアクセスろくにできない環境に入ってしまうのな。哀しい。

では、今度こそさらば、日本の夏。
涼しく(寒く、になるかも)なったらお会いしましょう。
といいつつ、できるだけ更新はしたいと思います。思うだけになるかもしれません。
タグ:図書館
posted by 入潮 at 16:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月28日

選挙ですか。

4:00。ただいま帰宅…。

ようやく、夏らしい夏になりました。通勤で、Tシャツを絞ると汗が滴るぐらいです。自転車1日20km。怠け者がよく続いていると思います。単に金を払って地獄の通勤電車に乗るのが馬鹿馬鹿しくなってしまっただけですが。
今週はずっと丑三つ時帰りです。午前1時を過ぎると歩行者が居なくなって走りやすく、午前2時3時代は車も少なくなるので、一番かっ飛ばせます。4時過ぎになると、今度は新聞配達のにーさんたちが出てきて、おはよーございます、の声に虚しくなってくる。

それで帰宅すると浅田に憑依される。疲れは溜まる一方です。いや、すぐに寝ればいいんですけれども。

疲れ果てて帰ってふとポストを見ると、選挙のチラシ。

紙面の半分を、「カネまみれの大臣ばかり」とか「税金のムダ遣いは野放し」とか、他政党の悪口で占め、しかもわざわざ赤色バックの片仮名で書く。あまりの品性のなさに、げっそり来る。他者を貶めて自分の格を上げようとするというのは、さもしい。公約は抽象的というか当たり前すぎて、わざわざ口にする理由がよくわからない。よけいに疲れた。

この時期、外を歩くのも嫌になります。
選挙カーや街頭演説、派手なポスターも、聞く気観る気が起こらない。あれの費用対効果はどのぐらいあるのだろう。通勤時間を狙って街中でがなりたてられても、中身を聞く人間なんてそういるとは思えない。そもそも、中身がないことばかりしゃべっている。公害にしか思えない。

選挙公約も、テープレコーダーの繰り返しのように馴染みのキーワードを並べ立てるだけで。
しまいに名前しか言わなくなるんですよな。

アンケートで投票の決まり手は何か、と聞いて、「選挙カー」と答える人が、居ると思ってやっているのだろうか。
騒音公害を振りまいて要らんガソリンを消費している人間が、その口で環境保護を唱えるのだから、笑止するより他はない。

チラシのほうは確かにゆっくり読めていいのですが。
本当に考えて書かれているのか疑問なものもかなりある。一般受けするレイアウトとキーワードばかり考えている。抽象的でよくわからない。

数字がでても高速道路を無料化すると20兆円の便益とか。世の中には不可解なことがいっぱいあるなぁと思います。

「食糧自給率10年で50%まで上げる」にしても、どの品目をどういった理由でどこでどうやって誰が作って、どのぐらいペイして、その補助金の財源はどこからどのぐらい出して誰に裨益するのか、とか。

「2050年までに温暖化ガスの50%削減」。…どこを減らしてどのエネルギー源をどこからどうやって持続的に確保してその財源はどこから調達してその便益はどうなってその経済評価の結果はどうなるのか、とても興味深いです。

あぁ、そういえば刈羽原発が、復旧まで最低1年ですか。ラドン温泉6L分の漏れで。私はおととい、300Lほどのラドン温泉に漬かって来ましたが。その銭湯は毎日湯を変えていると言ってました。300Lラドン温泉も毎日下水に放出されているのでしょう。東京のど真ん中で。
それで、うちのプロジェクトで削減しようとすると千年以上かかってしまう二酸化炭素が、さらにドカドカ排出されることになるのですか。南無三。人生無情。閑話休題。

とにかく、数字があっても、どうも裏づけのよくわからない数字が多すぎて戸惑います。

散々がなられている流行語の「格差社会」は、なんだか実感となって現れてこなくて、いまいち心に響きません。ネットを開けばどこのポータルサイトででも「4時には帰りたい」だの「習い事もしたい」だの、「自給1800円」だの、「未経験者歓迎」だの「私を生かす職場」だの、ふざけたナメた甘えた夢見た猫なで声で、人を集めている。現実、基本的人権無く、重圧に押しつぶされ、鬱病・過労死・家庭崩壊寸前になって生活の糧を得ている奴隷という名の従業員は、社員派遣さん問わずいっぱいいる。保険や手当てが違う分、雇用元の利益に対する責任と重圧が違うだけのこと。

金というのは、心身すり減らして骨身を砕いた代償だ。楽していたら金は稼げない。当たり前のこと。

「格差」なんてのは責任転嫁のために便利に使われるだけで、使えば使うほどその人間を軽薄に見せる用語だと思う。

そもそも、社会的責任やら品質やら談合悪やら透明性やらの、正義ぶった言葉を振りかざして、政治家とマスコミが企業を締め付けるから、企業に利益がでなくなって、社員に過剰な仕事と責任を要求し、給料と人員を減らさないとならなくなる。最低賃金1000円は結構だが、その分雇用者の負担が過ぎて利益が出ない。利益のない企業は法人税も払えなくい。すると政府に財源がなくなる、という悪循環になる。減税結構。弱者に優しくというのは耳には優しい。けれども、何をするにもまず政府に金が必要だろう。まずは、得手勝手で短視野的で一般受けしたいだけの非現実的な己らの独善を見直せと言いたい。

…と、疲れているから文句ばっかり垂れてしまうのですが。

公約チラシも、よく見ると「国会議員の半減」とか、「国産防衛戦闘機の実現」とか、「教育勅語復活」とか、「1000億円を補助金とした木造二階建て耐震化」とか「旧戦場の慰霊碑に参拝と清掃」とか、結構面白いのがあります。「維新」を掲げて攘夷思想もどきを振りまいているのは、いろいろな意味で面白いです。

でっかい公約でなくていいので、実現可能で具体的に挙げてくれているほうが、好感が持てます。

とりあえず、安全保障と借金の具体策がほしいですが。

スローガンばっかりなのは、シンプルにわかりやすく、というのがあるのでしょうが。あまりに簡単にと心配りをしていただきすぎても、かえって良く分かりません。やることだけ箇条書きされても、何をやりたいのか、どのぐらいの確度でできるのか、どうやってやるのか、どこから財源を確保するのか、何よりどのぐらい本気で責任を持ってやろうとしているのか、全然分からない。

共通テーマをいくつかあげて、それぞれの課題に対して、背景、現状の問題点、解決策、実例、予算、財源確保方法、経済効果をそれぞれ具体的に数値とともに記して、A4サイズ2枚のサマリーにして、各政党のもの1セットを置いておいてもらえば、それで十分なのだけれども。

それで、上記についての詳細を、公約の妥当性と実現のための具体的プロセスを踏まえて、200枚ぐらいのペーパーに記して、まとめサイトからPDFでダウンロードできる形にしといてもらえれば。希望者にはハードコピーを郵送するとしておけば。国の行く末を左右する方々が、どのぐらい本気でいらっしゃるのか、国民の下々の者にもよくわかると思います。

そういう企画書やプロポーザル作りは、どこの企業でもやってますし。

それで、やるとしてもどうせ外部の人間がデータと文章を作るのだろうから、同じ金を使うなら、大音声スピーカーの選挙カーを走らせるよりも、そっちのほうがよほど有力な選挙活動になると思うのですが。ウグイス嬢よりコンサルの時給のほうが絶対安いですよ…。

あとは選挙管理委員会かどこかが、各政党のサマリーから、各項目を表にして、比較対照できるように一覧表にして、選挙票と一緒に送ってくれれば、十分だと思う。

(毎日新聞のウェブで一覧表を作っていたけれども、あきらかに具体性の無い耳に聞こえのよい一行標語がならんでいて、自分には使えなかった…)

実現できるのかどうか、本気で実現させる気があるのかどうか。データと行動計画と費用と財源とともに示してもらわないと、何が良いのか、選びようがない。

さて、飯を食おうと思ったら、釜の中の米が腐っていた。
夏め。腹減った。炊きなおす気力がない。ひもじい。米を食うゆとりもない生活。…寝よう。

あれ。もう今週って終わりなんですか。
しまった、今週末こそ山に入ろうと思っていたのに。
もちろん明日も余裕で出勤です。あぁ、夜が明ける。
posted by 入潮 at 05:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月17日

柏崎刈羽原子力停止

新潟県中越沖地震。被災地の皆様、大変な思いをされていると思います。写真を見ながら、明日はわが身だと思いました。一日も早い復旧をお祈り致します。

甘利明経済産業相より、東京電力社長に、直々、柏崎刈羽原発の運転停止の指示命令が下った由。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070717-00000024-reu-bus_all


これにより、現在停止中の1,5,6号機に加え、2,3,4,7号機が新たに停止された。
2,3,4号機がそれぞれ1100MW、7号機が 1356MW。合計、5756MWが停止中となる。この容量は、ミャンマー3つ分以上。

ちなみに世界でも有数といわれている大容量火力発電所の姉崎火力で3600MW。東京電力さんの総発電設備容量は、同社WP(http://www.tepco.co.jp/i/vo/press/07052502-j.html)によると74.9万MW。(2006年度末、他社受電含む)
今回の停止分は、東京電力さんの総設備容量の0.8%に相当します。

幸いというべきか。近頃まだ涼しく、電力需要のピークにあたる猛暑のピークはまだ来ていない。このピーク需要(時間ごとに変動する分の電気の需要)は、昼間のクーラー需要が大きい。ちなみに、通常の暑さの場合の設備需要は61.1万MWで猛暑の場合は64万MWと想定されている。このピークに対応するためには水力・火力発電から主に回されますが、そのベースに原発からの給電は必須。原発がないと、その分余計に火力発電の火を炊いて埋め合わせせねばならない。

