2011年09月18日

坪井塾と大鳥圭介 その2


大鳥の坪井塾時代に師事した大木忠益=坪井芳州=坪井為春。
坪井信道の第二女婿。薩摩藩奥医師。
この方については、斉藤祥男氏の「蘭医気坪井の系譜と芳治」に詳しいです。

同書から抜き出した年譜は以下の通り。


文政七年 十月十五日、米沢に生まれる。父は米沢郷医大木松翁。

天保十一年 坪井信道の塾に入門。後、塾頭

嘉永元年 坪井信道死去。塾生の教育に当たる。

嘉永五年 芝浜松町に開業。信道の二女 幾と結婚。

安政元年 薩摩藩奥医師に召され、坪井為春と改名。

安政六年 江戸に戻る

万延元年 蕃書調所教授

文久元年 西洋医学所教授

文久二年 二男二郎出生、妻幾と長男が死去

明治元年 鎮城府医学助教、後医学教授

明治二年 大学中博士

明治四年 文部省編集寮助

明治五年 文部省六等出仕

明治十一年 埼玉県立医学校長

明治十二年 埼玉県立病院長を兼ねる

明治十七年 東京大学御用係

明治十七年 三月三十日没


この方の伝記としては、東京医事新報新誌第四百三十三号、四百三十四号「坪井為春先生傳」があります。上書に掲載されています。

医事新報は、「新報」と言いながら蘭三郎氏が大鳥さんの自伝草稿を寄稿していたり、幕末洋学者の系譜に詳しかったり、良い史料が多く含まれています。医学史というのも一つの専門分野です。

その「坪井為春先生傳」が面白く、坪井芳州=大木忠益の基礎資料となるものだと思いますので、書き出してみます。
カタカナ→ひらがな、句読点追加、旧字→常用漢字への変更を、勝手に行っています。

先生初め大木忠益と称す。文政七年甲申十月十五日、出羽米沢某里に生る、家系を詳かにせず。世に米沢藩の郷医たり。父松翁門人某氏を養子となし、大木姓を譲与し、家族を携ふて都下に移り、下総松戸駅に寓し、先生(忠益)を米沢藩侍医堀内忠良に従学せしむ。此年十九。翌年堀内氏を介して先生を長藩侍医坪井信道の門に入る。この年二十。

在塾勉学すること六年、日習堂塾監となり、此年廿十、赤澤寛輔の後を受て塾頭となる。此年廿三。坪井翁病篤し。先生病床に侍して看護し、八月より十一月まで四月間寝食を廃して心を尽し、身を役す。その懇篤周悉なること、人見て感賞せざるものなし。蓋し中情の深切なるに出る所なり。既にし翁の病終に起たず、時に嗣子信友尚少なり。義子信良は家を監して病用に専任し、先生は塾務を担当し、三十余名の生徒を訓導し、両人協力同心し、家名を堕さざらんことを勉めたり。此時先生の名声書生中に高し。諸藩より之を聘せんとする者数家ありたれども、皆辞するに、学ぶ所尚ほ浅きを以てす。然るに同塾に安達楳榮なるものあり。薩の医員。百方先生に誘説し、之を藩侯に薦む。候見て大に嘉賞し、引て白金今里村植物園内に寓せしめ、兵書を翻譯せしむ。是に於て松戸より父母を迎へ侍養す。此年母病て没す。此年廿八。浜松町にト居す。松翁病舊なり。存生中媳(よめ)を一見したしとの懇請に依り、遂に坪井氏の二女を娶る。次て翁没す。此年廿九。

其薩藩に入るや坪井芳洲と改称す。抑も米沢は現時は小藩なれども、従来大藩たりし時の威風旧制の改めざるものありて、凡そ藩人は他籍に入るを許さず、其無禄なるものも此禁を犯ことを得ず。薩州には他国人を領内へ入れざるの厳禁あり。候の先生を寵寓するや之を領地に扈従せしめんとするの意あり。是に於て薩州家より屡照会ありて先生の籍を転せんことを求む。然れども上杉家にては国法犯すべからずとて是を肯せず。啻に両家の吏員商議するのみならず、終に殿中に於て、薩候此事を上杉候に面請するに至りたれども、尚ほ頑然祖先以来の国憲犯すべからずとて結了せず。薩候大に之を憂ふ。

偶々薩候の御用人に山崎某なるものあり。頗る方略あり。又威権あり。大に先生を庇蔭す。一策を案出せり。即ち、姓名を異にせば、両藩において共に制度に礙(さまたげ)なきなりと。依て薩藩にて坪井芳洲と称し、米沢藩にては依然大木忠益と称し、一身にて両名のものとなれり。蓋し芳洲とは其の号を取るにて、坪井と称する所以は次の如し。是より先に信道翁は屡薩州邸に出入し、薩候の信ずる篤きを以て、之を聘すんとの意を内報したることあり。然るに是より数日前に長州藩にて聘せんとするの内約を結びたるを以て此事止みたり。候大に之を憾めり。今や先生既に坪井翁の婿たり。即ち、兵父に代て婿を聘するの意を以て坪井と称するべしとの議に因なり。

此際に方てや先生の名倍高く、都下に震ふ。従学するもの頗る多し。長男俊太郎生る。此年三十二。候の駕に陪し、薩州に在勤す。此年三十四。一年を隔て薩州より帰る、此年三十六。蕃書調所教授手伝に任ず。医学書教授に転ず。
此年三十七。次男次郎生る。此年三十八。俊太郎坪井氏ともに麻疹に罹り没す。次て村井氏を娶る。此年三十九。

明治元年鎮守府医学助教に任ず。二年二等教授に転ず。三男謹三郎生る。三年大学少博士に任じ、正七位に叙す。四年中博士に進み従六位に叙す。五年文部中教授に任じ編輯助に転じ、又文部六等出仕に任ず。既に其の出仕を免じさらに六等出仕に再任す。七年免出仕、位記返上す。奉職七年。旧年埼玉県管内医学教頭聘せらる。県立医学校長兼県立病院長に任ず。奉職八年。十六年文部省御用掛り拝命す。奉職四年。

十九年三月三十日病没す。享年六十三、東京谷中天王寺に葬る、為春院義岳忠益居士と謚す。


大木忠益と坪井芳州の二つの名を持ち、大木塾=坪井塾であるなど、追いかける人間に二倍の記憶量を強いる理由がよくわかりました。

米沢藩は威風ある大藩だったので、その藩士は他の藩に籍を移すことは許されなかった。無禄であってもこれに逆らえなかった。また、薩摩は他国の人間を領内に入れることは厳禁だった。薩摩から上杉家に、忠益を転籍するよう求められたが、受け入れられなかった。

ここで出されたウルトラCが、姓名を変えて、一人があたかも二人いるように見せかければいいじゃないかと。一人は薩摩の坪井芳州。もう一人は米沢の大木忠益。ちょうど大木忠益が坪井信道の娘婿になって名字が変わるのと、芳州は号を取ったことから。

一人で二人存在しているフリ。そんなのありか、と思います。国家としての戸籍というものがなかった頃だからこその話かもしれない。

弘化3年(1847年)に日習堂(坪井信道の塾)の塾頭になるも、この年に信道は病に倒れる。忠益の献身的な全身全霊の看護も及ばず、信道は没する。信道の嫡子信友は虚弱で幼少だった。第一女婿の信良は大阪の適塾にいて不在だった。

信良が戻ってからは、信良が家の中を取り仕切り患者の診療を行った。塾生の指導は忠益担当。そして、名前の広まった忠益が薩摩の奥医師として士官したのが安政元年(1854)。日習堂の後事は坪井信良に託した。そして、芝浜松町に家を構えて蘭学を教えた。同じ年、信道の二女幾妻にしたのは正式には信道死後のことだった。この年から坪井為春として活動する。

ということで、日習堂(坪井信道塾)と大木塾は、繋がりは深いがやはり別ものとみるべきでしょうか。

そして、この年安政元年に大木塾に入塾したのが、大鳥圭介。キミ緒方の塾で鳴らしたんだから、できるでしょ?と言われ、忠益からいきなり塾頭に指名される。薩摩藩奥医師として多忙を極める忠益に変わり、大鳥は塾頭として塾生を指導しつつ、自分も筆耕し翻訳し、兵書研究に没頭する。

「門下生を含めた当時の交友関係について仲田一信博士が纏めたものが、同氏の著書に収録されている。それに加えて今回の遺品整理中に発見した方などの指名を追加させていただく」

として同書に38名の指名が羅列されています。その筆頭に大鳥圭介の名がある。他、伊藤裕亨、中村正直、金子精一、石黒忠悳、子安峻など興味深い名前が。

「大鳥圭介は、芳州坪井為春門下生の中では異色の人・・・芳州門下としては逸材といわれる。なお、詳しくは仲田一信著を参照せられたい」


坪井芳州門下生は皆医者繋がりが多いので、大鳥の進退が異色といえば確かに異色です。

この仲田氏の著作は「埼玉県医学校と日習堂蘭学塾 蘭医坪井信道と坪井為春」のことか。すぐにでも当たりたいが。海とヒマラヤの向こうではどうにもならぬ。

安政五年、芳州は島津斉彬候に従って薩摩に赴き、そのまま斉彬公は薩摩にて没します。この時斉彬候の病床に侍していたのは芳州ひとりだったとの由。この時芳州は斉彬候の死に際して、大変な思いをされたことでしょう。

同じ年、芳州の留守を守っていた大鳥は、師匠の米沢と薩摩のやり取りと似たような形で、尼崎から徳島藩に譲り渡されました。米沢と違って尼崎は「尼崎に過ぎたるもの三つあり、一に馬術、二に沓脱石、三に大鳥」として、あっさり徳島藩候の要請に答えて大鳥を譲渡したのでしたが。

本人の選択によらずに、上の必要と都合に応じて人事が決められていく。優秀な方ほどそうした傾向は強かったのかもしれません。

洋学者に限らずですが、同業者、同じ分野の方々は、親族関係、養子関係を通して先人の功績を受け継ぎ足場を固め、その分野の中で頭角を現していく。そして、新たに台頭した分野であるゆえにいっそう、洋学者同士の結びつきは強い。特に養子縁組は本人にとって大きな展望が開く。その分重圧もある。
一方、大木忠益は坪井家の女婿になる前に、すでに自分の実績で諸藩に力が認められた方でした。

大鳥もまた、そうした氏族・親族の後ろ盾無しに、個人の実力とキャラクターで他者との結びつきを深めながら頭角を現していった。その点でも、異色な存在ではないかと思います。


坪井塾には、当時の洋学者事情が色々と詰め込まれていて、楽しいです。

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2011年09月16日

如楓会第二回オンライン

如楓会第二回オンライン

2011年 10月8日(土)、9日(日) 両日18:00-24:00

近江屋さんと共に、開催いたします。

大鳥ファンの皆様がチャット部屋に集まって、同じ時間に創作しながら、休憩時間にチャットで喋ったり落書きしたりするという、交流と創作を兼ねた企画です。

詳しくは以下のページをご参照下さい。
如楓会第二回のお知らせ

如楓会は、大鳥圭介を主体にした歴史同人創作を行うオフ会です。5月に上郡で、没後百年の記念行事・圭介まつりと合わせて開催しようとしていたのですが、延期になっていました。

今回は、オフ会という主旨に反して、オンラインで行いたいと思います。地理的に主催の片割れが無理という事情によります。すみません。
上郡での開催は、来年以降に企画したいと思います。

創作をしたいけれども、なかなか多忙で手がつかない。そんな大鳥ファンの方々が、創作する時間を共有することで、お互いモチベーションを高めて楽しい時間を過ごすことができればいいなという目論見です。いや圧力をかけられなければ筆が進められない手前を蹴っ飛ばしてほしいというのは置いておいて。

実際にどの時間に創作をするかは、参加者様の自由です。
上の時間のご都合が悪い方は、別の時間に活動していただくことでご参加いただくことも、もちろん歓迎です。


第一回目はPDFの冊子として作品をまとめて、参加者の皆様に電子データを配布しました。電子版アンソロジーと言うと格好良すぎなのですが。今回も、オンラインで同人誌を和気藹々と作りましょう、という感じの集まりです。

ご参考までに第1回の様子はこちら。
第一回開催のお知らせ
第一回中間報告
第一回結果

今読むと、だいぶ恥ずかしいことを書いています。この時は、人物の魅力を知ってほしいといくら資料を羅列しても、読んでもらえなければそれで終わり。資料は強力な説得力ではあるが、手に取るのはなかなか面倒くさい。一方で、創作物は、敷居低く資料にくらべてずっとなじみやすい。現在でも、小説やドラマなどのデフォルメ像そのものが、人物のイメージ形成に強力な役割を果たしている。ならば資料的と創作と双方から攻めるのも、イメージ作りには有効…などと、偉そうにもお為ごかしをのたまっていました。

その第1回から2年が経ち、状況はガラリと変わったように思います。

上郡町の方々が本腰を入れて、郷土の偉人として、大鳥圭介を教育素材として取り上げてくださっている。生家跡地に大鳥圭介資料館であるふるさといきいき資料館が開館した。書画展が複数回開催された。没後百年記念式典が催された。そして、地元の漫画家・郷土史家・アニメーター・クリエーター・ボランティア・役場の皆様が、力を総結させて、大鳥圭介アニメ「けいすけじゃ」を世に出された。
薄桜鬼などのメディアでも、これまでのように他者を引き立てるためにないがしろにされた人物像ではなく、イメージを上向きさせる方向で取り上げられている。

ここはひとつ、その流れにあやかっていこう。
と、気軽に楽しめればと思います。

なお、今回お知らせページに追加したFAQは、実際にいただいた質問もありますが。まじめにやっていると見せかけて、実はそうではないただのオタク活動であるという主張を込めています。楽しいので、ネタがありましたら教えてください。

というわけで。
すでにWebや同人誌で活動されている方、しばらく活動していたけれども今は離れておられる方、興味があるけれどどうやったらいいのかわからない方、ゲームや小説などがきっかけで実物にも関心が沸いたという方。

ぜひぜひ、ご参加いただけますと嬉しいです。

タグ:如楓会
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2011年09月04日

坪井塾と大鳥圭介


圭介の経歴で焦点が当てられるとしたら、適塾と江川塾が多いですが。坪井塾も濃厚で楽しいです。以下、坪井塾と大鳥圭介について、まとめます。

坪井家の関係者は以下の通り。

・ 坪井 信道(1795-1848)、蘭医坪井家筆頭。長州藩侍医。緒方洪庵の師匠

・ 坪井 信良 (1823-1904)、坪井家養子(信道娘「牧」婿)。越中高岡、代々の婦人科医佐渡家出身、1843年信道に師事、弘化元年(1844)養子に。1847年2〜9月、緒方洪庵に師事。後妻荒井ヨノ(荒井清兵衛娘、天保4〜明治41)