この柏崎の現在停止中の5756MW。1日停止するのに、一体どのぐらいの火力発電からの補充が必要なのかとふと思いました。ざくっと計算してみます。

原発の設備利用率を90%とすると、停止により火力発電で補充されなければならない量は。

5756 x 0.9 x 24 = 124,328 MWh/日

ある程度は別の原発からとなるのでしょうけれども、仮に全部を火力発電から回してくるとします。

この発電量に相当する石油の所要量。

エネルギー庁のデータ (http://www.enecho.meti.go.jp/info/statistics/denki/h19/4-3-H19.xls) より、東京では 0.248 L/kWh 、つまり 1kWhの電気を起こすのに、0.248Lの石油が必要として。

0.248 x 1000 x 124,328 = 30,833,344 L

1バレル=159Lとすると、

30,833,344 L = 193,920 bbl

つまり、地震により停止中の柏崎原発の1日ストップ分をまかなうのに、毎日20万本のドラム缶分の石油が必要です。

この原油高の時期に、毎日毎日20万バレル。
原油価格時価にすると、本日1バレル74$というニュース。(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070717-00000402-yom-bus_all)
今日のレート122.04円/$ を適用すると、1バレル=9031円。
つまり、1日あたりの原油代。

193,920 x 9,031 = 1,751,281,824 円

毎日、17.5億円の原油代支出が、東電さんに課されることになります。
(実際は先物取引しているからこの数字にはならないと思いますが)

原発の偉大さがわかります。

勿論安全性が大事というのはわかりますが。原発を1日止めるだけで毎日これだけの損失が発生していると考えると、何ともいえない感じです。17.5億円あれば十分な義捐金になるでしょう。
東電さんも被害者です。報告が遅いなどと弱い者いじめをしていないで、1日も早い復旧ができるよう具体策を講じてほしいものです、経産省大臣さん。

ちなみに、発電方式別の発電電力量比率。2003年の日本では、
水力:9.1%、石油:13.2%、ガス:24.3%、石炭28.2% (火力合計65.7%)、原子力23.1%。
(http://www.tepco.co.jp/custom/LapLearn/teacher/junior/chapter_5/50-53-j.html)
ということで、原子力が1/4程度をまかなっています。

一方、家庭での家電別消費電力を見ると。
(http://panasonic.co.jp/cs/kaden/denryoku/index.html)
エアコン25.2%、冷蔵庫16.1%、照明器具16.1%、テレビ9.9%。

つまり、原子力無しで生活するとなるということは、エアコン無し、または冷蔵庫+テレビ無しで生活するということと、エネルギー的には同じです。

(実際は産業用、業務用、民生用と分かれているので、この家庭の比率が全体にそのまま当てはまるわけではないですが。単純化のためということで)

自分は別に原子力推進派というわけではありませんが、原子力無しでは今の便利な世の中は成り立たないことは、なんとなく理解しています。「原子力反対」という方は多いですが、その中で原子力がなくなるなら自分はエアコンか、テレビ+冷蔵庫か、どちらか無しの生活で構わない、という方はどのぐらいいらっしゃるのだろうか。そういうアンケート調査は行われていないのだろうか。…特定の答えを引き出すためのアンケートだという非難は免れ得ないから行われていないのだろう。

ちなみに自分は、家ではエアコンとテレビは無しで生活しています。…誰も聞いていない。もとい。
「原発無し+ エアコン or テレビ+冷蔵庫無し」で良いか、それとも原発はやはり必要か。皆様にお伺いしてみたいところです。


加えて、この原発停止による火力発電で、どれだけ二酸化炭素が排出されるか推定してみます。

同じくエネルギー庁が策定している換算係数のデフォルト値
(http://www.env.go.jp/earth/ghg-santeikohyo/material/denkihaishutu/cm_ec/main.pdf)、0.000555t-CO2/kWh を適用すると。

0.000555 x 1000 x 124,398 = 69,002 t

…6万9千トンのCO2が毎日排出されます。

原発停止1日で、自分が今行っているプロジェクトで削減しようとしているCO2の、■年分が消し飛びました。
■は、余りに虚しくて、数字が出せません。1以上であるのは確かです。自分らは身を粉にして、一体何を意味の無いことをやっているのだろうと思ってしまいます。

いや、被災地の方々のご苦労を思えば、何のことはないのですが。


京都議定書で定められた-6%枠を削減するためには、電力会社などには、二酸化炭素の排出削減が義務付けられます。満たせない場合は、どこか別のところがCO2を排出を削減したら、その「排出枠」を買い取らねばなりません。
もし東電さんが、義務付けられた削減量を満たすため、今回停止した原発の分の二酸化炭素の排出枠を買おうとすると。

現在CO2の取引価格が、大体20$/トン(上昇中)であるとして。

69,002 x 20 x 122.04 =168,420,082

1.7億円/日。毎日、1.7億円。1年間では617億円。排出された二酸化炭素のための支出が課されることになります。


被災地の方々はまったくそれどころではなく、こうしている今も余震と雨の二次災害の恐怖に過ごされていることを思うと、こういう暢気なことをやっているのも胸が痛むのですけれども…。

…被災地の皆様の生活と柏崎原発の一日も早い復旧を、お祈り致します。東電さんほか、水道、ガス、道路などライフラインに関わる皆様、大変だと思いますが、どうかがんばってください。
posted by 入潮 at 12:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月31日

倦む機会

―― 機械でいいから産ませてくれ。

と思いました。
産む機械発言。
もはや、膿んでます。私が。

ただの口のすべりに、辞任だの何だの、そこまであげつらわなくても。よほど人を責めたい人がいるんだなと、また感じられてしまったりして。厚生相が本気でそう思っているわけではないのは瞭然なのに。笑って見逃してやって後は飲みながら虐めてやれよと、永田町に向けて思いました。

それにしても、昼に弁当を買いに行く暇も銭湯にいく暇もなし。休日もなくプライベートもなく。幾人もの上に都合よく使いまわされる。会社員なぞ、所詮働く機械。身も心も磨り潰されて、客と上司と外注との軋轢に押し潰されて、使えなくなったらポイ捨てされてハイ終わり。そんな奴隷人生なぞよりも、産む機械のほうがよっぽど上等で大事にしてくれそうだ。

家族持ちだと仕事する側も家族を口実にキリをつけられるけれども、独り身だと際限なくやっても誰も怒らないものなぁ。労働基準監督署がうるさいだけで。

(それにしても「機械」という言葉に対するネガティブな反応って、先進国育ち特有の傲慢な感覚だよなぁ。長州ファイブは「生ける機械になる」と志を抱いて旅立った。機械とは、小さな力から大動力を産む、生活を下支えする無くてはならない必須設備なのに。機械にどれほどの叡智が込められ、そのおかげでどれだけの利便が享受できていることか。別に私、メカマニアではないですけれども。機械という言葉への評価が低い人ほど、機械には疎い人だという気がする)

えーと。例のごとく疲れています。日曜日遊んだしわ寄せだから自業自得ですが。

自転車通勤を始めたら、終電の縛りがなくなって、かえって帰宅時間が遅くなってしまいまして。2時3時まで居ついてしまう。それで帰宅して最後の力を振り絞って駄文を投げ込んで、あとはバタンキュー。ポスト時間が遅くなる一方。
銭湯にすらいけないのは、人間としての尊厳がなくなる。風呂のない家を選んだ自分が悪いのだけれども。
そもそも、まともな時間に仕事を終わらせることができない自分の要領悪さと容量不足が悪いんですけれども。
このままでは、過労死か孤独死ししか未来が見えない。

家の中で心臓麻痺とか脳卒中とか起しても、誰も助けてくれない。このぼろ家の中で、腐乱死体になるだけ。
腐臭を振りまいて近所と大家さんにご迷惑をおかけして、ニュースで人様に恥を晒す。そんなことは避けたい。

そんなわけで。

「人並みの人生。」

という標語を、職場の机の前にでかでかと書いて張りました。
ちょっとしたパフォーマンスです。

でも私としては果てしなく高い理想です。

以前の机の前には「出家ゲージ」を張っていました。
正確には「あと1ヶ月以内に会社を脱走しミャンマーに行って出家することを実行する確率ゲージ」です。
出張中に誰かに取り払われていまっていたのですが。
最高で41%まで上がりました。…5割を超えてなかったのか。まだ余裕があったらしい。

最近、女性雑誌も様相が変わってきたようで。図書館で日経ウーマンとかいろいろ雑誌をみかけました。働くキャリアウーマンのための雑誌。
一昔前は、いかに商社マンやら官僚やらを捕まえて玉の輿になるか、というのがテーマの根底にある記事が多くて、OLは結婚までの腰掛け、という調子が多かったように思いますが。今は、記事の背景設定も、企画書を書いていて徹夜明けのときの化粧法だとか、一人でも生きていくための投資方法だとか、そんなのが目立ちます。

やめとけ、といいたい。

そんなことをしても、結婚できない女が増えて、クリスマスに中島みゆきの「十二月」を聞くやさぐれが増えて、マッサージ屋が儲かって、高齢化社会が進むだけだ、と。

何を好き好んで働く機械を量産するんだ。しかも大体は男より性能も稼働率も悪いしメンテ費用も掛かる。それより産む機械のほうがよほど価値がありそうだ。

それで、女のキャリア志向をマスコミが扇動して、同じ会社の新聞で少子化問題を論じているので、それこそ笑止千万だと思う。

とりあえず生き物としての使命、すなわち二人子孫を残すこと、をまず第一の目的にすべし。
仕事なんぞ、食ってさえいければ、あとは余裕のある人間の道楽娯楽でいいんです。

自分を殺して仕事を第一義にしていても、オニババになって、あとは一人で墓場に入るだけ。親がいなくなったらもう墓を立ててくれる人もいない。そうすると無縁仏となって、苔生して季節とともに風化していくのみ。…それはそれで無常観があって良いんですが。とりあえずまだ無常以外のものを求めてもいいんじゃないかと思う女心と冬の空。せめて死んだときに墓を立ててくれる人を求めてもバチは当たらない。

アナリストだのコンサルタントだのエンジニアだのリサーチャーだのスペシャリストだの、適当なカタカナ言葉の響きにあこがれて勉強して就職して仕事が人生と精を出してもも、責任ある仕事ほど彼氏と付き合う暇も結婚相手を見つける余裕もなく、最後には便利使いされて使い捨てされ、そのうち結局自分の人生って一体なんだったんだろうとポツンと振り返って、迫りくる孤独と空しさに耐えねばならなくなるだけ。

私、エンジニアのことしか分からないので、世の中にはちゃんと華やかで幸になれる仕事もやりかたもあると思うのですが。女性エンジニアの方は特にお気をつけ下さい。
若い頃は仕事が面白いのでつい仕事にかまけて自分の人生をほったらかしにしますし、同じ給料を貰っているのだから女としての自分を優先させて周りに迷惑かけるのも気が引けるのですが。人生のほうが大事と気が付いた時にはすでに手遅れです。

大学生の頃や、まだ余裕のある新入社員の頃は、周囲はシャイな殿方がいっぱいいますので、色目使ってでも既成事実を作ってでも早いうちに確保して、将来に備えておいてください。人生設計はお早めに。
焦りを覚える頃になるとすでに仕事も責任背負い込んでかつかつになってしまって、余裕もなく何もできないままに枯れていく。そうなってからでは、遅いです。

結局、仕事なんぞ大したものじゃないですからな。自分が潰れたら、会社は金を払って別の人間を探してくるだけですからな。どんなに特殊な経験をつんで知識があっても、探せば代わりはどっかにいますからな。

自分がいなくなっても、残されるのは自分が作った無味乾燥な書類の山とデータ。それも自分がいなくなれば誰が作ったのかもわからなくなり、ハードディスクは消され、ISOなり社内規定なりの書類保管期限が来れば捨てられて灰になって終わりです。

でもその家庭のそのカミさん母さんは、そこにしかいないですからな。代わりなんてどこにもいないですからな。母さんがいなくなったら子供は泣きますよ。でも私がいなくなっても、1ヶ月ぐらいば困る人はいるでしょうが泣いてくれる人はいないでしょう。…いかん、自分が泣けてきた。

だから餓鬼の二人も三人もこさえて、鍋をひっくり返し皿を割りながら、自分のと自分の相手の血の行く末を眺めてるほうが絶対にずっと良い。

そんなものは価値観とかじゃない。人間として生き物としてのあるべき姿への、いけとしものが持ってしかるべき憧憬であり、原風景だ。

生理のたびに、今回も無駄に流してしまった、ごめんよぅ…と、分けもなく何かに謝りたくなります。虚しさの極地です。ご先祖様に無言で責められている気がします。なんで毎月毎月そんな思いをしなければならないのだろうと思います。


あー、女性の社会地位の向上って素晴らしーなー……−・・


……と。そんなことを考えるぐらい、疲れてます、という話です。あまり本気にしないで下さい。

単に、仕事と私事を両立させ、旦那をみつけて人並みの家庭を築くことができない不甲斐なさを、責任転嫁しているだけです。
仕事しながらでも、ちゃんとできるひとはできてます。うちの同僚の技術♀もしっかり結婚して産休とっています。
要するに、本人の才覚なんですよな。仕事にしても人生にしても。


でもなぁ。
仕事も私事も存分にこなせるだけの余裕と能力のある人が世の中にあふれている、というようには、どうも見えない。
世の中には本当に選んで独りでいる人もいますけれども。そういう強い人はごく一部なんじゃないか。
やっぱり、平凡なおなごふぜいが求めるところは、もうちょっと平安で、もうちょっとおとなしくても、いいんじゃないだろうか。
大部分の人間は弱いですからな。いや私が弱いだけか。

……まぁ、こんなこと書き連ねていても、どうせ来るのは結婚相談所のスパムメールだけだろう。
不毛。
仕事しろ仕事。うっだらー。


どうでもいいけど、すさんだ気分のときって、妙に創作性にあふれているような気がする。この悲惨な気分をいかにして利用して人を笑わせてやろうか、「うわ、俺コイツよりマシ」と笑ってもらおうか、というネタばかり考えて、そんな自分を嘲笑っている。
これも、極限状態にあっても自分の精神が壊れないようにバランスさせる自己防衛本能かもしれん。

人間、うまくできているなぁ、と思います。
posted by 入潮 at 04:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月24日

ねつ造への反応

なんでまた、テレビのお茶の間番組のデータ捏造は、悪し様に取り上げられて打ち切り騒ぎにまで及んでいるのに、歴史の人物像や出来事の捏造は、ごくごく限られた人しか気にしないのでしょうか…。

前者は、そんなものがあろうが無かろうが、今まで伝えられてきた食品の性質や効能には変わらない。ただ数字で分かりやすく示せたかどうかの話で。関係者が頭下げれば終わる話だと思うのだけれども。

後者は、人や家の名や誇り、自分の国の評価や価値観の根幹、民の心のよりどころにも関わることだと思う。

その割に、歴史研究家とか評論家とか時代考証担当とか郷土研究家とか作家とか仰る方も、それを行うことに憚りがない。(自覚的かどうかは置いておいて…)

誰かさんが誰かさんを暗殺したのだという邪推だとか、とある長州の方の人物像を極悪非道に書き上げるだとか、誰かさんが実戦経験なしだとか机上の戦略家だとかの小さなことから(いや、私としては全然小さくないですが、笑)、大戦中に沖縄で一般人の集団自決が軍から強要されたというような国辱ものの自虐的捏造まで。

根拠のない妄想や願望や流言に基づいて人の名を傷つけることは、たとえば墓を傷つけるよりよほどに性質が悪いと思うのです。

墓は金さえあれば修理もでき作り直しもできますが、人の名は、一度イメージが損なわれたら修復はとても難しいですから。

いわんや国の名をや。

別に社会問題として認知して世間で騒いでくれとは全く思わないのですけれども。

なんだかなぁ、と思うことが多いです。

(いやそもそも、大衆は単に何かを責めることさえできれば対象は何でも良くて、不二家も納豆もたまたまその犠牲になったというだけのような気もするけれども。それを言っちゃおしまいよ、ということで)

(それにその、自分も偉人のイメージを損ねるようなことを書いてしまっている罪悪は常に携えているわけで。手前に指差されると申し開きにも苦しい状態ではああるのですが。少なくとも根拠は明らかにできるようにしたいと思っています…)
posted by 入潮 at 03:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月18日

不二家とマスコミと日本人

袋叩きですなぁ、不二家…。

雪印のときもそうでしたが、自分は不二家に同情します。

無論、不二家が悪くないとは思いません。悪いものは悪い。賞味期限切れの材料を使ったことも、不祥事の公表の時期を遅らせたことも、社会的通念から言えば、悪い。

…でも、そんなマスコミがこぞって非難し、一般人がそれを拡大再生産して酷い酷いと罵倒しまくるほど、「悪」なのか?という気もします。
幼児殺人やら国事犯やら詐偽やら、誰が見ても倫理的にも感情的にも非難せねばならないほどのことでもないだろう、と感じるのです。

不二家の行っていたことは、言ってみれば、どこの企業でもどこかお目こぼし的にやっていても何もおかしくない。

だから、いったんやり方を守っていないということの一つが明るみになって、ちゃんと調べてみたら、次から次へと芋づる式に違反が出てくる。それも当たり前だ、と。
多分、同業者はみんな肝を冷やしているんじゃないかと思います。そして、「自分のところでなくて良かった」と思っているのではないかと思います。


こういうと語弊があり、非難囂々のお叱りを受けるかもしれませんが。正直なところ、自分はこう感じてしまっています。

賞味期限がなんぼのものだ。
それより問題なのは、食って壊れるような軟弱な体になる過剰な安全性を求めている国民性のほうなんじゃないのか、と。
さらに怖いのは、自らの生き物としての弱さを棚に上げて企業の悪を責めて正義に浸る独善なのではないのか、と。


別に私は、不二家の廻し者でもなんでもありません。食品メーカーとの繋がりもありません。実家は肉屋ですが家とは縁切られ状態ですでに10年以上経っています。

えぇと。まず、賞味期限とは、JAS法で「その製品として期待されるすべての品質特性を十分に保持しうると認められる期限」で、その期間内であれば美味しく食べられる、というもの。これが、食品衛生法で「品質保持期限」(品質の保持が十分に可能であると認められる期限)と同じであるとされる。
「消費期限」(腐敗、変敗その他の食品又は添加物の劣化に伴う衛生上の危害が発生するおそれがないと認められる期限)とは別です。

つまり、賞味期限は、十分おいしいと感じられる期限であり、賞味期限内なら十分安全なので、それを表示することにより、安全側にとったものです。食品自身の安全、「食えるか、食えないか」の観点からみれば、安全過剰ともいえるものです。

自分は、牛乳も1週間ぐらいの賞味期限切れは気にしませんし。今日(1月18日)食べたうどんの賞味期限は1月6日でした。卵も1、2ヶ月ぐらい賞味期限が過ぎても、火を通してだけど、食う。

牛肉など、自分が子供の頃は、半月ぐらいおいておいて色が変わったぐらいのが、熟成しておいしい、と教えられたものです。(そして売れ残りを食わされた)。

更に言えば、うちの母親は、私に手洗いとうがいという習慣を教えてくれませんでした。汚い手のままモノを食います。落ちたものも拾って食います。
おかげで、不衛生に鍛えられ、20年間以上ほとんど風邪も引かず無欠席・無欠勤が続き、どんな国でもとりあえず生きていける体になりました。まさに「動物のお医者さん」の菱沼さん状態です。