・坪井 信友(1832-1866) 信道実子。虚弱。嘉永五年(1852年)洪庵の適塾に入門、しかし遊蕩の末放逐。長州藩に任官。後に信道を襲名。1866年広島で病没。

・坪井 芳州=坪井為春=大木忠益 (1824-1886)、米沢出身。坪井家養子(信道娘幾(ヒサ)婿嘉永五年結婚)、坪井塾塾頭。薩摩藩斉彬公侍医。信道死亡時、診療は信良と代診が協力して行い、生徒教授は忠益が担った。安政二年頃から坪井家とは疎遠。大鳥圭介の坪井塾時代の師匠。

大鳥圭介が坪井塾(大木塾)にいたのは、安政元年(1854)〜安政四年(1857)頃です。大鳥が坪井塾に至った経緯としては、「名家談叢実歴史談」の圭介述懐が詳しい。

大阪を出発し、村上代三郎、三木芳作と同伴して江戸に来る。が、手便る人もなく世話をしてくれる人もなく一時困難した。一方、坪井信道の実子の信友は、適塾にかつて在籍しており、圭介の知人だった。(信良も短期間適塾にいたが、圭介の側に記録はない) 信友を訪問し、その紹介で大木忠益(坪井芳州)に寄宿することになった。


なお、適塾の洪庵の師匠が坪井信道。洪庵は天保二年、22歳の頃、当時の江戸の蘭学の大家、坪井信道に入門、四年間学んでいる。
信道の養子で後継ぎが信良。実子が信友。信良も信友も、洪庵の適塾でも学んでいる。

信道実子信友は虚弱で、明治になる前に病没している。信道が二人も優秀な養子を取っていることは、信友の心情を思うとやるせないものがある。適塾では「放蕩」だったとのことだが。塾内の悪友に何やらけしかけられたのかと心配になる。

また、もう一人の信道の養子が大木忠益(坪井芳洲=圭介の坪井塾の師)。忠益は適塾にはいなかったが、適塾のことはよく知っていた模様。忠益は薩摩藩侍医の仕事が忙しくて、適塾で鳴らした圭介が入ってきたのは、渡りに船だったのかもしれない。塾頭としての塾生の指導は、圭介に任せていた。

坪井信道は長州藩侍医。忠益が薩摩藩侍医、信良が幕府奥医師、という関係も面白い。

なお、信道は、学問は最初に漢学を、そのあとで蘭学修業を、という方針で。信良も信友も漢学を先に学んでいた。

坪井塾の場所は芝浜松町。当時書生は十人程度。
同期で塾にいたのは、加藤弘之、子安峻、安藤太郎、橋本網三郎など。橋本佐内も安政2年前頃はいたので、坪井塾で佐内と圭介は顔合わせしていたかもしれない。

また、漢学者で昌平黌の教授の中村敬宇が、寄宿はしていなかったが、余暇に度々、蘭学の研究に坪井塾に来ていた。加藤と大鳥と会議仲間だった。中村の蘭学習得は、儒者たち周囲から批判された模様。大鳥は中村より二歳下、加藤より三歳上。

安藤太郎や橋本網三郎はおなじみの通り。加藤弘之も、坪井塾時代塾頭の大鳥に世話になったと述べている。明治12年ごろに共に専攻学社を設立したり、東京学士院で数々の講演を共にしたりと、明治に至っても繋がりがある。

圭介の坪井塾時代の生活については、神戸又新日報の記述が生々しくて良い。
当時坪井塾塾生で、大鳥に世話になったという加藤弘之談。「衣服とても夏冬一枚づつと破れ袴、破れ羽織ぐらいもので、虱は遠慮なく繁殖して衣服の裏の縫い目の辺は虱の卵を以て充たされたり。洗濯するにも着替なき程のあり様、柳行李一個あれども中は殆ど空虚なれば、唯ガタガタするのみ。」
大鳥は塾長だから幅のきくほうで、幾分か手当があった。また能筆で他人の為に原書の謄写を行い、これからの収入があったので生活にはまだ困らなかったほう。
ただ質屋の厄介ぐらいは何とも思わなかったと思われる由。
塾生の布団の取り合いはいつものこと。寒気を防ぐに足る夜具は二三人に二三枚ぐらい。この夜具の中に寄り集まって雑魚寝する。真ん中はいいが端は寒い。夜具の取り合いが始まり果てしない。その中、圭介は黙って狸寝入りする。皆が眠ってしまうと、その時を見計らって一人で夜具を占領する。こういうことが度々あった。

塾の子弟の関係はすこぶる親密、情愛は掬すべきものだった。先生と生徒と一緒に酒を飲んで放歌高吟、芝居や相撲を見に行くことも。職業や婿入りの周旋さえなされた。

圭介は金杉橋のたもとの豚屋「葦づ張」に酒飲みによく出かけた。牛肉屋は当時多かったが豚屋は極めて少なかった。安いので書生に人気だった。ここで十分に飲食して、八時ごろ塾へ帰り、布団をかぶって二、三時間寝た。そのあと起きて勉強するのが、酒を飲んだ時の圭介の習慣だった。

圭介は坪井塾頭のころ、寺島宗則(松木弘安)、川本幸民、八木玄悦らとと交際していた。川本幸民は長州藩松平大膳大夫の家来(信道の妻クメの姉妹ヒデの婿が川本だったりする、つまり川本と信道は義兄弟。また川本自身信道の門下生)。八木 元逸は薩摩で、坪井信良塾の塾生。寺島と坪井塾の関係は不明だが、寺島は川本から蘭学を学んだこと、安政三年頃に蕃書調所教授手伝、また、忠益が薩摩藩侍医だから、いろいろと繋がりは見いだせる。
寺島らが圭介に手伝ってくれと依頼したことから、圭介の薩摩上屋敷への出入りが始まり、圭介が斉彬公に知られることになった。

安政二年十月二日の大地震も、坪井塾のころ。


坪井信良については、信良が実家の兄佐渡三良に宛てた「蘭医坪井信良家兄宛書簡集」の、宮地正人氏による解説が正確で詳細。家系図も素晴らしいです。

安政元年(1854)信良、蕃書調所教授補、外国方翻訳出役。松木弘安ら同僚。
安政二年(1855) 信良、この頃まで塾を運営、橋本佐内も塾生
安政四年(1857)年4月、坪井家の本家は前年八月の水害で床上三尺以上の浸水。坪井芳州は薩摩公斉彬の侍医として薩摩へ。信良夫妻は芝浜松町の芳州留守宅に二カ月ばかり世話になる。
安政五年(1858) 信良、蕃書調所教授補
文久二年(1862)信良、横井小楠のコレラを治した。
文久三年(1863)信良、医学所助教授職。類焼で義母焼け出される。
元治元年(1864)信良、7月禁門の変のあおりで陸軍所に虜囚、11月奥医師・判官に。12月、幕府医師荒井清兵衛の娘と再婚
慶応二年十二月から慶喜の侍医。
慶応四年(1868) 信良、鳥羽伏見戦の際、徳川慶喜に従い開陽丸で東帰。四月慶喜に従い水戸へ。後、静岡藩へ。12月、病院頭並。
明治七年(1864) 東京府病院院長


なお、安政元年頃、塾経営難のため、信良は不良塾生を一斉退塾させ、他国入塾生を断った。医書に関係しないものは一切読ませず、医者になる者以外は原則的に入塾させなかった。

圭介が入門したのは、そのまさに安政元年。医学はさっぱり勉強せず、他国の者である上、テクノロジーや兵書の翻訳ばかりやっていた圭介が、坪井塾で幅を利かせていられたのは不思議だ。

信良は塾経営は忠益に任せていたとの由。「大木塾」と「坪井信良塾」は全く同じ塾を指すのか。もしかしたら塾としては別という可能性も。


信良さんが慶応二年十一月に作った詩に噴き出しました。

身分雖美給金悪 僅是俳人中上場 法眼無銭従者少 禿頭有髷入毛長
非番売薬聊呑酒 折節喰饅漸養腸 三樹祇園全断念 沢庵朝漬日難忘

身分は美しいが給料悪くて、俳人よりちょっとマシな程度。法眼っつっても銭は無くて従者は少ない。はげ頭のはずが、髷が結えるまで毛が長くなっちまった。非番にゃ薬を売っていささか酒を呑んで、饅頭食って腸を満たすだけ。祇園なんざすべて断念。沢庵と浅漬けの日々は忘れ難いのさ。

これが医家の最高峰たる幕府法眼、将軍の侍医の作る詩なのか。

傍ら、駕籠と乗馬とどちらが安上がりなのか悩んでいたり。後妻と義母の関係に板挟みになって苦しんだり。なんとも生活感あふれた人。
なお、後妻よのは荒井清兵衛娘(天保4生)。義母は文久三年に家が類焼して家財道具すべて焼けだ出され、信良の家に厄介になっていた。

この後妻の父の荒井清兵衛は医者だったという。荒井郁之助父の、代官だった清兵衛とは別人?

なお、先妻牧との間の長男の坪井正五郎は人類学者・考古学者。正五郎の妻直は箕作秋坪の長女。

奥医師、法眼と医師として登りつめた信良だが、最も充実していたのは、静岡藩での病院創設事業に奔走していた時期ではなかろうか、と宮内氏が解説で述べておられるのも興味深い。東京府病院も在職時期は短かった模様。

坪井信良と圭介の関係は明治もあったようで、圭介が工部省時代に発刊した工業新報にも信良は寄稿していた。


と、坪井塾も、いろいろ見所があり、ネタが膨らみます。当時の洋学者の典型的な生活模様に溢れていることと思います。
スルーされてしまいがちですが、「けいすけじゃ」ではオリキャラの横田なども絡んで、しっかりと生き生き描かれているのが嬉しいです。


posted by 入潮 at 06:08| Comment(5) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

Twitter110806-110903

irisiomaru か…かわぐちかいじが…伝習隊を描いている、だと…? ロシア留学者が主人公ということは、慶応元年の山川大蔵も加わっていたあの一団か。架空の人物が主人公のようですが。これは期待大。 at 08/06 01:39

irisiomaru H22 環境・循環型社会・生物多様性白書http://t.co/4BqxYIt 毎年発行されているが、今回も使えるデータがアップデートされていて有用。より水分野に力が入った印象。飲料水を作る途上国生活で必須のRO膜技術の日本シェアなど、豆知識としても面白い。 at 08/07 00:45

irisiomaru ああなんて甘美な響き。<納涼飲み 今回滞在時間が短く厳しいのですが、またご連絡させてください!@beads_amuse at 08/07 00:57

irisiomaru 「兵馬の旗」、「日本の軍装」に忠実な装備、士官は小銃を持たないこと、元込と先込銃の発射速度の違いなど、細かい点で丁寧に描かれているのが嬉しいです。しかし、滝川息子や窪田鎮章ら、十八万両の件で小野友五郎はスルーだったり。周辺人物のクローズアップは少ないかも。@tukaohtsu at 08/07 01:14
irisiomaru ビッグコミック「兵馬の旗」。小栗忠順罷免、小川町大隊まで出しておいて、そのままロシア過去話って。どんな焦らしプレイよ…。と思いつつ。記録に残らぬ、記録されるべき人物。この持っていき方が、ニクいです。ところでどれが大築尚志? at 08/07 22:49
irisiomaru
合田一道氏の「大君の刀」P25のブリュネのスケッチ「右の武士が大鳥圭介と思われる」と紹介されていたが。Soie et Lumieresでこのスケッチが"Norte intendant et mon domestique"(会計係(又は代官)と私の召使)とある。 at 08/10 02:24

irisiomaru 大鳥は代官でも会計でも召使でもないので、スケッチの人物が大鳥でないことは確か。顔がぜんぜん違うし。それにしても、著作に史料から写真を載せる際は、その原典を当たるかソース表示しないと、間違いが起こりやすい。自分も注意せねば。 at 08/10 02:32
irisiomaru このSoie et lumières、大鳥が"grand stratège militaire(偉大なる軍師)"、土方が"chef-adjoint des Shinsen-gumi(新選組の副局長)" と表記されていた。そうか、フランス顧問から偉大なる軍師として扱われてたのか。 at 08/10 02:53
irisiomaru 1866年12月の家茂→ナポレオン三世の手紙の内容、家茂の素朴で謙虚な人柄が伺えて好感大。あとデシャルムの愚痴が面白い。「我々は日本人士官に兵士への命令は日本語で行うよう判らせるのに苦労しています。彼らはどうしてもフランス語で命令したいのですよ!」よい史料です。 at 08/10 03:06

irisiomaru 来た。出た。「兵馬の旗」これは大鳥圭介、期待できないこともない、でもない…。微妙だ。いや主人公とヤクザ歩兵の価値観と現実性と理屈をがんがん掘り下げ、著名人は単なる背景としてかわぐち節を炸裂させてもらえればそれで良いのですが。しかし大鳥がこのまま猪武者路線では、今後ちょっときつい。 at 08/10 23:17

irisiomaru 大鳥の脱走時は、自伝草稿の、あの鬱々した泥の中で、今は行くしかないけどそのうちすぐ戻ってくるから、徒死はしないから、という後ろ髪引かれまくりな感じなのに、結局最後の最後、箱館戦争まで抜けだせない泥沼な感じが良いのです。 at 08/10 23:25

irisiomaru さて羽田です。これから夜行便。待合室にフリー無線LANあり、時間制限3時間は十分以上。空気良し、水良し、物流有り余り、清潔、日本食最高、そしてオタクの聖地。そんなわが国に数日滞在するとかえって離れ難い。手には片道チケットです。これから8か月か9カ月で終わればいいなあ。 at 08/10 23:27

irisiomaru 外国人に触れられる人間の特権意識のようなものも出てきたのかもしれません。一方「鹿柴」「脚鉤」「拒馬」(築城典刑)とか、和訳する際苦労して日本語を作る人もいました。外国語をきちんと習得した人ほど、日本語を大切にしますね。@tukaohtsu 良くも悪くも新し物好きの日本人の特性 at 08/10 23:34

irisiomaru カトマンズに戻りました。お盆前の夜行になぞ乗るものではない。激混の上旅行客のテンションが高く、寝れなかった。ああ眠い。これから出勤。さっそく豪雨で排水溝が溢れ、道路が川状態。先が思いやられる。 at 08/11 17:09
irisiomaru メモ。バンコクのスワンナブーム空港、サテライトC三階に、眠れるリクライニングシートと、インターネットアクセスPC あり。毎回何かしらサービスが追加され、どんどんバックパッカーにやさしくなっていく。 at 08/11 17:11

irisiomaru 出勤しようとしてバンダ(ストライキ)に遭い引き返す。パタンのプルチョーク地区。目の前の店がガラスを割られて商品を壊された。気の毒。請求できず保険も対象外らしい。原因は、誘拐で殺された女性の事件への抗議、交通事故ひき逃げへの抗議の二説がありはっきりしない。#ネパール at 08/12 13:04
irisiomaru 昨日の大使館からのお知らせでは、「マオイスト兵士に認証されない兵士が職業訓練や就職の斡旋,補償金の支払い等を求める」ためにバンダ、とのことだったが。パタンのほうは別口らしい。車は壊されるので走っていないが、なぜかバイクは破壊対象外だからか、飛びまわっている。#ネパール at 08/12 13:07
irisiomaru バンダ中、タクシーがバンダ価格になる。普段200ルピー程度で行ける所が3000ルピーにもなったりする。これはガラスが割られる危険があるからとのこと。しかし実際ガラスが割られたら、実費を払えとドライバーが要求してくるらしい。理不尽な。空港からの交通手段がなければ頼らざるを得ないが。 at 08/12 13:22
irisiomaru 情報ありがとうございます。宿泊地がルートに近いことを祈りましょう。RT @ghaletreks バンダ(ストライキ)の時にはネパール観光局が空港より有料シャトルバスを運行 at 08/12 14:41
irisiomaru バンダで、スーパー、商店、レストランなどすべてシャッターが閉じているが、薬屋、病院、水屋は普通に営業中。生命に関わるサービスは、バンダの人たちも分別があって襲わないということか。#ネパール at 08/12 14:46

irisiomaru 担当局長に呼び出され説明に行ってきた。今日本はお盆だから対応が遅れると言うと、説明時間の半分以上が「お盆について」に費やされた。ネパールでも来月2週間かけてお盆期間がある由。日本の3日は短いのだそうな。日本に親近感が増したそうなので、日ネ関係に寄与できたとして良しとしよう…。 at 08/16 16:45
irisiomaru この局長殿は宗教的に偉いカーストの方だそう。急ぎで決めて手配せねばならぬ起工式の日程を、占星術によって占う為に日を費やして下さり、どうしても急ぎでサインが必要な時に、巡礼に出てしまいおられなくなる。そして物事遅れる。文句言えぬ。宗教リスクによる遅延とでも説明するか。#ネパール at 08/16 16:49

irisiomaru 暹羅紀行を読み直している。大鳥圭介氏、公的な日タイ関係の記念すべき開始の時に、タイの王子様からテナガザルをプレゼントされていた。山猿に手長猿。もとい。気候も異なるし、船の長旅で連れて帰るのはおそらく無理だっただろう。どーせーっちゅーねんと困る大鳥氏の顔が思い浮かぶ。 at 08/16 16:56

irisiomaru テキストをWordに張り付け、文末脚注を作成し、ビルダーに張り付け直してみてはいかがでしょうか。あるいはいっそWordからPDFにして掲載するとか。@tukaohtsu 引用文献は巻末に at 08/16 17:16
irisiomaru ありがとうございます。戻りましたらまた遊んでやってください!@machi_town at 08/16 18:27

irisiomaru 本当にすごいのはデレーケと共に砂防を定着させ発展させた明治日本技術者だと思う。なお砂防は、日本発祥技術として、土木技術英語でSaboとなっている。RT @meiji1868 明治期の日本に「砂防の父」と呼ばれた男がいた / 西日本新聞 http://t.co/qPEJx5I at 08/16 18:33
irisiomaru 富岡製糸場は官営払下げ時、だれも名乗り出てくれず、10年かかって1/8の価格でようやく三井が引き受けた。それだけ明治の民間工業は厳しかったのかと。RT @meiji1868 富国強兵・殖産興業…日本の礎が凝縮された貴重な史跡 - http://t.co/JXkJl8m
. at 08/20 14:33

irisiomaru 貴重な和製カレールー投入。大根とヨーグルトを入れてみたら、さっぱりしてうまい。日本食以外のカレーは油とスパイスの塊なので、手間はかかるし胃が疲れる。どこにいても均一に優しい味の出せるカレールーを生んだ日本食品メーカーに敬意をもって称えたい。 at 08/20 19:44
irisiomaru インドネシアの山奥で発電所建設のために数年働いた先輩は、長期を耐える要は、自分の食べたいものを自分で作れることであると仰る。彼は豆腐も納豆も現地の大豆から自作していた。今その言葉を実感中。きつい時ほど普段食べていたものに癒される。味は、メンタルの安定性にかなり重要な役割だ。 at 08/20 19:56

irisiomaru 「野津元帥の面影」より。後年の大鳥が、野津七次こと道貫を語る。「年を経て後野津に遭って、何やかや話の末に、野津が『宇都宮の戦では貴君(大鳥)に大腿部へ二ツ穴を明けられた』と云ふから、フウ気味の好い事よと云うてやった。夫れから毎々出会ふ事となり、数々の宴会にても一所になった」 at 08/23 03:49
irisiomaru 野津は、大鳥の江川塾講師時代の教え子。戊辰戦争で宇都宮戦で敵味方に別れ戦う。この時の野津はあたかもターミネーター。日清戦争時大鳥公使は京城で、二師団連れてきた野津を宿舎に案内した。師匠に撃たれて、気味が良いわと笑われ、それで付き合いが深くなる。明治という時代を象徴するような関係。 at 08/23 03:55

irisiomaru 明治後期風刺画「ビゴーが見た日本人」が面白い。異人は、人力車でボラれ、船頭に三倍の値を出しても溺れさせられかけ、芝居小屋で三銭の立ち見席でも皆十銭になる。「これが本当の保護貿易」と。旅行中、外国人料金を払わされボラれ怒る日本人だが、百年前は同じことを外国人に対して行っていたのね。 at 09/03 14:06
irisiomaru 明治29年条約改正時ビゴーは「新条約は日本に極めて有利。日本で外国人が日本人に暴行を受けても警官は見ぬふり。日本人裁判官による裁判は外国人は極めて不利に。外国人は全部刑務所にぶち込まれる」と出版し同胞を煽った。どの口を以て言うかと、唇引っ張りたいが。改正時の欧米の世論を思わせる。 at 09/03 14:11
irisiomaru 時間軸が違うだけで、途上国を脱するのに経る過程はどこも似ているかもです。植民地というキーワードがあるかないかの違いで、行うことは同じという気がします。要は自国にどう外貨を落とすか。@itaru_ohyama 典型的な発展途上国でしたもんねぇ。 at 09/03 14:16

irisiomaru 現在の悩み。坪井信道の跡取り信良(1823-1904)の後妻、荒井ヨノ(天保4〜明治41)の父荒井清兵衛は、荒井郁之助父清兵衛と同一人物なのか。ヨノ父は医者らしい。一方、郁之助父は代官だから違う気もするが。うーん。 at 09/03 17:18
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2011年08月31日

Twitter110725-110804

irisiomaru 開発案件で再生可能エネルギーはアクセサリーだと言われる。あると見栄えする飾りだが本質的に役に立たない。対し、原発はパンツだ。文明生活するには必須、24時間常に着用ベースロード。ただ汚れは洗わねば恐ろしい事に。水力はシャツ。火力は暑さ寒さに応じて脱着する上着で、洗濯代が高い。 at 07/23 22:25

irisiomaru 第一次宇都宮戦は、宇都宮藩兵は一揆で大疲弊、新政府からの派遣や他藩兵は大鳥前軍との戦闘で敗れて逃げきた敗残兵で士気皆無、宇都宮は攻めて良し守って難な城だから、戦上手でなくても落とせる気が…。勝ちは勝ちだから、うまい所取りしたなあと思います。@tukaohtsu at 07/27 11:53

irisiomaru 暑さに耐えかね、市場で扇風機購入。Electromax Korea Invetion とあった。マークが南ではなく北のKorea国旗だった。無知ながら北朝鮮が工業製品を輸出していることを初めて知った。二千ルピー足らずだが。彼らの外貨獲得に寄与したのかと思うと複雑だ。#カトマンドゥ at 07/28 22:56

irisiomaru Kathmanduはカトマンズ、カトマンドゥと二通りの表記がある。どちらが良いか迷う。そういう時、"mofa, カトマンドゥ" で検索すれば、日本の外交でオフィシャルに用いられている方が分かる。(mofaは外務省)。ひとまずカトマンズが正式らしい。#カトマンズ at 07/28 23:06
irisiomaru 困るのはラオスVientiane。ヴィエンチャンとビエンチャン、両方外務省のページに出てくる。渡航情報などのページでビエンチャンなので、多分そちらが一般的なのだろう。普段は別に良いが、10人で一つの調査の報告書を書くときなど、統一が大変。 at 07/28 23:10
irisiomaru 現場を見るたびに、労働者の面子が入れ替わっている。日雇いで、雨が降ると作業が止まり、給金が支払われないから、別の場所に直ぐに移る。コンクリの打設や仕上げを教え、うまくなった頃に居なくなる。結果、同じ事を繰り返しているのに品質が一定しない。こういう面でも雨期の工事は難しい。 at 07/28 23:17

irisiomaru 良い言葉に遭遇した。「辛いけど辛いけど、人生楽しくて本当にどうしようもないです。だって私は○○と出逢ってしまったのだから」人生どんなに辛くても、この○○という対象を持って生きているのがオタク。そして、その献身と創造性から生まれるものに、国を支えるものもある。 at 07/30 12:42
irisiomaru 幕末疫病、コアラ流行。天然娘蔓延。
#歴史上の事件を一文字変えるとどうでもよくなる" at 07/30 14:54

irisiomaru がんリスクでいえば、野菜不足(100-200mSv相当)、やせ(BMI<19)・運動不足(200-500mSv相当)も同じですね。国立がんセンターより。http://t.co/7dIXYZd RT @kazu_fujisawa 放射能より圧倒的に健康被害があり危険なものは「肥満」 at 07/30 18:38

irisiomaru http://t.co/DJDYsTx 中国の稼動中原発は896万kW。2015年までに稼働予定の開発中原発だけで6500万kWで日本の原発総容量をゆうに超える。かの国の技術倫理で開発され続ける原発のほうが怖い。場所は沿海州・沿海州にずらりと並ぶ。何かあれば黄砂と共に日本に来る。 at 07/30 18:50
irisiomaru 原発にはできるなら頼らないほうが良いが、世界の原発動向は止められない現実が、まずある。特に途上国。ならば、事故を教訓に技術レベルを高め、原子力技術者を養成し、原発の信頼性を高め、事故対策含めたメイドイン日本技術を中国はじめ各国に輸出するほうが、よほど理にかない安全になる気がする。 at 07/30 19:06

irisiomaru コントラクターの方々と飲んできた。楽しかった。 利害関係さえなければ本当にいい人たち。監理という立場を忘れたら、技術者として尊敬するべき方々。こういうとき、監理者がどれほどのものか。己は張りぼての虎に過ぎないことを思い知る。でも明日からは様々文句をつけなければならない立場。辛い。 at 07/31 01:54

irisiomaru 本当にそれ、うちの国の一番上の人に言ってあげてほしい。まず工業生産を成り立たせる電力エネルギー政策が第一、その後で出来る範囲の節電と再生可能エネではないかと。でないと庶民の生活、衣食住が成り立たない。RT @torisanbot 百工は国家経済の基本、庶民生活衣食の根源なり。 at 08/01 02:26
irisiomaru 明治の実務者官僚の言葉は、よほどストレートで心に響く。大衆意見の最大公約数より、何が本質的実質的に世の中を動かしているのか、形振り構わず本気で考えているから。政治家は基本善人には出来ない仕事だと思う。大衆受けしたい、善人でありたい欲望ばかりが前に出ると、当たり前のことが色々歪む。 at 08/01 02:42

irisiomaru カトマンズ中心地は銀座より地価が高いらしい。何の冗談かと思ったら、複数のネパール人・日本人が言っている。何かあると地価の話題になる。どうも本当っぽい。軽くバブルが始まっている模様。対ドルレートも思いのほか安定している。政治が落ち着いたら一気に外国投資が進みそう。#カトマンズ at 08/01 02:43

irisiomaru 8月9-10日、日本エネルギー学会大会 http://t.co/84IPvaT 関西大学にて。 日本中の関心がエネルギーに向いている今、特別講演のセレクションが異彩を放つ。「古代エジプトの地下埋葬室壁画の保存修復プロジェクト」。…ええと、凄く聞きたい。 at 08/01 14:30

irisiomaru ブータンより山岳僻地のリチウム電池又はキャパシタ+LED照明の約120施設の電化、進捗は遅れあるものの順調と連絡あり。雨期の大変な時にも設置に精を出してくれているのはありがたい。ブータンの奥地にて、日本製の超高輝度LEDが闇を照らし、次世代蓄電池が太陽光の電力を貯めています。 at 08/02 01:58
irisiomaru 照明+携帯+ラジオぐらいの細々とした電力だが。同じ1kWhの電力量でも、0→1kWhと100→101kWhの価値は全く異なる。地方電化で、暗闇に電気の光、孤立地に携帯の通信がもたらされる意味は大きい。太陽光発電はそういう小さな、しかし価値のある電力としてこそ生きる。 at 08/02 02:02
irisiomaru
ネパールの系統設備容量685MW。うち水力631MW(92%)、火力53.4MW(8%)。水力の内85%が流込み式、貯水池式は15%だけ。乾期は供給力が453MWに低下。需要は雨期780MW、乾期980MW。特に乾期が不足し供給が需要の5割以下、計画停電14時間。雨期も足りない。 at 08/02 02:29
irisiomaru 恐ろしいのは需要が2012年に1078MW、2013年に1185MW…と年100MWも伸びる一方に対し、電源開発が進んでない。乾期に水が使えるダム貯水池が必要だが、環境問題にされ進まない。流込み式は肝心の乾期に寄与しない。計画停電時間は増える一方。5年後どうなるのか。#ネパール at 08/02 02:36
irisiomaru なお、東電さんの現在の供給力5230万kW=52300MW。ネパール一国の系統の76倍の容量を、一民間会社が運営中。しかも少なくとも震災までほとんど停電を起こしていない(年数分レベル)。日本がどれだけ凄い電力インフラに支えられていることか。そういうことも省みられると良いと思う。 at 08/02 02:45


irisiomaru バンコクです。5日間という微妙な帰国で忙しない。スワンナブーム空港は15分だけ無料Wifiが使えるサービスあり。インフォメーションカウンターで、名前とパスポート番号を書けば、IDとパスを書いた票をもらえる。15分以内なら中断して再接続も可能。 at 08/03 22:31
irisiomaru バンコクの空港のマッサージは1時間600バーツという微妙な価格。市内の2〜3倍だが、日本の1/3ぐらいで、市内まで出る時間と費用を考えると許容範囲という上手い設定で日本人を引寄せている。肩背中コースが肩こり者にありがたい。後、電源が各席にあり、マッサージの間にPCの充電可能。 at 08/03 22:33
irisiomaru 成田着。いつもながら"Welcome Japan"の上に大きく書かれた「おかえりなさい」に、じーんとくる。 at 08/04 07:22

irisiomaru 飛行機で徳富蘇峰氏の「痩我慢の説を読む」を読む。福沢諭吉のいう痩我慢は「頑冥固陋なる攘夷的発作に過ぎざるべし」「此の如き痩せ我慢はついに亡国を謀し来ずんば止まず、世に聡明を除外したる痩我慢ほど危険なるものなし」と、蘇峰さんの筆が鋭い。後でブログで紹介したい。 at 08/04 07:24