ついでに、店の手伝いで、-20℃の冷蔵庫と30℃の外気をいったりきたりとか。寒風の中カブの後ろに乗って配達を手伝わされたりとか。20kgの米袋背負って買い物とか。よくやってました。

…今思うと、児童労働に交通違反に不衛生か。酷い親がいたもんだ。

でも、冷蔵庫の温度差は気持ちよかったし、カブのスピード感も好きだったし、米袋運びも力試ししているようで面白かったし。喜んでやっていた変な子供だったというのも確かです。現代人じゃなくて、江戸時代の丁稚奉公に近い育ち方だったかもしれません。。

もっと小さい頃は一度風邪を引くと2週間は寝込み、幼稚園にもほとんどいけなかったぐらいの虚弱体質でしたが。母の容赦ない教育(?)が、今の自分を作ってくれたのだと思います。一抹の疑問も感じないでもないですが、基本的に感謝しています。

そんなわけで、自分は1週間ぐらい置いて濁った麦茶も平気で飲みます。濁っていると、10の7乗程度まで細菌数が増えていると考えていいです。なので、不二家が「1万個以下/gと定められている細菌数の社内基準に対し、当初細菌検査では100万、いわゆる10の6乗のオーダーが検出されたと発表しましたが、実際のデータの細菌数は640万個/gでした」と発表して責められてても、まぁたしかに600万は多いかな、と思いますが、そんなに大したことでもないと思います。

余談ながら、菌を扱っている人間は、乗数のオーダーでモノを考えます。1x10の6乗が、6x10の6乗になっても、若干増えたかな、ぐらいで、規模的には同じようなものだと考えます。細菌検査の担当者もそんな感覚だったのではないかと思います。

別に細菌といっても、生きていて呼吸してモノ食っていれば、常に絶え間なく体の中に取り込まれるものです。ただ、体にとって有益なもの、無害なもの、有害なもののがあるだけ。細菌数が増えると、それだけ有害なものを取り込む可能性も増えてしまう。

たとえば日和見感染症や院内感染を起す緑膿菌とか、HIVのカリニ肺炎とか。(カリニは原虫ですが) 健康だと全く体内に取り込んでも支障はないけれども、抵抗力が落ちると病気の原因となる。
大学時代は、10の7乗〜8乗個/gの高濃度の緑膿菌を日常的に扱ってましたが、別になんともありませんでした。
食中毒というのは、季節が変われば普通に細菌は増えて起こりやすくなります。普通に生きていれば、年に1度や2度、ハラも壊します。どんな食べ物でもそれが自然です。環境は絶え間なく変わるものなのだから、下痢ぐらい起さないほうがおかしい。それを不自然な方法で留めているのが食品の「安全」だ。

江戸時代の武士の欠勤記録をみていても、1年の1/5は、腹痛だの風邪だので休んでいます。でも何が悪いとは言われていない(病気とは別の理由があったのかもしれませんが)。そもそも年がら年中、ベストのコンディションで動けると思うほうがおかしい。

それを、いざ食中毒といって企業のせいだけに押し付けるのも、なんだかなぁ、という感じがします。

本当に問題になのは、自然のものを食べていても食中毒やら何やらを起こし、それを企業が悪いと責任転嫁して自分の体を強くしようという意識にならない国民性なのではないか、と感じたりする。

モノは悪くなる、腐るのが自然。それを留めて安全にするのは、輸送も時間も添加物も、すさまじいエネルギーと環境負荷を要求するわけです。

ただ、ごく一部の悪性病原菌は問題なわけで。そういうのの混入を招かないために食品会社は涙ぐましい努力をしているのですが。その努力がやって当たり前、になっている。


安全への希求は、食品にせよ住居にせよ交通にせよ、留まるところを知らない。年を増すごとに大きくなっていく。

ただ、安全に守られすぎるのも、人間を弱くします。
無菌状態の温室にしばらくいた人間は、一度外に出ると容易に風邪を引き病気になります。体に入り込む細菌がないと、自然に免疫力が衰えていく。抵抗力をつけていくためには、どんどん細菌を取り込んで、汚れるほうが良い。汚ないモノを食うほど、不衛生な環境にも耐えられるようになる。
走らない人間は、どんどん足腰が弱くなり走れなくなる。早く長く走ろうと思ったらランニングで鍛えるしかない。それと同じ。

日本人って、あれだけ海外でハバを利かせている割に、日本以外では生きていけない観念を持っているなぁ、と思います。人間が生きている限り、どんどん汚くなるのが当たり前。安全でキレイにするというのは、ものすごいエネルギーの投入が必要なわけです。金がなければできません。安全でキレイというのは、とてつもない贅沢です。

中国に行けば、10個買った肉饅頭のち、2,3個は大抵腐っています。
市場に行けば、肉が真っ黒に見えるすさまじい密度でハエがたかっています。

それでも、人はそれを食って生きています。
でも、多くの温室育ちの日本人はそこでは生きていけない。
世界からみると、日本人の抵抗力のなさは異常だと思います。

日本人は、自分達の安全と快適がどれほど贅沢なもので、同時に他の見えないところにどれだけの負担を強いているか、ということについて、もう少し自覚的になってもいいのではないかなぁ、と思います。

そりゃ、安全な食品のほうがいいに決まっています。企業に守って欲しいクライテリアはもちろんあります。
そのために、企業の監視は必要だと思います。それに、安全でない食品など買う消費者はいない。だからメーカーは買ってもらうために安全にする。それが、安全な品を提供するのが企業の社会責任である、という認識になった。

けれども、そこばかりを重視して、すべての責任を企業に押し付けて、自分たちが世を生きる生き物として鍛えないといけない根本的に大事なところが置き去りにされているのではないか、とも思うのです。

もちろん、一週間風呂に入らないほうがいいとか、腐ったものを食うほうが良いとか、そういう極端なことを言う気もありませんが。程度というのはあります。

雪印のときにも思ったのですけれど。
安全や品質に対する社会からの要求が高まって、どんどん、企業に対する締め付けが厳しくなっている。それを対応するためには、莫大な追加コストがかかる。
企業がその社会責任の要求をくそ真面目に満たしていたら、正直、そんなので収益なぞ出るはずがなくなる。収益がでなければまともに給料は出せない。

そこで企業がとる道は三つ。

徹底的な効率化。
社員に、過酷なサービス労働を強いる。
あるいは、ズルをする。

上の三つ、どれも程度の差はあれ、どこの会社もやっているのではないかと思います。

以前に比べて、社会の要求を満たすためには作業量は激増する。それで同じだけの収益を上げようと思ったら、効率化にも限界がある。効率化のための仕事というのも発生する。でも会社は収益を出さねばならない。決算期にはマイナスを出した部は痛めつけられる。管理職の給料は減らされる。結果、社員がサービス残業やら過剰労働やらで泣きを見る羽目になる。

無論、企業は社会にとって、誠実であり、善でなければならない。
けれども、ここまで達成していればいいレベルというのがあると思う。どこまでも安全、どこまでも高品質、どこまでも透明、というのは、果てしのないコスト、つまり作業量を要求する。どこかで妥協しなければならない。
一方で世間は、いったん知ったからにはこの妥協を認めない。どこまでも「善」を突きつけてくる。知らなければそのままで済ましているだけ。

一サラリーマンとしては、正直、行き過ぎた世間の独善に付き合って過労死するのは、真っ平御免だ、という気分もあります…。


そして、こうした善を要求する世間が、多くの不幸を作り出している、という側面があると思います。

談合にも似たような感じを受けていたりします。
談合は、そんなに糾弾されるほどの社会悪か、と思うのです。
談合が行われなくなると、一見、競争がおきて確かにコストは下がる。我々の税金が効率的に使われるようになると思われる。

けれども、コストが下がり続けると、いい加減、効率性を求めるにも限界が出る。大体、収益の出ないきつい仕事に対して、社員のやる気は起きないし、いい仕事をやりたくても会社がそこに労力を注ぐことを認めてくれない。そして、できるだけ省力化、つまり手を抜こうとする。
結果、設計のミスや瑕疵が生じやすくなり、材料の投入が過少になり、安全性が確保されなくなっていく。
そして、建設会社・工事関係者は大量にリストラされる。そこに賃金の安い外国人労働者に取って代わられる。正社員は首を切られ、会社に対して責任感の乏しい短期契約者が主流になる。

そのうち、5,6年もしたら手抜き工事被害がでてくるんじゃないかと思います。
また、ゼネコンは大量の労働者を吸収していますが、建設会社に余裕がなくなると労働者が首を切られ、大量の失業者が出る。

えてして、下層市民とわめき立てる方々が、同時に談合を非難していたりしますが。自分達が独善的なイデオロギーを口にすることにより、同時に自分たち自身がその下層市民を生み出しているのではないかと。

そして、マスコミは、一方で企業悪を糾弾し、その一方でサービス残業を非難する。そしてその新聞社やテレビ会社自身が労働基準法無視の労働を従業員に強いている。そこを「ダブルスタンダード」なんて格好良い言葉でごまかしている。

そりゃ、悪性病原菌の混入を招いて大量に死者を出すとか、手抜き工事をして震度5程度の地震で被害を出すとか、社会的に決して許されないレベルというのはありますけれども。

昔は公害がその槍玉だった。水質汚染も大気汚染も、それを起した企業はさも悪し様に罵られて、裁判で痛めつけられ、多額の補償の支出を行った。
その教訓を受け、今はどの企業も環境と企業倫理と消費者からの信頼を重視するようになり、なかなかマスコミが攻撃できるところが少なくなってきた。だから、雪印や不二家のように、今までお目こぼしされていたちょっとしたズルにまで、いったん尻尾が出てしまうと、それがさも人類の敵であるかのように引っ張り出され、あげつらわれるようになった。