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2011年07月25日

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irisiomaru 上郡の本気がここにあります。必見。けいすけじゃアニメが、町を、家庭、人々の心を、本当に豊かにしている。「広報かみごおり」創刊500号 大鳥圭介アニメ特集 http://t.co/I0j3Q3f via @kobeshinbun at 07/14 17:25
irisiomaru 広報かみごおりは毎月15日発行。上郡町のWebに毎月分PDFが掲載されています。特集の7月はまだですが。もうすぐアップされるでしょう。楽しみです。なお、奇数号に大鳥圭介記事が連載されています。7月号で14回目。http://t.co/3odWZx6 at 07/14 17:30
irisiomaru 特集の豆知識コーナー、けいすけじゃオリキャラ「横田の小言!」がまた良い。岩木から閑谷学校まで25km、常人が6時間以上かかる道のりを圭介少年は2時間半ほどで歩いたとか。どれだけ健脚だ。横田や「その熱意に感動したぜ!」な岩谷ら脇役キャラも存分に愛されて製作されたことが伺えます。 at 07/14 17:43

irisiomaru 適当に石鹸を買ったら、ニームだった。100ルピー。香り良く洗い上がりスースーと涼しい。ニームは強力な虫除けになる樹木。ジャトロファやモリンガのように油が有用。日本の通販サイトでニーム石鹸が3000円程もし吃驚。どれだけ付加価値を付けているんだ。こういう製品が売れるのは良い事だが。 at 07/17 00:16
irisiomaru ニームはオレイン酸量が多いのでバイオディーゼルにも向いているかと思いきや。商業ベースはまだらしいが考えている人は既にいる。http://t.co/9OW3fwC
出口は燃料以外に色々あるし。将来的にインド、ネパール、バングラ辺りのオプションになる可能性はある。 at 07/17 00:32

irisiomaru ブータンは70万の人口に対し、水力発電で他国に売電し巨額の外貨収入がある。その財源が国の「幸福」を支えている。ブータンの電力消費量/人は先進国以上。人口に対し豊かな電力エネルギー資源がある。日本とブータンは資源背景が全く違う。資源無いが消費は多い国としてのエネルギー政策が必要。 at 07/17 02:46

irisiomaru 広報かみごおり7月号、大鳥圭介アニメけいすけじゃ特集号、Webにアップされていました。http://t.co/y9DGUf3
上郡の、役場の方、スタッフの方、ボランティアの方、生家保存会の方、家庭の方、熱い想いがてんこ盛り。 at 07/20 01:06

irisiomaru 怖い。これは、怖い。@meiji1868 書物食べる虫が大発生 http://t.co/N79WnkF at 07/20 20:12

irisiomaru 歴史ほどあらゆる専門知識が要求される分野も無いと思うが、歴史ほどあらゆる専門知識が軽視されている分野も無い気がする。 at 07/22 17:05

irisiomaru 明治、朝鮮関係で、美少女カテゴリとは違いますが、結構はまりました。http://t.co/PCCkJyl 実物のイメージを崩さず、実物とキャラを腑分けするなら、キャラ化は理解の為には有効かと。記憶術もこじつけの世界ですし。@tukaohtsu その手の美少女物に侵食されていない at 07/22 23:53

irisiomaru パスタ茹で中。豆乳としょうゆで、結構良い感じのクリームパスタになる。生乳がない苦肉の策だが。あれだけ牛が居て、道路に寝そべり渋滞と悪臭を酷くしている程なのに、なぜ生乳がないのかも此国の数多い謎の一つ。なお牛を轢き殺すと人を轢くのと同じ刑罰が課されたと聞く。 at 07/23 00:02

irisiomaru 8月には再び憲法策定期限が来る。またバンダ(ストライキ)が多発して工事が遅れそう。ネパールの選挙は雨期にはできない。道路がなく投票者や選挙管理人が山中を移動できないため。雨期は多数の陸の孤島を作り出す。道路の舗装がいかにありがたいものかを思い知らせる。 at 07/23 00:06

irisiomaru 原発は脱原発派、容認派、穏健派など、色々派閥が区切られ議論されているが。区切れるようなものでなく、区切ると見誤る事が多いと思う。幕末を尊王派や攘夷派や倒幕派等で分けると余計理解し損ねる事に似ている。そして大体、ベターな回答は、簡単な言葉で理解しきれない曖昧模糊とした中にある。 at 07/23 00:44

irisiomaru 吉田百穂氏作「大鳥圭介一代記」、大鳥圭介公生誕地保存会発行。御年九十超、幼少時に生きた圭介を知る方々からの語りを記憶されている上郡の古老が、川柳風大鳥伝記を語る。故郷ならではの逸話たっぷり。生誕地資料館で300円で販売され、国会図書館にも納本されています。 at 07/23 02:23

irisiomaru アジ歴「震災と復興 明治大正昭和の公文書から」http://t.co/UDiR2fB  震災の翌日に設置された政府機関、帝都復興院の資料が凄い。土木建築器具材料の供給、必需品に対し輸入税を減免等で、何より物流復興を急がせる具体さ。組織と担当の緻密さ。某識者会議は参考にしてほしい。 at 07/23 03:07
irisiomaru しかし帝都復興院。惨状を散々記録した後、「理想的帝都建設の為真に絶好の機会なり」の記述に噴いた。この究極の転んでも唯では起きなさ、血肉を削ぎ落とすポジティブさが、関東大震災の復興を牽引したのだろう。 at 07/23 03:10
irisiomaru 関東大震災後の財政・金融資料でも、公債や震災手形処理についても、十年後の国民の負担となってはいかん、と真っ当な事を真剣に検討している。政治の悪口で終わりたくは無いが、今の民主党より大正日本政府のほうが余程まともな知識人に見える。 at 07/23 03:14

irisiomaru 夜の工部省。夜の工作局。夜の工部大学校。皆さん、何かしら苦しんでいる様しか思い浮かばぬ。予算。納期。課題。終わらない。#歴史用語に夜のをつけるとエロくなる at 07/23 13:39

irisiomaru 出張お疲れ様でした。日本に戻ったときの緑の多さにはびっくりしするし、安らぎますね。@MakotoGoda 成田は、緑の国だなっと at 07/23 21:58

irisiomaru ここだけ会津作家などが見たら、大鳥も賊軍で新政府での栄達はできなかった!と言い立てられそうですが。大鳥が自分で自分を敗軍の将と位置づけ、口を開かなかっただけなのでしょうね。@torisanbot 陸軍への転出の処、例の敗軍の将にて口を開き候事も出来申さず、思いは甚だ不本意 at 07/23 22:01
irisiomaru ちなみに大鳥さん、この「陸軍への転任の処、例の敗軍の将にて口を開き事も出来申さず、思は甚だ不本意」と同じ吉田への書簡の直ぐ後に、「工部省へ転じ…百工試験は工部省並びに勧業寮にて精々心がけ…日々事業も繁栄いたし、大に人民の用を弁じ、大に満足仕り候」と対比させているのが面白すぎる。 at 07/23 22:12

irisiomaru 活字化された良い史料の復刻はありがたいです。情報ありがとうございます。RT@beads_amuse 復刊.comから「箱館戦争史料集」の復刊が決まった at 07/23 22:15

irisiomaru 開発案件で再生可能エネルギーはアクセサリーだと言われる。あると見栄えする飾りだが本質的に役に立たない。対し、原発はパンツだ。文明生活するには必須、24時間常に着用ベースロード。ただ汚れは洗わねば恐ろしい事に。水力はシャツ。火力は暑さ寒さに応じて脱着する上着で、洗濯代が高い。 at 07/23 22:25
irisiomaru 原発=パンツは、見せびらかすものでなく、でも無いと困る。もらして汚すと批難される。下の話だから出来るだけ表に出さない。しかし本質的に社会を担っている。今、お漏らしでパンツの汚さを皆指摘し、パンツの洗い替えの着用ができず、数が足りなくなり、困っている。やっぱりパンツは必要なのよ。 at 07/23 22:30
irisiomaru 火力=クリーニング代のかかる上着でパンツを代用していたら、出費が増える一方、生活費直撃。水力=高価だが自分で洗えるシャツは、作るのが大変で枚数が制限されている(日本のポテンシャルはほぼ開発されきった) 。アクセサリーでは体は覆えない。パンツに代わる画期的な素材概念は未来の話。 at 07/23 22:42

irisiomaru 今手前は、四捨五入でメガソーラーになる太陽光建設を監理中だが。初期コストを入れるとネパールでも売電価格を市場価格に抑えるのは到底無理。ソーラーはフィードインタリフが無いと民間では動かない。他の5倍以上の価格で無理やり買い取らせる優遇策がないと売れない商品であることを痛感中。 at 07/23 22:56
irisiomaru 地熱はPVと違い数十MW級で発電量も多くベースロードになるが、国立公園環境アセス、温泉との利害関係(難題)、博打的で高い初期コスト等で、1999年以降新設無しという難しさ。国内開発が現実的なのは百万kW程度かと。水力と同じで開発はして欲しいです@beads_amuse 地熱は at 07/24 00:57

irisiomaru 久しぶりの休日。ネパールのカオサンこと、タメルへ。「ちくさ」という、日本で少なくなった昭和風の喫茶店がある。疲れたローカルのガイドが、ここのがうまくて癒されるんだ、とコーヒーを飲んでいた。10人の中国人をガイドする辛さをツラツラ愚痴られた。気の毒だが、聞かされるほうは余計疲れる。 at 07/24 01:17
irisiomaru タメルの往来に中国人、看板に中国語が目立つ。中国語で話しかけられることが多い。中国が観光地にネパールを選んでくるようになった。富裕層が増えるスピードを感じる。以前は日本人ツアー客の購買力に辟易することもあったが。今はむしろもっと頑張ってください、と願ってしまう。 at 07/24 01:25

irisiomaru 「箱館戦争史料集」は、史料抜き出しになっているのは残念ですが。解説者が史料の著者を尊重し、バックグラウンドを可能な限りしっかり調べて、史料の位置づけを記述してくださっているのが良いと思います。@tukaohtsu at 07/24 02:39

irisiomaru 困難な状況ほど、笑い飛ばして建設的に持っていく強さが、世の中を動かすということなのかもしれません。@itaru_ohyama 鯰絵の世界観 at 07/24 02:47

irisiomaru 100mSvでも健康影響が不明なのに数mSvで大騒ぎしている所より、余程健康に悪いのだろう。今日も病院では呼吸器疾患患者が長蛇の列。RT @biwa_ichijiku67 カトマンズは負の遺産 宇宙からみるとカトマンズの所だけ黒いそう。排気ガスがひどくて山々がある為空気が流れない at 07/25 00:10
irisiomaru カトマンズ。宇宙から見なくても、道路の空気が黒い。道端で売られている野菜が排ガスの塵で黒い。汗をぬぐうと袖が黒い。食堂の皿やフォークを拭くとナプキンが黒い。川の水も貧酸素状態でヘドロ化して黒い。朝起きて喉から出てくるものが黒い。政治も黒い。たまに見えるヒマラヤの山肌だけ白い。 at 07/25 00:22
irisiomaru そんなカトマンズも20年前は地上の桃源郷と呼ばれていた。10年前もインドに疲れたバックパッカーが癒しを求め集っていた。一方、昨日のタメルの日本人旅行者は、空気とゴミと渋滞に疲れ鬱状態になっていた。今はあれだけの経済活動をしながら普通に呼吸できる空気の日本のほうが、桃源郷に思える。 at 07/25 00:30

irisiomaru これは有用な情報。レスキューだけでなく、僻地のインフラ整備の資材運搬にも、ヘリは重要な手段。雨期は本当に道路が使い物にならないし。一時期ネパールからブータンへのレンタルをしていたが、再開されてほしい。RT@infonepal ネパールのレスキューヘリ代、現在1時間当たり$2500 at 07/25 00:49


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irisiomaru 大鳥圭介、明治十四年、開拓使廃止に伴い北海道を三県に分割する布令に対し。「北海道の幅広大、民風淳良、沃野山林、内部に川河舟楫の便あり。外岸に鱗介挿漁の利あり。実に我日本帝国北門の関鎖、全国の金庫にて、他日国庫の貢税を増し、済世の基源となるもの、此北海道を舎て他に望むべきものなし」 at 07/01 10:38
irisiomaru それで「北海道全域は分割せず、札幌を首府となし、一県治の下に総轄すべし」と布令に反論。理由は北海道に藩政がなく藩領争い無かったため「人情全境同一にて、自ら民心協和の良風あり」とな。圭介どれだけ北海道に惚れておる。あと人口少なく、函館以外は外交も疎、という現実的な理由から。 at 07/01 10:46
irisiomaru あと「実に願ふてもなき天然の楽土」とか。それが層雲峡や幌内の猛獣熊の跋扈する道無き原野を資源探査のために渡り歩いた技術官僚の感想か…。もとい、北海道が今一道としてあるのは、大鳥の建言が影響しているのか。開拓使廃止に伴う明治十四年の太政官布令についてはもうちょっと調べてみたい。 at 07/01 11:03

irisiomaru 小田嶋隆氏の「ポエムな「提言」で復興できるの?」ここまでグサリとユーモラスに突き刺す著者の才能が凄い。それ小説でしょ、「提言」じゃないでしょ、ですむところの突っ込み方に笑った。「識者」の定義も膝を打った。http://t.co/yQ3m0TM at 07/01 11:40
irisiomaru といってもこの小田嶋氏のコラムで笑えるところに、本当の恐ろしさがある。ポエムと揶揄され、娯楽としては良いが役には立たない成果品を産む会議に、復興について公的な提言をさせているという事態が怖い。 at 07/01 11:52

irisiomaru 大鳥北海道分割への建言。新しい情報と思って打ち込んだが。既に全文ブログにアップしていた。それに気づいた時の空しさと、己の記憶力への不信感。 at 07/02 13:57
irisiomaru 困窮している士族への授産手段として、士族に北海道開拓させることを目論んだが。士族が怖気づいてなかなか来ない。そこで開拓者は徴兵を免除とすれば士族の開拓者が集まってくるよと大鳥。士族という兵を生業とする者を開拓に向かわせる動機が、兵役逃れ。どんなジョークだ。それを「一大権謀」と言う大鳥。現実的過ぎる。 at 07/02 14:39

irisiomaru 大鳥圭介伝、本山漸の談話。「麻布へ来てからは兵事義会を起して其の長となり、又教育会等にも非常に尽力した」大鳥が麻布にいたのは明治33年以降あたりか。 兵事義会と教育会。まだ見損ねていた功績があった。 at 07/02 14:46

irisiomaru 多賀城史が凄いのか、あるいは鹿賀丈という町か市があるのか、思わず考えてしまいました。@itaru_ohyama 鹿賀丈史が凄すぎる at 07/04 13:53

irisiomaru 上郡町が職員募集中。一般行政職5名、土木職1名、保健士1名。心ときめきました。もっとも、年齢制限に合わず断念。http://t.co/1fJ0wiK at 07/05 02:15

irisiomaru コレラに加え、腸チフスとデング熱も流行中。カトマンズはマラリアは無かったが、温暖化で蚊が発生している。現場は川の傍で蚊の巣窟。当地の蚊取り線香は蚊より人間が落ちそうだし、液体虫除けやマットはアレルギーが出る。刺されるなというほうが無理。日本の虫除け製品はつくづく優秀だと思う。 at 07/05 02:49
irisiomaru バグマティ川沿いを2kmほど歩いた。饐えた悪臭で気が遠くなった。雨期の泥に腐ったゴミと牛の排泄物が混じり、一種の地獄の様相。そこにバラック小屋を立て、人がひしめき住んでいる。ゴミの回収が無いから周囲にゴミを投げ捨て、さらに環境を悪くしている。 at 07/05 02:50
irisiomaru この国の識者はどんなプロジェクトにも環境アセスにうるさい。しかし、まず自分の身の回りを何とかしてからの話ではないかと思う。Protect Earth とかTシャツを着てプラカードを掲げてデモをやる前に、まず足元のゴミを拾って回ったらどうかと思う。 at 07/05 02:54
irisiomaru が、そうは決してならない現実。これだけ人が居るのにコミュニティの意識が低い。自分の家は塀で囲みその中はきれいするが、塀の外は汚くして泥がヘドロになって悪臭を放たせても我知らず顔。不思議だ。そして、公共意識の無さが疫病を更に蔓延させる。 at 07/05 03:01
irisiomaru 汚染された水道水を口にし、息が詰まり喉の粘膜がやられる排ガスの空気の中で生活する人たちが、心配そうに「日本の放射能は大丈夫か」と聞いてくる。于の生活のほうが余程発ガンリスクが高いです、という言葉が、口元まで出かかっては、止める。途上国の都市はどこも似たようなものだ。 at 07/05 03:14
irisiomaru 地震後の避難所の生活より劣悪なバラック小屋。毎年震災以上の死者を出しているエイズとマラリア。放射能より発ガンリスクの高い空気と水。それらが身近にあると、どうも日本のリアリティが身に響いてこない。「いつになったら安心できるのか」という悲鳴も空回りし、自分が非人間になった気がする。 at 07/05 03:18

irisiomaru 佐賀の坊さんの詩的な妄想(葉隠)が、大戦中に何万人の若い兵士の命を奪った事か、ですね。同時期の江戸の武士、三千石取りの天野弥五右衛門は「思忠志集」で、武士の道とは上司とうまくやって出世し、食べ物と健康法に配慮して長生きを志すこと、と仰ってました(笑)@itaru_ohyama at 07/06 12:05
irisiomaru 江戸時代の武士の規範は四書五経かなと。武士道は役人道。葉隠は「そのぐらいの覚悟がほしい」という話ですよね。間に受けたら怖い。 @itaru_ohyama at 07/06 12:16
irisiomaru 渋沢栄一は「論語と算盤」で、論語こそ経営の規範、東照宮遺訓も論語に端を発すると仰る。ドラッカーの格言もCSRの理念も、渋沢が上著で既に述べている。武士道(江戸)は現代に十分通じる、組織・国を運営する倫理規範だったのでしょう。それが歴史娯楽の陶酔文句に変わったのは何だか勿体無い。 at 07/06 14:39

irisiomaru 中島三郎助の真髄は「是迄蓋したらモウ沢山だ、此中には若い人もあるし、まだ二千余の人もあるから、是から先やつて居たら、どんなみつともないことが出来るか知らぬから、榎本だの大鳥だの大将分は、軍門に降伏して、皇裁を仰ぎ、外の者の為に謝罪するが宜しい」(今は昔の記)の言にあると思う。 at 07/06 22:43
irisiomaru 降伏論の最初は中島だった。自分は最期を覚悟しながら、他の者を降伏させようとしていた。中島三郎助の言葉があったからこそ、千代ヶ岱陥落の際前夜から居た大鳥が、官軍の囲みを破って兵を脱出させ、その後榎本達を降伏論に収束させられたのかと思う。その言葉がなければ明治の頭脳は減じていたかも。 at 07/06 22:53
irisiomaru
霞ヶ関の官僚の方のブログ。「節電のための設備投資をして、人々の善意に頼らず自然に節電される状態を作ることが、長い目で見れば大切」「省エネは 心がけより お金かけ」 こういう方が中央に居てくださることに安心した。http://t.co/QsTREoN at 07/07 01:48

irisiomaru カトマンズオイル危機継続中。スタンドの販売が午後4時からで、車やバイクは午前から長蛇の列で並んでいる。もう1週間、よく暴動にならないなと感心する。現場は広大な池にコンクリ基礎を建設中。排水ポンプ用のディーゼルの油が心配だ。次雨が来たらアウトか。 at 07/07 07:30

irisiomaru ヒストリア、浦賀船渠にも触れられたらもっと良かった。中島三郎助も死したからこそ名が上がった面はあるだろうが。生き残って明治で船舶技術や港湾経営知見を生かして欲しかったと思う。中島のようなスキルのある実直な幕府公務員が明治政府に引き継がれ、行政現場機能がどれだけ助かったことだろう。 at 07/07 08:18

irisiomaru 良い詩ですねえ。苦悩と疲弊と絶望の果てに、森羅の圧倒的な美しさに出会う。視覚聴覚にぶわっと訴えてくる、大鳥さんの傑作です。ああ霧降高原に行きたい。@torisanbot 深山日暮宿無家 枕石三軍臥白砂 暁鳥一声天正霽 千渓雪白野州花 at 07/07 15:11

irisiomaru マプートからお疲れ様です。2US$/Lは高いですね。バイオディーゼルのやりがいはある価格ですが。ネパールはオイルは需給逼迫というより、政治面からの支払い難が原因のようです。資源とお金が両方無い国はどうしても社会不安を抱えます。@MakotoGodaモザンビークも2USD/L近い at 07/07 15:20

irisiomaru 中島さんの塩の専売は過小評価だと思いましたが。これからも味のある日本人をどんどん明るみにしていってほしいですね。川路聖謨や小野友五郎、肥田浜五郎辺りもクローズアップされてほしい。大鳥圭介は…あの尺では無理だ(笑) @beads_amuse at 07/07 15:22

irisiomaru カトマンズの若者間でデスノートが大流行中。現場作業員もロゴやキャラ入りのTシャツで泥とセメントまみれになっている。デザインが良いのだそうな。実写DVDはあるが漫画はここで見たことがないが。若者が視覚的にクールと感じるものは文化は異なっても同じなのかも。そういうデザインが凄いのか。 at 07/09 01:37

irisiomaru 来年ICOLD国際大ダム会議が京都で開催されるが、その視察団も見学していた。お雇い外国人の手を借りず作った設備。百年以上後、各国研修者や一流研究者もモデルとして視察してくる金字塔となったとは、田辺朔郎も思わなかっただろう。@jica_direct アフガン水管理者ら琵琶湖疏水見学 at 07/12 21:59
irisiomaru 琵琶湖疎水工事は、日本が当時の水利水運技術を頼ったオランダのデレーケが、今の日本の貧弱な資材・機器では無理と断定し反対した。そこを工部大学校を卒業したばかりの朔郎が主任となり疏水トンネルを貫通させた上、国内商用初の水力発電も導入した。日本が外国技術依存から脱した、誇るべき遺産。 at 07/12 22:12


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Twitter 110610-110630

「Twitterで嫌われるタイプを分類」
http://getnews.jp/archives/80501

上の記事を見ると、やはりTwitterはブログ以上に怖い世界だと感じます。

「愚痴っぽい」「構ってちゃん」「批判的」「自己紹介文がくどい・長い
」「病気自慢」「空気が読めないどころか空気を読むと言うことを知らない」「自称コンサルタント」

等など。自己分析すると恐ろしい項目が並んでいる。

上のサイトのほか、掲示板などで言われる「実況」「長文うざい。ブログでやれ」 なども耳に痛い。

基本的に行き過ぎた自己顕示欲が問題になるのは、ブログもTwitterも同じようです。ただTwitterは脊髄反射的に書き込みができ、推敲が余り行われない。なので余計に目に付くようになるのかもしれません。

そもそも双方自己顕示の手段であるので、己の分を弁えて謙虚にやっていくしかないのでしょう。



irisiomaru 大臣に匹敵する高額なお雇い外国人の給料は、当時の貧乏途上国・日本政府の自前の費用だった。元を取るためのモチベーションも高いというもの。今も無償ではなく借款のほうが効果が高いのではないか。援助側の質も相当要求され費用対効果が先方からシビアに求められる。 at 06/10 00:59
irisiomaru 当時の日本側とお雇い外国人の通信記録は、日本側からの苦情に溢れる。高い金払って…という失望もあったろう。しかし契約に長けた欧米人にしてやられる事が多かった。国益しか狙ってない人間も多かったりする。本当に日本に貢献したのはダンのように薄給で地位の高くない技術者だったりする。 at 06/10 01:07

irisiomaru 「不自由を常と思えば不足無し。心に望み起こらば困窮したる時を思い出す可」。今のためにあるような言葉だ。家康公遺訓は実に含蓄がある。苦労は昔も今も同じ。しかしこれを為政者が言ったらいかんだろうと思ったりもする。 at 06/12 10:26

irisiomaru 計画停電時間が1日4時間に。これだとバッテリーの残容量も気にならずほとんど不自由は無い。雨期にほぼ入り雨が増えた。街中の埃塵だらけの酷い空気も若干緩和。バグマティ川も黒い下水様から泥水様に変化で悪臭もやや緩和。かなり過し易くなった。ただ雨が降るほど建設が遅れる…。 at 06/15 03:13
irisiomaru 今日は月食でしたが、あいにくの天気でした。お月様はぶ厚い雲の向こうにお隠れ。雨期入りの夜に期待するほうが間違っていたか。 at 06/16 04:58

irisiomaru これだけ嫌原発モードでは、若い学生・技術者が原発離れする。しかし今後20年は稼動中の原発無しにしてエネルギー供給が可能とは到底思えない。10年後原発を使い続けつつ原発を制御する技術者が育っていない、その状況のほうが怖い。 at 06/18 08:11

irisiomaru 施工監理者という立場は辛い。進捗管理の責任がある一方、工事の品質確保や説明責任の為に、施工業者に何度も資料を作り直しや工事のやり直しを指示せざるを得ない。当然業者さんのコストは激増。恨みを買い嫌われるのが普通。施工業者に親友がいれば、案件の後は絶交になっても当たり前。 at 06/18 08:25
irisiomaru 監理者は、業者はズルをすると疑うのが仕事といっても過言ではない。しかし工事は進めたい。二律背反に苛まれ恨まれる。ある先輩は「ラオスで何度俺はメコン川に身を投げたくなったか」と仰っていた。カトマンズのバグマティ川は下水より汚く臭いので、そんなところに身投げしたくはならないのが幸い。 at 06/18 08:31
irisiomaru いい物を作りたい、その目的は誰も同じ。なので信頼し良い関係を維持したい。しかし利害は善意に優先されるのが常々。そもそも利害対立者が仲良しこよしできるはずがない。邪魔者無能者と罵倒されるのも給料のうち。そう割り切るしかない。そうして公共の構造物は作られていく。 at 06/18 08:40

irisiomaru 日本古来のものと錯覚しがちな、明治以降に流行った新しい道徳。@itaru_ohyama  あなたにとって「武士道」とは? at 06/29 21:26

irisiomaru 土砂降り。現場は田圃か養殖池状態。雨と泥濘と格闘しながら排水。ポンプが壊れて泣く。夢の中でまで泥に呑まれる夜。晴れたら晴れたで、サウナ。パウダー泥が舞い上がり、塵芥の中にいる。日焼けがすさまじく、久しぶりにファンデーション塗ったら逆インディアン状態になった。エアコン何それ。 at 06/29 21:36
irisiomaru 真っ黒ヘドロ状態、悪臭のバグマティ川に水が溢れ、今は泥の濁流状態。中州に溜まっていたゴミと汚泥が洗い流されていく。これを美しいと感じるのが末期だ。なおゴミは全て下流のガンジス川へと流れる。上流の惨状を見れば、インドで二度と沐浴する気は無くすだろう。人は汚れずして生きる事は叶わぬ。 at 06/29 22:15

irisiomaru 連日雨だと給湯用ソーラーの出力が下がり、シャワーが冷たい。太陽光用電池もこの時期に容量を使い切ってヘタる。自然エネルギーは、自然(に従属する不便な)エネルギー。原子力を自然エネルギーで代替できると信じる方は、自然エネルギーのみのエネルギー源で生活した事があるのだろうか。 at 06/29 22:56

irisiomaru 燃料価格が5ルピー(約5%)上がった。2週間後にまたあがる予定。再びのオイルの供給不安で、ガソリンスタンドには長蛇の列。太陽光も水力もバイオガスも、再生可能エネルギー普及率が世界でも群を抜いて高いだろうネパールでも、オイルは必須で、社会の不安要素。 at 06/29 23:00
irisiomaru ネパール人のインド嫌いは凄い。インドの悪口が始まると止まらない。政治不安もインドのせいで、水力開発もインドが邪魔をすると考える人がいる。しかしオイルも製品もインドからの輸入に大幅に頼る事実。憎いけど依存せざるを得ない。流行りの国擬人化をしたら愛憎渦巻くドロドロな展開になりそうだ。 at 06/30 00:35
irisiomaru 市内で虎狼痢もといコレラが流行中@カトマンズ。ジブンジョル(命の水=経口保塩水)を確保しておくか。JINの世界が目の前にある、とまでは言わないが。空気も水も無くてはならないものが、この国では敵にもなる。肉も食わないほうが良い。これもまた、雨期。 at 06/30 21:18

irisiomaru ワーキングビザ手続き中。丸1週間潰れそう。担当公社→担当機関→担当省庁→内務省→外務省→イミグレとそれぞれレターを取得せねばならない。それぞれすぐには出ない。省庁に行くだけで渋滞で2,3時間かかる。アポ無しで飛び込み、担当者の机の前に張り付いてレターを出すまで待つ。そこまでやる。 at 06/30 21:19

irisiomaru この国で処方箋無しで抗生物質が手に入る理由が分かった。医者は混んで時間もかかる。処方を待っていたらその間に死ぬかもしれぬ。なお、メチルフェノキシペニシリン等、ほぼ第一世代のものが売られている。生合成ペニシリンが今手にできるとは思わなんだ。耐性菌が出たらその時という考えなのだろう。 at 06/30 21:25

irisiomaru 明治12年12月28日井上馨→吉田書簡。御出立に付宴会云々難有候得共(略)相撲之模様等に立至候哉も難計、近年は段々裸体之躍等も流行之様伝承…吉田米国に出立する際の歓送会の誘いに対する、井上馨の返事。宴会で相撲に至ることもある。そして近年は裸踊りが流行しているから断る、と。 at 07/01 02:34
irisiomaru 御断申出候次第に御座候も、仰越候迄に御下候はヽ随命参上可仕候。断るかと思いきや。吉田自らが井上に来いと押しかけたようで。そこまでされたら参加したるわい、と井上。果たして井上は裸踊りを踊ったのか。明治12年頃政府高官の宴会で本当に裸踊りが流行したのか。吉田と井上の関係も楽しいなあ。 at 07/01 02:39