今の指標は安全に安全を重ねた過剰防衛的なものだし、不二家が違反していたのは自分達で作った「社内規定」に対してだし、現場の人はそれを分かっているから、多少規定を超してしまってもいいんじゃないか、というズルな気持ちも生じるわけだったのではないかと思います。
それに、1日「賞味期限」が過ぎたら、その材料は全部捨てなければならない。下水に流す、ごみ処理にするにしても、それだけ処理にエネルギーが掛かる。地球環境にも負担をかけるわけです。膨大なムダです。効率性からいえばとんでもないことです。それで、1日ぐらい、まだまだ全然使って現実として大丈夫だというのなら、それを使ったことに対しては、現場で注意すればいいというレベルで、社会がよってたかって悪し様に罵ることでもないだろう、と思うのです。不二家のやったことは、確かに、悪いことは悪いですが、「決まりを破ったのはちょっとマズいね」というレベルで、喧々諤々に非難しなければならないことか?というのが正直な疑問です。そんなに社会は悪人が欲しいのか…と思ってしまうのです。


そんなわけで。
「日本人」というと、ガチガチにガードされた温室の中から、自分達の安全を少しでも脅かす者をガミガミ糾弾する。そしてその温室のための資源とエネルギーを確保するために環境破壊が行われる。その自分達のための環境破壊を自分達で批判して正義を振舞っている、なんだかなぁ、な集団。

…という図式が見えてしまうのは、その日本人の一員としては、どうも居心地よくないです。


人は、自分が安心して生きるために「悪者」という犠牲の羊が必要らしい。
何かを非難して自分の格を上げることが、精神衛生には良い。
そのためにとことん要求される安全。
肥大化する正義。
魔女狩りは、社会の安定には必要。

そんなことを感じてしまって、自分は、企業よりマスコミと大衆社会のほうが怖くなりました。

多分、自分と同じく、「自分のところでなくてよかった」とこっそりと胸をなでおろしながら、じわじわした落ち着かなさを感じている方も多いのではないかと思います。食品に限らずモノつくりに関わっている方々は、呑気では居られないと思います。

一方で、素直に不二家を責めていられる方々は、幸せなんだと思います。


……実は不二家や雪印より、もっと国や人類存続にかかわる大問題があって、それから大衆の目をそらせるためにあえて過剰な糾弾を行っているのではないか。
とか、思ってみるあたりは、小説の読みすぎです。

私はカントリーマァムが大好きです。
不二家には、消費者信頼を回復して、しっかりと復活してほしいと思います。
不二家社員の皆様、世間の逆風に負けず、がんばって下さい。
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2006年12月28日

身元開示請求

晴れて江戸の民になりました。
東京都民といってしまうと別にありがたみは感じないですが、かつての江戸に住んでいるとなると、この響きだけで嬉しくなる。江戸っ子というとは恐れ多すぎるのですが、江戸住民ぐらいを標榜するのは許してください。

区役所や警察署などの公的手続きを済ませながら、街中を見て歩いていました。 区役所では勝海舟展をやっていた。横浜開港資料館所蔵の、若い勝さんの写真があった。ぴちぴちしていた。ブースは小規模だったけれども、愛されているなぁ、勝さん。

商店街は提灯で彩られている。その中を、若い力士のにーちゃんがipod聴きながら自転車を乗り回している。観光用だけれども人力車が練り歩いている。あちこちに金物、鉄管、金属加工の工場が散らばっている。徒歩15分圏内に10数箇所の銭湯があって、破風造りも多い。
街が楽しい。

それで、自転車通勤をしようとすると、途中で神田駿河台と皇居を通過する。つまり、圭介の通勤路と脱走路を同時に楽しめてしまう。思わず、ふはははと高笑いしそうになります。

今までの家は本当に寝に帰るだけで、駅前のスーパーぐらいしか生活圏が無く、土地への愛着もなにも育ったものではなかったのですが。今度はちゃんと、生きる場所を楽しみたいと思います。
家自体も、まだ全然片付いていないのですが。家に帰るのが楽しみ。この感覚は、かつて無かったなぁ、と。

そして、久しぶりに自炊してみた。
自分で作るものが一番おいしい。…とかいうと寂しい傲慢な奴になってしまうのですが。
自分で作る食べ物の味というのは、母親から習ったものにすぎなくて。要するに小さいころに食べていたものを無意識に再現しているわけで。それで一番安心できるということは、いくら外食産業が発達していても、人間、帰るところはひとつなのだなぁ、と思いました。大した味ではないです。パックのダシとしょうゆとみりんと砂糖を目分量で叩き込んでいるだけ。ただ、この味で自分が育っただけに、この味で育つ次の世代が居ればいいなぁと思うのだけれども。母と自分がいなくなれば、この味ももう終わりなわけで。寂しい気もします。

それにしても、引っ越した矢先に、暴風雨と雷。
大雨と雷で、このボロ屋大丈夫かいなと、いきなり不安です。
三角州だから水害にはめっぽう弱いだろう。

あと、町が碁盤の目に整備されているので、戦災でいったん焼けたのだろうなぁと思ってはいましたが。
区の歴史を見ていたら、1923年の関東大震災で前身の本所区の9割余りが焼失して焼死者4万8千人。さらに東京大空襲で6万3千人の死傷者と30万人近い罹災者を出した。天保7年7月の隅田川出水をはじめ、水害にもたびたび苦しんできたとのこと。

多分今も、他所に比べると災害に弱いことはいえるのでしょう。防災意識が高くハザードマップもあちこちに目に付くのはその裏返しかと思う。そういうのを見ても、都市に住むにも、人間、自然と大変な思いをしながら付き合ってきたのだなぁと感じます。この街の人たちは、ここが開拓されたときから自然に叩きのめされては、しぶとく蘇ってきた。そうした先人の足跡も、辿ってみたいと思います。


さて、話は変わりまして。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061226-00000018-imp-sci

掲示板などの、プライバシー侵害や名誉毀損の書き込みに関して、掲示板の運営者やプロバイダが、書き込みを行った発信者の身元を明かせという請求について、対応する際の新たなガイドラインが策定されるとのこと。早ければ2月に導入。

名誉毀損については、「公共性や公益性、真実性などが認められない個人への誹謗や中傷に限って自主的な開示の対象」とのこと。

ガイドラインだから、法的拘束力はないのでしょうけれども。
これまで、発信者の身元開示の要求については、プロバイダやサーバ管理者は、どういう場合に開示していいのか分からないから、発信者の同意を得てから開示していたらしい。つまり、掲示板で中傷を書き込んだ人に、攻撃された人から「誰が書き込んだのか教えろ」と請求があったときに身元をばらしていいか、わざわざ問い合わせていたとのこと。そんなので真面目に返答する人は少ないでしょうな…。
けれども、このガイドラインによると、これが、発信者の同意なしでも、プロバイダが発信者の身元を教えろと請求してきた人に知らせてOK、ということになる。

これ、どう見ても2chの存在が念頭におかれていますよなぁ。
あと、SNSやブログにおいての、ネットいじめなどへの対処というのもあるのかもしれない。

人間、ネット世界において、自分が誰だか知られない、隠れたままでどのようにでも好きなことが言える、という条件では、いくらでも傲慢で卑小で攻撃的で正直になれるものだと、2chなどを見ていて、感心してしまう。あれは人間というものを学ぶにはとてもいい場所かもしれないです。

ただ、匿名性に隠れて他者を誹謗中傷する人は、その時点で、誹謗の対象より蔑まれるべき低レベルな人間性を持っているということは、間違いないと思う。自分を隠して他人を蔑み罵倒することで優越感を得ようとするなぞ、まったくさもしいと思うのですよな。他人の悪口ぐらい自分の名前で言えよ、と思います。

…と云う事自体が誰かを罵倒していることになるというジレンマは棚に上げておいて。

で、こういう世間様に背を向けたようなことばかりのたまっているサイトだと、叩かれたり晒されたり攻撃されたり荒らされたり、というのは、ある程度は当たり前だろうなぁと覚悟はしています。むしろ、叩かれてようやく一人前というぐらいのもので。叩くほどの価値もないとかいうのが一番空しかったりする。それも自意識過剰だけれども。
それでもやっぱり、嫌われるだけならともかく、隠れた人間に不当に攻撃されたりすると、正直、辛い。

それで、こうした法・ガイドライン整備により、攻撃者たちが今まで防御壁にしていた匿名性が確保されなくなってしまうというわけで。一応自分の名前で発信している者の端くれとしては、心強く感じるものです。

プロバイダに連絡できる程度に書き込み側を特定するためには、それなりの準備が必要ですが。アクセス者のIPが分かるようにしておけば、プロバイダや発信地域は大体分かる。で、不当な攻撃を受けたときは、名誉毀損の名目で、書き込みを行った人間の住所氏名等の個人情報を教えるようにプロバイダに要求できる。匿名掲示板の場合は、掲示板のあるサーバの管理者に連絡すればいい。

書き込む自分の身元が、いつ自分が攻撃した人間にバレるかわからない、というような状況は、恥の文化たる日本人にとっては、結構恐いものなんじゃないかと。

(あ、自サイトへアクセスして下さっている方のIPをいちいち見るのは、面倒くさいとかいう以上に、なんだか覗き見しているような感じがして失礼だというような気がするので、普段は全くやらないです。自分がよく訪問するサイト様でも、「この時間にこんな大量のアクセスがあった」とか「〜というところから閲覧されている!」とか仰っていれば、監視されているようでびびってしまってしばらく足が遠のいてしまう小心者ですので。ただ、もし自分が攻撃を受けたら、それなりの手間は踏んで防衛したくなるのが、人情ってものです)

別に「ウチ荒らしたら、本名と住所割り出して親兄弟に連絡する準備ぐらいはあるよ?」なんて脅しをかけるわけではないのですけれども。ええ、決して。全く。全然。


さて、プライバシーの保護、個人情報の保護の重要性が強調されて久しいですが。私はプライバシーの尊重しすぎというのも弊害が大きいのではないかと感じています。単に、プライバシーとかいうもったいぶった言葉は好きになれん、というのもありますが。