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2011年05月17日

Twitter110505-110515


irisiomaru ネパール電力公社は、明日5日からの計画停電時間を1日14時間から11時間に減少させると発表。これはありがたい。最近雨が降っているからか。去年は5月30日に計画停電時間を12時間から6時間にしたとの事。去年に比べれば水はまだ少ない。ただ雨期が早くなると工事が困る。二律背反。 at 05/05 15:31

irisiomaru 5月5日の神戸新聞西播版で没後百年の記事。「アニメは蘭学や西洋砲術を学び江戸幕府の旗本になるまでを描いた第1部を上映」、「欧米の産業視察の際、1ヶ月半で数十箇所もの工場を見学した逸話が紹介。大鳥は好奇心旺盛な"現場人間"、海外の技術や産業を日本に定着させることにもこだわり続けた」 at 05/05 15:47

irisiomaru 星氏の中公新書大鳥圭介。あまりに物申したいことが多すぎて、神経が鑢で削られる思いです。「これ何て罰ゲーム」と仰った方がいました。私は「これ何て拷問」と言いたい。 at 05/06 23:56
irisiomaru 画像の印刻は「紅信」と判明。上郡の古老吉田實氏にご教示いただきました。ミニ資料館の猪尾塾長によれば、他の大鳥書画にもあるとの事。安心しました。しかし何ゆえに、大鳥が紅信。また謎が増えました。 at 05/06 23:59
irisiomaru http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001105060001
「地元偉人アニメ化 大鳥圭介没後100年」、朝日新聞も。「大鳥の生家が崩壊寸前になった3年前、地元住民でつくる「生誕地保存会」の活動によって町も注目」と。 at 05/07 00:02

irisiomaru 星氏の著作で最も腹に据えかねるのは、その時代を必死に生きた人々に対して失礼過ぎる事。駄目とか戦下手とか知識皆無とか取り入ったとか才能を発揮しなかったとか出る幕はないとか。事実を深く検討しないまま決め付ける。自分勝手な思い込みで安易なレッテルを貼り付けるのは本当に勘弁してほしい。 at 05/07 02:34
irisiomaru @beads_amuse 正直、「南柯紀行」や「われ徒死せず」を読まれている方なら、わざわざ時間とお金を費やさなくて良いと思います。小さい間違いやミスリードもやたら多いですし。他に良い本は山とあります。怖いもの見たさでしたら、古本か図書館で十分という気がします。 at 05/07 12:31

irisiomaru 浜岡原発停止による代替電量供給に、「関西電力からの融通」がある。その関西電力は全国一原発依存率が高く、電力量ベースで年により52〜56%が原子力由来のエネルギー。地震が怖いからよその原発からエネルギー買いますということなら、原発にNoと言う抜本的な手段にはならない。 at 05/07 13:10
irisiomaru 原発反対なら、デマンドサイドマネジメントで、原発無しで我々は生きていくと行動で示すのが筋かと思う。産業界は20%削減を打ち出した。民生も一人一人が電力量消費を2/3に、ピークを半分に抑えれば良い。自宅の電気料金徴収票を確認して、今月の消費電力を去年の同月の半分に減らす事を目標に。 at 05/07 13:17
irisiomaru 電気は、使用者にとって最も便利でクリーン。一方、最も効率が悪くインフラ整備も必要な、最も贅沢なエネルギー。原発と電力会社を悪者にする事で正義の使者を振舞うのは良いが。一人当たり他国の何十倍も電気を湯水のように使い、それを当たり前と思っていた消費者一人一人にも咎が大きい。 at 05/07 13:29
irisiomaru なお、民生の電力量の1/3はエアコン。1/3はテレビと冷蔵庫。1/3がその他。給湯も大きい。乱暴なことを言えば、エアコン又はテレビ+冷蔵庫を使わなければ、産業需要も同比率で何とかすれば、原発不要になります。原発取りますか。エアコン取りますか。 at 05/07 13:34
irisiomaru 我が家はエアコン・風呂・TV無し。使用電気は容量順に電子レンジ、炊飯器、コタツ、冷蔵庫、照明、モニター、扇風機、PC、プリンタ、Wii、ルーター、各種充電。1ヶ月在宅したとして消費電力量50〜100kWh/月。ピークは1kW以下。平均でこのレベルなら民生は原発不要かと思います。 at 05/07 13:41
irisiomaru なお、ネパールでは14時間計画停電、太陽光パネル+インバータ、バッテリーの残容量と格闘、冷暖房何それ、日没まで照明無し、冷蔵庫は電気の無い間は開けない、ご飯は鍋で炊く、暖かいシャワーは晴れた日のみ(ソーラー温水)。日本で皆これをやるなら、民生部門は水力と少々の火力でいける。 at 05/07 13:45
irisiomaru 産業部門のほうが電力需要は大きいので、産業需要を下げないと民生でいくら減らしても解決しないのも事実ですが。産業の動力減は経済力減に直結する。その分民生で頑張りたい。便利で安全で快適な生活は守られるべきです、原発は怖いから嫌です、では、何も成り立ちません。 at 05/07 13:56

irisiomaru 出発が一週間延びました。命も伸びた思いです。ということで念願のJINの続きを読んでいます。ネタバレありの実況中継をしてみます。 at 05/07 22:45
irisiomaru コレラや麻疹の脱水症状に与える水。「水三合にあら塩半つまみ、黒砂糖一つまみ、梅酢」 そのまま、経口補水塩ORSです。あら塩と黒砂糖というところで、塩分と糖分のほかミネラルも。梅酢はクエン酸。これは非常時にも役に立つ知恵になります。 at 05/07 22:48
irisiomaru ペニシリンの急ぎの培養を、醤油作りの職人に行わせるアイデアも良いなあ。発酵食品作りと培養は確かに同じような工程。ここに醤油作りヤマサの当主濱口儀兵衛を持ってくるのがにくい。儀兵衛は1645年のヤマサの初代当主ですね。ヤマサはネパールでも売られていました。ある意味、日本の顔です。 at 05/07 22:52
irisiomaru 洪庵先生…「あれを消失させてしまったら、天に対する大罰」「あなたの孤独をこの洪庵に分け与え下さい」四巻、最高だ。洪庵先生の日記や書簡や書き物から伺える人徳を、さらに昇華されている。素敵過ぎる。 at 05/07 22:56
irisiomaru おっと、七代目浜口儀兵衛が濱口梧陵なのか。「稲むらの火」で安政南海自身の津波から村人を誘導して救う。後、広村堤防を建造する防災土木工事を行った。これは公共事業ではなく私財による。知らなかった。こういう人物の発掘も描き方も、練られているJIN。400両集めで試すのも良い。 at 05/07 23:09
irisiomaru 吉原の影、梅毒スピロヘータの次のターゲットが、堕胎による感染症・敗血症とは。えぐすぎる。 at 05/07 23:23
irisiomaru 新門辰五郎親分。「江戸開府依頼大火とい割れるものだけで百回以上起こっている。大体二年半に一度の割。江戸っ子なら一生に何べんかは焼け出されるのが普通だ」 東京はそもそもそういう土地だったと改めて気づいた。親分の迫力も重い。実在人物が絶妙です。 at 05/07 23:28
irisiomaru 「この時代に生きて死のう」 …いい言葉です。タイムスリップものは、最後はなんらかの形で現代に戻るパターンがありますが。果たしてJINはどうなるか。恋人に振られ待っている人がいないのが、他にないポイント。 at 05/07 23:45
irisiomaru 山田純庵など引き立て役や主人公の手術を邪魔する悪役はオリキャラ。しかも派閥は某御家門と名前すら明らかにしない。堕胎の中条流はさすがに良くない描写でしたが。水銀の使用や川柳など、描き方にも根拠があります。こういう作り方にも、誠意があります。 at 05/08 00:11
irisiomaru どの時代でも人は悩みを抱えながら生きている。外科医の経営難が課題とはまた渋いターゲットを。と思いきや。え、京都、新撰組?このまま江戸で幕府陸軍に呼ばれる夢は、所詮かなわぬ夢だった。ただ新撰組があの羽織でなく、沖田がヒラメ顔の肖像そのままという拘りは結構素敵。 at 05/08 00:39
irisiomaru せごどんの腹毛が、見て描いたように凄くリアルだ。フィラリア説があるとは知らなんだ。ピュアすぎるアップに胸がきゅんとした。 at 05/08 00:57
irisiomaru 江戸戻った、良かった。京都の血なまぐさい動乱より、ほのぼのした日常における真剣な取り組みのほうにこそJINの味があると思う。脚気エピソードに涙が出た。かあちゃんに電話するかな。親不孝してごめんよう。 at 05/08 01:22
irisiomaru 12巻。楠本イネの芯のある強さがまた素晴らしい。しかし読んでいるほうが痛くて苦しくて失神しそうだ。イネはゲストキャラかしら。レギュラー化してほしい人物です。 at 05/08 03:16
irisiomaru 面白い漫画との出会いは人生の幸せの1つです。13巻。茶貿易の先駆者大浦慶は知らなかった。こんな女傑がいるとは幕末女性史も頼もしい。長崎限定役かしら。残念。そしてビッグフェイス高杉が登場。止まらない。 at 05/08 03:47
irisiomaru 次は神経毒…。そして眠気に敗北です。また後日続きをやりたいと思います。おやすみなさい。 at 05/08 03:58

irisiomaru 上郡の吉田氏と猪尾塾長に、日本初のダム技術書、堰堤築法新按の序文を解読していただいた。何ぞ必ぞ世上の経綸を補せんや、とか最後が熱い言葉で、読めなかった中盤が前から気になっていた。すると、确野為水付荊榛功、其短訳及千畦潤。荒地を山林には良いとして。短い訳本どころではない大作だ。 at 05/08 19:52
irisiomaru 後、前から疑問だった横浜語学所のフランス留学候補者「歩兵差図役頭取 歩兵頭並介圭介厄介弟」大鳥貞次郎の正体を、かの幕臣研究者樋口雄彦氏が明らかにしておられた。明治4年の兵学少教授荒井貞介(宗懿)と同一人物とのこと。しかし何故に荒井貞介が大鳥姓を名乗り厄介弟とまでされたのかは、謎。 at 05/08 20:01
irisiomaru また、獄中大鳥に差し入れをしていたのは、荒井宗道ではなくこの貞介であろう、宗道は子の時期大阪に赴任しており、差し入れを行えた可能性が低いとの由。そして、宗道と貞介(宗懿)は兄弟だった可能性が高い由。いずれにせよ、興味深い関係人物です。 at 05/08 20:05

irisiomaru JIN15巻。「醫の世に生活するは人の為のみ。唯己を捨てヽ人を救はんことを希ふべし」ああ洪庵先生。これを主人公の座右の銘にしてくださるのが嬉しい。これ、フーフェランド訳の扶氏経験遺訓からですが。緒方先生の価値観と信念そのものです。 at 05/08 21:46
irisiomaru なお、「扶氏経験遺訓」は早稲田大学図書館の古典籍総合データベースでネット閲覧可能。素晴らしい。ブラボー早稲田。しかし肝心の付録がどこだろう。確か「扶氏経験遺訓」は全30巻で、データベースには28巻しか見当たらない。 at 05/08 21:55
irisiomaru む、JINで家茂死去。ということは、慶応2年7月。そして横浜へ。同年9月から太田陣屋の幕府陸軍伝習開始。ということは! at 05/08 22:03
irisiomaru ホスピスの女郎。うわべだけ蝶よ花よと称えられ、梅毒に冒されれば使い物にならず忌み嫌われてごみのように捨てられる。そしてこれ以降も「からゆきさん」という壮絶な存在が日本人の海外進出史の影に生じます。言葉もありません。
…あ、果敢無い夢でした。横浜伝習隊。 at 05/08 22:29
irisiomaru おおっと、ロッシュがクローズアップ。栗本鋤雲来るかな? あとパークスが似すぎて、常に国益虎視眈々な眼光まで再現されていてすごいや。 at 05/08 23:01

irisiomaru 学習院大学史料館、4月8日から6月11日まで「工部美術学校と学習院明治の視覚革命」 http://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/new.html 工部美術学校教師と出身者の作品、図画教科書や生徒達の作品、松室家に伝来する江戸時代絵画を紹介。 at 05/11 00:45
irisiomaru 松室重剛は工部美術学校でフォンタネージやジョバンニら御雇い外国人教師から西洋画法を学び、当時としては最新の方法を学習院に導入。江戸と明治の絵画を比較し、明治の視覚革命を体験できるひとつの機会に、との由。場所は北二号館1F。無料。…出発までに時間が搾り出せるか、それが問題だ。 at 05/11 00:48