個人情報の保護がどこか履き違えられて、ネット上では、自分というものがバレないから何をやってもいい、というようなモラルの低下に繋がっている気がします。

セキュリティはまったく別問題だし、芸能人やスポーツ選手など、誰もが知りたいと思う有名人についてはその生活の安寧は保障されなければならんだろうとは思いますが。

ただ、日本人には、世間様に対して顔向けできないという恥を何より恐れる心がある。体面とか建前とか見栄とか世間体とか、自分がどう見られているかを気にしている言葉は日本語にはかなり多い。
その、「どう見られるか」という意識が治安を保ち、人間関係をスムーズにしてきたわけで。

一方で、個人情報が保護されすぎて、自分という者が世間にバレないという状況。そしてこの恥の概念がなくなってしまったらと思うと、そのほうが怖い。
そのタカが外れてしまったのが、2chに代表されるような無法地帯な世界なのだろうなぁと。

無論、匿名掲示板の書き込み内容は、玉石混合で、良い情報もいっぱいあるし、自分も何度も助けられたりしています。それに、ご指摘にはごもっともなものもあり、己の身を振り返る機会にもなり、ありがたい限りというのもあります。ただ、必要な情報を取捨選択し、都合の悪いものはあっさり無視するドライさは必要だと思います。ちなみに自分が対象になった場合、褒貶に関わらず、匿名の人が相手のときは、掲示板でもメイルでも一切反応はしないようにしています。というか、匿名でモノをいうこと自体がそもそも好かんというのがある。

けれども、なかなかこれが、口で言うほどたやすいことではない。皆、感情の生き物だから。大抵は売り言葉に買い言葉になる。特に誤解や中傷に対してはどうしてもモノを言いたくなるのが人間。言わないでいるのは体に悪い。そしてヒートアップしていくのだろうなぁと。

ただ、罵り合うにしても、いつか「自分」だとバレるかもしれないと思うと、自分の発言に責任を感じるようになり、それがどこかでストッパーになるかな、と思います。

それで、こうしたガイドラインにより、ネットにおける恥の意識が少しでも喚起されればいいなぁと思うのでした。そうした意識が進むと、無責任な蔑みや罵倒は抑制されるのではないかなぁと。そうすると発言に若干の責任意識が働き、情報の取捨選択もしやすくなるのではないかなと、ほのかに期待します。

まぁ、ガイドライン自体は名誉毀損で裁判沙汰に発展するようなケースを想定しているのであり、過剰な期待はできないとは思うのですけれども。

…これでちょっとだけ言いたいことが言いやすくなったかなーなどと、この小心者にはささやかな暗い喜びが沸いてしまったことです。

いや、何を言うにもそもそも敵をつくるような表現のしかたをするのが悪い。世間認識に反したことを言っても他者様を決して不快にしない表現でかつ言いたいことに説得力を伴わせて言うことに、発信者としての力量が問われるのだろう、とは思うのですけれども。

人間が至らない奴なので、つい安易な方向を求め、環境整備を喜んでしまいます。はい。

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2006年10月11日

著作権の進化

米Googleが、動画サイトYou Tubeを約2000億円で買収。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061011k0000m020075000c.html
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20266088,00.htm

Googleも懐が広いなぁ…。
まぁ、著作権で風に当たっているのはGoogleのほうなので、You Tubeがその傘下に入ることによりGoogleが倒れたときに共倒れになるのではないかという見かたもあるようなのですが。
やっていることは、著作権のほかに放送権も踏みにじっているYou Tubeのほうが、業が深いですよな。

著作権の考え方でいくと、著作者の利益を保護するというのが、法の基本。
逆に言えば、著作者の利益になっていれば、問題は起きにくい。

Amazonなどの本屋サイトやそのアフィリエイトなどで、表紙の画像を出版社・著作者に無承諾で掲載することは、著作権を杓子定規に捉えると、著作権違反です。

また、漫画のキャラクターを自分で描いてみたり、小説の設定をパロディで書いてみたりする二次創作は、全て著作権には違反している行為なのですが。
誰もそんなことは騒ぎ立てません。サンライズなど一部厳格に取りしきっているところはあるようですが。
むしろアニメ製作会社や出版社が、同人誌即売会などのイベントに出資する勢い。
これは、二次創作作品が、オリジナルの認知度を高め、読者の原作品への愛着を高め、更なる購買意欲を高める働きがあるため。

つまり、Amazonにしても、二次創作にしても、You Tubeにしても、結果的に著作権を有する出版社、著作者の利益になるから、野放しにされている。

これは「黙示の許諾」と呼ばれています。
許諾どころではなく、むしろもっとやれと煽り立てられている状態。
二次だろうが違法コピーだろうが、作品のファンを増やせることは、著作者にとっては何よりの投資効果をもたらすのです。

で、インターネットは、著作権の在り方をガラリと変えて、新たなニーズとマーケットを掘り起こした。
それは、埋もれた希少品を安価に掘り出す、マニアの世界。

古本を例にとると分かりやすいと思うのですが。
希少でディープな本ほど、マニアには受ける。けれども数は吐けない。一般受けはしない。
マニアは一生懸命血眼になって探すわけですが、大部分の人間にとっては価値のない屑。

そういうものについて、情報を整理して、求めている人に、安価に短時間に供給する。
それが、検索システム。検索は、世の知識構造を変える画期的な技術なのです。

情報提供者は、今まで売れなくて倉庫に平積みになっていた本が売れる。マニアは長年探し回らねばならない本を一瞬に見つけることができる。
Amazonの古本や、「日本の古本屋」等のサイトは、情報の提供者と享受者双方に、利益をもたらす。Win-Winの関係を作るわけです。

大半の本屋は、ベストセラーの売れゆきで稼いでいる。売れないマイナー本など在庫を増やすだけでコストがかかり害悪とすらいえる存在なのですが。Amazonの場合はこうしたマイナー本を取り扱い、マイナー本の売り上げが全体の1/3から半分を占めるのだそうです。

これ、横軸を売れ行き順に並べ、縦軸を売れ数に並べたグラフにすると、恐竜の長いしっぽが地を這うような状態でずーっと続いている図になることから、こうしたマイナー本群を、ロングテールという。

で、ネットはこうしたロングテールの発掘と提供を可能にするわけで。
表紙や、ちょっと見せます程度のちっこい動画を掲載することは、これまで捉えられなかった極小の消費者のニーズを、低コスト短時間小労力で掘り起こすができる。出版社やDVD会社としては、自らなにも労をせず、コストもかけず、欲しい消費者に的確な広告を与えてくれるので、表紙の画像掲載もちっこい動画の掲載も、どうぞやってくれと持て囃したいところでしょう。

で、こうした多すぎる情報を整理し、消費者が望む情報を簡単にもたらしてやるシステムの提供者が、Googleであり、You Tubeであり。彼等は広告収入によって稼いでいる。トリプルWinの構造。ちょっと揺らぎようがない感じです。

あ、米Googleが著作権で問題になっているのは、三大大学図書館の書籍を全てオンライン閲覧+全文検索化しようとした、とっぴょうしもない壮大すぎる野望のため。いずれそれも認められる流れになっていくのだとは思いますが。時期尚早過ぎたのではないかなと思う。でもその野心が大好きです。

特に二次創作をされている方には、出版社の「お目こぼし」で行えている状態、いつ咎められてもおかしくない、という意識があるようですが。

AmazonやYou Tubeなどの巨大商用サイトにせよ、個人の二次創作にせよ、著作権で問題にすることは、時代に逆行することになるのだと思います。そして、それらの利用者が、これは違法だし…とか肩身狭く感じることもなくないのではないかと。著作権で訴訟を起す企業のほうが、一般に対してはイメージが悪くなる。

問題になるとしたら、それは、法の本質から離れた、やっかみや嫉妬や気に食わなさといった、個人レベルの感情が起きるときではないだろうか。

そしてそういうので著作権侵害を言い立てても、だいたいは著作権以前に、「権利濫用禁止」という民法1条により、門前払いを食います。実際、特許法や著作権法で、権利濫用を根拠に権利行使を制限した判例はかなりあるらしい。

権利云々を言いたてていちゃもんをつける側が、法の本質を考えていない、ということで、恥をかくということでしょうか。

(アイドルやスポーツ選手など実在の人物を取り扱う、いわゆる生モノの場合は、生きている人間の肖像権や名誉毀損が絡むから、また違うのでしょうけれども。実在意識とキャラクター化が混在している歴史サイトは、大変微妙だ)

あと、いちおう端っこだけでも歴史系マニアとして望むことは、もっとフェアユースの概念が日本でも広がってくれないかなぁ、ということです。

フェアユース(公正利用)とは、個人の利益ではなく公共の便益にかなうのであれば、著作権法の中で、認められている許諾がなくとも使用できる、というもの。著作権は守るだけでなく、著作物をみんなの共有財産として有効活用していかなければならないという考えに基づきます。アメリカなどでは一般的になってきた考え方です。

たとえば、まだ著作権が消滅していない大鳥関係資料について、このフェアユースの概念が適用されるなら、大鳥の業績を広めることが日本人が日本人としての誇りを高めることに寄与するのであれば、著作権上求められる許諾などの手続きなしに、自分がサイトに全文アップしても問題ない、とかいうことになる。

こちらのサイトに概念や背景が詳しい。
http://www.nic.ad.jp/ja/materials/iw/1997/proceedings/fujimoto/fairuse.html