irisiomaru 荷造り完了。週末からブータンへ。ブータン入りする唯一の航空会社Druk Airの荷物超過料金制限は非常に厳しい。プリンタ、スキャナ、検査機器をスーツケースに詰め込んだため、私物の多くを諦めた。化粧品より薄口醤油を取った。化粧しなくても死なないが薄口醤油がなければ死ぬ。 at 05/13 01:44

irisiomaru 再生可能エネルギーのポテンシャルを設置可能場所面積などから算定し、何kW導入可能とするのは簡単だけれども。実際そのうちの何%が現実的コスト的に実現可能なのだろうか。政府主導で補助金を入れてどんなに頑張っても民間・家庭が行う以上、1,2割程度が限界という気がする。 at 05/14 09:56
irisiomaru 原子力の代替は当分殆ど火力に頼るしかないが。日本の原子力容量4572万kW、稼働率7割、原油必要量0.248K/kWhとすると、原子力代替に必要年間原油量は347百万バレル、100$/バレルとすると原油費用だけで2.8兆円/年。東電だけでも1.2兆円/年。 at 05/14 10:01
irisiomaru 原子力を止める為、電力量ベースで火力、再生可能エネルギー導入、節電の組み合わせでどの割合でベストになるか。ピーク電力で、ピーク時間の節電他、昼休み時間や工場操業時間のシフト・延長など運営部分での対策効果でどこまで対応できるか。財源と現実的手法とデータに基いた代替計画が見たい。 at 05/14 10:21

irisiomaru JIN読了。慶応3年の京都から戊辰戦争が舞台になり、JINらしさが薄れて少々残念だった。画力があるからチャンバラの迫力も凄いけれど、パターン化してしまった観がある。今井信朗の描き方も残念。ここまで実在人物を大事にして来たのだから、今井本人の肉声も考慮されてほしかった。 at 05/14 10:23
irisiomaru 初期から坂本龍馬はメインキャラだったが。ビッグネームは脇に徹したままのほうが、丹念に庶民を見つめたJIN本来の良さが出て良かったのではないかと思う。娯楽歴史ファンへのサービスは必要で、JINがドラマ化するまでヒットした要因はそこもあるだろうから、作品戦略としては成功ですが。 at 05/14 10:24
irisiomaru そうしたモヤモヤを吹き飛ばすほど、ラストの構成は素晴らしかった。程よく謎の残る伏線の纏め方にすっきりした。アフリカ仁の続編も見たいと思った。ペニシリン耐性の緑膿菌をラスボスにしたのも良かった。どこにでもいて日和見感染を起こす常在菌だからこその、畏怖がある。 at 05/14 10:26

irisiomaru 現在バンコク。うう眠い。空港で夜明かしの上、飛行機が5時間遅れました。
EastサテライトCの奥に体を伸ばして眠れる椅子がある。EFGのどれか忘れたが、West側にも一つそのコーナーがあった。あとDの三階にリクライニングシートがある。バックパッカーにやさしい空港になりました。 at 05/15 11:15

irisiomaru 出かけ前に急ぎ、星亮一「大鳥圭介」の感想をブログに入れました。もっと言葉を選ぶべきだったですが。あやふやな根拠で人物を蔑ろにすると怒る人間がネットの隅に居るということは明確にしたほうが良いだろうと思いました。勿論確たる根拠があれば批判は教訓にもなるし、行うべきことですが。 at 05/15 11:17
irisiomaru 大鳥ファンの方は読まない方が良いと結論付けましたが。一方で、ファンの方にこそ読んで声を上げて欲しいという観もあったりします。戊辰戦争も細かい所で突込み所満載でしたが、あえて触れませんでした。既に触れて下さった方ありがとうございます。 at 05/15 11:19

irisiomaru ブータン首都ティンプー着。相変わらず美しく厳しい国です。一昨年拡幅したばかりの空港からのハイウェイが既に何箇所も斜面崩壊を起こしている。斜面保護のない突貫工事だから仕方がないが。どこも直しながら使っているという感じ。今年の雨期も、国中の道路が厳しそうです。 at 05/15 20:08
irisiomaru ネパールに着いた時はネパール系ブータン人ばかりだなと思い、ここに着いたらチベット系ネパール人ばかりだなと思う。そして国が違うと頭を切り替える。国境=民族の境ではない。これがイコールな日本のほうが地球上珍しい存在なのだと思う。日本で大和民族ばかりだ、などと思うことはありえない。 at 05/15 20:11
irisiomaru ネパールの計画停電で、回りの電化製品のW数を確認するのが癖になった。そして傍らのオイルヒーター2.5kWにたまげた。この国は売るほど電気がある。というか国家収入の4割がインドへの売電による。山国の水力発電。自然エネルギーを収益源にできる国だからこそのGNH(国民総幸福度)。 at 05/15 21:23
irisiomaru ネパールでは100W以上の電力を使うことに罪悪感を覚えた。ブータンではいくら使っても水力だから気は咎めない。無論、節約できればその分インドの火力を代替できブータンの収入になるから、節電するに越したことはないが。同じ山国でも国と政治の主導でここまで電源開発状態が違うかと愕然とする。 at 05/15 21:30

irisiomaru @tukaohtsu 戊辰戦争編があるのなら // 戊辰は17巻以降だったかと。主人公御一行は京都に行きましたが、江戸から北上はしませんでした。装備や服装はしっかり調べられていて流石でした。伊庭八郎が格好良く描かれたり、彰義隊が乱暴物化したり、ピンポイントな目の付け所でした。 at 05/15 21:49

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2011年05月14日

星亮一「大鳥圭介―幕府歩兵奉行 連戦連敗の勝者」感想


星亮一氏「大鳥圭介」(中公新書) の感想です。

結論:
読まなくて良いと思う。
「南柯紀行」「われ徒死せず」等を読了済の方は、読まないほうが良いと思う。

理由:
・資料の重ね合わせがなく、考察が一面的・浅い
・思い込みによる事実との齟齬、根拠のはっきりしない記述が多い
・時系列がおかしく誤解を招く
・焦点の合わない余計な記述が多い
・人物への敬意と誠意が感じられない

まず、本書で強調されている「連戦連敗」「戦下手」を否定したい。

帯・サブタイトル、前書き:「幕府歩兵奉行、連戦連敗の勝者 」「負けてなお」他、本文中でそこかしこに出てくる。

この二つは、小説などの作品では大鳥を修辞するのに都合がよく、必ずといって良いほど出てくる。新撰組や会津藩を持ち上げる必要のある創作なら仕方が無い。しかし、「大鳥圭介」を題名に挙げた事実を述べる新書で、しかもタイトルでこれを掲げられると、物申さざるを得ない。

大鳥は小山・武井村三連勝、藤原、木古内一次戦、七重浜等の戦闘でで勝利している。重要な戦闘で敗北しているが、複数の不利な条件が組み合わさった結果である。大鳥の判断ミスも中にはあったと見なせるが、敗因をはっきりと大鳥が「戦下手」である為としている評は、信頼できる当事者のものには無い。連戦連敗とタイトルで蔑まれる謂れはない。

なお、著者は大鳥圭介伝の安藤太郎の評を挙げ、文中にも頻出させている。安藤は大鳥と戦場で共に戦ったことは無い。戊辰戦争後戦に、戦について語りたくもない大鳥が、自分は連戦連敗だったと謙遜したことを、安藤が間に受けたものだろうと推測される。

実際、当時の記録には、以下の通りある。
「沈勇にして大度あり、且文武兼備の人なれば当時の豪傑」(もしほ草)
「構成の巧なる事実に感嘆に堪えたり」(中外新聞)
「大鳥の戦略神のごときを褒めぬものはない『大鳥は実に戦上手だ。我々は負けても恥でない』野津七左衛門」(西郷隆盛評伝)
「全戦闘を通じて、官軍の敵の中で一番すぐれた指揮者の一人であり、彼が指揮するところでは、どこでも、その名は大敵とみなされた。彼こそ他の誰よりも官軍の進軍を食い止めた。若松では勇敢な天才であることを示した」(ヤングジャパン)
「大鳥、韜略に通じ、機略群を抜く」(戊辰戦史)
「性正毅豪膽韜略に通じ、善く兵を用い、幕府八萬の旗下中、稀に見る處の人物なり」(会津史)
「作戦の巧妙愈神秘の極なり」「大鳥圭介、部下を指揮して部署堅く、頑強勇邁、列戦奮闘、砲銃弾の運用巧に妙を極め」(慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史)

大鳥の能力の高さについて記した史料は枚挙に暇がない。著者はこれらそれぞれの記述を勘案することなく、安藤太郎一人の言を自分の決めつけの根拠にしている。

P59「大鳥は余計な戦争をして多くの部下を失う結果になった」P71「大鳥の戦略は軽薄のそしりを免れなかった」

こう著者は記述しているが、それらは的外れな誹謗である。大鳥が常に戦を避けようとしていた。敵が攻めてくるから止むを得ず戦ったという事は、南柯紀行を追えば一目瞭然である。壬生を攻めを以て上の指摘を著者は行っているが、壬生攻撃の決定は、江川塾の知己だった壬生藩の大砲奉行友平自身が、官軍の本隊が到着するから壬生を攻めよと勧めてきた事に由来する。大鳥の参謀の柿沢が壬生攻めに反対したのは弾薬不足だからと述べられているが、これは違う。少なくともその根拠の「北戦日誌」にはそうは書かれていない。小山の戦いが終わった後に、著者は弾薬不足を何度も述べているが、弾薬不足が顕著なったのは壬生安塚戦の後、4月24日の宇都宮の防御戦以降だった。
また、脱走の元々の目的は日光に拠って天下の趨勢を見定めることだった。日光で拒絶されたのは、まず日光の食糧不足、それから土佐の工作、板倉侯の弱気など、様々原因がある。(なお、食糧不足は、この直前に会津藩士が駐留して食糧を消費してしまった為) 。日光に向かったことを軽薄と批難するのは筋違いだ。

また、今市戦についても、沼間との確執を上げて大鳥の指揮が悪いと印象付けている。この著者に対する反論は、著者が何度も引用している「北戦日誌」で、浅田が行っている。

「軍費及び糧餉輜重ことごとく会津より送る所にして、又幕人の指揮に耳及びがたき事あり。これ脱籍浪徒の真に歎する所なり。後世、みだりに拙策と云うなかれ」

この言は著者の目には入らなかったのだろうか。

上のような浮薄な言葉で大鳥を定義されるのは、迷惑に感じる。

次に、前書きから「大鳥流処世術」とやらをテーマとしていることに物申したい。

タイトルの「連戦連破の勝者」とは「(戦闘は)連戦連敗だったが(処世術においては人生の)勝者」という主旨なのであろう。

上郡の方からも「イヤミなタイトルですね」と不評だった。

P186「大鳥は使節団に同行を希望し」P188「大鳥は伊藤にぴったり寄り添い」P191「大鳥のしたたかな一面」「大鳥は岩倉使節団にしっかり自分を売り込み」P233「大鳥は伊藤に食い入る。その当たりは大鳥の得意技だった」

などと本文中にも随所に記されている。著者は、大鳥が伊藤の腰巾着のような描写で、大鳥の猟官行動がさもあったかのように作為的に描いている。しかし、これらに根拠は一切無い。少なくとも大鳥が伊藤に地位の周旋を頼んだような記録は、私の知る限りは無い。大鳥を世渡りの名人として、あること無いことを度々作り上げ書いている事には、怒りを覚える。

大鳥は自分から岩倉使節団に売り込みに行ったのではない。ワシントンで使節団から吉田・大鳥一行が電信で呼び出されたのだ。イギリスでは大鳥と宇都宮が一ヵ月半怒涛の工場見学百数十箇所を行っていたが、その内伊藤が18日間同行したことは確かであり、その経緯は「われ徒死せず」でまとめられている。しかし、伊藤にぴったり寄り添ったなど表現される根拠は各資料にも私は見たことがない。

大鳥は、公務以外に工業新報の出版など私的活動に精を出した。風邪を引き陸軍省の公務を休みながら「興国三策」を書き上げた。工部省官僚が内務省の範疇の領分を侵してでも、水利により民力を高めるために「堰堤築法新按」を翻訳し出版した。明治の大鳥の抱え込んでいた仕事量を見ても過労死寸前でもおかしくない。「大鳥は自分で仕事する男にて局長には不向き」と品川弥次郎が伊藤に書簡で記した通り、むしろ愚直に仕事をしている。
職務に精励し、各方面に必要とされた。出世はその結果に過ぎない。

上のような描写は、大鳥に対して失礼極まりないばかりか、的外れな教訓を読者に与えている。

人物に対する失礼さは、ある派閥を全て一括して決め付ける著者の書き方に顕著に現れる。例えば、P ii「幕臣はどれも意気地がなかった」。最後まで官軍に抗おうとした幕臣の隊には、幕府七連隊、草風隊、撤兵隊、彰義隊、衝鋒隊、陸軍隊等がある。恭順者には恭順者なりの覚悟があった。当代の幕臣たちをまとめて「意気地がない」などと罵れる根拠は一体何なのだろうか。

著者は人物に対して誠意を欠いていると感じざるを得ない。早乙女貢のようにあからさまな表記こそは少ないものの、とかく実在人物の功績を軽視しているのが目立つ。批判したいならしっかり根拠を示すべきだが、その根拠が見られなかったり、的外れな決め付けだったりする。

元々、この著者の著作は実在人物に対する礼を逸したものが多かった。過去作に比べれば本書は大分軽減されているとは言えるが、それでもその傾向は頻繁に目に付いた。

一方で、評価できる所もある。
あとがきではP231「大鳥が持つ東洋的な心」と、大鳥の漢文・詩文の素養の高さを挙げた。またP232「大鳥のように兵学を究めた司令官には、十分な兵員と装備の仲で戦わせたかった」「大鳥にはインテリの弱さがなく、決してぶれないことだった」、P188「大鳥は若い頃からなんでも真剣な態度で学び、徹底的に研究した。一回の学者が幕府歩兵奉行に選ばれたのも、他の人には真似のできない追求心の賜物だった」と記した点は、全くの同感だ。

しかしそれらの点も、他の部分のマイナス点が大きく、本書全体としては上のようなネガティブな評価になってしまった。

その他、上理由の根拠になる記述を何点か記してみます。
戊辰部分も、疑わしくソースは?と問いかけたい記述、時系列が変、根拠が無いまたは誤っている、誤解を招く記述などが多いですが。すでに多くの方が指摘されていると思います。
ここでは主に明治政府出仕後の七章・八章より抜き出します。