特に個人サイトの場合、個人の利益のためでもないし、著作者の利益も侵害しない。そもそも絶版になっている文献も多い。ベストセラーになるような本の初版の内容をそのまま載せるのは問題ですが、載せても載せなくても出版者の利益には関係ない、むしろ関連書籍への需要が掘り起こせるし、それが公共の利益に適う、といった場合には、著作権は顧慮しなくてもいい、となると、大変助かるのですよなぁ。

技術にあわせて、法の取り扱いも変わっていくのだと思います。逆に、変わっていかないとおかしい。何のための立法機関だ、ということになる。

余談ながら、5年ほど前にミャンマーで、カラーコピー機が国内になくて、報告書作成に大変苦労したことがあった。偽札を防ぐため、カラーコピーが違法とされていたのですが。スキャン+カラープリントアウトはOKだった。で、プリントアウトのほうがコピーよりも画像が解像度が良かったり。何のための違法だ、という疑問が大きかった。更に言えば、品質の悪い兌換紙幣を発行しているほうが悪いと思う。今は変わったのだろうか。

えーと、法についてはまったくのシロウトなんで、鵜呑みにしないでください…。
情報の取捨選択能力こそが、これから個々人に求められる生き残り資質になるのではないかと思います。
などと、しれっと。

こうした、Webの普及によって世界がガラリと変わろうとしている。今すさまじい知識の変革期にある、ということは、以下の書籍で実感できます。

「ウェブ進化論」梅田 望夫、ちくま新書
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480062858/sr=8-1/qid=1160504843/ref=sr_1_1/250-5395122-3089853?ie=UTF8&s=books

前からずっとご紹介したいと思っていました。
どきどきわくわくしながら、一気読みしてしまえます。すごい興奮した。どんなファンタジーより今の時代が楽しい。
欲を言えば、もちょっとハードの価値を認めてくれればなと思いましたが。今、この世に何が起こっているのか。鋭く簡潔に読み解いた、名著です。

要するに、二次創作もAmazonもYou Tubeもどんどんやってくれ、といいたい。私は喜び勇んで、全て利用させていただいており、大変大きな便益を享受しておりますし、消費者として市場に金を供給する「義務」も果たさせていただいています。ははは。

That's オタク。オタクこそが、時代のパイオニア。

といいつつ、すでにもう取り残されている自分を自覚するばかり。進むの早いって。世界。ようやくこの間携帯を手にしたばかりだというのに。メイルの打ち方どころか、自分のメイルアドレスがどうなっているのかも良く分からない。

第三世代って、ワンセグって何ですか。ワンレンの親戚ですか。
何がおきているのかを理解する間もないうちに、もう次にどんどん進んでいる…
posted by 入潮 at 03:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

樺太とサハリンエナジー

ろ、ロシア…。
こいつは国辱か、と思いました。資源自給率の低い国はこうやって足元を見られるんだ。

サハリンII。
可採埋蔵量は原油約11億バレル、天然ガス約18兆立方フィートを有する、ルンスコエとビルトン・アストツスコエ鉱区を開発するプロジェクト。ロイヤル・ダッチ・シェル社(英・蘭)55%、日本からは三井物産が25%、三菱商事が20%を出資したサハリンエナジー社が実施主体。日本にとっては、エネルギー源を中東に依存し過ぎないための、エネルギー安全保障のための開発。
このプロジェクトに対して、ロシア天然資源監督局が、事業許可承認を取り消す決定下した。
理由は、「環境対策に不備がある」とのこと。

…あれだけお金と時間をかけてEIA(環境影響評価)をやらせといて、今更それか…。(EIAのレポートはサハリンエナジー社のWPにある)
無許可で樹木を伐採した事例が54件あったとのことですが。そりゃ、いちゃもんレベルだろう。

鮭の遡上を妨げたというのもあるようですが、そういうのは事業への反対を目的化したNGOの常套手口。データを出さずにまず定性的なことをいって、批判だけする。データを出すとどうとでも見えるように見え方を作ってくる。

(環境を破壊してもプロジェクトを進めるべき、といっているのでは決してないです。ただ、事業者は何億円単位で月日をかけてEIA調査をし、環境保護のための代替手段も講じ、企業としての社会責任を果たした。そこに事業反対のための感情的な環境破壊反対を起すのが、売名行為めいていて好かんのですわ…。
本当に必要なのはその事業の便益を確保しつつ環境影響を減じるための、技術的な代替手段の提案でしょうに。鮭の遡上ルートを別の河川に創生するとか。
本当に環境保護活動をやりたいなら、そういったミチゲーション(緩和・軽減)手段のための予算を、実施主体の企業と国やUNDP/UNEPのGEF(Grobal Environment Facility)あたりから確保して、ミチゲーションプロジェクトの主体となるぐらいの根性を出してもらいたい、と思ってしまうのです。環境は「守れ」と口で言えば守れるものではない)

それで、事業停止命令ながら、「事業が白紙に戻ることはない」という露政府見解。

これは「国営ガス独占企業ガスプロムはサハリン・エネジーの株式25%譲渡をシェルに求めているが、両社の交渉が進んでいない実情があるため」「建設停止が事業主体の企業価値の下落につながり、株式取得を目指す同国のガス独占企業、ガスプロムの本格的参加などより良い条件を引き出すことにあるとの見方が有力」

(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060919-00000032-mai-bus_all)
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060919-00000785-reu-bus_all)

つまり、環境問題でケチをつけてEIA承認を取り消し、事業停止まで追いこんで、サハリンエナジー社の株価を下げて、自国の国営企業(株の過半数は露政府)に安価で株を取得させる。
それで、他国に投資させるだけさせておいて、建設が8割すんで、事業がいざ回収段階に入ろうとしたら、その権益だけもらおうってことか。

環境問題というのは、一番、難癖をつけやすい。どんな事業でもパーフェクトな環境配慮なんてできない(木の一本一本、動物の一匹一匹数えていられない)。どんな形でも文句はつけられる上に、世論は味方にできて、正義を振舞える。
それで、ロシア、WWFはともかく、あのグリンピースまで呼んで記者会見とは…。(http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060920&j=0026&k=200609203026)

それで、原油高だからって、たやすく事業撤退は無いだろうと、うまい汁だけ啜ろうと、こうして大きく出る。
こういう国をこそならず者国家と呼びたい。

(しかし事業収入が100億円で、投資額200億ドル。三井物産、三菱商事の投入は計9000億円。よく回収の目処立てたなぁ。単純計算で200年以上…?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060919-00000823-reu-bus_all
http://www.sankei.co.jp/news/060920/edi001.htm
…いっそ日本近海のメタンハイドレードの開発に当てたほうが良かったのではないのか、という気がしてきた)


日本は、なにせ資源がないから足元を見られる。日本の最大天然ガス輸入相手であるインドネシアも、エネルギー輸入国に転落する。
そして、ロシアなど何百年も前からずっと不条理にいじめられ続けてきた国に頼らざるを得ない。
安全保障の組み先がまったく安全じゃない。

安全をうたうなら、アメリカ国債を買うより、資源保有国の国債を買いあさって、いざというときに国債を大量放出して価格の下げ脅しができるようにする、ぐらいの度胸がほしいなぁ。
そのためのファンドがもし公募されるなら、自分はなら喜んで長期で組む。…いや、そんな資金はありませんけど。

でも、雀の涙も蒸発するような利子0.1%で貯金して、その金が14%とか28%とかの高利の消費者金融に廻されているのが現状かと思うと。

なんつーか、不条理さに涙がでます。

5年ほど前にサハリンに行ったときは、大規模森林火災で焼けおちた、森の墓場ともいうべきタイガが延々と続く。不毛で寒々しい。夏に高山植物が生えるぐらいで、後は1年間風雪の中。いるだけで心が泣けてくる土地。食料も手に入らなければ泊まる宿もない。高校生の就職希望先、男子1位はマフィア、女子1位は娼婦という、荒んだ土地柄で。希望といえば石油・ガス会社の落としていくマネーぐらいしかなかった。

今もあまり状況は変わってはいないのでしょうが…。
あの寒々しい地域がますます国際利権争いの道具になっているのを見るのは、やりきれないものがあります。地元にとっては資本が入るというのは幸せなことなのでしょうけれども。

さて、サハリンといえば樺太。樺太といえば黒田。

明治3年5月9日、黒田は、樺太開拓使に就任しています。
当時、日本近海におけるロシア兵の暴行にたまりかねて、樺太出兵論がおきたのですが、黒田は非戦論を唱えていました。財力不足、兵制整わず、人材欠乏がその理由です。
就任後、黒田は国境安定のために、樺太に向かいます。

黒田が樺太に赴く際、木戸さんが、黒田に歌を贈っています。

地球は一塊物 何ぞ必ずしも東西を論ぜん
行きて偉業を為せ 賛ふべし造化の功
鯤魚大鬚を振い 飛んで北海の中に入る

造化:天地とその間に存在する万物をつくり出し、育てること
鯤魚:中国古代の想像上の大魚。北方の大海にすみ、大きさは幾千里

地球はひとつの塊。東西を分けて論ずる必要などあろうか。
大鬚を振った鯤魚(黒田)が、今北の海に入る。

……木戸さん。熱いです。
榎本らの処遇に関しては対立もありましたが、基本的に木戸さんって黒田の理解者なんですよな。
(タッグを組んで一緒に征韓論反対したり。明治7年5月に木戸が病に伏していたとき、黒田は八代口戦記と戦闘図を木戸に贈って見舞ったり。)

この詩をそのまま、三井物産さん、三菱商事さんに捧げたい。

樺太において、黒田は露国官吏と親善を尽くし、紛争は万国公法に照らして処分すると約しました。

それで、樺太開拓使を北海道開拓使の管轄においた挙句、「三年ももたん」とあっさり手放した黒田の判断の豪胆さが、頼もしくてしょうがないです。

その黒田も、サハリンが宝物庫になって、またロシアに日本がいじめられていると知ると、なんと思うか。
明治から昭和まではたとえサハリンを領有しても荷物になるだけだったから、関係ないだろうといえばそうなんでしょうけれども。

…井黒本を見ていると、感化されまくって、黒田贔屓になりすぎて困ります。
まとまり無くてすみません。

(参考:井黒弥太郎「黒田清隆」吉川弘文館)

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2005年06月14日

分からないことだらけ

新しいアダプタを求めて、街中をさまよっていました。注文は出来るが、少なくとも45日はかかるとのこと。シンガポールからインド経由で陸路で運んでくるからなぁ。陸の孤島だ。

で、OAの修理屋のようなところがあったので、アダプタが直せないのか頼んでみました。さすが、職人です。中身を開くのに、ノコギリでガリガリ切ったのには、びびりました。精密機械への遠慮のかけらもありません。
それで、見事にキャパシター(コンデンサ)が焼き切れていることがわかりました。同じ容量のキャパシターに変えればいいのですが、容量が合うのはあっても、アダプタの中に納まらない。ここにあるのは全てインド製なのですが、「インドは色々作るが、小さいのは決して作らない」とのこと…。

そんな感じで、素直に諦めて、バンコクの同僚に頼み込み、同じアダプタを調達して送ってもらうことになりました。

で、その間の応急的な使用として。
自分のはHP-Compaqで、他の方々のPCとは機種が違うので、アダプタの差込口のコネクタ形状が違うし、電圧も電流も違う。
ただ、電流は、アダプタのアウトプット側の値を越えていなければOKだし、電圧は多少違っても大丈夫ということ。

そういうわけで、電流値が同じ、電圧が少々低い、上司のIBMのアダプタを借りました。
勿論、コネクタの形状が違う。そこで、自分のアダプタの差込口を、切って、中のプラスとマイナスの配線をむき出しにして、別のアダプタの差込口に巻きつける。テスターで測ると一応電圧が来ました。無理やり自分のコネクタと別のアダプタをくっつけたものを、PCに指す。すると、ちゃんと電気がPCに来てくれました。

ただ、電圧が低いせいか、バッテリーの充電はしてくれない。これは、他の1〜2Vぐらいのアダプタを直列につないだら、直流だから単純に電圧が加算されて、うまく電圧が上がるだろう、とのこと。

そんな感じで、だましだまし、PCを宥めながら。トラブルに遭遇すると、何かと勉強になります。
というか、直流、電流・電圧の性質などは中高生のときに習っているはずなのに、いざ、機器を目の前にしてみると、何も分かっていないことが分かる。経験というか、普段から触れていないとなかなか、実用の知識とならない、というのはあるのでしょうけれども。

自分って、身の回りのこと、何も知らないんだなぁ、と実感してしまったことです。

PCが使えないと、考える、書く、話す、という人間として当たり前の表現手段を奪われたような気になってしまう、PCジャンキー人間ですのに、そのPCの動作の元になるパワーシステムのことも何も知らないわけで。
ただ、そういうのの基礎知識は、ちゃんと、中学生、高校生の教科書に書いてあるのですよね。後はそれを踏み台として、現実に使われているツールを知っているかどうか。日本の詰め込み教育というのは、偉いものです。

で、幸いというか、怪我の功名というかで、こういったトラブルへの対処法を知るがてら、ものの仕組みにちょっとだけ触れることができたわけですが。
始めてみると、楽しいんですよね。身の回りの、わけが分からないけれどもとりあえず動いているものが、どういう仕組み、どういう原理で動いているのか。

その辺り、蒸気機関やら大砲やら写真やら、西洋のいろんな、わけがわからないけれども便利そうなものを、一から紐解いて、理解していく楽しさを追い続けた人の気持ちに、ちょっと触れられたような気がしたりして。

というか、時代の軋みを実感として受け取っていた人たちに比べると、本当に些細なことではあるのですが。
取り組むことが大きすぎて、普通なら萎縮してしまうようなことに、こつこつと、一つ一つ向かい合った、ということに、畏敬の念を覚えずにいられません。

好奇心で目をきらきらさせて、わからなかったものが分かるようになって喜んでいる人って、いいよなー、と。
その辺りが、大鳥スキーのツボの一つです。いや、一杯ツボはありますけど。肉の後ろに入り込みすぎてよく分からなくなっているツボとかも多いですけど。これは比較的分かりやすいツボなんじゃないかと。

…えっと、何の話だっけ…。
と、とにかく、圭介って、自分が知らないということを、本当によく知っていた人なんじゃないかと思いました。
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2005年04月15日

失態

はー…。
ちと、というか、だいぶ、沈んでました。もう浮上しました。
下手したら給料○年分じゃすまないような損害を会社に与えるような失態を演じかけてしまい、辞表の文面を考える羽目にまでメリこんでました。
結果的に事なきを得ました。いろんな方に助けていただきました。良い勉強になりました。

切腹したい武士の気持ちが分かった。責任取るよりずっと楽だから。
万円の損害を与えたら、万円以上、自分の力で稼いで会社にお金を入れればいい。
けれどそれをやるには能力的にも体力的にも大変だし、何より、「あいつはあの失態をした」というレッテルと共に生きていかなければならない。それよりは、辞めるか死ぬかして逃げられるならよっぽど楽だ。

失敗すると本当に疲れます。自分が悪いのですが。
いつもなら、圭介ならこの状況で笑っている、と自分を奮い立たせたけれども、今回はそれすらも浮かびませんでした。
たかが金のことなんですが。それによって被害を蒙る方が多々出ると思うと。指名停止が出ると社運にかかわってくる。
これが人命にかかわっていたと思ったら、立ち直れません…

で、やめた後の算段まで立てていました。
もう、会社の寮にいられないから、国会図書館から15分の半蔵門沿線の安い1961年造のアパートに引越し。1年間は国会図書館と公文書館に篭って、大学の社会人コースで論文をかく。

それから、北海道であともう半年ぐらいはバイクで放浪して、カムイコタンでアイヌの踊りを覚えて、北方資料室に3ヶ月篭る。それからテントで全国1000箇所の温泉に入りながら旅、途中、戊辰戦争で圭介が歩いた跡を歩いて辿ってみて、白神山地で山篭りして、四国八十八箇所霊場巡りをする。

その後3年かけてシルクロードと中東とアフリカと南米をバックパッカーやって滞在国を3桁まで増やして、その先は塾講師かNGOをやりながら旅行記とかの物書きして、金が尽きたら、ミャンマーで出家する。

中国にわたるのは新鑑真号。カイバル峠は徒歩で越える。ガンジス川で死体と一緒に流されながら人生とは何かを考えてみる。ペトラの遺跡で脱水症状になってみる。イスタンブールでは腹いっぱい鯖サンドを食いながらイスラム教徒の前でビールを飲んで顰蹙を買う。サウジのデザートラリーで車ごとひっくり返ってみる。

……てな感じで、希望とやる気に満ちあふれた人生十ヵ年計画ができてしまいました。

ああ、本気で辞表を書きたくなってきた。なんでこんなにやりたいことがあるんだろう。

いや、やっぱり、今の仕事があるからだろう。結局、今の仕事がいちばんやりたいことで。やりたいことをやっているから、他にやりたいことが生まれてくる。逆にやりたい事が無いと、中々やりたいことが見つからない。そんな感じで。

で、そんな仕事ばかりの人生で何が楽しいの? というのが一般論でしょうが。
楽しいんだよチクショウ。
望まない仕事で1億稼ぐより、適当な仕事でプライベートで遊ぶより、100カ国を役立たずのまま放浪するより、村に食料送ったり小学校やら病院やら建てて感謝してもらうより。
薄給で過労死寸前でも、融通の利かない会社や自分の国の役人、相手政府とガンガンやりあって計算して設計して計画立てて金の都合をつけて、実際の国全体に効力に及ぼせるものを作って、ちょっとでも微力でも、実質的な力に結びつけることをやっているほうが、いい。

人間として大事なものを失ってもいますが。
健康で文化的な生活とか。
よき伴侶とすごす将来とか。
子を育てる幸せとか。
家族との縁とか。

いくらこれで良いのだと納得していても、人間としては誤っていると思います。やっぱり、やりたいことやっている人生よりも、家族のもとで、パートナーとともに次世代を育てる人生のほうが、れっきとした本筋なんだと思います。

だから、こういう人生だと、死ぬときは孤独死ですな。ただ、アパートの一室で腐乱死体になって周囲に迷惑かけるのも恥ずかしいので、サクッと山中で、誰にも知られず、迷惑かけずに、土に返るほうがいいなぁ。
ていうか、獣に食べられるのがいい。今までさんざん、獣も植物も、手前の口で食い散らかしてきたのだから、最後は食われるというのが、巡りという点からは、一番しっくりくる。あるいはバイオガスのタンクの中に捨ててもらって、発電して、エネルギーになって、二酸化炭素と水になる。リサイクル万歳。10 kWhぐらいにはなるだろう。一般家庭1日分の消費量にしかならんか。人間も、死んだらただの、バイオマス。

なんか逃避的になってしまった。単に疲れると、そんな風に思考があっちこっちに行くだけです。
別にブルーに入っているのでも、世を儚んでいるのでも、「結婚しないの?」といわれて「しないのはなくてで、きないんだ」と自棄になっているわけでもなく(いや、最後のかなりあるか)、素でこんな奴なんです。嫌な気分になってしまったら、ごめんなさい。世の中にはこんな数奇なことを考えている生き物がいるんだなぁと、あざ笑ってやって下さい。

そんな感じで。
すぐに逃げたくなる根性なしとしては、自分で失態を演じてみて、改めて、死に逃げず降伏という責任を取る道を選び、また、世の評と恥を知り、嘲られる事を覚悟しながらも、出仕して自らの力を世に役立たせた、彼らのその強さに、打ちのめされずにはいられませんでした。

祝福のような元気をいただきます。
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