P182 「岩倉使節団のメンバーはひどいものだった。特に理事官が問題だった…専門知識は皆無だった」

公文書館の大使書類原本大使全書に「理事官」として明記されているのは、陸軍少将山田顕義、侍従長東久世通禧、司法大輔 佐々木高行、戸籍頭 田中光顕、文部大丞 田中不二麿、造船頭 肥田為良の六名。

長州の山田顕義は後、司法大臣、陸軍中将、日大・国学院大の学祖、伯爵。
土佐の田中光顕は後、陸軍少将、警視総監、伯爵。土佐の佐佐木高行は山尾の後を継いで工部卿、侯爵。田中不二麿は尾張出身で、後、司法卿・大臣、伊・仏の全権公使、子爵。肥田為良(浜五郎)は長崎海軍伝習所を出て江川塾の教官だった。後、工部大丞、海軍少将、横須賀造船所長。

錚々たる顔ぶれであろう。この理事官達を「ひどいもの」「問題」「専門知識皆無」と罵ることができる著者は、一体何者なのだろうか。この当たりを見直して同じことが言えるのだろうか。

使節団メンバーの随筆や記録から、随行者の面白おかしい失敗談だけを抜き出してこのように決め付けたのことも推測されるが、著者はこの前で「理事官」を定義している。
失礼ながら、こういうことを安易に決め付ける著者の専門知識こそが皆無ではないかと感じざるを得ない。

P184「吉田清成の『公債発行日記』に…」

吉田の日記名は「七分利付外国公債発行日記」。公債は通常内貨による。今回は外国公債、或いは外債と標記すべき。また、外債発行にも明治3年の九分利付と今回の七分利付があり、区別する必要がある。また、引用するなら、吉田の記録を収録している「明治前期財政経済史集成」をまず当たるべきだろう。

P185 「ニューヨーク・ワシントンでは吉田の交渉も難航した」

吉田一行が米国から英国に向かったのは、欧州に比して米国の利子が高かった為。米国で九分利子で発行しようとしたが、日本本国から許可されなかった。吉田の交渉が難航したからではない。人の能力のせいであると誤解を与えかねない表記は避けるべきだろう。

P181 「今回の仕事は海外市場で外国債券を募り、殖産興業についての財政資金を得ることだった」

明治6年外債発行の主目的は、歳入の1/3に及ぶ士族の秩禄処分。つまり、武士をリストラするための退職金調達のため。余剰金は鉄道鉱山資金にも適用される予定であり、実際は外債調達資金は家禄奉還者に対する産業資金としても交付されたので、殖産興業に関らないないこともないが。殖産興業のみを目的として表記するのは誤り。

P189「大鳥は開拓使の黒田清隆の配慮でアメリカに残って」P190「大鳥の勉強代は開拓使が負担していたのだった。黒田は実に面倒見のよい男だった」

著者が根拠にしているのは、大鳥から開拓使への経費支払い依頼の書簡だが、これ対する開拓使の返答はあっただろうか? 私は見つけていない。確かに滞在費の幾分かは開拓使から支給されたと見られる。しかし、一通の大鳥の依頼書簡のみで、特に米国戻り以降も開拓使から資金が全て拠出されたと断定するべきではない。

明治6年11月、黒田は「速二太平洋ヨリ帰レ」と大鳥に帰国を命令している。(北海道公文書館 米国滞留大鳥圭介帰朝二付電報ノ件)。大鳥は524円の借金をして滞在を延長した。後期は大鳥が自分で借金をして滞在費をまかなっている。この借金は大鳥が後の給料から返済している。開拓使の黒田がパトロンであり続けたかのような描き方は、実に不適当である。

P189「(吉田清成は)人当たりが良くないこともあってか閑職が長く、十分な才能を発揮することなく」

吉田に失礼だ。
吉田は米国特命全権公使として条約改正の土台を作り、農商務省次官、また理財家として力を尽くした。多忙を極める省の次官や外交官の頂点である米国全権公使を「閑職」などと決め付けられるとは驚きだ。著者は一体どれ程に偉大な役職を経られた方なのだろう。

P190「(本多晋証言)僕はなに降参したって殺されやしないと思っていたといわれた。大鳥様は大胆な人だった…」「大鳥のしたたかな一面が出ている証言である」

資料の重ね合わせをせず、一発言のみで人物の性格を決め付ける著者の書き方が顕著にここに現れている。
これが事実と異なることは、様々な根拠から断言できる。大鳥は死を覚悟していた。同じ「大鳥圭介伝」で、死を覚悟した三度のことの第一に、降伏の時を挙げたことが書かれている。「獄に下って以降も確かに極刑を期していた」と大鳥自身の南柯紀行の言葉がある。 降伏時「砲は裂け艦は摧け吾が事終る、幡然衆に代わってこの躬を殺す」他、いくつもの、死を覚悟する漢詩を詠んでいる。 「今よりは 世を捨つる身」と獄中でも身の終焉を和歌でも詠んだ。 「我々を誅戮して自余の脱走人を寛典に処したまえ」と獄吏に告げている。 「死生の境」では大鳥らは赦免の直前まで死罪か釈放か知らされておらず、今日首を取られるか明日斬罪になるか「血も枯れる思い」だったと述べた。
大鳥は本心を隠し、周囲を安心させる為に強がるパフォーマンスがいくつも見られる。負けて笑って帰って来たのも、「敗戦は実に実に辛い」と後年本心を語った。「殺されやしない」は、本多晋に対する強がりだろう。

P193「軍部は完全に薩長で占められており、旧幕臣の出る幕はなかった」

旧幕臣に失礼だ。
この明治八年時点でも、津田真道四等出仕、西周四等出仕、澤太郎左衛門少丞、榎本道章七等出仕、揖斐章歩兵科大佐、小菅智淵兵学寮少教授(中佐相当)、大築 尚志騎兵科大佐、武田成章大佐兼兵学大教授、松本順軍医総監、赤松則良海軍少将、肥田濱五郎主船頭など、軍部に居る旧幕臣は羅列可能。松本や赤松に至っては、省トップクラスの勅任官。これで「完全に薩長」で旧幕は「出る幕はない」という評価を行う著者の判断基準が、私には理解できない。彼らの活躍を蔑ろにしている。

P194 「明治八年十一月三十日、山尾の後任として工学頭に任命された」

大鳥は6月25日にすでに工学権頭兼製作頭に就任していた。

P195「山油は石油、阿膠は接着剤、木醋はタールである」

木醋とタールは違う。乾留して得られる抽出物のうち水蒸気が冷えて水状となった上澄み部分で酢酸を含むものが木酢。それを除いた黒いドロドロした油状の部分が木タールである。木醋編では、酢酸としての木醋の生成・利用方法が述べられている。また、阿膠も、大鳥は大工の使う木材の接着剤として以外にも他に用途を上げている。
全てデジタルライブラリで自宅に居ながらにして参照可能であるのに、著者は、自分が紹介する著作の確認もしていないのだろうか。

P197「石油と鉄鉱石は駄目だったが」

駄目と決め付けられる謂われは無い。
官業の石油開発事業は、明治政府財政の縮減のあおりで中止になったが、八橋油田など当時の油兆地から採掘は続けられ、今も年間86万kL、全体消費量の0.3%と小規模ながら採掘は継続されている。戦後も帝国石油(現INPEXに統合)が長野県中部から新潟県上越まで国内採掘を続け販売していた。
鉄鉱石は、釜石鉱山が古くから官営で操業。コスト高で払い下げ時の処理は大変だったが、1993年まで鉄鉱石産出を続けた。岡山の柵原鉱山も明治15年から採掘開始、八幡製鉄所に原料を供給して日露戦争を支えた。
これで駄目と断定できる根拠は一体何なのだろう。

P204「このときの大鳥の処理の仕方は、いささか問題だった。大鳥はもともと芸術家ではない」

教師フェレッチに生徒が抵抗した問題において。すぐにフェレッチをクビにできなかったことでそう断定するのはいかがなものか。大鳥が芸術家ではなかったから問題対処が遅れたというわけではない。指摘は的外れだろう。あえて言うなら、契約の前に面接を行って人物評価をしっかりと行っていなかったことを指摘すべきだとは思う。履歴書は幾らでも化粧できる。しかし、外国人相手の事前の直接インタビューは経費と時間を要し、可能としても現地領事館などに代行を頼むしかなかっただろう。大鳥の責に帰するのは不適当。また、外国人に対する雇用契約の効力がどれ程強いか。雇用契約の撤回と補償にどれほどの労力と時間を要するか。お雇い外国人との折衝記録を読まずとも、少し考えれば気づくと思う。

P209 「賊軍が学習院長というのも不思議な人選だった」

不思議とする感性が不思議だ。明治初期で既に明治政府の1/3を旧幕臣が占めていた。明治18年にもなって未だに賊に拘りつづける理由は無い。明治も中期に差し掛かって賊、賊と論われる理由は無い。

P212「大鳥は侍従武官の片岡某と口論し、果ては格闘して殴打」

著者が引用している「われ徒死せず」では、「暴露新聞の記事であるが」と但し書きがある。平民新聞の記事はゴシップ記事であり、真偽は疑いの余地がある。

P213「大鳥の清国公使へ抜擢は伊藤が決めた。旧幕臣は派閥とは無関係であり、伊藤からすればそのほうが使いやすかった」

大鳥を清国公使に決めたのは伊藤単独ではない。大鳥に決まったのも旧幕臣だからだったのではない。大鳥に打診したのは伊藤と大隈重信の二人。他にも候補者は何人かあった。榎本が大鳥の意見も伺うべきと大隈に述べ、大鳥は不肖ながら引き受けたいと答えたから、大鳥に決まった。これも「われ徒死せず」に経緯がまとめられている。大鳥が候補者だったのは旧幕臣だったからではない。清国や他アジアについての論考を大鳥が学士会院などで公演していて、当地に理解が深いからだ。

P228「『南柯紀行』は…明治四十四年に中田蕭村が編纂し、宝文館と誠文館から発行されたものである」

南柯紀行は中田蕭村が編纂したものなどではない。
「明治四十四年中田蕭村なるもの大鳥男爵家の承認を得ずして幕末実戦史の名称の下に、南柯紀行と衝鋒隊戦史とを併せ編纂して上梓したることあり、然に該書中文章は中田氏に於て随意に筆を加え、かつ誤謬脱落甚だ多く、しかのみならず、詩歌の如き文字相違のためほとんどその体をなさざるもの数多あり。これおいてか当時大鳥男爵家より出版関係者に対し、その不都合を咎め、談判の結果、漸く初版限り絶版の事にて交渉を終れり」と山崎有信氏が述べている。山崎氏が原本の写しと比較対照すると「訂正にあらずしてほとんど改悪せし箇所枚挙に暇あらず、かくの如きは実に故人に対し敬意を失するものと云うべし、故人の迷惑察するに余りあり」とまで述べている。

著者の承諾を得ず勝手に手を加えまくってタイトルを変えて出版し、あまりの誤謬の多さに大鳥家が絶版の要求をし、伝記を書いた方が「故人の迷惑察するにあまりある」としたような人間を「編纂者」と呼ぶべきではないだろう。

結論:「大鳥の魂を貫くのは、やはり幕府への義であったと思われる」
帯:「最後のサムライ」


大鳥を知る者が一目で変だと思う記述を、帯や結論に持ってこられても困惑するより他はない。
大鳥は、阿波藩→江川塾→幕府→左院→開拓使→工部省・内務省→元老院→外務省と、それぞれに尽くした。何故幕府のみへの義が結論になるのか理解不能。
「最後のサムライ」にしても、映画で有名になったフレーズで、当時の武士なら誰にでも通用するような汎用ラベルを大鳥にも貼って終わらせて、一体大鳥の何を見てきたのか、と思う。


以上、パラパラ捲っただけでもこれだけ出てきました。細部まで一々挙げていると、何日あっても足りません。

「連戦連敗」「戦下手」は、星亮一氏のみが論っていることではなく、過去幾多もの作家によってこの点が描かれてきました。良くも悪くも、大衆的な表記といえるでしょう。これについては、星氏のみを責めるわけにもいきません。

ただ、明治部分の大鳥の記述は薄いと感じざるを得ません。「われ徒死せず」や他者の著作のつまみ食いのような記述だったり、本質的ではない外国人の経歴を延々と述べたり、大鳥の言をそのまま何ページを抜き出してページ数稼ぎをしているようにしか見えない箇所が多いです。「大鳥圭介」と題する著作を出版するなら、少なくとも大鳥についての一次資料を自分の足で当たり、分析や考察を根拠と共に記すべきではないのかと思います。

あとがきでこの本を書くことができたのは「われ徒死せず」に出会ったことであると著者は述べておられます。しかし、上のように「われ徒死せず」をきちんと読みこんでいるとは思えない記述がどうにも多かったです。

戊辰戦争部分も、細かい所では時系列がおかしく、根拠が誤っていたり、誤解を招く表記が多いです。そして的外れな思い込みで人を批判しています。「大鳥圭介」と題するなら、大鳥の行動をメインに描くべきと思いますが、著者が良く知っている藩の内情に詳細に筆を振るって枚数を消費しています。結果、大鳥の行動の部分も浅いように感じられます。

繰り返しになりますが、評価できる点ももちろんあります。
母成峠陥落後の大鳥の会津における苦闘が記されたことや、「ここは降伏としゃれ込もう」の台詞が書かれなかった点は、良かったのではないかと思います。(この逸話は、大鳥はじめ当事者の誰の記録にも出てこない。明治の終わりになって偉人百話などをはじめとした逸話集で出たもので、創作性が高い。)

それに対しても、上の「理由」で挙げた点において、苛立ちと怒りを覚える記述が多く、相対的にマイナス点が大きくなります。大鳥ファンの方にとっては、精神衛生上好ましくないので、手に取らない方が宜しいかと思います。

上の記述では、著者に対して大変な失礼があったかと存じます。
書評においては感情的な表記や贔屓は抑えるべきですが。誤った根拠で故人を貶されると怒る人間がいるということを示すために、今回はあえてこのように記させていただきました。同じ段に落ちてはならないですが、故人への礼が感じられない著者に対する失礼は、止むを得ないと考えます。

その他、自分の無知・解釈間違い・読み違いによる失礼の段がありましたら、ご指摘いただけますと幸甚です。如何様にもお詫び申し上げます。

没後百年で、普通の本屋に流通し、一般人の手に届く形でこのような新書が出版されたことには思うことが多いですが。「大鳥圭介」という名前に興味を抱いてくれる方が増えるということは、素直に喜ばしいことではないかと思います。


posted by 入潮 at 06:20| Comment(6) | TrackBack(0) | 幕末明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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